2008年12月

K−20 
怪人二十面相・伝
赤い糸 スター・ウォーズ
劇場公開版
ブルークリスマス ハッピーフライト 空へ〜救いの翼
RESCUE WING
三池監獄 兇悪犯
死の棘 ブタがいた教室 ラブファイト ぼくのおばあちゃん

K−20 怪人二十面相・伝


日時 2009年12月30日21:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン6
監督 佐藤嗣麻子

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サーカスの花形スター(金城武)の元にカストリ雑誌の記者がやってきて
近く行われる明智小五郎とある令嬢の婚約写真を撮ってきて欲しいという。
金のために引き受けた金城武だったが、自分が二十面相と思われ逮捕される羽目に。
仲間の助けを受けて逃亡をした金城武。本当の二十面相を捕まえる事に。


おい、「K-20 怪人二十面相伝」の映画の内容に関する責任者は誰だ?
話があるんだよ!
おまえはバカか?
それともサル以下だな。あんなオチ、猿でも思いつくんだよ!
でもな、人間だったら「それはいくらなんでも知恵がないよなあ」って思いなしてやめるんだよ。
それが人間のすることなんだよ!!
俺の明智小五郎を・・・・俺の怪人二十面相を・・・・・
ばか野郎、馬鹿野郎、バカ野郎・・・・・・

映画を観終わってこんなにいやな気分になったのは「ゴジラ・ファイナルウォーズ」以来だ。
映画が始まってすぐに太平洋戦争が始まった時の臨時ニュースを伝えるラジオ放送のもじり
から始まる。
「本8日未明、西太平洋において日米は合意せり」というような「何で西太平洋で合意するんだ」
という私の心の中の突込みから始まる。
そいで戦争の無かった日本は格差社会が広がっていて、二十面相のような義賊が登場する社会に
なっている。
どうもこの格差社会という言葉が、あえて今の日本と似させようとしている感がして鼻に付く。
でこの映画に登場する明智小五郎(仲村トオル)がどうもいけ好かないいやなやつなのだ。

まあそれはちょっと我慢して見ていくのだが、格差社会がどうのと映画の話がまったく進展せず
いらいらし、やっと「バベルの塔」の絵の裏に書かれているらしいものを探ろうとして
陸軍研究所に進入するあたりから話は面白くなる。

だがしかし、最後にめちゃくちゃなオチが登場する。
書いちゃうけど「明智小五郎と二十面相は同一人物だった」というやつ。
だから二十面相はいくらでも狙った獲物に自由に近づけたというわけ。
馬鹿か、お前は!
でこの文章の最初に戻るわけ。

まったく「製作委員会方式」の悪い点が完全に出たような気がする。。
「『三丁目の夕日』『スパイダーマン』の要素をふんだんに取り入れて日本人にとって永遠のヒーロー
明智小五郎と怪人二十面相を新解釈でとらえます」というようなことを会議の席で誰かがとうとうと
しゃべって、映画のことをよくわかっていないサラリーマンが「で、どのくらい儲かるの?」
という点ばかりを気にして映画を作るとこうなるという見本みたいな映画。
最近思うだが、日本映画からは私のような観客はもう求められていないのではないか、と思ってしまう。
「昔はよかった」式の単なるノスタルジーで言っているのではなく、「K-20」本当に無茶苦茶。

先日東宝の中野昭慶監督が「映画はキチガイっていうかばかが引っ張っていかなきゃダメ。
優等生が会議で相談して出来るもんじゃない」とおっしゃっていたのですが、昨今の日本映画は
「製作委員会」方式ではまさに面白い映画は生まれないんではないか?と思う。

「この映画のことを嫌いな方はアメリカ版ゴジラが嫌いなゴジラファンみたいなものかも知れない」と
いう意見を見た。いい得て妙だと思う。
でもアメリカ版ゴジラは「まあ所詮は外国人が作ったものだから」と私は達観できたけど、今回は
日本人が作った映画。
絶対に許しません。
誰が抗議に来たって受けてたちます。
私は逃げません。

でも「この映画を好きだ」っておっしゃる方もいらっしゃるでしょうから、その方々が不愉快になっても
いけないんでこの辺で。
そんなこと気にする必要を忘れさせる映画でもありますが。



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赤い糸


日時 2008年12月30日18:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン9
監督 

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淳史(溝端淳平)と芽衣は中学3年生。二人はともに2月29日生まれの
クラスメイト。
学園祭での占いをやったときに二人は子供の頃に出会っていたと知る。
やがて長崎への修学旅行がはじめる。二人は自由行動日に二人だけで
回ることにする。
だがその修学旅行先で入院している淳史の母が交通事故にあったと
連絡が入る。母は薬物中毒の治療で入院しているのだが・・・・


以上は話のさわり。
いやもうご都合主義を通り越して強引主義だ。
さっきの修学旅行では前の晩に二人でホテルを抜け出して夜景のきれいな
場所でキスをする。
で、芽衣の友人の女の子が同じグループの男の子が好きで、その子は
芽衣のことが好きで、淳史が帰ってしまったものだから、その男の子が
芽衣と長崎を回る。それを芽衣の友人の女の子に見られてしまい、
「私が彼のこと好きだって知ってるくせに彼と二人で回るなんて!」
と怒ってしまい、その場でホテルの屋上から飛び降り自殺を図る。(おいおい)
幸い生き残ったものの、記憶喪失で転校。
で淳史は母親のリハビリのために沖縄(?)の病院へ二人で移る。
一方高校生になったみんな。芽衣は芽衣のことを好きな男の子と付き合い始めるが
その子は定時制で夕方学校へ行く前に毎日会おうと約束するが、当然のことながら
時々用事が入るが、彼はそれを許さず、ドメスティックバイオレンスをやりだす。
で芽衣の友人の女の子は彼氏に振られた寂しさでドラッグに手を出す。

こんな感じで話が極端に進行していく。
すぐに自殺する、すぐにDVをする、すぐにドラッグに走る。
もう途中の迷いとか悩みとかなしに「即行動!」であり、短絡的だ。
単に原作のケータイ小説の作家が短絡的なのか、ケータイ小説というものが
こういった話のスピーディーさが求められる媒体なのか、それとも世の中が
短絡的になっているのか、その辺はよくわからないが(本当は原作を読むとか
して自分なりに考えたほうがいいのだろうが、私は怠け者なので)
今を象徴していると言えるのだろか?

この後も映画は極端なストーリー展開をして、(ただ思いつくままに
進展するがごとく)芽衣の両親は離婚を切り出し(なぜそうなったのか説明なし)
芽衣は実はその両親の子供ではないという展開になる。
(そのなぜ自分の子供で無い子を引き取ったかは母親が延々と説明するが
よくわからない)

このまま延々と親の会社の倒産とか交通事故に会うとか(そういえば芽衣と
付き合った男は夏祭りの日に交通事故で即死した)大地震があるとか
友達が妊娠するとか、芽衣が歩いていたらレイプされるとか、先生にセクハラされるとか
淳史を好きな男の子や女の子がどんどん出てくるとか、ナイフで切りあったりとか
いくらでも話は出来そうだなあ。
それはそれで面白そうな気もする。

主演の溝端淳平は「ダイブ」に続き、好演。ただし本作は中3の話なので
どう見ても中3には見えない。映画を見ている間、しばらく高校生の話だと
思っていた。
溝端淳平を見ている分には楽しい映画でした。



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スター・ウォーズ劇場公開版


日時 2008年12月23日
場所 DVD
監督 ジョージ・ルーカス
製作 1977年(昭和52年)日本公開1978年

(詳しくはキネ旬データベースで)


宇宙の彼方、反乱軍は圧政を行う帝国に対し、反旗を翻した。
反乱軍の中心人物のレイア姫(キャリー・フィッシャー)は帝国軍の新要塞
デス・スターの設計図を持ち出したが、それを盗む途中にとらえられてしまう。
ロボットR2D2に託し、C−3POとともに惑星タトィーンに送る。
その惑星で農民として働いていたルーク・スカイウオーカーに拾われる。
R2はこの星にいるはずのオビ・ワン・ケノービという老人を探しに行く。
オビワンとR2は無事に会うことが出来た。そしてオビワンとルークは
帝国軍に向かうため、惑星オルデランに行くことに。
そして自分たちを運んでくれる宇宙船としてハン・ソロの船を選んだ。
彼らの大冒険はいかに?


その後、計6作が作られた「スター・ウォーズ」の第1作。
最近では「エピソード4」とか「新たなる希望」とか言われているが僕にとっては
この映画が「スター・ウォーズ」第1作。

初公開の時は興奮して何度も見たものだったなあ。
その後、84年ごろ、松竹系で日本語版としてリバイバル公開され、そのときに
見たのが最後だった。

従って20年以上見ていなかったことになるが、思いのほか記憶していた。
タトウィーン星の二つの夕日を見るルークのカットなど印象的なカットもちゃんと記憶通り。
初めて見たときはラストのデススターのXウイング機が壁すれすれで突っ込んでいく姿には
感動し、見終わった後、しばらく椅子から立てなかった気がします。
それぐらい凄い映画だったし、ああいう感動はそうそう何度もあるもんじゃありません。

でも「スターウォーズ」を見てから洋画が「スターウォーズ」マニアになったかというと
そうでもなく、やっぱり東宝特撮に戻り、「日本ではどうしてこういう映画ができないだろう」
と悩んでいく少年時代だった。

今回見直して発見、というか単に私が年をとっただけなのだが、ルークがえらく少年に見えた。
公開当時は15歳だったから当然ルーク(マーク・ハミル)は年上だったが今見ると
ホントに「少年探偵団」の小林少年のような若さ、幼さなのだな。

ハンソロはやっぱりかっこいい、とかレイア姫はどうしてあんまり美人じゃないんだろう?
とか当時から思っていたことをあらためて感じた。

正直、このあとの「スター・ウォーズ」にはあまり興味がわかない。
やっぱり2作目以降はこの革命的な衝撃を感じなかったのだろう。

それほど何度も見たくなる映画ではないが、観終わったあと立てなかった記憶とともに
私のなかで忘れられない1本であることは間違いない。



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ブルークリスマス


日時 2008年12月20日13:30〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 岡本喜八
製作 昭和53年(1978年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


テレビ局JBCの記者・南(仲代達矢)京都の学会に出席したと行方不明に
なった兵藤博士(岡田栄次)の行方を追ってみた。
兵藤博士はどうやら宇宙人と地球人のコンタクトについての研究をしていたらしい。
そんな時、南は友人(岡田裕介)の恋人・女優高松夕子の血液が青だと聞く。
そんな馬鹿なと笑った南、しかし実は全世界では血の青い人間は増えつつあったのだ!
そんな中、国防庁の隊員、沖(勝野洋)の恋人・冴子(竹下景子)の血も青だった。
全世界の政府は青い血の人間が将来どういう悪影響を人類に及ぼすかわからない、
だから抹殺しようという計画を準備中だった・・・・


この映画の公開の頃はキネ旬を読み始めた頃。
まだ映画化決定していない段階で、シナリオが雑誌に掲載されるという変わった
手法での発表だった。
なんか不思議な話なので雑誌に発表する形で世間の評判を知りたかったのかも
知れない。

で後にすぐに岡本喜八により映画化が決定。
まだ当時は岡本喜八がどんな監督もよくわかっていなかったから、特に期待も
しなかったが、映画を見終わっていい印象はなかったように思う。

今回封切り以来30年ぶりに鑑賞。
脚本に誤りがあるよ。
倉本聡は脚本を直すことを絶対に許さないそうだが、一体何様だよ?
まずSFをやりたいのか政治フィクションをやりたいのかよくわからない。
どっちつかずの中途半端なのだな。
それとこの映画の場合、前半と後半で主人公が別れているため観客が困ってしまう。
前半の陰謀を追うのが仲代達矢だが(その追い方もあまり工夫がない)後半、青い血の
人間抹殺計画に疑問を感じるのは勝野洋。

主人公はやっぱり統一させたほうがいいと思う。
仲代達矢の妻や子供が青い血になってしまい、逃亡を図るとか、あるいは勝野洋が
陸自の調査員で日本政府も何も知らずにUFO問題を追及するうちに「青い血の人間
抹殺計画」にたどり着き、やがては自分がその抹殺計画の一員になってしまう、みたいな
具合とか。

それとねえ、チープな恋愛ドラマじゃないんだからクリスマスってやめてほしいな。
クリスマスである必要はドラマ上どこにもない。
単なる「愛し合う恋人を殺さねばならなくなった、それも聖なるクリスマスの夜に!」
という恋愛ドラマのレベルになっている。
やりようによっては国家による少数派の抹殺、というテーマが出来たかも知れんが、
成功はしてませんね。

やっぱり倉本聡は私とは合いません。



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ハッピーフライト


日時 2008年12月16日21:00〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン6
監督 矢口史靖 

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羽田発のハワイ行チャーター便。
このジャンボにはあと一歩で機長の副操縦士(田辺誠一)新人フライトアテンダント(綾瀬はるか)
などが乗り込む。地上のスタッフは今日もお客様の席の手配やら鞄の取り違えの対応で忙しい。
整備士たちは限られた条件の中で精一杯いい仕事をしようと一所懸命。
フライトコントロール室は管制塔はとりあえず何事もなければ通常通り。
しかしこのジャンボ、離陸の時に鳥が当たってスピードを計測するピトー管が破損した!
スピードのわからない飛行機では制御仕様がない。
助かるか!

「ウォーターボーイズ」「スウイング・ガール」の矢口監督最新作。
評判がよかったので逆に期待しすぎないようにしていたが、今年のベスト5(いや3かな)に
入る快作だった。

元ネタはやはり「大空港」だろう。
一機のジャンボを軸として各セクションのスタッフが懸命に働いていく。
今まで一般には知られていない航空業界の話も描かれており、脚本に時間をかけただけの
ことはある。

ライトコメディ風に作ってあり、真面目なパニック映画好きとしてはちょっと物足りない
気もするのだが、今の映画界ではこういう笑いのある方が受けるのだろう。
役者も田辺誠一、寺島しのぶ、岸部一徳、田畑智子らが各パートを盛り上げ、飽きさせない。

画的になにか物足りないと思ったら、ジャンボ機の外からの画が少ないのだな。
撮影しづらいから省略したのかも知れないし、「人物描写に徹した」のか?

矢口監督、現在の日本映画を代表する監督であることは間違いないですね。



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空へ〜救いの翼 RESCUE WING


日時 2008年12月14日11:20〜
場所 角川シネマ新宿
監督 手塚昌明

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台風の中、自衛隊のヘリが病気の女性を病院へ搬送する。
その娘はそのことに感謝し、大人になって航空自衛隊航空救難団の女性
ヘリパイロットとなった。
救助中飛行ミスで仲間を危険な目にあわせてしまったり、救助した子供が
後に亡くなったりと厳しい日々が続く。
ある日、貨物船の火災現場に急行する。その時に仲間のF15パイロットの
が洋上に着水したと連絡が入る。
救助に向かえば帰りの燃料がなくなる。
どうするか!

「ゴジラ×メカゴジラ」の手塚昌明監督最新作。
正直前作「戦国自衛隊1954」がイマイチな出来だっただけに不安があったが、
今回は期待の出来。

正直、脚本は弱い。
救助できなくて辛い思いをするのが2回とも「燃料切れ」の問題。
それ以外でも救助できなくなるシチュエーションはあるだろうと
突っ込みたくなってしまう。
それにラストが貨物船の火災がクライマックスになるかと思ったら、それは
マクラで、その救助活動中にベテランパイロット(井坂俊哉)が目に怪我をし
操縦できなくなる。近くの海上自衛隊の護衛艦に着艦しようとするが高波で
うまく出来るか!がクライマックス。
ここはやはり貨物船の火災の方が盛り上がると思うのだが。
多分、制作費とか自衛隊からこういうシーンを入れてほしいとかいろいろ要望が
あったんだろうなあ。

かといってこの映画に魅力がないわけではない。
なんといって自衛隊の航空機がかっこいい!
特撮は全くといっていいほどない実景撮りで航空写真が実に美しい。
青空をバックに偵察機を空撮でとらえたり、夕日をバックにヘリが飛ぶなど、
ポスターか絵葉書写真のような美しいカットが次々と登場する。
はっきり言ってそれだけの映画。
でもそのメカの美しさはすばらしい。

主役は新人の高山侑子。言っちゃ悪いがこの映画では釈由美子のコピーみたいな
キャラクター。
あとは井坂俊哉とか渡辺大とか女性飛行長に木村佳乃、救難団隊長に三浦友和。
手塚監督らしいメカの魅力満載の映画。
そういう点が楽しめる人には楽しめるが、その辺に魅力を感じない人は詰まらん映画
になるでしょう。



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三池監獄 兇悪犯


日時 2008年12月11日20:30〜
場所 グリソムギャング(試写)
監督 小沢茂弘
製作 昭和48年(1973年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


鶴田浩二主演の東映アクションもの。
任侠路線も終わって実録路線に移ってきた時代の映画かな。
九州の三池炭鉱に囚人専用の坑道があってそこで長期刑の人間たちが
働かせられるという地獄の監獄。
もちろん逃亡もある。うまく逃亡して他の一般坑道に逃げ込めば、そこでは
女が工夫として働いており、思わず逃げた囚人たちはその女に襲い掛かって
溜まっているもんを出そうとしているうちに見つかってしまい、射殺される、
というのがオープニング。
実に東映らしい。

中では大木実とか宍戸錠が班長の組があり、それぞれの班長(といっても
囚人のいわば牢名主)によってグループは指揮され、炭鉱は掘り続けられる。
「ロシアと戦争を控えているのだから」と増産にはハッパかけられるが、
その儲かった分は炭鉱の持ち主の会社(遠藤辰雄)から所長や看守に配られる
だけで囚人にはいきわたらない。
そんな状態に囚人たちの不満は溜まる一方。
そこへ北海道の炭鉱から札付きの囚人(鶴田浩二)が送り込まれ、宍戸錠たち
囚人に釘をさそうとするのだが。

という展開。
正直言ってこの映画の鶴田浩二はイマイチ役柄がよくない。
人望を集める親分肌の宍戸錠の方がよっぽどいい役だ。
「みんなを生きてここから出獄させる。そのためにお前たちを守る」という
心情の宍戸は私でもついて行きたくなる。

それに対して鶴田浩二の方は、宍戸と対決があってその後和解、宍戸は
鶴田についていくようになる、という展開と思いきや、これがそうは行かない。
宍戸錠は大木実に脱獄を誘われるが、果たして生きて出られるかどうかというと
不安でイマイチ乗り切れない。それを聞きつけた鶴田は一言「やるべきだね」
といって宍戸を説得させる。
がいざ脱獄が始まると、錠たちは関係なく、自分と自分の北海道からの仲間
だけで逃げ出そうとする自分勝手な奴。
これは主役としてどうよ。

それで結局つかまるのだが、それを介抱する女郎がひし美ゆり子。
おっぱいをチラッと見せる。
介抱させたのは看守側に「こいつをスパイにしよう」という悪巧みがあっての
ことだが、鶴田はその辺はあいまいにして監獄に戻る。
で再び脱獄が始まるがさしもの宍戸錠も看守たちに撃たれてしまう。
大木実はすでに看守側に情報を流すスパイになっていたが、こいつも死んで、
混乱に乗じて鶴田も脱獄を図るがついに看守に撃たれて、しかし脱獄に用意
していたダイナマイトを爆発させながら死ぬ(と思う)。

ラストの鶴田浩二の死にざまがもう少し派手だったらよかったがなあ。
その辺がイマイチでさっきも書いたけど、宍戸錠の方がいい役で、鶴田は印象がうすい。

出演は他には天津敏、金子信雄、安倍徹、南利明、伊吹吾郎などなど。
南利明がコメディリリーフだったり、オカマの囚人がいたりの東映らしいキャラクターの
サービス付き。



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死の棘


日時 2008年12月7日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 小栗康平
製作 平成2年(1990年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


主人公の作家(岸部一徳)は妻(松坂慶子)以外の女性と通じてしまい、それが
妻の知るところとなる。
彼女は夫を責める。
妻はやがては精神病院に入院する事態になる。

実はストーリーを書いても意味を成さない。
表面上のストーリーはよりも夫と妻のやり取り、その二人の精神世界(という言葉
は適切かどうかはよく解らないが)を描いた世界のように見えた。
ほとんど二人の会話で成立し、他者が話しに関わってくることはない。
妻が夫を責め、夫は妻をなだめようとする姿が延々と続く。

正直、好きなタイプの映画ではないので、見ていてかなりしんどかった。
しかしまあ松坂慶子がかなり頑張っていて、エキセントリックに夫を責め立てるが、
どこか感情を抑えたように見える。
かなり可笑しいこと、例えば夫に「裸になりなさい」と言った後、自分も裸に
なったり、その後に鴨居に紐をつるして二人とも首をつろうとしたりなんだか妙な
行動を二人とも行う。

しかし観客は笑わないし、二人の演技がどこか笑わせる隙がないので、笑っていいんだか
いけないんだか迷ってしまう。
そこから始まったのかも知れないが、自分自身が映画の中にどうも入り込めず、
スクリーンの中で「よくわからないことをしている」という印象はぬぐえなかった。
小栗監督は2本しか見ていないが(もっとも5本しか監督作品はないが)あんまり
好きになれないなあ。
(まあ出世作「泥の河」を見ていないのでなんともいえない。)

岸部一徳、松坂慶子はかんばっていた。
特に松坂はヌードにもなるし、この映画の製作時(90年)はスター女優から
演技派(というほどでもないが)になるきっかけだったのかも知れない。

今回の上映は小栗監督のトークイベント付き。
先ほどの笑っていいのかどうかの件だが、監督としては笑ってほしかったそうだ。
日本では笑いがないが、海外の映画祭ではかなり笑いがあったそうで。
あと小栗監督の話で映画と出版の対象とする人数の違いの話が興味深かった。
「本の世界では1万部も売れれば御の字。著名作家の本が2〜3000部ということも
少なくない。しかし映画は10万人単位で見てもらわなければならない」という話。
そういえばそうだ。
1500円が平均入場料として10万人で1億5千万円。
配給側には7500万円。そこから宣伝費などを引くと5千万円残るかどうか。
今まで意識していなかったが、10万人に見てもらってもその金額ではしんどい商売だ。



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ブタがいた教室


日時 2008年12月7日10:45〜
場所 新宿武蔵野館3
監督 前田哲

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小学6年が担任の星先生(妻夫木聡)は自分のクラスのみんなでブタを
飼い、卒業の時にみんなで食べることを提案する。
とりあえず始めた児童たちだったが、ブタに「Pちゃん」と名前をつけた
あたりから、子供たちにブタに対して愛情が始まる。
果たして彼らは最後にはブタを食べるのか?

妻夫木聡が小学校の先生!
同じく動物を扱った「さよならクロ」で高校生を演じていた妻夫木も
先生を演じるようになったかと本筋とは関係ないところでまず感動。
この映画における妻夫木は重要で、教室での子供たちの「ブタを食べるか
食べないか」の学級会のシーンなど完全に教師の顔になっている。
反面、職員室のシーンでは未熟な青年のキャラになっているのが興味深い。
その辺の違い、20代後半の男としての妻夫木を見ているだけでも
妻夫木ファンとしては楽しい。

大半の大人(特に教頭〜大杉漣)が予想したとおり、ブタに名前をつけた
あたりからブタは「いずれは食べるもの」から「クラスの仲間」という
キャラクターを位置づけられる。
ブタが逃げ出したり、排泄物に困ったりしながらクラスにとってPちゃんは
欠かせない仲間になっていく。
予想されたように子供たちは食べることに戸惑いを感じ始める。

原作は実話だそうだが、始めに先生はどこまで意識していたのだろうか?
単なる養豚場と同じことをさせてブタを育てて食べることで食べ物という
ものをもっと大切にする心を育てたかったのだろうか?
子供たちがブタに愛情を感じてしまうのは計算違いの結果だったか?

結局「食肉センターに送る」か「3年生に引き継いでもらう」かを投票で
決めるのだが、これが同数。
実際も同数だったというから、事実には驚かされる。
結局、星先生の1票は「食肉センターに送る」ということで結論はでる。
まあこれが大人の順当な結論でしょう。
先生の立場からすると自分の始めたことを下級生のクラス、他の先生に
引き継いでもらうのだから、引き継いだとはいえ、責任は残る。
いやな言い方だがブタを下級生に引き継いだせいで何か事故があったら
生徒や他の先生に迷惑をかけてしまう。
私だったら「食肉センター送り」だ。

だからラストのブタとの別れも当然の結末でしかなく、子供たちの涙の
別れも「ふ〜ん、小学生ならそういう涙の別れなんだろうねえ」とさめた
目で私は見ていた。
しかし何にしても子供に命の重さを教えることはいいことだと思う。

妻夫木聡、単純なヒット狙いの作品に出演するだけでなく、内容のある
映画を選んで出演するようになってきた。
いいことだと思う。
今後、日本映画を代表する俳優になる可能性が出てきたと思う。
これからも楽しみだ。



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ラブファイト


日時 2008年12月6日18:00〜
場所 T・ジョイ大泉シアター9
監督 成島出

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稔(林遣都)は幼稚園の頃からいじめられっこ。いつも助けてくれたのは亜紀(北乃きい)
だった。それがうっとうしい稔は、ある日不良から助けてくれたおじさん(大沢たかお)
が会長の大木ボクシングジムに入りボクシングを始めた。
それを知った亜紀も大木ボクシングジムに入り、ボクシングを始める。


林遣都と北乃きいのラブコメかと思ったらそれほど明るい笑いのある映画ではない。
ボクシングジムの会長と元恋人で今は売れなくなった女優(桜井幸子)の再会があって
また付き合いだすとかそういう話が絡む。
これがもう2時間もある映画なのだよ。
実に長い。とにかく90分ぐらいにまとめて欲しい。

稔のことを好きだと言ってくる同級生の子の誕生日のシーンで、宝塚のお姫様に
なりたくて迫ってくるシーンは笑った。
宝塚の男役の女優に似ているから「私の相手役になって!」と迫るシーンはかなり
イってしまっている。またこの女優の絵が出てくるが微妙に林遣都に似ているのが
面白い。

またワンカットが非常に長い。
亜紀が大木会長にキスをする公園のカットなどクレーンで俯瞰でとらえながら
長い会話のあとキスをし、稔に蹴りを入れて去るシーン、またラストの
稔と亜紀のボクシングの後のキスシーンも長まわしのカット。
カメラが動いているのであまり長さは感じられなかったが、それにしても
北乃きいの回し蹴りなどNGも多そうな気がするが、きれいに決めているのに感心した。

また林遣都にしても北乃きいにしてもボクシングの練習シーンとかが実に決まっている。
かなり練習したことが想像されるが、その成果が出ている。

林遣都は「バッテリー」、「ダイブ!」とこの「ラブファイト」とスポーツをする
少年役が続いている。
スポーツマンのようなたくましい体ではなく、華奢な体つきだが、それでもスポーツシーンが
決まっているので、やはり運動神経がいいのだろう。
もちろんそれに至る彼の努力は素晴らしいものがあるのだろうが。
今後に期待したい。



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ぼくのおばあちゃん


日時 2008年12月6日10:30〜
場所 テアトル新宿
監督 榊英雄

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智弘(岡本健一)は住宅販売のトップセールスマン。仕事第一、お客様第一の
営業で成績は常に上位で常務の受けもよかった。
そんな智弘は今、ある一家の新築の案件があった。夫の父を老人ホームに入れようと
する妻、煮え切らない夫、孫と仲のよい祖父。
彼は自分自身のおばあちゃんのことを思い出すのだった。

岡本健一、17年ぶりの主演映画。
もうそんなになるかあ。「あいつ」が最後だったからな。この映画を見た動機は
なんと言っても岡本健一主演の映画だから。(でなかったら多分見なかったろう)

男というものは多かれ少なかれ「おばあちゃん」というものに思い出があるのでは
ないだろうか?やさしくて、いつも味方になってくれて、母親にしかられても
助けてくれるような存在だった。
そういう感情をずばりついてくるような映画だ。

そんな祖母も当然の事ながらいつかは弱っていったり、亡くなっていく。
そうやって少年は人の死や別れを経験していくのだ。
映画の後半で実家を訪ねた智弘が昔のビデオテープを再生し、その後に今まで
知らなかった祖母のメッセージが流れる。

このあたりは映画的に言えばありきたりだし、前にも見たような気がする。
しかしここで大人になった少年(つまり観客)は泣くのだ。
乗せられてたまるかとひねくれて思いつつもやはり、じんとくる。
(ただし全体的にやや長い。2時間もかける話ではなかろう。それこそ
寅さんの併映作品のような90分ぐらいにまとまっていたらもっとよかったと
思う)

出演者ではなんと言っても菅井きん。
主演映画は初めてだそうだが、そのやさしい笑顔がたまらない。
近年おばあさん役では藤村志保や富士純子が活躍だが、この二人ではきれい過ぎる。
こんな割烹着が似合いそうなどこにでもいそうなおばあちゃんはやっぱり菅井きん
だろう。
そして岡本健一。本人もパンフレットで言っているが最近は汚れ役、というか
変な人の役が多かったが久々の普通のサラリーマン。
表情を作っていないときの顔がなんだか目の辺りが死んでいる感じがするのが惜しい。

鑑賞日は映画終了後の舞台挨拶付き。
岡本、菅井、智弘の幼稚園時代、中学時代の少年2人、寺島進、船越栄一郎、監督。
岡本はもう39歳だが年齢を感じさせない若々しさで、ブーツを履いた姿は実に
かっこよかった。
また岡本には映画に出演してほしい。



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