日時 2011年1月30日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 澤田幸弘
製作 昭和49年(1974年)
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
川崎市の小学6年生の新太はサッカー選手を夢見る男の子。
今度席替えで良子という女の子が隣になったが、体育の授業は見学ばかりで「ホコリを吸ってはいけない」ということで掃除もしない。
新太はそんな良子が好きになれなかったが、担任(地井武男)から「お前の明るさで引っ張っていってくれ」と託される。
良子は岩手の山奥から転校してきたのだが、ここ川崎の汚染された空気を吸って喘息になってしまったのだ。
新太は「今度家に遊びに来い」と誘ったが、良子は行きたがらない。
というのは過去に女の子の家に遊びに行ったが、次からは呼ばれないし、その友だちを自分の家に誘ったが来てくれないのだ。
どうやら親が喘息の病気の子ということで敬遠しているのだ。
新太の家は弁当屋でぜんそく持ちの良子は多分嫌われると思った新太は親に言うこと聞かせるために通知表で5を二つとるために猛勉強を始める。
日活児童映画の第2弾。
このころの日活はロマンポルノだったが、一方で学校の道徳教育のような映画も作っていた。それがこの児童映画。
映画はこの後、頑張りすぎた新太は盲腸炎になり入院。
良子は見舞いに行こうと毎日病院の前まで来るのだが、帰ってしまう。
それを見て親もやっと許してくれる、という展開。
で良子はもともと親が田舎で椎茸栽培をしようとして失敗、それで家を売って川崎に出てきたのだが、良子のおじさんが引き取って岩手の空気のいい土地に引っ越す。
だが(なんと)心臓病が悪化して向こうで急死するという驚きの展開。
でも死んでしまう展開はなかったのではないか?
ちょっと悲しすぎる。
それにしても良子が家に来ることを反対する大人たちは「子供にうつるかも知れないから」という動機。
それもわかるが新太にしてみれば、自分さえよければいいという大人の論理に見える。
しかし弁当屋をしていればそういう病気の子が出入りするのは評判に関わる。新太が「結核じゃあるまいし、うつるかい!」反発する。うん、大人は間違っているが親としてもお弁当屋が商売を悪くするかも知れないことは避けたくなるのは当然。
つらいところだ。
また松田優作が弁当屋の店員役で出演。
無名時代の出演かと思ったら、「太陽にほえろ」の後に当たるそうだ。
沢田監督が「太陽」の監督も務めたのでその縁での出演だそうだ。
また「ケンちゃんチャコちゃん」で有名だった牟田悌三も新太の父親役で出演。
監督の話では子供に見てもらうために子供でも知っていそうな役者を特に意識して使ったんだそうです。
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日時 2010年1月29日17:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン5
監督 デヴィッド・フィンチャー
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)
マーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)はハーバード大でコンピューターを専攻していたが、人付きあいは苦手で、今夜も彼女を怒らせてしまい、その怒りをブログに書きつづった。そして大学の女子学生の顔写真を寮のサーバーにアクセスしダウンロードをして「どちらか美人か?」を投票させるサイトを立ち上げた。
そのサイトは停止させられたが、彼の才能を評価した大学のボート部の双子の兄弟ウィンクボルスにあたらしい形の会員制サイトを作りたいと思っているので協力してほしいと提案を受ける。
マークは親友エドゥアルド・サベリンの協力を得て独自にその会員制サイトを立ち上げた。それが「ザ・フェイスブック」だ。
急成長する「ザ・フェイスブック」。当然ウィンクボルスたちはアイデア盗用を避難を開始。
「ザ・フェイスブック」の成功で、かつて音楽配信サイト「ナップスター」を創設者ショーン・パーカーがアドバイスをし始める。マークはショーンを尊敬したが、サベリンはどうもショーンが信用できない。
やがてショーンがマークと取り込み、サベリンの追い出しにかかる。
サベリンもついに裁判を起こす。マークはウィンボルスたちからも訴えられる。
日本ではSNSというとmixiが有名だが世界的にはこのフェイスブックの方が有名だそうだ。
この映画はその「フェイスブック」の創立のゴタゴタを描いたもの。
こんな内部のもめ事をよく映画化の許可をしたなあ。はっきり言うけどイメージダウンにつながることにはならないのだろうか?物語は1960年代のような過去の話ではなく、2003年から始まる最近の話なのだ。
この映画の影響で日本でもフェイスブックが流行るかも?と言われているが、やはり後発なのでなかなかmixiを追い越すことは難しいのではないか?
この映画を見てもフェイスブックと言うものがどういう機能を持っているものかさっぱりわからない。
それはこの映画を見る人の(日本以外の)多くの人はフェイスブックの会員であろうからいちいち説明する必要はないのかも知れない。しかしそれ以上にこの映画におけるフェイスブックはマクガフィンなのだろう。
若者が新製品を作ってみてそれが予想以上のヒットをして盗作とか創業者同士で争い出すという、いつの時代にもありそうな話。お金の前には友情もすべて砕かれていく。
しかし金だけではない。
ハーバード大に存在する「クラブ」の選民意識が今回の始まりではないか?
このクラブに相当するものが日本にはないので、ちょっとピンとこない部分もあるが、ウインクボルス兄弟にしてみればマークなど「下層階級の人間」。そいつにしてやられたことがものすごく悔しかったに違いない。
マークやサベリンにしても逆に「クラブ自慢の奴に一泡吹かせよう」というのが始めた動機だったように見えた。
そして金が入り始めるとやってくる乗っ取り、そして女。
映画が終わったとき「えっもう終わり」と思った。
それほどまでに映画はスリリングで退屈させなっかったし、物語はまだまだ途中な気がする。
何しろ2003年という近過去の話なのだから。
ラスト、マークがフェイスブックに登録してある最初の彼女のページをいつまでも見ているカットが印象的。
すべては彼女から始まったし、彼女への思いがきっかけでこんな事態になってしまった。
やっぱり今でも彼女が好きなのだろうか。
そんなマークの心のつぶやきが聞こえてくるような気がした。
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日時 2010年1月29日15:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン3
監督 竹本昇
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)
三途の川の世界から新たな外道がやってきた。
護星天使のゴセイレッド(千葉雄大)が街で彼らと遭遇し戦った時に助けが入った。彼こそ侍戦隊シンケンジャーのシンケンレッドだった。
ゴセイジャーの仲間にシンケンレッドを紹介するゴセイレッド。しかし外道は新たな攻撃を仕掛け、シンケンレッドを連れ去り、外道にしてしまう。
集まったシンケンジャーたちだが、ゴセイジャーに対する不信感からうまく行かない。
しかしゴセイレッドがシンケンジャーを捨て身で守ってくれたことから信頼感が生まれ、彼らは外道たちと戦うのだった!
なんだかさっぱりわからない戦隊シリーズだ。
去年の夏にシネパトスで特集上映があったときにも少し見たが、とにかく設定がよくわからない。
なんで見たかというと今年になってからみた「タクミくんシリーズ」で好演していた浜尾京介が出演しているから。
実はテレビ版の方もこの3週ぐらい見ている。
よくわからないながらも3週も見ているとなんとなくわかる、というか無理矢理教え込まれる。
なんかよくわからないけど、技を使うときはカード機械に差し込んで「テンソウ!なんとかかんとか」と言うのだな。
「テンソウ」はたぶん「天装」なのだろう。「転送」なのかな?
今回はさらに別の戦隊と共闘する。
パンフレットを読むと(私は知らなかったが)戦隊ものでは別の戦隊同士が共闘する「VS」シリーズがもう何十本も作られているんだと。へ〜歴史があるんですねえ。
とにかく彼らが変身してからはどっかんどっかんと炎を上げながら大合戦。
加えてこの2月から始まる「海賊戦隊ゴーカイジャー」も密かに戦っていたりしての豪華顔見せ。
レッド、ブルー、ピンク、イエロー、ブラックなどがいて戦うのでどれも同じに見えるがコスチュームデザインも違っていて、頑張っている。
浜尾京介はタクミくんと違って男らしい感じ。タクミくんではほっぺがふっくらしていたが、このゴセイジャーではメイクのせいかも知れないが、頬がシャープな感じ。
またシンケンジャーにはタクミくんシリーズ1作目で天才バイオリニスト・井上佐智を演じた相葉弘樹が出演しているのも楽しい。
相変わらず話にはついていけない戦隊ものだが、「諦めなければ何とかなる!」というかなりアバウトな名セリフと浜尾京介と相葉弘樹の共演を楽しんだ。
尺が1時間という短さで1200円興行というのも楽しい。
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日時 2010年1月29日12:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン8
監督 ミッシェル・ゴンドリー
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
ブリッド・リード(セス・ローゲン)はロサンゼルスの大新聞社デイリー・プラネットの創業者の息子だったが典型的なドラ息子で毎日酒を飲んでのパーティ三昧。
ある日、父が急死をとげ、社長に就任。
父の運転手だったカトー(ジェイ・チョウ)がトンでもない発明家で改造車を作っていて武術の達人と知ると、リードは二人で手始めに父への反発から父の銅像を壊す。
カップルがチンピラに暴行されているところを見かけて彼らはそれを助けることに。
そして二人は「グリーン・ホーネット」と名乗り悪を退治することに。
昨今のアメコミヒーローのリメイクブームに乗ってついに登場。しかも3Dで。
66年のテレビシリーズが有名で、原作はコミックだと思っていたらラジオドラマだったらしい。そして40年代に連続活劇として映画化だったそうだ。知らなかった。
今回の映画版の基本デザインはテレビドラマを踏襲している。
しかしもともと「グリーン・ホーネット」は人気がなかったと記憶する。僕なりの印象では同様の「バットマン」に比べ服装は黒一色で地味だし、車も「バットマン」に比べると派手さでは負ける。
今はこの地味さ加減が逆にいいのだが、子供心には面白味がないと思っていた。
テレビシリーズではカトー役はブルース・リーで、70年代のブルース・リー・ブームの時にテレビシリーズの3エピソードをつないで2時間の映画として再公開していた。
タイトルも「ブルース・リーのグリーン・ホーネット」だったけど、はっきり言ってブルース・リーはあくまで助手だから活躍は少なかったと記憶する。
当時みて「こじつけの映画だなあ」と思った覚えがある。
でも今回の映画版ではテレビシリーズと車や服装のデザインが同じなので、楽しみにしていた。
しかも前回ブルース・リーが演じたカトーはジェイ・チョウ。なんだかんだ言っても気に入ってる人なので楽しみは倍増。
で、楽しみにしてみたのだが、いや裏切られた。
まず設定が間違っている。主人公のブリッド・リードがとんでもないヘタレ。はっきり言ってバカ。
ただのパーティで酒飲むしか能がない男で、まあヒーローになってからも格闘はからっきしだめで、もっぱらカトーに助けられてばっかり。
ここでもうこの映画はだめだと思った。
ヒーローとしてかっこいいと思える存在ではないのだな。
途中で帰ろうかと思った。
あとカトーの設定。
カトーという名前からして日本人なのだが、自己紹介をするときに「上海生まれでストリートチルドレンだった」という。それを聞いたブリッドは「ああ、日本は好きだよ」とか言うのだ。
アメリカ人は今でも上海は日本だと思っているのか?
それともブリッドのアホぶりを示すためにそいううせりふを用意したのか?
でも上海が日本じゃないことは少なくともジェイ・チョウは知ってるだろうからどう思ったんだろうね、このセリフ。う〜ん訳が分からん。
後半、自分の味方だと思っていた検事が実は選挙に出るために父に犯罪報道を控えさせていて、それをやめると言い出したから殺した、というあたりになってからは(まあ)面白い。やっぱり007以降、仕掛けのある車が活躍するのは好きなので、ブラックビューティがバンバン活躍するシーンは楽しい。
デイリープラネットに至る銃撃戦はやはりテンションあがりますねえ。3Dの効果が出ていたとはまったく思えないけど。
でも車が前半分だけで動くってのはやりすぎだな。
最後の検事の悪の告白が録音されていなかったというオチはいらない。ホントいらない。
主役をやったセス・ローゲンはアメリカで有名なコメディアンらしく、今回製作総指揮・脚本・主演と個人映画なのだが、この男がこの映画をめちゃくちゃにしたのは明らか。
でもこの映画のジェイ・チョウは光っていて、ますますファンになった。
彼の映画はまた見てみたい。
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日時 2011年1月25日21:10〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 牧口雄二
製作 昭和52年(1977年)
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
明治の初め。貧しい農家に生まれたお伝(東てる美)は父親がばくちにはまりその借金のカタに売られてしまう。そこを助けてくれたのが浪人の浅右衛門(伊吹吾郎)だった。しかし彼も反政府側、ということで警察に捕らえられ、お伝は別れを告げねばならなかった。
そんな時、ばくち場の親分たちが外でばくちを打っているのを近くにいた若者・市太郎(槙健太郎)をそそのかし、テラ銭を奪い取る。
東京へ出た二人だが、途中で泥棒に入った先で助けた松助やお伝の知り合いの尼僧(橘由紀)と四人組になる。
東京の新橋の銀行を襲撃しようとしたのだが。
この映画、77年正月第2弾(この頃の正月映画は「トラック野郎」シリーズだった)として公開された大作「日本の首領」の併映作だった。
大作時代になってきたとは言え、まだ2本立てが当然だった。
「日本の首領」自体も見なかったが、この映画を確かキネ旬のどこかのコラムで「こっちの方が『日本の首領』より面白い」書いてあったのでそれが妙に気になっていたのだ。
それでまあいつか見ようと思っていたわけで今回、観賞。
結論から言うと、「『日本の首領』より面白い」はなかった。
まず驚いたのはこの映画、勝手に現代劇だと思っていた。明治という江戸時代っぽさを残した時代だとは知らなかった。いやその部分は作者に罪はないけれど。
でもお話も根本的に面白くない。ノースターで画面に華がない。
キネ旬データベースによるとこの後現金輸送車を襲うとか書いてあるけど、それはなく、名家のお嬢さんたちが集まるパーティに参加して市太郎がなぜかお嬢さんに気に入られてベランダでキスしたりしたものだから、お伝は怒り心頭。(お伝は汐路章の刑事に口説かれるが無視する)そして帰り際にお嬢さんを襲うと行った感じ。
そうこうしているうちに捕まった浅は剣の腕を買われて、死刑囚の首切り役として雇われる。
街で浅とばったり出会って懐かしく(いや初恋と言ってもよい)思うお伝だが、やがては捕まり、浅に首を斬られるという大悲恋。
ああ悲しい、悲しい。
でも眠くなったけど。
出演では冒頭で浅を逮捕する巡査部長の川谷拓三がコメディリリーフで相変わらず場面をさらう。
また刑事役の汐路章もよかった。
この二人のわき役が僕にとっては見所だった。
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日時 2011年1月23日20:10〜
場所 銀座シネパトス1
監督 佐分利信
製作 昭和31年(1956年)
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
楢崎(佐分利信)は戦争中に戦死した自分の部下・田口(内田良平)の妻(原節子)と子供を引き取って結婚し、10年が過ぎた。
息子の誕生日に家族で食事をしようと誘ったが、妻は出かけており、息子と二人で銀座へ出かけた。
しかしそこで妻を見かける。息子と二人で家に帰ってから妻は帰ってきた。
妻は「あなたとの結婚は失敗でした」と告げる。
そもそも二人の出会いは・・・・
佐分利信の監督作品。
なぜ佐分利信が監督するようになったとかは知らない。
今度ネットで調べてみよう。
映画はこの後戦争中から戦後の戦友たちの動きが描かれていく。
楢崎をリーダーとする数名の部隊はフィリピンで食うや食わずの状況から終戦を迎える。
終戦直前に亡くなった田口の法要で集まるうちに戦友たち(三船敏郎、小林桂樹、堺左千夫など)は誰か田口の未亡人と結婚して面倒をみてやればという話になる。
結果として一番落ち着いた楢崎が結婚、出版社に勤める楢崎だが、交通事故で足を怪我してしばらく働けなくなり、新聞記者になった三船敏郎の紹介で働き出す。
そうこうしているうちに三船と原節子はお互いを意識しあうようになる。
三船の方が年下だが結婚を意識し、三船の転勤を機に言い出そうとするが原節子は切り出せず。
ついに三船から切り出すが結局このときは結ばれず。
しかししばらくして再会して再び二人は燃え上がる!というメロドラマ。
でも原節子もちょっとひどい。
最後は結局原節子は三船の元に去っていき、原の息子と佐分利信が残される。
でもこの二人って元は他人なんだよなあ。
息子は原節子の連れ子で佐分利信はまったく関係ないし。母に捨てられた息子は「僕、ここにいていいよね」と泣き出す。
いや〜いやな女だよ。
それにしても復員してから戦後日本を生きていくうちに進路が変わっていく様が興味深い。
佐分利信は軍隊時代の気質が抜けなくて会社でも融通が利かない使えない男になる(彼は軍隊時代の鉄兜を床の間においているのだ)、GHQに家を取り壊されたとかで佐分利信の家に1年以上もやっかいになる者もいる、小林桂樹は闇屋から始まって大工場の社長になる、堺左千夫はコソ泥になる、やはり自衛隊に入るものもいる。
もともと軍隊は能力とか家とかは関係なく集められた集団。学校や会社は入るのにそれなりに選抜があるから、それほど人間に差はない。
やくざと大学の先生が同居する世界だ。
そんな中、戦後のそれぞれの生き方が別れていく様がとても興味深く面白かった。
また娘役ででてきた八千草薫の美しさが印象に残る。
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日時 2011年1月23日18:20〜
場所 銀座シネパトス1
監督 成瀬巳喜男
製作 昭和31年(1956年)
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
群馬県で代々の薬屋を営んでいる信治(小林桂樹)。最近は商店街も寂れてきて近所にも薬屋が出来、商売は苦しくなるばかりだった。
信治は妻(高峰秀子)と店の隣の空いている土地に喫茶店を建てようと計画。
妻は同じ商店街の食堂(主人・加東大介)で修行を始める。
そんな時、家を出ていって東京でサラリーマンをしている兄(千秋実)が妻(中北千枝子)とまだ小さい娘と帰って来た。しかしなかなか東京に帰ろうとせず、なんか変だ。
実は兄の会社は倒産し、故郷で友人の紹介の土地で食料品店をやろうと計画してた。
そのために弟に金を貸してくれと頼む。そうすると当然自分たちの喫茶店の夢は無くなることになる。
母(三好栄子)に頼まれた信治たちはいやとも言えず腐るばかりだ。
信治は同じ商店街の主人と芸者をつれて温泉旅行へ。妻は学生時代の親友の兄で銀行員(三船敏郎)と映画を見に行く。
結局兄に20万円貸した信治だったが、貸したその日から兄はどこかに行ってしまった。
成瀬巳喜男監督作品。
依然成瀬作品を連続してみたとき、さっぱり面白くなかったが、たまには、と思って鑑賞。
クレジットを観たら梶田興治さんが助監督だった。
お話の方は妻が家族やしがらみの板挟みで苦しむ話。
兄はもともと家業を継ぐのがいやで家を飛び出した男で弟は基本的に兄のことは快く思っていない。
そこへ自分の計画を邪魔するような相談をもちかけられ腹が立って仕方ないが、兄だから母親も兄に味方する。
そんな煮えきらない態度の夫にますます困り果てる妻。
自分の意見もあるのだが嫁の立場では自分の主張はしづらく、「夫さえよければ」と言ってしまわざるを得ないし、それを聞いた夫は「俺一人が反対しているみたいじゃなか」と責め立てられる。
私も弟の立場だから似たようなことはなくても兄には逆らえない。
親としては両方可愛いからどうしても平等になるようにしてしまう。
ましてや妻となると姑には遠慮があるし、かといって夫には強く出たい。
そんなどこにでもありそうな家庭内や近所の噂に挟まれる妻のつらさ。
そういう女性の心の機微を描いていた。
やっぱり成瀬はその辺を描かせたらうまいものだと思う。
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日時 2011年1月22日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 柏原寛司
製作 平成9年(1997年)
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
仁賀丈太(藤竜也)は元刑事の私立探偵だが、本人曰く「確定申告のときに使う肩書」ということで実際は毎日テレビゲームをしている。
息子のタケ(青木伸輔)は親父の借金の方に新宿のオカマバーでアルバイトをしていた。
そのバイト先に総会屋鷲尾(宇崎竜童)という男とその部下がチェーンソーを持ってやってきて店を壊していく。
その話を聞いた丈太は旧知の鷲尾のもとに行き、500万円を取り返し、それでバーの改装をする。
不甲斐ない父親に嫌気がさしていたタケは鷲尾のもとで暮らすことに。
ある政治家に贈られたピカソの絵がめぐりめぐって鷲尾のもとに来ていた。
これをネタに初めの送り主のデパートを恐喝した。
数日後、そのデパートの担当課長は自殺。ショックを受けたタケは鷲尾の元を去るのだが。
ケイエスエス製作映画。
そういえばケイエスエスという会社はビデオセル中心のB級アクション映画を作っていた会社だった気がする。
低予算なので画質も音質も最悪。
まるでピンク映画のような画質なのだな。
音質も生活音のレベルが高く(テーブルに物を置く「コト」という音とか)非常にうるさい。これは自主映画みたいなろくな録音機材を使っていない映画ではよくありますが、藤竜也・宇崎竜童というようなそれなりの役者が出ている映画でやられると哀しくなる。
お話しの方も、例のピカソの絵をめぐる攻防みたいなものがもっと描かれれば面白さもあったかも知れないが、それもなく、絵をデパートに買わせるシーンがあるだけ。
映画では片桐竜次扮する初めにもらった政治家に雇われた私立探偵が誰がこの絵を使って恐喝しようとしているかを調べていたりするのだが、その辺を絡めればもっと面白くなった気がするのだが。
そしてアクションも鷲尾の部下とタケが殴り合いをしたりするのだが、その程度。
ここで拳銃を撃ってくれなきゃ観客のボルテージは上がらないのだよ。
拳銃の弾着をする予算がないからそうなったに違いないと映画を見ている間は哀しさだけが募ってくる。
続くトークイベントでは「下町のハードボイルドで拳銃はなしで行こうと思っていた」と柏原監督がおっしゃっていたが、そういう映画もありかも知れないが、観客のカタルシスとしては最後ぐらい拳銃で撃ちあってほしい。
撃ちあわなくても「ロング・グッドバイ」とか「友よ静かに瞑れ」みたいに最後に一発ぐらいは撃ってほしかったな。
せっかく藤竜也が出てるんだしさ。
もったいない映画だと思った。
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日時 2011年1月20日
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 牧口雄二
製作 昭和52年(1977年)
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
時は明治の初め。おゆき(鰐淵春子)は武家の娘だったが父は落ちぶれ今や身を売られる身となった。
売られた先は横浜の外国人居留地。日本に来ている外国人の現地妻として売られたのだ。
自分を買ってくれたアメリカ人は優しかったが、「外国人に身を売った日本人の恥さらし」と街に出れば石を投げられる日々が続いた。自分の味方をしてくれるのは和助(常田富士男)だけだった。
しかしそのアメリカ人は国に帰る。同時におゆきは自由の身となったが、もはや両親も死に、行くところもなく仕方なく遊郭へ。
親の墓参りに行った際にかつての婚約者(荻島真一)を見かける。おゆきは彼が医学を勉強していると知り、学費を送ることにするのだが。
まだ映画を観初め、キネ旬を読みだした頃に作品紹介されていたのがこの「らしゃめん」。
鰐淵晴子の妖艶な美しさが記憶に残った。
当時は観なかったけど、どんな映画かは気になっていた。
作品解説を読むと鰐淵晴子のヒット曲の映画化とあるけどそんな曲が流行っていた記憶はない。
ベストテンに出るような曲ではなく、有線とか演歌部門でのそこそこのヒットだったのかも知れない。
だから鰐淵晴子が主演なんだろうけど、話としては20歳ぐらいの女優じゃないと話が成立しないのだな。
16歳ぐらいで売られてきて成り立つ話だから。
当時鰐淵は30歳すぎていたし、綺麗は綺麗だけど年齢的にあってない。
当時、「エマニエル夫人」とかあったからその辺も当て込んでのソフトポルノ企画だったかも知れないけど、鰐淵はほとんど脱がない。
これではそれを期待して見に行くと外される。
で荻島真一の医者はドイツにまで行って医者として成功して帰ってくる。しかし時はすでに遅く、おゆきの体はすでに病気に冒されていた、で最後に荻島真一に看取られながら死ぬ。
牧口雄二の前に観た「かまきり夫人」とか「戦後猟奇犯罪史」のようなお遊びとかむちゃくちゃさもなく、ひたすら真面目な悲恋物語で私には退屈この上ない。
そんな中で面白かったは特別出演している川谷拓三と室田日出男。おゆきがキャバレーで働いているシーンで室田が客としてやってきて「伊藤や大久保が俺に助けを求めてきた」などと自慢話をしている時に川谷のボーイがブランデーをもってやってくる。チップをさりげなくねだるのだが室田はなかなか出さずにコインしか出さない。怒った川谷が室田のブランデーを飲んで帰っていく、というシーン。
たぶん川谷のアドリブだと思うけど、ここが自分には面白かった。
あとテッド若松なる人が撮影監督として参加。
プリントの状態はよかったので、映像は美しくその点も楽しめた。
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日時 2011年1月18日
場所 アメリカ版Blu-ray
監督 エドガー・ライト
製作 2010年(平成22年)日本未公開
(公式HPへ)
スコット・ピルグリム(マイケル・セラ)はカナダのトロントに住む22歳の男。17歳の中国人のガールフレンドがいて、友人たちとバンドを組んでいてベース担当だ。
ある日、夢の中で出会った真っ赤な髪の毛の女の子(ラモーナ・フラワーズ)に一目惚れ。それが友人たちといったパーティで彼女と出くわしたのだ!
早速友人たちに彼女の名前や評判を聞く。アマゾンの配達の仕事をしていると知ったスコットはアマゾンに注文し、届けに来た彼女をデートに誘う。
デートは成功し、二人はつきあうことに。
しかし彼女とつきあうには7人の元彼たちを倒さねばならない。しかも中国人の彼女には「別れよう」と言ったものの承知してくれない。
どうなるスコット・ピルグリム!
先月、「スーパーカブ」のイベントでお会いした斉藤慶太さんが「日本未公開のアメリカ映画に出演した」と聞き、アマゾン(!)に注文して入手したのがこの映画。
原作はコミック。日本語字幕入り予告編を観たりしてのでだいたいの話は頭に入れた上、英語字幕を再生しながら鑑賞(もちろん日本語字幕はない)。
お話は複雑ではないので、予備知識でだいたいわかった。
ただし英語のダジャレとかジョークも多いみたいなのでたぶんその面白さのほとんどをわかっていないだろう。
しかしそんな僕にもわかったジョークをいくつか。
スコットのバンドはギター、ベース、ドラムの3人なのだが、もう一人なんかよくわからないメンバーがいる。スコットの中国人の彼女が彼らのバンドの練習を見に来たとき、もう一人に「あなたは何を演奏(play)するの?」と聞く。そうするとゲーム機を操作しながら「えーとテトリスとかplayする」と答える。
スコットはゲイの友人がルームメイトなのだが、彼がそのラモーナの話題の時に「Lのつく言葉を言えよ」というとスコットは「レズビアン?」「別の単語」「レズビアンズ?」。
これが最後に伏線になっていて、スコットがラモーナに「I'm in LOVE」と言おうとしたのに「I'm in レズビアン」と言ってしまうオチとなる。
全体的にテレビゲームとコミックの世界を映画にしているので、冒頭のユニバーサルマークもゲーム機のようなギザギザの多いロゴで現れ、ゲーム機のピー音のような音階で音楽も流れるのだ。
またスコットに襲いかかる敵にハリウッドのアクションスターがいて、その男が登場したときに今度はちゃんとした音楽でユニバーサルマークのテーマ曲が流れるお遊びつき。ここ笑った。
あと笑ったのはスコットの家に中国人の彼女が訪ねてきて、慌てて家を飛び出すスコットなのだが、友人が応対している後ろで窓に向かってダイブするスコットの姿が見えたのは笑った。
とにかく動きの多い映画で、笑いも動きのあるものが多い。(せりふも早く字幕もすぐに消えてしまう)またコミックの擬音に当たるものが映画にも出るのだけど(BOMBとか)これが邦画だとずいぶん気になるのだが、外国映画だと気にならないのだよ。
たぶん、邦画は日常に近いけど、外国映画は端から「非日常」だからではないか知らん?
CG加工が多いのだが、デジタル撮りではなくパナビジョンの撮影。
しかもスコットが家のトイレに入り、出るとロッカールームになるというカットがあるのだが、CG加工ではなくスコットがトイレに言っている間にセットを組み替えるアナログさ!
で斉藤兄弟だが、その7人の敵の二人組として登場。
でも7人の中では一番出番が少なく、時間も10分ほどで印象が薄い。
だから斉藤兄弟を目当てに観るとがっかりかも?
主演のマイケル・サラの普通ぽい感じがよい。
いかにもどこにでもいそうな外国人の青年なのだよ。
その普通っぽさがこの映画のキャラクターにぴったりだ。
しかも格闘シーンなども本人がこなしているようだ。
冒頭のゲームセンターでのダンスもうまかったから、ダンスの経験があるのかも知れない。
美少年すぎないあたりがいいですね。
今のところ日本公開のめどは立っていないけど、わからなかった面白さを理解するためにも是非ちゃんとした日本語字幕のついた状態で鑑賞したいものだ。
十分面白いと思うよ。
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日時 2011年1月16日16:00〜
場所 銀座シネパトス
監督 松山善三
製作 昭和37年(1962年)
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
定職につかず、全国を旅しながら歩く猪戸純平(小林桂樹)。今日も九州のうどん屋でうどんに蠅が入っていたと難癖を付けてみたものの、無銭飲食と言われて警察に突き出されてしまう。
そこで同じく全国で原爆病だと言って鉛筆を高く売り歩く女・駒子(高峰秀子)と再会する。
駒子とはこうして年に一度か二度ばったり会う仲だ。
同じく全国を詐欺やインチキ商売で渡り歩く男(三木のり平)から純平が8万円をいつも体に張り付けていると聞いた駒子は純平に近づき、寝てる間に持ち逃げする。
下関駅でふたりの子供が捨てられるのを見た純平は捨てた母親(団令子)を追いかけるが、逃げられる。
仕方なく純平はふたりの子供と旅を始めるのだが。
松山善三が「名もなく貧しく美しく」に続いて撮った映画。
評判は知らなかったが、昨日見た「名もなく〜」や「われ一粒〜」がよかったし、クレジットタイトルの出方が面白いとチラシに書いてあったので、ちょっと楽しみにして観た。
結論から言うと期待はずれ。
こういう乞食みたいに自由に生きる男を肯定的に描く姿勢が好きになれないのだよ。
「人間は社会の中でのみ生きられる」みたいなことを映画の冒頭の字幕などで言うのだが、純平は完全にそれを否定する生き方をしている。
こういう自由な生き方こそ人間の生き方、と言っているかのようだ。
それに子供連れで旅をするというものイージーで嫌い。
偽の親子が旅をするうちに本当の親子のような愛情が芽生えてくるという展開は山のように見た。
ラストに子供たちを捨てた団令子の元に子供を届ける。
もっとも団令子も実の母親ではなく叔母のようなのだが、子供を抱きしめてうちに帰る。
そして今の旦那の桂小金治も育てようと決意するが、結局ふたりは純平のもとへ。
で、駒子も一緒になって夏の間涼しい北海道を目指す、というエンディング。
子供だって大きくなったら学校へも行かせなきゃいけないんだよ。
あまりにイージーというか甘ったるい映画でゲンナリした。
松山善三は前作「名もなく〜」を見て、そんな決まり一辺倒のヒューマニズム映画は作らんのかと思ったが、そうでもないらしい。
クレジットの話は名前とともにスタッフキャストが登場するという形。
藤本真澄さんまで出ていた。
意外と大した事ではなかったが、チラシに書いたのはほかに見どころがなかったためか?
でも九州西海橋、下関駅、錦帯橋、大阪駅周辺、富士山などの各地の風景が見られ、ご当地映画として見るところはある。
あと出演者では子供の男の子の方がどこかで見たことある顔だと思ったら、金子吉延!
「仮面の忍者 赤影」の青影くんじゃない!
珍しいものを見ました。
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日時 2011年1月16日11:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン10
監督 トニー・スコット
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ペンシルバニア州の貨物列車の操作場で、運転士が先の線路のポイントが切り替わっていなかったので自分で操作しようと徐行中の列車を降り、ポイントの切り替えを行った。
だが列車速度は上昇をはじめ、全速で暴走してしまう。貨物列車は全長800m、積み荷には化学物質を積んでおり、市街地で転覆すれば何十万の死者さえ出す恐れがある。
一方、別方向からリストラ間近のベテラン運転士フランク(デンゼル・ワシントン)と新米車掌のウイル(クリス・パイン)の二人が乗る貨物列車が走行していた。
事態を知った二人は自分たちの列車を暴走列車の後ろに連結させ、後ろから引っ張って列車を止めようとするのだが。
正統派のパニック映画。
暴走する機関車をどう止めるか、という「新幹線大爆破」などにつながる列車パニックものだ。
正月第2弾での公開だけど、正月映画としても十分な面白さだ。
こういった映画では最近、事故を起こすまでの時間が長くて水増しを感じるときがあるけどそういうのはなし。
冒頭から物語がスタートする。
上映時間は1時間39分と短めだが、実時間も2時間ぐらいだからそれにあった映画になっている。
しかも列車のポイントを切り替えようとする、列車にヘリから乗り移ろうとする、転覆装置で転覆を図ると次々と方法を試していくあたりもこの映画の王道の展開。
主人公たちは別に列車エリートではなく、リストラ寸前の機関士と新米車掌。
このあたりの「普通の人」のあたりが、今の世相を反映している気がする。
またこういう「一人のヒーローがみんなを救う」的な話がアメリカ人は好きなんだなあ。
日本だと「みんなで力を合わせて」ってなりそうだからな。
(どっちがいいとう話ではない)
最後にウイルが車から乗り移るのだが、乗り移るときの車の運転をしていたのが、溶接担当の人なので、この特技を使うのかと思ったらそういうわけでもなかったので外された。
またFOXニュースの中継がずっとされていて、ウイルが暴走機関車と自分の機関車を連結させようとしている時など、逆に「お前らのヘリの風が邪魔してないか」とさえ思った。
「機関士はフランクです!」と写真入でテレビ報道されていて、まるで事件を楽しんでいるかのよう。
こういうマスコミのニュースのショー化というのも「今の事件」という気がした。
あと難を言えば、司令室に居合わせた鉄道オタクみたいな役人にももう少し活躍させてほしかったな。
またトニースコットはカメラを移動させての画を撮りすぎ。
前回の「サブウエイパニック123」も思ったけど、こういう画は返って落ち着かない。
全体しては久々のパニック映画で面白かった。
ノースター映画なのが惜しい、とさえ思った。
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日時 2011年1月15日21:15〜
場所 シネマヴェーラ渋谷
監督 佐藤肇
製作 昭和39年(1964年)
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
麻見弘(西村晃)は冴えないタクシーの運転手だったが、彼の妻・すぎ江(春川ますみ)は浮気していて喧嘩が絶えない二人だった。
ある日、麻見が霊柩車に乗り、結婚式場へ。後ろの棺にはすぎ江が入っていた。すぎ江は浮気をわびて自殺したが、その遺書に浮気相手がYKとなっていたという。
YKの一人、北村由之助(曾我廼家明蝶)を訪ねてきたのだ。そして麻見は次の浮気相手・山越堅児(金子信雄)の元へと向かう。
タイトルからしてホラー映画っぽい。しかも西村晃が主演だし。
だが意外とホラー色はなく、ミステリー映画だ。
「自分の妻はあなたとの浮気が原因で死んだかもしれない」と言っていく。
直接金を要求はしないが、北村も山越を金で解決しようとする。
実はすぎ江は生きていて、すぎ江一人が先に田舎に行こうとしたところと深夜金を持ってきた北村がすれ違ったものだから、北村は驚いて心臓発作を起こして死んでしまう、という展開。
そして実は山越とすぎ江はグルで夫を殺して金を北村が持ってきた500万円を二人のものにしようとするが、その計画を麻見が気がついて・・・・というどんでん返し(というほどでもないけど)の展開。
タイトルから想像されるような夜な夜な死体積んだ霊柩車が街を走り、その運転手の西村晃が市民を次々と殺していく・・・と言った話ではない。
割とまともなミステリーだ。
なんとかすぎ江も山越も殺し、(その死体を北村の病院に持っていき隠そうとしたら北村の死体ともご対面!といったブラックユーモアもある。このシーンでの守衛役の加藤
嘉とか小沢昭一が楽しい)麻見は金を独り占めにしようとする。
それよりなにより最初と最後に出てくる霊柩車の運転手の毛利(渥美清)。渥美清がこういったホラーめいた映画に出ることじたい珍しいが、すべてを悟って西村晃をゆすり出す。
だが麻見は結局、毛利も殺し、すべては麻見が独り占めか?と思われたが、最後に霊柩車を運転する麻見は今まで殺した人の幻覚に迷わされ、木に激突して死ぬ。
悪い奴は最後には死ぬというこの時代の映画らしい、ごく当たり前の展開でした。
タイトルのおどろおどろさからは離れた割と凡庸なミステリー映画。
そういう意味ではタイトルで人を観る気にさせる、タイトルで得した映画。
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日時 2011年1月15日19:25〜
場所 シネマヴェーラ渋谷
監督 和田嘉訓
製作 昭和39年(1964年)
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
混血児を集めた孤児院の高校生、酋長(安岡力也)とその仲間たちは東京の各地で高級車からタイヤやハンドルの部品ばかり盗んでいた。
ある日、同じ孤児院のハツコ(デビイ・シエス、現真理アンヌ)が新宿のスケートリンクで知り合ったという大学生、朝雄(寺田農)と関係を持ったという。
ハツコは色は白かったが、黒人の父親と同じ色の黒い弟がいると知って朝雄はハツコから遠ざかるようになったというのだ。
朝雄を締めあげる酋長たち。だが朝雄が車の免許をもっていると知って仲間に加えることに。彼らは盗んだ車の部品を組み立てて横須賀に行って銀行強盗をしようというのだ。
いやー実に感想に困る映画だ。
何にも引っかからなかったのだ。
昔の大島渚とかATG映画を見てるような抽象的な比喩に満ちた展開になる。
自動車の部品ばかり集めたって、それを組み立てて動く車が出来るはずがない。
そんなことはわかっているはずだが、「ここではないどこかへ」と行こうとする若者の話だ。
それはわかるのだが、だからといって引っかからないのだなあ。
この映画は以前浅草東宝のオールナイトで和田監督特集がくまれたときに上映され、ちらっと邦画ファンの間で話題になった気がする。
だから存在は気になっていたのだ。
それで今回見たわけだけど、いやピンと来ないなあ。
さらにラストでは車で横須賀に向かう。
そこで銀行強盗をするのだが、MPたちに追いかけられ、海岸で追いつめられる。
そこで主人公の酋長は車の下に隠れるが、MPが放った銃弾で車は爆発炎上。
が気持ちは外国に向かったらしく、その次は酋長が海を泳いでいるカット。そしてラストカットになり、海をいくヨットがカラーになってクレジット。
東宝らしくない、変わった映画。
よくこんな映画が出来たと思う。
昭和39年なら落ちたとはいえ、まだまだ観客動員は多かった時代で、「何でもいいからやってみろ」的な時代ではあるまいし。
酋長は安岡力也。後の悪役時代の太った感じではなく、まだまだ痩せている。
そして改名以前真理アンヌが登場。
新宿ロケのシーンも多く、歌舞伎町の映画街の噴水とか伊勢丹前とかの風景が懐かしい。
主人公たちは福生あたりの施設にいるのだろうか?
彼らは「戦争の落とし子」と言っていたから戦後の進駐軍や朝鮮戦争での米兵の子供なのだろうな。
となると母親の職業も想像がつく。
そういった子供たちがいたことこそ、時代を感じさせる。
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日時 2011年1月15日17:10〜
場所 銀座シネパトス
監督 松山善三
製作 昭和36年(1961年)
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
農政省の役人坂田(小林桂樹)は自分の元にかかってきた「自分の子供が小児マヒになった」と訴える間違い電話がきっかけで小児マヒに関心を持つようになる。それは子供の手足がマヒして動かなくなる恐ろしい病気だった。
当初、マスコミも「小児マヒになるよりトラックに引かれる子供の方が多い」とあまり関心を示さなかったが、坂田が行きつけのバーの客でアジアテレビの報道局員熊谷(大村崑)を動かしたことから、その上司の田神部長(田崎潤)も関心を持つようになる。
しかしワクチンの数が足りない。ソ連で開発された生ワクチンが有効だと平岡教授(木村功)から聞きつけた坂田だが、それには人体実験が必要だ。
まず大丈夫と言われている生ワクチンだが、100%ではない。その東京での実験は根本(高峰秀子)が引き受けることになったが、根本は危険の可能性を感じ、実験に踏み切れない。根本の夫の弟二郎(大辻伺郎)が小児マヒ患者だったのだ。今は大人になった二郎だが、実験には大反対だった。
小児マヒと戦った男の話。
もともと主人公の坂田は小児マヒの対策に動かなければならないような男ではない。
しかし「自分には関係ない。自分の仕事ではない」というスタンスではなく、誰かが「やる!」と言って動いて行けば世間はもっとよくなるはずだ、という主張がヒシヒシと伝わってくる。
しかしそれにしても農政省(農林省のことだろう)の小役人が動くのはちょっと現実感がないと思ったら、エンディングに「実際に動いた学生をヒントにドラマを作った」という主旨の文が出るから、まあ納得。
いくら何でも農林省の役人では現実感にとぼしい。
だが、松山善三はただの「いい人」の成功物語にはしない。生ワクチンを使うには人体実験が必要だ。
まず大丈夫と言われても「100%」ではない。
「99人が助かれば1人は犠牲になっても仕方ない。1人が犠牲にならなければ100人全員がだめになってしまう」と坂田は根本や二郎を説得する。
この説得は平行線だが根本はついに折れて人体実験を行う。
そして生ワクチンは全国の子供に接種され、小児マヒは集束に向かっていく。
ここで「万歳万歳」のドラマにしないところが立派だ。
ラストに再び二郎は坂田の前に現れ、「あなたは勝った。だがそれは偶然にすぎない。事故が起きる可能性はあった」と糾弾する。
「自分はその切り捨てられた一人だ」と訴える。
単なるヒーロー物語ではなく、その影の部分も描こうとする。
さすがに坂田は「私は疲れた」と最後には力つきている。
ラストは二郎は車いすで街に出る。
やがて車いすを横断報道で押してくれる人間が現れ、「きっと彼がその一人を助ける活動をしてくれるに違いない」と言って映画は終わる。
その一人は映画を見ている我々にもなってくれと訴えているかのようだ。坂田みたいな人がやってくれてよかったよかったという他人ごとではなく。
我々に課せられた課題は大きい。
最後に坂田は実はバーのホステス由実(水谷良重)と愛人関係にある。
由美の部屋を活動の拠点にしたことから熊谷が知らずに坂田をその部屋に呼び、「道わかりました?」と聞くあたりは楽しい。
坂田を単なる善人にしなかったのもよかったのだろう。
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日時 2011年1月15日14:50〜
場所 銀座シネパトス1
監督 松山善三
製作 昭和36年(1961年)
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
秋子(高峰秀子)は子供の頃の高熱で耳が聞こえなくなった聾唖者。戦争中に空襲で子供を助けたが、夫の両親は「縁のない子供をいつまでも引き取っておくわけにはいかない」と施設に入れてしまう。夫は戦後の混乱期に病死。
仕方なく実家に返される秋子。
聾唖学校の同窓会で受付をしていた道夫(小林桂樹)と知り合い、結婚することに。子供を作ることには秋子の母親は心配したが、案の定、事故で死に至らしめてしまう。
やがて秋子の母親も同居する事になり、また子供を作ることに。今度は子供、一郎(島津雅彦)は無事に大きくなった。
たが小学生になって親が聾唖者であることを理由にいじめられるようになる。
松山善三の代表作と言えばこの映画があがってくる名作映画。
前から一度見てみたかったんだが、機会を逃していた。
この映画、聾唖者の話だから手話のシーンがあるがそこには字幕が出る。ところがその字幕がないプリントがあるそうで友人がそのプリントで鑑賞することになり、内容がよくわからなかったと言っていたので、今回、そのプリントに当たらなければよいがと思っていたが大丈夫だった。
聾唖者が必死に生きていく様が描かれる。
しかし松山善三はただの「障害者は頑張ってすべて克服していきます!」の映画にはしない。
まず最初の子供。
冬の日、二人のあばらやに深夜に泥棒が入って服などを盗んでいく。そして玄関の戸を開け放して泥棒は出ていく。
赤ん坊はぐずって布団から出てはって行くのだが、玄関で土間に落ちてしまう。
赤ん坊が泣き叫んでも二人はまったく起きない。
雪が降りこむ玄関で赤ん坊が泣き叫ぶ姿とのカットバックは実に残酷。
カットは次には赤ん坊の墓の前で泣き崩れるふたりの姿だ。ここは正直、心に応えた。
秋子の弟(沼田曜一)が極道もので、秋子のミシンを金に困って売り飛ばすのだが、「迷惑かけてばかりいる」と秋子家出をする。それを知った道夫が追いかけて電車に乗った秋子に追いつく。
ここで隣の車両に乗っている秋子を手話で説得するシーンは聾唖者ならではのラブシーンだ。
健常者ならこのシーンの味わいは出ない。
そして小学生の高学年に一郎が、母親の洋裁の賃金が安い、耳が聞こえないからと言ってバカにしていると仕立屋の多々良純に怒鳴り込む。
一度は追い返した多々良純も夜には謝ってくるというはハッピーな展開だが、ラストの展開には驚いた。
ある日、戦争中に空襲で助けたが、その後施設に入った子供、アキラが秋子を訪ねてくるのだ。
ここで加山雄三が出てくるのでそこでも驚いたが、秋子は出かけていて、秋子の母が近所にいた秋子を呼びにいく。
ところが興奮のあまり道を確認しないで渡ったものだからトラックにはねられる!
そりゃないようなあ。隣で見ていた人も秋子が引かれる時に「危ない!」と声に出していたけど、ホントそんな気になりました。
この悲観的な展開にはびっくり。
でもさっきも書いたけど、こういう残酷なラストだからこそ、「障害者は頑張ってどんな困難にも打ち勝ってます!」というような話になっていないからこそ、この映画が名作として語り継がれていくのだろう。
そんな気がしました。
でも残酷すぎる。
あっ、加山雄三のアキラが自衛隊員になっていたけど、あれは特別な意味があったのだろうか?
普通にスーツ着て訪ねてきてもよさそうだが。
あと小学校低学年の一郎役に島津雅彦。「天国と地獄」で誘拐されたほうの子供ですね。
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日時 2011年1月11日
場所 TSUTAYA宅配レンタル
監督 横井健司
製作 2010年
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3年生になったタクミ(浜尾京介)とギイ(渡辺大輔)。ギイは階段長になり個室になり、タクミは新しいルームメイト・三洲新と同室に。
春休みの間アメリカに行っていたギイだが、その間ずっと国際電話ではなしていたのに、帰国した途端、ギイの態度がよそよそしく、タクミを避けるようになった。
二人の親友の赤池の話ではタクミだけでなく、自分にもそういう態度をしているという。
しかもメガネまでして外見も変わってしまった。
ギイの心変わりがわからず悩むタクミ。
しかもギイに「しばらく二人で会うのはやめよう」と打ち明けられる。
悩むタクミ。彼のトラウマ「人間接触嫌悪性」が再発してしまう。
タクミくんシリーズ第3作。
前の「虹色の硝子」が好きなだけに今回も期待してみた。
「虹色の硝子」のような名作は毎回でないだろうけど、今回も十分楽しめた。
レギュラーの赤池が今までやや存在感がなかったが、今回はその存在を示す。
ギイの謎の変化は翌日から入る新入生たちが自分に近づこうやってくるからそれと距離を保つためだと。しかも新入生の親は大会社の社長、政治家など日本の有力者の子弟が多く、彼らがどんな卑怯な手を使ってくるかわからない。
それにタクミや友人たちを巻き込みたくなかったからではないかという。
正直、笑った。
これから有力者の子弟たちによるギイ争争奪戦が始まるというわけか。
「ギイと近づきたがる」というのが恋愛関係を意味するのか、単なる将来を見据えてのご学友になりたいという程度の意味なのかはわからないけど。
原作を読めばわかるかも知れない。
まあまあその辺はおいといて、タクミが自分の力のなさに悩み、そしてギイの背負った荷物をみんなで分担しようという赤池や三洲。
この後、新入生たちとの一波乱あるかと思ったらその辺は新入生にタクミが絡まれるのを赤池たちが助けるぐらい。
だからいつまでもタクミが悩み続けるので、話の展開が欲しい。
比較するのは間違いかも知れないが、「虹色の硝子」は前半がギイに飽きられたと悩むタクミ、死期がせまる友人の話と話が移っていったが、今回はすっと悩み続けるタクミの話なのでやや後半飽きる。
それに時折タクミやギイが1年前の出会いの頃の回想シーンが挿入されたり、カットとカットの間に挟まるもんだから、ちょっと混乱した。まあ2回見ればそんな混乱はなくなるだろうけど。
ラスト、二人の思い出の場所、音楽堂で二人きりで会い愛情を確認しあうギイとタクミ。
この後二人がどこかで愛し合うシーンになるのだが、この時のタクミというか浜尾京介は実に官能的な表情。
ラブシーンでこれだけ官能的なシーンを見たのは久しぶりな気がした。
またこのシーンに二人の声が被さり、愛を確認しあうのだが、浜尾京介の声や話し方がとても印象に残った。
同様に前半で「しばらく距離をおこう」というギイに「ギイが会いたくないって言うんならいつまでも会わなくなってかまわない」と怒るタクミは実に切なかった。
このシリーズが2作目以降成功したのはやはり浜尾京介の力だろう。
ネット読むファンの評判も1作目は否定的な意見が多いが、2作目3作目は肯定的な意見が多い。
原作からの長いファンも納得させるだけのキャスティングだ。
またこの映画で三洲と真行寺という二人の魅力的なキャラクターが登場する。
従って彼らを主役にしたアナザーストーリーが4作目に作られるのは必然なのだな。
あとボーイズラブものを見て「現実にあり得ない設定」とやや引いて見ていたが、ふと気がついた。
怪獣映画やSF映画でもあり得ない設定があるではないか?
それでも人は感動し涙することもある。
ボーイズラブもそれと同じだ。
「あり得ない設定」と批判するのはそれを受け入れる心がないのだともいえる。
ボーイズラブがファンタジーと言われる意味がやっと受け入れることが出来た。
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日時 2011年1月10日16:50〜
場所 池袋テアトルダイヤ
監督 仲村颯悟
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6年生の裕人は冬休みの間、母親と住んでいる那覇から母の田舎ヤンバルで暮らすことに。
オバァの家にはオジィとおじさん、従兄弟たちが住んでいる。
近所の人が村会議員に立候補し、その事務所開きにオバァの家で飼っていた山羊が振る舞われた。
裕人は昨日まで飼っていた山羊のポチが食べられてしまったことにショックを受ける。
近所の新築祝いでもう1匹のシロが食べられることに。
でも偶然の事故からシロは逃げ出してしまう。
裕人も従兄弟もシロを捕まえようと追いかけるのだが。
資本もスタッフもすべて沖縄という映画。
でもこの映画の話題はそんなことではなく、この映画の監督が14歳の中学生ということだろう。
撮影は2009年に行われ、2010年に沖縄で公開、2011年になって東京での公開となったわけだ。
監督が14歳というのはいつの時点なのだろう?
撮影時かな?なら今は中3の受験直前の時期かも知れない。
もちろん僕だって「監督が14歳だから」見た。
ただの沖縄発の映画というだけなら見ない。
仲村監督にも才能はあるだろうけど、話題づくりのための監督なのだろうか?
その辺はわからない。年下の才能に嫉妬する醜い大人の気持ちが「14歳に監督が出来るはずがない。きっとただの話題づくり」と思わせている可能性は十分にある。
映画を見て思ったのはじっくりとした画なのだ。
また俳優たちの演技はせりふも細かく定まっておらず、シチュエーションだけ与えられた演技に思えた。
ワンカットは長く、カメラはフィクス、またはゆっくりした移動で画は作られている。
せりふも全体的に少な目で、人物の動きで話は進んでいく。
だから正直まったりとした展開で眠くなるのだよ。
ドラマティックな展開があるわけではなく、裕人と従兄弟はやぎを追いかけて森に迷い込み、そして夜になってしまう。大人たちもオバァは心配するけども、別に警察が出て大騒ぎになることはない。
裕人たちは夜、周りで野犬が吠えだし、自分たちも吠えて追い払おうとする。別に実際に襲われるような派手な展開はなし。
やがて夜も更けてきて裕人は寝ているがその周りを2匹の山羊が歩いていく。朝になり、裕人と一緒にいた従兄弟はいなくなっている。海岸で海を見つめる裕人。カメラは裕人を捕らえ、その後ろでピンぼけの状態で山羊がうろつく。新築祝いの家庭はすでに山羊を食べている。
従兄弟が山羊を抱いた状態で帰ってくる。
これがラストシーンなのだけど、このあたり、せりふもなく、解釈に非常に困る。
「これがわからないの?」と天才映画監督に言われそうだが、バカな大人なのでちょっとピンとこなかった。
でも裕人が一晩で何か成長した強さは感じた。
あと村会議員に立候補した男は雇用の創出のために基地を誘致すべきだと訴える。
従兄弟の父、裕人の叔父は足のけがもあって今は働いていない。
そういう沖縄の経済問題も本筋ではないけど、ちらっと出ていたのが興味深い。
このあたりが仲村監督なのか脚本を書いた大人たちの意見なのかよくわからんけど。
あと子供が主人公がいうことで無意識にかつての児童映画のようなものを想像していたのも事実。
しかし私は子供のころにああいった映画をみて「大人が作った話で実際の子供の世界は違うよ」と思った覚えがある。そういう意味では等身大の感覚で子供を捕らえた映画なのかも知れない。
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日時 2011年1月10日11:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン9
監督 森田芳光
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幕末。加賀藩ご算用係の猪山直之(堺雅人)は自分の家が借金まみれと気づく。
仕方なく彼は父母のものも含めて家財一切合切を売り払うことに。借金はなくなったが、質素な暮らしを強いられることになった。彼は入り払い帳をつけることにする。
これが残って「武士の家計簿」となる。
映画が公開され「原作は面白かったが映画は・・・」的な意見を見かけ、ちょっと読みたいと思っていたので原作は先月読んだ。
で、映画を見たのだが、まず驚いた。
原作の解釈が私とはちょっと違うのだな。
映画は映画、原作は原作、なので安易な原作比較論はどうかとも思うが、この映画の場合、主人公とする人物が違っている。
映画は明治以後に海軍官僚となった直之の息子の視点で語られ、父についての思い出話という枠組みをとっている。
ここが私とは違うのだ。
私の中では主役は直之で、直之が家の財政を立て直し、さらに育てた息子が出世していくという直之の視点で語られると思っていたのだ。
だからまず映画の語られ方に違和感を感じた。
第一、原作は一般向けとはいえ、研究本で小説ではない。
家計簿に書かれていた数字からドラマを読みとって行くのだ。
だから前半の米の横流しを直之が発見するエピソードは原作にあったけ?
直之の性格付けなのかも知れないが、このエピソードは不要。
一番の映画的なシーンは息子の元服式で紙の絵の鯛を振る舞うところ。それと家財を売り払うシーン。
そもそも猪山家がどのくらいの借金があったのかが当時のお金でせりふで示されるが、ここが原作では「直之の収入は現在の感覚だといくらで借金総額はいくらだった」と示されるので、実感がわく。
確かにナレーションで「彼らの借金は現在でいうといくらだ」というのも芸がないかも知れないけど、そういう数字の説得力がこの原作の持ち味だったのになあと思う。
また下男下助の方が小遣い、お駄賃名目でいわゆるチップみたいな収入があったから実は主人より自由になる金があった、というエピソードも映画に生かされていない。
また明治以後も親戚が武士階級がなくなり、苦労していく様が描かれるが、その辺もなし。
あと息子が海軍に入って今でいうなら3600万円の年収を得る役人だったというエピソードも面白かったのに。
要は猪山家はいわゆる「勝ち組」なのだ。
原作が「数字から読みとる幕末の歴史」だったのに、数字に関係する部分はすっぽりぬけ落ち、単なる「家族の歴史」みたいなドラマになりさがっていた。
それこそ親におんぶされた、したというような思い出ドラマでしかない。
それならこの「武士の家計簿」が原作である必要はなかろう。
その辺の原作の解釈、あるいはアプローチの視点が私と製作者ではまったく異なっていたため、映画を見終わって違和感しか残らなかった。
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日時 2011年1月9日19:00〜
場所 シネマート新宿・スクリーン2
監督 金子修介
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19歳の童貞の大学生ヒデ(成宮寛貴)は競馬場の近くの居酒屋で額子(内田有紀)という年上の女性と知り合う。
バイト先が同じで再会した二人はそのまま額子の部屋で結ばれる。
額子に夢中になるヒデ。しかし額子は突然に別の男と結婚してヒデは捨てられる。
就職したヒデだが、やがてアルコール依存症になり、家族や仕事にも迷惑をかけ始める。
姉の結婚式で泥酔し、式をぶちこわしたヒデは父親から「出ていけ!」と言われてしまう。
成宮寛貴=内田有紀のコンビで送る10年にもわたるラブストーリー。
恋愛ものは好きではない私だが、これはよかった。
年上の女性にのめり込んでいくヒデ。
童貞の彼がセックスを知ったときの喜びぶりはどうよ。
見てるこちらまでわくわくする。
すでに28歳の成宮寛貴だが、10代の青年を演じても全く違和感がない。
そしてやがてはアル中になっていく。
ここで額子と別れてからアル中になるまで少し時間差があるのでちょっとアル中になった原因を迷ったが、他に理由もあるまい。
こういうダメ人間は好きではないのだが、女にのめり込んだその反動なら納得する。
というか内田有紀が好きなタイプの女優なので、余計に自分が納得してしまうのだろう。
アル中をとりあえず克服するヒデ。
そして額子との再会。
額子は結婚後、事故に合い左手を失っていた。
そんな彼女でも愛するヒデ。
今度こそうまくいけよ。そう声をかけたくなる二人だ。
10年越しの愛で結ばれる。
何年たっても人間忘れられない人がいることがある。
地方都市高崎が舞台。
ヒデが就職したのも地元の大企業ヤマダ電機というのも面白い。
またヒデの大学の女友達が新興宗教にのめり込んでいく。
このあたりがちょっと無関係にも思えたが、今から考えると盲目的に飲めりこんでいくという点ではヒデも同じといえるかも知れない。
だからこそ、その女友達が宗教の教祖に殺された時、ヒデは動揺したともいえる。
あっ最初にバイト先で二人が再会したときにまず額子が映画に誘う。結局映画はピンク映画を見るんだけど、隣の映画館で「ガメラ3」を上映していてヒデが「ガメラ??」というシーンがある。金子修介ファンへのお遊び。
額子の母親は古手川裕子。最近はこういう役も似合ってきた。またヒデの父親役の小林隆もいい。
当然映画を支える成宮もいい。
彼の代表作であることは間違いなし。
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日時 2011年1月9日16:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン2
監督 トラン・アン・ユン
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1967年。大学生になったワタナベ(松山ケンイチ)は高校の同級生の恋人だった直子(菊池凛子)と再会する。
直子の恋人だったキズキは自殺していた。
直子の20歳の誕生日にワタナベと直子は結ばれるが、直子は姿を消してしまう。やがてワタナベに直子から連絡があるが、彼女は精神を病んでいて、京都の療養所に二入院していた。
そんなワタナベは不思議な少女、緑(水原希子)と出会う。
ワタナベ、直子、緑、ワタナベの先輩の永沢(玉山鉄二)、ハツミが絡んでドラマは進行していく。
村上春樹のベストセラー小説の映画化。
この監督のトラン・アン・ユンという男、僕は全く信用していない。なぜかというと前作「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」が詐欺師が作ったとした思えないえいがだったからだ。
ジョシュ・ハートネット、イ・ビョンホン、木村拓哉の三大スターをそろえておいてあの出来はないだろう。
てっきりプロデューサーを騙くらかしたのだと。
そんな訳でこの映画も全く期待していなかったが、騙された気にはならなかった。
木村拓哉を前作で起用したり、元々親日的なのだろう。
自分でもこの原作の映画化を探っていたところへうまく話がまとまったらしい。
アスミックエースとフジテレビが製作だが、世界的な作家村上春樹の映画化だから世界配給を視野に入れると海外で名の通った監督の方が売りやすいという判断もあったのだろう。
従って日本の原作で日本が舞台で日本人の俳優でありながら外国人の監督という奇妙な映画になった。
もっとも「デルスウザーラ」を黒澤明が監督した例もあるからお互い様なのかもしれない。(トラン・アン・ユンと黒澤が同列とは思わないが)
僕は原作を読んでいない。話がとびとびで原作を読んでいないとわかりづらいという意見をネットで見たが、それはなかった。話は分かる。
でもこういうラブストーリーには何も心を動かされなかった。
ワタナベの親友のキヅキが自殺してから心が不安定になった直子をワタナベは好きになるわけだけれども、僕だったらこういう女は好きにならない。
こういう心の病を持った人は「僕の力でなんとかしてやる」などと思っても空回りになるだけだ。
自殺癖でもあった日にゃ、もう大変だよ。
正直、僕はこういう女には近寄りたくないと思っているので話にまったく乗れなかった。
また緑っていう不思議な女の子も登場するが、これもなんだかわがままでめんどくさそう。
恋人の話をちょくちょくするがその恋人もほんとにいるのかわかりゃしない。
そんな訳で二人の女性がまったく好きになれないタイプなので僕はさっぱり映画の世界に入り込めない。
でも画面は美しく、その点はため息が出るくらい素晴らしい。
また細野晴臣と高橋幸宏、糸井重里がちらっと出ているのがご愛敬。
あとトラン・アン・ユンってゲイだなと直感した。
松山ケンイチの撮り方にそんな気配を感じた。
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日時 2011年1月9日14:10〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン9
監督 アベ・ユージ
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ウルトラマンたちの星、光の国は何ものかによって襲われた。敵は別の宇宙からやってきたと確信したウルトラ戦士たちはみんなの光の力を合わせてウルトラマンゼロをその別の宇宙に派遣することに。
ゼロは敵の位置をさぐっているときに惑星アヌーが自分たちを襲った敵と同じものに襲われているのを目撃する。
ゼロはその星で敵に殺されそうになった兄弟・ラン(小柳友)とナオに遭遇する。ランを助け、その体を借りることにしたゼロはナオと共にある宇宙船に助けられる。
その宇宙船には同じ敵に襲われたエメラナ姫が乗っていた。彼ら3人は力を合わせて強大な敵、ベリアルに立ち向かう。
昨年の「大怪獣バトル」でデビューしたウルトラセブンの息子、ウルトラマンゼロのお話。
もう地球に来て地球防衛軍と怪獣がどうしたこうしたという世界観はまったくなし。
見ていていろんなSF映画の要素がつまっているなあと感じた。
ランとナオが暮らしている星でぼろっちい服を来ているあたりはなんだか「スターウォーズ」のタトゥイーン星を思わせる。星を追われて逃げてきたお姫様っていうのも「スターウォーズ」だなあ。
伝説のバラージの盾を探しに行くというのは「ロード・オブ・ザ・リング」などのファンタジーものだし。
宇宙艦隊が登場するあたりは「スタートレック」か「宇宙戦艦ヤマト」か。
最後に宇宙船がロボットに変身するというのが、東映の戦隊ものかと思ったらパンフレットを読むと過去の円谷作品「ジャンボーグA」だそうだ。
パクリと卑下するか、いろいろ詰まって楽しいと思うかは見る人によって分かれるだろう。
それにしても戦闘、戦闘の連続で息つく暇もない。
これもテンポが速いと思うか、何がなんだか解らないと考えるかも見る人次第。
私はどっちかというとあまり戦闘シーンが続くと飽きるので、やはりドラマ部分ももう少し欲しい。
でもCGの技術はほんとに立派で、もう海外の作品とひけをとらないですよ。
また小柳友が2枚目で大活躍するのは驚いた。
「ヤンキーくんとメガネちゃん」でまじめなメガネをかけた高校生役の印象が深いので、最後にクレジットを見るまで解りませんでしたよ、恥ずかしながら。
あと求める宝が「バラージの盾」ということで、テレビの「ウルトラマン」の「バラージの青い石」がらみのネタもあり、オールドファンとしては楽しかった。
でも僕が好きなウルトラマンの世界観とは大きく異なる進化をしており、もう続きを見たいとは思わなかった。
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日時 2011年1月6日
場所 TSUTAYA宅配レンタル
監督 横井健司
製作 平成21年)(2009年)
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山の中の全寮制男子高校・祠堂学院、2年生の葉山託生(浜尾京介)と崎義一(ギイ)(渡辺大輔)は同室。しかも二人は愛し合っていた。
ギイは大会社の御曹司で自信家、学校中の注目の男。ある日、ギイは1年生の森田徹(日和佑貴)を招いてパーティをしようという。ギイはタクミに森田をパーティに誘うよう命じる。
森田とは特に知り合いではないタクミだが森田に固守するギイに嫉妬し、結局パーティには誘わなかった。
しかしパーティ当日、ギイや鈴木健志(高橋優太)などの友人に混じって森田はパーティに参加していた。
ギイに問いただすタクミ。ギイが誘ったのだという。
すでにギイの心は森田に移っていて自分にはないと思ったタクミはパーティ会場を抜け出してしまう。
タクミくんシリーズ第2作。
なにがあったか知らないけどキャスト、監督は一新。
キャストではギイの親友の赤池章三(滝口幸広)しか残っていない。
でもこれは大正解だったと思う。
タクミ役の浜尾は実にはまり役。前半のギイの気持ちが解らないと悩むタクミは実にかわいい。
「ギイは大会社の御曹司だけど僕は・・・・」と自分がギイに不釣り合いではないかと悩むシーンは実にいじらしい。
また(第1作では役者がいやがったかどうか解らんけど)ギイとのキスシーンも様になっていて、違和感とか似合っていないということが全くない。
ゲイ役だが本当にこういう子がいそうで納得する。
で結論を先に言うと、この映画、今までみたボーイズラブもので一番よかった。はっきり言って泣きそうになったよ。
話の方はパーティは実は鈴木のお別れパーティだったとギイはタクミに打ち明ける。みんなには言わなかったが、実は鈴木は病気のため入院せねばならずそのために学校を止めるという。
しかも森田は鈴木が一目惚れしていた後輩だったのだ。
いままで口を利いたことのない二人だが、鈴木のためにせめて少しでも二人が話す機会を作ってやりたかったのだ。
鈴木は科学部の部長で、プリズムに日光を当て、光が虹になる実験をして微笑んでいるシーンが事前に挿入されている。
やがて鈴木の危篤の情報が。
駆けつけようと思うギイだが無断外出は許されない。
そんな時、徹が無断外出をしていると学校では大騒ぎに。
そう、徹は鈴木の病室に駆けつけたのだ。
しかし臨終間近の鈴木の病室は「面会謝絶」で入れない。
そこで自分がいることを伝えるために太陽の光と鏡とプリズムを使って徹は鈴木の病室の天井に虹を作る。
鈴木はすべてを了解し、息を引き取る。
この虹を作るシーンは感動した。
普通なら「面会謝絶」もなんのその、突き破って病室に行き泣きわめく展開となろう。
しかしここで二人だけには解る「虹」を作ることで(しかも天井に写されるのだから他の人には見えない)気持ちを伝える展開は秀逸。
やっぱり言葉じゃなくこうやって気持ちを伝えるのが映画的展開ですね。
しかも虹を作ろうとしたとき、運悪く曇り。やがて雲が切れてちらっと太陽が現れるところの「じらし」の展開もいい。
うん、やっぱり映画は台詞じゃないですよ。
またタクミとギイのラブシーンもベッドの中でキスして抱き合ってとなかなか大胆。ちゃんとここまでやってくれる役者陣に拍手だ。
森田は「1年生の中でも特に美形」と紹介されるがそれほどでもないのが残念。
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日時 2011年1月5日
場所 TSUTAYA宅配レンタル
監督 横山一洋
製作 平成19年(2007年)
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
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山の中に立つ全寮制男子校祠堂学院では新学期を迎え、葉山託生(タクミ)(柳下大)は学園一の有名人・崎義一(通称ギイ)(加藤慶祐)と寮で同室になった。
ギイに「好きだ」と告白されるタクミ。
しかしタクミは人に触れられることを極短に嫌う性格だった。
その上ギイを好きな高林泉(斎藤ヤスカ)、タクミにアタックする野崎(牧田哲也)などが二人の邪魔をする。
ある日、タクミを襲う野崎。ギイが駆け付けたことによりタクミは無事だったが、野崎はギイに持久走で勝負を挑み、負けた方がタクミから手を引くと約束するのだったが。
先日4作目を見てしまった「タクミくんシリーズ」。全部見たくなったので検索してみたらネット宅配レンタルにあったので早速申し込んでみた。
事前に調べていたから知っていたけど、4作目とはタクミとギイの俳優が違う。
それと学園の生徒(エキストラ)も多数登場し、ずいぶんと画が豪華だ。
冒頭の食堂(カフェテリアというべきか)やコンサートのシーンでは客席に大勢の生徒が並ぶ。これは予算がある証拠ですね。
でも主要キャストのブレザーは明るいスカイブルーなのに周りの生徒は紺のブレザー。どういうことだろう?
はじめは学年が違うとか思ったけど、同じ教室にいてもブレザーが違うからそうでもないらしい。
スカイブルーのブレザーなんてオリジナル衣装だろうけど、すべての生徒の分を作る予算はなかったから、レンタル衣装の紺のブレザーで済ませたとかそういう理由か?
話の方は「PURE」の時も思ったけど、同性愛が肯定されている世界。
ホグワーツと同じ閉鎖された世界のお話だ。何の迷いもなく少年同士の愛の世界が展開される。
ギイは世界的大会社の社長の御曹司で将来は継ぐことを決まっている設定。大会社の社長がゲイなら跡継ぎなどいろいろ問題がでてくるだろうにそんなことは全くお構いなし。
それにギイは世界的天才バイオリニストの少年(相葉弘樹)と悪友だったりする。
いかにも少女マンガチックな設定だなあ。
最後に野崎との勝負に勝ち、晴れて二人は結ばれる。
二人はシーツにくるまったちょっと幻想的なムードの中で裸(と言っても写るのは上半身だけだけど)の状態で抱き合っている。
まあ同室なんだし新婚状態ですね。
でもこのときキスするときはタクミの顔にギイの顔が被さる形なので画面にはギイの後頭部しか写らない。
あれはホントはキスしていないな。
あとキスし終わったとのタクミの唇が妙に赤かったが、あのカットだけ口紅を塗ったのか?
返って変だった。
ついでに書いておくとタクミのトラウマは昔小学生の頃に中学生の兄に犯されたということでした。結構過激だな。
天才バイオリニストの少年とタクミは昔共演したことがあったらしいがその辺のエピソードはなし。
また兄が死んだとき何で入院していたかの説明もなし。
タクミも昔バイオリンをしていたが、なんで止めたのかも特に説明はなし。
たぶん原作をはしょったせいだろう。
役者はタクミの柳下大はそんなに美少年でもない。
ギイの加藤慶祐はホストっぽい感じもあるがなかなかのイケメン。野崎役の牧田哲也もよかった。
斎藤ヤスカ(前に見たことがあるなと思ったら同じくボーイズラブの「愛の言霊」だった)は顔はきれいだが歯並びが悪すぎ。あれはなおした方がいいんじゃないか?
相葉弘樹は「スキトモ」にもでてたし、ボーイズラブに出る役者って決まってくるんだろうか?
やっぱりちょっと色物的だからかなあ。
「タクミくんシリーズ」2作目も楽しみになってきた。
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日時 2011年1月2日21:30〜
場所 イメージフォーラム・シアター1
監督 横井健司
(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
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祠堂学院は全寮制の男子高校。真行寺(内藤大希)は2年前の入学試験の時に試験監督をしていた1年先輩の三洲(馬場良馬)に一目惚れ。
晴れて入学後はアタックして今や恋人関係だったが、生徒会会長の三洲は試験勉強や生徒会の活動で忙しくて構ってくれない。
また弓道部のエース吉沢(小林豊)と高林(三津谷亮)も付き合っていたが、吉沢は弓道部の試合と高林が楽しみにしている天文部の活動が重なったことを知り、高林に天文部の活動を優先させるようにいう。しかし高林はそんな気遣いがかえって気になっていた。
高林は吉沢のことを通称ギイ(渡辺大輔)に相談する。
ギイの恋人のタクミは高林や真行寺を見守るのだが。
ボーイズラブもの。
「タクミくんシリーズ」というのはDVD作品などで目にしていたが、その新作が公開されるというのでとりあえず見に行くことに。
あんまり期待しないで行ったが、案外楽しめた。
本来はタクミくんが主人公で話が続いていたらしいが、今回はタクミくんは脇役に回り、主役は真行寺と三洲。
物語の世界は山の中にある全寮制の高校で、周りは緑に囲まれ、閉ざされている。
先生も物語に絡むほどは登場しない。
また携帯電話など使わず、三洲は卒業した先輩との連絡に公衆電話を使っている。
完全に架空世界で、行ってみればハリーポッターのホグワーツと同じ。
ここでは同性愛に対する差別や偏見も迷いもない。
登場人物たちは同性を好きになることになんの迷いも抵抗もない。
当たり前のように恋物語が進んでいく。
恋物語自体は別にどうってことはなく、三洲はなにやら思わせぶりだった卒業生の先輩ではなく、真行寺を選ぶ。
高林は吉沢の高林とは長く付き合いたいから、つまらない束縛はしたくない、でも高林は少しは束縛されたいと思っている。お互いの気持ちに納得しあう。
などと実にハッピーエンド。
裸のシーンは全くなく、真行寺と三洲のキスシーンぐらいだが、2回目のキスは長くて官能的だった。
ただし演じてる役者たちはどう見てもやっぱり二流で、イケメンはイケメンだが、それは街で見かければイケメン、という程度で、やはり役者としての華はない。
パンフレットなどを読むと撮影は多分1週間ぐらいだったろうから、低予算で作っているのだろうなあ。
だから多くを望むのは酷だとは思うけど、役者はもう少し華がほしかった。
斎藤工とかやっぱり華があるよ。
タクミくんシリーズ、前の3作の内容も気になってきた。
レンタルで借りてみてみるとするか。
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