2010年9月

Re:Play-Girls
リプレイガールズ
超強台風 野盗風の中を走る 大人には分らない 青春白書 ナイト・トーキョー・デイ
BECK 悪人 人間 THE LAST MESSEGE 
海猿 3D
君が踊る、夏 赤木圭一郎は生きている 
激流に生きる男
AGAIN 昭和のいのち
白昼の通り魔 赤い鳥逃げた? 欲望の酒場 濡れ匂う色おんな
STAGE
半熟売春 糸ひく愛汁
小鳥の水浴
ハナミズキ 宇宙戦争(1953) (本)噂のストリッパー 女医の愛欲日記
カラフル 瞳の中の秘密 日劇「加山雄三ショー」より
 歌う若大将
霧笛が俺を呼んでいる

Re:Play-Girlsリプレイガールズ


日時 2010年9月30日20:30〜
場所 シネマート六本木3
監督 Yuki Saito

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ミチ(外岡えりか)は将来小説家になってみたいと夢見る女子高生。
しかしその夢を親友ハルナ(佐藤さくら)に話したところ、翌日、その夢はクラスにからかいを持って広められた。明らかにハルナによるイジメだった。
それがきっかけで自殺サイトに出入りするようになるミチ。
ある日「リプレイガールズ」という自殺ゲームサイトにアクセスする。
そのゲームに参加すると同じようにゲームに参加する女子高生が古びた学校の教室のような場所に集められていた。
そこへこのサイトの管理人の実原(大坂俊介)という男が現れる。
集まった彼女たちは自殺の動機を話す。いじめにあった友人を助けなかった後悔から自殺を考えた子(佐武宇綺)、友人に恋人を寝取られた子(小泉麻耶)など様々な子たちだった。

大坂俊介の出演作品。
「白日夢」以来大坂俊介出演作品からは目が離せない。
去年の夏撮影されてやっと公開になったが、東京ではシネマート六本木で2週間限定で8時半からのレイト1回のみの上映というかなり厳しい公開。
監督も新人だし、キャストもBC級アイドル(失礼!)では集客も期待できないだろう。
この日の観客は6名ですべて男性。アイドルマニアなのだろうか?

映画の方は予告篇から想像して「バトルロワイヤル」みたいな映画かと思っていたらそうでもない。
上映時間の半分以上は女の子たちが自殺したくなった理由の説明。
でゲームサイトの形式なので、参加者同士が他には内緒でチャットして会話したりする。

で実原から「ではゲームスタートです!」と宣言されるとファーストステージと称してなにやら不思議な海岸に舞台は移る。
で「明日の朝までに自殺してください」と言われ一部は自殺するが、いざ死に面して生きる活力を見いだし生きたいと思い始める。
セカンドステージでは逆に殺しにくる人間がいたり、サードステージでは「生き残った一人だけ元の世界に戻してあげる」と実原に言われ、日本刀で対決するサバイバルゲームになる。

つまりその「自殺は止めましょう」という至極教訓的なこことを「自殺を勧める」という荒療治で伝える真面目な映画だと思えたし、見た後はそう思っていた。
でもその割にはメッセージ性も浮ついた感じだし、地に足が着いた感じがしない。
パンフレットを読んでその辺の疑問が氷解した。

監督は高校卒業後、アメリカに渡り向こうで映画修行をした人。自主映画を作って無知な私には知らない海外の映画祭で賞を何回か取ったことがあるらしい。
監督が海外の人と話すと日本のイメージはゲームとサムライらしい。
さらにそこへ女子高生を加えて何か映画を作ろうと思って企画したらしい。

アホらしい。
自分が真剣に自殺問題を扱おうとか、ゲームの要素をおもしろさを取り入れてそれを越える映画を作ろうとかの意志は感じられず「こうすれば受けるだろうから」という程度の意志でやってる映画に見えてきた。
止めた方がいい。そんなのは見たくありません。
真剣に作った映画がみたいです。

でも90分は飽きずに見られました。
その辺の映画としてのテクニックはある程度は認めます。
だから後は映画にどんな自分の思いを込めるかでしょうねえ。



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超強台風


日時 2010年9月29日19:20〜
場所 新宿ミラノ3
監督 フォン・シャニオン
製作 2008年(平成20年)

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中国・温州市。ここはあまり台風が来ない場所だが、今回発生した台風どうやら直撃の可能性がある。
台風の進路は一定ではなく一度は方向転換したと思われたが安心は出来ない。
市民の安全を第一に考える市長はついに非常事態宣言をし、市民を避難させる。
しかし港町の漁師たちは船を大事に考え指示に従わない。
ついに市長は現場に向かった!

一部で話題の中国映画のデザスタームービー。
同日に公開された韓国映画の「TSUNAMI」に比べ、都内で新宿ミラノ3の一館のみで9月25日上映開始。10月2日の土曜日に見る予定だったが、2週目からは昼間の2回のみの上映になってなんと2週で打ち切り。
まあ宣伝もほとんどしていないし、やむを得ない気もするが、それにしても短すぎる。

95分と長時間の映画ではないからあまり登場人物は多くない。
市長と市長に気象の助言を与える気象学者のおばさん(これが市長の小学校での恩師)、離島で産気づいたが診療所には医者がいなくてその代わりに働く研修生とその妊婦の夫、気象学者メル友の台風オタクのアメリカ人。
場所としては市長が初めにいた会議室、市長が現場に出た港、妊婦のいる診療室ぐらい。
だからドラマの広がりはあまりない。
「日本沈没」の関東大震災のような小さなドラマの積み重ねはないです。

この映画の見所はなんと言っても特撮。
それもCGではなく、出来る限りミニチュアを使っている。
特に港を台風が直撃し、停泊中の漁船が揺れるシーン、波が港に押し寄せてくるシーンなどは完全に見物だ!
港を襲った津波が車を押し流していくシーンなど、ミニチュア感ありありなのだが、これがかえって懐かしい。

そんな感じで特撮だけみてる分には文句ないが、日本人と中国人のセンスの差なのか、ギャグなのか真面目にっっているのか迷うカットも多々あり。
港の漁師たちが船をいっそう強くつなぎ止めようと船に向かうシーンがあるのだが、市長は危険だと止めようとする。それでも船に向かおうとする漁師の前に市長がひざまづき、押しとどめる。その市長のバックに大波がざっばーーんという所があるけど、市長はマジだがなんだか笑ってしまう。
島の住人が妻が産気づいているのだが、妻の携帯の番号がわからない。公衆電話から思い出しつつかけるのだが、何度も同じ所に間違い電話をしてしまう所は完全にギャグだろうけど、映画全体のテイストとしては笑いには違和感を感じる。
また竜巻が起こって漁師が飼っている犬が巻き上がるシーンがあるけど、これもなんだかユーモラス。
極め付きは避難所に波が押し寄せ、そこへ鮫が入ってくる。確かに鮫は危険だし、実際あり得る恐怖なのだが、なんだかここで鮫が登場し市長や漁師が棍棒で向かっていくとそれも笑えてくる。
果たしてギャグなのか?マジなのか?

また場面つなぎで飛んでいるところもあり、実はこれより長い全長版が存在するのだろうか?
飛んでいると感じたのは、島の住民が自分の妻のいる島に船で向かおうとするのを止めるため漁師が船で追いかけるのだが、桟橋で「俺が追いかける」と言って次のカットではもう船が追いつきそうになっている。
この省略だとなんだか笑ってしまうのだな。
最後の山は例の妊婦が島から台風の目をねらってヘリで搬送されるが、病院まではたどり着けず、近くの空港に着陸する。しかしなんとか妊婦を運ばねば!となって風や洪水に流されにくい一番重い車というわけで装甲車で運ぶことに。ところがこの装甲車が走っているシーンで、一挙に台風が過ぎ去った場面になる。
ここは最後まで描いて欲しかった。

全体的に過剰に盛り上げすぎてかえって空回りして上記のようにギャグになっているシーンも多々あるけど、全体として面白かったです、ハイ。



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野盗風の中を走る


日時 2010年9月25日11:45〜 
場所 銀座シネパトス2
監督 稲垣浩
製作 昭和36年(1961年)

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時は戦国、乱世の時代。
独眼の太郎(夏木陽介)は11人の仲間を引き連れての野盗集団。仲間(多々良純)がこの近くに美人も多く、栄えた村があるという。しかし言ってみると荒れ放題となっていた。
夏木陽介の仲間(市川染五郎、現・松本幸四郎)がたまたまこの村の前の城主の旗を持っていたことから、前の城主の末息子に祭り上げられてしまう。
またこの村の娘(雪村いづみ)の兄たちが築城に駆り出されていて、夏木陽介はこの娘のためにも兄たちを救いだそうと決意する。

稲垣浩監督の東宝時代劇。
さすがにこの時代の時代劇はセットも立派だし、エキストラも多く、見応えがある。
村人の為に立ち上がる、というコンセプトはやっぱり「七人の侍」で、中丸忠雄、谷晃のように百姓に竹槍で追われた経験があり百姓に不信感を抱いているものもいる。
尺が1時間40分ぐらいなのだが、その辺は侍の個性は描かれており、濃すぎることはないが厚みのある内容。
佐藤允は女好きのキャラクターで村娘の若林映子に一目惚れ。

11人の野盗ではとても城づくりの侍たちから村人たちを救い出すのは無理。
そこで近くの明智の軍勢が前の城主の親戚筋なので完全に若君をお守りをする集団になりきって、明智の軍勢に加勢を依頼する。
この軍勢を味方につけて百姓が一揆を起こしたと見せかけてその混乱に乗じて城づくりに駆り出されていた村人を助けだす。
すべてはうまく行ったかに見えたが、加勢してもらった明智勢が「若君が生きていると新たな敵になる」とばかりに村を襲い出す、という展開。

ふ〜ん、二転三転する展開で、100分ぐらいの映画の割には飽きさせない。
最後は夏木陽介たちは死に直前に村を抜け出していた佐藤允だけが助かるのだ。

でも正直言うけど、夏木陽介ではこの映画では華を感じない。
これだけの個性がそろうと完全に食われてしまって全く記憶に残らないのだな。
アクの強さ、というか個性では完全に負けてしまっている。ルックスも悪くないのに印象が薄い。
夏木陽介が主役になるころには加山雄三が台頭してきたとかの理由もあるが、この辺がやっぱり映画ではもう一つ目立たなかった理由があるのかも知れない。



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大人には分らない 青春白書


日時 2010年9月25日10:10〜
場所 銀座シネパトス2
監督 須川栄三
製作 昭和33年)(1958年)

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北条忠(夏木陽介)は大学でジャズバンドを組んでないとクラブにも出演している。
彼の父親(柳永二郎)は今度の組閣で文部大臣候補で、母親(沢村貞子)は家庭裁判所の調停委員で教育評論家としてマスコミでも活躍していた。
忠はバンドではドラムで、サックス(江原達治)、ベース(佐原健二)、ピアノ(佐藤允)、そしてボーカル(団令子)。
ある日、湘南のホテルのバーでバンド出演していたが、地元の愚連隊に間違えられて警察に逮捕されてしまう。

銀座シネパトスではこの日から夏木陽介特集。
映画人生をまとめた「好き勝手 夏木陽介」出版を記念しての特集。
その1本目は夏木陽介初主演作。

なんと言ってもバンドのメンバーがすごい。
夏木陽介、佐原健二、佐藤允、江原達怡、団令子となればもう言うことはない。
大人に反抗する若者たち、となれば当時の太陽族映画の影響は大だろう。

夏木陽介と佐原健二は最初、団令子を争って決闘をするのだが、佐原が負けてあっさり佐原健二は引き下がる。
でも団令子の友達、白川由美を紹介され、そっちになびいていく。
当然のことながらこのころの東宝のお約束として佐原健二と白川由美はカップルになる。

それで湘南にあるホテルでバイトの後、夏木の別荘に行くのだが、遅れて来た白川由美が地元の愚連隊に襲われるのだが、それを夏木たちが助けたのに、警察に間違えられて逮捕されるという顛末。
書き忘れたけど白川由美は夏木の父親の妾の子。
つまり夏木の義理の妹。

息子が警察に逮捕されたとなっては父親もやっと手に入れた大臣だが、辞表を提出。
結局警察の誤認逮捕で疑いは晴れるが、逮捕した佐田豊の警部は大変だろうなあ。
普通なら左遷ものだろう。

そんな感じでラストはメデタシなのだが、やっぱり見所は上にも書いた夏木、佐原、佐藤、江原、団の東宝ジャズバンド。
これが見所だし、ある意味ほかに見所はない映画。
監督は須川栄三。こういう音楽が題材に据えた映画というと後の「君も出世が出来る」につながるものを感じる。
脚本は森谷司郎も関わっていて後の東宝青春映画につながる部分があるといえるのかもしれない。

そうそう中丸忠雄さんが(まだ)ノンクレジットで出演。




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ナイト・トーキョー・デイ


日時 2010年9月22日20:40〜 
場所 新宿武蔵野館3
監督 イザベル・コイシェ

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大会社の重役・ナガラ(中原丈雄)は海外との取引の接待の席で娘の自殺の連絡を受ける。取り乱すナガラ。信頼を受ける部下のイシダ(榊英雄)はナガラの娘の夫でスペイン人のダビ(セルジ・ロペス)の殺害を計画する。
リュウ(菊池凛子)は築地のマグロ市場で働く女性。彼女と知り合いになった録音技師(田中泯)は彼女に惹かれ様々な音を録音していく。
実はリュウは殺し屋で、イシダはダビの殺害を依頼する。
ダビに近づくリュウ。しかし彼らはお互いに惹かれあう。


基本的に外国人が日本を舞台して撮った映画とか、日本人が外国の映画に出演するとそれだけで見たくなってしまうクチなので今回もそれだけの理由で観賞。
原題(というか英語タイトル)は「Map of the Sounds of Tokyo」。
つまり「東京音地図」というわけで「東京の音」を重視しているらしい。

だからこそ録音技師が映画の語り部として登場するのも納得する。
僕らには何気ない音も外国人には「聞きなれない音の洪水の街」に見えるらしい。
劇中「ラーメンは音を立てて食べるものだが、スペインでそれをやったら怒られる」というセリフにある通り、ラーメンという物はかなり(いい意味で)特異な食べ物に見えるらしい。
だから田中泯と菊池凛子が出会うのも横浜の「ラーメン博物館」になるわけだ。
でも音のことをいうと(この映画に限らずだが)日本語が非常に聞き取りずらい。
多分、録音している外国人の録音技師が日本語が解らないため、録音がちゃんと出来てるかどうか、聞きやすいかどうかの判断がつかないのだろう。

正直言って僕はこの映画に引っかかるものがなく、非常に退屈だった。
まず築地市場で働いていて夜は殺し屋って設定がなんかおかしい。
今でも「ニンジャ」のイメージがあるのだろうか?
そして最初に中原丈雄が外国人を接待しているが、それが「女体盛り」。
さすがに中原丈雄は「ほかに方法はないのか?」と呆れているけど、やっぱり「女体盛り」って日本のイメージなのかなあ?
一時期外国の日本料理店でやってるとかの話があったけど、日本じゃさっぱり聞かないぞ。

そしてダビとリュウが行くのがラブホテルでそこは電車を模した部屋。
つまり痴漢プレイが出来る部屋らしい。
これも珍しかったんだろうなあ。
ついでに夜の花やしきも登場する。
リュウの設定からして築地市場で働く女性だし。
あと高速道路の高架下の地下鉄の駅の出口みたいな広場で新興宗教(?)みたいなグループが「キスをしましょう!」と言って男女がキスをしあい、リーダーの「解散!」の一言で全員が解散するという(もう1回似たようなシーンがあったけど)シーンもあり。
そういう新興宗教も日本のイメージなのか?

ラストはリュウとダビが愛し合ってしまっていつまでたっても殺さないので業を煮やしたイシダがダビを殺そうとしてリュウを殺してしまう。

映画に登場する東京の夜景がやたら奇麗に撮ってあるので(花やしきとか、タイトルバックの隅田川にかかる橋を川面から見たカットとか)「東京の夜景ってそんなにきれいだっけ?」と思って夜の新宿を歩く。
そういえば色鮮やかできれいに見えた。
全体的に「最近の」外国人の日本のイメージを見た気がした。



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BECK


日時 2010年9月19日18:10〜 
場所 新宿ピカデリー・スクリーン1
監督 堤幸彦

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田中幸男あだ名はコユキ(佐藤健)は通りがかりに犬を助けたことから南竜介(水嶋ヒロ)と知り合う。
竜介のライブを観てしまったコユキは自分もギターを弾き始める。高校の転校生桜木(中村蒼)とも知り合い、ギターを本気で練習する。
そのギターを聞いた竜介はコユキを自分のバンドに入れることに。平(向井理)や千葉(桐谷健太)らとバンド・BECKは結成された。

原作は売れているコミックらしい。
そのおかげでピカデリーは一番席数の多いスクリーン1でも満員だ。
ヒットしているのはいいことだけど、この映画って映画を作ることを放棄している映画ではないだろうか?
佐藤健が歌ってみたら実は歌が滅茶苦茶うまい!という設定なのだが、映画は佐藤健が歌い出すとそこだけ音が消える。音楽だけになるのだよ。
ラストで歌を聴かせてくれるのかと思ったら、最後まで歌声は聞こえない。
全く意味不明な演出。
確かに今まで歌が登場する映画で、登場人物が歌を歌ってその歌で映画の中の人物は感動する、でも映画を見ている観客にとってはそれほどいい曲でもないから違和感を覚える、と言うことは何度もあった。

だから下手に歌を聴かせるより歌なしにしようと思ったのかも知れないが、サイレント映画じゃあるまいしそれはないだろう。
佐藤健が歌えないなら吹き替えという手もあるし、第一、歌も歌える奴に演じさせればいいだけの話だろう。
ジャニーズとかいるんじゃないか?
その点「BANDAGE」は赤西がちゃんと歌っていたので安心出来る。

それと映画の脚本、というか原作マンガの段階の問題かも知れないが、話が大きすぎる。
バンド売り出しの話なんて今までたくさんあったが、デビューもしていないバンドなのに、アメリカ音楽界のボスが出てきたり話の風呂敷を広げすぎじゃないか?

あとねえ、本番直前になってもメンバーがそろっていなくて「さあ全員そろうか?」みたいな話はよくあるけど、この場合、メンバーがそろっていない理由が不可抗力ではなく、自分たちのわがままからだ。
この映画で言えば千葉と竜介は喧嘩をしてどっかへ行ってしまう。
それじゃプロとしてやっていけるのか?ええ?
最後にロックフェスティバルに出させてもらえたのだが、その主催者に「棄権させてもらえますか?」などという。
お客さんは来てるんだし、まじめにやれ!

あと細かいことだけど、コユキや桜井の親や先生が出てこないのも気になった。

もう映画として不真面目すぎる。
でも佐藤健はいかにも気弱そうな高校生を好演していた。
佐藤健は今後が楽しみな若手俳優だと言うことは確認できた。



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悪人


日時 2010年9月19日15:20〜  
場所 新宿ピカデリー・スクリーン5
監督 李相日

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長崎の外れの港町で解体作業員として働く清水祐一(妻夫木聡)。毎日は何も起こらないで仕事と自宅を行き来するだけの日々。家は年老いたばあちゃん(樹木希林)と入退院を繰り返すじいちゃん(井川比佐志)との三人暮らし。楽しみは車と出会い系サイトで女性と会うことだけだった。
出会い系サイトで会った博多の保険の外交員・佳乃(満島ひかり)と会いに行った夜のこと。
佳乃は祐一との待ち合わせの場所で、前に知り合った湯布院の高級旅館の息子増尾(岡田将生)と出くわす。金持ちの息子だからそれだけで気がある佳乃は強引に増尾の車に乗り込み、祐一を置き去りに。
数日後、祐一の携帯に一通のメールが。数か月前に出会い系サイトで知り合った光代(深津絵里)からのメールだった。

「告白」に続き、ベストセラー小説の映画化。
こっちの方は僕は知らなくて映画化決定の知らせを受けてから小説の存在を知った次第だ。
しかも朝日新聞に連載されていたという。へ〜、私は朝日を読んでいるのに全然知らんかった。
映画を見て原作も読みたくなった。今度読もう。

映画は公開前から評判も高く、公開直前のモントリオール映画祭では深津絵里が主演女優賞を獲得したほど。
しかしこの映画での俳優賞はやっぱり妻夫木だろう。
いつもの魅力ある笑顔は封印し、猫背して笑顔を出さず、セリフも少なく孤独な青年を演じる。
今まで見たことのなかったような妻夫木だ。

光代は紳士服の量販店で働くがこちらも妹とアパートで二人暮らし。妹には結婚間近の恋人がいる。大雨の中、家に帰っても妹が彼氏を連れてきていてすぐには入れない。
いままで二人が寝ていたであろうベッドを見て苛立ちを感じる。
そんな二人は出会う。
「あたしなんかあの国道沿いにしか人生がない。海の近くなんて憧れる」という光代に対し「海のそばなんてここらは先はどこへも行けないって気になる」と祐一は答える。
このセリフは印象に残った。
普通孤独な姿を描くには一人暮らしになるが、家族がいながら孤独を感じるというのが実は現実的ありがちな気さえする。そういう人、結構多いんじゃないか?

佳乃はどんな風にして死に至ったか?
それを見ると俺が祐一の立場だったら殺していたかも知れない。

佳乃もかなり悪い奴として描かれるが、父親・石橋(柄本明)の愛情を見ると一概に悪くも言えなくなる。
そんな中で増尾が一番悪い印象が残る。
法律的には問題ないだろうが、同義的にはいちばん責任があろう。
石橋が襲うのももっともだ。しかし現実には殺しきれない。
だが増尾の常に人をあざける態度に疑問を感じていた友人が、石橋が増尾に手をかけなかった後、スパナでガラスを割る「バーン」という音が私の怒りを晴らしてくれた。
増尾の性格については原作には書き込まれているという。

しかし石橋が殺害現場を訪ねるシーンとかで「今の世の中大切な人がおらん人間が多すぎる」とか「そんなに娘を殺された父親を笑っておかしいか」のあたりの柄本明の長セリフはどうだろう。
もっとセリフが無くてもよかったのでは?

漢方薬のインチキ販売にだまされて金を取り戻しに行く樹木希林がいい。
またワンシーンしか登場しないが「ばあちゃん、あんたは悪くないからしっかりせいよ」と励ます運転手のモロ師岡もいい。

逃避行を続ける光代と祐一。
やがては追い詰められて逮捕される祐一。
逮捕の直前「俺はあんた思っているような男ではなか」と言って祐一は光代の首に手をかける。
私はこのシーンを「光代を殺人犯に拉致されていた被害者」にしようとして警官の前で殺そうとしている振りをしたと解釈した。
はたしてその解釈は正しいのか。

映画は上映中緊張感が走る。
さすがに2時間以上の上映時間ではまったくだれないと言ったらウソになるが、それにしても見ごたえのある映画だった。
今年は「キャタピラー」とかこの映画とか見ごたえのある映画がある。
いいことだ。
原作もぜひ読んでみたい。その後でも一度見たい。



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人間


日時 2010年9月19日12:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 新藤兼人
製作 昭和37年(1962年)

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荷役船・海神丸は近くの島まで行くつもりで港を出港する。
乗っているのは船長の亀五郎(殿山泰司)、甥の三吉(山本圭)、船頭の八蔵(佐藤慶)海女の五郎助(乙羽信子)。
だが嵐に遭遇。舵は壊れ油は無くなってエンジンもストップ。
完全に遭難した。4人の運命は?

遭難ものという映画だが、新藤兼人ならさぞかし人間のエゴについて残酷に描いているだろうと期待して見に行く。
まず期待は裏切らない。

いやそれより前に、嵐にあっての遭難シーンは独立プロの低予算映画とは思えないような迫力。同時代の「マタンゴ」だって負けていない。
やがて食料がなくなってくる。
長く食いつなごうという殿山泰司に対し、佐藤慶は「そんなお粥にして長らえるより腹一杯食って死にてえ」とばかりに米を食ってしまう。
食料はどんどん減ってくる。佐藤慶と乙羽信子は殿山泰司がまだ食料を管理しているのに不満を持ち、自分たちの分は分けてほしいと言い出す。
仕方なく食料の芋を4等分する殿山泰司。

で、佐藤慶と乙羽信子は船倉に移って早速芋を煮て食い出す。佐藤慶はとにかく食いたいので、まだ芋が煮えきらないうちに食べ始める。乙羽信子は「芋が煮えてからだ」とゆっくり待つ。そしてゆっくり味わって食べていると「早く食え!いらいらさせるな!」とせかす。
さらには「俺にも分けてくれ!」とどこまでもわがままを言い出す。
このあたりの佐藤慶のいやらしさは実にいい。
野卑でわがままな感じが実に出ている。

そしてついに山本圭を殺して食べることにする佐藤慶と乙羽信子。しかし結局食うには至らず、殺した直後、後悔して水葬に。
ここまで極限に追いつめて起きながらラストはどう決着させるのかがこの手の映画の難しいところだが、結局船に拾われる。

だが大島に近づいた時、乙羽信子は山本圭の件で発狂し踊りだして足を踏み外し船底に落ちて死亡。
佐藤慶も横浜入港後、警察の調べで殿山泰司が山本圭の件は隠そうとしているのに、佐藤慶も良心の呵責に耐えかねてか自殺してしまう。

うーん、結局「悪いことをするとバチが当たりますよ」的な教訓にまとめられてしまい、もう一つ収まりどころが悪い気がした。
それにしても殿山泰司がヒーロー的な船長を演じているのにはちょっとびっくり。
でもなかなか似合っていた。



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THE LAST MESSEGE 海猿 3D


日時 2010年9月18日21:00〜
場所 ユナイテッドシネマ豊洲 スクリーン1
監督 羽住英一郎

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博多沖のガス油田プラント・レガリアの採掘トンネルを補修するために接岸していた作業船が折からの大型台風によってレガリアに衝突。
乗組員のほとんどは救助できたが、そのレガリアをスリープ状態にするためにレガリアの設計者桜木(加藤雅也)と仙崎(伊藤英明)たちは現地に向かう。
しかし台風の風はますます強くなり、仙崎、桜木、そして逃げ遅れた作業員の木嶋(濱田岳)、女医西沢(吹石一恵)はレガリアに残されてしまう。
台風が過ぎ去るまでこのレガリアは持ちこたえられるか?


この映画、3Dである。
「アバター」以来、映画界は大作は3Dと言うのが定番になりつつある(常識までは行っていない)。「アバター」のように最初からつまり撮影のカメラからして3Dなのではなく普通に撮影された映像を3D風に見せる技術があって、そんな作品もある。
「アリス・イン・ワンダーランド」や「タイタンの戦い」などだ。
この「海猿」もそういったポスプロ段階で3Dにした映画。

はっきり言うけど3Dは「アバター」のようにちゃんと本気でやらなければだめだということを確認した。
3Dなら前に飛び出してくるとか、奥行きがあって吸い込まれるような感じがするとかそういった立体的な映像が必要だと思うけど、まるでない。
そもそも撮影の段階では3Dではなかったのだから画のつくりがそうでなくても仕方あるまい。
水が手前に飛び出してくるとか、下を見て落っこちそうな感覚になるとか、そういう立体的な画がないのだよ。
最近の3Dブームの最初の映画は「センター・オブ・ジ・アース」だと思うけど、あの映画はその3Dのための画作りがちゃんとしていてよかった(あざとさもあったけど)この「海猿」は割増料金払わずに2Dで見たほうが良かったかとも思うが、かといって面白くもないだろう。

さっき前作「LIMIT OF LOVE」の感想を読み返したが、ほとんど同じ感想を持った。
レガリアの設計者が登場するもんだから「タワーリング・インフェルノ」のポール・ニューマンみたいな活躍をするかと思ったらほとんど活躍なし。
見せ場も何やら作業船の方からガスが吹きあげるブローアウト現象が起こっており、仙崎ともう一人の服部(三浦翔平)がバルブを閉めに行くのだが、服部は怖くなって逃げ出す。
その後は「俺はいままで人生から逃げてきてまた逃げてしまったんです・・・」的なことを言う。
ヒーロー物語なのであんまりくどくどやられても困るのだよ。

で、最後やっぱりレガリアで火災が発生し、その火災を消すためにはレガリアを沈めるしかない。
政府の担当者(鶴見辰吾)は「1500億円の国家プロジェクトを犠牲にしてまで救うべき命なのか?」などと怒鳴りまくる。
なんだか最近はやりの「これから正義の話をしよう」のマイケル・サンデル教授みたいなことをいうがフジテレビらしい短絡的なあんまり物を考えない構成でレガリアを沈めることになる。
この辺はもっとやってもいいと思うよ。
いやでもそれより火災が発生しているから仮に沈めなくても火災で爆発したらどっちみち5人を助けようと助けまいとレガリアはなくなるんじゃないの?

あと、その日は仙崎と環菜(加藤あい)の結婚記念日で、仙崎が録音しておいた「お前に会えてよかった」的な愛のメッセージが延々と流れ、映像も延々とスローモーションになって流れるというくどさ。
もう止めてもらいたいなあ。
女性客ってこういうシーンで喜ぶのか?

結局セットの数も思ったより少なく、規模がでかそうな割には低予算(あくまで比較して、ですよ)なのかも知れない。
海猿シリーズはこれで完結のようだが、もう作んなくていいよ。



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君が踊る、夏


日時 2010年9月18日17:15〜
場所 ユナイテッドシネマ豊洲 スクリーン12
監督 香月秀之

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寺本新平(溝端淳平)は東京でカメラマン修行をしながら自分の将来に疑問を感じていた。
そんな時、高知の母から入院したと連絡が入る。急いで帰郷する新平。
しかし母の体調は大したことなくほっとする新平。
しかし高校の時の彼女で「一緒に東京に行こう」と誓った香織(木南晴夏)の妹さくらも入院していたことを知る。
実はさくらは小児ガンのため、来年の夏は迎えられないかも知れない体だった。
5年前、新平は香織や同級生の司(五十嵐隼士)たちと高知のお祭りよさこいを踊り、それにあこがれたさくらは自分も踊りたいと言い出す。

これからの活躍が期待される溝端淳平の主演作品。
またまたバカの一つ覚えのような難病物である。
よさこいの映画を作りたいのはわかるが、それでなぜ難病ものなのか?
難病ものなら客が入るのか?
客が入るなら許すけど、私が観た時は観客は私を入れて5人だった。まだ2週目に入ったばかりだよ。
どうするんだよ。
どうせなら「ウォーター・ボーイズ」「スゥイング・ガールズ」のような明るい映画の方がまだまし。
(でもこういった映画にありがちな竹中直人が出てきて笑いをとるのはやめてほしいけど)
それでまた女の子が妹が病気と知って東京にいくのを止めたんだが、その事情を知らない新平は「きっと司と出来たから高知に残ることにしたに違いない」と勘違いの嫉妬めらめら。
登場人物たちがどんどんバカな行動をし始める。

で妹のためによさこいを始めようとまたチームを作ろうとするのだが、かつての仲間はみんな就職して忙しい。
新平も香織との勘違い喧嘩からはじめは踊らないつもりだったが、香織が妹のことを話してから考えも変わる。
それでなぜだか急にバラバラだった友達までも踊りたいと言い出す。私が見逃したのかも知れないが、新平はともかく友人たちの心変わりがご都合主義。

で、まあ踊りに向かって練習を始めるのはいいのだが、ここで新平が残してきた写真がスタジオの先輩(DAIGO)によってコンテストの優勝候補になる。
その受賞式とよさこいの日が重なる。受賞式は欠席したら棄権になるという無理矢理な設定を作る。
それで新平は迷いに迷って結局受賞式へ。
受賞式で自分の応募された作品が香織が踊っている写真だと知り、自分の香織への気持ちを大切にしようと受賞式を投げ出して高知へ。

踊りが始まる直前に新平がやってくるのはなんだか若大将みたいでいいのだが、受賞式をほっぽらかす(つまりカメラマンとしての自分の将来を捨てる)という行動がなんとも気になった。
だから後半の踊りのクライマックスがそれどころではなく、画面に集中できまい。
女との幸せのために自分の夢を捨てるなんて僕には理解できないよ。香織もよさこいを踊らないことは承知してくれたんだから、そのまま受賞してこいよ。
それでまたこの香織役の木南晴夏が滅茶苦茶可愛ければ納得のするが、はっきり言ってそれほどではない。

とにかくこの映画を作った連中とは意見が合わないみたいだ。



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赤木圭一郎は生きている 激流に生きる男


日時 2010年9月18日15:20〜
場所 銀座シネパトス2
監督 吉田憲二
製作 昭和42年(1967年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


赤木圭一郎の死後6年経って作られた追悼映画。
46分だから短い。
初めは映画館(おそらく新宿日活)で上映されている赤木圭一郎特集を見に来た女の子に「赤木さんの魅力は?」とインタビューをしたり、レコード店で赤木のレコードが今も売っていたり、同じくブロマイド店で赤木のブロマイドは今でもよく売れると言った「街の声」が入る。

そして赤木の映像にかぶせてラジオのインタビュー音声が被さる。
「俳優にならなかったら何になってましたか?」みたいな奴。赤木の答えは「日本にいなかったでしょうねえ」
この音声は持っているLPレコードに収録されていると思う。

でこの映画の見せ所は赤木の死後未完成に終わった「激流に生きる男」の撮影済みシーンだ。
ナレーションによって大体のあらすじが紹介される。
横浜の港にやってきた赤木。しかし乗船予定の船は故障でドック入り。1週間ばかり時間が空いて困っているところへ芦川いづみと知り合う。
芦川いづみの経営するバーで雇われることに。
芦川いづみの子供ではないと思うが、親戚かなんかの子供がいてその子が赤木になつく。
その子供がなんと(というほどでもないが)江木俊夫!
いやー知らなかった、江木が赤木と共演していたなんて。
ついでに言うなら芦川の店の客でラジオアナウンサーが登場するのだがそれが笹森礼子!
芦川いづみとのダブルヒロインだっんだ。
完成していたら豪華な映画だったろうなあ。

芦川いづみの店は悪い奴に乗っ取られそうになっているのだけれど、それを赤木が助けてやって去っていくというのはいつもの日活のパターン。
そこで目新しいのは赤木がトランペットも吹ける設定で店のバンドで演奏するのだ。
そういえば日活アクションでは定番の楽器の演奏をやっていなかったですね。
ダブルヒロインとか楽器演奏とか今までの赤木映画になかった要素があり、未完成が惜しまれる。

日活らしい粋なせりふもあり、その中で記憶に残るのは赤木は過去を聞かれ「僕たちは歳の数だけ過去を持っています。その中で一つや二つ忘れたいことがあってもおかしくないでしょう」という奴。
これは初見の時から覚えていた(細部は違っていたけど)。
しかしほとんどのカットで音声も入っており、同時録音だったらしいことが伺える。
ただし一カ所赤木の後ろ姿のカットで声が違っている箇所があった)

あとは日活試写室で笹森礼子や野口監督が赤木の思い出を話し(その場に杉江俊夫がいるのだが、話は出てこない)、当時新人で赤木のファンだという山本陽子なんかが「私赤木さんのファンです」と言った話をする。

赤木ファンとして未完成に終わった「激流に生きる男」を断片だけでも見せてくれたことは非常にうれしい。
それだけで(それだけしかでもあるが)観る価値はある。



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AGAIN


日時 2010年9月18日13:30〜
場所 銀座シネパトス2
監督 矢作俊彦
製作 昭和59年(1984年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


日活創立70周年を記念して作られた日活アクションのアンソロジー映画。
大の日活ファンの作家の矢作俊彦が監督した。
学生時代、矢作俊彦の小説が大好きでよく読んでいた。
今は矢作氏はハードボイルド、というか私立探偵ものを書かなくなったので読まなくなったが、一時期はほんと愛読していましたねえ、矢作さんの小説は。
考えてみたら日活アクションを好きになったのは矢作俊彦の影響といえるかも知れない。

日活アクション映画からシーンを抜粋し、初老の殺し屋ジョーが「あの頃俺たちは・・」的なことを言いながら登場する。
この映画を観た頃は「日活アクションなんて遠い昔の映画」と思っていたけど、日活アクションが終わってからまだ10年ちょっとしか経っていない頃だったんだ。
それに錠さん自体が50ちょっと。
それでもう過去の話、みたいな扱いをしていたとは驚く。こっちが歳をとって10年前がこの間にしか感じられなくなりましたからねえ。
その辺の個人的な「体感時間の差」に驚いた。

この映画に使われているシーンはやっぱり裕次郎が多い。
たぶん5割は超えているんじゃないか。
実は私は日活スターの中で一番魅力を感じないのが裕次郎なのだよ。
私の中では「赤木、宍戸、小林、二谷」の順なので裕次郎のシーンが出てくると退屈してしまう。

その辺は実際に裕次郎は10年以上に渡って主演作があるわけだから作品の数が違うから、ともいえるのだが、「赤いハンカチ」のシーンだけで10分以上あるのだから、やっぱり矢作監督の趣味が裕次郎なのだろう。

だから私とはちょっと趣味が違うわけで、そのあたりがこの映画を私が楽しみきれない理由のような気がします。
しかしその中でも裕次郎の「嵐を呼ぶ男」、渡の「嵐を呼ぶ男」、旭の「嵐を呼ぶ友情」、
赤木の「激流に生きる男」からそれぞれの演奏シーンをつないで日活スターバンドを作って見せたシーンはよかった。



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昭和のいのち

日時 2010年9月12日18:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 舛田利雄
製作 昭和43年(1968年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


舞台は昭和初期。石原裕次郎は憂国の士で今日も佐藤慶の先生の元へ仲間とともに集まっていた。
先生は「一人一殺、一殺多生」を説き、若き仲間たちに日本の指導者たちの暗殺を命じる。
石原裕次郎は草薙首相(島田正吾)の暗殺を命じれるがいざ決行と言うとき、「私一人を殺しても世の中は変わらない。話せばわかる」と諭され、暗殺をやめてしまう。
やがて先生は逮捕され、仲間たちはばらばらに。
その中で仲のよかった後輩(中村賀津雄)から裏切り者と呼ばれ、その後輩とともに警察に追われた時に裕次郎は汽車から落ちてしまう。
怪我をして倒れているところを浅草のテキ屋の親分(辰巳柳太郎)に拾われるのだが。

ラピュタ阿佐ヶ谷の佐藤慶特集。チラシの中のこの映画の紹介で「昭和初期を舞台にして515事件226事件を絡ませた大作」みたいな書き方がしてあり、タイトルも「昭和のいのち」だから日活版「日本暗殺秘録」を期待してしまった。
この映画はそれまでタイトルすら聞いたことがなかったが、「ひょっとしたら拾いものかも?」と待してしまった。
正直、期待した私がバカだった。

上映時間が2時間45分もあるのだが、なんでそんに上映時間が長いのか理解できない。
1時間40分で十分な話なのだな。
たっぷり間をとった会話と演技ははっきり言って退屈の極致。
絶対なにか事情があってこんな大作もどきになったんだろうな。

佐藤慶は血盟団事件の井上日昭がモデルなのだろう。
石原裕次郎が暗殺をやめたところからこの映画話は本格的に始まるのだが、浅草のテキ屋に拾われる。
この娘が浜美枝で当然浜美枝は裕次郎に惚れる。
浜美枝の兄(高橋英樹)は軍人でこちらも川地民夫の青年将校らと日本の今を案じている。
「おお、まるで226だな」と思っているとラストで外される。

向島の兵器工場で女工が働かされており、その監視役にやくざがついている。
浜田光夫のこれまた共産党員がこの女工を助けだそうとするが、その女工は結局玉ノ井に女郎に出されてしまう。
それで知り合った裕次郎たちと助けだそうとする。
ところが裕次郎はその女郎屋で中村賀津雄の姉(浅丘ルリ子)と再会する。以前はルリ子と恋仲だった裕次郎だが、テキ屋の家にやっかいになっているうちに疎遠になっていたのだ。
再会する二人がそれまでのいきさつを話すシーンはまるっきりムードアクションののりだ。

それで浜田光夫が女工を助けるときにその話が高橋英樹が知ってしまい、「よし連れだそう」と軍人らしく女郎屋から無理に連れ出す。ついでに浅丘ルリ子も助け出す。
高橋英樹ははっきり言って単細胞でそんなことをされてヤクザの方が黙っているはずがない。
返って話はややこしくなる。
それを知って高橋英樹は「俺も陸軍幼年学校に入って10年。この世界のことに疎くなったものだ」と他人事だ。
こんな人に革命を任せていいのだろうかと心配になる。

で、助け出した女工と浅丘ルリ子はとりあえず高橋英樹が懇意にしている陸軍幹部の家にかくまう。
そこへ川地民夫が現れ「匿ってほしい奴がいるんだ」と言って出てきたのが中村賀津雄。
正直、あまりに都合がよすぎる展開なので笑った。

まあ結局テキ屋の親分は悪い親分(河津清三郎)によって殺される。
テキ屋一家の方は一の子分(青木義朗)が殴り込みを言い出すが、喧嘩はしない主義だった親分の意志をつごうと裕次郎が説得。
憲兵から目を付けられていた高橋英樹は満州へ送られることに。
ここまで来たのだから裕次郎が「俺はやり残したことがある」と言って出ていったら当然河津清三郎を殺すだろうと普通思う。

高橋英樹は226のメンバーになるのかと思ったら、「命令には従うべき」と言って満州に行くことに。
「最後の演習だ」と言って部下と夜道を行進していく。
裕次郎も出かけて夜道を歩く。
ここらでプリントの終わりにありがちなフィルムの傷が目立ち始めたのでいやな予感がしたら、裕次郎が歩くカットで「終」。

ってそれはないだろう。
やはりこの手の映画の常道として最後は裕次郎が河津たちを成敗するシーンがなければ映画的カタルシスがなさすぎる。

おそらくは学生運動盛んな時代で、裕次郎たちの憂国の士は当時の学生運動に重ね合わせて見るのに無理はあるまい。だからこそテロや暴力を否定する作りをしたかったのかも知れない。
しかし話の展開上、ここは河津たちは成敗されなけらばならない。
従って矛盾を承知で裕次郎が向かうシーンで終わらせなければならなかったのか?

学生運動とヤクザ映画とムードアクションをミックスさせ、しかしどれにも属さない中途半端なカタルシスなしの珍映画。
いろいろ制約があったのかも知れないが、どうしてこの映画ができてしまったのか、関係者の証言を聞きたいところだ。

あと書き忘れていたけど主に前半に登場する岡田英次の町医者が良かった。



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白昼の通り魔


日時 2010年9月12日15:40〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 大島渚
製作 昭和41年(1966年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


シノ(川口小枝)はある家でお手伝いとして働いていた。そこへ英助(佐藤慶)がやってくる。
彼らは顔見知りでどうやら1年ぶりの再会のようだ。英助は彼女に乱暴を働く。
英助は今は西日本で連続して起こっている「白昼の通り魔」と呼ばれる連続暴行殺人犯だった。


学生時代、大島渚の映画を全部見ようと特集上映の時に文芸地下に通ったことがある。
当然この「白昼の通り魔」も見ている。
というか実は見に行ったのだが、途中で寝た。
それ以来見ていない映画だったが、今回改めて見に行った。
正直言って退屈だった。
寝はしなかったが、十分退屈した。話が分からない訳ではない。
完全に映画に乗れないのだ。

シノと英助は故郷の村で若者たちみんなで河原で豚や鶏を買っていた。
ところが洪水で小屋が流され豚や鶏はみんな死に、壊れた小屋が返って下流の家に被害を出し彼らの理想は崩れようとしていた。
で学校の先生(小山明子)や村長の息子・源治(戸浦六宏)らが絡んでくる。
源治はシノに惚れていて心中を迫る。しかし結局源治だけが死にシノは生き残る。
仮死状態にあったシノは英助に犯され、それがきっかけで女性を犯すことを憶えていく。
先生と英助は結婚する。

そういうストーリーの紹介をしても駄目。
こんな感じでシノと先生と源治と英助の関係が描かれていくが、大島渚が何を描きたいのかさっぱり見えてこない。

先生は修学旅行の引率の途中でシノと会って色々と話すのだが、抽象的な問答が続きよくわからない。
このシーンはカメラが常にパンしていて、会話をしながら一人一人のショットになるがずっとパンしっぱなしという特徴あるカットの連続だが、これもよくわからない。

結局、学生の頃に寝てしまったものもっともな映画で、つまり私はその頃からほとんど成長してないと言えるのかも知れない。


上映後、主演の川口小枝さんのトークイベント。
何と武智鉄二監督の娘さんなんだそうだ。
知らなかった。



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赤い鳥逃げた?

日時 2010年9月11日20:50〜
場所 銀座シネパトス1
監督 藤田敏八
製作 昭和48年(1973年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


はっきり言おう。
この映画、私は全く受け付けなかった。
世間では名作の誉れが高いようだし、私も題名だけは聞いていたが今まで観たことが無かった。
まるで面白くないのだ。
原因はいわゆる映画の縦糸がないのだ。

メインとなるストーリーがあってそこに色んな人間関係やエピソードが絡んでいくから話は成立する。
例えば「康平と紗枝の恋愛は成就するか」「<僕>は魂の修行を終えることが出来るか?」「自殺した親友の真相は?」と言った縦糸があってさらに色んな横糸にあたる登場人物やエピソードが絡んで映画は盛り上がる。
「映画はそうでなければならない」とは言わないが、そういう映画の方が私は好きなのだ。

ところがこの映画にはその縦糸に当たるようなものがない。
大門正明(そういえば映画でこの人を観るのは久しぶりだ)と原田芳雄はなんだか美人局のようなことをして(実は女の夫(穂積隆信)に頼まれて離婚の手助けをするのだが)いるのだが、これが穂積が金を払う払わないでちまちまもめていたり、大門正明は桃井かおりのマンションに居候していてそこに原田芳雄もなんとなく転がり込む。

穂積から金を巻き上げようとして刑事に捕まり(なんと刑事の一人が佐原健二だ!)、実は桃井かおりの父親は衆議院議員だとわかったりする。
途中、渋谷の歩行者天国で山谷初男から1000円でおもちゃの鳥を売りつけられそうになったりする。

で、結局穂積から車を巻き上げて田舎に逃げ込むが、金に困って大門正明と桃井かおりは温泉場で白黒ショーをするのだが(これがシーツを被ったままだったりする。そんなのありか?)地元の口利き屋からは「あんな素人芸」といって金をわずかしかもらえない。

そんな感じでだらだらと映画は進んでいく。
もう退屈この上ない。
レイトショーのため後半の30分ぐらいになるとこっちも眠くなる。

でその後いろいろあって原田たちの車は警官隊に囲まれ、警官たちに銃を撃ち込まれ、爆発する。

70年代の喪失感といってしまえばそれまでだが、目標もなく無気力な感じで生きる3人の姿は見ていて退屈。
これが同時代に見ていたら違ったかな?それともいつの時代に見ても私のような人間には受け入れられなかったか?

この日は原田芳雄さんおトークショー付き。
場内は満員で立ち見もでるほど。
原田芳雄の根強い人気を見せられた。
そうそうエンディングのクレジットを見ていたら長谷川和彦が助監督だった。



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欲望の酒場 濡れ匂う色おんな STAGE

日時 2010年9月11日16:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 池島ゆたか
製作 平成22年(2010年)

(詳しくはPGデータベースで)


洋子(佐々木麻由子)は全国のライブハウスを巡っている歌手。今回の東京公演も付き人とともにやってきた。
彼女は昔付き合っていた男との間に子供があったが、その子は兄夫婦に引き取ってもらっていたが、そのときの条件が「もう縁を切る。この子には会わないでくれ」というものだった。
洋子の前に彼女の大ファンという女の子・明日見(日高ゆりあ)が現れる。彼女は同棲しており、彼との間に子供も出来、結婚も決まって今幸せだった。
洋子はプロモーターに仕事を紹介してもらおうとするが、持ってこられた仕事はストリップだった。

池島特集の2本目。
ピンク映画初の本格歌謡映画になるらしい。

明日見が洋子の娘だということは洋子が娘を兄夫婦の家に預けてきたという回想シーンがある段階で予想される。
そしてその予想は裏切られない。

洋子は結局ストリップの仕事は断り、東京を去ろうとする。
最後のステージも見に来てくれた明日見にお礼のあいさつに行った時に洋子は実は彼女が自分の娘だったと知る。
でも名乗らない。
結構ベタな展開だったりするのだが、洋子が自分が母だと名乗って涙で抱き合ったりしないので、ベタになり過ぎずよかった。
そして洋子の付き人(野村貴浩)が作ってくれた歌を明日見の前で披露する。

個人的には「小鳥の水浴」よりこっちの方が好きになれた。
多分、主役の佐々木麻由子と日高ゆりあの差なのだと思う。

佐々木麻由子は歌手を目指した時期もあったとかで歌の方の実力もなかなか。
歌手役をするには充分すぎる歌唱力だった。
映画の内容とは関係ないが、日高ゆりあが男と同棲している部屋が「小鳥の水浴」で日高ゆりあが住んでいる部屋と同じ。
また洋子が歌を歌うライブハウスが阿佐ヶ谷ロフトA。
よく知っている場所なのでなぜか微笑ましかった。



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半熟売春 糸ひく愛汁 小鳥の水浴

日時 2010年9月11日14:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 池島ゆたか
製作 平成20年(2008年)

(詳しくはPGデータベースで)


日高ゆりあ扮する女の子はあるバーでバイトしていてそのバーで最近働き始めた男に好感をもつ。
男は作家を目指して金持ちの娘と同棲していたが、彼女に子供が出来、結婚するしないで争い結局別れてしまっていた。
女の子の母親は売春婦で、最近は歳もあって売れなくなってきていた。母親は彼女女子高生として自分の常連に売っていた。彼女はそれがいやだったが母親の、命令には仕方なく従っていた。やがて母親は東京を離れて沖縄で新たに商売をしようという。彼女はそれをいやがったが母親は無理にでもつれていこうとしてた。
ある晩、女の子は男の部屋にあがるのだが。


池島ゆたか監督100本記念作品。
寺山修司が絶賛した日本で未発表の戯曲を昔演劇青年だった池島ゆたかが自ら翻訳した原作を、元にしている。
原作は女の子と男の二人芝居で、彼らの人生のバックボーンは会話で示されるだけなのだそうだ。
映画では回想シーンとして登場する。

女の子の母親役が佐々木麻由子なのだが、これが鬼母。
客の子供を身ごもってしまったのだが、妊娠5ヶ月まで気づかずにいたために堕ろせなかったらしい。だから二言目には「あんたなんか生む気は無かった」当たり散らす。
男も作家を目指していたがなかなか芽が出ず、子供が出来たことを機に普通に就職して欲しいとせがまれ思わず彼女の首をしめてしまう。
女の子もついに母親を刺してしまう。

男の方は相手はなんとか蘇生するが、別れとなる。
女の子は実は今日の昼間母親を刺して来たのだった。
二人は海に向かい、海岸でつかの間の休息の時を迎えるのだった。

結局ラストまで書いた。
佐々木麻由子の母親が実に怖くてこの母親なら刺してしまっても納得する怖さを秘めている。
で女の子の日高まりあだが、正直、彼女の痛切な叫びというものは物語上伝わってくるが、彼女自身から伝わってくるのは感じなかった。
もっともこの辺は彼女の善し悪しではなく、私自身が彼女に興味を感じなかったためかもしれない。
普通の女の子すぎて特に彼女に魅力を感じないのだよ。
正直、この辺が僕にとってはこの映画の弱さという気がする。

濡れ場はやはりピンクらしく凝っている。
日高ゆりあが初めて男に買われるところなど、男優が好演していて、彼女の靴を脱がせて靴のにおいや足のにおいを嗅ぐところなどユーモラス。
また別の男は剃毛趣味で彼女の下の毛を剃り落とす。
このシーン、ヘアのアップから始まったので、「下の毛に見えるが実は違う毛というオチか?」と思っていたが、本当に下の毛だった。
映倫がよく通ったなと思ったが、トークの時の池島監督の話では「映画が面白ければ映倫も何にも言わないんです。それに毛のアップのあとすぐにシェービングクリームをつけて隠しましたから」ということ。
実際の毛を剃る時にはクリームはかえって邪魔だそうだ。
またこのシーンでクリームを塗る直前まで監督はカメラに写らないところからストローで息を吹きかけ毛を揺らすと言う演出をしていた。細かい演出に感心する。



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ハナミズキ

日時 2010年9月9日19:00〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン8
監督 土井裕泰

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)


東京の大学で英語を勉強することを夢見る北海道の女子高生・紗枝(新垣結衣)は推薦入学の試験を受けようした日、電車が事故で遅れ、たまたま隣にいた水産高校の木内康平(生田斗真)に送ってもらおうとする。
康平は知り合いのトラックを勝手に拝借、しかし事故を起こし、結局紗枝の推薦入学はふいになる。
それが康平と紗枝の出会いだった。

生田斗真=新垣結衣の恋愛ドラマ。
しかしクレジットでは新垣が先だから、新垣の方が格上なのか?
私としては生田斗真だから見に行ったのだが。
普段恋愛ドラマは観ないし、観ても好きになれないのだが、この映画はわりと楽しめた。
まずどちらかが病気で死ぬ、というパターンではないからだろう。
康平と紗枝の11年に渡るくっついて離れてのドラマが展開されていく。

基本的に進学校の女子高生と水産高校の学生がつきあうか?という気がするがそういうことは気にしない。
生田斗真がかっこよすぎて北海道の漁師には見えない気がするが気にしない。
美男美女の恋愛物語を楽しめばよい。
夕焼けの灯台でのファーストキスのシーンは実に美しい。

紗枝は早稲田に合格、康平とは遠距離恋愛に。
ここでお決まりのように都会で紗枝は新しい男・純一(向井理)と出会う。
クリスマスの夜に康平は上京するが、あか抜けた紗枝や純一と楽しそうに話す紗枝を見かけ康平は不機嫌に。
ここで康平はお決まりのように大きなバッグを持ち、都会の人混みでそのバッグをひっくり返し、街で喧嘩になる。
実にパターンだ。
でもそういうことをつっこむのは野暮。
純一がカメラマンというのも実に典型的。
アートっぽい仕事が登場するときは最近はいつもカメラマンだ。
昔なら詩人とか絵描きだったのだが。

就職の時期になり、紗枝は全く就職が決まらず、一挙にニューヨークへ。
康平は結局地元の漁協の女の子と結婚。
紗枝は純一に結婚を申し込まれる。
ところが純一は取材先でテロリストに殺される。
康平も父親の借金が元で破産。女房にも逃げられる。

紗枝は自分が生まれたカナダの港町にいくが、そこでかつて康平から自分がもらって一度は返したはずの船の模型を見つける。
「えっ?康平はこの町に来たの?」今はマグロ漁船の船員として働いているのだった。
ここで間一髪で二人の再会はならず。

紗枝は北海道に帰り結局二人が結ばれる。
これが1995年に始まって2006年に終わる。
なんで終わりが現在の2010年ではないのかが不明。
また紗枝の母親(薬師丸ひろ子)と木村祐一とか、康平の最初の妻と小柳友との恋愛模様もこちらもハッピーエンド。

11年の恋愛ドラマでありきたりな展開が続くとはいえ、ハッピーエンドなので(つまりどちらかが死んだりしない)今まで観た恋愛ドラマの中では楽しんで観た方です。
生田斗真、今後とも活躍して欲しいですね。



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宇宙戦争

日時 2010年9月8日 
場所 DVD
監督 バイロン・ハスキン
製作 昭和28年(1953年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


カリフォルニア、ロサンゼルス近郊の田舎町に隕石らしきものが落下した。近くで仲間と釣りを楽しんでいたフォレスター博士(ジーン・バリー)は、翌日その現場に向かう。
だがその夜、隕石からにょきにょきと先端がランプのようなパイプが延びだし、見張りの者を光線で殺す。やがてその隕石の中から空飛ぶマシンが躍り出た。
攻撃を行う軍隊。しかし相手はバリアを張って砲弾ではびくともしない。
フォレスター博士は恋人と逃げまどう。
ついに核攻撃が決定された!


数年前にスピルバーグもリメイクした古典SFの名作。
子供の頃テレビで観て非常に怖かった。
ちゃんと観るのは数十年ぶりということになる。
だからラストの落ちも知っている。
でも面白かった。

フォレスター博士は火星人のマシンの攻撃によって軍隊が壊滅すると、飛行機で脱出する。
しかし敵のマシンの攻撃により不時着。
とりあえず逃げ込んだ民家で休むのだが、ここへ例のマシンがやってくる。
そのマシンから出てきたカメラが部屋に入り込んでくるシーンは今観てもドキドキする。
子供心には怖かった訳だ。
そして火星人との遭遇!
フォレスター博士の恋人の方に火星人の手がおかれ、その恋人が悲鳴を上げるシーンは実に怖かった。
その前に火星人の陰だけ見えたり、木陰で動くシーンがちらっと見えたあたりも怖い。
このあたりのじらしのセンスは今にも通じるおもしろさだ。古典SF映画史上の名シーンですね、この火星人との遭遇のシーンは。

このシーンで火星人の血液や火星人のカメラが採取でき、博士は研究所に持っていく。
ここで普通のSFドラマはここから火星人の弱点が発見でき、反撃のチャンスとなるが、この場合そうはならない。
結局核攻撃となるが、何のダメージも与えられない。

街の人々はパニックで暴徒と化し、避難しようとした研究所のトラックを襲ってすべてのサンプルが無くなってしまう。
博士はキリスト教信者の恋人はどこかの教会にいるはずと捜し当てる。
で、奇跡のラストが起きる。

SFドラマの王道の展開を踏まずに人々は暴徒となり、実に悲観的な展開だ。
そういえばこの映画の原題は「THE WAR OF THE WORLD」つまり世界戦争だ。
映画の冒頭、第一次世界大戦や第二次世界大戦の模様が紹介される。
従って今回の戦争も第三次世界大戦を意味していたのかもしれない。
つまり人間はもっと賢くならなければ破滅してしまいますよ。今回だけは奇跡で助けてあげますけど。
そんな作者のためいきが聞こえてくるような気がする。
何しろまだ戦争が終わって数年の頃だもんなあ。

この映画では火星人に関係するものはすべて3。
火星人の指は三本だし、目は赤緑青の三食。攻撃マシンは三角形(この攻撃マシン、相当でかいと思っていたが、大型トラックぐらいの大きさらしい。人間と比べるカットがないので大きさがわかりにくが、建物の大きさと比べると何十メートルもあるような大きさではないらしい。
昔、映画雑誌でこの映画について「○が一番安定、平和を示す形。○が多角形の角がどんどん増えたものと考えれば、3角という形はいちばん平和とか安定とは遠い存在で、邪悪なものという考え方ができる。つまり火星人はすべての邪悪の象徴だ」と。
ほんまかいな?と思えるような解釈だが、なんとなく説得力はあるので忘れないうちに記しておこう。

あとこれも映画雑誌(「キネ旬」だったかなあ??)でこの映画に登場する爆撃機について書いてあったことも記しておく。
核攻撃は爆撃機で行われるのだが、この爆撃機が翼だけしかなくて胴体がほとんどない特殊な形。
私の読んだその文章では当時、この胴体がなく翼だけしかない飛行機は「全翼機」と呼ばれ開発中の最新鋭機だったそうだ。(この映画に登場するのはノースロップ社のYB-49)結局、研究の末、胴体がある形の方がいいとなってこの「全翼機」は飛行機開発の歴史からは消滅していく。
この映画で登場したことで、その姿は記録されることになり、その部分だけでも貴重な映像とも言える。
以上、憶え書きまで。



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(本)噂のストリッパー

日時 2010年9月5日21:10〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 森田芳光
製作 昭和57年(1982年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


アルバイト学生の洋一(宮脇康之)はストリップ劇場に通ううちにスプレーショーをしている
グロリアに惚れる。
彼女に手紙と花束を渡そうとして、呼び込みに預けた洋一だが、呼び込みはそれを渡さず
捨ててしまう。
次のスプレーショーの時に「手紙読んでくれた?」と問いかけるがグロリアは全く聞いていない。
洋一は呼び込みが渡してくれてないと気づく。
やがて宅配のバイトで行った先の若い娘に誘われて関係を持つのだが。

「女医の愛欲日記」を観た後、ロビーにでたらこの映画のポスターが目に入った。
森田芳光作品とは知っていたが、宮脇康之主演とはすっかり忘れていた。
宮脇康之と言えば懐かしの子供番組「ケンちゃんチャコちゃん」の主役を演じていて名子役だ。
公開当時、「あのケンちゃんがロマンポルノに出演!」とスポーツ紙の紙面を飾っていた。
その記事だけを読んで映画は観ていないと思ったので、宮脇康之の名に懐かしさを覚えたのだ。
時間の関係でちょっと迷ったが、結局観ることにする。

ところが観ているうちにこの映画、観たかも知れないと気がついた。
3シーンほど観たことがある気がするシーンがあるのだ。
グロリアと照明係の青年が町を歩くシーン。「踊り子さんの肌の色に合わせて照明変えてるんだぜ」というシーン。
グロリアの姉とマネージャーで姉の夫の二人が夜セックスをした後、ティッシュが投げ入れられるシーン、白黒ショーをする男が勃ったイチモツの勢いを保ったまま舞台に出ようとして「ちょっとごめんなさいよ」と言って踊り子をかき分けていくシーン。
そういうセリフを聞いた覚えがあるからきっとこの映画は見たのだろう。
封切り時に日活の映画館ではなく、多分森田特集で文芸地下ではないか?

そういう個人的な思い出は別にして感想を言えば正直面白くない。
純情青年が踊り子にいれあげていくというのは僕も好きな話だが、洋一の真剣さを感じないのだな。
手紙や花束が渡されてないと思えば、今度は舞台で渡すとか、楽屋に忍び込もうとするとか再チャレンジがない。1回でうまくいくと思う方が甘い。

それに宅配に行った先のアパートの女の子に誘惑されて、その晩のうちに関係が出来、
ずるずると関係が始まる。ポルノ映画だからと言ってしまえばそれまでだが、結構やることはやっている。
そんな奴に「ストリッパーに惚れた純情」を語られてもなあ。

ラスト、グロリアは生板本番をするようになる。
じゃんけんに買ってグロリアと一発出来た洋一。
「愛しているんだ。電話番号教えてよ」って言われても真剣さが感じれらない。
その後に前に照明係をしていた青年が(実は1回グロリアとは関係があるのだが)洋一に続いて本番をし、その時にキスをしようとして拒否されるところがよかった。
でもグロリアの空虚な胸の内も解らず、結局何にも描かれていない気がした。



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女医の愛欲日記

日時 2010年9月5日19:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 深尾道典
製作 昭和48年(1973年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


九州では有名な女医の美穂(白石奈緒美)は月に一度京都へやって来て
最新医学の講習を学生時代からの恩師(戸浦六宏)から受けていた。
表向きは講習のための京都だが、彼女は毎夜、デートクラブのホストをホテルに
呼んで楽しんでいた。
彼女は常に新しい男を求める。しかし今夜やってきたのは前にも一度経験のある垣見
(佐藤慶)だった。一旦は拒否した美穂だが、やっぱり垣見のセックスはたまらない。
別れ際に美穂は垣見に翌日も来るように言う。
垣見は妹の雪子(桜マミ)と暮らしていたが、二人には肉体関係があった。

去年の年末、この映画がたしかシネマヴェーラで上映され、その時に一部の邦画ファンの間で話題になり、監督の「深尾道典って誰だ?」と言われたものだった。
私もよく知らなかったのだが、調べてみると大島渚の「絞死刑」の脚本を共同で書いている。
だから創造社とも近い人だったのだろう。この映画でも佐藤慶、戸浦六宏、小松方正、渡辺文雄(ワンシーンだけど)などが顔を出しているので、創造社っぽいキャスティングだ。尺も67分と短く、東映製作だけどピンク映画としての製作だろう。
佐藤慶は81年の「白日夢」で愛染恭子と本番を演じて話題になったがこの当時からこういうピンク映画で濡れ場を演じていたのだな。だから本人にとっては「白日夢」も別に目新しいことをした気ががなかったかも知れない。

でまあ観たのだが、「そんなに大騒ぎする映画か?」というのが正直な感想。
確かにアバンギャルド(前衛的)なシーンもあるが、それは60年代の映画(この映画は73年だけど)にはそういうのよくあったし。

一番意味不明なのが、山羊のエピソード。
美穂が一人でホテルの部屋にいると突然部屋に山羊が入ってくる。美穂は山羊とセックス(?)し、その後、窓からその山羊を捨ててしまう。
3階ぐらいから捨てられたので、山羊は当然血だらけになって死ぬ。
とそこへ今度は段ボール箱を持った男がやってきて「山羊知りませんか?」という。美穂は知らないと答えるが、ホテルの廊下では段ボール男とは別に夫婦がいて(妻は市原悦子)妻「私たちの山羊いなくなりましたね。困りましたね」夫「大丈夫、世界にい山羊なんか最初からいなかったと考えればいい」などと意味不明のことをのたまう。
あとで美穂が窓から下を覗くと山羊の死体がなくなっている。

で、垣見と美穂がセックスしているところへ妹の雪子がやってきて、美穂は二人でしているところを見せろという。
で、どうなってけ?結局美穂が垣見を殺したんだっけな?
(もはやよく覚えていない)
ところがラストシーンで街を歩く美穂に男が急に近づいて(この男が名和宏に似ている)ズボンをおろして美穂に襲いかかってEND。

そんな映画でした。
(どうでもいいけど、美穂が京都に新幹線でやってくるとき、新幹線は右から左へ動く。これってどうしても東京から京都へ行ったと解釈されてしまう。でも後で話中では美穂は九州から来たという説明になる。単なる間違いか?それとも意志のある編集か?)

この日は桜マミさんのトークイベント付き。
ピンク映画の現場しか知らず、佐藤慶さんとも初めてだったが、撮影が早く終わった日は一緒に「ポセイドンアドベンチャー」を見に行ったという。
ってことはピンク映画みたいに3日で撮影するとかではなかったようだ。



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カラフル

日時 2010年9月4日21:35〜
場所 新宿バルト9・スクリーン8
監督 原恵一

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


<ボク>は下界で罪を犯し、この<あの世>にやってきた。しかし<あの世>の入り口で見た目は小学生の<プルプル>に声をかけられる。
「おめでとうございま〜す。あなたは抽選で選ばれました!下界にもう一度戻って魂の修行をしていただきます!」。仕方なく<ボク>は下界に戻り、睡眠薬を飲んで自殺した中学3年生、小林真の体に宿ることに。
しかしこの真、自殺するくらいだから悲惨な人生。友達はいなくて親父は人がいいだけの情けない奴、兄は自分の大学受験しか考えていない、母親は実はフラメンコの先生と浮気している。真は母親の不倫と後輩で密かに好きなあやかが中年男とホテルに入るところを見てしまい、それで自殺したのだ。
<ボク>はこの世界でやっていけるのだろうか?


「河童のクゥと夏休み」や「クレヨンしんちゃん モーレツ大人帝国の逆襲」の原恵一監督作品。
普段はあまりアニメを観ない私だが、原監督作品だから観てみることにした。

うん、どんどん実写映画っぽくなってきたな、というのが第一印象。
「河童のクゥ」では何よりクゥが実写的ではないアニメならではのキャラクターだったが、この映画ではプルプルぐらいしか3頭身のアニメ的キャラクターは存在しない。
実際の風景をロケハンして作画したと思われる風景。
田園都市線の二子玉川や等々力駅などがそうだ。
また廃線になった玉電の線路跡を小林真くんと新しく出来た友達と歩くシーンなど、空想的世界を作ることを得意とするアニメからは対極にあるようなエピソードだ。
(公開前に原恵一監督のインタビューをテレビで偶然観たが、例えば空の色とかが実写では自分では思い通りにならないという理由でアニメを選んだという)
深読みかも知れないが、小林真の部屋に同級生のめがねをかけた女の子が見舞いに来たとき、めがねをはずして「お前、めがねをとってもやっぱり可愛くないな」というシーン。めがねをとったら可愛いというキャラがアニメでは多いので、そのアンチテーゼか?

また母親と真が二人きりで食事をする時にハンバーグを食べるのだが、そのハンバーグを作る様を真が想像するカットが連続する時に、シーツを掴むカットが挿入される。
もとより母親の顔などこのカットでは写らない。
しかし結婚指輪をした手がシーツを掴むさまは母親の不倫を意味するカットで、その手でハンバーグを作ったことに嫌悪感を感じる見事なモンタージュだった。


タイトルの「カラフル」とは「人間は一つの色ではない。いい面もあれば悪い面もある。色んな色を持っていて当然だ。人間とはそういうカラフルなものなのだ」というテーマから来ている。
決めつけない、多面性を認めるということからなんとなく相田みつを的思考を思い出した。
「毎日少しづつ、それがなかなか出来なんだよなあ」
「分けあえば余る。奪い合えば足りない」
といったような人間の弱さ、不完全さを肯定するところになんだか共通項を感じてしまう。

頼りないと感じていた父親と釣りに行って父親の気持ちを理解したり、自分の受験しか興味がないと思っていた兄が実は自分の受験を心配して高校を調べてくれたりとか人間の多面性を知り、自分は一面しか観ていなかったと反省する。
玉電の支線を教えてくれた友人は「僕がこうして支線を訪ねればなくなったことにはならない気がして」という。
他人の心に残ればそれだけで存在することになるという考え。

単なる自殺防止の映画だとは思わないが、人間の多面性や弱さを肯定する映画で、描いている内容は好きになれた。



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瞳の中の秘密

日時 2010年9月4日18:00〜
場所 新宿武蔵野館1
監督 ファン・ホセ・カンパネラ

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)



アルゼンチンの裁判所で働いていたベンハミン・エスポシトは定年退職を機に小説を書き始めた。
それは忘れもしない25年前に起こった殺人事件。
ベンハミンはかつての上司で今は検事となったイレーネを訪ねる。出会った頃から美しい女性だったイレーネだが、今も美しい。ベンハミンはかつてはイレーネに思いを寄せていたが、所詮は身分違いを諦めていた。
小説の題材になった殺人事件は23歳の新婚の女性教師が暴行され殺されたものだった。顔見知りの犯行と思われ、被害者の幼なじみイシドロ・ゴメスが容疑をかけられる。
しかしゴメスは行方不明。
迷宮入りになったが、1年後、ベンハミンが被害者の夫モラレスが駅のベンチに座っているのと出くわす。
いつか駅にいれば容疑者のゴメスと出会えるのではないかと張り込んでいるというのだ。
ベンハミンはその姿に心を打たれ、再捜査を部下のパブロとともに開始する。

今年度米国アカデミー外国語映画賞受賞作品。
アカデミー賞には興味がないのでこの映画のことは知らなかったが、ある方に勧められたので鑑賞。
殺人事件が起き、その犯人はいかに処罰を受けるべきかが話の中心だ。テーマではない。
映画はこの殺人事件と平行してベンハミンとイレーネの愛情模様も描かれる。

正直どこの国の映画かもよく知らないで観たし(アルゼンチン映画だよ)、司法制度が日本と大いに違うので、(裁判所の職員だが、事件が発生して現場に向かう、主人公は裁判官かと思ったら、イレーネも判事補でさらに上に上司がいてそれが判事)主人公の立場を理解するのに時間がかかった)本当は最後までよくわかっていないで後でパンフをみて理解した次第だが、映画を見ている間はその辺は忘れることに。

ゴメスが疑われる理由が、被害者が学生時代のアルバムをみると常に被害者を観ている男がある。しかもその目はなにか引っかかる。
ここで裁判所の仲間とのパーティの写真が挿入され、ベンハミンがイレーネを見つめる目が共通するものがあるからという展開。
そう、愛はまずは見つめることから始まるのだ。

母親とは連絡をとっているはずだとゴメスの田舎にいって実家にベンハミンとパブロは忍び込み、手紙を盗み出す。しかし封筒がないので今のゴメスの住所はわからない。
その上「○○みたいにびしょぬれじゃない」とか「○○みたいに間抜けじゃない」とか人名がやたらでてくる。
この人名が「サッカー選手の名前で、ゴメスはサッカーマニアだ」となる。
う〜ん、話の展開は面白いのだが、サッカーマニアというのをパブロの酔っぱらい仲間から教えてもらうのはちょっとどうか?
ベンハミンたちは気づかないのか?
日本なら「松井みたいに」とか「落合のように」とか書かれていたらすぐに気づきそうだが。

でゴメスはきっとサッカー場に現れると言うわけでベンハミンとパブロはサッカー場を張り込む、となるがここで偶然ゴメスを発見するのはややシナリオがご都合主義ではないか?
しかしこのシーン、細部は違いけど「犯人はサッカーファンだからこのスタジアムにきっといる」
というのは黒澤の「野良犬」のパクリだろう。
このシーンはほとんど手持ちで行われ、ワンカットでつなぎ、見事だ。特にゴメスが3階ぐらいのところから壁づたいに降りて、足を怪我しながらピッチまで逃げていく場面が特にすごい。
役者にトリックなしで3階から降りさせたのか?
(でも手持ちの画がゆれすぎて気持ち悪くなったのも事実。最近こういう手持ちの画は体が受け付けない)

そしてイレーネの見事な取り調べにより犯行を自供。
しかし政府の「テロリスト逮捕に協力した」という理由で釈放。
(この辺は本当はアルゼンチンの歴史を知らないとよくわからないだろう)

やがてパブロは殺される。どうやらベンハミンの身代わりに殺されたようだ。
実はこのあたりが曖昧。この前にイレーネとベンハミンが裁判所のエレベーターに乗った時に拳銃をちゃらちゃらさせる男が乗り込んでくるシーンがあるが、これがゴメスだったとは映画を見てパンフレットを観て気がついた。ゴメスはそれまでは労務者の服装だったが、エレベーターの時はびっちりとしたスーツ姿でよく解らなかったたのだ。

身の危険を感じたベンハミンは田舎に隠れる。
そして25年がすぎて・・・というわけ。
夫のミラレスを訪ねるベンハミン。今は平穏い暮らしているミラレスを逆に不振に思う。
駅で張り込みをしていた情熱はどうなったのか?
ミラレスは実はゴメスを殺したと告白するが、まだ不振に思うベンハミン。

正直、意外な結末だったなあ。
未見の方のために書けないけど、これがこの犯罪の結末か。ある人物が「彼に何か話してくれるように言ってくれ」という。
人間としてこれほど残酷な結末はないかも知れない。

韓国映画「セブンデイズ」も殺人事件の加害者の最期を描いた映画だが、この映画に比べればまだまだ「おこちゃま」だ。しかし今の多くの日本人は「セブンデイズ」の方が好みかも?

結局イレーネとベンハミンは結ばれることを暗示させて終わるが、正直、そんなことはどうでもよくて映画館をでてから「殺人犯の最期」について考えさせられた。
見応えのある志の高い映画だった。
観てよかった。



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日劇「加山雄三ショー」より 歌う若大将

日時 2010年9月4日12:40〜
場所 銀座シネパトス3
監督 長野卓
製作 昭和41年(1966年)

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加山雄三初の日劇におけるワンマンショーを「若大将シリーズ」の名場面を交えての構成。
監督は後に「怪奇大作戦」を撮った長野卓だ。

まずは仕事の合間に茅ヶ崎の「ホテルパシフィック」のプールで遊ぶ加山雄三。
(のちに負債の原因になるホテルですね)
ここにナレーションで「ファンも多くてプールの中までガードマンに守られていては休むと
いうより疲れてしまいますね」。のんびりしたナレーションがなんだか今となっては
微笑ましい。というか映画を撮ってること自体、プライベートでもないような。

そして開演前の日劇。
ああ、懐かしいですねえ。
マリオンが出来たのは83年ぐらいだから日劇が閉館になったのは81年ぐらいだったか。
今の若い東宝ファンは日劇を観たことがないだろうけど、私は行ったこともある。
そんなことはいいとして、日劇の今回の公演の看板が写るのだが、「ゼロファイター大空戦」も上映し併せて加山ショーも行っていたようだ。
「1日3回公演ですが、入れ替えではないので1日中いて3回観る方もいらっしゃったようです」とナレーションが入る。やっぱりコンサートというより映画の幕間のショーという形式だったようだ。(それにしても「ワンマンショー」という言い方が時代を感じる)

という訳でいよいよライブ映像(という言葉もこの当時はなかったが)がスタート。
加山は嫌いではないが、特に好きではないので曲は知っていてもタイトルは知らない曲がほとんど。
「お嫁においで」とか「君といつまでも」とかの大ヒット曲しか結びつかない。

そんな中で「君といつまでも」のように「君のことが大好きだ」的なせりふがあって、そのせりふを言った後に加山はむちゃくちゃ照れて「ああ恥ずかしい」といった感じで頭をささっとかく。
この仕草が何とも面白いのだな。
ファンにとっては「照れている加山雄三」も好印象なのだろう。

また時々ファンの声援も入っている。
「雄ちゃ〜ん」「加山さ〜ん」というのに混じって「こっち向いて〜」というのもある。
時々プレゼントの花束を渡すファンもある。握手もしてもらっているが、今のアイドルでは
出来ないだろうなあ。
大抵二人で渡しに行って二人とも握手してもらっていて、中にはなかなか手を離さない子も
いて加山が離すのを手間取っていた。

最後は「君といつまでも」の熱唱で終わる。
上品な育ちの良さそうなキャラクターはまさに東宝的。
これが東映なら彼のキャラは生かされなかったろう。
この「育ちの良さそうな笑顔の素敵なキャラクター」というのはなんだか今の妻夫木聡に
通じるような気がした。
時代が時代なら妻夫木も若大将を演じていたかも知れない。



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霧笛が俺を呼んでいる

日時 2010年9月4日10:30〜
場所 銀座シネパトス1
監督 山崎徳次郎
製作 昭和35年(1960年)

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遠洋航海の二等航海士の杉(赤木圭一郎)は横浜の港に上陸した。
彼は親友・浜崎を訪ねてみたが数ヶ月前に自殺したという。
仕方なく病気で入院している浜崎の妹(吉永小百合)を訪ねてみる。彼女の話では
死ぬ前日に見舞いをしてくれた兄の様子はとても自殺するようには見えなかったという。
彼はその浜崎の恋人(芦川いづみ)と出会う。浜崎の死にますます疑惑を抱く杉。
そして彼の前に刑事(西村晃)が現れる。なんと浜崎は麻薬の密輸をしていたというのだ。


赤木圭一郎の代表作。
観るのは学生時代以来だから25年ぶりぐらいかも知れない。
「紅の拳銃」と並んで有名な映画だが、何といっても歌だろう。
正直あまりうまくはないのだが、彼の歌の中ではいい歌のほうではないか。
お話の方ははっきり行って「第三の男」のパクリ。
脚本が熊井啓だが、会う機会があればこの映画について聞いてみたかった。

話は「第三の男」だが、「第三の男」の観覧車とか地下水道のシーンのような画的に印象
の強いシーンはなく、ただ話をなぞっただけ、いうのが学生時代の印象だったが、今回
見直してみて意外に構図がいいカットがあるのに気がついた。
埠頭の向こうの方に赤木が立っているのだが、埠頭を多く写して遠近感を作ったり
(このときの赤木の立ち姿が何ともかっこいい!)、濡れた路面に人影を写したり、
山下公園やホテルニューグランドをバックにしたカット(そういえば氷川丸が停泊する前だ)
を始めとした夕焼けのカット、浜崎(葉山良二)が赤木のホテルを訪ねている最中に妹が
やってきて葉山は隣の部屋に隠れる。その隠れた部屋の鏡ごしに妹を観るカットなど
スタイリッシュなカットも多く、撮影の姫田真佐久の手腕だろう。

もっとも先にも書いたけど、お話は「第三の男」だし、後半はホテルで待ち合わせた赤木と
葉山だが、自首させよとしたところに刑事がやってきて、窓から葉山は逃げだす。
窓の外にあった窓拭きようのゴンドラに乗って逃げるのだが、ここでヒッチコックばりに
「落っこちそうになるサスペンス」があればそれなりに盛り上がったが、それはない。残念。

最後には霧の中を赤木が真っ白マドロス姿で芦川いづみと別れるシーンは日活的かっこよさの
代表的シーンだろう。
航海士が出航時に海を見つめて感慨にふけっていていいのかよ!というつっこみはあるが、
そんなことは考えずに素直に赤木のかっこよさを楽しもう。



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