ホワイトハウス・ダウン日時 2013年8月31日18:20〜 場所 新宿バルト9・シアター7 監督 ローランド・エメリッヒ (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 下院議長の警護官をしているジョン・ケイル(チャニング・テイタム)は大統領の警護官の面接を受けるが不採用に。離婚してしまったが、娘エミリーがソイヤー大統領(ジェイミー・フォックス)のファンなのだ。 中東に戦争に行っていた父の撤退命令を出してくれたソイヤー大統領は娘にとってヒーローなのだ。 ジョンとエミリーがホワイトハウスの見学ツアーに参加していると、ホワイトハウスの工事業者を装って進入したテロリストたちによってホワイトハウスは占拠されてしまう。 実行犯のリーダーは大統領警護班のリーダーだった。彼の息子がソイヤー大統領の命じた秘密作戦で戦死したことがきっかけでソイヤー大統領の平和主義に疑問を感じたのだ。 しかしテロリストには黒幕がいて、その真の目的は別のところにあった! 6月に「エンド・オブ・ホワイトハウス」という同じくホワイトハウスを舞台にしたアクション映画があったが、こちらはタイミングが合わなくて観なかった。 でもこちらは嫌いではないローランド・エメリッヒなので観に行った。 一言で言って面白い。 今日、「ザ・タワー」も観たけど最高のアクション映画2本立てとなった。 ホワイトハウスの中を縦横無尽にアクションで駆けめぐる。 途中、大統領専用車で敷地内を駆け巡るアクションなど変化に富んでいる。 また悪役の設定がこれまでは中東のテロリスト、アルカイダなどが多かった気がするが、今度はアメリカ内部のド右翼、平和政策を行おうとする大統領に反発する勢力というのが面白い。 アメリカ映画における悪役も変わっているのですね。 エミリーも自分のi-phoneで犯人たちを撮影してそれをすぐにyoutubeにアップするなんて昔なら考えられなかった展開だなあ。 最後はホワイトハウスを空爆させようとするのだが、このエミリーが大統領旗を振って大統領の健在を知らせる所ではちょっとうるっと来た。 そしてコメディリリーフ的存在だったホワイトハウスのツアーガイドが最後に思わぬ行動に出るのにはちょっとニヤリ。こういう伏線、いいですねえ。 チャニング・テイタムは可もなく不可もなくといった癖のない印象。 最近のアメリカアクション映画にはくどすぎて飽きることも多かったが、この映画はそこまでは行ってない。 エメリッヒの最近の映画では(といって全部観てる訳じゃないけど)面白かったと思う。 今日は良く出来たアクション映画を2本堪能でき、よかった。 (このページのトップへ) ザ・タワー 超高層ビル大火災日時 2013年8月31日15:45〜 場所 シネマート新宿2 監督 キム・ジフン (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 韓国の中心街に立つ108階建てのツインタワー「タワースカイ」。今日はクリスマスイブで、オーナー会長はイベントを計画していた。 そんな中、レストラン街の厨房でぼやが起きる。幸い大事には至らなかったが、換気設備に問題があり、さらにスプリンクラーから水が出ないことが解った。 施設管理のチーフ、デホ(キム・サンギョン)は一人娘のハナ(チョ・ミナ)と過ごす約束だったが、それは果たせそうにない。その代わりにレストラン街の女性マネージャー、ユニ(ソン・イェジン)に相手をしてもらうことに。 その晩、クリスマスイベントが始まった。イベントの目玉はヘリコプターによる雪の散布だった。事前に気流の関係でヘリコプターの飛行中止が当局より出ていたが、会長は持ち前の政治力で強引に実行した。 しかし、ヘリコプターは気流にあおられタワーに激突、火災が発生した! 韓国版「タワーリング・インフェルノ」と言われた本作だが、まったくと言っていいほどひけを取らない。 日本の「海猿」より数倍いい。 なんと言っても設定がいい(というかこちらが普通) 「海猿」だと保安庁の職員(伊藤英明とか佐藤隆太)の恋人が事故にあって、要するに私情が絡む。ところがこの隊長の家族がこの火事に巻き込まれてる訳じゃない。仕事としての使命感で危機に立ち向かっていく。そこがいい。 デホ、ユニ、ハナの3人を中心に宝くじで当たった新しく入居した人、清掃の仕事をしながら息子を大学に行かせる母親などが描かれる。 悪役として威張りくさって自分のことしか考えない議員とその妻が登場する。 彼らが最後に助からずに観客の溜飲を下げるかと思ったら、助かったまま。もちろん人の不幸を祈ることはほめられたことじゃないけど、彼らにはちょっとなにか欲しかったな。 同様に無茶な命令を出したビルのオーナーの最後も欲しかった。 デホたちは消防隊長と合流しながらビルの外にあるゴンドラを使って少し下におり、そこからまたビルへ、70階でつながっている隣の棟へ行こうとするのだが、そのガラス張りの渡り廊下が途中で崩壊!なんとか娘ハナは助かった模様。 しかし火災によりA棟がB棟に向かって崩れ、将棋倒しになる可能性が発覚。A棟を破壊させB棟の崩壊、及び街を守ろうとするがまだA棟には人が残っている。 タワーの給水タンクを爆破して時間を稼ぐが、どのみち救出は出来ていない。 地下の水タンクを爆破して漢江へ通じる排水口に水を流し一挙に川へ流れる作戦。 爆破に向かった消防隊長が途中で爆破のリモコンを落とし、最後は手動で爆破しなければならない。 それで隊長が犠牲になって・・・という展開。 「映画で一番人が感動するのは自己犠牲だ」と言ったは確かジェリー・ブラッカイマーだと思うが、まさにその通り。 火災の迫力、高いビルの迫力も満点で、泣かせ所も多数あり、面白かった。 ただしツインタワーの片方が崩壊するというのは911を連想させ、ちょっと複雑な気持ちになった。 お笑いキャラとか、イケメン若手新人消防士など定番のキャラクターも多数。 面白かった。 (このページのトップへ) 陸軍登戸研究所日時 2013年8月31日10:50〜 場所 ユーロスペース2 監督 楠山忠之 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 戦前の日本陸軍が持っていた新兵器、偽札などの開発製造を行っていた通称「陸軍登戸研究所」のご存命の関係者のインタビューを中心としたドキュメンタリー映画。 3時間もある。 インタビュー中心だから、主人公が行動してそれをカメラが追う、と言った形のドキュメンタリーではない。 前にも「日本鬼子(リーベンクイズ)という同じような証言集のドキュメンタリー映画があったが、(もちろん語られる内容は重要だが)映画としてすごく退屈だった。 誤解を恐れず大胆に言うけど、80歳前後のおじいちゃんおばあちゃんの話である。しかも話の素人だから話がくどかったりで、画的な面白味にはやっぱり欠ける。 製作者たちはものすごく真面目に取り組んでいるから、「せっかくインタビューに応じてくれた方のインタビューを妙に編集してしまうわけにはいかない」とばかりに真面目につないでいくから、(何度も言うけど)3時間の長尺になり、それで結局退屈する。 もう少し大胆に編集し、全体として2時間程度にまとめて欲しかったなと思う。 いやもちろんこの映画の証言の重要性は認める。 私の言うのは「映画としての面白さ」である。 映画は三部に分かれる。 第1部が「登戸研究所の全貌」 第一次大戦後、戦争は科学技術の発達で科学力が重要になってきた。新宿戸山に陸軍は研究所を作ったが、それは後に登戸に移転。(と言っても駅で言えば小田急線生田付近で、その跡地には明治大学生田キャンパスになっている) ドイツから技術提供もあって殺人光線とか殺人電波みたいな研究も行っていたそうだ。 実はこのあたりの話が一番知りたかったのだが、(ほら、日本のSF映画によく出てきたじゃないですか、「電送人間」とか)資料もないのか、現実として実用化がなかったからか、あんまり話は出てこない。ちょっとがっかり。 しかし化学兵器、遅効性の青酸カリの研究をして中国の731部隊や上海の同様の機関で人体実験を行った(つまり殺した)話が出てくる。 怖い。 そして第2部が「風船爆弾」 昭和17年の米軍の本土爆撃の報復としてアメリカ本土攻撃として研究され、そして実用された風船爆弾。 和紙を5枚こんにゃく糊で貼り合わせ(その作業は女学生が行った。1枚が畳一畳ぐらいらしい)、それをつないで直径10mの大きさの気球を作って千葉の太平洋側から飛ばしたという。 風のない日に行い、アメリカに1割ぐらいは到達し、実際に被害を与えることはあったという。 この章の最後で、九州の女学校でこの風船の紙貼りを行った方が1990年代にアメリカで風船爆弾の被害にあって亡くなった方々の慰霊にアメリカまで行った話が出てくる。 「アメリカは原爆を落としたのに謝罪しない。なのに比べ物にならない位少ない人数の被害しか出していない風船爆弾についてなぜ謝罪せねばならんのか?」という声もあった中、慰霊に赴いたのだという。 アメリカの小さな村だったそうだが、向こうの方々は大変歓迎してくれたと言っていた。 このエピソードは心に残る。 第3部は偽札。 最初に「偽札なんて簡単ですよ。写真に撮ってそれを大きく引き延ばして修正してそれをまた縮小して版を作れば簡単だ」という。 もちろん当時の偽札と今とは違うだろうから、今はそうはいかないだろうけど。 しかもその偽札を新札のままだと偽札っぽくなるからくしゃくしゃにして汚しまでしたという。へ〜芸が細かい。 映画「日本列島」に出てきたザンメル印刷機の話は出てこなかった。 中国に行った日本軍が食料等は現地調達が日本軍の基本だから(本国からの輸送はなし)、その偽札で購入していたそうだ。(もちろん武力による略奪もある) そして話はエンディングへ。 では登戸の人々は戦後どうなったか? 実際には戦犯になることもなく、偽札、偽造パスポートに関わった人々は戦後、横須賀の米軍で仕事をしたという。 映画に登場した証言者は「なにをしていたかは言えない。それは墓場まで持っていく話だ」という。 映画の製作者たちは「他の証言では偽造パスポートを作りスパイを送り込むことに関わっていた」と字幕で説明される。 関わった人の中には戦後、本を書き登戸研究所の実態をさらした人もあったという。 その本を書いた人の妻に(その方はその本を書いた方が60代になってから再婚し、もちろん戦争中のことは知らない)製作者が「前に来たときにはご主人の写真が飾ってありましたが、今はありませんね」というと「あっ、主人はね、登戸の本を書く前はいつも怖い顔をしていて書き終わったら柔和な顔になった。今から思うと登戸の本を書くことが重要で、あたしには愛情はくれなかったと思う。だから外した」という。 たまたまその人がそういう男尊女卑な考え方だったからなのか、それとも「登戸」がそうさせたのか、それは映画を観ただけでは解らない。 でもこの話は妙に心に残った。 知ってる話も多かったし、インタビューばかりの映画的な面白さは少ない映画だったから終わったときは「ふー終わった」という気持ちになったが、それにしても観て損はしない映画だった。 (このページのトップへ) 宇宙戦艦ヤマト2199 第七章「そして艦は行く」日時 2013年8月30日21:50〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン3 監督 出渕裕 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) ヤマトはついにイスカンダル付近までやってきた。しかしそれはイスカンダルと対をなすガミラスにやってきたことを意味する。 ヤマトは一気にデスラー総統府に攻め込む。 総統府のビルに体当たりしたとき、デスラーは民を捨て脱出した。そして総統府にガミラス艦隊の一部を落下させることを決意。しかしヤマトがそれを波動砲で撃破し、ヤマトとともにガミラスの民も救った。 そしてデスラー艦も爆破。デスラーを倒す。 イスカンダルについたヤマト。しかしヤマトが波動エンジンを兵器に転用したことに疑問を感じたスターシャは、放射能除去装置、コスモリバースシステムの提供に難色をしめす。 「ヤマト」シリーズもいよいよ最終章。 冒頭、製作者一同からおわびが表示される。 当初、発表された上映時間より短くなっているそうだ。間に合わなくなることが解ってきて、予定よりカットして完成させたってことなのかな? 何度も何度も書いたけど、クライマックスの盛り上げが足らない気がする。これも何度も書いたけど、基本的にテレビシリーズを4話づつつないで上映してるのが基本だから、テレビの30分番組として1本1本を観るとそれぞれの話にクライマックスがあって、それぞれ盛り上がるのかも知れない。 で、相変わらず登場人物が多く、散漫な印象さえ受ける。 前章で「反乱軍に加わった藪たちのその後が気になる」と書いたけど、その後の話はなし。 対デスラー反乱軍とヤマトが共闘するような流れになっていくのかと思ったら、そういうことはなく、藪たちのその後は解らない。 「波動エンジンを兵器に転用した」としてスターシャがご機嫌ナナメになるのだが、あっ、そうだったの? 波動エンジンと波動砲はセットで技術供与されたのだと思っていた。でもスターシャはどうにか機嫌を直してくれてコスモリバースシステムは提供される。 しかし地球に向かう途中でまさかのデスラー艦の報復! デスラーは生きていたのだ! しつこいなあ。 まあ最後の最後まで一戦がなければ盛り上がらないという気持ちも解るけど、ちょっと飽きた。 ヤマトにロボット兵団が進入する白兵戦もあったりして何とか再びデスラーを倒す。 で、コスモリバースシステムの中枢は古代守(古代の兄)の記憶だったりしてなんだかよく解らないシステムだが、森雪の再生にそのパワーを使ってしまう。 そしてヤマトの名シーンの一つ、沖田艦長の臨終のシーン。ここはちゃんとリメイクされていてほっとする。 その直後、コスモリバースシステムは再起動する。 となると沖田艦長の魂が再起動させたのかなあ。 2012年4月から始まった1年以上に渡るヤマトの航海もついに終了。 最初は忠実なリメイクかと思ったら、どんどん新しい登場人物が出てくるし設定も変わりついていけない部分も多かった。 全体の印象として登場人物が増えた分、人物の描写が散漫になった気がする。島大介なんて最終章でもせりふが3つ4つしかなかったぞ。島大介ファンはがっかりしてないだろうか。 個人的には保安部の青年がもうちょっと見たかった気もする。 しかし登場人物の散漫な感じは時間が足りない訳ではあるまい。これだけの物語だと様々な視点からドラマを作って描きたくなるのはよく解るが、なかなか難しい物である。 とにかく無事に最終章まで観ることが出来、満足している。 (このページのトップへ) 博徒七人日時 2013年8月27日20:45〜 場所 シネマヴェーラ渋谷 監督 小沢茂弘 製作 昭和41年(1966年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 柏木半次郎(鶴田浩二)は片目だが、喧嘩には滅法強い。今日も過去の喧嘩の敵討ちがやってきたが返り討ちにしてしまう。 その助っ人だった鉄砲松(藤山寛美)は片腕だが鉄砲の名人。半次郎の男っぷりに惚れて敵討ちの助っ人はやめにする。「二人で組もう」と松が半次郎を誘っているところにお澄(桜町弘子)がやってきて用心棒をして欲しいという。報酬はないので、お澄は母の形見という指輪を半次郎に渡す。お澄と別れた後、沖の島の井戸政の使いがやってきて用心棒をして欲しいという。 こちらは金を積んできたので、二人はそっちに転ぶことに。 沖の島に向かう船で島の酔っぱらいの医者(西村晃)、片足が義足だが怪力の一貫(山本麟一)、全盲だが吹き矢の達人の勝(待田京介)も乗り込んできた。 二人とも井戸政(金子信雄)に雇われた殺し屋だった。 井戸政は沖の島の石切場を争っている石兼の用心棒、顔に大やけどのある安(大木実)を殺して欲しいという。 お澄は石兼の娘だった。 登場する喧嘩の達人が全員身体障害者、という不思議な設定の映画。 聞くところによると「登場人物に個性を持たせるために手っとり早く障害者にした」ということらしい。 そういう事情によりソフト化は無理らしい。 どういうことだろう。障害者を見せ物にしている、ということなのかな。 でもこの映画がだめなら「座頭市」もだめなような気がするが。 少なくとも障害者をおとしめているとか笑い物にするような視点は感じられない。 登場人物たちも「相手が障害者だから」「自分は障害者だから」という視点での行動はない。 強いて言えば井戸政が「てめーらあんなカタワに負けて悔しくねーのか」と言うぐらいかなあ。 お話の方は東映やくざにありがちな「悪い親分といい親分がいて、主人公がその争いに巻き込まれ、最後に悪い親分は叩きのめされる」という大筋は一緒。 よくもまあ同じような話ばかり作れるもんだ、とも思うがだからこそ設定などに変化を持たせる必要もあったのだろう。 以前私は「こういう映画はディテールを楽しむべきで、お話が一緒と言ってはいけない」と書いたことがあったが、その通りだな、と思う。 この後、せむし男でノミ投げの名人、弥吉(小松方正)、おしでつんぼだが鎖使いの名人、五郎(山城新伍)が登場する。 結局7人がまとまって金子信雄を倒す、という展開ではなく、鶴田と大木は結局、金子信雄の策略に引っかかって喧嘩になり、大木は死ぬ。 一度は金子に雇われた小松方正と山城新伍だったが、山城は死に、鶴田、小松、山本、待田、藤山の5人で金子たちを倒す。 お話の方はいつもの東映やくざものと同様で、特にどうということはないけど、なんと言っても登場人物の見た目のキャラクターが強烈で、すごい映画だったなあ、としかいいようがない。 (このページのトップへ) ただの友達?日時 2013年8月26日21:30〜 場所 シネマート新宿2 監督 キム=ジョ・グンス 製作 2009年(平成21年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) Gショートムービーセレクションと称して韓国のゲイの監督キム=ジョ・グンスの短編3本の公開。 上映は「少年、少年に会う」「愛は100℃」「ただの友達?」の順だが、製作は「少年、少年に会う」(2008年)、「ただの友達?」(2009年)、「愛は100℃」(2010年)の順。 キム=ジョ・グンスはプロデューサーとしての仕事の方が多いようだ。 「少年、少年に会う」(14分 2008年) ミンス(キム・ヘソン)はバスの中でかっこいい少年、ソク(イ・ヒョンジュン)と出会う。 ミンスはカメラのフィルムをケースごと落とし、それがバスの振動で行ったり来たり。 このミンスのドキドキ感はたまらない。 そのフィルムを拾ってくれた彼。ふれあう手と手。 バスを降りるミンス。彼がついてきてくれないかとしばらくしてから振り返る。 このあたりで何故かきゃりーぱみゅぱみゅ、みたいな女性が現れて一曲歌うミュージックビデオが挿入される。 曲の趣味が私とはあわない。 彼はいなかったのでがっかりしていると、目の前にその彼! 驚くミンス。 実はミンスは学校のいじめっ子にいじめられてカメラをなくしたことがあった。彼、ソクはそれを見ていて、カメラを届けに逆にミンスを探していた、というオチ。 とにかくミンス役のキム・ヘソンが美少年。 映画のスチルでこの少年を見て、その美少年ぶりを映画で見たくて観たようなもの。 撮影時14歳ぐらいの中学生かと思ったら、ネットで年齢を調べたら20歳だったらしい。 このキム・ヘソンの他の映画もちょっと興味が出てきた。 「愛は100℃」(22分 2010年) ミンス(キム・ドジン)は耳が聞こえない障害者。ある日銭湯に行ったらそこであかすりの仕事をする男(クァク・ジェウォン)と出会う。 冒頭、クラスメートのちょっと乳首が見える程度の写真を見ながらミンスはオナニーをしている。 兄弟で銭湯に行く。でも弟は最近生意気で自分をバカにし、今日も途中で彼女とデートに行ってしまう。 そこであかすりの男に「ただでいいよ、暇だから」と言われてあかすりをしてもらっていると彼はパンツの中で勃起している!そしてついにサウナでしゃぶられる。 途中、最初のクラスメートにトイレで「いいだろ?」とスマホの画面を見せられる。ここがモザイクがかかってしまってよく分からない。でもたぶん男女の絡みの動画なんだろうな。ここでミンスは友達は「やっぱりノンケなんだなあ」と寂しさを覚える。 ラスト、またまた銭湯に行ってみると例のあかすりの男が客からボコられてる。 「ホモは気持ち悪いんだよ!この店はホモ雇うのか?店長を出せ!」 そうですね、世間ではホモはまだまだ気持ち悪いものという認識です。日本以上に韓国はまだまだ閉鎖的だそうだ。 ちょっと寂しいラストです。 ミンスと目があった時のあかすり青年の寂しそうな目が貯まらなく寂しい。 「ただの友達?」(29分 2009年) ソク(イ・ジェフン)は兵役に行っている恋人、ミンス(ヨン・ウジン)に会いに行くために彼の部隊のある街へ。 久々の再会を楽しんでいると、そこへミンスの母親もやってきてしまう。 ソクはやや中性的な雰囲気でミンスは兵隊の男らしさの中にも愛嬌のある感じ。 冒頭、部隊のある街に向かうバスの中で隣に座った同じく兵役中の恋人に会いにいく女の子とお互いのケーキをみせあったりしてオネエ度全開のソク。 面会の申し込みでも「面会者の関係」の欄につい、「恋人」と書いてしまって、書き直そうとして用紙をもらおうとするが断られるのが面白い。 ミンスの母親がやってきてソクのことを「友達」としか紹介できないのがゲイのもどかしいところ。 部隊の町の旅館に泊まるミンスと母親、ソク。 翌日、町を観光してくると母親がいなくなった所で二人に気になったミンスとソクはお互いを求めあう。 ところがそこへ財布を忘れた母親が帰ってきてしまう。 母親は動揺するが、なにもなかったように部屋を出ていく。 今度はミンスが休暇の時にソウルのソクを訪ねる。 二人でデート。繁華街でのキスシーンが美しい。 自分も徴兵に応じるというソク。 クレジットのエンディングで今度はミンスが軍隊に入ったソクを訪ねるが、そこへソクの母親がやってくる、というオチ。 あとソクが最初のバスで出会った女の子の彼が実はゲイでつき合えなくなったというエピソードがあるけど、ちょっと唐突。 今度は長編映画でキム=ジョ・グンスのゲイ映画を観たいと思う。 短編だとどうにも消化不良感が残った。 (このページのトップへ) テイク・イット・イージー日時 2013年8月25日20:00〜 場所 神保町シアター 監督 大森一樹 製作 昭和61年(1986年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) ニューヨーク公演も決まって意気揚々としていた民川裕司(吉川晃司)だったが、アメリカのコーディネーターから「まだ世界で通用するレベルではない」という理由でキャンセルになった。 急にスケジュールが空いた民川は、アパートの大家の娘(つみきみほ)の「北へ行くとバイク事故で死ぬ」という夢の直感を無視して北海道でバイク旅行に出かける。 民川はたまたま立ち寄った牧場で仲根(上杉祥三)という元ボクサーの青年と知り合う。かつては全試合KOボクサーだったが、最後の試合でKO負けとなり引退した。 しかし再起を伺っているという。 彼に連れられて街に出た民川だが、ライブハウスでモダンジャズを演奏する氷室真弓(名取裕子)という女性を知る。彼女はさらにホテルのバーでピアノの弾き語りもこなす才人だった。それだけではない、昼間はガラス細工の作品を作る芸術家でもあった。 そんな彼女の才能は東京でも、いや世界中にも通用すると思う民川だったが、この街の住民たちは彼女が街を出ていくことを望まない。 それは街のボスの青井(黒沢年男)の意向でもあった。 封切りの時以来だから27年ぶりの鑑賞。 1年に1本の鑑賞ペースだった訳だが、今回は3週で3本見た。 この映画は民川裕司がサイドカー付きオートバイに乗っていたこと、寺尾聰が警官だったこと、まるで面白くなかったしか覚えていなかったが、今回見直して記憶の通りだった。 話がまるで進展しないのだ。 民川祐司は相変わらずスターになっても現状に疑問を感じる。 で、北海道に旅に出て、今度は夢やぶれた人々や再挑戦しようとする人、夢やぶれるくらいなら最初から挑戦したいほうがいいという人が登場する。 お話の基本は真弓の才能も女性としての魅力も感じる民川が彼女を外の世界に連れだそうとするが、本人もいやがり、周りの若いものもいやがり、街のボスもいやがるというすべてが敵になる。 それで邪魔されても邪魔されても祐司は連れだそうとするということで話が全く前に進まない。 終いには青井は銃を撃ち、ヘリコプターで登場するという無茶ぶり。 で、寺尾聰の警官が仲裁して収まるということで終了。 街から出る出ないだけで1時間40分以上はきつい。 もう少し話に展開が欲しかった。 真弓のいる街のライブハウスのある通りが西部劇風でもあり、煉瓦作りの建物に装飾をしたロケセット。 日活無国籍アクションを彷彿とさせ、監督の趣味全開。 この街が作りものめいたファンタジックであるなら全編それなら納得がいくが、途中真弓が路面電車やバスに乗る。 そこが随分日常になってしまい、統一感が無くて私は戸惑った。 あと「ユー・ガッタ・チャンス」の時も思ったけどギャグが面白くない。 つみきみほって女の子、ボーイッシュな魅力でいっぱいだが、その後それほどブレイクしなかったように記憶する。 いろいろと文句ばかり書いたけど、魅力が無いわけではない。 先に書いた真弓が市電とバスを乗り継いで民川から逃げるシーンなど、民川が市電を走って追いかけたり、バスの窓から乗り込むシーンなど、アクションスターとしての素質十分だ。 また街のチンピラに山の中に置いてきぼりにされ、川を下り滝に飛び込むシーンなども見応え十分。 吉川晃司にアクションスターとしての活躍する映画を作って欲しかったな。 その素質は十分にあったと思うから。 (このページのトップへ) マジック・マイク日時 2013年8月25日16:55〜 場所 シネスイッチ銀座2 監督 スティーヴン・ソダーバーグ (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) マイク(チャニング・テイタム)は屋根葺きや車の洗車事業の傍ら、週末では男性ストリップを売りものとするショーパブで「マジック・マイク」として売れっ子スターだった。 ある日屋根葺きの仕事で助手についたアダム(アレックス・ベティファー)は仕事は出来なかったが、夜偶然出会ったことで、マイクは自分のショーパブに連れていく。 たまたまストリッパーの一人が飲みすぎでダウンしてしまい、急遽アダムをステージに立たせてみた。素人ながら客に受けたアダム。鍛えれば使えると思ったバーのオーナーのダラス(マシュー・マコノヒー)とマイクはアダムを雇うことに。 アダムの姉・ブルック(コディ・ホーン)は医療事務の仕事をしている堅実な女性だった。弟が男性ストリッパーになったと知り、ショックを受けたが今まで無職でやる気の無かった弟が自分から進んでやっていることなので認めることにし、マイクに弟を託す。 アダムは売れっ子になっていったが、メンバーの一人と組んで薬の密売を始めた。 ある日、マイクとアダムは大学の寮のパーティに出張ストリップに行く。しかしそこで薬を売ろうとして男子学生とトラブルになり、アダムは大量の薬を置いていってしまう。 主役のチャニング・テイタムは実際にハリウッドスターになる前は男性ストリッパーをしていたこともあるという実話を基に映画を作ったそうだ。 だからマイクかアダムが最後にはハリウッド進出するとか、もしくはアメリカンドリーム・ストーリーとしてマイクの夢である家具の製造会社で成功する話だと思っていたら大違い。 アダムが薬を無くして薬の売人から1万ドルが取り立てられ、仕方なくマイクが立て替える。 それで「弟になんてことしてくれた!」とそれまで進行気味だったアダムとブルックの仲は終わりになってしまう。 でもマイクはマイアミ進出が決まったダラスとは別れ、ブルックとの仲を取り戻すようにする。 で、二人は仲直りしてキスして終わり。 なんだよ、それ? ずいぶん小さくまとまって終わりだなあ。 サクセスストーリーとして大きな成功をつかむのかと思ったら、真面目な女性と結婚、という実に小さな夢で終わる。 正直見に来ているお客さんは女性層が多く、映画中で男性ストリップを見に来ている方々と同じような動機で見ているのだろう。 そうするとそういう女性は「大きなサクセスストーリー」より「身近な幸せ」を優先する男性の方が魅力的なのだろうか? 男性ストリップの世界の思いがけなかったあれこれ、という情報番組的な面白さもなく、主人公は小さくまとまり、期待した要素はまるで無かったというのが本音。 (このページのトップへ) 僕色のくちづけ日時 2013年8月24日12:30〜 場所 光音座1 監督 田中康文 野口タカシ(デキヒ)は新宿2丁目のゲイバーで週に数日働くガチムチ体型の青年。しかしパチスロにはまって金欠がち。家賃も3ヶ月溜めている。 そんな彼のアパートの隣の部屋に相田ノリフミ(久保田泰也〜ひろなり)という美大生が引っ越してきた。 恋人っぽい男性が引っ越しを手伝っている。 数日後、ノリフミの部屋をエリートサラリーマン風の本田邦雄(岡田智宏)が訪ねてくる。邦雄とノリフミの間にはなにかありそうだ。 ある日、タカシが部屋に帰ってくると、大家から「いとこが待ってるわよ」と邦雄を紹介される。話を聞けばノリフミの部屋の前で彼の帰りを待っていると、大家から「どちらをお待ち?」と聞かれ、つい「野口さん」と言ってしまったのだという。 年に2本のゲイピンクの新作。 事前に劇場にポスターが張ってあって、これがガチムチ体型の二人が上半身裸で立っている画像。 短髪、髭、マッチョという今までゲイピンクに登場したことがなかったが、実は需要が結構ある(と思われる)ジャンルが主役。 ポスターのガチムチマッチョ二人が主役かと思ったら、実はポスターと映画の内容は異なっていて、タカシは主役だけと、もう一人の祐一(山槇ドー)は2シーンほどの絡み担当で、ストーリーとしては脇役だ。 ガチムチがタイプの方はたまらないだろうけど、ガチムチが苦手な方はポスターを見たらちょっと引く。 が、映画を見ると美少年的なノリフミと邦雄のカップルがいい。 ノリフミ役の久保田泰也は美形、というのとはちょっと違うが、子犬タイプの愛嬌のある表情で、以前別のピンク映画に出たときからちょっと注目していた。 弟キャラとして実によかったと思う。 今回、ガチムチカップルばかりの話だとちょっとビジュアル的に飽きてしまったと思うが、久保田泰也=岡田智宏の普通の(従来の)ラブストーリーカップルが出たことで映画の幅が広がり、よかったと思う。 話の方は実は邦雄とノリフミは以前つきあっていて、ノリフミの方から一方的に別れを告げてきたのだという。 別れたくない邦雄はタカシに頼み込んで、時々部屋に入れてもらってノリフミの気配を感じたいのだという。 家賃を払ってもらうことを条件にだされ、タカシは承知する。 ところが邦雄が来てることを知ったノリフミは自分に好意を持っている、引っ越しを手伝ってくれた男(竹本泰志)を部屋に連れ込んでセックスする。(ノリフミが音をきかせようとしているのか壁にもたれ掛かるような体勢でのセックスがいい) その音に興奮してしまった邦雄はつい手を出してきたタカシにしゃぶらせてしまう。 そしてアメリカに転勤になる邦雄に、生活を変えたいと思っていたタカシはついていこうとするのだが・・・ という展開。 邦雄のストーカー的愛情、たまらないなあ。 そうだよねえ。 結局実はノリフミが別れたのは本田の妻から「子供が出来るので別れてほしい」と言われ、自分から身を引いたのだという。セックスの音を聞かせたのも邦雄に諦めさせるためだったとも。 妊娠の話は本田の妻の作り話。 お互いの本当の気持ちを知った二人はやり直すことに。 この邦雄とノリフミの再会のキスは実に情熱的でよかった。 もう一人のガチムチの祐一は最初と最後にタカシの相手役として登場。恋人になっていくのか、ただの遊び相手で終わるのか微妙な感じ。 主役のデキヒは名前からして「どこの国の方?」と思ってしまうが、本名はヒデキ。歌などのパフォーマンスもしていて、そのときの名前が「デキヒ」なのだそうで。 岡田智宏は「せつないかもしれない」では髪型がサラリーマンっぽくなくていまいちだったが、今回は短くしてサラリーマンらしいルックスで登場。 久保田泰也はそのいたずらっ子っぽい表情が生かされるキャラクターで実によかった。 この二人のカップルはまた見てみたいと思う。 よかった。 (このページのトップへ) ユー・ガッタ・チャンス日時 2013年8月17日20:00〜 場所 神保町シアター 監督 大森一樹 製作 昭和60年(1985年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 民川裕司(吉川晃司)は今や大スターだった。 コンサートも大入りでホテルの周りはファンでいっぱい。腕時計のCMも決まり、順風満帆だった。 しかしそれは裕司にとっては窮屈な日々でもあった。自由に外出も出来ない、人との交際も制限される。 そんな中でCMの撮影を通じて知り合った映画監督の合田(原田芳雄)は実に魅力的だった。かつてはニューヨーク映画祭でグランプリを獲得したが、その後映画製作の機会に恵まれない。しかしそれは裕司には妥協を揺るさぬ強さに見えた。 再び裕司は合田に会いたいと思ったが、彼は失踪した。 彼の行方を追っているうちにニューヨークからやってきた夕子(浅野ゆう子)という女性と知り合う。 合田はどうやら非合法カジノとつきあいがあったようだ。 裕司は合田を追ううちに神戸公演に間に合わなくなりそうになる。 大森一樹監督の民川祐司シリーズ第2弾。 冒頭、時計のCMが出てくるのだが、それが007の冒頭のライフルマークのカットから始まり、彼の映画趣味炸裂。 途中カジノに行き、真っ白のタキシードに着替え、その後カジノのオーナーのクルーザーに乗り、ボートでおろされるのだが、こういったタキシード姿で似合わない場所に残されるというのはなんだか007みたいだ。 他にも合田を探すシーンの前半で、不良風の路上パフォーマンスグループと追いかけっこをするのだが、これがなんだか「ウエストサイド物語」風。 こういう映画のパロディもやりすぎるとなんだか(私は)しらける。(面白い時もあるけど) で、神戸に新幹線で到着し(どうやら無賃乗車らしいが)駅から会場まで走っていくのにマスコミと追っかけっこになる。 神戸の異人館街をマスコミと走るのだが、無駄に豪華にドタバタが繰り広げられる。 どうもこのシーンはマスコミが裕司の行く手をじゃましてるようにしか思えない。 マスコミが邪魔する理由はないような気がするのだが、どうだろう。 そしてカジノのオーナーが佐藤蛾次郎、阿藤海、あぱっちけんとお笑いになってる。 全編を通じてユーモアをちりばめているのだが、大森一樹のユーモアというのはどうにも僕には会わないらしく笑えない。 そういえば「ゴジラ」シリーズの時も同じように思ったことがあった。 大森一樹と私はどうもあわない気がしてきた。 結局、合田は裕司があこがれたような人物ではなく、単なるほら吹きだった思えてくる。 裕司も神戸の件が問題になって謹慎。ここでなぜか宍戸錠が前作に続き登場し、裕司のやる気を引き出す。 そして合田も浅野ゆう子の力を借りてやり直そうというエンディングで終わる。 それにしても吉川晃司の身体能力は高い。 神戸でマスコミから逃げまくるシーンのアクションは目を見張るし(新神戸駅の改札をひょいと飛び越えるなどなど)、合田との再会シーンは廃墟になったホテルが登場するが、この廃墟の屋根の骨をヒョイヒョイと渡ってくところも素晴らしい。 どうせなら彼の身体能力を生かしたアクション映画を作ってほしかったな、と思う。 松田優作以上のアクションスターになれたかも知れないが、まあそれは事務所の方針とは違っていたろうから、無いものねだりかな。 (このページのトップへ) 夏休みの地図日時 2013年8月17日17:10〜 場所 渋谷TOEI1 監督 深作健太 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 広島に住む小学校5年生の田辺健斗(本屋敷健太)は夏休みの宿題、「街の地図を描くこと」に困っていた。 彼の父親(山本太郎)は定職にはつかず、儲からない発明品を作って家計は母親(奥菜恵)が支えていた。 健斗は友人たちと山に行ってみるとそこには浮浪者(宮地大介)がいて、6年生たちが彼に石をぶつけている。 やがて健斗は地図を描くために自分の街のことを色んな人に聞いて回っていく。 広島の人々が作ったいわゆるご当地映画。 一言でいえば昔の日活児童映画みたいな感じ。 監督は深作健太。 広島が舞台だとどうしても原爆がモチーフになりそうだが、この映画は必ずしも原爆がテーマではない。 いやもちろん原爆もこの街にとって大きな要素ではあるし、重要なパートを占めているがそれだけではなく、「変わりゆく街」が中心だ。 しかし4月に東京から転校してきた女の子(健斗はその子に想いを寄せている)と同級生たちの冒険談になるかと思ったらそっちの方には話はあまりいかず、同級生たちの個性も生かしきれなかった気もする。 6年生たちが石を投げた浮浪者(やがてガラクタマンとあだ名を付けられる)が「石を投げてきたガキ」として健斗を殴りかかってきて、それを父親が止める。 ガラクタマンは父親を殴るが、父は殴り返さない。 そのことを夕飯の時に「殴り返せばよかったのか?やったらやり返すでは永遠に止まらない」と諭す。 こういういい台詞もあるのだが、やや唐突。 転校生の子が「実は私は東京からじゃなくて福島から転校してきた」と告白する。 いきなり311出されてもなあ。 もちろん言いたいことはわかるのだが、なんだか唐突。 また父親も同じように小学校の頃に宿題で地図を描いた話がでてきて、「自分の街はなくなった」と再開発のため更地になった自分の家のあったところにやってくる。 「開発は悪いことじゃない。街が便利になったらそれでええ」と言う。 これもちょっと唐突。 さらにガラクタマンは練炭自殺を計るが、健太たちの活躍で助かる。 この浮浪者もかつては真面目な女房子供もいるサラリーマンだったようだが、何かの原因で浮浪者になった。 そういう他人の境遇を理解することは需要だと思う。 でもなんか話にうまく溶け込んでいない感が残る。 「地図を通して故郷を知る」というテーマはいいと思うのだが、作者に言いたいことがありすぎて、それを無理矢理詰め込んだ感が否めない。 いい映画だとは思うし、主張にも賛同するのですが、どうにもまとまりが悪かった感じが残る。 そして後半、健斗は地図を作るために街の人々に話を聞いていく。 原爆の被爆者、マツダの工場(3輪トラックが懐かしい)、お好み焼き屋(なぜ店名に「〜ちゃん」が多いかが語られる)、街のカメラ屋さん、商店街の人々。 ここは役者が演じるのではなく、実際に街の人々にインタビューをするのをつないでいる。 この辺のドラマとドキュメンタリーの合体感は「僕たちは世界を変えることができない」を思いだし、深作健太らしいなあと思う。 今日は初日舞台挨拶付き。 登壇者は深作健太、本屋敷健太、有本唯良(健斗の妹)、山本太郎、奥菜恵、宮地大介。 女性司会者が「広島と言えば『仁義なき戦い』の舞台ですが」と話を始めたが、いい加減、健太監督のことを「深作欣二の息子」というくくりでみるのは止めましょうよ。 もう彼は深作健太という一人前の監督ですから。 (このページのトップへ) ジュラシック・パーク日時 2013年8月13日 場所 Bru-ray 監督 スティーヴン・スピルバーグ 製作 1993年(平成5年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 大富豪のハモンド(リチャード・アッテンボロー)は南の島に密かに新しい「動物園」を完成させつつあった。 保険会社や投資家の要請で、外部の権威からの意見を聞くように言われ、恐竜研究の第一人者、グラント博士(サム・ニール)、同じく古代植物の権威、エリー(ローラ・ダーン)、カオス理論の数学者、マルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)らをその島に招く。 詳しいことは聞かせれていなかったグラントたちだが、そこには驚異としか言いようのない世界が繰り広げられていた。 そう、ハモンドの研究チームは恐竜を現代によみがえらせていたのだ!! 「パシフィック・リム」を観て、アメリカ製の怪獣映画が観たくなった。正直、エメリッヒの「ゴジラ」に代表されるようにどうにもアメリカ映画の怪獣は恐竜になってしまう。ならば恐竜映画の決定版と言えば、もうこの「ジュラシック・パーク」だ。 封切り以来20年ぶりの鑑賞。 正直、面白かった。私としては「パシフィック・リム」より面白い。 見直してみると実にホラーなのだな。 ホラーって言葉が適当かどうか迷うところだが、恐竜が登場するのに、いきなり登場せず、じりっじりっと登場するのがよい。 最初に驚く人間の顔、つまり恐竜に対してのリアクションを写し、そして恐竜登場、または恐竜の足音の振動をコップの水や、水たまりの水で表現、そして恐竜登場とか、足跡だけで恐竜の予感をさせるとか、そういう「実体を出さずにその気配だけで恐怖を感じさせる」という手法が実に多い。 これはもうホラー映画の定番の手法だ。 そしてシステム担当者が金に困ってこの「ジュラシック・パーク」の警備システムをダウンさせ、その隙に恐竜復元の元となる琥珀を盗み出す。 そのために恐竜たちが自由に暴れ出すという展開。 このシステム担当者がデブのオタクで「いかにも」という奴だが、彼が逃げだそうとするが自分で電源を切ったために島は停電、しかも真っ暗、嵐という状況で島の中で道に迷ってしまう。 そこへ小型恐竜がやってきて、という展開になるのだが、この小型恐竜がぜんぜん去ってくれない。 襲いそうでなかなか襲わないというあたりが実に観客をじらして怖い怖い。 悪い奴なんだからささっと食われちまえばいいのに!という気分にはならずにハラハラさせられっぱなし。 そんな中でも草食恐竜が現れるシーンはほっとさせらる。 これでもかこれでもかと恐竜に襲われる恐怖を描く。 これはもう「ジョーズ」と同じサスペンスだ。 そして特撮。 CGとの合成だろうが、まったくCG感がないのだな。 今から20年も前の映画なのだが、今観ても全く違和感がない。 恐竜の質感は今でも十分感じるし、なにより小型恐竜の群とグラント博士たちがすれ違うシーンなど、手前と奥でししか合成できなかった今までの特撮カットと違い、すばらしいと観た当時も思ったし、それは今観ても変わらなかった。 マルコム博士が意外に活躍が少なかったのが残念。 でも「ディズニーランドも最初はトラブル続きだった」と言うハモンドに「しかしカリブの海賊は人を食わん」と返すのは名台詞。 スピルバーグの代表作の一つと改めて認識した1本。 面白かった。 (このページのトップへ) すかんぴんウォーク日時 2013年8月11日20:00〜 場所 神保町シアター 監督 大森一樹 製作 昭和59年(1984年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 民川裕司(吉川晃司)は広島から泳いで無一文で上京してきた。といっても途中までヨットに乗せてもらって、最後は泳いで晴海埠頭についたわけだが。 靴を手に入れ履歴書を買い、おかしなマスターのいる六本木の喫茶店で働くことに。住処はバイト仲間の貝塚吉夫(山田辰夫)のアパートだ。 裕司は広島の高校で演劇をしていたが、田舎の演劇に飽きたらず、演劇志望で東京に出てきたのだ。 吉夫は演歌歌手として勉強してきたが、今はポップス志望。でもまだまだ目が出そうにない。喫茶店のマスター(蟹江敬三)はもとはテニスプレーヤーだったが、今は断念、店のウエイトレス(高瀬春奈)は以前はバレリーナだったが今じゃ太って見る影もない。 そんな中、シャンプーのCMで一時は大人気だった亜美(鹿取洋子)がやってきた。その後亜美から芝居を見に誘われる裕司だったが。 1984年、たのきん、シブがき隊とジャニーズのグループが芸能界を席巻している時、老舗の渡辺プロから若手大型新人として登場したのが吉川晃司だ。 「元水球の選手」というのが売りの一つで、どっちかというと小柄でかわいいらしさが「売り」だったジャニーズに比べ、背も高く手足も長く、体つきもいい、ジャニーズとは違う男らしさ、というかワイルドさも兼ね備えたアイドルという概念には収まらない存在としてデビューした。 デビューに際し、当時若手注目監督だった大森一樹に主演映画を撮らせるという力のいれよう。 もっとも当時、前年夏のたのきんの「嵐を呼ぶ男」が思ったほどの成績をあげられず、次の田原俊彦主演の「LOV愛NG」も振るわず、東宝としてはたのきんに次ぐ主演スターを欲していたという事情もあったかも知れない。 正直吉川晃司の当時の私の印象は確かに体つきはかっこいいが、顔はイマイチという印象だった。 (たくましい体をアピールするために水着姿が多かった記憶がある) ちょっと顔に甘さがないな、という感じ。 約30年ぶりにこの映画を再見したわけだが、今見ると意外に幼い。ほっぺもまだ少しふっくらとして、ワイルドさというより幼さ、素人っぽさの方が目立つ。 映画の方はこの他にも平田満のメルビルを崇拝する元映画監督くずれとか、とにかく夢を追って破れた人々が登場する。 とにかくこれからスターになろうとする話ではなく、「芸能界なんて止めた方がいいよ」と言われてるようなエピソードが続く。 亜美は「ロマンポルノに出て脱いで女優として成功しよう」と言われる。今もこの手法は変わらない。 ロマンポルノからエロチックなVシネもどきの映画になっただけだ。 裕司たちはサウナで知り合った怪しい男(彼もボクサー崩れ)を手伝ってバイト、そして彼の持つライブハウスに出入りするが、そこで演奏しているバンドが下手くそだから、裕司と民夫がステージに出て演奏して客は大受け。 そこからバンドとして活躍し始め、裕司の方はスカウトされ、事務所が用意したメンバーとバンドを始めるが、今時ちょっと古くさいようなロックバンド。 事務所の社長(大門正明)と意見が合わなくなって裕司は抜けて一人で宍戸錠演じるおやじのヨットの修理所のようなところで住み込みで働きながら、一人で曲作りを始める。 一方民夫は毒舌で売る妙なバンドでそこそこ成功していた。 そして裕司は出来た曲をレコード会社に送り、採用され、第2のデビューとなる。 その曲が「モニカ」(映画中では「THANKS」) 亜美と再会する裕司。そして初めての女性経験をして・・・ こんな感じで話は進む。 芸能界の裏ネタで話は進み、よく新人歌手デビュー映画でこんなどろどろした話が出来たなあと思うけど、まあこの程度の内幕なら週刊誌をまめに読んでいればみんな知っている程度のこと。 その前のジャニーズ映画での芸能界デビュー話ではきれいごとすぎるから対抗していいという判断があったのだろうか? でも正直長い。平田満のエピソードとかそんなに夢やぶれた人を出さなくてもいいだろ、って気になる。 大門正明のところでのデビューがあってうまく行かなくて、第2のデビューでうまくいきかけるが、民夫に昔のことをいろいろ暴露されて窮地に陥る、とか2度失敗する事はないと思う。 映画は再び裕司が再起する為にステージに向かうバックヤードで終わるのだが、大門正明のところでのデビューはいらないんじゃないかあ。やたら長くなってしまう。 で、吉川晃司はアイドルっていうほど行儀よくないし、アーティストというにはアイドル色が強いということで、どっちつかずで、もう一つ勢いがなかった気がする。 映画の方はこの後2本続く。 こちらも再見したい。 (このページのトップへ) ラテンボーイズ・ゴー・トゥー・ヘル日時 2013年8月11日16:20〜 場所 光音座1 監督 エラ・トロヤーノ 製作 1997年(平成9年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) ニューヨーク郊外にジャスティンは母親と住んでいた。そこへシカゴに住んでいたいとこのエンジェルがやってくる。子供の頃にあって以来の二人だったが、ゲイのジャスティンはエンジェルを意識するようになる。 ジャスティンはゲイとは言ってもまだまだ未経験だ。 一方ゲイモデルのカルロスはブラウリオと付き合っていたが、彼の束縛にちょっと嫌気がさしていた。 クラブに踊りにいったジャスティンは、偶然来ていたカルロスにトイレで声をかけられる。 「したいんだろう?」 振り切ったジャスティンだったが、ブラウリオに「俺の恋人に色目を使うな!」と喧嘩を売られてしまう。 この街に来たばかりのエンジェルは、ジャスティンにクラブにつれていくよう頼む。そこでエンジェルはカルロスたちの友達の女アンドレアと知り合う。 ジャスティンはエンジェルの行動にいらいらしっぱばしだ。 なんかよくわからないけどアメリカのゲイ映画。 ラテン系の人ばかり登場するので、てっきりアメリカ以外の国の話かと思っていたら、エンパイヤステートビルが夜景でちらっと写ったので、ニューヨークだ。 ラテン系社会の話らしい。 ジャスティンは美少年の顔立ちで、主役の華がある。 しかし上半身裸になったら体がぽよっとしていてイマイチである。 カルロスの方が体も鍛えられた感じでさすが人気モデル役だ。 ジャスティンはモデル撮影のカメラウーマンの助手をしているのだが、暇なエンジェルはついて来たらそのカメラウーマンからモデルにならないと声をかけられる。 しかしそれがジャスティンは気に入らない。 いやその気持ちは分かるよ、ジャスティン君。 その後、エンジェルはアンドレアも会うことも兼ねてジャスティンとまたクラブへ。 エンジェルはアンドレアと話し込んでいると、そこへカルロスがまた声をかけてきた。 「いいだろう、家へ来いよ」と声をかけられ、ジャスティンも好奇心からついて行ってしまう。 そして最初は抵抗したものの、やっぱり体は正直だ。 結局カルロスの浮気はブラウリオの知るところとなり、怒り狂ったブラウリオはカルロスを殺し、カルロスのものを切り取って彼にくわえさせるという猟奇殺人へ。 そしてカルロスの追悼パーティの晩、ブラウリオの殺人を知ってしまったアンドレアも誤って殺してしまうブラウリオ。 追悼パーティにやってきたジャスティンとエンジェルを迎えうつブラウリオ! エンジェルはジャスティンの楯となって撃たれ死に、最後はブラウリオも屋上から落ちて死亡。 いや〜なかなか迫力のある後半だった。 ちょっと緊張感に欠ける部分も多いので、全体的に迫力に欠けるが後半の展開は見せましたねえ。 特に登場人物たちがながら見をしているドラマでドアの隙間から拳銃を撃つシーンがあってそれが何度か挿入されるが、それが伏線となって出てきた展開はよかったと思う。 よかった。 (このページのトップへ) 修羅のゆくえ日時 2013年8月11日15:10〜 場所 光音座1 監督 小林悟 浅草のショーパブ・銀座ローズで働いていたヒカル(荒木太郎)とトモヤは「給料がいいから」という理由で新宿のマッサージヘルスで働くことに。友人のトオルがこの店で働いていたのだ。 そのトオルが別の客の指名ででている間に不動産屋の松井がやってくる。松井はいつもはトオルを指名していたが、今日は浮気して新人のヒカルを指名。 戻ってきたトオルは「自分の客をヒカルがとった」と大騒ぎ。 トモヤは出張指名の常連の医者(港雄一)の所へ。 一晩働いたトモヤとヒカル。自分たちの働いたお金が半分はお店に取られるのが悔しくて、自分たちで営業しようとやってみることに。 「修羅のゆくえ」というタイトルだから「ヤクザもの」をイメージしていたが、そんなことは全くなし。 風俗店の話。 トモヤとヒカルは店を通さずに客を取ろうとする。 でもこれ、その業界では御法度とされてることなんだよね。 トモヤたちはまずは昨日の松井のところへ行き、トモヤだけ空いている不動産物件でお仕事。 でもお金をもらおうとしたら「実は会社が倒産して、今夜夜逃げするんだ」と松井に言われ、お金はもらえずしまい。 次にヒカルとトモヤは例の港雄一の医者のところへ。 で、3人でプレイ。 しかし港雄一は「金はいつも通り振り込んでおくから」と言われて現金はもらえない。 (でも昨日はトモヤはチップをもらったんじゃ?という疑問は黙っておこう) もちろん松井も医者もヒカルたちをだましたわけだが、まあ店を通さないで自分たちだけ儲けようたって世の中そんなに甘くない、というオチ。 結局二人は住み込みで働いていた浅草の元の店に戻ることに。 ホームレスにさせないで終わるところがなんだか優しい。 世の中そんなに甘くないけど、映画の中だから許すか。 でも荒木太郎みたいなめがねをかけた暗めの男はボーイとしては厳しいのではないか?という疑問も感じるが、まあ仕方ないか。 松井が「バブルがはじけてどうした」と言っているからそのころの映画だが、1990年前半の浅草や新宿の風景が懐かしい。 他には店のママとトオルの絡みもあり、冒頭と最後に銀座ローズでのショーパブのシーンもある。 脚本は薄いけど、なるべく見せ場は作ろうとしている。 (このページのトップへ) 恋する神さま 古事記入門日時 2013年8月10日21:10〜 場所 ポレポレ東中野 監督 榎本敏郎 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 日本最古の歴史書と言われる「古事記」。 それを舞台化しようとている劇団があった。 彼らの練習風景を通して「古事記」の世界を描いていく。 青春Hシリーズ第33弾。今回はなんと「古事記」がテーマ。 いや〜青春Hも幅広くなったなあ。もちろんこれは誉め言葉。個性的な作品はあった方がいい。 もちろん「古事記」に登場する神話の数々を映画化しようと思ったらそれこそ稲垣浩の「日本誕生」になってしまい、巨額の制作費がかかる。 それを今回は舞台化しようとしている劇団の練習風景、という奇策を使って映画化。 だから衣装なんてジャージでいい。 これはもう「恐妻党総裁に栄光あれ」を越える低予算の手法だ。 ヤマタノオロチなんて絵が(それも素人が描いたような)登場するだけだもん。 で、国生みの話があってこの辺はまだセックスシーンがあって「青春H」らしさがある。 その後、なんと本居宣長まで登場。 「古事記」等の研究で本居宣長が重要なのは知っていたが、彼の学説、意見を本居宣長にインタビューする架空のテレビ番組を作ることで実現。 本居宣長は「古事記」の中に漢語にはない「やまとことば」を見出し、日本独自の言語があったことを主張する。しかし漢字以前には日本には文字はなかったという学者もおり、「それでは漢字以前の日本人はなにを話していたのか?言葉すらなかったというのか?」という論争があったらしい。 へ〜、面白いねえ。 なんだか今の「皇国史観」と「自虐史観」論争みたいだなあ。 しかし「古事記」に登場する神々の名前がわかりづらくて、黒バックの字幕だけの画面も多く、「またこういう説もある」という解説を加えてくれるから、どうしても説明が多くなり、劇映画を観てるというより、歴史バラエティを観ている気分になったのもまた事実。 最初の国生みの話でイザナミの方から求愛したらうまく子供ができなくて、イザナギ(男)の方から求愛したらうまく行った。これは「古事記」の世界観が男性社会だから、とすれば「アマテラスオオミカミ」が女性なのはなぜ?いやいや実は男だったという説もある。また別な部分では「日本書紀」ではここはこうだ、と説明してくれる。 だからどうしても後半になると説明が多くなって飽きてくる。 ドラマならあまり詳しくしなくてもある説を採用し、それにそってドラマを作って行ってもよかった気がするが。 またその神様ドラマを現代のドラマに置き換えてみるとか。 低予算で「古事記」の世界を映画化しようという意欲は大いに買う。 今回はちょっとまじめに映画にした分、説明が多すぎて映画としてやや面白味に欠けたが、それでも意欲的な作品として評価したいと思う。 (このページのトップへ) 真夜中の招待状日時 2013年8月10日17:20〜 場所 シネマヴェーラ渋谷 監督 野村芳太郎 製作 昭和56年(1981年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 結婚を控えた圭子(小林麻美)は悩んでいた。婚約者の樹生(小林薫)がノイローゼになっているのだ。知り合いの紹介で精神科の会沢(高橋悦史)を訪ねる。話を聞いてみると樹生の四人兄弟のうち、兄二人が失踪し、いつか自分にも何かが起きるのではないかと心配なのだ。 まだ失踪していない兄の和生(渡瀬恒彦)は「俺は大丈夫だ。もし失踪するときは必ずその前に連絡する」と言ってくれた。 しかし数日後、その和生が失踪。 原因は分からない。樹生はますます精神が侵されていく。 野村芳太郎監督ミステリー。 70年代、「砂の器」「八ツ墓村」に続き、70年代後半から80年代前半にかけて野村芳太郎監督は毎年秋にミステリー大作を発表していた。「配達されない三通の手紙」「鬼畜」「危険な女たち」「震える舌」(これはミステリーじゃないけど)などなど。 でもこの「真夜中の招待状」は記憶になかった。 当時東京に出てきた年で、何かと忙しかったのだろうか? まあそうだよなあ。映画ばかり観てられなかったし。 失踪した兄二人、という謎でまずは引っ張る。 渡瀬恒彦は東海村の原子力の研究者なのだが、この映画では原子力はまったく関係ない。 今は原子力関係が出てくると何かあると疑っちゃうけど、当時は普通の理科系の仕事、という感じだった。 そして2番目に失踪した沼津の兄、最初に失踪した熊本の兄の家族を訪ねる圭子と樹生。そして高橋悦史の会沢が探偵役としてサポートする。 沼津の兄が心霊術に凝っていたということで北林谷栄の霊媒師が登場。 そして高橋悦史の紹介で東大の催眠術の権威まで登場。 演じるのは丹波哲郎! もうこれで満足である。 熊本の兄が写っている写真が心霊写真だったり、その兄が描いた絵が不気味な老人だったりして物語はますます謎が深まっていく。 そしてついに樹生失踪! 会社帰りに圭子と食事の約束をしていたが、つい5分前に電話で話したのに樹生は圭子のもとから失踪したのだ! いや〜ミステリー全開だ。 しかし樹生の態度から不審なものを感じていた会沢は、知人に尾行させて樹生が熊本に行ったことをつかむ。 そして熊本で知った真相とは? 意外なラストに驚いたなあ。 薬からみの結末だし、奇形人間みたいなものも登場するから、今の時代ソフト化は無理なのかな?と思ったらあっさりDVDになっていた。買っておこうか。 それにしても夢判断とか心霊術とか催眠術とか、科学的根拠のある話とない話がごちゃまぜになった展開でやや戸惑う。 会沢は「夢は人間の予知能力の現れだ」と言って散々夢について聞いていたのだが、終いには「あれは学説にすぎず、学者がみんな指示してるわけではない」とひっくり返すようなことを言う。 しかも途中で丹波哲郎に「だいぶ効果が出てきましたね」などと謎めいたことを言うので(その意味はあとで明確にまるが)一瞬「兄三人の失踪事件はすべて丹波哲郎と会沢が仕組んだことなの?」と混同させるような展開。 ラストは書かないけど、事件の真相が分かったあとに最後に藤田まことが出てくる伏線の張り方は好きだなあ。 日本の田舎が出てきたり、病気がもとで事件が起こったり、「砂の器」に通じるものがありますよ。 だから「砂の器」も一歩間違えば「トンデモ映画」にされてたのかも?という気がいたします。 面白かった。 見逃さなくてよかった。 なお本日のヴェーラでは「鬼火」も同時上映。 感想は前に書いたので省略。 (このページのトップへ) パシフィック・リム日時 2013年8月9日21:00〜 場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン8 監督 ギレルモ・デル・トロ (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 2013年8月、人類の脅威「KAIJU」が海底から出現した。最初は軍隊で対応していたが、怪獣は次々と現れる。 やがて世界各国は一致団結して対怪獣ロボット・イェーガー(ドイツ語:「狩人」の意)を完成させる。イェーガーは二人の人間の神経をシンクロさせ、二人で動かす。この二人の相性が大きく力の差になってくる。 しかし怪獣はますます強くなって登場。 ラリー・ベケット(チャーリー・ハナム)は連戦連勝だったが、ついにパートナーだった兄を死なせてしまう。 ラリーはイェーガーパイロットを辞める。 各国首脳はイェーガーによる対抗をやめ、各国を防御壁で守ろうとする。 しかしシドニーを襲った怪獣はその防御壁を1時間で破ってしまう。 首脳陣の意見を振り切り、イェーガー基地司令官は残ったイェーガーを使ってある「作戦」に挑む! 怪獣ファンの間で話題沸騰のこの映画。 日本の怪獣映画やロボットアニメの影響を大いに受けたと言っているデル・トロ監督が来日してそのオタクぶりを存分に発揮している画像や映像が頻繁に流れた。 落ち着いてから見に行こうかと思っていたが、あんまり周りの怪獣ファンが騒ぐので、こりゃ話についていけなくなると思い、仕事帰りの体でとしまえんまで観に来た。 ユナイテッドシネマとしまえんはIMAX3Dで上映なので、普段は2Dを選んでしまう最近の私だが、今回は高い料金を払って(3DだけでなくIMAX追加料金も加わって2200円もするのだよ)観た。 さらにパンフレットを買おうと思ったら「売り切れです」っておいおい初日だよ? 最初に書いておくがよく出来ていると思う。 最近大型怪獣映画がなかったせいで、そのフラストレーションを解消する事は出来た。 以下、よく出来ているという前提で思ったことを記す。 IMAX3Dで観たのだが、やっぱり2Dで観た方がよかったかな?席が端っこだったこともあるが、めがねオンめがねで観たので、どうも観にくい。 3Dめがねのせいで、普段のめがねと目玉の位置がずれたのか(普段のめがねが押し上げられるので)なんだかピンがあわない。(遠近両用めがねとかもあるけど) 2Dでもう1回見直そう。 観ていて思ったのは、これ手塚昌明監督の「ゴジラ×メカゴジラ」「東京SOS」といういわゆる機龍2部作のリメイクだろ?ということ。 「怪獣が現れる世界になって人類は対怪獣ロボットを作った」「女性がオペレーター」「主人公を嫌う奴がいる」「最後は海底深くに怪獣を葬り去ろうとする」「主人公がラストでゴムボートで海上に脱出する」「イェーガーにアブソリュートゼロとか腕が武器になる」などなどなど。 詳しくあげればキリがないけど、なんかそんな感じなのだなあ。 僕は「ゴジラ」シリーズではこの「機龍2部作」がベスト3に入るので、どうしてもそういう風に見えてしまう。 で、映画のほう。やっぱり日本の怪獣とアメリカ映画に出てくる「KAIJU」は違いますね。どうしても恐竜っぽくなってしまう。 それに今回、「KAIJU」の登場シーンがほとんど夜だから形がはっきりしない。日本のキングギドラとかモスラとかラドンみたいに子供が観終わってから絵が描けるようなはっきりした形ではないんだな。 どうしても「エイリアン」っぽい形になってしまう。 だから「エイリアン」+「恐竜」みたいな形で私はあまり好きになれない。 着ぐるみではないとかそういう技術的な結果論かも知れないが、KAIJUの動きがどうにも「ジュラシック・パーク」の恐竜や、エメリッヒ「ゴジラ」の動きみたいに素早くなってしまう。 その辺からしてやっぱり「日本の怪獣」と「アメリカのKAIJU」は違うな、と思ってしまう。 またワンカットが短くて、どうも画がちゃかちゃかしてうちつかない。もっと「溜め」の間が欲しい。 どうも最近のこういうアクション映画の編集は早すぎる。 まったりしたテンポも苦手だけど、早すぎるのもどうかなあ。 そして、これは宣伝の影響もあるのだが、劇場にあった吊しのタペストリーが世界各国のイェーガーが紹介され、(日本、アメリカ、ロシアなどが飾ってあり、それぞれに名前がある)だから世界各国の首都とか有名な場所でKAIJU対イェーガーの対決が観られるのかと思ったら、最初に金門橋を壊す所と、オーストラリアのオペラハウスが壊されるぐらいなんだよな。 その辺は宣伝にだまされた。 博士二人が変人キャラとして登場しますが、ああいうのはアメリカ映画に登場するオタクっぽい専門家像ですね。 これは言い過ぎになるかも知れないが、デルトロ監督は日本の怪獣やアニメには詳しいかも知れないが、歴史には詳しくない、あるいは興味がないな、と思った。 つまりKAIJUが登場する海底に存在する異星人が作った異次元をつなぐトンネルを核兵器で塞いでしまおうっていう発想。 日本の怪獣映画では核兵器で怪獣を倒そうという発想はしません。 新兵器で倒そうとか、火山に落とそうとか、そういう「核兵器は使わない」という不文律というか常識があったと思う。 ところが「なんでもかんでも核兵器でぶっ飛ばせば解決する」というアメリカ映画的思考(個人的見解)で解決を計ろうとする。 果ては「原子炉をメルトダウンさせろ!」だよ。 311以降の日本人にはちょっときついかも? そんな感じかなあ。 あと今回の主な舞台が香港沖。 サンフランシスコとかロサンゼルスとか、ましてや日本沖ではない。 香港が舞台になっているからこれからの中国市場を意識してるのかな。 それと芦田愛菜登場の東京シーン。 ちらっとしかでないけど、変な看板がいっぱいだったぞ。 菊池凛子はいつもの菊池凛子。ハリウッドも日本人ならなんでも菊池凛子ってのはもう止めてくれないか? とまあなんだか悪口ばかりみたいになったけど、やっぱりこういう怪獣映画は大歓迎だ。 2年に1本ぐらいは出てきて欲しいと思う。 切に思う。 (このページのトップへ) 喜劇 駅前漫画日時 2013年8月4日20:00〜 場所 シネマヴェーラ渋谷 監督 佐伯 製作 昭和41年(1966年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 世は「オバケのQ太郎」や「おそ松くん」などの漫画ブーム。坂井(フランキー堺)は「サカイ・マンガコウボウ」というマンガ制作チームを運営していた。 伴野(伴淳三郎)はおもちゃ工場を経営していて、軍艦や戦車、ロボットのおもちゃを作っていたが、最近は売れなくなり、代わりに「オバケのQ太郎」のおもちゃが売れ始めていた。そして子供の久太郎はオバケのQ太郎の服を着ている。 伴野の友人松木(三木のり平)は印刷屋だがまったく儲からない。 画家の森田(森繁久弥)は売れない絵を描き、周りからは古い古いと言われる。 一方、スーパーのオーナーで町の有力者の井矢見(山茶花究)はなにかと彼らに意地悪をする。 シネマヴェーラの「妄執異形の世界」という年に1回ぐらい行われるいわゆるカルト映画(というか変な映画)特集。ヴェーラの人気企画のようで、毎年開催されている。 「駅前シリーズ」が何で「妄執異形」と思ったらこの映画、オバQなどのマンガキャラクターが劇中に登場するので、権利関係からかソフト化はされないらしい。 実をいうと駅前シリーズは今回観るのは初めて。 いや子供の頃にテレビで観たというようなことはあったかも知れないが、こうやって感想を書いたりするようになってからは初めてだ。 正直言うけど面白くない。 基本的に話の縦糸がないのだな。同じようなメンバーが登場する「社長シリーズ」は「○○社との大口取引をまとめる」とか「どこそこに新店を出す」といったまず大きな柱があった。それにそって社長の浮気やらなんやらと話が広がっていったのだが。 でもこれは縦糸が特になく、だらだらとその場限りの笑いの小芝居が続くだけ。 で、途中から池内淳子の美人が登場し、サカイと井矢見で取り合うというエピソードがあり、その池内淳子がお汁粉屋を開いて、その店の壁に絵をかけるのだが、それを森繁に頼んだのだが、強引に井矢見が自分が持ってきた絵と変えさせ、森繁の絵は銭湯へ。 でも銭湯で週刊誌記者の目に留まり、森繁は週刊誌の表紙を描くことに、という展開。 結局、フランキー堺と池内淳子は婚約するんだが。 肝心のオバケのQ太郎だが、伴淳の夢のシーンで、おもちゃの軍艦が伴淳に襲いかかり、それをオバQが何十匹(人?)も登場して助けてくれるという展開。(ここはアニメ) あとは伴淳の子供(頭師佳孝)が夢でフランキーたちと宇宙に行き、そこでオバQも登場するが、ここはかぶりもの。 他には三木のり平の息子が音松という名前だったり、山茶花究も井矢見で、これは赤塚不二夫からの引用。 まあ今と違って赤塚も藤子も大御所ではなかったし、権利もうるさくなかったんでしょうね。 そもそも伴淳のおもちゃ工場も「オバQ」のおもちゃで大当たりしてるけど、あれもキャラクター権料なんか払ってないんだろうなあ。それで当時はよかったし。 そういう権利関係におおらかな時代が感じられますね。 (このページのトップへ) 百合子、ダスヴィダーニヤ日時 2013年8月4日16:30〜 場所 オーディトリウム渋谷 監督 浜野佐知 製作 平成23年(2011年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 大正13年、芳子が言わせれば「くだらない雑誌」の「愛国婦人」を編集している湯浅芳子(菜葉菜)は知人の紹介で中條百合子(一十三十一)と出会う。 百合子は17歳で作家デビューしたが、今は言語学者の荒木茂(大杉漣)と結婚している。百合子と荒木はニューヨーク留学中に出会ったのだった。荒木と百合子は15歳離れており、結婚5年目の今は二人の関係は冷めきっていた。 百合子は執筆のため一人になりたいということで福島の親戚の家に引っ越す。そこへ百合子も訪ねてくる。 いつしか二人は愛し合うようになる。 しかし荒木は絶対に離婚しようとはしない。 浜野佐知映画祭での上映。 浜野監督作品という以外の予備知識を持たないで観た。 大正ロマンの中での女性たちのラブストーリーだと思っていたが(実際それも間違いではない)、これ実在の人物なのだった。 百合子と芳子はその後、ロシア語の勉強も兼ねて二人でロシアへ旅立つ。(映画は二人が一緒になるところで終わる) その後のことは簡単に字幕で説明されるが、なんと百合子はその後宮本顕治と結婚するのだ。 ええっ、あの宮本顕治だよ。 だから中條百合子ではなく、宮本百合子として知っている人からするとまた違った感想を持つのだろう。 そして荒木もそれなりの人で戦前の学習院で教授を勤めるぐらいの方である。 そういう背景をよく知ってる人はもっと興味深かったに違いない。 で、私はどうだったかというと正直、大杉漣が全部持っていった感じ。 話の方は大杉漣の荒木がなんだか煮えきらない男でいつまでも「別れない、愛してるよ、ベイベ」と言い続けて、福島と東京を行ったり来たりしてる。 大正時代の雰囲気を出すためか、せりふのテンポはいつもよりゆったりめで、そのゆったり加減が私には眠気を誘う。 正直言うけど主演女優二人が完全に大杉漣に負けている。 さすがにインディーズの主演女優やシンガーソングライターでは大杉漣には太刀打ち出来ないか。 これは私だけでなく、映画を観た人はやっぱり大杉漣とか荒木の話題をよくするらしい。 それはやっぱり仕方ないだろうなあ、という感想。 映画は百合子は芳子を選んで別れるのだが、いつまでも「別れない」と言っている荒木を一発百合子が殴る。 この辺の「男の言いなりにはならない女性」というキャラクターが浜野佐知らしいねえ。 これで最近浜野佐知作品を続けて観た。 これからも意識して観ていきたいと思う。 (このページのトップへ) 百合祭日時 2013年8月4日14:00〜 場所 オーディトリウム渋谷 監督 浜野佐知 製作 平成13年(2001年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) ここ、毬子アパートは人生を重ねた女性たちが多く住んでいるアパート。そこへ三好(ミッキーカーチス)という妻に先立たれたという男性が入居する。 この三好、若いわけではないが、口は女性に優しいし、なかなかのいい男。毬子アパートの住人たちはたちまち虜になる。 その中の宮野理恵(吉行和子)はお茶を飲みにやってきた三好に押し倒され、つい体を許してしまう。 「こういうことをするのは君だけだよ」と言ってくれた。 三好の歓迎会が開かれた。その中で元バーのママの横田レナ子(白川和子)が「あたしと三好さんは特別な関係なんだから」と言い出す。 どうやら三好はアパートの複数の女性たちと関係を持っていたのだ。 浜野佐知監督作品。自主映画と言ってよい規模の映画だが、キャストは豪華。 吉行和子、白川和子、原知佐子、中原早苗、正司歌江、大方斐紗子、目黒幸子、そしてなんと言ってもミッキーカーチス。 これだけの芸達者がそろうのだから、映画も品がある。 正直言って話のあらすじだけから言ったら、一つの女性ばかりのアパートに男が引っ越してきて、そこで女性たちとやりまくる、ならピンク映画と全く同じ。 それがこれだけの役者が演じると違って見えるのだなあ。 やっぱり脚本も大切だけど、役者が違うと変わりますね。 三好の歓迎会の前に三好が風邪を引くシーンがあるが、そこへ女性たちが入れ替わり立ち替わりやってきて看病したり花を生けるシーンは出入りの妙もあって、笑える。 女性たちの井戸端会議で中原早苗が「あたしの看護婦してる娘の勤めている病院に以前三好さんが入院してたことがあって、患者から看護婦から口説きまくるスケベ爺で有名だった」という話が出る。 その話が疑惑となって、歓迎会のシーンで暴露されるんだが。 でも理恵とレナ子はそんな三好とはきっぱり別れる。 二人は仲良くなって、一泊旅行にも出かけ、女性同士で関係をもってしまう。(ここはさすがにキスシーンだけ) そういった「そんな軽い男とはつきあわない。こっちから願い下げ」となって逆に女同士で関係を深めていくというのが、「男の言いなりになったり支配されない女性たち」という浜野にとってライフワーク的なテーマを感じた。 またこの映画では「老いても女は女」という老人の恋いを描いた。 「老人の恋」というと、いまおかしんじ監督の「いくつになっても男と女」が思い出されるが、こっちの方が早い。 しかも女性の側から描いている。 浜野佐知は侮れないなあと思う。 (このページのトップへ) 砂をつかんで立ち上がれ日時 2013年8月4日10:30〜 場所 K'sCinema 監督 藤澤弘和 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 多田博(依田哲哉)は佐久嶋義和(仁科貴)が監督した「砂をつかんで立ち上がれ」に感動して俳優を目指した男。しかしもう30歳も越えていた。 オーディションは落ちまくるし、「お前うちで一番ヘタ!」と言われて劇団もクビになる。 佐久嶋は「砂を〜」の後、後が続かないでいたが、やっと次回作の構想が固まり、旧知のプロデューサーたちに話を持っていくが、どこも断られる。 そんな中でB級アイドルの青春映画を企画していた制作会社が「この企画も撮りますが、その前にこっちを撮ってくれませんか?」とその青春映画の企画を提案する。 佐久嶋としては全く乗らない企画だったが、「次回作の為なら」と渋々引き受ける。 でもやる気のない佐久嶋はこの映画をつぶして自分の企画を先にやろうとし、オーディションで一番下手だった多田を主演に決める。 「映画24区」という俳優のワークショップなどをしている制作会社の制作。 映画制作を題材にした映画というと「映画万歳!」的になりがちで、どうも好きになれない。 でもこの映画はそれほど映画万歳でもない。 集まったスタッフは映画学校の学生ばかりの素人集団。 主演のアイドルも街で声をかけられて握手をしても「あれ誰だっけ?」と言われる程度。 他の役者もオーディションで選ばれたという今の映画界のまんまをいくようなアイロニカルな世界。 佐久嶋は「役者は映画に出てくることをすべて体験しろ!」という持論で、無理難題を多田にふっかける。 「坊主になれ」「ボクシングをしてこい」「車に引きづらろ」「男とセックスしろ」すべて忠実にこなす多田。 しまいには「ヤクザに喧嘩売ってこい」「女優と寝ろ!」最後の主演女優と寝るはさすがに出来なかったが、あとは実行する多田。 クランクインでしてもスタッフや仲間に気を使って倒れてしまう。 そんな多田を見舞った佐久嶋は多田の台本にびっちりと書き込みがあるのを観てやる気を出すという展開。 しかし撮影も9割終わった頃、プロデューサーから制作中止を告げられる。 佐久嶋のやる気のない態度、撮影遅延が嫌われてスポンサーが降りたのだという。 佐久嶋は多田に対し「お前の感動した映画は役者が素人だったのは予算がなかっただけ」「ワンシーンワンカットは時間がなかっただけ」と夢を打ち砕く。 それでも佐久嶋に夢を感じる多田は佐久嶋を勇気づけ、やる気を出させて終わる。 ちょっと終わるのが早い。「俺がなんとかする!撮影続行だ!」となってくれないとなあ。 そして次回作までつないでくれないと。 上映後にはトークイベントがあり、監督と主演の二人、そして藤澤監督がずっと金子修介監督の助監督をしていた縁で金子監督も登壇。 金子監督からも「やっぱり『カメラを回せ〜』まで言ってほしいと思った」という意見が出た。 藤澤監督としては「多田が佐久嶋のやる気を出させた時点で多田の夢はかなっている。だからここで終わりにした」ということでした。 それと脚本が出来た段階程度ならともかく、撮影が殆ほとんど終わった段階での中止はあり得るのだろうか?と疑問に思ったが、会場で偶然会った映画関係者に聞いてみたら「あり得るよ。完成させたら宣伝費とかもっと出費があるし」ということだった。 映画界も怖いなあ。 (このページのトップへ) 女高生飼育日時 2013年8月3日21:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 本田達男 製作 昭和50年(1975年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 昭和42年9月25日、朝倉葉子(朝倉葉子)はテニスの帰り道で男(江角英明)に襲われ、彼のアパートに監禁される。男の名は坂道太、表向きは夜間学校で英語の教師をしている。 葉子は最初は抵抗したが、やがて坂に逆らわなくなる。 10月になりそこで坂は二人で温泉に向かう。その時、坂は「娘ということにするからパパと呼んでくれ。君の名前はそのぶだ」という。 いつしか二人は夫婦のように暮らすのだが、坂という男の正体は? ラピュタの東映ニューポルノシリーズ第3弾。 監督は「人妻セックス地獄」の本田達男。脚本は「トルコ渡り鳥」などの監督作品を持つ関本郁夫。 正直、面白くない。 「女が監禁されやがて男に惚れていく」なんて安手のピンク映画みたいだ(実際そうなのだが)。 すべてはご都合主義で話が進んでいき、最近浜野佐知のそういう身勝手な男にひじ鉄を食らわすような映画を観ていたので、余計に「男の都合のいい妄想」感を感じる。 で男は実は家族を捨て蒸発している男で、夜学の英語の教師というのも嘘で、英語は出きるので夜になると外国人観光客に声をかけ、怪しげな店につれていくポン引きが現在の仕事らしい。 このシーンが後半になって出てくるが、映画としてはもっと前半に説明があってよかったと思う。 テレビを観ながら台所仕事をしていた葉子はテレビ番組で、家族が蒸発してしまった人が蒸発した人に訴えるのを見かける。そこで紹介されたのが、坂だったのだ。 本名は手島といい、まだ小学生の娘の名はそのぶ。 葉子につけていた仮名は実は本当の娘の名前だったのだ。 (そうそう昔はこういう番組がよくあった) ここで終わるかと思いきや、葉子の方もスパーで買い物をしている時に、葉子を知る人に見かけられアパートを突き止められてしまう。 そこで警察が踏み込んで二人の生活はいったん終わる。 男は懲役6年となる。 ところが映画は「6年後」とタイトルが出て、葉子が母親になってベビーカーを男と押している。 その男の顔ははっきり写らないが、流れから言って坂なのだろう。 都合よすぎてシラケた。 本日は関本監督のトークイベント付き。 実際にあった事件をベースにしているそうだ。へ〜。 関本監督自身、会社の依頼ではなく自分で書いていたものを「なんかない?」と言われてまだ未完だったそのシナリオを渡して採用されたそうだ。 で、当時忙しくて完成した映画は観ておらず、今日初めて見たそうだ。ご自身が観ても「全然だめ。観ていて恥ずかしい」ということだそうで。 ただし「映画は男と女」というのがご自身の方向なので、監禁ものはネタとして好きだそうだ。 で「処女監禁」という後の監督作品につながるのだそうだ。そちらも機会があれば観てみたい。 (このページのトップへ) ダブルEカップ 完熟日時 2013年8月3日 場所 DVD 監督 浜野佐知 製作 昭和63年(1988年) OLの真知と女子大生の美亜子は亀甲流という生け花を習っていた。師匠(池島ゆたか)玄介の裏の姿は女性を緊縛し、その姿に花を生ける「裏亀甲流」の継承者でもあった。 今日も妻で弟子の由紀の体に花を生ける。 真知も今度は上級者コースを受けることになる。真知の恋人の紙田の友人、小多魔は痴漢好きのエロ漫画家で、自分の痴漢をネタにエロマンガを描いていた。 美亜子は痴漢されたがっているという女ということで小多魔を紙田から紹介してもらう。 真知が上級者コースを受けにいくと、玄介が緊縛され花を生けられた由紀の姿を見せられる。 そして彼女も緊縛され花を生けられるのだった。 浜野佐知監督作品。 DVD化されるぐらいの作品だから、ということもあるのだろうが、絡みのシーンは多い。 玄介と由紀、漫画家と美亜子、真知と紙田、紙田と美亜子、美亜子と由紀、などなど。 映画の方は真知はおとなしく縛られたが、次は美亜子がねらわれる。玄介に呼び出されて部屋に入ったら真知が縛られている。美亜子も抵抗しながらも縛られる。 ポラロイド写真を撮られ、「この写真をばらまかれたくなかったらおとなしく亀甲流の生け花になれ!」と命じられる。 ここ最近観た浜野映画にはオチがつくので、今度はどんなオチかと思って楽しみに観る。 美亜子は「そんな写真がなによ!うちの大学なんかビデオで本番やってる子もいるし、親も私がどういう子か知ってるからそんな写真ばらまかれても平気よ!」と啖呵を切る。 それを聞いた池島ゆたかの呆然とした表情がいい。 そういえば漫画家と痴漢話を美亜子がしてるときに漫画家が「君みたいに喜ぶ子より、いやがってる子を痴漢するほが楽しいんだよなあ」と言う。 男は「女は嫌がるもの。それを見るのが楽しい」という身勝手な(あまりに身勝手な)論理をバーンと音を立てて崩してくれて痛快である。 今まで玄介におとなしく従っていた由紀も彼から離れる。 その後、玄介が全裸になって縛られて自分のケツに菊を刺されて四つん這いになっているカットがあるけど、玄介はショックで自殺したのだろうか? 美亜子の女子大生ファッションが1988年の時代を感じさせ懐かしい。 それにしても女性が緊縛されて花を生けられている姿はエロティックできれいだったのは確かだ。 (このページのトップへ) |