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チェルノブイリ・ハート日時 2011年8月15日14:10〜 場所 ヒューマントラストシネマ渋谷・シアター2 監督 マリアン・デレオ 製作 2003年(平成15年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) (公式HPへ) アメリカのドキュメンタリー映画監督、マリアン・デレオは2002年にチェルノブイリ事故から16年のベラルーシに入った。そこでは多く子供たちが明らかに放射能の影響による障害や病気を抱えている現実があった。 福島原発事故以来、出版界やドキュメンタリー映画の世界ではちょっとした原発バブルである。 原発や原子力に関係する本や映画が続々と出版、公開されている。 (映画「原子力戦争」の田原総一郎の原作もさえも復刊された) そのバブルがいけないと言っているのではない。 今ほど日本人が原子力に強い関心も持ってる時はないのではないか。 第五福竜丸の時は知らないけど、「スリーマイル島事故」「チェルノブイリ事故」の時は両方ともアメリカソ連という遠い場所の事故で、やっぱりどこか自分のことではなく、対岸の火事に感じていたと思う。(少なくとも僕はそうだった) この映画はPG12だ。 観る前は「ドキュメンタリーなのにどうしてPG12なの?」と思った。しかし観て納得。 この国では放射能が原因と思われる障害児が多いというのだ。それも捨て子として施設にいれられている。親も障害児で生まれてきた子供を泣く泣く捨てざるを得なかったろう。 直る見込みのない、重度の障害児、おそらく生まれてきてから生きる喜びを味わうことなく死んでいくであろう障害児たちだ。捨てたからと言って親を単純に責める気にはなれない。 未熟児だけでなく、脳味噌が頭蓋骨に収まりきらずに後頭部に飛び出ている子供、体の一部が膨れ、そこに内蔵の一部が入っている子供、障害のためまともには歩けない子供。それでも「将来の夢は?」と聞かれると「医者になってみんなを助けたい」と答える。 トラウマだよ。はっきり言って画面から目を背けたくなった。 しかもこの国では健常な子供が産まれてくる確率の方が遙かに低いのだ! チェルノブイリハートとは生まれつき心臓に欠陥があって手術をしなければ長く生きられない心臓のことだ。 手術はそれほど難しくないらしく、ゴアテックスの素材で心臓の心室や心房に空いた穴をふさげばなんとか直るらしい。 ゴアテックスは1枚300ドル程度だが、この国の医師の月給が100ドル以下なので、非常に高価なものだ。 順番待ちで死んでいく子供も少なくないと言う。 しかも病気になったり、障害児で生まれてくるのはチェルノブイリ事故の時には生まれてなかったような人々なのだ。 「福島原発の放射能でまだ死んだ人はいない」とのたまわった人がいる。「ただちに健康に影響はない」と言った人もこの国にはいる。 この映画で描かれていることは20年後の日本でないと誰が言い切れるだろう。 1時間の映画だが、ここまでで40分。(私は1時間たったと思ったよ) 後編としてチェルノブイリ原発から3kmのところの団地に住んでいて強制疎開した青年が(当時10歳)が20年後に生まれた家に帰るエピソードが入る。 この部分は2006年の撮影らしい。 自分の思い出を語ったあと、映像は終わる。 そして1行、「この青年は2007年に亡くなりました」 椅子から転げ落ちそうになった。 もう一度言おう。 「福島の事故ではまだ誰も死んでいない」って言った奴、この映画見なさい。 感想文(1000字以上)と領収書を送ってくれれば、もれなく入場料をお支払いいたします。 (このページのトップへ) 原発切抜帖日時 2011年8月15日12:10〜 場所 オーディトーリウム渋谷 監督 土本典昭 製作 昭和57年(1982年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 土本典昭監督は新聞に載った、原爆、水爆、原発など およそ原子力に関係する新聞記事を切り抜いていった。 それを永年に渡ってスクラップしていく。 それらを眺めていくとき、何か見えてくるような気がする。 1982年に作られた土本監督のドキュメンタリー映画。 ナレーションは小沢昭一が担当。 実に驚くべき映画だと思う。 言ってみればただ新聞の切り抜き記事を写しているだけである。 それでも(小沢昭一のナレーションに負うところが多いとはいえ)見せてしまうのである。 そこには衝撃の映像も、激怒してカメラマンに飛びかかる被写体もない。 でも画面から目が離せなくなるのだなあ。 映画は廣島の爆弾投下の記事から始まる。 ほんの小さなベタ記事で、「焼夷弾爆弾投下」とだけ書かれている。 ところがどうだろう。10日後の8月16日の「終戦の詔書」を伝える一面の記事の次のページに「原子爆弾」についての説明がある。 何のことはない、全部解っていたのだ。 そしてビキニでの水爆実験、第五福竜丸の事故の話題。 次にくるのは原子力の平和利用だ。 まさしく夢のエネルギーとして紹介される。 原子力により電気代は2000分の1になる、石炭の数百倍のエネルギーなど明るい話題ばかりが並んでいる。 やがてスリーマイル島事故。 米政府は当初、「事故は大したことはない」と発表した。 ん?未来のどこかの国の事故に似ているぞ?。 そして敦賀原発の事故隠し。 原発の下請け作業員は苛酷な作業を行わされて、正社員は危険性の少ない仕事をしているという事実。 危ない仕事はみんな下請け。 映画の制作は1982年。 この4年後にチェルノブイリ事故が起きる。 土本監督はチェルノブイリ事故をどのように見ていただろうか? それにしてもこの映画はすごい。 新聞記事だけでこれだけの迫力のある映画を作ることが出きる。 新聞というものは日々の記事の積み重ね。 「今」だけが積み重ねられる。 それは小石を見るようなものだ。 しかしこの小石を集めると、それは小石を見つめるだけでは解らなかったものが見えてくる。 木を見て森を見ぬことを日々の雑事に追われる我々はしている。 その怖さというものが、この映画を見ると感じられる。 当時は当たり前で何とも思わなかったことが時間を経て何か別のものに見えてくる。 映画というのはアイデア次第でどうにでもなる見本のようなものだ。 原子力でなくても、「映画」というものの無限の可能性さえ感じてしまった。 (このページのトップへ) はだしのゲンが見たヒロシマ日時 2011年8月15日10:30〜 場所 オーディトーリアム渋谷 監督 石川優子 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治が漫画を書くに至った動機や自らの原爆体験を語るドキュメンタリー映画。 いい映画である。 でもその良さは映画としての面白さではなく、中沢啓治氏の話の面白さだろう。 面白いと言っても笑ったり、ドキドキわくわくしたりするような面白さではもちろん、ない。 中沢さんがインタビューに答えていく映像が中心だから、モンタージュやナレーションなど映画製作者の独自の視点はほとんどと言っていい程なく、ひたすらに中沢さんのお話を忠実に記録しておこうという姿勢である。 中沢氏が原爆漫画を画くに至った動機、それは母の火葬 だったという。骨がほとんどない状態であり、「原爆というのもは人間の骨まで食い尽くすのか」という怒りがこみ上げてきた。 すでに漫画家としてなんとかやっていた中沢氏は「黒い雨にうたれて」という、戦争の復讐にアメリカ人ばかり殺す殺し屋の話だったそうだ。 一部が映画で紹介されたが、主人公の顔が「ゴルゴ13」によく似ている。「はだしのゲン」の元とはちょっと違う。 それが大手には相手にされずにエロ本の出版社から発売になったそうだ。 昔のピンク映画といい、なにか当時のエロには政治的な主張がかいま見られる気がするのは気の回しすぎか。 でも出版社の社長と二人で「俺たちCIAに逮捕されるかも?」という思いだったそうで、それだけの覚悟があったのだという。 それがきっかけで「少年ジャンプ」に読みきりの原爆漫画を描く。中沢氏が「『いいたま一本!』とか」と言ってたけど、私が読んだのはこの頃の読みきり漫画だったようだ。 それらの漫画では話の途中で原爆投下がある。 そうするとその次のページで1ページまるまる大きな絵で「水をください」といいながら皮膚がたたれた人々が歩いている絵だった。 これが怖かった! 子供心に怖くて怖くて仕方なかった。しかしなぜか食い入るように見つめてしまうのだ。 これはもうトラウマである。 良くも悪くも私の心象風景に深く刻み込まれた。 (また原爆のシーンでなくても中沢氏の絵はどこかえぐいのだ!) 実際「はだしのゲン」の連載中にも「怖い絵のおかげで子供が夜トイレにいけなくなった」という苦情の手紙が来たそうだ。いつの時代もバカな親はいるもんである。 あの皮膚がただれた人の絵を見て、「あれは漫画的誇張ではなかろうか?」と実はずっと思っていた。 その疑問が今回の映画でわかった。 本当だったのだ。 中沢氏の8月6日体験が語られる。 その瞬間、ちょうど小学校についたときで、学校の塀を背にして近所のおばさんと話していた時に「その瞬間」はきたという。 壁の向こうで爆発したから、壁が遮蔽物になって直撃を免れたそうだ。 「よくピカドンっていうけど『ピカ』だけだよ。『ドン』は聞ける状態ではない」という話が印象的。 壁が崩れたが、目の前の木が40cmほどを残して上からなくなったので、壁を支えてくれてその隙間にいたために中沢氏は助かったという。 1kmほどの家までの道で見た体中にガラスの破片が刺さった人々、皮膚が焼けただれた人々、話を聞いているだけでも顔を背けたくなる。 弟は玄関に頭だけを挟まれ、姉と父親は家の中で即死。 母は弟をなんとか助けようとしたが、結局見捨てざるを得なかったという。しかしそれを誰が攻められよう。 聞いているだけで心が重くなる。 中沢氏は今は目を悪くし、もう漫画は細かい漫画は書けないという。 でも大きな絵は描けるからとまだ絵を描くことは辞めていない。 氏の今後の活躍を応援するとともに、「原爆もの」以外の氏の漫画を読みたくなった。 何か新しい発見があるのかも知れない。 しばらくしてから思ったが、中沢氏は「昭和天皇」「靖国神社」「原子力の平和利用」などについてどう思っていたのだろう? その辺を聞いてもらえるとありがたかった。 (このページのトップへ) 迷走地図日時 2011年8月14日17:35〜 場所 新文芸座 監督 野村芳太郎 製作 昭和58年(1983年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 政権与党、改憲党は近々の総裁選では現総理の桂(芦田伸介)から現通産大臣の寺西(勝新太郎)に総理の座が禅譲されるという噂が飛び交っていた。しかし寺西に言わせると噂ではなく約束だという。 前総理の入江が2年前の総裁選の時に「桂に2年だけやらせてくれ。君は必ずその後に」と約束したというのだ。 寺西が東南アジア歴訪の途中で、入江が急死する。 総裁選は寺西対桂の一騎打ちとなってきた。 党の実力者の板倉(伊丹十三)や若手小派閥のリーダー川村(津川雅彦)はどう動く! この映画は83年の封切りの時に観て以来の再見。 観た当時の印象としてはその数年前に作られた「華麗なる一族」「金環食」に比べると軽い感じだな、と一段低く観ていたと思う。 しかし今回見直してみるとどうしてどうして、この映画も捨てがたい。 (というか最近の映画が軽すぎるのだ) 前半、政治家(秘書も含む)の日常が描写される。 事務所には色んな人々が陳情にやってくる。 農作物の冷害に対する補償とか、政治家の家にやってきての面会(それも朝7時とかからやってくるのだ)、そして選挙区の後援会との記念写真(寺西が「旦那さん元気?」と聞くシーンがあるが、政治家という人は実に選挙区の人のそういうことは記憶しているらしい。私みたいに顔の覚えが悪い人には無理だね)、果ては学生の就職の斡旋から駐車違反のもみ消しまで様々な雑務が待っている。 第一秘書の外浦(渡瀬恒彦)は金集めで忙しく、その後輩で今は政治家のゴーストライターやスピーチ原稿書きを生業としている土井(寺尾聡)などの人々がいる。 またタレント出身の議員(朝丘雪路)のわがままぶりがコミカルに描かれる。 そんな中でクラブのママ(松坂慶子)を運び人にお願いしたリベートがひったくりに会う。 数日後、それは落とし物として警察に届けられ、2千万円の大金が落とし物として拾われたが持ち主が現れないという「事件」になる。(これは実際に1億円を拾ったタクシー運転手の話が元ネタだろう) 川村はクラブのママに夢中だが、そのパトロンは実は寺西との関係も深い和久(内田朝雄)だった。 そしていよいよ総裁選。 入江が死んだことにより、桂は約束のことは忘れ、政権維持を主張する。 そんな中外浦は突然秘書をやめる。 銀行の貸し金庫の鍵を土井に預け、元の会社の赴任先のテヘランで変死をとげる。 その貸し金庫には寺西の妻(岩下志麻)と外浦の2年にわたる不倫関係の証拠のラブレターがあった。 政治家の妻と秘書の不倫なんて、ずいぶんと狭い世界での話だなと思うけど、案外政治家なんて狭い世界で生きているから出会う相手も限られてくるのかも知れない。 だからこういうスキャンダルもあり得るのかも知れないと今は思う。 そのラブレターの存在に感ずく外浦の妻(いしだあゆみ)。 板倉もごちゃごちゃ動きだし、まさに「一寸先は闇」の政界が繰り広げられる。 オールスターの演技合戦はほんとに見飽きない。 伊丹十三の田中角栄の物まね演技はただ笑ってしまうしかないが、自分の下半身が起こした不祥事(ホテルで松坂慶子といる写真を写真週刊誌に撮られるのだ)のために、板倉の手中にはまり、寺西を裏切る。 そしてラブレターは板倉の手に渡り(そのために土井は過激派の内ゲバに見せかけて惨殺される)、寺西は総裁選辞退を迫られる。 そのラブレターを手にした勝新太郎と岩下志麻も対決はすごい。勝はもちろん迫力満点だが、岩下志麻も負けていない(さすが極妻!)。 記者会見で「政権の安定こそが国民の為だ」と言い切る寺西はほんとにむなしい。 また大臣のいすを約束されていながら、だまされた川村は最後までピエロだ。 (また秘書をしていた加藤武が川村の元を去ってから新たな勤め先は例のわがままタレント議員というオチもつく) 野村芳太郎がサービス満点で作ったオールスターの政界喜劇。 端から見たらコントみたいなことを繰り返す政治は、30年たった今も変わっていない。 それには改めて怒りさえ覚える。 出演は他には京都の金貸しに宇野重吉、政治記者に三谷昇、法務大臣に大滝秀治、松坂慶子の店のホステスに早乙女愛、寺西の秘書に梅野泰晴などなど。 このころはまだまだ迫力のある役者がそろっていたと実感。 (このページのトップへ) 嵐の勇者たち日時 2011年8月4日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 舛田利雄 製作 昭和44年(1969年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 暗黒組織のボス・生駒(柳永二郎)は若く美しいデザイナー・亜紀子(浜美枝)と婚約を発表する。その披露パーティの席で、亜紀子の首に付けた1億円のダイヤを盗み出そうとしたのは元刑事でかつて生駒に買収されたとして首になった島津(石原裕次郎)たちだった。 彼は仲間の神埼(二谷英明)浜野(浜田光夫)川辺(川地民夫)らとパーティ会場を一瞬暗闇にしてそのすきに亜紀子の宝石を奪ったのだが、明るくなると亜紀子自身も会場から消えていた。 かつて生駒に組をつぶされた唐沢(渡哲也)英(郷英治)太郎(藤竜也)浩(和田浩治)たちが亜紀子を誘拐したのだ。彼らは亜紀子の所有する油壺のヨットハウスに逃げ込む。 無人と思われたそのヨットハウスだったが、そこには亜紀子の店のスタッフの女の子たち(吉永小百合、梶芽衣子、山本陽子)がいた。 彼女たちはしばらくは無人だと聞いていたそのヨットハウスで自分たちの服をデザインする場所として無断借用していたのだった。 島津は何食わぬ顔で生駒に亜紀子を探し出すから5千万円を報酬として要求していた。 一方貧乏私立探偵の大門(宍戸錠)もこの事件を嗅ぎつけ、ひと儲けしようとたくらむ。 唐沢は翌日、氷川丸に5千万円持ってくるように要求。 はたしてどうなる? この映画の公開は昭和44年12月。つまり正月映画だが、翌年の45年にはロマンポルノ路線が始まるから一般映画としては最後の正月映画ということになる。 そのためだと思うが、とにかくオールスターキャストである。やたらスターが登場して人物整理が出来ておらず、本来小さい話だから無駄にスターが出てきたり、スターの見せ場を作るために話が冗漫になっている印象は否めない。 二谷英明なんてほとんど登場しない。裕次郎は単身渡哲也たちのグループに攻め込んでいくから、川地民夫たちとただ部屋で待っているだけで、意味がない。 和田浩二はやっぱりダイヤモンドラインを支えたランクのせいか、死ぬときに「俺はみんなのような仲間と出会えて幸せだった」とクサイせりふを言って死んでいく。 見ているこっちはちょっと照れる。 脚本の方ももうひとひねりあってもよかったと思う。 吉永小百合、梶芽衣子、山本陽子の3人娘は巻き込まれ型被害者のようでいて、吉永は渡哲也とちょっといい仲になってしまうし、生駒が用意した身代金を自分たちが横盗り しようと鞄をすり替えたりする。 かわいい顔して吉永小百合がいちばんうまくうまくやっている。 でも吉永が演じているためなのか、あまり悪女として描かれない。 吉永小百合の悪女なんて見てみたい気がするが、ラストでは得た金で3人娘はパリに留学にいくが、それをみんなで見送るノー天気、というか周りの悪党どもはみんな許しちゃう不思議な展開である。 普通、金を持ち逃げされようとしたら怒るだろう。 そんな感じでオールスター映画故の混乱もあるのだが、その中でよかったのは内田良平だ。 生駒の忠実な部下としてやってきたが、浜美枝に「あなたの両親を殺したのは生駒なのよ」と吹き込まれ、生駒への忠誠心が失せるという魅力的な役だ。 ただし、浜美枝の話も本当かわからない。 ここは浜美枝も嘘を言っているかも?として内田良平が混乱するというもう一ひねりがあっていいと思う。 日活アクション時代の最後のオールスター正月映画として記憶されるべき点はある映画だと思うけど、作品としてはそれ故の混乱に見まわれた気がしてならない。 (このページのトップへ) 太陽への脱出日時 2011年8月7日 場所 TSUTAYA宅配レンタル 監督 舛田利雄 製作 昭和38年(1963年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 東南アジアの動乱地に日本製の武器が輸出されてるのではという疑いをもった新聞記者・佐伯(二谷英明)はバンコクへ取材に向かう。日本の自衛隊向け武器メーカーから商社に転職し、バンコクで消息を絶った速見と杉浦という男たちを探し出すのがとりあえずの目的だ。 バンコクで劉という表向きはバーの経営者、裏では武器の販売を行っている男(石原裕次郎)と知り合う。 劉は豪華な自宅にメイドのアイリーン(岩崎加根子)と二人暮らし。アイリーンは戦時中に脱走しそのままタイに居残った作次(殿山泰司)が戦災孤児引き取って育てた子で、作次は売春婦の元締めをやっている。 佐伯はやがて劉が速見だと気づき、速見を帰国させ日本の武器輸出を新聞で告発させようとする。 速見は「日本に戻ったら殺される」と思い、一生バンコクで暮らすつもりでいたが、杉浦は望郷の念にかられていた。杉浦は日本に帰ろうとするが殺される。 速見は杉浦のために日本に帰ろうと決意する。 日本の武器輸出という社会派的テーマを絡めたアクションドラマ。1時間50分の映画だが、佐伯が日本を出発するまでの数分の後は、1時間30分までバンコクが舞台となる。つまり映画の4分の3はバンコクなのだ。 もちろん日活のセットで撮っている室内シーンも多いが、かなり大規模なロケーションも行われている豪華な映画だ。 でもねえ、面白いかというとそうではない。 はっきり言うけど、話の展開はないし面白くもなんともない。 日本に帰ることを決意し、速見を消そうとする殺し屋たちと銃撃戦を繰り広げながら飛行機がだめなら船と脱出の旅をしてもよさそうなのだが、愛した女のアイリーンがどうしたこうしたと話がまったく前に進まない。 作治の通報により、空港は警官に固められているのだが、アイリーンが警部を拳銃で脅し、警官を去れセルという面白くもなんともない方法で脱出に成功する。 そして日本に帰ってから佐伯は新聞社に連れていくが上司のデスク(宇野重吉)に記事が没になることを告げられる。 宇野重吉は冒頭の佐伯のバンコク行きを許可するシーンとこのシーンしか登場しないが、没になることを話す苦渋のシーンは後の「日本列島」につながる堂々たる演技を見せる。 そして裕次郎はもとの会社の武器メーカーのトップと話をしようとするが、口をふさぎたい武器メーカーは裕次郎を刺す。 そこまではいい、そして裕次郎は「工場を爆破してやる」と工場に乗り込む。 ここまで映画をひっぱんたんだし、裕次郎主演だし、タイトルは「太陽への脱出」だし、工場爆破に成功するという(現実的にはないきがするが)展開を期待した。 でも結局裕次郎は工場爆破を出来ずに死んでいくのである。がっかりだよ! そりゃ悪が勝のが現実かも知れないけど、裕次郎の映画ならここは爆破するというカタルシスが欲しかったよなあ。 長期バンコクロケまでして頑張った映画だと思うけど、納得出来ない展開、ラストだった。 (このページのトップへ) 零戦黒雲一家日時 2011年8月6日 場所 TSUTAYA宅配レンタル 監督 舛田利雄 製作 昭和37年(1962年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 山本五十六連合艦隊司令長官死後数ヶ月の南の島。 海軍航空隊がいるにはいたが、各部隊の懲罰兵の集まりだった。そこへ新任の隊長谷村(石原裕次郎)が着任する。 やる気満々の谷村だが、部下たちはいっこうにいうことを聞かない。この島は八雲飛行兵曹長(二谷英明)が仕切っていた。 ある日、敵襲に見回れたこの島だったが、谷村の活躍を見て徐々に谷村を見直す兵たち。 一体になった頃、島は空襲に襲われ、20名以上が戦死する。 石原裕次郎主演の日活には珍しい航空戦争映画。 いや「日活アクション」の時代になってからは戦争映画自体が珍しい。この頃東宝では「太平洋の翼」が作られている。 割といい評判を聞いていたが、正直ちょっと期待はずれだった。 でもまず書いておきたいのはこの映画では実機を飛ばしているという点だ。 もちろん空中戦で爆発する飛行機などは特撮だが、滑走路に降り立つ飛行機、兵士の頭上を低空で飛ぶ飛行機などは実機なのだ。 これがやっぱり迫力あるのだなあ。 特撮を使ってしまうとどうしてもカットを割ってしまうので、人物の頭上に飛行機が飛んでいくカットなど出来ない。 ところが本作ではやっているので、その迫力には、魅せられる。もちろん本物のゼロ戦を飛ばしたわけではないから、何らかの飛行機を改造したものだろう。 となると「トラ・トラ・トラ!」より早かったわけだ。 (だから飛行機操縦席が一人用ではなく、二人用のスペースがある。そしてプロペラの2枚。たしかゼロ戦は3枚だったよなあ) で、よくない点だが、基本的に荒くれ者の基地に新任の隊長がやってくる、というのがもう戦争アクションのお決まりのパターン。東宝で言えば裕次郎の役を三橋達也か加山雄三が演じる役どころ。二谷英明は佐藤允か。 草薙幸二郎や内田良平あたりは東宝で言えば堺左千夫とか山本廉とか。 そして流れ着く慰問団の歌手の渡辺美佐子。これがご丁寧に二谷英明に昔惚れていて、偶然にもこの島に流れ着くという設定。いくら何でも無理ありすぎないか。 まあそれはいい。許そう。 でも最大の不満は肝心の戦闘シーンをすっ飛ばしてしまったのだ。 途中の大空襲に反撃するべく、石原、二谷、浜田、草薙のパイロットが飛び立つ。石原はその前に米軍と空中戦をやった時に生け捕りにした飛行機に日の丸をつけたというハンディを背負っている。そして草薙の飛行機は使える部品で組み立てたという調子の悪いゼロ戦。 このあたりのハンディを含みつつ、それでも果敢に戦ったとなると面白そうな戦闘シーンが出来そうだが、これが敵陣に向かっていったあたりで、カットが変わって基地へ「敵9機撃墜。味方1機墜落」と報告電報を打つカットになっている。 それはないだろう。草薙がなんとか果敢に戦っているところとか、石原がなれない飛行機で四苦八苦しながら戦う様は見たかった! そしていよいよ俺たちは隊長とともに玉砕だ!と覚悟を決めたところで、芦田伸介館長の潜水艦が助けにやってくる。唐突!がっくり! 「あと15分で敵機来襲」となって必死に潜水艦まで兵士たちが船をこぐシーンは「間に合うか?」というサスペンスがあってよかったのですが、それにしても唐突です。 てっきり玉砕の展開だと思っていましたから。 そして裕次郎と二谷は残ったゼロ戦で敵に突っ込んでいく、というところで「終」。 また戦闘シーンは避けられちゃったよ。 実機を使ったあたりまではよかったけど、それにしても肝心の戦闘シーンは逃げてしまった、やはり日活では空戦映画は無理だったかの1本。 (このページのトップへ) グラン・プリ日時 2011年8月6日 場所 Blu-ray 監督 ジョン・フランケンハイマー 製作 1967年(昭和42年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) イギリスのF1チーム、BRMのレーサーのピート・アロン(ジェームズ・ガーナー)は今年の初戦、モナコグランプリで事故を起こし、チームメイトのイギリス人・スコット(ブライアン・ベドフォード)に重傷を負わせてしまう。レースの優勝はフェラーリのフランス人レーサー・サルティ(イヴ・モンタン)だった。同じフェラーリの若きイタリア人ニノ(アントニオ・サバト)も最近力をつけている。 今回の事故が原因でピートはチームを去り、テレビリポーターに。しかし日本チームの社長・矢村(三船敏郎)がピートを自分のチームに引き入れた。 サルティは自分の妻は仕事ばかりでその夫婦生活は暗礁に乗り上げており、そんな時に知り合ったアメリカ人のルイーズ(エヴァ・M・セイント)と愛し合うようになる。 ピートは矢村チームでの初戦で優勝。一方再起不能と思われたスコットも不屈の闘志でレースに復帰。好成績を納めていた。 いよいよ今年の最終レース、イタリアグランプリ。 優勝候補はピート、サルティ、ニノ、スコットの4人。 今年の勝利は果たして誰に? ジョン・フランケンハイマーが監督した史上最大規模のカーレース映画。 圧倒的な迫力で観るものを魅了させる。 この映画の初見は高校生の時のテレビの深夜放送。 テレビのブラウン管でもその圧倒的迫力は十分伝わってきた。 その後、レンタルビデオで鑑賞して以来、久々の鑑賞。 今回のBlu-rayは実に美しく、ほぼ30年ぶりの再会を十分に満足させるものだった。 なんと言っても迫力なのはレースシーン。 冒頭のモナコグランプリシーンはただ圧倒。 いやそれ以前のタイトルクレジットでソウル・バスが作りだしたマルチスクリーンの映像は、それだけで観客をレースの世界に引きづりこむ。 交換されるプラグ、スパナで締められるナット、取り付けられるタイヤ、これらのパーツのアップのマルチスクリーンの積み重ねが効果を生む。 そして続くレースシーン。 レースカーに取り付けられたカメラがとらえるドライバーの表情。ジェームズ・ガーナーやイヴ・モンタンの表情が見て取れる。 牽引されたレースカーに乗っているのかと思いきや、どう観ても彼らが操縦しているように思える。 メイキングを観て驚いた。なんと彼らがカメラ付きの車を操縦しているのだ。さすがにF1カーではなく、F3の車で外装をレースと同じ車にしたものだったらしいが。 ヘリコプターからの空撮、望遠レンズ、車載カメラ、同じくレースコースを走る車からの映像が早い展開、マルチスクリーンを多用し、観たこともない効果を生んでいく。 また同じレースシーンでも第2のレースは効果音がなく、ワルツのような音楽に乗って展開され、同じようなレースばかりになるのを見事に避けている。 ドラマの方は至ってシンプル。 レーサーと彼らを取り巻く女性たちとの恋愛模様が展開される。 このシンプルさが返ってよかったと思う。 オーナーとの確執とか、裏の汚いやりとりとかを描いていたら、そちらの方に気が取られてしまう。 登場するレーサーは冒頭で事故を起こし、再起をドライばーのアロン、レースに疲れを感じ始めたベテランドライバーのサルティ、やんちゃ坊主の若きシチリア人ドライバーのニノ、そしてあの重傷事故から執念の復活をとげたピートなど、ドラマの基本形のような人物構成だ。 ラスト、サルティの事故を目の当たりにしたルイーズが報道陣に向かって「この血が見たいんでしょ?」と怒鳴るあたりはレースと観客のねじれた関係を現して印象的なカットになった。 日本人としてホンダをモデルにしたと思われるチームのオーナーとして三船敏郎登場。 67年の頃に日本の自動車がすでに国際的活躍をしていたことを改めて実感。そしてうれしく思う。 フェラーリのオーナー役で「007サンダーボール作戦」のアルフォルド・チェリが出演。 兎に角圧倒的迫力の映画。一度音響設備のいい映画館で体験したいものだ。 カーレース映画史上、最大の名作。 映画史上、もっとも興奮させる映画の一つと言っても過言ではない。 (このページのトップへ) |