2010年10月

蟹工船 どっこい生きてる 女心と秋の空
〜ふしだらな子猫〜
フロスト×ニクソン 夏子と長いお別れ 暗くなるまで待てない 島田陽子に逢いたい
Oh!透明人間 夜の罠 愛するとき、愛されるとき 南の風と波
ヘヴンズストーリー 十三人の刺客
(三池崇史版)
青い夜霧の挑戦状 決死圏SOS宇宙船
TSUNAMI ツナミ ふんどし医者 これが青春だ! 海賊仁義

蟹工船


日時 2010年10月31日18:50〜
場所 銀座シネパトス3
監督 山村聰
製作 昭和28年(1953年)

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北海道からオホーツク海での蟹漁の船が出航する。
この船は採った蟹をそのまますぐに缶詰にする「蟹工船」だ。
生産量のノルマの為には危険もいとわない。
嵐の中を蟹を採る小舟をだす。漁師はこの天気では危険と反対するが、責任者の浅川は許さない。
また「SOS」の救助信号を受け取り、救出に行こうとする船長を押しとどめる浅川。
やがて乗組員たちの怒りは爆発し、暴動へと繋がるのだが。

有名な小林多喜二の原作を山村聰が監督した映画。
あんまりいい評判は聞かなかったが、確かに面白くない。
山村聰も映画監督としてはあまり成功できていない。

とにかく浅川の横暴を描くシーンばかりが登場するので、映画としては飽きてしまうのだよ。

また山村聰が出演するのだが、これがまったく映画全体から見て意味をなしていない。
彼は警察に追われている身分なのだが、もともと資産もある男だったが、ある歌手と北海道へ駆け落ちしてきたのだ。ところが女の方は別の男と遊びだし、それを見咎めて相手を殺してしまう。それで警察に追われる身となった訳だが、映画の後半で自分がいやになったのかオホーツクの海に身を投げて自殺してしまう。
いったい何の為にでてきたことやら。
それに山村聰が演じるので似合わないのだよ。

また原作にあった遭難した船員がソ連船に救助され戻ってくるエピソードがない。
このソ連船に行ったメンバーが「働くものが偉い世界」の考え方を知ってそれが後の暴動に繋がるのだが、そのエピソードが完全になくなっている。
昭和28年の冷戦下ではソ連をよく描くような描写は出来なかったのだろうか?

そしてもう一つ原作にあった描写がない。
もちろん原作も反乱を起こした船員たちに対し、日本海軍兵士は銃を向け、皇軍も我々のためではなく、所詮は資本家の手先でしかないことを示す。
映画はここで終わる。
しかし原作では「彼らは立ち上がった、もう一度!」として再度立ち上がる姿が描かれる。
ここは原作では肝だと思うが、なぜか描かれなかった。

出演では山村聰のほかは浜村純が記憶に残る。
痩せた体が実に蟹工船での過酷さを表現していた。

正直、凡作。
あまりいい評判を聞かないのも無理はない。
底辺を生きる人の苦しさを描いた作品なら同じ日にみた「どっこい生きてる」の方がよっぽどインパクトは強い。



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どっこい生きてる


日時 2010年10月31日16:55〜
場所 銀座シネパトス3
監督 今井正
製作 昭和26年(1951年)

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毛利修三(河原崎長十郎)は戦前は職人2人雇って旋盤工場を経営していたが、戦争ですべてを失い今は日雇いの身分だった。
女房も内職をしているが大した稼ぎにはならない。
ところが住んでいるバラックの大家が来て明日こそここを取り壊すのででていってほしいという。
大家としては半年前から話をして十分にしたつもり。もちろん毛利もそれを解っているが、引っ越すあてなどない。女房は子供二人をつれて青森の姉を頼ってみるという。
上野駅まで見送る毛利。
木賃宿で生活をしながら日雇いの仕事をするが、ある時「旋盤工募集」の貼り紙をみて応募する。
結果は採用。これで生活のめどがたったと喜ぶ毛利だったが。


タイトルだけは聞いたことがあった今井正監督作品。
「どっこい生きてる」というタイトルから貧乏だけどどこか明るい人々の暮らしの映画かと思ったら大違い。
暗い暗い。
学生時代に今井正の「米」という映画でも貧乏描写にはいやになったが今回も負けてはいない。

お話の方は毛利は就職先が決まったが、月給制なので給料日までの生活が出来ない。
社長に前借りを頼んだが当然だめ。
見かねた飯田蝶子や木村功の仲間がみんなから少しづつお金をかり集めてくれてとりあえずの生活費はなんとかなった。
ところが周りに「一杯飲みなよ」と言われて最初は断っていたものの、つい飲んでしまう。そして酔っぱらってしまって翌朝見たら借りた金がない。
この毛利が酔っぱらってしまったシーンで「ああきっと金がなくなるんだろうな」と見てるこっちもハラハライライラしっぱなし。
案の定、お金が盗まれるのはバカの見本だ。
しかし毛利の落ち度はこのときぐらいで、あとは一生懸命だ。
せっかく決まった仕事だが、「職人を使っていたなんてかえってうるさい奴になるかも知れない」という理由で仕事はふいになる。

その上、青森に帰っていた女房子供が向こうもやっかいになる余裕はなく、キセルで帰ってきて警察に捕まってしまった。
もはや親子心中かと最後に一家で遊園地に遊びに行く。
しかし子供が池に落ちておぼれてしまう。
思わず助けてしまう毛利。
毛利は思い直し翌日から日雇いの仕事をしていく。

毛利の悲痛な表情をとらえてこの映画は終わる。
生きていくのもしんどい。しかし死ぬわけにも行かない。
どうしたって地獄という悲惨さだ。
一度は死ぬつもりだった毛利が子供が死にかけたことで気が変わる展開ではせりふで説明するでなく、役者の演技ですべて説瞑する。名シーンだ。

木賃宿は今はない。しかしそれに当たるのが「マンガ喫茶」や「ネットカフェ」だ。
今に通じるものがある。

この映画の昭和26年と言えば朝鮮戦争の頃だ。
毛利さんはその後どうなったろう。
朝鮮景気の恩恵に預かれたろうか?
そのあとの高度経済成長には乗れたろうか?
毛利さん一家が幸せになったことを祈ってやまない。



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女心と秋の空〜ふしだらな子猫〜


日時 2010年10月27日21:00〜
場所 テアトル新宿
監督 伊藤一平

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一流大学を卒業したものの、リストラされた戸田(ヒロシ)はある雨の晩、捨てられていた子猫と車から投げ出された女の子・春菜(春菜はな)を自分のアパートに連れ帰る。
すぐに出ていった春菜だが、戸田は怪我で入院した病院で看護婦をしている春菜に偶然再会する。
優しい春菜に心を惹かれる戸田。しかし春菜は男に優しくされるとつい応えてしまう女の子だった。
やがて結ばれる二人だが・・・・


いまおかしんじ監督の助監督を務めた伊藤一平のデビュー作(いまおか監督は戸田が会社の面接に行った時の面接官役で出演。せりふはない)。伊藤監督は1980年生まれだから30歳。
手堅い演出の作品で気のせいかいまおかしんじの作風に似ている。
カメラはフィクスでとらえカットは長めでそのフレームの中で人物がよく動くところなど。

春菜は戸田が入院中は子猫を自分で代わりに面倒を見る。
戸田が退院してから子猫を戸田の部屋に届けるのだが、その晩は戸田の誕生日で、コンビニにケーキではそれしか売ってなかったロールケーキで誕生日祝いをする。
その晩戸田は春菜を泊めるのだが、戸田が奥の部屋のベッドに寝ていて、春菜は手前の部屋のソファに寝ている。
そうすると戸田が徐々に手前に動いてきて春菜の枕元にやってくるカットが画面の奥行きを利用したいいカットだった。

その晩には結ばれなかったが、結局結ばれる二人。
しかし二人のデート中に春菜の前の男と遭遇してしまい、それがきっかけで喧嘩のなって一旦は別れるのだが、という展開。
「あたしのことすぐにやらせてくれる女だと思っていたんでしょ?!でもあなたは他の男の人とは違う!」と春菜は言うがつい戸田は「他の男にもそう言ってるんだろ?」的なことの言い合いになる。
いいねえ、「あなたは他の人とは違う」なんて言われてみたい。

ラストは就職も決まって二人は結ばれる。
ハッピーエンド過ぎる気もするが、総じてなかなかさわやかなラブストーリーだった。

主演の春菜はな。役名と芸名が被るのは監督も脚本の段階から意識していたのだろう。
表情がいい子で非常に好感をもった。
僕がこの映画に好意を持つのはかなりの部分、彼女のさわやかな色気のせいだろう。
そしてバストは100cmを越えるKカップ。
なんだか椰子の実がぶら下がっているようにも見える巨乳。なかなかの迫力あるバストだ。
今度彼女が映画に出ることがあったらそれだけで見てみたい。


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フロスト×ニクソン


日時 2010年10月24日14:30〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 ロン・ハワード
製作 2009年日本公開

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イギリスとオーストラリアで活躍するテレビ司会者・フロスト(マイケル・シーン)はウォーターゲート事件で失脚したアメリカ・ニクソン大統領(フランク・ランジェラ)がホワイトハウスを去る映像を見て、この男にインタビューする事を決意する。
インタビューの申し込みを受けたニクソン側は、60万ドルという高額の報酬を条件に承諾する。
ニクソンとしても人気回復のために、このテレビショーの司会者相手に自分の業績を語る場にしようとしていた。
一方フロストにしてもウォーターゲート事件に関しての謝罪の言葉を引きだし、アメリカテレビ界への進出を果たそうとしていた。
二人の対決はいかに?

アメリカではかなり有名な番組だったらしい、フロストによるニクソン元大統領のインタビューの裏側を描いた作品。
フロストは「所詮ワイドショーの司会者が政治的なインタビューなど出来るものか。
芸能人のインタビューがお似合いだ」と誰からも(自分のスタッフからも)思われる。
ニクソンからも「この相手なら自分のペースに出来る」と受ける。
みんなからこのインタビューはうまくいかないと思われるところが見ている私の共感を得る。

そして1回目のインタビューでは先制攻撃の「なぜテープを消さなかったか?」をしてみたものの、ニクソンはうろたえるどころかさらっとかわす。
続く2回目3回目もどんどんニクソンのペースになっていく。

最後のインタビューで・・・という展開だが、スポーツもの映画のようなスリリングさで映画は展開していき、見事に2時間飽きさせない。
最後のインタビューの前夜、ニクソンはフロストに電話をかける。
(ここは実話なのかフィクションなのか判然としないのだが)「君も私もどん底から這い上がってきた。さんざん若いころ馬鹿にされたよなあ」とお互いが似た者同士だと語りだす。

「だが勝つのは俺だ!」と再度闘志を燃やしたフロストは自分の仲間に再度調査させ、それを切り札にインタビューを試みるのだが・・・という展開。
「君はメモを見ながら話している。私は記憶だけだ」的なことをニクソンが言ってフロストをなじるのだが、ラストではフロストはメモを床に投げ捨て素手で立ち向かっていく。

「大統領のすることは非合法でも許されるんだ」という発言を引き出すフロスト。
その後、ニクソンが虚脱した表情をするのだが、それは多分実際にそういう表情をしたろうし、それを再現したフランク・アンジェラが素晴らしい。
アカデミー主演男優賞にノミネートされたそうだが、それも納得の素晴らしさ。

インタビューというのはこちらの下調べが重要。
下調べがきちっとしてあれば、相手も心を開いてくれる。
相手と関係が築けるかどうかにかかっていると言っても過言ではない。
その点、前半のフロストはそれが十分ではなかったように思えたが、最後の1日はスタッフも信頼して、見事に言わせたいことを聞き出させた。
インタビューのやり方に「相手を怒らせるようなことを言って本音を言わせる」というのがあるようだが、私はそれは好きではない。
なんだか卑怯な気がするからだ。
今回のフロストはそのぎりぎりと言った感じ。
でも映画として実にスリリングで面白かった。
ウォーターゲート事件のことをよく知らなくても楽しめた。

映画のあとは日本でニクソンについて詳しい外交評論家の田久保忠衛のトークイベント。
氏は時事通信の記者だった当時、実際のニクソンにあったことがあるそうだ。
話の中でニクソンの中国訪問は当時非常にショッキングなことで、世界中がそのニュースにひっくり返ったそうな。
ソ連との対立の中で中国と手を結ぶことは非常に大きな意味を持ち、ソ連は完全にノックアウトになったそうだ。
そう言えば「実録・連合赤軍」の中であさま山荘に立てこもった学生を母親が説得するときに「ニクソンが中国に行ったのよ!時代は変わったのよ!」と叫ぶシーンがあった。
当時私はまだ小学生でその重要性が解らなかったけど、今なら解る。
ニクソンという人物に少し興味がわいてきた。
こんどウォーターゲート事件を描いた映画「大統領の陰謀」を観てみようか。



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夏子と長いお別れ


日時 2010年10月17日16:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 大森一樹
製作 昭和53年(1978年)

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「暗くなるまで待てない」の後日談的映画。
主演した荻野夏子さんへに彼女の結婚前に監督がインタビューするシーンと、「暗くなるまで待てない」のスタッフの一人が大学を卒業して関西電力に就職した男が不思議な拳銃を自分で開発。
その拳銃は弾が交通標識を守るというもの。誤ってヤクザ風の男を殺してしまい、その子分たちに追いかけられる!

30分ぐらいの短編よりは長く中編というのは短い映画。
この映画の製作は池袋の名画座の文芸座。
オープニングに「文芸座製作第1回作品」と出る。
(もっとも大森監督の話では第2回はなかったそうだ)「暗くなるまで待てない」「オレンジロード急行」の2本立てで上映しようとした時、時間が3時間に満たないので(「暗くなるまで」は70分ぐらい)どうせならと合計3時間程度になるようにということで1本作らせたということだ。
文芸座もこの頃そんなムーブメントを起こそうとしていたのだ。角川映画の始まりなど映画界のあちこちで既存の映画会社だけに任せておけないという空気があったのだ!

撮影も20数時間ぐらいのぶっとうしで行ったという。(事実上1日)インタビューとおバカなアクションを組み合わせた感じでちょっとカッコつけた感じ。
こういう抽象的な感じがかっこよかったのかな、当時の大森一樹は。
また見ている観客もかっこよく感じていたのかも知れない。
これも「暗くなるまで待てない」と同じく、70年代後半の空気を詰め込んだタイムカプセルのような映画。



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暗くなるまで待てない


日時 2010年10月17日14:30〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 大森一樹
製作 昭和50年(1975年)

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男3人の大学生が主人公。一人は映画が大好きでいつも映画を見に行ってばかりいる。そのうちの一人が同世代の女の子と知り合う。その子は前は作曲をしていたが今は前衛芸術を創作している。
4人でいつもの居酒屋で飲んでいると隣にいたチンピラ風の男に声をかけられる。映画を作るなら俺も手伝わせて欲しい。明日競輪に行って買ったらその金を全部映画作りにカンパするという。
当てにしていなかった4人だが、意外にも競輪は大当たり。みんなで映画を作ることにした。


70年代後半、大森一樹は「日本のスピルバーグ」と言われていた。当時、27歳だったスピルバーグが監督2作目の「ジョーズ」で世界的大ヒットをして、既存のハリウッドの映画作りが息詰まっていた時代に新世代として登場した(これが76年アメリカ公開年の「スターウォーズ」の大ヒットで世代交代は決定づけられる)。
そんな中、撮影所出身の監督も行き詰まり、学生が撮った自主映画に注目が集まっていた。そんな中、松竹の脚本コンクール城戸賞が始まり、そこで大森一樹は入選した。
結果的に松竹は大森一樹に監督させる。
当時、(今でもだけど)25歳の男が大松竹で映画を監督する事など考えられない時代で、それはそれは衝撃だった。

その時に大森一樹を語られるに当たってたびたび引き合いに出されたのがこの映画「暗くなるまで待てない」。
でも私が東京にでてきた81年はもうこの映画の賞味期限は切れていたのか、上映される機会はなかった。
いやあったかも知れないが、自分が映画を撮ることに精一杯でもはや大森一樹の映画を見る気はなかったのかも知れない。大学生の自主映画があこがれだったのは高校生の頃だった。だから私にとってはこの映画は「幻の映画」だった。30年の幻の映画と出会ってどうだったか?

やっぱりなあ。
もっとも70年代後半に見ていればもっと違う感想があったかも知れない。
最近の私は「映画を作る映画」で「映画万歳!」みたいなことを言われるのがいやなのだよ。非常に手前味噌、自画自賛的な感じがして。

映画中で作られる映画は「吸血鬼がいてそれを殺そうとする殺し屋と吸血鬼とその恋人の逃避行」みたいな話。
そのぶっ飛んだ話がまず自主映画っぽい。
それでまあ銃撃戦を街頭でして実際の拳銃と間違われたりのトラブルもありつつ映画は完成。
主演をした女の子は偶然遭遇したプロの映画監督(大森一樹が演じている)にスカウトされ、女優としてデビューへ。という感じで話は終わる。

タイトルの「暗くなるまで待てない」は撮影中の映画の中で「吸血鬼だから夜登場するのじゃないんか?」と言われれて「この映画の吸血鬼は暗くなるまで待てないんじゃ!」と答えるせりふから取っている。

「とにかく映画を作りたい」という意気込みとかパワーは感じる。今見ると「それがなに?」と思えてしまうのだが、70年代当時はそのパワーを使ってなんとか日本映画に新風を吹き込んで欲しいというパワーにも見えたのだろう。
トークイベントで75年のキネ旬ベストテンの24位に入っていたという話がでた。当時この映画を評価した人たちは「日本映画のニューウエーブ」を育てたい、可能性を広げたい、そんな応援の気持ちで評価していたのではないか。そして私も70年代後半に見ていれば、「そうだそうだ」と拳をあげたかも知れない。

70年代後半の自主映画ブームを象徴する1本。
この映画が評価されたのはやっぱり時代の空気の中であればこそという気がしてならない。



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島田陽子に逢いたい


日時 2010年10月16日21:00〜
場所 テアトル新宿
監督 いまおかしんじ

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女優、島田陽子(島田陽子)は病院で映画の撮影中、相手役の男優の過剰なお触り演技に嫌気がさして現場を抜け出してしまう。
陽子はちょうどその時病院を退院してきた五郎(甲本雅裕)のタクシーに乗り込んでしまう。
そして陽子はつい五郎と時を過ごす。ラーメンを食べ、部屋でビールを飲む。
実は五郎は元役者で、売れなかったために離婚した男だ。しかも病院は退院ではなく、脱走。彼は末期の胃癌で余命はもって半年だという。
五郎と故郷の母の墓参りに行きたいと思い、陽子もそれについていく。

「ラブ・アンド・エロス・シネマ・コレクション」の第4弾。いまおかしんじの登場だ。
伝説の女優。島田陽子を題材にしている。
島田陽子という方は不思議な女優だ。
僕の中ではめちゃめちゃ大きな存在なのだが、代表作と言われるとはたと困る。
NHKの水曜ドラマ「銀座わが町」に主演して子供心にきれいな人だなと思って覚えて、名作「砂の器」に助演。その後、「犬神家の一族」があってアメリカのテレビドラマ「SHOGUN」に主演して国際女優と言われたが、その後はダメンズと結婚してなんかだかスキャンダラスな方になり、女優としてどんな活躍をしたんだっけ?という気になる。

人間、余命が短いと知ったら何をしたいだろうか?
この映画を見るまでそんな選択肢は思いつかなかったが、映画ファンならあこがれの女優、俳優と夫婦をしてみたいと思わないだろうか?
この映画を見ている間、ずっとそんな気になった。
島田陽子に興味がない方なら、自分の好きな女優、俳優、アイドルに置き換えてみればいい。
自分のあこがれの方と夫婦ごっこができるなんてこれ以上の幸せはあるまい。

そして元役者の五郎は故郷で「今、島田陽子さんと共演している」と嘘をつく。(いやそれは最後には嘘でなくなるのだが)

別れた女房にも再会でき、そして名乗らないまでも成長した娘に会う。
娘はガソリンスタンドで働いているのだが、バッテリーの充電ができる場所までと3人で車を押すカットがいい。
普通なカットとも言えるが、3人が横一列に並んで会話が出来るいいシチュエーションだと思う。
普通に会話だけしていたら画が持たない。さすがだ!

五郎の死のシーンはない。
死後の家族の風景だけが描かれる。
でも死に面して好きな俳優と夫婦ごっこが出来たらホントに幸せだと思う。
そのことばかり映画を見ている間考えていた。
いまおかしんじ、やっぱりすごい。



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Oh!透明人間


日時 2010年10月16日18:00〜
場所 シネマート六本木・スクリーン4
監督 右田昌万

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荒方透留(標永久 しめぎ えのく)はこの春から親戚の家に居候を始めた高校生。
居候している親戚の家は透留と同じ年の良江(桝本絵美)をはじめとした美人三姉妹におばあちゃん(星光子)という女だけの家。また良江の親友の陽子(村上友梨)優しくて可愛い!
ある日夕食で苦手ないくらを食べたら自分の体が透明になっていた!自分の隠された能力を知った透留は早速次の日、学校で女子更衣室に進入するのだが。

原作は80年代に大ヒットした少年マンガだそうだが、今回の映画化までまったく知らなかった。当時、大学〜社会人となりマンガから離れていたせいだろう。
今回ウルトラマンのスタッフが作ったということで紹介され、最近見ていないライトコメディな感じなので見てみた。

主人公がなぜいくらを食べると透明になれるのか?については一切説明なし。60分の映画だし、それでいいんじゃない?変な説明がなくても、その後が面白いから気にならない。

まず主役の標永久がいい。
ポスター、チラシなどのクレジット上ではアイドルの(といっても私は知らんけど)桝本絵美、村上友梨が上だけど、事実上の主役は標永久。
コミカルな表情で、ちょっとエッチな男の子を楽しく演じる。こういうイケメンがエッチな男を演じても嫌みにならないのがいい。
透明人間になるといってもその前後は全裸になるので、出演シーンのうち半分は服を着ていない。熱演だ。

で、陽子ちゃんちはめちゃめちゃ金持ちなのだが(誕生日プレゼントにクルーザーを希望して父親はそんなものでいいのか。というのだ)、その陽子ちゃんを誘拐しようとしている悪い奴がいる。ところが良江が間違われて誘拐されてしまう。それを知った透留がポケットにイクラを入れた瓶をもち、悪者のアジトに向かう。
「良江を助けにきた!俺のすべてを見てくれ!」と言ってパンツも脱いでイクラを食べようとするが・・・という展開。正直ここで大爆笑した。久々に映画で大爆笑したような気がする。

またウルトラマンスタッフが特撮を担当しただけあって、イクラを食べての変身シーンは凝っていた。

60分の作品なので、一般的には公開されずこの16日17日にそれぞれ18時〜20時〜からの2回上映の計4回の上映のみ。まあセルDVDとしてなんとかペイさせるんだろうけど、だらだらと長い映画を作るより、60分2本立てで1プログラムという興行もあっていいのではないか?そういう形でいろんな監督に映画を作らせてあげたいと思う。
そういう興行形態もあっていい気がする。
60分でも描けるテーマや内容はあるはずですから。
水増しの映画を見るよりずっといいです。



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夜の罠


日時 2010年10月16日11:00〜
場所 神保町シアター
監督 富本壮吉
製作 昭和42年(1967年)

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夫の浮気を疑った藍子(若尾文子)は興信所に調べさせ報告を聞いた。夫は間違いなくバーのホステスと浮気をしていた。興信所の報告にあったホステスのアパートに行ってみると、その女性は死んでいた。
被害者の手帳に夫の電話番号が書いてあったのを見つけた藍子はかかわり合いになるのを恐れてその手帳を盗み出す。しかし、夫は殺人容疑で逮捕される。
夫の無罪を確信する藍子は、手帳に書いてあった4人の電話番号に犯人がいるかもと思い、その男たちに会っていくのだが。

原作はコーネル・ウールリッチの「黒い天使」。この方は昔のミステリー映画を見ているとよく見るお名前。
普段は若尾文子なんて特には興味のない私だが、ちょっとチケットをもらったので、今回の若尾文子特集で日時のあうなかで一番私の趣味にあいそうなミステリー映画を選択。

4人の男たちに会っていくのだが、相手の素性は知らないし、ひょっとしたら犯人かも知れないので、「事情はすべて知っています」とかカマをかけて行かねばならない。
一人目はドヤ街の労務者、一人は怪しげな医者、3人目は大企業の部長(船越英二)、4人目はキャバレーの支配人(神田隆)。

ドヤ街に乗り込むと案の定、労務者たちが「ね〜ちゃん、遊ぼうよ」などと声をかけていく。
私は若尾文子ファンではないけど、ファンなら怒り心頭かも知れない。(いや案外無茶苦茶になるシーンを期待したか)

二人目は怪しげな医者だけど、裏でクスリの売買をしていて藍子はその運び屋を手伝わされ、三人目の紳士はプレイボーイだが、とりあえず危険はない。
ここで最後の男になるのだが、この段階で三人目の船越英二が犯人だろうかと思ったら当たっていた。
(書いちゃったけど)

大阪出張に行っていたからアリバイがあるという展開だっった。女が大阪に来ていて大阪で殺して死体をトランクに入れて運んだというわけだが、大阪出張では部下か空港まで見送ってくれたのにいつどこで殺したのか?トランクに入れて運んだというけど一人じゃ難しいだろう、などと細かい疑問が起こるが、気にしてはいけない。

観ている間は何となく楽しめるけど、たぶん2、3日たったら忘れるであろう、プログラムピクチャアらしい一本。
それにしても若尾文子が劇中歳を26歳と言っていたが、もっと年上に見えた。もちろん老けているというよりもっと「大人の女」に見えたということだが。



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愛するとき、愛されるとき


日時 2010年10月13日21:00〜
場所 テアトル新宿
監督 瀬々敬久

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佐藤佑子(江澤 翠)は短大を卒業して実家の田舎町の自動車販売店で働いていた。
父はまだ67歳だがすでに痴呆が始まっている。妹の菜緒(晶エリー)恋人の学校教師(吉岡睦雄)が露出写真を撮る趣味があり、その写真を画像掲示板に投稿されていた。
その画像掲示板のことが学校にばれて恋人とはうまく行かなくなっていた。
祐子はブログを持っていたが、そのブログを見てる男が画像掲示板のことを学校にばらしたと思い、その男(河合龍之介)と会い、妹に迷惑をかけることをやめてもらうよう頼む。条件として今日1日何でも言うことを聞けと行ってくる。

どういう企画なのかよくわからないが、「ラブ・アンド・エロス・シネマ・コレクション」という企画で6人に監督してもらい、それを週代わりで6週に渡って公開していく映画祭。
監督は内田春菊、石川均、瀬々敬久、いまおかしんじ、児玉宣久、伊藤一平。
この映画で3週目。今日の上映では上映後に出演者のトークイベントがあるし、テアトル新宿は水曜日1000円だし、「へヴンズストーリー」を観た後でちょっと会ってみたかったので行ってみた。

まず映画の内容とは直接は関係ないが、手持ちカメラのためて手ぶれが多い画面でいやになる。何度も書くけど手ブレが多い画面は船酔い状態になるのでいやなのだよ。
95分の作品だが4日間で撮影したそうなので、現場は大急ぎだったことは想像されるけどそれにしても画がゆれる。車椅子に乗っての撮影もあったらしいが、カメラの重さが軽いから余計揺れるのだろうか?

露出写真を撮る趣味のある吉岡睦雄と晶エリーの写真撮影シーンはお互いに楽しんでやっているので、見ていてる私は不快感がないのだが、河合と江澤のシーンで河合が無理やり露出写真を撮るシーンは強要していていやだった。
個人的な考えとか趣味になるのだが、こういうプレイにおいて相手が嫌がっているシーンは私は萎えるのだよ。
やっぱりそういうシーンはお互いに喜んでやっているシーンがいい。

で最初は乗り気でなかった江澤が最後には河合を求めるようになるという、割とありきたりな展開。
ブログとか投稿写真とか今まで映画では扱ったことのない題材だったので、ちょっと面白くなりそうな感じもあったのだが、見終わった感想はやっぱり凡庸な感じだった。

出演ではいまおか作品常連の吉岡睦雄が相変わらず情けない男で好演。AV出身の晶エリー(旧名:大沢佑香)もなかなか堂に入った演技をしていた。
AV女優としてでなく、女優としての活躍も期待したい。



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南の風と波


日時 2010年10月11日18:35〜
場所 銀座シネパトス3
監督 橋本忍
製作 昭和36年(1961年)

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四国の小さな漁村。その村では漁を細々と行って生活を立てていたが、西村晃は小さな船を持っていてそれで大阪までの荷物を運んで他の家に比べると多少は裕福にやっていた。
夏木陽介は西村晃の船の船員だったが、村ではじいさん(藤原釜足)と二人暮らし。
じいさんの子供はみんな死に、じいさんの身寄りは夏木だけだった。
夏木は村の美人の星由里子と結婚の約束をしていた。
あと船員に小池朝雄などがいる。お盆が終わっての大阪行きのとき、15歳の子が初めて船乗りになるために初めて船に乗る。
しかし船は途中で大しけにあい、大阪には着かなかった。


「私は貝になりたい」で監督デビューした脚本家橋本忍の監督第2作。
3作目が「幻の湖」になるわけで、この1作目と3作目ほど話題にならない監督2作目。
まあ1作目は名作と言われてるが3作目はカルト映画として面白がられている。
一応その話題にならない2作目も見てみようということで、夏木陽介特集で上映されたので見てみる。

あ〜確かに話題にならないわけだ。
面白くもなんともないもん。
前半は夏木陽介と星由里子が結婚するとかしないとか喧嘩をしていたり、村を出て行って大阪に行っている青年(鈴木和夫)たちと飲み屋で大阪からここまで20時間以上かかるみたいな話をしていたりでダラダラと続く。

で西村晃の船が大阪についていないという話になるのだが、ここで船が遭難する
シーンはない。
連絡が来なくて船が遭難したらしいという報告のみを村の人々が受け取るだけ。
その後、西村晃の子供(妻はなんと新珠三千代)は誰が引き取るとか、実は星由里子は夏木陽介の子供を妊娠していて、藤原釜足はその子供を産んでほしいと頼むが結局星由里子はそれを堕ろすとかそんな話が続く。

最後は泣いてばかりした新珠三千代も浜に働きに出るという「人々は強く生きていく」ということでエンド。
1961年という約50年前の日本と今の日本では状況が違うということで、時代環境が違いすぎるかのかも知れないけど、それにしても映画として迫力がない。

もともと橋本忍が企画した映画なのか、それとも何かの事情で橋本忍が監督せざるを得なくなったのか、その辺はよくわからないけど、その辺の事情が知りたい気がする。



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ヘヴンズストーリー


日時 2010年10月11日12:30〜
場所 ユーロスペース1
監督 瀬々敬久

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父母、そして小学生の姉と暮らすサトだったが、ある日、父親の知り合いに父母姉を殺され、自分だけ生き残る。犯人は自殺してしまう。
一方、母親と赤ん坊が通り魔ミツオ(忍成修吾)に殺され、「未成年だから」と死刑を免れる事件が同時期に起こっていた。その被害者の夫トモキ(長谷川朝晴)が「法律が許しても私が犯人を殺します!」とテレビで訴えるのをサトは見る。
一方警察官のカイジマ(村上淳)は裏で復讐代行のバイトをしていた。
年月が経ち、トモキは新しく知り合ったタエと再婚する。
サトはトモキが今は新しい妻と子供と幸せに暮らしているのを知るのだが。

4時間38分の大作映画。
いや時間が長いだけで大作と呼んでいいのかの疑問は残るけど。
これだけ長い映画を映画館で見るのは久しぶり。
ひょっとしたら20年以上前の小林正樹の「東京裁判」以来じゃないだろうか?

はっきり言うけどこの映画、4時間38分の映画を作ることが目的になっていないだろうか?
まずこの点を言っておきたい。
テーマは犯罪被害者の怒りのやり場と復讐の連鎖、そしてそこから立ち上がる再生、みたいなことなんだけど、そのテーマならそこまでの時間は必要なかろう。
ここまで上映時間が長い映画ははっきり言っていろいろ大変だ。
まず製作費も日数もかかる。今度は1日の上映回数が減るので映画館だっていやがるだろう。
それに観客だって4時間38分の上映時間となれば見るのを躊躇する。
気軽に見に行けずに映画を見る時間を確保するのにいつも以上に気を使う。
私も4時間38分の映画と言うことで、見に行くのをややためらった。
自分の中では1時間半の映画を3本見る、あるいは2時間強の映画を2本見るのと同じじゃないかと言い聞かせる。
いやそんな言い聞かせを自分にさせなければならないような苦痛を強いる映画だ。
映画館では狭いいすに座らされ身動きもままならない。
空いているかと思ったら91席のキャパシティの劇場は8割がた埋まっている。
つまり両隣の席まで使って体をのばしながら映画を見るのは不可能なのだ。

さらにスターというか顔を知ってる役者は少ない。
メイン級では知っているのは忍成修吾ぐらい。村上淳は名前は知っているが、顔はまだ覚えていない。
柄本明や佐藤浩市がスター級の役者だが、この人たちはワンシーンしか出てこず、
(それも初めの1時間以内だ)あとはひたすら顔を知らない役者と向き合わねばならない。
やっぱり有名どころの俳優が出ていると、それだけで映画は楽しめるし、豪華さが増すと改めて思った。
この映画のチラシなんかに「登場人物20人が織りなすドラマ」と書いてあるから主演級の登場人物が絡みながら話が動いていくのかと思ったら、話を転がすのは、サト、トモキ、ミツオ、カイジマたちのそれぞれの家族ぐらい。
よく考えたらちょっと台詞のあるぐらいの登場人物ならどんな映画だって20人ぐらいいるぞ。
宣伝も苦労している証拠だ。

こんなに観客に苦痛を強いる映画って劇場公開用映画と呼べるのだろうか?
過去の私の知っている長時間映画は大抵オールスターキャストで出演者の顔ぶれを見ているだけでも楽しめる。
そうやっていろいろ考えていくと4時間38分という上映時間は作り手の都合だけでしかない。

上映時間の長さの是非はこれぐらいにするけど、じゃあ肝心の映画がおもしろくて引き込まれていけば文句はないのだが、そうでもない。
出てくる登場人物がいちいち癇に障る。
まず小学校1年ぐらいのサトが登場するのだが、このサトが両親を殺され祖父(柄本明)に育てられることになり、車で祖父の家に向かう。ところが腹が痛いと言いだし、柄本が薬を買いに行っている(いやサトの腹痛の原因はおしっこが自分の家以外では出来ないことから来ているのだけれど。この辺から癇に障る)間に車を離れてしまう。
車に戻った柄本明は孫がいなくて焦りまくる、という展開。ちゃんと待ってないサトは嫌いだ。

で次に鍵開け屋が登場するのだが、これが(映画の時間の上で)さっきテレビで
「犯人を殺してやりたい」と言っていた男と同一人物だというのに気づくのに、ずいぶんかかった。
そして鍵開けにいつものように向かうが、そこには男に追い出されたタエがいる。
そのタエもまた被害者意識の固まりの女。
レイプされたとトモキを呼び出し、自分のバンドのライヴを見せ終わった後カラオケボックスに連れていく。
でも何の話もしないのでしびれを切らして帰ろうとするトモキ(当たり前だ)に「帰るなよ」と怒る。

このわがまま女、腹が立つ。ライヴに客が少なかったのを「雨だったから」と言い訳すると「そういう他のせいにするのやめましょうよ」と言われて「5歳の子供が父親に蹴られて耳が聞こえなくなるのは子供のせい?」と逆ギレ。
バンドやってると方耳が聞こえないのはステレオ感がなくて寂しいかも知れないけど、耳は片方聞こえなくても日常生活はなんとかなります。これは断言します。

そしてトモキとタエは(心に傷を持つ同士という接点があったせいか)結婚。これがタエがメイクも変わってしまうので私はなかなかわからなかった。

数年がたち(この時間の経過もよく解らない)サトも中学生ぐらいになり、トモキの家を探しだし、訪ねてみる。
この時初めての土地でカイジマの息子と知り合うのだが、有無を言わさず「これ借りるよ」と勝手にサトは自転車を借りる。
そんな感じで登場人物の多くが被害者意識の固まりで「自分はこんなに不幸なのだから大抵のことは許される」という態度をしている。
好きになれない。

で、サトとトモキが会うあたりで第1部終了。
サトは加害者に対して復讐を宣言したトモキをヒーロー視しているのだな。

第2部になって若年性アルツハイマーになったキョウコ(山崎ハコ)が登場。
ミツオに関心をもって文通をするうちに義理の親子になる。
でミツオがキョウコの介護をするようになって・・・
という展開で、トモキとサトはミツオを殺そうとするが誤ってキョウコを死なせてしまい、今度はミツオがトモキたちに殺意を抱いていろいろあってカイジマが持っていた拳銃がミツオたちの手に渡り、お互いに拳銃を奪い合って二人とも死んでいく。

でカイジマが昔正当防衛で殺してしまった男の娘の子供が産まれるところとほぼカットバックになって、復讐の連鎖ではなく、新しい命に象徴されるような人生の再出発を!みたいなことをテーマにして終わる。
初めに書いたけど、それだけのことなら4時間38分はいらない。
それに「赤ん坊が生まれて再生の象徴」というなら映画表現としてあまりにも手垢が付きすぎている。
ますます4時間38分の映画ではない。
先日「瞳の中の秘密」を見て、「愛するものを殺された人間の復讐の仕方」について新しい表現を見てしまったので、私は大抵の表現ではもう感動したりしないよ。

大した話じゃないし、どう考えても4時間38分の映画を作ることが目的化したようにしか思えない映画。監督に確かめてみたいところだ。
たぶん否定するだろうけど。

加えて言えばこの映画、高層住宅の俯瞰の風景がたびたび登場する。最初の方にはかつて鉱山として栄え、いまは廃墟になった高層住宅跡も登場する。
なにかのメタファーなのだろうか?

瀬々監督はピンク映画出身なので(ピンク映画出身の人はそれだけで応援したくなる)関心を持っていたが、こんな映画を作るようでは今後は期待できないかも知れない。



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十三人の刺客(三池崇史版)


日時 2010年10月10日21:10〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン7
監督 三池崇史

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明石藩主・松平斉昭(稲垣吾郎)は残虐非道の暴君でついにそれをいさめて家臣間宮が切腹。しかし将軍の弟である斉昭は咎められず、間宮の家族を弓の標的にする始末。
老中・土井(平幹二郎)は考えた挙句、お目付役島田(役所広司)に斉昭暗殺を命じる。
参勤交代で斉昭は間もなく江戸を出る。決行するならその道中しかない。
島田は侍を集め、中仙道落合宿を決戦場とする。

かの有名な工藤栄一映画の名作のリメイク。
ファンも多い映画だけに批判も多かろう。私自身は前作は面白いとは思っているけど、それほどのファンではない。だから楽しく見れた。

まず大幅な改定点は2つだろう。
斉昭のシーンを増やしたこと。オリジナルでは斉昭のシーンは記憶にない。
そんなに強調されていなかった気がする。でも今回は稲垣吾郎の熱演(好演とはちょっと違う)で彼の極悪非道ぶりが強く描かれる。
間宮の家族を弓で射るシーンも迫力あるが、かつて手足をすべて切り取られ口も利けなくなって間宮の慰み者になりついには捨てられた女の登場。
グロテスクな姿には圧倒される。そしてそれを見て笑うしか出来ない島田。
このシーンで島田が笑うというリアクションは印象に残った。

そして野性児の伊勢谷夕介の登場。
山賊みたいなものなのだが、明らかに「七人の侍」の菊千代を思い出させる。
この伊勢谷のキャラクターのため(だけではないと思うが)オリジナルにあった最初の渡しでの襲撃未遂シーンはカット。
その代り伊勢谷夕介に案内され山越えをする。

この伊勢谷夕介が強烈なキャラクターを発するから、てっきりラストで斉昭を殺すのはこの伊勢谷ではないかと思っていたが、そこまでは外さなかった。
もともとこの伊勢谷夕介という俳優が苦手(というか好きではない)のでそれだけで少しいらつく。
途中落合宿についてから女を連れ込んで次々に(金を払って)犯すのだが何人やっても満足しない。そこで「しかしご立派でございますなあ」と言った落合宿の名主(岸部一徳)の尻を犯すというシーンは悪趣味でしかなく、笑いもしない。
この辺が三池らしい趣味の悪さで本人は面白いと思っているのかも知れないが、ちっとも笑えない。むしろ引いてしまう。
大合戦になって(ここは迫力満点で不足はない)最後は伊勢谷は首に刀を刺されて死ぬ。正直、ほっとする。
ところが、すべての決戦が終わって山田孝之が茫然と歩いていると無傷な伊勢谷夕介が登場する。
それは無いんじゃないの?
いままでリアルというか現実感のある話を見せられてきたのに、この超人的キャラクターは違和感がある。こういうのを考え出したのが脚本の天願大介なのか三池崇史なのかそれは解らないけど、幻滅したなあ。
ますます伊勢谷夕介という役者が嫌いになった。(ホントは伊勢谷夕介に罪はないのかも知れないけど)
それにしても三池崇史は余計なことをしてぶち壊す人だ。

でもそれを除けば総じていい出来。
相変わらず役所広司はいいし安定感もある。山田孝之もよかった。
そして侍の古田新太、六角精児もよかった。
ただ伊原剛志が死ぬところを他の侍からの視点にして倒れていく様を延々と描くのはちょっと長かった。

伊勢谷夕介のあたりなど不満点もあるけど総じてチャンバラアクション大作として面白かった。
暗めの画も美しい。



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青い夜霧の挑戦状


日時 2010年10月10日
場所 銀座シネパトス2
監督 古澤憲吾
製作 昭和36年(1961年)

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竜治(夏木陽介)は米軍基地で働いていて米兵と女(水野久美)の取り合いになって撃たれれしまう。
数年後、竜治はある果樹園で働いていた。ところがその果樹園の主人が駅前に持っている土地の買収の件で地元のやくざ(田崎潤が親分)に他に売らないように脅かされていた。
主人はその日出かけていったが、車にひき逃げされてしまう。
大恩ある主人の敵を討つために、夏木は単身田崎潤の組にチンピラとして潜入し、探りを入れるのだが。

古澤憲吾の暗黒街もの。
見始めたとき、「日活アクションみたいだなあ」と思った。土地買収に絡んで田舎の農園主がやくざにいじめられる設定とか、きれいな娘がいるとか、そこに流れものがいるとか、それが復讐のために立ち上がるとか、キャバレーで歌のシーンがあるとか主人公の名前に「リュウ」がつくとか全く設定の世界はそのまま。
その上、田崎潤の部下にちょっと話の分かる男がいて(佐藤允)まったくこれが日活でいうなら宍戸錠。
また最初に別れた女の水野久美が後半敵の情婦となって登場。まるっきり日活調。

出だしはよかったが、後半退屈してしまう。
日活アクションみたいな賭事のシーンとかの遊びがないのだな。
その辺が遊び切れていない。

さらに悪いのは事件の真相についてがどんどん説明調になり、全部台詞で説明しようとするからよく解らなくなる。
脚本を字で読むと人名とかが解るから混乱もないだろうけど、映画を見ているこっちは(別にこの映画に限ったことではないけれど)役名というのは意外に覚えない、というか覚えられない。田崎潤がとか佐藤允がとか中丸忠雄がで覚えているから「仙石がどうとか」言われてもちょっと混乱するのだな。
まあこの辺はこちらの記憶力の問題で、映画のせいとも言い切れないかも知れないけど。

それで後半映画のテンポが失速し、ラスト近くになって撃ち合いになってもなんだか盛り上がりに欠ける。
東宝暗黒街ものとしてちょっと期待したのだが、イマイチで残念だった。

その中でも二瓶正也が田崎潤のところのチンピラ役で好演。「私は嘘は申しません!」とか「あ〜りがたや、ありがたや」など当時の流行語やヒット曲を口ずさむコメディリリーフのチンピラで登場。
二瓶ファンとしてはその点は楽しめた。
あと松村達雄が珍しく悪の黒幕役で登場。これも楽しめた。



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決死圏SOS宇宙船


日時 2010年10月4日
場所 DVD
監督 ロバート・バリッシュ
製作 昭和44年(1969年)日本劇場未公開

(詳しくはインターネット・ムービー・データベースで)
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欧州宇宙局<ユーロセク>は太陽探査の過程で、太陽の裏側にもう一つ惑星があるのを発見する。東側にその事実を知られるのを恐れた西側は強引に各国から予算を出させ、新惑星探査宇宙船を発射させる。
宇宙飛行士はアメリカで宇宙飛行経験が豊富なロス大佐(ロイ・シネス)とユーロセクの学者ジョン・ケーン。
3週間の飛行でその惑星に到着。しかしその惑星では地球と同じで、なぜ予定より早く帰ってきたと尋問されてしまう。
一体何が起こったのか?


TVシリーズ「謎の円盤UFO」の研究本を見ていたら名前が登場したこの映画。
「サンダーバード」「謎の円盤UFO」を作ったジェリー・アンダーソン&シルヴィアアンダーソン夫妻の初のライブアクション映画だそうで、「UFO」のキャストや小道具が多数登場する映画として紹介されていた。
この度、DVD化され、定価5040円はちと高かったが、見たい誘惑には勝てず購入。

見終わっての感想は、やっぱり日本未公開のことだけある。
面白くないのだよ。
劇場では未公開で72年に日曜洋画劇場でテレビ放映されたのが、日本初公開になったそうだが、この邦題もその時につけられたのだろう。
なるほど、テレビ邦題らしい大げさなタイトルだ。

まず面白くない理由だがこの映画のアイデアは「太陽の裏側に地球と同じ星があった」という1点だけなのだよ。
これを手始めにもっと話を広げなくてはいけないのではないか?
全く同じ星で同じ人間が住んでいて歴史も同じ、そして同じように探査船を打ち上げていたというのもちょっと無理がある。
むしろ「ウルトラセブン」の「第4惑星の悪夢」のような「よく似ているが違う星」の方がいろいろ話が広げられたのではないか?

別の惑星に到達しているのは解っているのも失敗ではないか?
ここは宇宙を旅する途中に事故にあい、自分たちが到達したのは帰ってきた地球か?
それとも到達した新惑星か?を迷うわせる展開もあると思うのだが。

他にも不満な点はある。
新惑星が発見されてか探査船が出発するまでの時間が長いのだな。
まず東側のスパイ(ハーバート・ロム)がいてスパイの捜索から始まる。
スパイの発覚により、予算面で渋っていた各国も東側に先を越されるならと重い腰をあげるという展開。
この辺がちょっと長いのだなあ。
でも「謎の円盤UFO」にも予算がどうしたというエピソードがあったから、よほど予算で苦しめられた経験があるのかも知れない、アンダーソン夫妻は。

で出発が決まってから宇宙飛行は初めてのケーン博士の猛訓練が始まるが、せっかく過酷な訓練に耐えたのに、新惑星に着いた途端に事故で病院。
その後、意識も回復しない。
それじゃあ前半に訓練させたのは何のためだよ?

結局、新惑星のメンバーも解ってくれて、地球に帰るために宇宙に残してきた母船に着陸船をドッキングさせようとするのだが、電気のプラスマイナスが一緒なのか違うのか見てるこっちにはよくわからなくなり、なんだか通信不能になって結局はユーロセクの発射基地に激突、すべてが失われるという展開。
なんだかはっきりしないなあ。

では見どころがないかというとそんなことはない、断じてない。
やはり「謎の円盤UFO」の原点が多数あり。
まずキャスト。
ストレーカー司令官のエド・ビショップやフリーマン大佐のジョージ・シーウエルが本作にも出演。
またシャドーの通信士は今回はユーロセクの管制室ナビゲーター、ストレーカー司令官の秘書はユーロセク局長秘書に、シャドーの精神科医兼内部調査官がユーロセクの医者にとキャラクターが被る役柄で登場。
役者こそ違うが、ユーロセク局長の役はシャドーのヘンダーソン長官に設定が似ている。

またシャドーカーやジープがユーロセクの車やジープであり、拳銃などの小道具も同じ。
最初にスパイカメラの現像シーンを時間をかけて行うところなどのメカを丁寧に描くというセンスもアンダーソン作品らしい。

音楽もバリー・グレイで短い数秒の曲などは同じ。
なによりメカのデザイン(アメリカからロス大佐がやってきた時の飛行機など)やセンスにはだれが見ても感じる共通項がある。

アンダーソン作品ファンとしては見どころは多いけど、映画としてはもう少しやりようがあったと思うけどなあという残念な映画。



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TSUNAMI ツナミ


日時 2010年10月3日18:30〜
場所 新宿ミラノ1
監督 ユン・ジェギュン

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韓国周辺、東海(日本海)で連続しておこる群発地震に地質学者のキムは危機を感じていた。近い将来、東海で起こった地震により大津波(メガ津波)が起き、釜山のヘウンデを襲うだろうと。しかし地震や津波の経験のない韓国では相手にされない。
そんな時、キムは別れた妻に再会する。彼女は研究に夢中なキムと別れ、いまや釜山での文化エキスポの実行メンバーとして忙しく働いていた。
またヘウンデの海岸では地元で刺身料理店を経営する男が幼馴染の女性と結婚を考えていた。ソウルの女優志望の女の子はヘウンデで救難救助隊のメンバーに助けられ、恋に落ちる。
そんな市井の人々を飲み込む津波が発生する。
ヘウンデに到達まであと10分!

韓国発のデザスタームービー。
釜山のリゾート地、ヘウンデを大津波が襲うという話。ヘウンデには私も行ったことがある。
釜山市街から地下鉄で30分ほど。東京だと海水浴の出来る場所まで30分で行けるところはないけど、ここ釜山は高級リゾートホテルが立ち並び、ハワイのワイキキビーチさえ思い起こさせる所だ。

結論からいうとそもそも映画にしにくい題材だったのではないか?
何しろ地震発生から津波襲来までたった10分。
正直ドラマの作りようがない。台風なら一晩だし「日本沈没」なら数年に渡る話。
これだけ時間があればドラマは作れる。
ところが10分ではねえ。パニックシーンもいろいろ伸ばせば30分ぐらいにはなる。
しかしその前が何にもすることがない。

それでもうここはどうでもいいような恋愛話が延々と行われる。
結婚したいんだがいいだせない男とか(いろいろ事情はあるにせよ)、ソウルから来たわがまま放題やり放題な女(私が一番嫌いなタイプ)と救助隊員(韓国にだって海猿はいる)とか離婚して子供が大きくなった夫婦とかそういう「ここで出す必要があるのか?」という話ばかりが出てくる。
東宝製SF映画を見慣れている私としてはやはり学者や政治家、軍人などが中心になって津波対策をするとかしないとか、そんな中でも出来ることはしようとかそういう努力もむなしく大津波がやってくる、みたいな話の方が好きなわけです。

そういう意味では前半1時間のドラマは退屈で退屈で仕方なかった。
それでも津波が来そうになって、車のフロントガラスにかもめが突き刺さったりの前兆がおこると気分が盛り上がって椅子を座りなおしました。

あとはもう橋は襲われるわ、高層ホテルにも水は迫るわ、17階まで水が来たと思えばさーっと引いてくとか、面白いシーンの連続で楽しんだ。
ただし誰かが死にそうになったり(死んだり)すると画がスローモーションになって「泣け」とばかりに盛り上げる韓国映画らしいクドさはいやでしたが。

ツナミはほとんどCGのそうですが、確かにCGくささがあったり、ミニチュアの方がいいなあと思うところもありますが、それでも十分楽しむことは出来ました。
前半は見なくてもいいですけど、パニックデザスター映画ファンは必見ですよ。



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ふんどし医者


日時 2010年10月3日13:50〜
場所 銀座シネパトス2
監督 稲垣浩
製作 昭和35年(1960年)

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時は幕末、静岡。下田の宿で医者を営む森繁久弥はふんどし先生と呼ばれていた。女房(原節子)がばくちが好きで、二人で賭場に行き森繁は女房がばくちを打つのを見るのが何より大好きだった。
そしてばくちに負けて森繁はふんどし姿で家にかえって行く。
ある日、ヤクザものの半五郎(夏木陽介)は喧嘩で大怪我をしてふんどし先生の元に担がれる。
傷は腎臓に達していてもはや助からないと思ったふんどし先生だが、半五郎の恋人の江利チエミに頼まれて大手術を行うことに。それは腎臓を一つ取り去ってしまうことだった。手術は成功。
ふんどし先生に感化された半五郎は自分も医者になりたいと言い出す。
しかし「ヤクザものに医者が勤まるか!」とつれない。先生の家の庭に座り込む半五郎だったが、2日目の朝に半五郎の姿はなかった。彼は医者になりたいなら自分で長崎に行く決意をしたのだった。

夏木陽介特集の1本として何の予備知識もなく鑑賞。
実は時代劇とも知らずに見た。
タイトルの通り黒沢明の「酔いどれ天使」に通じる医者物。ただしダメなのは先生ではなくばくち好きな女房の方。原節子がばくち好きを演じるとは珍しい。

森繁は実は長崎で医術を学んだ優秀な男。
一緒に医学を学んだ山村総は今や幕府のお抱え医者だ。
二人は長崎の帰り、この下田に寄ったときにこの地で現場治療を決意をしたのだ。
映画の途中で山村総が登場し、「お前は元来優秀なんだから江戸へ出て医学の教師をしてくれ」と頼まれるが、地域医療に専念したふんどし先生は断ってしまう。

半五郎が修行に行っている数年間の間に世の中は激変。
ついに明治維新を向かえる事に。
そんな時半五郎が帰ってくる。
これがパリッとした洋装になっている夏木陽介が登場。
この変わりぶりはむしろ喜劇っぽいぐらいだ。

そこへチフスの子供が現れるが、ふんどし先生は食あたりと診察、しかし半五郎はチフスの疑いを主張。
診断のための顕微鏡(マイクロスコープ)を手に入れるためにいろいろあったが、結局はチフスで子供を中心に集団感染。
先生は自分の家に子供たちを隔離するのだが、隔離を理解しない住民は子供を連れ帰し、挙句の果てに「子供に会わせないわからずや!」と言って先生の家を壊してしまう。

正直、このあたりは見ていて実につらいシーンだった。
良かれと思ってやっていたことが実はまったく理解されなかったという無力感。
しかも自分は江戸に行けば出世も約束されていたような男だったのに。
また半五郎があまりにも立派になってしまって自分を追い抜いている存在になった挫折感。
切ない。実に切ない。

しかし結局は住民も解ってくれて先生の家を建て直してくれる。
そして半五郎はその腕を買われて江戸に向かう。
最後はハッピーエンドだが、それにしても住民たちに家まで壊され、
弟子に追い抜かれてしまった先生の気持ちは察して余りあるものがある気分になった。



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これが青春だ!


日時 2010年10月3日12:00〜 
場所 銀座シネパトス2
監督 松森健
製作 昭和41年(1966年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


英語教師の由木(夏木陽介)はある田舎の高校に赴任する。
型破りな登場で生徒には一躍人気者に。ラグビー部の顧問を引き受けて不良生徒を育てていく。
女子(岡田可愛)や美人同僚教師(藤山陽子)から慕われつつ、他校とのラグビーの試合の日が近づく。

テレビ番組「これが青春だ」のヒットにあやかって作られた映画版。
テレビの方は見ていないが、設定とかは多少違って、でも出演者は同じような感じで作られたそうだ。
この青春路線番組はその後竜雷太の番組になり、中村雅俊、村野武憲に引き継がれていく。
その伝統が切れたのが「3年B組金八先生」だ。
自分がこういう学園ドラマを見始めたのは中村雅俊ぐらいからなので、夏木陽介の時代は全く知らない。
この映画で初めて観た次第だ。

校長が十朱久雄で教頭の腰巾着が藤木悠。
正直、今自分がこの世代なので夏木陽介みたいなのが来たら排除したくなる気持ちがよくわかる。
昔だったら単なる敵役にしか思わなかったけど。

熱血教師には校長たちがラグビー部をつぶそうとしたり、いろいろ意地悪をするが、お寺の和尚(三木のり平)や藤山陽子の父親の警察署長が夏木に協力する。
で岡田可愛と藤山陽子の恋いの戦いがあったり、だめ生徒(この場合は他校だけど)の黒沢年男を助けたりする。
そうそう団令子が三木のり平の姪で女医の役どころで登場。ヒロインではなく、ちょっとヒロインより年上の女性になっており、藤山陽子などとの世代交代を感じる。
そんなこんなのドラマがあって最後のラグビーの試合では勝つ(ったよな?)展開。

そして試合を観ていた生徒の布施明(老けた高校生だ)が突然主題歌を歌いだす。
否定はしないけどお決まりのようなオチがわかるギャグなどがちりばめられ、少々退屈したのも事実。
しかし笑いの取り方など「若大将」シリーズなどにも通じるものがあり、東宝青春ものの伝統を引き継いでいるといえるのだなと知った。

ちなみにこの映画の脚本監修は石原慎太郎。
一体なにをしたのだろう?
監督の松森健はこの映画が監督デビュー。後に映画というよりテレビの青春ものを多く手がけたようだ。
脚本は須崎勝弥。戦争映画の脚本家というイメージが合ったけど、(当然といえば当然だが)こういう映画の脚本も書いていたんですね。



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海賊仁義


日時 2010年10月2日15:00〜 
場所 ザ・グリソムギャング
監督 室戸厚
製作 平成17年(2005年)



ヤクザの大組織の組長(中田博久)は若頭の矢吹(小沢仁志)を呼びつけていた。
組長の息子・正彦(大沢樹生)がばくちの借金を返すために組長の宝石を売りさばこうとフィリピンに持ち出したのだ。
しかしその中にムルトギと呼ばれる石があった。ムルトギは組長が戦争中にフィリピンの部族が信仰していた石をもらったものなのだ。組長は今まで重要なことはすべてその石から聞こえてくるお告げで決めていたという。
アホらしさを感じる矢吹だが組長の頼みとあってはそうもいかない。矢吹はフィリピンに向かい、ホテルで宝石を売りさばこうとしている正彦を捕まえる。
翌日帰ろうとした彼らだが、謎の集団にムルトギは奪われてしまう。

私は全く知らなかったがVシネマの世界でヤクザものの主演を張っている小沢仁志主演作品。
DVDセルオンリーで劇場公開はされておらず、夕張ファンタスティック映画祭で上映されただけだそうだ。
道理でネットで検索をかけても情報はほとんど出てこない。

だから予備知識もなく、全く期待もせずに見た。
Vシネマなんて予算もなくロケセット3つぐらいで出演者はみんな友達で低予算ミエミエの映画かと思っていたので、そのつもりでこの映画を見たが大違い。
いや立派立派。
秘宝を追って主人公が立ち向かっていくというのはマクガフィンを使ったサスペンス映画の王道を行く展開。

町中の銃撃戦で奪われて、もとも持ち主に協力する日本人がいてそいつが島に持ち去ってそれを追って矢吹たちは向かうが、そこは内戦状態。
石は政府軍に奪われて矢吹と正彦は部族に捕まり生け贄の刑へ・・・
という展開。
銃撃戦も何発も撃っていて予算がないから弾数が少ないと言うことはない。ガンガン撃ちまくっている。

その中で部族に捕まったのだが、矢吹の背中の入れ墨の虎(?)を見て原住民が矢吹を自分たちを救ってくれる伝説の男と勘違いするあたりは、笑える展開だ。
でも矢吹は原住民から正彦をを殺せといわれるが、ズボンのベルトをぶった切ってパンツもろとも下ろし、「こいつは生け贄にするには小さすぎる」というあたりは大沢のモロだしの下ネタが下品だなとは思いつつ、色々と楽しませてくれる。

洞窟にムルトギの対の石があるということでそれを取りに行くのだが、それがまんま「インディ・ジョーンズ」でちょっといやだったが、企画そのものが「ヤクザ版インディ・ジョーンズ」だったそうだから仕方あるまい。
最後は主人公たちは日本に帰らずに地元の海賊になるオチ。
岡本喜八の「独立愚連隊」を思わせる。

ホントは小沢仁志という俳優はあまり好きになれなかったし、設定がヤクザでなかったらもっといいなとか思っていたから、私とは意見が合わないところもあるけど、映画は想像以上に面白かった。



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