2013年1月

裁判長!ここは懲役4年でどうですか? 水のないプール 東京物語
アッシイたちの街 ナイトピープル 東京家族 フラッシュバック・メモリーズ3D
宇宙戦艦ヤマト2199
 第四章「銀河辺境の攻防」
007 スカイフォール フランケンウィニー
2D字幕版
おだやかな日常
怪獣と少年たち 私の映画爆弾 戦国自衛隊 サイド・バイ・サイド
 フィルムからデジタルシネマへ
青二才 となりの801ちゃん ときめきの午後 せせらぎの淡い虹

裁判長!ここは懲役4年でどうですか?


日時 2013年1月30日
場所 TSUTAYA宅配DVDレンタル
監督 豊島圭介 
製作 平成22年(2010年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


放送作家の南波(設楽統)は裁判劇の映画の脚本を依頼され、裁判の傍聴を行うことに。
そこには殺人、痴漢、万引き、交通事故、様々な事件の人間模様が繰り広げられていた。
裁判に通ううちに同じように傍聴によく来ているいわゆる傍聴マニアと友人になる。
その中の西村(蛍雪二朗)は一審では有罪になった放火事件の控訴審裁判は冤罪の可能性があると言い出す。
南波や西村は冤罪をはらすために傍聴人として出来ることをしようとした。

深夜テレビドラマで「傍聴マニア09」という向井理主演のドラマがあった。
ちょうど裁判員裁判が始まって裁判というものが身近になった時の企画。
原作は北尾トロさんの裁判傍聴のレポだが、この映画も同じく北尾トロさん原作。
だから似たようなものである。
でも正直テレビの方が面白かった。

低予算のビデオムービーより、正直民放ドラマの方が予算や質が上のことが多い。
これもその一つ。

前半は各裁判の傍聴のエピソードの羅列でオムニバスのよう。裁判官や検事、弁護士の個性までネタにされ、その辺は笑って楽しめる。
問題は後半だ。

この際ネタバレになるけどラストの展開を書かない限り、この映画の感想は書けない。
一審で有罪になった放火事件の控訴審裁判だ。
母親の様子や、被告の近所の評判を考えるに西村の心証はシロだという。
裁判官も弁護士も人の子、彼らの感情に訴え、裁判への関心を高め、なんとか被告の無実を勝ち取りたいとする。
まずは弁護士は優秀だが、裁判官への訴える力が弱い。
南波は弁護士に自分がかつて脚本を書いた裁判ドラマのDVDを送り、参考にしてもらう。
(この映画中映画で弁護士を演じているのは斉藤工)。
被告人の母親とともに冤罪を訴えるビラ配りをし、特に裁判長の心証に影響を与えようとする。
そうやって周りが出来ることをすべてやって、いよいよ開廷。
しかしなんと被告が自らの放火を認めてしまい、冤罪の可能性はなくなってしまう。

ここまではいいのだ。
ところがその残念会で南波や西村をはじめ傍聴マニアたちが飲みに行くのだが、そこで西村たちは「被告が本当に犯人だったかどうかはどうでもいい。ただ逆転無罪という滅多にない裁判を見たかっただけ」というオチがつく。

もちろんフジテレビのドラマのようにみんないい人になってみんなで力を合わせて問題を解決する、っていうドラマも安直過ぎる。しかしこのオチは傍聴マニアという人種の人間的に悪さだけが帰って強調されてしまった気がする。
映画の中盤で南波は美人検事から「人の不幸をのぞき見てそんなに面白い?」と避難されるシーンがある。

結局これでは傍聴マニアと呼ばれる人々は「人の不幸をのぞき見て楽しむ趣味の悪い人」になってしまう。
もちろんそういう側面もあるだろうけど、さりとて裁判に傍聴人は必要だ。
裁判は開かれている。なぜ傍聴出来るかというと公開することによって公平さを保とうとしているからだ。
だから傍聴人を否定するようなこのラストはなんだか気分が悪くなった。

脚本を練り直してほしい。



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水のないプール


日時 2013年1月27日19:45〜
場所 早稲田松竹
監督 若松孝二
製作 昭和57年(1982年)

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男(内田裕也)は地下鉄の駅に勤めていた。毎日切符を切るだけで家に帰れば女房はうるさい。
ある雨の晩、公園で暴行されていた女じゅん(MIE)を助ける。じゅんをアパートまで送っていった後、そのまま自分の家に帰る。男は夜中にじゅんのアパートに侵入してみる。しかし気づかれてしまう。
男はクロロホルムで女性を眠らせてみることを思いつく。
遠くまで出かけてクロロホルムを買い、まずは蛙で試してみる。成功した男は今度はじゅんの部屋で試してみる。
これも成功だ。
男はよくいく喫茶店で働くねりか(中村れい子)が一人暮らしをしていると知り、仕事帰りの彼女の後をつけて家を突き止める。
そして彼女の家に侵入し、自分はマスクをつけクロロホルムを吸わないように気をつける。
成功した男は次々と女性の部屋に侵入していった。

早稲田松竹での若松孝二追悼特集での上映。
この映画は封切りの時に観ている。たしか新宿東映ホールだったと思う。(急階段で有名だったところだ)
そのときに随分面白かった記憶があるので、30年ぶりの再見。

でも正直前ほど面白くなかったのが第一印象。
もちろん好きな映画だが、今観ると少々長い。
後半の女性宅に次々と侵入して強姦していくあたりがくどい。もう少し短くてもいいと思う。

かといって面白くないわけではない。
記憶に残っていたせりふにMIEとふたりで喫茶店に入った内田裕也が「俺も子供の頃は駅で切符とか切ってみたいと思っていたもんなあ。子供の頃の夢が叶ったんだから満足しなきゃいけないのかな」と自虐的に言うところ。
1982年2月公開だったそうだが当時の私は大学にはいったものの、自主映画作りが思うようにいかずに行き詰まっていた。主人公の毎日が同じことの繰り返しの生活に何か共感できるものを観ていたのだろう。

そして男は女性宅に侵入するが、ねりかの家に入ったときは犯した後に朝食を準備して帰る。
やがて風呂の掃除や洗濯をして帰る。
不思議な現象にねりかは不審に思うが決して騒がない。
むしろ愛情、とまでは行かないが、男の来るのを待つようにさえなっていく。
このストーカー的不思議な恋愛関係に妙に惹かれた。
当時から私の恋愛感はこういうのに共感したのだな。

蛙でクロロホルムを実験したとき、近くにあった人形のスカートを脱がせて性器の部分をなぞるシーンがある。
こういう表現、好きだなあ。

観た当時はまだよく解らなかったかも知れないが、マスクをしたままでのセックスだから口が使えない。
それは随分つらかろう、と思っていたら最後にはマスクをはずしセックスをしてしまい、男は眠りに落ち、ついに見つかってしまう。
その日はねりかが友人を呼んでいたので、起きた友人が騒いでしまったのだ。
でもねりかは告訴を取り下げる、というラスト。
奇妙な愛情関係である。

しかしよく解らないのが、ねりかは特別な存在だったのか、他の女となにが違ったのか、大勢の女を犯していったがその一人に過ぎなかったのか、じゅんはどういう存在だったのか、などちょっとよく理解できない点があるのが私にとっての若松孝二だ。
幻想の水のないプールのシーンもピンとこない。

あと男がいつでもジンジャーエールを注文するのが印象的。
沢田研二がヤクザ役、原田芳雄が男が面接に行った警備会社のおかしな社長役、タモリがカメラ店の店長、赤塚不二夫が交番の警官役でゲスト出演。



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東京物語


日時 2013年1月27日
場所 DVD
監督 小津安二郎
製作 昭和28年(1953年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


平山周吉(笠智衆)とみ(東山千栄子)夫婦は東京に住む子供たちを訪ねることにした。
長男・幸一(山村総)は町医者を長女の志げ(杉村春子)は美容院を営んでいた。
それぞれの家を訪ねるが、医者の幸一は急患があったり、志げは組合の講習会があったりと忙しくてなかなか相手が出来ない。
戦争で死んだ次男昌次の嫁紀子は今は会社勤めだったが、両親の相手をするために会社を休んで東京見物に連れてってくれた。幸一、志げの二人は相談し、両親に熱海の温泉
に行くように勧める。熱海に行った二人だが、宴会の客がうるさかったり、どうにも居心地が悪くて一泊で帰ってきてしまう。
帰ってきたものの泊まるところがなく、とみは紀子のところに行き、周吉は今東京に住んでいる知人の服部(十朱久雄)を訪ね、同じく旧知の沼田(東野英治郎)らと酒を飲む。そして酔っぱらって志げの元に帰りしかられてしまう。
大阪に住む三男敬三(大坂志郎)を帰り道によって尾道に帰っていく周吉ととみ。
しかし幸一、志げの元に「ハハキトク」の知らせが届く。

小津安二郎の世界的名作「東京物語」
オールタイムベストテンに常に顔をだす日本映画の名作だ。
20歳ぐらいの頃にたしか文芸地下で観ているのだが、まるで面白くなかった。
でもそれは年齢のせいで大人になれば解るかも知れない、そう思いつつ30年、「東京家族」の公開を機についに見直した。

正直言うけどだめだった。
話は解るのだが、小津さんのテンポはどうにもあわない。
会話もくどい。
「空気枕はどうした」「そっちにありませんか?」「そんなことはない、渡したろう」「そうですか」「そうだよ。もう一遍探してみなさい」「ありませんねえ」「あっ、あった」みたいな会話のリフレインが実に多い。
そして話し方も実にゆっくり。

どっしりとカメラを据えた撮り方は解るし、好きでもあるのだが、テンポのまったり感にはついていけない。
まあこの頃の映画は他の映画を観てもまったりゆっくり感があるから(「七人の侍」の頃から今でも違和感のないテンポに日本映画はなっていくというのが経験上の私見)

オリジナルは兄弟も5人兄弟だったのだな。
「東京家族」は3人兄弟だが、昔は今より子供が多かったからこれは時代の流れなのだろう。
末っ子の香川京子は女子高生だと思っていたら先生だったのだな。ラストでちょっと驚いた。

でもラストで原節子と香川京子の会話で兄や姉が早く帰ってしまうのを責める香川京子を原節子がたしなめるあたりは緊張感のあるクライマックスだった。
二人の何気ない会話を以てクライマックスとはやっぱり恐れ入る。
「人生っていやなことばっかり」
この原節子の何気ないせりふにテーマが凝縮されていた。

親と子の問題は今では昔よりは実感出来るようになったが、やっぱり小津さんのテンポにはついていけない。
この年齢になっても好きになれないなあ、小津安二郎は。



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アッシイたちの街


日時 2013年1月26日14:30〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 山本薩夫
製作 昭和56年(1981年)

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京浜工業地帯の部品工場。ここでは大企業の下請けが中心だが、納品時間が2時間遅れたと言って怒られる。
大企業の自動車会社が部品を持つための倉庫コスト削減のため、納期に関しては厳しい時間指定があるのだ。
そのことで早坂製作所の早坂茂は(古谷一行)は自動車会社の担当と大喧嘩してしまう。
茂は「いつまでも下請けじゃ未来がない」と自社製品の開発に乗り出す。
お世話になっている佐川精機の佐川(三国連太郎)の協力も得て、動きだそうとするが弟の浩(江藤潤)に反対される。「自社製品は失敗したら倒産にさえなりかねない」という。浩は「仕事は仕事、休みは休み」と割り切って考えるタイプで24時間働こうとする茂とはあわない。
浩は地元の仲間たち(奥田英二、森川正太、新井康広など)とバンド「ASSY」を組んでいた。
浩の妹の美恵(友里千賀子)は努(奥田英二)とつきあっており、佐川の娘真理子(浅茅陽子)は茂のことが満更ではない。

山本薩夫1980年の製作81年公開作品。
「華麗なる一族」「金環食」「不毛地帯」などのオールスター超大作が続いていた山本薩夫が独立プロの小さなスケールで撮った映画。
公開当時、すでに山本薩夫ファンだったが、これは観なかった。
さっき書いたようにオールスター映画の代名詞だった山本薩夫だが、どうにも貧乏臭い話で観る気が起きなかった。
それに上映される機会も少ない。
だから30年ぶりに観てみたのだが、人気がない理由が納得した。まるで面白くないのである。

観終わって調べてみたら脚本が山内久で「若者たち」を書いた人。ああ、なるほどなあ。これは「若者たち」のリメイクなのだ。
兄弟が多くて兄弟で意見の対立があったり、それぞれが恋人がいたりする。で、水商売の女性(関根恵子)が出てきて、これが子持ちだったりする。

兎に角貧乏で大資本から圧迫されていて、ひたすらに働く人間がいて、理屈理想を言って対立する人間がいて、親子喧嘩では殴りあって、ちゃぶだいひっくり返して、会社は倒産して経理係は金を持ち出す。
しまいには徹夜して作った部品が穴の大きさがわずかに違うということで返品される。で周りに迷惑をかけた気にした努は自殺してしまう。死ぬことはないだろう。
感情の針の振れ方が異常。
「共産党的」という言い方が正しいかどうかはわからないが、まあ「傾向映画」だ。

そしていい加減時代とずれまくっている。
これが1960年代の映画ならば納得しただろう。
でもこの映画は1980年の製作。
もう映画を充分に観ている歳だったが、きっと当時観たら時代遅れ感を感じたと思う。

でも作り手も時代にあわせようとして「ロック」を入れてるけどどうにも無理矢理感が拭えない。
「やっぱり今の時代はロックかね?ようわからんけど」というつぶやきをしながら脚本を書いたりしていた感じがするのだなあ。
バンドが出てくる割にはいわゆる「バンド」映画のような曲中心の世界ではない。

独立プロの映画とはいえ、今作られるミニシアター映画よりは資金は潤沢だったようだ。
冒頭にロックバンド「ASSY」のメンバーが新島に行って台風のために帰りが遅くなるエピソードがあるのだが、この数分のシーンのために新島には3回行ったらしい。
8月ぐらいにクランクインして12月まで撮影していたそうな。
全国中小企業の組合の援助があったそうなので、会員数が1万として1万円つづのカンパがあれば1億円。
今の映画より遙かに潤沢だ。
それも巨匠山本薩夫先生の名前があってのことだろう。



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ナイトピープル


日時 2013年1月26日10:00〜
場所 シネマート新宿
監督 門井肇
脚本 港岳彦

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


国会議員の自宅が襲撃され、500万円が強奪される事件があって数年後。
東京の裏町でバー「ナイトピープル」を営む木村信治(北村一輝)の元へ杉野萌子(佐藤江梨子)という女性が店で働きたいと言ってやってくる。
萌子はかつて信治が愛して今は死んだ女性に似ているという。
萌子は客からも人気があったが、そこへ曾根(杉本哲太)という警視庁交通課の刑事がやってくる。
曾根は3年前の国会議員強盗事件の捜査をしていたが、実は奪われたのが裏金2億円と知り、疎まれたために交通課に飛ばされたのだ。
曾根は萌子は実はその事件の犯人の一人だという。
だが二人は裏で手を組んでいると信治のかつての仲間・花宮(若村麻由美)は教えてくれた。
二人の本当の目的は何か?

「休暇」の門井肇、いまおかしんじ監督「罪(イサク)」の脚本家の港岳彦が組んだクライムサスペンス。
門井肇監督がこういうアクション映画を撮るようには思えなかったが、撮った。そして面白い!

原作は逢坂剛の短編「都会の野獣」。
未読だが、原作にはない登場人物がいたりラストが違うそうだ。前売り券を買ったとき原作本プレゼントでもらっているから後で読んでみようと思う。

ストーリーを書くネタバレになるのでかけないのだが、掛け値なし、逆転逆転だ。
信治、萌子、曾根の3人の騙しあいにプラスして、3年前の事件で犯人に撃たれたヤクザ葛西(三元雅芸)が加わり追っかけてくる。

雪のロッジに逃げ込む信治と萌、そこに追ってくる葛西が銃撃し、花宮とその謎の部下(?)勝村(阪田マサノブ)が加わっての大銃撃戦!
この勝村が無表情で撃ちまくるのがいい。
なんとなくアクション映画っぽくない雰囲気を持っているが、それでも銃を撃つ。
かつての大映の守田学が「犬」シリーズなどで感じさせた不気味さに通じるおもしろさだ。

また銃撃戦は最近の映画にありがちなカットを短く切った編集ではなく、比較的カメラはどっしりとしている。
そのあたりも好感が持てる。
またリボルバーの弾を撃ち終わって素人なので弾込めがうまくいかず、銃を捨ててしまうところがいい。
商店街の撃ち合いでは通行人やたまたま居合わせた警官に
流れ弾が当たってしまうのもリアルさを感じる演出だ。
惜しいのは銃が薬莢が出ないタイプだったこと。
まあ予算の関係もあるだろうが、ここは薬莢が「チャリン」と落ちてほしかったなあ。

役者では杉本哲太がいい。
悪徳刑事の嫌らしさがよく出ていた。
佐藤江梨子もがんばっている。

往年の高田宏治&深作欣二コンビのアクション映画を観てるよう。面白かった。



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東京家族


日時 2013年1月20日15:20〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン1
監督 山田洋次

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瀬戸内海の小島で夫婦二人で住んでいた平山周吉(橋爪功)は妻とみこ(吉行和子)と共に東京へやってきた。
今は独立して東京に住んでいる息子や娘に会うためだ。
まずは郊外で開業医をしている幸一(西村雅彦)。東京見物に行こうとしたその日に急患が入ってしまい、行かれない。
次に娘滋子(中島朋子)の元へ。滋子は美容室を営んでいて急がしくて両親の相手をする暇がない。
滋子は兄弟でお金を出し合って横浜の高級ホテルに周吉たちを泊めてやるが、どうにも居心地が悪く、二人は一泊で帰って来てしまう。
今夜はどうしても都合が悪いと滋子がいうので、とみこは次男昌次(妻夫木聡)の所に、周吉は古い友人の家に泊めてもらうことに。
昌次は舞台美術の仕事をしているが、「そんな不安定な仕事」と周吉とは相性が悪い。
とみこは昌次のもとで結婚を考えている恋人、間宮紀子(蒼井優)を紹介してもらう。


山田洋次が世界的名作と言われている小津安二郎の「東京物語」を舞台を現代に移してリメイク。
私は「東京物語」は観ているが、19か20歳ぐらいでまるで面白くなかった記憶がある。でも今観たら面白いかも知れない。

正直、面白かった。
僕自身も大人なので、この映画に登場する子供たちは自分自身に近い。また舞台美術をしている昌次がいつまでも映画にうつつを抜かしている自分に一番近く、その点で共感できることも多い。
だから正直感動した。

妻夫木聡と蒼井優がいい。
この二人はやっぱり若手(でもなくなってきたが)ではピカイチなのだなあ。
特に蒼井優のあの親しみのある笑顔はどうだろう。
美人、タイプではないのだが、蒼井優の笑顔は観ているとこっちがほっこりした気分になれる。

そして山田洋次らしいユーモア。
帝釈天(!)でうなぎを食べるシーンで橋爪功が妻夫木に「お前今なにをしてるんだ?」「何をってうなぎくるの待ってる」という会話、後半の周吉の島のシーンで、近所の中学生が学校の先生を紹介するシーンでその後先生が自転車ごとこけるシーン(ここはちょっとやりすぎだが)、長女の夫の林家正蔵のキャラクターなどなど。

林家正蔵などなんだか「寅さん」のタコ社長に似ている。
そこで気がついた。
映画のキャラクターがなんとなく「男はつらいよ」風なのだ。
橋爪功と吉行和子はおいちゃんおばちゃん、蒼井優はさくらさん、西村雅彦は博、そして心配をかける風来坊(に一番近い)なのが妻夫木聡なのだ。

でも東日本大震災を絡めているが、無理に絡めなくてもよかったと思う。
確かに作り手としては「映画なんか作ってる場合ではない!」という気分になったし、絡めたくなるのも解るのだが、この場合はとって付けた感じがした。

小津安二郎のストーリーに「寅さん」の世界をミックスさせた傑作、それがこの「東京家族」だと思う。
よかった。



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フラッシュバック・メモリーズ3D


日時 2013年1月20日13:35〜
場所 新宿バルト9・シアター3
監督 松江哲明

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ディジュリドゥ奏者のGOMAは交通事故にあってから、過去の記憶を失い、また現在の記憶も数日しか持たない体になってしまった。
バンド演奏してみたが、最初はうまく行かなかったが体が覚えていて演奏は過去のように出来るようになった。

ドキュメンタリー映画監督の松江哲明の音楽ドキュメンタリー映画。
2012年の東京国際映画祭で観客賞を受賞。
おいおいドキュメンタリーで3D?
しかもドキュメンタリーと言えば低予算の代名詞だ。
制作費何億円のドキュメンタリーなんて聞いたことがない。(そんなことないか、何年もかけた動物ドキュメンタリーならあるか)
でも今回は松江哲明だ。
そういう予算はありそうにない。
しかも観客賞を取ったということはそれなりの出来なんだろう。
いったいいかなる映画なのか?

そういう興味津々で見に行ってきた。

ああ、なるほどなあ。
「アバター」などとは3Dに対する取り組みがまったくと言っていいほど違う。
演奏するGOMA氏を手前に奥にGOMA氏の過去の映像を組み合わせ、そこにGOMA氏の日記の文字が浮き上がる。
映像が何層になって重なっていく。
特撮の延長の3Dではない。
新しい3Dの使い方と言っていい。
映像作りに携わる人は見ておいた方がいいと思う。

でこの映画が楽しめたかというとそれは違った。
どうもGOMA氏の演奏するリズムに私自身が乗れなくて、(その前に上映しているバルト9で運が悪いとしかいいようのない対応にあって、シネコンの通路に座って観てしまったせいもあるのだが)映画自体はまったく楽しめずに、延々と演奏される音楽に苦痛すら感じた。
それはたとえば洋楽ファンが演歌のライブ映像を観ても、男性がジャニーズのコンサート映像を観てもおそらく楽しめないような、そんな感じだったのだ。
だからこれは私自身の個人的な問題で、作り手の問題ではない。

この映画は一部では「もう終わった」と言われる3D映画の新しい可能性を示す映画だ。
世界中の映画人は観た方がいいと思う。



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宇宙戦艦ヤマト2199 第四章「銀河辺境の攻防」


日時 2013年1月19日18:55〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン
総監督 出渕裕

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前回、ガミラスの戦闘パイロット・メルダを捕虜として艦内に逮捕したヤマト。ガミラスの艦隊がいそうな宇宙海域で彼女を解放する。(第11話)
そしてガミラスは総統直属の特殊艦の次元潜行艦を使ってヤマトを攻撃。
なんとかその攻撃から抜け出すヤマト。(第12話、13話)
だが今度はヤマトクルーの精神に反応させる攻撃を受ける。(第14話)

ヤマトシリーズ第4弾。
いよいよ4月からのテレビ放映も決定し、もはや劇場で観なくてもテレビで観れることがはっきりしたヤマト。
日曜17時の放送らしい。
全26話中、そろそろ後半戦に突入だ。

前回のラストで捕虜になったメルダ。これからずっとレギュラーになるのかと思ったら解放。
そりゃそうだな、ずっとガミラス人がいたら話がややこしい。
それよりもこの回のすごいのは、最初にガミラスと遭遇した際に先制攻撃をしたのは地球側だったと明かされたのだ。そして政府公報ではガミラスが先制攻撃をし、「ガミラス悪い奴」と宣伝していること。
もはや地球対ガミラスは「大義無き戦争」となったわけで、「戦争とは何か?」という大きな問題に直面してくる。単なる「悪い奴はぶっ飛ばしちまえ」的なアホな発想ではない展開が期待されるわけで、今後から目を離せない。

そして次は宇宙の歪みとも言える空間が登場。
前回ではそこに誤って迷い込んでしまったヤマトの脱出劇だったが、こんどはそこへ自ら潜行する艦の登場。
「ソナーブイだ!」「ピンを打て!」など第2次大戦ものの「眼下の敵」「Uボート」のような海戦ものとして楽しかった。
この異次元宇宙に関する設定を深く理解していればもっと楽しめたろう。

最後は哨戒から帰ってきた古代進と森雪がヤマトに帰ってきたらヤマトクルーは誰もいなくて、不思議な体験をするという話。
すべて精神世界を操られた世界に突入していった訳ですが、観てる間「謎の円盤UFO」の「時間凍結作戦」(だったかな)を思い出しました。主人公二人が帰ってきたら基地の様子がまるでおかしい、という点が。
てっきりダミーヤマトに二人が迷い込んでしまった、という話かと思ったらそうではなかったですね。

ヤマトもいよいよ後半戦になってきました。
今回は4話を中ではアナライザーはせりふが少しあるだけで活躍はなし。残念。
でもまだ4回あるのか。待てよ、4月から毎週始まれば最後はテレビ放送の方が早いか同時期にならないか?
次回5章は4月公開だが、今後はペースが速まるのかな?



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007 スカイフォール


日時 2013年1月19日21:25〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン
監督 サム・メンデス

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ジェームズ・ボンドはイスタンブールである男を追っていた。その男はテロ組織に潜入中のNATOのエージェントのリストが入ったPCのハードディスクを持ち去ったのだ。
部下の命よりも任務の遂行を優先するM。
追撃戦の末、同じエージェントのエヴァにMの命令により撃たれてしまう。
重傷を追ったボンドだったが、なんとか生還。数ヶ月は田舎で暮らしていたが、MI6本部が攻撃されたことを知り、任務に復帰。
体に残っていた銃弾の破片からイスタンブールの男の招待を突き止める。その男が上海に向かっているという情報を得たボンドは上海へ!

007シリーズ23作目にして50周年記念作品。
今回好評のようだったが、私はだめ。
まず話のスケール(悪のスケール)が小さい、話が長い、等の理由。
今回の悪役は以前MI6のエージェントで、部下の命より任務を優先させるMの考えに疑問を持った男。って小さい、小さい。
リストラされた社員が会社に復讐するようなものじゃん。
いやもちろんそういう話も映画としてはありなのだが、007っていうともっと世界的な陰謀でないとなあ。
悪のスケールが小さいとこっちは盛り上がらない。

でも作者たちも迷っていることは確かなようだ。
後半、政府の大臣からMが「今の時代にエージェントは必要なのか?」と委員会で追求される。
今はインターネットでハッキングして情報を盗んだり、テロを行ったりする時代だから、「どこかに忍び込んで小型カメラで写真を撮る」って時代じゃない。
冒頭の追っかけシーンにしても抜き取った情報をそのままデータ送信してしまえば、いくら007が追いかけても情報は抜けてしまって意味をなさない。
この時代に007を作るのも大変なのだろう。

で、例の真犯人が捕まってロンドンへ。
結局逃走するのだが、ここはロンドンで銃撃戦をするなり、ビッグベンの内部で対決でするとかのクライマックスにして欲しかった。
このあとスコットランドのボンドの故郷に行って古い屋敷(スカイフォールという名前らしい)での対決。
この辺でもう飽きちゃうのだな。
この映画2時間20分もあって後半のスコットランドのあたりは早く終わらないかといらいらした。
007映画でこういう経験はは初めてだ。

あとボンドガールも登場が少ない。
例の悪人の部下の女性がすこし登場し、ボンドとお決まりの展開があるぐらい。
自分の部下のエヴァとは特になし。

でも最後にMが死ぬのは驚いた。
この女性Mは怖かったが、回を重ねるにつれ好きになった。そのMが大活躍なのはよかったが、最後に死ぬとはなあ。何のために007は今回戦ったんだか。

というように不満たらたらの今回の007だが、よかったのは新Qが登場したこと。今回はQが若造になった、と来ていたので、高校生ぐらいの天才少年になったのかと思ったが、さすがにそこまで若くはなく、20代後半ぐらいの青年。
今後007との掛け合いも楽しめそうだ。
そしてエヴァが新マネペニーになって復活。
新Mも登場し、今後のシリーズに期待を持たせる。
そうそうまたまたアストン・マーチンが登場したが、もういいです。
もう50年前の車でしょ?すでにクラシックカーですよ、あれは。



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フランケンウィニー 2D字幕版


日時 2013年1月17日21:25〜
場所 新宿ピカデリー
監督 ティム・バートン

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アメリカの小さな街、ニュー・オランダに住むヴィクター少年は発明や映画が大好きだった。
今日も自分で作った8mmの立体怪獣映画を上映し、親から誉められる。
屋根裏部屋の自分の発明室に籠もりがちのヴィクターを愛犬スパーキー以外に友達がいないのでは?と両親は心配している。
そんなヴィクターを両親は地元の野球大会に参加させる。
ヴィクターはホームランを打ったが、いつもの調子でそのボールをスパーキーは追いかけていく。
ところがボールはグラウンドを外れ、道路へ!
スパーキーは運悪く車に牽かれてしまう。
学校で科学の先生から死んでいるカエルに電気を流すと足が動く実験を見せられる。ヴィクターは雷をスパーキーに当てれば生き返る実験を行う。
そして成功し、スパーキーは生き返った!

日本の怪獣映画のオマージュシーンがあると聞いて、全く観る気はなかったのだが、結局観た。
確かにラストにガメラのような巨大カメが登場する。
お話の方はこの後、その生き返ったスパーキーをヴィクターは隠しておくのだが、いたずらなガキに見つかり、結局子供たちみなに知れ渡り、それぞれが雷につないで動物の死体を生き返らせてしまう。

その中に死んだペットのカメがいて、そいつが生き返るという展開。
巨大化して一暴れするのだが、怪獣映画のオマージュとしては冒頭のヴィクターの作った怪獣映画の方がいい。
恥ずかしながら言うのだが、この映画、CGアニメだと思っていた。ところがストップモーションアニメだったんですね。失礼しました。

冒頭のヴィクターの作った映画はまさに人形アニメで人形を手で動かしてパニックになる人や、ワイヤーで吊った空飛ぶ怪獣が登場する。この空飛ぶ怪獣がラドンそっくり(に見えた)。
恐らくはティム・バートン自身もこうやって子供の頃から映画を撮っていたのか?と思わせるシーン。
このシーンは3Dで観ればよかったと後悔した。

あとはスパーキーがよみがえったのだが、何しろ死体を縫っている状態なので、水を飲むとその継ぎ目の部分から水が漏れる。
死体とかホラーっぽいアイテムなのだが、この水が漏れる描写がなにやらかわいらしくて楽しかった。

でも正直、他の作品でもそうだが、このティムバートンの気持ち悪いけど可愛い、というセンスがあまり好きではないので、彼の映画はなかなか好きになりきれない。



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おだやかな日常


日時 2013年1月14日18:50〜
場所 ユーロスペース1
監督 内田伸輝

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


2011年3月11日、東日本大震災が起こった。東京都内は電車がすべて停止し、その夜はたくさんの帰宅困難者が生まれた。いや大変だったのは実はそれからだ。
福島第一原発事故が起こった。
放射能はこの東京にも来ているのかも知れない。
幼稚園に通う娘・清美を持つサエコ(杉野希妃)はその震災の翌日、帰ってきた夫から「好きな女性が出来た」と離婚を切り出された。それでなくても不安な状態だが、サエコは放射能の恐怖を持つようになり、娘にもマスクを着用させる。
サエコのアパートの隣の部屋に住むユカコも福島原発の事故を見て不安を感じる。チェルノブイリ事故の時はどうだったのか?
サエコは幼稚園に清美を連れていくが、幼稚園の先生も他の親たちも放射能におびえるサエコを「気にしすぎ」と相手にしてくれない。
ユカコは雑誌にレストランガイドの連載を持っていたが、仕事柄、食べ物の放射能汚染には気を使い始める。
しかし周りは自分たちの放射能への恐怖を解ってくれない。ユカコもサエコもやがて孤立していく。

311原発事故が起こってからの放射能の恐怖、それに対する日本人の反応を描いた劇映画。
いま劇映画とわざわざ書いたのはこの映画、撮り方が至極ドキュメンタリーっぽいのだ。
たぶん大まかなせりふを決めておいて、俳優同士のエチュードのようなことをさせて一気に手持ちカメラで撮っていったのだろう。
役者も正直、なじみのない顔だし(主要キャストで知っていたのは杉野さんぐらい)まるで本当にあった出来事、やりとりを撮影したドキュメンタリー映画のようにも見える。これが臨場感のある画面となり、映画としての完成度を高めている。
(正直、最初は画面が揺れて見づらかったのだが)

映画としては作者の主張はよく伝わるし、その点では良く出来ていると思う。
しかし映画の出来が良いことと、その主張に賛同できるかは別の問題。

サエコは子供や自分を守りたい一心で、子供にマスクを強要する。しかしそれは周りの親からは「自分だけよければ良いというエゴ」「あなたのそういう態度が周りの不安をあおる」と避難される。
映画の中ではサエコが正しくて、それを攻める親たちは完全に悪役だ。
サエコの郵便受けにはゴミが入れられ、無言電話や嫌がらせの電話もかかる。
映画を見てると完全に悪者。

しかし僕は彼らが完全な悪役と描かれることに違和感があった。
たぶんサエコが正しいのだろう。
放射能をおそれない人々は「政府にだまされている愚民」なのだろう。
しかし彼らにだって言い分はある。
そりゃ無言電話やゴミを入れるのはやりすぎだ。
しかし実は彼らとて不安なのだ。

「人間は自分の信じたいものを信じる」有名な人がいったことなのかどうか解らないが、私は映画を見てる最中、ずっとこの言葉が頭をよぎった。
サエコはこのあたりにも放射能が降ってきていると信じている。
周りの人々は「放射能なんか降ってこない」と信じたい。
実は恐怖を感じているのだが、逃げることなんか出来ない。(どこへ逃げるというのだ。仕事はどうする、住む場所は?子供の学校は?)
だからこそ「政府が大丈夫と言ってる」とそれを信じようとする。実は不安なのだが信じたい気持ちで一杯だ。
その自分の不安を揺さぶられる気がしてサエコを憎むのだ。一生懸命信じようとしてるのに、その態度はなんだ!

正直、3月4月の日本人、関東地方の人々は一種おかしかった。興奮状態いやパニック状態だった。
平然として仕事をしてなにも問題ないような表情をしていても実は不安だった。
少なくとも僕はそうだった。
怖かった。

だからこの映画で描かれたサエコを攻めた人々を僕は非難する気にはなれない。
そういう気分にもさせられたのだ、あの頃は。

その辺がなにやらこの映画は好きになれない。
サエコを攻める人々は「何も解ってない愚民」と言われたような気がして。
でも愚民にも言い分はある。

スーパーのシーンでそのサエコを攻めた親たちが「外国産の魚無くなったの?」と探すシーンがある。
ああ、やっぱり彼女たちも不安を感じているのだが、そこをもっとちゃんと描いてほしかった。

後半、サエコは周りに攻められ、ガス自殺を計る。
すんでのところでユカコに救われ、二人の交流が始まる。
ユカコは夫に「会社に西の方への転勤を願い出て」と言う。しかし夫にしてみればなかなかそうはいかない。
(当たり前だ)

この映画、ユカコの夫はユカコに電話をかけ、「もう一度子供を作ろう」と言うシーンで終わる。
ユカコは唐突に言われて驚くが、このシーンがこの絶望的な映画に非常に希望を持たせて終わる。
正直、このラストがあって良かった。
やっぱり映画には希望が欲しい。

描かれている内容には好きになれないところもあったが、映画としてはよく出来ていると思う。
好きな映画にはならないだろうが。



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怪獣と少年たち


日時 2013年1月14日15:10〜
監督 オラフ・プーリー
製作 1971年(昭和46年)

(詳しくはallcinema on lineで)


アイルランドの湖のほとり、生物学者の一家が夏の間、湖の生物調査のためにやってきた。
学者の子供はアイデアマンの子供発明家で、なんでも自分で作ってしまう。
ある時、地元の漁師の一家と仲良くなり家族ぐるみのつきあいに。
子供たちが湖で写真を撮っていたときに偶然、この湖に住むという怪獣の姿らしきものが写っていた。
大人に見せたけど相手にされない。
子供たちは大人に信じてもらいたくて、自分たちで恐竜の模型を作り再び写真に撮る。今度は大人たちも疑い筒も信じてくれる人も多くなった。湖の観光客も増えた。
しかしアメリカ人観光客の中には信じない者もいた。
子供たちはもっと大きなハリボテを作ることに。廃墟でその作業をしていたが、浮浪者のおじさんも手伝ってくれることに。でも地元のいじめっ子の妨害も入る。

日本では劇場未公開作品。NHKでテレビ放送されたことはあったらしい。今回は日本語吹き替え版で観た。
子供向けの童話的なお話だが、基本的に編集のリズムが悪い。観たプリントの状態が悪くてコマ飛びしていたのだろうか?

怪獣(というよりネス湖の恐竜のようなもの)を前半で少年が湖に落ちたときに見せるのだが、これが実はトカゲか何かを撮影しただけなので、一瞬しか写らない。
でももうちょっと、せめて10秒以上は見せて欲しいなあ。

同様にラストで「怪獣なんて偽物に決まっている!」と決めつけるアメリカ人観光客の前に姿を現すのだが、ここははっきり見せて、アメリカ人観光客をはじめとして主人公の友人たちのリアクションもはっきり捕らえて欲しい。

それがこの映画の肝、クライマックスだと思うのですが。
怪獣というか恐竜がちゃんと写ってればもう少し面白くなった少年ドラマでしたが、肝が写ってないから台無し。
このドラマを撮った監督や制作チームのレベルの低さを感じてしまった。
惜しい。



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私の映画爆弾


日時 2013年1月13日11:30〜
場所 トリウッド
監督 白沢文晴


自主映画の監督、工藤俊一は映画を作ることを辞めていたが、新入生の北条ゆかりに「工藤さんと映画を作りたいんです」と励まされ、再び映画を撮ることになった。
しかし撮影中のアクシデントで、カメラが故障。
工藤は製作中止を考える。
主演男優は俊一を大学の教室に連れていく。
そこである映画が上映された。

日本映画大学の1期生(つまりこの映画を作った時点では2年生)が製作した自主映画。
予告編を観て「自主映画を作っている学生の『映画万歳!』みたいな映画だといやだなあ」と思っていたが、そうではなかった。
(「映画万歳!」的な映画は映画を作ってる人間の自画自賛に見えて私はあまり好きではない)

映画大学の学生に対して「24時間映画漬けになれていいなあ」と称した人もいたが、実際はそうでもあるまいということがよく解った。

この「私の映画爆弾」は「自主映画を作っている人の話を映画にしている人の話」という自主映画の多層構造になっている。
主人公、工藤俊一自身の「自分の映画作りの苦悩」を描く映画だ。

映画の前半でその後輩の女子学生が監督に「メイキングを作ります」と言って「監督、将来は映画監督ですか?」とカメラ越しに聞くシーンがある。
「桐島」と全く同じなので(「桐島」のパクリかどうかは不明)ちょっと不快になったが、映画を観ていくうちに気がついた。
「桐島」の前田君は「映画監督にはなれない」と宣言した。でもあそこで「できるだけ頑張る」と宣言したらどうなったか?
この映画は私の中では、「出来るだけ頑張る」と宣言した場合の前田君の話だ。
「映画監督になれるのはほんの一握りの人間だ」と工藤俊一は答える。

でも映画大学というところは一般大学と違ってちょっと特殊だ。
大森一樹は「文学部を出たからって全員小説家になる訳じゃない。同じように映画専門大学を出たからって映画の仕事をしなくちゃいけない訳じゃあるまい」と言ったが、それはそうだけど、映画大学を出た後では一般的な就職活動は難しいだろう。
そういう意味では映画大学の学生は「他の選択枝」を捨てて自分を追いこんでしまってるのかも知れない。

そこには将来に対する不安や迷いもあろう。
でもとにかく映画を作らねばならない。
自分の映画に出てくれる女優、男優を探すという映画監督の仕事以前の仕事がまずある。
僕も自主映画を撮っていたことがあるからよく解る。
そしてそれは僕がやっていた30年前も、そして映画大学でも変わらないのだな。

若いから恋の悩みもあるだろうし、時間の焦りもあろう。

工藤俊一は教室に連れてこられ、メイキングのシーンや役者やカメラマンの工藤を励ますインタビュー映像を見せられる。
その映像は例の後輩の学生・ゆかりが、デジカメの録画機能を使って作った映画。
カメラの故障で製作中断になったとき、「このデジカメで映画を撮りましょう」とゆかりは工藤にいう。工藤は「そんなカメラじゃ無理だ」と答える。
しかしゆかりはデジカメで映画を作った。

そう、機材の問題ではない。
「サイド・バイ・サイド」でデビット・リンチが「世界中の人に紙とペンを渡しても誰でも名作を作れる訳ではない」と言った。
そう、デジカメかムービーカメラかは大した問題ではないのだ。それは映画を作る能力とは別の問題だ。

映画では工藤が「これから日本中の人を、いや世界中の人を感動させる映画を作る」と宣言する。
それはこの映画の監督自身の自分への宣言なのだろう。

タイトルの映画爆弾とは「映画を見た人の心に爆弾を仕掛け、それはいつか(いい意味で)爆発する(させる)」というような意味。
その爆弾、受け止めようと思う。

この監督の次回作、いや本当の意味での第1作を観てみたい。
(役者陣は頑張ってはいるが自主映画にありがちな過剰な演技のし過ぎ。まあ自主映画はこの辺が常に欠点ですが)



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戦国自衛隊


日時 2013年1月12日14:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 斉藤光正
製作 昭和54年(1979年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


演習のための集合地点に向かっていた陸上自衛隊伊庭三尉(千葉真一)は途中、同行の県(江藤潤)から時計が5時18分で止まっていると指摘を受ける。二人の腕時計が同時刻に止まったのだ。また県によると金星の位置が昨日と違うという。
集合地点の海岸に到着した彼らだったが、そこへ戦車、兵員輸送車、弾薬補給車も到着。その時、海の海上自衛隊のボートが波に飲まれるのを目撃。しかし彼ら自身も光の波に飲まれた。
起きあがって彼らだが、そこには海岸の向こうに見えた原子力発電所はない。地形もすこし違っている。やがて同じよう陸上自衛隊のヘリコプターも到着。
そこへ甲冑姿の侍が登場し、彼らを矢で攻撃してきた。
どうやら戦国時代にタイムスリップしたのだ!
どうする、21名の自衛隊員!

1979年12月公開のお正月映画。
角川映画が大作路線一直線だった頃の映画。
公開時にも観て最後の決戦シーンに偉く興奮した覚えがある。
何しろ特撮、ミニチュアではなく、本物のヘリコプター、戦車が登場し、CGではない大群のエキストラと大合戦を演じるのだ。
ヘリは実際の民間航空会社のヘリをチャーターし、「陸上自衛隊」の塗装をさせたものだそうだ。
戦車はこの映画の為に作った車両。
(故障もあって撮影は中断させられることもしばしばだったとか)

夏木勲が主君に反乱して天守閣で主君(小池朝雄)を殺して逃げるシーン、腕時計を見て時間を見計らったところで、実行。そこで外にヘリが出てくるカットは合成ではなく、本物のヘリが登場し、圧巻。
最後の川中島の決戦シーンでも無数のエキストラ(雑兵たち)の上をヘリが旋回し、戦車が行き交う画はとにかく豪華。
タイムスリップものとしてどうのこうのと、この映画に文句をつける人もいるけどそうじゃない。
甲冑武者と戦車やヘリが一緒に戦っている画がすごいのだ。
この映画はそれを見せる映画なのだ!
だからSF的なつじつま合わせなど(僕には)どうでもいい。

戦国武士も近代兵器に負けてはいない。
丸太を使って崖に追い込んだり、落とし穴を使って兵員輸送車を落としたり、戦車に武者が無数によじ登ってさすがに動きがとれない。
ヘリも下からぶら下がって中に進入し、パイロットを倒す。(この若武者を演じるのが若き真田広之)
とにかくアクションシーンの連続で本当に飽きさせない。

21名もいれば途中で離脱するもの、海賊になって好き放題するもの(渡瀬恒彦等〜その中の一人が若き角野卓造だ!)などのドラマも十分。

監督の斉藤光正はテレビドラマで主に活躍したので、あまり映画作品は少なく、いまいち評価が定まらない。
今回青春映画っぽくしようとしたのか、やたらと当時はやっていたニューミュージックっぽい音楽が流れるシーンが多くて、その点は少し閉口したが、先に書いたとおり合戦シーンの迫力はすごかった。
CGではない、本物の迫力。
当時の角川映画がいかに既存の日本映画の枠から抜け出そうとしていたか解る映画だ。
面白かった。



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サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ


日時 2013年1月6日19:20〜
場所 シネマカリテ
監督 クリス・ケニーリー

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


映画は誕生以来フィルムで記録されてきた。だが2000年代に入り、それまでは少なかったデジタルカメラによる映画が主流になってきた。
果たして今後、映画はどうなるのか?

というテーマで数多くのハリウッドの監督、カメラマン、技術者にインタビュー。
インタビュアーをキアヌ・リーブスが務める。
ジョージ・ルーカスやジェームズ・キャメロン、マーティン・スコセッシらが登場。

各現場で起こっている変化。
まずは撮影。
フィルムの時代ではラッシュは翌日にならないと観れなかった。今は誰でもその場で確認が出きる。そのおかげで出来上がりを解っているのは撮影監督だけ、という地位もなくなった。
ただし現場のモニターで観るのと映画館のスクリーンで観るのは違うからモニターを過信するのはどうかという意見もある。
また画質も最初は悪かったが、徐々に向上した。
カメラも小さなものが出来、レンズ部分と記録部分を分離させるとこにより、より動きのある映像が出きるようになった。
また製作費も押さえられ、どんな人でも映画製作を出来るようになった。

次に編集。
フィルム編集からデジタル編集になったのは各段階では一番早かったようだ。
色補正、合成など簡単に出きるようになった。

配給。
フィルムプリントの時代には起こった傷などがなくなった。
また輸送コストが大幅に削減された。

保存。
フィルムは70年、80年前のものも再生できるが、ここ30年の間にデジタルの形式はいくつもあり、すでに再生が出来ないものもある。
これに関してもジョージ・ルーカスの答えが面白い。
「なんとかなるだろう。人間必要となればなんとかしてきたから」
ソダーバーグは「うん、それは解るが、だからと言ってフィルムの方がいいとは言わない」

僕自身の考えをまとめて書くと、デジタル化の流れは止められまい。
デジタルの方が明らかに便利だからだ。
「映画はフィルム!」と声高に言う人も自分はデジタルカメラを使う人も多いだろう。
デジカメの方がすぐに確認出来るし、なにより現像、プリントのコストがかからない。モニターで観る分には無料だ。

画質も以前に比べれば格段に向上した。
ミニシアターで上映するような自主映画みたいな映画だと画質が悪い(ギザギザが見える、ピントが甘い)という問題があるが、シネコンで上映するような作品なら気にならない。
同じ映画をフィルムとデジタルの両方で観た経験がある。
「おんなの河童」「桐島、部活やめるってよ」「苦役列車」だが、「おんなの河童」は違いが解ったが、「桐島」「苦役」は正直、気にならなかった。
「おんなの河童」はデジタル版の方が「パキッ」とした感じがした。
でも優劣の問題ではない気もしてきた。

保存の問題は実はフィルムにしても問題がある。
この映画の中では語られなかったが、映写機がなくなるのだ。
すでに映写機の新規製造は終わったようで、これからは修理だけになるそうだ。
となるとあと10年、15年もすればフィルム作品を上映できる映画館はなくなるかも知れない。

映画のまとめの部分で「結局どちらがいいという結論は出ない問題かも」と言っていた方がいたが、同感だ。

そして(たしかデビットリンチだと思ったが)「世界中の人に紙とペンを渡しても誰でも物語を作れる訳ではない」と言っていた。
そう、誰でも映画は作れるようになっても、誰でも面白い映画を作れるわけではない。
映画が面白いか面白くないかはフィルムかデジタルかという問題とは関係ないのだ。

いずれにしてもフィルムは今の流れで言うとなくなると思うよ。今白黒映画やサイレントが無いように。
ただし3Dは解らんよ。
すべての映画が3Dになるとは思えない。

今日、夕方ポレポレ東中野で「七人の刑事 終着駅の女」をフィルムで鑑賞した。
16mmフィルムで撮影された箇所もあり、ざらついた映像が実に味になっていた。
この映画もいわゆる名作として知られた映画ではない。
営業的に考えてソフト化されることもないだろう。
でも僕は好きな映画だ。
こういう映画が見られなくなることが寂しい。
でも東京以外の地方では昔の映画など映画館で観ること事態(つまり名画座、二番館がなくなった段階で)無理。
だからすでに地方の基準で考えれば映画専門チャンネルでしかこういった映画は見れないのだから同じか。



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青二才


日時 2013年1月5日21:00〜
場所 ポレポレ東中野
監督 サトウトシキ

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


岡本有三(伊藤猛)は48歳。かつては妻も子供もあったが、スナックのホステス紗江子(正木佐和)と不倫関係になって離婚し、今は紗江子と暮らす生活をして10年。
しかし紗江子は妊娠し、二人で住んでいた団地を抜け出す。
道で座りこんでいるときに大学生の拓也(櫻井拓也)に声をかけられ、そのままホテルへ。
紗江子は妊娠しているが、その子は誰の子か解らない。
彼女はスナックの客とよく寝ていたからだ。
有三は紗江子のスナックに行くが、紗江子はやっぱり来ていない。同じような紗江子目当ての客・近藤(吉岡睦雄)を殴ってしまう有三。
紗江子が団地に帰ろうとしたとき、有三と出くわす。
過去をぐずぐすいう二人に呆れた拓也は「俺は今の紗江子さんが好きだ」と連れ去り、二人の生活が始まる。

青春Hシリーズ第26弾。
極悪な製作費のため関わった人間はみんな大変とまで言われるこのシリーズだが、それでも作りたい人は絶えないようで、まだ続いているし、これからも続く。
サトウトシキ作品は私としてはあまり相性がよくないのだが、正木佐和、吉岡睦雄と好きな俳優が出ているので、鑑賞。

う〜ん、引っかからないんだなあ。
有三と紗江子がすでに10年暮らしているという時間の重み(というか変化)が感じられない。
10年も暮らしてれば妊娠とか籍を入れるとか過ぎてる気がするのだが。
有三はギターを弾くのだが、ミュージシャンになるという夢があるようだが、その腕前は初心者中の初心者で、「昨日初めてギターを手にしました」というレベル。
これでは夢というにはおこがましい。
せめて自作曲が何曲もあって路上で歌うぐらいでなければ。
その有三の仕事はチラシのポスティング。
あるアパートにポスティングに行ってそこの管理人(か住人。演じるのは川瀬陽太)に「おっさん、ここポスティング禁止」と言われる。そこまではいいのだが川瀬陽太に「おっさん、(こんなことしてないで)頑張れ!」と言わせる。
このせりふにテーマというかやりたいことは要約されているのかも知れないけど、そこまでストレートに言われると引いた。

で、物語は数ヶ月経って紗江子のお腹は大きく、来週には生まれる。紗江子は自分が子供を産むことにずっとためらいがあって、自分のお腹を自分で叩いたりして子供につらく当たる。
このあたりの描写は正木佐和の熱演も相まってすごく怖かった。

結局紗江子は有三と復縁し、子供も無事出産したようだ。(画面には出てこないけど)
有三はスーツを来てある会社に面接へ。
それは自分の息子がつとめてる会社。息子とも話し、有三は一からやり直そうとしていうようだ。
ラストカットは冒頭でどこかへ行ってしまった猫が戻ってきてそのアップ。

もう1回やり直そうとする中年男の話は嫌いではないが、もう少したくましさ、強さが欲しかった。

吉岡睦雄さんについて書くのが遅れたが、有三に絡まれるスナックの常連客。金のない有三に金をゆすり取られるが、取り戻す役。めがね姿が、妙に陰湿な男で公演していた。吉岡さんを観てるだけでも私は楽しかった。



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となりの801ちゃん


日時 2013年1月3日
場所 DVD
監督 寺内康太郎
製作 平成19年(2007年)

(詳しくはallcinema on lineで)


千部くん(瀬戸康史)はアニメオタクのサラリーマン。
彼女の弥生ちゃん(広澤草)はBLやアニメが大好きな腐女子だった。

何気なく買ったDVDのオリジナルムービー。
原作はコミックだそうだ。全く知らなかったけど。
どんなストーリーになるかと思ったら、短編集といえばいいのか。約20ショートストーリー。4コママンガをずっと読んでる感じ。
これが映画か?という批判も出来そうだが、結局面白いから許してしまうのだろう。

特に笑ったのは、千部と弥生がテレビを観ていて痔の薬のCMを観ていて「こういうのって何で女子ばかりがCMに登場するのだろう?」って言って弥生が「男同士だとマジやばすぎるから」と言って高校生同士が痔の薬のCMをイメージするネタ。
それと千部が実家に帰って弥生から借りたBLの同人誌を読んでいるのが妹に見つかって、「お兄ちゃんもホモ?」って言われるあたり。

瀬戸康史のさわやかな魅力も相まって爆笑コメディだった。
面白かった。こういう方法も映画としてありなのかも知れない。
たぶん面白くなかったら「テレビのバラエティにすぎない」って批判したかも知れない。



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ときめきの午後


日時 2013年1月2日16:40〜
場所 光音座1
監督 橋口卓明
製作


スタイリストのケンイチ(工藤克己)はゲイ雑誌のグラビアのスタイリストをしていた。
彼はそのグラビアのスポンサーの佐伯(山本竜二)とつきあっていて今日も仕事帰りに二人でホテルへ。
自分のマンションに帰って驚いた。なんと佐伯の妻の倫子がベッドにいたのだ。
ケイイチと倫子は大学時代の同級生で、その頃からのつきあい。倫子は夫の浮気に嫌気がさして家を出てきたのだという。しかし倫子は夫の相手がケイイチとは知らない。
仕方なく倫子を泊めてやるケンイチ。
佐伯が「今からそっち行っていいか」とかうるさい。
当てつけにグラビアのカメラマン(池島ゆたか)とも寝るケンイチ。
佐伯は佐伯で、ケンイチに冷たくされたので、今度はグラビアモデルの少年と寝る。
倫子にケンイチと佐伯の関係もばれ、佐伯は追い出される。ケンイチとの復縁を望む佐伯だったが、急にインドに行くという。
だが、インドに行ってもすぐに帰ってきて、今度は優しかったカメラマンの家に行き、二人で部屋に入っていった。

こんな感じの話。
ゲイ映画ってどうして結婚してる男の浮気として出てくるのだろう?
ゲイ同士の普通の恋愛話の方が面白いものが出来そうだが、どうしても「男と女の間でゆらぐ男心」に話が行ってしまう。
山本竜二が真剣な顔して悩むが似合わないなあ。
そして池島ゆたかが2枚目風にアメリカンジョークを口にする。
「絶対に40歳ぐらいに見える部長が部下とバーに行ってバーのママに俺いくつに見える?って聞いた。当てたらボトルいれるから。バーのママは答えた。50歳!」って言う奴。
大して面白くない。

で、ケイイチがインド行きを決意してそれを池島ゆたかに話すシーンがあるが、これがずっと後ろ姿の長回し。
う〜ん、これを後ろ姿だけで見せるにはちょっと役者の技量が足らない気が。飽きるんですよ、画が。

「空港まで送らせてくれ」というカメラマンに従って空港まで送ってもらうケンイチ。その中でまたまた池島ゆたかがジョーク。
「青年がインドに行くという。男は理由を考えた。さてはインドに彼がいるな。インドカレー」ここを笑わせところとしてやるならともかく、妙に池島がシリアスに言うのだよ。
あんまり2枚目をやられてもなあ。

主演の工藤克巳だが昔ゲイ映画にはよく出てたと思う。
もう一人のモデル少年もそうだが、髪型とか服装が80年代末の「光GENJI」の時代で完全にそういう雰囲気。
制作年がよくわからないのだが、その時代の空気だった。



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せせらぎの淡い虹


日時 2013年1月2日15:29〜
場所 光音座1
監督 後藤大輔


東京で調理学校に通う室井コウ(コウ)は恋人募集の掲示板に投稿を考えていた。将来の恋人を想い描いているときに田舎の父の死の知らせを受ける。
コウの母はコウが中学生の時に死んでおり、兄弟のいないコウは一人になった。おじさんは「そのうち結婚してこっちで中華料理の店でもやるか?応援するぞ」と言ってくれる。
しかしコウの頭にあるのは母の葬式の頃、一人になった自分にキスをしてくれた男性のことだった。あれは誰だったのか?
そんな時、葬式にきていたコウの高校時代の恩師に再会する。
「落ち着いたら釣りにでも行こう」とコウを誘う先生だった。

新作だ。特にねらって行ったわけではなかったが、今日封切り。
光音座はフィルム上映なので(切り替え用のパンチが見えたのでたぶんそう)実に画が美しい。
数回写る青い空が実に美しい。青が濃くてきれいなのだよ。
この映画のシナリオタイトルが「BLUE SKY」だったようだが(終了時の映倫マークの時に「BLUE SKY」と表示された)、それも納得。

映画の方は釣りをしているうちに川で転んでしまい、コウと先生は抱き合うか形になる。
コウのずれたジーンズの中から水の中にあるコウの大きくなったモノの先端が見える。
へ〜、このくらいは今はいいんだ。
で、ここで二人は結ばれるかと思いきや、ここで二人の釣りを覗き観ていたコウの高校の同級生(いじめっ子だった)が山の仕事をしていて、部下といたしてしまう展開。
で、そのシーンが終わるとコウたちは川からあがって服を乾かしている。
う〜ん、なにもなかったのか、あったけど省略したのか紛らわしい。
でもゲイ映画なんだから、やっぱりここはしっかり描かなきゃなあ。

で、先生は結婚しているのだが、その奥さんがコウの家にやってくる。実は先生の父親はコウの父親と同じで、コウの母親と結婚する前につきあっていて出来た子供だというのだ。

コウと先生は異母兄弟ということになるのだが、だからと言って二人の愛は変わらず、例の同級生の妨害がありつつも結ばれる。
最後は先生は子供もいるし、そっちに帰って行くのだが、コウはラーメン屋を開業。お客さんの中には「一緒に食べよう」と言ってくれる常連さんもいる。
このとき、今まで金髪風だった髪を料理人らしく坊主頭にしたのは驚いた。
コウくんの色んな姿を見せたい演出らしい。

主演の新人のコウがゲイ映画では珍しいホントのゲイの子みたいだ。
たばこの吸い方とか仕草でそんな感じ。
色白で顔もちょっとハーフっぽい感じでなかなかのイケメン。今後の活躍が期待される。
夏の映画なのだが、今時珍しいジーンズを足の根本から切った昔で言うホットパンツを履いている。色白の美脚なのでそれを見せるための演出か、はたまた彼の私服なのか気になるところだ。



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