エクスクロス 魔境伝説 | |||
この空の花 長岡花火物語 |
北のカナリアたち | ふがいない僕は空を見た | 悪の教典 |
わが母の記 | 黄金を抱いて翔べ | 裏切りのサーカス | 高地戦 |
のぼうの城 | 合衆国最後の日 | アルゴ | 私の奴隷になりなさい |
女優 | サニー 永遠の仲間たち |
終の信託 | 希望の国 |
エクスクロス 魔境伝説日時 2012年11月26日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 深作健太 製作 平成19年(2007年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 女子大生のしより(松下奈緒)と親友の愛子(鈴木亜美)は阿鹿里村にある秘湯の温泉を訪ねた。 「男なんて適当に距離をもってつきあえばいい」という愛子だが、しよりはつき合っていた朝宮(池内博之)の浮気の現場を目撃してしまい、その気分転換にと愛子が誘ったのだった。 でもこの村の住民はなんだか気味が悪い。村の道にもおかしなかかしが立っている。 温泉に二人で入ったしよりたちだが、しよりだけ先に温泉から上がって部屋にいるとどこからか携帯電話の鳴る音がする。押入にあった電話に出てみると見知らぬ男が「早く逃げろ!」と怒鳴ってくる。そのとき、部屋の扉がドンドンと強く叩いてくるものがいる。 一体この村は何なのか? 深作健太監督作品。 健太監督の作品はすべて観ようと思って鑑賞。 いわゆるB級ホラーとして十分楽しんだ。 上記のストーリー紹介は便宜上、時系列で書いたけど、映画はしよりが携帯に出て「早く逃げろ!」と言われるところから始まる。 そして画面は時間軸を逆回転し、愛子としよりが阿鹿里村に車でやってくるところになる。 映画全体がこんな感じでしよりの話がひと段落すると時間が巻き戻って今度は愛子の話になるという展開。 気のせいか最近、こういう展開多いと思う。 テレビ版「木更津キャッツアイ」の頃から始まったんだな、このやり方。 しよりは自分の携帯は雨宮から電話があるので、冒頭に捨てている。で、この拾った携帯からの物部さんからの情報で「この村の住民は女性の足切って神に捧げる風習がある」と教えられる。 この話はホントなのか?物部という男は信じられるのか? 一方、愛子は愛子で何かしよりに隠している。 そして村はずれのトイレで待つ、とメールをするとそこへ謎の女が!それは愛子がつき合った男の元の彼女。 男をとられた腹いせに愛子を殺そうとする! で、何度も何度も襲いかかってる! という愛子としよりの話が交互に進む。 お互いが電話で時々話すのだが、相手の状況が一方的で初めは解らない。 しかし時間が逆転して、相手の話になったときに初めて相手の過酷な状況が解るという展開の連続で、十分に面白かった。 しよりは携帯で東京にいる友人(中川翔子)に連絡を取っていろいろと情報を得る。 愛子はホントに信じられるのか? 物部さんはいい人なの? 雨宮はどうしてる? という数々の疑心暗鬼の中、しよりは逃げまどう。 結局雨宮は実は阿鹿里村の出身者で愛子を使ってしよりを村までつれてこさせたという結末。 で、物部さんは?というとこれがいい人だったという結末。 もう一つドンデン返しがあってもいいかな?と思っていたらありました。 でもこのオチはちょっとやり過ぎかな? 私は逆にシラケました。 しよりが自分の携帯でもないのに友人に電話をかけたりメールをしたりするのが、気になったが(ふつう電話帳にとろくしたら逆に覚えないでしょ)、まあそういう細かいことをつっこむのは野暮でしょう。 プログラムピクチャとして面白かった。 「クロネズミ」といい、こういうのが深作健太監督はうまい。 (このページのトップへ) この空の花 長岡花火物語日時 2012年11月23日18:00〜 場所 パルテノン多摩・大ホール 監督 大林宣彦 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) なんか大林監督が長岡花火を題材にめちゃくちゃ実験的な映画を作ってるぞ、と聞いたのはグリソムギャングで「ORANGING’79」の上映会の時に今関あきよし監督から聞いたのだったろうか。 それからポレポレとかで上映されているのは知っていたが、時間が合わず見逃していた。 今回第22回TAMA映画祭の第4回TAMA映画賞で作品賞受賞ということで上映。 (ちなみに同じく作品賞は「桐島、部活やめるってよ」新進男優賞に神木隆之介、同じく満島真之介、新進女優賞に橋本愛、新進監督賞に沖田修一、男優賞に役所広司、女囚賞に樹木希林、宮崎あおい) その受賞式の後の上映。 正直、びっくりした。 何がってとにかく台詞の洪水なのだ。 いちいち台詞で言わなくてもいいだろう、と思うことまで台詞にし、しかも早口、さらにカットも細かいとなれば、観てる方は全神経を集中させていないとついていけない。 ぼーっとしてるとどんどん取り残される。 映画は長岡の花火を取材する地方紙の熊本天草新聞の記者(松雪泰子)が長岡を訪ねるあたりから始まる。 しかも彼女の別れた恋人(高嶋政宏)が長岡で高校教師をしている。その教師の元に不思議な女生徒がやってきて、「まだ戦争に間に合いますか」という戦争を主題にした演劇をしたいと提案してくる。 松雪泰子の記者は地元の記者とともに主に戦争体験者(富士純子ら)を訪ねていくというのがアウトライン。 長岡には昭和20年7月に原爆の投下練習用として大きさ重さは同じ模擬爆弾を落とされた場所。そして昭和20年8月1日には焼夷弾による爆撃、2003年の新潟中越地震、などを経験。そして原発も抱え、原爆〜原発、中越地震〜東日本大震災をも結び付け、そして花火と爆弾も結び付ける壮大なテーマというか風呂敷を広げる。 いやいや壮大なテーマで誠に結構だが、さっきも書いたようにとにかく台詞の洪水。 映画中演劇もあったりして、演劇って映画より饒舌なことが多いから、ますます饒舌。 映画ってやっぱり台詞ではなく映像、カットつなぎで見せていくものだと思うので、私はこの映画は否定派です。 これは映画じゃない。 受賞式で大林監督が「この映画を作品賞をいただけたということは映画として認めてくださったのですね。ありがたいです」という主旨の発言をしていたが、そういうことだったんですね。 「エジソンやルミエールが映画を作り始めた頃は無限の可能性があったのに、今は2時間の劇映画とドキュメンタリー映画の2種類になってしまった。だからまだまだ可能性を示したい」とおっしゃってまして、いやお気持ちはよく解るし、その実験精神は大いに評価されると思うのだが、私はだめでした。 でもそんな実験映画でも柄本明、ベンガル、草刈正雄、高橋長英、藤村志保などなどの芸達者な俳優陣の豪華出演。これも大林監督の力があっての事だろう。 それにしても2時間40分は長すぎる。(クレジットで5分以上あるから正味2時間半強だけど) 1時間半ぐらいならこの実験映画ももうちょっと買ったかも知れませんが。 それに今の時代、過去の戦争の被害を描くだけでは未来の戦争の抑止にはならない気がする。 もっと違ったアプローチをするべきなのでは? 「山本五十六」が戦争に突入していった頃の日本人のメンタリティを描いたのはよかったと思う。 (このページのトップへ) 北のカナリアたち日時 2012年11月22日19:30〜 場所 新宿バルト9・シアター4 監督 阪本順治 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 川島はる(吉永小百合)は北海道の離島で20年前まで小学校の分校で教師をしていた。しかしある事件で学校を追われ、東京で図書館に勤め今年で定年。 そこへ刑事(石橋蓮司)が訪ねてくる。「鈴木信人(森山未来)という男が殺人を犯した。鈴木の部屋にあなたの住所と電話番号のメモがあった。心当たりはありませんか?」 信人ははるの20年前の分校時代の6人の教え子の一人だった。おとなしかった信人が殺人を犯すなんて信じられない。はるはかつての教え子真奈美(満島ひかり)、直樹(勝地涼)、結花(宮崎あおい)、七重(小池栄子)、警官になった勇(松田龍平)を訪ねていく。 信人のことだけでなく、20年前にはるが島を去ることになった「あの事件」についても生徒たちは語り出す。 それははるの夫が溺死した事件だった。 日活時代を除けば吉永小百合の映画を観るのは実は初めてではなかろうか?(と思って調べてみたらそんなことはなく、「母べえ」を観ていた) もう60代後半だと思うが、40代を演じても違和感がない。というかこの映画、60代と40代のはるが登場するのだが、吉永小百合が変わらなさすぎてその違いが髪型ぐらいしかないので、観ていて今どっちなのか迷うこと多々あり。 それに吉永さんが綺麗すぎて、現実感、生活感がなく、女性としては素晴らしいが、女優としてはどうよ、と思ってしまう。 同じようなことが里見浩太郎にも言えて、吉永小百合の父親にも田舎の助役にも見えない。これが大滝秀治のような役者がやっていればまた違った味わいにもなろう。 で、映画の内容の方だが、期待したより面白かった。 湊かなえの原案(原作ではないので、短編をかなり映画的に膨らました模様)のためだと思うが、「告白」と同じく一つの事件をそれぞれの視点から描いていく内容。 はる先生は結花が声がでなくなったためのみんなの気分転換として夫も交えたバーベキュー大会を企画。 その時に結花が海に落ちて、夫が助けに飛び込んだが、結花は助かったが、夫は溺死してしまうという事件。 生徒たちはみんな「自分のせいで、あの事件は起こってしまった。それで先生の夫を死なせてしまった」と心に傷を負っている。 各視点からあの事件を描くことにより、その真実が明らかになっていくサスペンスはなかなかのもの。 最後に信人の証言によって夫は自ら命を絶ったという事が明らかになり、観ているものをほっとさせる。 それにしてもこの映画のオチ、というかドンデン返し(というほどでもないが)は卑怯だと思う。 ラストに信人が故郷の小屋に隠れていたのだが、それを指示したのははるだったのだ。 だから冒頭で刑事が訪ねて来たときに「知らない」と言ったのは嘘だったのだ。 いやその僕の中では探偵役は「観客には嘘をつかない」という大原則があるのだ。 刑事を騙してもいい。しかし観客に嘘はついてはいけません! その辺で大いにがっかりした。 しかしこの映画に登場するカナリア(分校の生徒)の歌は実によかった。 ラスト、信人を見送るとき、満島ひかりが「カリンカ」を歌い始めるのは印象的。ここでグッとくる。 撮影は木村大作。 極寒の風景はお手のもの。今回は景色の綺麗なところも多く、全編まるで絵はがきのような美しさだった。 (このページのトップへ) ふがいない僕は空を見た日時 2012年11月18日19:15〜 場所 テアトル新宿 監督 タナダユキ (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 斉藤卓巳(永山絢斗)はアニメのコスプレ好きの主婦・岡本里美(田畑智子)と不倫の関係にあった。里美はアニメのキャラクターになりきって二人でコスプレしながらセックスするのが好きだった。 だが卓巳は松永(田中美晴)に告白されたのをきっかけに里美と別れようとする。里美は子供が出来ないことを姑から常に非難されており、人格さえ否定されていた。 卓巳の幼なじみ、福田(窪田正孝)は父はいなくなり母親は別の男の元へ行き、自分は痴呆の始まった祖母と団地で二人暮らしだった。母はなかなか金を送らず、逆に返してくれという始末。そんな福田にコンビニのバイトの先輩の田岡(三浦貴大)は面倒を見てくれていた。 ある日、卓巳と里美がセックスしている写真や動画がネットでばらまかれた。どうやら里美を不審に思った里美の夫がやったらしい。 原作を先に読んだ。その文章調のタイトルが気になったので。 「どうしようもない環境におかれた人間たちのドラマ。問題はなにも解決していないが、登場人物を見つめる作者の目はどこか優しい」というような感想が読後感。 原作を先に読んでいるせいで、どうしても原作との比較が先に立ってしまった。 思ったより原作に忠実だった。 原作は1章ごとに主役が変わっていく連作スタイル。 (話は違うが「告白」「桐島、部活やめるってよ」とこういうスタイルが増えている気がする。流行なのかな?) 卓巳の視点から里美との関係が語られ、次章では里美の視点から卓巳との関係が描かれる。この構成は原作通りだ。 「桐島」や「告白」ほどいじっていない。 原作では卓巳の彼女の松永についても1章さかれている。 彼女の兄は東大に入ったがカルト宗教に入ってしまって連れ戻されて今は引きこもりになっている。そしてやがて台風がきて家が床上浸水になってしまう・・・というもの。 台風のシーンなどどうするのかと思っていたら、その章はばっさり切られていた。予算とか尺との関係もあるのだろうけど、今回は卓巳、里美、福田を話の中心にしたようだ。 同様に福田の幼なじみで彼女みたいな存在のあくつ(小篠恵奈)も存在が薄くなっている。 個人的には田岡のキャラクターが一番興味がったし、もっと描いてほしかったが、それでは別の映画になってしまう。田岡は「ゲイのロリコン(少年愛)」という世間ではもっとも理解されないだろう性癖の持ち主。だからこそ他で罪滅ぼしをしようとして福田に面倒をみる。 その辺の複雑なキャラをもっと描いてほしかったが、あの程度になったのもいたしかたないか。 ラスト、原作では卓巳は引きこもりのままで問題は解決してない状況だったが、映画の卓巳は学校に行く。 そして「むらまさ様〜」とからかわれて、それを言った奴に向かっていき、しかし笑顔で答える。 福田も自転車に乗って土手を走るが、どこか希望がある。 里美はひとりで旅行鞄をもって電車に乗る。 よく考えれば里美がどこに向かうか映画では示されていない。でも私は「里美は離婚して新しい人生を歩み始めた」と直感的に解釈した。 問題が完全に解決した訳ではない。 しかし登場人物たちはそれに立ち向かう一歩を踏み出した、として終わる。 非常に好感のもてるエンディングだ。 出演では卓巳の母、寿美子に原田美枝子、寿美子と一緒に働く助産師に梶原阿貴。 (このページのトップへ) 悪の教典日時 2012年11月18日16:15〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン2 監督 三池崇史 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 蓮見聖司(伊藤英明)は生徒からも先生からも人気も人望も厚い高校教師だ。職員会議では次回の中間テストで生徒が携帯を使ったカンニングが出来ないように妨害電波を流すことを蓮見は提案したが、電波法に触れるおそれがあるとして却下された。早水圭介(染谷将太)たちが携帯を使って生徒同士で連絡を取ってカンニングをしていたが、試験当日、なぜか電話は圏外になりカンニングは失敗していた。 アマチュア無線部顧問の物理教師・釣井(吹越満)は妨害電波の件を蓮見に教えたのだが、彼は妨害電波を出さなかった。釣井は蓮見に不審を抱いていた。 そんな中、阿部美咲(小島藤子)は体育教師の柴原(山田孝之)に万引きを知られ、黙っていてやるからと肉体関係を強いられている。前島雅彦(林遣都)は美術教師久米(平岳大)と同性愛の関係にある。 釣井は早水に蓮見の不審な経歴を話す。その後すぐに釣井蓮見に殺される。 伊藤英明が人気のある高校教師になって生徒を殺しまくる映画である。 予告編を観てこの映画が観たくなったのだが、明るく、生徒からも「ハスミン」と言われて慕われている先生がその笑顔をやめて散弾銃を生徒に向けて撃つシーンは強烈だった。 というわけで期待も高かったのだが、どうも今一つ乗り切れなかったのは「蓮見はなぜ生徒の虐殺に出たか?」というのが自分の中で納得出来なかったからだろう。 いや金銭トラブルとか恨みとかの通常のミステリーにおけるような動機は求めていない。 彼はアメリカ時代に快楽殺人者と友人だった訳だが、その友人も「俺はお前とは違う」と殺している。 だから殺人そのものが楽しくてやっているわけではないようだ。 それに最後の生徒の大量殺しも今までの色々がばれるから、という理由では弱い。そこまで殺さなくてもいいのでは?と思ってしまう。 しかしそう思うのは私が快楽殺人者ではないからで、蓮見本人はアメリカで出会った殺人者と「お前とは違う」と勝手に思ってるが、実は同じと考えていいのか? ラストで大量殺人を起こす蓮見だが、唯一対抗出来そうなのが、西井幸人のアーチェリー部の部長。 しかも凶行が始まった時は部室にいたという設定。 さぞかし蓮見をキリキリ舞いさせてくれるかと、「早く討て!」と思っていたが、一回放っただけで(それも散弾によって矢がそれてしまう)あっさりやられた。がっかり。 確かに大活躍するキャラなら、もう少し知名度のある役者を使うか。 あと林遣都。 デビューの頃はさわやかスポーツ少年で、今年になってからは「荒川アンダーザブリッジ」「ガール」「莫逆家族」「闇金ウシジマくん」と出演作が続く。どれも見逃していて申し訳ないが、今回はゲイの役でびっくりした。 同じくゲイの美術部教師と出来てしまい、その教師の部屋に連れ込まれ、しゃぶられるシーンあり。 「パレード」の頃からオナニーしたりちょっと汚れた役が多くなったが、どうやらこの「変な青年路線」に行きそうだな。 ラスト、片桐怜花(二階堂ふみ)夏越雄一郎(浅香航大)が生き残る。 前半の脱出シューターやAEDのシーンが伏線になっているのは面白い。 ラストシーンでは「to be continuted」とか表示され、蓮見は逮捕されても精神異常者として無罪になることが暗示される。 でも続編作るにはどうするのかなあ? 「サイコ」みたいになるのか? (このページのトップへ) わが母の記日時 2012年11月17日17:25〜 場所 パルテノン多摩小ホール 監督 原田眞人 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 1959年、作家・伊上洪作(役所広司)は5歳の頃に伊豆に住む祖父の妾に預けられ数年を過ごし、そのことを「自分は母に捨てられた」と心に恨んでいた。 父の危篤の連絡で伊豆の両親の元に兄弟たちと集まった洪作だったが、母(樹木希林)が物忘れが始まったことを知る。 その後すぐに父は死去。母は伊豆に住む妹夫婦が面倒を見ることに。しかし年を経るごとに母の物忘れは激しくなり、壊れていく。 それから母の誕生日祝いの家族旅行、母をしばらく東京で引き取る、軽井沢の別荘での暮らし、娘のハワイ留学、末娘(宮崎あおい)の結婚、10数年に渡り洪作と家族の母との物語がつづられていく。 今年の5月に封切られて、「役所広司がでる映画なら基本的に観る」と決めていても敬遠した映画。 母親との確執があってその母がぼけてきて、みたいな家族の映画は一番苦手なのだ。 松竹配給作品だが、久しぶりに松竹らしい映画とも言える。 原作は井上靖。井上靖と言えば「天平の甍」ぐらいしか知らないし、さらに読んだこともない無学な私だ。 映画の内容とは関係ないが、冒頭、自分の本に家族総出で検印を押すシーンがある。 今は検印をいちいち押さないけど、このシーンの1959年頃はまだそんなことをしていたんだなあ。 で、映画の方だが井上靖はやっぱり大作家で金持ちなので、ホテルで母の誕生日会を行ったり、娘をハワイに留学させたり、車も持ってないのに運転手を雇ってすぐに車を買ったり、軽井沢に別荘を持っていたり、いちいち金持ちで嫌みで共感出来る点がない。 母親がぼけて大変だとは思うけど、あれだけ金があればねえ、と嫌みな感想をもってしまう。 映画中の洪作は「俺は子供の頃に母に捨てられて祖父の妾の家に預けられた」とぶつぶつ言っている。 あのさあ、思春期の少年が言うなら解るけど、もういい大人だよ。被害者意識が強すぎないか? 最後にその洪作の受け止め方は間違いで母親は家族で船の旅行をするときに「万が一のことがあってはいけない」と家族全員が同じ船に乗ることを避けていたからだと知る。 それを知って洪作は涙するわけだが、誤解が溶けてそれはそれでいいのだが、やっぱり「洪作よ、もっと早く解ってやれよ」という気になってしまう。 監督は「クライマーズ・ハイ」の原田眞人。 全体的にせりふが早口で聞き取りづらく、聞き逃している台詞かなりあり。「クライマーズ・ハイ」の時はそれがテンポの良さであったが、今回は映画の内容からしてそれほどのテンポは必要なかったのではないか。 いやそれが監督のスタイルと言えばそれまでなのだが。 (このページのトップへ) 黄金を抱いて翔べ日時 2012年11月16日21:20〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン3 監督 井筒和幸 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 長距離トラック運転手の北川(浅野忠信)は友人の幸田(妻夫木聡)を大阪にある大手銀行の地下金庫に眠る金の延べ棒の強奪計画を持ちかけ、幸田を大阪に連れてくる。 幸田は5歳の頃まで、大阪の吹田に住んでいた。なにやら過去があるらしい。 北川はすでに仲間としてコンピューター会社の社員・野田(桐谷健太)を加えていた。彼はターゲットとなる銀行に出入りし、詳細を熟知していた。 彼の話では電気、通信などが一つのトンネルにまとまっており、ここを爆破すれば外部と遮断できるという。 しかし爆破するには爆弾の専門家が必要だ。 そして地下金庫へ出入りするためにはエレベーターを動かす必要があり、これも専門家が必要。 幸田はかつて東京で見かけた不思議な男を自分のアパートから川向こうにあるアパートでまた見かける。 その男チョウ・リョファン(チャンミン)は実は北朝鮮のスパイだったが、今は辞めた男。彼を仲間に引き入れ、野田の知り合いの元エレベーター保守点検員斉藤(西田敏行)も仲間に。さらに春樹(溝端淳平)も仲間に加わる。 妻夫木聡、溝端淳平、チャンミンらの若手人気俳優に加え、西田敏行、浅野忠信らのベテラン男優たちの金庫破りともなれば期待する。 でも正直イマイチだったなあ。 第一に金庫破り計画が雑。 銀行の地下通路図を手に入れたまではいいが、地下に入ってからがダイナマイトで爆破、また爆破。2つ目の金庫を爆破したとき、「また金庫があったらどうする?」「やってみなけりゃわからねえ」的なことを言って爆破。 そしたらやっぱり金庫があった! でどうするかと思ったら、ノミで叩いて壊すという乱暴なやり方。 いやうまくいったからよかったものの、それじゃ失敗する可能性大だよ。 またそれ以前にキャラクター設定にも疑問が残る。 映画は浅野忠信が妻夫木聡を大阪に連れてくるところから始まる。 なんで単なるトラックの運転手(浅野)にいきなり銀行の金庫破りというハードルが高いことをするのか? 妻夫木の正体は何者? これらが説明されないまま、物語は進展していく。 この辺は映画を観た後パンフレットを読んで納得がいった。 二人は学生時代からの泥棒仲間みたいなもので、妻夫木は最近は左翼過激派の調達屋をしていたのだ。 だから後半になって左翼過激派が登場するのだ。 加えて言えばこの左翼過激派という設定はいささか時代遅れではないか? 原作は1990年の発表だから、この頃はまだ左翼過激派もいくらかはいたろうが、今となっては現実感がない。 むしろ右翼の過激派の方がしっくりくる。 そして登場人物の人間関係。 浅野忠信の弟で妻夫木の職場の後輩にあたる溝端淳平。 違法カジノに出入りしていて借金がある。そこで妻夫木が救い出すのだが、かえってその違法カジノの奴らが溝端を拉致したり、なんだかんだと計画に支障をきたす。 果ては計画実行前に殺されてしまうという無能ぶり。 一体何のために出てきたのか? さらには西田敏行。 昔は国鉄の組合運動をしていて公安に情報を売ったこともある男として登場。で妻夫木が子供の頃吹田に住んでいて、その町の神父と母親が出来ていてそれがきっかけで協会に放火したという過去を持つ。 で(書いちゃうけど)実はその神父が西田敏行で、妻夫木の実父だったというオチ。 おいおい、国鉄職員で組合運動から神父になって、その後エレベーターの保守点検員、今は退職して公園の掃除ってなかなか経歴がめちゃくちゃじゃないか? 原作を読めば詳しく書いてあるのかも知れないが、ちょっと疑問に残った。 そして妻夫木聡。今回は全く笑わない過去を持つ男だが、ちょっとイマイチかな。多少は笑ってその過去とのギャップを感じさせる姿を観たかった。 しかし、中盤の名阪国道でのダイナマイト強奪の時、ダイナマイトを積んだトラックの前に車を横転させてトラックを止める。 その車から逃れる時に車の中の灯油に火をつけて車の中を見てから「ボン!」と爆発する。 そのシーン、炎と妻夫木の顔が本当に近かった。 あれは本人だと思うが、危険だなあ。 機会があったらこのシーンのことを聞いてみたい。 いろいろ書いたけど予想外によかったのはチャンミン。 東方神起も5人から2人になっていろいろ大変だが、イケメンな北朝鮮スパイを見事に演じていた。 本番の金庫破りの前に死んでしまって残念だったけど、本作では一番好演していたように思う。 (このページのトップへ) 裏切りのサーカス日時 2012年11月15日19:40〜 場所 目黒シネマ 監督 製作 2012年(平成24年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 1970年代、東西冷戦の最中で、英国情報部サーカスのリーダーのコントロールは幹部に2重スパイがいると考えていた。 そこへハンガリーの将軍がその2重スパイの情報をもって西側へ亡命したがっているという連絡があった。 工作員ブリトーを派遣するが、敵に計画が漏れたのかブタペストで撃たれてしまう。 その後、コントロールも死亡。彼の右腕だったジョージ・スマイリー(ゲイリー・オールドマン)は今は退職していたが、情報部とは別の官僚からコントロールが追っていた2重スパイの存在を突き止めて欲しいと依頼をうける。 ターゲットとなるのはパーシー(トビー・ジョーンズ)、ビル・ヘイドン(コリン・ファース)、ロイ・ブランド、トビー・エスタヘイスの4人。 スマイリーはかつての部下や警視庁の刑事を使って昔の同僚や部下から探っていく。 「1回観ただけじゃ分からない」とか「2回目で分かる真実がある」とか兎に角映画ファンで話題の映画。 封切りで見逃してしまい、何度かチャンスはあったがやっと観た。 でも正直、「それほどのドンデン返しがある映画かあ?」というのが本音。 映画は過去にソ連のスパイを亡命させようとしてイギリス本国の指示を仰いだら、その女スパイは殺されたとかの「絶対にスパイがいる!」と思わせるエピソードが続く。 この映画の舞台は1970年代。 だから携帯もパソコンも出てこない。 途中で、その本国に指示を仰いだ11月20日の当直の見ようと記録を盗み出すのが面白い。 ここが今ならPCのパスワードを解析して進入、とか映画的にまるで面白くないのだな。 でラストはやっぱり4人のうちの一人2重スパイ。 西側の腐りきった政治を見るうちに共産圏にあこがれを持つようなったというのが動機。 で、逮捕され、山の別荘に監禁されるのだが、そこで彼の裏切りの為に瀕死の重傷を追い、ソ連に拷問も受けたブリトーがライフルで射殺。 この直前に2重スパイだった男とこのブリトーがパーティの席でお互いを発見し、笑顔で近づいていくカットが挿入。この二人ってゲイの関係だったってこと? それなら怒り心頭だろうなあ。 その前にその2重スパイはスマイリーの妻と不倫の関係があったことが知らされる。 実はスマイリーは以前にソ連のスパイを亡命させる説得をしたときに自分の妻について話す。結局そのスパイは亡命しなかったため、スマイリーの情報だけがソ連に渡ったことになる。 2重スパイとスマイリーの妻の不倫はそれぞれの意志で行っているとスマイリーは思っていたのだが、実は2重スパイはソ連の指示で行っていたというオチ。 ラスト、スマイリーがかつての上司コントロールの椅子に座るところで映画は終わる。 スマイリーは復職するわけだが、実はスマイリーがソ連の2重スパイでもあった、というオチではなかったろうね? (このページのトップへ) 高地戦日時 2012年11月11日18:45〜 場所 シネマート新宿1 監督 チャン・フン (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 1953年。朝鮮戦争は停戦協定の協議に入ったものの、境界線の引き方で合意が得られず、早2年が経とうとしていた。 そんな頃、防諜隊のウンピョ中尉はエロック高地へと派遣される。実は韓国軍兵士の中に、南出身の北朝鮮軍兵士の家族への手紙を代行して送ったものがいるらしい。 さらに最近中隊長が戦死したのだが、韓国軍の拳銃で至近距離から撃たれたものらしいのだ。 エロック高地は北朝鮮軍と韓国軍が奪った奪い返したを繰り返している激戦地だった。 エロック高地のワニ中隊は20歳そこそこの若きイリョン大尉(イ・ジェフン)が臨時の中隊長を務めていた。 ウンピョは2年前の戦闘で別れ別れになった親友のスヒョク(コ・ス)と再会。しかしスヒョンは臆病だった2年前と違って逞しい戦士と化していた。 手紙はなぜ運ばれたのか?前中隊長の死は何を意味するのか? 考える暇もなく、エロック高地の戦闘は続いていく。 朝鮮戦争ものは他の映画と違って一層悲惨さを感じる。 それは同じ民族同士の戦いだからだ。 人種も同じ、言葉も同じ。 これが太平洋戦争ものなら人種も言葉も違って「同じ人間だ」と頭では考えるものの、やっぱり見た目も言葉も違うので、やっぱり異なるものがある。 なぜ北朝鮮兵士の手紙が韓国人によって発送されたのか? エロック高地を奪った奪われたを繰り返すうちに韓国軍兵士と北朝鮮軍兵士の間で物々交換が行われるようになったのだ。 ある場所に隠していた物資が奪われたに敵に見つかり、奪い返した後に行ってみると相手から酒と手紙の束があった。 その中には「南にいる家族に写真を送ってほしい」と兵士とその家族、美人の妹らしき人物が写っている。 その写真がこれからの伏線になる。 そのころ敵に「2秒」とあだ名される名狙撃手がいた。 ある夜ウンピョは偶然にもその「2秒」と出くわす。美少女だった。写真に写っていた美人は彼女だった。 そうだ、「2秒」が「家族に写真を送ってほしい」と託したのだ。 そしてなぜ20歳そこそこの奴が中隊長代理なのか? それは以前の赴任地でのことだ。 上陸用舟艇で撤収するときに、乗り切れない味方を彼は撃ったのだ。 だからワニ中隊は生きている。 スヒョクもこれらの戦いで「すでに自分は死んだ」と言わせる経験をした。 中隊に出入りしてる腕のない少女が問う。 「大きくなったら腕が生えてくるよね?」 スヒョクは嘘の慰めなどしない。 「お前はトカゲか?腕が生えてくるわけないだろ!」 前中隊長の死は、無茶な戦闘命令を出す上官を殺害したものだった。 こう言った戦場の不条理がこれでもかと繰り返される。 若干詰め込みすぎな気がしないでもないが、いやいやこれぐらいインパクトがあってもいいかも知れない。 そして停戦協定成立の報がラジオで流れる。 戦闘を止めた両軍は川で水浴びをして初めて出会う。 だが本隊からの命令が信じられないものだった。 停戦命令が有効なのは22時から。 それまでに最後の戦闘を行って高地を奪還せよというものだった。 そしてみんな死んでいく。 生き残ったウンピョは敵の隊長と語り合う。 「俺たちの戦う理由はなんだ?」 「もう忘れた」 もちろん他の戦争映画でも観られたような「戦争の不条理」を訴える映画だと言えばそれまで。 でも最後の12時間の戦闘の話はきつかった。 朝鮮戦争ものは何本か観たが、この映画が一番インパクトがあった。 (このページのトップへ) のぼうの城日時 2012年11月11日15:15〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン2 監督 犬童一心 樋口真嗣 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 戦国時代。豊臣秀吉(市村正親)は全国統一のため、ついに関東の小田原城の北条氏を攻めることとなった。 今の埼玉県行田市の忍城の成田氏長(西村雅彦)は豊臣に寝返るつもりで小田原に向かう。 やがて秀吉の命で忍城を落とすため、石田光成(上地雄輔)がやってくる。光成を派遣したのは光成に手柄を取らせたい秀吉が、実はこの忍城は落ちることは解っているからだった。 忍城の城代はいまや成田長親(野村萬斎)。でくのぼうののぼうとバカにされつつ百姓から親しまれてる存在だ。 まずは軍師・長束正家を使わす光成。 だが正家の長親たちをバカにした態度に腹を立てた長親は戦いを宣言する。実は不戦勝ではなく戦って手柄を立てたい光成の計算だった。 長親は丹波(佐藤浩市)、和泉(山口智充)、酒巻(成宮寛貴)を従え、光成を迎え討つ! 昨年の311の津波の影響で公開が1年以上遅れたこの映画。(水攻めのシーンが津波に似ているからという理由だ。実際映画館の入り口にも「これは史実です」と断りが貼ってあった。津波を面白がって映画にしたわけではないと言いたいようだ) まず思ったのは「黒澤時代劇だなあ」ということ。 ファーストシーン。 黒い甲冑に赤い旗。もう完全に「影武者」のビジュアルだ。 とにかく1980年の「影武者」の公開の時、今まで見たこともなかった戦国武将の色使いにため息が出たものだった。 私は犬童監督と樋口監督のちょうど間の年齢なので、その時の驚きはよくわかる。 当時映画館で「影武者」を2回連続で見た覚えがある。 それ以来一度も観ていないが、非常にショックだったなあ。 そしてのぼう様は「七人の侍」の菊千代であり、「椿三十郎」の伊藤雄之介だ。自分がバカにされていても気にしない。 最初の方で麦踏みを百姓たちの演奏付きで行うけど、あそこを観ていると完全に「七人の侍」を思い出す。 また百姓と侍が一緒になって戦うのを観るともう完全に「七人の侍」だ。 踊っている長親を観ると「乱」のピーターを思い出す。 犬童、樋口両監督とも黒澤明を尊敬しているのだなあ、オマージュ映画なのだなあと思う。 そして水攻めの洪水も「夜叉ヶ池」(よりは劣るけど)匹敵するミニチュア特撮。もっとカットが欲しかったけど、カットされたのだろうか? 忍城を俯瞰するカット、CGかなと思ってしまったが、かなり作っているらしい。 何でも「きっとCGだろ?」と思ってしまう自分がお二人に申し訳ない。 というビジュアル的にも面白かったが、この映画、長親を通して「リーダー論」「外交論」としても面白かった。 まず石田方は戦をしなくても勝てたものを「相手を挑発する言動をする男」を交渉役にすることで戦いにしてしまう。もっとも今回は光成がそうし向けたのだが。 そしてのぼう、長親のキャラクターだ。 まずは農民と一緒に農作業をする。もっとも農民は迷惑がっているが、しかし現場の者と同じ立場にたつことは重要だ。 水攻めにあった時、その打開策として自らが最前線に立ち、踊りを披露する。 やっぱり上に立つもの、最前線にいかねば下の者はついて行きません。 そしてラスト。自分に惚れていて、長親もおそらくは嫌いでない女、甲斐姫(榮倉奈々)を差し出せ、と迫れられる。 長親は何の迷いもなく「はい」と答える。 個人的なメンツとか感情より民の生活を最優先に考える姿勢。 人間、意外とメンツにこだわるものだ。 メンツのために自分も損して他人にも損をさせることさえすることがある。 その無駄さを長親は分かっている。 戦うと決めた長親に甲斐姫は「私の為に戦うのか」と問う。「そんなわけないでしょ」と長親は答える。 これが伏線だったのだなあ。 まだまだ日本でも大型スペクタクル映画が撮れるという証拠になった映画。 ヒットしてるようだ。 小規模の心に刺さる映画もいいけど、やっぱり映画はスペクタクルだからなあ。 面白かった。 (このページのトップへ) 合衆国最後の日日時 2012年11月11日11:15〜 場所 シアターN・スクリーン2 監督 ロバート・アルドリッチ 製作 1977年(昭和52年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 3人の脱獄囚がモンタナにあるICBMミサイル基地を占拠した。首謀者のローレンス・デル(バート・ランカスター)は元空軍の将軍でICBM基地の設計に携わった男で、そのために占拠も可能だったのだ。 元の上司のマッケンジー将軍(リチャード・ウィッドマーク)を通じて大統領との直接交渉を要求するデル。彼らの要求は2千万ドルと海外逃亡の保証、そして何より過去の安全保障会議の特定の文書の公開だった。 大統領のスティーブ(チャールズ・ダーニング)はその文書の内容は以前の政権の時の話故知らなかったが、内容をしって愕然とする。 マッケンジー将軍たち軍部はミサイル基地奪還を提案する。作戦は開始された! 1977年製作。もちろん公開時にも観ている。 前半はミサイル基地を乗っ取ってそれを奪還しようとする特殊部隊との攻防戦が実に面白く、興奮して観た。 ここまでマルチスクリーンを多用したがが画面は後にも先に観たことがない。 モンタナのミサイル基地、大統領執務室、マッケンジー将軍、進入する特殊部隊をある時は2つ、ある時は3つ、ある時は4つになりながら各所を同時に見せていく様はサスペンス最高潮で、予告編でも興奮した。 また公開されたときに観た毎日ホール大劇場の1Fの切符売り場の横には予告編を流しているテレビモニターがあり、映画の前後に何回も予告編を観ていた記憶がある。 大学に入ってまだビデオを買う前に東京12チャンネルでテレビ放送されたときには8mmでクライマックスを撮影した。 そのくらいサスペンスが最高だったのだ。 で、ミサイル基地進入を気づかれたデルがミサイルを発射しようとして、大統領は直前でデルの要求を飲むことを決断する。 この後国防長官、国務長官、陸海空の3軍の幹部と改めて協議。 初見の中学生の時は「博士の異常な愛情」のような終末核戦争ものを期待して観に行ったから、後半は不満だった。 デルが公表を迫った議事録というのはベトナム戦争政策についてのもの。勝てる見込みのない戦いだったが、ソ連に負けるわけにはいなかいので、「威信のため」にのみ戦い続けていたということを確認した会議だった。 要はメンツの為にはどれだけ犠牲が出ても戦いつづけようというものだった。 このあたりのことが中学生にはよくわからなかったが、いまならよく分かる。別にアメリカだけじゃない、日本でも尖閣諸島問題など、もう完全にメンツの世界だ。 どんなに不利益があってもメンツの為には関係ない。 しかし大統領はデルに共感し、文書の公表を決意。 文書の公表に反対する国務省、軍部はデルたちの狙撃を計画、いざとなれば大統領は死んでもかまわんと一致する。 もちろん閣僚たちが大統領の死を積極的に願ったわけではない。 しかしいざとなったら死んでもらおうと暗黙の了解をする。 このあたりの大統領の命より優先すべきものがある、という考えは「ケネディ暗殺事件」からヒントを得たように思った。 大人になった今、子供の時には見えなかったものが見えた。 DVDも持ってるけど、再見してよかった。 (このページのトップへ) アルゴ日時 2012年11月10日14:00〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン5 監督 ベン・アフレック (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 1979年、アメリカはイランの前国王パーレビを病気療養の目的で入国させた。しかしパーレビの圧制に苦しめられたイラン国民、及びホメイニはアメリカを非難。イランのアメリカ大使館を占拠し、大使館員を人質とした。 しかし6名の大使館員は占拠される寸前に大使館を脱出。カナダ大使の私邸にかくまわれた。 明けて1980年1月、いよいよカナダ大使私邸に匿うにも限度が近付いていた。 アメリカ国務省はCIAの助言のもと、6人の救出作戦を立案。しかしどれもこれも成功の確率は低い。 オブザーバーとして参加していたトニー・メンデス(ベン・アフレック)はイランの砂漠の風景から「6人をイランでSF映画を撮影しようとしてロケハンにやってきた映画スタッフ」に仕立ててイランからの国外脱出を提案。 他に妙案もないので、アメリカ政府はしぶしぶ承知。 トニーは旧知の映画スタッフ、ジョンに協力を依頼。ジョンも快諾し、映画プロデューサーのレスター(アラン・アーキン)も協力し、架空の映画「アルゴ」の製作が始まった! 配給宣伝予算がないのか、目立った宣伝はなくひっそり公開。(とは言っても単館ミニシアターではなくピカデリーで公開だけど) しかし映画ファンの間では口コミで話題。 観に行った。 なるほど評判に違わぬ面白さだ。 でも意外と低予算で地味な映画なのだなあという印象も拭えない。 銃撃戦とかカーアクションとか一切なし。 映画を利用してミッションを遂行!とか「東京湾炎上」的な面白さはあるのだが、画的派手さはなし。 それでも面白い。 映画って実は金さえあれば簡単に出来るものらしく、あっと言う間に偽映画の準備はできあがる。 ポスターも作り、雑誌バラエティにも先方を信じさせるために広告を出し、果ては記者発表まで。 こんなに派手にやっては後で中止になったときに、マスコミに不振がられないかと心配だが、案外ハリウッドでは製作中止など日常茶飯事なのかな? トニーがイランに入り、大使館員に脱出計画を説明するが、大使館員は無理だという。「本名も明かさない奴は信用出来ない」。 この後、トニーが自分の本名と家族構成をいう。 そうやっぱり信頼関係が大事ですから。 ところがこの後、本国の政治の事情から作戦中止命令。 トニーは迷ったあげく、「俺が全部責任を取る!」ってお前じゃ責任の取りようがないだろう、という突っ込みを入れつつ、その男気に感激。 キャンセルされた飛行機の予約が再び入るあたりは「そんなうまく行くかい」とまたまた突っ込みを入れつつ、サスペンスは盛り上がる。 そして続いて出国ゲートでのやりとり。 飛行機を止めようと車で追っかけたりするけど、ハリウッド映画ならここで戦車が一発撃って止めようとするかと思ったら、そういう派手さはなし。 実際はきっと撃ってないですからね。 ハリウッド的爆発の派手さはないから少し意外にも思ったが、アメリカ版「勧進帳」として楽しんだ。 ラストのトニーが子供に渡した「アルゴ」のストーリーボードが粋。 ベン・アフレックも監督として楽しみ。 ジョージ・クルーニー製作だが、彼の関わった映画は今のところいい。 (このページのトップへ) 私の奴隷になりなさい日時 2012年11月9日20:45〜 場所 銀座シネパトス1 監督 亀井亨 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 広告代理店から出版社の宣伝部に転職した僕(真山明大)は色んな女を口説きまくる女好き。しかし転職先の先輩、香奈(壇蜜)に一目惚れ。 同僚たちとの飲み会で露骨に口説きまくるが「これ以上近付くとこっちも対応を考えるわよ」と断られてしまう。 しかし翌日彼女から「今夜セックスしよう」というメールが来る。 彼女はなにも言わずに僕をホテルに連れ込み、ビデオでのはめ撮りを要求した。初めての経験でうまくいかなかった僕。数日後、香奈から「今から君の家に行く。フェラチオしてあげる」というメールが来る。 やってきた香奈は玄関でフェラチオしてそれを再びビデオに撮らせて帰っていった。彼女は一体どういうつもりなのか?ある日、彼女から家にくるように言われる。言ってみると彼女は今から単身赴任中の夫の元に出かけるという。 一人残された僕は、彼女の家に僕宛においてあったDVDを観る。そこには香奈が何者かに命令されながら奉仕している姿が映っていた。僕とのセックスもフェラチオも命令されてやったことなのだ。 「私の奴隷になりなさい」と主演の壇蜜が開脚しているポスター。これを見ればなんとなくS女王さまとM男の物語かと思えてくる。 ところが意外にも壇蜜がM女なのだ。 そのタイトルの秘密はラストに明かされる。 恋愛というものは実は上下関係がある。 それは男が上の場合もあるし、女が上の場合もある。 「誰かに奉仕する喜び」というのは実は誰でも持っていると思う。 相手に何かをしてあげて相手が喜ぶ様を見るのは自分が何かをしてもらうより楽しいことさえある。 SMが題材と言っても団鬼六的な縛って吊してローソクたらして、という肉体的刺激のSMではない。 ハメ撮りの命令、バスの中でのバイブレーター、露出プレイ。肉体的な刺激ではなく、もっと感覚的な、そう精神的なプレイだ。 こういった快感は実は誰でも持っているのでは? 会社に奉仕する精神性は実はそれに通じるものがあると思う。 以前にMの女の子から聞いた話だが、待ち合わせしても大幅に遅刻されたり、ドタキャンされるのが快感なのだそうだ。 そこまでいくとちょっと理解不能な部分もあるのだが、そういうものかも知れない。 この映画はそういう精神的M奴隷を描いている。 そういう映画って実は初めてではないか? いままでのSM映画は団鬼六的な物理的なものだった。 でもこれからはこういう精神的なSMものが流行るかも知れない。 映画の「僕」はやがては香奈のご主人様(板尾創路)にたどり着く。板尾創路が不気味なまでに好演。「先生」と呼ばれているが、実際はなにをしてる人か不明だ。 香奈に惚れている「僕」は「先生」や香奈の命じるままにセックスさせられる。 だが香奈を満足させることは出来ない。 香奈は最後に言い放つ。 「私の奴隷になりなさい」 「僕」のリアクションは映画では出てこない。 しかしそれは観客への問いかけである。 見てる観客がそれを望むなら、「僕」もきっと「はい」と答えたはずだ。 脚本は港岳彦。いまおかしんじ監督の「罪(イサク)」の脚本家だ。 最後に映画の内容とは関係ないけど、上映形態が気になった。この映画、シネスコで作られているのだが、ビスタサイズに広げたスクリーンにシネスコを投影する。 そうすると単に上下に黒みがつき、ただ画面が狭くなるだけ。 シネパトスはスクリーンはちゃんとシネスコに開くはず。 にもかかわらずこんな不可解な上映をしている。 デジタル化するとこうなってしまうのだろうか? 訳が分からん。 (このページのトップへ) 女優日時 2012年11月5日19:00〜 場所 オーディトリアム渋谷 監督 寺西一浩 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 日中合作映画「女優」のオーディションに受かって日本にやってきた新人女優の小麗。主役の大女優(中野良子)のマネージャー明子(岩佐真悠子)に見いだされ、女優としての本格的なレッスンを受ける。 しかし映画「女優」で共演する若手女優(秋本奈緒美)には嫌われる。 その若手女優は小麗をバーに連れていき、テレビのプロデューサーに口説かれる様を写真に撮らせる。 それをネタに脅迫された明子だったが、国会議員(杉村太蔵)の力でもみ消す。 逆に今度はその若手女優がクスリの疑いで事務所をクビ。 映画「女優」は小麗を主役で取り直すことに。 忙しさにかまけていたが、小麗の上海に残してきた恋人は事故で死亡の連絡を上海時代に中のよかった日本人の友人(小澤マリア)が伝えてくれた。 実は明子には娘がいて、20年以上連絡しなかった。 その娘が実は小麗だったのだ。 そして明子は実は末期ガンだった。 映画「女優」は成功し、小麗の成功を見届けて明子は息を引き取った。 今年の上海映画祭で上映されたそうだ。 チラシを観ると「東京国際映画祭提携企画 2012東京中国映画週間特別上映作品」というよくわからない肩書きがついている。肩書きはつけても結局は渋谷で11月3日4日に1回づつ、5日〜9日まで一日2回の上映という1週間の上映という昔なら劇場公開作品という肩書きもつけられないような小規模の上映。 ちょっといろいろ縁がある映画なので観てみた。ちなみに原作、舞台版とこの映画版と3種類体験している。 原作では普通に日本が舞台で主人公の新人女優も日本人。舞台版では子供がいたのはマネージャーではなく、女優の方だったと思う。 で、芸能界の裏話なんかも出てきて足の引っ張り合いとか枕営業とか出てくるのだが、正直、週刊誌のゴシップなどで見聞する程度の話であの程度なら別に内部にいなくても週刊誌を読んでれば書けるのでは?と思ってしまう。 その点加藤シゲアキの「ピンクとグレー」は経験したもののみが書けるようなエピソードがあった。 小澤マリアとか杉村太蔵とか秋吉久美子なんかが顔見せで出るけど、特にどうってことは無し。小澤マリアの服を脱がない仕事は初めてみた。 特に秋吉久美子は「おかしなおばさん」で何のために出てきたのかさっぱり解らない。 そう言えば当初は堀江貴史も出る予定だったと聞いた。 と言うことで、なんだかよく解らない映画だった。 (このページのトップへ) サニー 永遠の仲間たち日時 2012年11月4日18:40〜 場所 早稲田松竹 監督 カン・ヒョンチョル (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) ナミはソウルに暮らす専業主婦。夫の仕事も順調だし、収入も悪くない。 一人娘も高校に行って手がかからなくなってきている。 入院している母を見舞うと他の入院患者の名前に高校時代の親友チュナの名前を見つける。 やはり人違いではなかった。しかしチュナはガンであと2ヶ月の命だという。 チュナは高校時代のナミも含めた仲間、サニーのメンバーにまた会いたいという。 ちょうど夫も海外に長期出張に行き、自分の時間も増えた。早速母校の恩師を訪ね、仲間の消息を尋ねてみた。 メンバーの一人チャンミは今は保険外交員をしていて、すぐに連絡が取れた。 再会を喜ぶ彼女たち。残りのメンバーをナミとチャンミは私立探偵を使って探していく。 関連性のある2本立てを組む早稲田松竹。 この映画も「桐島、部活やめるってよ」と2本立て。前日の3日の夕方に「桐島」の佐藤プロデューサーや吉田監督、そして映画ライターの方々がこの「サニー」と「桐島」を絡めてトークイベントが行なわれた。 そこで「サニー」の話をされたので、レンタルDVDで観てもいいのだが、やっぱり映画館で観たいし、「桐島」も35mm上映という今まで観た事のなかったヴァージョンなので再見も兼ねて前日に続き早稲田松竹へ。 なるほどねえ。 現代の40代主婦が高校生だったのは85年頃。 韓国もソウルオリンピック前でまだまだ今ほどの栄えていなかった頃。 この辺の時代感覚、懐かしさは正直、日本人の私にはよくわからない。 当時のヒット曲では韓国のヒット曲はわからない。 でも「ラ・ブーム」のテーマ曲などはわかるよ、うんうん。 高校生の頃ナミは田舎から転校してきてなまりで笑われたのだが、それを救ってくれて仲間に入れてくれたのがチュミ。 そしてダンスグループ「サニー」を結成。対立するグループ「少女時代」との喧嘩。 メンバーの兄の友人のイケメンに恋をしたり。 (ナミの兄も学生運動をしていたが、ちょうど368世代なのだろう) でかつてのメンバーに出会った行くのだが、結婚しても姑とうまくいってなかったり、親の借金が元で今は場末のスナックでホステスをしていたりと人生は悲喜こもごもだ。 もちろん玉の輿に乗ったものもいる。 いやこれは私が悪いのだが、高校生時代の誰が今どうなっているのかがよく理解できず(韓国人の名前は覚えられなくて)それほど映画に乗り切れなかったというのが本音。 初恋の彼氏との再会もある。てっきり太っているかと思ったら、きれいに歳をとっていて粋な中年男になっていたのがちょっとがっかり。 最後に一番の美少女だったスジ。 彼女となかなか打ち解けなかったナミだが、自分を嫌っていた理由がスジの義母が同じ方言を使うからつい毛嫌いしてしまったというわけ。 韓国らしく二人は屋台で酒を飲んで仲直り。 そして「少女時代」のリーダーはシンナーで頭をやられて学園祭当日にスジの顔を切りつけてしまう。 それで自殺未遂をスジはしてしまい、以降、みんなの前から消えていた。 ラストはチュナの葬式。 スジを除く5人でのお通夜。 チュナは会社社長として成功していたので、サニーのメンバーにも遺産を残して、みんな幸せになってめでたし。 さらにスジだけが来ない。 新聞広告を見て来てくれるか?というラストで、スジが現れてエンド。 ちょっとハッピーエンド過ぎるかな。 その辺が私にはイマイチだった。 (このページのトップへ) 終の信託日時 2012年11月4日15:30〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン4 監督 周防正行 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 折井(草刈民代)は呼吸器内科の患者からも信頼の厚い医師だった。 もう長い間、江木(役所広司)という患者の担当だった。彼は自分の喘息の記録を付けているまじめな患者で、しかしその症状は徐々に進行しており、死期は近付いていると言ってもよかった。 それを察した江木は「最期は折井先生にお任せします。妻には出来るだけ金を残してやりたい。 だから意識もないのに延命治療をするのはやめて下さい」と頼む。 江木もいよいよ発作が起き、折井の病院に救急搬送された。しかし江木は病院の診察券しか持たず出かけ、発作が起きた時には死にかねない状況だった。案外、死ぬことも覚悟していたのかも知れない。 意識が戻らない江木に対し、折井は人工呼吸器を家族の同意の上外す。 すぐに江木は亡くなるかと思ったら、死なずに苦しみ出した。折井は大量の鎮静剤を打ち、江木は亡くなった。 3年後、折井は遺族から訴えられる。 周防正行監督の5年ぶりの新作。 「それでもボクはやってない」から早や5年か。その間に「ダンシングチャップリン」という監督の妻、草刈民代を題材にしたドキュメンタリーがあったが、これは観なかった。 正直、今回はイマイチ。 後半、大沢たかおの検事によって執拗に取り調べを受け、逮捕される。 このシーンが一番この映画では見ごたえがある。 前半が主にこの映画は長いのだ。 折井も同僚の医者の浅野忠信と関係がある。浅野は結婚していて、彼女とは不倫の関係だが、結局浅野忠信は折井を捨てる。 彼女は自殺未遂をしてしまう。 このあたりでその意識がない経験をするという経験が折井には必要だったとは思うが、本筋は江木との恋愛感情にも似た信頼関係のドラマなのだから、あまりだらだらとやられても困るのだ。 で後半の大沢たかおの検事よる取り調べシーン。 「それでもボクはやってない」で司法の世界を描いた周防監督だが、わざと時間を遅らせたり、「またお訊きします」と後日聞くような言い方をしたり、「時間の都合のある方は申し出ください」とあるのを逆に精神的に追い込む材料にしたりの展開は観ていてドキドキする。 しかし今回はこういう情報は「それでも〜」に比べると少なめ。 終末医療に対する様々な情報を教えてくれる映画を期待したので、ちょっと外された。 監督の意図はそういう情報を提供する映画ではなく、あくまで江木と折井の大人の恋愛感情なのだろう。 で出演では役所広司が圧倒的な存在感。実際に病気の症状など迫力があった。 実際に医療器具を体に付けられて大変だったと思う。 また草刈民代の迫力があり、ダンサーだけでない、女優としても一流だった。 全体としてはちょっと長いし、取調室を中心にしてその回想の形を取れば、よかったように思う。 でもそれだと「海と毒薬」と同じ構成か。 終末医療に関してはまだまだ描くべく材料はあるように思う。 今後の少子高齢化の問題もあり、まだまだ描いてもらいたいテーマだ。 (このページのトップへ) 希望の国日時 2012年11月2日19:25〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン3 監督 園子温 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 福島第一原発事故以後の日本。長島県を再び地震が襲い長島第一原発が事故を起こした。 原発から20km付近に住んでいた小野(夏八木勲)の一家は退避地域からはずれたが、道を挟んで向かいの鈴木(でんでん)一家は避難指定されてしまう。 強制的に避難させられる鈴木家。 小野は妻(大谷直子)が痴呆症になっている。息子(村上淳)の妻(神楽坂恵)に小野は自主的に避難するように言う。初めはいやがった息子だが、仕方なく避難する。 園子温が原発問題を真正面から映画化。 福島原発事故後、ドキュメンタリーはあったが、劇映画としては初めて事故をテーマにした映画だ。 ということで期待していったが、どうにも園監督とはそりがあわない。 どこが気に入らなかったかというと登場人物がエキセントリックなのだな。 まず小野の妻が痴呆症という設定。 「帰ろうよ」が口癖。どこに帰ろうと言うのだろう? 震災前、事故前の日本に帰ろうということか。 何度も何度も同じような台詞シーンが繰り返され、正直しゃくにさわる。 痴呆症の人間の方がしがらみなしに正直にものをいう正論を言わせるという映画的には手垢のついた手法も気になる。 そして神楽坂恵の演じる小野の息子の妻、妊娠が解ると放射能の影響を恐れ、自宅アパートの窓を覆い、防護服を着て周りからは異様な目で見られ、くすくす笑われる。 そして医者からは「放射能恐怖症です」と言われる。 しかし園子温からは「こういう放射能を気にするのが本当で、気にしない人々の方が異常じゃないのか?」と言われてる気がしてカチンとくる。 そりゃお説ごもっとも。 正論すぎて反論出来ない。 でもねえ、気にしないようにしている気持ちもよく解るのだよ。 放射能は怖い、それはよくわかっている。 しかしすぐに死や病気になるものじゃない。見えないものを恐れてばかりでは生きていけない。気にしないようにする。目を背ける。 そうなってしまうのが人間なのだ。 そこを否定されたくないのだな、私は。 将来悪くなることは解っていても今がとりあえずよければ、その原因からはつい、目を背ける。 その問題が重要で大きいことであればあるほどだ。 大きければ自分の力の小ささの前のつい負けてしまう。 つい逃げてしまう。 いやそれじゃいけないことは解ってるけど、やっぱり逃げる。 それが人間だと思う。 そりゃ園監督は今まで色んなことと戦ってきたと思うよ。 あんたは偉い。 でもねえ、それはすべての人間に出来る訳じゃない。 頑張れば何でも出来る訳じゃないだろう。 そういう人間の心の弱さを追求された気がして、ちょっといやだった。 むしろ、我々の代わりに東電や政府と戦ってくれる映画の方が観たかった。 園監督は「そういう他人任せの態度だから事故になったのだ」というかも知れない。 それは解るのだが、僕としてはそういう映画が観たかった。 そうそう映画の中では描かれなかったけど、でんでん夫婦がその後どうなったか気になった。 (このページのトップへ) |