2012年2月

少女たちの羅針盤 竜二 ピラミッド 5000年の嘘 地球最後の男 オメガマン
ドラゴン・タトゥーの女 ものすごくうるさくて、
ありえないほど近い
リボルバー J・エドガー
キツツキと雨 はやぶさ
遥かなる帰還
暗闇の悪魔 大頭人の襲来 モテキ

少女たちの羅針盤


日時 2012年2月26日14:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 長崎俊一
製作 平成23年(2011年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ある新人女優がホラー映画の撮影で廃墟となったホテルを訪れた。そのホテルは自分の生まれ故郷にあった。
「劇団羅針盤にいたんだよね?」と監督から話しかけられる。絶句する彼女。
「劇団羅針盤」、それは4年前にこの地で話題になった高校生4人組の小さな劇団だった。
廃墟のホテルでの撮影はおかしなことが起きる。主演の彼女には最終稿が届いていない、なにやらおかしな脅迫状が届く。
4年前、高校の演劇部での活動に不満を持った瑠美(成瀬璃子)は仲のよい演劇部員の利里子(森田彩華)、かなめ(草刈麻有)を誘い、さらに他校の演劇部員、蘭(クツナ汐里)を誘い、「劇団羅針盤」を結成。
お金も何もない彼女たちはストリートで演劇を始める。
最初は失敗が続くが、やがては彼女たちも認められ、市の演劇コンクールに出演が出来るようになる。

長崎俊一監督の新作。去年公開だが、全く見逃していた。
存在すら知らなかった。今回グリソムの上映で初めて存在を知った次第。反省する。
一言で言って面白かった。見逃していたことを後悔した。

ホテルでの映画の撮影シーンから始まる。
どうやら劇団羅針盤の一人は殺されたらしい。
しかもこの女優が犯人らしい。この女優が羅針盤の誰なのかは解らない。カメラは意識的に彼女の顔を映さない。
「誰が殺され、誰が殺したのか?」
羅針盤の少女たちの活動から目が離せなくなる。
今は一致団結してがんばっている彼女たちだが、どうなってしまうのか?

劇団を結成し、彼女たちが喧嘩しながらもライブを失敗、成功を重ねていく姿は懐かしい。こういうのはバンドものではよくあるが、劇団ものでは珍しい。
ああ、青春だなあ、と素直に感動する。
若いときに観れば彼女たちの成功が疎ましく感じられたかも知れないが、今は冷静に楽しめる。
ああ、自分もこうやって映画を作っていたなあ、と。

瑠美が中心となって作・演出をして進んでいく。
そして大きな舞台に出られるとなって新たな脚本を作ったとき、利里子が不満を述べ、自分の書いた脚本を提示する。それを読んだ他のメンバーは利里子の脚本を支持する。その時の瑠美の態度が潔かった。
素直に利里子のすばらしさを認め、あっさりと引き下がったのだ。なかなか出来ないよ、これは。

そしてコンクールでの成功と挫折を味わう。さらに親の反対もあって、劇団解散?となったときに蘭は東京でオーディションを受ける、ついていっただけのかなめが主役の座を射止める。
こういうちょっとしたきっかけで芸能界は決まっていく。
先日読んだ加藤シゲアキの「ピンクとグレー」を思い出した。あれもこんな感じだ。

結局かなめが、レイプの後殺される。
犯人は意外な人物で、ちょっとルール違反な気もした。
お話としては説明がつくのだが、ちょっとミスリードしすぎなような・・・・
このあたりの評価は迷うところだ。

面白かった。
DVDでもう一度観たい。

広島県福山市が舞台だが、町おこし的な意味合いもあって市も協力の上での撮影。



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竜二


日時 2012年2月25日
場所 DVD
監督 川島透
製作 昭和58年(1973年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


新宿をシマに持つ三東会の竜二(金子正次)は舎弟のナオ(佐藤金造)ひろし(北公次)とともにルーレットの賭場を開き、それで稼いでいた。
竜二の妻・まり子(永島瑛子)との間に女の子が産まれた。
そんな頃、つまらん喧嘩が原因で竜二は逮捕される。
保釈金300万円が必要だ。
まり子は九州の実家の親に泣きつき、竜二と別れることを条件に300万円を出してもらう。
まり子と娘は九州へ帰る。
やくざな日々が続いていたが、なにかむなしさを感じる竜二。
ある日、銀行との金銭トラブルが身内で起き、難航するかと思ったが、意外にもあっさり解決。
竜二は堅気になる決意をする。

昭和53年公開、新宿東映パラスで公開。
もちろん封切り時に観ている。主演の金子正次が公開1週間で亡くなったから伝説の映画になってしまった。
もちろん面白く観た。当時主演の金子正次も話題になったが、舎弟のひろし役の北公次の好演も話題だったように思う。少なくとも私の中では印象に残った。

先日2月22日の北公次さん死去のニュースに接し、この「竜二」のことも思いだし、アマゾンで検索したら2062円で出ている。迷わず買ってしまった。

今回見直してみたが、地味な話だと改めて思った。
通常のやくざ映画では抗争話が中心になる。しかしこの映画ではそういう抗争はない。
考えてみればやくざだって年中戦争をしてるわけでなし、大きな戦争なんてしたことないやくざも大勢いるのかも知れない。

説明的せりふは少ない。
竜二はやくざな生活に疑問を感じている。
そこで例の銀行との金銭トラブルだ。名刺を胸ポケットにいれて銀行との交渉に向かう。そこで名刺を取りだそうとして胸ポケットに手を入れただけで相手が勝手に勘違いして金を払うという。
「やくざなんてポケットに手を入れただけで金が転がり込む」と喜んでも良さそうなものだが、竜二は逆にむなしさを覚える。
これが観ている観客にも伝わる。

酒屋の配達人として働き始める。
1ヶ月働いても(おそらく)20万ぐらい。
まじめにやっていたがやくざ時代の知り合いがシャブ中で死に、ナオも落ちぶれ、意外にも坊やだったひろしがのし上がっていく。
ひろしが竜二が堅気になってから訪ねて来た時に、スーツを着て貫禄たっぷりになって登場するカットには驚く。
子供だと思っていたひろしが「シャブはやるもんじゃなく売るもんでしょう」と言い放つ。

そんなこともあり、竜二の気持ちは動く。
そしてまり子が肉屋の安売りの行列に並んでいるのを観て戻ることを決意する。

ほんとに不思議なのだが、この肉屋のシーンは伝わってくるのだな。説明的なせりふなど一切ない。
でも観ているこちらには竜二のやくざに戻りたくなる気持ちがよく解る。
もちろん前半でひろしがバーゲンで買ったジャンパーをナオの前で自慢するシーンの伏線はある。
でも肉屋のシーンですべてが伝わる。

金子正次の存在感であり、これこそ映画的映画なのだ。
だからこそこの映画が伝説の映画として語り継がれているのだ。
単なる主演の俳優が急死しただけではない。
それなりの価値のある映画なのだ。



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ピラミッド 5000年の嘘


日時 2012年2月20日19:45〜
場所 新宿バルト9・シアター3
監督 パトリス・プーヤール

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ギザの巨大ピラミッドは古代エジプト文明のクフ王の墓と伝えられ、建造に要した時間は20年、古代エジプト人がノミで切り出した石を奴隷がロープを使って組み立てたとされている。
しかし本当にそうだろうか?石の組み上げ方の細密さ、石と石の間にまったくない隙間、中の石室は平行に保たれており、過去に起こった大地震も耐えてきた。
この事に疑問を感じた監督は、現代の物理学者や建築学者に意見を聞いていく。
彼らが一応に言うのはとても人力だけではあのような精密な建造物が出きるとは思えない。
では一体誰が建造したのか?

ドキュメンタリーである。
最近はドキュメンタリー映画がシネコンのような商業ベースの映画館でも上映するようになってきた。
でもそれらはマイケル・ムーアのような「社会の問題を追究する」といった社会派な素材が多いように思う。
しかしこれは全く違う娯楽性の強い素材。
まるで70年代に一世を風靡した日本テレビの「木曜スペシャル」みたいな内容だ。

その期待を裏切ることなく映画は進行する。
底辺の合計で何かを割るとそれが黄金数となって、それは円周率がどうしたこうしたという解説が速いテンポで進む。
正直言ってこちらがきちんと理解する前に話は進む。
まあ細かいことは実はどうでもよくて、要するに精密で高度な幾何学に基づいて作られており、それを正確に建造物という形で再現するには相当な技術力が必要だということ。

その中で実はメートル法に基づいて造られているらしく、キューピッドという単位が使われているが、これが円周率を6等分した数字に等しいということ。
だいぶ後になってメートル法はフランスより提案されて採用になったが、そもそもピラミッドの技術が何らかの形で伝承されていたのではないか?と説く。

結論として「誰が何のために作ったか?」という疑問。
てっきり宇宙人説だと思ったがさにあらず。
今の文明とはまったく違った超古代文明からの何らかのメッセージではないかという。
アンコールワットとかペルーの遺跡とか、イースター島のモアイ像はすべて一直線になるという。
これらは赤道から30度の角度に進む円周になるという。
そしてその90度のところにあるのが磁北極、つまり磁石の北の位置だ。

マンモスの絶滅のように時として種は一挙に滅ぶことがある。それは地球の磁極が時々逆転するからだという。
そうするとこれが古代人からのそれに関する何らかのメッセージではないか?

「100000年後の安全」というドキュメンタリーでも遠い未来にどうやって危険を伝えるかが問題になっていた。
幾何学、数字というものはおそらく世界、いやどの宇宙に言っても通じるものだろう。
だからこのピラミッドも過去の文明を持ったものが、未来の人間へなにかしらのメッセージを託したのではないか?
ひょっとして人類破滅への警告?

詳しい答えは出ないまま映画は終わる。
面白いねえ。
宇宙人説でないだけなんとなく信憑性がわく。
現代の核物質のような危険物をしまっていた箱なのだろうか?
なぜ昔のものほど巨大なのだろう?
「1/8計画」にあったように古代の人間は実はもっと大きかったのだろうか?
妄想はとどめもなく広がっていく。
楽しい映画だった。



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地球最後の男 オメガマン


日時 2012年2月19日
場所 DVD
監督 ボリス・シガール
製作 1971年(昭和46年)

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1975年3月、中ソ戦争の拡大によりついに世界戦争に突入。最終兵器とされた細菌兵器を使用し、アメリカも被害は及んでいた。
全国各地で人々は次々に細菌により病気に冒され死んでいく。軍の細菌兵器研究者だったネビル(チャールトン・ヘストン)はその病気の抗体の試験薬を作り、本部に運搬中に発病する。まだ実験もしていない未知の新薬だったが、ネビルは自らにその新薬を投与。幸いにもその薬は効いて自らは生き延びたが、すでに遅く人類は死滅していった。
それから数年後、いまや無人となったロサンゼルスで車を走らせるネビル。夜になるとマサイアス(アンソニー・ザーブ)という男たちにひきつられた、死ななかったが光に弱く肌が白くなった異様な一群が街を支配し、ネビルはそれと日々対決していた。
ある日、街に出るといないはずの正常な姿の女性を見かける。

チャールトン・ヘストン主演の終末SF。
この頃のSFの未来は暗い。チャールトン・ヘストンも猿の惑星(1969年)の後、その後「ソイレント・グリーン」(1973年)などSF作品が連発している。
アメリカンニューシネマの時代でもあり、アメリカ映画全体がちょっと暗いのかな。

この映画は子供の頃にテレビの洋画劇場でちらっと見た覚えがあり(バイクでジャンプするシーンが記憶に残っていた)、ちゃんと見たくて数年前にDVDを購入し、やっと鑑賞。

正直言うけどつまらん。
話の展開がぜんぜんないのだよ。1時間40分あるけど、それこそ30分でも出来そうなくらいしか話のネタがない。
実は人類にも正常な生き残り組がいて、それと遭遇するところから話はやや回り始めるが、これが40分過ぎてから。
で、まだ20代の青年をリーダーとする子供中心のグループなんだけど、なんでこの人たちは助かったのかは説明がない。
「若い奴には抗体があるのかも?」の一言だけ。

そもそも生き残ってる組でも死に神のような一団とマサイアスのグループがよく解らん。
何で病気になっても死なないのか?
結局ネビルはメサイアスに殺されて、ネビルが作った抗体を持って若いグループが他の地へと移っていく。

まあ現在の文明批判の要素があるのは認めるが、それにしてもうまく行ってない。
登場人物も少なくて低予算みえみえで、多少カーアクションがある程度。
しょぼい映画だったなあ、一言で言うと。



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ドラゴン・タトゥーの女


日時 2012年2月18日21:10〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン9
監督 デヴィッド・フィンチャー

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舞台はスウェーデン。ある有名人物の汚職を暴いた記事を書いたジャーナリストのミカエル(ダニエル・クレイグ)だったが、名誉毀損の裁判を起こされ、結局敗訴。
刑務所にこそ入らなかったが、巨額の賠償金の支払いが来る。
そんな時、スウェーデンで有数の財閥の元会長、今は引退しているヘンリック老人から評伝の執筆を依頼される。
ヘンリックの住むストックホルムから4時間の街に行くミカエル。ヘンリックの一族はある島に一族で住んでいた。
40年前、自分の兄の孫娘が失踪し行方不明になった。
島から遺体は発見されない。海の流れも弱いから死体が流された可能性もないという。
その娘ハリエット事件の真相を調べて欲しいという。
40年前の事件では何も解るまいと思い、一度は断るミカエル。だが自分が告発した例の相手の弱みを握っているから成功報酬としてそれをあげようと聞き、ようやくやる気になった。
この島にヘンリックの一族が住む。
しかし変人も多く、ヘンリックと仲が悪いものも少なくない。

新宿ピカデリーの鑑賞ポイントもやっと8ポイントたまり無料鑑賞出来るうちで何を見ようか一思案。
「荒川アンダーザブリッジ」や「麒麟の翼」などお気に入り俳優が出ている映画にしようか迷ったが、一番作品の出来は良さそうなこの映画にした。正解だった。
ミステリーで2時間40分はさすがにきついだろうと思っていたが、なかなか飽きさせない。
上のあらすじ紹介では省いたが、本作にはもう一人の主人公が登場。それが「ドラゴンタゥーの女」ことリスベット(ルーニー・マーラー)だ。

彼女は調査会社に臨時調査員として働く。
ヘンリックが代理人を通じてミカエルのことを調査したときに使ったのが彼女。
背中にドラゴンのタトゥーを彫り、顔にはピアスをした異様な表情。
映画が始まってしばらくはミカエルとリスベットの別々の話が進行する。
彼女は両親もいなく、いろいろあって保護観察の身。
今までの観察人はいい人で信頼もおけたが今度は変態野郎!
生活保護が欲しければ俺のナニをしゃぶれという奴。
しかもそれはエスカレートし、アナルセックスを強要する始末。
フェラチオやアナルセックス自体は否定しないが、でも相手が合意の上でなきゃだめだよ。
いやがる相手にするのは最低野郎だ!

でも正直見ている私はミカエルの調査している事件が気になったので、リスベットのことも面白いことは面白いが、ちょっと遠回りな印象は否めなかった。

助手が欲しいと思ったミカエルにヘンリックの代理人が紹介したのが、以前ミカエルの身辺調査を実施したリスベット。というわけでやっと合流する。

ハリエットは失踪当日、街で何かを見たらしい。
ヘンリックにその話をしようとしたが結局話せずそのまま失踪。ハリエットの残した手帳には名前と数字の羅列が。
偶然ミカエルを訪ねた彼の娘がその数字と名前は聖書からきているのではないかと気づかせてくれる。
数字は聖書の各パートの章を表している。そこに書かれている殺され方と同じ強姦殺人事件が過去に起こっていた!

このあたりでもう横溝正史である。
地方の財閥、何かと同じ形で繰り返される連続殺人、対立する親戚、呪われた家系、どう考えたって横溝正史だよ。
原作はスウェーデンのベストセラー小説だそうだが、まさか横溝正史を読んでいたとは思えない。
もし影響を受けていたらそれは面白いことになるのだがなあ。

40年に渡る猟奇殺人事件も解決。
しかし一番最初のミカエルの敗訴の件は?と気になるが、天才ハッカーを仲間に持つリスペットが解決。
でもリスペットで超大金持ちになったわけだよな。
それこそ一生遊んで暮らせそうな。

ホントはスウェーデン社会の持つ闇、というか陰の部分も大いに取り込まれてるんだろうけど、正直スウェーデンに何の予備知識も関心もない私にはちょっとピンとこなかったのが本音。
でもその辺をすっ飛ばしてみても「ここにあったか横溝ミステリー」という感じで2時間40分十分に楽しめた。
見てよかった。



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ものすごくうるさくて、ありえないほど近い


日時 2012年2月18日18:35〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン3
監督 スティーブン・ダルドリー

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911のテロで父を亡くしたオスカー少年(トーマス・ホーン)は父(トム・ハンクス)の死を1年経ってもに受け入れられずにいた。父はいつも自分にクイズのような課題をだし、ニューヨークの町歩きをさせてその問題を解かせていた。オスカーはそんな父が大好きだった。
ある日父の部屋のクローゼットの棚から奥においてあった花瓶を落としてしまう。その割れた花瓶の中から鍵が出てきた。
知り合いの鍵屋のおじさんに聞いてみると貸し金庫の鍵じゃないかと言う。鍵が入っていた袋には「Black」と書かれていた。
Blackを人名だと思ったオスカーは電話帳で「Black」の名前をリストアップ。400名以上いたが一人一人を訪ねることに。計算では3年かかるが、やってみるしかない。

父親の残した「鍵」の場所を探してニューヨークを回る話みたいらしいと思っていたのでそれこそ「ナショナル・トレジャー」みたいな映画かと思っていたが、全然違った。
もっと見応えのある映画だった。

911という突然の悲劇。そして遺体はがれきにまぎれて(というかよく考えたらビル倒壊の衝撃で遺体はきっとちぎれて粉々になってしまっているんだな。がれきの中から人間の形をした死体が見つかる訳ないのだ)見つからない。仕方なく空のひつぎで行われる葬儀。

オスカーはあの日、何が起こっているかも理解せずに学校から帰り、その時には帰り道にジュースまで買っていた。
しかし家に帰ってみれば父から留守番電話にメッセージ。
父と最後の別れが出来なかったことが、トラウマになって自傷行為にさえ及んでしまう。
しかもオスカーはあの日以来地下鉄に乗れない。
公共交通は狙われるという恐怖感が先に立ってしまう。
パニックを押さえるためにタンバリンを持ち歩き、これを鳴らすと落ち着くらしい。

見ていて胸が苦しくなった。
911に関しては「攻撃されるアメリカにも非がないとはいえない」という意見もあるし、私もそれを全面的に否定はしない。
しかしオスカー少年にはアメリカとアルカイダの関係の責任を取らせるのはお門違いだろう。

そして向かいのアパートに住むおばあちゃんちに同居し始めた老人(マックス・フォン・シドー)。おばあちゃんは「その人と口を利いてはいけない」という。
しかしおばあちゃんちにたまたま行ったときにおばあちゃんはいなくてその老人と会ってしまう。その老人は口が利けないが、こちらの言うことはわかる。

その老人が実はいなくなったオスカーの父の父、つまりおじいちゃんということは容易に想像がついたが、それをオチとせずにちゃんとオスカーは見抜く。
父の残した新聞の切り抜きに「捜索を止めるな」の文字に赤丸がついていたので、それを見ていたが、実はその新聞の裏側に書いてあった電話番号に丸がついていたらしいと気づく。そこに電話したら、一番最初に訪ねたブラックさんの家だった!
ここで話は急転回。

結局何の鍵かはわかったが、それは父とは関係なかった。
また行く先々でいろんな人と会い、それこそにぎやかな人、オカマ、ハグ好きな人などなど。
少年も成長する。
ラストに父との思い出のブランコでメッセージを見つける。
そしてオスカーがブランコに乗っているシーンで終わる。
このブランコのシーンだが、音楽もなにやら寂しげだし、漕ぐブランコの付け根のアップが挿入されたりする。
ひょっとしたらブランコが切れてオスカーは投げ出されて死んでしまうのではないかとドキドキしたが、そうは
ならなかった。

あと母親が実はオスカーの行動を察知し、事前にブラックさんを回っていたという展開は少し気になった。
それは少し過保護すぎないか?

映画を見ていてずっと思ったが、日本でも311があった。
あの日の津波でどれだけの少年がこのオスカーのような思いをしたのだろう?
ちょうど震災から1年。
そのことが気になって日本でも同様のことが起こっているのかも知れないという思いがどうしても頭から離れなかった。
アメリカ映画もノー天気なアクション映画ばかりじゃないと改めて思わされた1本。



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リボルバー


日時 2012年2月12日14:30〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 藤田敏八
製作 昭和63年(1988年)

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鹿児島で警察官をしている清水(沢田研二)は特に出世には興味がなく、なんとなく過ごしていた。
去年、たまたま出会った男が指名手配犯だったことから本部長賞を受賞。まわりは評価していたが、本人にはその評価は迷惑だった。上司(長門裕之)の紹介で仕方なく見合いをするが、その相手亜代(南条玲子)は自分が公務員だから結婚したがっているような女で清水は興味がなかった。
高校3年生の進(村上雅俊)は受験勉強でこの夏を過ごそうとしていたが、ガールフレンドの佐伯直子(佐倉しおり)は何かと誘ってくる。
会社員の阿久根(小林克也)は会社のOLと不倫していたが、彼女は別の男と結婚するという。
逆上した阿久根は結婚式の帰り、たまたま公園にいた清水を殴り、拳銃を奪う。
進はある晩、公園で女性をレイプしているところを目撃し、犯人の石森(山田辰夫)にボコボコにされる。
競輪場で知り合った蜂矢(柄本明)と永井(尾美としのり)は競輪で稼いだ金で遊んで暮らしていた。

日活がロマンポルノ路線もアダルトビデオに駆逐され、一般映画を撮ろうと言い出し、ロッポニカというブランド(というのか)で映画を作り出した第一弾。
封切り当時も観たが、今回24年ぶりに再見。

実はそのときはいい印象がなかった。
「沢田研二の警察官が拳銃を奪われ、鹿児島から札幌まで追いつめる話」と聞いていたので、それこそ黒澤明の「野良犬」みたいな映画を期待していたせいだろう。
そういう拳銃を持った男を追いつめていくサスペンスものではなかったのですごくがっかりしたことを覚えている。今回再見して解ったが、そういう映画ではなく拳銃を媒介とした一種の群衆劇だった。

無関係な人間たちが鹿児島で絡み合っていく。
全く関係のない人間たちのドラマが同時に進行していく。
スピード感にはかけるものの、複数の人間たちがどう結びついていくのかの楽しみはある。
しかしそれも初めのうちだけで、後半になってくるとやや退屈(というか飽きる)。
1時間50分ぐらいの映画だが、もう少し短ければもっと楽しめたと思う。

やがて拳銃は阿久根から進の手に渡る。
進はこの拳銃で石森を殺すことを決意。
それを知った清水は石森が札幌にいると知り、直子とともに札幌へ。
この清水が進のことを知るきっかけだが、清水は海岸で偶然知り合ったと事件後暮らすようになり、その女性の友人が石森にレイプされた女だという流れ。
レイプされた女が高校生の進が拳銃を持っているらしいこと言っていたからというかなり偶然性の高い不確かな情報で展開。この辺で以前もがっかりしたのだと思う。
その点「野良犬」は犯人にたどり着くまでの過程は丁寧だった。

いつもぶらぶらしている蜂矢と永井も札幌に行き、清水に振られた亜代も札幌へ。
ここで今までの登場人物が進は石森を追いつめ、拳銃を向け清水がそれを止める。
で清水にしてみれば亜代もいきなり札幌で再会し、唖然。
でもここで一同が集まってしまうのは正直ちょっと笑った、あまりにも偶然がすぎて。
結局亜代の手に渡って流れ弾が蜂矢にあたる。
3ヶ月後病院を退院した蜂矢が鹿児島に戻ってくる。
ここでタクシーに乗るのだが、その運転手が清水というのは面白かった。

主演というか中心人物の沢田研二。80年代前半の沢田は映画主演が多かったが、正直この映画の沢田は魅力がない。まあ役も無気力な警官という役だったせいもあるだろうが。
沢田研二が鹿児島から札幌に向かうとき、「進は拳銃を持っているから飛行機には乗れない。列車で行ってるはずだから間に合うと思う」というせりふが唯一サスペンス映画ぽかったので、初見の時から覚えていた。
上映後のトークイベントでは脚本の荒井晴彦さんが「ジュリーは最初柄本明の役を希望した」という話が面白かった。

あと記憶に残った出演者は山田辰夫。ちょっと甲高い声で
喧嘩する迫力が記憶に残り、山田辰夫という役者を意識したのはこの映画だと思う。
同じく覚えていたせりふがあって札幌の喫茶店で進と会うときに「待ち合わせなら入り口に近い席に座れ!」と文句を言うところ。

何にしてもロッポニカの活動はわずか半年という短命すぎるぐらいに短命に終わる。
にっかつはこの時で定期的に映画を撮ることやめてしまった。確かそうだ。



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J・エドガー


日時 2012年2月11日21:35〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン4
監督 クリント・イーストウッド

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


1960年代前半。FBI長官のJ・エドガー・フーパーは回顧録の作成を思い立つ。
文書課の人間に語っていき、タイプで速記録を作っていく。
1920年代、フーパーが20代の頃、司法省の役人だった彼は同時の司法長官や政府の要人宅が共産主義者によって爆破される事件が起こった。
この事件でのフーパーの対応が認められ、フーパーは過激派対策を24歳で任せられるようになる。
共産主義者やギャング、アメリカの秩序を乱すものを徹底的に排除しようとし、過激派対策チームにも捜査権や武器の携行を認めさせる。
それが現在のFBIに繋がっていき、初代長官に就任。
その在任期間は48年の長きに渡っていく。

クリント・イーストウッド監督作品はここのところ観るようにしているし、ディカプリオはハリウッドで好きな役者なので大抵観る。
その二人が組んだ作品なら観ないわけにはいかない。
でも正直、いまいち食指が動かなかったのも本音。

実在の人物の一生を描く伝記映画なのだが、そういう映画の場合、元の人物をどれだけ知っているかで関心がかなり変わってくる。
フーパーというFBI長官は私のとっては「名前を聞いたことがあるような気がする」といったレベルで、予備知識もなにもない。
それを知る面白さもあるのだが、どうもこのフーパーという人物を好きになれなかった。

24歳で妙に偉くなってえばりくさるのが気に入らない。まあ要は出世しないサラリーマンである私のひがみでもあるのだけど、年上の部下を「髭が気に入らない」という理由で(他にもあったかも知れないけど)首にしちゃう。

その上ずっと母親と暮らしていていわゆるマザコン。
そして若きエリート学生トルソンが入省するとたちまち副長官に代抜擢。
このトルソンとの関係が同性愛っぽい。
実際に肉体関係があったかは解らないけど、少なくともトルソンの方はエドガーに惚れていたと受け取れる描写をされる。
そしてその関係は二人が老人になる40数年も続く。
もう「ブローク・バックマウンテン」の世界だ。

ラストに回顧録を読んだトルソンは「君の回顧録は間違っている。あのときに逮捕したのは捜査員だった。君は何が真実で何が真実でないか解らなくなっている」と指摘される。
以前の私ならはフーパーは嘘つきと解釈するだろうけど、最近「自分にとっていいように記憶が変わっていくのではないか」と思えることがあったので、単にフーパーを攻める気にはなれなかった。

でも全体的にアメリカ人の近代史に関わることだからアメリカ人にとっては関心がある素材かも知れないけど、遠くの日本人である私にはピンとこない素材だったことは否定出来ない。
だからいまいち印象にも残らない映画になってしまった。



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キツツキと雨


日時 2012年2月11日17:15〜
場所 角川シネマ新宿1
監督 沖田修一

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


きこりの岸克彦(役所広司)は今日も仕事で木を切っているときにある男から手を止めてほしいと頼まれる。聞くと映画の撮影をしているからだという。
翌日、溝にはまって動けなくなっている撮影隊の車を見かける。一緒に動かそうとするが結局、自分の車に乗せてやることに。
ロケハンをしている撮影隊につきあううちにいつの間にか映画の撮影を手伝い、ゾンビ役でエキストラ出演してしまう克彦。
その中にどうにも使えないはっきりしない若者がいた。
浩一(小栗旬)という若者、実はこの映画の監督だった。
たまたま温泉で一緒になり、それがきっかけで浩一と仲良くなる克彦。
彼らの映画作りを徐々に手伝っていく。

「おんなの河童」「おじさん天国」などのいまおか作品の脚本を手がけた守屋文雄さんが共同脚本。
役所広司主演だから別に守屋さんが絡んでいたくても観たとは思うが、楽しめる要素が増える。

結論から言うと面白いのだが、どうにも疑問な点が残った。気弱な25歳の男がどうして商業映画の映画監督になっているかである。
25歳という若さで映画監督になる位ならそうとう押しが強くないと出来ないと思う。
それともゾンビとか怪奇ものの自主映画で活躍し、今回初めて商業映画の監督に抜擢されて緊張しまくってるのか?
単なるファンレベルとはいえ、多少なりとも映画界の話を聞いているだけにその辺が気になってしょうがない。

まして現場を放り出して逃げようとするシーンがある
そこまで気弱で人生やっていけるかなあ??
2時間以上の上映時間があるのだから、時間の関係で田辺幸一監督のバックボーンが説明出来なかったということはあるまい。
「自主映画で友達とゾンビ映画を撮っていたのだけど、それが妙に評価受けちゃってプロデビューしないかと言われた。自分はそんな力ないと思ったけど、結局やらざるを得ない状況になっちゃって。正直、俺には無理だから引き受けなければよかったかなあと悩んでます」とか克彦にグチをいうシーンがあればよかったかも知れないが。
一般の観客は気にならないかも知れないが、ちょっと気になった。

ゾンビと戦う竹槍隊のおばさんのエキストラが3人しかいない。一般の映画でもこういうことはよくあるらしくて、10数人の警官隊が犯人の家に突入と書いてあっても予算の都合で私服刑事2人で突入するとかに変わることもあるようだ。そういう話を聞いていたから余計に真実味を感じる。
それを聞いた克彦が3人じゃしょうがないだろうと地元のおばちゃんにエキストラ出演を依頼するあたりから本格的に映画協力を始める。
やっぱりエキストラが多いとスタッフの意識も変わるらしく、今までやる気のなさそうだったカメラマン(嶋田久作)も「ここレール敷いていい?その方が絶対いいよ」と積極的になる。

またサブテーマとして描かれる親子の問題。
克彦は息子・浩一(高良健吾)とうまくいっていない。
仕事も定まらず、ふらふらしている若者に見える。
しかしそ克彦の息子への愛情も手作りの将棋台に刻まれた「浩一10歳」で読みとれる。
同時に幸一プレゼントしたイスにも「幸一25歳」と刻まれ、愛情を感じさせる。(この年齢が刻まれているというアイデアは「おんなの河童」にもあったな)
この疑似親子関係が映画の面白さを広げていると思う。

ラスト、二人は元の生活に戻る。
克彦の息子浩一は克彦の仕事を手伝うことに。
しかし仕事中にふと見ると息子はいない。
幸一も次の映画の撮影をしている。
克彦からもらったイスも使ってはいるが重くて不便。
「全部ハッピー」みたいなハッピーエンドにしなかったところに作者の意図を感じる。

あと蛇足ながら一言。
撮影隊がよるラッシュを観るシーンがあるが、現場においてあるカメラは35mmカメラじゃない。
デジタル撮影でもラッシュの確認ってするのか?
ちょっと気になった。



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はやぶさ 遥かなる帰還


日時 2012年2月11日13:50〜
場所 新宿バルト9・シアター9
監督 瀧本智行

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


長い準備期間を経て小惑星イトカワ探査に向けてはやぶさが飛び立った。
目的はイトカワに着陸して、地表の土をサンプルとして持ち帰る、いわゆるサンプルリターンだ。
エンジンは当初の予定通りの動きはしなかったものの、なんとかイトカワに到着。
サンプル採取に成功(したと思われる)。
そして地球帰還に向けて動き出したが、通信途絶、エンジン4基のうち3基停止、残る一つも6割の出力。
はたしてはやぶさは地球にサンプルを持ち帰ることが出来るのか?

昨年10月に公開されたFOX版に続き、東映版「はやぶさ」の登場。
FOX版を観ているので、「はやぶさ」プロジェクトの概要は知っている。あらすじを知った上で映画を観るようなものだ。
FOX版は準備段階からはじまり、打ち上げまで映画時間で40分ぐらいはあったと思う。
今回はいきなり打ち上げ。
準備段階はすっぱりと切り捨てる。
だから上映時間的には発射してからの描写は丁寧になるはずなのに、なんかはしょった感じがする。
思うにFOX版での竹内結子が解説役として実に映画をナビゲートしていてくれたのだと実感。

結論を先に行うと私はFOX版の方が好き。
今書いた竹内結子による解りやすい解説があったこともあるが、本作はそれ以上に役者があまり好きでなかったせいもあるかも知れない。

まずプロジェクトリーダーの渡辺謙。
この人ね、どうも演技が濃すぎるのだよ。
他の人が薄ければまあバランスがとれるのだが、さらに演技過剰な江口洋介が出る。
その隣にいるのが最近よく見る吉岡秀隆。
この人もなんとなく好きじゃないんだな。
この3人が中心的になるから、どうも演技過剰で画面がうるさい。
あと最後に活躍がある小沢征悦が登場する。
この人も昔から好きじゃないのだな。

さらに山崎努の町工場のおやじが登場する。
この人ははやぶさの部品設計に携わった人だから、本来なら出番は発射前なはず。
にもかかわらず映画は発射から始まる。
出番はないのに出てくるからどうもじゃまなのだな。
もちろん山崎努は圧倒的貫禄でいいのだけれど、なにか映画にとっては居場所がない。

そんなかんやでどうにもあくまで僕にとっては居心地の悪い映画で乗れなかった。
藤竜也はおそらくはFOX版で西田敏行が演じた役を演じており、これに関しては藤竜也の方が私は好き。

結局映画の出来不出来というより出演している役者の好き嫌いだけが印象に残る映画だった、僕にとっては。



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暗闇の悪魔 大頭人の襲来


日時 2012年2月5日
場所 DVD
監督 エドワード・L・カーン
製作 1957年(昭和32年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


アメリカのある田舎町。アート・バーンズとジョー・グレンはこの街で一儲けしようとやってきたが当てが外れたみたいだ。
土曜日の夜、若者たちはする事がないから恋人同士でカーセックス(正確には車の中で抱き合ってキスしてるだけだけど)。みんな恋人の丘と言われる町外れのラーキンさんの牧場に集まっていた。
一人で帰ろうとするジョーは夜空に光を見かける。
それを追いかけて牧場の方へ。
ジョニーとジョーンは恋人の丘で楽しんでいたが、帰ろうと車のヘッドライトをつけたら周りの車からブーイング。
仕方なく無灯火で走っていると緑色の怪物を轢いてしまった!近くのラーキンさんの家から警察に連絡をしても信じてもらえない。
そこへジョーが車でジョニーとジョーンが怪物を轢いた現場にやってくる。怪物の死体を見つけるがジョーは彼らに殺されてしまう。
夜空の光を見て空軍も出動。彼らは空飛ぶ円盤そのものを見つけた!

「暗闇の悪魔」というタイトルだから宇宙人侵略ものでいわゆる「宇宙人の恐怖」を描いた映画かと思ったらそうじゃなかった。こっちは「宇宙人侵略もの=恐怖」と思っているからちょっと戸惑う。
特に空軍の将軍と副官のあたりなどBGMが妙にコメディっぽい。
観終わってムービーウォーカーデータベースの紹介文にはちゃんとコメディと書いてある。
なんだ、だったら最初からコメディと思ってみればよかった。

宇宙人をひき殺したのに警察で相手にされず、ジョニーとジョーンはジョーをひき殺した犯人として逮捕されてしまう。
警察から逃げ出して、ジョーの友人のアートと現場に行ってみる。そうすると今度はアートが捕まってしまう。

一方円盤を見つけた空軍は円盤を調べるうちに中に入ろうとしてバーナーで焼ききっているうちに円盤に引火して爆発させてしまう。
このあたりでコメディと気がついた。

ジョニーとジョーンはどうやら宇宙人が車のヘッドライトの光に弱いと気づく。
アートを助けるために恋人の丘にいるみんなで車で向かう。
そこで一斉にヘッドライトの光を浴びせる。
そうすると宇宙人たちは煙となって消滅してしまう!

いやそれはちょっとないんじゃないか?
光が苦手、は解るけど光で消滅ってのはどうも・・・・
あと宇宙人は体から針のようなものが出て、それを人間に刺して相手にアルコールが注入出来る設定付き。
だからジョーはアルコールで死んだとされ、ジョニーたちは解放。

この宇宙人はよく見る奴なのでもう少し活躍があるのかと思ったら、森の陰でもそもそするだけでいまいち活躍が少ない。
残念だった。



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モテキ


日時 2012年2月4日15:15〜
場所 早稲田松竹
監督 大根仁

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


派遣社員でいままでやってきた藤本幸世(森山未来)31歳は一念発起してサブカル情報のニュースサイトに就職する。そこで記者として働き始める。
そうしてるうちにツイッターで知り合った松尾みゆき(長澤まさみ)と会ってみた。ツイッター上では男だと思っていたみゆきだが会ってみたら超かわいい!しかも巨乳!俺のサブカル系の話題にも必ずついてきてくれる!最高じゃん!
しかしみゆきには彼氏がいる。でも俺んちに泊まってキスしてくれた。しかもエッチ寸前までいった!
ある日、みゆきが彼女の友達のるみ子(麻生久美子)を紹介してくれた。幸世に近づいてくるるみ子。しかもエッチしちゃった!
どうする、俺?!

元はテレビ東京の深夜番組で人気があったものの続編を映画化。去年の秋に公開され大ヒット。
どうにも封切り時には観る気がしなかったのだが気にはなっていた。今回早稲田松竹で「僕たちは世界を変えることができない。」と2本立てで上映。
「僕たち〜」は3月にDVD発売だが、それまで待てないので見に行く。(1日に「モテキ」3回、「僕たち〜」2回の上映だが、結局「僕たち〜」「モテキ」「僕たち〜」の順で「僕たち〜」を2回観た)

賛否両論あった映画だが私は否定派。
これはもう映画じゃない。テレビのバラエティ番組だ。
テレビの深夜の30分ドラマでバラエティ風ドラマということならありだと思う。
でも映画館で観る映画じゃない。
じゃあなにが映画であってなにが映画でないのか?映画の定義とは何だ?と聞かれるとはなはだ困る。
だからそういう定義が不確定なものを比喩に出すのはいかがかと思うが、でもあえて言う。
これは映画じゃない。

藤本が野外フェスティバルに行ってそこでナンパに失敗したシーンで大江千里の「格好悪いふられ方」が流れる。
ここでこの曲を流すのはまあいい。許そう。
絶対に許せないのはそこへカラオケの画面みたいに歌詞が表示されるのだ。
これじゃカラオケの画面も映画と言わなければならなくなる。あれを映画と言う人はいないだろう。
同様に「モテキ」は映画じゃない。

そして過剰なまでのナレーション。
このナレーションのせりふが面白くて評価される方もいると思う。
でも私はナレーションが嫌いなのだ。
映画のシナリオを勉強したものなら解ると思うけど、安易に使うことを禁じられるものの一番がナレーションだ。
これをやるとすべて簡単に表現できてしまう。
もっともその表現は面白くない。
ナレーションやせりふで表現しないでいかに画で見せるか、カットバックやモンタージュ、小道具を使っての表現で人物の心情を説明するのが映画なのだ。
これがきちんと出来ていれば出来ているほど映画としてうまいと私は思う。

で、映画のポスターとかであと仲里依紗と真木よう子もでてきて4人でラブバトルが行われるように見えるけど、仲里依紗はちょろっと5分ぐらい出てきただけだし(本筋には関係なし)真木よう子は仕事の先輩役で出てくるのでそもそも恋愛関係にない。

あとこっちの勝手な勘違いだが冒頭「去年4人の女に振り回された」というせりふが出てくるから、この映画は回想なのだなと思っているので、ラストで長澤まさみと結ばれるラストに「あれっ」と思った。
帰りにパンフレットを読んだらその4人の女性に振り回されるというのはテレビシリーズのことで、今回の映画(ではないが)はその続きだったのですね。

とにかくテレビのバラエティ番組を有料で観るようなもので、集金マシンとしての機能しかない番組。
これでは映画ではなく単なるファンイベントだ。
製作者もそれ以上のものを作る気はないだろうから、それ以上のものも出来まい。

その点、園子温は嫌いだがまだ映画だ。



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