2011年9月

僕たちは世界を変えることができない。
But,we wanna build
a school in Cambodia.
アンフェア
the answer
世界侵略
ロサンゼルス決戦
探偵はBARにいる
アジョシ ポールダンシング
ボーイ☆ず
燃える惑星
大宇宙基地
シャンハイ
無常 昭和群盗伝2
月の砂漠
無常素描 世界は恐怖する
 死の灰の正体
あさき夢みし アメイジング・グレイス お姐ちゃん三代記 神様のカルテ
一枚のハガキ できごと ピラニア3D 日輪の遺産

僕たちは世界を変えることができない。
But,we wanna build a school in Cambodia.


日時 2011年9月28日19:15〜
場所 新宿バルト9・シアター2
監督 深作健太

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)


東京の医大生、田中甲太(向井理)はなんとなく生きている日々を送っていた。だがある日、立ち寄った郵便局で「カンボジアの子供たちのために小学校を!」のリーフレットとポスターを見かける。
自分でもわからない衝動に駆られた甲太は友人たちに片っ端からメールする。集まったのはいつも大学でつるんでいる芝山(柄本佑)と矢野(窪田正孝)、それに先日クラブで行われたイベントで知り合ったそのイベント主催者の本田(松坂桃李)。
「金集めならイベントしょ!」の本田の発案で第1回のイベントを主催。そこそこ成功を収めたが、このプロジェクトを実行するために途中で知り合った、甲太が恋心を抱く女の子、久保かおり(村川絵梨)に「ところでカンボジアってどんなとこ?」と聞かれ答えられない甲太。
早速甲太たち4人はカンボジアへ向かう。
しかしそこで見たのは、エイズ、ポルポト政権時代の虐殺、地雷、貧困。甲太たちは打ちのめされる。

向井理の初主演映画(ドラマでは主演はあるが映画は初めて)。
「僕たちは世界を変えることができない」というシニカルなタイトルに違和感を覚えつつ、それほどの期待を持たずに鑑賞。

正直言ってかなり心を動かされた。
面白い映画、というのはちょっと違う。
サスペンスに満ちた展開とか意外な結末、という映画的魅力はこの映画にはない。
私はよく映画の評価について「テーマの描き方」と「テーマそのもの」について分けて考えることがあるが、この映画では「テーマそのもの」に心を動かされた。

まずタイトルがいい。
「僕たちは世界を変えることができない」
先に違和感を感じたと書いたけど、それは今までの映画なら「僕たちは世界を変えることができる」としただろう。
「僕たちのすることは小さなことかも知れない。しかしそれが積み重なれば世界は変わる」という考え方の呪縛である。
そういう大前提があった。「われ一粒の麦なれど」の次にくるのは「でも頑張れば世の中を動かすことが出来る」。
でも世の中そうそう頑張ったってなにも変わらない。
政治に不満がある、一票を投じたってなかなか世の中変わらない、無力感や挫折感にさいなまれる。
「世の中をよくしたい。だから革命を起こそう」と思ってもうまくはいかない。
挫折感だけが残る。

でもこの映画は言う。
「僕たちは世界を変えることはできない」
しかしだからといって行動を放棄するのとは違う。
タイトルは「But」と続く。
そう、世の中は変えることはできない、でもカンボジアのある村の子供たちを小学校に通わせることぐらいは出来そうだ。

映画中、この運動をするサークルのメンバーから「小学校を作っただけじゃ単なる自己満足だろ?」「そもそも何でカンボジアなんだ?」「日本にだって困ってる人はいるだろう?」と攻撃される。
みんな正しい。
甲太もうまく答えることは出来ない。
でも「小学校は作りたい」
それは世の中は変えられなくても何かは変えられそうだからだ。

映画は主人公たちはカンボジアに向かい、ガイドにカンボジアについて案内してもらう。
そしてカンボジアの現実に驚愕するわけだが、ここがドキュメンタリー風になる。向井理たちは(いい意味で)芝居をしていないように見える。
私もカンボジアの現実についてあまりにも無知であり、甲太たちと同様固まるしかない。
矢野はここで知り合ったエイズ患者と再会の約束をする。
その約束がどうなるかは想像の通りである。

日本に帰り、協力してくれたIT企業の社長が逮捕(堀江貴文がモデルか?)。それによって甲太たちの行動もネットでは逆風の嵐。
さらに成績も落ちて単位も危ない。仲間はバラバラ。
追い打ちをかけて自分の彼女だった久保が実は最近本田と付き合いだしたという。

落ち込みきった甲太はデリヘル嬢を部屋に呼ぶ。
ここでただ彼女の胸にすがりついて抱き合うだけというストイックな行動にでる。
う〜ん、僕はそのまましちゃってもよかったと思うのだけど。ちょっといい子すぎる気もする。

お金も出来てやっと学校も完成。
その開校式に向かう彼ら。
前回の訪問の時に「学校に行って医者になりたい」と言った少年が「学校には行かずに親の仕事を手伝う」という。
現地のガイドも言う。
「コウタ、ユメとゲンジツはチガウ」
甲太はその現実に対する怒りを少年が開墾する土地の朽ちた木にぶつける。
この場合、木は甲太や少年がぶつかっている「現実」を象徴する。
そしてその場にいたみんなでその木を倒す。
大人たちの姿を見て少年は「午前中は学校に行き、午後父の仕事を手伝う」と言う。
そう、「僕たちは世界をかえることはできない。でも少年を学校に通わせることぐらいはできる」

何度でも書こう。
「僕たちに世界を変えることはできない」
But、
「何かを変えることぐらいはできる」

この映画はそういう映画である。
万人受けする映画だとは思わない。
でも僕にとっては印象に残る映画だった。

よかった。



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アンフェア the answer


日時 2011年9月25日17:00〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン6
監督 佐藤嗣麻子

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


雪平夏見(篠原涼子)は今は北海道西紋別署の刑事だが、かつては警視庁の敏腕刑事だった。その頃東京では建築機械のネイルガン(釘打ち機)で人が殺される連続殺人事件が起こっていた。その事件はすでに3件起こっており、殺人現場の遺留品から推定された容疑者が次に殺されるという様相だった。
第三の事件の容疑者として雪平の元夫・佐藤(香川照之)があげられたその時、佐藤は雪平の前に現れる。
二人が追っていた警察内部の裏金の資料を収めてあるらしいUSBメモリーを佐藤は雪平から預かっていたのだが、それを返し自分は海外に逃げるという。
しかしその晩、佐藤は死体となって発見。同じくネイルガンによるものだ。そしてネイルガンには雪平の指紋がついていたという。警察に逮捕される雪平だが、東京検察庁から若い検事・村上(山田孝之)がやってきて取り調べるという。しかし雪平は村上を人質に逃亡した!

4年ぶりの映画化。
篠原涼子は好きな女優だし、前作もまあまあ楽しめた記憶があったから見てみた。
前作は「ダイハード」の焼き直しの病院占拠事件ものだったが、今回は連続殺人。しかもネイルガンを使って釘を打ちまくるという残酷な事件。
昨日見た「アジョシ」にも偶然(だと思うが)ネイルガンが出てきたので、その偶然には笑ってしまう。
被害者の一人が吹越満なのでその後回想シーンなどで出てくるかと思ったらそうでもなかった。(もったいない)

大森南おが猟奇殺人犯なのだが、一度雪平を襲ったとき二彼の頬を爪でひっかいてそのDNAから犯人が分かるという割とイージーな展開。
で犯人の家に単身雪平が忍び込むのだが、犯人に襲われる展開は「羊たちの沈黙」の焼き直し。
まあそのつもりは無くても猟奇殺人となれば永遠にレクター博士との関連を言われちゃうんだろうな。
「踊る大捜査線」といい、フジテレビは猟奇殺人ものがお好きらしい。

で、結局大森に警察が指示をして警察の裏金事件を知る人々を殺していったわけだが、その担当者が雪平の北海道での同僚の佐藤浩市だったという展開。
佐藤は雪平に結婚を申し込んでいたので、驚きの展開なのかも知れないが、あんまり驚かなかった。だって今回初登場のキャラクターでしょ。そうなるのはありがちじゃないですか。
そして裏で糸を引いていたのが山田孝之の検事だったというオチ。山田もテレビシリーズからのキャラクターかと思ったら今回の映画版初登場キャラクターだそうで。
なるほど犯人は初登場の人というわけですね。

だからテレビシリーズから見てる人からすると驚きの少ないラストだったんじゃないかな。
加藤雅也も絡んでいたのは意外だったかも知れないけど。
結局警察の極秘資料は具体的には説明なし。
確かにマクガフィンだから必要はないか。



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世界侵略 ロサンゼルス決戦


日時 2011年9月25日14:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン6
監督 ジョナサン・リーベスマン

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


海兵隊のマイケル・ナンツ2等軍曹は除隊を決めていたが、突然の召集される。昨日発見された流星群が実は他の天体からの侵略と思われるからだ。
ロサンゼルス、ニューヨークなどのアメリカだけではなく、世界各国の主要都市が同時攻撃された。
ロサンゼルスも攻撃を受け、今のところ敵は地上の兵士だけなので、空軍が総攻撃をかけることに。
防衛線を決め、攻撃地区に残された民間人を救出するため、ナンツたちの小隊は出撃することに。指揮官は学校を首席で卒業したが実戦は始めてという若き少尉。
敵の攻撃は激烈だったが、自分たちが救出を命じられた警察署に残っていた民間人5名は救出。
はぐれてしまった友軍兵士たちを交えて、基地まで帰ることに。歩くと危険だ。近くに乗り捨ててあったバスを動かし、全員で待避を開始。予想通り敵が攻撃を仕掛けてきた。
果たして人類の運命は?

今年3月に公開予定だったが、震災の影響で公開が半年遅れた映画。
3月に公開されたらどうだったろう。関係無かったかも知れないし、こういう映画を楽しむ気分にはなれなかったかも知れない。

この映画は「ブラックホーク・ダウン」のような都市地上戦を中心に展開する。
今言ったように「ブラックホーク・ダウン」がベースにあるのだろう。
街中を敵の攻撃を交わしながら退却しようとする話のベースが似ている。

でも正直飽きるのだな、こう戦いが続くと。
「ブラックホーク・ダウン」は現場だけでなく(現場も複数の箇所の話が平行して進む)、空のヘリコプターの様子、基地司令官の焦り、基地で待機する兵士たちなどなどとにかく複数のキャラクターの動きを描き作戦を俯瞰的に見通せ、飽きがこなかった。
でもこの「ロサンゼルス決戦」はずーと同じ少隊の話だからどうしても飽きてしまう。
もちろん戦争映画で「独立機関銃隊未だ射撃中」のように「一つのトーチカが見た戦争」というのもリアルでいいのだが、本物の戦争は史実で全体像は知ってますから、返って「一兵士の目線」というのは目新しかったりするですが。

スピルバーグの「宇宙戦争」とか「スカイライン」とか最近の宇宙侵略ものはどうも視点が低くて私の好みには合いません。
やっぱり大統領が出てきて軍首脳とか科学者とか現場の兵士とかを平行して描いて欲しいですね。

映画はこのあと何とか基地にたどり着くが、敵は空からの攻撃も行うようになり基地はすでに壊滅。
友軍のヘリで後方に移動しようとするが、敵の司令基地を偶然発見、ナンツたちの力で奇襲攻撃をかけ敵を撃破!
世界中の攻撃への反転のきっかけをつかむという展開。

ラスト、敵司令部を撃破し基地についたナンツたちが基地の上官に「しばらく休め」と言われたに自分から装備の補給をし、再び戦地に赴く姿は「ブラックホーク・ダウン」のパクリだな、と思った。

とにかく現場第一主義で、現場が頑張れば全体を動かしすべてうまくいく、というまとめ。
現場万歳!で正直、海兵隊の戦意高揚、というか「君も海兵隊に入って世界を動かす活躍をしよう!君ならそれが出来る!」という兵士募集映画に見えた。
実際に増えたかどうかは知らない。



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探偵はBARにいる


日時 2011年9月24日16:00〜
場所 新宿バルト9・シアター8
監督 橋本一

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


「俺」(大泉洋)は札幌すすきの付近でよろず解決人をしている。いわば探偵だ。ある日、俺がいつも連絡場所にしているバーに近藤京子という女性から電話がかかってきた。10万円口座に振り込んだので用事を頼まれてほしい。その用事とは多くの企業の顧問弁護士をやっている南という男を訪ね、「去年の2月6日加藤は何をしていたか」と質問してその反応を見てほしいという。
そのまんま実行したら帰り道に男たちに拉致され雪に生き埋めにされた。わざとほどける程度に腕を縛られていたので、今のところ相手も殺す気まではないらしい。
相棒の高田(松田龍平)に助けてもらったが、調べてみると2年前にすすきのであった地上げに絡んだ放火事件で死んだ女が近藤京子だった。しかもその京子の父親(西田敏行)も1年前にチンピラに殺されていた。
また近藤京子という女性から電話がかかってきた。
いったい事件の真相は?

札幌を舞台にし私立探偵もの。
主演の大泉洋が好きなタイプではないので、パスするつもりだったが、なんだか評判がいいらしい。しかも1週間の興行成績を見て続編の製作が決まったとか。
基本私立探偵ものは嫌いじゃないし(むしろ好き)、早速見てみることにした。

ああ、確かに面白い。
この映画はロバート・アルトマンの「ロング・グッドバイ」やかつてのセントラルアーツのTV番組「プロハンター」「探偵物語」の影響下にあるのは明らかだろう。
大泉洋のもじゃもじゃ頭がエリオット・グールドに見えてくる。
「ロング・グッドバイ」でもマーロウがバーを伝言場所にしていたけど、この映画の発想もそこから来ているのだろう。

全体的に面白いし、久々に人に勧められる映画だ。
ただし欠点がないわけではない。
まず第一に電話のみの謎の女、近藤京子だが映画では声を出してしまうので、これが後に登場する沙織(小雪)だと解ってしまう。沙織は京子の父親の夫なので、復讐をたくらんでいるのだと。しかし途中で沙織は西田敏行を殺した黒幕らしき男と結婚する予定となり、沙織は前の夫を裏切った悪い女に一転してなる。
これが他に近藤京子としてあり得そうな女がいたりすれば、「京子の正体は誰か?」という謎も成り立つのだが、声がやっぱり小雪だから成り立たないのだな。
小説ならよかったかも知れないが、映画では成り立たず実に残念。

またわき役が目立ちすぎ。こういう脇が目立つのは「探偵物語」の影響だろう。
大泉洋が朝スパゲティを食べる喫茶店のセクシーなウエイトレスとかホモの新聞記者(田口トモロヲ)とか、高田君のエンジンのかからない車(これは人間じゃないけど)とかちょっと数回出てくるとくどい。
好きな人は好きなのかも知れないが、私にはちょっとうるさかった。

あとラスト。大泉が悪い奴をぶち殺してくれるならもっと溜飲が下がったが、小雪が殺して自殺するのは残念。
まあ日本の探偵は拳銃をもてないんだし、仕方ないといえば仕方ないけど。

それにしても札幌という街は映画として魅力的。
なんといっても雪が普通に存在し、画に特徴が生まれる。
今まで札幌を舞台にした映画が少なすぎたくらいだ。
これからは札幌を舞台にしたドラマがもっと増えるのではないか。
今年の2月に札幌、小樽に行ったが撮影はちょうどその頃だったらしい。
自分の泊まったホテルが写って楽しかった。
もう一度雪の札幌に行ってみたくなった。

多少の難点はあるけど面白かった。
人に勧められる映画です。



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アジョシ


日時 2011年9月24日13:10〜
場所 新宿バルト9・シアター5
監督 イ・ジョンボム

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


テシク(ウォンビン)はソウルの片隅の古ぼけたビルの二階で質屋を営んでいた。人目を避けるように生きる彼に友人らしいのは自分のことを「アジョシ(おじさん)」と呼んでくれる隣の部屋の女の子ソミ(キム・セロン)だけだった。
ソミの母親はダンサーをしていたが、店で行われた麻薬取引の麻薬を横取りしていた。その麻薬を鞄に入れてテシクの店に質草として預けていたが、麻薬を手に入れるはずだった男たち(マンソク兄弟)がソミと鞄を持っていってしまう。
警察に誰か身代わりを出すこと考えたマンソクは、テシクに「ソミを返してほしかったら、指定の場所に指定したものを持ってこい」と連絡がした。
指定された車に乗り、措定された場所に向かうテシク。そこにはマンソク兄弟が麻薬を引き渡すはずだったオ社長がいた。そこへ警察が踏み込んでくる。
マンソクはテシクもオ社長も警察に引き渡し、自分は逃れる計画なのだ。
テシクは警察から逃亡、ソミを探し始める。
警察もテシクの攻撃能力に驚き身元調査をする。彼はもと軍の特殊部隊にいた男らしいのだ。

韓国スターの中では一番好きなウォンビンの最新作。
私が好きになれなかった「母なる証明」から2年ぶりの登場だ。
今回は前作と違って元特殊部隊の兵士で殺人能力は満点という怖い男。今までの「弟キャラ」からの脱皮を試みていると見て取れる。
実際鍛えられた体を披露し、強さを強調する。
でも「おじさん」と呼ばれたりするにはまだ若く、本当ならチャン・ドンゴンの方が役には似合ってると思う。
ただしウォンビンがだめというわけではない。
今までのイメージを払拭するべく努力は十二分に伺えそれは成功していると思う。
前半では前髪を伸ばし、左目を隠している。僕はウォンビンの魅力は目にあると思っているので、目を隠す演出には不満があったが、後半、敵地に乗り込むときに上半身裸で髪を切っていく姿はかっこよく、印象的。

映画はR15指定だけあってバイオレンスシーンはかなり残酷。また話の方も単なる麻薬取引だけでなく、臓器売買という話を聞いただけでも痛くなるようなネタが絡んできて、そこへ持ってきてソミも臓器売買の対象になる(まあ子供だから角膜だけなんだけど)。「闇の子供たち」のようなロリコン相手に売られていかなかっただけまだマシか。(いややっぱりそうでもないぞ)

とにかくナイフを使った格闘が痛そうで、拳銃を撃つにしてもとにかく当たると痛そう。またウォンビンがマンソクの弟を拷問するシーンで足に釘撃ち機を使って足に釘を撃つのが痛そう。ラストでソミが目をくり貫かれそうになるのがまた痛そう。私はそういう痛そうなバイオレンスシーンが苦手なんです。画面から顔をそらしそうになりながら観てました。

敵役もマンソクの弟が色白の優男だが妙に残酷というキャラクターを熱演。こういうキャラクター怖いですね。

最後は韓国映画らしくソミを助けたウォンビンが二人で抱き合うのがスローモーション。



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ポールダンシングボーイ☆ず


日時 2011年9月24日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 金子修介

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漫才をめざすアツシ(荒井敦史)とシンタロウ(阿久津槇太郎)は単独ライブを開く予定だったが、まだ早いと思ったシンタロウはかつてのお笑い芸人レモネード吉岡の開くワークショップに通うために用意した10万円を使ってしまう。
ワークショップ開催当日、場所に行ってみると大阪からやってきたカミツル(上鶴徹)、会社をクビになったヤマグチ(山口賢貴)、仲間からいつもギャグが寒いといわれ続けていたヨウイチロウ(近江陽一郎)、秋田から上京してきたミツヤ(三津谷亮)がいた。
だがワークショップが開かれる様子もなく、やってきたのはここでポールダンス教室を開くという女性YUKIがやってきた。だまされたと知った男たちはYUKIのポールダンスに魅せられやってみることに。
アツシが自分たちのブログ練習風景をアップしたことから話題になり、高校生高校生ユキト(西井幸人)やイケオカ(池岡亮介)も参加してきた。

金子修介監督の新作。
渡辺プロのDーBOYSの弟分集団D2主演作。
正直言うけどBC級映画。新人のプロモ映画として作ったような低予算のマニアックなイケメンファン向け(だけ)の映画だった。

大体男子がポールダンスをするという点からして「ウォーターボーイズ」の安っぽい焼き直し。
歌手ではない若手俳優が演じる青春映画と言えばスポーツものとかになってしまうのかも知れないが、それにしても能がない。
ミステリーものとかにすればそこそこ楽しめたかも知れないが。
セクシーな男性ヌード的なものを狙ったならまだ解るけど、それならラストのポールダンスでは上半身裸のビキニ1枚でやるとかなら解るけど、最後にふんどし(!)になって桜吹雪が舞う演出!
何となく男性ポールダンスにスタッフが興味がなくてやる気が無いように感じられてしまう。

ポールダンス教室に入った女の子がイケオカに惚れるのだが、「私腹筋フェチだから」という。ならばその腹筋をたっぷり見せてほしいのだが、そういうカットはなし。
途中、男子が股間を守るために野球のキャッチャーが使うカップをするのだが、それを観た女性ファンが喜ぶのだが先生に一言で否定される。なんか意味のない展開だなあ。

また脚本にも工夫がなさ過ぎ。
男子がポールダンスを始めるときに先生が断り、それを説得してなんとか始めるとか、公演をやろうとするとことごとく断られるとか、親が反対してどうにもならないとか、壁にぶち当たってそれを一つづつ突破していくところに面白味があるはずなのに、そういう困難がまるでない。
いやあってもすぐに解決してしまう。
最後にお笑い芸人レモネード(せんだみつおがモデルか?)が登場するに当たって「ここでレモネードが登場したりして」と脚本を揶揄するせりふがあるが、書いてるほうもそう思うんなら一工夫が欲しい。

それに顔見せでいいからDBOYSの瀬戸君とかワンシーンでいいから出演すればいいいのに。
とにかく顔を知っている役者が蛍雪次郎だけではとにかくしょぼい。
金子修介という大監督が作るレベルの映画じゃないような気がするが、この辺はどんな事情があったのだろう。
聞いてみたい気もする。



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燃える惑星 大宇宙基地


日時 2011年9月23日
場所 DVD
監督 フランシス・フォード・コッポラ
    ミハイル・カリューコフ
製作 1960年(昭和35年)

(詳しくはImdbで)


核戦争後の地球。世界は北半球国家と南半球国家に二分されていた。
宇宙開発競争はそれぞれが行っており、南側は火星有人飛行ロケットマーキュリーを完成させた。それは宇宙飛行専用に作られており、地球からは一旦宇宙ステーションに行き、そこから火星に向かう方法だった。
開発者で宇宙飛行士のゴードン博士と飛行士グレイグが宇宙ステーションに着いてすぐに、北の宇宙船タイフーン号が宇宙船の修理のためにステーションに着陸させてほしいという要請があった。
ゴードン博士はそれを受け入れ、北側の博士と宇宙飛行士が乗り込んでくる。だが修理は名目で実際は南の宇宙開発計画を探りに来たらしい。
北の宇宙飛行士はマーキュリー号が火星有人飛行を行うと聞くと、予定にはなかったが自分たちも火星に向かおうと決意。本国に仕方なく了承。タイフーン号は火星に向かって出発するのだが。

元はソ連映画「大宇宙基地」http://movie.walkerplus.com/mv12932/というSF映画だそうだ。
それを例によってロジャー・コーマンが買い取り、アメリカ用短縮改変版を作ったというのがこれ。上映時間は64分という短さ。
クレジットにあのフランシス・フォード・コッポラの名前がある。
だからといってどこかにコッポラらしさがあるかと思ったらそうでもなかった。
コッポラは1939年生まれだからこの映画の頃は21歳。ロジャーコーマンの元での映画作りが彼のキャリアのスタートだそうだから、その頃に手がけたのだろう。

今調べてみたら「大宇宙基地」のほうも上映時間は77分。このアメリカ版も64分だから大改変というほどでもないらしい。話もそれほど違わない。
マーキュリー号が写るときマーク部分に合成で別のマークが合成されている。キリル文字が書いてあったのかな?

で話の方だけどタイフーン号も火星に向かうがなぜか太陽の磁力のせいでコースをそれてしまう。
仕方なく救助信号を送り、マーキュリー号は火星探査の目的をすてて人命救助の為にタイフーン号に向かい二人の飛行士を助け出す。
だが燃料が足らなくなり、小惑星に着陸。燃料を送ってもらうとするが無人の燃料輸送船は着陸に失敗、大破。
で今度は有人輸送船が出発、無事到達し彼らは無事帰還というわけ。

でアメリカ版の新撮シーンはこの小惑星に怪物がいて戦っているというシーン。画質も違うからすぐわかる。でもこのシーンは短くほとんど意味のない付け足し。この辺がロジャー・コーマンらしいといえばそうなのだが。
別撮りな訳だから燃料輸送船の飛行士がそれを発見して驚くカットバックがあるだけ。別に絡んではこない。
まあ当たり前なんだけど。

旧ソ連映画らしいまったりとしたSF映画で、短い割には退屈した映画だった。



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シャンハイ


日時 2011年9月22日21:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン9
監督 ミカエル・ハフストローム

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


1941年10月の上海。アメリカの諜報員ポール・ソームズ(ジョン・キューザック)はこの地に着任した。
旧友で同じく諜報員のコナーに会う予定だったが、コナーは日本租界で死体となって発見された。
ソームズは真相を探るべく動き始める。
表向きは新聞記者として活動し、上海裏社会のボス、アンソニー・ランティン(チョウ・ユンファ)やその妻アンナ(コン・リー)、日本の海軍将校タナカ大佐(渡辺謙)に近づく。
コナーは日本海軍の動きを偵察し、そして日本人女性スミコ(菊地凛子)を愛人にしていたようだ。
コナーはスミコを通じてタナカ大佐の動きを探っていたようだ。

太平洋戦争の直前の上海を舞台にアメリカ、中国、日本のスターが勢ぞろいとなれば国際的陰謀が絡んでスケールの大きなスパイものが期待できそうだ。
実際予告編を見ると面白そう。
でも公開後のネットでの評判はよくない。
見るのを迷ったが、上海の町並みは立派だし「外国映画に日本人が登場する場合は見る」というポリシーもあるので見ることに。

ああ、なるほど。確かに面白くないなあ。
まずね、話のスケールが小さいんだな。
戦争直前でアメリカの諜報員が主人公なのに、友人の死の真相を探るという私立探偵なみの話なのだな。
それでもって結局コナーは自分の愛人スミコをタナカ大佐に近づけてスパイさせていたと思ったら、逆でタナカ大佐の愛人に近づき情報を得ようとしていた、という結論。
だからタナカ大佐がコナーを殺したということになるのだが、「相手が諜報員とは知らなかった」。単なる個人的な痴情のもつれでコナーを殺したというなんとも締まらない話。

最後にスミコが見つかってタナカ大佐たちにも発見されるが、スミコはアヘン中毒(だったかな)亡くなってしまう。そしてタナカ大佐は手を握って泣き崩れるのだ。
なんか情けないなあ。日本海軍軍人とは思えないな。

キタという日本人の情報屋が登場するが(演じるのは中国人)、これがソームズによって恋人とともに海外逃亡させて貰うのだが、実はこの恋人が日本軍のスパイであっさり脱出は失敗する。反対にスミコはタナカの恋人でコナーはスパイにしようとしていたのだから、女の扱いの好対称とも言えるのだろう。

日本海軍空母加賀の動きをコナーは探っていたのだから、そこから真珠湾攻撃の情報をソームズが察知、本国に情報を送り真珠湾奇襲攻撃に備えさせようとするのだが、みたいな展開に持っていけば「歴史スパイアクション」になって面白かったと思うのだが、そうはならなかったなあ。
妙な恋愛映画なのだな。

またソームズ役のジョン・キューザックというのがおでこが広くて顔つきがどうも緊張感に欠ける。
日本人役ならなんでも渡辺謙という発想も安易でいただけない。あと菊地凛子ね。この二人は海外映画に出てくる日本人役の常連になってしまった。
菊地凛子はほとんど日本の映画には出ておらず、海外での評価と日本の人気のギャップがこれほど大きい人も珍しい。



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無常


日時 2011年9月19日 
場所 TSUTAYA宅配レンタル
監督 実相寺昭雄
製作 昭和45年(1970年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


京都の近くで豪商の日野家の長男・正夫(田村亮)は跡を継ぐ気もなく、仏像に魅せられていた。正夫には美しい姉・百合(司美智子)がいて日野家の書生・岩下(花ノ本寿)や正夫の友人の僧侶・荻野が彼女を密かに慕っていた。
両親もいないある夜、正夫と百合は結ばれその後二人は肉体関係で愛欲を楽しむ。そして荻野は二人の関係を見てしまう。百合に妊娠すると岩下と百合を結婚させ、正夫は荻野の知り合いの仏師・森(岡田英次)に
弟子入りをする。
しかしそこでも森の若い後妻令子と関係を持つ。
久しぶりに実家に帰った正夫は再び姉と関係を持つ。それを知った岩下は自殺。
荻野の元に森の息子・康弘(ささきいさお)がやってきて自分の母と正夫の関係、それを知っていながら逆に創作のエネルギーとしている父についての悩みを打ち明ける。
荻野は正夫を詰問するのだが。

実相寺昭雄のATG三部作の1作目。
3本とも京都とその近辺が舞台で日本の古い風景が重要なモチーフとなる。
3本ともそうなのだが「怪奇大作戦」の京都編2本の世界観を完全に踏襲している。
映画中で時折アクセントをつけるサウンドとして、「カーン」という鐘がなるのだが、そのサウンドが同じ。たぶん音源も同じ。
さらに主人公の日野という名前だがこれは「呪いの壷」の犯人の名前。この時に犯人だった花ノ本寿は本作にも登場するから、完全につながっている。

今回は「近親相姦」とか「不倫」とか「夫に妻の不貞を見せる」とかの倒錯の愛情世界が繰り広げられる。
もっとも行為そのものをちゃんと見せる映画ではないので、エロ映画にはなっていない。
そういえば「妻の不貞を見て創作意欲をかき立てられる」というのはマゾヒズムの言葉の基になった作家マゾッホを思い出す。
実相寺昭雄はSM好きだったからそのあたりからの発想なのかも知れない。

ではっきり言って映画として面白いかと言えば「否」である。話もテンポは遅く、はっきり言って眠くなる。
その中で唯一面白かったのは荻野と正夫が宗教画の話をするところ。
「地獄の絵は怖くなるような迫力だ。しかし極楽の絵はなんともただのんびりしているだけで、迫力が全くない。それは人間の快楽というものは悪行の上にあるものなのだ」と正夫は主張する。
なるほどねえ。確かにそうとも言える。

このところ実相寺作品を4本ほどDVDで見たわけだが、映画としてはつまらんなあ。
ある事情があって実相寺作品を見なければならなかったからだ。
以前実相寺監督と多く仕事をなさった方が、「実相寺監督は完全に自由にやらせるとつまらなくなる。シリーズとか原作ものとかの枠があるとその枠の中での変化球になるから面白くなる」おっしゃっていたのを聞いたことがあるが、確かにその通りだと思う。

独特の構図も面白いが、それだけではやはり映画は持たない気がする。



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昭和群盗伝2 月の砂漠


(公開時タイトル:破廉恥 舌戯テクニック)
日時 2011年9月18日16:00〜
場所 ユーロスペース1
監督 瀬々敬久
製作 平成2年(1990年)


一人一党という右翼団体党首(下元史朗)は自衛隊時代の部下で今は建設大臣の秘書をしている男から、ある男(佐野和宏)を探し出すように言われる。
右翼党首はかつては226事件に参加したが、足の速さが見込まれて翌年のベルリンオリンピックに出場、戦後は自衛隊で円谷幸吉のコーチをしてくれないかと言われたほどの男だ。
佐野和宏は高校時代は「円谷幸吉の再来」と期待されたが、その後はマラソンをやめてしまい、今は原発の下請け企業で働く労働者だった。
佐野和宏は下町のスナックを訪ねる。そのスナックのママは実は佐野の高校時代の同級生で後に自殺した友人の妻だった女だ。そのスナックから追い出される佐野。
仕方なく別の女のマンションに入り浸る。佐野は身を隠さねばならない理由がありそうだ。
そして女は建設大臣の秘書とも連絡をとっている。
何が起こっているのか?

引き続き「Image Fukushima」での上映。
原発、放射能、東日本大震災がらみの映画ばかり上映される映画祭だから、原発問題を全面に描いたピンク映画かと思ったら、原発は一つのアイテムで、それが中心ではない。
映画の後半に人間関係や謎の部分が明らかにされる。

佐野和宏は原発事故を告発しようとした労働者を殺して金をもらった男。そしてスナックのママの娘は実は佐野の子供。夫の自殺は新聞記者だったので、原発事故を告発しようとして殺されたのではという話も映画中では出るが、結局は子供の父親がどうしたという話らしい。

下元史朗は226に参加してオリンピックにも出て今は右翼の(赤尾敏がモデルだが)党首という無茶苦茶紆余曲折のあるキャラクターで訳わからん。
ベルリンオリンピックで金メダルをとった選手は実は朝鮮人で、日本人としての受賞だったことに悔しがっていたというエピソードも入ってくる。今はほとんど忘れられたが、この映画の前のオリンピックはソウルオリンピックでその時の聖火ランナーでこの金メダル選手が走ったそうで、制作当時はピンとくるエピソードだったのだろう。

だから昭和が終わって平成になってすぐのこの時代では原発も戦後の復興、高度経済成長を象徴するアイテムなのだろうな。

ラスト、自分に殺しを命じた原発の労働者元締めのインターナショナル開発かあるいはもっと上の組織に殴り込みをかけようとするのか、兎に角出かける。
でもスナックのママに殺されてしまうという。
(正直言ってここピンとこない)
でも下元史朗たちが建設大臣に日本刀で向かっていくカットでエンド。
溜飲が下がるラストではありましたね。



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無常素描


日時 2011年9月18日13:00〜
場所 ユーロスペース1
監督 大宮浩一
製作 平成23年(2011年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ドキュメンタリー監督、大宮浩一が東日本大震災の被災地で津波の跡、そして土地の人々の声を撮影した一番早く完成された311映画。

実際の撮影は4月下旬から5月上旬のGWの頃に行われ
た。
町の人々にインタビューしたり、がれきの山が映し出される。
これがどの町なのかサブタイトルはいっさい入らず、どこなのか解らない。

う〜ん、正直言うけどテレビでよく見たがれきの山とかインタビューと同じようなもので、特にこの映画で初めて見ることが出来た映像はない。
もちろん監督にとって被災地に入って体験することは意義のあることだと思う。
人生とか死生観にも影響を与えるだろう。
僕自身、被災地に行ってがれきの山を体験したかった。

しかしそれはしなかった。やはりボランティアに行くわけでもなく、観光気分で行くのはあまりにも失礼と思ったからだ。
正直、Youtubeで見た津波の映像とか、偶然捕らえていた車に搭載されたカメラが写した車が津波に巻き込まれる映像の方がインパクトは強かった。

インタビューに登場する人も「自分は死んでしまって生かされた気がするから生きていかねばならない」とか、高校生ぐらいの女の子が「海の近くは危ないかも知れないけど、海が好きだからまた海の近くに住みたい」という。
よく見た映像で「映画として」とくに目新しい視点はなく、わざわざ有料で上映する映画かとも思う。

あと個人的な生き方の違いなのだが、何がなんでもこの故郷を離れたくないという感覚がないのだな、私には。
何しろ生まれ故郷を離れて東京に出てきたし、東京が好きですから。東京が大震災にあって壊滅しても東京に住みたいと思うだろうか?
私の好きな東京は繁華街があって映画館がたくさんある東京だから、壊滅した東京に魅力を感じるだろうか?
そりゃ仕事があるとかの問題はあるかも知れないが、仕事もないのに東京にいたいかは正直解らない。
映画とは直接関係ないが、そんなことを考えながら映画を見てしまった。


上映後に大宮監督とこの映画を完成直前の頃から見ていて、かつ次に上映される作品の監督である瀬々敬久監督のトークイベント付き。
映画の中で時折お坊さんが出てきて所感を述べるのだが、この人が誰だか肩書きが説明されない。また撮影場所も示されない。この点を質問してみた。あのお坊さんは芥川賞作家で復興審議委員会(そんな名前)の委員でもある方なのだが、今回は一人のお坊さんとして登場させたかったから肩書きをなくしたそうだ。また地名に関してはそんなものはなくなってしまうような状況だったから。

でも今見るとテレビで見慣れた映像ばかりだから退屈に見えたかも知れない。
10年後、20年後、その時見たらまた印象が変わるかも知れない。また時間をおいて見てみたいとも思う。



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世界は恐怖する 死の灰の正体


日時 2011年9月18日11:00〜
場所 渋谷ユーロスペース1
監督 亀井文夫
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ドキュメンタリー映画。
「Image Fumushima」という原発、原子力、東日本大震災関連の映画特集上映での上映。
「世界は恐怖する」というタイトルがいい。
下世話な興味かも知れないけど終末SF映画みたいなタイトルだ。
亀井文夫は独立プロの映画監督のイメージが強く、さらにいうならいわゆる「サヨク」の監督のイメージだ。

映画は徳川無声のナレーションで進行。
まず東京の粉塵を集める気象庁、そして写真フィルム工場で工場に入る空気をフィルターを通して浄化した際のフィルターの粉塵を集めて放射性物質(セシウムとか)の量を調べるあたりから話は始まる。
その前に放射性物質のある実験室に小鳥を入れると10分程度で死ぬことが説明され、「色も臭いもない毒物」であることがまず説明される。
映画中の実験室はまだパソコンもなく、今みると実にアナログな感じでかつてのB級SFによく登場したような感じだ。

そして東京はビキニ環礁をはじめとする各国の核実験で常に放射能にさらされていると警告する。
かつては核実験の直後だけ数値が高かったが、最近は成層圏で実験をするので放射性物質が降りてくるのに時間がかかり、いつも降っている状態だという。

放射性物質は動物の体内に入ると骨にたまる。
これを示す動物実験のシーンが繰り返される。
そして放射性物質を体に溜めたネズミは足や首に肉腫が出来る。
さらにそれだけではなく、遺伝子にも影響する。
放射性物質を浴びた金魚やショウジョウバエの実験。
子供の代では目が小さいなどの影響が出るが、孫の代でオスがメスの半分しか産まれない。
これを「X染色体Y染色体」の理屈で丁寧に説明する。

そしてもちろん人間にだって影響は出るのだ!
広島で被爆した女性が産んだ子供。奇形児が産まれる。
その死産した赤ん坊が映し出されるが、一つ目の子供である。またこのカットが長い。
4秒もあれば十分だが、見る人の脳裏に焼き付けるように20秒はあったろう。いやタイムを計ったわけではないが、私には長かった。
さらに手も耳も目の位置がめちゃくちゃな赤ん坊(いやそれはもう人間にも見えない)。
被爆したときに妊娠していなくても戦後妊娠してもこういうことは起きるのだ!

人間たちの恋人たちは皇居前広場で愛を語らいキスをしている(このシーンは当時皇居前広場では盛んに恋人たちがいたのかと驚いた)。
そしてこの広場も放射性物質が検出されていると警告する!

明日にも日本中に奇形児が産まれてきそうな勢いである。
この映画が作られて50年以上が経つ。
結果的にはそうならなかったから亀井文夫の心配は杞憂だった。
でも今の福島第一原発事故により拡散された放射性物質はどうなのだろう?
50年後、「杞憂だったね」と言えるか、「あの時もっとちゃんとしてれば!」になるか、誰かが知っているはずだ。
そしてそれは公表されない。
決して「神のみぞ知る」ではない。
なぜならこの映画のラストで示されるように、放射性物質の拡散は天災ではない。人間が行っていることだからだ。



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あさき夢みし


日時 2011年9月18日
場所 TSUTAYA宅配レンタル
監督 実相寺昭雄
製作 

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


鎌倉時代、(ちょうど元コウの時代だ)京では若くして隠居状態の御所(花ノ本寿)の元へ四条(ジャネット八田)が妻としてやってくる。
四条は美しく、彼女を慕う男は数知れない。御所の腹違いの弟で高徳の僧(岸田森)も彼女を慕い、土下座する始末だ。御所もその事を知っていたが、弟ことは四条に「会っておいで」と言う。
やがて僧との間に女の子が産まれたが、醜聞を恐れる周りのものがその子はいずこへと連れ去れれどこかの子供として育てられることに。
やがて僧も疫病で死に、四条は出家し侍女を伴って旅に出る。そして絵も達者な四条は各地で絵を描いてお金を貰ったりしながら旅していく。

実相寺昭雄の時代劇。
四条というとてつもない美女だがこれをアメリカ人を父にもつジャネット八田が演じる。確かにジャネットは美人だけど、それは現代の尺度での美人だから、果たしてこの鎌倉時代に美人と思われたかは解らない。
その辺の実相寺の意見を聞いてみたいところだ。

でもねえ、実相寺の魅力は京都のお寺にスーツ姿で立つとか、お寺の横を新幹線が走るといったような過去の日本と現在の日本のミスマッチが魅力。だからもろに時代劇に去れると面白くもなんともない。

四条の周りを入れ替わり立ち替わり男たちがやってきてなにやら色っぽい話のような感じもするが、ジャネットもほとんど脱がないし、エロスのドラマとしても中途半端なことこの上ない。
(まああんまりエロを追求すると東映の大奥ものみたいになりそうだが)

その上、せりふはぼそぼそしゃべって聞き取りづらい。
メリハリのある演技をするのは土下座して求愛する岸田森ぐらいで全体的にまったりしているので眠くなる映画である。
照明はATGの低予算だから(いやそもそも低予算で時代劇、それも江戸時代ではない鎌倉時代を作ること自体、無理があるのだが)暗い。
だから兎に角しょぼい映画になるのだな。

実相寺作品としてもあんまり話題ならないようだが、それも何となく納得してしまう。
やっぱりこの頃の時代劇を撮るには低予算ではつらいよなあ。
それなりに製作費がある映画なら見れるものになったかも知れないが、ファンとしてはちゃんと撮らしてあげたかったという気がする。
もっともそれなりの予算なら面白くなったという保証はないけれど。



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アメイジング・グレイス


日時 2011年9月17日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 マイケル・アプテッド

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


1780年代。イギリスの若き国会議員ウイルバーフォース(ヨアン・グリフィズ)は奴隷制度廃止を唱え始める。
しかし奴隷の労働力に支えられる産業、そして奴隷商人たちは反対をする。
ウイルバーフォースの仲間たちは元奴隷のエクィアノや奴隷船の船長だったジョン・ニュートン(アルバート・フィニー)らに奴隷制度の実態を世に伝え、民衆の署名活動も行い、39万人に上った。
世論は盛り上がりを見せたが、「民衆の意見など聞くに値しない」と議会は無視。
やがてフランス革命などが起こり、奴隷制度廃止を訴える彼らはイギリスの国家転覆を企てていると追い込まれる。
またウイルバーフォース自身も病に倒れ、一時は運動も窮地に追い込まれるが、奴隷船は大抵アメリカ国旗を掲げることが多いので、「アメリカ国旗を掲げる船は敵とみなす」という法案を作り、奴隷船の動きを防ごうとする手段に出た。

今年3月に公開。2月に「ゆうばり映画祭」に行ったときに上映されていて、見ようかなと思ったが、すぐに東京でも上映されるので、「ゆうばりでしか見られない映画にしよう」とパスした映画だった。

でもその時に見なくてよかったと思う。
3月11日以後の今見ると特別な思いで見てしまう。
この映画に出てくる「奴隷制度」を「原発」に置き換えれば今でも十分通用する映画だ。
民衆の署名が集まっても何も変わらない。
議会に持っていっても「民衆の言うことなんて」と言われる。(現在の日本では世論ばかりを気にしているように思えるけど、実は本音では「民衆は何もわかってないバカ」と思っているのではないかとつくづく思う)
既得権にしがみつく富裕層は「奴隷制度維持」をとにかく主張する。理由は「経済が成り立たなくなる」
原発の時と同じではないか。
そして「いきなり廃止は大変だから徐々になくしていこう」という意見も出る。原発も同じだ。

これが3月11日以前だったらそうは見えなかったろう。
ただの過去の偉人伝にしか見えなかったと思う。
実際、映画はいい人ばかりが登場し、いかにも文部省特選で面白味もない。
作った方も単なる過去の問題ではなく、現在の(原発以外にもたくさんある)「改革」に取り組む人々を称える目的もあったのかも知れない。

それは今の僕にとっては「原発」
一見「反原発運動」も無駄な戦いに見えてくるときがあるが、こういう映画を見ると勇気がわいてくる。
過去にもこれだけの偉業を成し遂げた人がいたのだと。
映画自体は特に面白い映画ではなかったが、その辺が考えさせる映画だった。



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お姐ちゃん三代記


日時 2011年9月12日20:10〜
場所 ザ・グリソムギャング試写
監督 筧正典
製作 昭和39年(1964年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ゴルフ場のキャディ寮で住み込みで働くおハネこと立川美香(中川ゆき)、おメソこと中山絵理(南弘子)、おチャラこと高野花世(桜井浩子)。彼女たちはここで銀座の開業医で医学担当のパンチ(団令子)、小料理屋で料理担当のピンチ(中島そのみ)、銀座のバーのマダムで美容体操を教えるセンチ(重山規子)に花嫁修業も教わりながら働いていた。
おチャラたちは今日も有閑マダム・ゲンスイ(越路吹雪)、イシマツ(扇千景)、シキブ(草笛光子)のコースに付く。その夜、寮を抜け出し銀座に遊びに行くおチャラたち。ピンチの店で食事をしているとゲンスイたちがやってきて、イシマツの夫(十朱久雄)が浮気をしている現場を見てしまい、大ゲンカ。イシマツたちに中華料理店につれていってもらうおチャラたち。そこで日本でお店を出して繁昌させている中国人3人娘の活躍を見、昼間見たゴマスリサラリーマンたち(加藤春哉、堺左千夫)のよう情けない男と結婚したくないと思い、「私たちもパリでお茶漬け屋を成功させよう!」と誓う。
翌日から一人はピンチの店でお茶漬けメニューの研究、一人は銀座のバーで外国人相手にお茶漬けのリサーチ、おチャラは二人のいないバレーのレッスンの代返。
しかし代返が見つかり駅までお使いをさせられるが、その途中でスポーツカーに乗った男前(稲垣隆)に助けられ、一人はお茶漬け屋を出たところでチンピラに絡まれたところを男前に助けてもらい、ひとりがバーで外人と話していた所を警察に売春をしていると疑われた所を男前に助けて貰う。その男前に一目惚れする3人だったが、その男は翌日プロゴルファーでコーチとしてゴルフ場にやってきた宇佐見だった。早速イシマツたちが目をつけちょっかいを出すが、そうはさせじとピンチたちがイシマツたちが宇佐見と銀座のバーにいるところにイシマツやシキブの夫(藤木悠)を呼び出し、邪魔をする。
ある日、パンチの医院に若い美女が「うそでも病気の診断書を書いて欲しい」とやってくる。断ったパンチだが、その美女が宇佐見と会っているところをおチャラたちはゴルフ場の同僚(西條康彦たち)とボーリングの帰りに見かける。宇佐見とその美女はなにやら事情がありそうだ。
気になったおチャラたちはその美女の後をつける。
津島というお屋敷に入った彼女だが、その家にやってきた新人の女中の振りしておハネが潜入。事情を探ると父の会社が悪い専務・川上(田島義文)に乗っ取られようとしていたのだ。その部下は以前ゴルフ場で見かけたゴマスリたちだ。川上は津島の父が亡くなっているのをいいことに「会社の金を横領した。それを内緒にしてやるから俺の薦める男にお嫁に行け」と脅していた。それを知ったおチャラたちはゴルフ場で津島と宇佐見を再会させることに成功。宇佐見は川上に「今度のゴルフコンペで優勝して津島の父の借金を完済させる」と宣言。
果たしてどうなる?

桜井浩子さんの自伝本に出てきた、スリーチャッピーズの主演作。
「お姐ちゃん三代記」のタイトルの通り、三世代の三人娘が登場し、騒動を繰り広げる。
実は「お姐ちゃんシリーズ」を1本も見たことがないので、シリーズの中でのレベルがさっぱり解らない。
ただ団令子たちが中心で作られてきたこのシリーズも次世代(つまりスリーチャッピーズ)に引き継ごうとしていたようだ。
でもまあ結局成功せずに「お姐ちゃんシリーズ」は本作が最終作になった。
原因の一つにやっぱりスリーチャッピースの問題もあろう。桜井さんはよく知ってるからということもあるが、中川ゆきと南弘子が同じような丸顔タイプで区別がつかなくなる。その点、一番上の越路、扇、草笛は3人ともタイプが違うし、中島そのみなどは甲高い声で特徴がある。
その点個性というかインパクトという点ではスリーチャッピーズは見劣り感は否めない。
桜井さんは常に化粧を気にしていて何かというとポケットからコンパクトを出して顔をチェックする女の子で特徴があるけどそういう演出面でもあとの二人は個性が薄いのだよ。

全体の印象としては「これぞ東宝喜劇!」という見本のような作品ということだ。
脚本は田波靖男でいかにもである。
越路吹雪がバーの歌手で2曲ぐらい歌うし、草笛、扇たちと3人でも歌う。団たちも桜井さんたちも歌う。
東宝喜劇らしい歌の入れ方。(桜井さんは「ああ爆弾」で歌っているだけかと思ったらこの映画でも歌っていたのですね。失礼!)

映画の方は宇佐見を応援するパンチ、ピンチたちがそれぞれお守りやらおにぎりやらスタミナ剤(おいおい今ならドーピングになっちゃうぞ!)を持ってきて応援。
そこへゴルフ場にいかせまいと加藤春哉がチンピラをつれてくるが、パンチたちがこれを撃退。
そしてセンチの車(これがスバル360の屋根の部分を切り取ってオープンカーにしたシュールな形。前の窓ガラスもない)でゴルフ場に駆けつけ、なんとか出場。二日に渡る闘いを制して宇佐見は優勝。そして川上も会社背任容疑で逮捕。
めでたし、めでたし。
おチャラたちは重なるお転婆でゴルフ場をクビ。
パンチたちが一人づつ面倒見ようというが、「3人で医賃前だから」と断る。
そこへ中華料理店の3人娘がこんどパリにお茶漬け屋をだすことしたと聞き、パリ行きを決意。
宇佐見も津島と結ばれるのだった。
というハッピーエンド。

ゴルフ場の同僚役で西條康彦、悪役で田島義文、桜井さんと同期で桜井さんの本の中では「ギリシア彫刻のような美しさ」と形容される藤山陽子も出演。
藤山さんはきれいだけど、演技が固いせいか、いまいち女優としては印象が薄いなあ。

桜井浩子ファンとしては非常に珍しいものを見せてもらった気分。



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神様のカルテ


日時 2011年9月10日21:10〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン2
監督 深川栄洋

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


栗原一止(櫻井翔)は長野県庄内病院の消化器内科の医者。彼が救急医の当直の晩には何故か救急患者が多い。
ある日、上司の貫田(柄本明)から信濃大学病院に研修に行くよう命じられる。
そこでは立派な医療施設がそろっており、しかも高山教授(西岡徳馬)から、10月にあるドイツの医学者を招いての勉強会に参加するよう誘われる。それは大学病院に誘われたことを意味し、栗原の将来にとって悪いとこではない。
そんな時、庄内病院に末期ガンで治療不能な患者安曇(加賀まりこ)が訪れる。その患者は信濃大学病院で臨床実習をしたときに診察した患者だった。
特別な症例でない患者であるため、大学病院では最期を迎えるのを拒否されたのだ。
栗原はこの患者を最期まで看取ろうとする。

本屋大賞受賞作の映画化。
櫻井翔主演だからなんとなく観た。
う〜ん、いい話なのだが気に入らない。
でてくる人全部がいい人で話がうまく進みすぎるのだよ。
もちろん末期ガン患者の最期を看取ろうとするのは立派なことだけど、大学病院での大勢の患者や医療の方向性を決めるような俯瞰的な仕事も大切なことだと思う。
この映画を観ると「地域医療が善で大学の研究は悪」的なヒーロー物語になってしまう。
安曇の誕生日と大事な研修が重なってしまい、結局研修をやめるのだが、それはもったいないと思う。
両方なんとかするように周りが支えるべきだ。

「君が踊る、夏」でも大事な仕事と個別の用事が重なり、両方とも「個」を選択する。
小さいことを大切にする事ももちろん大事だが、それによってもっと大きなこと(この場合有能が医師が在野にうもれてしまうこと)がおろそかになるのはいかがなものか。

その辺の対立や葛藤がもっとあれば、あるいはもっと気に入ったかも知れない。
また安曇のエピソードも「大学病院に行くか行かないか」ではなくても患者と向き合うことで家族を犠牲にするといったレベルならまだ解るのだが。
もしくは栗田の病院にいる複数の患者のエピソードを並列的に並べていくドラマ構成にしても面白かったと思う。(あの廊下でいつも遊んでいる女の子のエピソードを広げても面白かったと思う)

また栗田が住んでいる御獄旅館もよく解らない。旅館を改造したアパートなのか?
そしてそこに住んでいる岡田義徳や原田泰造の住人はいったい何者なのか?
その辺が説明不足なので作品世界に入れないし、結局ただの怠け者の吹き溜まりのような住まいに見える。

岡田義徳が実家に帰るときもなにやら感動的に描いているけど、学生と偽っていたただのダメ人間に見えるのでそれほどエールを贈る気にはなれない。

甘っちょろい優しい人間たちばかりが登場し、僕にはとてもついていけなかった。



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一枚のハガキ


日時 2011年9月10日17:30〜
場所 テアトル新宿
監督 新藤兼人

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昭和19年、松山啓太(豊川悦司)と森川定造(六平直政)は掃除部隊と言われる部隊で奈良の天理教の宿舎の清掃作業に従事した。予科連の兵士を迎えるための準備としてだ。その作業が終わり、100名の部隊のうち60名はフィリピンに陸戦隊として送られることに。その選抜は上官のクジによってだった。
松山は内地勤務となり、森川はフィリピンへ。
その前夜、森川は松山に「妻からハガキをもらったが検閲があって返事もろくに書けない。生き残ったら妻を訪ねてハガキを読んだことを伝えてくれ」と伝言を残す。
森川の妻・友子(大竹しのぶ)は夫の戦死の報を受ける。
夫の父(柄本明)と母(倍賞美津子)はこの家に居てくれるよう懇願、定造の弟・三平(大地泰仁)と結婚する事に。だが三平も戦争に行き、やがて戦死する。

現在新藤兼人99歳の作品。撮影時は98歳だったそうだが、それにしても最高齢監督であることは間違いない。
やたら最高齢を持ち出されるが、高齢だからっていい作品ができるわけでなく(むしろ全盛期に比べて劣ることが多い)、その意味では今でも十分現役監督な強さとすばらしさがあった(ただし途中まで)

多くのシーンがフィクスで撮られ、あざとい音楽やアップでの盛り上げはない。その淡々とした展開が実に力強い。
三平の戦死のあとは友子の父は持病の心臓病であっさり死亡、母も自殺する。
一方松山も帰ってみれば自分の妻と父親が出来てしまって、いたたまれなくなって大阪へ。
妻は父親に渡し、自分はこの土地を離れる決意をする。
そして定造のハガキの件を思いだし、友子を訪ねるという展開。このあたりまではいいのだ。
戦争というものがなければ森川家も貧乏かも知れないがなんとかやっていったろう。松山家もなんとか漁師として暮らしていった。
そしてそれを戦争が踏みにじる。しかも死ぬか生きるかは
「クジ」というその人の努力とは何の関係もないことによって決められていく不条理。
淡々とした物語展開が帰って怒りと力強さを感じ、いいなと思っていた。

ところが後半(というかもうエンディングの15分ぐらいになって)、松山と友子が「一緒に生きていこう」というハッピーエンドの展開になる。
しかも戦争中は防犯会長とかなんだかで威張っていて戦後もなんだか幅を利かせる大杉漣(友子に「自分が生活の面倒を見てやる」と妾になれと言ってくるやな奴)が「話は聞いた。二人の結婚を祝おう」と言って祭りの大蛇になって祝言をする。
こっちはこの展開に戸惑う。
さらに結局この土地を離れるのをやめて今までの土地に麦
を植えて実らせる。
ちょっとハッピーエンド過ぎないか?
「終わりよければすべてよし」みたいな。

エンディングに麦を実らせたのは「この一粒の麦がやがては世界中に実っていく」ということで「この映画の反戦の精神がやがては世界中に広がっていく(広がっていって欲しい)」ということの暗喩と解釈した。

でもこういう映画が無駄とは思わないが、過去の戦争はこれから起こりうる戦争とは様相が違わないだろうか?
この映画に限ったことではなく、これからの反戦映画はこういう過去の悲劇を描くだけではその抑止にはならないような気がする。



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できごと


日時 2011年9月10日
場所 DVD
監督 ジョセフ・ロージー
製作 1967年(昭和42年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


オクスフォード大学の哲学の教授スティーブン(ダーク・ボガード)はある夜、自宅近くで自動車事故の音を聞く。
行ってみると乗っていたのは大学の教え子のウィリアム(マイケル・ヨーク)とアンナ(ジャクリーヌ・ササール)だった。
アンナを自宅へとかくまうスティーブン。やってきた警察にはウィリアムが何のために私の家にこようとしたか解らないと言う。
スティーブンはここ最近の自分、ウィリアム、アンナ、そして同僚の大学教授チャーリー(スタンリー・ベーカー)たちの間に起こったことを思い出すのだった。

桜井浩子さんが「ジャクリーヌ・ササールに似た人を募集」という東宝東和の映画宣伝のコンクールに応募したことがきっかけで東宝入りをしたと聞いていたので、「ジャクリーヌ・ササールってどんな人?」と思い、今すぐ手に入るDVDがこの映画だった。映画の何かに興味があって鑑賞したわけではない。監督のジョセフ・ロージーも名前は聞いたことはあったが、観るのは初めてだ。

衝撃的な事件が起こるわけではなく、しかし何か登場人物の内面で事件が起こっているような不思議な味がある。
観終わったあと、具体的ではないが何かが残った。
その何かを確認したくてもう一度再生してみた。

そうか、それは「嫉妬」ではないかと思った。
スティーブンはウィリアムからアンナが好きだと相談を受ける。大人の男の余裕を見せようと思ったのか紹介を申し出るが、ウィリアムはそれを辞退。そして二人はいつの間にか仲良くなっている。
そして3人でボートに乗る。スティーブンもアンナのお腹の露出した服と体を見て何かを感じずにはいられない。
彼はボートから川に落ちる。自分の衰えとウィリアムの若い男としての魅力に嫉妬する。
またテレビ出演をしてやや有名な同僚のチャーリーにも嫉妬する。スティーブンもテレビ出演をしようとするが担当者が急な入院でなかなかかなわない。
そのときに前の妻の名前がでて(彼が離婚していたとは映画中それまで全く説明がない。全体的に親切な人間関係の説明がない)前妻と再会し、ベッドもともにしやや自信を回復するが、自宅に帰るとチャーリーとアンナがいた。
彼らは自分たちの情事にスティーブンの自宅を借用したのだ。
またも打ちのめされるスティーブン。

しかしアンナは別の日に「ウィリアムと結婚することにした」とスティーブンに打ち明ける。そしてそれをチャーリーに話してほしいという。密かな優越感にひたるスティーブン。ウィリアムはその夜、スティーブンの家で話したいことがあるという。そしてその夜に事故は起こったのだ。
アンナが運転していたらしいが、それを内緒にすることでアンナと関係を持つスティーブン。
翌日、アンナは故郷のオーストリアに帰る。
捨てられるチャーリー。
そしてスティーブンには妻との間に新しい子が産まれ、すべてうまくいく。

際だって表にはでないが、中年男の密やかな、しかし激しい嫉妬。
激しいシーンはないが、なにやら妙な印象を残す映画だった。



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ピラニア3D


日時 2011年9月4日20:50〜
場所 TOHOシネマズ日劇・スクリーン2
監督 アレクサンドル・アジャ

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)
(公式HPへ)

アリゾナ州・ビクトリア湖では春休みになり、湖畔ではウォータースポーツやバーベキュー、塗れた水着コンテストや女性のビキニ姿を楽しみにしている若い男たちであふれていた。
女性保安官のジュリー(エリザベス・シュー)は高校生の息子・ジェイク(スティーヴン・R・マックイーン)に小さい妹や弟を預けて湖畔の警備にあたっていた。
同僚からある老人(リチャード・ドレイファス)が行方不明になったと連絡を受ける。ボートが発見された船着き場に行ってみるとそのボートのそばに老人の死体があったが、体はぼろぼろで不思議な死体だった。
翌日、昨日あった湖の地震の調査のため地震学者たちと湖に向かうジュリー。湖に潜って地割れを調査したいった調査チームのメンバーが何物かに食いちぎられて殺された。
ボートに乗ったその魚を魚に詳しい熱帯魚店の親父(クリストファー・ロイド)に見せた。彼に言わせるとその魚は太古の昔に死滅したピラニアの先祖だというのだ。しかも共食いをして生き延びてきており、凶暴らしい。
ジェリーたちは湖畔の乱痴気騒ぎをする若者に陸に上がるように警告したが誰も聞かない。

ジェームズ・キャメロンが「こういう映画が3Dの品位を落としてしまう」というような批判をしたそうだが、それもなんだか解る気がする。
昔の3D映画は(立体映画とも言うけど)こういう飛び出すショック映画が多かったからなあ。
それをもっと高度なものにしていこうとキャメロンはしていると思うから、こういう昔ながらのショック映画は自分のやってることに逆行する行為で許せないものがあるのだろう。

でも正直昨今の3D映画は「なんちゃって3D」ともいうべき劇場になにがなんでも3D映画を配給しなければならない業界の都合から普通に撮影された映画を無理矢理3Dにしている映画が多いのも事実。実際、ここ最近の3D映画で一番面白かったのは「センター・オブ・ジ・アース」だった。(次が「アバター」。あとは全部満足できず)
やっぱり空中にものが浮いているとか、手前に飛び出してくるようないい意味での「見せ物」的使い方が一番似合ってる気がする。

で、この映画はエログロのショック映画の伝統中の伝統の手法。
いや〜立体映画はこうでなくちゃいけません。
ピラニアも肉片も飛び出す飛び出す!
さらにおっぱいも水着から飛び出す。最近の映画では女性のヌードというものを見なくなったが、久々にみた気がする。
AV監督が女優を連れてクルージングに行ってその案内係にジェイクを使うんだけど、女優二人が水中で全裸で泳シーンは、まさに水中に美女二人が浮かんでいて、これぞこれからの3Dですよ、はっきり言って。
なんだかんだ言っても映像の歴史はポルノの歴史でもあるから、ポルノとしての使い方が発達すれば3Dももっと普及するかも?(いや、マジで)

AV監督はピラニアに襲われ男性器を切り取られちゃうわけだけど、そのモノがあとで水中に浮かんでいてピラニアが食べるカットがあるのは笑った。というよりいいのか?あんなにはっきり映して。

湖畔の若者たちがピラニアに襲われるシーンも人が多くてとにかく低予算を感じさせない豪華さ。
3Dだけでなく突然何かが飛び出して効果音をどーんと大きな音にして脅かすシーンも多く、私なんかビビリだから素直に体をびくん!と動かして見てました。一人で見に行ってよかった。こんなところ人に見られたらバカにされる。

贅沢に作ったB級ホラー映画。
ある意味、今後の映画はどうあるべきかを問うているような気もする映画だ。



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日輪の遺産


日時 2011年9月4日16:10〜
場所 角川シネマ有楽町
監督 佐々部清

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


昭和20年8月の終戦直前。近衛師団の真柴少佐(堺雅人)は山下将軍がフィリピンから持ち帰った900億円(当時)の財宝を国家再建のために隠匿するよう命じられる。
同行するのは大蔵省から出向の主計中尉・小泉(福士誠治)と中国戦線を戦った望月曹長(中村獅童)。
命令書によればその財宝は東京駅から貨車に積まれ、奥多摩の武蔵多摩駅に運ばれる。そして近くの弾薬工場の倉庫に運び込むのだ。その積み卸し積み込みに用意されたのは13、4歳の勤労動員の女子学生だった。
すべてを運び終わった時、上層部から女子学生および引率教師(ユースケ・サンタマリア)は処分するよう命令が下る。

う〜ん、正直期待はずれだった。というかこっちが勝手に期待していただけなのだが。
あのね、日本軍が財宝を女子学生を使ってどこかに隠したということだけの事前情報で見たわけです。
てっきり秘密命令だから、堺雅人と2、3名の軍人が女子学生を連れて味方など欺きながら財宝を地方に運ぶロードムービー的な秘密作戦ものだと。
「独立愚連隊」的なやさぐれ部隊ではなく、ひめゆり学生みたいな女子学生を部下に連れていくなんて面白そうじゃありませんか。それこそある種「11人のカーボーイ」みたなものかと。

でもぜんぜん違っていて、女子学生が必要なのは貨車からトラックに積み替えて、トラックから倉庫に運び込むだけ。なんだそりゃ。期待したこっちが誤りだとはわかるけど、(勝手に)がっかり。
本来なら男の兵隊や、高校生ぐらいの男子を使えばいいのだが、そこは説明があって「年がいっていると任務に疑いを持ちばれるおそれがある。しかし女子学生なら疑わない」というもの。(一応彼女たちには本土決戦用の特殊手榴弾と言ってある)
もっとも実は教師が反戦的思想を持っているということでそこで選ばれたのではないかと後半出てくるのだが。

で、彼女たちを自決させるという命令に納得出来ない真柴は近衛司団長や陸軍大臣のもとに向かうとすでに司団長は殺害され、陸軍大臣は自決の最中という展開。
この辺は「日本のいちばん長い日」と合わせてみるとよくわかる。
そこで陸軍大臣は「民間人を殺せという命令は出していない」と死に際に言う。では誰が自決を命じたのか?
あの青酸カリを持っていた「帝都物語」の加藤大尉のような男は誰なのか?
非常に消化不良感が残る。

まあそこはいい。
でもっと唐突なのは女子学生の中でいつも病弱で休むことが多かった父親が海軍中佐という女の子・すーちゃんが皆を率いて自決するのだ。
正直、唐突である。

なんで彼女たちが自決するのかいまいち理解できない。
沖縄のひめゆり部隊なら追いつめられて自決するのは解るが、彼女たちの自決はどうも唐突だ。
たとえばすーちゃんが自決用の青酸カリを真柴の鞄から盗むシーンがあるとか、同級生に飲ませるシーン(説得して飲ませたでも嘘を言って飲ませたでもいい)がないと「彼女たちに死んでもらわないと物語が進まない」という作り手の都合ばかりが感じられる。
ユースケサンタマリアが死にに行くあたりもスローモーションたっぷりの映像で私はげんなりした。

そして戦後。
これがまた長い。これは後日談だからちゃちゃと語るべきなのに、だらだらと詳しい。
それに物語の視点が狂うのだな。
真柴の物語は一人生き残った女子学生が預かっていた真柴の手帳をもとに話している。
だからここで語り手は一人である。
ところが後半の戦後物語はマッカーサーの通訳をしていた二世の記憶になる。
マッカーサーに日本復興計画を提案した小泉を知ってるのはいいとして、入院中の梅津を病院に訪ねてきた真柴と出会うのか偶然が過ぎやしないか。
この辺物語の話者を統一したほうがよかないか?
老人になった二世(ミッキー・カーチス)を取材する記者が日本にも来て話を聞いていくとかさ。

結局は米軍によって隠した財産は発見され、マッカーサーが現場を訪れる。
しかし少女の遺体に囲まれた財宝を見て「これはこのままにしておこう」って封印するのはどうよ?
それ甘すぎないか?
第一複数の米兵が見てるだろ?秘密に出来るのか?
それにもともとマッカーサー個人の資産だったとも言えるものなんだろ?それをマッカーサーが見逃すか?

なんだかんだと不満の多い作品だった。
妙に期待した分、その落差は大きい。



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