2009年12月

アバター 拳銃無頼帖 抜き射ちの竜 水爆と深海の怪物
世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す 双頭の殺人鬼 昆虫怪獣の襲来 高校大パニック
大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE クライシス 北の国から イングロリアス・バスターズ
恋と太陽とギャング 照準の彼方 好色元禄(秘)物語 2012
拳銃(コルト)は俺のパスポート 手紙 グリーンマイル 善き人のためのソナタ

アバター


日時 2009年12月31日13:55〜
場所 109シネマズ名古屋IMAX・スクリーン7
監督 ジェームズ・キャメロン

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2154年。人類は地球から5光年の衛星パンドラで新しい鉱石
の発掘事業を行おうとしていた。
しかしその土地にはナヴィと呼ばれる原住民が住んでおり、鉱石の
採掘には彼らの存在が邪魔だった。
人類は彼らを教育し、移住させようとしたがうまくいかない。
ついに人間とナヴィのDNAから新しい個体を作り、それを人間の脳と
リンクさせることにより、遠隔操作できるナヴィ=アバターを
作り出すことに成功した。
これをナヴィに送り込み、ナヴィを説得させ移住させようと計画する。
海兵隊員だったジェイク・サリーはこのアバター計画に参加、彼のアバターは
ナヴィの森に入る。そこで族長の娘、ネイティリと知り合うのだが。


「タイタニック」以来12年ぶりのジェームズ・キャメロンの劇場用映画。
しかも3Dに主要キャラクターはCGと新技術てんこ盛りだ。
この映画、予告編を見たときにはアバターのキャラクターのブルー色がなじめず、
「アメリカ人と日本人では色彩の感覚が違うのかな?」などと思っていた。
あの青のキャラクターがなんか変と思っていたのは私だけではなかったようだ。
先日、樋口真嗣監督とお会いした際に絶賛なさっていて、「どうせ見るならIMAXで
見たほうがいい」と言われる。調べてみたら日本でこの映画をIMAXで上映して
いるのは109シネマの菖蒲(埼玉)、川崎、名古屋、箕面(大阪)の4つだけ、
そのうち名古屋は名古屋駅の近くだとわかったので、帰省したときに鑑賞。
(チケットはネットで事前予約できるから便利、便利)

ブルーのナヴィはしばらくすると違和感が無くなる。
しかしそのうち「話は主人公が多分ナヴィ側について最後は人間と戦うんだろ?」
と先が読めてしまうし、「画もなんか普通だなあ」と思えてきた。
が、途中ではっと気が付いた。
「普通に見えることがすごいことなのだ!」

今までも「CGも技術が発達していかにもCG、というCGくささが無くなった」と
思ったことは何度もあった。
しかしこの映画はCGを使っていることを忘れさせるのだ。
つまりその日本人に大して「英語が上手ですね」というのはほめ言葉でありながら
ほめ言葉ではない。ほんとに上手でネイティブと区別がつかないならそんなほめ言葉
は使わない。むしろ誉めない。

それと同じことが「アバター」には言える。
ナヴィのキャラクターも、空中に浮かぶハレルヤ・マウンテンも、空飛ぶ鳥のような
バンジーもCGで作り出したようには見えず、本物をそのまま撮影したかのようなのだ。
「CGは質感が無い」とのたまわっていた友人もいたが、この映画に登場する
人物、動物、植物の質感はどうよ!
もう本物に見えてしまうのだ。
だからアフリカかハワイでロケした映画と同じに見える。
しかし実際はあんな森は存在しない。ジェイクを追いかける動物も存在しない。
でも実在のものに見えてしまうのだ。
(また主人公の人間状態の時の足が細い。車いす生活で筋力が落ちているのだろう。
こんなところでさえCGで加工している)

今まではCGで出来るからと言ってありえない、撮ることが出来ない画を
作っていたからかえって不自然さを生んだのだ。
これで「ゴジラ」でも何でも作ったらいい。
「着ぐるみが日本の伝統だ。『ゴジラ』は着ぐるみだからあの質感、存在感が
生まれるのだ」と言っている映画ファンの方がよっぽど保守的だ。

また3Dも「いかにも3D」というカットはなく、ごく自然な感じだ。
さすがにその場にいるような臨場感は感じないが(何しろこっちは座ったままだから)
それでもスクリーンの中のことは、まるでスクリーンが窓になっていてその外で起こっている
ことを見るぐらいの自然な立体感はあった。

つまり声を大にして言いたい!
「アバター」の凄いところは「すごい!」ということを感じさせないのがすごいのだ!

お話の方は、ふーん、「弱者のために戦う主人公」というのは割とありきたりだし
それほどでもないのですが、退屈はしません。
でも2時間半を超える上映時間はちょっと長いかな。
キャメロン監督の偉大なるサービス精神で「あれも見せたい、これも見せたい」という
気持ちの表れだとは思いますが、この長さのおかげでおなかがいっぱいになってしまい
「もう1回見たい」という気にはなれませんでした。



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拳銃無頼帖 抜き射ちの竜


日時 2009年12月31日
場所 DVD
監督 野口博志
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


相手の方を射ち抜く「殺さぬ殺し屋」で有名な抜き射ちの竜こと
剣崎竜二(赤木圭一郎)は麻薬中毒から抜け出し、病院を後にする。
もう拳銃稼業から足を洗うつもりだったが、彼の治療費を払って
くれた男・楊三元(西村晃)に雇われることに。
竜は楊の仕事として怪しげな中国人コック張(藤村有広)のボディーガード
として同じく楊に雇われているコルトの銀(宍戸錠)とともにある取引に向かう。
竜はヤクザな稼業から足を洗いたいと思いつつ回りはそれを許さず
巻き込まれてしまう。

話の方は逆転の意外性などでは「不敵に笑う男」の方が上だが
この「抜き射ちの竜」もキャラクターの面白さでは十分ひけをとらない。

まずは竜を雇う西村晃。
竜を雇うシーンで自分の懐に手を入れてそれを見た竜がつい反射的に
西村晃の手首を撃ってしまうシーン。
まあ手首が撃たれて腕時計が落ちる問うのもご愛嬌だが、「この時計、
お金出せば同じもの買えます、しかし二度と銃を取らないといった
あなたの誓い、もう戻らないね」と日活独特の中国語なまりの日本語
で話されるとそれだけで楽しい。

そして同じく藤村有広。
こちらも怪しげな中国人だが、それにもましてラストの赤木との
対決で中華包丁を振り回しながらの対決はなかなかの見もの。
で、草薙幸二郎。
こちらもなんだか怪しげなトランペット吹き。
この人もやっぱり一癖ある役で楽しませてくれます。

そして忘れちゃいけないのがコルトの銀こと宍戸錠。
赤木に殴られた後、「俺の顔に色をつけたのはお前で3人目だ。
前の二人は墓の下でおネンネしてらあ」というシーンは
錠さんらしいユーモラスでキザなセリフ。かっこいい!!

そしてヒロイン浅丘ルリ子。
ラストの別れで「お待ちするのは少しもつらくないわ」というシーンは日活ならでは
の別れの台詞だ。

映画全体としてはストーリーの面白さがやや足りず(いや日活の他の
アクション映画と比べてももちろん十分水準に達しているのだが)
物足りなさも感じないでもないが、やはり日活らしいお遊びも多く
十分楽しめる。
赤木圭一郎や「拳銃無頼帖シリーズ」を知るにはいい作品。
シリーズ化されるのも納得の第1作だ。



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水爆と深海の怪物


日時 2009年12月30日
場所 DVD
監督 ロバート・ゴードン
特撮 レイ・ハリーハウゼン
製作 1958年(昭和33年)


(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


新型原子力潜水艦が完成。そのテスト航海中に太平洋でなぞの
物体が潜水艦に絡みつく事件が発生。その物体は放射能を浴びていた。
基地に帰って艦についていたその物体の破片を学者に調べてもらうと
それは巨大なタコだという。
海軍関係者も艦長もそんな話は信じない。
しかし太平洋で次々と船が襲われる事件が起こる。生き残った船員たちは
タコに襲われたという。それでも信じる人は少なかったが、やがて
その巨大タコはサンフランシスコに!
金門橋を襲い、フェリー埠頭にも現れた!!


レイ・ハリーハウゼンの怪獣映画。
「空飛ぶ円盤地球を襲撃す」がよかったので期待してみたが、ちょっと
外された。
何よりやっぱり「タコ」って言うのが迫力が無い。
怪獣のほうがいいのだが、そういう知恵も予算も無かったのだろう。

全体的にタコの出番がなく、タコが活躍し始めるのは1時間たってからの
サンフランシスコ上陸のあたりから。
だから最初に原潜がタコに襲われるシーンがあるのだが、艦内からの
ショットばかりで全体のショットが無いのが実に残念。
部分だけでもタコを見せてほしかったですねえ。

また主人公の艦長と女性科学者の恋愛も描かれ正直、この辺はうっとうしい。
その点「空飛ぶ円盤〜」はすでに結婚している設定だからこういう
惚れたはれたがないのがいい。

でもサンフランシスコについてからはやっぱりすばらしい。
特に金門橋に絡みつくシーンは迫力満点。
ここは見所ですねえ。
その後、フェリー埠頭を襲うシーンがあるが、岸壁付近をちょろちょろするだけで
上陸してくれないのが残念。
で、岸壁付近にいたもんだから潜水艦の攻撃を受けて、一巻の終わり。

レイ・ハリーハウゼンの技術は立派だが、やはりタコでは迫力に欠ける。
円谷英二も「ゴジラ」の前にタコが船を襲う映画を企画したらしいが、
映画化されなくて良かったと思う。
やっぱりタコじゃ主役ははれないですよ。



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世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す


日時 2009年12月30日
場所 DVD
監督 フレッド・F・シアーズ
特撮 レイ・ハリーハウゼン
製作 1956年(昭和31年)


(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)



人工衛星の打ち上げを行うマービン博士は新婚の妻とともに
空飛ぶ円盤に遭遇する。自分の目を疑った博士は信じようと
しなかったが、テープレコーダーに偶然にも円盤の音が録音されていた。
新しいロケットの打ち上げ当日、発射基地は円盤によって襲撃されてしまう。
博士と妻以外は全員死亡。事故調査の過程で円盤の襲撃を訴えるが
相手にされない。
マービンは再び円盤と交信を試みる。円盤から連絡があり、指定の時間場所
に出向くと円盤がやってきた!

SF雑誌などで昔のSF映画紹介では必ずと言っていいほど紹介される
この映画。
のっぺらぼうの宇宙人のスチールが紹介されるがこの映画の見どころは
宇宙人ではない。(そののっぺらぼうの宇宙人、ロボットだと思っていたのですが
違うのですね。宇宙人が被っている宇宙服だったのですね)
タイトルの通り円盤だ。
円盤の内周が回転しているのだ。そしてただまっすぐ進むのではなく、
微妙に動きながら進む。
これがかっこいいのだ。

また車の窓越しに円盤が飛んでいるショットなど実に臨場感があふれていて
円盤がそこに飛んでいるような錯覚を覚える。
ラストのワシントンを襲う円盤群など円盤が複数飛んでいるだけでも
かっこいいのに、ビル越しのカットやら、アメリカの議事堂にぶつかる
カット、タワーに追突するカットなど実に見ていて素晴らしい。

この映画の素晴らしさは円盤などの動きだから、スチルにしてしまうと
その素晴らしさが伝わらないのだよ。
これはぜひ動いている画で見ないと良さは解らない。
低予算映画とは思えない素晴らしさ。

ビルが壊れるカットなど日本ならミニチュアでハイスピード撮影だが
お金がかかるということで、ビルの破片をワイヤでつるしてそれが
落ちていくカットをコマ撮りで撮ったそうな。
そっちの方が時間がかかって金がかかりそうな気もするが、日米とも
すごいなあ。

レイ・ハリーハウゼンはホントにアメリカの円谷英二だよ。
今でも生きているので、アメリカの特撮ファンは会えたりするわけだ。
いいなあ。
円谷さんは早くにお亡くなりになりましたから、会ったことのある方は
ホントにもうかつてのスタッフが中心でファンやライターの方は会ったことの
ないのが普通ですから。

兎に角円盤の飛んでいるシーンやビルにぶつかるカットなどため息が出るような
素晴らしさ。
つくづく特撮カットはセンスが必要と改めて思わされる。
今日、すでに2本C級SFを観たので、余計にそう思った。



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双頭の殺人鬼


日時 2009年12月30日
場所 DVD
監督 ジョージ・P・ブレイクストン
   ケネス・G・クレイン
製作 1959年(昭和34年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)



鈴木博士(中村哲)は狂気の科学者で、人体実験を行い、妻のエミコを
怪物化し、弟のケンジをゴリラのような怪物にしてしまった。
富士山のふもとで研究をしていた鈴木博士だが、ケンジは近くの
村を襲って殺人を行う。研究は失敗と仕方なくケンジを撃ち殺す鈴木博士。
そんな時、アメリカ人特派員が鈴木博士を取材に訪れ、博士は新たな
実験材料が見つかったと彼の右肩に新薬の注射をする。
東京に帰ったその特派員は何やら右肩のあたりに違和感を感じながらも
東京に遊びに来たという鈴木博士と芸者だ、温泉だと遊び出す。
やがて仕事もしなくなり、怒りっぽくなっていく。
そしてその特派員の監視を兼ねて鈴木博士の美しい女性助手が一緒に
お風呂に入ったりと誘惑していく。
特派員はどんどんと人間性を失い、欲望に忠実になっていき、
そこへアメリカから妻がやってくるが追い返してしまう。
彼を愛する妻はそんな彼を信じたいという。
やがて東京の街に起こる女性暴行事件!
犯人は凶暴化したその特派員だった!!


製作過程がよくわからないのだが、日本でロケした怪奇映画。
中村哲やジェリー伊藤など映画も話せる日本人俳優が出演している。
まあ日本でなくてもヨーロッパでもアメリカの田舎でも話は通じるのだが
なぜか日本。
このケネス・G・グレインというのは「昆虫怪獣の襲来」もそうだったが
B級ゲテモノ映画専門の監督だったらしい。
そんな彼は東宝の「獣人雪男」のアメリカ再編集版の監督だから何か
縁があったのだろう。
(雪男のような怪人もオープニングに登場するし)

物語はこの後、その特派員の右手に毛が生えだし、右肩には目が出てくる。
この服を脱いで肩を出したときに目が肩についているカットはなかなか衝撃的。
そして主人公の特派員の肩に頭が出てきて双頭の怪物と化すのだが、肩に
肩に頭をのっけているだけのチープさがなんとも言えない。
(元の顔は怪人メイクをしているが)

で富士山のふもとの鈴木博士の研究所に行き、鈴木博士を殺し、なぜか
富士山も爆発を始める。
そしてなんと特派員の体は左右二つに分かれ、毛むくじゃらの獣人雪男
みたいな怪物が登場、博士の助手を殺し、我に返った特派員が
その雪男怪人を溶岩の中に落としてすべては謎のまま事件は解決。

突っ込みどころもありますが、チープな怪奇映画で充分楽しみました。




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昆虫怪獣の襲来


日時 2009年12月30日
場所 DVD
監督 ケネス・G・クレイン
製作 1958年(昭和33年)

(詳しくはインターネットムービー・データベースで)


宇宙時代に向けロケット開発をするアメリカ。
今日も宇宙が生物に与える影響を調べる研究所ではロケットを
打ちあげた。しかしそのロケットは打ち上げに失敗、アフリカ東海岸
に落下した。
事件の数ヵ月後、東アフリカで謎の怪物のうわさが出ているという
新聞記事をみた研究所の博士はロケットに載せていた生物が放射能の
影響で巨大化しているのではないかと心配になる。
そして同僚の博士とアフリカへ!


え〜まあC級映画だ。
出だしはオーソドックスな怪獣映画でいいのだが、アフリカについてから
その怪物が出ているとされる土地まで行きつくのが長い長い。
71分の映画なのに30分はかかっている。
途中、侵入者を許さない部族に襲われるシーンは、何百というアフリカ
の人に追いかけられるて圧巻。まさかこのどう見ても低予算の映画の
ために撮ったわけではあるまいと思っていたら、そのDVDの中に
ある特典の作品解説で「『スタンレー探検記』から借用した」と
あるし、インターネットムービーデータベースではさらに
「『スタンレー探検記』の主演のスペンサー・トレイシーに
似た服を着せた」とある。確かにそうすればロングショットでは
解りませんからねえ。

(ちなみにこのDVDの作品解説、3画面にわたるのだが、1画面目は
「人食いアメーバの恐怖2」の解説になっている。このDVDも低予算の
いい加減さは本映画に引けを取らない)

で、蜂が巨大化したのだが、羽根は大きくなっておらずこの蜂は
飛べずに地面を進むだけ。
巨大蜂の肩(?)ごしに人間や動物が走り去っていくショットは
合成というよりスクリーンプロセス。

では見せ場がないかというとそんなことはなく、途中、その巨大蜂と
大蛇の対決シーンで蛇が蜂に巻きつくシーンはストップモーション・
アニメ(要はコマ撮り)はなかなかのもの。
と言っても時間にして30秒ぐらいですが。

で、結局主人公たちは蜂の巣(と言ってもいわゆる「ハチの巣」ではなく
ただ群れているだけ)を発見、手榴弾で攻撃するが効果なし、
洞窟に追い詰められ、ついには洞窟の入り口を爆破して埋めてしまうという
無茶な作戦にでるが、運よく別の出口が見つかってなんとか助かる。
そしてさっきから噴火し始めた近くの火山が大爆発!
蜂の巣は溶岩にのまれていくという、まるっきりさっきから展開が読める
ラスト。

日本未公開作だし、まあこんなもんでしょう。



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高校大パニック


日時 2009年12月27日21:00〜
場所 銀座シネパトス1
監督 澤田幸弘 石井聰亙
製作 昭和53年(1978年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)



福岡市のある高校。
受験に疲れた高校3年生が建築中のビルから飛び降り自殺した。
翌日、そのクラスの朝のホームルームでは担任教師は何事も
なかったように授業を始めようとした。
そのことに意見を唱えた城野は教師を殴り、学校を飛び出す。
商店街を歩いていると銃砲店が目に付き、置いてあったライフル銃と
弾丸を持ち出してしまう。
銃を持って学校に帰り、教師を撃ち殺す!
城野は学校に立てこもる。警察も出動し必死の説得が試みられる
ついに指揮を執る栗田(青木義朗)はライフル班に射殺命令を下す!


石井聰亙が学生時代に撮った8mm映画を元に日活が再映画化。
当時、映画界も行き詰っており、自主映画の世界から新しい才能を
発掘しようとしていた。
大森一樹も自主映画出身でシナリオの城戸賞に入選し、映画監督
デビューした。
スピルバーグが「ジョーズ」で大ヒットしたもの3年ほど前で
とにかく20代の新しい才能を!という時代だったのだ。
で、パニック映画のブームがあり、その辺をミックスした企画が
この映画だったのだ。
さすがに新人の石井聰亙に監督を全面的まかせることは出来なかった
らしくベテランの澤田監督をサポートにつけた。
(といっても石井監督に言わせると「僕は澤田さんをちょっと
手伝っただけであれは澤田さんの映画」というのが本音らしい。

で、封切り時に高校生だった私は勇んで日活の封切館に見に行ったのだが
あまり面白くなかった覚えがある。
しかし今回30年ぶりに再見したのだが、意外に面白かった。
なぜ当時は面白くなかったのだろう?
多分澤田幸弘監督らの「大人目線」で物語が作られており、高校生だった
自分には「なにかちょっと違う」という間隔がぬぐえなかったのではないか?

映画のほうは銃を盗み学校に立てこもるまでテンポよく進む。
教室から逃げて校内を移動、図書室に立てこもり、屋上の化学室
に移動するなど飽きさせない。

ほとんどが校内なので制作費も安くてすむ。
青木義朗の警察指揮官が結構無茶苦茶な奴で、城野の教室に入るなり
彼のかばんをひっくり返し、ナイフで切り裂く。
弁当もひっくり返して中を点検。
おいおい観客は別に薬とか背後関係はないって知ってるよ。
ちょっと脚本の計算違いも感じたが、警察としては一応疑って見るのも
もっともか。

でもこの青木義朗が飛んでもない奴で、ライフル班に射撃命令を出したは
いいが、肝心のライフル班が人質の女生徒(浅野温子)を殺してしまう。
城野の逮捕後、部下が青木義朗に「女生徒の母親にばれたら恨まれますよ」
と言っても「すべては終わったんだ」と一言で済ませる無茶。
この辺のいい加減さが70年代の映画らしい。
今だったらマスコミがどうとか警察上層部の判断がどうしたとか
いう話になる。
(警察の描き方に関して言えばやはりターニングポイントは
「踊り大捜査線」だろう)

あと大騒ぎの学校に右翼が乗りつけ「日教組が悪い!」と街宣したり、
「走って体を鍛えればこんなことにはならないんだ」と言って野次馬
(泉谷しげる)と喧嘩になるあたりはご愛嬌。
でも城野を説得に行った教師(河原崎長一郎)が説得が失敗して
城野が銃を撃ったときに反射的に「バカヤロウ!お前なんか死んじまえ!」
というあたりは笑っていいのか迷うので、若干脚本の乱れを感じないわけではない。

しかし細かい突っ込みどころはあるものの総じて面白かった。
この映画はもう1回再評価されてもいいのではないか。
そう思った。

あと警察官役で上田耕一が出ていたとは知らなかった。
そしてラスト、撃たれた銃の痕を見るために城野が服を脱がしたときに
浅野温子の胸がはだけるシーンも(昔から)記憶に残っていた。
記して置く。



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大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE


日時 2009年12月27日18:15〜
場所 シネマスクエア東急
監督 坂本浩一

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悪い宇宙人がいて、かつてウルトラマンに倒された怪獣たちを
復活させ、さらにかつて邪悪な心を持ったとして追放され宇宙監獄
に入れられていた悪のウルトラマンが復活する。
M79星雲のウルトラの星に行き、光の元をとめてしまい、ウルトラ
の星は暗黒世界の寸前に!
しかし残ったウルトラマン、ウルトラセブンらは怪獣を操ることが
出来る人間の助けを借りて悪のウルトラマンと対決するのだった。


まずは「大怪獣バトル」というテレビシリーズを見ていないので
設定がよくわからない。
小西博之が隊長のこのシリーズは宇宙を旅しながら、星々で怪獣たちと
遭遇し、その中の隊員の一人が怪獣を操る能力を持ち、その力で
怪獣を倒していく、という内容らしい。
(間違っていたらごめんなさい)
どうやらこのシリーズにはウルトラマンは登場せず、ひたすら
怪獣バトルが中心のようだ。

またウルトラの星が今回危機に陥るのだが、そもそもウルトラの星って
設定が完全に跡付けだから、もう矛盾だらけだ。
大体ハヤタとモロボシ・ダンが一緒の地球にいたら「科学特捜隊」と
「地球防衛軍」とか「MAT」との関係はどうなるのだよ?
さっぱり解らないよ。

でもうとにかく怪獣とウルトラマンがバトルをひたすら繰り返す。
昔怪獣プロレスと言われたことがあったが、まさしくそんな感じ。
僕なんか「ウルトラシリーズ」はウルトラマンが出てくるまでのドラマ
を楽しむクチだから、怪獣バトルばかりではなんかこう白けるばかりなのだ。
もっとも怪獣バトルこそ怪獣映画(テレビも含む)の醍醐味、という方も
いらっしゃいますから、この映画を否定はしませんが。

それにその悪のウルトラマンが牢獄から脱獄、という設定がどこかで
聞いたと思ったら思い出した、「ハリー・ポッター」じゃん。
従って今回もハリーみたいに田舎の星で修行中の(しかも大リーグ養成
ギブスみたいなものをつけている!)ウルトラセブンの息子のウルトラマンゼロ
が呼び出され、ついに対決!
しかも悪い奴を倒したと思ったら、またまた怪獣が合体して身長が1000m
ぐらいあるような奴が出てくるサービス付(だと思う。俺は楽しまなかったけど)

とにかく怪獣バトルが好きな人は楽しめると思いますが、僕みたいな特撮ファン
でも怪獣バトルがそれほど興味のない人には楽しめないでしょうねえ。
まあ話題に登ったときに見ていないと話が出来ないので一応見ましたが。



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日時 2009年12月23日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 田口清隆
製作 平成20年(2008年)

数年前NPOで海外に派遣された自衛官。
かの地で命を落とした仲間のために、NPO参加メンバーだった
我羅衛門博士は肉体強化剤を研究していた。
一方同じメンバーだった豪田は同じく巨大ロボット兵器「ロボ」を
開発していた。
我羅衛門博士は自ら実験として自分の作った新薬を飲むが怪獣「ガラエモン」
になっていまう。
豪田は「ガラエモン」に立ち向かうために「ロボ」を出動させる!


田口監督が映画学校の学生時代から製作を開始して約9年の歳月を
かけて完成した自主怪獣映画。
本編部分は学生時代に学校の教室などを使って撮影し、その後、プロとして
合成の仕事を行う会社で働きながらその会社の機材を使って合成作業をしていった
という執念の作品。
(「クライシス北の国から」はこの間に作った映画ということになる)

特撮シーンはさすがなものだが、カットが短すぎたり、手持ちで揺れている
画面が多いのが難点。
また本編カットでは作戦室のシーンなど斜めのカットが多すぎ、非常に
不快感を感じる。
この斜めのカットに関しては田口監督に聞いたところ実相時作品の影響だそうだ。
なるほど、それも解るのですが、やりすぎるとうるさくなると思います、
個人的な感想ですけど。

また自衛隊がなかなか出動しないので(「相手からの攻撃がないから専守防衛
に反する」ということで)観客のフラストレーションは溜まりっぱなし。
実はガラエモンの薬を狙っている産業スパイが絡んできてそのために
自衛隊の出動が遅くなるのだが、この辺のシナリオが弱い。

「クライシス」もそう思ったが、やっぱりシナリオが弱い。
しかし演出のセンスは確かなので、脚本がしっかりしてくればきっと素晴らしい
映画が出来ると思う。
いい脚本で田口監督作品を早く見てみたいものだ。


あと役者がダメダメとか(自主映画だからこれも仕方ない)あるけど、
今後の田口監督の可能性は感じさせる。
期待する。



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クライシス 北の国から


日時 2009年12月23日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 田口清隆
製作 平成15年(2003年)


第2次世界大戦後、日本の北海道の半分はソ連に占領後、独立国に
なっていた。
その頃、ソ連側による日本人拉致事件が相次いでいた。
日本側の室蘭の町では若者が自警団を結成、海岸警備を始める。
ついに北朝鮮がテポドンを発射!東京の皇居を直撃!
そして謎の武装集団が室蘭の海岸に上陸、自警団と銃撃戦を開始する!!


「長髪大怪獣ゲハラ」で一躍有名になった田口清隆監督作品。
完全な自主映画。
役者は完全に素人でへたくそでシナリオも本来なら国際情勢を踏まえて
まじめにやらなければならない素材だと思うが、ちょっと思いつきすぎる。
映画上映後に田口監督のトークイベントがあったが、「自主映画で人に
見せるつもりでは作らなかった」ということだから、まああんまり
この辺を突っ込むのは酷だろう。

そういう風にいうとなんだかひどい映画のようだがそんなことはない。
この映画の注目すべきは中盤のクライマックスの海岸での銃撃戦だ。
カット割りのセンス、構図のセンス、編集の間合いなど実によく出来ていて
「プライベート・ライアン」なども引けを取らない完成度だ。
ここはすごい!

オープニングに「北宝株式会社10周年作品」と出るが、「北宝」とは
田口監督が中学生のころから仲間と作り始めた自主映画のグループだそうで
実際にその10年目にあたるときに作ったという。
作ったときは「大学の卒業やら就職でみんなが一堂に集まるのは
これが最後かも知れない」という正月に撮影したそうだ。

う〜ん、中学の時から自主映画を撮っていたのか。
田口清隆という男の才能ももちろんだが、田口監督に映画を撮らせてくれる
仲間がいたということがやっぱり凄い。
映画はなかなか一人では作れない。仲間の重要さが改めて認識させられる。

全体としては突っ込みどころもあるのだが、銃撃戦シーンの迫力といい、
これからの田口監督の可能性を感じさせる一編だ。



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イングロリアス・バスターズ


日時 2009年12月22日21:00〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン10
監督 クエンティン・タランティーノ

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第2次大戦下のフランス。今まさにナチが占領し、ユダヤ人狩りを
行っていた。
家族をナチに殺されたショシャナはその後、パリで映画館の館主に
なった。一方連合軍の特殊部隊、通称イングロリアス・バスターズは
アルド・レイン中尉(ブラッド・ピット)を隊長とし、フランスに潜入、
ナチ撲滅のためナチを容赦なくゲリラ戦で殺していった。
そんなのとき、ショシャナに惚れたドイツ軍の英雄的兵士が自分の活躍を
描いた映画「国家の誇り」のプレミア上映をショシャナの映画館で
上映するよう進言。そしてその上映会にはヒットラーも出席することに。
ショシャナは自分の復讐の絶好の機会を得て、可燃性フィルムを使って
映画館もろともナチを爆破することを計画。
一方、その上映会の情報を察知した連合軍は、ドイツ映画に詳しい兵士を
フランスに派遣、イングロリアス・バスターズとともに映画館爆破計画
を開始する!!


最近は製作に回ることも多いタランティーノ監督作品。
公開終了寸前に見たのだが(23日から「アバター」が始まる)見てよかった。
タランティーノらしくブラッド・ピットたちが殺したドイツ兵の頭の皮を
剥ぐシーンが、ちょっとグロで自分としてはいやだったが、あとは最高級に
面白い。

しかしこの映画、意外と低予算ではないか?
アリステア・マクリーン原作の特攻作戦ばりのアウトラインなのだが、肝心の
ブラッド・ピットはあまり活躍しない。
その辺がちょっとはずすタランティーノらしさかも。

それにしてもこの映画はねちっこい。
第1章でショシャナの家族が殺されるエピソード。
ナチハンターのドイツ将校がやってきて、彼らをかくまっているフランス人
農夫をネチネチと言葉は柔らかにいたぶる、いたぶる。

そして究極はフランスに潜入した連合軍兵士はバスターズとともにドイツの
協力者である女優で打ち合わせをするシーン。
誰もドイツ兵がいないはずだったのに、今夜に限ってドイツ兵が数人。
潜入した連合軍兵士のドイツ語を怪しいと感じたドイツ兵やゲシュタポを
なんとかのらりくらりとかわそうとするのだが、なかなか立ち去ってくれない
ドイツ兵。
こちらの緊張感はピークに達する。すごい!

そしてラストの映画館爆破作戦。
こちらも肝心な時に邪魔が入る入る。
もうクルーゾーの「悪魔のような女」や「恐怖の報酬」のようなネチネチした
サスペンスだ。
「さあ爆破!」という時に映写室にドイツ兵が入ってきたり、肝心な時に捕まって
しまうブラッド・ピットたち。

ヒットラーも死ぬけど歴史的に違う言う批判もあるかも知れないけど「実は
影武者だった」などという説明はなし。でもそれでいいと思う。

俳優ではナチハンターのランダ大佐役、クリストフ・ヴァルツが印象的。
実にいい。
またラストのブラッド・ピットが彼にすることも最高ですね。

それにしても映画館で映画フィルムを使ってナチをせん滅させるとは、やっぱり
これはタランティーノの「ニューシネマパラダイス」なんでしょうね、パンフレット
には元ネタ映画の紹介の中に入っていないようですが。



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恋と太陽とギャング


日時 2009年12月20日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 石井輝男
製作 昭和37年(1962年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


網走から帰ったばかりの石浜(高倉健)は女房の母(清川虹子)から
あるキャバレーで開催される日本の市場調査のため外国人経営のカジノの
売り上げを強奪する計画を持ちかけられる。
しかし同じことを常田(丹波哲郎)も計画していて、常田は石浜たちと
組むことに。
キャバレーのボーイや、停電をさせるための電気職人(由利徹)や
腕の立つ悪党衆木(江原慎二郎)、川岸(曽根晴美)を雇う。
常田は自分の情婦・ルミを使って中国人・黄(三島雅夫)から軍資金を
引き出すが、この計画に黄は気づいてしまう。
そして衆木や川岸もその金を独り占めしようと企むのだったが。


石井輝男のギャングシリーズの一本。
面白い。
悪党たちが計画を立て、仲間が集まり、実行、トラブルの発生、仲間割れと
どんどん展開し、全く飽きない。
テンポもよく、みんな自分だけの物にしようと裏切ったり裏をかいたりで
面白いのだなあ。

そして後半は江原慎二郎が雇ったヘリコプターのパイロット(千葉真一)を
使って島に逃げるが、敵が追っかけてくる。
この島には千葉真一の盲目の妹が住んでいるのだが、銃撃戦になって二人は
島から脱出。
こんな悪党どもに嫌気が差している千葉真一は妹から「この袋(金が入っている)は
なあに?またヘリから撒くビラが入っているの?」と聞かれて「そうだ、威勢良く
撒いてやれ!」となって妹はビラを海に撒いてしまう。

元ネタは「現金に体を張れ!」かも知れないが、思わす「はへ!?もったいない」
と心の中で思ってしまった私はつくづく卑しい。

出演は健さんも丹波先生もいいのだが、ここは江原慎二郎。
「ふへへへへ」と不気味に笑う姿はなんとも気持ち悪い。
ホームドラマのパパやら「戦争と人間」の画家役も記憶に残るが、こういった
狂気的な役も捨てがたい。
なかなか味のある役者さんだと再認識。



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照準の彼方


日時 2009年12月20日
製作 昭和51年(1976年)


ケン、ゴロー、レオの3人は今は殺し屋。今日も殺しを請け負い、
大物ヤクザを殺したところだった。
彼らの雇い主は実は警視庁。防犯部特務課が「防犯のため」という目的で
警察には出来ない殺しを外部の殺し屋を使って行っているのだった。
今回の殺しでケンは現場でライフルの薬きょうを落とすミスをした。
そのことから警察が殺し屋を雇っているという実態がばれるのを恐れた
特務課はケンたち3人を新しい殺し屋に殺させることに。
自分たちの立場を察したケンたちは新しい殺し屋との対決を決意するのだった。


日芸映画学科の学生が卒業製作に作ったらしいガンアクション映画。

「警視庁には防犯部特務課という防犯のための特別の任務を行う部署という
謎の部署がある」というナレーションから始まる。
ヤクザ対ギャングみたいな単純ではない設定にまずは感心。
やっぱりただの殺し屋が通用したのは宍戸錠の時代までですよ。
(それにしたって「紅の拳銃」では「殺し屋製造」という設定を作りだして
いたのだ)
これは後の「ゴジラ×メカゴジラ」の特自みたいな気がする。

全体的にテンポがイマイチだし、役者が素人で華がなく、脇役にしたって
素人感バリバリで映画全体としては魅力が少ない。
編集は素人の私が見ても不要に感じられるカットがあり、今再編集したら
少しは違うと思う。
あとは今も書いたけど役者だな。
これが多少なりとも有名な役者が出ていれば、もともと話は面白いのだし
もっといい映画になったと思う。

しかしこの監督の銃に対する愛着が感じられ、その辺は大いに楽しめる。
最初のビルの屋上での殺しでライフルにスコープをつける、落とした薬莢が
致命的になる、出かけるときにはホルスターに銃を入れ(その銃だって
薬室に弾を込め素早く発射出来るようにするのだ!)、回想シーンでの
最初の銃撃戦で相手がリボルバーの拳銃に弾を込め直す、などなど
監督への銃器へのこだわり、愛着が感じられる。

稚拙なところも多少あるが(役者や編集など)それにしても「殺し屋対殺し屋」
の話の設定が面白く、映画全体としては好きになれる作品だ。
面白かった。



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好色元禄(秘)物語


日時 2009年12月18日21:00〜
場所 銀座シネパトス1
監督 関本郁夫
製作 昭和50年(1975年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)



京都のお寺の住職(汐路章)の妾のお夏(ひし美ゆり子)は一方で呉服屋の若旦那
世之介と結婚の約束をする。住職に子供が出来たと嘘を言って別れたお夏だったが
世之介は別の女と結婚してしまう。
それを知ったお夏に想いを寄せる寺の小僧は初夜の晩にその床に蛇を投げ込む。
一方お夏の妹、お七は夫(川谷拓三)に売られてしまい、それを知って夫を
殺してしまう。
罪の意識にさいなまれたお七は男百人切りに挑むのだったが。


銀座シネパトスのレイトショーのひし美ゆり子特集での上映。
ニュープリントだったが、これが噂のひし美さんが自腹を切って東映に
ニュープリントを作らせたプリントだろう。
東映の添え物ポルノ映画だから、話の途中でお夏が薬屋の旦那(名和宏)とも出来て
いて、旦那が別の女(窪園千枝子)との一戦の絵を絵師(笑福亭鶴光)に描かせる
シーンでは女が潮を大量に吹き出すシーンはお笑いサービスシーンだ。

あと世之介の初夜のシーンで蛇が床に入ってきて、女性器に蛇の頭が入って
女がよがる、というのも気持ち悪いような爆笑のような不思議な面白さが
あるシーンだ。

男と寝ることによって這い上がろうとするお夏と男と寝ることで罪を償おう
とする妹の話が対照的。
「トルコ渡り鳥」もそうだったが、たくましく生きていく女性像は関本監督の
女性観だと思うが、私もそういう話が好きだ。
悲惨な女性の話より、こういうパワフルな話の方が面白い。

あと住職のもとにいた寺の小僧にラスト女を教えてやるシーンがあるが、
この小坊主を演じた山田政直、出演映画はこれだけらしいが、お夏に対する想いが
よく出ていてなかなかの好演だったと思う。

この日はひし美ゆり子さんのトークイベント付き。
トーク後もお客さんと一緒に映画をご覧になり、上映後、客席からお客さんに
「ありがとうございました!」とごあいさつなさるひし美さんは本当にうれしそうで
見ているこちらもなんだか嬉しくなりました。



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2012


日時 2009年12月17日21:10〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン1
監督 ローランド・エメリッヒ

(公式HPへ)


地質学者のエイドリアン(キウェテル・イジョフォー)はニュートリノ
の観測から地球の内部で変動が起こっており、数年後に地殻の大変動を察知する。
一方で売れない作家のジャクソンは別れた妻と暮らす娘と息子を連れてキャンプに。
しかしそこで見たのは干上がった池だった。
そこにいたミニラジオ放送をしている男から今、世界各国の要人と金持ちは
地球滅亡に備えての脱出計画を進行させていると聞く。
半信半疑だったジャクソンだが、ロサンゼルスでは大地震が始まる。
妻と子供たちを連れて脱出を図るジャクソンだったが。

地球破壊のデザスタームービーの最近の第1人者、ローランド・エメリッヒの
新作。
大地震に襲われる予告編は何度も見たが、なぜそういった災害が起こるか
知らなかった(というか事前知識を仕入れなかった)のだが、見ていてこれは
「日本沈没」ならぬ「世界全部沈没」だったのだ。
地殻変動で大地震と大津波ってもう「日本沈没」の世界じゃないですが。
それが世界的規模で起こるんだからすごいですねえ。

田所博士みたいな立場の科学者が出てきて、一方で一市民の避難を描く。
「デイ・アフター・トモロー」のとき、市民の立場だけが登場して
やや物足りなさも感じたが、今回は世界各国の首脳が登場。
やはりこうならないと。

しかしジャクソンたちが車で大地震に見舞われるロサンゼルスを逃げまどう
シーンははっきり言ってギャグに見えた。
通り過ぎた直後からどんどん街が壊れていき、落ちてくる車をよけながら
行くのはどうもギャグだ。
そのあとの空港での発進シーンもそう。

でまた飛行機の発進も小型機から大型機になったりの変化はあるものの、
基本的には「滑走路が崩れつつもなんとか離陸する」というのは同じだから
正直おんなじようなネタで飽きるのだな。
この辺が良くできているだけに残念。

でなんとか生き残りの船がある中国のチベットに到着。
(ここが選ばれたのはヒマラヤ山脈という世界で一番高いところだからだろうか?)
しかしここから脚本が迷走する。

主人公たちが助かりたい一心で船に侵入するのだが、そのせいで船の扉が
閉まらなくなり、先に船に乗っている人たちが窮地に陥る。
そりゃ自分たちだけ助かろうとする金持ちと政治家もいかがなものかと思うが、
主人公たちの行動のために、船に乗っている人々全員が窮地に陥るのだから
主人公たちが「悪い奴」に見えてしまうのだな。
この辺の船の出港トラブルのあたりははっきり言っていらない。カットすべき。
第一2時間半以上は長すぎるよ。

また外のデッキにいる人々を船に入れるかどうかで博士が延々と演説するシーンも
いらないなあ。
長々と語ってる暇があったら早く扉をあけろよと言いたくなる。

しかしそういう不満はあるものの、デザスタームービーとしては十分楽しんだ。
それにしても船の建造基地が中国、主人公と行動を共にする大金持ちが
ロシア系、ローマ法王を抱くイタリアの首相は残るとか、じゃアフリカの立場はと
思ったら、大災害後の地殻変動で、世界で一番高い山は南アフリカになったとか
世界各国に気配りがしてある構成はちょっとほほえましい。




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拳銃(コルト)は俺のパスポート


日時 2009年12月13日
場所 DVD
監督 野村孝
製作 昭和42年(1967年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)



大田原組は対立する島津組の組長(嵐寛寿郎)の暗殺を殺し屋の
上村(宍戸錠)に依頼する。しかも期日は島津が海外に出かける明日まで。
常にボディーガードに守られ、車や会社の窓はすべて防弾という島津を
殺すのは用意ではない。
しかし大田原と会う瞬間、料亭の庭を歩く島津を上村は近くのマンションの
一室からライフルで暗殺する。
しかし島津組も親分を殺され黙っているわけではない。
上村とその弟分の塩崎(ジェリー藤尾)を狙いだす。
その上島津の二代目(杉良太郎)は大田原組と手打ちをし、大田原組も
上村たちを狙いだす!


宍戸錠主演の殺し屋ものの最高傑作!
「最も危険な遊戯」の元ネタともいえるのではないか?
宍戸錠がひたすらかっこいい。

スリーピースのスーツを着こなし、ひたすら決まっている。
松田優作が革ジャンにジーンズというスタイルの殺し屋だったが、錠は
まさに大人の風格。

金払いはよく、一度狙撃に使ったライフルは「殺した相手の体に残った
指紋を消すため」という理由で躊躇なく処分する。
トラックに乗せてもらうときも値切ったりせずに札束を渡す。
またその弟分の塩崎も車の改造を頼んだ修理工場に「つりはいらない」
と気前よく金を渡す。

そうそうプロの殺し屋は金をケチらないものなのだ。
それが昔のアクション映画では当たり前だった。
狙ってきた殺し屋(草薙幸次郎)を相手の裏をかいてダンプで車ごと海へ
放り込む。
(このシーンでその前に波止場にタクシーがやってきて「来たか!」と
思わせてただ運転手が小便に来ただけというフェイクをする演出のかっこよさ)

車のブレーキを増やした、という説明を先にしておいてそれをどう使うか見せる。
まるで007の秘密兵器を見ているかのよう。
(ひょっとしたら「ゴールドフィンガー」のアストンマーチンのアイデアを
いただいたのかも知れない)

そして一時期「渚モーテル」に隠れるが、そのモーテルの女給(小林千登勢)が
薄幸で「ここではないどこかへ」に憧れる様はまさに日活アクションの
ポリシーともいえる。

そして大田原組、島津組二代目、金で寝返った裏街道の実力者(内田朝雄)たちが
乗ったベンツと朝の埋立地での対決!
前の晩に錠が作っていた仕掛けは一体何か?
粋な対決のラストには拍手喝さいだ!

まさしく宍戸錠の代表作であり、日活アクションの傑作の一つだ!



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手紙


日時 2009年12月12日 
場所 DVD
監督 生野滋朗
製作 平成18年(2006年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


解体工場で働く武島直貴(山田孝之)は兄(玉山鉄二)が強盗殺人で
無期懲役囚として服役中だった。
二人に両親はなく、兄にとっては弟のみが手紙を交わせる肉親だった。
直貴は今までに殺人犯の弟としてアパートを追い出されたり職場を首に
なったりしてきた。
そんな直貴に好意を寄せる女性、由美子(沢尻エリカ)が現れる。
直貴には中学からの同級生でお笑いコンビを目指す祐輔(尾上寛之)がいた。
工場の先輩に励まされ、直貴は祐輔と組んでお笑いコンビとして人気が
出始めるのだったが。


東野圭吾原作の映画化。
封切り時、ユナイテッドシネマとしまえんでポスターとか見かけてみようと
思ったのだが、時間が合わなくて観れなかった記憶がある。

話は主に4つのパートに分かれる。
第1部は工場での生活。ここで希望もない日々を送っていたが、やがて
先輩(田中要次)の「夢は簡単にあきらめるなよ」の言葉に従い
お笑いコンビとして再出発するまでや由美子との出会い。
第2部はお笑いコンビとして成功しかけ、やがてテレビにも出演が始まり、
大企業の専務(風間杜夫)の娘との恋愛、しかしネットの書き込みにより
周りへの迷惑を恐れてコンビ解消、そして令嬢との恋愛も親の反対により
破局。
第3部は家電量販店に就職し、売り場で頑張るがまたまた兄の件が知られて
配送センターに左遷。しかし由美子の献身的な支えがやっと通じ彼女と結婚を決意。

由美子は家電量販店の会社の会長に手紙を書き、「今回のことは不当だ」
と訴える。
会長は配送センターで直貴と面談。
「君はいわれのない差別だと思うが、それが人間の真理だ。ただそれを
支えてくれる人がいる。その糸を太くするように」とのアドバイスを
受ける。
正直、この会長(杉浦直樹)がいい人すぎて結論を言ってしまい、ちょっと
あざとい気がする。
正直、由美子と結婚して「これから直貴は由美子に支えられて生きていきました。
めでたしめでたし」で終わるかと思ったら、終わらない。
これから涙の第4部が始まるのだ。

数年たち結婚して子供も出来、一見平和な日々を送る直貴と由美子。
しかし世間の偏見は終わらない。
やがて娘は友だちから遠ざけられていく。
直貴は兄に「縁を切る」という手紙を書き、兄が殺した遺族に謝りに行く。
その遺族が吹越満。
「君の兄から謝罪の手紙が月に1回届いた。正直言って迷惑だった。
しかし弟にも縁を切るという手紙が来て、もう存在自体が迷惑だと思いますので
あなたにも手紙は書きませんという手紙が来た」と話す。
この時の吹越が実にいい。
杉浦直樹と並んでこの映画を脇で支えている。

そして今はピン芸人として活躍する祐輔の誘いもあって1日だけのコンビ再結成。
千葉刑務所へ行き、兄の前で漫才をするという涙のエンディング。
正直、あざとい、展開だなあと思いつつ、泣いた。
後半に小田和正の歌が流れ、「過剰演出だなあ」と思いつつ泣いた。

そうふうに過剰演出が目立つものの、総じていい映画だったと思う。



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グリーンマイル


日時 2009年12月6日
場所 TUTAYAレンタルDVD
監督 フランク・ダラボン

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ある老人ホームでポールはフレッドアステアの映画「トップハット」を
見て涙する。
同じホームの老婦人がその理由をたずねると、60年前の1935年、
ポール(トム・ハンクス)が、刑務所で死刑囚の刑務官をしていた頃
の体験を話し出す。


「ショーシャンクの空に」をみて同じく刑務所もので最近では有名な
「グリーンマイル」も見る。(3時間の大作だ)
ポールの話は刑務官をしていた当時、ジョン・コーフィという黒人の
大男が死刑囚としてやってくる。
おとなしい男だったが、姉妹をふたり殺した容疑だった。
実はコーフィは病気を治す不思議な力があり、ポールの尿道炎や囚人仲間
がかわいがっていたネズミ、所長の妻の脳腫瘍なども完治させていく。

映画は同時に州知事の甥の新人刑務官パーシーが囚人をいじめまくったり、
死刑をやってみたいと勝手なことを申し出たりするわがままぶり、そして
途中から刑務所にやってくる凶悪犯・ウォートンらのエピソードを
交えながら進行する。

で、最後はコーフィの不思議な力でポールはコーフィの犯した姉妹殺しの
犯人はっ実はウォートンだったと示される。
コーフィの無実を信じるポールだったが、結局は死刑にしてしまうとという展開。

病気を治す力がある男が登場するとなんだかファンタジックな話のようだが
最後には冤罪で死刑になってしまうから、冤罪とか死刑とか、ファンタジーとか
いろんな要素が詰まっている映画に見える。
いろんな要素があるから面白いともいえるが、詰め込みすぎでどれかに絞って
欲しかったとも言える。
でもコーフィの死でそれなりに感動したのだから、映画としてはうまくまとまって
いたのだろう。

しかし個人的にはテーマというか素材は絞って欲しかった気がします。
まとまりが悪いからではなく、観終わって「何がテーマだったんだろう?」と
疑問に持ってしまうので、自分の中で消化不良感を持ってしまう。

悪い映画ではないと思いますが、なんだか盛りだくさん過ぎてどういう映画を
観たかうまく言えない映画、という不思議な位置の映画になってしまってますね、
僕にとっては。



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善き人のためのソナタ


日時 2009年12月5日14:30〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ベルリンの壁がまだ崩壊していなかった1984年。
東ドイツの国家保安省の監視員ヴィースラー大尉は劇作家のドライマンの
とその恋人の女優の監視を命じられる。
大臣の本音はドライマンの尻尾をつかみ、女優を自分の女にすることのようだ
国家に忠実なヴィースラー大尉は早速部下とドライマンの部屋に盗聴器を
仕掛け、部下と昼夜交代で監視を始めるのだが。


世界各国の映画祭で賞を取りまくったという評判のドイツ映画。
公開当時も見ようと思っていて見逃していたのだが、このたびグリソムギャングで
上映があり、拝見。

監視して本来ならドライマンの反体制的な面を発見するのがヴィースラー大尉の
仕事のはずだが、徐々に見逃すようになる。
その辺の心境の変化がなぜ起こったのか、僕にはちょっとピンと来ない部分が
あり、それでこの映画の世界に入りきれない部分があった。

ドライマンは「反体制的」と判断され仕事が干されている旧知の演出家が
自殺したのをきっかけにして西側の雑誌に「東ドイツにおける自殺者の実態」
という文章を書く。
もちろんタイプライターで打つのだが、原稿の文字のタイプの活字から
誰が書いたかの証拠にされてしまうので、仲間から「この原稿を打つときの
専用タイプ」を渡され、それを部屋のある場所に隠す。
ドライマンと同棲している女優はその場所を知っているわけで、大臣の
誘いになびかなかった女優は大臣の反感を買って逮捕される。
尋問にはヴィースラーがあたり、女優はついにそのタイプライターの場所を
言ってしまう。
ヴィースラーは捜索隊の本隊よりもその現場に一足先に駆けつけ、タイプライターを
自分の車に隠してしまう。
捜索隊本隊は女優を現場につれてきて家宅捜索をするのだが、女優は自分の
したことを後悔し、道路に飛び出し車にはねられてしまう。

正直、ここで映画は終わってあとはエンディングになるかと思ったら
まだ続く。

数ヶ月経ってヴィースラーは閑職に追いやられてしまい、その数年後、
ベルリンの壁は崩壊。また数年後、情報公開がされている時代になりドライマンは
自分は監視されていたのかを調べて見る。
そしたら自分を監視していた調書が見つかり、驚き、しかし報告者の暗号名から
その人物が自分を見逃してくれていたのだと知る。
また数年後、監視されていた時代のことを書いたであろう小説を書く。
今は郵便配達人となったヴィースラーがそのドライマンの新刊を見かけ、
手にとって見ると「○○○に捧ぐ」と自分の暗号名が書かれているのを知る。

思わずレジに向かったヴィースラーだが、店員に「ギフト包装しますか?」
と聞かれ「いや、これは私のための本だ」という粋なセリフをはく。
でクレジット。

このセリフだけでこの映画は存在する価値があると思う。
僕にとっては「マルタの鷹」のラストのボガートのセリフ「夢が詰まっているのさ」
に匹敵する印象的なセリフだった。
案外このラストのセリフを一番最初に思いついて物語を作っていったのかも知れない。
そんな気さえした。



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