丹下左膳余話 百萬両の壺日時 2013年3月31日18:40〜 場所 銀座シネパトス3 監督 山中貞雄 製作 昭和10年(1935年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) ある藩では昔戦国時代に百万両を隠し、その在処を書いた地図を壺に埋め込んだ。その壺は代々受け継がれきたが、知らなかった若き当主はそれを弟が江戸の道場の娘と結婚して家を出たときに婚礼の品として渡してしまう。 それに気づいた殿様は、家臣に弟にその壷を返してもらうように命じる。 ところが弟は「一度くれたものを返せとは何事だ。たとえ三文の値打ちしかないような壷でもいやだ」とへそを曲げてしまう。そして妻に「くずやに壷を売ってしまえ」と命じる始末。妻は早速通りかかったくずやに壷を売ってしまう。しかし家臣から壷の価値を聞いた弟、壷を取り返そうとするが後の祭り。 一方、ある的屋で左膳は居候していた。 その的屋でちんぴらが女主人に絡んできたところを男に助けてもらったが、逆恨みしたチンピラは男を殺してしまう。 その男には小さな子供がいて不憫に思った左膳は面倒をみることに。ところがその坊主は壷を持っていた。その壷こそ、くず屋にもらった例の百万両の壷だった! 自分にとっては2本目の山中貞雄。前に観たのは「河内山宗俊」だったがそれはもう10年前。このほど銀座シネパトスの閉館名画特集で「河内山宗俊」と2本立てで上映。 「河内山〜」は以前観たときは音が悪くてせりふが聞き取りずらかった覚えがあったが、今回も「河内山〜」は音が悪い。この「百万両の壷」も音が悪かったらイヤだなあと思ったが、杞憂に終わった。 観てる最中から「やっぱり名作と言われるだけはある」と始終感じていた。戦争で早く亡くなった山中だが、もし生きていて戦後も生きていたら日本映画史も多少変わったものとなったろう。 少なくとも黒澤明は山中貞雄より下に扱われていたのではないかと思う。 この映画に出てくる丹下左膳は黒澤の「用心棒」「椿三十郎」に出てくる三十郎に通じるものがある気がするのだ。珍説に聞こえるかも知れないが、私の中ではそう見える。 ユーモアに満ちた展開。 例の殿様の弟はくず屋を探しに江戸を歩き回るのだが、そのうちに飽きてしまい、的屋で遊んでいる。 その的に最初の1本だけ当ててカットが変わると的の周りだけに矢が刺さっているという笑い。 的屋でチンピラから救ってくれた男を女将が「送っていってやりなよ」と言うが「俺は行かない」という左膳。 でも次のカットでは送っている。 「子供を引き取らない」と言った的屋の女将は次のカットではもう子供の面倒をみている。 子供が「竹馬がしたい」と言っていたが「だめだめ」という的屋の女将。でも次のカットでは竹馬をしている。というようなカットつなぎで笑わせるシーンがとても多い。 そして殿様の弟は自分の探している壷が左膳のところの子供が持ってると気づくのだが、浮気も妻にばれてしまう。(このばれるシーンも爆笑だ) 外出禁止となったが壷が気になり夜中に出かけたが泥棒と間違えられて・・・ と言った展開で最後は事情で金に困った左膳が道場破りをして稼ごうとしたときにたまたま入った道場が、この殿様の弟の道場。 そして・・・となってラストのオチも聞いている。 ユーモアに満ちた展開で、ウエルメイドなコメディなのだな。 この映画が昭和10年製作とは恐れ入った。 山中貞雄が天才と呼ばれるのがよく分かった。 それを知らなかった自分を恥じる。 (このページのトップへ) わがまま旋風(センセーション)日時 2013年3月31日14:35〜 場所 光音座1 監督 友末直之 製作 ENK 大前は学生時代、演劇をしていて優司とつきあっていた。 彼は「人間したくないことをすることはない。先生が宿題をしろと言ってもいやならする事はない。給食を全部食べることはない。わがままにしていればいい」という考えだったが、一般企業に就職しサラリーマンをしていた。 10数年たって優司の交通事故で死んだと知る。 それがきっかけで会社を辞め、再び劇団「わがまま旋風」を立ち上げる。 秀夫という仲間が出来、やがて正史という仲間もできる。 正史は優司によく似ていた。 いや〜昔の自主映画を観てるみたいだなあ。 なんか理屈ばかりの頭でっかちみたいな映画。 カットのつなぎもインサートが多かったり、画質も8mmのような粗い画質になったりといろいろと試してはいるが、どうにも私には観づらいだけ。 説明的なカットを省き、ストーリーを無理に進めるためだけのせりふの部分は最小限のカットだけでつながれる。 また録音が悪いのか役者が悪いのか、ナレーションだけで説明し、それが聞き取りづらいのだな。 じっと聞かなきゃいけないから疲れる。ピンク映画のいいところは何にも考えないで観れるところなのに。 友末監督は昨年「囚われの淫獣」でピンク映画に対するアンチテーゼみたいなものを感じて面白かったが、この映画は好きになれない。 たぶん彼の考え方と僕の考え方が合わないのだろう。 「常識に捕らわれないでわがままに生きる」という思想が全面に押し出された感じで、20代に撮ったらしいがその辺が若さを感じます。 そういう風にいうと肯定的だけど、私はわがままな人は苦手なタイプなのでどうにもつらい。 お話の方は演劇では大前が脚本演出で、彼が自由に動かしていく。しかし実際は正史と秀夫が関係を持つ。 この秀夫というのが雑誌を拾って売ったりしていたのだが、ホモ相手に体も売る。 「世の中甘くないという奴がいるけど、そんなことはない。世の中は甘い」とのたまわっている奴。若き日の大前みたい。 でラストでは演劇の舞台で「俺たちはあんたのコピーだ」と大前に言っていた秀夫が反乱を起こし、正史に小道具に使うナイフではなく、本物のナイフを渡し、舞台上で殺してしまう。 四季を通じての風景が出てくるし、1年かけて撮影された力作らしいが、どうにも独りよがりの作品にしか見えず、私は好きになれなかった。 前に観た「一輪の薔薇」といい、今度のこの映画といい、ゲイ映画での友末作品とは相性が悪いようだ。 (このページのトップへ) 微風(そよかぜ)のシンフォニー日時 2013年3月31日13:25〜 場所 光音座1 監督 浜野佐知 湊は父親が院長の病院に勤める外科医。そこへ新任の看護師、木場ワタルがやってくる。 ワタルの魅力に惹かれる湊。 事務長の汐見も木場に魅力を感じ、酒に誘いその後犯してしまう。男同士は初めてだったが抵抗を感じなかったワタル。 ワタルはバスケットボールが好きで、休みの日には一人で遊んでいた。その姿を見た湊はついにワタルに告白する。 結ばれた二人。 しかし汐見もワタルを離したくない。だが汐見には同じ病院の若き医師カツタと関係があった。汐見とワタルの仲を疑ったカツタは汐見を問いつめるのだが。 同時上映だった「わがまま旋風」と比べると正当派ゲイピンク映画だ。いや比べなくても正当派なのだが。 お話の方はこの後、汐見はカツタに湊を誘惑するように言う。 カツタは指示通り、湊を自分の部屋に連れ込み、麻酔で体の自由を利かせなくして犯してしまう。それをビデオにとって別の部屋で汐見がワタルに見せるという展開。 ショックを受けたワタルは病院を辞める。追いかける湊。 そのころワタルは河原で声をかけられた浮浪者にしゃぶらせているところを湊に見つけられる。 二人は結ばれ「もう離さない」と愛を誓う。 一方汐見はカツタが湊を犯している写真をばらまいて病院から追い出そうとする。カツタは汐見に抱かれる。 ここで湊とワタル、カツタと汐見のそれぞれの絡みがカットバックする。 病院での絡みのため、カツタがメスを握ったカットがある。その後、カツタが汐見を切りつけるシーンがあるかと思ったら、それはなし。 でもその方が余韻があっていいですね。 汐見の卑怯さに汐見の愛が信じられなくなったカツタが汐見に復讐するんだろうな、と思わせるラストはなかなか粋だと思う。 なにもストレートに表現するだけが映画じゃないものなあ。 絡みも多かったし、後半のワタルと浮浪者の絡みなどなくても話は通じると思うが、ここにちゃんと絡みを入れるあたりは正当派のゲイピンクと実感した。 (このページのトップへ) ザ・チャイルド(1976)日時 2013年3月30日 場所 DVD 監督 ナルシソ・イパニエス・セラドール 製作 1976年(昭和51年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) トム(ルイス・ファインダー)とエブリン(ブルネラ・ランサム)は夫婦でスペイン旅行を楽しんでいた。 エブリンは3人目の子供を妊娠中。海辺の町を訪れたが祭りで騒々しい。トムが12年前に行ったことのある近くの島・アルマンソーレ島に船を借りて向かう。この島はホテルが1軒しかなく、週に2回郵便物を配達する船が行き来しているだけだ。 島に渡ったトムとエブリン。 不思議なことに誰もいない。食堂もホテルも大人は誰もいない。子供たちだけは無邪気な笑顔でいるのだが、その笑顔もどこか不気味。話しかけても答えてくれない。 そして二人は少女が老人を路地に連れ込み、杖で殴るのを目撃する。 この映画の頃にはもうキネ旬とか読んでいて知っていた。 「子供が大人を襲うホラー映画」と聞いて観る気が失せていた。私はホラーは昔から苦手なのだよ。 しかも配給はジョイパック。中学生ぐらいなら配給会社の名前も覚えてきて、ジョイパックがBC級のキワモノ映画中心の会社であることも知っていた。これがCIC配給とか20世紀FOX作品なら観に行っていたかも知れないが。 でも未だにこの映画のことは記憶に残っていて、カルト映画の丁寧なDVD化で知られるスティングレイによってDVDになり、この2月で権利切れで発売中止になると知って5040円の大金を払って観た。(この金額ではかなり迷ったが) 結果からいうと観てよかった。 冒頭、約8分ぐらいナチスドイツ、インド独立運動、朝鮮戦争、ベトナム戦争でいかに子供たちがその犠牲になってきたかの映像が流れる。正直長い。くどい。1分ぐらいで十分メッセージは伝わると思う。 観る前は「なぜ子供が大人を襲うのか?」が解らなかったが、このオープニングを観て理解した。 そう大人の都合で子供は常に犠牲になる。この話はその復讐なのだ。 ヒッチコックの「鳥」と同じく科学的な理由付け(精神異常を起こす細菌があるとか核実験の影響とか)はない。でもなくてもよい。 地中海沿岸の町で我々が思いつくような白い壁の家々が登場し、その中で子供たちが笑っている。 普通に笑っているだけに見えるがとても不気味だ。 また子供が笑顔で拳銃を構えたり、刃物を構えてる画は実に怖い。ましてホラーは普通夜だが、この映画は真昼の太陽の下だ。 そのコントラストが怖いですねえ。 そしてたぶんそうなるな、と思ったらエブリンは妊娠中の胎児によって殺される。 翌日、島にから逃げだそうとするトム。 あわや!というところでやっぱりやられる。 ひょっとして「実はトムの妄想だった」という夢オチにならないか心配したが、それは大丈夫。 期待通りのラストでした。 島に出発するまでが25分ぐらいあってそこがやや長いとか多少気になることはあるけれど、面白かった。 (このページのトップへ) プラチナデータ日時 2013年3月29日21:00〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン1 監督 大友啓史 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 近未来の日本。国民のDNAデータが国家により一元管理され、それを犯罪捜査に役立てようという計画が進行中だった。現場に残られていた犯人のDNAが解ればデータベースによってすぐに犯人が特定でき、しかも冤罪はなし。 神楽龍平(二宮和也)はこの計画の担当者で、「DNAで人間はすべて決まる」と豪語していた。ある事件の捜査を通して神楽と知り合った現場のたたき上げの刑事、浅間(豊川悦司)は彼の考えには納得出来ない。 そんな頃、このDNAを一元管理する計画に反対するグループの者が殺された上に肋骨が抜き取られる猟期的な事件が発生していた。 そしてこの計画の優秀なプログラマの一人、蓼科早樹(水原希子)が同様の手口で殺害された。早樹の爪から犯人と思われるDNAが採取され、それが検索された。 それは神楽のものだった。事前にそれを知った神楽は逃亡を開始する。 DNAデータが犯罪捜査に役立つようになったり、社会保険や税金の一元管理が国民背番号制として議論されるようになると現実味を帯びてくる内容だ。 ところがその開発担当者が犯人にされてしまうとは、どんな欠陥があるのか?という話かと思ったらそうではない。 見つかった神楽のDNAデータが誤っている訳ではなく、神楽は二重人格で、というかなり設定が飛躍した話になってくる。登場人物を二重人格にされちゃうとなんでもありになってしまうから、私はあまり好きではないんですよ。 開発者として関わっていた早樹はこの計画を推進していた側だから他の人とは動機があわないと事件に疑問を感じた浅間はやがては神楽と事件の真相追求に迫る、という展開。 実はプラチナデータ計画では「政治家、高級官僚、及びその家族」はデータベースから削除され、人物が特定出来ない仕組みになっていることが明らかになり、計画の欺瞞が暴露される。 で、さらに計画にはもう一つの野望があって、早樹や神楽の精神科の主治医であった水上教授(鈴木保奈美〜久々に観たけどおばさんになったなあ)によって「DNAによって人間を階層に分け、劣る人間を排除し優秀な人間だけの世界にしよう」という計画があったことが明らかになる。 おお、なかなかマッドサイエンティストだなあ。 犯罪ミステリーからマッドサイエンティストものになってしまった。 どうもその辺の何でも詰め込みすぎたことがこの映画の「すっきりしない消化不良感」になってしまった気がする。 あとカメラもやたら移動が多くて、好きじゃない。 そして映写の問題もあるのか、もとの素材の問題なのか、昔のデジタル上映のような画質の粗さが気になった。 そして「品川駅東口」とかそういう場所のテロップが流れるが、それがいちいち英語で表示されその後に日本語表示になる。 プラチナデータのPCの画面も(あんな大きなディスプレイはいらんだろ)もいちいち英語表記で(complete1とかさ)そのセンスもなんだか気に入らない。英語の方がかっこいいと今でも思ってるんだろうか? (このページのトップへ) 痴漢電車 聖子のお尻日時 2013年3月26日 場所 TSUTAYAレンタルDVD 監督 滝田洋二郎 製作 昭和59年(1984年) 小田急線の中で宣伝をするチンドン屋(蛍雪次朗)。チンドン屋のかたわら女性にさわるもの抜かりない。 帰りにコシヒカリを買って帰ったが、ササニシキ協会理事長・豊年満作(池島ゆたか)が米屋にあったコシヒカリを毒入りのものに変えていた。 ササニシキとしてはライバルのコシヒカリを売れなくするため、当時流行っていた「グリコ森永事件」の犯人「かい人21面相」を名乗ってコシヒカリに毒を入れたとしたのだ。 しかしホントに人が死んでは困るので、「毒入り危険」とすぐわかるように豊年はしておいた。 ところが今度は自分たちのササニシキに毒を入れたという脅迫状が届いた。要求金額は1億円。 豊年は「宣伝費と考えよう」とあっさり裏取引に応じることに。 1億円を受け渡すため、他人の手を借りることにしてチンドン屋を雇う。そして指定の小田急線に乗った! 滝田洋二郎のピンク時代の映画。新東宝配給。 「グリコ森永事件」をヒントにしているという情報をネットで観たので早速レンタルしてみた。 いやいや笑えて面白い。 小田急線でチンドン屋と豊年と豊年の愛人、米子の3人で指示を待つ。 チンドン屋がしてされた扉付近に立っているとかわいい女聖子がいて早速おさわり。聖子が成城学園前(まだ地下に移動する前)で降りたら扉に「多摩川を越えたらお金を落とせ」という指示。 いいねえ、「天国と地獄」のパロディだよ。 で愛人の米子がちゃんとビデオカメラ(8mmカメラ?)をもって来ていて金を拾う犯人を撮影。 金を払った後で、警察には届け撮影された映像から金を回収した男はササニシキ農協を使い込みでクビになった男と疑う。ところがその男のマンションに行ってみると密室状態で死んでいた。 鍵はかけられているが、その鍵は部屋の机の引き出しにあった。合い鍵は大家以外には持っていない。 (この大家役で映画評論家の塩田時敏出演、たぶん) 自殺とも思われたが、1億円がない。 1億円のことを知っていたのは豊年たちとチンドン屋。 警察はチンドン屋に疑いをかける。 それは困るとチンドン屋は成城学園前で降りた聖子を探す。案外簡単に見つかった。向こうも探していたのだ。 聖子は死んだ男の恋人で、成城学園前で降りて車で多摩川に向かって男を送っただけだという。 では張り紙を張ったのは?そして男はどうやって殺された? ということで、1億円のことを知っていた米子を疑うチンドン屋。実は米子が男を殺し、糸を使って部屋に鍵を戻しそれが引き出しに落ちるように細工がしてあったのだ! (という展開は「痴漢電車 下着検札」でもあった) それにしてもこういう古典的トリックは今は観ないなあ。 米子は捕まり、でも最初のコシヒカリの毒入りは誰が犯人だ?となる。 事情を知る米子が自白。 しっかり豊年満作も逮捕されましたとさ。 実際の事件、「天国と地獄」、古典ミステリーのトリックなどなど、楽しめる要素が満点のピンク映画でした。 (このページのトップへ) 千年の愉楽日時 2013年3月24日16:10〜 場所 テアトル新宿 監督 若松孝二 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 紀州の港町のある路地。この地は周りの土地からも白眼視されている。 この路地で産婆をしているオリュウ(寺島しのぶ)は臨終の時を迎えようとしていた。坊主だった夫の礼如(佐野史郎)はすでにない。夫婦の子供は赤ん坊の時に亡くなり、二人には子供はなかった。 オリュウはこの路地で生まれた子供はすべて取り上げていた。その中でも中川の血筋は奇妙な運命をたどる。 彦之助(井浦新)をはじめ次々と若死にしていくのだ。 中川の男はみな美貌の持ち主で、女には苦労しない。 その美貌のせいで女にもて、やがては破滅していく。 半蔵(高良健吾)、そして半蔵の祖父が生ませた血筋の三好(高岡蒼佑)、そして達男(染谷将太)。彼らも若くして死んでいく。 若松孝二の遺作。 2012年10月交通事故にあった若松孝二だが、最初は軽傷、退院も間近と伝えられていた。だが10日ほどして結局亡くなった。残念に思う。 次は東電、原発をテーマにした映画を作ると言っていただけに残念だ。だから若松孝二は国家権力によって殺されたのでは?という噂もあったが、それはないだろう。 映画は映画ファンが思っているほど影響力はない。 「連合赤軍」「三島由紀夫」と非常にセンセーショナルな題材を扱う一方で「海燕ホテルブルー」という全然話題にされなかったし、実際面白くない映画も作っていたが、この「千年の愉楽」も「海燕ホテルブルー」と同じ流れ。 正直、面白くないし、「連合赤軍」「三島」ほど話題になっていない(と感じる)。 でも観ていて思ったのは「ああ、やっぱり若松孝二は基本ピンク映画の人なんだなあ」という事。 別に本人が遺作にしようと思ってこの映画を作った訳ではないから、この映画をもって若松孝二をまとめようとするのは間違いだとは思う。 でも結果的に最後に回帰した世界がこれだったのだな、と納得していまう。 美貌の故に女に不自由せず、本人の口を借りると「女が勝手によってくる」半蔵、演じた高良健吾が男の色気たっぷりだ。「横道世之介」は善意にあふれた青年だったが、この映画の半蔵は凶器的な色気がいっぱいだ。 今年の主演男優賞はこの「千年の愉楽」と「横道世之介」で高良健吾に決まりではないのか。(ちょっと早いけど) そして(終戦直後らしい時代)で物資の横流しやヒロポンで身を崩し泥棒になっていき、やっぱり人妻に手を出しその夫に刺されてしまう三好。 優しい少年だったが、ついにオリュウと結ばれてしまう達男。 閉鎖的な村社会においての「生と性」。 若松孝二の遺作がこの映画だったことは若松孝二らしかったと勝手にまとめてみたい。 (このページのトップへ) 暗闇から手をのばせ日時 2013年3月23日21:10〜 場所 ユーロスペース1 監督 戸田幸宏 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) デリヘル嬢の沙織(小林麻耶)は津田(津田寛治)が店長の障害者専門のデリヘルで働くことにして、今日はその初日。 初めての客は水谷。筋肉が収縮していく難病のため平均寿命は30歳。しかし彼は34歳。その体には大きな入れ墨があった。「俺の体なんだ。俺の好きにしたっていいだろう」。 次の客は中嶋(ホーキング青山)。口は悪いし二言目には「本番させて」。めんどくさい客だ。 3人目のお客は健司(森山晶之)。1年ほど前にバイクの事故で脊髄損傷してしまい車いすの生活になったのだ。 驚いた事に母親が沙織を迎入れ、「すでにシャワーは入ってます」と準備万端だった。健司は脊髄損傷のため、勃起もしないし射精も出来ない。しかし彼の母親は「若い女性と接すれば機能が回復するのでは?」と思って呼んだという。健司の家にネックレスを忘れた事に気づいた沙織は、翌日健司の家に行った。 今年のゆうばりファンタスティック映画祭グランプリ受賞作品。 「障害者専門のデリヘル嬢」という題材に惹かれて鑑賞。 障害者でもこの映画に登場するのは車いす生活の方々。 昔NHKドラマで鶴田浩二主演で「男たちの旅路」というシリーズがあってその中に「車輪の一歩」というのがあった。車いすの人々を題材にした1話だったが、その中でも性に関する話を扱っていた。「ポルノ映画が観たい。でもそういう映画館って大抵2階とか地下にあって入れない」そして「トルコに行きたい」とも言って一人でトルコ(あっ今で言うソープランドね)に行くが相手にされなかったエピソードがあった。その話がものすごく印象に残っていた。 その後、そういう車いす生活を扱った映画は「AIKI」ぐらいだった。 そして初めて障害者のセックスを全面に描いた映画の登場だ。監督はNHKのディレクターが本業で、実際にある障害者専門のデリヘルを何回が取材したが、それは番組にはならなかったそうで。まあNHKならならないものイメージ的に納得する。 この映画、前半が特によく出来ている。 沙織は仕事の初日に3人の客の相手をする。このシーンがなかなかの迫力でまるでドキュメンタリー映画を観ているかのよう。正直、津田寛治以外は知っている役者は出てないから(ホーキング青山は舞台挨拶で「あれは演技じゃありません。素のままです」と言っていた)ドキュメンタリーと勘違いしてしまう。 でそのあたりまではいいのだが、沙織と健司との交流が始まったあたりから私としては納得が行かなくなった。 デリヘル嬢が客と店を通さず会うなど非常に考えられないのだ。実際、忘れ物を取りに行っただけで「困るんだよ、勝手なことされちゃ」と店長に怒られている。 健司の家に行ったら元気だった頃の友人が訪ねてきていて、それが何かしゃくに障って「私は健司の恋人。どうせ健司を哀れんで楽しもうってつもりできたんでしょう?」と喧嘩を売ってしまう。 そういう風に被害者意識丸出しで言われても相手も戸惑うばかりだろう。 沙織は実は前の店でストーカー(モロ師岡)にあってしまいその客が気づいて再び指名してくる。で換金されてしまい、店長に助けられ警察に相手を逮捕してもらう。 デリヘルとかグレーな存在だから警察に頼るかあ? さらに沙織は警察にそのストーカーに会いに行き、「今まで指名してくれてありがとう。それは感謝しています」という。 おいおいどこまで人がいいんだよ。 ちょっとついていけない。 さらに水谷を訪ねてみると(これも仕事ではない)彼は3週間前に亡くなったと家族から告げられる。 そういう展開はわかるのだが、店を通さず「また遊びに来てくれ。寂しいから」と言われただけで訪ねるとは! そして今度は健司が親の期待(それこそ怪しい宗教にすがっている)に耐えきれずに外にでる。 その健司に話しかけ二人で海に行く。(ここもトラックに声をかけ海まで連れていってもらうという、あり得なさ)。 で朝まで海辺で過ごして健司は桟橋から車いすごと飛び込む。なんとか沙織が引き上げるのだが、車いすは海に沈まずに浮いているし、女性一人で障害者を海から引き上げるなど出来るんだろうか?とふと思ってしまった。 ラストシーンは再び健司の家に呼ばれていって終わる。 前半の3人のお客さんを訪ねるシーンが迫力の映像だっただけに後半の「デリヘル嬢が店を通さず客と会う」という設定に「あり得ない」と感じてしまったので映画から心が離れてしまい、違和感だけが残った。 (このページのトップへ) 偽りなき者日時 2013年3月23日16:25〜 場所 Bunkamuraル・シネマ2 監督 トマス・ヴィンターベア (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 勤めていた学校が閉鎖になり、職を失った元教師のルーカス(マッツ・ミケルセン)は幼稚園で働くようになった。 親友・テオの娘、クララはルーカスを慕っていた。ある日、ルーカスにキスをし、ハートの贈り物をするクララ。 もちろん子供らしい親愛の気持ちからだったが、先生の立場上、ルーカスは贈り物を受け取らなかった。 幼稚園の園長のグレテはクララから「ルーカスからハートの贈り物を貰った。男の子は大嫌い、おちんちんついてるし」男の子はみんなついているのよ、と聞き流そうとした園長だったが、「でもおちんちんは棒のようになっていた」とクララが言うのを聞き動揺する。クララにしてみれば数日前に兄からいたづらで見せられたポルノ画像とからめての無邪気な嘘、冗談だったのだが。 しかし園長は友人に相談、その友人がクララから聞き出す。「で、そこから白いものが出たりしなかったかな?」 園長はルーカスを性犯罪者と決めつけ、他の先生や保護者にも報告。 ルーカスはテオや知人たちに無実を訴えるが聞いてくれない。 2012年カンヌ国際映画祭主演男優賞受賞作品。 おっそろしいねえ。子供の嘘(それも特別悪意があったわけでなく、大人なら冗談ですむレベルだ)のおかげで言われなき疑い(のレベルではない)をかけられ主人公は追い込まれていく。 こういう思いこみで人を追いつめていくのは日本だけかと思ったら、デンマークの映画(デンマーク映画って自分にとっては珍しい)でも描かれるのだからたぶん世界中で起きうる話なのだろう。 (パンフレットを読むと実際に幼稚園の男性職員が子供に行為をした事件があったらしい。だからよりリアルなのだろう) 警察にも連れていかれるが(画面には出てこないが)おそらくは証拠不十分で釈放。しかし全面解決にはならない。 「警察は節穴だ。俺が懲らしめてやる」とばかりに窓に石は投げ込まれるわ、ペットの犬は殺されるわでさんざんだ。 そしてスーパーの店員も食料品を売ってくれなくなり、ついに堪忍袋の緒が切れたルーカスは反撃に! でも反撃したってこの場合無駄なんだよな。 結局クリスマスの夜にクララが「こんなつもりはなかった」と言ってようやくテオも納得する。 それまではクララが「ルーカスはなにもしてないよ」と言っても「きっと思い出したくないのね。大丈夫安心しなさい」って決めつけてたのだが、兎に角めでたしだ。 ここは冒頭でさわぎを大きくした女園長が謝罪するシーンを見たかったが、それはなし。 うん、そうかも知れない。なかなか大人になると謝らないよ。 で、離婚して別居していた息子も猟銃の免許を取り、近所のみんな(事が起こる以前はルーカスと仲良くしてた人たち)がそろって「大人になったお祝いだ」とみんなで狩猟に出かける。 そこでルーカスはあわや撃たれかける。 表面上は許してもまだ疑っているものがいる。 物語の描写がとても丁寧で迫真の迫力があった。 人間、一旦思いこんだらなかなか元には戻れない。 考えを改める行為は「思い込んでいた自分」を否定する事になる。だからなかなか考えを変えることが出来ない。 そして「人間は自分の信じたいものを信じる」という言葉を思い出す。 人間は理性ではなくむしろ直感で判断する。 そしてそれを改めることはなかなか出来ない。 恐ろしいなあ、人間の心理は。 (このページのトップへ) 非情学園ワル 教師狩り日時 2013年3月20日11:00〜 場所 ザ・グリソムギャング 監督 三堀篤 製作 昭和48年(1973年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 氷室洋二(谷隼人)は学園一のワル。 今日も裏口入学を狙う武見(小野進也)たちを一戦を交える。そんな頃、校長はPTA会長(水島道太郎)が推薦する柔道五段の体育教師の島健作(佐藤允)を氷室のクラスの副担任として迎入れる。 早速体育の時間の柔道でコテンパンに氷室を叩きのめす島。しかし氷室は根をあげない。 島はPTA会長の娘と結婚する予定だが、二人のデートに氷室はやってきて得意の剣道で対決する。 氷室は実は剣道の道場主(安部徹)の息子で剣道は強かったのだ。 武見はまた氷室に復讐しようとして河原で一戦を交えるが、またしても氷室にやられてしまう。 そんな氷室を支えるのは前の担任だった美杉(渥美マリ)だった。今は学校を辞め、ホステスをしている美杉は自分のアパートに氷室を住まわせる。 佐藤允さんの追悼企画として上映。 ゲストは本作の主演の谷隼人さん、そして二部のゲストではプライベートでのつきあいのあった志垣太郎さん。 允さんの息子・闘介さんのチョイスなのだが、息子からするとこの映画の頃、つまり70年代以降の佐藤允さんが自分の記憶の中の父だそうだ。 で映画の方だけど、東映B級のエロと暴力路線の権化のような映画。 冒頭のプールのシーンで「きゃああ」という女子の悲鳴と水着がどこかから飛んできて、裸の女が数人飛び出してくる。そうすると氷室登場!という段取りで、もうのっけから裸である。 武見を演じるのが「ワイルドセブン」の小野進也なのだが(ちゃんとバイクシーンもあり)、こいつもただの不良かと思っていたら実はPTA会長の息子。 学校の対面を校長はやたら気にしていたけど、氷室や武見のような生徒がいる時点で、今更優秀な高校とも思えないのだが。 で、武見は女を使って氷室の背中にいつも隠している木刀(いや木刀を背中に隠していたら動きづらいと思うのだが)を取り上げる。で武見たちの対決で武見たちが負けたらその女はころっと寝返って「あいつらに脅かされてやったの?好きにしていいのよ」と裸になって氷室に抱きつく。でも氷室は股を広げている女の股に木刀を刺す(?)というバイオレンスぶり。 続いて婚約披露パーティを抜けてきた武見の娘が偶然出会った渥美マリにでかい態度をとったことがきっかけで氷室たちに犯されたりと、兎に角何かあれば女を脱がしてしまう。 で、氷室の担任がいい先生で、剣道を通じて氷室と心を通わせようとしていたが、氷室と木刀で対決している最中に折れた木刀が体にささり死んでしまう。 それを校長たちは氷室が殺したことにして氷室を少年院送りに。結局少年院も脱走して最後に島と対決。 島を倒した氷室が画面の奥からやってきて最後に彼のアップになったところで「終」。 このアップでの終わりが「仁義なき戦い」みたいだった。 結局氷室は「ワルだがいい奴」という感じがあまりしなくてどうしようもないやつに見えてしまう(父親は先生が死んだ時点で責任とって切腹してるし)。 佐藤允の先生も悪い先生には見えず、熱血教師に見える。 だから「いい奴」「悪い奴」の描き方が中途半端で私はdちらにも荷担できずに消化不良だった。 あと音楽が「仁義なき戦い」に似てるなあ、と思ったが同じ津島利章だった。 この映画は「ワル」シリーズ2作目だが、1作目と3作目も見たくなったのは事実。 ぜひどこかで上映してほしい。 (このページのトップへ) フライト日時 2013年3月17日17:30〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン4 監督 ロバート・ゼメキス (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 旅客機の機長・ウィトカー(デンゼル・ワシントン)はアル中だった。今日もフライトだったが、朝から昨日の酒がまだ抜けてないし、さらには目覚めのためにコカインを吸引している。 彼の操縦する飛行機が故障し、急降下した。ウィトカー機長の巧みな操縦で草原に胴体着陸に成功。乗員乗客102名のうち、4人の乗客と2名の乗務員のみが亡くなった。 病院で意識不明の間に、医師によって血液検査が行われ、アルコールが検出されたのだ。パイロット組合としてはこの事実は隠したい。辣腕弁護士ヒュー・ラングは「この検査結果はつぶせる」と豪語するのだが。 今年のアカデミー主演男優賞候補になったデンゼル・ワシントン主演作。 予告編が面白そうだったので早々に前売り券を買って楽しみにしていた。 騙された。 予告を観ると「この機長はアルコール疑惑があるが、それは真実か?事故の本当の原因はなにか?」というような飛行機事故の原因追究のサスペンス映画に見えたがさにあらず。 機長は事故が起きる前に機内サービス用のウォッカのミニチュア瓶をオレンジジュースにいれて飲んでいる。 つまり「彼は飲んでいたのかいなかったのか?」というサスペンスはここで消えた。 要するにアル中男が立ち直るか立ち直れないか?というような「アル中」が映画の主題で飛行機事故じゃない。 「アル中だが、飛行機事故で被害を最小限度に抑えた男だ。彼のしたことは許されるか?」という話なのだ。 先に書いておくけど私は酒飲みではない。酒の席は嫌いではないが、酒そのものには別に興味はない。素面だってみんなとワイワイ出来ればかまわない。酒はあくまでおまけなのだ、私にとっては。 だから車の運転をしようとも飛行機の操縦をしようとも酒を飲んじゃう男の気持ちが分からない。というか許せない。 この映画の前にタランティーノの「ジャンゴ」を観たが、「ジャンゴ」の主人公たちに早くこの機長が殺されないかと思ってしまった。 公聴会が近くなると弁護士や彼のパイロット仲間が彼に酒を飲ませまいとして仲間の家に泊め、酒を飲ませないようにする。そして前の晩のホテルでも監視をつけて酒を抜かせるのだが、たままた入ってしまった隣の部屋の冷蔵庫の酒をがぶ飲み。 正直言って私にはただのバカにしか見えない。 翌朝弁護士たちに見つかったが、どうしようもなかったがコカイン吸引でなんとか公聴会へ。 事故原因は機体の問題として機長の操縦ミス説はなかったが、機内から見つかった空のウォッカ瓶は誰が飲んだと思うかを聞かれる。 死んでしまった自分の恋人でもあった客室乗務員のせいにするかと思ったら、最後の良心を出してしまって「酒は自分が飲んだ」と告白。 だったら最初から酒飲むなよ! 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のロバート・ゼメキスだから期待してしまった自分が甘かった。 こんな唾棄すべき酔っぱらいの自己弁護につきあってられるほど暇じゃない。 (このページのトップへ) ジャンゴ 繋がれざる者日時 2013年3月17日14:20〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン3 監督 クエンティン・タランティーノ (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 奴隷制度下のアメリカ南部。買われていったドレイのじゃンゴ(ジェイミー・フォックス)は歯医者を名乗るドイツ人のシュルツ(クリストフ・ヴォルツ)と出会う。 シュルツは実は賞金稼ぎで、今シュルツが狙っている男たちの顔を知っているという理由でコンビを組んだのだ。 しかしジャンゴは拳銃の勘もよく、シュルツは大喜びだ。 最初の標的が終わったあとも続けて一緒に仕事をする事に。 シュルツはジャンゴの話を聞くと、ジャンゴには妻・ブルームヒルダがあり、彼女は結婚後にばらばらに売られてしまったというのだ。 ブルームヒルダを取り戻すために彼女を買っていったカルヴィン・キャンディ(レオナルド・ディカプリオ)の農場へ向かう。 しかし素直にキャンディが売ってくれるとは思えない。 キャンディが黒人同士の格闘技好きでそれは相手が死ぬまで殺しあいをさせるもので、そのファイターを何人も所有していた。そのうちの一人を高額な値段で売ってもらおうと持ちかける。 タランティーノの新作。 西部劇ってあまり興味がないのでパスしようかと思っていたが、評判のよさにつられて観る。 アカデミー賞もタランティーノの脚本賞とクリストフ・ヴォルツの助演男優賞を受賞だ。 クリストフ・ヴォルツはタランティーノの前作「イングロリアス・バスターズ」でも助演男優賞だから連続受賞だ。 すごいね。珍しい。 前作は徹底的な悪役のナチ将校だったが、今回は正義(?)の賞金稼ぎ。 面白いことは面白かったが上映時間が2時間半を超え、少々長いという感は否めない。 ジャンゴの妻を助けに行ってディカプリオが出てくるまでに1時間ぐらいあって、さっさと本題に入ってほしいと思う。 そしてディカプリオ相手に格闘技のファイターを高額で買ってついでに「あの奴隷もおまけに買いたい」という展開。 このあたりのもって回った展開も「イングロリアス・バスターズ」のネチネチぶりが味わえる。 しかしすんでのところで計画がばれ、でも12000ドルでジャンゴの妻は買い戻す。 とりあえず妻を売ってくれたんだからディカプリオもそれほど悪い奴じゃないじゃん。「お前には売らない」と言ってジャンゴの妻を殺してしまう展開だってやろうと思えば出来たはずだ。 でもシュルツはよほど腹に据えかねたらしく、勢いでdィカプリオを殺してしまう。 で銃撃戦になってシュルツは死亡、ジャンゴも鉱山に売られそうになるが、なんとか鉱山から迎えに来た奴ら(タンランティーノたち)をごまかして(さらに殺して〜そこまでする事なかろうとも思ったが)ディカプリオの屋敷に戻って妻を救い出して、残りの残党を屋敷ごと爆破! 爽快感のあるラストだったが、2時間半以上の上映時間は長い。2時間ぐらいだったらもっと好きになったと思う、この映画。 (このページのトップへ) 私のベレット日時 2013年3月17日11:15〜 場所 新文芸座 監督 大島渚 製作 昭和39年(1964年) 日本映画監督協会が製作、大島渚が監督したいすず自動車のPR映画。ベレットというのは車種だ。 大島渚の作品リストには出てくるが、全くと言っていいほど上映される機会のない(いや私が知らなかっただけで他で上映されていたのかも知れないけど)映画。 資料にも「私はベレット」と記されていることも多く、私も「私はベレット」というタイトルだと記憶していた。 タイトルからして擬人化した自動車のベレットがベレットのモノローグにそって語られる家族や恋人を乗せてハッピーになる映画だと思っていた。 30分の映画で10分づつ3話のオムニバス。 1話。(インサートでベレットのミニチュアが1台おいてあるカット) ある金持ちのボンボン(佐東朝生)が長屋に住んでいる恋人(加藤澄江)とドライブ旅行へ。 ボンボンは恋人が作ってきたサンドイッチを食べながら運転し、飲んだ飲み物は走ってる車からどんどん捨ててしまう。それに呆れる恋人だが、とりあえず海辺の小さなホテルへ。試しにタバコを吸ってみる恋人。 翌朝、帰る二人だが、恋人は車の中でタバコを吸い、それを車の床に落として消す。 驚いたボンボンは車を止め、急いで掃除機を使って丁寧に掃除。 ゴミは車の外に捨てるくせに自分の車の汚れは異常に気にする性格に呆れた恋人は車を降りてしまう。 喧嘩して車は行ってしまい、戻ってこなかった。 2話(インサートでベレットのミニチュアが2台おいてあるカット) 敏腕マネージャー(小山明子)の事務所に所属する売れない役者(柳生博)。役者はそのマネージャーに惚れていた。 ある日「役者なら車で現場に颯爽と駆けつけるぐらいしなさい」と言われ、なけなしの金をはたいて車を買う。 マネージャーの車が故障して困っているところに居合わせた役者はマネージャーの行く予定の撮影所に向かう。 だが普段の忙しさから車中で寝てしまうマネージャー。 寝かしてあげたいという親切心からそのままにしていた役者だが、マネージャーが起きた時には約束の時間を過ぎていてマネージャーにはどやされる。 彼女の思ってしたことだが、逆に彼女に嫌われてしまったというオチ。 役者は実はアパートの敷金も車に使ってしまったので、今は宿なし。車に寝泊まりするのだった。 3話(インサートでベレットのミニチュアが3台おいてあるカット) 最近は仲間のつきあいも遠慮して車を買ったサラリーマン(菅原謙一)。でも彼は妻がある身だったが、会社の女子社員と浮気をしていた。 彼は車を買うことで家庭に戻ろうとしていたのだ。 だが女子社員は許せない。車で妻とともに一泊旅行に出かけたサラリーマンだったが、その女子社員は旅行先まで追いかけてしまう。 翌朝、サラリーマンの車がない。女子社員が乗っていったのだ。彼女は不倫の精算に車で事故死しようとしていた。 崖にぶつかろうとするが、思わずブレーキを踏んでしまう彼女。今度は崖から落ちようとした時、タクシーで追いかけてきたサラリーマンに止められる。 女子社員は妻の元にかえる男の姿を見てあきらめるのだった。 大体こんな感じ。 3つともおいおい、と声をかけてくなるような映画。 大体車のPR映画なんだから車のおかげでハッピーになるようなそんな映画が望まれるはず。 ところが3つとも車のおかげで不幸になる、苦労する話だ。 さっきも書いたように話題にされることがない映画だから、全く情報がないのだが、いったいどういう経緯で大島渚が監督したのか? 「車などという資本主義の権化は人々を不幸にする」という主張でもあったのだろうか、大島渚に。 観終わって後ろを向いたら斜め後ろに崔洋一監督がいた。 この後「御法度」の上映後に崔監督のトークイベントがあるのだが、事前に来ていたのだろう。 声はかけなかったが、感想は聞いておけばよかったかな。 本日はあとは「明日の太陽」「愛と希望の街」も加えた4本立て。 「御法度」は封切り時に観ているので(感想文を書き始める前だったけど)今日はパス。 「愛と希望の街」はやっぱり大島の最高傑作だなと思う。 (このページのトップへ) 鍵泥棒のメソッド日時 2013年3月16日20:35〜 場所 目黒シネマ 監督 内田けんじ (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 自殺に失敗した売れない役者の桜井(堺雅人)は入浴券をポケットから見つけたのでとりあえず風呂へ。 そこにやってきたのは分厚い財布を持った男・コンドウ(香川照之)がやってきた。コンドウは誤ってせっけんを踏んでしまって風呂場で転び、頭を強く打ってしまう。 金に困っていた桜井はコンドウの脱衣所のロッカーの鍵と自分の鍵を交換してしまい、コンドウの服を来て外にでる。一方コンドウは記憶喪失になってしまい、自分が誰だか思い出せない。 高級品ばかりを特集する雑誌の編集長(広末涼子)は余命わずかな父親のために結婚を決意。 自分のアパート(実は桜井の)に帰るコンドウと出くわす。 コンドウは実は殺し屋だったらしい。 最近の仕事の続きを頼まれた桜井、もう逃げられない。 「運命じゃない人」「アフタースクール」とどんでん返しのストーリー展開だった前2作。 今回はミニシアターでの公開ではなく、シネコンでの公開だった。でも役者と殺し屋が入れ替わる、というコメディにありがちな展開で、正直それほど魅力を感じずにパスしていた。 今回は「桐島、部活やめるってよ」との上映だったので、まあ観てみた。 予想通り。 予告編で観た印象と対して変わらず。 「アフタースクール」の時は父親だと思っていた山本圭が実は張り込みに来ていた刑事だった、というどんでん返しがあって大いに驚いたが、今回はそういうことはなし。 冒頭でコンドウが殺した(と思われた)男の愛人が財産の在処を知ってるという訳で荒川良々のヤクザに狙われて、それを桜井が助けようという展開。 結局コンドウが記憶を取り戻し、桜井とコンドウが組んで愛人を助けようとする。 で、金の在処は?ということになるのだが、もう一人のメインキャラクター広末涼子の雑誌編集長が愛人の家にあるギターや絵や家具がヴィンテージの高級品と気づくとなる。 荒川良々のヤクザは逮捕されるのだが、この高級品、実は広末の機転を利かせた嘘だったという展開もありだったと思う。 前2作でどんでん返しがこの監督の持ち味、みたいな刷り込みがあったので期待してしまった。 でもいつまでも毎回どんでん返しが出来るわけでなく(観客も期待、というか構えるから)正直物足りなさを感じる。 面白かったのは冒頭雑誌の編集部での朝のミーティングで編集長の広末が「私、結婚することにしました。相手はまだ決まってませんが」というところは笑った。 そこだけしか面白かったところがないとは言わないが、前2作に比べるとパワーダウンの感は否めなかった。 (同時上映は「桐島、部活やめるってよ」) (このページのトップへ) インターミッション日時 2013年3月16日13:10〜 場所 銀座シネパトス1 監督 樋口尚文 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) クミコ(秋吉久美子)は古びた名画座の支配人。夫のショウタ(染谷将太)は年が離れているが夫婦。ショウタは画家だが売れてない。クミコに言わせると才能はあるらしい。震災の影響でこの映画館は閉館が決まった。 この映画館、地下鉄の音が聞こえる個性的な映画館だが、やってくる観客も一癖ある人たちばかり。 銀座シネパトスが震災の影響で三原橋商店街ごと3月31日をもって閉館になる。 それを記念して銀座シネパトスで数々のトークイベントや番組に関わってきた映画評論家の樋口尚文が監督した兵県記念イベント映画。 正直、「閉館記念イベント映画」でそれ以上でもそれ以下でもないと思う。 シネパトスでトークイベントを行ったり、樋口監督がその著作を通して知り合ったであろう俳優やタレントさんが総出演のお祭り映画だ。 出てくる俳優陣は大野しげひさ、ひし美ゆり子、畑中葉子、小山明子、竹中直人、大瀬康一、古谷敏、利重剛、佐野史郎、水野久美、杉野希妃、香川京子、中川安奈、樋口真嗣などなど。 私がよく知っている方などを記したけど、ひとり「どっかで見た顔だなあ」と思った方がいてそれが与座重理久で「ULTRASEVEN X」に出ていた方だった。 それだけ豪華な面々が出てなにをやるかというと、2、3人が組になって映画館の座席でなにやらいろいろ会話をするだけ。ストーリーも何もない。 原発とか放射能とか原発デモとかいろいろな要素は入れてあるが、どれもせりふに出てくるだけで観てる私には特に響かず、ただとってつけたよう。 さらに大瀬康一に「月光仮面みたいに世の中のために頑張るかあ」と言わせれば古谷敏に「俺はウルトラマンみたいがいい」と言わせる楽屋落ち。 さらに水野久美にも「ゴジラみたいに放射能吐いちゃう」と言わせる。 もっとびっくりするのは「香川京子さんが劇場にやってきた」として映画中の女性スタッフが「香川さん、お話聞いてもいいですか?黒沢映画の思い出などお願いします」と言われて「天国と地獄」の思い出を話す、というカオスぶり。 またその各パートが終わると「今日の上映 『ヒロシマ・モナムール』」と今の寸劇に関連しそうな映画のタイトルがでるのだが、正直映画に詳しくない私は知らない映画ばかりだった。どんな映画のタイトルが出たかは書けない。だって知らない映画ばかりだったから。唯一知ってるのが「二十四時間の情事」の「ヒロシマ・モナムール」だったが。 特にドラマがあるわけでなく、豪華出演者がただ映画館の座席に座ってお話するだけの顔見せ映画。 最後は爆弾魔(樋口真嗣など)によって映画館は爆破され、花火のようになる。 「映画はなんでもありだ」というクミコのせりふが冒頭とラストに登場するが、そう言われてもねえ。 確かにそうだけど、なんでもありだけど、それが面白いかどうかは別の問題だ。 (このページのトップへ) 蟻が空を飛ぶ日日時 2013年3月15日20:55〜 場所 新宿K'sシネマ 監督 野火 明 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 健二(黒田耕平)は東大生だがアルバイトで殺し屋をしている。大田原(近藤善揮)ら他の仲間とチームを組んで「会社」と呼んでいる正体不明の組織からの指示でターゲットを拉致し殺していく。 今度のターゲットはある会社の重役。いつものようにターゲットを尾行し、一人になるタイミングを探っていると変装して愛人のマンションに向かうターゲットを目撃。 健二は一人でターゲットを追う。しばらくするとマンションから女が出てきた。中へ入った健二は驚く。すでにターゲットが殺されていたのだ。 愛人の真紀(折原怜)が殺したのだ。健二も真紀によって殺されそうになるが、大田原の機転によって助かり、逆に真紀が大田原たちによって拉致された。 池島ゆたか監督がツイッターで絶賛していたので、ノーマークだったが鑑賞。事前にサイトを見て「殺し屋ものらしい」ぐらいの予備知識で観た。 自主映画だから90分ぐらいかと思ったら2時間ある。 長いかな、と思ってみたがそれほどでもない。 とにかく先が読めない、こちらの予想を裏切る展開ばかりなのだ。 まず自主映画なのでなじみのない役者ばかりが登場する。 だから主人公が誰か解らない。 最初の殺しでは殺しのメインではなく、健二はサポート役。 そして健二の日常。東大に通う、学食で友人とこの間の合コンはロクなのがいなかったと話す。でも女は自分の家に呼び、夜の10時半に呼んだにも関わらず、さっさと服を脱がせやることを済ませると、「まだ11時半。電車あるでしょ?帰ってくれる?」と帰らせてしまう。 このドライな性格。 そして真紀の登場。真紀はチェーンソーを買ってきて、ターゲットの死体をバラバラにしていく。(そこははっきり写さないから大丈夫) このときにトイレの死体を風呂場まで運ぶのに床に油をまいて滑りやすくする細かいところがよい。 この映画、そういうデティールが面白いのだな。 しかし真紀は大田原たちによって拉致。 健二たちが「どうなるんでしょうね、この女」「さあ、テストを受けるんじゃないか?」 ここからしばらく真紀の話になり、健二たちは話からはずれる。 真紀は地下室に監禁されるが、そこにはすでに少女がいた。少女もどうやら人を殺したことがあるらしい。 やがて彼らから契約を提案される。今後は「会社」と呼ばれる組織から殺しの依頼を受けたら実行していくこと。 署名する彼ら。そして最初の依頼。 「目の前の人間を殺せ」 そして次の展開。 真紀と健二に届く指令。「大田原を殺せ」 驚く健二。大田原とは今まで「会社」の仕事を何度もやって、優秀な殺し屋なのに。 ここで真紀と健二が携帯で連絡を取り合って出会うところになるが、ここが下北沢で待ち合わせるのだが、健二が真紀と話して「私は金髪です」という。健二が「真紀さんですか?」と言うと相手は「違う」という。 きょとんとしていると真紀の方から健二に話しかけるという展開。普通に携帯で連絡を取って出会っても良さそうになのに、脚本の手が込んでいる。 真紀と健二は相談し、大田原を彼が趣味の釣りに誘おうとする。(その前に携帯のテレビ電話機能を使っての張り込みが面白い) 釣りの誘いを健二の自宅からすると「ああ、ちょっと待って」と電話を切るとすぐにチャイムが鳴る。大田原が来たのだ! というように先の読めない展開だ。 大田原に「拳銃を出せ」と言われると素直に「ハイ」と拳銃を出す健二。 意外な行動ばかりを取る登場人物たち。 果たして健二たちは大田原を殺せるのか?なぜ大田原は殺される羽目になったのか? 途中描かれる健二の最初の殺人。 はっきりは描かれないが、東大に行くぐらいだからかつての「金属バット殺人」と同じようなことがあったらしい。 庭に埋めた両親の土の上に、ラスト近くで花を植える健二のふと見せた優しさが愛おしい。 すべてはラストに明らかになる。 タイトルの「蟻が空を飛ぶ日」は蟻が巣から出て雌と交尾する様をいう。つまり巣から飛び出して自由な愛を求めて飛び立つのだ。それは健二と真紀にも通じる。 自主映画だし、ソフト化もされないかも知れない。 撮影されたのも5年前で仕上げに時間がかかってやっと公開という状態だそうだ。 これほど面白い映画が世に埋もれてしまうとしたらとても残念に思う。 1週間後の金曜日、楽日にもう1回この映画を観た。 話の流れはわかっているので、その分、役者の表情とか台詞の意味とかディテールを楽しめた。 また1回目は「殺し屋対殺し屋」というハードな面ばかり記憶に残ったが、2回目は健二と真紀のラブストーリーというメロウな面がより楽しめた。 2回目の方が面白かったし、何より2回の鑑賞に耐えうると言うのが素晴らしいと思う。 (このページのトップへ) 細雪日時 2013年3月10日10:00〜 場所 大和市生涯学習センター 監督 市川崑 製作 昭和58年(1983年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 昭和13年の関西。旧家の蒔岡家では四姉妹の三女・雪子(吉永小百合)の結婚が今の課題だった。 蒔岡家は現在は四姉妹の長女・鶴子(岸恵子)が家長だった。鶴子の夫・辰夫(伊丹十三)は銀行員、次女・幸子(佐久間良子)は結婚して分家となって芦屋に住んでいた。幸子の夫・貞之助(石坂浩二)はデパートの呉服部長、そして雪子も四女の妙子(古手川祐子)も今は幸子の家に暮らしている。 妙子はこの旧家からの独立を考えており、人形作りで個展を開くまでになっていた。船場の宝石商の息子・奥畑とかつては駆け落ちまでした仲だったが、今はすっかり冷めている。そして奥畑の家で丁稚をしていて今は写真家として活躍しかけている板倉(岸部一徳)に熱心だった。 雪子はお見合いを何度か行うが、雪子が気に入らなかったりとなかなか決まらない。 市川崑の代表作の「細雪」。 以前から観たいとは思っていたが、今回初めて観た。 封切り時ももちろん知っていたが、四姉妹が桜をバックに並んでいるポスターを観てもどうも観たい気にならない。 そんな感じで封切り時はパス。 でもヒットして、その後日本映画界に「女性映画」の路線が続いていくことになる。 実に豪華な画である。 当時の日本映画界は「だめだだめだ」と言われていたが、今から考えるとまだまだ捨てたもんじゃない。 セットの立派さ、陰影のある照明、カメラの美しさ。 それにつきる。 そして女優陣が映画女優の貫禄を持つ。 いまではこんな貫禄のある女優は少ない。 古手川祐子がまだまだの感じはあるけど、吉永小百合などまだ未婚の女性役だが、貫禄は佐久間良子、岸恵子などの先輩女優にひけをとらない。 男優陣で雪子の見合い相手の一人の小坂一也が笑いを誘っていた。 姉妹の確執とか没落しかけている蒔岡家、とか話は結構どろどろしている。 正直、「殺人事件のない『犬神家の一族』」という感想も否めない。 岸恵子とか小林昭二とか常田富士男とか金田一シリーズに出ていた役者も多いし(もちろん石坂浩二も)、昭和初期の風俗とか(金田一は戦後だけど)上流階級の家でのもめ事とかいつ事件が起こっても不思議ない設定なのだな。 そういう見方はもちろん逆で、「細雪」を撮る監督がミステリーを撮ると「金田一」シリーズになるのは解っているのだが。 あと後に「零戦燃ゆ」で主役となる橋爪淳がワンカットのみ出演。雪子がお見合いに行く途中で乗った電車で目が合う軍人役。橋爪淳が演じてるからその後出てくるかと思ったら出てこない。まだこの頃は仕出し扱いだったらしい。 (このページのトップへ) 約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯日時 2013年3月9日16:00〜 場所 ユーロスペース2 監督 齊藤潤一 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 昭和36年、三重県名張市で村の住人の懇親会でぶどう酒を飲んだ参加者が次々と倒れていった。 参加者のうち男は日本酒、女は白ぶどう酒を飲んだのだが、このぶどう酒に毒物が混入され6人が死亡、他の方も重体に陥ったのだ。 参加者のうち、酒屋から主催者の家にぶどう酒と日本酒を運んだ奥西勝(山本太郎)が重要参考人として事情徴収されるうちに逮捕された。 警察の取り調べでは自白をした奥西だったが、一転裁判では否認する。 ドキュメンタリー「死刑弁護人」などの制作でおなじみの東海テレビ製作。フジテレビ系列の東海テレビだが、フジテレビとは製作するものの質が違う。(別に「海猿」がいけないと言ってるのではない。ただ違うと言うだけ)。 名張毒ぶどう酒事件は雑誌やムック本でも取り上げられることは多いから現在拘留中の奥西さんがは冤罪らしいことは知っていた。 この事件も和歌山カレー事件と同じく、「奥西さんは毒を入れるチャンスがあった」に過ぎない。 自白に出てきた農薬は色が赤く、もし白ワインに混入したら赤くなるはず。しかし参加者はワインは白かったと証言してしている。 またワインは一升瓶に入っていたが、その王冠を奥西は歯で開けたとされるが、弁護団が当時の王冠を再現して実験したが、事件の遺留品のような形にはならないとする。 他にも村の人々が奥西にワインを渡した時間が変わってきたりと不自然なことが多い。 そして裁判では一審では無罪、二審では逆転死刑、その後再審請求をし続けるが棄却の連続。 一度再審が認められたが、その決定をした裁判長はその後、辞職。再度請求を退けた裁判長は名古屋高裁から東京高裁へと栄転。 これについても退官した裁判官から「結局先輩裁判官の出した決定を覆すことは普通は出来ないんですよ」 映画は現実のドキュメンタリー部分と現在の奥西勝さんの部分は仲代達矢が演じるドラマパートが混在する。 正直、昔からの「証人の椅子」や「真昼の暗黒」のような完全ドラマでやってもらいたかった気もするが、ドキュメンタリーの取材映像もなかなかの迫力だ。 特に不当決定をされて弁護団団長が「この事件に関わった裁判官は50名以上います。私は彼らの責任を問いたい!」と記者会見で言うシーンは印象的。 仲代達矢は同じスタッフが作った同じ事件を扱ったドキュメンタリーのナレーションをやっていたので、その流れですぐに決まっていたのかと思ったら、そう簡単ではなかったらしい。 「再現ドラマのようなものには出ません!」と強く言われていたそうな。でも周りの口添えもあって実現したらしい。 でもやっぱり仲代達矢ならではの迫力があった。 粘り勝ちだと思う。 (このページのトップへ) 夜の大捜査線日時 2013年3月9日13:15〜 場所 早稲田松竹 監督 ノーマン・ジェイソン 製作 1967年(昭和42年)公開 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) アメリカ南部ミシシッピーの田舎町、スパルタ。 深夜をパトロール中の警官サム(ウォーレン・オーツ)は町の実業家が殺されているのを発見した。 警察署長のギレスビー(ロッド・スタイガー)はサムに町を巡回させ、深夜の駅でいたスーツを着て金をたくさん持っていた黒人を逮捕させる。 しかし彼、バージル・ティブス(シドニー・ポワチエ)はフィラデルフィア警察の殺人課の優秀な刑事で、上司から電話で「手伝ってやれ」と言われる。 ギレスビーは殺された男の財布を持っていたということで男を逮捕したが、彼は「死んでいた男から財布を奪っただけだ」と否認。死体を観たバージルは犯人は右利き、だが逮捕した男は左利きだったことから犯人ではないという。 ギレスビーはバージルの優秀さは認めたがここは昔からの人種差別が色濃く残る土地柄。 バージルが黒人というだけで、誰も彼もが忌み嫌う。 こちらも刑事映画として名作と言われている「夜の大捜査線」。今回早稲田松竹では「フレンチ・コネクション」との2本だてだから最強の組み合わせだ。私は今回観るのは初めて。 でも正直言って「それほどの映画かあ?」とちょっと思った。というか期待が大きすぎたのかも知れない。 それは黒人に対する差別感情というのが日本人(あるいは私)には理解出来ない、というか実感出来ないからかも知れない。 もちろん奴隷の歴史とかそういうのは知識としては知っている。でも体では感じないから感情では解らない。 バージルはスーツをぴしっと着こなしている。 今風に言えばブランドもののスーツを着こなしている感じだ。この辺が黒人であるという上にさらに田舎の警官たちの神経を逆なでする。 そして頭脳明晰。地元の警官が聞き込みに頼っているがバージルは検視とか車に残された木の根とか科学的な捜査に基づく。その辺もいちいち癪にさわる。 このあたりのコンプレックスなら私にも解る。 バージルの優秀さから徐々に署長とも打ち解けていくのだが、バージルと署長が酒を飲んだ時、プライベートの話になる。しかしある程度の話になったとき、「そこまでは踏み込まないでくれ」と断れてしまう。 ああ表面上は打ち解けてもやっぱり打ち解けないものがあるのだな。 子供の頃から土地柄で植え付けられたものがあるに違いない。 でもさっきも書いたようにどこか実感できない部分のある映画で、それほどの感慨は得られなかった。 (このページのトップへ) フレンチ・コネクション日時 2013年3月9日10:30〜 場所 早稲田松竹 監督 ウィリアム・フリードキン 製作 1972年(昭和47年)公開 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) ニューヨークの麻薬課の刑事、ドイル(通称ポパイ)(ジーン・ハックマン)とラソー(ロイ・シェイダー)。 今日もサンタクロースの格好をしてサンドイッチマンに扮して張り込みをしてヤクの売人を捕まえた。 その夜、二人で飲みに行く。そこはヤクの売人などが集まる店だ。その中でやたらとチップを配る金回りがよいが知らない顔があった。尾行してみるとサンドイッチ店のマスターだ。この店には何かあるとこの男ボカをマークすることに。 一方、マルセイユでは大物のヤクの卸人シャルニエ(フェルナンド・レイ)がニューヨークに上物のヤクを密輸しようとしていた。彼はフランステレビの人気スター・アンリを抱き込み、密輸に加担させる。 伝説的な刑事映画の名作「フレンチ・コネクション」だ。 実を言うと昔テレビで観たことがあるだけで劇場では観たことがない。テレビでも最初から最後まできちんと観たわけではなかったと思う。 先に書いちゃうけど何と言っても中盤のクライマックスの車と地下鉄のカーチェイスがすごい。 (このシーン、追いかける相手が記憶と違っていた。記憶ではポパイがシャルニエを尾行するとき、地下鉄で巻かれるのだが巻かれたあとに車で追走するのだと思っていた。でも実際はシャルニエのお抱え殺し屋が取引にじゃまなドイルを狙撃しそれを追いかけたのだった) 対向車線を走り車とカメラはドイルの目線のカットを中心に進んでいく。横から現れる車、飛び出してきた乳母車などをよけながら行くうちに柱などにぶつかるぶつかる。 このシーンを観るだけでも映画を1本観た価値がある。 映画史上で最高のカーチェースを選べと言われたら間違いなくこのシーンでそれに異論を挟む人も少ないだろう。 それにしてもドイルは仕事の鬼だ。 前半、仕事が終わって「今日は疲れているので帰りたい」というラソーを無理矢理誘って飲みに行く。 そこでも仕事。徹夜で張り込み。 彼は過去に他部署の役人を死なせてしまった過去がある。 それで応援に来た人間と折り合いが悪い。 ラスト、シャルニエとボアたちの取引の現場に踏み込む。 ここでも無茶な銃撃戦になりドイルは仲間の一人を誤って射殺してしまう。 それを気にするでもなく再びシャルニエを追っていくドイル。向こうで響く銃声。 秀逸なラストだと思う。 それにしてもドイルもラソーも逮捕せずに犯人を殺しまくる。「西部警察」でもあんな殺してないぞっていうくらい。ちょっとやりすぎと思う。 まさかニューヨークの刑事は犯人を殺しまくってる訳ではあるまい。その点、他の人の意見も聞いてみたい。 (このページのトップへ) 私は変態 もう、便所まで待てない日時 2013年3月8日20:00〜 場所 新橋ロマン劇場 監督 浜野佐知 景子(かとう由梨)は短大卒業後小さな事務所に勤めていたが、そこは倒産、社長は夜逃げ。ふと電柱に張ってあった結婚相談所のポスターを見かけ、行ってみることに。 その「ハート結婚相談所」はコンピューターなど使わないシステムで所長・桑山(リョウ)が自分で斡旋していた。 早速米田(荒木太郎)という男を紹介してもらう景子。大手企業に勤めてはいるが見た目はぱっとしない。でも2000万円の貯金があるという。その金額に魅力を感じた景子は「体の相性を確かめましょう」とホテルへ誘う。 後日、米田は「経験豊富な方はいやだ」と断られてしまう。 最近新橋ロマンには時々行っているが場内に「近日上映」として張ってあったポスターがこの映画。 主演女優が和式便所に背中(お尻を向けて)またがって顔はこちらを振り返っているなかなか刺激的なビジュアル。 AVではスカトロはあるけどピンクにもあるのかと思って試しにどんな程度か観てみた。 正直、それほどのものじゃない。 この結婚相談所の入っているビルの共同便所に景子は相談者が入って小用をしていると隣の個室からのぞく目がある。たぶん所長なのだろうな、と思って観ていたら後半あかされるのだがやっぱり所長だった。これが違う人物だったら物語としても楽しめたのだが。 映画はこの後「セックスに自信が持てない」という幸恵が登場。トイレで小用をするだけかと思ったら、後半もう一度登場し、小用後、所長と出会ってしまう。 「私は痴漢じゃない。これには訳が・・・」と言って自分はお尻マニアでどうしても観たかったという。 いやいやそれも世間では痴漢に入ります。 幸恵は「お尻マニア」という言葉に引かれ、所長とホテルへ行き、アナルセックスを教えてもらい、セックスにも自信を持つ。 景子の方は二人目の男がバーを経営していたが、焦るあまり景子を強姦まがいに犯してしまう。 「訴えてやる」と言ったために500万円で示談になった。 そしてまた結婚相談所に行ってトイレを使ったところを懲りない所長に覗かれて、しかし今度は景子も気づく。 「私は痴漢じゃない。これには訳が・・・」って同じことを言う。 でもそんな所長を許し、結婚へ。 そしてトイレで行うセックスが大好きなカップルとして幸せになりましたとさ。めでたしめでたし。 どうでもいいことだが、所長がトイレを覗くときただしゃがんでいるだけなのだな。でも映画では目線の先にはお尻がある。高さがちがうよ、というつっこみはしないのが礼儀かな。 (このページのトップへ) ゼロ・ダーク・サーティ日時 2013年3月3日19:50〜 場所 TOHOシネマズ渋谷・スクリーン4 監督 キャスリン・ビグロー (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの首謀者とされるオサマ・ビンラディン。 CIAはその行方を追い続けていた。若き女性情報分析官、マヤ(ジェシカ・チャスティン)はパキスタン・イスラマバードのCIAの秘密施設に赴任。初めは捕虜に対する拷問に目を背けていたが、やがては情報を聞き出していく。 まず彼女が得たのは「アブ・アフメド」と呼ばれるビンラディンの連絡要員だった。この男を追っていけば必ずビンラディンに行き着くはず。捕虜に対する拷問が問題になり、捕虜から情報が得られなくなった時、お金のために情報提供を申し出るものが出た。 しかし彼は面会に訪れた米軍基地で自爆テロをし、多くの仲間が死んだ。 さらに途中でアブ・アフメドはすでに死んでいるという情報が入る。彼女もショックを受けたが、やがて「アブ・アフメドに似た男が死んだという情報に過ぎない。それはアブ・アフメドの兄弟だったのではないか?」 「ハート・ロッカー」でアカデミー賞を受賞したキャスリン・ビグローの新作。アメリカによるビンラディン殺害に至る経緯の映画化。 911テロ以降、ビンラディンの名は世界中に悪の権化のように言われていた。 しかしそれを追うアメリカは意外と迷走していたんだなあと思う。さらにこう言っては失礼だが担当していたのがまだ20代の女性分析官だったとは! 映画は淡々と進み、音楽であおったりアクションシーンを増やしたりはしない。そもそも分析官は基本、現場には出ないであがってきた情報を分析していくのが仕事だから、現場に出てのアクションシーンが起こることはない。 フィクション性を高めれば現場に出たり、または現場に出る人間を主人公にすることも出来たろうが、そこはあえてしない。 でもそういった基本姿勢に好感を持った。 基本ビンラディンは「テロの首謀者と考えられる」人物だ。彼だけの考えだったのか、それとも何か背後にあったのかその辺が非常にあいまいなままビンラディンはアメリカによって殺害されてしまった。 国際政治に疎い私がアメリカがビンラディンを殺害したことの是非を言うのをやめよう。語れるほど予備知識はない。 でも映画の方はいたずらに「ビンラディン憎し、アメリカの勝利万歳!」とはなっていない。 そこに感じるのはアメリカのだめだめぶりだけだ。 アブ・アフメドらしき男は分かった。そしてその家も分かった。家は塀が高く、窓も覗き観ることは不可能、衛生のカメラでは真上からしか見えず、ビンラディンが確かに中にいるかまでは分からない。 マヤは100%いる!と言うが周りのCIA幹部は「60%程度だ」という。 でも結局急襲作戦は実行されるのだから、かなり危険な賭だったのだな。マヤの勘違いの可能性もあったわけだから。 映画は「アメリカ万歳」でもないし、「アメリカ無謀!」でもない。事実を淡々と描くスタンスだ。 その点が非常によかった。 でも2時間40分の上映時間はちょっと長い。もう少しはしょって欲しかったが、「出来るだけ忠実に描きたい」と思ったであろう作り手にはそういう発想はなかったかも知れない。 (このページのトップへ) 迷走者たちの猥歌日時 2013年3月3日16:39〜 場所 光音座1 監督 榎本敏郎 脚本 井土紀州 製作 平成13年(2001年) ヤクザ者のカズ(川瀬陽太)とその弟分。弟分はゲイで男らしいカズにあこがれているが、ノンケのカズは興味がない。 カズは女のところでセックスの真っ最中。それを外の車で待っていろというカズ。ムシャクシャした弟分は発展サウナへ。 弟分が帰ってきたら、カズは自分の組の幹部(佐野和宏)を殺していた。カズ、弟分、そして女は幹部の死体を山に埋めようと山の中の廃校へ。 死体を埋めてほとぼりが冷めるまで隠れていようとした3人だが、そこへ自殺志願の男がたまたまやってきてしまう。男は首吊り自殺をしようとしたが、3人に見つかり捕まってしまう。 榎本敏郎、井土紀州というピンク映画の豪華な布陣。 でも正直言ってやる気がなかったのか何なのか、面白くない。 まず第一に男同士の絡みが少ないのだよ。 川瀬陽太はノンケの設定だから、女と絡むシーンだけ。 女との絡みはゲイポルノではいらんだろう。 弟分がその間にサウナでするシーンがちょっとあるだけ。 でお話の方は自殺志願の男が捕まって手を縛られてつるされたので小便が出来ない。そこで弟分が手伝ってあげるシーンのあとに少し絡みめいたものがあるかな。 その後逃走資金のために手持ちのシャブを中国人に売ろうとするが、1億円にはなるはずのシャブが2千万円と足下を見られてしまう。 さらにその中国人たちがシャブを横取りしようと彼らを追いかけて隠れている廃校までやってくる。 そこで銃撃戦になってカズと女、弟分は死ぬがシャブは残った。(実を言うと金土日の3日間で計7本映画を観たので、もはや記憶が薄いのだ) とにかく弟分は残った自殺志願の男に死に際に「兄貴の隣に埋めてくれ」と言って純愛を貫く。 カズ、弟分、女を一つの穴に埋めた自殺志願の男は残ったシャブをもって山を降りていく。 ここで男が「にやっ」と笑って勝利を宣言するのだが、でも素人にシャブは換金するのは大変だろう。 現金とか金とか換金しやすいものなけりゃあとでやっぱり殺されるだけじゃないかな。 そんな感じで最後のオチも決まっていないし、肝心の男同士の絡みも少ないし、ゲイポルノとしては「どうかなあ?」という出来だった。 協力として今岡信治監督がクレジットにあり。(朝生さんも多くの出演者の中に名前があった)。 関係ないが、光音座2の方ではいまおかしんじ監督の「絶倫絶女」が上映されていた。 時間が合わなかったので観なかったけど。 (このページのトップへ) 一輪の薔薇日時 2013年3月3日15:29〜 場所 光音座1 監督 友松直之 杉山シュウジは結婚して20年、中学生の息子が一人いるどこにでもいそうなサラリーマンだ。 そんな彼はある夜、新宿のバー「SEE YOU AGAIN」にふらっと立ち寄る。 そこはゲイバーだったが、店のヒロキと話すうちに終電を逃してしまう。「男とキスしたことある?」と言ってくるヒロキ。彼の誘いに乗るままにキス、そしてヒロキはシュウジのものをくわえていった。 シュウジは20年以上前の学生時代に自分のアパートに居候していた友人を思い出す。そう彼の名もヒロキだった。 「もう一度シュウジに会いたくて帰ってきたんだ。僕は一度死んで幽霊になって会いに来たんだよ」 おどろくシュウジ。もちろんヒロキは冗談だよという。 次の日曜日、ヒロキからシュウジに電話があり、二人は再び会う。 最近は「レイプゾンビ」などを作っている友松直也監督作品。 「一輪の薔薇」っていうタイトルがすごい。 最近は言わなくなったけど、昔は「薔薇族」という雑誌の影響でゲイの別名が薔薇族だった。薔薇というとゲイそのものという感じがしてしまう。 シュウジの回想シーンで20年前のヒロキが登場する。 ヒロキはシュウジのことを好きで打ち明けて一度は体の関係もあったものの、シュウジはヒロキのことを好きにはなりきれない。 現代のシュウジとヒロキはホテルで結ばれる。 シュウジはかつて小説家を目指していたが諦めた。 昔の原稿を見つけるシュウジ。その文章を彼が数行読むシーンがあるが、その後彼の妻がその文章が本になったのを読んでいる、という複雑な展開。 実はかつてのヒロキはシュウジの原稿のコピーをとってその続きを書いて自分で自費出版していたのだ。 このあたりから単なる脇役だと思っていたシュウジの妻が重要な役割を果たす。 ヒロキはシュウジの元を去る前に「また会おうね。公園で待ってる」という置き手紙をしたのだが、当時からシュウジのことが好きだった妻はその「公園で待ってる」の部分を切り捨てていたのだ。 現在のヒロキはかつてのヒロキの息子だったのだ。 そのヒロキのことを好きなケンジはシュウジとヒロキの仲を嫉妬して暴力沙汰になってしまう。 シュウジはそのことで会社を首になる。 再びヒロキはシュウジのことを待つ。 結末は意外だった。 当然、今度はシュウジはヒロキを選ぶと思っていたのだが、彼が選んだのは妻であり、息子だった。 う〜ん、ゲイポルノなんだからゲイを肯定的に描いて欲しいなあ。やっぱりここは最後はヒロキとシュウジは結ばれて欲しい。 友松直之ってそんな素直な監督じゃなさそうだから、それが面白さにつながる場合もあるけど、ここはやはりゲイは結ばれて欲しかった。 あと「雨月物語」の中に「菊花の契り」という男同士の友情(というか愛情)が結ばれないエピソードが挿入される。(このエピソードは人形紙芝居で表現。なかなか手が混んでいる)そのエピソードに従えば、最後はアンハッピーエンドにはなると思うのだが。 あと考えてみればシュウジがヒロキの店に入ったのは単なる偶然に過ぎない。その後、実は知り合いだったという展開はちょっと強引に思う。 (このページのトップへ) BADコミュニケーション日時 2013年3月2日21:00〜 場所 ポレポレ東中野 監督 小栗はるひ (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 東京から離れた(たぶん茨城あたりの)海辺の町。 チカゲ(田中龍都)、アキ(永田家盛)、ダイ(塩見大貴)、べーやん(稲中裕也)にエンちゃんはいつもつるんでいた。 高校卒業後、ダイとべーやんは東京の大学へ、チカゲは就職するもすぐに辞めてしまい、アキは低賃金の工場で働いていた。そんな時、エンちゃんが交通事故で死んだ。 その葬式のためにダイとべーやんは地元に帰ってくる。 ダイはついでにダイの彼女・はるか(星美りか)も連れてきた。ダイは今ネットで株をやっていて、すでに貯金は100万円以上あるという。 アキの工場での低賃金を笑うダイ。5人で飲みに行ったが、そこでダイはつい「今7万円の財布を使っている」と自慢げに言ってしまう。 再び海に向かう彼ら。そこへチカゲの彼女の冬子(本山由乃)が就職試験の帰りでやってくる。 朝まで海で過ごす彼ら。しかし朝になって実家に帰ろうとしたダイは例の財布がなくなっていることに気付く。 2月に上映された同じく青春Hシリーズのいまおかしんじ監督の「星の長い一日」で次回上映として紹介されていたのがこれ。その時に小栗監督と少し話す機会があったが、「私の腐女子感覚満載の映画です」的なことを仰っていた。でもBLではないという。 で、どんな感じかと観てみたが、あ〜なるほど、という感じ。 高校時代から話は始まるが、サッカーをしてじゃれあって軽くプロレスの技かけて、みたいな感じ。で友人の一人はマンガを描くのが好き。 そして海で再会すればまたじゃれあってプロレスの技をかけたりする。 そういう描写がありきたりとか批判しているのではない。 確かにすぐにプロレスの技かけるのが好きな奴っているよな。俺はどちらかというとそういうの嫌がっていた方だけど。 高校時代は同じようなだった4人だけど、ダイは株とか初めてすでに100万円の貯金で財布もヴィトン、そりゃ財布もとりたくなるわさ。 私からすると見せてしまうダイがバカだなあと思うけど、つい人の気持ちも考えずに見せびらかすところが若さって感じか。 ダイは葬式の帰りに元カノにあってHする。 いつまで経っても帰ってこないダイにいらだつはるかを慰めるうちにキスをするべーやん。 チカゲはアキのことが常に気になって、それがチカゲの彼女の冬子は気に入らない。 「私と男友達とどっちが大事?」と責める。 ダイはアキに「金に困ってるおまえが財布盗っただろ!」と責める。 結局財布を取っていたのはチカゲ。 そしてダイははるかとキスをしたべーやんを責めるが「お前だって俺のことバカにしてただろ?」と反抗する。 いつしか朝の海岸での4人の殴りあいに発展。 そして4人はそれぞれ歩み出す。 全体的に小栗監督の「男の友達同士のつるみっぷり」のイメージを映像化した感じ。 それがいけないとか間違っているとかいうのではない。 なるほどね、っという感じだった。 (このページのトップへ) 遺体 明日への十日間日時 2013年3月2日16:40〜 場所 新宿バルト9・シアター3 監督 君塚良一 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 2011年3月11日、東日本大震災が東北地方を直撃し、ここ岩手県釜石市も津波で甚大なる被害を受けた。 生き残った民生委員をしている相葉(西田敏行)は自宅近くの廃校が遺体安置所として使われていると聞き、駆けつける。 津波で泥だらけになった遺体。それは死体ではなく、ご遺体だ。そこでは検死に当たっている医師の下泉(佐藤浩市)歯科医の正木(柳葉敏郎)や、市の職員、平賀(筒井道隆)、及川(勝地涼)、照井(志田未来)らがすでに活動を始めていた。 相葉はかつて葬儀社に勤めていた経験から遺族への対応などのお手伝いをするようになる。 家族に見つけてもらえた遺体、引き取り手のない遺体、自分の子供を亡くし自分だけが生き残ったことに対する罪悪感にさいなまれる母親、様々や人間たちが集う。 増え続ける遺体を前に彼らは出来るだけのことをしようと努力する。 東日本大震災からまもなく2年。もう2年なのか、まだ2年なのか複雑な思いにかられる。 こういう言い方は誤解を招くかも知れないが、こういう映画は絶対に批判できない題材である。 批判しようものならその人自身の人間性が疑われるタイプのテーマだ。 フジテレビの製作だが、テレビドラマにありがちな派手な映像や、ここで泣けとばかりに音楽を鳴らすことはない。 そういう過剰な演出はあえて避けている。 批判が怖い、という面もあるかも知れないが、それ以上に死者に対する真摯な鎮魂も気持ちからだと信じたい。 この映画に登場するのは善意の固まりのような人々で、主人公の善意に立ちふさがる悪役の人物も制度もない。 死者に対し、出来るだけのことをしようとする善意にあふれている。 映画の後半、娘の遺体に寄り添いたいという母親に対し、 「今夜はここは閉まります。明日またおいでください」という警官に対し「なら避難所に娘をつれて帰ります」と言われてしまう。 相葉たちはその母親とともに一晩を過ごすのだ。 そんなきれいごとだけでなく、もっと色々あったろうと疑りたくもなるが、ここは「あの時だけはみんな心を一つにしていた」と信じよう。 東京にいる我々だって一種興奮状態で「何かしなければ!」という気持ちでいっぱいだった。 歯科医の及川が「自分はこうやって歯の記録をとることしか出来ない。もっと何か出来ないかと思ってしまう」。東京にいた我々だけでなく、被災地で懸命に活動している人もそう思うのか。 そして生き残った人々は「自分は助かってしまった」と罪悪感にさいなまれる。 生き残ったことを喜ぶ気持ちにはならない。 これって日本人独特の考えなのだろうか? 映画に登場する人々すべて「ご遺体とその遺族」に対して出来るだけのことをしようとする。死体から何かを盗む奴なんていやしない。 これが日本人の美徳だと信じよう。 フジテレビもスペシャルドラマではなく映画と言うか形で公開した。 末永くそして世界で公開される映画になってほしい。 (このページのトップへ) 脳男日時 2013年3月2日14:10〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン8 監督 瀧本智行 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) その頃、舌を切られて殺される猟期的な殺人事件が勃発していて、次の事件を予言した占い師が殺され、彼女の予言通りに彼女はバス爆発で死亡した。 事件現場には精神科の医師、鷲尾(松雪泰子)が居合わせ、子供が死んでいくのを目の前で目撃する。 占い師は死ぬ前に犯人たちによって舌を切られていて、彼らの指示に従ってバスを爆発させたのだ。 事件を追う刑事の茶屋(江口洋介)は爆弾に使った遺留品の中から手がかりをつかみ、犯人のアジトへと突入する。 その寸前、女が逃げる声がした。アジトに入ると爆発があったが、そこには一人の青年が立っていた。不思議にも彼の背中に爆風による破片が刺さっていたが痛がってる様子はない。青年は鈴木一郎(生田斗真)と名乗った。 名前以外は全く話そうとしない。 茶屋は鷲尾に精神鑑定を依頼。「目の前で子供が死ぬのを目撃したあんたなら『精神鑑定により罪を問えない』という結論は出さんだろう」というのが理由だった。 鑑定を続けるうち、鷲尾は彼の不思議な特徴に気付く。 生田斗真主演のサイコパス映画。 「羊たちの沈黙」からずっと続いているこのジャンル。 正直、残酷シーンは観ていてつらい。舌を切り取るなんて思わず目を背けたくなる。 捜査が進むうち鈴木一郎は痛みを感じない、感情のない人間ではないかと鷲尾は考える。そして15年前に似たような症例が報告されていたことを同僚から聞く。 富山に住むレポートを書いた医者(石橋蓮司)の元に向かう鷲尾と茶屋。間違いない、当時子供だったその患者が大人になって鈴木一郎になったのだ。 鈴木は富豪(夏八木勲)の孫で、彼の両親はひき逃げによって死亡。しかしひき逃げ犯は証拠不十分で逮捕されなかった。しかし富豪によって「悪い奴は殺してしまえ」と殺人マシーンのように育てられたという。 鈴木一郎が一連の事件の犯人ではなく、彼は犯人を殺そうとしていたのだ。 このあたりから話は「犯罪者と遺族、少年犯罪者や精神異常者への裁きの問題」になってくる。 悪い奴で裁かれなかった奴はどんどん殺してしまえ!的な単純な勧善懲悪話になりかねない。 鷲尾は過去に自分の弟を変質者・志村(染谷将太)に殺された経験を持ち、彼を更正させようと治療を試みていたというサイドストーリーがある。 真犯人の二階堂ふみや彼女を慕う女の子も出てきて鈴木一郎がいる病院に爆弾を仕掛けておびき出して死闘が始まるという映画的なアクションシーンも続くがその辺は頑張っているけど、どこかで観たような気もするアクションシーンが続く。 そんなことより志村を今度は殺す鈴木(書いちゃったけど)。実は志村は更正しておらず、再び小学生の男児を誘拐し、髪の毛を剃りいたぶろうとしていたのだ。 志村は死体で発見され、彼のアパートにいた小学生は助かった。 悪を殺しまくる鈴木一郎はダークヒーローなのか? 死刑を肯定し、少年犯罪の厳罰化を望む風潮を昨今の日本では感じるが、そんな日本ではこういったダークヒーローが望まれるのか? 映画では鷲尾に「神でもないあなたに人を裁く権利など亡いわ!」と反論もある。 しかしエンドクレジットでは鈴木一郎のかっこいい姿のスチルが何枚も登場し、やっぱりかっこよく肯定しているようにも見える。 それは人気俳優生田斗真だからで、別に鈴木一郎を英雄視してるわけではないとも考えられる。 公式HP上で「脳男は善?それとも悪?」というツイッターによる投票が行われていた。 「生田斗真くんだから善!」みたいな理由にならない理由もあったから信頼は出来ないけど55%が善、45%が悪だった。 死刑廃止賛成派の僕としてはそうなのかあ、と思わざるを得ない。 そして冒頭の江口洋介登場シーンで、事件現場をケータイのカメラで撮影をしている人々を「人の不幸が楽しいか!」と言ってそのケータイを壊すシーンがある。 日本だけじゃないかも知れないけど、なんかそのシーンはすごく共感した。 結局映画としては脳男を善とも悪とも言っていない。 しかし反論を恐れて言い切っていないだけで、本音では「悪い奴を殺してなにが悪い。どんどん死刑だ。少年犯罪も厳罰だ!」という本音がそこにあるように感じた。 あくまでこっちが感じただけで、実は違うかも知れないけど。 (このページのトップへ) 横道世之介日時 2013年3月1日21:10〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン4 監督 沖田修一 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 1987年、横道世之介(高良健吾)は長崎から法政大学入学のため上京してきた。入学式の日、会場で隣の席だった倉持一平(池松壮亮)と知り合う。そしてガイダンスでも阿久津唯(朝倉あき)とも友達に。3人でサンバ研究会にも入り、大学生活をスタートさせる。 いつしか倉持と唯はつきあうようになっていた。 地元の友達、小沢(柄本佑)の紹介で千春(伊藤歩)という謎めいた大人の女性と知り合い憧れるようになる。 人違いから世之介が話しかけた加藤(綾野剛)だったが、彼と自動車教習所に通ううち、加藤は睦美と知り合い、睦美の友達の与謝野祥子(吉高由里子)に好かれるようになる。 予告編は何度かいる機会があって知ってはいたが、あまり見る気は起こらなかった。しかし2月にいまおかしんじ監督に会ったときに「『横道世之介』のシナリオが面白い」とおっしゃっていたので、映画の日の1000円を狙って観に行った。 見る前には上映時間が2時間40分もあると知り、「大作でもない青春映画でそんな長時間かよ!」と思っていたのだが、不思議と気にならなかった。 もちろん長さを感じなかった、と言い切れば嘘になるが少なくとも帰りたくなったということはない。 沖田監督作品は独特のリズムというか間合いがあって、それがあわない人には耐えられないだろうが、私は大丈夫なのだ。 冒頭、昔の(1987年)の新宿駅が映し出される。 CG加工して看板やビルの文字などは昔に戻されている。 でもこのスタッフの苦労が解るのは当時と今の新宿駅を知ってる人だけだろうな。あえて1987年と出さなかった理由も解るけど、現代と思って映画を観始めるとその後ちょっと混乱する(10数年後のシーンが時々挿入されるから)。 ちなみにその後すぐに西武新宿駅前の広場のシーンになり、その後世之介が乗っている電車は西武新宿線。違う鉄道でごまかすことなくちゃんと正しい。シートの色とか窓の隙間から見える車両の色で解る。 その電車のシーンで向かいに座った子供に世之介がお辞儀をする時の表情がいい。その笑顔が親しみがあってみんな彼のことを好きになりそうだ。 その後、祥子との関係を中心に1年間が語られていく。 特に大きな事件があったりするわけではなく、淡々と彼らの青春が語られ、「祥子と世之介のかみ合っているようであってないような会話」「世之介の面白い隣の住人」「祥子の両親との会話」などなど思わずクスリと笑ってしまうようなエピソードが続いていく。 クリスマスで雪のアパートの前でのキスシーンがいい。 クレーンを使った大がかりな撮影で、最初セットかと思った。 10数年後、世之介は悲しい最後を迎えるのだが、その最期もいい奴だった世之介らしい。 特別名作だとは言わないけど、観終わったあと心がほっこりするような映画だった。 (このページのトップへ) |