2009年8月

幽霊屋敷の恐怖
血を吸う人形
花と兵隊 ハリー・ポッターと
謎のプリンス
海よおいらの歌に泣け アマルフィ 女神の報酬
妻の貌 セブンデイズ 下落合焼きとりムービー 広域暴力 流血の縄張
(シマ)

幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形


日時 2009年8月30日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 山本迪夫
製作 昭和45年(1970年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


久しぶりに帰国した佐川(中村敦夫)は婚約している野々村夕子(小林夕岐子)の
家に駆けつける。
山奥にある不思議な洋館が夕子の家だったが、夕子は2週間前に交通事故で
亡くなったという。
母親(南風洋子)や下男(高品格)が住むこの家に一泊し墓参りもすることに
した佐川。しかし夕子が生きている気配がしてならない。
墓参りをしているとそこに夕子の姿が・・・
佐川の妹(松尾嘉代)は帰らない兄を心配し、恋人(中尾彬)とともに
夕子の家をたずねてみたのだが・・・・・


「血を吸うシリーズ」第1作。
岸田森のドラキュラが有名だが本作ではドラキュラは登場しない。
ホラーというより同じ山本迪夫作品の「悪魔が呼んでいる」のようなトンデモミステリー
としての趣だ。
(トンデモミステリーというのは緻密なトリックというより不条理な状況に追い込まれて
いき、意外というより強引などんでん返しがあるようなミステリー)

途中で中村敦夫は全く出なくなりちょっともったいない。
主役は松尾嘉代や中尾彬にバトンタッチ。
村の役場や夕子の死亡診断書を書いた医者を訪ねるうちにこの野々村家の20年前の
惨劇が明らかになる。
ある男が野々村家に強盗に押し入り、主人を殺し妻を強姦したのだ。
そして夕子はその犯人の子供らしいのだ。
だが母親はショックで事件のことは何も覚えていないのだ。

実はこの犯人というのが・・・というとんでもない強引な展開を示し、夕子は
交通事故で死に掛けて催眠術によってしばらく生きている状態になっているという
こちらも強引な真相が明らかになる。
驚くと言うより苦笑に近いものがあるが、こういうのは嫌いじゃないので充分楽しめた。
山本監督は「悪魔が呼んでいる」とか「雨は知っていた」とかのトンデモミステリー
作品が多い。
この監督の特集がやってくれたらぜひ他の作品も見てみたいと思った。

面白かった(ただし苦笑を含む)



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花と兵隊


日時 2009年8月30日10:15〜
場所 イメージフォーラム・シアター1
監督 松林要樹

(公式HPへ)


戦争が終わっても日本に帰らずタイで暮らし続けた未帰還兵の
インタビューを中心としたドキュメンタリー。

彼らの帰国しない理由は一概ではない。
元々ブラジル生まれで日本に帰っても仕方がなかったものもいる。
「ふと隊を離れようと決意して」として留まったものもいる。
彼らは戦後自動車修理工場を経営したり、用水路のポンプを作ったり
などタイの人々に役に立っている人もいる。
この映画に出てくる日本人はそれなりに優秀で成功を収めたが、戦後
タイで暮らしてもうまく行かなかった人もいたかもしれない。

映画は淡々と進みやや退屈、と思っていたらラスト近くでイスを座りなおさせる
ような事実が判明する。
ある人が「戦争ってそんなもんかと絶望することがあった」とあいまいな
ことを言う瞬間がある。
インタビュアーである松林監督は「人間を食べたと言うことがあったと
聞きましたがそういうことですか」と問うと「うん・・・・」とあいまいな
返事をする。
そして次のシーンでその人肉の話を最初に聞いたらしい藤田さんのシーンに
なる。

「人の肉を食った。食べ物がなくて困ったわけじゃない。士気高揚のために
やった」という主旨の発言がある。
またこの藤田さんは他にも「シナ人を全部殺せと命令され、シナ人の子供まで
殺した。いやだったが命令だったから」とも発言する。
この藤田さんが一番とっつきにくい、恐い感じがするのだが、話は一番興味深い。
また藤田さんは戦後、何百体という遺骨収集を行い、自宅に慰霊塔を建設するなど
言葉数は少ないが、行動はインパクトがある。
昭和天皇の写真を手に、「陛下の命令だと言われてすべてやった。やらなければ
私が殺された」と話す。
そんな命令を出し続けた(いやもちろん昭和天皇が命令を直接出したわけではないが)
昭和天皇に対する思いはいかがなものだったのか?
映画では直接語られないが、戦後も天皇であり続けた昭和天皇に対して怒りを
感じているように見えた。
もっともそれはこっちがそう思っているからそう見えただけかも知れない。

時折挿入されるタイの花や子供たちの笑顔が美しい。
そんな中で戦後を生活し続けた彼ら。
その対比がなんとも言えず、印象的だ。



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ハリー・ポッターと謎のプリンス


日時 2009年8月29日18:20〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン4
監督 デヴィッド・イエーツ

(公式HPへ)


ハリーたちも新学期が始まる。
ダンブルドア校長に誘われ、ある魔法使いに会いに行くハリー。
校長はその魔法使いスラグホーンをホグワーツの新しい先生として迎えることに。
スラグホーンは闇の魔法使いウォルデモードがホグワーツの生徒だったときに「何か」を
教えたらしいのだ。
そのことがウォルデモードに大きな影響を与えたらしい。
その頃スリザリン寮のドラコは闇の魔法使いから校長を倒すように魔法を
かけられていて、スネイブ先生はドラコを助けるように指示を受けていた・・・


ハリー・ポッター・シリーズもいよいよ第6作。
いつもは封切り直後に見に行くのだが、今回はうまく時間が取れなくて公開から
1か月経っての観賞。でも「ハリー・ポッター」なら10月まで上映しているから
いいけど。

7作目で完結だからお話も大詰めだ(もっとも最終作は前後編の2作になるらしいから
映画の方はまだ2本続く)
と思ったらハリー、ハーマイオニー、ロンも思春期となり、その同級生たちから
惚れたはれたのラブコメと化す。
ドラコがどうダンブルドア校長を倒そうとするのかなどサスペンスフルな展開も
期待できるが、そういうことはなく、ドラコはひたすらヘタレで全く役に立たない。

スラグホーンも何ををウォルデモードに教えたかも明らかになる。
どうやら魂と肉体を分ける方法を学び、肉体は滅んでも魂は生き残る術を覚えたのだ。
そして7箇所に分けているらしい。

ダンブルドアとハリーはラストでその一つを倒すが、帰ってきたところを・・・先生に
倒されるという展開。
じゃあドラコは最初からいらないじゃん。

それと前作で結成された不死鳥の騎士団、大人の方は多少出演があったが、例の「がんばれ!
ベアーズ」なみのヘタレ生徒たちはどうなった??
そんなかんなで話は盛り上がるに欠け、話はほとんど進んでいない。
校長は次回作で何らかの形で甦るのだろうか?
スネイブ先生はやっぱり一癖あるなあ。

という不満は多少残るが、画の美しさがいつもながらすばらしく、ハリーたちの青春ドラマ
として、相変わらず時間を気にせず楽しめた。
クライマックスに向けて期待したい。



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海よおいらの歌に泣け


日時 2009年8月28日21:00〜
場所 新橋TCC試写室
監督 田口哲
製作 昭和36年(1961年)

(詳しくは日本映画データベースで)


自主上映団体「シネマトライアングル」の自主上映。
こっちが悪いのだが、天知茂主演作品だと思っていて、それで映画の内容は
「港町の何やら過去のある流し(天知茂)がいて夜な夜な歌っている。
そこへよそからやくざがやってきてこの盛り場を荒しだす。
やがて天知茂が世話になっているスナックが目をつけられ、立ち退きを要求される
羽目に。
やがて天知の過去を知る者があらわれ、彼は実は東京で歌手として頭角を現し
始めたのだが、それを快く思わないグループにつぶされてこの地方の港町に
やってきたのだった。
それを知る男と因縁の対決!悪いやくざとの勝負!
天知は手ひどく傷を負い、歌を口づさみながら息を引き取るのだった・・・・」

というようなアクション映画を想像していたがまったく違っていた。


要するに歌謡映画で白根一男という全く知らない歌手の主演映画。
この白根一男はどこぞのフェリーの船員で、航海中に甲板で歌など歌っていて、
船客はいつも聞き惚れていて、「もう一曲!」と言われるほど。
船長も「仕事はいいから歌いなさい」という始末。
そんな時、地元の劇場で歌手がトンズラしてしまい、幕が開けられないと困っている
楽団(団長役が小松芳正(方正))がいて頼まれて仕方なく歌うことに。
一晩だけのつもりだったが観客には大受けで、周りの勧めに押され、父の反対を押し切って
歌手になることに。
しかしまったく仕事はなく、東芝レコードのオーディションを受けたら上がりまくって
失敗してしまう。
(この東芝の重役が以前海岸で歌っていた彼の歌をたまたま聞いて惚れていたが、
オーディションの席ではたまたま部下に呼ばれて席を外してしまう)
今夜の食事代にも困った彼らは東京を離れ、千葉の方で流しをする。
そして盛り場で歌っていたところを天知茂が聞いてくれて「俺が知っているキャバレー
を紹介しよう」というがたまたま昨日決まってしまってもうダメ。
落ち込んでいるところへやっと東芝の重役が自分を探し出してくれて晴れて自作曲
「海よおいらの歌に泣け」でデビュー決定!
どこかの公会堂で大勢の観客を前に歌っているところで「完」


話にまるで山がなく、ただだらだらと進行する。
ツッコミどころは満載で、特にいったい天知茂は何なのだろう?特に彼が出てきた
おかげで話が進展するわけでなし。
彼の歌に惚れている東芝の重役がたまたま海で歌っている彼の歌を聞いたというのも
強引な展開だし、そういうご都合主義を書きだしたらきりがない。

この時代、日本映画は年に500本製作されていたと聞く。
ただし今でも上映される機会があるのはその中でも50本、いやせいぜい100本くらい
ではないか。
となると残りの400本がこんなレベルだったのだろう。
ただただ「ある一定の時間、筋があって画があればそれでOK的な作品」ばかりだったの
ではないか?

逆にそういう映画は今は見る機会が少ない。
今観る機会があるのは、有名スターが出演していたり、有名監督の映画が中心になる。
そういう映画だけを見て「昔の映画はレベルが高かった」というのは木を見て森を見ない
ことになるのではないか。
ちょっとそんなことを考えさせれれる、たまに見るのにはちょうどいい緩め映画でした。



(ちなみにキネ旬データベースでは監督名が違っています)



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アマルフィ 女神の報酬


日時 2009年8月12日16:30〜
場所 新宿ピカデリー スクリーン3
監督 西谷弘

(公式HPへ)


クリスマス直前のローマ。G8外相会議のためやってくる川越外務大臣を迎える
準備で忙しい日本大使館に本省から黒田(織田裕二)がやってくる。
その頃、日本人の少女が美術館で行方不明となり大使館職員(戸田恵梨香)と
黒田が向かう。
母親の証言を元に防犯カメラを調べてみると誘拐されたらしい。
犯人からの脅迫電話もかかってきた。
黒田は母親(天海祐希)の夫に成りすまし、この事件にかかわっていく。

この夏フジテレビ製作の大作映画。
原作(といっても映画用に作ったプロットを小説化したそうだ)真保裕一だから
お話に期待したのだが、やっぱりたいしたことは無く、つっこみどころ満載。
誘拐事件で身代金受け渡しのために回った各所のすべて同じ警備会社の監視カメラが
備えてあり、画像が細工された可能性があるから、警備会社本社のコンピューター室に
調べを装って進入し、ハッキングして警備をすべてストップさせようというのが
犯人の狙い。

しかしまあこれはかなり計画が強引だ。
捜査陣がボケで警備会社にたどり着かなかった可能性もある。警備会社の可能性に
気が付いても、天海祐希を連れて行かずにイタリア警察だけが捜査に行く可能性だって
ある。
何より物語として破綻しているのは、織田裕二はもともとこの事件に無関係でイタリアに
赴任したのだ。もともとは外相のテロ対策としてイタリアに来たのだから誘拐事件に
関わっている余裕など無いはずだ。

真保裕一の昔の役人シリーズだと閑職にあって、担当外のトラブルに顔をつっこんでも
本来の仕事には何の影響もないような人物が主人公だった。
だから設定自体に無理がある。
いまいち仕事が出来なさそうで「めんどくさい仕事だからあいつにでもやらしておけ」
という立場の人間でなければお話は成立しない。
そんな無能と思われている人間が大活躍するところに真保裕一の小説の醍醐味はあった。
それが織田裕二というスターであることを重要視するような俳優を持ってきた時点で
企画は破綻していたと言わざるを得ない。

誘拐事件の身代金受け渡しでローマの観光地をつれまわすという設定だが、観光地めぐりの
旅番組的な画ありきで作ったようなシーン多すぎ。
(例の大階段のシーンで織田裕二が落ちていたソフトクリームを踏むところなどやめてほしい)

考えてみれば車の爆発とかのアクションシーンらしきものは無く、案外金はかかっていないかも
知れない。
織田裕二がこれから世界各国を回って事件を解決する「007」的なものを考えているのだろうか?
まあ勝手にやってくださいという感じ。
多分一応は見ますけど。



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妻の貌(かお)


日時 2009年8月9日10:00〜
場所 渋谷ユーロスペース1
監督 川本昭人

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川本昭人は酒造会社を経営していたが今は引退した身だ。
妻は広島の原爆の後遺症で甲状腺がんを患った。
自分の母親の介護や孫の成長を見ながら妻は生きていく。

佐藤忠男さんが絶賛しているので「原爆後遺症の妻を捉え続けた
ドキュメンタリー」ということで興味を持って観に行った。
正直言うとだまされた、というか勝手に勘違いしていた。
原爆後遺症で「妻の貌」というタイトルだからなんとなく勝手に
「反戦ドキュメンタリー」を想像していたが違う違う。

「原爆症」というのは妻の要素のひとつで、描くのは原爆ではなく
妻を通して描かれる家族の姿だ。
川本昭人さんの妻が原爆症でなくても、いや川本さん夫婦が広島に
住んでいなかったとしてもたぶん川本昭人という人は同じ映画を
作ったのではないか。

家族の成長、変化の風景は日本中どこにでもありそうな家族の姿だ。
おそらく誰にでもどこかは「うちと一緒だ」と思う点があるのではないか。
姑の介護、息子の結婚、孫の誕生、次男の結婚、次男は東京で暮らしていて
孫は嫁につれてこられる、そして今度は孫が一人で広島までやってくる、
そして長男の娘の成人式。
映画の冒頭では14歳で学校で描いた原爆をテーマにした絵が入選して
展覧会に観に行った思い出が登場する孫娘が成人式を迎える。
そんな実際の姿を描き、他人の家族のはずだが自分の家族の姿とダブって
見えてくる。

またひたすらに伝わってくるのは昭人さんの妻への愛情だ。
姑の死後、介護について妻は「大変というより母は私を頼ってくれていて
それが心の支えだった」という。
「俺もお前を頼りにしている」という昭人さんに「あんたにとって私は
仕事(映画作り)の素材でしかないでしょう」と言われてしまう。
そりゃ妻からすれば姑が倒れて病院に電話しているところをカメラで
撮っている夫はいやでしょう。
しかしそれは昭人さんの妻の姿を残しておきたいという愛情表現の
ひとつだと思う。

見ごたえのある映画だった。



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セブンデイズ


日時 2009年8月8日17:20〜
場所 シネマート六本木スクリーン1
監督 ウォン・シニョン
製作 2007年

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無罪勝ち取り99%の女辣腕弁護士の8歳の娘が誘拐され、犯人の要求は
現在裁判中の女子大生殺人事件の被告の無罪を勝ち取れ!というもの。
はたして被告は本当に犯人なのか?それとも真犯人は別にいるのか?
娘は無事か?そして誘拐犯の真の目的は?


面白い!
韓国エンタメ情報番組で紹介され、面白そうだったので見に行ったのだが
本当に面白かった。
2重3重に張り巡らされたなぞは事件を調べていくうちにかえって複雑化していき
本当に見るものを飽きさせない。

「あっ、さっきの名刺はこうつながったか」「あの人物がこういう風に再登場
するとは!」という伏線が張り巡らされ、すべての事件が明らかになるときは
爽快感さえ感じる。
映画の冒頭、無罪判決に導くヤクザの事件が途中からまた登場するのだが、
このヤクザが最後に意外な行動をとり、あっと言わされた。
誘拐事件の真の目的、これも「そうだったか」と思わせる。
ネタばれになるので多くは書けないのが何とも悔しい。

東京ではシネマート六本木、大阪ではシネマート心斎橋の2館だけの上映だが、
こんなに面白いのにこの2館だけとは実にもったいない。
おととし韓国で大ヒットだそうだが、それも納得だ。

カットが細かすぎるとかカメラが手持ちで揺れすぎるとか不満はあるのだが、
シナリオは本当によく出来ている。
逆転逆転の結末はまったく飽きさせない。
多分今年の私のベスト3に入るでしょう。
見てよかった。



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下落合焼きとりムービー


日時 2009年8月8日13:00〜
場所 フィルムセンター
監督 山本晋也
製作 昭和54年(1979年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


大日本下落合大学では総長(近江俊郎)たちの一派が世界征服をたくらみ、
それを阻止しようとする美人女子大生と誘われた大学生(所ジョージ)のおハナシ。

こう書くとスケールの大きそうなコメディに感じるかも知れないが、まるで違う。
まずこの映画が作られた時代背景を思い出してみよう。
1979年(何度も書いたけど)1970年大映倒産、日活ロマンポルノ化で
映画会社は完全に行き詰った時代。その空気に新しい風をまきおこしたのが
角川映画だったが、大作ばかりも作っていられなく、低予算映画の新しい路線も
模索していた。

そこでピンク映画出身でその頃からタレントとして活躍しだした山本晋也を監督に
してテレビで人気者の(まだ新人の)所ジョージ、タモリらを主演、ブレーンに
巻き込んで1本作ってみよう!という言ってみれば既存の映画界とは違った才能を
連れてきて何とかしようとした(多分)映画。
それだけ映画界は自分たちの作る映画に自信をなくし、異業種からカンフル剤を
注射してもらうおうとしていたのだ。

でもまあ結局公開当時は見なかったし、いい評判も聞かなかったので、あまり
上映される機会もなく見逃していた。
今回フィルムセンターで「逝ける映画人を偲んで」の中での上映。

予想はしていたけど面白くない。
タイトルはジョン・ランディス監督の「ケンタッキー・フライド・ムービー」
のもじり。こちらは小ネタギャグ(ショートコント)のつなぎ合わせで一本の
映画になっていて、この「下落合焼き鳥ムービー」も上に書いたようなストーリー
ラインはあるものの、無いと同じでギャグ、コントの連続。
これが見事に笑えないのだ。

映画というのは不思議なもので、その場で面白かったものが映画で面白いとは
限らない。おそらく現場は爆笑だったのだろう。
そしてオールアフレコで(同時録音にすると音声待ちがあったりして時間が
かかることもあったろうし、スタッフの削減のためにそうしたと思われる)
アフレコ時に所ジョージがアドリブと思われるセリフを入れたりするが
これも空回り。

何なのだろう、この現場では面白くて映画にすると面白くないというのは。
カメラのレンズは実に覚めた目だからなのか。
しかし現実より迫力あるもの見えたりすることもある。

一応笑えなかったものも含めてどんなギャグがあったのかちょっと書いておく。
もうほとんど記憶に残っていないが、その中でも強烈だったのは所ジョージと
アルフィーの坂崎がシャワーを浴びていて(全裸後姿)でやがてキスに発展する
シーン。何にも面白くない。むしろ汚いだけ。
また映画の途中にお菓子のCMが入る。
口に含むと中で弾けるような感じがあるお菓子だった。このお菓子のことは
覚えていて妙に懐かしかったけど。

赤塚不二男が笹川良一のパロディで「一日一善」というところとか
同じく船上パーティのシーンで、タモリがウエイターに扮しているのだが
ズボンの股間からシャンパンを取り出したり、別のシーンでズボンの股間から
シャンパンの口だけを出してシャンパングラスに注いで飲んだり、
たこ八郎にカクテルを作ってやるシーンで、靴を脱いでその中に
酒やらスパゲティーを入れてシェーカーのように振り、出来た飲み物を
たこ八郎に飲ませる(たこも全部飲むのだ)のはグロすぎて笑えなかった。

他に柄本明、佐藤B作など東京乾電池や東京ボードビルのメンバー、内藤陳、
土方鉄人などの70年代に活躍した山本監督やタモリたちの友人と思われる
メンバーが出演。
つまらなかったけど、前から一度見たかったから見たことが無駄だった気はしない。



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広域暴力 流血の縄張(シマ)


日時 2009年8月7日20:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 長谷部安春
製作 昭和44年(1969年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


関東のヤクザ組織・桜会は時代の流れにより解散を決意するが、その解散式で
大野木一家の親分(加藤嘉)は解散に反対すし、代貸(中丸忠雄)と若頭(小林旭)と
ともに解散式を後にする。
大野木一家のシマとする新宿にチンピラが荒らしまわっている。
調べてみれば関西連合が関東進出を計画していてその斬りこみ隊長(名和宏)も自分の
女にキャバレーを出させた。
関西連合の嫌がらせは続き、やがて大野木一家の若いもんが喧嘩で死んでしまう。


長谷部安春監督の日活ニューアクション。
キャストも東宝の中丸忠雄(この前年に東宝を離れたそうだ)や東映の名和宏、
すでに五社協定や専属制は崩れ、異色の組み合わせになっている。
映画はこの後解散した桜会の会長が新しい金融会社を始め、大野木一家は
関西からと両面で追い込まれていく。

いい親分が悪い親分に包囲され、若いものが悪い親分に殴りこむという図式は東映ヤクザ
任侠ものと同じだが、これを日活がやると現代劇になる。
(もっとも日活は明治大正時代用のセットや小道具を持っておらず、出来なかったとも
言えるらしい)

しかしデティールは違っていて、藤竜也の大野木一家の客分が若いもんを殺した関西の
チンピラを殺したことで、関西と大野木一家は一転和解に向かう。
そして手打ちの総長賭博となるわけだが、大野木の一家の組長は4000万円負けてしまう。
途中で金が無くなって小林旭と中丸忠雄は箱根から東京に戻って高利貸し(上田吉二郎)から
みっともないエピソードも挿入される。
でその金の返済のために大企業のスキャンダルをネタに企業恐喝をするところなど、
後の東映の実録路線を予感させるようなシーンも盛り込まれている。

最後中丸忠雄や加藤嘉が殺されるところはビルの一室なのだが、殺させるまで窓が締め切って
いて外の音が聞こえないのに、殺されたときに窓が割れいきなり外の騒音が入ってくるところ、
小林旭が旅館に殴りこんで、その裏にはで戦いになり、干してあるシーツに血しぶきが
かかるところなどフィルムノワールっぽく、長谷部安春監督のスタイリッシュな一面を
見た気がした。



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