2009年10月

札幌 横浜 雄琴 博多
トルコ渡り鳥
ゆけゆけ二度目の処女 クヒオ大佐 戦慄迷宮3D 引き出しの中のラブレター
性家族 裸の銃弾 続日本暴行暗黒史
暴虐魔
ヴィヨンの妻
桜桃とタンポポ
空気人形 性賊
セックスジャック
腹貸し女 新日本暴行暗黒史
復讐鬼
プライド さまよう刃 最も危険な遊戯 天使の恍惚
新宿狂(マッド) 女学生ゲリラ 現代好色伝 テロルの季節 惑星Xから来た男

札幌 横浜 雄琴 博多 トルコ渡り鳥


日時 2009年10月31日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 関本郁夫
製作 昭和50年(1975年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ひろみ(芹明香)というトルコ嬢とそのヒモ利夫(東龍明)はひろみが
札幌のトルコで働いていたが、「冬に寒い場所にいても客が少ない」と
いうことで場所を移ることにして横浜へ。
そして今度は雄琴に行く。雄琴で犬を飼っていたが、利夫がパチンコを
しているときにその犬は逃げ出し、車に轢かれて死んでしまう。
そんな犬の世話も出来ない利夫を「ろくでなし!」とののしって
逃げ出すが、やがてまた二人は一緒になる。
酒田で再会した二人は(なぜ二人がお互いの居場所が分かったかは不明)
ひろみの故郷、青森下北半島へと向かう。
しかしひろみは5時間しか地元にはおらず、すぐにまた二人は別の場所へ
向かったのだった。


今回はグリソムギャングでのファン有志のカンパによるニュープリント上映。
タイトルだが、資料では「札幌 横浜 名古屋 雄琴 博多」となっているが
本編のタイトルは「名古屋」がない。
上映後のトークイベントでそのことが話題になったが、それは多分名古屋の
シーンは撮影したが編集の段階でカットしたからだろうという話。

ドラマの合間合間に「トルコと言うところを見てみましょう」と山城新伍の
ナレーションが入る。
でマットプレイで2輪車、3輪車、4輪車、5輪車のプレイが結構長く写される。
5輪車などしたら一体いくらになるんだろう??
であとはホテルへの出張トルコ(マットを空気ポンプを使ってふくらませるところが
ちょっと物悲しい)などの紹介が挿入される。

で、ドラマの方では雄琴のトルコ嬢の9割はペットを飼っているとナレーションで
紹介されて、ひろみも犬を飼いだす。
そして利夫のミスで犬を死なせてしまい、ひろみが怒ってしまって喧嘩になって
部屋を飛び出し、トルコ街道の国道1号線をひろみが裸で走り結局タクシーに
乗って逃げ出す。それを利夫が必死に走って追いかけるシーンは、見終わって
友人たちと話している時に「幻の湖」を思い出させるねと笑い話をした。

ドラマでは最初に2階のアパートの窓からおしっこをするシーンがあり、ラストも
列車のいちばん後ろの車両のドアを開けそこからおしっこをするシーンで終わる。
なんだか女性の「何があっても強く生き抜く」というたくましさみたいなものを感じた。

関本監督にとってはワンカットワンカット思い入れがある映画かと思いきや、
トークイベントの時、「ドキュメンタリーのシーンは全くやる気がなくて今映画を観直しても
そこだけは劇場から出てしまった。やりたかったのはたくましいく生きていく女性の話」
とおっしゃっていたのがちょっと驚きだった。

この映画、ヤクザ映画の併映かと思ったら、「恐喝のテクニック 肉地獄」「玉割り人ゆき」
という映画と公開日が一緒だ。
3本立てだったんだろうか?
それとも東映はこのころはまだ2種類の系統を持っていたのかな?



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ゆけゆけ二度目の処女


日時 2009年10月29日21:00〜
場所 銀座シネパトス2
監督 若松孝二
製作 昭和44年(1969年)

(詳しくは日本映画データベースで)

あるマンションビルの屋上。
男たち数人に少女が輪姦される。それを見ていた少年。
輪姦した男たちが去った後、少年と少女は屋上で二人きりになる。
少女は自分はこうして輪姦されるのは二度目で、母も輪姦されたという。
そして「殺して!」と少年にせがむ。
少年は自分もこのマンションの一室で男女4人の暴行されて、その4人は
殺したと現場を見せる。


今回の若松孝二特集、私にとって最後の映画がこの「ゆけゆけ二度目の処女」
だった。
うわっ、わけ解らん映画だなあ。
ストーリーめいたものはなく、「殺して!」とせがむ少女とそれを聞き流して
少年は一方的に自分のことを話す。

プリントの状態がいいので、マンションの一室に少年が少女を連れて行き、
そこに転がっている4人の死体を見せるシーンで、流れている真っ赤な血が
印象的。
このシーンはいい状態のプリントで見なければ意味がないだろう。

そして今度はマンションの地下室に少女と少年は行き、再び屋上へ。
また昨日の少女を輪姦した男たちが登場し、少年はその中の一人を殺す。
この少年が無表情に殺していくのがなんともいえない。
でこの辺で眠たくなり、あと数分で映画は終わるな、と思った瞬間落ちたらしい。
気がついたら場内は明るくなっていた。
従ってラストシーンは見ていない(うわっ)。

まあ大島渚の「無理心中 日本の夏」もわけ解らん映画だったが、佐藤慶とか
小松方正と殿山泰司とか田村正和とか俳優を見ているだけでも楽しめたが、
全く無名の役者ばかりの出演だからつらいつらい。
あと気になったのは舞台となったマンションの屋上。
すこい遠くに代々木体育館が見えたから原宿あたりなのかも知れない。
だとすると下は明治通りかなあ、と映画に関係ないことを考えながら映画を
見ていました。



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クヒオ大佐


日時 2009年10月28日20:10〜
場所 新宿バルト9・スクリーン2
監督 吉田大八

(公式HPへ)


男(堺雅人)の名はジョナサン・エリザベス・クヒオ。職業・アメリカ空軍
特殊部隊のパイロット。母はエリザベス女王の妹の夫のいとこ。
今、弁当やの女社長(松雪泰子)をだましてお金を巻き上げていたが
今度は新たに博物館に勤務する春(満島ひかり)をターゲットにする。
そして銀座のクラブのママもターゲットにしてみたが。


実在した結婚詐欺師「クヒオ大佐」の映画化。
アメリカ空軍パイロットでエリザベス女王の遠縁となのに日本人顔という
いかにも怪しい男だが、なぜか女性たちはだまされる。
(騙されない人もいるけど)

私の関心は「なぜそんないかにも怪しい男にだまされたか?」なのだが
この辺は映画でも判然としない。
どうやら作り手たちもその辺をつかみかねているようだ。
「男と女の間のことは当事者にしかわからない」ということでもいいのかも
知れないが、私としては消化不良に陥る。

そして「どうだましたか?」も私の関心ごとだが、この辺があまりないのだなあ。
もともとのクヒオ大佐自体があまり凝った手口を使わなかったかも知れないが
「詐欺師映画」としての楽しみがどんどん少なくなる。
でも少しはあって銀座のママとの出会いを演出するため、ベンツに無理やり
乗って扉を開けさせるあたりは面白かった。

また舞台が湾岸戦争の90年代初頭が舞台なのだが、この当時、湾岸戦争に
「兵(自衛隊)は出さないが、金だけは出す」という事態になり、世論も
大騒ぎになったことがあった。
この世相と照らし合わせ、クヒオ大佐事件もこの湾岸戦争も「日本人の
アメリカコンプレックス」が根底にあると決め付けるのが気になった。
そうかなあ???

湾岸戦争は「アメリカコンプレックス」があるからなのは認めるが、クヒオ大佐
事件はあんまり関係ないような気がする。
ただし日本人の中には漠然とした「アメリカ人、アメリカ文化に対する憧れ」が
あるのは認めるけど。
それがテーマならもう少しその辺を詳しく突っ込んで見てもよいだろうが、
とってつけたような印象が残った。

全体的にメリハリのない脚本、演出で退屈だった。
満島ひかりは海に落ちるシーンなどで頑張っている印象を受けた。



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戦慄迷宮3D


日時 2009年10月27日20:30〜
場所 新宿バルト9・スクリーン2
監督 清水崇

(公式HPへ)


ある病院で2人の死体が発見され、そばにいた青年ケン(柳楽優弥)は「まだ中に
一人いるんだ!」と叫び続けている。
ケンがこの二人を殺したと疑われ、警察に連行される。
彼はここに至る経緯を話し始める。
10年ぶりに彼はこの町に帰ってきたのだが、帰ってきてすぐに幼馴染・モトキ
(勝地涼)が駅に迎えに来てくれた。
モトキは同じく幼馴染で盲目のリン(前田愛)と今度結婚するという。
リンの家に向かう二人だが、その頃リンのマンションには10年前、遊園地の
お化け屋敷で行方不明になったユキが訪ねてきた。しかし彼女は本物なのか?
ユキの実家に向かい、妹のユウに確認してもらうとするのだが、ユウの家で
ユキは階段から落ち、意識をなくしてしまう。
あわててユキを病院に連れていくケンたちだったが、ついた病院は電気が
点いているのに誰もいない・・・・・


日本初の本格3D映画。
確かに昔はあったけど、ここ数年のハリウッド中心の3Dブームの中では初めてだ。
ポスターも3D映画としての売りで出演者の柳楽優弥や勝地涼の写真は出ていない。
もったいないなあと思う。
事実他人のブログを偶然見るまで柳楽優弥が出演していることを知らなかった。
(忘れていたというほうが正解かな)

正直映画は面白かった。
彼らがついた病院はやがて10年前に子供のころに入った廃病院のお化け屋敷に
なってきて、あの日彼らが体験したことが明らかになっていく。
過去の自分が出てきて、過去の体験で「あの時物陰にいたのは誰だったか?
あの時、見かけた大人は誰だったのか?」が徐々に明らかになっていく。
過去と未来が錯綜するストーリーは見ていて全く飽きさせない。

正直、今年開設10周年の富士急ハイランドのお化け屋敷のタイアップ見え見え
だし、おそらく大部分はこのお化け屋敷で撮影されたのだろう。
しかも登場人物は少ないし今言った理由でセットは作っていないから、
かなり低予算なのだろう。
B級映画ともいえるのだが、脚本がいいので充分楽しめた。

ただし3Dにしたのは良かったのか?
多分企画は「3Dありき」で始まったものだろうし、それ自体は悪いことだとは
思わないが、題材として適切でなかったと思う。
3Dメガネはサングラスみたいなものだから、画が全体的に暗くなるのだよ。
もともと暗闇の話で画が全体的に暗いのに、メガネのせいでますます暗くなって
全体的に見にくいのだよ。

3D特有の奥から飛び出してくる画、というのも少なく、(あえてそういう
いかにも3Dという画は撮らなかったようだが)3D特有の飛び出してくる
感じが楽しめない。
私はこの映画が3Dでなくても十分楽しめたと思う。
DVDなどで普通の2D映画としてもう一度見たいと思う。

それにしても柳楽優弥、髪の毛を短くして頬が出たせいかちょっと太って見えた。
大丈夫か?
ファンとしては久しぶりの映画で楽しかった。
来年公開の新作も期待したい。



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引き出しの中のラブレター


日時 2009年10月25日11:40〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン10
監督 三城真一

(公式HPへ)


久保田真生(常盤貴子)はラジオのパーソナリティ。
いつもはがきをくれる北海道の高校生(林遣都)からの悩み「父とおじいちゃんの
仲がうまくいきません。おじいちゃんは全く笑いません。どうすればいいでしょう」
という質問に「おじいちゃんを笑わせてみれば?」と適当に答えてしまう。
実は彼女も父親にラジオパーソナリティになることを反対され、その時から
うまくいかなったがそのまま3ヶ月前に亡くなってしまいそのこと悔いいていた。
やがて高校生から「笑わせようといろいろやってみたけど駄目でした。おじいちゃんは
寝込んでしまいました」という手紙を受け取る。
久保田はすぐに北海道函館へ向かう。


映画の内容にはなんの関心もなかったが、ポスターを見て林遣都が出ていると知って
時間を作って見に行った。
この10月11月にはあと「風が強く吹いている」「RISE UP ライズアップ」と
2本の公開が控えている。
今回は今までの主演と違って常盤貴子のまわりを彩る群像劇だ。

本来ならタイトルの示す通り、なんだかラブストーリーだし見ない内容。
なんの予備知識もなしで見たので、仲代達矢(おじいちゃん)や八千草薫が出てきたので
驚いた。
で、真生がいきなり北海道に向かうあたりから白け始める。
おいおい千葉の房総半島の漁師ならともかく、北海道だぜ。
この後も数回北海道に行くのだが、この距離感の現実感のなさには驚いた。
(この時真生が手土産にとらやの紙包みを持って行ったのが目に付いた)

でおじいちゃんは昔別れた妻のことで息子と行き違っているらしいと近所の人
(片岡鶴太郎〜相変わらずの過剰演技で好きになれない)から聞き出す。
それでラジオ局の社長(伊東四朗)も列席している会議に乱入し、「言えなかった
思いを伝える番組をやってみましょう」といきなり提案する。
そして社長の鶴の一声で番組はゴーサインへ。

再び北海道に行き、仲代達矢に「手紙を書いてください」と頼む真生。
「あんたらに面白かしくされたくない」と断るおじいちゃん。
ってそれが普通だと思うよ。
私なんかこういう番組があったとしてもラジオを利用する気に慣れないもんなあ。
で、はらはらさせながら結局、おじいちゃんの手紙は届き、番組で読まれて
別れた妻もそれを聞いてくれるという展開。
まさしく「ラジオ万歳!」っていう番組。

映画は親に結婚を反対されている若い医者とか、妊娠していてシングルマザー
を決意する女性とかその母親(八千草薫)とか、東京に出稼ぎに来ている
タクシーの運転手とか様々のドラマが交錯し、ラストに重なっていくという
(最近よく見る)展開。
こういったドラマは「そういう関係だったか」という意外性がラストにあり、
飽きさせない。

総じて甘ったるいドラマで私の好みではないけどね。



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性家族


日時 2009年10月24日21:00〜
場所 銀座シネパトス3
監督 若松孝二
製作 昭和46年(1971年)

(詳しくは日本映画データベースで)


(映画のメインタイトルは旧題「色情家族」。「性家族」でもあんまり
変わらんと思うが)

自衛隊の幹部を父に持つ一家があり、自分の妾の子をまた自分の妾にし、
妾の三姉妹の一番上の姉を今度は自分の長男の妻にし、今はその下の娘を
妾にしていた。
次男はそんな父に反抗するのだが。

シネパトスの今回の若松特集のチラシの説明文を読むと大島渚の「儀式」の
パロディと評されているようだ。「儀式」は見ていることは見ているが、
20年以上前の学生時代だし、実際自分の記憶にはまったく残っていない。
だから見ていないも同然。

そんなことよりオープニングが「国映」のマークがカラーで現れる。
そしていきなり女性の裸のシーンになってここもカラー。
「おおっ若松特集で初めてのカラー作品か!いつもの若松プロではなく
国映製作となると多少は予算も違うのか?」と思ったが、やっぱり
途中から白黒。

それにしてもこの映画、若松孝二の映画にしては抽象的で解りづらい。
大島渚の「儀式」もわかりづらかったが(だから記憶に残っていない)
この映画も解りづらくすることはないだろう。
今日、3本若松映画を見たこともあってさっぱり記憶に残らなかった。

それにしても主役の父が歳相応の役者を使っているが、全く威厳がないので
学生映画に出てくる中年男みたいで、映画自体がどうしてもチープになってしまう。
この辺がやっぱりピンク映画としてつくる限界かな。
吉沢健なんかこの頃の若松映画の常連だが、貧乏くさくても役柄も若いので
なんとなく許される。

70分の映画だが随分退屈した。
このところの若松特集の中では一番記憶に残らなかった映画。



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裸の銃弾


日時 2009年10月24日18:15〜
場所 銀座シネパトス3
監督 若松孝二
製作 昭和44年(1969年)

(詳しくは日本映画データベースで)


三人の悪党(吉沢健、他)は山小屋で何かを待っていた。
この後に行われる麻薬の取引を襲って金もブツも両方いただこうという算段だ。
実は吉沢健は昔、女と二人でヤクザの組を抜けようとしたことがあり、今回の
取引の片方はその昔の組だった。
急襲は成功し、金は手に入ったがブツは偽物だった。
取引の片方の組にいた女を誘拐し、ブツのありかをはかせようとしたのだが。

今回は革命とは関係ないアクション映画。
もうフィルムノワールで暗黒街アクションものだ。
オープニングのタイトルバックからして発砲する拳銃が次々に映し出され
それにクレジットが重なる。
オープニングからわくわくする。

吉沢健は昔、組を抜けようとしたときに女と逃亡しているときに新聞の三行広告の
親分からの広告「もう何も心配することはない」を信じて戻ってきたら、親分に
リンチにあい、女も組員に輪姦されたという経験を持つ。
それ以来、三行広告を読むのが趣味だ。

昔の親分はまた同じ手を使って新聞広告を出すが、吉沢健は取り合わない。
そのうち逃亡しようとして仲間を誘惑した女を連れて東京を離れる。
昔の組は殺し屋を使って(そのうちの一人はめかっち、ロンパリという
奇妙な奴。こういう奇妙な奴が殺し屋で登場しないと映画は盛り上がらない)
吉沢健を追う。
結局ブツはどうなる?
というところで吉沢健、殺し屋、女の三つ巴の戦いになって終わる。
え〜と結局みんな死んでしまうのだけれどね。

いつも革命家の吉沢健が今回はサングラスをかけた悪党として登場。
日活アクションを髣髴とさせる痛快なアクション映画で、裸のシーンも
他の革命映画ほど違和感がなく話しに溶け込んでいた。
若松孝二のアクション映画監督としての才能が発揮された一編。



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続日本暴行暗黒史 暴虐魔


日時 2009年10月24日19:35〜
場所 銀座シネパトス3
監督 若松孝二
製作 昭和42年(1967年)

(詳しくは日本映画データベースで)

ある港町。男は女を暴行し、自分の住んでいる海岸の洞穴に連れて行った。
死体は洞穴の置くの部屋に安置され、すでに何人もいる。
男にしてみればそれらは愛する女性たちだった。

シネパトスの今回の若松特集のチラシによると「小平義雄事件がモデル」
とされている。

しかし小平義雄は東京が舞台だったが、今回は田舎の港町が舞台だから
直接の映画化ではない。

死体を洞穴の洞窟に何人も置いていたら腐りはしないかと気になったが
そういう細かいことは気にしない。
主人公はもとは北海道の網元の娘と恋仲になったが、親に結婚を反対され
誤って殺してしまう。
そしてこの港町に逃れてきて魚市場の掃除の仕事でなんとか暮らしている。

暴行した女が町のチンピラ(セックスジャックで学生運動のリーダーを
演じた人)をつれてきて金を5万円要求する。
男が金を払わないので、チンピラたちは男が住む洞穴に行って見て数々の
死体を発見する展開。

この孤独な男の女性に対する憧れというか女性を求める心はなんとなく
男ならわかる。
その点が男が単なる悪者には見えず、ちょっと切ない感じがした。



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ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ


日時 2009年10月23日21:40〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン5
監督 根岸吉太郎

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作家の大谷の妻・佐知(松たか子)は深夜に夫(浅野忠信)が帰宅し、それをある夫婦が
追いかけてきたのに驚く。夫婦は中野で小料理屋を営んでいて、大谷はその店の
売り上げの5000円を奪ったというのだ。
大谷はその場をナイフを使って夫婦を脅し、とりあえず逃れる。
翌日、返済のお詫びのために妻は中野の店を訪ねる。
そしてしばらくその店で働くことに。
やがて夫の小説を好きだという青年・岡田(妻夫木聡)と出会い、またかつて自分が愛し
今は弁護士となって成功している辻(堤真一)と再会する。


今年2009年は太宰治生誕100年だそうで3本も映画化が進んでいる。
(あとの2本は「パンドラの函」「人間失格」)
こういうだらだらと女を渡り歩き酒ばかり飲んでいるような男・大谷のような
男が私は嫌いである。
どうにも共感できない。
だからもうそんな男についていく松たか子や広末涼子の気持ちも理解できない。
完全に物語についていけないのだ。

「僕は酒を飲んで酔っぱらわないと人と話せない」的なことを大谷が言うが
もうこの辺でこういう男にはついていけないし、友だちにもなりたくない。
もう作品世界についていけないのだ。

そんな中でも妻夫木聡の一途に松たか子を想う姿には悲しいものがある。
なんで人の妻などに惚れてしまうかと解っていながら好きになってしまう
気持ちには共感出来る。
考えてみれば大谷のような酒ばかり飲みたくなるのも解るのだが、そんなことを
していては社会人としては生きてはいけない。
事実「人非人」とマスコミに批判されるようだ。
まあ心中しておいて失敗するのもみっともないが。

そういう人間は僕には「怠け者」にしか見えない。
私が生涯「努力することが尊い」と洗脳されすぎているのだという考え方も
あるだろうが、それにしても私にはあんな大谷のような人に迷惑掛けまくりの
生き方は出来ませんし、したくもない。

でもこういうのがいいっていう太宰ファンもいるわけだから人間「怠け者願望」
みたいなものがあるのだろうか?
「ヒーロー願望」「アウトロー願望」みたいな。
それにしてもそういう「怠け者」でいさせてくれる女性が数々いるのがもっと謎だ。
「ダメな男が好きな女」の気持ちは私には永遠に解らない。
想像力がないと非難されようとも。



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空気人形


日時 2009年10月22日19:05〜
場所 新宿バルト9・スクリーン5
監督 是枝裕和

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ファミレスの従業員、秀雄(板尾創路)今夜もダッチワイフを相手に食事をし
彼女に今日あったことを話すのだった。
そのダッチワイフはある朝、心を持ってしまう。
主人のいない間に外に出かける人形(ペ・ドゥナ)は街で見かけたレンタルビデオ店
で働く青年、純一(ARATA)に心を惹かれてしまう。
やがて人形はその店でアルバイトをするようになった。


是枝監督話題の最新作。
「誰も知らない」「歩いても歩いても」と比較的好きな映画を連発してくれる監督なので
期待しつつ、しかし今回は内容に惹かれるものがないので見ようか迷った映画。
結局見た。見なきゃよかった。

根本的に作品世界に入れないのだ。
なぜ空気人形は心を持つようになったのか?
なぜ住民票も何もない彼女がアルバイト出来るのか?
なぜ人形は純一には人間に見えて、秀雄には人形にしか見えないのか?

その他いろいろあるのだが、物語に根本的に疑問を感じてしまったのでもう話に
乗れないのだ。
兎に角、太陽の黒点でも秀雄の祈りでも誰かの何かのいたずらでも何か理由がほしいのだ。
いきなり心を持ち始めて「理由は解らない」ではなんか納得出来ないのだよ。
バイトの件も心を持ったばかりで言葉も常識も何も知らない赤ん坊のような彼女が
なぜいきなりバイトできるのか?
もちろん住民票とかもそうだけどこれも強引なものを感じるのだ。
映画を見ながらバイトをし始めるまでまだしばらく人間世界のことを知るシーンが
あると思っていたので、いきなりバイトで驚いたのだ。
たとえば「身分証明もない子はだめだよ」と店長が断っても、純一が店長を説得する
でもいい。
ここも何か言い訳がほしいのだよ。

そんな感じであとは高橋昌也の老人とか、日本中の犯罪はみんな自分がやったという
おばあちゃん(冨士純子)とか、パンチラに興奮する青年とか、ごみ屋敷にすむ
若い女性(星野真理)とか、若さの衰えを恐れる受付嬢とかたくさん「心が空っぽ」
の人間が出てきても「ああそうですか」と全く何も感じなくなってしまう。

兎に角根本的に作品世界に入れませんでした。
でも主人公たちが住む、高層ビルに囲まれた古びたアパート群の風景は良かった。



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性賊 セックスジャック


日時 2009年10月21日21:00〜
場所 銀座シネパトス3
監督 若松孝二
製作 昭和45年(1970年)

(詳しくは日本映画データベースで)



学生運動のあるセクトは今後の活動を地下に潜ることにして
ミーティングを開いていた。しかしその場所に刑事がやってきてがさ入れを
食らい、逮捕されることに。
リーダーが拳銃を抜き、なんとかその場を逃れる彼ら。
ばらばらに逃亡する彼らだが、男3人と女1人のグループになって
一緒に逃亡するメンバーはある一人の青年と偶然合流する。
自分のことをカッパライというその青年の誘われるままに、川向うの
ドヤ街のアパートに隠れることに。
翌日の新聞でリーダーが逮捕されたことを知る。
しばらくは青年が「かっぱらってきた」というパンや牛乳で過ごす彼ら。
時折青年が買ってくる新聞には「交番襲撃」などの事件が伝えられている。
青年が出かけた日に限って事件が起こっているのだ。


「よど号事件」を受けて製作されたらしい一本。
この後、学生運動家たちは自分たちもハイジャックをしようと羽田に向かうが
そこで逮捕されてしまう。
実は先に逮捕されたリーダーが警察のスパイですべてを手配していたという展開。
しかも「自分は政治とは関係ない」と言い続けていた青年が「交番襲撃」を
行っていて、メンバー逮捕後、首相暗殺を行う。
(このあたりは新聞のアップを写して首相暗殺のシーンがあるわけではない)
またこの青年とリーダーは知り合いで、以前から青年がかっぱらいで儲けた金を
カンパしてもらって活動資金に当てていたという。
つまり逃亡グループの活動を助けるためにリーダーから送り込まれており
結果的にスパイの目的でリーダーが操っていたというわけだ。

ラスト、刑事(丹古母鬼馬二、他)がリーダーを伴って青年を逮捕しに来る。
しかし青年は警官を振り払いリーダーを射殺。
裏切りの連続の学生運動を象徴する映画だ。
リーダーの射殺は裏切りを経験している運動家たちにはカタルシスを感じたろう。
「テロルの季節」と並んだ「男」の映画。

(相変わらずピンク映画だから逃亡中のグループは女一人を男三人でかわるがわる
「薔薇色的連帯」といってセックスしていく。若松孝二の映画を見ていると左翼
革命家はセックスばかりしているように思えるが、多分それはなかったろうな)



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腹貸し女


日時 2009年10月18日13:25〜
場所 銀座シネパトス3
監督 若松孝二
製作 昭和43年(1968年)

(詳しくは日本映画データベースで)



ある代議士は不能のため、子供が出来ないでいた。
妻は若く、その妹は大学生の恋人とセックスを営んでいる。
代議士は人工授精の方法を思いつき、妻の妹を使って自分の子供を
生ませようとするのだが。


実はちょっと寝た。
70分の映画で60分目ぐらいで数分間寝てしまった。
お話はこの後、妹と妹の恋人がヒッピーたちと一緒に雑魚寝をして
乱交パーティというほど積極的ではないが、数組の男女がアパートの
一室で一晩を過ごしたりするシーンがつながる。

妹は代議士から自分の子供を産んで欲しいと頼まれていると恋人に
相談する。
恋人は「そりゃまるで昔の腹貸し女だな。昔は労働力ほしさに
その家の子を産んでやって金をもらう仕事があったらしい」と話す。
で結局(このあたりの展開の部分を寝たのだが)妹は中絶して
代議士の野望は果たせない。
しかし妹に子供を生んでもらうことを快く思わない(多分)姉は
代議士を殺す。

子供を作る、セックスをするという行為は「子孫を残すため」なのか
「労働力を得るため」なのか「快楽のため」なのか、そんなことを
若松孝二は問うているような気がした。



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新日本暴行暗黒史 復讐鬼


日時 2009年10月18日12:05〜
場所 銀座シネパトス3
監督 若松孝二
製作 昭和43年(1968年)

(詳しくは日本映画データベースで)



ある寒村。
今、男(吉沢健)は手足を縛られ、その妹は数人の村人によって陵辱されていた。
助けを求める妹の声に答えられず、兄は首を縛られる。
村人たちによるレイプは終わり、妹は死んだ。
男は奇跡的に助かった。
村人たちはこの兄妹を昔から肺病やみの家系と村八分にし、いまさらに
彼らの生きる糧である田畑さえも取り上げようとしていたのだ。
生き返った男は村の長をはじめ、妹を陵辱した男たちを殺していく。

面白い。
復讐者のアウトロー映画としてまず楽しめる。
村人たちは(ピンク映画だから)昼間から女房(これがまた田舎の女という
感じのモンペ姿のおばちゃん)とやっているところを襲ったり、同じく
畑で休憩時の一発などやってるところばかりで襲われる。
ピンク映画だから仕方ないのかも知れないけど、別におばちゃんのおっぱいを
見てもなあ。
まあそれが好きな人もいるけど。

やっていて無防備になっているところばかりを襲うのが続くから
やや退屈するけど、地方の村の閉鎖性、偏見、差別意識、などが引き起こした
事件という感じで、日本の田舎のおぞましさを見た気がした。
それもこういう強烈なパンチで描いてくれるのは若松孝二ならではだ。



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プライド


日時 2009年10月17日
場所 ザ・グリソムギャング
監督 金子修介
製作 平成21年(2009年)

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オペラ歌手を志す萌(満島ゆかり)はハウスクリーニングのバイト先で大金持ちの娘・史緒
(ステファニー)と知りあう。
オペラの5万円のチケットを「余っていて捨てるつもりだったから」というので
それなら行きたがっている萌を誘う。
しかしその会場で有名なオペラ歌手の娘で音大も一流でクイーンレコードの次期社長
(及川光博)とも知り合いという史緒の恵まれすぎた環境に萌は嫉妬を覚える。
だが史緒の父親の会社は倒産、史緒は全財産をなくしてしまう。
今までお嬢様だった史緒に何が出来るか。
音大の教授の勧めでクイーンレコード開催の新人コンテストに応募する史緒。
だがその会場には萌も来ており、二人の対決は始まるのだった。


面白いことは面白いのだが、世界観についていけない。
これはもう金子修介の問題というより一条ひかりの原作にある。
絵にかいたような大金持ち、絵にかいたような貧乏で悲惨な家庭環境の娘、
絵にかいたようなレコード会社の次期社長であるプリンス、でオペラにJ-POPと来る。
もう笑っちゃうのだ。

アホらしい。
一時の大映ドラマや赤いシリーズを思い出させる設定だ。
さぞかし30年前に書かれた原作かと思ったら、現在でも連載中だという。
もうついていけない。
大体CDが売れなくて今レコード会社は大変なんだよ。
オペラなんて不採算部門としてリストラされかねない部門だろう。
もうそういうことが私なんか頭をよぎってしまうのでもう世界観についていけないだろう。
でも一方で私が好きな怪獣映画なんかを「怪獣が出る映画?アホらしい」と世界観に
ついていけない人もこの世にはいるだろう。
そういう人を否定しないから私のことも否定しないように。


でもその中でも及川光博、満島ゆかりを始めとするキャストは好演している。
特に及川光博のレコード会社の御曹司なんて日本であの役がさらっとこなせるのは
彼だけだろう。
甘えた表情や悪魔の形相が二転三転する満島ゆかりはすごい。
あとはラストでステファニーと満島ゆかりがデュエットするシーンがあるのだが
てっきり吹き替えだと思っていたら、自分たちで歌っているんだと。
よく聞いたら満島ゆかりはFolder5として歌手デビューもしていたんだと。
知らなかった。



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さまよう刃


日時 2009年10月9日18:45〜
場所 新宿バルト9・スクリーン10
監督 益子昌一

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長峰重樹(寺尾聰)数年前に妻を亡くし、中学生の娘と二人暮らし。
ある晩、娘は不良少年たちに誘拐され、レイプされ、クスリのために命を落としてしまう。
娘の死体は荒川河川敷で死体となって発見された。
警察の聞き込みにより犯人たちが使ったと思われる車の目撃情報がでた。
事件のあった晩に車を運転していた少年に話を聞くとただドライブしていたという。
実は少年は以前から犯人の少年たちにパシリにさせられており、その晩も犯人の
少年たちに使われていた。
そんな頃、長峰の自宅に匿名で犯人の名前と居所を知らせる電話が入る。
言われるままにその場所に行ってみた長峰だったが。


最近、「死刑」とか「厳罰化」とか興味があるのでちょっと期待したがはずされた。
まず主人公長峰の行動が現実離れしていく。
映画はこの後、電話に従いあるアパートに行ってみるとそこにあったビデオカメラで
撮影された映像には娘がレイプされているシーンが映っていた。
それを見てはく長峰(このあたりをワンカットの長まわしで撮り、それを見せる
寺尾聰は名優だ)。そこへ犯人の2人のうち一人が帰ってきていきなり殺して
しまう。
なぜ警察に言わずに殺したのか。
もうここで長峰の行動についていけなくなる。
で、もう一人の犯人は少年が絶命寸前に行った「長野のペンションにいる」という
言葉だけを頼りに長野中のペンションをたずねて回るという無鉄砲な展開。
このあたりから脚本が滅茶苦茶だ。

そんな中、あるペンションに男親(山谷初男)と娘が経営するで長峰の気持ちが
解る山谷に猟銃を奪われた振りをして渡される。
そのちょっと前に「銃を撃つときは迷っちゃだめですよ。迷わずにすぐに撃ちなさい」
とアドバイスを受ける。
ここが伏線となってラストの川崎駅で長峰と犯人の対決になるわけだが、ここで
作者の完全な計算違いが起こる。
川崎駅で長峰が犯人と対峙したとき長峰がなかなか撃たないという展開になってしまう。

また竹之内豊の刑事が「自分たちが守っているのは市民じゃなくて法律ですか?」
と問いかけるシーンがあるが、私なんか「そうだよ」と答えてしまう。
法律を守る(守らせる)ことによって社会の秩序を守る、これが司法の基本原理
だと私は解釈している。
それが気に入ろうと気に入るまいと。

で、ラスト。
犯人と長峰は対峙するわけだが、ここがもうスローモーションを多用したまったりした
展開。
もたもたせずに撃つなり捕らえるなりしなさいよ。
あと野次馬。
ボーっと突っ立ってないで伏せさせなきゃだめだろう。
流れ弾が飛んでくるかも知れないんだから。
結局長峰の銃には弾が入ってなかったという展開だが、それならそれは台詞で言わせるのではなく、
画で見せるべき。
そのほうが伝わると思うのだが。
なんとなく全体的に台詞による説明が多いんだな。
別にこの映画に限ったことじゃないけど。

期待した分、がっかりの度合いも多かったです。



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最も危険な遊戯


日時 2009年10月15日19:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン10
監督 村川透
製作 昭和53年(1978年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)



鳴海昌平(松田優作)は普段は賭けマージャンでカモにされているような
凡庸な男。しかし実は殺し屋として一流の腕を持つ男だ。
ある日、大企業の会長(内田朝雄)に呼ばれる。ある事件を解決してほしい
というのだ。
その頃大企業の重役たちが次々と誘拐される事件が起こっていた。
その裏には日本の黒幕・足立が絡み、防衛庁の日本の防衛網に関する発注
の入札を内田朝雄に手を引かせようという意図があるというのだ。
鳴海はその仕事を引き受け、誘拐されている内田朝雄の会社の重役を助け出そうと
するのだが。

完全に松田優作の映画。
公開当時東映としてはトリは小林旭でのリメイク「多羅尾伴内」だったが、この
「最も危険な遊戯」のほうが評判が良かった気がする。
事実このあとシリーズ化され「殺人遊戯」「処刑遊戯」と2本製作された。

3枚目な面も持ち合わせながらハードなアクションもこなし拳銃もぶっ放す
松田優作のスタイルが完全に生かされた映画だろう。
スーパーな肉体を持つ殺し屋として松田優作は登場。
事件の依頼を受け、体を鍛えるシーンがあるが、その強靭な肉体を見せ、「タクシー
ドライバー」のロバート・デ・ニーロを彷彿とさせる。
また後半敵の車を走って追いかけるシーンがあるが、その長い脚を持ってすると
納得させられてしまう。
僕なんか松田優作はそんなに好きではないのだが、その人気は納得できる。

しかし脚本の細部が弱い。
後半の大物黒幕・足立の居場所を突き止めるのに足立の配下の者を痛めつけとりあえず
足立の女を誰かを聞き出すシーンがある。
最初は否定するが、すぐに銀座のママのことを話してしまう。
でママのところに行ったら行ったで、ママも最初は「知らない」というが結局
話してしまう。
ちょっとひねりがない。

また最初の重役を助け出すエピソードで誘拐している実行グループのボス・名和宏を
女のアパートに呼び寄せるカットがあってすぐ次に松田優作が重役が監禁されている
廃病院のシーンになってしまう。
よくわからない。

で、またこの病院のシーンが夜なのだがとにかく暗い。
ライトが少なかったと思われるがその辺が低予算を感じるのが残念。
(もちろんそれを吹き飛ばすパワーはあるのだが)

蛇足ながらラストのストリップ劇場のシーンで、「人間の証明」の音楽をバックに
麦わら帽子で局部を隠した女の子が踊るシーンは笑った。
音楽が同じ大野雄二だから許されるお遊びか。

低予算のB級アクションともいうべき映画だが、松田優作の魅力全開の映画だった。



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天使の恍惚


日時 2009年10月11日16:20〜
場所 銀座シネパトス3
監督 若松孝二
製作 昭和47年(1972年)

(詳しくは日本映画データベースで)



「四季革命」と名乗る革命グループがいて彼らは「秋」「冬」という
グループがあってその中に「十月」「二月」というグループありその中に
「月曜日」「土曜日」と呼ばれるメンバーがいるという構造だった。
「秋」の中の「十月」たちは米軍基地を襲い、武器を押収する。
その十月のリーダーはその間に目を負傷する。
アジトに帰った彼らだったが、「二月」のメンバーがやってきて「十月」たちが
奪ってきた武器を持って行ってしまう。
批判すれば「それを闘争の私物化というんだ!」と批判される。
「十月」のメンバーは組織を抜け独自路線を歩もうとするが、メンバーの中には
「十月」の上司、「秋」と呼ばれる女性に通じている者もいた。


テロ組織の内紛を描いた1本。
正直ちょっと長い。90分ばかりの映画だが長く感じる。
やはりワンアイデアの映画だから「テロルの季節」のように70分ぐらいなら
もつが90分だとちょっとつらくなる。
それにこの二日間で連続して若松孝二のテロリストの映画を見ているから
ちょっと飽きが来たのかも?
もしそうならこの映画が面白くなかった理由は若松孝二ではなく、私にある。

組織と個人のどちらを優先させるかを悩む姿は、たとえ革命組織でもやはりこの問題は
永遠に付きまとう。
昔の高倉健の任侠ものが全学連の学生に受けたという話を聞いたことがあるが、
あれも「組」と「個人」の対立の話だった。組のためには自分を殺さなきゃいけない
しかしそれは納得出来ねえ!という感じだ。

「十月」のメンバーは組織を離れ、独自にピース缶爆弾(多分)を作って交番などを
爆破していく。
やがて組織からも孤立した「十月」が最後に新宿をさまよい歩くシーンで終わる。
組織を離れて活動しても個人のうっ憤は晴れたかもしれないが、革命には程遠い。
そんなむなしさを感じながらさまよっているように見えた。

関係がないが、「十月」のメンバーがアジトだったマンションの一室を爆破するシーン、
普段なら音だけの表現だが、今回はミニチュアを作って爆破していた。
ATGとの提携作品だからちょっと予算があったのだろうか?
それと今回の上映プリントはニュープリント同然で、実にきれいだった。



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新宿狂(マッド)


日時 2009年10月11日15:10〜
場所 銀座シネパトス3
監督 若松孝二
製作 昭和45年(1970年)

(詳しくは日本映画データベースで)


ある演劇少年がアパートの一室で殺され、一緒にいた女は犯人たちに
輪姦された。
少年の父が九州から上京し、警察に向かう。
犯人を憎み、「息子はなぜ殺されたのか」を疑問に思う父は一人で
新宿を歩き、息子のことを調べ始める。


父親(谷川俊之)がこの後新宿地下道でシンナーをやっている少年たちや
公園でギターをかき鳴らし、遊具の中で抱き合う少年少女たちに「私の
息子のことを知らないか」と尋ね歩く。
また息子が殺されたアパートの一室に行ってみるとヒッピーの男が寝ていて
「何も知らない」という。
父親は兎に角この新宿の彼らの世界では異質だ。
異質すぎてみているこちらも気恥ずかしさを覚える感覚がある。

「この街をやつは売ったから殺されたのだ」とヒッピーたちはいう。

この映画に登場するヒッピーたちはどうも否定的に描かれていく。
それは田舎者の父の視点でもあるのだが、若松孝二自身もヒッピーを
否定的に見ていたのではないか?
特に何をするわけでもなく、ただぶらぶらとシンナーを吸い、セックスに
明け暮れるようなヒッピーは「反体制」ではあったが、若松にとっては
「何もしない怠け者」に見えたのではないか。
ヒッピーはのちの感覚からすると「反体制」で「革命的左翼」と同一視してしまい
そうだが、若松にとっては「革命的左翼=活動的な努力家」「ヒッピー=
単なる怠け者」だったみたいだ。
(この映画を見るとそう感じる)

というのは父親が明治維新の志士を引き合いに出し、「左翼革命戦士」を
坂本龍馬たちと同一線上に考えている節があるが、ヒッピーのことをよく言わないのだ。

やがて「新宿マッド」と呼ばれる人物あるいはグループに殺されたらしいと解ってくる。
しかし刑事たちの話では新宿マッドは去年死んだという。
「多分新宿マッドなんてこの新宿に何十人もいるのでしょう」と新宿という街全体の
狂気に殺されたと結論付ける。

若松孝二は反体制だからヒッピーも同じく反体制で共感を持っているのかと思っていたら
どうもそうではなかったようだ。
同時代を知らない人間からすると解らなかったのだが、ヒッピーは当時の保守的な
人間だけでなく、反体制的な人々からもうとまれていたのか。
ひとつ勉強になった。

また歌舞伎町、花園神社、新宿南口付近など、昔の新宿の姿が懐かしい。



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女学生ゲリラ


日時 2009年10月10日17:45〜
場所 銀座シネパトス2
監督 足立正生
製作 昭和44年(1969年)

(詳しくは日本映画データベースで)


富士のふもと。卒業式粉砕を叫ぶ3人の女子高生の話とその話を聞いてしまった
男子学生2人。
彼らは卒業式の数日前の夜に学校に侵入し、卒業証書や成績表を盗み出し
山に立てこもる。
そこへ兵士が現れ、「貴様たちを捕虜にする」といい、いったんは捕虜になるが
逆に兵士が捕虜にされてしまう。
やがて山に教師たちがやってきて説得を始めるが彼らは応じない。
教師たちはあきらめて帰るのだが。


若松孝二製作、足立正生監督作品。
のちの「あさま山荘事件」を彷彿とさせるような作品だ。
山にこもるにあたって御殿場で演習していた自衛隊員を女学生は襲い、(といっても
犯してしまうのだからその辺がピンク映画)武器を奪って山へ。
彼らは自分たちのルールを作り戦いを続ける。
ただし夜になるとセックスにふける(この辺がピンク映画だ)
またパートカラーになると日の丸の白地の部分が真っ赤に染まっていて、真ん中(つまり
普通なら赤い丸のあるところ)がくりぬかれている奇妙な旗が登場する。
日の丸をおちょくった(という表現が正しいのか心もとないけど)強烈な旗だ。

あと兵士が登場するが、それがこの映画においてどういう役割を果たすのかがうまく
自分の中で解釈できないのが残念なところ。

教師たちが説得にやってきて追い返すあたりまでは彼らも勝利しつつある実感で
一杯だった。
しかし教師たちは二度はやってこない。
もうすでに卒業式は終わっている日になっているのにこれはどうしたことか?
自分たちの戦いに疑問を感じ始めたところで小さないさかいが始まる。
そして結局卒業式ごとき粉砕しても世の中何も変わらないという挫折感に襲われる。

しかしラストは富士山の前を歩いていく女学生たちのカット。
カメラはパンして富士山のアップになる。
なんとなく足立正生は日本が嫌いだから革命を起こすんじゃなくて日本が好きだからこそ
革命を起こしたいと考えているように感じた。
だってやっぱり富士山は日本人にとって誇りとする山なんですから。
それをアップにするなんて日本が好きな証拠だと思う。



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現代好色伝 テロルの季節


日時 2009年10月10日16:20〜
場所 銀座シネパトス2
監督 若松孝二
製作 昭和44年(1969年)

(詳しくは日本映画データベースで)



ある団地。刑事がある男を見つけ、その男の部屋に盗聴器を仕掛ける。
男の団地の向かいの団地の一室を借り、刑事二人が監視を始める。
男は元過激派で、今はおとなしくしているがまた活動を始めるのではないかと
見張っているのだ。
ところが男は女性二人と暮らし、夜は3人で布団を共にするような仲だった。
ある日、男をたずねてくる者があった。
昔の仲間だったが、男は「俺はもう活動をやめた」と追い返すのだった。
男は本当に活動を辞めたのだろうか?

最近、足立正生に興味が出てきたところに銀座シネパトスで大島渚特集に
続いて若松孝二特集。
今回の特集で上映される中には足立正生が関わった映画も多い。
本作の脚本出口出は足立正生のペンネーム。
(資料によると映画のタイトルは「現代好色伝 テロルの季節」となっているが
映画に示されたタイトルは「テロルの季節」だった)

「男は本当に転向したのか?」という縦糸があるため、映画はそこはかとない
緊張感に包まれる。
しかし男は女性たちに「ごろにゃん」などと呼ばれ、女二人が働きに出て自分は
家でごろごろしてるだけ。
男は(もともとピンク映画だったせいもあるのだろうが)女二人とやりまくり
食事中も女の股に足を入れたり(それも両方の足を別々の女にだ)夜は夜で
女同士でレズプレイに走ったり、また刑事が張り込みをしている家でも家の夫婦が
夜は夜で始めてしまったり、もう始終やりまくり。

「今日は映画でも見に行ったら」と新宿に出かけ、歌舞伎町の映画街へ。
ミラノ座は変わっていないが、今はなき新宿ジョイシネマが地球座と言われたころの
映画館に入っていく。
(この新宿の風景が懐かしい)

そして男は佐藤首相訪米の記事を見つけ、男は爆弾を作り始める。
そうすると映画はここからカラーになり、右がアメリカ国旗、左が日の丸、中央が
男が女とセックスしたり、爆弾作ったりする姿がコラージュされた映像になる。
やがて男は羽田空港に行き、空港の建物に入ったところで暗転、爆発音!
というところで「終」

シネパトスの紹介記事には「現代の大石内蔵助と評された」とあるけど、それも納得。
今は爪を隠しているけど「やるときはやる!」という姿は男として憧れるじゃありませんか。
しかも普段は女二人とやりまくって働かなくてよい。
一種男の願望ですね。
テロとは関係なくても、男としてこういう生き方はしてみたいと思っていまう。
ただし「やる時」っていつなのかは問われることではありますが。



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惑星Xから来た男


日時 2009年10月4日
場所 DVD
監督 エドガー・G・ウルマー
製作 1951年(昭和26年)

(詳しくはインターネットムービーデータベースで)


新惑星Xが地球に近づく!
この知らせを大戦中に一緒に仕事をした科学者から教えてもらったアメリカ人新聞記者は
旧知の天文学者がその研究のため行っているイギリスのある島に向かう。
なんでもその島が惑星Xが地球に近づく際に最も接近できる場所にあるのだ。
ある夜、新聞記者はその天文台の近くの沼地にロケットがあるのを発見。
近づいてみるとそこには宇宙服を着た宇宙人がいた!!

昭和26年のSF映画。
天体地球接近というからのちの「妖星ゴラス」や「アルマゲドン」「ディープ・インパクト」にも
引き継がれる他の天体が地球に近づく話。
その割には地球は全く騒いでいなくて博士だけが島で研究してる。
ぶつからないからなのかな?

でその宇宙人だが、潜水服みたいな宇宙服を着ているんだが、中の宇宙人の顔は石膏で
作ったような全くの無表情。
日本のはにわの目を細くした感じでなんとも不気味というか工夫がない感じ。
また背中にボンベを背負っているのだが、そのボンベからのチューブのバルブ(水道の
元栓みたいな感じ)をひねってエアの量を減らすと弱るという弱点持ち。

実は博士のもとには以前博士の教え子だったものがいるのだが、こいつが悪いやつで
宇宙船などに使っている金属の成分を宇宙人から聞き出して地球でも作れるようにして
大儲けをたくらむせこい悪い奴。
さっき書いたバルブを閉めたりして弱らせるというまたまたセコイ方法。

で肝心の宇宙人のほうだが地球人とコミュニケーションが図れない。
だから敵意があるのかないのかはっきりしないのだな。
一応、侵略の意図はあったらしいのだが、具体的な攻撃にはでない。
なんだかんだで結局軍隊出動となったのだが、この軍隊が数人で機関銃にバズーカ
ぐらいしか装備のない軍隊。
でもやられて宇宙に逃げる宇宙人。

この時代のSFはまだまだですね。



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