2011年10月

三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船 猿の惑星
創世記(ジェネシス)
電人ザボーガー
それでも。 恋する。 デメキング 人間らっこ対かっぱ
はやぶさ HAYABUSA にぎって 姿なき目撃者 彼女だけが知っている
UNDERWATER LOVE
おんなの河童
監督失格 ラスト・キャバレー DOG × POLICE
純白の絆

三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船


日時 2011年10月28日21:20〜
場所 ソウル・ロッテシネマ ミョンドン・シアター1
監督 ポール・W・S・アンダーソン

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


10月28日〜30日までの3日間のソウル旅行。
1回ぐらい映画を観たいと思い初日の夜にミョンドンに行ったので、5年前に行って場所の解っているロッテシネマへ。
日本を発つときから、「ソウルで観るなら三銃士がいいな。あれなら話も簡単そうだから」という理由で選択。
それに前に樋口真嗣監督にお会いしたときに、「ラストの飛行船の撃ち合いが面白い」と聞いていたので観る気になったのだ。ただし2000円払って日本で3Dを観るまでいは至らない。
韓国では映画料金は9000W。(100W=7円旅行日のレート)おお安い。日本円で630円!これで3Dならお得だなあと思って指定席に座る。でも入り口ではめがねを配っていない。席にあるのかと思ったらやっぱりない。
周りの韓国人のお客さんもめがねは持っていない。
となると私だけがもらい忘れた訳ではあるまい。
始まったら2Dだった。
映画館のポスターには3Dと書いてあったがどうゆうことだろう?2D版と3D版の上映があるのかな。
でもタイムスケジュール表には特に2Dとか3Dとかの記載はなかったのだが。
まあどっちみち3Dはもう観たくないので(効果は少なく高いだけだから)いいのだが。
韓国語字幕の英語版で観たので、ストーリーの詳細は解っていない。けどいつものように自分の記録の為にストーリーは記す。


イタリアのベニス。三銃士とミラ・ジョボビッチはダ・ヴィンチの蔵に厳重な警戒をくぐって進入。その中からダ・ヴィンチが設計した飛行船の設計図を入手。
しかし手に入れた後、ミラ・ジョボヴィッチは三銃士に薬の入ったワインを飲ませ、設計図を独り占め。
1年後、フランスの片田舎で地元の先生から剣の修行をしたダルダニアンは先生から「もう教えることはなにもない」と言われ、パリに旅立つ。旅の途中で、食堂の表に馬を止めたときに泥がついたといかにも強そうな片目の男とその一行と喧嘩になる。
その場はそこを通りかかったミラ・ジョボヴィッチによって収まったが、あとで決闘をすることに。
しかし決闘にいく途中でぶつかった、なんだと三銃士ひとりひとりと決闘をする事になってしまう。
最初の奴を倒したあたりで別々に約束した三銃士が一度にやってきてしまう。決闘の約束を1時間づつしているダルタニアンの豪快さに意気投合する4人。
三銃士の仲間になったダルタニアンだった。
彼ら一行はフランス国王に面会。その若き国王が今一番熱心に口説いているお嬢様のメイドの一人に惚れるダルタニアン。
そこへやってきたミラ・ジョボヴィッチだが、彼女はまたまたフランス国王がそのお嬢様に贈る予定だった首飾りを盗みだしてしまう。
ミラは飛行船でやってきたオーランド・ブルームとイギリスへと帰る(そうか、ミラはイギリス人だったのか)。
国王は三銃士に首飾りを取り戻すよう命じる。
しかし王の重臣はミラ・ジョボヴィッチと通じていたりして、ダルタニアンが決闘しようとした片目の男に三銃士たちのじゃまを命じるのだが。

こんな感じ。
ダルタニアンは三銃士よりやや身長が低い役者を持ってきたりして少年っぽさを出しているが、いまいちイケメンじゃないので、主役としての魅力にはややかける。
第一、タイトルの三銃士がスターではなく、悪役のイギリス側にミラ・ジョボヴィッチやオーランド・ブルームをもってきたりしている。
もちろん悪役に魅力や迫力があったりして華がある方が主役はより引き立つ。でもちょっと三銃士側に華がなさ過ぎる。

樋口監督が面白がっていて、予告編でも出てきた飛行船同士の空中戦だが、思ったより短く、どーんどーんと撃っておしまいみたいな食い足りなさを感じた。
船長や三銃士の空中戦ならではの、あっちがああ出てきたからこうする、それならこちらはこうする、みたいな丁々発止の面白さを期待したが、それはなかった。
残念。

あとミラ・ジョボヴィッチがダ・ヴィンチの蔵に忍び込む時にインディ・ジョーンズみたいな廊下の石の違うところを踏むと槍が飛び出す、といった仕掛けや、国王から首飾りを盗む時に金庫室の入り口部分にワイヤーが仕掛けてあってそのワイヤーをくぐりながらジャンプする姿は「そんなアホな!」と思いつつ、まあ面白かった。

なによりこの映画のいいところは上映時間が100分ぐらいとこの手の大作にありがちな2時間以上もないところがいい。
滅茶苦茶面白かった訳ではないが、日本語字幕なしでみたとか、ソウルで観たとか旅の記憶とともに、私の中に残っていくであろう映画だと思う。



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猿の惑星 創世記(ジェネシス)


日時 2011年10月22日18:45〜
場所 TOHOシネマズ渋谷スクリーン2
監督 ルパート・ワイアット

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


サンフランシスコにある製薬会社の研究室で働くウィル(ジェームズ・フランコ)は父親(ジョン・リスゴー)のアルツハイマーを治したいという願いから新薬を開発する。
その新薬をチンパンジーに投与したがその脳が活性化され、非常に知能が高くなった。しかしそのチンパンジーは暴れ出したために警備員に射殺された。そのチンパンジーは妊娠しており、生まれたばかりの子供はウィルが引き取りシーザーと名付けた。
数年後、シーザーは高い知能を持っていた。
新薬は猿が暴れたことが原因で、会社内部では開発は中止されていたが、ウィルは密かに自分の父親に投与していた。数年間は効き目があったが、やがてもとのアルツハイマーに。そこで近所でトラブルを起こしてしまい、シーザーは父親を守ろうとして暴れてしまう。
それがきっかけでシーザーは動物収容所に入れられてしまう。

うーん、感想に困る映画だなあ。
そもそも「猿の惑星」なんていまさら感が私には強いし、見る気はなかったのですが周りが「いい、いい」っていうのでそれならと見てきた。
でも正直、予告編以上で見たものはなかったというのが正直な感想です。
「アルツハイマーを治す薬の実験で猿に投与したら猿が頭がよくなった。いつの間にか猿は暴動を始めた。猿はCGでやってますから動きや表情がすごいです」っていうことで事足りる。
そもそも最後に「猿の惑星創世記」なのだから最後に猿が生き残るのは解っている。
もちろん主人公が勝つことが解っているアクション映画もあるのだから結末が解っているのが悪いとは言えない。
でも今回はあまりにもそのままに行き過ぎている。
途中で猿と人間の和解があるとかにしないと面白くないのではないか?

それにどうしてシーザーが人間に対して敵意をああもむき出しにするのか解らない。
例の収容所の虐待に対してなら収容所を襲った段階で達成される。
研究所を襲うのも仲間の猿がつれていかれたからだとかその辺もわかるのだが、街で暴れだすのは単なる凶暴にしか
感じられない。
「暴れてもらわなければ困る」という製作者の意向だけで暴れているようにも見える。

それにマンホールのふたをぶん投げて車のフロントガラスを割ってしまうとか、なんでそんなに怪力なのだろう?
脳が活性化されたから筋肉も強くなったのだろうか?

あと人間の動きを記録してそれを元にしてCGを作る技術も確かにすごいことは認めるけど、「アメリカ映画なら
どんなCGも出来て当たり前」というか驚かないので、特に「すごいですねえ。でもだから何?」という気分なのです。

どうにも乗り切れず、「予告編見ただけで十分堪能した」というのが正直な気分です。



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電人ザボーガー


日時 2011年10月19日20:50〜
場所 新宿バルト9・シアター8
監督 井口昇

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


大門豊(古原靖久)は父が作ったロボット、ザボーガーを使って秘密警察の刑事となり、日夜悪と戦っていた。
その頃謎の集団Σ団が国会議員を誘拐する事件が続いており、今日も予告の上、彼らはやってきた。
新田警部(渡辺裕之)らが若杉議員(木下ほうか)を守る中、Σ団のサイボーグ人間、ミスボーグ(山崎真実)が若杉議員を誘拐しようとする。ザボーガーとともに戦い若杉議員を守る大門豊。
しかし若杉議員は汚職を繰り返す悪い奴で、「守る価値がある男なのか?」と大門は疑問に感じてしまう。
いつの間にかミスボーグと大門は心を通じるものを感じ、いつしか恋仲に。ミスボーグが再び若杉議員を狙ったとき、「本当に大切なのは私?若杉?」と大門はミスボーグに問われ、思わず若杉議員を守らない行動をとってしまった。ザボーガーはそんな大門に従わず、ミスボーグとともに自爆した。
それから25年、大門は刑事をやめ、今や若杉議員の運転手だったが、それも首になる。
そしてΣ団の首領、悪の宮博士(柄本明)はいよいよ世界侵略を本格化させる!
そして今度おそってきた美少女は実は大門とミスボーグの子供だった!

1974年にピープロで制作されたテレビ番組「電人ザボーガー」の映画化。
「ザボーガー」はタイトルは知っていたが、全く見ていない。その頃映画を見始めていて「007」も好きになっていたし、特撮ヒーローものには興味がなかったのだろう。
同じバイクものだったら「ワイルド7」の方が好きだった。そんな訳だからこの映画の公開が迫っても全く見る気はなかった。
でも9月25日のスーパーフェスティバルで主役の古原さんがチケットを売っている姿をみて(あっ、イベントがあってチケット販売があったんです。金銭授受がスタッフがやって古原さんは握手を兼ねた手渡しをするだけ)なんとなく買ってしまった。で、みた。

あのねえ、こういうヒーローものはあんまりひねらない方がいいのでは?
若いときに「国会議員は守る価値があるのか?」と悩むあたりはまだいいとして、47歳の中年になった大門豊(板尾創路)が若杉に「首にしないでください」と土下座したり、果ては職安に行って「面接に行くのにジーパンとヘルメットはないと思うよ」と言われるとかパロディというかギャグにしても痛々しい。
まあオリジナルに愛がない私が言うべきじゃないかも知れないけど。

そんな感じで竹中直人がザボーガーを作る博士だが、母親がいなくなって息子を育てるのに母乳をだしたとかいうのは趣味の悪いギャグ。
もっとも47歳になったヒーローを出す時点でなにやら悪ふざけ感を感じるが、でも監督はきっと悪意はないのだろう。
それは「ギララの逆襲」を作った河崎実に悪意がないのと同じだろう。
そういう悪意のないのは解るが、パロディというか悪のりに走りすぎていて、私はいやである。

「ウルトラマン」の30年後を描いて、科学特捜隊隊員が職安に通ってる姿は見たくないもんなあ。
そんなことしたら俺怒るよ。
だから監督の井口昇と私のリスペクトの手法が違っているので、どうにも乗り切れなかった。

特撮は思ったよりCGなど立派で驚いた。
もっと低予算っぽくなっているかと思っていたので。
その点は(まあ)楽しめた。



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それでも。

公開タイトル ぐしょ濡れ人妻教師 制服で抱いて
日時 2011年10月16日19:05〜
場所 ポレポレ東中野
監督 今岡信治
製作 平成11年(1999年)


女教師とサラリーマンの夫婦。女教師はキャベツを切っていると手首を切りたくなる衝動にかられていた。
女教師は高校で美術を教えていたが、女生徒からキスをされてしまう。
女生徒はこの間まで父親と二人暮らしだったが、その父親も女とどこかへ行ってしまい今は一人暮らしだった。
彼女の家に遊びに来る若い男がいる。
ある日、夫は女教師に最近マンネリだから女子高生の制服を着るようにいう。ところが何か足りない。そうだルーズソックスだ。仕方なく妻はルーズソックスを買いに深夜のコンビニに出かけるが、そこでばったり女生徒に出会ってしまう。
女生徒にルーズソックスを買ってもらうが、その後、彼女の部屋で関係をもってしまう。
数日後、彼女が泊めてほしいと女教師の家にやってくる。

今岡監督にしては珍しいレズもの。
冒頭、朝食の準備でキャベツを刻んでいる主人公が突然「手首を切りたくなった」というシーンは怖い。
私はなんだかそういうのがだめなので、本当に切ったらイヤだなあとドキドキした。
夫が「切ったら痛いよ」妻「ちょっとだけならいい」夫「ちょっとでも痛いよ。でもそんなに言うならやってみるか」とか会話をしながら妻が押し入れにこもってしまうあたりはかなり怖い。
それに初期(90年代)のいまおか作品は血が多いと思う。
この「それでも。」も血が出そうだったし、「恋する。」でも田中要次の夫は血を流した。
「にぎって」でも金属バットで頭を殴られるシーンがあった。やたらバイオレンスである。今度聞いてみよう。

再び妻がうつになって手首を切りたくなったとき、妻は「なんか笑わせて」といい、夫は女装して「あたし、よしこよ」と話しかける。妻は「髭剃ってからファンデーション塗ってね」と笑い彼女は癒される。

そして女生徒が家にやってきて泊まる。
女生徒は妻と関係をもってしまう。
女生徒は教師を独占したくなり、夫を誘い出し、自分の家に監禁する。
妻はなんとか女生徒に「こういうのはもうやめましょう」と家に帰らせる。
夫もやっと解放され、家に帰る。
落ち込んでいる妻の前で再び「よしこ」になり、二人の心は癒される。
という展開だったと思う。

夫が女装した「よしこ」はいかにも髭の濃いオカマな様相できれいなオカマではない。
一種妖怪めいたものにも見えるのだが、そういう「おかしな非日常的なもの」によって救われる、という発想がいまおかしんじらしい。

無理矢理なまとめだがそんな感じがした。



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恋する。


公開タイトル 愛欲乱れ妻
日時 2011年10月16日18:00〜
場所 ポレポレ東中野
監督 今岡信治
製作 平成11年(1999年)



治子(諏訪光代)は泣きながら自転車に乗っているときに一人の中年男が道で倒れているのを見つける。男は自分を人造人間だという。「ガソリンが切れた」というので近くのガソリンスタンドによって給油してあげた。
家に帰ると夫(田中要次)自分は子宮が病気だと告げる。
ところが夫は浮気をしていた。浮気相手の女が自分の家にやってきたが、そうとは知らずに浮気相手と誘われるままにカラオケに遊びに行く。
しかし女から夫と浮気していることを告げられる治子。
治子も財布を拾ったことがきっかけで知り合った大学生(永井健)と浮気を考えるのだが。

人造人間が冒頭登場し、度肝を抜く。
最初おじさんが出てきて「ガソリン切れた〜」とかいうので、てっきりアルコールのことでガソリンスタンドのシーンになったときに「そのガソリンちゃう!」と治子を突っ込むとかなるとか思ったら、ホントにお尻の部分に給油口があったのでびっくりした。ただこの人造人間は最後の方にしかまた出てこない。
いまおか流非日常アイテムにもだいぶ慣れてきたので、今度は驚かなかった。

そして夫の浮気相手と治子がアパートの部屋の前で鉢合わせしてしまうのだが、苦し紛れにとっさに「あなたに抽選が当たりました!」と言って切り抜けようとする。
それで次のカットでは二人でカラオケをしている。

治子は夫の靴下の先に穴があくとそれをつくろう。
浮気相手にそれを聞かれると「こうすると夫が喜ぶから」という。
それを知った浮気相手は夫に靴下をプレゼント。「あたしのことを思ってるならそれを履いてちょうだい」という。
翌朝、夫は妻の繕った靴下ではなく、プレゼントされた靴下を履く。
このあたりは夫の気持ちを靴下という小道具をうまく使って出していたと思う。

そして妻は自分も浮気を決め、先日知り合った大学生を自宅で食事させ「泊まっていって」と言う。
しかし大学生は「彼女と会うから」と帰ってしまう。
それをつける妻。
大学生は彼女と会い、スナックで酒を飲み、アパートに帰り彼女とセックス。
それをじっと見つめ、最後にはアパートの外から大学生の部屋をじっと見つめるあたりはものすごく切なかった。
(ちなみに「白日夢」で大坂俊介が西条美咲の部屋を見つめるカットを思い出した)

夫はその後浮気相手から別れを告げられ、駐車場で転んで頭を打って死ぬ。
そこへ冒頭の人造人間が登場し(やっとだ!)夫を生き返らせる。

そして夫は妻の元に帰る。
妻の夫を思う気持ちが非常に切なく、心に残った。



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デメキング


公開タイトル 痴漢電車 弁天のお尻
日時 2011年10月15日18:30〜
場所 ポレポレ東中野
監督 いまおかしんぢ
製作 平成10年(1998年)


大黒雅人(鈴木卓爾)は電車の中で女(長曽我部蓉子)に出会う。電車を降りた後、彼は女性(林由美香)に見とれた瞬間、交通事故にあう。その夢の中で街が怪獣デメキングに襲われ、電車の中の女が背中に弁天様の入れ墨をしていてその姿で全裸で倒れているのをみる。
弁天様の女はデリヘルをしていたが、そのつきあっていた男は謎の殺し屋(佐藤宏)に街で拳銃で殺される。
デリヘル仲間は電車で若いスリに会う。
一方で消費者金融につとめるOLは借金で強盗をしようとした男(川瀬陽太)と出会う。
若いスリのスリ仲間の中年男は子供のこともあってスリをやめようとしていた。
大黒、弁天様、消費者金融のOL、若いスリ、中年のスリ、強盗しようとした男、弁天様のデリヘル仲間、この7人はいつしか仲間になっていった。大黒の幻想の中では怪獣デメキングによって弁天様は殺される。
7人がそろって酒を飲んでいるとき、例の殺し屋がやってきて弁天様を殺そうとする。大黒は以前中年のスリが警察からすってきた拳銃でその殺し屋を殺す。


怪獣が登場する映画だと聞いていたので「怪獣ピンク映画」と若干期待してみたのだが、怪獣デメキングは最初の方の3カットぐらい。
ビルは壊さず、実風景のカットに怪獣を合成させ、カットバックさせる。
ちょっとがっかりした。

映画はその後、殺し屋によって弁天様は拳銃で足を撃たれる。他のメンバーは一度は彼らを見放して逃げようとしたが、結局大黒と弁天様の逃亡を助けることに。
若いスリの手配で海外逃亡の船は確保できた。
明日は出発、という前の晩、再びデメキングがやってくる。
大黒の幻想の世界で7人は七福神になって出てくる。
そして怪獣には塩をまくといいということで全員で塩をまく。
映画はここで終わり。

このとき、デメキングのカットバックがあるかと思えばなし。がっかりした。
でもまあ仕方ないか。

監督にデメキングの着ぐるみをどうしたのかと聞いてみたら「浅草で借りてきた着ぐるみにちょっと装飾をした」ということだったが、かえってチープさがよかったと思う。
前にも言ったと思うけど、最近の怪獣のとげとげしい造型より、50年代、60年代のアメリカのモンスター映画に登場する怪獣の方が好きだから、このデメキングもそんな感じで好きな怪獣だった。

映画の方は、正直魅力を感じなかった。



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人間らっこ対かっぱ


日時 2011年10月15日18:00〜
場所 ポレポレ東中野
監督 平野勝彦
製作 1985年(昭和60年)


「監督失格」「由美香」の平野勝彦監督が自主映画時代に撮った8mm映画。
今回の上映では8mm映画での映写ではなく、デジタル素材化したもの。やり方が丁寧なせいか、もとは8mmだけどポレポレ東中野のスクリーンに映写しても思ったより遜色がなかった。

映像は成人式らしい沢山の若い女性が振り袖を着て沢山の若い男性がスーツ着ている市民会館前らしい場所の広場をひもにぶら下げたマグロ(だと思う)の頭を持った男がふらふらと歩く。
(ただし足下しか写さず、男の正体は解らない)

場面は変わって町中の浅い川。
川底がコンクリートになっているような都会の小さな川だ。そこの堤防部分でらっこと蟹が遊んでいる。
らっこと蟹はもちろん人間で段ボールで作った着ぐるみを着ている。
先ほどのマグロの頭を持った男(かっぱだった)がマグロの頭を川に垂らすと、蟹とらっこは争い出す。
そこへ人間がやってきて多数の魚の頭(カツオぐらいの大きさ)を川に投げる。

そして河童も参戦し、河童、蟹、ラッコ、蝶(だと思う)は争い始める。
川の堤防でもみ合ったり、やがては川の中をバシャバシャと走り出す。それが最後まで続く。
カメラはそれを手持ちで追い続ける。

いや〜いかにも昔の自主映画だなあ。
そしてこういう映画が今での上映されるぐらいに評価されてるというのがよくわからない。
今回はいまおかしんじ監督の「おんなの河童」上映時に「過去のいまおか作品で関連がありそうな映画」ということで特別上映された。

河童が出てくるからなのだろうけど、あと監督の平野さんは後にいまおか監督とも関連深い林由美香の映画を撮ったという無理矢理なこじつけ上映か。

1985年当時、私も学生で自主映画を撮っていた。
そしてこういうストーリーも脚本もなにもないような映画を見て、否定的に思い、またその映画が評価されているのがよく理解できなかった。
大人の批評家からすると「学生の作った劇場映画の縮小コピー」のような映画には興味がなかったと思う。
それは解るのだが納得はできなかった。
今でもその気持ちは変わらない。

1985年当時の自分を思い出した。



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はやぶさ HAYABUSA


日時 2011年10月10日
場所 新宿ピカデリー・スクリーン3
監督 堤幸彦

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


水沢恵(竹内結子)はJAXSAの対外部長の的場(西田敏行)の講演に感動。それを的場に伝えて数日後、的場からバイト先に電話がある。「JAXSAで働いてみないか」という。
給料は安くボランティアのような存在だったが、JAXSAには今小惑星にロケットを着陸させその表面の物質を持ってくる計画を立てていた。
ロケットエンジンや軌道計算、カプセル回収、それぞれ技術者(高嶋政宏、佐野史郎、鶴見辰吾、山本耕史、甲本雅裕ら)が毎日議論と実験を積み重ねていた。
日本は予算が少ない。だからアメリカのような化学燃料は積めない、エンジンのパワーが少ないから重量を軽くしなければならない、そのためにはパーツ一点一点の重量がチェックされる。
やがて文科省の認可も下り、やっと打ち上げ日程も具体的になってきた!

2010年6月、日本中を熱狂させた「はやぶさ」の帰還。私ははやぶさなんて全く知らなかったので、急に大騒ぎになった印象があったが、天文ファンにはきっと待ちにまったイベントだったのだろう。
映画界もこのブームに乗っかり、別に原作があるわけではないので作り放題。これから東映、松竹でも来年公開される。
第1弾の本作は20世紀FOX製作。

見初めて「これは現代の『黒部の太陽』であり『富士山頂』だ」と思った。
巨大プロジェクトに挑む男たちの激闘だ。

専門的な部分は竹内結子の雑用係の女性を使ってうまく説明する。彼女を物語の核におくことによって雑用係である故にいろんな部署に顔を出し、映画を進めていく。

国からの予算折衝に始まり、ロケットやカメラ、着陸して岩石の破片を持ち帰るシステムのテストなどが行われていく。
特に惑星に着陸ポイントを決める際のマーカーがどうしてもバウンドしてしまうので、それを町工場の社長から「お手玉の原理」を教えてもらうあたりのエピソードは興味深い。
一挙にプロジェクトが身近なものに感じる。

打ち上げとなる鹿児島県の漁業共同組合との折衝も待っている。文科省とはまったくタイプの人々だが、その折衝も同じく西田敏行。苦労するなあ。

でもこの映画、案外低予算である。
画的な見せ場は少ない。
地上の人間たちはいろいろトラブルがあっても所詮はコンピューターをカタカタたたいているだけ。
ヘリコプターの空撮とか台風とかのダイナミックな見せ場はなし。
肝心のはやぶさの映像だが、すべてCG。
それはいいのだが、そのCGが解像度が荒いのでどうも安っぽく見えてしまう。
(それこそハイビジョンテレビでDVDを見るぐらい)

それと後半に行くに従って竹内結子の死んだ兄がどうしたとか、博士になぜなりたいのかとかはやぶさに関係ない話が出てきてやたら感動を誘おうとする。
この辺は全く不要で、「はやぶさプロジェクト」に話を絞って欲しかった。

でも日本が自信を失っている今、妙に政治的な意図があるようなオリンピックより、純粋に日本の技術力に自信をもてる本作は見ていて楽しかった。
あとの2本も楽しみにしよう。



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にぎって

公開タイトル 「OL性白書 くされ縁)
日時 2011年10月10日18:00〜
場所 ポレポレ東中野
監督 今岡信治
製作 平成12年(2000年)


OLのみどりは金ノ介とつきあっていたがどうも乗り切れない。実は婚約者がいてそっちだけにしようと思ったが、その男も別の女と結婚すると突然別れを言われる。
台所で婚約指輪をはずしたが、揚げ物をしている天ぷら鍋に落としてしまい、思わずその中に手をつっこんで指輪を拾い手を大やけどしてしまう。
金ノ介は別の女に言い寄られたが、その直後にその女の兄がやってきて金属バットで殴られる。
みどりはおなかを壊したりしたが、包帯に「青木が原で奇跡がある」と書かれているのを見て金ノ介と富士の樹海に入る。
案の定、迷ってしまい死の淵をさまようが、そのときかつてジョギング中のおっさんにぶつけられて倒れたところを助けた小学生に助けられる。

いまおかしんじ監督の「今岡信治」名義のころの初期作品。
うん、いまおかさんらしい摩訶不思議路線だ。

正直言って結末がどうだったかいまいち思い出せない。
金ノ介と二人でまたやり直すラストだったと思う。
みどりは「僕らはみんな生きている」(だったと思う。違ったとしてもそんな感じの明るい曲)をよく口ずさみ、携帯の着信もこの音楽を使っている。
また小学生もリコーダーでこの曲を吹く。

こういった劇中音楽を効果音楽にしていく手法は後の「罪」での音楽不使用につながるように見えた。
また天ぷら鍋に手を突っ込むという針の振りきった行動は後の「たまもの」のお弁当にも通じる。
また青木が原という魔界に二人が行ってという展開も「おんなの河童」にも通じる。

みどりと金ノ介はSM好きの夫婦に捕まったり、金ノ介はやってきた女の兄に金属バットで殴られる。あの小学生は何だったのだろう?
ようわからん。
「おじさん天国」ほど訳わからんシーンの連続ではなかったが。

役者も金ノ介ももし吉岡睦雄が演じていたらまた印象が変わっていたと思う。
でもガスコンロにかかった天ぷら鍋に手を入れるシーンはどうやって撮ったんだろう?

そういう後のいまおか作品につながる芽を見いだすことが出来、その点としては興味深いが、1本の映画としてはなんだかまだまだまとまりが悪い、かといって針も振り切っておらず中途半端な印象だ。
あんまり印象に残る映画ではないなあ。
腹立つようなことはなかったけど。



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姿なき目撃者


日時 2011年10月9日13:15〜
場所 銀座シネパトス1
監督 日高繁明
製作 昭和30年(1955年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


カメラ好きの小学生・尾形譲二(久保賢=山内賢)は隣の家の女中の千代(越路吹雪)に千代の家の奥さん・綾子(久慈あさみ)写真を撮ってもらうよう頼まれる。
実は綾子は舞踏教室の先生魚住と旦那の権藤に内緒で不倫していたのだ。その不倫現場の写真と譲二に撮ってもらおうと計画していた。
当日、井戸の汲み上げた水のタンクに隠れた譲二は見事に綾子とダンス教室教師のキスシーンの撮影に成功した。
その写真を権藤に届ける千代。
権藤はすぐうちに帰る。井戸のタンクに隠れる魚住。権藤は綾子をねちねちと問いつめるのだが。

物語の核となる譲二少年を演じるのは久保明の実弟の久保賢。兄の久保明は芸名だからその弟だから芸名もとりあえず久保賢になったのだろう。後に日活で活躍するがそのときは本名の山内賢になっている。

今のように携帯カメラもなければ「写ルンです」もない時代。カメラは高級品で誰でも持っていなかった時代の話だなあ。また井戸水の汲み上げポンプとかタンクとかになると私もよくわからない。
でもそういうものがミステリーとして核となる。

映画は権藤は魚住が井戸水のタンクに隠れていることを知っていながら、井戸の水を電動ポンプで汲み上げさせ、しかもタンクにはふたがしてあるから魚住は逃げ出せない。
実は千代は魚住と昔何かあったらしい仲で権藤がもう水がいっぱいになるというあたりで電動ポンプのスイッチを着るよう千代に言う。
このあたりの権藤が「風呂に入りたいなあ」「今は断水です」「じゃ井戸水があるじゃないか」といってねちねちといじめるあたりはまるで「イングロリアス・バスターズ」のようだ。
権藤は魚住を殺すつもりはないので、綾子が折れたあたりで千代に井戸のポンプを止めるようにいう。
しかし千代は止めない。魚住は溺死。権藤は一端は自首を考えたが千代が「警察で権藤に指示されてポンプを動かしただけ。魚住のことは知らなかったと証言する」と脅かされ、魚住の死体を多摩川に捨てて溺死に見せかけることに。

それで志村喬の所轄刑事課長は小泉博の刑事に「一応事故死だと思うが」と言って被害者のポケットから出てきた「JOJI」の名前が刺繍してあるハンカチの追求を命じる。
実は譲二が写真を撮ったときハンカチをタンクに落としたのだ。
聞き込みにより譲二を突き止めた小泉刑事。
周辺を探っていくのだがという展開。

詳しく書くときりがないので省略するけど、実は千代と魚住は昔夫婦で、魚住は生まれた赤ん坊を捨ててどこかへ行ったのだ。それで千代は魚住に対して殺意を持っていたのだ。
そして権藤は千代に口封じのため金をやって田舎に返そうとしたのだが、話がこじれてもみ合っているうちに千代は死んでしまう。
千代も自分が殺されたときのことを考えて手紙をしたため、それをまた譲二のカメラで撮影、二重の防御をしたのでそれを察知した権藤が譲二を殺そうとする、というラスト。

譲二の危険を察知した小泉刑事は新人の石原忠刑事に譲二のボディガードを命じるが、人のいい石原刑事は譲二の母親から頼まれて家事を手伝っているうちに譲二が権藤に捕まってしまう。
はっきり言って石原刑事は刑事失格の失態である。

またまた譲二がタンクに閉じこめられて水が送られ「あわや!」というところで小泉刑事の機転で救出。
このあたりは迫ってくる水と権藤と警察の銃撃戦もあったりして実にサスペンスフル!
ヒッチコック映画にも負けない出来だと思う。

隠れたミステリーの名作。
もっと評価されてもいいと思う。



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彼女だけが知っている


日時 2011年10月9日12:00〜
場所 銀座シネパトス1
監督 高橋治
製作 昭和35年(1960年)

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12月24日、クリスマスイヴの夕方、新人刑事・杉(渡辺文雄)は恋人・綾子(小山明子)と待ち合わせたが、すぐに仕事に戻ってしまう。警視庁は12月12日に始まり4日おきに起きる婦女暴行連続殺人事件の対応で手いっぱいだった。
今日はその4日おきに当たる日で、非常警戒が引かれるのだ。綾子の父は杉の上司である夏山刑事だった。
綾子は杉と別れた後、彼宛のプレゼントを買い、それを無人の杉のアパートに届けた後、家に帰る。
だがその途中、例の暴行犯に襲われてしまう。殺されかかったが、たまたま酔っぱらいが通りかかったため殺されずにはすんだ。
家に帰ったが綾子の母が娘の様子に気がつく。
母はすぐに察したが、事件のことは誰にも話さないで欲しいと言う。警察に知らせれば恋人の杉にも知られてしまうからだ。綾子にはそれがつらかった。

松竹製サスペンス映画。
松竹サスペンスというと「野村芳太郎=松本清張コンビ」が思い出されるけど、この作品もなかなかだった。
1時間のSPで監督の高橋治はこれが監督第1回作品。
大島渚の「愛と希望の街」と同じ頃だ。

前半は綾子が事件のことを忘れたいと友だちの家に家出してしまったりして父親(笠智衆)を困らせる。
今ならこういう婦女暴行事件の被害者の事情徴収は婦人警官が行うそうだが、この当時はそんな配慮もなかったろうから、綾子の気持ちも分からぬでもない。
事件を知った父親が「犯人を一刻も早く挙げるため協力してくれ。3人の被害者が出てるしまた出るかも知れない」
と説得するが母親も娘に協力し、娘は語らない。
「他人がどうなろうと関係ない。娘の気持ちが大切」と守る母親の気持ちもわからぬではないが、もう少し人のことも考えろよ、と言いたくなる。
このあたりのジレンマがこの映画のサスペンスであり、見せ場なのだな。

結局恋人の杉にも事件は知られることとなり、杉の説得によって事情徴収に応じる。しかし時すでに遅し!第5の犯行は起こってしまった。
綾子は事情徴収に応じた後、自宅に帰って自分のブラシを見るとコンタクトレンズが!
これは犯人の遺留品に違いないと警察に届け、それがきっかけで犯人の目星が!

犯人を尾行して暴行現場を押さえようとし、婦人警官をおとりにするが犯人は引っかからない。
そこで現場に面通しで連れてこられていた綾子が刑事たちを振り切って自分がおとりに!犯人は懲りずに綾子を襲ってそこを逮捕。

SPだが前半の綾子の葛藤の部分が楽しめる映画だった。



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UNDERWATER LOVE おんなの河童


日時 2011年10月8日12:00〜
場所 ポレポレ東中野
監督 いまおかしんじ

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缶詰工場で働く明日香(正木佐和)は上司のはじめ(吉岡睦雄)と結婚を控えていた。そんなある日、明日香の前に河童(梅澤嘉朗)が現れた!話を聞くと高校時代の同級生で沼で死んだ青木君が河童に生まれ変わったのだそうだ。
「しばらくこっちにいる。一緒に遊ぼうよ」という。しかし結婚を間近に控えた明日香には困った存在。
とりあえず追い返したが、翌日缶詰工場にあたらしい従業員としてやってきた。
何かとつきまとう青木君。彼は何のためにやってきたのか?

いまおかしんじ監督新作。
実際の撮影は2010年6月ぐらいだから公開順としては「島田陽子に逢いたい」「若きロッテちゃんの悩み」と前後している。
撮影はクリストファー・ドイル。ということで日独合作となっている。最近は日本のピンク映画が海外でも評価されるようになり、その中で生まれた企画のようだ。製作費も1000万円ぐらいあったらしい。

本作もいまおかしんじらしい「異形のもの」が登場する路線の映画だ。
でも考えてみたら僕の好きないまおか作品はこの異形のもの、が出ない、もしくは出番が少ないものが多いのだな。
そういう意味でいうとこの映画は「河童がでる」と聞いていまおか監督の新作だからと期待しつつ、不安も抱えながら見た。

まず河童の造形がゆるい。
背中に甲羅をちょっとつけて口のあたりのマスクのような感じでくちばしをつける。これが時々ずれてきて鼻が見えそうになる。
この河童の造形を許せるかどうかで映画に乗れるか乗れないかが分かれるような気もする。
原口智生監督の「デスカッパ」でも河童は登場するが、低予算でも河童の造形はしっかりしている。
それはやはり原口監督ならでは本職としてのこだわりなのだろう。

しかしこの「へたうま」な河童くんが明日香の同僚とセックスするシーンは何ともユーモラスでほほえましい。
しかも男性器ももろだしでびっくりしつつもその可愛らしさ(たくましさともいえるのか)に思わず頬がゆるんでしまう。

そしてこの映画はミュージカル映画としての要素もある。
主人公たちが歌い踊るのだが、歌はドイツの歌手による引き替え(ドイツ人が日本語の歌詞で歌うという摩訶不思議な感じ)、踊りも本格ミュージカル映画とはほど遠い素人の踊り、これがいわゆるまたまた「へたうま」な感じで愛らしいのだが、見る人によっては怒るかも知れない。

映画は、実はこの青木君は異形のもの世界での噂で知ったのか、明日香の寿命がもう少なく、まもなく死ぬということを知り、それをなんとか出来ないかと考えたのだ。
青木君にとって明日香は高校時代の憧れの人。ラブレターまで書いたが、渡せなかったという過去を持つ。
河童の森に明日香をつれていき、河童の長老から尻子玉を借り、その力を使って死に神(守屋文夫・共同宇脚本も)をだまそうとする。(この死に神が河童と同じく長髪に派手なワンピースという摩訶不思議な衣装)
しかし結局死に神はだましきれず、青木君が死ぬことで明日香の寿命を延ばすことで話をつける。

17年前の初恋、自分の幸せより相手の幸せ、なんかこうキュンとさせられる。このいまおか流純愛映画として十分楽しんだ。

またクリストファー・ドイルの撮影は他のピンク映画とやっぱり違う。
冒頭の缶詰工場での踊りのシーンで画面の隅であふれる蒸気とか、ラストの沢での木漏れ日とかさすがと思わせる。

ただし「へたうまな造形の河童」「へたうまなミュージカル」が一般に受け入れるか微妙だなあ。
私は今はいまおかしんじファンだから肯定的に見てしまうけど、この映画が初めて見たいまおか作品だったら全く別の感想を持った可能性がある。

この映画で初めていまおか作品を見た、という人にはどうだろう?
かえって拒否反応を起こさせてしまいやしないかと心配になったけど。
でもこれからもいまおかしんじは応援していこう。



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監督失格


日時 2011年10月1日21:55〜
場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン1
監督 平野勝之

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「由美香」を監督した平野勝之が林由美香への思いを込めて作ったドキュメンタリー。
6月に同じTOHO六本木ヒルズで行われた林由美香オールナイトも元々はこの「監督失格」公開イベントとして企画されたが、林由美香の命日(誕生日の前日にあたる)に行いたいという意図が先行して映画の公開には直接結びつかないんじゃないかという時期に行われた(この映画の公開は9月3日)。

私はいまおかしんじファンで「たまもの」は好きだが、その主演女優だった林由美香にはそれほど思い入れがない。
だから今回のこの映画もパスしようかと思っていたが、三谷幸喜も朝日新聞のコラムでこの映画のことを誉めていたし、知人が(偶然捉えられた映像だが)「林由美香の遺体を発見するシーンは価値がある」と誉めていたので、予定をやりくりしてやっぱり見に行くことに。
(それでも気が重かったが、それにタイムテーブルの関係で映画終了後9分で大江戸線の六本木駅につかないと終電をのり逃がすのだ、今日はファーストデー1000円なので、と自分を無理矢理納得させて劇場に向かった)

約1時間50分の上映時間だが、最初の1時間強は「由美香」の再編集。「由美香」を見ていない人には必要な映像だと思うが、6月に見ているので正直苦痛である。
「林由美香にうんこを食わせる」という部分はカットし、見たことのないシーンがあるな、と思ったら完成版の「由美香」を編集したのではなく、あのとき撮影したすべてのシーンをもう一度再編集したものらしい。
だから前にあったシーンがなく、落とされたシーンが復活されたりしている。
(特に北海道から帰るシーンはまるまるなかったように思う)

1時間経ったところで問題の遺体発見シーンになる。
仕事の打ち合わせのために(その様子も撮影し、ひょっとしたら使うかも?という意図でカメラを持ち込む)由美香の誕生日に部屋に向かう。
だが誰も出ない。電話も出ない。メールを出しても返信がない。
翌日も同じ。自分の弟子のペヤング(女性。焼きそばにあらず)にカメラをもってもらい、由美香の母親に連絡を取る。母親が部屋の合い鍵を持っていたのであけてもらい部屋に入る。
変なにおいがする。怖がった母親は平野に先に入ってもらい、自分はその後。ペヤングは最後についていく。
奥の部屋に入った平野が「やばいやばい」と言って出てくる。母親も部屋に入る。取り乱す母親。平野が部屋に入ったあたりからカメラは床におかれるのだが、このカメラがおかれた位置が絶妙なのである。
由美香の母親が廊下にうずくまって「由美香、あんたなにしたあ」と叫ぶのだが、これがフレームの中央に収まっており、これが劇映画でもこのアングルになったろうというぐらいの絶妙な位置。偶然とはいえ恐ろしい。

その後の20分はこの映画の結末をどうつけるかというエンディング。

結局この映画が描いているのは林由美香ではない。
林由美香の映画を作っている平野勝之という男の映画であると思う。
たとえてみれば「モナリザを描いているダ・ヴィンチの話」なのだ。例えがよすぎたかも知れないけどそういう映画だと思う。
だから前半の「由美香」の再編集にしても「由美香を撮っている平野が主人公」になっていると思う。
喧嘩しても「僕から謝った」と自分の対応を説明する。
タイトルの「監督失格」も林由美香から「そんなんじゃ監督失格だね」と怒られたことに由来する。
もちろんそんなに深い意味があったとは思わないけど、言われた方は気にするだろう。

だからこの映画のラストは林由美香のカットではなく「この映画を作ると林由美香とお別れしてしまう。だから作りたくない」的なことをいう平野で終わる。
平野勝之を知っている、もしくは関心のある人なら興味もわいたかも知れないが、平野自身にはほとんど興味のない私には関心がないのも無理はない。

だからこの映画は私には面白くなりようがないのは道理なのかも知れない。



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ラスト・キャバレー


日時 2011年10月1日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 金子修介
製作 昭和63年(1988年)

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国分寺駅は再開発が進み、駅ビルもデパートとの複合施設ができるため駅近くのキャバレー・ローズも閉店し、後には駐車場が出来ることになった。
ローズのオーナー柊信太郎(大地康雄)は高校生の娘逢維子(かとうみゆき)と二人暮らし。また4月は近くの大学のテニスサークルの新歓コンパの会場として毎年貸し切りの日を設けていた。そのサークルの幹事土橋龍矢(渡辺航)は久しぶりに逢維子と出会い、かわいくなっているので惚れてしまう。
そしてキャバレーの閉店も近づき、かつての店のホステスさんたちに招待状を出す信太郎。「近所の人は私が直接持っていく」と逢維子はかつてのホステスを訪ねる。
自分が生まれる前の父の姿を聞いていく逢維子。
ラストの前日、二人で食事をする親子。
そしていよいよローズ閉店の日がやってくる。

日活ロマンポルノの最終作。
実際はその一つ前になるらしいのだが、作品はロマンポルノの最後を十分意識して作られている。
その辺の予備知識なしで見たのだが、見終わったまず思ったのは「ラスト日活なんだな」ということだった。

時代の波の飲まれ自分の意志ではないことで閉店しなければならないのはローズも日活も同じだ。
(直接は関係ないがローズが駅前再開発で閉店になるが、この映画の頃はいわゆるバブル景気の時代だったのだ)

その辺の「ラスト」を意識した話のせいか、脱ぎのシーンは少ない。
あらすじには省いたけど、ベテランのキャバレー嬢がローズに入店し、ピンサロ並の接客で客席で客と挿入をするのだが、その時も全裸になるわけではなく、濡れ場としては押さえ目だと思う。

で、ラスト前日の大地康雄と娘の食事のシーンがよく、この親子の不思議な愛情がよく出ていた。
大地康雄はこのころから有名になり始めた役者だが、やっぱり印象に残る。
ラストの日、昔のホステスたちもやってきて大盛り上がり。この昔のホステスを風祭ゆきらのかつてのスターが演じている。

逢維子は事務所で昔のホステスの履歴書などの書類を燃やす。ところがこの炎が火災報知器に反応し、スプリンクラーの雨が降る。
(ここが故意にスプリンクラーを作動させたのか、偶然なのか判然としないが、それはどうでもよい)

その雨の中、事務所は窓の外の街灯の明かりのみで照らされ、逆光の中、逢維子と龍矢が抱き合う実に幻想的で美しいカットになる。
この映画の見せ場はなんと言ってもここ。

「ラストキャバレー」ならぬ「ラスト日活」だったが、それにふさわしい画があったことは何か嬉しかった。

ちなみに龍矢役の渡辺航、当時の宮川一郎太にちょっと似ている。



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DOG × POLICE 純白の絆


日時 2011年10月1日11:00〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン5
監督 七高剛

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ある日起こったショッピングセンター爆破事件。
所轄署の早川勇作(市原隼人)は爆破現場の野次馬整理にかり出されていた。その野次馬の中に不審な男を発見した勇作は男を追跡の上、逮捕。しかしその男は単なる麻薬の売人で爆破事件とは何の関係もなかった。
今までの活躍の良さからいよいよ刑事課配属か?と期待した勇作だが、配属されたのは警備部の警備犬訓練所。
証拠の追跡をする警察犬と違い警備犬は犯人の逮捕や爆弾捜査が主な目的。
しかし現実には当てにされておらず、実際の捜査で実績を上げたことはない。
自分の教育係水野(戸田恵梨香)や所長(時任三郎)に自分の今の仕事に不満を訴える勇作。
そんな中SATとの合同訓練で好結果をだし、見直されてきた警備犬。その時都内で起こっている連続爆破事件の犯人から爆破予告がきた。いよいよ警備犬たちの出動が決まった!

市原隼人は好きな役者だし(でも出演作はなんでも見るというほどではない)、警察ものもきらいじゃない。
ポスターとか予告を見て「最近流行の動物ものと警察ものを組み合わせた解りやすい企画だなあ」と思って見に行く。その予感は誤っていない。

最近の日本映画はこういう解りやすいアクションサスペンス映画をそこそこ上手に作る。見本とすべき外国映画はたくさんあるし、実際に上手にまねることが出来るようになった。

連続爆破事件だが犯人の動機はイマイチ描かれない。
「最初の爆破事件の時、警備員をしていて警備方法の改善を提案したが、聞き入れられずその後退職した。最初の爆破事件で耳が聞こえなくなっている」とだけ説明される。
えっ最初の爆破事件は別の事件で巻き込まれて次の爆破をしているの?それとも自分で起こした事件で耳が聞こえなくなったの?という疑問を感じたが、その辺は一切説明がなかった。まあそこは描かなくていいという判断なのだろう。
加えて不満を言うなら犯人はブリーフ一枚でパソコンに向かい、なにやら性格異常者に描かれる。
でも「探偵はBARにいる」の高嶋政伸、「アンフェア」の大森南おなどを見た後だと「またか!」と思える。
もうパターンである。そろそろ脱却した方がいい。

市原隼人の勇作はとにかく猪突猛進型ヒーローで、でも正直バカに見えた。
最初の方で「刑事課に配属されなかったのは単独行動が多く、組織活動にはなじまない」と判断されたからと所長から言われる。
これに懲りて単独行動を改めると思えばさにあらず。
中盤のショッピングセンターでも水野のバディ(この言い方どうも気になる)犬が火薬のにおいに反応したときに水野が「連絡を!」と言うのに「そんなの待ってられるか」と勇作は一蹴。実際結局犯人逮捕に失敗する。
バカである。
俺がサラリーマン生活が長いせいかも知れないけど「報連相」は組織の基本だよ。こういう俺はおじさんなのかなあ?

そしてクライマックスでも爆弾を自分で処理しようとするわ、犯人の追跡は単独行うわ(そのせいで自分も怪我するし、犯人も死んでしまう)なにも言う気になれない。
単独で活躍する方が画的にいいのかも知れないけど、もうすこしうまくやりましょう。
その辺は「踊る大走査線」はうまく両立させていたような気がします。

そうは言っても警察アクションものとしてまあ面白かった。
入場料と時間の元は取った気がする。



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