2010年5月

彗星まち おじさん天国 グリーン・ゾーン
LINE アヒルの子 十七歳 クロッシング
かえるのうた たまもの いくつになっても男と女 渚のシンドバッド
二十才の微熱 シャッターアイランド 六人の女を殺した男 サラリーマン目白三平
女房の顔の巻
馬と人妻の痴態 尼寺の恥部
見られた御不浄
月に囚われた男 旅愁の都

彗星まち


日時 2010年5月30日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 今岡信治
製作 平成7年(1995年)

(詳しくは日本映画データベースで)
(原題:「獣たちの性宴 イクときいっしょ」)


クスオは同棲して500回セックスをした女に出て行かれる。
相手は結婚しているが、サラ金の借金を抱えている中年男。
ペットショップで働くが、そこで動物を見ていた女性と知り合う。
ある日、河原で浮浪者らしき男の死体を見つける。
やがてクスオはその死体を河原で女たちと燃やす。


今岡信治(いまおかしんじ)監督第1回作品。
いや正直言ってまいった。
よくて参ったのではなく、全く面白くないのだよ。
何やら抽象的な展開を見せ(死体の登場とか)さらに画に力が
全くない。
まるで学生の自主映画を見ているようなのだ。

今まで数週間いまおか作品をDVDで見ていったのだが「おじさん天国」
と同じで最初にこれを観なくて本当に良かったと思う。
この映画を初めに観ていたらそれ以降、いまおか作品を観る気に
ならなかったかも知れない。

ハレー彗星の来る年には悪いことが起きる、ということがこの映画の
タイトルの由来。
この映画の公開された1995年は「阪神淡路大震災」や「オウム真理教事件」
もあり、ノストラダムスの大予言の1999年も近づいていた。
世紀末の閉塞したムードを考えれば何か違ったものが見えるかも知れんが
もう一度見させるパワーをこの映画には感じられない。

第1回監督作品というとその監督作品の原点を感じることが多いが、
この映画にはそれは感じない。
こじつけて観れば死体を河原で燃やすシーンがあるが、これが「白日夢」
の幻想の海岸での死体を燃やすシーンにちょっとダブる気がするが
多分偶然だろう。

「おじさん天国」も面白くなかったが、あちらはまだシーンとしては
面白いところもあった。
(イカ墨のお風呂とか、閻魔大王のいるラブホテルとか)
しかしこの映画にはそういうシーンも特にない。
ちょっと意外な今岡信治第1回監督作品だった。



(このページのトップへ)




おじさん天国


日時 2010年5月30日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 いまおかしんじ
製作 平成18年(2006年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ハルオ(吉岡睦雄)は水産会社に勤めて同僚のリカと付き合っていた。
ある日おじさんの高山たかし(下元史朗)が居候しはじめる。
おじさんは眠ると怖い夢をみるため眠ることが出来ない。
そのためいつもオロナミンCを飲んでいた。

うわっ。
なんだかよくわからない映画に出会ってしまった。
ハルオはイカ釣りが趣味でよく防波堤で釣りをしているが、いつかは
大王イカと呼ばれる巨大イカを釣るのが夢。
それはいいのだが、ハルオが風呂に入ってるとその風呂がいか墨で
真っ黒で巨大なイカの足が襲ってきたり、ハルオの同僚(実は
シナリオ本を読んでリカはこの男と付き合っていたことを知った)が
突然巨大なクモに刺されて死んでしまったりでよくわからない。

おじさんもセックスした相手の体に赤マジックで自分の名前を
書く癖があったりで、そしてしまいには自分の神社でしごいて
それを蛇にかけたもんだから、蛇にあそこを噛まれて死んでしまう。
この辺はばかばかしくて笑った。

そして睦雄たちが警察に行く途中でイカが道に置いてあるのを
見つけてそれを追いかけていくとラブホテルがあってそれが地獄
という設定。
掃除をしていたお兄さんがエンマ大王となるのだ。
リカが「お願いがあるんですが」というとエンマ大王が
「フェラチオしてくれたらいいよ」というあたりは笑った。

兎に角シュール、というかハチャメチャな設定で笑い飛ばさせば
いいのだが、意味不明で混乱させられるシーンも多く、正直
好きになれない映画だった。

これがいまおか作品で最初に見た映画にならなくて本当に良かった。
これを最初に見ていたら今ほどいまおか作品を好きにならなかった
かも知れない。



(このページのトップへ)




グリーン・ゾーン


日時 2010年5月29日19:10〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン4
監督 ポール・グリーングラス

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)



2003年イラク戦争は「イラクは大量破壊兵器を持っていてそれを
テロに使う」というアメリカの一方的な主張によって開始。
空爆により首都バクダッドを破壊し、アメリカ軍の駐留地域を安全地帯
「グリーン・ゾーン」と呼んでいた。
ロイ・ミラー上級准尉(マット・デイモン)は情報部の情報に従って
大量破壊兵器を探す現場の隊長。
しかし度重なる空ぶりで情報部に対して不信感を抱く。
そんな時、フレディというイラク人が「政府の要人たちがその先の
家で会合を行っている」と言ってきた。
ミラーはその言葉に従い、命令にはない行動に出る。


最近増えてきたイラク戦争もの。
例の大量破壊兵器はアメリカのねつ造だったという欺瞞を暴く映画だ。

しかしあまり気に入らない。
まず撮影方法。
手持ちカメラを駆使して全編揺れた画面を作りだす。
「ハートロッカー」もそうだったが、手持ちカメラで画面を揺らせば
臨場感が出ていいと思っているのか?
戦闘シーンだけでなく、普通の会話のシーンも手持ちカメラで
動かしまくるからこっちは見づらいことこの上ない。
最近はこういう揺れる画は船酔いに似た気持ち悪さが来るのだよ。
歳のせいなのかなあ??
「クローバーフィールド」以降、兎に角画が揺れる映画は駄目なのだよ。

臨場感満点だった大好きな「ブラックホーク・ダウン」をDVDで観直して
見たが全然違う。
基本的にカメラは固定でハンディカメラを使っての揺れる映像は限定的だ。
それにハンディカメラ以上に遠近感を大切にしており、実に奥行きの
ある映像を作りだしている。

そして大量破壊兵器疑惑は国防総省情報部が開戦前にイラク要人と会談して
破壊兵器はないことは知っていたのに「ある」と報告し開戦に至ったと
言う真実にミラーは辿り着く。
で、ラストはそれを暴いた文書をマスコミ各社に送りつける、ということで
終わる。

アメリカ映画らしいヒーローものでラストという実に悪く言えばオメデタイ
映画。
ミラーも最後はつぶされるぐらいのエンディングでもよかったのではないか?
その辺がハリウッド映画の弱さを感じる。



(このページのトップへ)




LINE


日時 2010年5月28日21:10〜
場所 ポレポレ東中野
監督 小谷忠典
製作 平成20年(2008年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)


小谷忠典は大阪市大正区の生まれ。
父は20年ほど前に父はノックアウト強盗にあって死にかけたことがある。
大正区には沖縄出身者が多く、監督は沖縄に向かう。
そこで娼婦たちの裸を撮り続ける。

なんで見たかというと上映後にいまおか監督のトークイベントがあったから。
それと「アヒルの子」を観た人は半券を提示すると1000円だと聞いたから。
何の予備知識もなく見る。

あのね。こういうのはさっぱり私の心には引っかからないよ。
まず隠し撮りとかで明かりが全くないところで撮影しているため
画は見づらいし、音声は聞き取りづらい。
何を話しているかさっぱりわからないシーンもある。

まず映画の前提もよくわからないまま、沖縄に行って娼婦の裸、それも
美しくもなんともない、三段腹や傷のある体だ。
場末感いっぱいでもうたまらなくなる。
52分の上映時間だから助かったけど、これ以上長かったら苦痛だったろうなあ。

上映後、監督といまおか監督のトークイベントあり。
でもなにか盛り上がらない。
終了後、監督がパンフレットなどにサインに応じていたが、並んでいる人は
いなかった。
私もパンフを買ったけど(観た映画はパンフが売っていれば買う主義なので)
サインはいらない。

「アヒルの子」と連動しての上映だが、「アヒルの子」は10時からと18時50分
からの1日2回上映、この「LINE」はレイトで1日1回。
この辺からも作品としての見る価値は「アヒルの子」の方が上、と配給も
考えているのが見えてくるように思える。



(このページのトップへ)




アヒルの子


日時 2010年5月28日18:50〜
場所 ポレポレ東中野
監督 小野さやか
製作 平成17年(2005年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)


小野さやかは愛媛県出身の映画学校の学生。
彼女は自分の家族に愛されていないと思い込んでいて、家族にそれを
確認しないと気が済まなくなり、それを映画にすることに。
彼女の家族は父母、長兄、次兄、姉、自分、おばあちゃんの7人家族だ。
まずは家族のなかで一番好きだった次兄に自分が好きだったことを
打ち明ける。

なんでこういう映画を見に行ったかと言うと、上映後にいまおかしんじ監督と
小野さやか監督のトークイベントがあるから。
要するにいまおか監督目当てで行き、映画のことは何にも知らずに見に行った。

正直、いただけない映画。
「自分は親に捨てられた経験を持つ。自分は兄に性的虐待を受けた」という
被害者意識の塊で、これが監督が違う他者を追って行くなら冷静に彼女を
見る視点が存在するだろうが、完全に自分の視点でしか見ていない。
簡単に言うなら単なる「愚痴」だ。
「私はこんなに不幸だった!家族に復讐してやる」的な復讐心の塊で
家族にぶち当たっていく。

映画内で登場する小野さやか、映画を作っている本人にしてみれば重要な
ことなのだろうが、見ているこっちには他人の「愚痴」でしかない。
そんなの金とって見せるのもじゃない。

兄に性的虐待を受けたというのは風呂上りに兄にキスされて陰部をなめられた
という話。それはとても不幸なことだったと思うけど、それを映画の中で
言われた兄はたまったもんじゃない。
兄の結婚とかに影響しないだろうか心配になる。

また両親を夜中にたたき起してその「捨てられた話」になる。
ヤマギシ会幼年部に入れられたという話なのだが、最初は金銭的な事情で
施設に入れたのかと思ったが、大違い。
「幸福会ヤマギシ会」という農業や畜産を営み自営していく共同体があり
その幼年部という5歳児を共同生活させる施設に入れたという話。
親にしてみれば捨てたわけではなく、そういう自然の中で共同生活を
経験させることが子供の将来に役に立つ、と信じて入れたわけだ。

親との対決のシーンでも「あの施設に入れたことがトラウマになって
捨てられたと思われていたなんてショックだ」と父が語るが、その気持ちは
実によくわかる。

監督と同世代の方がご覧になれば共感できる部分もあって映画をみて
感じるものがあるかも知れないが、私にとってはさっきも言ったけど
単なる学生の愚痴。金をとって見せるもんじゃない。
でも映画としてはよくまとまっていると思う。
相手の迷惑考えず突撃していく手法はなんだか「ゆきゆきて神軍」を
思い出させるし、家族否定の気持ちが最後には両親と和解するという
主人公の成長物語で映画としてまとまっている。

上映後、ロビーにいた監督がパンフレットにサインなぞをしている。
「映画としてはよくまとまっているのだが、あなたの問題で
金とって見せるもんじゃない」と言っておいた。
監督にとっては意外な意見だったらしい。

トークイベントの最後で「やってみたい企画が2本あってそのうちの
一つがヤマギシ会」と言っていた。
その映画は見てみたいと思う。



(このページのトップへ)




十七歳


日時 2010年5月26日
場所 DVD
監督 今関あきよし
製作 平成14年(2002年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)



井沢路望は三重県鳥羽の高校に通う17歳。
兄は足に障害があり、そのために子供の頃から学校でからかいや
いじめの対象にあってきた。
高校に入学した時は新しい世界に希望を抱いてもいたが、やはり
いじめの日々は変わらない。
4月になり2年生になって新しい森田先生(山口果林)が赴任してきた。
校則にやたらうるさく、路望は「髪の毛が赤い」と目をつけられる。
そんな中、温泉旅館の息子・要(忍成修吾)は自分に好意を持っていて
くれた。
路望の両親(秋吉久美子、小倉一郎)は離婚していて、路望は
昼はスーパー、夜はスナックで働く母親の手で育てられていた。
ある日、バイクに乗る要は校則でバイクは禁じられていると
呼び出しを受け、免許を取り上げられる。

今関あきよし監督作品。
2002年はもう映画を見ている時期だが、この映画のことはさっぱり
知らない。どこで公開されたんだろうか?
この度、大坂俊介の出演作品と言うことで見てみた。
原作は実際に鳥羽の高校生が書いたエッセイ、というか作文らしい。
正直言うけど、オジサンの私には「十七歳の愚痴」に見えた。

まあ高校生なんて自分で稼ぎもないから自活できず、親とか学校とか
いろいろと制約を受ける。
狭い世界で暮らさなきゃいけなんだから、そりゃいろいろストレスは
あると思う。
私自身も高校生の頃はいろいろ将来のこととか悩んでいた。

でも男子高校生ならともかく、最も縁遠い女子高生の悩みなどもはや
単なる愚痴にしか聞こえない。
登場する担任教師(男子)もそれほどいやな奴には思えない。
それは私がおじさんだからか?
それともやっぱり単なる愚痴に過ぎないのか?

また映画としてもそういうチマチマした悩みを描き続けているにも
関わらず、ラストではやたら「創立30周年祭を成功させよう」という
森田先生に反抗して今まで路望をいじめたいた子などと一緒になって
校庭に机をならべ「バカばっか!」と文字を書く。
いじめた子と急に一致団結するのもいただけないし、机を並べて
文字を書くって簡単にできることではないし(映画的にはいいのだが
現実的なチマチマした話が続いたあとで急に『映画的展開』を持ってこられても
違和感が残る)それにいきなり「バカばっか!」と言われると大人としては
反論したくなる。
もうこの映画を楽しむにはオジサンになり過ぎた。

出演者ではまずはこの映画を観る目的だった大坂俊介。
漁師(丹古母鬼馬二)の息子で喧嘩する時も何する時も「海の男をなめんなよ!」
「海の男に任せておけ!」と「海の男」が口癖の硬派な高校生役。好演。
また母親役の秋吉久美子。昼はスーパー、夜はスナックでホステス、しかも
いやな客からは迫られる薄幸の女性を好演。
また山口果林の女教師も実に憎々しくてよかった。



(このページのトップへ)




クロッシング


日時 2010年5月23日14:20〜
場所 ユーロスペース1
監督 キム・テギュン

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)


元サッカー選手のキム・ヨンスは妻とまだ11歳の息子ジュニと3人暮らしで
炭鉱で働いていた。
しかし妻は妊娠中で結核にかかってしまう。
ヨンスは中国に行商に行く友人にその薬を中国で買ってくるように頼むが
北朝鮮の公安に逮捕されてしまう。
ヨンスは中国に行って薬を買ってくる決意をし、中国に渡る。
そこで北朝鮮の実態を話すインタビューをすれば金がもらえるという
話に乗り、インタビューを受けようとするが、支援者たちによって
韓国へ亡命することになってしまう。
一方北朝鮮に残された妻と息子だったが、妻はついに死んでしまう。
息子も「親父は韓国へ亡命した裏切り者」ということで収容所へ。
そこで父の友人で公安に逮捕された男の娘ミソニと再会するのだが。


北朝鮮の実態を描いた韓国映画。ドキュメンタリーかと思っていたが
堂々たるドラマだ。
当初シネカノンが配給の予定だったが、いろいろあって延び延びになって
結局太秦(去年、「台湾人生」を配給)が配給。
シネカノンが公開しなかったことに政治的なことをいう人もいるようだが
単なるシネカノンの経営悪化が原因だったんじゃいか?

本やテレビなどで聞いている北朝鮮の脱北者やその家族の物語だ。
ある程度は予想していたが、ドラマとしてこうして改めて見せられると実に
つらい。
特に素朴な美少女だったミソニがジュニと再会した時に、落ちているもの
を探して食べていたシーン。
なんかもう悲しくなる。

そして肩に出来ものが出来たミソニのために「ねずみの皮がいいらしいよ」
という全く根拠のない噂話を聞きつけたジュニは野ネズミを捕まえる。
そしてその皮をミソニに肩に張り付けるが当たり前のことだが患部は悪化する。
やがてミソニは死亡。
子供を守ってやれる大人はいなかったのか。

ヨンスは一人、韓国へ亡命できなんとか暮らしていくが自分の妻と子供が
心配。
脱北者支援組織の手を借りてなんとか息子を収容所から助け出す。
さらに中国を経てモンゴルの砂漠の国境線は越えるが・・・

比較的に韓国映画にありがちな音楽とかアップの迫り方などで「泣け!」
と命令されるような過剰な演出(特に「タイフーン」は多かった)
は少なく、その点も好感が持てた。
ただしさすがにジュニが死ぬシーンでは回想シーンが入るが。

北朝鮮に暮らす人々の実態はあまりにひどい。日本は本当にいい国と思えてくる。
そんな北朝鮮に暮らす人々に日本人は何が出来るか。
問いかけられたような気がする。



(このページのトップへ)




かえるのうた


日時 2010年5月20日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 いまおかしんじ
製作 平成18年(2006年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


縫製工場で働く朱美は同棲している恋人(吉岡睦雄)の浮気が原因で
恋人と喧嘩。深夜の漫画喫茶で同じ漫画を取り合ったことでキョウコ
と知り合う。
朝、アパートに帰った朱美だが、性懲りもなく恋人は他の女とセックス中。
嫌気がさしてキョウコのアパートに転がり込む。
キョウコは漫画家志望だったが、今は援助交際で生活しているようだ。
やがて朱美もキョウコに言われるままに援助交際をするようになるのだが。


正直、「たまもの」などと同じく浮気性の男に悩まされる女という構図、
その男が吉岡睦雄というキャスティングで「また?」という気分に
させられたのも事実。
しかしこれはいまおか作品を連続で見ているこちら側の問題で、ピンク映画
という枠の中だし、それもいたしかたないか。

この映画だけではないのだが、いまおか作品は大胆な省略が目立つ。
ピンク映画は60分程度、という絶対的な予算から来る上映時間の制約の
ため、大胆な省略をせざるを得ないのかも知れない。

この映画にしても、冒頭、漫画喫茶で朱美とキョウコが出会うシーン、
同じ漫画を取り合って喧嘩になる。
そのシーンから一転して夜の下北沢を二人で歩くシーンになる。
「こんな夜中においだすなちゅーの」というセリフですでに二人が
友だちになったことを説明する。
またラスト近くで急にキョウコは入院しているシーンになるのだが
どうしてのかと思って見ていると、病院を出た朱美とその恋人の会話で
「キョウコ、子宮とってしまったんだね」というセリフで彼女は
援助交際の果てに子宮に負担がかかるような目に会ってしまったのだと
解る。
説明が多すぎる今の映画にはない大胆な展開だ。

そしてアップも少なく、カメラは長まわしで対象に寄り過ぎない。
でも観客には伝わるのだ。
冒頭、漫画喫茶で漫画を取り合うシーンで「あたしの漫画だから。人のもの
とらないで!」と朱美は叫ぶ。
これだけのセリフだが、朱美にとっては男が他の女にとられた悔しさが
伝わってくる。
不思議だ。

ラスト、キョウコは親元の島根に帰る。
ここで映画は突然数年後になり、朱美は二人の子供を育てている。
キョウコは下北沢の駅前でカエルの着ぐるみを着てチラシなどを配る
バイトをしていて、朱美は男と別れ、今はシングルマザー、キョウコは
なんとか漫画の本を出版することが出来たという。
二人とも決して夢がかなったとか幸せととは言えない。
でも前よりは一歩前進している、夢の途中。
そして映画は二人でオリジナル曲「かえるのうた」を駅前で踊って
エンディング。
二人が先頭にたち、この映画に登場したキャストやスタッフが一緒に踊る。
その明るい歌が妙に観客を引きつける。

まだまだ幸せにななりきっていない。
しかし一歩は前進した。
あくまで前向き。
朱美の子供の名前は「元気」と「勇気」
見ているこちらまでファイトがわいてくるような、そんな明るいラストだ。



(このページのトップへ)





たまもの


日時 2010年5月16日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 いまおかしんじ
製作 平成16年(2004年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


プロボーラーを目指しボーリング場で働く愛子(林由美香)。
ボーリング場の支配人と不倫関係を持ちつつ、偶然知り合った郵便局員
良夫(吉岡睦雄)と付き合い始める。
はじめはうまくいっていたが、やがて愛子の一途な愛情が疎ましくなる
良夫。そんな時、良夫は同僚の郁美とも関係を持ち、やがては彼女と
結婚することに。
結婚する前の晩、良夫は愛子のアパートを「最後だから」と再び訪れる
のだが。

主役にも関わらずセリフがほとんどない(ラスト近くになって少しあるだけだ)
という映画は初めて見たと言ってもいいかも知れない。
北野武の「HANABI」や田中健主演の「真夜中のボクサー」も少なかった記憶があるが
それにしてももう少し話していた。

別におしの設定ではない。無口なだけなのだが、それもぶっきらぼうに無口なの
ではなく、にこりと笑ってその自分の意思を伝えていく。
この映画で主役の林由美香は主演女優賞を取ったそうだが、それも納得のできばえだ。
(ただし林由美香しか出来なかったかどうかは私にはよくわからない)
こういう演出をさせたいまおか監督の英断に脱帽。
もちろん主役にセリフを与えないのが目的ではなく、手段であったことは
心得ているつもりだ。
しかし(意識してテレビドラマを見ると気づくが)余計なセリフが多い映画や
テレビドラマが多すぎる。

良夫のために丁寧なお弁当を作る愛子。
初めは喜んでいた良夫だったが、やがて疎ましくなり、「弁当箱を洗うのが
面倒」という理由で弁当つくりを断るのだが、今度は使い捨ての入れ物を買って
弁当を作り続ける。
客観的に見ればストーカーになりつつあるのだが、映画のマジックで観客は彼女の
方の味方をしてしまい、断る良夫が悪人に見えてくる。

関係を迫り続けるボーリング場支配人。
やがてその妻にばれ、別れるように迫られる。喫茶店でその話をするのだが、
愛子は自分のプライド(というか意地)でコーヒー代を払おうとする。
たまたまお金がなく、コンビニに行って両替してもらおうとするが、たまたま
混んでいて両替されないもどかしさ、そしてレジから小銭を奪い取るその迫力
には圧倒されながらもとにかく納得してしまう。

愛子は自分の憧れのプロボウラーのサイン入りボールをタンスの上に飾っている。
時折幻影でそのボールが自分に話しかけることがある。
ラスト、自分に関係を迫る良夫、それを受け入れる愛子。
行為の後で眠りこける良夫に彼女がとった行為とは?
もちろん犯罪なのだが、それにしても彼女に感情移入している私はそれすらも
許してしまう。
実はこのあたりはちょっと描写があいまいで、良夫のことは事故なのか、
愛子の意思なのかがわかりいくのだが、それは観客が想像して決めればいいことだ。

想いが通じないもどかしさ。言葉ではうまくいえない愛のすれ違い。
なんとも心に残る作品だ。



(このページのトップへ)




いくつになっても男と女


日時 2010年5月13日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 いまおかしんじ
製作 平成19年(2007年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)

(別題「たそがれ」)

今年65歳の鮒吉(多賀勝一)は普段はスーパーでスカートめくりを
したり、スナックのママと情事を楽しむ男。
しかし癌の妻は亡くなり、一人身に。
そんな時中学の同窓会でかつての初恋の和子(並木橋靖子)と再会。
ある日、二人きりで会うのだが、彼女も夫を亡くし、今は一人身。
しかしこの堺を離れ息子たちの住む東京に行くのだという。
その夜、鮒吉は和子をラブホテルに連れ込むのだが。


いまおか作品はピンク映画としての公開とか一般劇場での公開とかDVD化の
タイトルとかいろいろあってややこしいのだが、DVDでは「いくつになっても男と女」
タイトルの通り、老境に達した男女の恋物語だ。

おかしくて切ない。
鮒吉(通称ふなやん)は今でもスーパーで女性客のスカートめくりをするようなスケベ
おやじだが、中学の時も悪ガキ3人で他人の夫婦の夜のいとなみをのぞいていた
ような奴。
この中学生の時の回想シーンが同じ人物が学生服を着てかつらをかぶって登場
するのには笑う。ばかばかしくて楽しい。

妻は死に近づいた時、「おめこさわって」とふなやんに頼む。
ピンク映画らしいといえばそれまでだが、その愛情表現はとても切ない。
中学の時、和子を好きだったふなやんは50年後にそれを打ち明ける。
そうすると和子も自分も「あのこと」があってから気になっていたとのこと。

「あのこと」って何か?
実は夫婦の営みをみた15歳のふなやんは自分もフェラチオをしてもらいたくて
いきなり和子に「俺のなめてんか?」とイチモツを人気のない神社の境内で
出したことがあったのだ。
正直、ここはばかばかしくてしかし切なくて大爆笑した。

ホテルに誘ったふなやんだが和子も最初は抵抗する。
しかしふなやんの誘いに乗ってしまう。
(ここでこのおばあちゃんのおっぱいを観賞させられる羽目になるのだが、我慢しよう)

そして一度は別れた二人のその晩は息子たちの反対を押し切って遅くまで飲み続ける。
翌日の別れ。駅に見送りに来て車にいるふなやんに手を振る和子。
こちらも涙が出そうになる。

ラスト、ふなやんの孫がふなやんとスーパーに行き、「じいちゃん落ちこんどるから
スカートめくりして喜ばせたる」と周りの女性を次々とスカートめくりをしていく。
驚く顔でストップモーション。
孫のピースサインをする笑顔。
さわやかな幕切れだった。



(このページのトップへ)




渚のシンドバッド


日時 2010年5月9日
場所 DVD
監督 橋口亮輔
製作 平成7年(1995年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


長崎の高校生、伊藤(岡田義徳)は同級生の吉田(草野康太)が
好きだった。
伊藤には同じく同級生の奸原(山口耕史)やクラスの女子とはなにか
溶け込んでいない相原(浜崎あゆみ)が何かとちょっかいを出してくる。
吉田は優等生の清水と付き合っているが最近なにかしっくりいっていない。
そんな時、伊藤はクラスの悪ガキから「お前吉田のこと好きなんだって!」と
からかわれるのだが。

実にせつない映画だった。
封切りのときに大阪梅田の映画館で観たが、2回連続で観た覚えがある。
橋口監督は前作の「二十才の微熱」で知っていたので、同じく同性愛を
モチーフにした映画だと聞き、見に行ったのだ。

特に前半がいい。
オープニング、体育の着替えを高校生たちがするシーンから始まる。
ゲイの高校生からすれば好きな男性の裸も見ることが出来、どきどきの
時間だろう。
そして体育の用具室で伊藤は好きな吉田と二人っきりになったときに
思わず、顔の汗を見つめてしまう。
次は授業後にジュースを飲んでいるときに吉田が伊藤のジュースを飲んで
しまい、吉田のびんを見つめ思わず微笑んでしまう伊藤の純情さ!
たまりませんなあ、この切なさ。

父親にゲイ雑誌の投稿欄に載せた返事の手紙を見られてしまい、ホモだと
ばれてしまい病院に連れて行かれる。
このおかしさと悲しさ。

そしてついに吉田君とのキスシーン。
体育の着替えの時間にからかわれ、喧嘩になったがそれを気にするなと
伊藤を慰める吉田。
「ちゃんと好きなんだ!」
と訴えかける。
その告白に戸惑い、断ることも出来ずにキスを許す。
しかしやはり生理的に突き飛ばしてしまう。
この行き場のない気持ち。

しかし正直、映画は後半失速する。
いや全体の出来からいえば失速しているとは言えないかも知れないが、
後半は吉田が相原を好きになっていく話にシフトしてくる。
伊藤と吉田の仲のやきもちを焼いた(と言っても彼はゲイではなさそうだ)
奸原などはほとんど物語から消えてしまう。
この辺のバランスの悪さがちょっと気になる。

しかしゲイの少年の物語ではなく、レイプ経験がある少女、ゲイの少年、ノンケ
の少年、優等生の少女などなどの青春恋愛群像劇と観ればそんなにおかしくは
ないのかも?
ただし私としては伊藤君と吉田君に話を絞ってもらいたかったが。

前作に引き続き、長まわしが多い。
伊藤君が吉田君にキスをする名シーンは長まわしは実に緊張感があって
よかったが、他のシーンは正直、いらいらすることがある。
実家に帰ってしまった相原を追いかけて夜の海岸で吉田君が相原に
「好きだ」というシーンは合計30分ぐらいあるのには驚いた。
そんなに長かったけ??

後半など自分にとっては不満点も多いが、前半の伊藤君が吉田君に
想いを寄せているシーンは名シーンが多く、自分にとっては忘れられない
映画だ。

また今回再見して思ったが、草野康太は眉が太いところなど、そして時折
見せる表情が高橋和也に似ている。
きりっとした男:優しそうな男という組み合わせは「袴田吉彦:遠藤雅」
「草野康太:岡田義徳」「高橋和也:田辺誠一」という組み合わせとして
一つのパターンだったと今回発見した。



(このページのトップへ)




二十才の微熱


日時 2010年5月9日
場所 TSUTAYAレンタルビデオ
監督 橋口亮輔
製作 平成5年(1993年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


大学に通いながら夜はウリ専のゲイバーで男に体を売っている島森(袴田吉彦)。
彼は大学の先輩・頼子(片桐礼子)やウリ専仲間の信(遠藤雅)から好かれては
いたがお互いに微妙な距離があった。
信は高校生でホモであることを嫌った親から家出しており、高校の同級生
あつみ(山田純世)にノートを写してもらったり、荷物を預かったりして
もらいながら学校へは通っていた。
4人の距離感は微妙な関係のまま過ぎていく。


橋口亮輔の劇場公開第1作。
公開時にあまりいい印象は持たなかったが、今回17年ぶりに再見したが、
見方が変わるどころかますます嫌いになった。

まず「決して嫌いではない。むしろ好き。でも積極的にはなれない。なりたくない」
みたいなじりじりした人間関係がまったく私には受け入れられないのだよ。
歳をとってまだ若かった橋口亮輔たちと考えが合わなくなったのか?
いや昔も好きでなかったから多分歳は関係ない。

好きなら好きではっきりしてほしい。
なんかこうウジウジした態度が「僕たちの気分」みたい気がして嫌なのだなあ。
でもそれを解ってほしい、というような厳しく言えば甘ったれた感じが好きになれない
のだな。

また映像表現でいうとカットが長い。
ワンシーンで5分ぐらいは時々あってこれがまただらだらとした印象を受ける。
そういう長カットが多いから登場人物の台詞もアドリブなのか、判然としない
感じがする。
またそれがリアルと喜ぶ人もいるだろうけど私には長いカットで話が全然進まない
あたりはイライラするだけだった。

そんなことよりウリ専仲間で次の「渚のシンドバッド」で主役を演じた草野康太が
出演していたことを知った。
あと「ハッシュ!」で女優賞を総なめする片岡礼子が出演していたとは知らなかった。
そして片岡礼子の父親役で以前に島森の客として出会っていた男が石田太郎とも
知らなかった。
後の橋口映画につながるキャストが出演している。(石田太郎は関係ないけど)

また最後に島森と信をホテルで指名する客として橋口亮輔が出演。
この時「あたしも昔、好きな男がいてさ。すごく気を使ってくれてでも
やっぱりだめで、それからやりまくってやった」という発言をする。
ああ、これが次回作「渚のシンドバッド」の岡田義徳と草野康太の関係で
岡田が大人になった姿、とも解釈できる。
やはりデビュー作らしく後の作品につながる部分を改めて発見することが出来、
その点では観直してよかった。

ラストシーン、まだ高島屋が出来る前の新宿南口が出てきて懐かしかった。



(このページのトップへ)




シャッターアイランド 


日時 2010年5月8日13:30〜
場所 新宿ミラノ2(旧・新宿東急)
監督 マーティン・スコセッシ

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)



1954年、犯罪者の内精神病患者のみを収容するシャッターアイランド。
この島の収容所で女性が一人失踪したとして連邦保安官テディ(レオナルド
ディカプリオ)とその相棒チャックが島にやってくる。
病院長から話を聞いても要領を得ないことばかり。
しかしテディには実は別の目的があった。彼の妻は放火魔にアパートを
放火され、そのために死んでいた。
この島にその犯人のレディス(ジャッキー・アール・ヘイリー)が収容されて
いるらしいのだ。
その男に復讐も兼ねてやってきたテディだったが、やがては頭痛に襲われ
幻覚さえも見始める。
一体どうなっているのか?


ここ数年コンビを組むことの多い、マーティン・スコセッシとデカプーの
最新作。デカプーの映画は大体観るので(去年の「レボリューショナルロード」
という恋愛映画はパスしたが)しかもミステリー映画らしいので楽しみにしていたが
4月9日公開にも関わらず、なかなか時間が合わなくて今日までお預けに。
巷では賛否両論だったが、それも納得。

密室から女性患者が消えた、という実に正統派ミステリーのようだが、それを期待
すると外される。
ネタばらしするけど、事件そのものが存在していないのだ。
で、映画中で、この病院は非米活動委員会(赤狩りのやつ)がバックに付いており
人間改造の人体実験を行っていてこの島のことを事前に調べていたテディが
実ははめられてこの島にやってきた、という展開が出てくる。
で、どんでん返しで、実は彼は数年前からこの病院の患者で、彼の治療のために
彼の作り話に医師たちが乗っていたというオチになる。
実はデカプーも患者だったという訳だ。

それにしてもこのオチは正直ルール違反だと思う。
主人公の言っていることは正しいという前提をひっくり返すと話はどうとでも作れてしまう。
どんどん話をひっくり返すことが出来ては観客に対するルールが存在しなければ
なんでもありの無法地帯になってしまう。
「彼さえも患者かも知れない」という冷めた前提があればまだしも「主人公は正しい」
と信じている観客にとっては裏切りだ。
第一精神病患者だから話がホントかどうかわからないの連続では話が観客に
とっては混乱するばかりだ。

そうは言っても彼は最後には脳手術のために怪しい人体実験をしているらしいと
いう展開だった灯台に連れていかれるシーンで終わるから、ここでさらに話が
ひっくり返って最初の「実はテディは正しくてやっぱり組織にはめられたのだ」
となる(私はそう解釈したが多分あっていると思う)

人の話が信じられない設定なのだから観客は何を正しいと思えばいいのかが大混乱。
そこで普通は物証を出す。
好例として挙げられるのが「バルカン超特急」で主人公が「貴婦人と会った」というのに
周りは「そんな人乗っていない」と証言し、パニックになるのだが、ガラスにかいた
文字という物証が自分の正しさを証明するというのは実に解りやすい。

その辺の物証のなさ、話の分かりにくさから不評を受けるのは当然と言えば当然。
いまどき本格ミステリーを期待する方が間違っていたのかも知れない。



(このページのトップへ)




六人の女を殺した男


日時 2010年5月8日10:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 島耕二
製作 昭和40年(1965年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


阿部健(フランキー堺)は抽象画家で、その女房(万里昌代)は阿部の
描いた絵を売って贅沢三昧をしていた。しかし絵を描けない健を
「能なし」とののしって台所のあるものを投げつけだす。
サラダ油をこぼしてしまい、それに足を滑らせた女房は頭を打って即死。
後妻にバーのマダム(藤村志保)が収まったが、彼女は最初から結婚して
即離婚して慰謝料をふんだくるつもりだったが、シャンデリアが落ちて
これまた即死。療養に行った温泉で知り合った田舎娘に惚れた健は
東京に連れて帰る。
しかし彼女には絵の才能があり、故意か偶然か彼女の描いた絵が画商に
買われてしまう。困り果てた健は彼女を自動車事故で殺して自分も
死ぬつもりだったが、自分だけが生き残る。そして田舎の病院で
知り合った看護婦(春川ますみ)を連れて東京へ。しかし彼女も
健を殺して保険金をだまし取ろうと計画していた。
健はついに彼女を殺したが、今度は服飾デザイナー(久保菜穂子)と
共同企画で新しい服飾デザインを手がけたが、デザイナーの方が健に
デザインを盗作されたと訴え始める始末。健は横浜ドリームランドの
観覧車から彼女を突き落として殺す。
しかしすべてを知っている家政婦(岸田今日子)に今度はゆすられる
羽目に。風呂に入っている家政婦を今度はガス事故で殺すのだが。


この映画、20年くらい前にテレビの深夜放送されたものを録画して
観た記憶がある。その時に面白かった印象があり、掘り出し物を見つけた
気分だったのでもう一度再見。
やはり面白かった。

原作があるのかと思っていたが、小国英雄のオリジナルだそうだ。
この映画の見どころは何と言ってもフランキー堺。
フランキー堺主演で「六人の女を殺した男」というタイトルで惹かれる。
喜劇の多いフランキーで「殺した男」というタイトルならそのミスマッチに
まず興味を持つ。

ブラックコメディの快作とでもいうべき映画で、フランキーのユーモアに
満ちた体から事故や殺人で次々と女性が死んで行くのが不気味。
また主人公の親友役でピアニストの船越英二がラストの船越のリサイタルで
フランキーが逮捕されるのを見て「葬送行進曲」を演奏するのがまた
ブラックユーモアが効いていて面白い。

フランキーの代表作の一つと言ってもいいのではないか?



(このページのトップへ)




サラリーマン目白三平 女房の顔の巻


日時 2010年5月7日20:45〜
場所 シネマヴェーラ渋谷
監督 鈴木英夫
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


目白三平(笠智衆)は自宅近くの目白の駅であるサラリーマンにたばこの火を
貸す。その夜、妻に言われて洋装店に生地を買いに行った目白だが、そこで
昼間のたばこの紳士と出くわす。
紳士は銀座のバーのホステスのために女性用の生地を買っていたのだが、
その場を彼の女房に見られてしまい、取り繕うために目白の買った生地と
交換してほしいという。仕方なく代金をもらった目白だが、ついでにその紳士
から銀座のホステス、つぶら(団令子)に届けてほしいと頼まれる。
頼まれてしまった目白は翌日その銀座のバーに行くが、つぶらは生地を
もらったお礼のネクタイを買うと言いだし、それを紳士に届けてほしいと
言いだす。
受け取ってしまった目白だが、そのネクタイを女房(望月優子)に見られると
話はややこしくなるし、紳士は見つからないし、近所の大学を卒業して
今年から就職する青年には別の相談を受けるし・・・・

サラリーマン目白三平もの。
改めて調べてみると目白三平ものは合計5本。
最初の2本「サラリーマン目白三平」「サラリーマン続・目白三平」は笠智衆主演で
千葉泰樹監督、3作目は佐野周二主演で鈴木英夫監督の「目白三平物語 うちの女房」
で、4作目が本作。(5本目は鈴木英夫・笠智衆で「亭主のためいき」)
でもサブタイトルはどれにでも付けられそうなタイトルでタイトルだけではどれが
どれかさっぱり解らない。

佐野周二版は一本だけだが、やはり笠智衆の方が善人でしょぼくれた味わいが
あっていい。佐野周二だと貫禄があってしょぼくれた感じが今一つしないのだよ。

望月優子のカミさんがお金がないお金がないと愚痴を始終こぼす。
笠智衆には同情する、男だって一生懸命働いているんだからそんなに言うなよ。
頑張っていてもなかなかサラリーが増えないののがサラリーマン社会なのだから。
笠智衆の人の良さを見ていると「そんな頼み断れよ」とも言いたくなるのだが、
それを断らないのを納得させるのが笠智衆という役者の力なのだろう。
持って帰ったネクタイを洋服ダンスにしまったり出したりの繰り返しが面白い。

でもうひとつのエピソードで近所の青年が母親に溺愛されており、母親は常に弁当を
持たせるということに青年は辟易している。
で弁当を食べたくないから目白に弁当を食べてもらう様に頼む。
その弁当の受け渡しを喫茶店で行うのだが、その店のウエイトレスがまだ
東宝に入社間もない浜美枝。

でその近所の青年が結婚したいと言い出し、相手はなんとつぶらちゃん。
普通なら「水商売なんて」と言いだしそうだが、目白はつぶらちゃんの人柄の
よさを知っているので、結婚を応援。
また長男が同じ中学の不良に同級生の女の子と仲良くしているのを嫉妬されて
自転車を盗まれてしまうのだが、それを許すという第3のエピソードも挿入。

やっぱり目白三平は笠智衆に限るというほのぼのとしたホームコメディ。
千葉泰樹版も見たくなった。



(このページのトップへ)




馬と人妻の痴態


日時 2010年5月4日15:40〜
場所 京都本町館 
監督・撮影 下元哲
製作 Xces 2010(旧題:馬を飼う人妻/2001)

(詳しくは日本映画データベースで)



大会社の社長はその妻をとても愛していて、彼女が美しさを保つためなら
また彼女が望むことは何でも与えてきた。
ある避暑地に来たこの夫婦だったが、夫は会社の部下で一番のプレーボーイに
妻を誘惑し、彼女が何を望んでいるかを聞き出して欲しいと命じる。
早速妻を誘惑するが一向に乗ってこない。
やがて彼女は乗馬クラブに通うようになる。
そこで元騎手の調教師に興味を覚え、その男に近づき、交わるようになる。
しかし妻の欲望はそれだけでは納まらなかった!


こちらも2001年の改題。
ピンク映画では過去の映画をタイトルだけ変えて新作のように見せて再公開するということは
聞いてはいたが、劇場HPなどに堂々と書いていいものだろうか?
だったらニュープリント再公開とでもしておけばタイトルを変える手間もなくて
済むだろうに。

で映画の方は主人公の人妻はいつものような都会の男ではなく、野卑な馬の調教師
にあこがれていき、馬の飼育の手伝いをしているうちにいつしか関係を持つというもの。
そして馬の巨大な男根を見るうちについには我慢しきれなくなり、馬の巨根と
交わるというオチ。

そしてそれを観た主人は「妻がそれを望んだのだから一向に構わない。あの馬も
もともと私のものだ。だから妻は今も私の手の内にある」という一種異常な愛情を
示す。

で映像の方が全体的にブルーで、人妻にだけピンスポットで照明が当たっていたり
というような凝った映像も多く、さすがに撮影と監督を同じだけあったりのせいか
こだわりを感じた。

両作品に言えることだが一応新作ということでニュープリントなので映像はきれいだった。
映像がきれいだとカメラはフィクスで安定しているし、最近の映画のような
ちゃらちゃらした感じがなくてその点は映画らしくてよかった。



(このページのトップへ)




尼寺の恥部 見られた御不浄


日時 2010年5月4日14:40〜
場所 京都・本町館
監督 新田栄
製作 Xces 2010(旧題:尼寺の御不浄 太股観音びらき/2001)

(詳しくは日本映画データベースで)


主人公の尼僧は24歳の若さで愛徳院の住職になったが、そのお寺で代々伝わる
女性用のおもちゃを発見してしまう。
トイレでそれを使って楽しんでいた日々だったが、ある日、トイレの中から中年男が
覗いているのを見て驚く。
また自殺しようとした女性を助けたり、別の女性が駆け込み寺として逃げてきたり
トイレの中年男と町で再会したりする。

GWに京都でピンク映画2本と一緒に「白日夢(2009)」3本立てで上映されると
言う情報を知り、どうしても「白日夢」が見たかった自分はわざわざ京都まで
駆けつける。
当然初めての映画館だが、住宅街の中にあるという不思議な立地。
しかし椅子はシネコンと同様のカップホルダーつきで大きな椅子なので実に
すわり心地がいい。

で同時上映の一本がこの映画。
まあ正直、僕のイメージある普通のピンク映画。
自殺しようとした女性は不妊で悩んでいたが、結局夫が迎えに来てそのまま
絡みが始まり、逃げてきた女性は実は男性で性同一性障害として政治家の
親から女性になることを反対されていて逃げてきたとか(尼さんとの
絡みもある)、中年男はこれまた妻の不妊に悩んでおり、古文書を
研究しているうちにこの愛徳院の隠し本尊と交わった尼僧の愛液を
浴びた男性は妊娠させることが出来ると言う伝説を知り、それを
実践してもらおうとしてやってきたのだ。

で最後にはその巨大な男根に股間をこすりつけてオナニーする尼僧の姿で
無事にエンド。
ピンク映画らしいピンク映画でしたね。



(このページのトップへ)




月に囚われた男


日時 2010年5月2日16:15〜
場所 恵比須ガーデンシネマ1
監督 ダンカン・ジョーンズ

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)


未来。
地球のエネルギー資源はつきていたが、月の裏側にはエネルギー源
になるものが発見され、人類はそれ頼っていた。
現場では一人の人間・サムが、ロボットと共に孤独に耐えて作業を
続けていた。サムの任期3年はまもなく終わろうとしている。
そんなある日、採掘場で事故の知らせがある。
現場に月面車で駆けつけたサムだが、彼もまた事故にあってしまう。
気がつくと月面基地の医療ベッドに寝ていたサム。
事故現場が気になって月面車で戻ってみると、彼が倒れていたはずの
場所に別の男が倒れていた。
サムは謎のその男を基地につれて帰る。
しかしその男はサムと全く同じ顔をしていた。
一体どうなってるんだ?


結論から書くとワンアイデアの映画なので1時間半以上は長い。
「トワイライトゾーン」の1話としてなら風刺のきいた一編だろうに。
オチを書いてしまうけど、主人公をサムAとすると事故を起こした後に
助けられて新たにドラマに出てきた方がサムBだと観客は思わされる。
ところが実は事故の後に起き上がった方がサムBで事故現場に倒れていたのが
サムA。つまり主人公が途中で入れ替わったのだ。

これこそ作者のトリック。
でもその後主人公が同じ顔をしたのが登場するのだから観客には
どっちがどっちだか混乱してしまう。
一応、最初のサムAは事故の起きる前にお湯を手の甲にこぼしてしまい、
火傷のため手に薬を貼ってあるのだが、それが目立たないというか
ネタばらしをする時だけでもアップで強調するとかしてくれれば解り易かった
のだが。

実は会社はサムのクローンを多数作っていて、記憶は移植しているので
3年だけ働いていると思わせておいて終わるときには地球に送ると思わせて
殺してしまっている。
で3年おきに新しいクーロンと交換しているというわけ。
その理由は新しい人材を送るより同じ人間を使った方が仕事に熟練してるから。

でもすべて機械にやらせて時々人間がチェックに来てもよさそうだし、
なんだか話を考え出すとあらが多いような気がする。
ラストは結局サムBが地球に帰り、この会社の行状を告発するということが
ナレーションで説明される。
ハッピーエンドも似合わない気がするし、やっぱりワンアイデアで短編で
映像化した方が面白かった気がします。または他のアイデアを組み合わせるとか。

美術セットは「2001年宇宙の旅」や「謎の円盤UFO」に出てきたような
感じで、見やすいセットで好感が持てた。



(このページのトップへ)




旅愁の都


日時 2010年5月2日13:00〜
場所 シネマヴェーラ渋谷
監督 鈴木英夫
製作 昭和37年(1962年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


宝田明の建築設計士は職場の近くで叔母(乙羽信子)の経営する
サンドイッチパーラーに勤めることになった星由里子に一目ぼれ。
しかし星の反応は芳しくない。
宝田明には実業界の大物だかヤクザの大物だかよくわからない
志村喬から自分の娘・浜美枝との結婚を、志村の2号の料亭の
お上・久慈あさみを通じて勧められていた。
久慈あさみのお店が沖縄にも出店することになっていて宝田明は
そのお店の設計を任されている。
そんな時、星由里子の幼馴染・藤木悠と知り合いになった宝田明は
ある話を聞くのだが。


鈴木英夫のというか宝田明のメロドラマ。
正直、メロドラマというジャンルはあまり興味がないので、もとより
見てるこちらは盛り上がらない。
だから話の突っ込みどころばかり気になった。

宝田明はまだ若いのに外車を乗り回して今で言うなら年収一千万円ぐらい
ありそうな男。イヤミな奴。
まずお話の舞台。宝塚映画という段階で気づくべきだったが、舞台は大阪。
ところが乙羽信子だけしか大阪弁を話さないので、映画が始まって
しばらくは舞台が東京だと思っていた。
だから大きな橋をわたる宝田明を首都高が出来る前の日本橋だと思った次第。
またお店を出店する下見に沖縄に行くのだが、別に沖縄でなくても
困らない。
無理やりにとってつけた観光映画。
この年は沖縄でなにかあったのだろうか?本土復帰はまだ10年ぐらい
先だし。

藤木悠が語った星由里子の過去とは、お母さんが病気で兄も事故で死に、
お金に困ってガールズバー(といっていいのか?女の子がカウンター
に立ってお客の接客をし、いくらかのお金で寝てくれるというシステム
のお店)で働いていて、そこで知り合った紳士(上原謙)の2号に
なっていたと言うのだ。
上原は大銀行の支店長かなにかで大阪転勤で遊んでいたのだが、東京に
戻る時に小さいながらも家を手切れ金に渡したいう関係。
で、星由里子は劇中二十歳の設定だから数年前というと16か17ぐらいで
2号になっていたという訳。
そりゃもう不倫とか浮気以前に淫行ですよ、今なら。
「社員無頼」といい悪い男です、上原謙は。

それと藤木悠が宝田明と知り合いになって自分の車で帰ろうとする宝田に
「話もあるんで飲みに行きませんか?」と誘う。
で屋台のおでんやで一杯。(おでん屋の親父は沢村いきおではなく内田朝雄)
そしてもう一軒行くことになる、って飲酒運転だ。
確かに昔は飲酒運転なんて当たり前でしたからねえ。
そしてガールズバーに連れられていって事情を聞くのだが。

そして実は久慈あさみも宝田のことが好きなのだが、星と結ばれることを
願う久慈は、宝田を沖縄に「打ち合わせしたい」と無理やり呼び出す。
で大阪に帰ってから、志村喬には「自分は宝田が好きで関係を持った」
と話す。実はなにもしてないのだけれど、こう話すことによって
浜美枝との縁談を断ってくるだろうということで。

母も途中で亡くなりまた居場所もなくなった星由里子は姿をくらます。
だが久慈あさみに偶然発見され、宝田と再会しすべてはめでたし。
ちなみに一旦は別れると言った志村喬ですが、復縁を久慈あさみに申し入れた
そうで。
そして沖縄の町を星と宝田が車で走るシーンに宝田の歌がかぶさる。
ここで「終」だと思ったら映画は数カット続き、音楽も不気味になって
なにやら不安定な終わり方。
あれじゃ二人の将来になにかよくないことがあるようにも見えてしまう。
まあどうでもいいですが。

ちなみにプリントは真っ赤で、モノアカ映画状態でした。



(このページのトップへ)