2013年7月

人妻不倫願望 人妻セックス地獄 ド・有頂天ラブホテル
〜今夜も、満員御礼
桃色身体検査
終戦のエンペラー 高速ばぁば 昼下がりの情事 華麗なる賭け
孫悟空 ベルリンファイル 爆心 長崎の空 性愛婦人 淫夢にまみれて
ホテトル嬢 悦楽とろけ乳 熟女と愛人
絶妙すけべ舌
沙也加VS千代君
アブノーマル・レズ
初戀
僕の中のオトコの娘 コックファイター 真夜中のカーボーイ 恋の渦
GOGOボーイを追いかけて 処女かまきり 選挙2 宇宙怪獣ガメラ

人妻不倫願望


日時 2013年7月31日
場所 DVD
監督 浜野佐知
製作 昭和63年(1988年)


大学生・芳起はコンバットゲームを楽しんでいる4人の男女を見かけた。その中の一人、麻木子に興味を持つ。
芳起はバイト先のコンビニに、その麻木子がやってきた。
店を抜け出し麻木子をつけ、家を突き止める。
その表札には俊介(池島ゆたか)の名前もあり、彼女は人妻であると知る。
実は芳起は働く女性、キャリアウーマンが嫌いだった。彼の姉がキャリアウーマンだがギスギスしていて色気もない。やっぱり女性は人妻に限る。
それから芳起は麻木子の尾行を始める。この間のコンバットゲームの仲間だった幹男とも関係を持ってることを知る。
そのことを俊介に疑われる麻木子。しかし俊介も同じく幹男の妻でコンバットゲーム仲間のちづると関係を持っていた。
芳起は麻木子に対する想いから、彼女を誘拐、監禁してしまうのだが。

浜野佐知作品に最近関心があるので観た。
1988年だから、当時はまだそんな言葉はなかったが、芳起のやってることはストーカーそのものだ。
でも好きな人を付け回して色々知りたいと思うのはよくある話で映画の話としては僕は好きな方だ。

またキャリアウーマンという言葉が出てくるけど、「男女雇用機会均等法」の影響もあって、女性の社会進出が進んできたころで、働く女性を主人公にした「トレンディドラマ」も登場し、この頃の一種流行語だったと思う。
そういった働く女性を苦々しく思っていた男性も今よりはいたと思う。
だからこの映画の芳起がキャリアウーマンを苦々しく思い、「やっぱり女は人妻」というキャラクターも当時なら生まれてくる。

で、話の方だが監禁して「あなたは勘違いをしている。私は人妻ではない」と言われる。
芳起は「でもずっと見ていたけど旦那がいるじゃないか!」と言うと「それはここ4、5日でしょ。実は休暇を利用して結婚ゲームをしているの」と告白される。
麻木子、俊介、幹男、ちづるは実は独身の男女で、彼らは結婚ごっこ、不倫ごっこを楽しんでいたというのだ。

この結婚ゲームという感覚がなにやら不気味なものを感じたが、映画はそちらには深入りせず、どうやら芳起が惚れていた麻木子は人妻ではなくキャリアウーマンだった、というオチで話はまとまる。

映画の世界に入った浜野監督が、映画界は完全な男社会で苦労した話を本(「女が映画を作るとき」)で読んだが、「女が働いたってその魅力はなんら変わらない。むしろ魅力が増す」という主張があったのでは?と感じた。
それは深読みかも知れないが、当たってる気もする。



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人妻セックス地獄


日時 2013年7月28日21:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本田達男
製作 昭和49年(1974年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


大企業の専務・矢代達也(江角英明)の妻、千尋(女屋実和子)は自宅のガレージで突然何者かに襲われ強姦される。しかもその様子を写真に撮られたのだ。
数日後、「写真を夫に見せられたくなかったら明日プリンスホテルの405号室に行け」という手紙を受け取る。
言ってみると男が待っていてセックスを強要してきた。
聞けばデートクラブにお金を払ってやってきたのが千尋なのだという。
お手伝いの春江(葵三津子)も何かを知ってるようだ。春江の日記を読むと「奥様が憎い」と書いてある。春江が仕組んだことなのか?
ある日、春江が外出するのを尾行する千尋。
春江が入ったホテルの部屋の前で待っていると男(川谷拓三)が出てきた。千尋が入ってみると春江はバスタブで殺されていた!

ラピュタの東映ニューポルノ特集第2弾。
「人妻がセックスにおぼれていく話かなあ」という程度の期待で観てみたが、これが意外に面白かった。
先の読めないむちゃくちゃな展開をする「トンデモミステリー」だった。
千尋は誰に犯されて、誰に命令されてホテトル(という言葉はまだなかったけど)をやらされているのか?
そして事情を知ってそうなお手伝いも殺されちゃあ、そりゃ先の見えないミステリーだ。

お手伝いが殺されてほっとしていると、夫が取引先を自宅に招く。これが二度目のホテトルの客だったのだ!
ひえ〜となる千尋と観てる私。さらにちょっと夫が席を外した隙に「奥さん、この間のことは秘密にしますから、またしましょうよ〜」と迫ってくる。
そこへ帰ってくる夫。当然夫は激怒!取引先の男は「この女は売春してるんだ!」ぶちまけてしまう。

千尋は家を追い出され、仕方なくホテトルをし始める(らしい)。で例の取引先の男を訪ねて「あなたは誰に紹介されて私とセックスしたのか?」と問う。
「三郎というタクシーの運転手の紹介だ」と聞き、その三郎と出会った新開地(神戸)の飲み屋に行く。
(新開地って一度行ったことがあるけど、場末っぽい飲み屋街だったイメージがある。その後阪神大震災もあったけど)
三郎を探しだし、ホテルに連れ込み体を許しこの男が強姦の実行犯と確信する千尋。
さて黒幕は誰だ?となる。

これが意外な(というか他に残っていないが)男、そう夫だった!
実は千尋の妹、多加子(織部ゆう子)と出来ていて邪魔になった千尋を追い出すために矢代が計画したことだったのだ。
三郎は以前交通事故を起こし、そのときの客が矢代でそのことを黙っててやるからと言いなりになっていたのだ。
夫が犯人というのは予想がついたけど、妹と出来ていたというのは意外だった。

それで妹を使って矢代たちを呼び出し、草むらで青カンしている矢代たちを車で襲う千尋。
そして矢代をひき殺し、それを何度も何度も轢くあたりのくどさは東映チックだなあ、と感心した次第。
面白かった。



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ド・有頂天ラブホテル〜今夜も、満員御礼


日時 2013年7月28日17:10〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 松岡邦彦
製作 平成18年(2006年)

(詳しくはピンク映画データベースで)


ここはラブホテル。掃除のバイトのおばさん(小川はるみ)は年下だが先輩(持田さつき)や支配人に怒られっぱなし。支配人と先輩は出来ている。
今日も中学の臨時教員をしながらホテトル嬢をしているキョウコ(葉月蛍)はお見合いしたばかりの弁護士と早速このホテルに遊びに来てお金を貰う。
キョウコの彼氏は市役所に勤めていたが、今日は女市長(しのざきさとみ)のお供でホテル街を視察中。ついでに休憩も。
そしてこのホテルを建てた建設会社社長(なかみつせいじ)も愛人(矢藤あき)と遊びに来ていた。
実はこのホテル、社長が実は隠しカメラを仕掛けていて盗撮していた。その盗撮したDVDを回収する役目を掃除のおばさんはしている。
掃除のおばさんの息子(吉岡睦雄)もこのホテルにホテトル嬢を呼ぶ。やってきたのはキョウコだ。

先月池袋のピンク映画館で上映されていて、「すげえタイトル」と思ったが、その時は観なかったが気になっていた映画。三谷幸喜の「THE 有頂天ホテル」のパクリなのは明白で、どんな内容か気になったのだ。
といっても別に「THE 有頂天ホテル」の内容とは関係がない。
ホテルが舞台になって複数のドラマが進行するという点だけ。

5人も女優が登場し、豪華である。
しかも登場人物が少しづつ絡み合っていき、脚本の整理がいい。
ただエピソードを並べればいいってもんでなく、それぞれが絡み合ってエンディングになだれ込む構成は本家も負けていない(ってそれほどでもないか)。

掃除のおばさんは建設会社の社長に3Pを頼まれて仕方なく引き受け、社長は自分の偽装建築がばれて仕事上で息詰まってショック死。
(そういえば耐震偽装建築が話題になったことがあったなあ)例の盗撮画像は掃除のおばさんのものに。
おばさんはさっき来た客が市長だと思いだし、その映像を市長反対派に売りつける。
で、おばさんは逆にこのホテルのオーナーに。
建設会社社長の愛人は今度はキョウコの夫になった弁護士の愛人に、キョウコは今でもホテトル嬢を続けおばさんの息子は今日も風俗で遊び、相手もホテトル嬢はなんと市長のなれの果て。

タイトルに負けない内容の豪華なピンク映画だと思う。



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桃色身体検査


日時 2013年7月28日16:00〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 滝田洋二郎
製作 昭和60年(1985年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


大阪の友愛病院に勤める看護婦のマコ(滝川真子)。この病院では看護婦は患者のために副業で売春し、教授(池島ゆたか)は看護婦に女性器について特別講義中。
マコの夫のアキラの父(蛍雪次朗)は神経痛で入院中。
ある日この父親が隣のベッドの神父の服装をした男(大杉漣)から仕事を誘われる。
彼の弟二人が5年前に海で遭難したのだが、死体が上がらず保険金が下りないというのだ。そこでこの病院の死体安置所から若い男の死体を二つ盗みだし、海で発見されれて「これが弟です」と言い切れば保険金が降りるという。
二人は共謀し死体を盗もうとしたが、安置所の部屋は鍵がかかっていて入れない。
そこでパリに行きたがっているマコ、アキラを仲間に引き入れて4人で実行するのだが。

にっかつ配給。製作は獅子プロだから買い取り作品なのだろう。
今観ると大杉漣、蛍雪次朗、池島ゆたかという豪華トリオだ。
前半、大杉漣と蛍雪次朗が1回目の決行で「ベンケーシー!」と宣言して歩きだすのだが、BGMは「コンバット」だと思う。同時期のアメリカドラマだからいいのか?
結局2回目の決行で、男3人は怖がって死体を運び出せないのだが、そこでマコ一人で運び出す。
死体二つを搬送用カートに乗せて運び出すのだが、その日の手術で患者の体にメガネを忘れた教授の池島が(その患者は死んだ)、手術ミスがばれるのを恐れて死体を盗もうとし、大混乱へ!

搬送カートが暴走し、個室で患者をフェラチオしていた所にぶつかりナニをちぎってしまうわ、妊婦にぶつかって赤ん坊が出産してしまうわ、のブラックな笑いで大爆笑。
久々に映画で笑った気がする。
結局死体を海に捨てて、大杉たちの計画は成功したかに思えたが、翌日発見された死体は婆さんの死体。つまり男と女を間違えたのだ。

ほとぼりが冷めるまで入院していようという蛍雪次朗。
エロさは少ないけど、爆笑のスプラスティックコメディだった。



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終戦のエンペラー


日時 2013年7月28日12:00〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン2
監督 ピーター・ウェーバー 

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


1945年8月。降伏した日本の厚木飛行場にマッカーサー(トミー・リー・ジョーンズ)は降り立った。
日本の占領政策、やがて始まる東京裁判において天皇の処遇をどうするかは最重要課題だった。
本国には日本のトップである天皇を報復の為に死刑を望む声も少なくない。しかしその扱いを誤ると日本の占領政策を失敗しかねない。
マッカーサーは日本通のフェラーズ准将(マシュー・フォックス)に開戦時において天皇の果たした役割、責任を調査するよう命じる。期間は10日間。
フェラーズは東条英樹(火野正平)、近衛文麿(中村雅俊)、木戸幸一(伊武雅刀)、天皇の側近の関屋(夏八木勲)などの尋問を始める。
同時にフェラーズには気になっていることがあった。
それは戦前の学生時代に大学で知り合った日本女性、アヤ(初音映莉子)の行方だった。

昭和天皇の戦争責任を追求したこの夏最大の話題の問題作!と思っていたのだが、ぜんぜん話題にならない。
テレビスポットも観ないし、第一「週刊新潮」あたりが「反日映画だ!」とか大騒ぎしそうだが、そういう上映反対運動もなし。右翼も騒がない。
だって「太陽」とか「靖国」の時は大騒ぎだったよ。
不思議だなあ、と思っていたのだが、観終わって納得。
この描き方なら多くの日本人は文句を付けないだろう。

自殺未遂をした東条とフェラーズは会い、「開戦時の事情を知っているものは?」と聞かれ、リストから近衛文麿だけを指摘する。(火野正平ここまで。せりふなし)
近衛に会うのだが(近衛は英語を話す)、「我々は確かに中国を侵略したが、シンガポールとかはその前はイギリスが占領していた。侵略はあなた方の方が先」と反論する。
こういうことを日本映画で言うと「確かにそうかも知れないが、戦争に対する反省が足らない」と批判を受けかねない。(リメイクの「私は貝になりたい」でもそういう主旨のせりふがあったが)
でもアメリカ映画だから「まあアメリカ人がそういってくれるなら」という気になる。自虐史観の嫌いな方々も納得するだろう。

さらに開戦前に天皇が御前会議で詠んだ明治天皇の歌「四方の海〜」というのも出てくる。
短歌を詠んでその意志を表すなんてのは、日本人以外には理解しがたいだろうなあ、と思う。でもかつてフェラーズが来日した時にあったアヤの叔父の海軍の将官(西田敏行)の「日本人は『本音』と『建前』を使い分ける」とか説明されるシーンがあって、その日本人の(アメリカ人のいうところの)分かりにくさを何とか映画中では説明しようとする。

そして潜伏していた木戸幸一内大臣もついに訪れ、「天皇は終戦にご尽力された」と証言。
フェラーズも「天皇が有罪といえる証拠がない」という理由で天皇不起訴を進言する。
マッカーサーは自分で確信するために天皇と会う、というのがクライマックス。
私は天皇が例のGHQ本部に出向いたと思っていたが、この映画ではGHQ本部には行けないので、マッカーサー公邸に行った、となっている。そうなの?

ここで天皇とマッカーサーは二人で写真を撮り、その後「戦争の責任はすべて私にある。国民は関係ない」とマッカーサーに訴えでる。
この会話を最後に部屋を出たフェラーズが扉を閉めかけ盗み聞きするという流れなのだが、いや盗み聞きはまずいでしょう。
まあ、フェラーズにマッカーサーと天皇の会談を見せたかったのは分かりますが。

結局「軍部と政府が開戦し、天皇は追認しただけ。終戦にはご尽力された」と日本人の一般的な理解で結論づける。
これには日本人の中でも異論は少ないだろう。
もっとも「仮に天皇の意志は平和であっても天皇の命令と言われて戦争をしたりしたのだから、責任がないということにはならない」という意見もあると思う。
そうなるともう解釈の問題である。
どちらの立場も正しいとしか私には言いようがない。

そういう日本人には異論が出にくく、さらに分かりきったような内容の映画。
でもアメリカ人には退屈になるかも知れないと映画の大部分はフェラーズとアヤの想い出とアヤの捜索に時間が割かれた。
それも致しかたないか。



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高速ばぁば


日時 2013年7月27日21:10〜
場所 ユーロスペース2
監督 内藤瑛亮

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


マイナーな新人アイドルグループ、ジャージガール(ジャージ姿が基本スタイル)たちはテレビ局の肝試し企画で廃墟になった建物探検の収録に向かう。
しかしそのロケ地に向かうバスでアヤネ(未来穂香)は顔に小さなけがをする。同じメンバーのナナミ(北山詩織)がホチキスの針をジャージに仕込み、その針がアヤネの頬を指したのだ。
その廃墟でアヤネは怪しい何かを見かける。
その後、アヤネは頬の傷が大きなできものになっているのを知る。カツラで隠したアヤネだったが、ライブ中にナナミによってそのカツラははずされてしまう。
アヤネはやがて来なくなる。いったいどうしたのか?
そしてナナミのアヤネに対する嫌がらせは実はマユコ(後藤郁)の指示によるものだった。

「先生を流産させる会」をはじめ、今一番今後が気になる映画監督の内藤瑛亮。
その新作(というか未公開作)の「高速ばぁば」を待っていたのだが、1週間レイト限定というめちゃくちゃ不利な公開。
2012年1月に撮影されてから1年以上も公開にかかったわけだが、正直「それも仕方ないかあ」という出来だった。

まずシナリオに問題を感じる。
冒頭、アヤネが廃墟に入って何者かに襲われて恐怖を味わうわけだが、そうするとアヤネが外に戻ってきてからディレクター(岡田義徳)たちが「どうした?」と反応するシーンが欲しいし、次にナナミたちが入っていかねばならない。
にも関わらす一転して野外ライブ(といっても公園のような所)のシーンになる。正直、ここで回想シーンに入ったと思ったので、アヤネが頬に怪我をしているので混乱した。えっ?回想じゃなかったの?

そんな感じで映画世界に入れないまま進んでいく。
この後、マネージャーもおかしくなって、アヤネは婆さんになってしまったりとよく分からない展開が続く。
いやホラー映画に理論的な展開を求めるのは間違いだと承知しつつ。
(一応あの廃墟は無許可の老人ホームで老人たちが虐待を受けていた施設だという説明があるけど)

内藤監督って「先生を流産させる会」も「お兄ちゃんに近づくな、ブスども」も「救済」も、「本当に怖いのは人間の心」とでもいうよな人間の心のダークサイドを描くのがうまい、得意、それがやりたい、という監督だと思っていたので、こういった形だけのホラーではすこしがっかり。
アイドルの嫉妬、という心の闇から話が始まったので、期待したのだが、話が進むにつれ、がっかりが増していった。

どうやら一瀬隆重が仕掛けて連作ホラー(その他にも白石晃士監督の「カルト」とか鶴田法男監督作品とか)の1本として制作されたが、どうもうまく行ってない。
そんな気がした。



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昼下がりの情事


日時 2013年7月28日16:30〜
場所 新橋文化劇場
監督 ビリー・ワイルダー
製作 1957年(昭和32年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ここは情熱の恋の街、パリ。老いも若きも夜も昼もセーヌ川のどちら側でも男と女は情熱のキスで愛を交わしている。
私立探偵の娘、アリアーネ(オードリー・ヘップバーン)は父親に妻の浮気調査を依頼した男が、その浮気相手の男をホテルに殺しに行くと聞き、放っておけなくてそのホテルに先回りし、相手の男フラナガン(ゲイリー・クーパー)を助ける。
フラナガンは上流階級の間では有名なプレイボーイで、アリアーネの父親の調査記録にはフラナガンの名前は常連だった。フラナガンに興味を持ったアリアーネは彼に誘われるままに再び会う。
興味本位で会っていたアリアーネだったが、やがて意識するように。フラナガンはパリを離れ、また世界各地へと旅立つ。1年後、アリアーネはフラナガンと再会するのだが。

ビリー・ワイルダーの有名な映画。タイトルだけは知っていて観る機会を逸していたが、今回最近のお気に入りの映画館、新橋文化で上映されるので観てみた。
ロマンティックコメディって紹介されていたから爆笑爆笑かと思っておいたらそれほどでもない。

それにしてもこの頃のオードリー・ヘップバーンは綺麗である。まるで妖精のよう。この人を見ると白川由美を思い出すのだが、同時代の女優として絶対意識していたと思う。きりっとした目とかショートカットの髪型とか似てるもんな。本作のヘップバーンはちょっと眉が太すぎる気がするが。

映画は二度目の出会いでフラナガンの方も意識していく。
フラナガンが自分の身分をはっきり言わない不思議な女性のアリアーネに振り回されていくのだが、彼女が自分の男性遍歴をフラナガンが仕事で使っている録音機に吹き込んでおいたのを聞いて、気が狂いそうになる。
フラナガンは大金持ちなので、ルームサービスで女性と食事を取るときにはいつも4人の楽団に生演奏させている。
やけ酒を部屋で飲んで楽団にも酒を飲ませたりして、やがて朝になってタクシーに全員を乗せてサウナへ。
フラナガンがサウナに入っている間も楽団はサウナで演奏し続けるというギャグ。(ここは笑った)

このサウナで1年前に自分を殺そうとした男に再会、でもその男は自分の妻とフラナガンが本当に不倫していたとは知らないので、フラナガンに「いい私立探偵を紹介しよう」とアリアーネの父を紹介。
そこでやっと話がつながってくるという展開。
ラストはフラナガンはパリを発とうとし、駅までアリアーネが見送り、走り出した列車を見送る彼女を・・・・という展開。
映画を観ながら「今だ!抱き上げろ!」と思ってしまった。
さらにこんな時でも例の楽団はBGMを演奏しているというオチ。(演奏しているのは「魅惑のワルツ」)

でも正直途中の展開はだれるし、アリアーネのことを好きな音楽学校仲間の青年は出なくなるし、僕にとっては残念に感じた点も多い映画だった。



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華麗なる賭け


日時 2013年7月28日14:30〜
場所 新橋文化劇場
監督 ノーマン・ジェイスン
製作 1968年(昭和43年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


トーマス・クラウン(スティーヴ・マックイーン)は若手実業家として成功を納めていたが、裏の顔もあった。お互いに顔を知らぬ男たちを集め、銀行から輸送しようと金を盗んだのだ。被害金額は260万ドル!警察は事件を捜査を開始するが手がかりは全くない。
保険会社は銀行に仕方なく保険金を払ったが、警察は当てにならないので独自の調査員を使うことになった。
すご腕の女性捜査員ビッキー(フェイ・ダナウエイ)は260万ドルの金がどうなったかと推理する。スイスの銀行の匿名口座に入金したと思った彼女は、銀行の事情に詳しく最近スイスに行った人間を洗い出し、トーマス・クラウンにたどり着く。
そしてビッキーは実行犯たちはまだ報酬をもらってないとにらみ、高額の情報料を懸賞金して新聞広告を出す。
案の定、当日金の輸送をした男(ジャック・ウエストン)の妻から自分の夫を疑う通報がある。

スティーヴ・マックイーン主演のこの映画、タイトルは聞いたことがあったが、未見なので新橋文化で上映されるので観てみた。

うーん、前半は面白いのだが後半は腰砕け、というのが率直な印象。
全く手がかりがないこの事件をフェイ・ダナウエイの調査員が暴いていく課程は鮮やか。
車を買ったジャック・ウエストンが犯行に使われた車と同じ車を使っていることから妻が通報するのだが、警察は証拠がないので車を調べることが出来ない。
ところがフェイ・ダナウエイ(が命じた男)が車を盗んでしまう。焦りまくっているジャック・ウエストンの所へ今度は子供を誘拐したと連絡が入る。
もちろんフェイ・ダナウエイたちがやったことなのだが、彼らは警察ではないのでこういった捜査も行ってしまう。
でジャック・ウエストンは自白。そして偶然すれ違ったことを装ってクラウンと面通し。そこからクラウンの犯行と確信を得る。

とまあここまでは面白いのだが、このあとフェイ・ダナウエイがスティーヴ・マックイーンに近づくうちに恋仲になってしまう。
最初は色仕掛けでフェイ・ダナウエイが落とそうとするのだが、やがては本気になってという展開。
うーん、どうなんだろう?私はこういう展開は好きではない。

でもこのフェイ・ダナウエイとマックイーンが最初にゆっくり対決するシーンで、食事の後、チェスをする。
やがてフェイ・ダナウエイが色目を使うのだが、そこでチェスの駒を手で上下にこすったりシーンがあってものすごくエロチックで思わず「ピンク映画か?」と言ってしまうところだった。

で、結局マックイーンはもう一度犯行を犯す。
時々マルチスクリーンを使ったりして映像的には工夫はしてあるけど、後半の展開は好きになれなかった。



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孫悟空


日時 2013年7月27日11:00〜
場所 神保町シアター
監督 山本嘉次郎
製作 昭和34年(1959年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


二千年の昔、唐の時代は疫病、天災などで多くの人が死に、生き残った者も地獄を見ていた時代。
王様は民衆を救うためにインドにお経を取りに行けば国が救われると思い、お釈迦様のお告げにより母親思いの山蔵少年にインド行きを命じる。
山蔵は途中観音様の使いポン(団令子)の観音様からの伝言に従い、ある山へ行き、悟空(三木のり平)という猿の化け物を家来にする。
そして旅の途中で少女(八千草薫)を困らせていた豚の猪八戒(千葉信男)、そして河童の沙悟浄(中村是好)らも仲間にし4人でインドを目指す。
途中悪魔大王(小杉義男)が行く手を阻む。大臣の金閣(由利徹)、銀閣(中田康子)、銅閣(南利明)そして書記官長(天本英世)らと山蔵一行の戦いが始まる!

ご存知「孫悟空」の映画化。山本嘉次郎=円谷英二コンビで戦前にも映画化されたが、そのリメイク。
戦前のエノケン版は以前に観たことがあったが、この三木のり平版は初めて。
(前のイメージがあったせいか、この映画を白黒と思い込んでいたので、カラーと知って驚いた)

映画は江戸時代ぐらいの街角で、紙芝居で物語を語られるところから始まる。
従って最初は紙芝居のような書き割り(先週ラピュタ阿佐ヶ谷で観た「恐妻党総裁に栄光あれ」みたいだ)の中で物語が進展する。
そうそう冒頭の王様が山蔵に命じるまでは紙芝居(というか人形芝居風)で語られる。
そういう風に紙芝居の世界に入っていって書き割りから始まるから、その後のセットが多少チープでも気にならない。

最初の方の八戒の登場エピソードで、孫悟空が八千草薫に化けるのだが、そこで八千草薫が男っぽく振る舞うシーンが可愛い。(ホントこのころの八千草薫は妖精のようだ)

沙悟浄も加わって一行が揃うまでで1時間弱かかってると思う。
後半は由利徹、南利明らのドタバタのコメディ演技を堪能できるが、まあそれだけ。
今観るとテンポも悪く退屈だ。
山蔵を食べると寿命が1万年延びるということで悪魔大王は山蔵を食べようとするのだが、料理の先生役で藤村有弘が出てきたところでは個人的にファンなので大笑いした。

そんな感じで悪魔大王たちを悟空たちは何とか倒し、インドが見える場所まで来たところで「終」。
円谷特撮はミニチュアより背景の合成などが主。
エノケン版がテレビが登場したりして針の振れ方が大きかったけど、今回はこじんまりとまとまった印象。
もうちょっと弾けてくれたほうが私としてはよかった。



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ベルリンファイル


日時 2013年7月26日21:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン10
監督 リュ・スンワン

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ベルリン。この地で北朝鮮の工作員がロシアの武器ブローカーを通じて、アラブ系の組織にミサイルを販売しようとしていた。その模様を監視する韓国情報院のエージェント、チョン・ジンスク(ハン・ソッキュ)。
いよいよ踏み込もうとしたときにイスラエルの情報機関モサドが取引をつぶそうとして踏み込まれてしまう。
激しい銃撃戦が起こったが、韓国がマークした今回の北朝鮮の工作員、ピョ・ジョンソン(ハ・ジョンウ)には逃げられてしまう。
一方、北朝鮮側でも今回の取引を誰がリークしたかが問題になっていた。金正恩体制になり、在外公館のメンバーの忠誠が問われており、本国から保安観察員トン・ミョンス(リュ・スボム)が着任した。
そしてミョンスはジョンソンの妻、リョ・ジョンヒ(チョン・ジヒョン)が二重スパイでアメリカに亡命を企てているとジョンソンに告げる。
しかし実は亡命を計画していたのは北朝鮮大使、ハクス(イ・ギョンヨン)だった。

韓国映画でベルリンを舞台にしたスパイ映画、というだけの予備知識で観た。ベルリンは一部だけで大半は韓国が舞台かと思いきや、話は全編ベルリンだ(もちろんセットもあるから撮影は全編ベルリンではない。でも多くのシーンがベルリンだろう)。
正直話は複雑で会話のテンポが早いから登場人物の名前や顔などよく覚えていないうちに話はどんどん進み、ついていくのが精一杯。観てるうちはなんとなく分かるが観終わって説明しろと言われるとやや心許ない。

こっちは主人公が韓国の人間だと思っていたら、北朝鮮の工作員の苦悩の話なんですね。
この映画では金正日体制から金正恩体制に移ったことによる混乱が背景にある。
北を一方的な悪役にせず、北の工作員も同じ人間だという視点がいい。そうだよな、やはり向こうも人間だ。
妻を愛し、子供を心配する。

結局、現在のベルリン(パンフを読むと在外の北朝鮮公館でも特に重要な拠点らしい)のメンバーを粛正するために本国のトン・ミョンスンの父の一派がしくんだ謀略があった、という展開(ものすごくざっくり言うと)。

一度は韓国側に身柄を確保された北の工作員を韓国のエージェントは解放する。そして自分の妻はお腹の子供を殺させたトン・ミョンスンの父に宣戦布告をして立ち向かうラストはかっこいい。
最後に殺すところまでを映画にしないのがいい。

めちゃくちゃ面白いとか今年のベストワン候補、というほどでは無いけど、「007」や「ミッションインポッシブル」のような思わず「ありえねー」と言ってしまうようなアクションに飽きている当方にとっては心地よいスパイ。アクションだった。
日本ではこういうのは出来ないのかなあ?



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爆心 長崎の空


日時 2013年7月21日13:00〜
場所 東劇
監督 日向寺太郎

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


長崎大学の3年生清水(北乃きい)は朝、母と喧嘩してしまったが、母はその日心臓発作で亡くなってしまう。
しかも母から午後に電話があったとき、彼氏とセックスの最中で出なかったのだ。「あのとき電話に出ていれば母は死ななかったかも」と自分を責めていく。
砂織(稲森いずみ)は新聞記者の夫(杉本哲太)と暮らしていたが、1年前に急性肺炎で5歳の娘を亡くしてその事が彼女の心の傷になっていた。
砂織の両親は原爆の被爆者だったが、原爆については何も語ろうとしない。
清水の幼なじみの勇一(柳楽優弥)も母親が次々と男を変えて子供の頃に虐待を受けてそれが痛みとなっていた。
砂織の妹、美穂子(池脇千鶴)も東京で暮らしていたが、東京で男に裏切られ長崎に戻ってきていた。

実写版「火垂るの墓」の日向寺太郎監督作品。
タイトルからすると原爆映画かと思ったら、そういう訳ではないらしい。
砂織の両親(石橋蓮司、宮下順子)が被爆者で、杉本哲太が新聞記者で彼らの被爆体験を聞こうとするからそういう切り口かと思ったら、話はどんどん違う方へ。

砂織は娘と夫と最後に行った海で拾った貝殻を、無いのに見えると言い出す。
清水は母親の死を自分のせいと言い出すのだが、そもそも母親からの電話に出なかったシーンで彼氏(医大生)が上にのっかって腰を振っているなど、まじめな反原爆映画だと思ってたらびっくり。

さらに美穂子は自転車で転んで壊してしまい、バイク屋に修理を頼む。そこに勤めていたのが勇一で、砂織たちと清水たちの話につながりが生まれかける。
でも修理が終わった自転車を勇一が届けると美穂子が勇一の家に行き、そこでほとんど初対面にも関わらず体の関係を持つっていうまるでピンク映画みたいな展開になる。
そして勇一も最後はノアの箱船がどうしたこうしたで自分の家に火をつける。
あと砂織の母親が実は戦災孤児で両親は分からないという話なのだが、拾われたときに白鷺が見守っていてくれた、という話がでる。
そして最後に白鷺が砂織の両親の家の蜘蛛の巣(?)に絡んで死んでいるのが発見され、それを埋めてなぜか話が収まっていく。

そもそも原爆映画と思って見始めたのがいけなかったかも知れない。
「心に傷を負った人間の再生のドラマ」と思って見始めたたなら、ちゃんと映画に向き合えたかも知れないが、タイトルの「爆心 長崎の空」に引っ張られて反原爆映画のイメージで映画に向かってしまったからなあ。

でも久々に柳楽優弥が見られたのでその点は楽しめた。
精悍な顔つきになってきて今後の活躍がまだまだ楽しみな役者だ。



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性愛婦人 淫夢にまみれて


日時 2013年7月20日17:40〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 池島ゆたか
製作 平成22年(2010年)

(詳しくはピンク映画データベースで)


元は高校の地学の教師だった森崎カズマ(なかみつせいじ)は今は妻スズコと二人でこの伊豆半島のペンションに引っ越していた。
しかしスズコは若年性の痴呆症らしく、自分のことが分からなくなっている。

2010年ピンク映画大賞第1位。
「伊豆半島には日本の他の地域にはない化石がある。それはこの地がかつて赤道近くにあったのが、地殻の移動で北上し、日本列島にくっついた」という説明がある。
それで森崎は珍しい化石を探し続ける。
しかし映画は途中で、スズコと同じ服を着た女性の遺影写真が飾っている光景を写す。
森崎が化石を掘っていると病院の看護婦が通りかかって「以前検査入院された方ですよね?その後いかがですか?」と声をかけられる(ピンク映画らしくその後一回ある)。

そうおかしくなっていたのは妻ではなく森崎だった。
妻は急死し、そのショックで森崎は妻の妹を妻と思いこんでいたのだ。

「実は・・・」というどんでん返しのような急展開は池島作品には時折見受けられる。
こういうどんでん返しは観ていて飽きないし、やっぱり裏切られても心地よい。

正直、この前に観た「ホテトル嬢 悦乳とろけ乳」の方が私の好みだが、この映画は脚本がしっかりしている分、他の「濡れ場をつないだだけの脚本」より数段見応えがあってよかった。

ヒロインが30代くらいで、その点ちょっと私の好みの映画ではないのだが、やっぱりピンク映画も映画である以上、話はしっかりしてほしいと思う。



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ホテトル嬢 悦楽とろけ乳


日時 2013年7月20日16:40〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 池島ゆたか
製作 平成24年(2012年)

(詳しくはピンク映画データベースで)


凪(周防ゆきこ)はホテトル嬢。今日のお客さんは赤ちゃんプレイが好きな変態な(でも楽しい)お客さんだ。
そんな帰り道、一人の若い男が道ばたで倒れているのを見かける。仕方なく家につれて帰る凪。
若い男は村上マキという。なにやら訳ありの男だ。
彼はどうやら故郷で女性問題があってその土地にいられなくなったらしい。

2012年ピンク映画大賞最優秀作品賞。
原題は「夕凪のスカイツリー」。
浅草周辺が舞台で時折スカイツリーが画面に映える。
この年の5月にオープンし、話題のスポットだ。

凪はこの後、威張りくさった命令調の最低な客に出会う。
マキはたまたま出会った女性(日高ゆりあ)とホテルに行き、その出たところで次の客に向かう凪とばったり出会ってしまう。
その女は「あれホテトル嬢だよ〜初めて見た、生ホテトル嬢〜」と興味津々でさげすむ。
それでも凪はマキと暮らして行こうと誓う。
マキも「俺も働く。とりあえずバイトだけど」と言ってくれた。これからは幸せになれそうだ。
しかし凪が仕事に出ている間に、マキの父親(池島ゆたか)がマキを迎えにくる。彼は北海道の大学の教授。
マキはそんな父に反発していたが、母が入院したと聞かされて北海道に戻る。
凪が帰ってきたときにはマキはいない。

あ〜なんか切ないねえ。
せっかくいい男と出会ってこれから幸せになりそうだったのに、その男は別れも告げずに去っていく。
「まあ仕方ないか」とつぶやく凪の周防ゆきこが実に切ない。

でも悪いことばかりじゃない。
最初に会った赤ちゃんプレイの変態(でもいい人)なおじさんがまた指名してくれた!

なんかよかったなあ。
いやな客はいる、世間からは「ホテトル嬢」と後ろ指を刺される、男が出来ても離れていく。
でも悪いことばかりじゃない。いいお客さんとの出会いもあって、空を見上げればスカイツリー。
明るい、希望に満ちたエンディングに感動。

主演の周防ゆきこがいい。
可愛らしくて明るくて、華のある存在だったと思う。
名作「その場所に女ありて」を思い出させる働く女性を描いた秀作だと思う。
よかった。



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熟女と愛人 絶妙すけべ舌


日時 2013年7月20日15:30〜
場所 新橋ロマン劇場
監督・脚本 後藤大輔
製作 平成24年(2012年)

(詳しくはピンク映画データベースで)


アイコは整体師を自宅でしていたが、2階の一部屋を貸間していた。そこへやってきたのが、ひとみ。
アイコの夫、加藤(池島ゆたか)は映画の録音スタジオで働いていたが、実は宿なしだったひとみを録音スタジオの2階にしばらく住まわせ、関係を持っていた。
ひとみは出て行ったのだが、偶然にも自分の家に住むようになり、なんと愛人と妻と同居するようになってしまった。
録音スタジオの部下のトモナリはすべてを知っていて、やがてアイコに求愛する。

川島雄三監督の「貸間あり」がモチーフになっていると思われる本作。
この映画も「『貸間あり』って映画ありましたよね」「そうそう、うちの主人が大好きで」って会話があるから間違いない。
「貸間あり」は2004年に今は無きシネマアートン下北沢で見ている。そのときの感想文を読むとぜんぜん誉めてない。川島雄三監督とは合わないのだろう。

でもタイトルだけで内容はそれほど「貸間あり」でもない。
前のはかなりいろんなキャラクターが登場したが、今回はひとみだけ。
それもピンク映画では仕方ないか。
というわけで濡れ場と濡れ場をつなぐためだけにドラマがあるわけでも無かったが、それほど印象に残らなかったというのが本音。

一緒に観た池島作品に印象を全部もってかれたという感じです。



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沙也加VS千代君 アブノーマル・レズ


日時 2013年7月18日
場所 DVD
監督 浜野佐知
脚本 山崎邦紀
製作 平成元年(1989年)


沙也加はレズのコールガール。金持ち相手にレズプレイをして金を稼ぐ。今日も地方の県会議員の奥様とプレイ。
その運転手の梶田は沙也加に惚れていて、レズを止めさせたかったが、彼女は聞き入れない。
そんな時、万造という金持ちの男に呼ばれる。
彼はインポでもう一人呼んでいた千代君という女とレズプレイを見せて欲しいという。一旦は断った沙也加だが、万造が金払いがいいので万造になめさせてやる。
千代君がレズ対決を申し込んできた。二人でプレイして、イった方が負けというものだ。その賭に万造が金を出すという。
沙也加がやる気がないので、沙也加が客の相手をしてる間に梶田を連れ去り、ケツをペニバンで犯す。
沙也加は千代君との対決を決意する。

「女が映画を作るとき」という浜野佐知監督の本を読んだ。
前からピンク映画で女性の監督というので興味があって読んだのだが、第1章がピンクの助監督から監督になるまでの話でその後は自主制作した映画の話、そして世界各国の女性映画人との交流、映画界という男性社会での女性が映画を作ることの困難などの話だった。

そういう訳で浜野佐知のピンク映画をもっと見たくなりアマゾンで買った次第。
さすがにDVDになっているだけ、見る価値はある。
濡れ場のシーンが多く、ピンク映画らしい。
でも正直、その分ドラマは薄い。
濡れ場と濡れ場をつなぐだけの為にドラマがある感じ。

本の中でオッパイとかキスの口とかそういう一部のアップを多用することを本木荘二郎監督から教わった、という記述があるが、なるほど、その通り。
「ピンク映画をだめにした三悪人」と自分は数えられる、ともいう記述があったから、確かになあ。
ドラマないからなあ。でも濡れ場は多いし、オッパイのアップとかAV的に「エロ」を見に来た観客には受けがいいかも。
ドラマがないからピンク映画に「エロ」以上のものを見に来た人にはつまらんだろう。

で最後のレズ対決だが、海近くの橋の上でコートの下に下着だけをつけた姿で向き合い、そこでレズ対決をするというシュールな風景。なんで部屋でしないんだろう。
画的な変化を求めたのかな。

そして梶田。自分を沙也加が愛してくれないのは自分が男だからと考え、それならば、と自分のモノを切り落とすという春琴抄的ラストを迎える。
これは驚いた。
男が監督ならモノを切るってなかなかない発想で、女のぁんと監督だからかな、というのは短絡的な発想だろうか。



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初戀


日時 2013年7月16日
場所 DVD
監督 今泉浩一
製作 平成19年(2007年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


唯史(村上ひろし)はクラスメートの公太に恋していて、彼のことを考えながらオナニーしてしまう日々だった。
宏毅と慎二は同棲中のカップル、そして今は恋人と別れて一人身の圭吾。
唯史は学校の同級生たちから「オカマ」「死ね」と言われ、学校をつい休んでしまう。
そんな時、電車の中で宏毅と慎二と仲良さそうにしているのを見かける。そんな宏毅と慎二をつい追いかけてしまう唯史。

吉行由美の「僕は恋に夢中」のリメイク。
「僕は恋に夢中」の脚本を書いた今泉浩一が今度は監督し自主製作した映画。
結論から言うと「僕は恋に夢中」の方が好きである。
まあ「僕は恋に夢中」が好きだからリメイク版を見たわけだし、どんな映画でもリメイク版は点が辛くなる。

ますこの映画、上映時間が90分を超える。
吉行版がピンクの60分なので、さぞかし追加シーンがあるのかと思ったらそうでもない。
唯史がブリキのロボットおもちゃが好きで、そのロボットと遊ぶシーン(でも2、3分だろう)とか、圭吾が昔の恋人に唯史のことを好きになって、その恋愛相談に行くシーンなど。でもこれも5分ぐらいだろう。
その代わり吉行版に比べれば濡れ場のシーンが少なくなっているので、やっぱり30分は長くなっているのだろう。
会話のテンポがまったりなのと編集に無駄があるのだろうな。

そして自主映画にありがちな音の悪さと露出の悪さ。
窓を背にしたカットなど、逆光になってしまっている。
音も周りの雑音(車の音とか)を拾ってしまってせりふが聞き取りづらい。
まあ自主映画だから仕様がないと言えばそうなのだが。

で、一番私と合わなかったのは男性のルックスのタイプだった。
主役の唯史役の村上ひろしは朴訥とした感じでこれは吉行版とも共通し、不満はない。
でもあとはイメージが違うのだなあ。
一言で一言で言うと吉行版は女性誌にも登場するようないわゆるイケメン(もしくはそれに近い感じ)なのだが、今回は「短髪、髭、がっちり体型」という感じなのだ。
これはもう吉行由美と今泉浩一のゲイのイメージ(あるいは男の趣味)の違いだろう。
自分としては吉行版の方がイメージに近いので、馴染めた。

今泉版は「短髪、髭、がっちり体型」で公太に至ってはオニギリのような顔をした感じのデブだ。
いやあイメージ違うなあ。
そして圭吾はやせているが、短髪。そして圭吾が途中トイレでハッテンする相手の男も短髪、髭、ショートパンツ。
宏毅と慎二だが、慎二も短髪、髭、がっちり。宏毅は短髪ではないが、タンクトップ姿でちょっとがっちり。
まあそういうのが今泉さんのタイプなのでしょう。

そしてラストの二人の結婚式。
吉行版は公園で二人だけの結婚式で(予算の問題もあったとは思うが)それはファンタジックでよかったと思う。
こちらはマジで2丁目のパーティホールみたいな所を使って仲間内の結婚式だ。
ここも吉行版の方が好きである。

それにやっぱり役者が素人だし、どうにも「下手だなあ」と思ってしまうことが度々あった。
同じく「浮気なぼくら」という吉行=今泉コンビの映画も今泉監督が「ナウティボーイズ」として同様にリメイクしている。
でもこっちはもういいかなあ。

とつらつら否定的なことを書いたけど、最初の方で宏毅と慎二、圭吾の食事のシーン、カメラを回転テーブルの上に置いて画を工夫するなど頑張ってはいたと思う。
でも何度も言うけど私は吉行版のほうが好きである。



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僕の中のオトコの娘


日時 2013年7月15日
場所 TSUTAYA宅配DVDレンタル
監督 窪田将治
製作 平成24年(2012年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


初歩的なミスばかり続けていやになって会社を辞めた足立謙介(川野直輝)。自殺も考えた彼は引きこもりになってしまって早5年たった。姉・裕子(中村ゆり)や父・謙三(ベンガル)は何も出来ずにただ謙介を見守っているだけだった。
ある日、ふと姉のジャケットを羽織ってみた謙介。それから「女装」に興味を持ち、ネットで女装のブログや掲示板を見ていく。最初は否定的に見ていた謙介だったが、やがて自分も興味を持ち始める。
そしてついに女装のカレン(草野康太)にメールを出し、彼に誘われて女装のパーティに参加した。そこで知り合った静香ママ(木下ほうか)の店に出入りするようになり、常連客の中村昇(河合龍之介)とも仲良くなっていく。
しかしある日、自分のことを知っている男が店にやってきてしまう。

昨年末銀座シネパトスで公開され「私の奴隷になりなさい」と同時期上映されていたこの映画。
時間が合わなくて見逃していたのだが、この度DVDで鑑賞。

うーん、やはり難しいなあ、扱い方が。
女装っていうと同性愛者が女性になりたい願望の延長としての女装を連想するが、この場合は単なる女装願望。
謙介くんはゲイにはならない。
ただ女装をする事によって心が解放されるのだが、その辺の解放感がいまいち伝わってこない。
まあどう表現するんだって言われても困りますが。
女装して「サウンド・オブ・ミュージック」のように高原で歌われてもちょっとイタい気がしますし。

自分を知ってる客が店にたまたまやってきて「お前、足立さんの所の子だろ?」と言われる。その展開はいい。
姉が深夜に出かける弟にお金を渡すのは確かにちょっと甘やかしすぎ。でも引きこもりが出かけ始めたんだから俺でもあげちゃうか。

姉にはバレて父親にもバレる。
そして静香ママに「で、謙介は普段何してるの?」と訊かれ「引きこもりのニートです」と答えるとママが怒る。
「自立してから遊びなさい」
いやいやもちろんまっとうな事だけど、それを店のママに言わせるのはどうか。
水商売の人はそんなこと気にしない気がするがなあ。
それで謙介は静香ママの店で働き始める。

ある日、男の格好をした謙介と女装のカレンが原宿に買い物に行き、その帰りにお茶を飲むシーンがある。
その店が姉が勤める店だった、というのはいかがな物か。
あっそうか。謙介は引きこもりだったから姉の店を知らなくても当然か。
しかしそのことがきっかけで姉が店を辞めたのは納得できん。マスターたちは弟の顔知らないんだし、第一あのときは普通の男の格好だよ。女装を連れてるだけで変な目で見られるの?

後半、例の自分を知ってるいやな客が再び店にやってきて謙介に絡む。それを昇が喧嘩して助けてくれる。
その後、昇は謙介をホテルに連れていく。
そこで迫るのだが、「僕はゲイじゃないから」と拒否する。
結局「僕が女装をするとみんなに迷惑かけるから、止める」という。
しかし父親が「本当にやりたいならやれ」と理解を示し、終わる。
いやいや姉も父親も理解ありすぎ。
話がうまく行き過ぎだよ。

そもそもノンケの女装愛好者っていう一番わかりにくいジャンルだし、もう少し脚本を練って欲しかったと思う。
ノンケの女装愛好者ってゲイとかレズとかの性的少数者とはまたちょっとジャンルが違う気がするんだよね。
あくまでプレイの一つにしかならないと思うんで。

ちなみにママのお店があるのは2丁目ではなく、すぐ近くの新宿3丁目の末広亭付近でした。



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コックファイター


日時 2013年7月14日13:50〜
場所 新橋文化劇場
監督 モンテ・ヘルマン
製作 1974年(昭和49年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


フランク(ウォーレン・ウォーツ)は闘鶏に情熱を燃やす男。かつてライバルの男との試合で負け、メダルを奪われてしまう。そのときに「お前は軽口を叩きすぎるんだよ」と言われ、再びメダルを手にするまでは口を聞かないと決める。
恋人にも別れを告げられたフランクだったが、闘鶏を止めることはなく、ますます情熱を注いでいく。
まずは「ホワイトライトニング」と名付けられた鶏を買い、新しい相棒も持ち次々と試合に挑んでいく。

低予算映画で知られるロジャー・コーマン製作。
コーマン映画の中では数少ない赤字作品だったそうだ。
アメリカでの興行的失敗のため、1974年製作だが今年2013年1月に初めて日本で公開された映画だそうだ。
正直言うけど、未公開の映画は未公開になった理由がある。面白くない。

まずは闘鶏という競技の地味さだろう。まずルールがよく分からない。足に針をつけたりして戦わせるのだが、まあ相手が倒れれば勝ちと言うことか。
それに競馬とか、あるいは人間が行うボクシングなどの試合なら画的に迫力があるが、小さな鶏同士の戦いではどうにも迫力がないのだな。
カメラも鶏の目線まで下げて戦いを捉えればまた違った迫力があったかも知れないけど、当時のカメラでは無理だったかなあ。
常に人間の目の高さからの画ではどうにも勢いがない。
また鶏も演出するなんて出来ないし、「こう闘ってほしい」と思っても撮れなかったのかも知れないが。

そういう闘鶏に賭けるダメ人間とそれを理解できない女という図式はこの手の映画では飽きるぐらいに見た設定だ。
それに私が賭事が嫌いなタチなので、主人公にどうにも思い入れを持つことが出来ないので、ますます映画の世界に入れない。

結局ラストは今まで自分を理解しかけていた女にも逃げられる。だが再びメダルを手にする主人公。
ナレーション以外では台詞がなかったが、最後に「愛の告白さ」的なことを言う。
この全く口を利かない主人公という設定は面白かった。
ほとんどが手振りとうなずく、首を振る、握手をするということで意志を伝える。どうしても、という時はメモを渡していたが。
ウォーレン・ウォーツの台詞のない渋さはよかったが、それ以外はどうにも困る映画だった。
85分程度の比較的短い映画だが、それでも長く感じた。



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真夜中のカーボーイ


日時 2013年7月14日11:40〜
場所 新橋文化劇場
監督 ジョン・シュレシンジャー
製作 1969年(昭和44年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


テキサスの青年、ジョー(ジョン・ボイド)はニューヨークでは金持ちの女が男を買うと聞き、自分の体に自信を持つ彼は皿洗いの仕事を辞めてニューヨークへ。
しかしニューヨークは甘くない。
金持ちの女に声をかけて彼女の高級アパートに行ったはいいが、「銀行からお金をおろし忘れてお金ない。今からタクシーに乗るお金もないわ。貸してくれない?」と逆に金を払う始末。
そんな時、場末のバーでリコ(ダスティン・ホフマン)という足の悪い青年と知り合う。「そんな仕事をするならマネージャーが必要だ。俺がその道に詳しい奴を紹介する」と言われ20ドル払ったが、行った先は変な宗教の親父の所。
金がなくなったジョーはリコを探して金を取り戻すしかない。リコと再会したジョー。金は取り戻せなかったが、取り壊しのビルの一室に二人で住むことになった。
リコの夢はフロリダのような暖かい所で普通に暮らすことだった。

名作の誉れ高く、「アメリカンニューシネマの代表的作品」と言われていたが、今まで未見。今回昭和の匂いでいっぱいの新橋文化で上映されるので(フィルムだし)見に行った。

確かにハリウッドの撮影所のセットの中で人工的に作られる映画群に対するアンチテーゼとして当時は目新しかったかも知れないけど、今見ると(いや当時もそうだったかも知れないが)暗く希望のない映画だ。
それを「切なさ」と肯定的に感じられる人はいいけど、私はだめだった。

ただただ貧乏臭くていやである。
それに「ニューヨークに行って体売って金持ちになる」という発想がバカである。
昔は情報が少なかったからこういうバカもいたのだろうか?いや今だって「東京行ってホストになって金持ちになる」考える奴いるかも知れないな。

それにしてもこの映画にはホモがよく出てくる。
男が体を売って・・・というのが主人公の行動基準だから自然とそうなるのかも知れないが、「ニューヨーク=ホモの街」という勘違いをしてしまいそうだ。
僕はニューヨークには3回ほど行ったことがあるから、それほど遠さは感じないが、そのあたりのイメージは今でもあるのかも?

1969年当時に見ればまた違った感覚で見られたかも知れないが、今見るとどうにも貧乏臭いしょぼい話にしか見えない。
やっぱり映画は時代を写す鏡なのかなあ?

関係ないけど今なら「真夜中のカウボーイ」と表記するだろうが、この映画の邦題は「真夜中のカーボーイ」
映画の台詞の中では新訳なのか「カウボーイ」と出てきていた。
それとジョーが最初に買われた女性の部屋のテレビ、セックスの最中にリモコンのスイッチが入ってチャンネルが次々変わるのだが、その中で「ウルトラマン」が数秒出てきた。なんでここで「ウルトラマン」?



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恋の渦


日時 2013年7月13日20:00〜
場所 渋谷シネクイント
監督 大根仁

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


仲間内で一番イケてないオサム(圓谷健太)に女を紹介しようと思ったコウジ(新倉健太)は同棲中の彼女・トモコ(若井尚子)の友人ユウコ(後藤ユウミ)や、自分やトモコの友人を招いての飲み会を自分の部屋で開く。
やってきたのはコウジの友人のユウタ(上田祐揮)、その昔からの友人のタカシ(沢村大輔)、コウジの弟のナオキ(松沢匠)、その彼女のサトミ(國武綾)、トモコやユウコと同じ職場のカオリ(柴田千紘)。
しかし紹介するユウコはすごいブス。唖然と男ども。
かくてこの9人の男女の恋の渦が始まった。

今年3月公開された「シネマインパクト」の中の1本がレイトショーで通常の劇場公開。何しろ3月の公開では最終日に深夜に2回追加上映を行ったという伝説を作った映画。
評判もよいようなので、とりあえず見に行った。

なるほど面白い。
元は演劇用の脚本をほとんどそのまま映画にて使用。
舞台もコウジ、ユウタ、オサム、ナオキのそれぞれの部屋だけで、カメラがそこ以外に出ることはない。
「居酒屋で行った合コンの一晩の話」だと思っていたが、そうではなく、まずは家飲み会だ。
そして4時間後、一週間後、その1時間後、2時間後、と彼らの動きを追っていく。
その場にいない人の事は「たいがいブスじゃね?」「あいつチョーうざい」と言いたい放題。
人間関係なんてそんなもんだな。
20代くらいの人には「そういう会話してるしてる」と大いに共感するのだろう、たぶん。解らんけど。
その辺の面白さが受けているのだろう。

僕なんか世代が違いから「ちげーよ」「ちょーうざくない」「マジ意味わかんなけど」「普通そうするだろ?」という感じの若者言葉の連発にちょっと辟易する。
そしてどうでも良さそうな事に怒って不機嫌になって喧嘩して訳も分からず謝る。映画はほぼこの繰り返し。

コウジは何かにつけてトモコに怒り、DV同然。そしてオサムはユウコと出来てしまうが、やたらユウコに高圧的な態度をとる。
タカシはカオリに告白しカオリも承知したがその後連絡はない。カオリはナオキを誘い、ナオキが彼女と同棲中にも関わらず二人はセックスする。そして実はユウタとカオリは以前つきあっていた。
そういう滅茶苦茶めんどくさい人間関係が脚本の妙で笑いに昇華されていく。
演じる役者もなじみのない人ばかりで、それがかえってリ
アリティを増している。

コウジと絶対別れたくないと言っていたトモコから別れを切り出し、ひたすら一途にカオリに恋したタカシは故郷に帰る。サトミに子供が出来たと知ったナオキは彼女と結婚を決意、しかしサトミは実は・・・というオチ。
このオチはなかなか聞いてよかった。
すべてを知ったあとでもう一度見るとまた面白いと思うし、実際リピーターも多いらしい。

映画を見ていて気になったことが一つ。たぶん作者も特に意識してなかったのかも知れないが、見る前は大学生ぐらいの20歳前後の話だと思っていた。ところがパンフレットを見ると、ナオキは学生で23歳、サトミは21歳と若いが後は26〜28歳の20代後半。
それでアルバイト生活。だが彼らは自分たちの将来に不安めいたものは感じていない。「今何となく暮らしていけるからこれからも何とかなるだろう」と楽観的。
これが今の若者の標準的な考え方だとしたら、日本の将来は大丈夫かなあとおじさんには思えた。



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GOGOボーイを追いかけて


日時 2013年7月13日14:00〜
場所 表参道スパイラルホール
監督 コーリー・J・クルークバーグ
第22回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭


ニューヨークの大学をあと3週間で卒業予定のドク。
しかしゲイバーなどに飲みに行くことなく、4年間を過ごした。彼はネットで見つけたGOGOボーイのゴーの画像を見ながらオナニーしてる姿をネットで配信していた。
そんな引きこもりのような日々を送っていたドクだったが、ある日酔った勢いでゴーにメールを出した。
「君のドキュメンタリー映画を撮りたい」
驚いたことに彼から返信が来た。
「いいよ。今夜会って相談しよう」
ドクは酔った勢いでのことなのでよく覚えていなかった。
だが勇気を振り絞ってゴーが働くゲイバーに出かけた。
緊張のあまりゴーに話しかけられなかったドク。帰ろうとしたとき、表でゴーの方から話しかけてきた。

第22回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭での上映。
この映画祭は今回初参加した。
引っ込み思案の青年がイケメンスター(たとえGOGOボーイという小さなコミュニティでの人気でもゴーはスターだ)に会いに行く話というので興味がわいた。

アメリカ映画でもインディーズ映画はある。これもその1本。
主人公がドキュメンタリー映画を撮る、という話だから主人公が撮ったドキュメンタリー映像がふんだんに出てくる。
それを撮っているカメラはあるにはあるのだが、その疑似ドキュメンタリーのカットが当然多い。
とにかくドキュメンタリーは画面が揺れていわゆる「画面酔い」を最近するから苦手である。

ドクは別に映画学科の学生ではなかったが、友人にカメラを借りてゴーを撮り始める。
彼のアパートに行き、彼の生活を見、彼にインタビューする。GOGOボーイになったきっかけ、初体験など。
逆にドクにインタビューをするゴー。ドクは実はまだろくに男の経験がない。
そんなドクを好きなるゴー。
やがて二人はつきあい出す。
しかしある日、ゴーが他の男(あるいは女?ここが画面では一瞬しか写らない)とベッドでいるところを見てしまうドク。
一度はゴーを許すドク。
やがてドクは大学を卒業。彼はアイダホの田舎に行くという。「こんな生活をやめて僕と一緒にアイダホに行こう」というドク。しかしゴーには田舎で地味な生活をする事は耐えられなかった。
結局、二人は別れ、ドクはアイダホへ。
ドクはSNSなどで画像を自分の生活を送信し続けるつもりだ。
「普通の生活をすることがもっとも急進的なゲイだ」と主張して。

どうしても世の中に対するゲイのイメージって、ドラッグクイーンのような女装とか、マッチョな体を露出の多い姿で「男の性」をアピールする姿で、そういうエッジの立った形になってしまう。

この映画におけるゴーなどその象徴的な存在だ。
イケメンでマッチョで右腕にはタトゥーをして露出の多い姿でGOGOボーイをする。
「いかにもゲイ!」って感じだ。それに比べてドクは背は高いけど特にイケメンではなく、体も鍛えられてる感じでもないし、性格も引っ込み思案で地味。
対照的な二人だ。

どうしても世間に自分たちの存在を主張するあまり、ゴーのような「いかにもゲイ!」っていう姿が世間に出すぎた。それを否定するわけではないが、しかしゲイも世間に溶け込んでしまって目立たないことが目指すべき姿。
そんな主張を感じられ、私も大いに賛成する。
テレビに出てくるオカマやニューハーフばかりがゲイの姿だと思われてもなあ。
(この映画の上映終了後、監督、プロデューサーのトム・ガスタフソンのトークイベントあり。その司会がドラッグクイーンの方で正直、引いた)
そんな「普通の人としての生活を送ることこそ今や急心的」という主張があって、この映画には好感を持った。

ゴーを演じたマシュー・キャンプはレオナルド・ディカプリオをもっとイケメンにした感じ。
映画は初出演だそうだが、実に適役なキャスティングだったと思う。



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処女かまきり


日時 2013年7月12日21:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 依田智臣
製作 昭和48年(1973年)


両親のいない姉妹(葵三津子、桜マミ)はおじさんのお寺に預けられて大人になった。ある日、犬の交尾を見ておマニーをしてるところ妹は坊主のおじさん(田中小実昌)に見られてしまう。興奮したおじさんは妹を寺の納屋で犯してしまう。
それを見つける姉。それをネタにおじさんにお金を出させ、二人はマンションに引っ越す。
姉はホステスとなり、京都の老舗呉服店の若旦那と婚約、そして妹のヤリ友達(セフレという高級な感じではない〜川谷拓三、多賀勝)に自分の店のママの相手をさせママからお金をもらう。
自分は処女で呉服屋の若旦那に高く売ろうとしていた。
婚約も決まった時、今まで許さなかった体をついにその若旦那に許してしまう。
ところが数日後、店の常連の高利貸しの男から、その呉服屋は借金まみれで破産寸前と聞かされる。
「金がないなら結婚しない」と別れる姉。
妊娠してしまった妹は産婦人科で堕胎と処女膜再生をし、自分も処女膜再生をするのだが。

東映ニューポルノ特集での上映。
70年代のエロ路線に走ったポルノ路線だが、従来の東映ポルノとはちょっと違うらしい。どこが違うかよう解らんけど。
この映画は50分と普通のピンク映画の60分より短い。

ピンク映画と違ってセットは組むし(姉妹が住むマンションはセットだろう)、雨は降らせるし、豪華な絵作りだ。
さすが大手の東映だけある。
東映や日活がエロ映画を作ろうとしたとき、ピンク映画業界が反対したと聞いたことがあるけど、こういうの見ると納得する。

特にクラブのママと川谷拓三がマンションのベッドでするシーン、二人がベッドに乗るのだが、そのベッドの下では多賀勝と桜マミが隠れている。その後、果ててしまった川谷に変わって多賀がベッドに乗る。
そのとき、俯瞰ならぬ真下からのショットで川谷をガラスの上に乗せて、その上にベッドがあるカットがある。
ずいぶん手の込んだカットだなあ。
こういうのもセットを持っている大手ならではか。

ラストは産婦人科で(医者は名和宏)で再会した坊主のおじさんを車で送ろうとした姉、「ええやないか」とおじさんが運転中に迫ってきて運転を誤って交通事故で死んでしまう姉。
その遺影を前にして「処女が大事と言ってろくにセックスもしないで死んでいった姉がかわいそう」と多賀と桜まみがセックス。

あと高利貸しの男が姉を料亭の個室に呼んで「わかめ酒させてくれ」というシーンが面白かった。
そして特筆すべきは多賀勝の出演。
見ていて声で解ったが、いまおかしんじ監督の「いくつになっても男と女」の主演の多賀勝一さんだった。
東映京都作品だからもっともな出演なんだけど、妙にうれしかった。



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選挙2


日時 2013年7月6日13:20〜
場所 イメージフォーラム地下
監督 想田和弘

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


2005年の川崎市議会の補欠選挙に自民党公認で出馬し、その後の改選では出馬しなかった(党内事情で出馬出来なかったという言うべきらしいが)山内和弘さん、20011年3月11日の東日本大震災がきっかけで起こった福島第一原発事故に怒り、川崎市議会議員として原発反対を主張して選挙に出ることに。
今回は党に関係ない無所属での出馬だ。
前回と違って今回は金をかけない選挙に徹底。
何しろ4月1日告示なのに3月28日に出馬を決めたという突然ぶり。
大急ぎでポスターを作って選挙区の掲示板に掲示。
監督さえも事前に出馬を知らされていなかったそうで、そのポスター貼りのシーンはない。
駅頭演説や挨拶周り、握手もしない。
果たしてこの選挙の行方は?

主人公の山内さんと想田監督は大学時代の同級生で元々の友人。そんな友人が突然選挙に出るとなってそれを追ったドキュメンタリーの第2弾。
山内家は奥さんが働いて旦那が主夫という形で、前回はいなかった長男ともき君も登場する。

まあ主人公が活動をしない、という方針だから映画にはしづらい。
山内さんが旧知の友人らしい人に選挙案内用はがきの宛名書きを手伝ってもらうのを頼むシーンで、車の中で選挙公報を見ながら主な候補者の解説をする。
元議員だから中身を知ってるだけにその解説はおもしろく、選挙評論家だ。

映画はだからその他の候補者の動きを追ったりするが、「握手をするのは決して効果が上がるとはいえない、というデータがある」という山内さんの解説付きで見ると握手をお願いしまくる候補者には笑いを誘う。
ある候補者は「我々も駅で挨拶するだけじゃなく、政策を訴えたいんですが、公職選挙法上、出来ないんです。制度そのものを変えなければ!」とこの場を借りて主張する。
また「みんなの党」から出馬の候補者は朝の4時から駅頭にたち、他の候補者がいなくなっても行う。

自民党の候補者はかえって冷淡だ。
何しろ前の「選挙」は自民党選挙の大いなるアイロニーになった映画だから、まあ関係者としてはおもしろくないだろう。
それを露骨に言ってきたのは候補者たち。
道で朝の挨拶する運動をしているときに女性のスタッフが笑顔で「あの通行のじゃまですから退いていただけますか?」から始まる。
監督「いやそっちも邪魔でしょ」
スタッフ「撮られたくないもので。もちろん撮られて困ることはしてませんけど」
監督「じゃあ、いいじゃないですか」
スタッフ「でもいやなんです」
監督「選挙活動なんて公的なもので撮られてもかまわないでしょ?」
スタッフ「いやなんです。あなたは人の嫌がることをしているので、社会人としてどうかと」
監督「その点はお詫びします」
スタッフ「そんな謝り方じゃなくて」
監督「じゃあすいません」
スタッフ「じゃあって何ですか!今時小学生だってもっとまともな謝り方しますよ!」
という感じでもめる。

自民党他の候補とももうワンラウンドある。
今度は候補者自身とだが「撮らないでください」
監督「ご要望は承ります」
候補者「だから撮らないでくれって言ってるんだ!」
監督「選挙というのは公的なものですから」
候補者「そういう議論をあなたとする気はない!」
という感じ。

実はこの2、3日前に自民党がTBSの報道に偏りがあるとして自民党幹部による取材拒否が公表された。
TBSは事情説明したらしいが、それで自民党は「謝罪は受け入れた」と言って拒否を解除。ところがTBSは「謝罪したつもりはない」と反論。
具体的にどう報道したのが気になったか詳しく知らないので、私自身はジャッジしないが、それにしても自民党も度量が狭い。
この1件を思いだし、実にタイムリーだと思った。

ラストシーン、投票日前日、山内さんは最後の駅頭演説をする。放射能の恐怖を訴えるために防護服を着てだ。
「私は候補者です。でも私に投票してくださいとは言いません。選挙に投票だけは行ってください」
しかし人通りの少なさもあってか、特に聞く人はいない。
カメラは山内さんから徐々に遠ざかり、妙に寂しげな映像になる。
山さんの孤独、受け入れない人々を表現したかったらしいが、私にはただただ寂しい映像に見えた。

映画の面白かった点を主に書いたけど、実はこの映画2時間半もある。ドキュメンタリーで困ることはカメラがやたら揺れるのだ。それが最近私にはつらくて気分が悪くなる。
「ムネオイズム」もひどかった。
「映画『立候補』」は映画自体が面白かったので、それを忘れさせてくれたけど。
それが2時間半。
映画は町の風景や人々の模様のカットが時々入る。
でも5秒10秒でいいような(と私には思える)カットが30秒、1分もあったりしてやたら長いのだな。
山さん夫婦が選挙公報用のはがきを出しに夜の郵便局に行くシーンがある。そこに息子のゆうき君も連れていくのだが、当然まだ4歳の子供だから退屈してぐずる。
それを延々と(体感時間)10分以上も撮る。いや撮るのはいいのだが、カットしろよ。
こちらは「選挙」の映画を見に来て子供のぐずるシーンは興味ないのだな。
この調子ではこの監督の編集センスについていけない。

今回は初日1回目の舞台挨拶付き。
山内さん一家(ゆうき君も含む。6歳になっていた)と監督。
挨拶の最後で客席から質問があり「持田候補とはその後は?」ということ。私もそれは聞きたかった。
監督「撮影中にも自民党神奈川支部から『肖像権の侵害』ということで弁護士から文書をもらいました。でも知り合いの弁護士に相談したら、『一般の人ではなく公的な人だからこの場合肖像権の侵害にはならない。裁判になっても勝てる』ということでしたので、撮影を続行しました。表現の自由というのはこちらも戦って得なければならないと実感しました」という話。

映画が終わった後、監督、山内さんのサイン会。
監督には「映画が長い」と感想を行ったところ、「そういう声はいただいてます」と言うことだった。
監督のスタイルなのでこちらが否定は出来ないが、ただ次回作を観る気にはなれないとだけ、ここでは書いておこう。



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宇宙怪獣ガメラ


日時 2013年7月5日
場所 DVD
監督 湯浅憲明
製作 昭和55年(1980年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


圭一(前田晃一)は動物とガメラが大好きな小学生。
近所のペットショップのお姉さん(マッハ文朱)とも仲良しで、あんまり亀をかわいがるので、お姉さんは圭一に亀を1匹譲る。圭一はこの亀と会話が出来るのだという。
そんな頃、宇宙の征服者の宇宙人が地球侵略を狙ってギルゲ(工藤啓子)を地球に送り込む。
実はペットショップのお姉さんは平和を愛する宇宙人で、地球の平和を守るためにM88星雲から来ていたのだ。
名前はキララ。マーシャ(小島八重子)とミータン(小松蓉子)という仲間がいた。
ギルゲは地球に怪獣ギャオスを送り込む。ところが圭一の祈りが利いたか、ガメラが登場しギャオスを倒してしまう。
そして怪獣たちを次々に送り込むが、ガメラに倒されていく。

「ガメラ対深海怪獣ジグラ」以来、9年ぶりのガメラシリーズ新作。脚本、監督は高橋ニ三、湯浅憲明コンビは同じ。
しかしこの映画はガメラの新作として数えるのは抵抗あるのだなあ。
怪獣たちとの対決シーンは、すべて今までのガメラシリーズの使い回し。これらの使い回しを前提にしてシナリオが作られて、それをつなぐためにドラマがある。

なんでこんな映画が誕生したかの当時の経緯を考えねばなるまい。
「メカゴジラの逆襲」が終わって怪獣ブームは一旦収束したかに見えた。
しかし「ゴジラ」や「ウルトラマン」を小学生の頃に見た子供たちが70年代後半になって高校生、大学生になり、子供向けではない、そういったある程度の年齢をターゲットにしたムック本(当時まだこの言葉は無かったかも知れない)も発売され、今につながるオタク文化の基礎が形成されつつあった。
そして1977年の「宇宙戦艦ヤマト」の劇場公開の大ヒットから始まるSFアニメブームの始まり(これは「ガンダム」ブームにつながっていく)、78年の「スターウォーズ」公開、翌年の「未知との遭遇」の公開で、この頃はSFブーム真っ盛りだった。

そのブームに乗っかれと出てきたのがこの映画だ。
だから悪い宇宙人の大型宇宙船のデザインは「スターウォーズ」とそっくり、というかパクリ。
さらには(圭一の夢の中で)「宇宙戦艦ヤマト」とガメラが宇宙ですれ違うシーンがあったり、銀河鉄道999も登場する。
キララたちが今で言うコンピュータに当たるようなものに楽器のキーボードを叩くと画面が出たりする。
このキーボードの音もメロディは違うが、「未知との遭遇」の影響を受けてると思う。

そんな訳でブームに便乗して過去映像を使ってでっち上げた映画でどうにも新作というには抵抗がある。
総集編であり、「ザッツ・エンタテインメント」ならぬ「ザッツ・ガメラテインメント」というべき位置づけなのだな、私の中では。

ガメラが宇宙を飛んだりするカットは新撮なのだが、ガメラの首が全く動かず、口がカパカパ開くだけなので、生物というよりハリボテ感満載。
もう企画そのものにため息が出る。

で当時の人気タレントだった元女子プロのマッハ文朱が主役。
この映画は封切りで観てるが、いかにも安易だなあと当時から思っていた。
生意気盛りの高校三年生には耐えられないショボさだったなあ。
今でもその感想は変わらないけど。
でも記憶よりドラマ部分が多かったことには意外だった。
湯浅監督はテレビで「コメットさん」などの子供向け宇宙人場組を作ってたけど、あんな雰囲気。
90分の映画のうち、ドラマ部分は20分ぐらいだと思っていたが、50分はあったと思う。

まあ70年代後半のSFブームが生んだ映画で、当時のSFの流行を感じさせる時代の証言的映画。

あと出演に圭一の母(高田敏江)、当時「少年ジャンプ」で人気だった「こちら亀有公園前派出所」が登場。
警察官役で当時「ペヤングソース焼きそば」のCMで人気だった落語家の桂小益(現・桂文楽)がワンシーン登場。



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