唐獅子警察 | |||
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唐獅子警察日時 2011年3月30日21:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 中島貞夫 製作 昭和49年(1974年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 東京の大成会の幹部片岡(小林旭)は舞鶴の生まれだが親父は飲んだくれのろくでなし、しかし愛人がいてそちらにも息子がいた。松井拓(渡瀬恒彦)だ。 その頃関西の三友会の幹部栗原(安藤昇)は東京進出を狙って片岡と険悪な関係にあった。 久しぶりに会った片岡と松井、しかし片岡に反発する松井は自分も極道になって片岡を見返すと啖呵を切る。 その言葉通り松井は自分の子分を率いて頭角を現し出す。 そんな松井を片岡は自分の組に入れようとするが松井は拒否。代わりに栗原に近づく。 やがて松井は片岡の兄貴分の上田(渡辺文雄)のシマで騒ぎを起こす。いよいよ全面戦争か?! 原作はかわぐちかいじの劇画だそうだが、かなり違うらしい。原作から今で言うならインスパイアされた脚本の松田竜夫がオリジナルに近い内容にしたんだそうだ。 そのせいかどうか解らないが「唐獅子警察」というけど別に警察は出てこない。四課に入れ墨をした刑事がいる話ではないよ。また「銀座警察」みたいにその町を牛耳っている話でもない。だからタイトルは全く映画の内容とは関係ない。現実の事件を特にモデルにしたわけではないみたいだから実録路線とも言い難い。現代やくざもの、か。 中島貞夫の演出はきまじめだ。 深作欣二が現代やくざを描くとどこか笑いのシーンがあるが、中島だとそれはない。 また役者の演技もまじめで抑制が(というかはじけるのを押さえられている感じ)効いている。 正直、はじけっぷりが足らないので、どうも食い足りない。 川谷拓三が松井の最初の子分なのだが、没個性的なのだな。どうも影が薄い。 印象的なシーンというと小林旭と渡瀬恒彦が自分たちの出自について語り合うシーンで、小林旭の長せりふがあるが、ここで渡瀬にピントを合わせ、小林旭がピンぼけになるところ。大胆なことするなあ。 あと渡瀬たちが拳銃を手に入れようと拳銃の売人の室田日出男を拷問するところ。 腕を吊された状態で、電極を唇と下半身につけられ電気を流すシーンはみていてつらかった。 しかし全体的にみて小林旭、渡瀬恒彦という魅力的な顔合わせなのだが、どうにも消化不良。 はじけっぷりがなく、凡庸な印象に終わった。 また志村喬が大親分、政治家役で河津清三郎の東宝陣が出演。志村喬は他の映画でもそうだが、どうもやくざの親分役をやってもやくざっぽくない。 (このページのトップへ) 劇場版 ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT日時 2011年3月27日14:00〜 場所 ザ・グリソムギャング 監督 飯島敏宏 製作 平成13年(2001年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 小学生のムサシは天体を愛し、将来の夢は宇宙飛行士だった。友人たちと近くの森林公園で天体観測をしようとしたその夜、大雨に見舞われる。 翌朝、森の中で傷ついた透明のウルトラマンとムサシは出会う。ムサシは傷ついたウルトラマンに光を当て、ウルトラマンは息を吹き返す。 その頃、宇宙の問題に取り組むボランティア団体・SRCによって謎の交信が受信されていた。 それは実はウルトラマンとバルタン星人の戦っている時の更新だったのだ! ウルトラマンは自分をコスモスと名乗り、ムサシの元を去っていく。 翌日、ムサシはウルトラマンコスモスに会ったことをみんなに話すが誰も信じてはくれない。 そんな時、街に怪獣が出現、そしてバルタン星人もやってきた。地球防衛軍・シャークスはシゲムラ参謀(渡辺いっけい)の指揮の下、攻撃を開始するのだが。 21世紀初の「ウルトラマン」映画。 「ウルトラマン」は最初から監督している飯島敏宏監督作品。 バルタン星人登場だが、飯島監督は一番最初にバルタン星人が登場したときのエピソードの監督。 言ってみればバルタン星人の生みの親。 今回もテレビシリーズの初登場エピソードと同じく、自身の星が住めなくなったバルタン星人が地球に移住しようとするのが根本。 飯島監督がバルタン星人の生みの親を自認し、「マックス」にも登場させたが、「バルタン星人が最初に登場したエピソードを監督した」ということのみで思い入れが強いと思っていた。 しかしそれは間違いだとわかった。 今回の映画は「ウルトラマン」の「侵略者を撃て」の拡大再生産的リメイク。 バルタン星人は地球に移住しようとするが、それをウルトラマンコスモスが阻止しようとする。 しかしバルタン星人の子供は地球の子供と解りあおうとするが、大人の防衛軍の参謀は徹底的に異星人を廃絶しようとする。 バルタン星人だけでなく、ウルトラマンコスモスまでも。 つまりは異文化との共存が根本的なテーマだったのだ。 テレビシリーズの時はその辺を深く掘り下げる前に時間切れで戦いになってしまった印象があるが、「人間はなぜ異文化を怖がるのか。なぜ共存しようとしないのか」ということが根底のテーマだった。 バルタン星人のその造形の魅力で人気があるのはもちろんだが、そういう深いテーマもあったのだなあ。 バルタン星人を観るとき、新しい見方が出来るような気がしてきた。 ちなみにこの映画の主人公の少年が大人になって杉浦太陽演じるテレビシリーズの主人公になるらしい。 子供が主人公でいかにも子供向きという感じでそこが私は好きにはなれないが、でも「異文化の交流はどうすれば出来るか」というテーマは面白かった。 (このページのトップへ) 冷たい熱帯魚日時 2011年3月26日19:30〜 場所 テアトル新宿 監督 園子温 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) (公式HPへ) 小さな熱帯魚店を営む社本(吹腰満)の家庭は冷えきっていた。妻の死後、再婚した社本だったが、娘・美津子(梶原ひかり)と新しい妻・妙子(神楽坂恵)の間は険悪でそれが原因で家の中はすさんでいた。 ある夜、美津子がスーパーで万引きしたと連絡が入る。スーパーの店長と親しいらしい村田(でんでん)の取りなしで、とりあえず警察行きは免れたが、村田の人なつっこいが強引な誘いで村田の経営する熱帯魚店へ。 村田は妻・愛子(黒沢あすか)とこの店を経営しており、美津子を自分のもとで住み込みで働かせてはどうかと提案する。最初は迷った社本だが、村田の強引な説得でそうすることに。村田はビジネスパートナーとして社本に近づく。熱帯魚ビジネスで大儲けが出来ると呼ばれて行ってみると、そこには吉田という男がいた。 話題の園子温監督作品。 前の「愛のむきだし」が4時間半の映画と聞いて観るのを避けていたが、この映画はそこまで長くはない。 周りに園子温を好きな人は多いし、この映画ではでんでんがやたら評判がいいので、迷った末に観ることに。 と言っても1月29日に公開され、3月末で終わるというので慌てて時間を作って見に行った次第。 今月末で終わらなかったら、今日も別の映画を見に行っていたところだろう。それほど何となく足が重かった映画だった。 映画はこの後、実は村田は狂気の殺人犯で、投資話を持ちかけ金を奪った後殺してしまいそれを山奥の一軒家で解体し、骨は燃やし体はバラバラに切り刻み川に捨てていた。 その作業を手伝う男に社本は選ばれてしまったのだ。 子供が人質にとられているので迂闊に逃げられない。 次々と殺人を手伝わされる社本だが、やがて反撃にでる、という展開。 ラストで娘に「生きていくってのは痛いんだ!」と叫び、娘に人生を教える。ここで娘が改心するという展開を園子温は拒否。 最後に自殺する父親に対し娘は最後まで憎しみを表し映画は終わる。 これで2時間30分。 ねつねちと責めてくるでんでんがいい。 見た人はみんな絶賛するがそれも納得だ。吹腰満は押されているように見えるが、でんでんの芝居を受けていく姿が実にいい。 でも私はこの映画が好きになれない。 いや2時間半とりあえず飽きずに見せきるのだからその力量は認めるけど、好きか嫌いかで言えば大嫌いな映画だ。 この映画には希望も救いもない。 確かに実人生は映画のようにうまく行かないもんだし、嘘を描いても仕方ないという考え方もあるけど、でもねえ、お金払って見に来てるんだから映画を観てる間ぐらい夢が欲しい訳よ、こちらとしては。 毒舌ママがいて「あんたなんか会社で偉そうにしてるけどバカじゃない!?」と毒舌を言って客もそれを喜んでいるバーがあるけど、これもそういった映画。 私はバーではちやほやされたいタイプなのでこういう映画は好きになれない。 お好きな人を止めたりしませんけど、私に言わせれば「自分は映画がわかっている」という自信がある人が楽しむんだろうなあ、こういう映画は。 私が観たいと思う映画と園子温が作りたいと思う映画が違うのだからこのギャップは埋めようがない。 ただならまた観てもいいけど金払ってまでまた園子温の映画は観たくないな。 (このページのトップへ) ゴキブリ刑事日時 2011年3月26日14:30〜 場所 銀座シネパトス1 監督 小谷承靖 製作 昭和48年(1973年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 札付き刑事、鳴神涼(渡哲也)は鹿島市に着任する。停職訓戒を繰り返す鳴神だが、暴力団一層のために署長(神山繁)が劇薬として引き受けたのだ。 この町はかつてはひなびた漁村だったが、臨海工業地帯として発展していくうちにやくざが急激にはびこるようになっていった。 早速、暴力団一層に立ち向かう鳴神だったが、県会議員が黒幕のようだ。 以前に浅草東宝で観た「ザ・ゴキブリ」の1作目。 本日は小谷監督と樋口尚文さんのトークイベント付き。 東宝と石原プロが共同製作の刑事アクション。 だから石原裕次郎も製作にクレジットされている。ワンシーンぐらい特別出演して欲しかった。 トークの中で金子正且プロデューサーに小谷監督はある日自宅に呼ばれてこの映画の原作になる新岡勲のコミックと脚本の剣持亘を紹介され、「この子に脚本を書かせようと思うんだけど」と言った所から企画が始まったんだそうだ。 で、映画の方。 うーん、正直あまり面白くない。 地方都市がやくざに牛耳られて、それを流れ者が解決するってのは岡本喜八の「暗黒街の対決」とか日活「渡り鳥シリーズ」とか時代劇では「用心棒」もあり、古典的なパターンなのだが、柱となるものがない。 「用心棒」とか「暗黒街の対決」では二大組織の対決であり、「渡り鳥」では良心的な地元地主の土地の乗っ取りとかがあった。 でもそういう柱がなく、ただヤク中のトルコ嬢がが出てきたり、交番警官の拳銃強奪があったりするだけ。 また敵の県会議員がインパクトがない。 もう少し大物悪役が欲しいところ。 また取り巻きでは郷瑛治がなかなかいい感じなのだが、いまいち活躍がない。ここは敵の象徴として悪役ぶりを発揮して欲しかった。 面白かったところがないわけではなく、チンピラ3人を捕まえての取り調べシーンで、コーラを無理矢理飲ませたり、たばこを数本無理矢理くわえさせたりするあたりは面白かった。 でも渡哲也が車ごとクレーン車で持ち上げられ、車が宙づりにされたシーンではどうやって脱出するのかと思ったら、窓からでてクレーンの柱に渡って降りていくというアクションのない展開。 ここは車が落ちるとか、そこから渡哲也はジャンプするとかそういうすごいものを期待してしまっただけにちょっとがっかり。 冒頭、アパートで歯を磨いた渡哲也がコーヒーを飲もうとお湯を沸かそうとするがガスが出ない。 仕方なくそのまま水道水でインスタントコーヒーを飲むというのが、「動く標的」のポール・ニューマンを思い出した。元ネタだったのかも知れない。 (このページのトップへ) 三本指の男日時 2011年3月26日11:00〜 場所 近代美術館フィルムセンター 監督 松田定次 製作 昭和22年(1947年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 金田一耕助(片岡千恵蔵)はアメリカ時代の世話になった方の娘の結婚式のために岡山県にやってきた。 道中の列車の中で、めがねをかけた美しき女性(原節子)と出会うが、彼女は今度結婚する娘の学生時代の親友だった。その頃、嫁ぎ先の旧家一柳家では結婚相手の娘が学生時代に他の男とつきあっていたという手紙が届いていた。 そして村には三本指の男が徘徊していた。 結婚式も終わった晩、新婚夫婦は密室状態の離れで殺され、凶器の出刃包丁は庭で発見された。 犯人はいかにして凶器を外へ持ち出し、自らも消えたのか?そして真犯人は? 横溝正史の金田一耕助シリーズの初の映画化作品。 演じるは片岡千恵蔵御大。 観れば解るが完全に多羅尾伴内の番外編的位置づけ。 原作は金田一耕助初登場の「本陣殺人事件」。 改題の理由は当時のGHQの指導で「殺人事件」という単語が使えなかったという話を聞いたような気がするが真偽のほどは確認していない。 でも「三本指の男」は当時の多羅尾伴内が「二十一の指紋」とか「三十三の足跡」とか数字にまつわるタイトルだったからこれも「三本指の男」と改題されたと想像される。 原作と大きく改変していると聞いていたからどうなるかと思っていたら途中までは原作とは大きくは違わない。 登場する三本指の男が金田一の変装というのは改変してあるけど。 書いちゃうけど原作は他殺に見せかけた自殺で、被害者が水車の力を利用して凶器を運んだという設定。 ここまでは原作のトリックも生かしてあるからどう変わるのだろう?と思ったら、他殺に見せかけた自殺に見せかけた他殺、という実にややこしい無理矢理な展開。 この家は本陣だったのでまさかの時のために隠し地下通路があってそこから犯人は出入りした!という展開。 だったら最初からややこしいトリックなんか使わなければいいのに。 で結婚に反対な一柳一家が当主を殺したという展開。 片岡千恵蔵が三本指の男になるあたりは多羅尾伴内での背むし男と同じで観客にはばればれの変装。 完全に多羅尾伴内の番外編的映画で、横溝正史もさぞ困ったろう。 原節子はめがねをかけて登場。 「あなたはめがねを取るとたぶん美しい」とか金田一に言われて「それを言うならきっと美しいというのが女性に対しての礼儀です」的なことを言い返す。 いつの間にか金田一の助手扱いされてしまう彼女だが、別にめがねをかけることに意味があるとは思えない。 ラストにはめがねをはずすのだが、ここまで来たら金田一も拳銃をぶっ放し、原節子も拳銃をぶっ放して欲しかったが、そこまでやるとやりすぎだろうか? 楽しんだ。 (このページのトップへ) GSワンダーランド日時 2011年3月21日15:00〜 場所 ザ・グリソムギャング 監督 本田隆一 製作 平成20年(2008年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 世はGSブームの1968年の日本。このブームに乗り遅れまいと演歌中心のレコード会社では「うちもGSのバンドを売りだそう」と会議で盛り上がって(?)いた。 そんな時、日劇で演奏することを夢見るマサオ(石田卓也)はバンドボーイになろうと思ってあるバンドを訪ねた帰り道、ドラムのシュン(水嶋ヒロ)、ベースのケンタ(浅利陽介)と知り合ってバンドを結成。 とりあえず練習しているところをレコード会社から命令されてバンドを探していたプロダクション社長・梶井(武田真治)に見つけられる。 早速デビューさせようとする梶井。しかしレコード会社からオルガンを入れろという。 梶井はその前に訪ねてきた歌手志望の女の子ミク(栗山千明)に男装させ、男としてバンドを結成させることを思いつく。早速デビューしたが記録的に売れない。 そして名前を変え「タイツメン」として再デビューした! 公開時にもちろん存在は知っていたし見たいとは思っていたが(たぶん「日本のいちばん長い日」イベントの頃で、映画を見ている場合ではなかったのだと思う)、見逃したこの映画。 GSブームの裏話を描いた映画で「ALWAYS」に始まった昭和ノスタルジー映画だと思っていたら(いやそれも間違いではないが)、それだけの映画ではなかった。 いつの時代にも起こり得る「青春の夢と挫折」の映画だった。 夢を見て行動を起こした若者たちが困難を乗り越えながら夢に一歩一歩近づいていくが、あと一歩でその夢は砕かれる。自分は挫折するが、友人は成功、そして祭りの後だけが残る。 そんな青春映画だった。 自分の青春とオーバーラップしてくる。 マサオたちは最初はミリタリールックの「ザ・ダイヤモンズ」でデビュー。 しかし23枚という記録的に売れない。 仕方なくタイツをはいたバンドはいないということで早速タイツをはいた王子様ルックで「ザ・タイツメン」として再デビュー。これがなかなか売れてくる。 しかし彼らのやりたい音楽ではなく、ただのレコード会社の商品でしかなく、自分たちの意志はない。 悩みながらも「日劇出たい!」という一点で無理矢理自分たちを奮い立たせる。 自分たちの夢から徐々に遠ざかっているのか、それとも近づいているのか? そして日劇出演の夢ももう一歩、というところでそれも夢と消える。 ミックの美少年ぶりが人気の素だったのだが、女だということがばれてしまい、マスコミに報道される前に生放送で自分たちから告白してしまうのだ。 そして「タイツメン」のメンバーは去り、ミクだけは歌手で再デビュー。 正直、前半がいいテンポで進んできただけに後半、タイツメンが解散してからの展開にもたつきがある。 もう一回その辺は観直して確認したい。 全体的に60年代の空気感がよく出ていて、それを楽しむだけでも映画は楽しい。 岸部一徳がレコード会社の社長役で「いまGSって売れてんだってねえ」というあたりは最高に面白い。 また当時のレコード会社の幹部は戦争経験者だったのだな。 そして当時のニュース映画映像が挿入されるが、それがナレーションの声のトーンとか言い回しとかが当時のニュース映像そっくりで笑った。 そういった「お祭り感」の楽しさが大きいだけに後半の「夢と終わり」の切なさが際立った。 今の時代を40年後に描いた時、イケメンブームが題材になるのだろうか? 帰りの電車の中でちょっとそんなことが気になった。 (このページのトップへ) SP 革命篇日時 2010年3月20日15:45〜 場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン5 監督 波多野貴史 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) (公式HPへ) 井上(岡田准一)たち警護4係は今日はそれぞれ国会議員の警備についた。 しかし与党幹事長の伊達(香川照之)を後ろ盾に持つ尾形(堤真一)はついに国会・衆議院を占拠。 国会議員を相手に彼らの不正を暴露し始める。 その後、伊達は自分が新しい日本のリーダーになる計画を持っていて、若手官僚たちもそれにともない自分たちが主役になることを計画していた。 しかし井上をはじめとする4係の面々笹本(真木よう子)山本(松尾諭)石田(神尾祐)は立ち上がる。 麻田(山本圭)に父を殺された恨みを持つ尾形はついに麻田に銃を向ける。 昨年10月公開の「SP」の最終篇。 前も書いたけど尾形と井上が対立していく話の展開は好きになれない。 「国会内で警察活動が出来るのはSPだけ」という一点が「SP」の話でこの国家転覆計画のストーリーを進める土台になっているが、そんなことにこだわらずに、自衛隊のクーデターの方が話がしやすかったのではないか? ややこしくなるばっかりだ。 娯楽作なんだからもっと単純なストーリー展開にすればいい。 いつもならこういう壮大な話は好きなのだが、今は3月11日の「東日本大震災」の影響で、こういう国家転覆の話は楽しみ切れない。 何てったって現実に国家が転覆するかも知れない事態になっているから。 映画とは関係ないが、実に運の悪い映画だ。 テロリストたちが建物を占拠し、見張りを倒して最後に制圧する、という話はテレビシリーズの第2話もそうだった。その時の方が、岡田一人で徐々に敵を倒していくという楽しさがあったが、今回は岡田一人じゃなく四係の集団行動。その分岡田一人の活躍が少なくなり、ファンとしてはやや寂しい。 それにさっきも言ったようなテレビの第二話の二番煎じ感はやや否めない。 それにしてもなんと言っても今回の見所は衆議院本会議場の大セット。CGなのかと思ったらかなりの部分は実際にセットで作ったようだ。 感心! 逆にいうとこの本会議場セットの立派さのインパクトび岡田たちの活躍はかすんでしまう。 東日本大震災もあったし、何か楽しみきれなかったこの映画。 一ヶ月前の公開ならもっと楽しめたかも知れない。 返す返すも残念だ。 (このページのトップへ) 春との旅日時 2011年3月20日12:15〜 場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン2 監督 小林政弘 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) (公式HPへ) 忠男(仲代達矢)は孫娘の春(徳永えり)と共に最近疎遠になっている兄弟を訪ねることに。 春は小学校の給食室に勤めていたが学校の廃校が決まり、この土地を離れ東京に出ようと思った。そのために一緒に暮らしている祖父・忠男は兄弟の誰かと暮らしてもらおうと思ったのだ。長兄・重男(大滝秀治)とは元々仲が悪く、忠男を「自分勝手にしてきて今頃になって来る奴があるか」とにべもない。 しかし彼とて今度妻・恵子(菅井きん)と老人ホームに入ることになっており、この家ではやっかいものだった。 一番仲の良かった弟は刑務所に入っていた。仙台で旅館を経営する姉の茂子(淡島千景)は働く気のない忠男をしかりつける。弟の道男(柄本明)も「バカヤロウ」と断れれる。 自殺した自分の娘の夫・真一、つまり春の父親を訪ねる二人。今は再婚していた真一(香川照之)。その妻伸子(戸田菜穂)は忠男と暮らそうと行ってくれたが。 去年公開された時に観ようかと思っていたが、時間が合わなくて見逃した映画。 正直、この映画私はだめだった。 根本的にこの忠男という人物が受け入れられない。 とにかくわがままで自分勝手で甘ったれである。 仙台に着いたときに金がないと春に対し、「都会に来たんだからホテルに泊まろう」と言い出す。 ホテルを探すとどこも満室となると「え〜早く探してきてくれよ。もう足が痛くて動けないよ」と言い出す。 この辺のわがままさで私はこの忠男という人物が好きにまなれない。 兄弟を訪ね歩く、というので「東京物語」と似ているがこれは主人公の性格が違う。 笠智衆はやはりまじめな父親でそんなまじめに生きていても子供からは疎んじられるというあたりが人生の哀しみを出していた。 しかしこの映画の忠男は「ニシンの大漁」を夢見て漁師を続けてきた「一攫千金」を夢見てきた男のなれの果てだ。 周りが冷たくするもの致し方ない気がする。 ワンカットは長く、俳優の演技を見せることに演出の主眼はおかれている。 名優たちの演技をみているだけで正直退屈しない。 しかしこの小林監督は以前の「バッシング」もどうも好きになれなかった。 この監督は「世間からは嫌われる人物」を中心に話を進めるのが好きなのだろうか? この監督とはどうもそりがあわない気がする。 出演は他に弟のアパートを訪ねていったところの工事人に小林薫、柄本明の妻に美保純。 (追記:この映画を見ている最中に余震があった。少しざわついたが上映はそのまま続けられた) (このページのトップへ) ホームカミング日時 2011年3月13日19:35〜 場所 川崎チネチッタ・スクリーン9 監督 飯島敏宏 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) (公式HPへ) 商社マンだった鴇田(高田純次)は定年退職。 翌日から悠々自適の生活で、まずは朝のジョギングを始めた。 そこで知り合った近所の人々(秋野太作、黒部進、桜井浩子、竜雷太)。さらに無人交番だった近所の交番に退職警官の父(森次晃次)と共に若くて美人な警官が駐在することになった。彼女はなんと昔鴇田の息子(草野康太)と同じく暴走族をしていた娘だった。 ある日、妻の代わりに自治会に出席した鴇田だったが、新興住宅地として後から住むようになった人ばかりの人たちは町の事には関心が少ない。 今年もお祭りをやろうと思っていたが、どうやらテキ屋に任せてしまおうという案が有力だ。 そんな時、近所の家の人の出入りが何か怪しい。 どうやら誘拐事件が起こったらしい。 「ウルトラマン」と「金曜日の妻たちへ」の飯島敏宏監督の久々の劇場公開作。 映画とは直接関係ないけど、3月11日に東北地方太平洋沖地震が起こった。 そのため、公開二日目の日曜日、映画の舞台となった町田市内のシネコン、109グランベリーモールで舞台挨拶の予定だったが、映画館がしばらく休館することとなり、舞台挨拶どころか映画上映もしばらくなくなった。 東京から一番近い映画館がここ川崎チネチッタ。 初めて来た。 しかしこの町は今や60代以上の老人が中心の町と紹介される。 そうか30代で家を買った人々が住みはじめ、30年経ってその人たちは60代になり、そのとき小学生だった子供は今や独立している。 30代で家を買った人々、それはTBSドラマで飯島敏宏が描いた「金曜日の妻たちへ」の世界だった。 僕はドラマは観ていなかったが、80年代バブルの頃、田園都市線沿線の新興住宅地に家を買うことはそれなりにステータスだったと思う。 しかし鴇田は息子に「この町には神社もなければ祭りもない。なにもなくて故郷には思えない」と否定される。 う〜ん、そういう時代になったか。 映画の方は自治会の老人たちの情報網で、子供は誘拐されたのではなく、孤独な老人(島ひとみ)が子供を自分の子供と思いこんで家につれかえっていただけという話。 しかしその情報網を使ううちに知った多くの町内にある趣味のサークルに参加して貰ってのお祭りを企画。 それにみんなどんどん参加してくれて、トントン拍子に話は進んだが、前日に肝心のステージが大雨で崩れてしまう。 悲観にくれているとテキ屋が大型トラックを持ってきてくれてそれをステージにしてお祭りは難なく成功、というお話。 出てくる人がみんな結局はいい人で協力してくれる。 なんだかこの展開は昔の「男はつらいよ」の併映作みたいなテイストだ。 いい映画だとは思うけど、展開が甘すぎて私はそれほど好きになれない。 それと祭りのシーンが長すぎる。 たぶんに実際に撮影に協力してくれた地元の人の部分が多いだろうから切れなかったとは思うけど。 1時間50分ぐらいあるけど、1時間半ぐらいにまとめてくれたらもっとよくなったと思う。 俳優陣は黒部進、桜井浩子、森次晃嗣とウルトラ勢が勢ぞろい。さらに佐原健二が冒頭の鴇田の会社の上司役、西條康彦がお祭り好きのおじいちゃん役でそれぞれワンシーン出演。 「ウルトラ」シリーズとTBSホームドラマの大いなる続編。 そのドラマが好きな人にはそれだけで観る価値はある。 (追記:この日の昼間は東陽町へ免許の書き換えに行った。人はいつものように多く、おとといの地震を全く感じさせなかった。そして書き換えが終わってから夜7時半の回に見に行った)) (このページのトップへ) 黄金のパートナー日時 2011年3月12日15:20〜 場所 銀座シネパトス1 監督 西村潔 製作 昭和54年(1979年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 野口浩介(三浦友和)は隠し撮りを得意とするカメラマン、江上周作(藤竜也)は白バイ警官、二人は年齢も職業も違っていたが、なぜかウマがあった。 浩介はヨット生活をしていたが、そのヨットに森由紀子(紺野美沙子)という少女がやってきた。彼らの行きつけのバー・ポーラスターのマスター(殿山泰司)を訪ねてきたのだ。 由紀子の話では父が消息不明になったらポーラスターのマスターを訪ねるように言われていたというのだ。 そんな頃、毎夜午前2時になると謎のSOS信号を野口はキャッチしていた。 そのSOS信号は旧日本海軍の暗号で、終戦直前に軍事物資の買い付けにヨーロッパに向かった潜水艦から救助を求めるものだった。 この映画を見るのは封切り以来32年ぶりだ。 藤竜也と三浦友和の今までにないような軽妙なやり取りが印象に残った。 「あれはなんでしょうね?」「女ですね」「女は解ってますがね」と文字にすると何が面白いか解らないが頑張っていた。 ただしどうも痛々しさは当時から感じていたように思う。 基本、私はなぜか三浦友和がダメなタイプなので、それだけで点が辛くなる。 この二人の軽妙な会話も「洋画に比べて日本人がやると痛々しいなあ」と思った気がする。 もっともこれは当時放送されていた「大追跡」などでも藤竜也はやっていたことなので、それを知っている人は楽しんでいたのかも知れないけど。 それにしても話の展開が深みがなく、あらすじみたいな話でテレビ番組みたい。 もっともこの映画に限らず、話の薄っぺらさは昔の日本映画ではよくあったけど。 お話しの方は暗号に暗号にあった潜水艦がサイパン沖で自沈したと解り、その潜水艦を3人で探しに行く。 ニュープリントで見るサイパンロケは実に美しい。 今ほど海外が一般的ではなかった時代だから余計に観光地的な画を撮りたかったのだと思う。 延々と海の中を探すシーンが続き、とりあえずの事件もなく潜水艦は見つかり航海日誌を発見。 そこには積んでいた金塊は南原機関や民間人と森明夫・由紀子の父とともに日本で下ろしたという。 どうやらその南原機関の神谷太郎(芦田信介)が金塊を独り占めしたらしいのだ。 今や神谷は大学の理事長や企業を率いる大物になっていた。 潜水艦に残されていたカメラのフィルムから神谷は腕に大きな傷があると解る。 で今の神谷と南原機関の神谷が同じであることの証拠として腕の傷の写真を撮ろうとする。 ここで由紀子が「神谷は箱根に行くわ」とどこで仕入れたかまったく説明のない 情報で神谷が露天風呂に入っているところをヘリで空撮し、腕の傷の写真を撮る。 こういう由紀子がいきなり情報を持ってくるあたりがご都合主義なのだな。 そして彼らは神谷たちから金を奪い取るが、その最中、銃撃戦で由紀子は死ぬ。 もともと「冒険者たち」をやろうとしたらしいのでこの展開は充分にあり得る。 最後には自家用機で移動する神谷のセスナで突っ込むという派手な展開。 でも主人公たちが「恐喝」という手段に出るのはちょっといただけない。 あと紺野美沙子は見た当時は「すごいきれいだなあ」と思ったけど、今見るとどこやか野暮ったい。 時代なのか、私の年齢の変化か? (追記:前日、東日本大震災があったにも関わらず、私は映画を見に行き、銀座はガラガラだった。計画停電も行われておらず、原発の問題もまだどんな重大事が起こっているかも理解していなかった。月曜日になれば東京は元に戻ると思っていた。まだ認識が甘かった) (このページのトップへ) 実録 私設銀座警察日時 2011年3月6日21:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 佐藤純彌 製作 昭和49年(1974年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 池谷(安藤昇)、樋口(梅宮辰夫)、宇佐美(葉山良二)岩下(室田日出男)は新橋の闇市で知り合う。 宇佐美は戦前からの昔からの博徒で、朝鮮人との喧嘩をきっかけに4人が銀座で頭角を現す。 しかし現在銀座を仕切っているのは山根(待田京介)とその弟(郷瑛治)だった。 米兵を刺した渡会(渡瀬恒彦)は宇佐美たちのもとへ偶然逃げ込んでくる。 渡会はこれをきっかけに宇佐美の鉄砲玉になるのだが。 正直、東映ヤクザ映画は高倉健や鶴田浩二が活躍する「任侠もの」より実録のもの方が好きだ。 スピーディなテンポで敵味方がころころ変わっていく姿は実に人間的で飽きない。 「仁義なき戦い」が実録路線への転換となった映画だろうけど、この映画は完全にその路線の踏襲。というか焼き直し。 話の始まりは新橋の闇市。もう闇市から始まるところからして「仁義なき」と同じ。 主要メンバーが登場し、そこに人物のテロップが出るあたりのやり方も同じだ。 闇市で知り合った戦争帰りのものたちがやがて抗争の世界に入っていく・・・というアウトラインも同じ。 ただ深作欣二の演出にはどこやか笑いの部分があったが(オープニングの闇市でも喧嘩に行くときに刀をズボンの中に隠し、途端に転んでしまうなど)、佐藤純彌の演出にはこの笑いというものが全くと言っていいほどない。 ひたすら大まじめに抗争していく。 渡会はヒロポン漬けにされ、やがて鉄砲玉として使われる。 山根兄弟を殺した宇佐美たちは銀座を仕切るがやがてはそれぞれが対立しはじめる。 まず池谷は独自に会社を起こすのだが、軽く扱われた宇佐美たちは許せない。 彼らの対立が起こり、宇佐美は池谷に襲われ、配下になる。鉄砲玉の渡会も池谷たちに埋められ、拳銃を撃ち込まれるが、彼らが去った後、土中から這いあがる。 「ほんまかいな?」と思うようなゾンビのようなキャラクターだ。 この後、渡会は池谷を殺し、宇佐美がまた天下を取る。 やがては彼らも警察に捕まることになるが、その前の晩、彼らは有り金を全部はたこうとどんちゃん騒ぎをする。 その隅で一人陰鬱な表情の渡会。 シャブ中でついに吐血して果てる。 この映画、渡会が復員してきておそらくは出征前に結婚を誓った女性が米軍のパンパンになって混血の子供を生んでいるというところから始まる。その女性も赤ん坊も殺す渡会。 映画を見ている最中、安藤昇にも葉山良二にも梅宮辰夫にも室田日出男にもなにか話の力点、つまり主人公の風格を感じなかった。 そうなのだ。 この映画の真の主人公は渡会なのだ。 戦争という勝手な暴力で人生をめちゃくちゃにされ、やがてはクスリで命を落とす。 この時代に翻弄された男にこそ、映画のスポットは当てられる。 その悲しい人生にむなしさを感じることを禁じ得ない。 渡瀬恒彦にとっても代表作とも言えるだろう。 (このページのトップへ) あしたのジョー日時 2011年3月6日14:10〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン7 監督 曽利文彦 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) (公式HPへ) 矢吹丈(山下智久)はドヤ街の食堂で飯を食っているときに丹下段平(香川照之)と知り合う。 段平にから金を取り立てようとしたヤクザと喧嘩になり、丈は刑務所へ。段平は丈にボクサーの才能を感じ、トレーニングのこつを葉書で送ってくる。 丈は刑務所でプロボクサーの力石徹(伊勢谷友介)と知り合う。 刑務所で喧嘩になる二人。 力石の所属ジムの力で刑務所で試合が行われることになった。 かの有名なマンガ「あしたのジョー」の実写映画化。 正直言うけど何でいま「あしたのジョー」を映画化するのかさっぱりわからない。 これは「宇宙戦艦ヤマト」の実写化の時も思ったことだけど、単にプロデューサーがファンだ、というだけではなかろうか? 自分が若い頃に惚れた作品を映画にしたい、そういうファン心理はわからなくはないけど、そこには新しいものを作り出そうというクリエーター精神は感じられない。 オタクが自分でフィギュアを作るのと同じでしかない。 いや自分の趣味でやる分にはいっこうにかまわないが、果たして有料の映画にする必要があったのだろうか? 始まりがだめだからと言って作品がだめと言うことではない。 特に山下智久と伊勢谷友介は本当にすごい。 ボクサーとして実に見劣りがしない。 彼らの鍛え上げられた体は賞賛に値する。 日本の役者も本当にレベルがあがったと思う。 昔のボクシング映画に比べると差があるように見える。 山下智久は正直演技は下手だと思うのだが(せりふはうまくないし、表情も変化が少ない)今回はそんなドラマ部分は少なく、大部分は格闘シーン、ボクシングシーンだからそれがきちんと出来ていれば何も言うことはない。 そしてそれはもう完璧すぎる位に達成された。 正直「山下智久で『あしたのジョー』映画化」とはじめに聞いたときは「はあ?」と思ったものだが、それは山下に対して大変失礼だった。謝る。 世間ではジャニーズのタレントのことを「ただ顔がいいだけ」「事務所が横暴」などと否定的なことを言いがちだがタレント一人一人は実に頑張っている。 忙しい中あれほどの体を作るのは大変だ。 素直に賞賛すべきである。 映画は刑務所で試合があって丈が負けて力石が出所し、やがて丈も出所。丈は段平のジムに入り、プロとして頭角を現す。クロスカウンターという必殺技を使って破竹の勢いの丈。 丈との試合を望む力石は対戦するために過酷な減量をし、階級を二つ落とし、いよいよ試合へ。 クロスカウンターを打ち合うとような過酷な試合が続き、力石のアッパーカットに丈は倒れる。が、力石は・・・・ という展開。 正直ドラマ部分はどうでもよく、山下と伊勢谷の見事なボクサー体型のみが見せ場の映画だった。 でもこれは二人に対する賞賛の言葉である。 (このページのトップへ) 世界のどこにでもある、場所日時 2011年3月5日18:00〜 場所 新宿シネマート2 監督 大森一樹 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) (公式HPへ) 複数の精神科の医師たちがその患者たちをデイケアとして遊園地と動物園が併設された施設に遊びに来る。 社会の不正を暴いたところ逆にヤクザから家族の命がねらわれた男、音大を卒業して歌手を目指したがオーディションに落ちてばかりの女性、ニューヨークにいるときに同僚をすべて911テロで失って生き残ったことにさいなまれる男、日本にアルカイダのテロリストがやってきていると信じている元自衛官、認知症で記憶を失った資産家(佐原健二)、元銀座のクラブのママ(水野久美)。 そんな彼らの元に警察に詐欺容疑で追われるネット証券の青年実業家、資産家の土地売却を依頼された弁護士、資産家の愛人の娘・真志奈がやってくる。 大森一樹のオリジナル脚本でスーパー・エキセントリック・シアターと組んで製作した映画。 だから役者の大半はスーパー・エキセントリック・シアターの面々。 映画が進むにつれ登場人物たちの精神を病むに至った問題が解ってくる。それはまさに現代日本が抱えているような問題だ。 新聞記者も精神を病み、しかしその新聞によって叩かれたことで精神を病んだ医者も登場し、患者を一方的に責めたり養護することはない。 「生徒はか弱い子羊、教師は牙をもった狼、そういう図式で記事を書いて話を作る。もう何年も前から逆だというのに」というセリフが印象に残る。 精神を病んだ新聞記者も相手を追い込んだ側の人間でもあるのだ。 それは新聞だけでなく、「世論」という名の民衆のパワーだとも言えるかも知れない。つまり映画を見ている我々もこの世界では被害者であり加害者でもあるのだ。 この映画は1時間40分弱。その尺の割には登場人物が多すぎて一人一人の患者のエピソードが短くてはしょった印象を受ける。 ここはもう少し登場人物を絞った方がよかったように思う。あんまり多くて覚えきれない状態になっているし。 その辺の交通整理がもう少しよければもっといい映画になった気がしてならない。 個人的によかったのは佐原健二のエピソード。 弁護士から土地売却の許可をもらおうとやってくるのだが「まったく他人の話のような気がしてならない」とまるで認識がない。 弁護士がつれてきた愛人の娘と対面させても何の反応もない。 しかし、ラストで一人でクラリネットを吹く。 医師が娘に「あの曲はイタリア映画の『道』の主題曲でその映画では主演のマッシーナが・・・」と言ったこところ医師はすべてを見抜く。 「金田さん、あなた本当は!」と言われても首を振る。 娘に父親の病状を聞かれて医師は患者の秘密は話せないと断る。しかし「お父さんはあなたのことを愛しておられますよ」と答える。 クラリネットを吹き続ける金田。 いいエピソードだった。 この映画の佐原さんを見るだけでも見た甲斐があった。 (このページのトップへ) |