2009年2月

上役・下役・ご同役
赤軍赤軍-P.F.L.P 
世界戦争宣言
日本列島 赤い風船 白い馬
誰も守ってくれない ソドムの市 ララピポ チェ 39歳 
別れの手紙
クロノス 出世コースに進路を取れ 近頃なぜかチャールストン ポチの告白


上役・下役・ご同役


日時 2009年2月28日13:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
製作 昭和34年(1959年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


平山(加東大介)は曲がったことが大嫌いの営業課長。
出世も遅れて戦前の大連支店長時代の部下だった男(田島義文)が今は部長となって
上司になっている。
娘(水野久美)も同じ会社で電話交換手として働き、まだ高校生の娘と中学生の弟
(久保賢)がいる。
娘は新入社員となって配属された中村太郎(久保明)と付き合っているが、電話交換を
しているうちに社長の妻に気に入られ、その息子にも気に入られて結婚話までもちあがる。
しかし自分の出世のために娘を使ったようにいう同僚を彼は許せない。
また平山の甥洋一(瀬木俊一)は楽して儲けようと新人歌手の売り込みに精をだす。
そんな適当な生き方が平山は許せない。
そんな時、部長夫人から再婚話が持ち上がる。相手は戦争未亡人でとっても美人(草笛光子)。
平山もその気になるのだが、子どもたちの手前なんとなく結婚に踏み切れない。


東宝SFで有名な本多監督作品。
本多監督の映画でSFでないのを見るのは実は初めてかも知れない。
たぶん初めてだろう。
どんなもんかと思ってみたら、実に普通の映画だった。

「ゴジラ」は本多監督でなければ撮れなかったかも知れないが、この映画は本多監督で
なくても出来たと思う。
なんてことないサラリーマン喜劇だ。
加東大介はいつもの型物男だし、久保明は新入社員、久慈あさみは部長夫人、水野久美は
若いカップルの恋人役。
水野久美もこのころはまだ清純派だったんだなあ。

その後、洋一はジャズ歌手を加東大介の会社の提供番組に出演させることに成功し、
一時は儲けるが歌手の方に捨てられる。
真面目にコツコツが一番、という人生訓に終わる。
(もっとも真面目にコツコツでは課長にはなれないのだが)

ラスト、会社の運動会に家族で出かけるのだが、その日の朝に高校生の娘が
「就職のために面接に行く」と言いだす。加東大介も水野久美も大学進学を進め、
高校生の娘も「わかった」という。
しかしその後の運動会とのカットバックで、娘はやはり就職の面接を受けている。
ちょっと驚いたが、やはりこの時代は親の懐を考えて就職するのが美徳とされていたのかも
知れない。
そんな時代を感じさせるラストだった。



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赤軍-P.F.L.P 世界戦争宣言


日時 2009年2月21日28:45
場所 テアトル新宿
監督 若松孝ニ
製作 昭和46年(1971年)

(詳しくは日本映画データベースで)


パレスチナのゲリラたちを追った1971年製作のドキュメンタリー
(実は戦争の戦の字が違うのだが、WINでは出ないらしい)
サイレントのフィルムでパレスチナゲリラの軍事訓練の様子や彼らのインタビューを記録。
これがインタビューは完全に同録ではないのかシンクロしておらず、音声に字幕ではなく
吹き替えがつき、しかもこちらはオールナイトイベントの最後で頭が朦朧としている上に
「〜的かつ〜的であり、また〜である我々に対し〜であり、及び〜に対し・・・・・」的な
やたら文章が長く、回りくどいからなんだかさっぱり解らなくなる。

ただ重信房子のインタビューも出てきて1971年という世界同時革命という夢(幻想)が
あった時代の空気を感じることは出来、その観る価値はあった。

今回の上映は「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の公開1周年及びDVD発売記念
イベントとして上映。
まずは23時から「連赤」の音楽のジム・オルーツクさんのギター演奏と渚ようこさん
のミニライブ。
その後、休憩をはさんで23時50分から「実録・連合赤軍」上映。
もちろん去年見ているのだが全く飽きない。
こんな深夜に見たら寝るだろうと思ったが、一睡もしなかった。
一挙に見せる迫力がある。

でも今回は森恒夫永田洋子の描き方が気になった。
「リンチ殺人を行った諸悪の根源」に見えてしまう。
この二人がなぜこんな風になってしまったか、その点を描いてほしかった気がする。
ただしその辺まで細かく描き出すと5時間あっても足りない映画になるかも知れないが。

映画上映後、若松監督と森恒夫、永田洋子、坂東國男役の3人の役者の舞台挨拶。
永田さん役の方など実際は美人で驚いた。
今日、パンフレット及び先行発売されているDVDを購入の方には出演者及び監督のサインを
してくれるそうなので(パンフレットは持っているにも関わらず)また買ってサインをもらう。
(つくづく馬鹿だな、俺)

休憩後、トークイベント。
鈴木邦男さんと若松監督。
鈴木さん「この映画のおかげでチェゲバラの映画がヒットしたり、『警官の血』が
テレビ化されたり連赤効果が確実にありますね。50年たったら連合赤軍は大河ドラマになる、
という人がいますが、50年たたなくてもなるような気がしてきました」
というような感じで「連合赤軍」が見直されてきたということはいいことだ、という話。

若松監督「役者は本当によくやってくれた。とにかく観客のみなさんに言いたい。
もっと勇気を持って行動しろ、武装闘争をやれなんて言わないが、近いうちに
ある選挙には言って欲しい」

そしてレバノンの岡本公正、北朝鮮のよど号メンバーに「連合赤軍」のビデオを
見せに若松監督が行った数分間の映像を上映。

そしてこの「赤軍」の上映
内容が充実していて行ってよかったと思えるイベントだった。



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日本列島


日時 2009年2月20日
場所 DVD
監督 熊井啓
製作 昭和40年(1965年)


「日本列島」については「名画座」に記しました。


赤い風船


日時 2009年2月19日20:10〜(「白い馬」に引き続き上映)
場所 早稲田松竹
監督 アルベール・ラモリス
製作 1956年(昭和31年)

(詳しくはキネ旬データベースで)
(公式HPへ)


学校へ行く途中、パスカル少年は街灯に大きな赤い風船が引っかかっているのを
見つけ、取り外す。
その赤い風船を持って学校行きのバスに乗ろうとするが、バスに乗せてくれない。
仕方なく走って学校へ。
放課後家に風船を持って帰ったがおうちの人に追い出されてしまう。
しかし赤い風船は窓の外で少年を待つ。
次の日も学校に一緒に行くが、やがて悪ガキどもに風船は狙われる!


「白い馬」のアルベール・ラモリスの監督作品。
恥ずかしながら両作品の監督をよく知らなくて、「白い馬」「赤い風船」を見終わってから
「よく似た話だな」と思って改めて監督の名前を見たら同じ人だったと気づいた次第。

見終わってみると話の基本的構造が似通っていることに気づく。
両作品とも少年が主人公。そして人間以外のものと心を通わせる。
だがその関係を引き裂こうとする第三者が現れ、彼らは苦闘する。
「白い馬」では少年と馬は海に飛び込んでいく。
「赤い風船」では悪がきどもに風船は割られてしまうが、するとパリ中の風船が
集まってきて(まるで仲間の風船に対する生前の感謝の気持ちを示すかのように)
少年を空へと連れて行く。

「白い馬」は馬と少年が海に飛び込み、悲劇的な印象があったが、「赤い風船」は
のどかなハッピーエンドを感じさせる。
赤い風船、という存在がユーモラスな感じがあり、こちらの方が全体的にほのぼの
ほんわかムードで楽しい。
またこちらはカラー作品で、風船の赤い色が実に美しい。

悲劇的な「白い馬」ユーモラスな「赤い風船」どちらが好きかは別れるところだろう。

また風船を何かの糸で引っ張って動かし撮影されたと思うが、「糸で引っ張ってます」
と言うのが感じられず、その点も見事だったと思う。



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白い馬


日時 2009年2月19日20:10〜
場所 早稲田松竹
監督 アルベール・ラモリス
製作 1953年(昭和28年)

(公式HPへ)


南フランス。
ここに野生の馬たちが住み、その中のリーダーは白い馬で凛々しかった。
近くに住む少年もその白い馬を好きだったが、近くの牧場の者たちはこの馬たちを
捕まえたが、白い馬には逃げられてしまう。
少年もこの白い馬に魅せられ、やっと馬の首にロープをかけるが馬は逃げ出してしまう。
ロープから手を離すまいと必死の少年。
沼地を引きずられるがやがて馬は立ち止まり、少年を受け入れる。
しかし仲間のもとに戻りたい白い馬は逃げ出して牧場につかまっている仲間の馬のところへ。
だが馬の群れは新しいリーダーがいて自分の居場所はなく、少年のもとへ戻る白い馬。
再び牧場の者が白い馬を捕まえようとやってくる。
白い馬は少年とともに逃げる。


40分の中編映画。
昨年、「赤い風船」(こちらも37分。両方連続上映しても90分に満たない)と2本立てで
リバイバル公開され、予告を見て気になっていたが見逃していたので今回早稲田松竹で鑑賞。

台詞もほとんどなく、ストーリーはナレーションで状況が説明されていく。
だからほとんどサイレント映画に近い。
白い馬もかっこいいのだが、それ以上に主役の少年がいい。
無造作な髪の毛や力強い眼が野性的で実に魅力的。

白い馬が仲間のもとへ帰ると新しいリーダーがいて追い出されてしまう、というのは
本来「強く魅力的」であるはずの主人公の白い馬のイメージにしてはちょっと違和感が
あるが、もう一度少年のもとに帰ってくるためには仕方なかったか。
その辺がちょっと気になった。

ラスト、牧童たちに追い詰められた少年と馬は海へ飛び込む。
そのまま海に流されていくというやや衝撃的な展開。
ナレーションが「少年と馬は彼らがともに暮らせる世界へと旅立ったのです」と告げ
映画は終わる。

幻想的なラストにちょっと驚いた。



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誰も守ってくれない


日時 2009年2月17日20:10〜
場所 新宿バルト9・スクリーン7
監督 君塚良一 

(公式HPへ)


東豊島署の勝浦(佐藤浩市)と三島(松田龍平)は管内で1か月前に起こった
小学生姉妹殺人事件の容疑者逮捕に伴い、その家族の保護を命じられる。
容疑者は未成年、そして児童の無差別殺人となればマスコミが騒ぐのは必至。
容疑者の家族の自殺防止のための処置だった。
勝浦は容疑者の妹・沙織(志田未来)の保護を命じられたが避難したホテルにも
マスコミが。仕方なく勝浦は自分の自宅にかくまうが、ここにも新聞記者
(佐々木蔵之介)はやってくる。
やむなく東京を離れる二人だったが、その頃ネットの掲示板では容疑者の少年
の名前も住所も顔写真も、そして妹の写真までがアップされていた。


少年犯罪、無差別通り魔殺人、マスコミの過剰報道、インターネット上の際限なく
エスカレートする書き込み、それだけでなく警察内部の自身の出世を念頭に置いた
捜査等々の現代社会の問題を描いた、「踊る大捜査線」シリーズの脚本家
君塚良一の意欲作。

冒頭で区役所がやってきて両親の離婚結婚を行い妻の旧姓に変更する作業が事務的に
行われる。こんなことが即時に行われるとは知らなかった。驚いた。
その後のマスコミの執拗な攻撃。

佐々木蔵之介の記者がかなり執拗に追う。彼は以前子供がいじめにあったことがあり
その対応に対応に不満を持ち「加害者の保護」に対して根本的に攻撃的だ。
また佐藤浩市の勝浦刑事も過去に薬物中毒者による通り魔事件を防げなかった
トラウマを持ちそれが原因で家族の崩壊を起こしている。
しかし新聞記者、刑事ともに過去に自身の過去を引きずってしまうと「誰でも
彼になりうる」といった物語の一般性がそがれてしまった気がする。
もっと一般的な人物にした方が観客として感情移入しやすかったのでは?

柳葉敏郎のペンションの主人は勝浦刑事が以前関わった通り魔事件の被害者の家族として
登場。この物語からして「被害者の立場」から発言を入れたかった事は理解するが
ちょっと設定に無理がないか?
さりとて直接の被害者とこの少女が対峙するシーンは作りにくかったとは思うが、そこは
うまくやって欲しかったと思う。

それにしてもネット上の被害者攻撃はものすごい。
一体何が彼らをそうまでさせるのか?
加害者の変わりに被害者を攻撃することで、自分が「正義の味方」になろうとしているのだろうか?
自分が実社会でヒーローになりえないから、絶対に反撃されない相手をネットという世界で
自分を安全圏において攻撃し世の中に対する不満を晴らしているのだろうか?
後半、沙織のボーイフレンドが彼女をネット上でさらすという行為にでる。
彼の意思だったのか、彼は周りに乗せられたのか(つまりどの程度自分の意思でやったのか)
その辺は映画では判然としない。
しかし現実はここまでのことは起こっていないが(いや実は起こっているが私が知らないだけ
かも知れないのだが)こういうことも充分にありえる。
私は2ちゃんねるとか見たいタチなので、ネットで執拗以上の攻撃をする人間の心理が
理解できないが、だからと言ってこういうことが妙な「ネット規制」につながって
欲しくないなと思う。

ラストは希望にあふれている。
沙織は警察の事情徴収に応じることで、事件を受け入れて真正面から立ち向かっていこうとする。
勝浦は家族の再生にチャレンジする。ペンションの夫婦は子供が出来たことを報告し、
新しい命とともに家族をやり直そうとする。
ドラマとしては沙織たちが追い詰められて自殺する話も作れたろう。
しかし今回はそうはしなかった。それを甘いと判断するか「ほっとした」と判断するかは
難しいところ。

異論欠点も挙げたが、基本的には好きな映画だ。
こういう見ごたえのある映画がもっと見たい。
役者では佐藤浩市がとにかくいい。
最近は年に数本の出演作が続く売れっ子だが、最近の日本映画では安定感のある俳優だ。
今回は特によく、主演男優賞ものだと思う。



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ソドムの市


日時 2009年2月16日
場所 DVD
監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ
製作 1975年(昭和50年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


1944年〜45年北イタリア、司教、大統領、最高判事、公爵と名乗る呼ばれる
4人は、各地から美少年美少女を一軒の屋敷に集め、彼らを自由にもてあそぶ
日々を始める。ホモ、レズ、肛門性交、スカトロ、そして虐殺と考えられる限りの
凄惨なことが行われていく。

1975年に亡くなったイタリアの鬼才、ピエロ・パオロ・パゾリーニの遺作にして
問題作。
世界各国で上映禁止やら一部カットなどの話題を集めた映画だ。
パゾリーニは映画完成直後亡くなったので、日本公開は彼の死後。
映画の内容から当然性器露出シーンも多く、おそらくかなりボカシが入った状態だった
と思うのだが、今回みたDVDはボカシは男性器がかなり大きく写るシーンぐらいで、
女性のアンダーヘア程度は写っているし、男性器も小さくならそのまま無修正で
見られる。
従ってかなりの完全版といえるだろう。

この映画に登場する性行為はホモ、レズ、肛門性交、スカトロなどなど。
通常の性行為とはかけ離れた行為ばかりだ。
人間の性行為が「子孫を残す事」を目的とするならば、すべて反人間的だ。
これらの行為はキリスト教社会では日本人が考える以上にこれらの行為に嫌悪感を
憶えるのかも知れない。

そんなことはさておき、映画の内容。
難解な映画と言われ、確かに意味不明のシーンも多い。
つかまった少年の一人がが4人の権力者たちが行う「パーティ」の席で指で床に文字を
なぞったり(このシーンは後の伏線になるのかと思ったらそうでもない)、ラスト近く
今までパーティの最中にのどかなピアノ曲を弾いていたピアニストが自殺したり、
4人の権力者の部下の兵士が、黒人の召使と交わっているのを見咎められて殺される
シーンで、何故か左手を高く掲げると4人の権力者が一瞬ひるむシーンなどなどなど。
(いや映画そのものも意味不明ともいえるのだが)

しかしシーンの一つ一つに意味を求めようとするから混乱する。
そういう細かいシーンは飛ばして大雑把に感じてみようと思う。

ホモもレズもスカトロも肛門性交も性交の本来の目的が種としての子孫を残すことに
あるとするならば、これらの行為は全く子孫を作ることにはつながらない。
「人間とはそういう不可解なもの」という言い方も出来るが、これらの変態行為を進んで
行う人もいる。それは別に1945年の北イタリアでなくても現代の日本でもいる。
ではなぜそんな役に立たない性行為をするのか?
それは「人間とは不可解」なだけでなく、実は子孫を反映させない機能を有しているのでは
ないだろうか?

映画の第4章の虐殺行為。
スカトロもかなりきついが虐殺シーンは見てるものにとってはもっときつい。
裸にした少年の胸に焼きゴテをあてるわ、舌を引っ張り出してはさみで切ったり目の玉を
くりぬいてしまう。(こうして書いて思い出すだけで気持ち悪い)
しかし4人の権力者たちはそれを2階の窓から交代で双眼鏡を使って見渡し、悦に入る。
カメラも虐殺が行われるげんばにはなく、この2階から数々の残虐行為を写していくだけだ。
先の「人間の子孫繁栄に役に立たないもの」という観点に立てば、これは「戦争」ではないのか?

人間は相手を殺す、しかし権力者は現場には居ず遠くから見つめるだけだ。
時に双眼鏡をひっくり返し、全体図としてこの現場を見渡そうとする。
戦争を見つめる権力者の視点だ。

人間と言うのは子孫を繁栄させる本能だけでなく、自らの繁栄を拒否しそれだけでなく
自らを滅ぼす機能も実は付加されているのでいるのでないだろうか?
もっと踏み込んで考えれば、新しい種のために古い種は実はいざとなったら自ら滅んでいく
機能も有しているのでないのか?

パゾリーニが考えていたこととは全く違うのかも知れないが、この映画のような数々の
反生物的な行為を嬉々として行う人間を見せられると、人間と言うのは実は「自ら滅んで
いく機能を有した生き物」という気がしてきた。

そんな感想を持たせる衝撃の映画だ。

役者では4人の権力者のうち、大統領が不気味。
ちょっと視点の定まらない目をしており、そこがなんとも言いがたく、晩餐の席で
自ら尻を丸出しにし、肛門性交をされて恍惚とするあたりはなんとも変えがたい
存在感だ。



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ララピポ


日時 2009年2月14日19:00〜
場所 新宿ミラノ2
監督 宮野雅之
脚本 中島哲也

(公式HPへ)


ララピポとは英語の「a lots of people」を日本人が聞き取ると「ララピポ」に
聞こえるから。つまりタイトルの意味は「多くの人々」という感じ。

この話の中では、風俗専門のスカウトをする若者(成宮寛貴)、デブ専のAV女優(村上知子)、
ヒーロー妄想のあるカラオケボックス店員、引きこもりのフリーライター、デパートガール
から風俗嬢AV女優になっていく女、ゴミ屋敷に住む淫乱熟女の6人が少しづつかかわりながら
オムニバス形式でそれぞれの人生が描かれる。

脚本が「嫌われ松子の一生」の中島哲也なので少し嫌な予感がしたが、やっぱり「嫌われ松子」
の色は残っており、なんだか縮小リメイクのよう。
それぞれの人生が描かれるのだが、どうにもエピソードをなぞっただけで見ているこっちには
何にも伝わってこないのだな。
ああそうですか、大変ですねえ、こんな人もいるんですねえっていう感じなのだ。

あんまりネチネチクドクドと描かれると私なんかは性格的に腹が立ってくる恐れがあるので
腹が立たない程度に描いてくれてほっとしている。
個人的には風俗嬢になった女性に常連となって結婚を迫り成宮にぼこられる区役所職員が
共感を持った。
なんかわかるんですよね、こういう気持ち。もてない男はやらせてくれる風俗嬢に
惚れてしまい、もちろん彼女はお金を払ったからやらせてくれたとわかっていても
希望を持ってしまうんですよねえ。
この人も「ララピポ」のメンバーとしてキャラクターの一人に加え、描いてくれたら
個人的には気に入った映画になったかも?

そんなこんなであまり面白くなかった映画だけど、なぜ見に行ったかというと
久々に成宮寛貴の映画を見たくなったから。
もう20代後半になってきたが、役がらは広がってきた気がする。
最近はテレビでも映画でも活躍がいまいちだが、いい俳優だと思っているので、
今後の活躍を期待したい。



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チェ 39歳 別れの手紙


日時 2009年2月11日18:50〜
場所 新宿オデヲン座
監督 スティーブン・ソダーバーグ

(公式HPへ)


キューバ革命を成功させたチェ・ゲバラ。
彼は新たな革命を求めて南米ボリビアへと旅立つ。
キューバ革命の成功を基に病院も学校もないこの地の人々のために
人民解放軍を組織してゲリラ戦を戦おうとする。
しかしすべてはうまくいかず、やがて彼らは政府軍に追い詰められて
いく。

「チェ 28歳の革命」に引き続くゲバラの後編。
前作に引き続き、「ああそうですか。ふんふん」という感じで映画を
観て、特に印象に残る部分はなかったというのが正直な感想。
映画ではキューバ革命後の数年間が描かれず、「なぜボリビアに
向かったか」がよくわからない。
単なる革命政府の閣僚として安穏とするのをよしとせず、新たな
革命を求める「永遠の現場人間」に見えたがそういう解釈は正しいのだろうか?

ボリビアについてからは人民軍を組織するが、買いだしを命じた兵士が脱走したり
自分たちに協力的だと思った農民たちがのちに政府軍にゲバラたちの情報を
提供したり、ゲバラ自身が体調が悪くなったりとうまくいかない日々が続く。

そしてついには追い詰められ捕らえられ処刑される。
この逮捕後の牢獄のシーンで見張りを命じられた兵士が、ゲバラに
煙草を与えてしまったり、縛ってあるのをほどいてくれ、と言われて
動揺してしまうという描写が、ゲバラの人間的魅力を象徴しているように見えた。

帰りに読んだパンフレットによると、うまくいかなくなった理由が
共産党の支援が得られなかった、農民が以前にあった農地革命のおかげで
不満がありながらも政府を支持していた、などがあげられていてよく理解できる。
映画ではその辺が全く(なのかよくわからないが)説明されておらず、
ただゲバラは運が悪く、彼が一生懸命やっているにも関わらずうまくいかなかった、
様に描かれる。

この解釈が正当なものか、偏った見解なのか僕の知識では判断がつきかねるが
とりあえず2本見てゲバラについての予備知識は得ることができた。
映画を2本見たぐらいでゲバラのことがわかるとは思えない。
詳しく知りたくなった時の下地を得ることはできたと思う。



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クロノス


日時 2009年2月8日
場所 DVD
監督 カート・ニューマン
製作 1957年(昭和33年)

(詳しくはインターネット・ムービー・データベースで)


洗面器を上下二つ重ねたような宇宙船が宇宙を漂う。
そしてその宇宙船から一つの灯りが離れ、地球に向かっていった。
その光はアメリカの田舎道を走る車を止め、運転手に入り込む。
そしてその車は研究所に向かった。運転手は研究所に着くと守衛を殴り、研究所に
忍び込む。研究所でも地位の高そうなエリオット博士に今度はその光は取り付く。
そんな時、巨大な宇宙船を今まで隕石だと思って観測していた主人公たち
(その研究所の研究員)はその宇宙船が地球に向かったと知って驚く!
ニューヨークあたりを直撃するかと思われたが、その宇宙船はメキシコ湾岸
に着水。世間はこれで安心したが、主人公たちは不安を覚え、直ちに
現場へ急行。
やがて隕石(宇宙船)が落下した地点から巨大なロボットが出現した!
そしてそのコントロールをするエリオット博士に取り付いた宇宙人は
そのロボットに原子力発電所を襲わせた!

「ロボット大襲来」が思った以上に面白かったので、引き続き同じ会社が
出している古典SFものなので購入してみた。

結論から言うとつまらない。
上に書いたプロットだけで言うとなんだか面白そうな気配がするのだが、
ちっとも話が盛り上がらない。
思うに危機が観客に伝わらないのだろう。
発電所が襲われたりして危険なのだが、見ているこっちにはてんで他人事に
見えるのだ。

多分、危険が主人公などに迫るシーンがないからだろう。
怪獣物や侵略物では「都市の破壊」というマクロに危険も大切だが、主人公たちが
「あわや!」という思いをするというミクロの危機も必要だ。
この映画はそのミクロの危機がまるでない。
主人公の博士たちが最初にロボットが出現した時、ヘリコプターでロボットに近づき
ロボットに着陸するシーンがあるのだが、ここで主人公たちがロボット内部に
入り込み、後で出れなくなる!とかの危機があればよいのだが、ロボットが動き出すと
すぐに飛び立って安全になってしまう。

でロボット(クロノスと名づけられる)はエネルギー資源のなくなった星からの
侵略で、地球のエネルギーを吸収しようとする。(これって「ウルトラQ」の
「バルンガ」に発想が似ている)核攻撃をしてもその破壊エネルギーすら
吸収してしまう。
ところがここがキノコ雲を逆回転して雲が収縮することでクロノスがエネルギーを
吸収したことを示そうとしたのだが、どうにもうまく表現できていない。
「すべてのエネルギーを吸い取る」って言葉にするとわかりやすいが、映像で表現すると
実に難しい。

で、ラストはクロノスの頭にある二本の角のようなものがプラス極とマイナス極で
ここをどうこうすると溜まりに溜まったクロノスの内部エネルギーがかえって爆発
するという理屈で、クロノスを自爆させる。

あとクロノスのデザインね。
四角い形を二つ重ねてだけのなんとも魅力のない形。
同時代の東宝の「地球防衛軍」や「宇宙大戦争」のほうがよっぽどセンスがいい。



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出世コースに進路を取れ


日時 2009年2月8日13:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 筧正典
製作 昭和36年(1961年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


大学では先輩後輩だった小林桂樹、高島忠夫、宝田明の3人は今は電器会社、
テレビ局、自動車販売会社のサラリーマンになっていた。
小林の係長昇進を学生時代の常連だった洋食屋で祝っていると食堂の親父の
親戚の娘京子(白川由美)が大阪からやってくる。
早速3人の恋のさや当てが始まるのだが、京子は銀座でホステスとして
働き出す。彼女の真意は一体どこに?

サラリーマン喜劇だが、何といっても小林、高島、宝田という主演級の3人による
豪華共演が見どころ。
逆にいうとそれ以外は見どころがない。
いつものサラリーマン映画で主人公たちはそれぞれ会社の同僚の女の子なんかと
それぞれ出来て小林桂樹は出世するし、宝田も車が売れたりする。

そして昼ははたらき夜は銀座のクラブでホステス相手に一杯飲む。
ホステスたちも絡んで仕事の方もうまくいき、最後には出世するという感じだ。

この映画では実は白川由美は産業スパイで、小林桂樹の会社の社長に有島一郎
近づいて会社の新製品の秘密を探ろうとするのだが、小林たちの働きで
事なきを得て、小林桂樹は課長に出世する。

笑わせどころといえばメキシカンバンドに出演料は払ったのに逃げられた高島のために
主人公の三人がひげをつけてメキシカンバンドに扮し、メキシカン音楽調のコミック
ソングを歌うところ。
あとは広告会社の社長の柳家金吾楼かな。

森繁久弥の社長シリーズだけが今でも語られるが、それ以外にもサラリーマン
喜劇はたくさんあったのだ。
まあそういうことを改めて認識させてくれる映画だった。



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近頃なぜかチャールストン


日時 2009年2月7日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 岡本喜八
製作 昭和56年(1981年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


小此木次郎(利重剛)はある夏の夜、公園でいちゃついていたカップルの
女性を強姦しようとして失敗、ブタ箱に。
しかし同じ房にいたのは自らをヤマタイ国の閣僚と名乗る変な老人たち。
総理大臣(小沢栄太郎)、逓信大臣(堺左千夫)、陸軍大臣(田中邦衛)、
文部大臣(殿山泰司)、外務大臣(今福正雄)書記官長(岸田森)の面々。
無銭飲食で捕まっていた老人たちは大蔵大臣(千石規子)のおかげで出所、
強姦の方は示談で済ませて出所した小此木次郎は老人たちの後追おう。
いつの間にかこの老人たちと離れられなくなった小此木次郎はなんと
労働大臣に任命され、小此木家のお手伝いタミ子(古舘ゆき)も内務大臣
に任命され、奇妙な共同生活が始まる。
しかし老人たちは何者かに狙われている。
それは老人たちが住んでいる空き家の家主小此木次郎の父(藤木悠)の失踪
に関わることだった!


チャールストンはダンスの一種で1923年が始まりだという。
ここでのチャールストンは「戦前に流行ったもの」の象徴として使われる。
でタイトルの意味は、岡本喜八はチャールストンの映画を作りたいのではなく
「チャールストンが流行っていた時代」=「戦前のもう少しで戦争がはじまる時代」
を意味する。

製作当時の現代(1981年)には70年代後半から有事法制論議が行われ、
戦争がはじまりそうな空気がある時代だった。
(最も今の方が改憲論議とかそんな戦争への空気は強い気がするが)
そんな時代で「もし『独立愚連隊』や『肉弾』の連中が今の日本に生きていたら
どうなるか?」というこの映画に関しての喜八監督のコメントがあったと思う。
そんな映画だから「日本国対ヤマタイ国」の構図にならなければならないと
思うのだが、保険金殺人をたくらむ小此木次郎の母と兄とかそれを捜査する刑事
(財津一郎、本田博太郎)やヤマタイ国に巻き込まれた不良少年とかがガチャガチャ
とかき回すだけで、対国家的なメッセージは伝わってこない。

この辺がこの映画に対する僕の不満なのだろう。
封切り以来20数年ぶりに見直したが、この辺の不満は全く変わらなかった。
最後に殺し屋(寺田農)と陸軍大臣の対決があり、陸軍大臣が死ぬのだが、ここで
陸軍大臣が死ぬことがよくわからない。
死ななくても話は通じると思うし、ここで陸軍大臣が死んだことに意味を求めてしまうと
混乱するばかりだ。

利重剛は喜八監督に抜擢されての主演脚本(喜八監督と共同)助監督だが、その後
いまいちパッとしない。残念。
その恋人役の古舘ゆき。あまり女優に関心のない私にしては珍しく、「いい」と思った
人だった。真ん丸なお顔で親しみやすさ笑顔が妙に好きで、その後の活躍を期待したが、
NHKの銀河テレビ小説に1回出たぐらいで見かけなくなった。
今は女優も引退されてると思うが、個人的にはもっと活躍してほしかった。
あとは何といっても大臣たちのオールスターの面々。
それに平田昭彦も加わって本当に豪華なメンバーだった。
尚映画中に登場する小此木家は喜八監督の自宅。
(私も一度伺ったことがあるので、どの部屋で撮影されていたかはすぐにわかった)

そうそう小此木の母と兄がヤマタイ国のメンバーが住んでいる空き家から立ち退きを
要求し、それを受け入れるかどうかをちゃぶ台を囲んで相談するシーン、「日本の
いちばん長い日」の閣議のシーンのセルフパロディのようで、見ていて楽しかった。



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ポチの告白


日時 2009年2月4日14:45〜
場所 K's cinema
監督 高橋玄 

(公式HPへ)


交番巡査だった竹田(菅谷俊)は実直さが本署の刑事課長に認められ
刑事課に昇進、組織犯罪担当となる。
真面目な竹田は課長の指示に時には疑問を感じながらも言いなりに
ならざるを得ない。
課長は竹田に生まれた子供の名前までつけようとするぐらい何かと
おせっかいというか口出しをするが竹田は逆らえず、がんじがらめになっていく。
拳銃摘発の実績作りのためのおとり捜査(というかヤラセ捜査)のための
暴力団との癒着、課長の身内(野村宏伸)、シャブ中の警官、検事正の息子
の新人警官などの警官たち、さまざまな警官や事件、そして警察に恨みを
持つチンピラと新聞社のカメラマンを巻き込みながら映画は警察の暗の
部分を描いていく。

こんな映画を見てしまって私も罪に問われたり、警察のブラックリストに
載ってしまったりしないだろうか?
そんなことを考えてしまうぐらい、この映画は恐ろしい。
今までに明らかにされなかった警察の恥部が前面に描かれる。

この映画はどこまでがフィクションでどこまでが実録なのだろう?
すべてが怖いのだが、新人警官が自分を高校生の頃にいじめた不良を
交番に連れ込み、口に拳銃を突っ込むところなど本当に怖かった。
また巡回中の警察官が女性の住民と関係を持ってしまうって本当か?
シャブ中になった警官に覚せい剤を与えるって本当にあるのか?

逮捕された竹田の裁判は略式で進められ、裁判長は淫行の前科を警察に
知られ、穏便な裁判にしてしまう。

チンピラ改めフリーのジャーナリストになった男が新聞社の男(途中で退職するが)
が外国人特派員協会で記者会見を行うが、結局それは外電に載っても日本の
マスコミは警察を敵にしたくはないために何も報道されない。
報道されないと言うことは「ない」と同じことになってしまう。

警察の実態を描いてくれて面白いのだが、最後に野村宏伸が(たとえイメージで
あっても)課長を殴るシーンがあったり、竹田が留置場で(裁判で言うはずだった)
警察の不正を演説するシーンは(入れたくなる気持ちはわかるが)かえって蛇足。
そんなシーンがなくても作者の真意は充分伝わる。

出演では主演の菅田俊が最高。初主演だそうだが、その存在感は見事!
「休暇」でも古株の看守を演じていたが、こんなすばらしい役者を今まで
ほとんど意識していなかった自分の無知を恥じたい。
そして野村宏伸も好演。
あとは竹田を上に上げる課長(後に署長)がいい。
いかにもいそうな感じがただよっていて怖かった。



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