2011年8月

地震列島 火垂るの墓
この愛のために撃て 人生劇場 飛車角 トランスフォーマー 
ダークサイドムーン
錆びたナイフ
謎の要人悠々逃亡! 南京!南京! 哥(うた) カーズ2 3D字幕版
赤い波止場 ナバロンの嵐 史上最大の作戦 戦場にかける橋
チェルノブイリ・ハート 原発切抜帖 はだしのゲンが見たヒロシマ 迷走地図
嵐の勇者たち 太陽への脱出 零戦黒雲一家 グラン・プリ

地震列島


日時 2011年8月31日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 大森健次郎
特技監督 中野昭慶
製作 昭和55年(1980年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


若き地震学者の川津(勝野洋)は気象庁の地震予知会の席で「東京に30日以内に大地震が発生する」と警告する。
彼としては政治的な発言でもあったが、過密都市東京の無防備ぶりにいらつく彼にはいたしかたない発言だった。
川津は私生活では必ずしも幸せではなかった。
かつての大地震学者の娘婿という立場ではあったが、妻の裕子(松尾嘉代)との仲は冷えており、自分の研究所の富子(多岐川裕美)と不倫の関係にあった。
川津は地震学者の長老・丸茂(大滝秀治)が総理(佐分利信)と同席するゴルフ場にも乗り込んで大地震の危険性を訴える。
そんな時、東京大地震の予兆が現れる!

「日本沈没」の7年後、「連合艦隊」の前年に作った地震パニック映画。
封切りの時見たし、その後もどこかで(映画館ではなくビデオとかで)1回ぐらい観てると思う。

う〜ん、一言で言うとタイトル負けしていると思う。
「地震列島」というでかいタイトルだから日本全国での地震の被害やパニックを各エピソードを交えながら俯瞰的に進行していくのかと思えば、さにあらず。
川津と裕子は離婚することになり、その話し合いの場を作り富子や丸茂との4人で会おうということになる。
(丸茂は川津の仲人でもあるので)
で、川津と裕子は地下鉄で赤坂見附から表参道に向かう地下鉄の中で、丸茂は大阪から羽田に帰ってきた飛行機が羽田に着陸した瞬間に、富子は池尻付近の自分のマンションから出ようとした時に、地震に遭遇する。

総理は出てくるけど、官邸地下も対策室で自衛隊から報告を受けるだけ。
「石油コンビナートが炎上しました!」「黒煙のためヘリが近づけません!」「海上自衛隊も東京に入れません!」というだけ。だめだよ、ここは画で見せなきゃ。

特典映像の中野監督の話では、田中友幸さんは俯瞰的な映画をイメージしていたらしいが、「地震の時の人間のドラマを描きたい」という新藤兼人(脚本)と大森健次郎がこういう路線にもっていったらしい。

確かに水没した地下鉄での狭い世界でのパニックシーンは良くできている。
草野大悟や滝田裕介の役名さえない乗客の反応、言動が面白い。
草野大悟はやたら大声をだし、錯乱している。
地下鉄の線路内に水が進入し、一部の乗客は屋根に避難、しかし一部の乗客は水に浸かってしまう。
そして草野大悟が「おい!屋根の上の奴、代われ〜」と叫ぶのだ。
この叫びは封切りの時の鑑賞以来記憶に残っている。

「水の流れの先がどうなってるか、誰か見てこい」と草野大悟が叫び、「あんたが行けよ」と返される。
このあたりの自己保身むき出しの人間たちはさすが新藤兼人だ。

それにしても多岐川裕美のマンションのシーンは印象に残らない。地震が起こった瞬間はセット自体も揺れていて、本棚やら戸棚が倒れてくる中で、多岐川裕美がすごい形相になっているから、本気で驚いているのだろう。
そのあとエレベーターに閉じこめられていた永島敏行(ルポライター。で実は富子が好き)が助けにいくのだが、どうも見せ場にかける。

とにかく地下鉄でのパニックシーンは記憶に残るがそれなら前半の川津の警告とか不倫とか離婚とかの話がまったくいらない。
川津は「日本中の道路を今の倍の広さにしてそこは非常用道路として普段は使うな」などととにかく実現不可能な手対策を提案する。
また燃えない車を調べると言って車の炎上テストまでしている。おいおい地震学者としてはそこまでは行き過ぎだろう。そして永島敏行のルポライターは何の活躍もない。

「地震列島」という大きいタイトルの割にはなんだか脚本のバランスが良くない映画だなという印象。
新藤兼人を起用したのが原因の始まりだった気がする。

あと総理の川津が会うシーンで「地震がなぜ怖いかわかりますか」「それは地面が揺れるからだ」「違います。突然やってくるからです」というせりふも印象に残った。 

出演は他には統幕議長・鈴木瑞穂、気象庁長官・山崎努、
官房長官・佐藤慶、国土庁長官・稲葉義男、教授・岡田英次、裕子の母に村瀬幸子、川津の息子でまだ子供の松田洋次、富子の父(これが娘に「お前川津さんに結婚してもらえないなら生活の面倒だけでも見てもらえ。わかるだろ?」と妾になることを勧めるという水商売の父親みたいな人)に松村達雄、地震予知のキジを飼う農家の親父に三木のり平。となかなかの豪華メンバー。



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火垂るの墓


日時 2011年8月28日13:30〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 日向寺太郎
製作 平成20年(2008年)

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1945年の神戸。空襲で中学生の清太(吉武怜朗)と4歳の妹の節子(畠山彩奈)は家から焼け出される。父は海軍軍人で出征中、母(松田聖子)はこの空襲で亡くなってしまう。
清太は前から母に言われていた西宮の親戚を頼ることに。
そのおばさんは今や夫は戦死し、二人の子供と暮らしていた。だが頼っていった清太に対し、「悪いけどうちにそんなあんたたちの面倒をみる余裕はない」と追い返そうとする。しかし清太の母が子供に持たせた缶詰などを見て、態度を変える。
だがおばさんは何かにつけて清太と節子をやっかいもの扱いし、その上缶詰や清太の母から預かった着物は頂戴する。
積もりつもってついにこの家を出る清太と節子。
二人は防空壕で暮らし始める。夏のホタルの美しさが二人にとって唯一の救いだった。

野坂昭之原作でアニメ版は有名な本作。
もちろんタイトルは知っているが今まで見たことのなかった映画。

戦争中に二人でけなげに生きる兄妹のお話。
でも今回の記憶に残ったのは意地悪おばさんの松坂慶子。
最近はかつての美人女優のイメージを払拭して個性派に成ってきた松坂慶子だが、今回は特に印象に残る。

初めは「二人を面倒見る余裕はない」といいつつ清太の持つ缶詰を見て「困った時はお互い様ゆうやろ」と一転する。母が死んだことを妹には内緒にしてほしいと頼む清太に対し「まかしとき。おばちゃん口堅いやでえ」といいつつ町内会の防火訓練の時、「この子の母は空襲で死んで私はかわいそうに思って今引き取ってます」と町内会長(原田芳雄)たちに大アピール。

確かに憎々しい。いやなおばさんだ。
彼女の元から出ていくと清太が言ったとき見てるこっちも溜飲が下がった。
でも時折見せる本音にも彼女の事情が見え隠れする。
夫は戦死。食べ盛りの高校生ぐらいの息子と娘がいる。
特に目立った財産があるようには見えない。
そんな彼女には清太の缶詰は魅力的だったろうし、何かと厳しい町内会長の前で点数を稼がねばならないもの無理からぬこと。しかも元々清太たちとは縁が薄い。
私も今は彼女の立場に立って見ることができ、彼女が単なる意地悪おばさんには見えなかった。
そんなキャラクターを演じた松坂慶子を評価したいと思う。

後半、二人で暮らすときのホタルが何とも言えず美しい。
やがてホタルは死に、そのホタルのために墓を作る兄妹。ホタルに名前を付けて墓標を立て、その墓標が増えていくカットは、現実の戦争と重なって死の多さを思わせる。

結局、節子は衰弱して死ぬ。ホタルの横に土葬する清太。
その後、清太は雨に打たれて歩いている時に倒れ、寝てしまう。
次のカットでは雨が上がり、清太は歩きだす。
原作では清太も死んでしまうらしい。
彼は戦災孤児となってこれから苦労するんだろうな、と思いつつ希望を感じたラストでよかった。

出演は他に清太たちに好意的で、でも中学校に住んでいた戦争被災者の失火で学校、そして御神影を燃やしてしまったことで一家心中をする校長役で江藤潤。
清太たちの母親役で松田聖子。
アイドル聖子とはイメージがちょっと違う母親役で、出てきた時は(出演してると知らなかったので)驚いた。
よく似てる他人かと思った。
アイドルとしてだけではなく、こういった地味や役でもこれから出演すればいいと思う。
松坂慶子と同じく個性派女優としての道もありかも知れない。



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この愛のために撃て


日時 2011年8月27日15:00〜
場所 ユーロスペース1
監督 フレッド・カヴァイエ

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パリのある夜、男がビルから逃げてきてそれを追いかける男二人。逃げてきた男はバイクに引かれ入院してしまう。
看護助手のサミュエル(ジル・ルルーシュ)はその引かれた男を担当することに。
翌朝、出勤したら自宅を何者かに襲われ、妻は誘拐。返して欲しければその入院してる患者を連れ出せという。
仕方なく病室から見張りの刑事を偽って連れ出すサミュエル。いったいなにが起こっているのか?
どうやら昨夜起こった大企業の社長殺害事件にかんけいしているらしい。

映画友人の中で好評なこの映画。
タイトルがナンパ感じなのでスルーずるつもりだったが、好評なので観ることに。
(しかもユーロスペースはポイントがたまって無料で観られたしね)

面白い。評判に違わぬおもしろさだ。
まず何が起こってるのかさっぱりわからない。
自分が連れだしている男は果たしていい奴なのか?悪い奴なのか?
そもそも自分の妻を誘拐して連れ出してこい、なんて言ってくる奴の仲間なのだからきっとろくな奴じゃない。
でもこの男を殺そうとしてる奴だってなんだかカタギには見えなかったぞ?と観客も謎の渦にたたき込まれる。
この後はもうノンストップサスペンスである。

警察の内部にもライバルの2班があり、大きな事件ばかり扱うヴァルネール班と女性警部の班があり、前に名刺をもらっていたサミュエルはこの女性警部に助けを求めるのだが、この女性警部がなにやら胡散臭いヴァルネールからサミュエルを救ってくれるのかと思ったら差にあらず。
途中でヴァルネールの部下に殺される。

ヴァルネールが実は夕べの富豪殺人の犯人で、サミュエルが連れだした男サルテをその犯人に仕立てようとしていたのだ!というのが事件の概要。

それがわかってからは今度はその悪徳刑事ヴァルネールをどうはめるか、になって警察署のヴァルネールの部屋にある殺害の証拠を持ち出そうとして・・・という展開。

85分の尺だがその中でこれだけの話の展開があり、地下鉄構内でのサミュエルとヴァルネールの部下のおっかけなど見所も多し。
ノンストップアクションとして十分楽しめた。

日本でもこういう映画は撮れないものかなあ。
作れる監督や脚本家はいると思うが、ゴーサインを出せるプロデューサーがいないような気がしてならない。



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人生劇場 飛車角


日時 2011年8月27日10:30〜
場所 銀座シネパトス2
監督 沢島 忠
製作 昭和38年(1963年)

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服役中の飛車角(鶴田浩二)の隣の房に浮気した女房を刺し殺した男が入ってきた。その男に聞かれるままに飛車角は自分が刑務所に入ったいきさつを話す。
横浜の遊女おとよ(佐久間良子)と恋仲になった侠客の飛車角は、横浜を逃げ深川の小金親分(加藤嘉)の計らいで長屋に隠れることができた。小金親分の一家に出入りがあり、飛車角はそれに加勢。その逃亡中に吉良常(月形龍之介)に助けられる。飛車角はその人殺しの罪を引き受けおとよとは5年の別れとなったのだ。
しかしその間に小金親分は弟分の奈良平(水島道太郎)によって殺された。小金一家はばらばらになったが、その子分の宮川(高倉健)は車夫となっていた。
そんな時、宮川はおとよと知り合い、惚れてしまう。
恩赦で3年で出てきた飛車角だが、吉良常の取りなしでおとよをあきらめ、宮川に譲ることにした。

何度も何度も映画化された尾崎士郎の「人生劇場」。
今回も別に初めてではない。原作の主人公は吉良常の親分の息子(今回は梅宮辰夫)が小説家になるまでの青春小説らしい。やくざ映画の原作のように思われているが、そうではないそうだ。

今回初めて観たが面白かった。
やくざ映画でもあるが、親分子分のしがらみよりもメロドラマなのだな。
相思相愛の男女がいた、男は仕事でしばらく会えなくなる。しかしその間に女は別の男に出会ってしまう。そしてその男に惚れられるが、新しい男にとって前の男は恩人だった、という具合だ。
いいねえ、恩と愛情の間で板挟みになるなんざ、恋愛の経験を積んだものでなきゃわからねえ。
若い頃に観なくてよかったよ。
今この歳だからこの映画の良さが身に染みてよくわかる。

結局、宮川は小金親分を殺したのが奈良平だとわかり、殺しにいくが返り討ちにあう。
それを知った飛車角が今度は奈良平に切り込みにいく・・・というところで終わる。
佐久間良子が切り込みにいく鶴田を引き留めようとする。
「男の都合でまた待たされるのはいや!」
いいねえ、こんな風に男なら言われてみたいよ。
朝焼けをバックに逆光に浮かぶ奈良平たちに鶴田が向かっていくところでエンドマーク。
もちろん鶴田が勝つことは予想されるのだが、それにしてもこのエンディングはちょっと気になった。
いいような、悪いような。
続編のために残したようにも思えるし、余韻を残しての終わり方にも見える。
難しいところだ。

あと出演では尾崎士郎の分身、青成瓢吉役に梅宮辰夫。このころの梅宮はものすごい美青年で最初加藤剛かとおもったほど。後年の番長ぶりは全く想像もつかない。

あと、高倉健と佐久間良子が鶴田につき合っていることの許しをえる海岸のシーン。
東映の会社マークの岩に波がかかるのを撮影した場所ではないかと思う。違うかも知れないけど、そう見えた。


今回は5月に亡くなった東映岡田茂氏の追悼上映会。
監督の沢島忠氏とプロデューサーの吉田達氏がゲスト。
沢島監督によると監督はこの頃ヒット作がなく、鶴田も東宝から移籍して数年だがヒットなし、佐久間良子もヒットなしで、全員背水の陣で挑んだ作品だったそう。
また当時、鶴田と佐久間はつき合っていて、それが結果的によかったそうだ。
鶴田がラストの殴り込みにいくのを佐久間が止めるシーンで、鶴田の雪駄の足を佐久間が踏んだのだが、鶴田が怒らなかったのは当時つきあっていたかららしい。
そんな話が出ました。



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トランスフォーマー ダークサイドムーン


日時 2011年8月25日20:50〜
場所 新宿ピカデリー スクリーン2
監督 マイケル・ベイ

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1961年、アメリカは月に何かが衝突したことを観測した。一体何があったのか?
月に人類を送る計画を本気で始動させるアメリカ。
そして1969年7月、アポロ11号は月面に降り立ち、乗組員が月の裏側に入ったと見せかけて20分間の連絡の途絶える時間を作った。彼らがそこで見た物は巨大な宇宙船だった!
実は地球から彼方離れた惑星では、<トランスフォーマー>たちの戦いが繰り広げられ、<オートポット>側が敗れ、<ディセプティコン>側が勝利しようとし、<オートポット>側がリーダー<センチネルプライム>を新兵器と共に地球に逃がしたのだった。
現代のアメリカ・ワシントン。
かつてトランスフォーマーと戦った青年・サム(シャイア・ラブ―フ)は今や大学を卒業したものの就職浪人中だった。
恋人のカーリーの勤務先の社長の手助けによって大企業に就職したサム。
しかしどうもこの社長がいやなやつで、カーリーにも手を出そうとしている。
そんな時、<ディセプテイコン>側が地球で<オートポット>側に反撃を加えるとしてきた!

「トランスフォーマー」シリーズ最終作だそうである。
このシリーズは4年前に1作目を観て、「車が巨大ロボットに変身するCGはすごいがただそれだけ。それも観ているうちに飽きる」という感想だったので、2作目はパス。
でも今回は観た。
それは予告編で「アポロ11号は実は別のミッションを持っていて、その時に宇宙人と接していた!」という部分だけをみて「おお!面白そう」と思った次第。
でもそれが「トランスフォーマー」の新作と知ってイマイチ観る気が失せて、公開後1ヶ月してから観にいった。

前半の話の部分は面白いですよ。
アポロ計画に加えてソ連の月探査計画の話も出てきて、この辺は面白い。
でも肝心の人間関係とか人物設定を忘れてるので、なかなか話についてこれない。
それにロボットが登場するが、これが人間の味方なのか敵なのか、こっちが設定をすべて忘れてるわけだからさっぱり話についていけない。
そんなわけで最初の1時間ぐらいは話の中に入れなかった。それにやたらとテンポが早いし。

で、後半は地球を侵略するロボットと味方のロボットを交えてのシカゴでの大決戦になる。
ビルはぶっこわれるわ、倒れかかったビルの窓を滑り落ちるわ(あんなことしたら摩擦で服がやぶれるじゃないか?)と派手なアクションが続き、やっぱり終いには飽きて、もはやよく覚えていない。

2時間半もあるけど、とにかくがちゃがちゃと似たようなロボットの対決が続き、作るのは大変そうだから誠に「ご苦労さん」という気分なのだが、最近のハリウッドSFの無駄に豪華な感じしてさっぱり印象に残らないのだな。

主人公がなんとなく頭は悪そうな青年なので、これまた私には印象が悪い。
とにかく「アポロ計画には実は別のミッションがあった!」というアイデアだけで映画を一本撮ってもらいたい。

あっあと3Dね。
今回は3Dカメラで撮影してるから期待したが、ほとんど3D感なし。がっかり。



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錆びたナイフ


日時 2011年8月24日
場所 DVD(米国版)
監督 舛田利雄
製作 昭和33年(1958年)

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地方都市の宇高市。この街は勝又(杉浦直樹)というやくざが仕切っていて暴力がはびこっていた。
狩田検事(安井昌二)は警察と共に悪を一掃しようと勝又を逮捕するが、証拠不十分で釈放。
その新聞記事を見た東京のチンピラ・島原(宍戸錠)は過去に勝又の殺しの現場を仲間3人と目撃したことがあり、それをネタに勝又を強請る。しかし結局は勝又に殺される。だが死ぬ前に目撃した仲間が橘(石原裕次郎)と寺田(小林旭)ということを書いた手紙を警察宛に送っており、狩田検事はそれを元に宇高に住んでいる橘を訪ねる。
いまや橘はバーを経営していて、寺田はそこで働いていた。一方勝又も橘たちを訪ね、口止めをする。
橘はかつて暴行されそれがショックで自殺した恋人がいて、それが理由で相手を殺し刑務所に5年入った過去があった。
狩田検事の紹介でラジオ局のアナウンサーの啓子(北原三枝)と知り合うが、啓子の父というのは市会議員で、橘が目撃した殺しの被害者だった。

舛田利雄=石原裕次郎のコンビ作の初ヒット作品。
私が見たのは米国版DVD。これ、なんと映画が終わってから「WOWOW」の文字がでる。WOWOWでテレシネしたものをソフト化したらしい。(まさか放送されたものをそのまま録画して放送したわけではないだろう)

なんといっても日活ダイヤモンドライン開始以前なので、裕次郎、アキラ、ジョーが共演しているという豪華版だ。
ただしジョーははじめにあっさり殺され、後の敵役としての輝きの片鱗はなく、正直残念な出番。
アキラも裕次郎の子分扱いだ。
白木マリがアキラの恋人役というのも興味深い。役はキャバレーのホステスだからやっぱり、なのだけれど。

その中でも出色の出来なのは杉浦直樹。
派手さはないが、憎々しい悪役を十分に演じきる。
後の「網走番外地」でも健さん相手に殺し屋役を演じていたが、ここでも十分魅力的な悪を演じる。
こういう役をもっとやって欲しかったと思う。
特に逮捕後に差し入れの毒入り饅頭を食べて口止めのための自殺をするシーンなど実によかった。
(饅頭を持ってきた男もまた怖いのだが)

北原三枝はこの映画では裕次郎と恋人ではなく、裕次郎の学生時代の友人の婚約者。でもラストでは裕次郎とつきあい始めるような終わり方になっており、いいのか!北原
三枝!

でも他の日活作品でも割とそうなのだが、裕次郎はやたら自分の心情を台詞で言う。しかも長台詞で。
この映画でも殺された弟分のアキラの為に「このナイフで相手を殺してやる。社会正義の為にも」というようなことを延々としゃべる。この頃の裕次郎は特に芝居もうまくないのだが、どうしてこう延々と話すのだろう?
まあ裕次郎ファンはこのあたりの裕次郎の語りがいいのかも知れないが、私は赤木圭一郎派なので、いまいちピンとこない。

話は結局、啓子の父の敵だった市会議員の間野(清水将夫)が黒幕だったということに。
この間野が勝又や情報を提供していた刑事(高原)と連絡を取り合う方法がハム無線というのが時代を感じさせるが、当時としては画期的方法だったのかも知れないな。

で、裕次郎は間野を罠にかけおびきだす。結局は間野は逃げようとして自分の車の運転手に殺されてしまうのだが、それは単なる事故なのだろうか?
それとも間野とてもっと上の黒幕に殺されたのだろうか?
という疑問は残るものの、映画はそんなことはあまり気にするなとばかりに、一人歩く裕次郎に北原三枝が向かい慰めて二人の関係が始まることを予感させ、終わる。

どうも裕次郎のアクション映画は私にはあわない。



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謎の要人悠々逃亡!


日時 2011年8月21日
場所 DVD
監督 ケン・アナキン
製作 1962年(昭和37年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ビーズ卿(ジェームズ・ロバートソン・ジャスティス)はイギリスを代表する科学者。ちょっと尊大でいやな奴だが、頭の良さには誰もかなわない。
ある日、自分が作った機械のテストのためにドイツ上空に飛行機で視察に行く。
ところが対空砲火で飛行機に穴があき、ビーズ卿は外に放り出されてしまう。パラシュートもおかげで命は助かったが、捕虜収容所へ。表向きは海軍の渉外将校中尉なので、捕虜仲間にもそれで押し通すビーズ卿。しかしその存在は本国に伝えられ、収容所のイギリス側隊長にビーズ卿を脱走させるよう指示が飛ぶ。
トンネルを使わなくても脱走できるというビーズ卿。それは捕虜仲間のクーパー(レズリー・フィリップス)、ベインズ(ジェレミー・ロイド)と共にスイスの収容所視察団に成り代わってでていくことだった!
敵を欺くためにエバレット(スタンリー・バクスター)ドイツの収容所長(スタンリー・バクスター二役)に化けてもらいゲートに向かう。果たして成功するか?

この映画のことは前から知っていた。たしか和田誠さんの「お楽しみはこれからだ」のエッセイだと思う。
紹介されていた台詞はまったく覚えていなかったが、映画を観ていると思い出した。
「料理に頭はいらん。でなければ女に出来るはずがない」というもの。なるほど、この映画の主人公なら言いそうなことだ。
そして7月下旬の朝日新聞の三谷幸喜のエッセイの中で「この映画は昔から大好きだった。DVDになっていたとは知らなかった。毎月DVDは雑誌などでチェックしていたのに」と書店で偶然見かけて発見したことをさも悔しそうに書いていた。仕方あるまい。500円DVDだもの。氏がチェックするような雑誌には情報が掲載されないのだろう。

で、私もその記事がきっかけで観てみる気になりDVDを購入。
確かに面白い。もちろん滅茶苦茶面白いとは言わないが、大笑いするシーンもないが、ニヤリと笑ってしまうシーンの連続で、小品傑作という感じか。

主役のビーズ卿はとにかくいやな奴で、上司にはしたくないタイプの男。しかし頭もいいし、何をやらせてもうまい。
冒頭、戦後のテレビ番組のシーンから始まる。
実際にイギリスにあった番組かも知れないが、著名人に出演してもらい、そのゆかりの人たちがまず声だけで登場し、それをゲストに当ててもらう。そしてゆかりの人が登場。思い出話で盛り上がるという訳。
そこで戦時中に内閣から手紙を持ってきた男が登場するがビーズ卿は覚えていない。チャーチル首相と直接通じているようなビーズ卿には小者は覚えていない。
捕虜収容所で輪投げをするのだが、他の者はなかなか入らないのにビーズ卿は軽く百発百中。
そして「1週間は楽しめるぞ」とクーパーたちが言っていたクロスワードパズルをすぐに解いてしまい、喧嘩になってしまう。
脱走計画も彼が独自にたてる。

そしてスイスの視察団がやってきて、それになんとかすり替わることに成功。
ゲートを通過するまでの数十秒はクーパーたちがおどおどと心配する分、こちらもはらはらした。
収容所のゲートを通過したら次のカットではイギリスに帰っていたので、そこがあっさりすぎてちょっと不満。
でも「大脱走」のような大作ではないから、これでいいか。
最初に自分の作った機械のテストでドイツ上空に行くので、それが何かラストの伏線になっているのかと思ったら、それはなかった。

この映画、収容所の庭のシーンも後ろの背景が書き割りぽかったから結構セット撮影が多く、安くできているようだ。
でも十分面白かった。

ちなみにケン・アナキンの次の日本公開作品は「史上最大の作戦」だ。制作規模はえらい落差がある。



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南京!南京!


日時 2011年8月21日12:30〜
場所 中野ZEROホール
監督 陸 川(リク・セン)
製作 2009年(平成21年)

(詳しくはIMDbで)


1937年12月、日中戦争において日本軍はついに南京に進撃、これを陥落させる。
ナチス党員のドイツ人・ラーベは安全地区を作り、多くの中国人をかくまったが、本国は日本軍への敵対行為になりかねないとしてラーベにドイツへの帰還命令を出す。
暴行が行われるのを防ごうとして日本軍は兵のための慰安所を作ることにし、中国人の女性100人を供出させることを命じる。

この映画のことはネット関連の映画情報で伝え聞いていた。中国で南京事件を題材にし、ヒットしている映画があると。その映画の日本上映は一時は公開が伝えられたが、いつの間にか消滅していたが、今回の特別上映となった。
(主催者の話では今回のみの上映の権利だそうで、別の人が同じく日本で上映を申し出てもその権利についてはまた中国側と交渉しなければならないという)
ちなみにフィルム上映ではなく、プロジェクターによる上映。だから細部がつぶれてしまっている。残念。

この映画は白黒である。
カラー映画で日本軍の残虐行為による血しぶきをあげるシーンが連続するのかと思ったらさにあらず。
白黒というのはたぶんその方が時代の空気感が出るし、また血しぶきが吹き出る見た目の残虐性を強調したくなかったのだろう。

冒頭、中国軍の上官が逃げてしまったので、城門で残された兵隊たちが「俺たちも逃げる」とそれを阻止しようとする兵ともみ合うシーンから始まる。自国の軍隊が敵前逃亡するシーンを描くとは驚かされる。

日本軍との戦闘。
ここは音楽も使わず、ひたすらに丁寧に戦闘を描く。
そこには銃声も散発的に聞こえ、妙に静かな印象を受けた。しかしこの方が音楽をつけたりやたらと盛り上げようとする演出よりも遙かにリアルな印象だ。
戦闘ってこんなものかも知れない、そんな感じがするようなリアル感だ。

やがて日本軍による虐殺シーンがあるが、思ったより短い。
驚いたのは日本軍による慰安所を作るために中国人の女性に志願を頼むシーンだ。
暴行事件が相次ぐ中で、中国人の女性はみんな髪を切って男とのような格好をしようと中国人同士で決めたのだが、それに従わなかった女性が最初に慰安婦に志願するのが印象的。

また角川という憲兵将校が日本軍の主要人物として登場する。彼はまだ童貞だったらしく、初めて慰安所で(それは日本人の慰安婦だったが)体験をする。このシーンでコンドームをつけてもらうところが印象的。
そしてこの角川はこの慰安婦と結婚したいと願望する。
映画の後半、彼の相手をした慰安婦はもっと中国の奥地に行き、そして死亡したと伝えられる。
角川はラストで自決する。正直、ここで何で彼が自殺するのか理解しずらかったが、日本人の中にも良心的な奴はいたと描きたかったらしい。
こういう人間的なキャラクターを日本軍人の中にも設定したことが、「日本人=悪」という単純な図式でない、監督の懐の深さを感じた。
日本人の方がよほど「中国人=厚顔無恥」的なレッテルを貼りたがる。

またラストで助かった中国人親子がタンポポで遊ぶシーンがある。タンポポの種を吹き飛ばしたりする。
このシーンでは「新しい日本と中国の関係」の種を振りまいたりしているようで、監督のヒューマニズムを感じる。

この映画では悲劇のヒーロー的活躍をしたり、抗日のヒーロー的活躍をする人間は出てこない。
いかにもいそうな普通の中国人や日本人ばかりが出てくる。
安っぽい、ただお涙頂戴的な演出はない。
それが返って真実味を感じさせる。
この映画は南京における特殊な事件を描いたようには思えなかった。
戦争ならどこでも起こり得たような事件に感じた。
だからこそ、世界各地で上映されても等しく評価されるのだろう。

南京事件が特殊なのではない。
どこでもこういうことが起こり得るのが戦争なのだ。
それが監督の主張に思えた。



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哥(うた)


日時 2011年8月21日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 実相寺昭雄
製作 昭和52年(1972年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


京都の丹波篠山の森山家は広大な山林を所有していた。
当主伊兵衛(嵐寛寿郎)は妻と召使いの浜と3人で暮らし、長男で弁護士の康(岸田森)は車でしばらく行ったところに住んでいた。
康の家には浜の息子・淳(篠田三郎)が下男として住み、この家にはほかに司法試験の勉強をしている和田(田村亮)と女中藤野(桜井浩子)が住んでいた。
和田と藤野には肉体関係があり、それを知った康の妻は自らの欲求不満を淳にぶつけていく。淳は「妙な噂が立つことは森山家のためにならない」とそれを受け入れる。
実は淳は伊兵衛と浜の間に出来た息子だが、康たちはそれを知らない。
そんなとき、東京で音信不通だった康の弟の徹(東野孝彦・英心)が帰ってくる。
康は京都で弁護士の仕事をするようになり、徹はこの田舎で毎夜毎夜女を連れ込み、放蕩を繰り返していた。
徹はこの家の財産をすべて売り払おうとするのだが。

実相寺昭雄監督の「無常」「曼陀羅」に続くATG三部作。
古い日本と新しく近代化していく日本の狭間で揺れ動く人々がテーマ。
まあ要するに「怪奇大作戦:京都買います」の世界である。
この頃の実相寺はよほどこういうテーマに関心があったらしい。
それも最後の森山家山林を売ろうとするのを反対する淳が「森山家の山林は日本のすべての山林が売り払われてバラバラになっても売ってはいかんのです」と反対する。
結局その前から徹に疎んじられている淳は「飯を食うな」という徹の無茶な命令も守って死んでいく。
淳は滅私奉公を具体化したような存在だが、前半で康が引き受けた事件の資料を今日中にリコピーしなければならないにも関わらず、「私は5時以降仕事をしません」とその仕事を拒否する。
(このあと慣れないコピー機を相手に岸田森や田村亮が格闘するのが時代を感じさせる)
そうなると淳が滅私奉公しているのは康ではなく、「森山家そのもの」これはひょっとしたら淳の中での「日本そのもの」と言っていいのかも知れない。

まあ端的に言えば「古い日本」と「新しい日本」の対立である。単純に言うとそういうドラマである。

撮影はモノクロ画面で影が多く、暗いシーンが多いから非常に陰湿な印象を受ける。もっとひどく言えば暗くてよく解らない画も多い。

出演は他に原保美が康の仕事の依頼人で登場。
桜井浩子は東野孝彦に乱暴されるシーンあり。



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カーズ2 3D字幕版


日時 2011年8月18日21:45〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン8
監督 ジョン・ラセター

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
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南太平洋に浮かぶ海底油田の採掘場。イギリスのスパイ・フィン・マックミサイルは仲間のスパイとの合流を計るが、相手は捕まってしまい、すでにスクラップにされていた。敵に見つかりながらも辛くも脱出に成功。
一方ライトニング・マックイーンは仲間のいるラジエータースプリングスに帰ってきた。旧友のメーターらと楽しい日々を過ごす予定だったが、イタリアのライバル車の挑戦を受け、「天然素材から作ったガソリンではない新燃料・アリノール」を燃料に使ったレースに参加することに。
第一戦の行われる日本で、レセプションの最中にメーターはフィン・マックミサイルに仲間と間違えられ、同行させられる羽目に。
レースではメーターの間違えたナビからマックイーンは負けてしまう。それがきっかけで喧嘩をしてしまうメーターとマックイーン。

数年前に見た「カーズ」が割と面白かったし、今回は日本が主要な舞台に選ばれているということで鑑賞。
でも前はポール・ニューマンが声を担当していたからだった。
しかも今回は3D。いや最近の3Dはいい加減なのが多いからどうかと思ったので2D字幕版を見たかったが、それは存在しないので(2Dは吹き替え版のみ。こちらも悪くはないみたいですが)仕方なく高い料金を払って3D字幕版(1日1回のみの上映)で鑑賞。

まず3Dに関してだが、3D感まるでなし。
3D自体は否定しないが、3D感のない3Dは勘弁して欲しい。

で面白かった点だけど、ベテランスパイ・マックミサイルの装備が楽しい。ロープを発射して上ったり、空中を駆けめぐったり、水中も走るその性能に感動。
「007」がロジャー・ムーアの時代に(「私を愛したスパイ」だったか)で水中を走るボンドカーに「やりすぎだろ」と白けたものだが、今回はアニメなので素直に楽しめる。
ジャガーがデザインのモデルになっているがアストンマーチンでもよかったか。でもそれだと「007」を意識しすぎてる感じがしてしまうからジャガーでいいのかも知れない。

そして舞台が日本になっている。
アメリカ人には日本のネオンがよほどインパクトがあるらしい。しかも歌舞伎町の靖国通り沿いの200mぐらいを参考にしているのらしい。
それとウオシュレット。あれも外国人には「日本のハイテク」を表すアイコンらしい。
確かに考えてみれば、トイレなんてただ流すだけの場所にあれだけの装備がするんだから、驚くかも知れないなあ。
そして究極はワサビ。
10年ぐらい前に日本を舞台にしたフランスアクション映画で「WASABI」ってのがあったけど、外国人にはあれは調味料ではなく、「練り状の食べ物」に見えるようだ。映画の内容とは関係ないけど、ラセターの日本の印象がよくわかります。
フランスも登場するけど、凱旋門のランダバウトのシーンぐらいだったしな。まだまだアメリカ人からしたら日本は不思議な国のようだ。

楽しいカーアクションが続いて、結局新燃料を推進していたマイルズ・アクセルロッドがレースを妨害していた黒幕だったという結末。理由は新油田が見つかったから信念料がかえって邪魔になったというわけ。
石油資本の「儲かりさえすれば何をやろうが勝手」という姿勢をこういった映画でするのが面白かった。



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赤い波止場


日時 2011年8月16日
場所 TSUTAYA宅配レンタル
監督 舛田利雄
製作 昭和33年(1958年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


神戸港。東京でのヤクザ抗争で一働きした通称レフトのジロー(石原裕次郎)この港町にほとぼりが冷めるまで潜んでいた。
折しも港でレストランの主人がクレーン事故で死んだ。神戸警察の刑事の野呂(大坂志郎)はジローのしっぽをつかもうと追い回していた。
そんな時、クレーン事故で死んだ男の妹・圭子(北原三枝)が東京から帰ってきて店を手伝いだし、それを見たジローは今まで付き合っていた女たちと違う魅力を感じ惹かれていく。
一方東京から奇妙な男土田がやってきた。どうもジローの命をねらっているらしい。ジローの弟分のチコ(岡田真澄)はその男の目的を確かめようとしたが、逆に殺されてしまう。
どうやらジローの兄貴分勝又(二谷英明)がジローを殺そうとしているらしい。
ジローはその土田を殺し、兄貴と対決するのだが。

石原裕次郎=舛田利雄の初期のコンビ作。
ジャン・ギャバンの「望郷」をモチーフにしているそうである。「望郷」見直さなくては。
この映画も学生時代に見ているが、南京街のシーンとか、始めの方で裕次郎と北原三枝がオープンカーで曲がりくねった坂道をドライブするシーンぐらいしか記憶にない。
どうにも裕次郎のアクション映画とはあわない。

愚痴になってしまうが、宍戸錠がコメディリリーフとしていないせいだろう。それに付随するギャンブルシーンの遊びもないし。

ひたすら北原三枝との真面目な恋愛ドラマになろうとする。
かたぎの娘に恋してしまったヤクザの話だ。
そしてそのヤクザには踊り子という水商売で生きてる世界も近い女(中原早苗)が登場する。
裕次郎は二谷英明を殺し、追われる身となる。
この女が献身的に裕次郎に愛を注ぎ、一緒に海外逃亡をしようとし、そのお膳立ての手伝えさえする。

ところが警察は裕次郎をおびき出すために圭子が襲われて入院したという嘘の記事を新聞に書かせ、おびき出す。
裕次郎は罠だと疑いつつも病院に行き、逮捕されるのだ。
なんかこう当たり前っぽくてどうも心が動かされないのだな。

そんな中で姫田真佐久のカメラがいい。
白黒らしい陰影のある映像でなかなかシャープだ。
それだけでなく、裕次郎が自分を裏切った神戸の叔父貴(二本柳寛)殺すとき、開いた裕次郎の足越しに相手をとらえたカットはなかなかかっこよかった。

出演は悪徳新聞記者に柳沢真一、裕次郎の面倒をみるバーのママに轟夕起子。



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ナバロンの嵐


日時 2011年8月16日
場所 DVD
監督 ガイ・ハミルトン
製作 1978年(昭和53年)

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ナバロンの要塞爆破作戦を成功させたマロリー少佐は今は後方任務だったが、ナバロンで敵のスパイだったニコライ(フランコ・ネロ)が今やユーゴで別名でスパイ活動をしていると情報が入り、顔を知っているマロリーにその
暗殺命令が下される。今は民間人となったミラー(エドワード・フォックス)も再び徴用され同行する事に。
ユーゴまではアメリカのバーンズビー中佐(ハリソン・フォード)の特殊部隊・第10部隊と同行することに。
第10部隊も特命を受けているようだが、その任務はマロリーたちには告げられなかった。
出発の情報が漏れることを警戒するバーンズビーの作戦により、脱走兵として飛行場の飛行機を奪って出発。その時MPに見つかってしまう。MPを交わしたバーンズビーたちだったが、ウイーバー軍曹(カール・ウィザース)が一行に混じってしまう。
ユーゴ上空で早速ドイツ軍の攻撃を受ける彼ら。まだ目標地点ではないが、仕方なくパラシュートで降下することに。

だいぶ書いたけど、ここまでで映画の30分にも達していない。ここまででも十分面白いがまだまだこれから。
ユーゴについたら仲間のパルチザンが助けてくれたと思ったら、実は彼らはドイツ軍の手先。しかしその中にもスパイがいて、マロリー一行を助けてくれて、と「敵の中に味方がいて、味方の中に敵がいる」をいく目が離せない展開。

バーンズビー中佐の目的は近くドイツ軍がユーゴに侵攻するときに通る橋の爆破。
爆破の天才、ミラー曹長の意見では頑丈な橋なので、爆破準備に8時間を要するという。
しかし川の上流にダムがあると聞きつけ、「ダムを爆破すれば橋は流される」とダムの爆破に変更。
ドイツ軍から火薬を奪うことに。そしてニコライはしっぽを出すのか?

文字通り5分に1回状況が変わっていき、ユーゴに到着してすぐは逆転逆転の展開に唖然としてしまうほどだ。
脚本(もちろんアリステア・マクリーンに負うところが多いだろうが)の面白さがたまらない。

ラスト、いよいよダム爆破、しかし崩れない。どうなる?という展開だけど、無事に橋が壊れて後もオチがつくというサービスぶり。

これほどサービス満点の映画もなかなかお目にかかれない。ちょっと不満があるとすれば、例の謎のウイーバー軍曹の設定にも一ひねり欲しかったところ。
あと007シリーズの通称ジョーズで有名になったリチャードキールの出演も楽しい。
さすがに監督が007を監督しただけのことはある。
面白かった!



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史上最大の作戦


日時 2011年8月16日
場所 DVD
監督 ケン・アナキン(イギリス側)
   アンドリュー・マートン(アメリカ側)
   ベルンハルト・ビッキー(ドイツ側)
製作 1962年(昭和37年)

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1944年6月、連合軍はドイツよりフランス奪還のための上陸作戦を準備中だった。
天候不順のため、作戦実行命令はなかなか降りない。
空挺部隊ヴェンダーボート中佐(ジョン・ウエイン)は予定されている降下地点は沼や村に近く失敗の可能性が高いとしつつも、これ以上の延期は望んでいない。
天候はやや回復の見込みの報告が来た。完全とは言えない。しかしこの機会を逃すと干満のタイミングなど考えると7月になってしまう。
そこまでは延ばせない。かくてD−DAYは今夜6月6日と決定された!

公開当時52大スター総出演とまで宣伝されたまさに「史上最大」の戦争大作。
テレビでしか見たことがなく、それも学生時代だから30年ぶりぐらいの鑑賞だ。
ロバート・ミッチャムが海岸で苦戦をし、ジョン・ウエインが足を怪我して荷車に乗っているシーンしか記憶がなかった。

今回見直してみて「こんな映画だったんだあ」と思った。
連合軍の一方的勝利(もちろん結果はそうだけど)のイメージがあったが、なかなか連合軍側も苦戦し、戦死者も多い。
特に空挺部隊が市街に降りてしまい、ドイツ軍にほぼ全滅させられてしまうシーンは悲しい。
その中でも教会の鐘の近くに降りてしまい、耳が一時的に聞こえなくなるエピソードはほっとする笑いのシーンだが。

ジョン・ウエインやロバート・ミッチャムのシーンは思ったより少なく、ヘンリー・フォンダに至ってはほとんど活躍がない。
それより主人公なのは無数の無名兵士たちだ。
各地での激戦の模様が次々と繰り広げられ、敵味方多くの兵士が死んでいく。
こちらは顔を覚えきれなかった兵士もいるのだが、冒頭に出てきた兵士があとになって出ていたり、きっと複数回みた方が楽しめるのだろう。
(これは「沖縄決戦」もそうだった。無数のエピソードの積み重ねという点では参考にされたのかも知れない)

クライマックスは最大の激戦地、オマハビーチ。
ついにドイツ軍の壁を撃破し、米軍は突入成功。
終始葉巻をくわえ悠然と指揮をしていたロバートミッチャムがとてつもなくかっこよく思えた。

時間があれは原作も読み、映画に出てきた場所の位置関係も把握しながら細見してみたい。
きっと今回見たのと違った面白さが発見出来るような気がする。
そんな何度でも楽しめそうな豪華な映画だと思う。



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戦場にかける橋


日時 2011年8月16日
場所 Blu-ray
監督 デヴィッド・リーン
製作 1957年(昭和32年)

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タイ・ビルマ国境付近の日本軍捕虜収容所。
イギリス・ニコルソン大佐(アレック・ギネス)率いる捕虜がやってきた。収容所長の斉藤大佐(早川雪州)は近くに鉄道の橋を建設する命令を受けており、その遂行のため、イギリス軍の捕虜の将校にも使役を命じる。
しかしジュネーブ条約で将校の使役は禁じられているとニコルソン大佐はこれを拒否。そのため独房営倉に監禁。しかしこの命令を拒否し続ける。
同じく捕虜のアメリカ海軍シアーズ中佐(ウイリアム・ホールデン)はこの収容所から脱走。現地の人々の助けを得ながら辛くも脱走に成功。今はコロンボの病院で退役を待つ身となった。
強硬なニコルソン大佐についに折れる斉藤大佐。なにより工事の遅れを気にする斉藤にとっては仕方のないことだった。
そしてニコルソンは「使役はしないが工事の監督なら」と工事に参加する。イギリス兵は規律は緩み、サボタージュばかりを繰り返す様子を見、「これではイギリス軍の名折れだ」と自分たちの名誉のために「立派な橋を作り上げる」と誓う。早速イギリス人技師と相談し、日本軍了承の上、橋の設営場所から工法まですべて主導権をもって行うようになる。「捕虜になっても秩序を失わず、素晴らしい仕事をやり遂げる」それこそが彼の生き方だった。
一方、橋の存在を知ったイギリス軍は特殊部隊にその破壊を命じる。現地を知るシアーズにも参加を養成。
実は自分の階級を偽っていた負い目もあり、引き受けるシアーズ。
ウォーデン少佐とシアーズの一行は果たして任務を果たすことが出来るのか?

映画の内容紹介だけで随分と字数を使ってしまった。
名作の誉れ高い「戦場にかける橋」だ。昔テレビで「世界名作映画名場面集」みたいな番組が時々あり、そこでもよく最後の橋の爆破シーンはよく紹介されていた。
でも見たのは大学生になってレンタルビデオが初めて。
そのときの記憶ではあまりいい印象がなかった。

今回久々に見直してみたが、ニコルソン大佐というキャラクターがその頃は理解できなかったのかも知れない。
彼の頭にあるのは「規則と秩序」である。
とにかく規則を守ることが最優先。
それも平時では正しいのだろうが、捕虜になった状況下ではそれよりも大事なことがあるのではないかと思えてくる。
実際、「我々は降伏命令を受けたのだから」と兵に脱走することを禁じる。
しかし生きることを第一に考えるシアーズは脱走。後で明らかになるが、彼は生きるためには身分査証さえしていたのだ。

そして橋は完成。
破壊工作のための爆弾が仕掛けてあることに気づいたのは日本兵ではく、ニコルソン大佐。
自分の信念に従えば橋の爆破は阻止せねばならない。
しかし軍の命令は爆破。

作るものイギリス軍なら壊すのもイギリス軍。
それもお互いに秩序と命令に従っての行動。
戦争って一体何のために行うのか。
主要人物はあらかた死に、橋も爆破。
一番冷静にものを見ていた軍医が一言「狂気だ」

破壊の矛盾を一手に表現した大作の名に恥じない大作。
こういう映画が昭和32年に出来ていたことに改めて驚く。
それにつきる。


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チェルノブイリ・ハート


日時 2011年8月15日14:10〜
場所 ヒューマントラストシネマ渋谷・シアター2
監督 マリアン・デレオ
製作 2003年(平成15年)

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アメリカのドキュメンタリー映画監督、マリアン・デレオは2002年にチェルノブイリ事故から16年のベラルーシに入った。そこでは多く子供たちが明らかに放射能の影響による障害や病気を抱えている現実があった。

福島原発事故以来、出版界やドキュメンタリー映画の世界ではちょっとした原発バブルである。
原発や原子力に関係する本や映画が続々と出版、公開されている。
(映画「原子力戦争」の田原総一郎の原作もさえも復刊された)
そのバブルがいけないと言っているのではない。
今ほど日本人が原子力に強い関心も持ってる時はないのではないか。
第五福竜丸の時は知らないけど、「スリーマイル島事故」「チェルノブイリ事故」の時は両方ともアメリカソ連という遠い場所の事故で、やっぱりどこか自分のことではなく、対岸の火事に感じていたと思う。(少なくとも僕はそうだった)

この映画はPG12だ。
観る前は「ドキュメンタリーなのにどうしてPG12なの?」と思った。しかし観て納得。
この国では放射能が原因と思われる障害児が多いというのだ。それも捨て子として施設にいれられている。親も障害児で生まれてきた子供を泣く泣く捨てざるを得なかったろう。
直る見込みのない、重度の障害児、おそらく生まれてきてから生きる喜びを味わうことなく死んでいくであろう障害児たちだ。捨てたからと言って親を単純に責める気にはなれない。

未熟児だけでなく、脳味噌が頭蓋骨に収まりきらずに後頭部に飛び出ている子供、体の一部が膨れ、そこに内蔵の一部が入っている子供、障害のためまともには歩けない子供。それでも「将来の夢は?」と聞かれると「医者になってみんなを助けたい」と答える。
トラウマだよ。はっきり言って画面から目を背けたくなった。
しかもこの国では健常な子供が産まれてくる確率の方が遙かに低いのだ!

チェルノブイリハートとは生まれつき心臓に欠陥があって手術をしなければ長く生きられない心臓のことだ。
手術はそれほど難しくないらしく、ゴアテックスの素材で心臓の心室や心房に空いた穴をふさげばなんとか直るらしい。
ゴアテックスは1枚300ドル程度だが、この国の医師の月給が100ドル以下なので、非常に高価なものだ。
順番待ちで死んでいく子供も少なくないと言う。
しかも病気になったり、障害児で生まれてくるのはチェルノブイリ事故の時には生まれてなかったような人々なのだ。

「福島原発の放射能でまだ死んだ人はいない」とのたまわった人がいる。「ただちに健康に影響はない」と言った人もこの国にはいる。
この映画で描かれていることは20年後の日本でないと誰が言い切れるだろう。

1時間の映画だが、ここまでで40分。(私は1時間たったと思ったよ)
後編としてチェルノブイリ原発から3kmのところの団地に住んでいて強制疎開した青年が(当時10歳)が20年後に生まれた家に帰るエピソードが入る。
この部分は2006年の撮影らしい。
自分の思い出を語ったあと、映像は終わる。
そして1行、「この青年は2007年に亡くなりました」
椅子から転げ落ちそうになった。

もう一度言おう。
「福島の事故ではまだ誰も死んでいない」って言った奴、この映画見なさい。
感想文(1000字以上)と領収書を送ってくれれば、もれなく入場料をお支払いいたします。



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原発切抜帖


日時 2011年8月15日12:10〜
場所 オーディトーリウム渋谷
監督 土本典昭
製作 昭和57年(1982年)

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土本典昭監督は新聞に載った、原爆、水爆、原発など
およそ原子力に関係する新聞記事を切り抜いていった。
それを永年に渡ってスクラップしていく。
それらを眺めていくとき、何か見えてくるような気がする。

1982年に作られた土本監督のドキュメンタリー映画。
ナレーションは小沢昭一が担当。
実に驚くべき映画だと思う。
言ってみればただ新聞の切り抜き記事を写しているだけである。
それでも(小沢昭一のナレーションに負うところが多いとはいえ)見せてしまうのである。
そこには衝撃の映像も、激怒してカメラマンに飛びかかる被写体もない。
でも画面から目が離せなくなるのだなあ。

映画は廣島の爆弾投下の記事から始まる。
ほんの小さなベタ記事で、「焼夷弾爆弾投下」とだけ書かれている。
ところがどうだろう。10日後の8月16日の「終戦の詔書」を伝える一面の記事の次のページに「原子爆弾」についての説明がある。
何のことはない、全部解っていたのだ。

そしてビキニでの水爆実験、第五福竜丸の事故の話題。
次にくるのは原子力の平和利用だ。
まさしく夢のエネルギーとして紹介される。
原子力により電気代は2000分の1になる、石炭の数百倍のエネルギーなど明るい話題ばかりが並んでいる。

やがてスリーマイル島事故。
米政府は当初、「事故は大したことはない」と発表した。
ん?未来のどこかの国の事故に似ているぞ?。
そして敦賀原発の事故隠し。
原発の下請け作業員は苛酷な作業を行わされて、正社員は危険性の少ない仕事をしているという事実。
危ない仕事はみんな下請け。

映画の制作は1982年。
この4年後にチェルノブイリ事故が起きる。
土本監督はチェルノブイリ事故をどのように見ていただろうか?

それにしてもこの映画はすごい。
新聞記事だけでこれだけの迫力のある映画を作ることが出きる。
新聞というものは日々の記事の積み重ね。
「今」だけが積み重ねられる。
それは小石を見るようなものだ。
しかしこの小石を集めると、それは小石を見つめるだけでは解らなかったものが見えてくる。
木を見て森を見ぬことを日々の雑事に追われる我々はしている。
その怖さというものが、この映画を見ると感じられる。
当時は当たり前で何とも思わなかったことが時間を経て何か別のものに見えてくる。

映画というのはアイデア次第でどうにでもなる見本のようなものだ。
原子力でなくても、「映画」というものの無限の可能性さえ感じてしまった。



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はだしのゲンが見たヒロシマ


日時 2011年8月15日10:30〜
場所 オーディトーリアム渋谷
監督 石川優子

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漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治が漫画を書くに至った動機や自らの原爆体験を語るドキュメンタリー映画。

いい映画である。
でもその良さは映画としての面白さではなく、中沢啓治氏の話の面白さだろう。
面白いと言っても笑ったり、ドキドキわくわくしたりするような面白さではもちろん、ない。
中沢さんがインタビューに答えていく映像が中心だから、モンタージュやナレーションなど映画製作者の独自の視点はほとんどと言っていい程なく、ひたすらに中沢さんのお話を忠実に記録しておこうという姿勢である。

中沢氏が原爆漫画を画くに至った動機、それは母の火葬
だったという。骨がほとんどない状態であり、「原爆というのもは人間の骨まで食い尽くすのか」という怒りがこみ上げてきた。
すでに漫画家としてなんとかやっていた中沢氏は「黒い雨にうたれて」という、戦争の復讐にアメリカ人ばかり殺す殺し屋の話だったそうだ。
一部が映画で紹介されたが、主人公の顔が「ゴルゴ13」によく似ている。「はだしのゲン」の元とはちょっと違う。

それが大手には相手にされずにエロ本の出版社から発売になったそうだ。
昔のピンク映画といい、なにか当時のエロには政治的な主張がかいま見られる気がするのは気の回しすぎか。
でも出版社の社長と二人で「俺たちCIAに逮捕されるかも?」という思いだったそうで、それだけの覚悟があったのだという。

それがきっかけで「少年ジャンプ」に読みきりの原爆漫画を描く。中沢氏が「『いいたま一本!』とか」と言ってたけど、私が読んだのはこの頃の読みきり漫画だったようだ。

それらの漫画では話の途中で原爆投下がある。
そうするとその次のページで1ページまるまる大きな絵で「水をください」といいながら皮膚がたたれた人々が歩いている絵だった。
これが怖かった!
子供心に怖くて怖くて仕方なかった。しかしなぜか食い入るように見つめてしまうのだ。
これはもうトラウマである。
良くも悪くも私の心象風景に深く刻み込まれた。
(また原爆のシーンでなくても中沢氏の絵はどこかえぐいのだ!)

実際「はだしのゲン」の連載中にも「怖い絵のおかげで子供が夜トイレにいけなくなった」という苦情の手紙が来たそうだ。いつの時代もバカな親はいるもんである。

あの皮膚がただれた人の絵を見て、「あれは漫画的誇張ではなかろうか?」と実はずっと思っていた。
その疑問が今回の映画でわかった。
本当だったのだ。

中沢氏の8月6日体験が語られる。
その瞬間、ちょうど小学校についたときで、学校の塀を背にして近所のおばさんと話していた時に「その瞬間」はきたという。
壁の向こうで爆発したから、壁が遮蔽物になって直撃を免れたそうだ。
「よくピカドンっていうけど『ピカ』だけだよ。『ドン』は聞ける状態ではない」という話が印象的。

壁が崩れたが、目の前の木が40cmほどを残して上からなくなったので、壁を支えてくれてその隙間にいたために中沢氏は助かったという。
1kmほどの家までの道で見た体中にガラスの破片が刺さった人々、皮膚が焼けただれた人々、話を聞いているだけでも顔を背けたくなる。

弟は玄関に頭だけを挟まれ、姉と父親は家の中で即死。
母は弟をなんとか助けようとしたが、結局見捨てざるを得なかったという。しかしそれを誰が攻められよう。
聞いているだけで心が重くなる。

中沢氏は今は目を悪くし、もう漫画は細かい漫画は書けないという。
でも大きな絵は描けるからとまだ絵を描くことは辞めていない。
氏の今後の活躍を応援するとともに、「原爆もの」以外の氏の漫画を読みたくなった。
何か新しい発見があるのかも知れない。

しばらくしてから思ったが、中沢氏は「昭和天皇」「靖国神社」「原子力の平和利用」などについてどう思っていたのだろう?
その辺を聞いてもらえるとありがたかった。



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迷走地図


日時 2011年8月14日17:35〜
場所 新文芸座
監督 野村芳太郎
製作 昭和58年(1983年)

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政権与党、改憲党は近々の総裁選では現総理の桂(芦田伸介)から現通産大臣の寺西(勝新太郎)に総理の座が禅譲されるという噂が飛び交っていた。しかし寺西に言わせると噂ではなく約束だという。
前総理の入江が2年前の総裁選の時に「桂に2年だけやらせてくれ。君は必ずその後に」と約束したというのだ。
寺西が東南アジア歴訪の途中で、入江が急死する。
総裁選は寺西対桂の一騎打ちとなってきた。
党の実力者の板倉(伊丹十三)や若手小派閥のリーダー川村(津川雅彦)はどう動く!


この映画は83年の封切りの時に観て以来の再見。
観た当時の印象としてはその数年前に作られた「華麗なる一族」「金環食」に比べると軽い感じだな、と一段低く観ていたと思う。
しかし今回見直してみるとどうしてどうして、この映画も捨てがたい。
(というか最近の映画が軽すぎるのだ)

前半、政治家(秘書も含む)の日常が描写される。
事務所には色んな人々が陳情にやってくる。
農作物の冷害に対する補償とか、政治家の家にやってきての面会(それも朝7時とかからやってくるのだ)、そして選挙区の後援会との記念写真(寺西が「旦那さん元気?」と聞くシーンがあるが、政治家という人は実に選挙区の人のそういうことは記憶しているらしい。私みたいに顔の覚えが悪い人には無理だね)、果ては学生の就職の斡旋から駐車違反のもみ消しまで様々な雑務が待っている。
第一秘書の外浦(渡瀬恒彦)は金集めで忙しく、その後輩で今は政治家のゴーストライターやスピーチ原稿書きを生業としている土井(寺尾聡)などの人々がいる。
またタレント出身の議員(朝丘雪路)のわがままぶりがコミカルに描かれる。

そんな中でクラブのママ(松坂慶子)を運び人にお願いしたリベートがひったくりに会う。
数日後、それは落とし物として警察に届けられ、2千万円の大金が落とし物として拾われたが持ち主が現れないという「事件」になる。(これは実際に1億円を拾ったタクシー運転手の話が元ネタだろう)

川村はクラブのママに夢中だが、そのパトロンは実は寺西との関係も深い和久(内田朝雄)だった。
そしていよいよ総裁選。
入江が死んだことにより、桂は約束のことは忘れ、政権維持を主張する。

そんな中外浦は突然秘書をやめる。
銀行の貸し金庫の鍵を土井に預け、元の会社の赴任先のテヘランで変死をとげる。
その貸し金庫には寺西の妻(岩下志麻)と外浦の2年にわたる不倫関係の証拠のラブレターがあった。
政治家の妻と秘書の不倫なんて、ずいぶんと狭い世界での話だなと思うけど、案外政治家なんて狭い世界で生きているから出会う相手も限られてくるのかも知れない。
だからこういうスキャンダルもあり得るのかも知れないと今は思う。

そのラブレターの存在に感ずく外浦の妻(いしだあゆみ)。
板倉もごちゃごちゃ動きだし、まさに「一寸先は闇」の政界が繰り広げられる。

オールスターの演技合戦はほんとに見飽きない。
伊丹十三の田中角栄の物まね演技はただ笑ってしまうしかないが、自分の下半身が起こした不祥事(ホテルで松坂慶子といる写真を写真週刊誌に撮られるのだ)のために、板倉の手中にはまり、寺西を裏切る。

そしてラブレターは板倉の手に渡り(そのために土井は過激派の内ゲバに見せかけて惨殺される)、寺西は総裁選辞退を迫られる。
そのラブレターを手にした勝新太郎と岩下志麻も対決はすごい。勝はもちろん迫力満点だが、岩下志麻も負けていない(さすが極妻!)。

記者会見で「政権の安定こそが国民の為だ」と言い切る寺西はほんとにむなしい。
また大臣のいすを約束されていながら、だまされた川村は最後までピエロだ。
(また秘書をしていた加藤武が川村の元を去ってから新たな勤め先は例のわがままタレント議員というオチもつく)

野村芳太郎がサービス満点で作ったオールスターの政界喜劇。
端から見たらコントみたいなことを繰り返す政治は、30年たった今も変わっていない。
それには改めて怒りさえ覚える。

出演は他には京都の金貸しに宇野重吉、政治記者に三谷昇、法務大臣に大滝秀治、松坂慶子の店のホステスに早乙女愛、寺西の秘書に梅野泰晴などなど。
このころはまだまだ迫力のある役者がそろっていたと実感。



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嵐の勇者たち


日時 2011年8月4日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 舛田利雄
製作 昭和44年(1969年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


暗黒組織のボス・生駒(柳永二郎)は若く美しいデザイナー・亜紀子(浜美枝)と婚約を発表する。その披露パーティの席で、亜紀子の首に付けた1億円のダイヤを盗み出そうとしたのは元刑事でかつて生駒に買収されたとして首になった島津(石原裕次郎)たちだった。
彼は仲間の神埼(二谷英明)浜野(浜田光夫)川辺(川地民夫)らとパーティ会場を一瞬暗闇にしてそのすきに亜紀子の宝石を奪ったのだが、明るくなると亜紀子自身も会場から消えていた。
かつて生駒に組をつぶされた唐沢(渡哲也)英(郷英治)太郎(藤竜也)浩(和田浩治)たちが亜紀子を誘拐したのだ。彼らは亜紀子の所有する油壺のヨットハウスに逃げ込む。
無人と思われたそのヨットハウスだったが、そこには亜紀子の店のスタッフの女の子たち(吉永小百合、梶芽衣子、山本陽子)がいた。
彼女たちはしばらくは無人だと聞いていたそのヨットハウスで自分たちの服をデザインする場所として無断借用していたのだった。
島津は何食わぬ顔で生駒に亜紀子を探し出すから5千万円を報酬として要求していた。
一方貧乏私立探偵の大門(宍戸錠)もこの事件を嗅ぎつけ、ひと儲けしようとたくらむ。
唐沢は翌日、氷川丸に5千万円持ってくるように要求。
はたしてどうなる?


この映画の公開は昭和44年12月。つまり正月映画だが、翌年の45年にはロマンポルノ路線が始まるから一般映画としては最後の正月映画ということになる。
そのためだと思うが、とにかくオールスターキャストである。やたらスターが登場して人物整理が出来ておらず、本来小さい話だから無駄にスターが出てきたり、スターの見せ場を作るために話が冗漫になっている印象は否めない。

二谷英明なんてほとんど登場しない。裕次郎は単身渡哲也たちのグループに攻め込んでいくから、川地民夫たちとただ部屋で待っているだけで、意味がない。
和田浩二はやっぱりダイヤモンドラインを支えたランクのせいか、死ぬときに「俺はみんなのような仲間と出会えて幸せだった」とクサイせりふを言って死んでいく。
見ているこっちはちょっと照れる。

脚本の方ももうひとひねりあってもよかったと思う。
吉永小百合、梶芽衣子、山本陽子の3人娘は巻き込まれ型被害者のようでいて、吉永は渡哲也とちょっといい仲になってしまうし、生駒が用意した身代金を自分たちが横盗り
しようと鞄をすり替えたりする。
かわいい顔して吉永小百合がいちばんうまくうまくやっている。
でも吉永が演じているためなのか、あまり悪女として描かれない。
吉永小百合の悪女なんて見てみたい気がするが、ラストでは得た金で3人娘はパリに留学にいくが、それをみんなで見送るノー天気、というか周りの悪党どもはみんな許しちゃう不思議な展開である。
普通、金を持ち逃げされようとしたら怒るだろう。

そんな感じでオールスター映画故の混乱もあるのだが、その中でよかったのは内田良平だ。
生駒の忠実な部下としてやってきたが、浜美枝に「あなたの両親を殺したのは生駒なのよ」と吹き込まれ、生駒への忠誠心が失せるという魅力的な役だ。
ただし、浜美枝の話も本当かわからない。
ここは浜美枝も嘘を言っているかも?として内田良平が混乱するというもう一ひねりがあっていいと思う。

日活アクション時代の最後のオールスター正月映画として記憶されるべき点はある映画だと思うけど、作品としてはそれ故の混乱に見まわれた気がしてならない。 



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太陽への脱出


日時 2011年8月7日
場所 TSUTAYA宅配レンタル
監督 舛田利雄
製作 昭和38年(1963年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


東南アジアの動乱地に日本製の武器が輸出されてるのではという疑いをもった新聞記者・佐伯(二谷英明)はバンコクへ取材に向かう。日本の自衛隊向け武器メーカーから商社に転職し、バンコクで消息を絶った速見と杉浦という男たちを探し出すのがとりあえずの目的だ。       
バンコクで劉という表向きはバーの経営者、裏では武器の販売を行っている男(石原裕次郎)と知り合う。
劉は豪華な自宅にメイドのアイリーン(岩崎加根子)と二人暮らし。アイリーンは戦時中に脱走しそのままタイに居残った作次(殿山泰司)が戦災孤児引き取って育てた子で、作次は売春婦の元締めをやっている。
佐伯はやがて劉が速見だと気づき、速見を帰国させ日本の武器輸出を新聞で告発させようとする。
速見は「日本に戻ったら殺される」と思い、一生バンコクで暮らすつもりでいたが、杉浦は望郷の念にかられていた。杉浦は日本に帰ろうとするが殺される。
速見は杉浦のために日本に帰ろうと決意する。

日本の武器輸出という社会派的テーマを絡めたアクションドラマ。1時間50分の映画だが、佐伯が日本を出発するまでの数分の後は、1時間30分までバンコクが舞台となる。つまり映画の4分の3はバンコクなのだ。
もちろん日活のセットで撮っている室内シーンも多いが、かなり大規模なロケーションも行われている豪華な映画だ。
でもねえ、面白いかというとそうではない。
はっきり言うけど、話の展開はないし面白くもなんともない。
日本に帰ることを決意し、速見を消そうとする殺し屋たちと銃撃戦を繰り広げながら飛行機がだめなら船と脱出の旅をしてもよさそうなのだが、愛した女のアイリーンがどうしたこうしたと話がまったく前に進まない。

作治の通報により、空港は警官に固められているのだが、アイリーンが警部を拳銃で脅し、警官を去れセルという面白くもなんともない方法で脱出に成功する。
そして日本に帰ってから佐伯は新聞社に連れていくが上司のデスク(宇野重吉)に記事が没になることを告げられる。
宇野重吉は冒頭の佐伯のバンコク行きを許可するシーンとこのシーンしか登場しないが、没になることを話す苦渋のシーンは後の「日本列島」につながる堂々たる演技を見せる。

そして裕次郎はもとの会社の武器メーカーのトップと話をしようとするが、口をふさぎたい武器メーカーは裕次郎を刺す。
そこまではいい、そして裕次郎は「工場を爆破してやる」と工場に乗り込む。
ここまで映画をひっぱんたんだし、裕次郎主演だし、タイトルは「太陽への脱出」だし、工場爆破に成功するという(現実的にはないきがするが)展開を期待した。

でも結局裕次郎は工場爆破を出来ずに死んでいくのである。がっかりだよ!
そりゃ悪が勝のが現実かも知れないけど、裕次郎の映画ならここは爆破するというカタルシスが欲しかったよなあ。

長期バンコクロケまでして頑張った映画だと思うけど、納得出来ない展開、ラストだった。



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零戦黒雲一家


日時 2011年8月6日
場所 TSUTAYA宅配レンタル
監督 舛田利雄
製作 昭和37年(1962年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


山本五十六連合艦隊司令長官死後数ヶ月の南の島。
海軍航空隊がいるにはいたが、各部隊の懲罰兵の集まりだった。そこへ新任の隊長谷村(石原裕次郎)が着任する。
やる気満々の谷村だが、部下たちはいっこうにいうことを聞かない。この島は八雲飛行兵曹長(二谷英明)が仕切っていた。
ある日、敵襲に見回れたこの島だったが、谷村の活躍を見て徐々に谷村を見直す兵たち。
一体になった頃、島は空襲に襲われ、20名以上が戦死する。

石原裕次郎主演の日活には珍しい航空戦争映画。
いや「日活アクション」の時代になってからは戦争映画自体が珍しい。この頃東宝では「太平洋の翼」が作られている。
割といい評判を聞いていたが、正直ちょっと期待はずれだった。

でもまず書いておきたいのはこの映画では実機を飛ばしているという点だ。
もちろん空中戦で爆発する飛行機などは特撮だが、滑走路に降り立つ飛行機、兵士の頭上を低空で飛ぶ飛行機などは実機なのだ。
これがやっぱり迫力あるのだなあ。
特撮を使ってしまうとどうしてもカットを割ってしまうので、人物の頭上に飛行機が飛んでいくカットなど出来ない。
ところが本作ではやっているので、その迫力には、魅せられる。もちろん本物のゼロ戦を飛ばしたわけではないから、何らかの飛行機を改造したものだろう。
となると「トラ・トラ・トラ!」より早かったわけだ。
(だから飛行機操縦席が一人用ではなく、二人用のスペースがある。そしてプロペラの2枚。たしかゼロ戦は3枚だったよなあ)

で、よくない点だが、基本的に荒くれ者の基地に新任の隊長がやってくる、というのがもう戦争アクションのお決まりのパターン。東宝で言えば裕次郎の役を三橋達也か加山雄三が演じる役どころ。二谷英明は佐藤允か。
草薙幸二郎や内田良平あたりは東宝で言えば堺左千夫とか山本廉とか。
そして流れ着く慰問団の歌手の渡辺美佐子。これがご丁寧に二谷英明に昔惚れていて、偶然にもこの島に流れ着くという設定。いくら何でも無理ありすぎないか。                            
まあそれはいい。許そう。
でも最大の不満は肝心の戦闘シーンをすっ飛ばしてしまったのだ。
途中の大空襲に反撃するべく、石原、二谷、浜田、草薙のパイロットが飛び立つ。石原はその前に米軍と空中戦をやった時に生け捕りにした飛行機に日の丸をつけたというハンディを背負っている。そして草薙の飛行機は使える部品で組み立てたという調子の悪いゼロ戦。
このあたりのハンディを含みつつ、それでも果敢に戦ったとなると面白そうな戦闘シーンが出来そうだが、これが敵陣に向かっていったあたりで、カットが変わって基地へ「敵9機撃墜。味方1機墜落」と報告電報を打つカットになっている。
それはないだろう。草薙がなんとか果敢に戦っているところとか、石原がなれない飛行機で四苦八苦しながら戦う様は見たかった!

そしていよいよ俺たちは隊長とともに玉砕だ!と覚悟を決めたところで、芦田伸介館長の潜水艦が助けにやってくる。唐突!がっくり!

「あと15分で敵機来襲」となって必死に潜水艦まで兵士たちが船をこぐシーンは「間に合うか?」というサスペンスがあってよかったのですが、それにしても唐突です。
てっきり玉砕の展開だと思っていましたから。

そして裕次郎と二谷は残ったゼロ戦で敵に突っ込んでいく、というところで「終」。
また戦闘シーンは避けられちゃったよ。

実機を使ったあたりまではよかったけど、それにしても肝心の戦闘シーンは逃げてしまった、やはり日活では空戦映画は無理だったかの1本。



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グラン・プリ


日時 2011年8月6日
場所 Blu-ray
監督 ジョン・フランケンハイマー
製作 1967年(昭和42年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


イギリスのF1チーム、BRMのレーサーのピート・アロン(ジェームズ・ガーナー)は今年の初戦、モナコグランプリで事故を起こし、チームメイトのイギリス人・スコット(ブライアン・ベドフォード)に重傷を負わせてしまう。レースの優勝はフェラーリのフランス人レーサー・サルティ(イヴ・モンタン)だった。同じフェラーリの若きイタリア人ニノ(アントニオ・サバト)も最近力をつけている。
今回の事故が原因でピートはチームを去り、テレビリポーターに。しかし日本チームの社長・矢村(三船敏郎)がピートを自分のチームに引き入れた。
サルティは自分の妻は仕事ばかりでその夫婦生活は暗礁に乗り上げており、そんな時に知り合ったアメリカ人のルイーズ(エヴァ・M・セイント)と愛し合うようになる。
ピートは矢村チームでの初戦で優勝。一方再起不能と思われたスコットも不屈の闘志でレースに復帰。好成績を納めていた。
いよいよ今年の最終レース、イタリアグランプリ。
優勝候補はピート、サルティ、ニノ、スコットの4人。
今年の勝利は果たして誰に?

ジョン・フランケンハイマーが監督した史上最大規模のカーレース映画。
圧倒的な迫力で観るものを魅了させる。
この映画の初見は高校生の時のテレビの深夜放送。
テレビのブラウン管でもその圧倒的迫力は十分伝わってきた。
その後、レンタルビデオで鑑賞して以来、久々の鑑賞。
今回のBlu-rayは実に美しく、ほぼ30年ぶりの再会を十分に満足させるものだった。

なんと言っても迫力なのはレースシーン。
冒頭のモナコグランプリシーンはただ圧倒。
いやそれ以前のタイトルクレジットでソウル・バスが作りだしたマルチスクリーンの映像は、それだけで観客をレースの世界に引きづりこむ。
交換されるプラグ、スパナで締められるナット、取り付けられるタイヤ、これらのパーツのアップのマルチスクリーンの積み重ねが効果を生む。

そして続くレースシーン。
レースカーに取り付けられたカメラがとらえるドライバーの表情。ジェームズ・ガーナーやイヴ・モンタンの表情が見て取れる。
牽引されたレースカーに乗っているのかと思いきや、どう観ても彼らが操縦しているように思える。
メイキングを観て驚いた。なんと彼らがカメラ付きの車を操縦しているのだ。さすがにF1カーではなく、F3の車で外装をレースと同じ車にしたものだったらしいが。
ヘリコプターからの空撮、望遠レンズ、車載カメラ、同じくレースコースを走る車からの映像が早い展開、マルチスクリーンを多用し、観たこともない効果を生んでいく。

また同じレースシーンでも第2のレースは効果音がなく、ワルツのような音楽に乗って展開され、同じようなレースばかりになるのを見事に避けている。

ドラマの方は至ってシンプル。
レーサーと彼らを取り巻く女性たちとの恋愛模様が展開される。
このシンプルさが返ってよかったと思う。
オーナーとの確執とか、裏の汚いやりとりとかを描いていたら、そちらの方に気が取られてしまう。
登場するレーサーは冒頭で事故を起こし、再起をドライばーのアロン、レースに疲れを感じ始めたベテランドライバーのサルティ、やんちゃ坊主の若きシチリア人ドライバーのニノ、そしてあの重傷事故から執念の復活をとげたピートなど、ドラマの基本形のような人物構成だ。

ラスト、サルティの事故を目の当たりにしたルイーズが報道陣に向かって「この血が見たいんでしょ?」と怒鳴るあたりはレースと観客のねじれた関係を現して印象的なカットになった。

日本人としてホンダをモデルにしたと思われるチームのオーナーとして三船敏郎登場。
67年の頃に日本の自動車がすでに国際的活躍をしていたことを改めて実感。そしてうれしく思う。
フェラーリのオーナー役で「007サンダーボール作戦」のアルフォルド・チェリが出演。

兎に角圧倒的迫力の映画。一度音響設備のいい映画館で体験したいものだ。

カーレース映画史上、最大の名作。
映画史上、もっとも興奮させる映画の一つと言っても過言ではない。



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