2012年4月

さよならジュピター
MARCO 荒鷲の要塞 バトルシップ 新しき土
アーティスト 宇宙戦艦ヤマト2199
 第一章「遥かなる旅立ち」
戦争と青春 小林多喜二
ムージック探偵 曲菊彦 お兄ちゃんに近づくな、
ブスども!
サマーセール 地球へ2千万マイル
THE Magician スーパーチューズデー
正義を売った日
ウルトラマンサーガ 海燕ホテル・ブルー

さよならジュピター


日時 2012年4月30日
場所 DVD(米国版)
監督 橋本幸治
製作 1983年

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


西暦2114年、地球人口は180億を越え、太陽系に5億人が居住していた。
しかし火星より遠くの惑星は太陽の光が乏しく、もっぱらエネルギーは核融合反応に頼っていた。
そのエネルギー問題を解決させるため、JS計画(木星太陽化計画)が進行中だった。
しかし自然とあるがままに暮らしていくべきと考えるジュピター教団のメンバーによる妨害工作も起こっていた。
木星付近の衛星基地の本田英二(三浦友和)のかつての恋人が実はそのジュピター教団のメンバーだった。
そんな時、最近の流星の動きに異変を感じた井上博士(平田昭彦)らは冥王星より外の宇宙の探査に出かける。
しかし彼らは謎の事故で死亡。その原因を調査したが恐るべき事実が発覚した。それはブラックホールが地球に向かっているということだった。
地球脱出の宇宙船を建造しても恐らく1億人しか助からない。しかし木星を爆破してそれによりブラックホールの軌道を変えることが可能かも知れない。
JS計画は木星爆破計画へと変更された。

1983年、日本のSFファンは大きな期待を持ってこの映画を待っていた。
1978年の「スター・ウォーズ」の公開から始まったSF映画ブーム。かつてはゴジラで世界を席巻した日本SF映画だが、「惑星大戦争」「宇宙からのメッセージ」を観て大いに失望し、「さよならジュピター」の予告映像を観て「これで日本のSFも遅れが取り戻せる」と大きな期待を持ったものだ。

ところが実際に作品を観て「?」としたのだった。
とにかくつまらなかったのである。
実際、私自身、この映画は封切りで新宿プラザの大画面で観ているのだが、内容はさっぱり覚えていなかった。
今回DVDで29年ぶりに鑑賞したのだ。

「なるほどなあ、これじゃなあ」というのが今日の感想。
今じゃだめ映画の見本のように言われてるこの映画だけど、それほどでもないんじゃないか。
(要は宇宙版「日本沈没」とも言える。樋口版「日本沈没」は日本版「さよならジュピター」と言えるのかも知れない)
まず宇宙を描いた特撮がすばらしい。
宇宙船とかのデザインは「2001年宇宙の旅」や「スター・ウォーズ」のぱくり、(というかコピー)以外の何物でもないんだけど、それにしてもコピーとしては上出来だ。少なくとも遜色ない。越えてはいないけど。

だから編集をやり直して1時間半ぐらいにまとめればかなりよくなるのではないか。
そもそも脚本に要素を詰め込みすぎて肝心な部分が描けていない。

冒頭、火星の氷河を破壊したら下からナスカの地上絵と同じ物が出てくる。
そして木星にも同じ物があるのではないかと探査に行ったところ、ジュピターゴーストと呼ばれる全長100Kmの謎の物体と遭遇する。
この「未知との遭遇」的な要素も大変面白そうなのだが、ブラックホールの出現でさっと忘れ去られる。

で木星爆破計画だが、この辺の過程を嘘でもくわしくやって欲しいのに、完全にすっとばして2年ほど経過してもはや爆破直前。
そしてジュピター教団が地球にいるのだが、これがビーチでのんびり遊んでばかりして「自然との共生」とか言って教祖はのんびり自作の下手な歌を歌っている。
「破壊工作をやめてほしい」と本田英二が直談判に行くのだが、相手にされない。
ところがその時、鮫が海岸に入ってきて教祖の親友のイルカが死ぬ。(この時の鮫が張りぼて丸だし)
ここで本田英二が大活躍して鮫を対峙する。
それで教祖が改心するかと思ったらただ一曲歌うだけ。
その後、何か活躍するかと思ったらそうでもない。
ここいらないよ、カットしようよ。

で、クライマックスは木星爆破の直前に小野みゆきのジュピター教団がやってきて爆破を阻止しようとするのだが、まったく盛り上がらない。
接近するブラックホールのカットバックが挿入されればまた盛り上がった気もするのだがなあ。

そんな感じで何か意欲が空回りした失敗作。
でも見所はあるのだから再編集すればよくなる可能性は大だよ。
それにしても主人公の名前が「本田英二」というのには参った。よく恥ずかしくないなあ。
そして外国人俳優が多いのだが、それぞれ勝手に自分の国の言葉で話している。英語と日本語が飛び交うが、それでも会話は成立しているすごさ。
その中でも宇宙言語学者の女性はなぜか日本語(吹き替え)。
自分の観たのはアメリカ版DVDなのだが、英語せりふには日本語字幕がなくて困った(だいたいは分かったけど)
あと記憶に残るのは前半に出てくる三浦友和の無重力セックス。あれいらないよ、全く。
えともう一つ、JS計画のメンバーになぜか17歳ぐらいだがスタッフを顎で使う天才少年登場。ちょっといやな奴だった。

(ちなみにこの天才少年が後の小室哲哉のglobeで活躍するmarkなんだそうだ。知らなかった)



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MARCO


日時 2012年4月30日
場所 DVD(米国版)
監督 セイモア・ロビー(SEYMOUR ROBBIE)
製作 1973年(昭和53年)

(詳しくはImdbで)


イタリア商人の息子、マルコ・ポーロは中国にいてその皇帝に可愛がられていた。
ある日、街で見かけた美女に一目惚れ。
しかし皇帝は自分の娘と結婚しろという。
その娘というのが美人だが、兵隊などを投げ飛ばしちゃう男勝りな女。早速マルコも投げ飛ばされてしまう。
町で見かけた美女の家を探ってその2階の部屋に忍び込むマルコ。彼女は突然の訪問者に驚くが、嫌がってはいないようだ。愛の歌を歌ったマルコだが、部屋に召使いがやってきて悲鳴をあげられてしまい、やむなく退散。
そんな時、皇帝から「娘と結婚したくなかったら象を持ち上げることのできる鳥を捕まえてこい」と言われる始末。
旅に出るマルコ。果たして皇帝の娘も一緒だ。
マダガスカルに着くマルコたち。原住民のおじさんには何とか好意的にしてもらえたが、騎馬隊に襲われ、なんとか逃げ出した。
帰ってきたマルコたち。
しかし一目惚れの彼女をもう一度訪ねてみて初めて声を聞く。それがまあ美しい顔に似合わない甲高い声!
マルコも百年の恋も冷めてしまう。
今は万里の長城にいる皇帝を訪ね、自分の不明をわびるマルコ。笑って許してくれる皇帝。
やがてマルコは旅に出たのだった。

ミュージカル映画のファミリー映画。
「極底探検船ポーラーボーラ」の製作者のアーサー・ランキンJrが「ポーラーボーラ」の製作のきっかけになったという映画。
この映画はアジアが舞台なので東宝が協力している。だからマルコが旅して日本に立ち寄るシーンがあるのかと思ったら、そういうのはなし。別に日本で撮らなくてもいいような気がするが、1973年当時では中国でアメリカ映画を撮るのは難しかっただろう。だからすこしでも近い日本で、ということなのかな。

書き忘れましたが、この映画は日本未公開、従ってDVDもアメリカ使用なので日本語字幕なし。英語だけで観てるからストーリーの解釈が違うかも知れない。
実は展開がわからないところがあった。(マルコが旅から帰ってきて皇帝と食事のシーンで怒りだしてテーブルの食事をひっくり返すところなど)
日本語字幕付きならもっと楽しめたと思う。

マルコ・ポーロが主人公だからもっと旅、また旅の映画かと思ったら差にあらず。ほとんどが城の中で話は進む。
マルコ役のDESI ARNAZ,Jrが嫌みのない美青年で好感が持てる。日本でも公開されればそれなりに人気は出たかも知れない。

この城壁の周りに堀があるのだが、この堀のシーンは東宝の大プールの周りにセットを組んで撮影されたそうだ。
出演もエキストラ程度の役で、岡田真澄(兵隊Aの役だぜ。もったいない)、沢村いき雄(マダガスカルの酋長)、中村哲(マルコが船で旅するときの船長)、堺左千夫(針灸師)、大前均(兵隊)、大泉幌(なんかよくわからないけどコメディリリーフ)。

そしてマルコの船が航海するシーンとか、万里の長城の遠景のカットなどの特撮カットあり。
エンドクレジットを観たら「TERUYOSHI NAKANO」の表記あり。日本側監督で「TSUGUNOBU KOTANI」とあり、小谷監督と中野監督の名前が一緒に並んでいる珍しい映画。

映画としては別に面白くないけど、東宝が製作協力したアメリカ映画ということで、それだけで私には観る価値はあった。



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荒鷲の要塞


日時 2012年4月24日
場所 DVD
監督 ブライアン・G・ハットン
製作 1968年(昭和43年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


欧州作戦の重要人物の米軍カーナビー将軍が飛行機の不時着によりドイツ軍に捕らわれ、鷲の要塞と言われる山の頂上に建つドイツ軍情報部に連行された。
それを救出すべく英軍はジョン・スミス少佐(リチャード・バートン)を隊長とする特別部隊を派遣する。そこには米軍のレンジャー部隊よりシャファー中尉(クリント・イーストウッド)が加わった。
しかし飛行機で付近に投下すると同時に通信兵が殺害された。スミスは他の部員には内緒で女性諜報部員メアリーと接触し、指示を与えていた。
メアリーは地元のスパイ・ハイディの口利きで要塞でメイドとして働くことに。
スミスたち一行は地元の町に入ったが、また一人殺された。どうやら作戦が筒抜けになっている。裏切り者がいるのだ。

数年前にDVDを買っていたのだが、ずっとそのままになっていたのだが、最近こういう戦争アクション観てないなあと思って鑑賞。
高校生ぐらいの頃にテレビ放送されて、ロープウエイのシーンだけは覚えていた。
いや面白い!大人のアクション映画だなあ。
「バトルシップ」とか観た後だとほんとに大人向けの感じがしてしまう。最近の映画人はバカになったか、観客をバカだと思ってそれに合わせて映画を作ろうと思ってるのかという気がしてしまう。

要人救出作戦、と思わせておいて実はスパイ合戦。
捕らわれた米軍将軍も偽もので実は顔が似ていて役者をしている伍長。
スミスたちは一旦捕まるが、脱出。
仲間や将軍がとらえられている砦に侵入に成功。
そして仲間が尋問を受けているはずの部屋に行くと談笑している?そしてスミスも自分はドイツのスパイと言い出し、自分の仲間たちはドイツのスパイに化けた英国のスパイと言い出す!
観てるこっちは(心地よい)大混乱。
何を信じていいのやら。

ネタバレになるからこれ以上は書けないけど、その後の砦からの脱出作戦。
ロープウエイを使ったスリリングさ。
やっぱりスリリングの基本は「高いところから落っこちそうになる」ですね。これが基本ですよ、昔も今も。

で、ラストのラストにももう一ひねり。
スパイと見抜かれた男が自ら死んでいくんだが、ここで飛び降りるカットを映さない、奥ゆかしい演出がいい。
何でも見せればいいってもんじゃない。
時には影だけとか、リアクションだけで表現すればいいんだよ、映画ってのは。

脚本は「ナバロンの要塞」の原作者、アリステア・マクリーンのオリジナル脚本。面白いはずである。
導入がもたもたしなくていいですねえ。
こういう映画では本筋が始まるまでの前説でもたもたされるといらいらする。
適地に向かう飛行機、その中で命令受領の回想シーンがはいる。だからもうもたもたした導入がないのだな。

最初から最後まで逆転逆転でまったく飽きさせない見事な展開。
役者がリチャード・バートンとかまだ中堅どころだったクリント・イーストウッドでいまいち地味なのだが、脚本が面白いので充分魅せる。
面白かった。
またこういう特殊作戦ものの戦争映画が観たくなった。



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バトルシップ


日時 2012年4月22日19:00〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン7
監督 ピーター・バーグ

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


2005年、NASAは地球以外に生命体が存在する可能性のある惑星を発見、翌2006年にはその星に向かって電波を送る通信衛星を打ち上げた。
ハワイのアメリカ海軍将校のストーン・ホッパーは働きもしないでぶらぶらして問題を起こしている弟のアレックスを海軍に入隊させた。
それから数年後。
環太平洋合同演習(リムパック)が行われようとしていて日本の海上自衛隊のみょうこうのナガタ艦長(浅野忠信)も参加していた。
そんなとき、外宇宙から5隻の物体が飛来する。
1隻は地球近くで人工衛星と激突、破損後、香港などに破片が落下する。4隻はハワイ沖に飛来。
ハワイ島をバリア内に収める。米艦隊の大半はリムパックで外洋に出ており、バリア内にいたのはみょうこう、アレックスの乗るミサイル駆逐艦・JPJ、ストーンの乗るサンプソン。
4隻のエイリアンの宇宙船と日米艦隊の戦いが始まる!

主人公がバカすぎて最初いやになった。
まず働かない怠け者だし、兄貴から説教されても無視してバーで見かけた女に声をかける。その女がチキンブリトーが食べたいと言えば閉まっているスーパーに潜入して屋根を壊して警官が駆けつける騒ぎに。
単なるバカである。さらにスーパーに侵入するシーンで「ピンクパンサーのテーマ」を流す演出にも呆れた。
テレビのバラエティ番組じゃないんだから。

さらに合同演習の前にサッカー大会を開いてそこで浅野忠信と主人公が反則がどうとか、その後トイレで喧嘩になるとかいらない描写が多すぎ。
はやく本題に入って欲しい。

それにしても宇宙人の宇宙船と対峙するようになって一旦は日本の浅野忠信に指揮を渡すのが凄い。
日本びいきだなあ。
でも専守防衛で悩む自衛隊員の姿はなく、すぐに戦う自衛官!
専守防衛なんか知らないか、アメリカのスタッフは。

レーダーが反応しないと分かってから津波ブイの動きで敵の動きを察知するあたりから頭脳戦の楽しさが出てくる。
後半、戦艦ミズーリで出撃するとはすごい!
そういう発想は「宇宙戦艦ヤマト」だよ。
そしてラストの決戦で砲塔を逆に回転させ、敵も味方も混乱させておいて碇を使って船を大回転させる裏技を使うというクライマックス!
こういうアナログ的な、昔ながらの海戦映画みたいで楽しい。

CG満載でその点はもう飽きた感じがするのだが、ミズーリを持ってくるあたりのアイデアはよかった。
でも浅野忠信はもっとアート系も映画向きなので、こういう娯楽作にはあまり似合わんなあ。
もっとも渡辺謙でも困るけど。



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新しき土


日時 2012年4月22日15:00〜
場所 東京都写真美術館ホール
監督 アーノルド・ファンク、伊丹万作
製作 昭和12年(1937年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


貧乏な家に生まれ、大きな家の跡取りとして養子になり、その資産で欧州留学を終えた大和輝雄(小杉勇)。8年ぶりにドイツ人女性ジャーナリスト・ゲルダと共に帰国した。実家の両親、妹も養父の大和家も大歓迎だった。
しかし輝雄は悩んでいた。大和家の主人、巌(早川雪州)の娘、光子(原節子)と結婚の約束の上、欧州に行ったのだが、欧州の自由主義に感化された輝雄は光子との結婚の気持ちはなくなっていた。
光子は8年間、花嫁修業をし、ドイツ語さえも学んでいた。光子にとって輝雄の心変わりはショックだった。
一生に一度だけ着る着物、花嫁の婚礼衣装を持って火山に登り、自殺しようとする。
それを察した輝雄は燃えさかる山へと駆けつけるのだが。


昭和12年の日本映画史上初の海外との合作映画。
ドイツの監督を招いたところが当時の日独の親密性を感じさせる。
円谷英二が日本初のスクリーンプロセスを用いた映画と聞き、観にいった。

うわ〜。もう「007は二度死ぬ」の世界だ。
日本の特徴を集めすぎて日本であってないような日本の風景が展開される。
まずは輝雄の実家で輝雄の帰国の知らせを受けるシーン。
いきなり地震が起こる。
日本と言えば地震国なのだ。
そして大和家のすぐ近くには厳島神社がある。

帰国の船中でのゲルダと輝雄の会話の中で「日本の家庭制度の中では家名を守るために養子を取るのだ。従って結婚はしなければならない。その家制度によって日本社会は作られている。その頂点が天皇家なのだ」と天皇制についてまで解説してくれる。
確かに日本人に取っては天皇は父のような存在だから、そうとも言えるかも知れない。

で東京に上陸したゲルダは「ここはベルリン?大都会なのね」「日本には二つの顔がある」と言ってネオンサインの輝く街が登場するが、「阪神電車」の看板が見える。
阪神電車の看板もそうだが、それ以上に昭和12年でこんなにネオンサインが豪華なのは驚いた。

そんな感じでゲルダが相撲を観にいったりし、富士山がこれでもかこれでもかと登場する。
鎌倉の大仏も登場する。
輝雄の実家は富士山のよく見えるところにあり、大和家はそこからそれほど遠くないらしいと無茶苦茶な地理関係の日本が登場する。東尋坊も登場する。
もう「007は二度死ぬ」である。

アーノルド・ファンクは山岳映画で知られた存在だそうで、その成果後半は山、山、山。
原節子は火山に登り火口から身を投げようとする。
それを追って山道を車で上る輝雄。ここが円谷英二の撮ったスクリーン・プロセスだそうだ。

で、輝雄は山に登るには湖を越えなければならないと聞き、回っていくには時間がもったいないというわけでいきなり靴を脱いで泳いで渡る。
当然のことながら靴下だけの足で火山の山を登って、足が熱い!(バカか!とつっこみたくなる)

火口に飛び込もうとする原節子と小杉勇のカットバックが延々繰り返されて、ようやくたどり着く。
命を懸けて自分を思ってくれた原節子に感動し、二人は結婚を決める。
ここで火山大噴火!
ふもとの家が崩れる様は後の怪獣映画の原点を観る思いだ。
円谷ファン必見!

ラスト、日本の農業は人力で狭い国土に人が多すぎると輝雄のナレーションが入る。
人力や牛馬の力で農業を営む日本。
それを解決するために新しい国土が必要なのだ!と言って「マンシュウリ」(ちなみにホントはドイツ語表記)と字幕があって赤ん坊を抱いた光子のそばで小松製作所のトラクター(!この時代にもあったのか!)を運転しながら農業する輝雄。

満州国建国の必要性を訴え、映画自体で日独の同盟関係を強化させる、ものすごい映画。
映画史に興味がある方は必見と思います。

それにしても上映がデジタルでフィルムじゃなかったのは実に残念。



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アーティスト


日時 2012年4月15日19:35〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン6
監督 ミシェル・アザナヴィシウス

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


1927年のサイレント映画時代のハリウッド。女優にあこがれるペピー・ミラー(ベレニス・ベジョ)は大スター、ジョージ・ヴァレンティン(ジョン・デュジャルダン)の新作舞台挨拶の会場で、ヴァレンティンのほっぺにチューをしている写真が新聞に掲載され、それがきっかけでエキストラから徐々に役が大きくなっていく。
しかし時代はトーキーに。
トーキーを否定するジョージは映画会社がトーキーに移行しようとするのに逆らって自ら製作監督主演のサイレントを作る。それはペピー・ミラーの新作トーキー映画の封切日と重なった。
結果はペピーの新作は長蛇の列、ジョージの映画は大コケした。ジョージは時代に取り残され、映画製作の借金、大恐慌の影響で破産した。
ジョージはかつての自分が主演した映画を観、その後フィルムに火を放った。

今年のアカデミー賞を総なめ、しかもフランス映画、でもサイレント映画だから「外国語映画部門」にはならずに通常の枠でのアカデミー賞受賞ということで映画マスコミは大にぎわい。
とにかく今時白黒、スタンダード、サイレントというのが珍しがられ、まずはそのことが話題になる。
CGに3Dと技術革新ばかりが話題になる映画に不満をもっている人も多い証拠だろう。

でもねえ、実は私は諸手をあげて賛成はしがたいのだな、この映画。
まず気になって仕方なかったのが画質。
テレビ番組の映画紹介の時にも気になっていたのだが、ハイビジョンのようなクリアな画質が気になるのだ。

たぶんデジタルで撮影されたのではないか、この映画。
エッジのたったクリアな画質。
あのねえ、僕が知ってるサイレント映画はもっと画質がぼんやりとしているのだな。
当時のフィルム感度から考えるとどうにもこのクリアな画質には違和感がありありで、最後までなじめなかった。

そしてカメラアングル。
これは僕の勘違いかも知れないから、間違っていたら申し訳ないのだが、サイレント時代の映画はもっと舞台劇中継のような真正面から対象をとらえた画があって斜めの人物アップのカットになったと思う。
真正面から部屋や街を捉える、そして各人物のアップショットになったイメージがあるのだ。そういう説明は丁寧だったイメージがある。
その点、この映画は今の映画と同じようなカット割り、アングルを用いている。
これも気になる。

そして音の扱いだ。
トーキー時代がやってきて、ジョージがグラスの音や靴音などに過敏に反応してしまうシーンがあるが、そのときはそういう効果音は流れる。
またラストはペピーの押しでジョージの特技の一つのタップダンスを生かした映画にジョージとペピーは主演しハッピーエンドになる。
でもこのタップダンスのシーンはもちろんタップの靴音入りである。
このシーンはえらく感動的に描かれ、ここで感動する人も多いと思う。。
そのこと自体は否定しないが、サイレントを「売り」にしている映画でミュージカルシーンをクライマックスにもってくるのはいかがなものか。

画質についてはジョージが自分の映画を観るシーンではその劇中の映画は画質が悪いから、監督たちは知った上でクリアな画面にしているのだろう。

私は「1920年代のサイレント期の映画手法で撮った映画」で、それでも現代の観客には通じる、と思える映画かと思って観に行ってしまった。
でも結局は「白黒、サイレント」というだけで他の部分はかなり21世紀の手法を使って撮られている。
私にしてみれば「えせサイレント映画」の印象が否めない。
スタンダードサイズにいたっては私が観た新宿ピカデリーではビスタサイズの状態にカーテンを閉めて上映してみた。最近のシネコンはスタンダードサイズにはスクリーンが、閉まらないそうだ。
ばかばかしい。

それと加えて言えばペピーがジョージの楽屋に入って、ジョージの上着に腕を通して自分の右手で自分を抱き、ジョージに抱かれているのを想像するシーン、あれ、無理だよ。自分の右手を左側に回してみればいい。映画ほど手は回らないはず。
「右手が女性にしては大きい」という意見を見た気がするが、おそらく他人の手だろう。CG処理したのか知らん?
それとももっとアナログな手法で右手を演じる男性がうまく隠れていたのだろうか?

CG、3Dの時代にこういうサイレントの手法で映画を撮って「映画表現の原点に帰ろう」という主張は理解出来るし、賛成だ。
しかしそれにしては「クリアすぎる画質、中途半端なサイレント」などとにかく中途半端さだけが印象に残った。



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宇宙戦艦ヤマト2199 第一章「遥かなる旅立ち」


日時 2012年4月19日20:10〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン8
監督 出渕裕

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


西暦2199年、今地球は謎の天体ガミラスから攻撃を受け、放射能によって汚染され、撃滅の危機を迎えていた。
冥王星海戦は地球軍の一方的敗北。古代守艦長も戦死、生き残ったのは沖田艦長の船だけだった。
ちょうどその頃、火星に派遣されていた士官学校を出たての古代進と島大介は正体不明の宇宙船からカプセルの回収を命じられる。その宇宙船では実に美しい女性が亡くなっていた。
実はそのカプセルは1年前に届いたイスカンダルのスターシャと名乗る自分からの新しいメッセージだった。
前のメッセージによって人類は新しい戦艦を造り、完成間近だった。その船に積まれた波動エンジンを起動させる部品を送ってきたのだ。
イスカンダルには放射能汚染を除去する装置があるという。
地球は最後の希望をこのヤマトに託し、沖田艦長以下、古代、島、森雪等の乗組員とともに旅立つ!

一昨年、実写版が公開された「宇宙戦艦ヤマト」。
今度はそのリメイクだ。
将来的にテレビシリーズで放送される予定があって、その1話2話分を劇場公開。今後も順次同様の方法で劇場公開していく予定だそうだ。
全26話でこれははじめのテレビシリーズと同じ長さ。
ストーリーの切り方もたぶん同じなのだろう。
イベント上映で1000円、しかも上映時間は予告込みで1時間なので仕事帰りにもふらっと立ち寄れる。

で、観にいったわけだがこれが面白い!
(ちなみに場内は私と同様の中年サラリーマンばっか)
見逃さなくてよかった!

なにがいいってオリジナルの持ち味を生かしつつ、大人向けにアレンジされている。
「おお」と思ったのはまずは火星でのサーシャと古代たちが出会うシーン。
古代たちがサーシャの遺体を見てカプセルを持つシーンの音楽が同じだった!
このシーンの音楽は特に好きだったので、そのシーンが再現されただけでもう満足である。
そして同様にラストのヤマト発進シーン。
ここでガミラスの攻撃を受けて土煙の中から姿を表すヤマトのシーンも同じ音楽。
もっともオリジナルの宮川泰の音楽を息子がアレンジ、新録音したものらしい。

そしてね、地球軍がえらくリアルなのだな。
「右舷」を「みぎげん」と言ったり、古代守は2佐だし、なんとなく日本海軍か海上自衛隊のようなのだ。
砲を撃つときも「てっ!」とか言ってるし。
また兵器や航空機に書かれている文字が日本語の漢字で、(「起動」とか)そのあたりが妙にありそうな感覚なのだな。
そうそう敬礼も胸に手をあてるやり方ではなく、ちゃんと頭に手を持ってきてるし。

そしてガミラス軍もドイツ語風の発音の言語を話している。戦争映画そのものだ。

このリアル感がたまらない。
ぞくぞくしますねえ。
この調子でぜひお願いしたい。
第2章が楽しみだ!



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戦争と青春


日時 2012年4月14日18:50〜
場所 銀座シネパトス1
監督 今井正
製作 平成3年(1991年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


高校2年の花房ゆかり(工藤夕貴)は夏休みの課題として「回りの大人たちから戦争体験を聞いて原稿用紙10枚上かくこと」と先生から言われる。
父(井川比佐志)も東京大空襲経験者だが、そのことについては語りたがらない。ゆかりはいつも公園で古びた電柱をじっと見ている叔母(奈良岡朋子)に聞いてみるが彼女はなにも答えてくれない。
そんな時、叔母が倒れて病院に緊急入院する。今まで口の重かった父がついに東京大空襲の思い出を語ってくれた。

今井正が描く正統派反戦映画。
ここまで正統な感じは今井正ならでは。
公開当時は仕事が忙しい時期で観なかった。
東京大空襲の悲惨さを伝える。

今から20年前の映画だが、それにしても当時でも古くささを感じた。もう昭和も終わり時代は平成、真正面から東京大空襲の悲惨さを描く映画としては古くさかった。
もっとも作った方は「現代の女子高生が東京大空襲を訪ねる」として新しい視点を持ち込んだつもりかも知れないが、どうやっても古くささは否めない。
もっともタイムスリップしてもらっても困るんだが。

父が小学校の時、「こんな戦争はよくない」というリベラルな先生がやってくる。そして姉と恋に落ち、結婚。若き日の姉というか叔母さんも斉藤由貴が演じる。
で、先生にも召集令状が来るが徴兵拒否で逃亡。そして流れ流れて北海道の炭坑。ここでは主に朝鮮人が過酷な労働を追わされる。もう戦争中の日本人による朝鮮人強制労働を正面から描きます。

現代のゆかりたちは東京大空襲の記録を残すボランティアをしている先生(河原崎長一郎)を訪ねます。
一晩で何十万人と亡くなった話を聞かされ、思わず「ひどい」とつぶやきます。
そうすると河原崎長一郎はアップになって言い放ちます。
「確かに。でも最初に民間人への無差別攻撃を行ったのは日中戦争における日本軍ということも忘れないように」と言い放つ。

いや〜立派だ、今井正!
今そんなことを言おうものなら右翼の中でも頭の悪い人たちから総攻撃かも知れない。

そして実は父と姉とその赤ん坊で東京大空襲で逃げまどう中、近所の電柱の前で赤ん坊とはぐれたという話になった。
一端は納得したゆかりだが、「赤ん坊とはぐれた?赤ん坊って普通おぶってるでしょ?はぐれるってことある?」と疑問を感じ始める。
実は逃げるときに塀を乗り越えるときに一度赤ん坊を下ろしたのだ。そのときに爆風が吹き、赤ん坊は飛ばされてしまった。
その別れてしまった赤ん坊のことが叔母の心の重荷になっていたのだ。

ここでエンディングを迎えると思ったらラストにどんでん返し!
例の東京大空襲を残す会の先生のもとへ韓国から手紙が届く。なんと東京大空襲の晩に拾われた赤ん坊がいて、その子は韓国で育ったというのだ!
で、来日してやってきたのが叔母さんを演じた奈良岡朋子。
単に赤ん坊は拾われていた、というのみならず、その子は韓国人に拾われていたという展開。
前半の北海道の炭坑では朝鮮人をいじめまくった日本人だが、韓国人は日本人の赤ん坊を育ててくれたのだ!
泣けてくる話である。日韓新時代の幕開けだ。
こういうオチをまじめに持ってくる今井正は本当にすごい。

照れもなくここまでやってのける今井正はもうただただ尊敬である。



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小林多喜二


日時 2012年4月14日16:40〜
場所 銀座シネパトス1
監督 今井正
製作 昭和49年(1974年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


小林多喜二は1933年(昭和8年)2月20日に逮捕され、警察によって拷問にかけられ死亡した。
警察は心臓麻痺と言って遺族に遺体を返した。
しかし彼の遺体には惨たらしい拷問の後があった。
彼の生涯を彼の残した小説と照らし逢わせながら映画は「小林多喜二」の生涯を描いていく。

製作は「多喜二プロダクション」とあるけど、この映画のほかに何か映画を撮ったのだろうか?
案外この映画の為だけに作られたプロダクションだったかも知れない。

主役の小林多喜二を演じるのはやっぱり山本圭!
強情なインテリ左翼青年を演じさせたら右に出るものがいない山本圭!
70年代はとにかく左翼か挫折した青年の役で、それが毎回はまる。
もう山本圭が小林多喜二を演じているだけでこの映画は観る価値がある。

そして監督も今井正。
もう反権力の権化みたいな映画監督だ。最近はこういう監督がいない。というかこういう人では映画は撮れないのだろう。

先に書いておくけど横内正がナレーション。で、これがものすごく丁寧に説明してくれる。説明しすぎてもうドラマ性を壊すぐらい。
おまけに冒頭の小林多喜二の死のシーンで、多喜二の遺体にスポットライトだけがあたり、暗転する。そうするといきなりギターを抱えた横内正が登場し、「こうして〜小林多喜二は〜死んだ〜」みたいな感じで一曲歌う。
失笑したくなるのだが、素材が大まじめだから笑ってはいけない衝動に駆られる。

でこの後、ずっと歌ってくれるのかと思ったらそうでもなく、普通にナレーションとして画面にも登場する。
別にOFFで声だけのナレーションでもいいと思うのだが、そのためにテレビのドキュメンタリー番組のようにも見える。映画と言うより、彼の生涯を説明するプロモーションとしての意味合いが大きかったのかも知れない。

彼の生涯は小樽に生まれ貧乏したが学校を出て北海道拓殖銀行に就職する。このころ小説を書きはじめ、仕事場でも上司の目を盗んで小説を書く。それで同僚の女の子がそれを手助けしてくれて「今夜、また清書してあげる」と言う。
ナレーションは「しかし彼女とは何もなかった」。

多喜二は遊郭の女郎お滝(中野良子)に惚れていて、少ない給料から身請けの金を貯め、さらに借金して身請けする。
家に迎えるがしばらくして彼女は家を出てしまう。
「多喜二の愛情が返って重荷だった」というようなことを言うけど、うまく利用されただけにも見える。
で、ここで話はちょっとはしょって東京へ出てからのお滝との再会、そして拷問死の後に友人たちから多喜二の写真をもらうエピソードが入る。
多喜二はお滝を想って独身だったかと思ったらそうでもなく、別の女性と結婚している。

ナレーションは「彼女との結婚についての彼の気持ちは残されていない」とか言って結婚の事情についてはごまかす。
今と違って恋愛結婚だけでなく、生活のためにやむなく結婚することも多かった時代だろうから、このことで多喜二を「女にもてる」と解釈するのは早計だと思うけど、でもやっぱり北海道拓殖銀行時代のことも考えると多喜二も女性には寛容だった印象を受けてしまった。

そして社会主義運動に関わり、選挙の応援もして共産党に入党。冒頭の死を迎えることになる。
多喜二の生涯を知るにはいい勉強になりました。



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ムージック探偵 曲菊彦


日時 2012年4月10日22:20〜
場所 K's cinema
監督 田中洋一&ヤング・ポール

(詳しくはallcinemaで)


物体からの反応を音にする機械を開発した曲菊彦(まがり・きくひこ)(守屋文雄)は探偵としてやっていこうとするが、借金取りに追われて千葉県・茂原市にやってきた。
ここで行き倒れになるが、ある女の子に助けられる。
その女の子は父と二人暮らしだったが、母親が10年前に突然失踪して以来、口が利けなくなっていた。
工務店を営む父親は曲に母の失踪の真相の究明を依頼する。
茂原市の土などから音を聞き、それを手がかりに何かをつかもうとする曲。しかし娘のことが好きな工務店の従業員は曲のことを「詐欺師だ!」と信用しない。

「サマーセール」「お兄ちゃんに近づくな、ブスども!」と同様にムージックラボのコンペ作品。
「おんなの河童」の守屋さん主演映画ということで見てみた。

う〜ん、アイデアは面白いと思うよ。「物体の音を使って犯罪を暴く探偵」っていう。
でもそれがうまく生かされてないのだな。
結局音を聞こうとし、実際に音が聞こえるのだが、クリップ状の端子が外れていたりして、実は関係ない音だったりする、という感じで全く役に立たないという喜劇になる。
しかしその失敗の連続で話が前に進まないので見てるこちらは飽きがくる。

結局は女の子が持っていたへその緒をつないでみたところ、川に落ちていた失踪した母親の頭蓋骨が見つかり、母親は失踪ではなく、事故死だったと解るというオチ。

むしろSFとして「音響探偵」としてまじめに事件を解決していってもよかったのではないか。
その方が30分番組のような尺で2本出来たろうし。
アイデアは面白かったけど、それが活かせなかった惜しい作品というのが正直な感想。

なおメガネを取った守屋さんはなんだか宇崎竜童に似ていた。
物体を音に変換する装置だけど、箱にテスターを張り合わせて配線を適当につけた感じ。悪くはないけど、やっぱり素人くささが見えてしまった。
ちなみに「曲菊彦」は「曲を聴く人」をもじったものらしい。パンフに書いてあった。
備忘録として記しておく。



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お兄ちゃんに近づくな、ブスども!


日時 2012年4月10日21:50〜
場所 K's cinema
監督 内藤瑛亮

(詳しくはallcinemaで)


美学校の学生トオルは最近同級生の女の子に好かれているような気がして気になっていた。彼女の制作を手伝うと「やっぱりトオル君は頼りになるなあ。他の男子は全然力になってくれない」といい、周りの同級生からも女の子は「つきあってるの?」と言われている。
だがトオルと彼の妹のキヨカは顔に膿が出来る皮膚病だった。毎晩お互いの頬に薬を塗る兄妹。
キヨカは兄に好きな女の子が出来たことを知ると彼女を傷つけることを決意し、ジェイソンのようなお面をかぶって彼女の顔をカッターで切りつける。
しかし傷は浅かったらしく、どうやら傷は残らないらしい。それを知ったキヨカは自分の膿を注射器で吸い出し、入院中の女の子の頬にその膿を注射する。
彼女の頬も膿んでいった。

上映時間30分ぐらいの短編だが、非常に面白かった。
人間の異物に対する恐怖と憎しみが実に伝わってくる。
高いところで作業していたトオルの膿が女の子の頬に落ちる。彼女は「大丈夫大丈夫」というがトイレで何度も何度も頬を洗う。そして膿を拭いたハンカチを捨て去る。
トイレの鏡越しのショットが不気味だ。後ろから何かが忍び寄る感じがして怖い。

また同様に鏡を使ったいいショットもあった。
キヨカが最初に女の子を襲うところ。そばにあった鏡が割れるのだが、その鏡に写った頬が傷ついた彼女の顔が、割れた破片にまるで万華鏡のように写る様は実に効果的。
映画のショットを解っている気がした。

そしてキヨカは頬を傷ついた彼女を見に行く。
「傷を見せて」と彼女に頼むキヨカ。しかし彼女はいやがる。美学校のアトリエは段ボールが引いてある。彼女の足はその上にある。キヨカは足でさっとその段ボールを引く。そうすると彼女はよろける。手に持っていたコーヒーが彼女の頬の包帯にかかる。
仕方なく包帯をはずす彼女。
展開がうまいなあ。

後半、キヨカに膿を移された彼女は入院している。友達はもう見舞いにこない。トオル一人やってくる。
他の友達が制作が遅れているからこれないと告げると「嘘!」とツイッターで「出来た!」と写真入りの投稿を見せる。
トオルは思わず「大丈夫だよ、気にするなよ、君なら大丈夫!」と励ますのだが「何!その上から目線!あたしはあんたみたいなキモい顔は大嫌いなんだよ!いままで話したりしていたのはボランティア!」と言い放つ。

うん、人間は異形ものに対し警戒し、実は排除したい、だが理性でそれをしてはいけないと考える。だが本音ではキモい。そういう人間の心の暗黒面が出てきて非常に面白かった。
妹はそんな世間に対し敵意を持つ。しかしその敵意は実は防衛本能なのかも知れない。
キヨカは三度彼女を襲う。しかし一緒にいたトオルが妹と気づかずに窓から突き飛ばす。
しかしキヨカはまだ死んではいないようだ。

監督はどんな人なのだろう。
この5月に「先生を流産させる会」という映画が公開される。タイトルからしてブラックなこの映画、楽しみになってきた。



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サマーセール


日時 2012年4月10日21:00〜
場所 K'sCinema
監督 岩淵弘樹

(詳しくはallcinemaで)


シンガーソングライターの大森靖子とライブの打ち上げで紹介されたという岩淵監督、彼女のPVを撮ることになった。
歌舞伎町のラブホテルに2泊3日泊まり込んで撮影しようと思ったが、うまくいかない。それどころか二人の仲はなんだか険悪になってしまった。
関係を修復しようと彼女のアパートまで行ったけど、結局映画は出来ない。
そうこうしているうちに季節は変わり、Tシャツで歩けた歌舞伎町も雪が降る。

上映時間約40分。
「遭難フリーター」っていう「こんなの金取って見せるなよ!」という映画を撮った岩渕監督。このムージックラボで再会するとは思わなかった。
「THE Magicians」が言ってみれば特別招待作品だったわけだが、この「サマーセール」は他と同様コンペ作品。

まず、私自身、この大森靖子さんの歌になんの感動もなかった。言ってみれば良さが解らない。
岩渕監督も本音では良さが解っていない、もしくはいいと思ってないように思える。

大森靖子ファン(であり岩渕監督の知り合いのような)女性が出てきて「大森さんの歌を聞くと私が見てきたような景色を歌ってくれる。岩渕さんはやっぱり男の視点でみてるなと(ラッシュを見て)思った」という。
なるほど、好きな人は好きらしい。

それでアルタの前で歌を歌ってもらったり(これがギター1本で歌う絶叫系の歌。このシーン、アルタの前で絶叫しながら歌うものだから店員に注意されていた)して色々頑張るが、結局うまくまとまっていないように思う。

カンパニー松尾さんが「岩渕は映画を辞めた方がいいんじゃないか」と言ったと聞きつけて、自分では会いに行きにくいので大森さんにインタビューしてもらったりしている。

結局大森さんのPVであるとか大森さんを対象にしているのではなく、「大森さんを撮れない俺」という岩渕監督の悶々した葛藤を見せられたようだった。
そんなの人に見せるなよ。



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地球へ2千万マイル


日時 2012年4月8日
場所 DVD
監督 ネイザン・ジュラン
製作 1957年(昭和32年)

(詳しくはallcinemaで)


イタリア・シシリー島沖に不思議な形の飛行機が墜落した。漁師が近寄ってみて、中から二人の人間を助け出したが、そこで飛行機は海に沈んでいった。
実はその飛行機はアメリカの金星探査ロケットだったのだ!地球に帰還する途中、病気の発生やら、隕石との衝突などの苦難を越えて地球に帰ってきた。
隊長のカルダー大佐(ウィリアム・ホッパー)は生き残ったが、海から救助された乗組員の医師は死亡した。
カルダーを助けた漁師の子供は浜に打ち上げられたロケットの残骸らしきカプセルから中身を取り出し、バカンスに来ていた獣医に売りつける。
ところがそこから不思議な生物が生まれる。それは金星で生きていく生物の謎を解明するためにカルダー大佐等が持ち帰った金星竜イーマだった!

レイ・ハリーハウゼンの代表作。
ネットで調べると日本では劇場公開されず、テレビ放映だけだったようだ。

冒頭のロケットの墜落、それが海に沈んでいくあたりはさすがとも言うべきシーン。
それからキーマが徐々に巨大化していく。
ちなみに映画の中では「キーマ」とは呼ばれない。
ネットで調べるとこの名前が出てくる。

獣医は檻にいれてローマに運ぼうとするのだが、キーマは暴れてこの檻を破ってしまう。
そして逃げ出して近所の納屋で大暴れ、という展開。
この納屋のシーンでは人間を襲うのだが、よく見ると人間も人形なのだな。
ホント、ハリーハウゼンのコマ撮り特撮は独特の動きがあって見ていて楽しい。
あのちょっとカクカクしながら動くのがたまらない。

でも脚本が残念だな、と思う。
話の全体を引っ張っていく主人公が不在なのだな。
一応はカルダー大佐になるんだろうけど、存在感がないのだなあ。
最初の方に漁師とかクソガキ(拾ったキーマの幼獣を売りつける、こいつのおかげで事態が悪くなる)とかは途中からまったく出てこなくなる。
ここは地元の優秀な青年が出てきて、漁師と軍人の橋渡しをする存在にならなきゃ。

キーマは硫黄が好きだという設定があるけど、これを使って倒すのに大して役だっているわけでもない。
さっきの納屋のシーンからなんとか捕獲し、ローマ動物園の研究室に連れてこられたキーマだけど、新しい機材を運び込むときに、機材を倒してキーマをつなぎ止めていた電流が途切れてしまい、キーマは暴れ出してしまう。
そしてローマの街にでてコロセウム付近で大暴れだが、け結局通常の爆弾でやられてしまう。
このあたり新兵器を作るとかもう少し話にひねりが欲しかったなあ。

脚本の不備の話だけど、獣医の孫娘がヒロインとして登場し、カルダー大佐とロマンスがあるかと思えばそうでもない。この辺もいい加減。
あと細かいことだけど、キーマの研究に東京大学の日本人教授がいた。日本特撮映画に敬意を表しての出演だったのだろうか?
でも途中で地元警察の署長が捕獲を主張するアメリカ軍に対して「住民の安全のため」と殺害を主張し対立をするあたりはこの映画ではよそものであるアメリカ軍の立場が出ていて面白い展開だった。

それにしても一番解らないのはこの映画に舞台がイタリアになっている点だ。
別にアメリカでもよかったんじゃないか?
フロリダの沖に墜落してそこの漁師が助けても大丈夫だろうに。
特撮は立派だったけど、脚本の不備が気になり、全体の印象が悪くなったのが兎に角残念。



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THE Magician


日時 2012年4月7日21:00〜
場所 新宿K's cinema
監督 mark
製作 平成23年(2011年)

詳しくはallcinemaで


「おんなの河童」を配給したSPOTTED PRODUCTIONSが主催する音楽と映画のコラボレーションの実験、MUSICとMOVIEの造語で「MOOSIC LAB(ミュージックラボ)」と名付けた実験映画(自主映画)の連続上映イベントで鑑賞。

この日は「UNDERWATERLOVE おんなの河童」の東京最終上映との2本立て。いまおか監督を始め、主要キャスト(正木佐和、梅澤嘉朗、成田愛、守屋文雄、吉岡睦雄)が勢ぞろいで上映後に舞台挨拶。結局「おんなの河童」はイベント目当てで8回行ったか。(東中野4回、渋谷ユーロ1回、吉祥寺バウスシアター2回、この日で計8回)
10月から始まって半年か。長かったな。
ちなみにこの日は渋谷と同じくデジタルの英語字幕付き上映だった。

ということはTHE Magicianとは全く関係がない。
なにやら太った女の子が出てきて、森の中にある架空の家にある自分の絵を金持ちがやってきて「1億円で売らない?」と言ってくる摩訶不思議な映画。

この絵がなんだかいまおか監督が描くイラストみたいな感じの絵。
それにしても森の中で木に絵をぶら下げて呼び鈴をつけて奥にテーブルをおいて家に見立てるというのが面白かった。

上映後に監督の舞台挨拶があったが、映画に主演していた太った女の子だった。
markというからてっきり男だと思った。
15分の映画だけど、クレジットで5分(いや3分かな)ある。
曲を聴かせるために延々とクレジットが変わらなかった。
15分の短編なんでそれぐらいかな、思ったことは。



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スーパーチューズデー 正義を売った日


日時 2012年4月1日19:20〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン6
監督 ジョージ・クルーニー

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


現在、民主党の予備選挙が行われていた。オハイオ州を征すれば民主党の代表にも選ばれ、共和党にも勝てるだろう。
マイク・モリス(ジョージ・クルーニー)は州知事として実績を積み、リベラル派で人気も高かった。選挙スタッフのスティーブン(ライアン・ゴズリング)はある日、同じく民主党の敵対候補プルマンの選挙参謀トムから電話を受ける。「ちょっと会おう」と。
とりあえず会うだけ会ってみるスティーブン。
「マイク・モリスを民主党候補にさせまいと共和党陣営が我々に協力する。モリスは負ける。どうせなら我々の元にこないか?」引き抜きの勧誘だった。
トムの誘いを即座に断ったが、トムと会ったこと自体は迷った末、スティーブンは上司のポールに報告する。
その一方で若き選挙スタッフ・モリーとホテルで一夜を過ごす。その晩、モリーの携帯に男から電話がかかってきた。それはモリスからだった。モリーはモリスとかつて関係を持ち、妊娠もしてしまったのだった。

今年は実際に大統領選挙が行われる年。
そんな時に大統領選挙の裏側を描く映画を作ろうというのだからアメリカ映画もまだまだ懐が深い。
監督は「グッドナイト、グッドラック」のジョージ・クルーニー。今一番の社会派監督と言える。

マイク・モリスはリベラルもリベラル。戦争は終結させる
、ガソリン車は今後10年でなくす方向にいく、同性愛者の結婚も必ずしも否定しない。同性愛が選択性ではなく、遺伝的なものならそれは人種問題と同じと考えるべきではないか?というのだ。

そんなマイクを尊敬し、当選を願う。そのためにスティーブンは努力する。しかしそれがいつしか目的化してしまい、マイクを大統領にすることで自分ものし上がろうとなってしまう。

それにマイクも若い運動員に手を出してしまったり、やることはやっている。そんな善良な候補者のダークな一面を見てしまう。
スティーブンはやがてはマイクの選挙参謀のポールから切られることになる。
「敵陣営と会っただけで十分寝返る下心があると思える」ところがクビになった後で今度は敵陣営に行くと「君は雇えない。こちらが汚い陣営になってしまう」

敵にしてみれば自分と会ってくれただけでもう勝ちだったという。
来てくれればありがたいし、相手陣営から切られればそれだけでもありがたい。
うーん、参った。

それにめげないスティーブン。
自分を再度雇うようにマイクを脅す。「実は彼女の遺書があるんだ」「そんなものはない。君のはったりだ」という。
しかし「それならば何故来た?何かあるかも知れないという不安の証拠だ」
うーん、そう来たか。

実はもっとえぐい面がでるかと思ったので、期待ほどではなかった気もするが、大統領選の内幕がわかり、いや
日本の政治もそうだと思うが、面白かった。
やはり最初は理想だけでやっていてもいつかは権力につくことだけが目的になってしまうのは、アメリカも日本もいや世界中どこでも変わらないのだろう。



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ウルトラマンサーガ(3D)


日時 2012年4月1日17:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン6
監督 岡秀樹

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


地球はかつては繁栄を謳歌していたが、バット星人に侵略され、ほとんどの人類はバット星人によってどこかへ連れ去られた。
わずかに生き残った地球防衛隊の女子チームと子供たちが怪獣が現れる中ひっそりと生きていた。
今日も怪獣におそわれる彼ら。
そこへウルトラマンコスモスやウルトラマンダイナ、ウルトラマンゼロも現れる。
彼らは彼らが暮らす別宇宙からやってきたのだ。
地球でのコスモスの姿は春野ムサシ(杉浦太陽)、ゼロは同じく別宇宙からやってきたタイガ・ノゾムだった。
タイガ・ノゾム(DAIGO)は自分とウルトラマンが一体になっているという事実がどうしても受け入れられず、ゼロは本来の力を出し切っていなかった。
バット星人は地球侵略の秘密兵器、ハイパーゼットンをついに起動させる!


初のウルトラマン3D映画。
でも日本の3D映画はもうやめたほうがいい。全く効果がないよ。「三丁目の夕日」が3Dより2Dを選ぶ観客が多かったという事実を見てももう3Dは終わりが始まっている。所詮、何かが飛び出てくる「見せ物」に過ぎない。
映画の質そのものを向上させるとは思えない。

ファンやマニアの間では「泣いた!」「号泣した!」と評判の映画だが、私はまったくだめだった。
「ウルトラマン」そのものが「初代マン」「セブン」で終わっていて、「帰ってきたウルトラマン」はリアルタイムで見たけど、もうこのころから「なんか安っぽいなあ。昔の方がよかった」と思うませたガキだったので、「A」以降はまったく知らない。
ましてや平成ウルトラマンは「ダイナ」も「コスモス」も見ていない。「ティガ」はちょっと見たかな、V6つながりで。あとは「マックス」は黒部さんとか桜井さんが出演して初代へのオマージュが多かったので見たけど。
だから「ダイナ」「コスモス」へのオマージュ(が多いと思われる)のこの映画はさっぱり解らない。

それにDAIGOがウルトラマンゼロの人間形になるんだが、DAIGOがそれを拒否する展開がなじめない。
そしてグビラの先端のドリルの上をかけるというコミカルなシーンがあるがこれもなじめない。
あとウルトラマンゼロが「この野郎!」「やってやるぜ!」的な言葉使いが乱暴なのだな。
昔のウルトラマンは口を利かずに黙々と動きで感情を表現していたよ。

それにラストになるに従ってやたらと「守る」「守る」のオンパレードでどうも好きになれない。
あと地球防衛隊がAKBってのも好きになれない。
唯一なじめたのはグビラとかゴメスとかゼットンとか「Q」「マン」に出てきた怪獣が再び登場したところか。

この映画を好きな人や誉める人を否定する気は毛頭ないが、私は最初から最後までなじめなかった。



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海燕ホテル・ブルー


日時 2012年4月1日14:30〜
場所 テアトル新宿
監督 若松孝二

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


藤堂(地曳豪)は7年間の刑務所暮らしを経てシャバに帰ってきた。彼の罪は現金輸送車強盗未遂だった。
事件の時、仲間の一人は計画だけで参加せず、もう一人は決行の時に逃げ出した野郎だ。
そして刑務所では同じ房だった仲間が看守に殺されていた。これも落とし前をつけてやる。
藤堂はかつての計画の時に決行で逃げ出した右田を訪ねた。右田はかつてのことを詫び、藤堂に金を渡し、もう一人の仲間だった棚橋が今は大島でバーをやっているらしいと告げる。
大島に向かった藤堂。棚橋は営業していない海燕ホテルでバーを開いていた。
500万円渡すから出ていってくれという棚橋。しかしその場には不思議な女・梨花(片山瞳)がいた。

「連合赤軍」「キャタピラー」「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(6月公開)と話題作連発の若松孝二だが、ひっそりと公開された映画がこれ。
宣伝もしていないし、話題にもならない。そんな映画作っていることも話題にならずに、去年の11月25日の三島由紀夫映画の先行上映の時に初めて知った次第だ。
3月24日公開で2週間のみの上映だ。毎月1日の半額デーの14:30という一番混みそうな時間だったが、がらがらである。
まあ「連赤」や「三島由紀夫」に比べれば話題に乏しいのも納得だし、当たらないのももっともだ。

映画は摩訶不思議な空間へと入っていく。
梨花という実在か幻想かはっきりしない女にみんな振り回されていく。
「女が出来て計画に参加できなかった」という棚橋。
しかしその棚橋を殺した藤堂も結局はこの不思議な魔性に魅入られたのか、彼もまた女を失うことを恐れていく。

女と自分の居場所が出来てしまうと男はみんな守りに入っていく。そういう男たちのふやけぶりを若松は描きたかったのか。
かつては革命だなんだと騒いでもみんなやがては牙を抜かれたように大人しくなっていく。そして警官がそういった男を脅し飼い慣らそうとする。

そういういらだちが若松をしてこの映画を作らせたのだろうか。
でも今更って気がしないでもない。闘争から逃げたのはもう何十年も前だろう。70年代なら作る意義もあったかも知れないが、2012年の今ならねえ。
それとも原発問題などで今こそ人々は立ち上がらなければならない時なのに人々はまったく大人しすぎると言いたいのだろうか?

梨花の存在などに昔の若松ピンク映画の訳の解らなさを感じる。そしてこの梨花が今風の美人ではなく、かつてのピンク映画の女優のような顔つきなのだなあ。

かつての若松ピンク映画のリメイクを観させられたような気がした。



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