2010年11月

デスカッパ
(日本公開板)
ベオグラード1999 クレージー黄金作戦 大空のサムライ
ハリー・ポッターと死の秘宝
PART1
怪獣大奮戦 
ダイゴロウ対ゴリアス
キューポラのある街 下町の太陽
ソナチネ SP 野望篇 桜田門外ノ変 DEATH KAPPA
(デスカッパ)アメリカ版
誘惑 若者たち 君が若者なら 劇場版 銀河超速キャプテリオン〜静かなる侵略〜

デスカッパ(日本公開版)


日時 2010年11月30日21:10〜
場所 渋谷シアターN・スクリーン2
監督 原口智生

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例のアメリカ資本で作った同題の映画の日本版。
ストーリーはほぼ一緒。
でも「プロデューサーがラストを反対したので、2ヴァージョン撮って、日本版とアメリカ板を作ることで認めさせた」というわけで二つのヴァージョンが存在する。
僕はすでにアメリカで発売になっているBlu-rayで見てたのだが、アメリカ板との違いを知りたくて見てみた。

違う点はほぼ4つ。
細かい編集などで違いが他にもあるかも知れないが、大まかに言って小さい点が2つ、大きい点が2つだろう。

まずは小さい点だが、河童さまが加奈子の歌を聞いて踊り出すところで日本版ではプロモーションビデオ的シーンになる。もっともこのシーン群はアメリカ板では特典映像に収められている。
そしてエンドクレジットでもまたまた歌が入り(今度は演歌)六本木のカラオケスナックで撮影したような映像がはいる(ここに原口監督も写っている)

で、大きな違い。
これは正直驚いた。
後半のハンギョラスとデスカッパの対決シーンではプロレス中継のようにアナウンサーの実況となべやかんの解説がスクリーン上に小窓が出来て始まるのだ。
しかもこれが始まるときには「カッパファイト!」とロゴがでる。
明らかにかつての円谷プロの怪獣プロレス番組「ウルトラファイト」のパロディ。
でもこれがあるとないとではだいぶ印象が変わる。
怪獣ファイトがさらにお笑いの要素が強くなる。
ところがアメリカ版は怪獣ファイトが動きそのものにはユーモラスさは残るが、それでも正統派怪獣映画のパターンを踏襲しようとしている。

さらに驚いたのはラスト。
暴れ出したデスカッパに対し、加奈子が歌を歌ってなだめるというのは日本版、アメリカ版ともに同じだが、アメリカ版では人間大の加奈子がビルの上で歌ってなだめる。
しかし日本版では巨大化した加奈子が登場!
(イベントで見た予告編で大きな足が登場するので、てっきりデスカッパが去った後、世界制覇をたくらむ集団の女性が大きくなって出てくるのだと思っていた)
これには驚いたなあ。
まるっきり別に撮ってるじゃん。
しかも加奈子は皮のブラジャーとパンティを身につけて登場。フジアキコ隊員か、それとも「ウルトラQ」の「変身」か?(たぶんこのミックスだと思うけど)

どちらが好きかと言われれば(先に見ちゃったこともあるけど)アメリカ版。
アメリカ版の方がより怪獣映画たろうとしていた。
日本版はちょっと遊びがすぎるような。

まあこの辺は好みにもよるだろう。
しかしいずれにしても最近では一番おもしろい怪獣映画だった。
また来年もこういう映画が観たい。



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ベオグラード1999


日時 2010年11月28日18:50〜
場所 アップリンクX
監督 金子遊

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金子監督の彼女はかつて新右翼団体・一水会のメンバーだった。ビデオ日記として彼女と彼女の所属する一水会の代表木村三浩に興味を持つ。
木村ととも金子監督はセルビアやイラクへと旅立つ。

鈴木邦男さんがかつて代表だった一水会の現代表木村三浩を追ったドキュメンタリー映画。
一水会のドキュメンタリーということで鑑賞。

でも作り始めた時は別に木村三浩の映画を作ろうというわけではなかったらしい。
むしろかつての彼女についての映画に木村三浩が登場するという感じだったらしい。
その彼女だが、後に一水会を辞め、その後自殺。
彼女についての映画を撮りためた素材から作っていこうとしたのだが、彼女の遺族からこの映画の公開についての裁判が行われたそうだ。
遺族としては彼女が一水会に関わっていたことは消してしまいたいらしい。
そのことの是非は意見の分かれるところだろうが、そういう訴えが行われたということは理解が出来る。
親にしてみれば自分の娘が自殺したのは「シンウヨクの一水会などという怪しげな団体に関わったせい」と思われても仕方あるまい。
右翼なんて街宣車で軍歌ならしてがなり立てるおかしな存在でしかないだろうし、ましてや「新」がつけば全く理解を超えたものだろうから。

で、木村三浩はアメリカの自国の利益のためにセルビアやイラクなどに戦争を仕掛ける姿勢を批判し、反米の立場から「第二国連」というも言うべき、反米ネットワークを作ろうとする。
この考えは僕なんかは面白いと思った。
ところが映画のパンフを読むと監督は「お粗末すぎる」と言っている。
映画を見る限りではそういう木村三浩に対する否定的な視点は感じられなかった。しかしまたまたパンフには「反米の考えの正当性はある程度は認めなければならなかった」とある。また「ドキュメンタリーとしての対象との批評的な距離が保てなくなった」ともある。

だから木村三浩に対しての批判的な映像がなく、監督の心の中はどう思っていようとも、木村三浩の活動の宣伝になっている気がしてならない。少なくとも僕は木村三浩に対してこの映画を観て批判的な視点を持つことはなかった。

もっとももう一つ描く必要のあった、「彼女」の問題が、遺族の希望もあって大幅に削除されたらしいので、その辺からくる映画の柱のぶれもあるのかも知れない。

でもドキュメンタリー映画によくある「衝撃的なカット、シーン」がなく、全体的にインパクトにかけるというのが
正直な感想だ。



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クレージー黄金作戦


日時 2010年11月27日14:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 坪島孝
製作 昭和42年(1967年)

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町田心乱(植木等)は寺の坊主だが、ばくちが大好き。そのため借金が溜まりに溜まって檀家総代(有島一郎)の会社で働かされることに。部長(藤岡琢也)が持っていたラスベガスのカジノのチップももらってその偽物を作る。
会社をだましてアメリカにやってきた心乱、飛行機で知り合った代議士(ハナ肇)や医者(谷啓)と3人でラスベガスを目指すのだが!

東宝創立35周年記念映画と言うことでアメリカロケをした2時間40分の超大作!
その前に「香港クレージー作戦」というのがあったが、当時としては普通の人が海外旅行するには香港ならともかくアメリカなんて夢のまた夢だった。
実際80年代後半になって「ハワイ5日間98000円」なんてツアーが出てハワイ旅行が当たり前になるまで「ハワイなんて一生に一回行ければいい」という気分だったから、アメリカ本土、ラスベガスなんて「テレビや映画でしか見たことない世界」だった。
その後、私も1998年にはラスベガスに行き、この映画のロケ地にも行ったものだ。

映画の方だが、初見ではなく学生時代に浅草東宝のオールナイトの「クレージー5本立て」で観ている(この時は4本立てだったかも知れない)。だから20数年ぶりに観たわけだが、記憶に残っているところも多かった。

まずハナ肇がチップの用の1ドル札と100ドル札を間違えてチップに100ドルを渡しまくるシーン。
まだ1ドル360円だし物価の差を考えると今でいうなら10万円ぐらいの価値はあったのかも知れない。
そして金がなくなった3人がロスからバスで行けるところまで行き、その後、ラスベガスまで歩くシーンで
ハナ「ところであとどのくらいなんだ?」
植木「地図で観るとこれぐらいだろ(と親指と人差し指を広げる)でこのくらい来たから(と指を少し閉じる)あとこれぐらいだろ(とさっきより少し指を閉じる)」
ハナ「そのこれぐらいってどのくらい何だ?」
植木「さあ、東京と新橋ぐらいの距離じゃないの?」
ハナ「じゃもう一息だな」
と答えるあたり。
東京の人以外にはこの距離感覚はさっぱりわからないと思うが、実際にその距離を歩いたら30分ぐらいだろう。
距離を示す表現としてこの言い方を時々僕はするのだが、それはこの映画から来ている。

そしてラスベガスに到着しての例のラスベガス大通りを封鎖しての踊りのシーン。
映画を見た時は1曲分すべてラスベガスで撮影したと思っていたが、実際はネオンが写っているカットはラスベガスだが、俯瞰で撮っている7人が道路を歩きながら歌っているカットは砧公園あたりに外車を並べて「STOP」とか地面に書いて撮影したんだそうだ。
言われてみなければわからないカットだった。

その後、ラスベガスのホテルでクレージーキャッツがショーをしているという設定で、ザ・ピーナッツやジャニーズが出演するショーのシーンあり。

僕が98年にラスベガス通りに行ったときはもうこの映画のロケが行われたホテル一体は旧市街の扱いで、はやりは別の場所になっており、この映画に登場するリヴィエラホテルもこの映画では高級ホテルだが、僕が行ったときにはランクの低いホテルだった。

映画の方に話を戻すと、やはり長すぎる。面白いことは面白いのだが、2時間40分の喜劇は長いよ。
もっとも制作費もかけた1本立て映画だから通常の100分の映画には出来なかったろうけど。

でもやっぱり映画としては過剰な装飾をした映画という印象は否めない。

(書き足しておくとラストで植木が大当たりするのが通常のルーレットだったが、僕の記憶は縦にルーレット板が回転するタイプの物だった。なにかほかの映画と混同していると思うが、それは何だったのだろう?それとも自分がラスベガスに行ったときの記憶との混同なのだろうか?)



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大空のサムライ


日時 2010年11月23日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 丸山誠治
特技監督 川北紘一
製作 昭和50年(1975年)

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昭和17年、坂井三郎(藤岡弘)はラバウル航空隊に配属されていた。ガダルカナルに日本軍は基地を建設予定で、その基地が完成すれば制空権を確保できる。それまでは苦しい戦いを強いられていた。
世界最強のゼロ戦も急上昇が出来ないという弱点を敵に捕まれ、苦戦を強いられていた。
上官を守って死んでいく部下、一瞬の操縦の誤りから先任パイロットを死なせ、それを苦にする部下、撃墜されることを望まれてしまった一式陸攻など、彼の周りでは苦悩の戦いが行われていく。
 

第二次世界大戦中の名パイロット坂井三郎の回顧録の映画化。
この映画は封切りの時に観ている。劇場は名古屋のアスター映劇。併映は松林宗恵監督の「喜劇 百点満点」。
しかも後に「さよならジュピター」や平成ゴジラシリーズで活躍する川北紘一監督の初監督作品。
もっともクレジットは「特殊技術」で特技監督の肩書きはない。
部分的なシーンとかせりふは少し覚えていたが、映画全体の印象はまるでない。30数年経って見直してみた。

正直、感想が残らないのも無理はない。
手堅く作ってあるし、シーン、シーンで言えば文句はないのだが、映画全体としてはまるで面白くない。
つまり映画的カタルシスがないのだよ。
同じゼロ戦ものなら、「ゼロファイター大空戦」の方がよほど面白い。
それは完全にストーリーの問題だろう。
映画的な「倒すべき目標があってそれを倒す作戦をたて実行に移していく」という展開がまるでない。

そりゃ実話の映画化だからそうそうは脚色出来ないだろうけど、面白そうなエピソードがまるでない。
確かに戦争っていうものは映画みたいな大作戦の展開があるわけでなく、「苦しい日常」の積み重ねではあるんだろうけど。
だから企画段階で戦争スペクタクル、戦争アクションにはなりようがなかったろうに。
それでも映画化したのは「大空のサムライ」という戦記物ベストセラーの故か。

川北監督の演出は手抜きがなく、今観ても十分その繰演のすばらしさを堪能出来る。
特にかつて捕虜になったが故に、撃墜を望まれている一式陸攻の搭乗員たち(地井武男)のエピソードで、最後に攻撃を受け、飛行不能の状態でもなんとか最後まで機を上昇させそして爆発するカットは、一式陸攻が海面から上昇し弧を描くように進み半回転後に爆発していく。飛行シーンを長く捉え、情感たっぷりで印象に残るカットだ。

あと出てくる割には活躍があまりない隊長の志垣太郎が残念。顔つきや雰囲気は十分軍人としての貫禄があったのだが。また丹波哲郎が基地指令として活躍。最後のガダルカナル出撃シーンに得意の演説シーンあり。
あと特に活躍しないけど、平田昭彦も出演。



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ハリー・ポッターと死の秘宝PART1


日時 2010年11月22日21:20〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン1
監督 デヴィッド・イェーツ

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ハリーやロン、ハーマイオニーたちは休暇期間でそれぞれの家に帰っていた。しかし地上世界でも不思議なことが起こり始める。ウォルディモード卿の攻撃が始まったのだ。
ハリーを助ける仲間たちが集まってハリーを無事な場所に届ける。その途中、仲間も犠牲になった。
それを知ったハリーはウォルディモード卿の計画を粉砕すべく邪悪な魂の入った分霊箱を探し始める。
もちろんロンやハーマイオニーもハリーとともに戦いの旅へ。

ハリー・ポッターシリーズ最終作。
今回は昨今の3Dブームに乗って3D公開という予定だったが、10月上旬に3Dは中止と発表。
理由は「満足のいく出来映えにならないから」という。
立派だねえ。昨今「とにかく3Dで公開を!」という映画の出来より目の前の興行成績優先のプロデューサーが多い中で大英断だ。
それだけこの「ハリーポッター」を何十年も語り継がれる作品にしようという覚悟の現れだろう。
中途半端な映画では後生に恥を残すという訳だ。
でも10月にその英断をしたということはずいぶんぎりぎりまでやっていたんだな。
11月19日世界同時公開のぎりぎりまでやる予定だったのだろう。

また長い原作のため原作ファンからは「あそこがない、ここがカットされている」という不満があったし、またこれが最後だと思うと少しでも最後は延ばしたいという興行的な願望が出て前後篇の構成。
これがこの映画の失敗の原因だ。
今までは1話完結だったからとりあえず「続く」の状態でも完結していたが、今回は完全に中途半端。

オープニングはレギュラーメンバーが一同に集結し、いままで活躍が少なかったロンの兄弟とかが活躍すると思ったのに(ましてロンの妹とハリーはつきあっていて、キスシーンまであるのに)最初の方で出てきただけ。
しかもいつもはホグワーツが主たる舞台で一般の町はほとんど出ないのに今回はロンドンで魔法対決かと思いきや、中盤から箱探しの旅に出てからどんどん話のスケール感が落ちてくる。
クライマックスらしい盛り上がりにも欠け、どんどんトーンダウンしていって終わりだからちょっとがっかり。

今までの感想を読みなおしてみると「3人がかわいい」とか「画が美しい」という感想が多い。
もちろんその感想は今回も持った。
この画の美しさは最近の映画では忘れていたような感動だ。
話としては途中で終わり、カタルシスは感じられなくて残念。

しかし途中でそれを持つと心が険悪になる分霊箱を持ったロンが、ハーマイオニーと付き合っているにも関わらず、ハーマイオニーに「『選ばれし者』のハリーが隣にいたらあなたなんか誰も見ないわよ」とかハリーに「君なんか別に友達じゃないよ」と言われてしまう気なってしまうと所は面白かった。
こういうのは元々ある人間の邪悪な心が増幅されている訳だから、実はロンは平気なようでいてかなりハリーにコンプレックスを抱いているのだな。
ハーマイオニーもやっぱりハリーの元へ言ってしまうんじゃないかと恐れているし。
そんなロンの本音を知ることが出来、そこが一番印象に残った。
(またこのシーンでは半裸のハリーとハーマイオニーにキスシーン付き。ロンの妄想も激しいなあ)


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怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス


日時 2010年11月20日
場所 DVD
監督 飯島敏宏
製作 昭和47年(1972年)

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発明家のオジサン(犬塚弘)はテレビの発明コンテストに出演して賞金2百万円を得ようとしていた。それは子供たちとともに怪獣ダイゴロウのえさ代を稼ぐため。
ダイゴロウは数年前に原子力潜水艦が事故を起こした時に目覚めた怪獣の子供だった。
母親は攻撃で死んだのだが、赤ん坊だけが助かったのだ。
その赤ん坊はダイゴロウと名づけられ、国の予算で動物園の飼育係だった斉藤(小坂一也)と島で暮らしていたが、最近は大きくなりすぎ予算では足りなくなってきたのだ。
国の役人の鈴木(小林昭二)は二言目には「予算がない予算がない」。
見かねた子供たちは募金活動を始めるが、なかなか集まらない。
大工の熊さん(三波伸介)も協力はしてくれるがやっぱりうまくいかない。
そんなとき宇宙から怪獣ゴリアスがやってきた。
ダイゴロウは斉藤や熊さん、発明家のオジサンの力借りて、火を噴けるようになった!
はたしてゴリアスを倒せるのか!?

円谷プロ創立10周年記念作品。
製作円谷一、監督脚本飯島敏宏と「ウルトラシリーズ」を作り上げたメンバーで製作した劇場用オリジナル作品だ。
テレビ放送用を意識してかサイズはビスタではなくスタンダードサイズだ。

基本的にコメディというか子供向け(という言い方は好きではないのだが)でユーモラスな作り。
でもねえ。僕はどっちかというと怪獣映画にはユーモアより恐怖を感じたいので、基本的には怪獣映画には怖さがほしいのだよ。つまり怪獣には怖い存在であってほしい。
キャラクターにも同じことがいえる。
小林昭二の環境省の役人がダイゴロウのえさ代に苦心するあたりまではいいのだが、珍妙な発明家のオジサンなど子供向け番組によく登場するキャラクターだが夢見て失敗ばかりしている姿のノー天気さには最近怒りすら覚える。
また大工の熊さんもこれまた落語から抜け出したようなキャラクターだが、これも浮き世離れした姿に世知辛い世の中で日々疲れている私にはアホらしく思えてしまう。
もっともこれは私の感じ方の問題で、作者の責任ではないかも知れないけど。

そうは言っても見所がないわけではない。
合成を中心とした特撮で、発明家のイメージシーンで、早歩きをすると車をどんどん追い越していく。当然合成だろうけど見事なものだった。
また熊さんが酒絶ちをしていて工事現場で目の前の看板の女の子が酒を勧めてくるカットも看板内の動く女の子が合成で素晴らしかった。

冒頭の遊園地は読売ランド、劇中の工事現場は形から中野サンプラザだろう。
近所のなじみの建物なので、見たときに「あっ」と言った。



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キューポラのある街


日時 2010年11月14日19:05〜
場所 銀座シネパトス3
監督 浦山桐郎
製作 昭和37年(1962年)

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キューポラとは鋳物工場にある独特な形の煙突のこと。
埼玉県川口市は鋳物工場の町で有名だった。
石黒ジュン(吉永小百合)はこの街の中学3年生。工場で働く職人の父(東野英治郎)と母、弟二人と暮らしていた。
父は工場の合併の余波で解雇させられてしまう。
組合が退職金などで掛け合ってくれるというが、昔気質の職人である父は組合というのが気にいらず、その話を断ってしまう。
高校に行きたい純は朝鮮人の友人とパチンコ屋でバイトすることに。しかし隣のうちに住む塚本(浜田光夫)に見つかってしまう。
やがて朝鮮人の友人は父と北朝鮮に帰ることに。
ジュンも高校進学はあきらめ働きながら定時制高校に通うことにする。


「キューポラのある街」といえば吉永小百合、浦山桐郎の代表作であるだけでなく、日本映画史の名作といえる映画。実は今までみたことがなく、初めて鑑賞。

正直言うけど吉永小百合の可憐さ以外、この映画の魅力を見いだせなかった。
まず東野英治郎の父親の性格が気に入らない。
浜田光夫たち工場の後輩たちが自分のために組合が動いてくれるというのに「組合ってのが気に入らねえ」と断ってしまう。
吉永小百合たちにも「自己中心主義者」と批判されるが、もっともだ。
女房子供のことを考えなさいよ。
また同様に吉永小百合の友人の父親が紹介してくれた大きな工場の仕事を「あんな自動化されて、年下の若造にこき使われるなんてまっぴらだ」とやめてしまう。
そして酒を飲んで酔っぱらっている。
どうもこういう人間は気に入らないのだよ。
職人は嫌いではないが、プライドばかり高くて努力しないんじゃしょうがないだろ。
こんな父親では吉永小百合も苦労する。
私は努力する人間が活躍する映画が好きなのでこういうキャラクターに振り回される吉永小百合が不憫でならない。

でラストが甘すぎるという批判を聞いていたが、それも納得。
弟は吉永小百合の友人の朝鮮人の弟と友達だったが、その友達は父親と一旦は朝鮮に帰ろうとしたが朝鮮に行かなかった日本人の母親恋しさに川口に戻ってきたが、母親は別の男と結婚。
その友人を助けて新聞配達のバイトをし、結局次の機会に朝鮮に帰るよう手助けをする。
吉永小百合は工場見学にいった際に吉行和子の工員に励まされ、大きな工場に働きにいくことを決める。
入社試験の朝で映画は終わるが希望がある。

このくらいの明るさ、希望は持てないと映画としては暗すぎるが、さらに父親まで元の工場に再就職が決まってしまう。
それはちょっと甘過ぎ。というか東野英治郎の父親を甘やかせすぎ。

世間的にはいい映画と評判だし、それを否定もしないけど私は気に入らなかった。
それにしてもこの頃は北朝鮮への帰還が盛んだったのだな。最近の日本と北朝鮮の関係を考えると隔世の感がある。

また岡田可愛が子役として出演。



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下町の太陽


日時 2010年11月14日17:30〜
場所 銀座シネパトス3
監督 山田洋次
製作 昭和38年(1963年)

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町子(倍賞千恵子)は石鹸工場で働く工員。同じ工場で働く道男(早川保)と交際中で、その道男は正社員登用試験を受験しようとしていた。
町子は通勤の電車で見かける若い男たち北(勝呂誉)、鈴木(石川進)たちと知り合いになり、北から交際を申し込まれる。
道男は正社員登用試験にあと一歩で落ちてしまい、自分よりコネのある金子(待田京介)が採用される見込みになる。
試験に落ちたことで卑屈になる道男に疑問を感じる町子。さらに金子が交通事故を起こしたことで金子の採用は取り消しになり、道男が採用される。
人の不幸を喜ぶような道男にさらに疑問を感じ、結婚の約束をできない町子だが。

山田洋次の「寅さん」が始まる前の作品。
この映画もよくタイトルは聞いていたがみるのは初めて。
山田洋次だから喜劇とは行かなくても下町の人情話かと思ったらそうでもない。「下町の太陽」というタイトルで主演が倍賞千恵子だから倍賞千恵子の明るい娘が周囲を明るくしていく話かと思ったら大違い。

貧乏が人間を卑屈にしていく話だ。
このところシネパトスでこういう貧乏が人間を苦しめていく話ばかりみているのでいやになる。
これがたまに観る分にはいいのかも知れないが、こう続けて観るとへこむなあ。

山の手の団地に住みたいというのが当時の夢だったのだな。そして隅田川の向こうは貧乏だという感じで。
たしかに今でも隅田川の向こうはちょっと落ちるけど、それほどでもない。今よりはきっと田舎臭かったのだな。
このあたりの感覚は今ではちょっと隔世の感がある。

しかし正社員になって給料を上げてもらおうという考えは逆に今でも通じてしまう。
20年前の正社員が珍しくない当たり前の時代ならかえって「昔の話」の感覚があったかも知れないが、派遣社員とか臨時工、期間契約の人が多くなり、大卒の就職難が叫ばれている今では切実に通じてしまう。

結局倍賞千恵子は婚約をせずに、勝呂誉と交際を始めるような感じで映画は終わる。
しかし人の不幸を喜ぶ人間もイヤだけど、そうならざるを得ない社会もイヤだ。
観終わってそんな感じがした。

また映画とは直接関係ないが、この映画とこの後に観た「キューポラのある街」でも植木等の歌がBGMや登場人物が口ずさむ歌として登場。やっぱり流行っていたんですね。
そして東野英治郎が両作品に登場。
この映画では息子を交通事故で亡くし、精神がおかしくなった男を演じる。
それにしてもこの映画と「キューポラのある街」を続けてみると似ている気がする。
制作年も近いからこの映画も「キューポラのある街」みたいな映画を、というのが企画の原点だったかも知れない。



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ソナチネ


日時 2010年11月13日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 北野武
製作 平成5年(1993年)

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北嶋組の村川(ビートたけし)は自分の組長から、沖縄の兄弟分の組が地元の阿南組と喧嘩になりそうだから応援に行けと命じられる。乗り気でなかった村川だが仕方なくケン(寺島進)、片桐(大杉蓮)を連れて沖縄に。
しかし阿南組の逆襲に会って、連れていった若い者が何名か死んだ。
とりあえず地元のヤクザたち(渡辺哲、勝村政信)と人のいない海岸の家に隠れる。
しかし元々自分たちを沖縄に送った親分たちの態度がなんか変だ。
実は阿南組と仕事をしたかった親分は自分の兄弟分が邪魔になり、それで村川たちを沖縄に送り込んで抗争を大きくし、兄弟分を解散へと追い込もうとしていたのだ。
ケンや片桐も徐々に殺されていく。


北野ファンからは最高傑作と呼び声の高いこの映画。
公開された頃は自分が映画から遠ざかっていたし、さらにポスターが魚が銛にささっただけのイメージで、映画の内容がさっぱりわからず、従って見たいと思わせるもののなく見なかった。
実際興行的にも惨敗だったという。

正直前半のたけしたちが沖縄に着き、やがて隠れることになるまでは面白い。
東京を出発するときもヤクザ同士の顔合わせで若い者に「遠足に行くんじゃねーぞ!」と怒鳴りつけられて若い奴がいきなりナイフで切りつけるあたりは北野バイオレンスらしくていいですね。
また沖縄に着いてからも勝村政信の地元のヤクザが「アメ公に持ってこさせた」手榴弾を阿南組の事務所に投げ込んで爆発しないあたりは思わず笑ってしまう。

しかし隠れてしまってからは紙相撲とか海岸で相撲をしたりとか拳銃の撃ち合いをしたりとか何とも締まらないシーンが続く。
ここは正直非常に退屈だった。
そして後半にたけしたちの子分も殺され、最後に自分の親分たちが集まっているホテルで銃撃戦となる。

勝村政信がホテルの主電源を切って暗闇の中での襲撃になるのだが、実際の銃撃戦のカットはほとんどない。
ホテルの駐車場から最上階の宴会場を勝村が見ると暗闇の中で火花だけがチカチカするという斬新な表現をする。

この映画のプロデューサーの奥山和由がこのシーンに大反対したそうだが、それもわかる気がする。
もちろん北野監督のやりたいこともわかるので否定はしないのだが、「銃撃戦をやって観客を満足させたい」という気もわからないではない。

その辺難しいところだが、今回はそれでいいのだろう。
こういうのを普通の監督がやれば「単なる手抜き」だが北野監督なら「もっともだ」になるのが面白いところ。

僕としては「HANAーBI」の方が好きだが、この映画も北野バイオレンスとして十分面白かった。



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SP 野望篇


日時 2010年11月11日20:40〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン1
監督 波多野貴文

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井上薫(岡田准一)たち警視庁警備課第四係は六本木ヒルズで開催される大臣も出席するイベントの警備を行っていた。
独特の感性で不審者を感じた井上はその男の持っていた傘を取り上げ、逃走する男を追う!
やっと男を逮捕する4係の面々。男の持っていた傘はやはり爆発物だった。
しかし井上は前回の事件でテロリストに情報を漏らした警備部の参事官の自殺の際に4係の尾形係長の「大義の為には仕方あるまい」の一言が気になっていた。
尾形係長は実はテロに関わっているのではないか?
そんな疑念が消えない。


2007年11月から08年1月の23時枠で放送されたテレビドラマ「SP」の映画化。
V6の岡田准一が体を張ったアクションに挑戦し、話題となった。その映画版。
話は完全に続きになっている。

まずは冒頭20分にわたる岡田の追跡シーン。
渋滞の中、車の屋根を飛びわたっていく岡田、車にはねられる岡田、狭い路地で壁をかける岡田、トラックの荷台で警棒で戦う岡田、地下鉄のホームから転落する岡田。
すべて岡田准一本人だ。顔がちゃんと確認できる。
(とはいってもトラックの荷台での格闘はさすがに走ってはいまい。ブルーバックの前で戦って背景は合成だろう)

このアクションは賞賛に値する。
今まで日本でここまで格闘技ができる人は倉田保昭みたいな人はいたけど、ここまでの美青年はいなかったろう。
V6時代から見せている運動神経の良さが120%発揮されていると言ってよい。

ただし映画としてはここまで。
以降はドラマ部分となるのだが、正直、尾形係長(堤真一)がテロ計画の一員で国家改造(要はクーデター)を改革しているという設定はいただけない。
なんだか「ウルトラセブン」のキリヤマ隊長が宇宙人の侵略の手先とか「七人の侍」の志村喬が野武士に寝返るみたいで話をこねくり回しすぎだよ。
普通に堤真一をリーダーでテロと戦い続ければいいなじゃいか。007とMの関係でいい。
なんでこんな複雑にしたのかなあ。
それに堤真一が「この国のシステムを根本から変える」というのを聞くと「ローレライ」を思い出してしまう。

それに尾形が国家改造をたくらむならSPなんか目指さない方がいいんじゃないのか?
もっとも尾形の父親の死に関わってきてSPを目指した必然がこれから出てくるのかも知れないけど。
もっとも彼らの計画も与党幹事長(香川照之)によって利用されるだけで終わりそうだが。

また映画でもうけようとして2本に分けたのが余計にいただけない。
結局、尾形の真の目的は何か?という謎が解決されないわけだから見ているこちらがフラストレーションばかりが溜まっていく。
もっともリアルタイムでテレビシリーズから見ているファンはすでに3年待ったからもう数ヶ月待つのは大したことではないのかも知れないが。
(私はこの1ヶ月でテレビシリーズをDVDレンタルで見た)

後半は蛍雪次朗の官房長官を深夜に首相官邸に送り届けるエピソード。
がんばっているのだが、オープニングに激しいアクションを持ってきてしまったので見劣り感は否めない。
ただし夜中から始まって徐々に夜が明けていくのは撮影としては時間帯が難しくて大変だったろう。
霞ヶ関の官庁街でもロケしているようだし。

97分の長すぎない尺なので退屈せずに楽しんだ。
とりあえず後半の「革命篇」が楽しみ。
しかしやっぱり尾形と井上が対立していく展開には反対だ。そのまま上司と部下なら007見たいに話が付くっていけたのではないか?
もったいない気がする。



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桜田門外ノ変


日時 2010年11月7日16:35〜
場所 新宿バルト9・スクリーン4
監督 佐藤純弥


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1860年、水戸藩の一部の侍は老中井伊直弼を江戸城桜田門外(今の警視庁前)で殺害した。
その数年前のペリー来航に伴い、アメリカから開国、そして通商条約の締結を迫られていた。
中国がアヘン戦争によって欧米の支配下におかれるた事実を重く見た井伊直弼は天皇の許可を得ずに開国を決定した。
「幕府は天皇の臣下である」と考えるものたちが井伊直弼の殺害を実行したのだ。
しかし老中の殺害は幕府への反抗を意味する。
水戸藩からも見放された井伊殺害の実行者たちはやがて追われていく。

茨城県が主体となって作られたご当地映画。
そもそも「茨城県ゆかりの映画を作って観光名所にしよう」という発想で企画が始まったようだ。

「尊皇」と「攘夷」の言葉の意味を説明してくれるところから映画は始まる。
実は私は幕末史は苦手なのでありがたい。
(昭和史はある程度勉強したからわかるんですが。今度半藤一利さんの「幕末史」を読んで勉強しなければ)

天皇の意志を無視して開国した井伊直弼は悪役とされるがしかし結局は開国は避けられなかったろう。
それよりもこの事件の実行者たちのその後の運命はあまりにもむなしい。

同時に立つはずだった薩摩は立たず、結局は「幕府に逆らった者」という逆賊として扱われていく。
梯子で上らされてその梯子をはずされた格好だ。
今見ても完全に政治的策略で人々は動いていく。
この時代からテロは成功した試しがない。
しかしある時代(少なくとも「連合赤軍」の時代ぐらいまでは)テロによる革命(変革)を夢見る。
そして彼らは捨てられていく。
政治ドラマとか「仁義なき戦い」を見ているようだ。

そういう歴史の勉強にはなったが、映画としてはそれほど面白さを感じなかったのは事実。
飽きずに見たのは「映画的な面白さ」より「歴史の面白さ」を感じたからだろう。
原因の一つは役者かな。
主人公を演じた大沢たかおに私としては魅力を感じないのだよ。
いやこの映画に限らず他の役をやっても大沢たかおには魅力を感じないのだな。
この辺は私の好みでもあるのだが。
あとの役者は可もなく不可もなく。
柄本明とか伊武雅刀とかどちらかというと「またか」といいう感じさえしてしまう。
(そういえば岸部一徳が出なかったな。普通なら出そうだけど)

幕末史の勉強にはなったし、それは丁寧に見せてくれたから見て損はないのだが、でもそれ以上の映画的カタルシスは感じなかった。
きまじめすぎる映画とも言えるのかも知れない。



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DEATH KAPPA(デスカッパ)アメリカ版


日時 2010年11月7日
場所 Blu-ray (US)
監督 原口智生

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河堂加奈子はアイドルになる夢に破れ故郷の尻子玉に帰ってきた。
祖母(桜井浩子)の言い伝えではこの家は代々河童さまをお守りしてきたのだという。
ある日、無謀な若者たちによって祖母は車でひき殺されてしまう。
そしてその若者たちも海岸で何者かに襲われる。
加奈子もその若者たちを拉致した集団に拉致される。
彼らは大日本帝国の復活を夢見て世界征服をたくらむ連中だ。
彼らは戦時中からの半魚人を作る実験を完成させ、すでに半魚人を戦士としてそろえる途中なのだ。
加奈子も半魚人にされるかと思われたとき、河童が助けに来てくれた!
しかし世界征服をたくらむ女リーダーは「負けるくらいなら」と基地を原爆で破壊してしまう。
その中から半魚人が巨大化したハンギョラスが出現!
日本を襲う!自衛隊の武器もまったく役に立たない!
どうなる日本!
そんな時、巨大化した河童が現れる!


原口智生がアメリカ資本で作った怪獣映画。
原口監督の話では「あまり作る気はなかったが、アメリカ側が『作れ、作れ』としつこいので」というなんだか消極的な発想で作られた映画。
低予算のお寒さももちろんあるのだが、それを補う愛とテクニックで乗り切る。

前半のドラマ部分は編集のテンポの悪さや、若者が襲われるシーンがよくわからなくなる点(若者は男2人、女2人で、それぞれカップルで海岸の別の場所にいる。画面がやや暗いしこちらは知らない役者だから、この2組のカップルがそれぞれ襲われるシーンカットバックでつなぐもんだから混同して混乱するのだよ)が欠点だが、怪獣が巨大化してからは文句のつけようがない。

まず攻撃する戦闘機は今ではなくなったF104!
いや、いいなあ。
そして攻撃する自衛隊のゴーゴン殺獣車!これが東宝自衛隊のメーサーにそっくりなレーザー光線車なのだな。
これを見てるだけで楽しくなる。
そして極めつけは樋口真嗣監督がテレビの中継アナウンサーの重部さん(フジテレビの軽部さんも物まねをしながら登場)が登場するシーン。
ここで笑わないもしくは何の反応もない奴はゴジラファンじゃないだろう。

そして最後に河童さまが人類の敵になってしまうのは「プルガサリ」か?いやたぶん違うな。「モスラ」の幼虫時代だろう。
河童様は加奈子のアイドル時代の歌がお気に入りという伏線があり、これが最後に使われる。

そして(アメリカ版だから)ラストは「THE END」と黄色い文字で現れる。
その後に「?」の文字!
まだ終わらない戦いがあるのか?
単なる「ゴジラ対ヘドラ」のパロディか?

オマージュともパロディともリメイクとも言えるシーンの連続。
原口監督の怪獣映画に対する愛情がひしひしと伝わってくる愛すべき作品。
ちょっと違うという日本版の公開が楽しみだ。



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誘惑


日時 2010年11月6日
場所 録画DVD
監督 中平康
製作 昭和32年

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銀座で洋品店を営む杉本(千田是也)は青年時代は画描きを志していたが才能がないと気づき、洋品店を営むようになる。しかし昔の夢が忘れられないのか店の2階を画廊にすることに。
一方杉本の娘・秀子(左幸子)は前衛芸術のオブジェを作る集団に加わっていた。
秀子たちは貧乏絵描きの仲間たちと父の画廊で展覧会を開くことにする。
その絵描きの仲間の松山(葉山良二)と知り合う。
最初は反発した松山と秀子だったが、やがて二人は。
そして松山の仲間の画家田所(安井昌二)が杉本の店の店員竹山(渡辺美佐子)の顔を誉めたことから竹山は田所を意識し始めるのだが。


友人が中平康のファンでこの映画を非常に勧めるのでそれに従って観賞。
どんな映画かまったく予備知識なしで見たのだが、なるほどおしゃれな映画だ。
ラブコメディ、というほどコメディ色は強くないのだが、クスリと笑ってしまうシーンの連続。
モダンと称されているがまさしくそんな感じでとってもおしゃれなのだな。

せりふの後に心の声のモノローグが頻繁に入る。
脚本術から言うとこれをやってしまうと何でも出来てしまうので、実は避けなければいけないやり方なのだが、見ているうちに気にならなくなり、やがては楽しくなってくる。

杉本は松山を見る度に「どこかで見たことがあるような・・・」というが、実は彼は杉本の青年時代の恋人(芦川いづみ)の息子だったのだ。
そしてやがて登場したその妹(芦川いづみ)はその母であるかつての恋人にそっくり!
自分の娘と泊まりにきた松山の妹の寝顔を見ているうちに杉山はつい・・・
という展開。

竹山は田所に「君はすばらしい顔をしている」とほめられてからお化粧をするようになり、女としての魅力が増していく。

全体的にソフィスケイテッド、というかモダンというかおしゃれというか何ともいえない都会的なものが漂う。
まるで日本の映画ではないようだ。

また杉本の店、その2階の画廊、正面の殿山泰司の喫茶店(2階立て)を使った立体的な画面構成に感心。
2階の画廊から正面の喫茶店の2階でも人物の動きが見えるなど奥行きのある画面なのだな。
セットもそれだけ立派なのだ。

出演では杉本の店の店員に小沢昭一、杉本のなじみの喫茶店の主人に殿山泰司、絵描き仲間に天本英世、岡本太郎が自身の役で出演。



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若者たち


日時 2010年11月6日19:00〜
場所 銀座シネパトス3
監督 森川時久
製作 昭和42年(1967年)

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佐藤一郎(田中邦枝)、次郎(橋爪功)、三郎(山本圭)、オリエ(佐藤オリエ)に末っ子の末吉(松山省二)は5人兄弟。
両親を早く亡くし、長男の一郎が親代わりとなって弟たちを育ててきた。
三郎は早稲田大学で左翼運動をしていて末っ子は一浪して今年も大学受験。
貧乏で兄弟喧嘩が耐えないところへオリエはこんな生活がいやになり家出をしてしまう。
頼ったのは中学の同級生だが、彼女も工場が倒産し今は行商をして暮らす毎日。
オリエは勤める靴工場で戸坂(石立鉄男)と知り合い結婚を考えるようになるが、彼は被爆者だった。
次郎もオリエの親友と恋仲になるが、彼女は行商の売り上げが恋人に持ち逃げされ、キャバレーで働くしかなくなる。一郎は仕事先の建築現場の先輩(井川比佐志)の妹(小川真由美)を紹介され、結婚間近となるのだが。

「君の行く道は〜果てし〜なく遠い〜」の歌いだしで主題歌は有名。
私も主題歌は知っていたが、映画は見るのは初めて。
よく兄弟5人が横に勢ぞろいしたスチルを見かけるあれです。
もとはフジテレビの大ヒットドラマ。こっちの方は全くみていないので、この映画版は続編なのか総集編的な内容なのかはわかりませんけど。
なんとなく山本圭が一番目立つので主役かと思っていたらそうでもないのですね。
兄弟が同等に描かれる群像劇だ。

山本圭は早稲田で昭和42年という製作年代らしく、「授業料値上げ反対運動」」という学生運動(左翼活動)を行っている。
70年代の映画では山本圭は左翼運動家(または元左翼運動家)の役が多かったが、案外この作品によってイメージづけられたのか?

次郎の恋人は結局弁当工場に就職し、正月もなく働くがとりあえず水商売からは足を洗い次郎はほっとする。
オリエの恋人の戸坂は「迷惑になるから」と自ら姿を消す。
どうしても結婚するというオリエに対し、一郎は「障害のある子供が産まれたらどうする」と反対する。
一郎も結婚寸前まで行くが、結局は「中卒ではお金で苦労するから」と断られる。

実はもっと明るく希望のあるドラマとか思っていたのだがそうでもない。
暗く、彼らの未来は絶望的な感じすらする。
最後はちゃぶだいをひっくり返しながらオリエの結婚反対を言い放つ一郎と三郎の対決など見ていて陰鬱になる。
いや〜金がないと兎に角気分に余裕がなくて喧嘩ばかりになる。
人の心がすさんでくる。
身につまされる。

それにしてもオリエと戸坂の仲も気になるし、次郎と弁当工場に勤める彼女、三郎と看護婦になった河田靖子(栗原小巻)の仲はどうなるのだろう?
すべては続編で描かれることになるのだろうか?
続きがちょっと気になる。



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君が若者なら


日時 2010年11月6日17:20〜
場所 銀座シネパトス3
監督 深作欣二
製作 昭和45年(1970年)

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石立鉄男と前田吟の二人は貯めたお金でダンプカーを買い、自分たちは自営業者として働き始める。
彼らは幼なじみで「金の卵」と言われて集団就職してきた仲間。しかしその工場は倒産し、寮も追い出された。そのときの工場仲間(河原崎長一郎、峰岸隆之介、林秀樹)たちと働いてお金を貯めてダンプを
買おうと決意したのだ。しかし峰岸隆之介はプロボクサーにはなれず、勤め先のストライキの騒動の中で死亡、林秀樹は
キャバレーに勤めるうちにホステス(太地喜和子)と結婚、河原崎長一郎は悪い仲間に誘われて盗みに入ったところを捕まってしまって今は刑務所だ。
彼らに未来はあるのか?


新星映画社制作松竹配給作品。
「君が若者なら」というなんだか深作欣二らしからぬタイトルの映画で以前から気になっていた映画。
見てみたら「深作欣二らしからぬ映画」ではなく完全に「深作欣二の映画」だった。
「仁義なき戦い」などでも描かれた「底辺からの脱出」がモチーフだ。
「仁義なき戦い」ではたまたまヤクザ社会に入ってしまった若者たちの話だが、これは中卒、集団就職といういわば都会の底辺に住む若者たちが這いあがっていこうとする物語。
彼らの行く手には無数の困難が立ちはだかる。

そういうテーマ的な話だけでなく、ストップモーションの多様、スチル写真をつないでいきそれに台詞をかぶせて展開していくところなど、深作欣二節満載だ。
ここだけ見てるとホント「仁義なき戦い」と見間違えてしまう。

ダンプカーを買って儲かったのは最初のうち。
やがて懇意の仕事の請負元の従業員がストライキ。
なんとか仕事をしたい社長に頼まれて仕事をすれば他の労働者からは「スト破り」と避難される。

石立鉄男は河原崎長一郎の妹と結婚を決意するが、そんな時、河原崎長一郎が刑務所を脱獄してくる。
ここで自首させる、させない、自分で自首すると一悶着あるのだが、石立鉄男は自分たちの始めた事業を守りたいことが先にたって自首させようとし、前田吟は河原崎が「故郷の海が見たい」という願いをかなえさせようとダンプカーで海へ。
しかし海が見えるところまで来た途端にダンプカーは崖から落ち、前田は生き残るが河原崎は死ぬ。
そして石立は河原崎の妹から「脱獄者の気持ちが解らない人」と刑事たちの前でなじられる。

がんばってもがんばってもうまく行かない若者たちの苦悩を描く。
生まれた時からの階級社会を見せつけられるようで見ていて陰鬱になる。
今の経済がうまくいってないので余計にそう感じるのだろう。

もう一つの「仁義なき戦い」とも言うべき、青春映画(?)を作ってもやっぱり深作欣二な映画。
新星映画社とのつきあいはこの後「軍旗はためく下に」に繋がっていく。



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劇場版 銀河超速キャプテリオン〜静かなる侵略〜


日時 2010年11月3日14:00〜
場所 日本大学藝術学部江古田校舎 EB-1教室
監督 岡本某
 
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キャプテリオンは宇宙の平和を守るため、色々な星で悪と戦ってきた。
そしてケンという地球人になって今度は地球にやってきたキャプテリオン。
ある大学生から「親友が以前は明るかったのに無気力になってしまった」と相談を受ける。
宇宙からの侵略者のにおいを感じたケンはその友人の身辺を探ることに。
すると最近「日本統一なんたら」というサークルに入ったことが解った。
実はそのサークルはベキュラス星人が地球侵略のために作ったサークルだった。
会員たちを無気力にし、すべて意のままに動かせるようにしようという計画なのだ!
それを知ったキャプテリオンはベキュラス星人と対決する!

日本大学芸術学部の特撮部制作。
特撮部というのは学科ではなく、サークルらしい。
この映画は11月1日〜3日の学祭で上映。
3日に中野昭慶監督のトークイベントがあり、イベント後に上映されていたので、40分弱の上映時間だしついでに見てみた。

いや〜実に立派。
レイトのみの上映、1000円で上映できるレベルだ。
内容は「仮面ライダー」や「宇宙刑事シャリバン」のような等身大ヒーローもの。
ヒーローの造形もしっかりしているし、アクションも十分合格点のレベル。最近の学生さんはすごいなあ。
某監督の「標的の彼方」とか別の某監督の「暗くなるまで待てない」とはえらい違いだ。

カメラの性能もいいのか画質も十分見るに耐えられる。
(途中ちょっと画質が荒くなった時があった。そのときだけカメラが変わったか?それとも画質設定を間違えたか?)
画質に関して言えば、最近の劇場公開作品の方がよっぽど酷い時があるぞ!

最近建て変わったという江古田校舎で全面ロケだけど、この近未来的な建物がSF的ムードを手助けしている。
もちろん近場で撮影しようという内輪の事情もあったろうけど。
最後のベキュラス星人とキャプテリオンの戦いを「日大芸術学部」の看板の前でやったのは愛校精神の現れか?

ただ惜しいのは最後の戦いで、キャプテリオンが窮地に陥ったとき、周りの人間が「キャプテリオン、頑張れ!」と言い出したこと。
「ガメラ〜小さき勇者たち」で監督が「登場人物が『ガメラ頑張れ!』とは言わせなかった。ただ『頑張れ』というのではなく、『自分たちはガメラの為に何が出来るか』という観点で話を進めた」という話を聞いて自分も全く同意見だったので、この展開にはちょっとがっかりした。
その辺のシナリオの一ひねりがあればもっと面白くなったろう。

最後にもう一言言えば、よくも悪くもちゃんと出来ている。
自主映画、学生映画にありがちな「普通ならやらないこと」がなかった。
一般映画にはない、違う発想を見てみたかった気もするが、えてしてそれは失敗することも多い。
だから一定の水準に達していることは素晴らしいことなんだけど、もうちょっと冒険もしてほしかった気がする。
ないものねだりかも知れないが。



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