2011年2月

男と女 ポーラーサークル
〜未知なる生物 オムニバス
いま、殺しにいきます 太平洋の奇跡 
フォックスと呼ばれた男
ジーン・ワルツ ボクのおやじとぼく
ブルース・リーの
グリーン・ホーネット
新どぶ川学級 GANTZ 白夜行
ある女子高校医の記録
妊娠
お母さんのつうしんぼ ヒマラヤ無宿 
心臓破りの野郎ども
宇宙快速船

男と女


日時 2011年2月27日10:00〜
場所 ユナイテッドシネマ札幌・スクリーン2
監督 クロード・ルルーシュ
製作 1966年(昭和41年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


アンヌとジャン・ルイはそれぞれ幼い(小学校低学年ぐらい)娘、息子を寄宿舎付きの学校に通わせていた。
日曜日の面談日にそれぞれの子供たちと過ごしたが、アンヌはパリ行きの列車に乗り遅れてしまう。
車で来ているジャン・ルイに先生はアンヌをパリまで送ってくれるよう頼む。
喜んで引き受けるジャン・ルイ。それが二人の出会いだった。

前日、ゆうばりファンタステッィク映画祭に参加、夕張に泊まりたかったが部屋がなく、札幌泊。
でも映画を観たい気分だったのでユナイテッドシネマ札幌のサイトを観たところ例の「午前10時の映画祭」の今週の番組がこの「男と女」だった。
スキャットのテーマ曲が有名すぎるこの映画。もちろん知ってはいたけど恋愛映画なので何となく今まで敬遠していたが、この機会に鑑賞。(起きてから歩いて行けるところに映画館があるのはうれしい)

映画の方はセリフは少なく、回想を織り交ぜながら進んでいく。
アンヌは映画のスクリプターをしているがスタントマンと知り合い結婚。しかし撮影中の事故で死んでしまう。
ジャンはレーサーでありテストドライバー。彼の妻は(これは後半に示されるが)ジャンがレース中に事故で病院に運ばれたとき、ショックでパニックになり自殺してしまう。二人とも今は独身同士。

子供を連れて4人で遊びに行くうち、愛が芽生える二人。
そしてジャンはレースで優勝する。それをテレビで見て祝電を送るアンヌ。
電話で電報を頼むのだが、「優勝おめでとう」的な無難な文面で出しかけたが、「愛している」に変更してもらう。
それをもらったジャン。パーティもぬけだし一路パリへ。
このレース会場とパリがどの位の距離なのか私にはよく分からないけど、5、6時間の距離なのは確か。
この辺の電報を依頼するシーンやジャンが電報を受け取るシーンもロングの映像でカットは長く、あえて盛り上げる撮り方はしない。一種ドキュメンタリー映画のような落ち着いたトーンで演出される。
アンヌのアパートに着くジャンだがそこにはいなくて、大家に娘の学校に行ったと聞き出す。
学校に行き、近くの海岸で遊ぶアンヌと娘に出会う。

このあたりのいきなり車をすっ飛ばして会いに行くがそれをさも盛り上げようとしないでわざと落ち着いて撮るあたりが実に粋だ。

そしジャンとアンヌはホテルに行って結ばれかけるがアンヌが夫のことが頭から離れないと拒否してしまう。
列車で帰るアンヌ。車で帰るジャン。しかし運転中もアンヌとその夫のことが頭から離れない。
そしてやがて駅に車を向かわせ、ロータリーに車を止め中へ。
一瞬何が起こったか戸惑うのは観ている私。到着した列車から降りてくるアンヌ。ホームで抱き合う二人。ストップモーション。粋なラストだなあ。

何回も書いたけど、映画は説明的な部分は少なく、淡々とドキュメンタリー風に進んでいく。
そして二人とも子持ちという大人の恋愛。
こういった淡々とした撮り方や、主人公が大人という設定もいま私もこの歳だから楽しめる。
10代20代で観ていたらよさを実感できなかったかも知れない。
そういう意味で今まで観ておかずによかった。



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ポーラーサークル〜未知なる生物 オムニバス


日時 2011年2月26日18:00〜
場所 ゆうばりファンタスティク映画祭・アディーレ会館ゆうばり
監督 田口清隆 他

(公式HP)


ゆうばりファンタスティック映画祭で鑑賞。
ポーラーサークルというのは自主映画などで賞を撮ってこらからが期待される若手を集めてのサークル、というか集団。
「未知なる生物」というテーマにオムニバスで作った映画。7本合計で160分以上(当初のタイムスケジュールでは120分だったが、それぞれ力作で延びたそうだ)。
でも各話20分程度という訳ではなく、5分の作品もあれば50分の作品もあるという次第。
一昨年グリソムで観た「クライシス北の国から」の田口清隆監督も特撮で参加している作品があったので、観てみたのだが、それは最後のエピソードだった。
18時から160分だと20時半からの「スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団」に間に合わなくなるので最終エピソードを除いた6話しか観なかった。
関係者のみなさま、すいません。

正直言うけどやっぱり学生の自主映画と同じレベル。
この中から将来有名な監督が出て、自主映画時代の映画、と思ってみればまた「今のすばらしさの片鱗が伺える」みたいな感想も出てくるかも知れないが、今の段階では海のものとも山のものともつかない新人たち。
正直つらいなあ。
記録のためタイトルを記しておく。

「おまめ」
「未知なるヒカリ」
「卵の殻、縦に割るか?横から割るか?」
「ウィーウィルの蜜のジュース」
「ソクラテスエクセルサ」
「島」

「おまめ」はアニメで一番短い5分程度。
「卵の殻、縦に割るか?横から割るか?」は岩井俊二の「打ち上げ花火、前から見るか横からみるか」をもじったタイトルだが、岩井俊二をリスペクトしている段階で私とはあいいいれそうにない。話もちっちゃいおじさんを見たとか見ないとかよくわからずついていけない。
「ウィーウィルの蜜のジュース」はある村にその汁はおいしくて気分が良くなる草があるということで外人の男がやってきて地元の女子高生が出てきてどうしたという話でよくわからん。
「ソクラテスエクセルサ」は太陽のある方向に移動していく「移動する草」にまつわる話。これもよく解らない。

「未知なるヒカリ」と「島」が比較的楽しめた。
「未知なる〜」はプロポーズしようとする若い男がいて、その女(ヒカリ)は実は「自分は子供の頃からこの社会になじめず、いつか宇宙人が迎えにきてくれると思っていた」と告白する。そこへ空飛ぶ円盤がやってきたが、その円盤は実は不思議な生物が飛んでいたのだった、そしてヒカリもその生物になって・・・という感じ。
随所に笑いどころがあってまあ楽しめた。

「島」は無人島になにか捜し物に来た二人の男。無人島だった島には一人の若い男がいた。言葉は通じないがやたらと足が速い。この若い男をオリンピックの選手にしようと陸上のコーチの元へ連れてきて足は速かったが喜んだのはつかの間。手の指は3本しかなく、足は馬の足をしているという人間ではない生物だった、というオチ。

両方ともまあ笑えたが、どうしてこう笑いに走るのだろう?奇抜なアイデアで笑わせようと言うのはなんだか小演劇にありそうなパターンで、正直ありきたりというかアマチュアのレベルを(今は)抜け出ていない。
全体としてはまだまだ習作のレベルだなあというののが正直な感想。
数年後、有名になった監督がいて評価を変えるかも知れないけど、とりあえず「独りよがりな学生映画」を見せられた気分になった。



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いま、殺しにいきます


日時 2011年2月26日15:00〜
場所 ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 ホテル・シューパロ嶺水の間
監督 パク・スヨン


大会社の社長とその妻、大学生ぐらいの息子、高校生ぐらいの娘、そして映画監督の妻の弟の5人は郊外の別荘へ出かけた。
何か怪しい予感があったが、大して気にせずに別荘に到着。しかし到着した途端、息子は何者かに襲われ足を切断される。父は腕を切断される。妻は男に耳を切り落とされ、娘や妻の弟は猟銃で足を撃たれる。
襲った男は社長の会社を解雇された男。その復讐にやってきたというのだ。

ゆうばりファンタスティック映画祭初参加。「スコット・ピルグリム」の日本初上映を見に来たのだが、そのついでに適当に選んで観たのがこれ。
時間もあったし、「いま、殺しにいきます」という「いま、会いにいきます」をもじったようなタイトルが気に入ったのだ。ガンアクションの映画かと思ったらちょっと違った。

まず息子や父親が足や腕を切られるあたりで私はもうだめである。ここでナイフで刺されたので、てっきり死んだのかと思ったら彼らは結構元気だ。
もちろん悲鳴をあげたりはするけど、それも最初だけでとりあえず包帯巻いたりすればなんとか生きている。
妻や娘や弟も同じ。
この辺、もうコメディになっているのだが、なにより痛そうなので私は笑えない。

やがて家族は反撃に出たりするが失敗し、たまたま通りかかった配達人に若者が手助けしてくれたので、なんとか最初襲ってきた奴を倒すことが出来た。
でも父親が持っていた無届けのライフルで殺したものだから、それがばれるとまずい。
顛末を知っている若者を今度は家族が襲い出す、という展開。
別荘の近くに廃工場があって、父親や息子、母親などが次々と襲いかかるがなぜか自滅していくわけ。
ここも笑いところなんだろうけど、笑えないのだよ、私は。

切ったり刺したりすると血がドバーッと噴き出す。
この感覚がもうだめなのだよ。
一時期の三池崇史がよく作っていたような「痛そうな描写
」なのだが、私はこういう痛そうなのはとにかく苦手。
こういうのを好きな人がいるのは確かだし、別に否定はしないけど「悪趣味だなあ」と思ってしまう。
僕は必ずしもそうは思わないけど、有識者によっては「こういう映画を青少年に見せると犯罪が増える」と非難されかねない気がする。

終わってから監督と娘役をやった女優の舞台挨拶。
女優さんは可愛い。監督は「自分はコメディのつもりで作った。いま後ろでみなさんと観たがお客さんは全く笑わなかった」と言っていた。今年1月にソウルで公開されたそうだが、ソウルでは爆笑だったのだろうか?
気になるところ。
やっぱりファンタステッィク映画祭だからこういう映画が多いのかな。



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太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男


日時 2011年2月20日19:15〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン5
監督 平山秀幸

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
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太平洋戦争後半、昭和19年7月にサイパン島守備隊は玉砕した。しかし大場栄大尉(竹ノ内豊)は総攻撃から生き残った。彼は同じく生き残っていた海軍陸戦隊や民間人と合流。ジャングルで持久戦を行うことに。
やがて終戦。終戦を知らせる米軍の放送が流れても彼らは投降しない。
米軍側もなんとか大場大尉以下を降伏させようとするのだが。

そんなことパンフレットには一行も書いてないけど、これ「硫黄島からの手紙」のパクリというか二番煎じだろう。
作った本人は否定するだろうけど、結局GOサインがでたのは「硫黄島からの手紙」があったに違いないと邪推する。

「大場大尉がフォックスと呼ばれアメリカ軍から恐れられていた」というのが基本なのだが、これがちっとも凄くない。
罠を仕掛けて米軍をキリキリ舞いさせたみたいな宣伝をしてるけど、そういうのは最初の方で追ってきた米軍を巻いた時と、放棄した野営所にアメリカ軍がやってきた時に水飲み場に手榴弾を仕掛けていたぐらい。
あとは温情ある知日派の米軍大尉によって温情作戦が採られるだけ。
ちっとも映画的におもしろくない。

おもしろいと言えば唐沢寿明演じる元やくざ(らしい)兵隊。昔なら佐藤允が演じていたようなキャラクターだが、軍隊の論理に縛られず、敵から奪ったトンプソンで戦う姿は実に映画的におもしろい。
彼や山田孝之の徹底抗戦タイプの兵隊がぶつかり合いながら戦って行けば戦争アクションとしても面白そうだが、それは製作者の本意ではなかろう。

唐沢寿明や山田孝之の過去をもう少し詳しく説明してくれれば人物に共感出来たりしてドラマとして面白くなった気もするがそれもない。

それに冒頭の赤ん坊を助けるエピソードといい、すべてが「いい話」すぎる。
それと収容所に出入りしたり、連絡を取り合ったりする事が簡単に出来たのだろうか?
ベンガル演じる日本の民間人に大場大尉が「収容所の方で信用出来る人はいますか?」と聞かれて、その晩にすぐに大場大尉は収容所に忍び込み、「投降ビラの日本の写真は本物ですか?」などと聞いている。そして病院に行き助けた赤ん坊を抱いている。米軍もずいぶん監視が緩いなあ。
最後の上官からの投降命令はどうやって届けられたんだろう?その辺が実に適当。

結局製作者たちはなにが描きたかったのだろう?
「日本は負けたが大場大尉のような米軍をやりこめた軍人もいた」的な「日本は偉い!」的な一種右翼的な話をしたかったのかというには大場大尉の活躍が少ない。
サイパンの戦闘の悲惨さや戦争の残酷さを描きたいかと思えばバンザイクリフの日本人自決のシーンもないし、米軍からの攻撃シーンもない。
「沖縄決戦」の方がよほど悲惨さが漂っていた。
かといって戦闘スペクタクルもない。
結局なにが描きたいんだか意図不明の戦争大作。

じゃあ、見るところがないかと言えばそんなことはない。
カラーの濃淡を落とした色合い、陰影のある照明、よれよれの軍服の汚れ具合、泥だらけの顔のメイク、銃器や車両の本物感。そういう美術スタッフ俳優たちの熱演はすばらしい。世界のどこへ出しても恥ずかしくないレベルだと思った。
基本的に企画や脚本がだめなので、いくら俳優や周りのスタッフががんばってもいいものは出来ないと言う見本のような映画なのだろう。



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ジーン・ワルツ


日時 2011年2月20日16:50〜
場所 新宿バルト9・シアター7
監督 大谷健太郎

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
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曾根崎理恵(菅野美穂)は大学産婦人科医でありながら「子供が欲しい」という方の立場に立って今は日本では禁止されている代理母の必要性を講義で話す。
現代日本の産婦人科医療に疑問を嘆かける立場を取っており、教授(西村雅彦)からは睨まれていた。彼女はマリアクリニックの医師も勤めていたが、院長(浅丘ルリ子)が末期ガンのため、現在妊娠中の4人の患者を最後に閉院を決めていた。
4人の妊婦は堕胎したい女性、出産しても生きられない赤ん坊を身ごもっている女性(白石美帆)、高齢出産で不安を抱えている女性(南果歩)、50代で双子の妊婦(風吹ジュン)たちだった。やがてその50代の妊婦が代理母ではないかという噂が病院で起こるのだが。

「チームバチスタの栄光」などの病院を舞台にしたミステリーでヒット中の海堂尊の小説。ポスターとかには「医療ミステリー」とあるけどちっともミステリーじゃない。
代理母問題を扱ったお話。

代理母に関しては私も新聞とかラジオで聞いた程度の知識しかない。でも日本で禁止されているもの知っている。
菅野美穂の講義の時に黒板にちらっと写るけど、「家族関係が複雑になる」というのがあった。
代理母という制度だと、精子卵子を提供した夫婦にとっては子供を生んで貰ってメデタシメデタシなのだが、これがその母の立場からするとどうなるか?
自分のお腹にいる間に情が移って子供を出産した後、その子を手放すことをいやがる場合も出てくるだろう。
また現実問題、お金のある夫婦が代理母を依頼するわけだから、財産の問題も出てくる。産まれた子が将来親の財産を相続するに当たって、自分の権利を主張される恐れがある。
それに金で子供生むということ事態、倫理的にどうよ、という考えもある。
だから法整備や社会的合意がなされていない現在、代理母が認められていないもの無理からぬ問題だと思う。

その辺が実の母に代理母になって貰うというウルトラCを使って将来における問題を回避している。
自分の産んだ子は孫であるわけだから将来問題の起こるはずがない。

クライマックスはなんと台風の日に3人の妊婦が出産が重なってしまうという出来すぎのシチュエーションはどうよ?
台風のために誰も助けてくれずに人手が足りないという設定はちょっと強引すぎるなあ。
そのために余命がない浅丘ルリ子の院長の活躍があるわけだから、そこは貫禄の見所になるわけだが。

あと大脳がないために出産しても生きられない赤ん坊のエピソードにはちょっと泣いた。
このエピソードを延々と描かずに子供を堕ろしたい女性への説得のエピソードとしてちらっと出したのはよかったのか悪かったのか。
ここは泣かせどころだからこそ、きちっとやって欲しかった気もするし、やったらやったでネチネチとした印象になったかも知れない。迷うところだ。

でもこの映画の上映時間は1時間40分ぐらい。エンディングのクレジットと歌で10分ぐらい取られるから正味1時間30分。もう少しあってもいいなと思った。
大学病院との対立的な「白い巨塔」のようなドラマもあってもよかったと思う。
全体的にすこしハッピーエンドすぎて残念。



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ボクのおやじとぼく


日時 2011年2月19日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 中原俊
製作 昭和58年(1983年)


達男の父は植木職人。今日も帰って見るとおやじが「話がある」というので聞いてみるとおやじは「俺は家を建てることを決意した!」という。でもそれは口癖みたいなもので時々言い出すのだが、いつも途中でやめになってしまう。
そのことをおやじに言うと「今度は大丈夫だ。おばあちゃんから貰った宝物がある」という。ある日おやじは怒って帰ってきて「家はやめだ!」というまたいつものことかとあきれる達男。実は達男には中学生の姉がいるのだが、乱暴で酒飲みな父親が嫌いで子供がいない親戚の家に預けられていた。

日活児童映画。この映画もそうだし、「お母さんのつうしんぼ」も「にっかつ児童映画株式会社」とでる。そんな会社があったのだな。
映画の方だけどはっきり言って面白くない。
親父が家を建てる!と宣言したのだからそれを縦糸に映画が進展していくかと思えばそうでもなく、あまりその辺は詳しくは追わない。(もちろん話の柱ではあるけれど)

親父の職人気質ぶりをスケッチ的に描いていくだけで、正直退屈。しかも親父が私の嫌いな酔っぱらいで口だけの人というキャラクターだから見ていていらいらする。
さらにシーンシーンがくどくてテンポが悪い。
だから見ていてめちゃくちゃ退屈するのだな。もう「学校で見せられる退屈な映画」の見本のよう。

で、そのおばあちゃんから貰った宝物を他の用事で天袋を探しているときに偶然発見する達男。それはおばあちゃんが書いたノートだった。そこへやってきた姉の葉子に呼んで貰うとそれは田舎で乱暴ものだった達男の父の子供時代の思い出をつづったものだった。
「ああお父さんは乱暴者のように見えて仲間思いのいい奴だったのね」となる。
正直ありきたりな展開だと思う。
しかもいいエピソードを一つぐらい紹介するだけで充分だと思うが、結構の親父の子供時代の回想シーンが長い。

映画が終わって中原監督のトークイベント。
観客と一緒に映画を見たのだが、ご自身も「長いね」という感想。
にっかつロマンポルノでは出来なかったことも児童映画とうことならやらせてもらえたので、いろいろやりすぎた為に冗漫な作品になったらしい。
先のおばあちゃんのノートの回想シーンだが、画像処理がしてあるが、これはイマジカから「新しい機械が入ったので児童映画なら格安でお使いください」という感じで安くやらせてもらえたんだそうだ。

あと親父が仕事に行く途中で暴走族っぽいバイクをよけたために崖に落ちるのだが。このシーンが割と凝って撮ってある。このあたりも「ロマポだと出来ないシーン」とおいうことでやってみたらしい。

映画としてはそういう感じで余計なものが入りすぎで楽しめず。
グリソムの児童映画特集で一番気に入らない作品だった。



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ブルース・リーのグリーン・ホーネット


日時 2011年2月13日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 ノーマン・フォスター
製作 1975年(昭和50年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


70年代後半のブルース・リー・ブームのなか、彼が「燃えよドラゴン」で人気をはくす前に出演したテレビシリーズ「グリーン・ホーネット」を再編集した劇場公開版。
「ブルース・リーの〜」とあるけど当然ながら主演はグリーン・ホーネット役のヴァン・ウイリアムス。
グリーンホーネットはセンチネル紙(とテレビ局も持つ)の2代目社長が昼の顔で夜は「グリーンホーネット」として愛車ブラック・ビューティ号に乗って助手のカトー(ブルースリー)を伴って、悪党どもをやっつける!というのが基本的な設定。

基本ヴァン・ウイリアムスが主演だからカメラポジションも中央に立ち、ブルース・リーは一歩下がったその横。
主演じゃない。
公開当時私は中学生でこの映画は劇場で見ている。
「映画会社がブルース・リー人気にあやかって主演じゃないのに主演の扱いで公開している」という理屈はわかっていた。だから「看板に偽りあり」も承知していた。
たぶん当時の観客は全員わかっていたと思う。

テレビシリーズの3エピソードが再編集されているのだが、3本併せて80分ぐらいしかない上映時間。
「あれ、こんな短かったけ?」というのが見始めた印象。1話あたり30分弱だが、本来のテレビシリーズは何分だったのだろう?

1話目はギャングのボスに呼び出されたグリーン・ホーネット。ギャングのボスは自分たちをねらう奴がいる。共同して対抗して倒そうというがホーネットは拒否。しかしその直後、ホーネットたちの目の前で毒矢で殺されるボス。犯人を追跡するが死亡。しかし彼は狩猟愛好者のクラブの会員だった。という展開。
クラブの会長が犯人グループのボスで、彼らの狩猟道具を使って町の犯罪者を一掃するという名目で仲間を集め、その実、自分が町を支配しようとしていたのだ。
という展開。
最初に殺されたボスのナンバー2が後釜に座るのだが、そのアジトにホーネットたちが行く時に、毎回レーザーで鍵を壊し「直したばかりなのに」という繰り返しの笑いが面白かった。

2話目は「宇宙人襲来」の騒ぎになるが、その騒ぎに乗じて市民に外に出ないようにさせておいてその隙に空軍の核爆弾を盗みだそうとするマッドサイエンティストのお話。
最初は自分たちを宇宙人と名乗って宇宙服を着ていたが、すぐにホーネットたちには人間とばれる。
結構間抜けだ。それにしてもそのマッドサイエンティストの助手が手から光線を発射してホーネットたちを苦しめるのだが、その理屈が説明されていない。
まあその天才博士の開発立ったんでしょうね。

3話目は中華街を支配しようとするギャングのボスの話。中華街の協会を牛耳ってしまった悪い奴にマコ岩松が登場。
同じ中国人としてカトーはいつも以上に燃えて、最後にはマコ岩松とのカンフー対決の見せ場付き。
このエピソードがおそらく一番カトーが活躍したエピソードではないか?
やっぱりカトーという名前だけど設定は完全に中国人だな。まあ最初にラジオドラマを作った頃は中国人も日本人も違いがなかったのだろうな。

まあアメリカの昔のアクションテレビドラマの標準的なレベルの面白さだろう。
ぼんやり見る分には楽しめるが、特にすごく面白いわけではない。ブラックビューティのスーパーカーぶりは本作ではあんまり紹介されないし。
でもトランペットソロがかっこよい主題曲は印象に残る。
基本、このシリーズは嫌いじゃありません。
なんか好きです。



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新どぶ川学級


日時 2011年2月11日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 岡本孝二
製作 昭和51年(1976年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


東京・葛西の関東鉄工(日本ロール)はドレイ工場とまで言われ、労働者の低賃金と労働環境の悪さで組合闘争が続いていた。それに対し会社側は解雇で対抗。組合は解雇撤回闘争を始める。
しかし長引く闘争のため、生活困窮者の子供の中には非行に走るものもいて、その対策として「どぶ川学級」と言われる教室を開いていた。
須藤(森次晃司)は大学生でアルバイトをするうちに組合闘争にはいり、やがてはどぶ川学級の講師もするようになっていた。


ムービーウォーカーデータベースによるとこの映画の公開は1976年3月13日だそうだ。
私は中学1年生だ。その時に私はこの映画を見ている。見たのは名古屋・伏見のミリオン座だったと思う。
もちろんこの映画が目当てで見に行った訳ではない。私の記憶が正しければ、リバイバルの「第三の男」が同時上映だった。信じられないような組み合わせだが、たしかそうだったと思う。
しかし「第三の男」よりこの映画がなんだか解らないが心に充分刻みつけられた。
もう一度見たいと思いつつ、見る機会のないまま35年。ついに再見の機会が来た。

映画は工場で働いていたが解雇され、その後寝たきりになってしまった父親を持つ千恵子(山本由香利)と正夫(高野浩幸)の兄弟と親の期待から受験ノイローゼになった啓一が話の中心に据えられる。
正夫たちの父は精神に異常をきたし自傷する事件を起こしついに精神病院へ。
これがきっかけですべてに疑問を感じた正夫は不良グループに入っていく。
啓一はどぶ川学級に入り、仲間たちと打ち解け徐々に明るさを取り戻す。

今見ると実に共産党色が強い。
「労働者の権利を守り抜け」と主張する組合が主人公たちの属する社会。
どぶ川学級中で生徒たちが話し合うシーンがあるが、これが「議長!」「異議なし!」とまるっきり学生集会のノリだ。
また組合書記長役で山本圭が出演するが、喘息もちでそれを克服するために体を改造するしかないとマラソンをするという「自己批判」ぶり。
もっとも仲間から「かれはいささか精神論がすぎる」と心配されるが、そういう精神論を映画の中で持ち出すこと自体、なにやら学生運動的だ。

また丘みつ子の教師たちと須藤も交えての勉強会が行われるが議長が「こういう方針で話し合いましょう」というと出席者の一人は「その前に押さえておきたいことがあります」と議論のための議論を行う。
丘みつ子は「今教師たちは多忙に追われ、生徒一人一人に目が向けられない状況があり詰め込み教育が落ちこぼれを生んでいるのです」と訴える。
「詰め込み教育批判」から「ゆとり教育」が生まれ、その反動で日本学生のレベルが落ちたと言われる現在では隔世の感さえ生まれる。
また正夫が非行グループに入るものバイクを飛ばし、商店街で学生にカツ上げを行うというステレオタイプ、というかワンパターンである。
時代を感じさせる。

見た当時、何が心に残ったのだろう?
高野浩幸の美少年ぶりだったのだろうか?
それもある。
啓一はサケの養魚場で働くことを夢見ており、サケが産卵のために川を上ってくために全力で泳ぐ姿に感動したと正夫に熱く語るシーンがある。
その中でイメージカットで突然啓一が全裸になって砂浜をカメラに向かって駆けてくるスローモーションが挿入される。(しかも腰のあたりには画面の端から端までボカシが入る)もちろんサケと啓一を一体化させたイメージなのだが、「ぼかし入り全裸、しかも(少年とはいえ)男」と言うのが妙にびっくりした。
このシーンの驚きだろうか?
それもある。
啓一はどぶ川学級に入って明るさを取り戻したかのように見えた。
しかしやはり彼は自殺する。
それにショックを受けた須藤は長野の母のもとに帰る。
「4年ぶりだね」と言う母に「サケは4年経ったら故郷に帰るか・・・」とつぶやく。
須藤の家も貧乏で生活保護を受けていたために「生保っ子!」と学校でいじめられる。
それで「死んでやる!」と包丁を持ち出していたが、その回想のあと、母親に「俺、子供の頃、よく死ぬ死ぬって言ってたよね。あの時どんな気分だった?」
「不憫な思いさせてすまないと思っていた」この母のつぶやきが心に残ったのか?
それもある。

では何が心に残ったのだろうか?
オープニングのナレーションの中で「どぶ川学級の精神は『みんなが一人のために一人はみんなのために』だ」と紹介される。
ガリ勉の啓一をどぶ川学級に入れるかどうかみんなで相談する時も(どぶ川学級では生徒が主役だから入るには生徒の承認が必要なのだ!)最初は「あんなガリ勉自業自得だ」言っていて、急に笑い出す。「須藤さんみんなに担がれたんだよ。みんな解ってるよ」と一転承認となる。
このシーンははっきり記憶していた訳ではないが、当時の僕なら反応したような気がする。
中学1年とは言え、学校、学級で生活していればみんなが一つの方向に向くことの難しさは解っている。「みんなが一人のために、一人はみんなのために」なんて実際にはあり得ないと思っていた。だからこういう学級の姿にはあこがれたのかも知れない。

千恵子は学費がないから高校には行かないと最初は言う。
しかし須藤が母親を説得し、生活保護を受け高校に行くことに。
映画では「憲法で保障されてる国民の権利だ。貧乏人がその権利を行使して何が悪い」といかにも共産党が主張しそうな(あくまでイメージ。例を出せと言われても困る。しかし選挙の時の公約によく「福祉は国民の権利」的なことが書いてある気がする)ことが主張される。

私が基本的に左翼的な発想をして、共産党も決して嫌いではないのは、この映画によるすりこみがあったのかも知れない。
知らず知らずに感化されているのだな。

でも一人の中学1年生に影響を与えた映画であることは間違いない。
私にとっては記憶に残る名作である。

(吉永小百合が須藤の姉役でワンシーンの出演。この映画で吉永小百合という役者を知ったと記憶する)



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GANTZ


日時 2011年2月11日10:00〜 
場所 新宿ピカデリー・スクリーン3
監督 佐藤信介

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


就職活動中の大学生玄野(二宮一也)は地下鉄のホームに落ちた人を助けようとしていた加藤(松山ケンイチ)に再会する。しかし加藤を助けようとして玄野も加藤とともに地下鉄に轢かれてしまう。
気がついたら二人とも東京タワーが見えるマンションの一室にいた。そこには黒い大きな球体と数人の人々がいた。
そこにいる人はみんな自分は死んだという。
やがて黒い球体の中から自分の名前が書いたケースと武器が現れる。そして「ネギ星人を始末してください」となにやら間違いのある言葉で指令が下される。
そこにいた全員がある町に転送され、そこには「ネギ星人」がいた。戦うしかないようだ。こうして不思議な世界の戦いが始まる。

「COSMIC RESCUE」の佐藤信介監督のSFアクション。
でも2部作なので結末はわからないし、まだ感想は言いにくい。
「デスノート」の時はある程度クライマックスもあって1本の映画になっていたが、物語は謎ばかりで、「すべては次回で」となってしまった。
この2部作というのはやはり「デスノート」あたりからか。それと「二十世紀少年」とか。でも後編が4月公開で1年も経たないからたぶん覚えていられる。

だから今の段階では「特撮がよかった」的な感想しか言えないな。
そういう言い方でよければラストの「おこりんぼ星人」との対決で、大仏が巨大化するとか千手観音がその手で襲ってくるとか画はすばらしい。
仏像とかを見ていると「これ動き出したら怖いな」と感じることがあるが、その恐怖を見事に描き出していた。

あと2番目の「田中星人」無機質なロボットが襲ってくる恐怖もすばらしい。
SFXは合成もなにもかも最高で、何も言うことはない。
完璧すぎて当たり前になってしまい、賞賛を忘れてしまいそうだ。

出演は二宮一也、松山ケンイチという今の日本映画では安定感のある2大スターの共演。
陰をもつ(いつもこんな役が多いが)高校生役の本郷奏多もいい。途中で死んでしまったのでがっかりしたら、後半また登場するようで楽しみ。
また田口トモロヲの目立たないおっさん役だが、後半に何らかの活躍をしてくれることを期待する。

今後どう展開していくのか?
ラストにつけられた予告で初めて登場する山田孝之、死んだと思われた松山ケンイチの復活、そして玄野を慕う漫画を描く子はどう関わるのか?
田中星人の時にすぐに死んだおばあちゃんと孫は再び登場するのか?
佐藤信介監督のあたらしいSFアクションの到来に期待しつつ、後編を楽しみにまとう。



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白夜行


日時 2011年2月6日11:50〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン3
監督 深川栄洋

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昭和55年。廃ビルで質屋の店主・桐原が死体で発見された。捜査本部は店主の愛人とその恋人(宮川一郎太)が共謀して殺害したと断定。
しかし証拠がつかめないうちに愛人、その恋人とも事故で死亡。
捜査に当たった刑事笹垣(船越英一郎)はその結論に疑問を感じつつ被疑者死亡で捜査は終わった。
笹垣は愛人の娘・雪穂(堀北真希)が気になっていた。
雪穂は親戚の家に引き取られ、高校では優等生で通っていた。
しかし雪穂の周りでは同級生がレイプにあう事件が起こっていた。
その周りには桐原の息子亮司(高良健吾)がいた。

東野圭吾のベストセラー小説の映画化。
見てないけどテレビドラマにもなったそうだ。
10数年にわたる話で2時間強で進めるとかなりはしょった感じにさえなる。

雪穂の周りで起こるレイプ事件が雪穂が関与してるのはだいたい想像がつく。
自分の過去を知ろうとする人間は次々と襲われていく。
しかし最初の事件の真相がわからない。

映画の後半、衝撃の事実が現れる。
実は被害者は幼児性愛者(いわゆるロリコン)だったのだ。だから愛人の家に行っていたという言い方は正しくなく、雪穂という少女の家に行っていたのだ。
しかも母親が生活に困って娘に体を売らせていたという展開。

まったくこういう展開だと知らなかったから、これは驚いた。後味は悪いけど。
でも被害者の妻(戸田恵子)が「あの人は大人の女が怖かった。だから少女が好きだった」と証言する点が気になる。
ロリコンは別に大人の女性の代用品で少女を好きになるのではないと思う。
少女が好きな人は最初から少女が好きなのだ。
少女をいくら好きになったってなかなか少女には手を出せないもんだから、結構苦しんでいる人も多いと思うよ。
その辺の「ロリコンの苦悩」はまったく触れられずに(まあそうだろうけど)雪穂が幼き日に信じられない苦しみにあったからその反動としての犯罪と描かれる。
「彼女を責めることができるか?」みたいな苦悩だ。

その辺が暴かれてからエンディングに至る結末がもたつき、気になる。もう少しテキパキ進めて欲しかった。

でもはっきり言って堀北真希はミスキャスト。
大人の役をしようと必死なのはわかるが、やっぱり似合わない。これが満島ひかりだったらもっとよかったかも知れない。
あと船越栄一郎が出てくるとテレビの2時間サスペンスみたいでこれも減点したくなる。
高良健吾は好演。
実業家役で黒部進が出演していたので驚いた。
宮川一郎太が少女を抱く役で出演。さぞやりづらかったろう。

さっきも書いたけどロリコンを一方的に責めるのは発想が貧弱。
「ロリコン=悪」の構図なら単純すぎるよ。
「変態性欲者の苦悩」みたいな部分を描いた映画もたまにはみたいものだ。
受け入れられるかはわからんけど。



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ある女子高校医の記録 妊娠


日時 2011年2月5日21:10〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 弓削太郎
製作 昭和43年(1968年)

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白鳥女子高校の校医・正木(早川保)は女子高生・みどりから自分の処女証明書を書いて欲しいと頼まれる。
思わず拒否してしまった正木だが、翌日からみどりは学校を休むようになる。自宅に呼ばれて相談を受けると彼女は家出をしたという。
みどりの日記を読む正木。そこには正木の知らなかった女子高生の日々が描かれていた。
どうやらエリーという人物が彼らの元締めらしい。
正木は彼女たちの遊び場などに行ってみるのだが。

昭和43年だから大映も「ダイニチ映配」に突入する前夜で、ヨレヨレの時期である。この時期は東映も日活もエロ路線に走っていてこういうピンキーな映画も多かった。
(大映で有名なのが松坂慶子の「夜の診察室」だ)

でも白黒映画だからエロくも何ともない。
正木先生はトイレの落書きにあった「ハレンチ遊び」(違ったかな?)を生徒たちがしていると知って問いつめる。
なんと1日スカートの下はノーパンで過ごすゲームだという。
なかなかすげえなあ。
たぶん週刊誌あたりの半分嘘記事が元ネタになっていると思うが、それにしてもこの時代はサイケな時代なんだ。
ビートルズが来日したり、GSブームもこの頃だったな。

で女子高生たちをつけていったら怪しげな喫茶店に入り中で着替えている。
中にいた別の女学生が倒れているのを診察する羽目になるが「想像妊娠」。要するに妊娠していないのに妊娠の兆候が現れる、アレだ。
今の女子高生が「援助交際」とか言ってるけどこの時代だって変わらないね。

正木先生は考え方を変え、生徒に無記名アンケートを実施する。「自慰をしてますか?性行為の経験がありますか?」などを10個ぐらい質問する。
大半は回答しないって当たり前だ。
こんな質問したら親がなんか言ってくるだろうと思っていたら有力者(三島雅夫)が案の定、校長(加藤嘉)に詰め寄っている。

正木先生は結局その怪しい喫茶店でボディペインティングさせている子が優等生の子だと気づいて驚く。
いろいろあったけど高校生たちの遊びの元締めは優等生だったというオチ。優等生=エリート=エリーというわけだ。まあこのオチは読めたけど。
自分の娘がそういう子と知った三島雅夫が取り乱して「娘は学校を辞めさせます。娘のために学校を作ります」校長「学校はそんな簡単にできませんよ」というあたりの三島雅夫のあわてふためきぶりには笑った。

で肝心の最初の家でした生徒は漬け物やで働く青年と結婚するみたい。
脚本は高橋二三さんでした。
ホント、何でも書いているな。



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お母さんのつうしんぼ


日時 2011年2月5日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 武田一成
製作 昭和55年(1980年)

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千葉夕子は小学5年生で弟と出版社で働く母(藤田弓子)の3人暮らし。母は仕事柄遅くなることも多く、洗濯などの家事は夕子がする事が多い。
いつも母がいない夕子はいつも寂しがっていた。
その上経済的にもあまり裕福ではなかったから友達のみんなが持ってる自転車や弟が欲しがるローラースケートも買って貰えずにいた。
母の誕生日に自分たちで料理を作ってケーキも用意し、パーティをしようとしたが、母はその晩は遅くなってしまう。帰ってきた母を「嘘つき!」となじる夕子。
弟は母を許したが、夕子はまだ許せない。
そこで弟と二人で長野のおじいちゃんちへ家出をしてしまう。

日活児童映画。
作られたのが昭和55年だから時代はずいぶん下っている。児童映画路線としても後期の方だと思う。

主演の女の子が今活躍中の多部未華子にちょっと似たかわいい子。なかなかの美少女だ。
弟がローラースケートを欲しがるエピソードがあるが、弟は自分で板に車輪をつけてローラースケートを自作する。
ところが姉と同じクラスのいじめっ子にローラースケートをからかわれて壊されて捨てられてしまう。
観ながら「子供ってのはほんとに残酷だなあ」と思う。
相手の気持ちを考えることが出来ずに自分の感情のおもむくままに行動してしまう。
それを知った姉は母に訴えるが「子供の喧嘩に親は口出さないもの」ととりあってくれない。
いやそれはもっともなのだが、それにしてもこれが自分の子供だったらと悩んでしまった。
モンスターペアレントにはなりたくないし、ストレートに親が出るのもいかがと思う。
私なら学校に相談しただろうか?
結局母はローラースケートは買ってくれたのだが、その辺はあっさりしていて弟が感激するシーンとかはない。
その辺は私一人で盛り上がってしまったのかも知れない。
何となくいじめられている弟にシンパシーを感じてしまったのだろう。

で、夕子のクラスメートに福島の田舎から転校してきた子がいて、この子が虫のこととかよく知っていてクラスの都会っ子がしらないことを知っていたりしてちょっと女の子から人気が出たりする。それが例のいじめっ子は面白くない。
でもこの二人は後半の夕子たちが長野の行ってしまうエピソードになって以降登場しなくなり、私としては脚本が中途半端。

長野に行ってそこは仕事のダム建設の現場で事故にあって死んだ父の田舎。(関係ないがダム建設の現場での台風があっての事故のシーン、「黒部の太陽」のライブフィルムではなかろうか?)
そこで父の思い出にふれ、親子は仲直り。
タイトルにある「お母さんのつうしんぼ」は出てこなかった。
まあいいけど。



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ヒマラヤ無宿 心臓破りの野郎ども


日時 2011年2月5日11:00〜
場所 シネマヴェーラ渋谷
監督 小沢茂弘
製作 昭和36年(1961年)

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ヒマラヤ山脈で雪男に山男が殺される事件が起こった。
数年後、日本の土門隊長(片岡千恵蔵)を団長とする山岳チームが雪男捕獲の情報が入る。
羽田に着いた土門隊長は「雪男は発見したが日本に連れてくるとは言っておらんよ」と新聞記者を煙に巻いてしまう。しかし実は船の別便で運んでいたのだ。
土門の妹(佐久間良子)は新聞記者の恋人(江原慎二郎)とともにスクープをものにしようとすると兄が乗った雪男を積んだトラックを見かける。偶然にその雪男を狙う男(山形勲、三島雅夫)たちと遭遇。
一方その山形勲の持つキャバレーでは「雪男ショー」なるショーが連日満員だった。そのショーで雪男を演じるボリショイの熊(進藤英太郎)は「本物の雪男が現れたら自分たちの商売上がったりだ!」と土門博士たちを狙い出す。
またミッチー三谷というジャズシンガーにしてインターポールの刑事まで現れた!


シネマヴェーラの「妄執異形の人々」での上映。
いかがわしさ満点のタイトルだ。
こんな映画を作る人たちが「心臓破りの野郎ども」だ。

雪男は実際に現れる。演じるは黒澤の「用心棒」で背の高いチンピラを演じた羅生門だ。
髭面に全身毛むくじゃらのメイク(?)をしての登場。
しかも生肉しか食わないという設定。
土門博士の家に連れてこられた時は風呂場に氷を敷き詰めてそこに寝ている姿で登場。雪男だから寒いのが普通なのだ。

で、映画冒頭でラスベガスのシーンあり。
「雪男現る!」の一報に世界中がどよめき、「どこの国の探検隊が捕獲したか?」の連絡を待ち、それを賭の対象にしているエピソード。で、「日本の探検隊」と見事に当てたのは謎の美女・ミッチー三谷。で、日本に帰ってから土門博士を訪ね「私、雪男さんには大変儲けさせていただきました」のその賭の儲けの一部を差しだし、「実は私こういうもので」と身分証を出すとインターポールの捜査官。
はったり十分だ。

一方三島雅夫や山形勲は雪男が日本に来たという報告に泡食っている。そこで熊に「雪男を殺せ」と命令を出す。
この熊を演じているのは進藤英太郎だが、すぐには解らなかった。「どっかで見た顔だなあ。由利徹に似てるけど」(いつもと違って髭面の裸なのでイメージが違いすぎる)と思っていて映画が終わってからチラシを観て確認した次第。

それで途中でほとんど本筋とは関係なく「雪男に似ている人コンテスト」が東京タワーの下で開催され、熊と土門も出場する展開。もう訳が分からん。この時に審査員をしていたのが久保菜穂子や山東昭子だ)

でいよいよ「雪男学会」なる会議が東京で開かれ、土門博士は雪男を公開しなければならなくなる。
ところがなかなか来ない。三島雅夫のチャン博士が「やっぱり土門は嘘つきだ!学会追放だ!」と演説しているところに現れたのが髭を剃って蝶ネクタイをした土門博士!
ここですべての謎解きが行われるのだが、三島雅夫が数宇年前にヒマラヤでウラン鉱脈を捜し当てたが、秘密を隠すために荷物持ちのシェルパを全員殺してしまう。その秘密を知るであろう雪男の存在を隠したかったという真実。
ここでトウトウと事件の真相を語る千恵蔵はまるで多羅尾伴内だった。
しかもその連れて来られていた雪男の父や兄がその殺されたシェルパだったという訳。

ヒマラヤに帰る雪男を見送る佐久間良子たちが「なんだ雪男ってやっぱり人間だったのね」「でも雪山に住んでいる雪山を愛する男だから雪男よ!」と強引に言い放つ。

今観ると面白いが、封切り当時に観ていたら怒り心頭なのではないかという見本のような映画。



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宇宙快速船


日時 2011年2月2日
場所 TSUTAYA宅配レンタル
監督 太田浩児
製作 昭和36年(1961年)

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世界的な宇宙科学者・谷川博士(松本克平)の息子とその友達は、博士の助手の立花(千葉真一)からいつも宇宙に関して教わっていた。
子供たちはある日、人工衛星の観察に行ったが、その時に謎の宇宙船が降り立つのを発見する。
子供たちはそれを見に行くと、中から出てきた宇宙人に乱暴される。その時、空飛ぶ車に乗った青年が現れ宇宙人から助けてくれた。
彼は子供たちがあこがれるヒーロー、アイアンシャープだ!

東映の宇宙SF。
タイトルは知っていたが、東宝ものと違ってあまり上映されることがなく、今まで見逃してきたがDVDで鑑賞。
この映画、ポスターなど見て長い間カラー作品だと思っていたが、見た人から白黒作品と聞いて、観る前からがっかり。

お話の方はこの後、宇宙人たちは電気を逆転させ時計を反対にまわしたり、ジュークボックスのレコードを逆回転させたり、電車を逆に走らせたりするという怪現象を起こす。立花たちは宇宙船の破片から海王星からやってきたと断定。
火星じゃなくてなぜ海王星なのかはまったく不明。
この宇宙人のコスチュームなのだが、「空飛ぶ円盤地球を襲撃す」に出てきた宇宙人の宇宙服に似ている。
あれより頭がとがった感じでなにやらゴテゴテと飾り付けをしたのだ。

そうそう肝心のアイアンシャープだ。
和製ヒーローだがずいぶんと地味、というか根本的に活躍シーンが少ない。
映画の方はこのあと海王星人の襲来に備えて谷川博士たちはエレキバリアなるバリアで東京を守る。
このバリアの前では海王星人もひるんでしまうが、なんとかこのバリアの発電所を爆破しようと計画。
しかし自衛隊員に化けた海王星人は子供たちに発見され、アイアンシャープによって倒される。が、反撃されアイアンシャープは行方不明に。

で最後は円盤群が襲来して国会議事堂などを爆破しまくるが、谷川博士開発のなんとかミサイルによって宇宙船の母船は爆破される。
この時にアイアンシャープはちょっと出てきて小型宇宙船を攻撃する程度。

アイアンシャープは実は立花らしいのだが(そこははっきりと出てこないが、演じているのはたぶん千葉真一)「アイアンシャープは誰だ?」という話にはならない。
ちょろっと出てきて戦ってささっと帰っていくという謙虚なヒーローだ。
空飛ぶ車に乗っているのだが、これが空を飛ぶ姿はまあ、かっこいいが、(たぶん車に改造して装飾をつけたために重くなって)地上を走るときはよたよたしていてなにやら悲壮感が漂う。

タイトルも本来なら「アイアンシャープ」となっても良さそうだけど、なぜか「宇宙快速船」。
あのヨタヨタ走る車のことなのかな?
なんかタイトルからして定まらない中途半端な映画でした。
あっ、でも海王星人による国家議事堂爆破シーンは迫力がありましたね。



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