2013年10月

陽だまりの彼女
エンド・オブ・ホワイトハウス セックスファミリー
いやらしい義母と若妻
わいせつステージ
何度もつっこんで
網走番外地(日活版)
ブッダマウンテン
希望と祈りの旅
風立ちぬ 大地震 地獄でなぜ悪い
006は浮気の番号 飛べ!ダコタ 朝日のあたる家 鈴の音の誘い
義経伝説 そして父になる 惑星ソラリス チャップリンの殺人狂時代
恐怖省 クレヨンしんちゃん
暗黒タマタマ大追跡
凶悪 僕たちの高原ホテル

陽だまりの彼女


日時 2013年10月25日21:15〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン7
監督 三木孝浩

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奥田浩介(松本潤)は広告代理店の新人営業マン。先輩と新しい取引先の下着メーカーに行ってみると、そこで中学時代の同級生、渡来真緒(上野樹里)と再会した。
真緒は中学時代は転校生としてやってきて、里子であるとかなにやら得体の知れないところがあって、クラスの悪ガキ女子からいじめにあっていた。
浩介はそれを助けたことがあって、それから何となくいつも一緒にいるようになった。しかし浩介が親の都合で転校し、疎遠になっていたのだ。
下着メーカーの希望する広告案が「卑猥だ。鉄道会社に申請できない」と浩介の上司から却下されたのだが、なんとかがんばる浩介。それを真緒が助けたことから二人の仲は急接近。そして二人は結婚。
しかし真緒の両親から「実はあの娘は13歳までの記憶が全くないんだ。警察官の私が夜の町をふらふら歩いていることころを保護し、そして養子にしたんだ」と打ち明けられる。


新宿ピカデリーの1Fと地下には無印良品の店がある。
この店に公開のずいぶん前からこの映画のポスターが張ってあった。公開してから店頭に書いてあったが、この無印で撮影されたシーンがあるんだそうだ。
観てみたら浩介と真緒が新居の家具を買うシーンでちょっとだけ(たぶん10秒ぐらい)出てきた。

それはどうでもいい話なのだが、ツイッター上でこの映画のオチのヒントが懸かれていて、想像していたオチがファーストシーンを観て確信に変わり、ラストまで観たけどそれは裏切られなかった。
でもまあ観てる途中で何となくは想像出来るからネタバレされたと怒ることはないか。

この映画の魅力はなんと行っても松本潤と上野樹里の魅力だろう。
松本潤が鉄道オタクにしてはイケメンすぎるという批判もあろうが、まあいいんじゃない?恋愛映画なんだからイケメンが出てきた方がいいに決まってる。

中学時代の二人もいい。
特に真緒の中学時代など、雰囲気もそっくりで違和感がない。メイクとかもあるのだろうが、二人ともよかった。

上野樹里の何となく猫っぽい仕草がたまらない。
特に謎の老女(夏木マリ)の膝で寝ころぶ仕草は猫そのもの。
これがこの映画の魅力につきると言っても過言ではない。

でも「お前金魚食ったろ?」という展開はいかがなものか?いや松潤がそれを言うことではなく、そのせりふによって上野樹里が食べてるところを想像してしまうではないか。

それと画が全体的に白っぽかったのもちょっと気になった。
「陽だまり」の感じを出すためだったのかな?
蛇足ながら真緒が初めて保護されるシーン、全裸で町を徘徊してるのだが、ピンぼけにしてるとはいえ、今で言う「児童ポルノ」引っかからないかとはらはらした。

細かいとことはいろいろ書いたけど、松本潤、上野樹里の二人のさわやかな空気がよかった。
観ていて嫌みなく楽しかった。



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エンド・オブ・ホワイトハウス


日時 2013年10月20日19:00〜
場所 新橋文化劇場
監督 アントワン・フークア

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マイク・バニング(ジェラルド・バトラー)は大統領警護官。特殊部隊出身で仕事のできる男だった。しかしクリスマスの夜、大統領別邸から戻る大統領一家を護衛中、不慮の自動車事故が起き、大統領は救出できたが、大統領夫人を救うことが出来なかった。
それから1年半後、マイクは大統領警護からは外れ、今は財務省勤務だった。そんなある日、韓国首相が大統領とホワイトハウスで会談した。北朝鮮と韓国はかつてない緊張状態が続いており、その打開策を話すためだ。
その頃、ワシントン上空で米空軍のマーキングをしている不信な飛行機がやって来た。空軍の警告に対し、彼らは発砲。同じ頃、ホワイトハウスでもテロリストたちが侵入。大統領や韓国首相を人質に立てこもった。
部隊を突入させれば大統領の命が危ない。
大統領、副大統領が不在の今、下院議長のトランブル(モーガン・フリーマン)が大統領臨時代理となった。
偶然ホワイトハウス前に居合わせたマイクはホワイトハウスに単身潜入した!


夏に公開された「ホワイトハウス・ダウン」もテロリストによるホワイトハウス占拠ものだったけど、こちらも同じ。でもこっちの方が公開は6月と早かった。
ちょっと観たいなと思っていたが、時間が合わず観逃していたのだが、新橋文化で上映されたので追っかけて観た。(同時上映はクリント・イーストウッド主演の「人生の特等席」。こっちは観なかった)

こっちの方が格下なイメージがあったのだが、どうしてどうして面白い。2時間の上映時間が飽きない。
主役のジェラルド・バトラーや大統領役のアーロン・エッカートが私にはなじみのない役者なので、いまいち華がないのだが、完全なB級映画だろうと思っていたが全然そんなことはない。

テロリストが北朝鮮かと思ったら、さすがにそれはなくて「北朝鮮出身の国際テロリスト」である。そのリーダーが韓国首相のSPに紛れ込んでホワイトハウスに潜入するわけだが、それはちょっと韓国がバカだろう。
向こうのSPだってそれなりに身元調査とかしてるだろうし。いっそ日本の総理大臣の方がよかったかも?首相が殺されたシーンで僕なんか拍手したかも知れない。

あと冒頭の冬の事故が何か伏線になってるかと思ったらそれはなかった。あとホワイトハウスに詳しい大統領の息子も活躍するかと思ったらそれもなし。
その辺はちょっとがっかりした。

で、クライマックスは核ミサイルを誤射したときの為の自爆用のパスワードがテロリストに結局解ってしまい、核ミサイルを自爆させようとする。
それは発射基地内で爆発する事になるから、アメリカ全土で核爆発が起きることを意味する。

あわや!というところでもちろん助かるわけですが、派手すぎないドンパチでそこまで十分に楽しめました。
後には何も残らないけど、観てる間は十分楽しめる映画だった。



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セックスファミリー いやらしい義母と若妻


日時 2013年10月20日16:50〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 池島ゆたか
製作 

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サラリーマンの一ノ瀬タカシ(平川直大)は友人に誘われ合コンに出席。そこでサクラという女性と山崎リョウコ(矢崎茜)という女性と知り合う。
リョウコは積極的にタカシに迫り、その晩のうちに二人はホテル、やがて結婚した。
リョウコの父は輸入の貿易会社を経営しており、資産家で家はプール付きである。
そんな豪華な家にリョウコの両親と同居するタカシ。
しばらくは何もしなくて、のんびりしていればいいという。
リョウコの妹ミナは「自分をいつかレオナルド・ディカプリオが迎えに来てくれる」と信じている心の病を持つ子だった。
リョウコの父は3度結婚しており、リョウコの母とミナの母は違うという。
義母は2億円の保険に入るように言ってくる。なにやら怪しげな隠し部屋がある。
この家はなんだかおかしい。


池島ゆたか監督、五大暁子脚本作品。
正直、オチはだいたい読めるんだけど、「この家は一体どうなっているのか?」という謎解き要素で話を引っ張る。
この精神が同じ脚本監督コンビの快作「ダブルサイコ」につながっていると思う。

映画はやがて徳永という男が父の仕事の相手としてやってくる。
彼は義父や義母、妻と隠し部屋に入っていく。タカシはつい覗いてしまうが、そこでは徳永が、アナルを責められるプレイが行われていた。
徳永はアナルの中に白い粉の入った袋をいくつも入れ、税関を突破してきたのだ。タイから輸入したというそれは覚醒剤。

翌日、公園でショックを受けていると最初に合コンで会った女性と再会。実はリョウコには前から不信な点が多かったという。義父の死んだ妻も保険金殺人の容疑がかけられていたというのだ。
結局、タカシや観客の予想通りで、タカシは「死んでもらう」と義父や妻から言われるというわけ。

さっき書いたようにオチはだいたい読めるけど、それでも単なる絡みのつないであるだけでない映画を作ろうとしていて、「池島ゆたかはやっぱり安定感があるなあ」と思った次第。



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わいせつステージ 何度もつっこんで


日時 2013年10月20日14:30〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 後藤大輔
製作 

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大介(小滝正大)は売れない腹話術師。自分の背の低さをネタにしている。一応弟子の陽一(川瀬陽太)がいる。公園の野外劇場で家族向けに今日も芸を披露したが、あまり受けない。
しかし楽屋にヒカリ(向夏)という女の子が「ファンです」と花束を持ってきた。彼女は目が見えなかった。
たまたま陽一が人形を持ってきた時に入ってきたので、陽一を大介と勘違いしてしまう。
「ステージで見るより大きいんですね」ヒカリは言う。
花束のカードにはヒカリの携帯電話番号が書いてあった。
ヒカリが気になる陽一はヒカリに電話してしまうが、声が違うので、ついすぐに切ってしまった。
弟子のためにヒカリを自宅からつけた大介は彼女が歌舞伎町の風俗ビルに入って行くのを見かける。
「おい、あの娘風俗やってるぞ」大介は陽一に忠告するが、「かまわない」と二人でヒカリの後をつける。
確かに風俗店のあるビルに入って行ったが、同じフロアの針灸の医院に勤めていた。


後藤大輔監督作品。
盲目の彼女が自分の好きな人を勘違いしてしまう、という展開はチャップリンの「街の灯」だろう。
この後映画はヒカリと大介は飲みに行くが、においや体型は陽一なのだが、声は大介という二人羽織状態でデートをする。
手を握るぐらいはいいが、結局ホテルまで行ってしまい、実際にするのは陽一だが、会話は相変わらず大介というのがおかしい。

で、いつかは二人の混同をヒカリが気づかなければならないのだが、このあたりの展開がうまく行かなかったように思う。
途中、大介がヒールのある靴を履いて、背を高くして見たりするのだが、どうにももたついた印象が残った。

最後には大介とヒカリは出会った公園で結ばれる。
しかし映画の途中で例の風俗ビルでイメクラに行こうとした客がエレベーターでヒカリを痴漢する。
ヒカリはパンチで撃退したのだが、最後の最後にこの男が現れてヒカリを公園の階段からつき落とそうとして、助けた大介が階段を転んで死んでしまう。

数年後、子供を連れたヒカリが大介を回想しているシーンで「終」。
「街の灯」とピンクを掛け合わせたアイデアは面白かったと思う。

この後、同時上映はいまおかしんじ監督の「絶倫絶女(おじさん天国)」。
何度も観ているので、後半寝た。
何のために今日来たのか。



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網走番外地(日活版)


日時 2013年10月19日17:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松尾昭典
製作 昭和34年(1959年)

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石塚肇(小高雄二)はチンピラで、喧嘩のあと怪我をしているところを医者の藤山(大坂志郎)に助けられた。
藤山の娘・みち子(浅丘ルリ子)の清純な美しさに心惹かれる石塚。二人はやがて付き合うようになるが、それは清い関係だった。
しかし石塚はヤクザのしがらみから金融の取り立てで傷害事件を起こしてしまう。自首したものの、懲役刑となり北海道の網走刑務所にやってきた。しかもみち子は逮捕された後に入籍してくれたのだ。
一日も早く帰りたい石塚。ある日、数名の仲間と刑務所とは離れた作業場に移される。そこで働くことは厳しい代わりに仮出所も近いということを意味していた。
厳しいながらも人情味のある刑務官・岩井(芦田伸介)、囚人の中で上下関係を作りその中で君臨する黒岩(深江章喜)のいじめに耐えながら、石塚はみち子の元に帰る日を夢見る。


有名な高倉健主演の「網走番外地」。その東映版の前に日活版「網走番外地」があって、全く内容が異なる純愛映画だとは聞いていた。
いつか観てみたいと思っていたが、今回のラピュタの「日活レアもの特集」で観ることが出来た。

東映のあの話から純愛ものの映画って連想できなかったんですが、なるほどそういう話かあ。
でも小高雄二が主演という段階で添え物映画ですね。
この頃ならダイヤモンドラインのメンバーとか二谷英明とか宍戸錠さんが出てないとA面とは言えません。

ヤクザものと純粋な娘の恋なんて、いかにもな日活純愛映画だ。数年後なら吉永小百合、浜田光夫で映画化されてたろう。というかアクション映画の他に、元々こういう純愛映画路線があって、それを吉永=浜田のコンビで大成功させたと見るべきかも知れない。

この映画、添え物で予算がなかったのか、最初からの意図なのか、前半に多い回想シーンでは、大胆なカットづくりをしている。
たとえば病院のシーンなど、診察室の画像に黒バックで撮った人物のカットを合成している。また公園での石塚とみち子の会話のシーンなど、なにもないセットにベンチと噴水の大道具を置いただけで周りを黒くした場所で撮影し得ている。
最初はセット費がなかったから、他の映画の病院のセットなどスチル撮りして誤魔化しているのかと思ったら、そういうのは回想シーンだけだから、わざとやっている。
もっとも予算がなかったから、回想シーンはそうやって撮って、肝心の北海道のシーンに予算を回したのかも知れないけど。

後半は深江章喜の意地悪な先輩がいて、それに反抗しようとした青木義朗(元々石塚の傷害事件の相手)や小沢昭一の囚人仲間をかばったりしながら、石塚は無事仮釈放にこぎ着け、一時は手紙が来なくなったみち子が自分を捨てているのではないかと不安だったが、それは病気で手紙がかけなかっただけで、出所の時にはちゃんと迎えにきてくれた、というエンディング。
毒にも薬にもならん純愛映画だった。



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ブッダマウンテン 希望と祈りの旅


日時 2013年10月19日14:15〜
場所 K's Cinema
監督 リー・ユー
製作 2010年(平成22年)

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元京劇女優のチャン(シルヴィア・チャン)は空いている部屋を他人に貸すことにした。
やってきたのは今時の若者のナン・フォン(ファン・ビンビン)、ディン・ボー(チェン・ボーリン)、太っちょ(フェイ・ロン)だった。
朝の6時半から大きな音で京劇の練習をしたり、いちいち口うるさいチャンに嫌気がさした3人だったが、チャンがアパートの1階の倉庫から出てくるのを見かける。
3人がその倉庫に入ってみると、そこには交通事故にあった自動車がおいてあった。その車に乗ってみる3人。
実は去年、チャンの息子が恋人の食事に行った時に交通事故に合って死んだのだ。同乗していた恋人は片足を失ったものの、未だ生きている。
その息子の恋人がチャンを訪ねてきた晩、チャンは発作的に自殺を図る。
ナン・フォンたちが病院に運び込み、なんとか助かったチャン。3人とチャンの心の壁も徐々に取り除かれていく。


この映画のことも監督も全く知らなかったが、観ようと思ったのはチェン・ボーリンが主演級だから。
「アバウト・ラブ」を観て以来、彼が出ているというだけで観に行きたくなる。
とはいえ内容に不安があったのも事実。

観てみたが、手持ちカットも多く好きになれない画作り。
シーンとか話の説明的な部分が少ない。例えばチャンが自殺を図ったシーンの次にすぐチェン・ボーリンたちがバイクで病院に運ぶシーンとなる。
チェン・ボーリンたちがチャンの自殺現場を発見するシーンがない。
いらないと言えばいらないと言えるのだが、こういうのはセンスだ。説明過多も困るがここまで省略するのはあまり好きじゃない。

登場人物たちを主観的に撮るのではなく、第三者的に撮っていく感覚が、岩井俊二に似ている感じがした。
要は私は好きではない。

この後、四川大地震の場所に行ったり(舞台となっている成都という街の近くらしい)、そこで4人で壊れた寺の仏像を直したりする。(この寺のある山が「観光山」と言って原題になってるらしい。英語タイトル(日本のタイトルもそうだけど)「ブッダ・マウンテン」は仏教の山ということでこの山のことを意味してるそうだ)

で、3人が山の反対側に行ってチャンが向こう側にいるのに手を振って、別のカットがインサートされてチャンの所を見ると彼女はもういない。
「えっ?結局自殺して息子の元に行ったってこと?」と思ったが、パンフレットによると監督は「自由に想像してください」と言うことだそうで。

2010年の東京国際映画祭で最優秀芸術貢献賞でファン・ビンビンが主演女優賞だったそうだが、日本の劇場公開まで3年かかったということが、評価の本音を表している気もする。
いやお蔵になった映画にも面白い映画があるのはわかってますけど。



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風立ちぬ


日時 2013年10月18日19:20〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン9
監督 宮崎駿

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堀越二郎は子供の頃から飛行機が好きで、夢の中でイタリアの有名な飛行機設計者カプローニと出会っていた。
東京大学に進学し、飛行機設計を学ぶ二郎。そんな頃、関東大震災に遭遇し、偶然助けた菜穂子と出会う。
二郎も学校を卒業し、三菱に入社。名古屋の飛行機を始める。ドイツのユンカース社に見学に行く二郎。
日本の技術は20年遅れていると実感する二郎たち。
軍から要請を受けた飛行機は失敗。
避暑に訪れたホテルで菜穂子と再会。彼女は結核のため、病気がちだったが、二人は結婚。
菜穂子との結婚のより、生活に充実感のある二郎はついに飛行機を完成。軍のパイロットからも「最高です」と評価される。
やがてその発展型の零戦も完成。しかし戦争は日本を敗戦へと導く。


邦画今年一番のヒット作。作品が公開されれば毎回興行収入100億円は見込める宮崎駿作品だ。
それほどの人なのに、実は宮崎作品を劇場で観るのは初めてだ。「ルパン三世 カリオストロの城」は昔テレビ放送で観ただけだし、あとは「千と千尋の神隠し」をレンタルビデオで観ただけ。
だから他の宮崎作品と比べてどうこう言うことは出来ない。

それなのに今回観に行ったのは(それでも公開3ヶ月立ってからだが。今でもピカデリーでは1日4回以上上映されている)ゼロ戦の設計者、堀越二郎が主人公と聞いたから。
小学校の頃「ゼロ戦物語」(だったと思う)というゼロ戦開発物語の本は読んでいたから、堀越二郎の名前は知っていた。

だから「プロジェクトX」的な堀越二郎のゼロ戦開発物語、なのかと思ったらさにあらず。
そういう開発物語に重きを置くなら、場所と時間をタイトルで明記すると思うのだが(「昭和7年名古屋」とか)、そういうのは一切出ない。
組み立てた飛行機が牛車で2日かけて飛行場に運ばれるというけど、飛行場は岐阜県なんですね。

結局「ゼロ戦開発秘話」的な物語ではなく、一人の青年の青春物語だ。
彼は飛行機を常に「美しい」と呼ぶ。彼にとっては飛行機は機能美にあふれた芸術品なのだ。
そして美しい菜穂子に出会い、求婚する。
再会したばかりで二人は愛し合い、結婚を決める。実に童話的だ。
夢のシーンも多く、夢と現実のシーンが実写と違いアニメでは時々混乱した。
一種全編「夢」のような映画。

だから本音をいうとよくわからない映画だった。
「ゼロ戦という兵器を作った男を賞賛する好戦映画」とか「結核の妻の横でタバコを吸うとは何事か!」というおしかりもあったようだが、的外れだなあと思う。
それだけ宮崎駿の作品はいろんな人に観られていると思うべきなのだな。



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大地震


日時 2013年10月15日
場所 DVD
監督 マーク・ロブスン
製作 1974年

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スチュワート(チャールトン・ヘストン)は建設会社の副社長。社長の娘レミー(エヴァ・ガードナー)と結婚していたが、その関係は冷えきっていた。スチュワートは過去に建設現場で亡くなった部下の妻デニス(ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド)の面倒を見ていたが、いつしか愛し合うようになっていた。
ルー(ジョージ・ケネディ)はロサンゼルス市警の警官。
正義感は強くてやってることは間違ってないが、それが周りと軋轢を生むこともしばしば。
このところ、ロサンゼルスは時折地震が起こっていた。
地震研究所では最初は懐疑的だったものの、マグニチュード7以上の地震が近日起こる恐れがあると市長に警告。
「しかしもし外れたら」と市長も決断できない。
地震研究所所長の州兵の召集と警察消防の準備だけでもさせろと進言される。
スーパーマーケットの店長は周りからオカマ野郎とバカにされている。
オートバイの曲乗りで一旗あげようとしている兄弟もいる。
そんな中、巨大地震がやってきた。


前日にグリソムギャングで東宝の「地震列島」を観たのだが、観た人から「勝野洋と松尾嘉代の関係は『大地震』チャールトン・ヘストンとエヴァ・ガードナーの関係のぱくり」と言われたので、買ったままで棚にしまいっぱなしだったDVDを引っ張りだして観てみた。

確かにそうですねえ。でも不倫の話なんていくらでもあるから一概に言えない気もするが、まあ否定も出来ない。
「地震列島」では地震学者という立場の人間が不倫してるのがいやなんだな。女なんか目もくれない、地震一筋の学者でいて欲しかったから。

いや「地震列島」の話はこの際よくて「大地震」の話だ。
封切り時は小学生で、もちろん知っていたが、怖くて観に行けなかった。「日本沈没」はあり得ないとどこかで安心できたけど、「大地震」ではリアル過ぎる。
そして「センサラウンド方式」という低音を流して振動を観客に体感させる映画だったのだ。その第1弾。
(その後「ミッドウエイ」「ジェットローラーコースター」「宇宙空母ギャラクティカ」の計4本で終わった)
その後、だいぶ後にテレビ放送か、レンタルビデオで観ている。

だから再見なのだが、かなり忘れていた。
スーパーの店長がアパートの住民から「オカマ」とバカにされるところとか、ジョージ・ケネディがチャールトン・ヘストンのRV車を借りようとしてギアが複雑で間違えてバックしてしまうとか、そのくらい。

正直言って「大地震」という素材はハリウッド映画といえども題材が大きすぎたのか?
地震が起きるまで1時間近くかかっており、正直ドラマで上映時間の水増し(これは「地震列島」もそうだが)
「タワーリング・インフェルノ」「ポセイドンアドベンチャー」も両方等ともある程度閉じた世界の話だけど「大地震」となると大きすぎて不倫の話に小さくするしか亡かったのか?
崩れいく巨大ダムなどもっと丁寧に見せて欲しかったなあ。

それにバイクの曲乗りの兄ちゃんが登場するのだから、その曲乗りの腕を生かして人を救助するとかするかと思ったら、結局ダムの決壊に伴う洪水に流される!というカットで終わり(流されるシーンはない)。
この辺でケチって欲しくなかった。

それでもスーパーの店長の州兵が、今まで自分をバカにしていた連中を「略奪者だ」と撃ち殺してしまったり、混乱に乗じておかしくなる人間は兵隊側にもいる、という描写が興味深い。
(日本の311ではこういうことはなかったらしいが)

で、最後にエヴァ・ガードナーを助けようとしてヘストンも一緒に洪水に流される。
ラストで救護所の医者ががれきとなったロサンゼルスを見て「この街は立派な街だったのに」というとジョージ・ケネディが「ああ」と答えるだけ。
映画の締めなんだから、もう少し気の利いたことを言って欲しかった。



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地獄でなぜ悪い


日時 2013年10月13日19:20〜
場所 新宿バルト9・シアター3
監督 園 子温

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ヤクザの武藤(國村隼)の娘ミツコは美少女タレントとしてTVCMで人気だった。しかし武藤を殺しに来た敵対する組のヒットマンを妻、しずえ(友近)が殺し、それは過剰防衛として逮捕された。ミツコのCMは放送自粛。
そんなとき、自主映画を作るグループ、ファックボンバーズの面々は「世界に残る名作を作る!それが出来たら死んでもいい」と言っていて、高校生同士の喧嘩をしていた男を「アクションスターになれる!」と仲間に引き入れた。
それから10年、しずえは間もなく出所する。彼女の夢はミツコ(二階堂ふみ)が女優として活躍することだった。
ところがミツコは撮影中の映画を抜け出していたのだ。
プロデューサーはすでに別の女優を代役にたてて撮影を進めている。ミツコを見つけたら撮り直してくれるよう、武藤はプロデューサーに頼むが、「あんたの頼みでもそれは無理」と断られる。
ミツコは男と逃げていたのだが、その男も別の女の元へ逃げてしまっていた。そこで町で見かけた男、橋本(星野源)を1日恋人にして逃げるミツコ。
が、父親の部下に見つかってしまう。
武藤はしずえのためにミツコが主演の映画を作りたい。
ミツコはとっさに橋本を「映画監督だ」と言ってしまう。
彼を監督にして映画を作ろうとするが、橋本には出来ない。たまたま見かけたファックボンバーズの平田(長谷川博己)の電話番号に電話し、協力を求める。
平田は「チャンスが巡ってきた!」と燃え上がる。


映画の内容紹介だけでかなり書いてしまった。
正直言うけど今まで見た園子温の映画では一番受けつけませんでした。
とにかく意見が合わない、としか言いようがありません。
映画が始まって5分で帰りたくなりました。

出てくる警察署の名前が「深作警察署」交番が「広能町交番」。ブルース・リーのオマージュとして黄色い上下。
もうこういうセンスやめません?
高校生の映画ファンが学園祭用に作った映画じゃないんだから。
一時が万事その調子で、「この映画の監督は高校生ですか?」と問いたくなる。
冒頭に出てくるファックボンバーズの面々が高校生で、手持ちの8mmカメラで「移動は任せておけ!」「あたしの手持ちは最高!」とか言う。
高校生ってやたら手持ちが好きなんだよね。
僕も経験があるから解るけど、三脚を立てるのが面倒くさくなるから手持ちになっちゃんうんだ。それを高校生は「三脚なんか立てる映画は古くさい。この躍動感が俺たちなんだ!」とか言うわけ。お若いですねえ、へへへ。

ファックボンバーズをかつての園子温と見れば(たぶんそうなのだろうけど)、園子温の映画に対する考えも見えてくる。
脈絡もなくただ「こう撮るんだ!」って言ってるだけじゃ映画にはならんだろう。
園子温の映画作りの発想ってあんな感じなのかな?

またさらに長谷川博己演じる平田がいちいち過剰な演技で勘にさわる。敵対する組長役の堤真一を変な顔をして笑いをとる。そういうのがいちいち癪に障る。
とにかく1から10まで気に入らない。

パンフレットを読むと「映画原理主義者には園子温は嫌われる」みたいなことが書いてあって、さも「園子温が嫌いな奴は古い、バカだ」といいたげ。
まあパンフレットなんて園子温の映画を見に来てくれてさらに気に入ってくれた人が大抵は買うもんだから、好きでない人の悪口を書くのもよかろう。
私なんかは機械的に買ってるだけなんだけど。

ひがみを込めて言えば園子温は「俺の映画が解らない奴は頭が固いバカ。俺は天才。天才はなにやっても許される。撮影中に人が死んでも園子温の映画で死ねたんだからありがたいと思え!女はみんなやっちまってもいいんだ!」って考えてるんだろうな。
たとえそう思ってなくてもそんな感じに見えてきた。

「冷たい熱帯魚」「ヒミズ」「恋の罪」「希望の国」そして壷作りを題材にしたピンクを1本、そしてこれで合計6作品観たが、まあよかったのはピンク。「冷たい熱帯魚」は嫌いだけど力作だとは認める。

6本観て気に入らないのだから、もうこれからもあわないだろうな。別に映画史を俯瞰するために映画を観てるわけじゃないから、そろそろ園子温の映画を観るのはやめにしよう。

二階堂ふみは美人でよかった。
そうそう書き忘れたけど、ミッキー・カーチスの老映写技師が映写機の横で葉巻を吸うシーンがある。
いくらフィルムが不燃性になったとはいえ、煙がつけばプリントが汚れる。映写技師として失格なのでは?

「大ヒット御礼」という名のテコ入れでこの3連休はバルト9のこの映画の来場者には全員ポスタープレゼント。
帰りに破り捨ててやろうかと思ったが、ポスターや映画館スタッフには罪がないのでやめておいた。



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006は浮気の番号


日時 2013年10月13日17:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 近江俊郎
製作 昭和40年(1965年)

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山長製薬では成分らしい成分は入っていない風邪薬「カゼナオール」でショック死事件があり、厚生省から販売停止命令が出て弱っていた。社長の山田(由利徹)は寝込んでしまう。実はライバル会社の八田利製薬の社長(南利明)や社員(千葉信男)がたまたま起こったショック死事件を利用して陥れているだけだったのだ。
山長はとりあえず娘早苗(三沢あけみ)が社長代行に。
寝込んでいる社長は退屈でホステスを看護婦と偽って看護させる。
そんな時、山田は焼鳥屋で今は競馬の予想屋をしている木原(佐山俊二)と再会。かつて二人は戦友で生死をともにした仲だった。山田は南方で夢の中でご先祖の山田長政に会って精力剤の話を聞いたことを思い出す。


ラピュタ阿佐ヶ谷の「日活レアもの特集」での上映。
今回の上映のにニュープリントにしての上映。タイトルも007のパロディだし、取り合えず観てみるか、で観た次第。
思った通り面白くない。
由利徹主演、近江俊郎監督のコンビは以前「カックン超特急」という面白くないコメディを観て免疫がついていたので腹が立つことはなかった。

とにかく脚本がだめ。
映画の筋の芯がない。「会社再生のために新薬を開発!」という縦糸の元にすったもんだがあるなら解るけど、なかなかそこに至らず、脚本を書きながら「次どうしようか?競馬の予想屋でも登場させるか」と思いついたままのシーンを並べていっただけのような脚本。

「お父さんの競馬の予想が当たらない」と娘が友達に言うと、「じゃあたしの知り合いを紹介してあげる。何かの役にたつかも?」と動物の言語研究者(杉狂児)の元につれていく。
で、競馬馬の元にその学者を連れていくと馬たちの人間関係ならぬ馬間関係が解って勝つ馬も予想が出来た。
それで大穴を当てて・・・というシーンはあまりのばかばかしさに失笑したが、話が脱線しすぎ。

で山長の先祖の山田長政の夢の中に出てきた6つの壷のうち、一つは持ち帰っていたのだがそこから「6つの壷の薬を混ぜると不老不死になる」とわかり、その壷をもとめて南方へ。
あっさり見つかり、そこから作った薬をアンコールワットで見つかった薬ということで「アンコール006」として売り出し、精力剤として大ヒット商品に。
やっと出てきたよ、「006」が。

で、ここで一挙に30年経つ(というと1995年か)。
アンコール006のおかげでまた子供を作った山田だが、その息子(由利徹)が今度社長に。
でもその「アンコール006」も「日本人の浮気を増長した」ということで厚生省から販売停止に、というオチ。

「こんな映画を配給していたんじゃ(制作は日活ではない)日活も(日本映画も)客が来なくなるわなあ」と(もちろん日活のロマンポルノ化はそれだけが原因じゃないと解っているけど)ため息がつきたくなるような映画だった。



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飛べ!ダコタ


日時 2013年10月13日13:40〜
場所 シネマスクエアとうきゅう
監督 油谷誠至

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終戦間もない昭和21年1月。新潟県佐渡島に一機のイギリス輸送機が不時着した。
その飛行機ダコタは上海領事を東京に輸送中にエンジントラブルで不時着したのだ。
村の村長の森本(柄本明)は飛行機で寝泊まりする彼らを見て、「自分の家は旅館だから」と宿の提供を申し出る。
もちろん村人の中にも抵抗はあった。数ヶ月前まで「鬼畜米英」と言われたイギリスだ。しかも家族を戦争で失った者もいる。イギリスにはそうそうあっさりと友好的になれない。
村長はそんなみんなに「この島は流刑者も日蓮上人もみんな受け入れてきた。来たもんを受け入れるのがこの島の勤め」と諭す。
村長の娘千代子(比嘉愛未)が先頭に立って受け入れていくが、彼女の幼なじみの木村健一(窪田正孝)はその輪に入ることはなかった。
村一番の優等生として海軍兵学校に入った健一だが、訓練中の事故で足を失った彼は、戦地に行くこともなくこの村に帰って来ていた。「日本の為に死ね」と教育されそう信じてきた彼にはイギリス人は受け入れられないものがある。


実話の映画化。実際の機長の息子が佐渡を訪れ、「この話を風化させないでほしい」と願ったことから映画がスタートしたとか。
低予算のご当地映画化と思ったら、金はかかっている。
砂浜に飛行機がおいてある訳だけど、その飛行機も張りぼてではなく、どこかに残っていた同型機を持ってきたとか。
ラストのダコタの出発シーンで見送る村民のカットなど、隅々まで人がいて(CGで増やしたわけではないと思う)金がかかっている。何しろ人数だけでなく、衣装もそろえなければならないから、あのシーンだけで一体何百万かかっていることか。

とにかくいい人が登場し、涙涙の感動作だ。
最初は怖がっていた村人も、大波が海岸をおそうかも知れないと解ったとき、村中の人が飛行機を丘に持ち上げる。
それを始める前にベンガルの消防団長が「ここ(頭)は解っとるがここ(胸)では許せん」という。
そういう複雑な気持ちを持ちながら村人とダコタの乗組員は交流していく。

ここが前半の見せ場。
中盤の見せ場はあるイギリス乗組員が母の写真の入ったペンダントを無くす。それを海岸で拾って届ける村の女。
「よかった、よかった」と喜ぶが、彼女の息子の戦死がかつての戦友から届けられる。
息子はイギリス軍との戦いで戦死した。
悲観して海に入ろうとする村の女。それを助けるのがそのイギリス乗員。
いや〜素直に泣けますねえ。

そして最後の見せ場。
今までどうしてもイギリス乗員に好意的なれなかった健一。かれが最後に協力的になるかと思ったら、そこまで甘くない。その飛行機がかつてのインパール作戦で、イギリス司令官の専用機だったと知ったとき、その飛行機に火を放とうとする。
結局事件は未然に防がれるが、イギリス側も「被害はなかったから」ということで不問にふす。
そして健一もやっと軍隊教育の呪縛を自分から説くことが出来た。

ラスト、「戦争は軍部が始めた。私らだまされとった」という村の女に「いや、わしらが始めた戦争だ。だまされとったと言ったんではまた次の戦争が起こる」といい、映画は締めくくられる。

甘ったるい感じもしないでもないが、国を越えた人間と人間の交流を描いた良作だ。

私は好きな映画である。
窪田正孝は安定のよさ、安心感のある役者である。



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朝日のあたる家


日時 2013年10月13日10:30〜
場所 アップリンク・ファクトリー
監督 太田隆文

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静岡県湖西市。なにもない田舎で平田あかね(平沢いずみ)は都会に出たいと願っていた。ここは山岡原発から60Km。そんなある日、地震が起きる。
幸い地震そのものはそれほどではなく、地震や津波で家がなくなることはなかった。
しかし原発は事故を起こした。テレビや新聞は大したことはないという。念のために避難を勧告され、近所の体育館に避難する平田家。
平田家はイチゴのビニールハウスを営む父、俊夫(並木史朗)、母、良枝(斉藤とも子)、あかね、中学生の舞(橋本わかな)の4人家族。
しかし彼らは二度と元の暮らしをすることは出来なかった。


反原発映画の決定版的映画。
いや反原発映画ならこれぐらいストレートに行かなくちゃ。
映画としては説明せりふも多く、ストレート過ぎる表現になんだかこそばゆいものを感じる人もいるだろう。
でも完全に傾向映画で反原発プロパガンダなんだからいいんです。

避難した平田家たち避難民は一時帰宅が認められる。
でも時間は2時間だけ。中学生は大人の放射能の影響が数倍大きいということで舞だけが留守番。
しかし近所のかわいがっていた犬が心配な彼女は平田家の車のトランクに入って我が家へ。その地域は防護服を着なければならないと言うのに!
そして何の防護もなしに近所を歩く舞を見て、ハラハラするよりイライラした。
バカヤロー!

そしてなにも知らない平田家は舞を残して車を出発させてしまう。
夜になって舞がいないことが解って家に迎えに行くのだが、早く見つかってよかったね。(この辺はすこし駆け足だからカットされたのかも知れない)

避難解除されたが、帰宅が先で除染はこれからという行政。説明会で住民が無言の抗議を行うが、結局決定は変わらない。

で、沖縄で今はお好み焼き屋をしている光太郎おじさん(山本太郎)がやってくる。
「沖縄に避難しよう」と。
俊夫を説得するが「そう簡単にはふるさとは捨てられん!」
「将来、舞ちゃんにあのときどうして避難しなかったと言われたらどうするんですか?」
「舞は俺が守る!」
「どう守るんですか?除染、出来てないでしょう?」
「ふるさと離れて沖縄に行ったおまえは割り切れるだろうが、俺はそうはいかん!」
実は私もふるさとを離れて東京に住んでいるクチなので、正直、ふるさとにこだわる感覚がよく解らない。
でもそういうものかなあ。

俊夫一人が帰り除線をするのだが、線量が下がったと思ったら、またあがっている。
次のカットで風にざわざわと揺れる木々のカットがインサートされる。
そう、除染したって、すぐにまた風に流されて放射性物質はやってくる。やってもやってもやってくる。
たぶん永久になくならない。無駄ともいう。
ここで俊夫が慟哭の叫びをあげるのはストレート過ぎるとも思うが、プロパガンダ映画なんだからこれでよい。

俊夫たちの近所に健二(いしだ壱成)という事故前から反原発運動をしてる青年がいるのだが、その青年の母が「原発が憎い」の遺言を壁に書いて自殺。
ここでも慟哭の叫び。
ストレートで好きです。

ラストは結局除染はあきらめ、平田家は他県へ避難する。
「これでふるさとも見納めだから」と車で家の近くを通る。
「窓を開けないで車の中からだから、行っても大丈夫だ」と父親は言ってたけど、あかねは窓を開けふるさとに向かって「ありがとう〜!」
おいおい窓開けていいのかよ!と思わず突っ込んでしまったが、映画としてはああなるかな?

あと個人的には家族が原発で働いてるとか、原発交付金をもらったことがある人間とか、そういう「原発に頼ってしまった、頼っている、頼らざるを得なかった」という人物が登場すれば視点が多くなってよかったかも知れないと思う。

興行的には苦戦してるようだが、少なくとも製作費は回収してほしいと思う。



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鈴の音の誘い


日時 2013年10月12日15:40〜
場所 光音座1
監督 関根和美
製作 オーピー映画

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出版社の児童書の部署に勤めている慎太郎(竹本泰志)はゲイバーで働く友則と同棲していた。
最近、慎太郎は仕事が忙しくて友則につれない。
ある日、部下の実花から縁結びの神社の話を聞く。その神社には慎太郎は学生時代の恋人、陽一と行ったことがあった。
その夜、実花から告白される慎太郎だが、自分はホモだからと断る。逆上する実花。
そして鈴の音がして陽一が立っていた。再会して愛を確かめあう二人。気がつくと昔神社に行ったときに買った鈴が落ちていた。
帰って友則に陽一と会ったことを話すが信じてもらえない。
後で解るが、陽一は学生時代に交通事故で死んでいたのだ。


死者が蘇ってかつての恋人と再会するファンタジーなお話。
ラストにはどんでん返しがあって、実は慎太郎は実花に殺されていたのだ。
その後のことは逆にまだ魂が残っている慎太郎のイメージだったのだ。
このオチは面白かったと思う。
見てるこっちは幽霊に振り回されていく慎太郎がどのような結末を迎えるか興味津々だったが、その期待には応えてくれた。

でもまあ率直に言ってそれだけの映画。
出演はピンク映画でも出演作の多い竹本泰志。
仕事の出来そうなビジネスマンを好演していた。
正直、出演者にもう少し魅力があればもっと盛り上がったろうが、それはいつものピンク映画の話で言ってはいけないお約束だろう。

でもオチまでにもう少し話の盛り上がりがあればもっと効果的だったと悔やまれてならない。



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義経伝説


日時 2013年10月12日14:40〜
場所 光音座1
監督 剣崎 譲
製作 ENKプロモーション

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京の街。ここで弁介というホモは毎日、男を求めてハッテンしまくり、1000人と男とすることを目標としていた。今日も橋の上で女に振られたらしい男を「女より楽しいことをしよう」と無理矢理ホテルに誘い込み犯していた。この男で999人。次はいよいよ目標の1000人だ。
そんなとき、五条の橋の上で美少年(川口星矢)に出会う弁介。
その美少年を犯そうとするが、逆に彼が射精させられてしまう。「せめて名前を!」という弁介に「義経」と答えるのだった。


弁慶と義経を京都を舞台に現代に蘇らせたら面白いんじゃない?というアイデアから生まれたような映画。
でも結局設定は出来たが、その後の話が膨らませられなかったんじゃないだろうか?

弁介は知り合いのゲイバーのスタッフやママに義経のことを聞いてみる。義経は鞍馬山に住んでると聞き、鞍馬山に行ってみる義経。
紅葉の中、鞍馬に向かう電車を含めた画が美しい。
ここで義経に再会した弁介は「股間が虫に刺された。血が出た」と血の染みがついたふんどしをだして、「消毒しましょう」となめてもらう。

で、この後ゲイバーのスタッフが誰かとしている濡れ場があって、弁介はこのスタッフから「市長選の現市長の対立候補として義経さんの兄、みたもと頼朝が出馬する。別れて暮らしていた弟と涙の再会をして浮動票をねらおうとしている」と教えてもらう。
「そんな選挙運動に義経様を利用させてたまるか!」と弁介は鞍馬山に駆けつけるが、義経は迎えにきた(誘拐しにきた)頼朝の部下を倒してしまう。
でもここがアクションシーンがあるわけではなく、せりふと格闘のイメージで処理する大胆な手抜き、というか何か事情があったのか?

で、上半身裸で鞍馬の山にたつ義経を見て「美しい」とオナニーする弁介。って何の役にも立ってない。
どうしてこうなったんだろう?
何か脚本を大幅に変更しなければならない事情があったんだろうか?
現代に蘇った義経と弁慶で二人は男の絆で結ばれていた、って面白くなりそうな設定だと思うんですが。

京都ロケが美しかっただけにもったいないです。



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そして父になる


日時 2013年10月11日19:15〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン3
監督 是枝裕和

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大手建設会社のエリートサラリーマンの野々宮良多(福山雅治)は一人息子の慶太(二宮慶太)の性格にすこしいらだちを感じていた。努力して今の地位を勝ち取った良多にはおとなしい性格の慶太が不満だったのだ。
そんな時、妻が出産した前橋の病院から連絡が入った。自分の子供は取り違えられていたというのだ。
自分の本当の子供を育てたのは前橋の商店街で小さな電機屋を営む斎木雄大(リリー・フランキー)とゆかり(真木よう子)だった。
病院の勧めもあって子供を元に戻すために両家の交流が始まる。良多の妻、みどり(尾野真千子)とゆかりは母親同士、情報交換をするような仲になったが、良多には斎木は田舎の電器屋にしか見えない。


今年のカンヌ映画祭審査員賞受賞作品。
「子供を取り違えられた親子の話」と聞いていたので、この「子供取り違え事件」を多面的に描くのかと思ったら、ちょっと違っていた。
「そして父になる」のタイトルの通り、野々宮が「父としての自覚を改めて持つ」という話だった。
この事件によって野々宮がどう変化していったか、という話だから、極端な話、題材が子供の取り違え事件でなくても成立する。

映画の話は基本的に野々宮の視点で語られ、野々宮の出てこないシーンは少ない。
自分としては病院の責任者の小倉一郎がこの事態にどう対応したか、リリー・フランキーは慶太とどう接していったか、などはあまり描かれない。

基本、野々宮はいやな奴である(私にとっては)。もちろんそうは思わない人もいるだろうけど。
大手建設会社で出世街道まっしぐらで、それでいて本人は新プロジェクトの提案で「幸せな家族像」を表現したりする(ちらっとしか出ないけど、新プロジェクトの模型で「この辺に人をもっと足して」とか「住む人に愛される地区」を提案しようとしている)。
子供を生んだ前橋中央病院も「あんな田舎の病院」と言い放ち、斎木の寂れた電器店も「つぶれかけた田舎の電器屋」と実はバカにしている。

あまり子供と遊ぼうとしない野々宮に対し、年上の斎木が「もう少し子供と接した方がいいよ。(一週間同じ家に住んでいるあんたより週末だけ会っている)俺の方が接している時間長いよ」というが「私は何でも一人でやらせる方針です」とそっけない。
「賠償金がいくらとれるかなあ?」といい、家族の食事代も病院に払わせようとする斎木を下に見るが、「お金は用意しますから、子供は二人とも引き取らせてください」と頼む。たぶん彼は今まで仕事のことはすべて金で解決させてきたのだろう。

そういう実にいやな奴である。
そんな彼が老いた自分の父親などを観て親子関係を見直していく。(父親(夏八木勲)と会うシーンでは野々宮の兄が登場するが、これが高橋和也だが、ふたり並ぶと良多の方が兄みたいだった)
また今回の子供の取り違え事件も当時の看護婦が、一番高い病室にいてみんなから祝福されていた野々宮家が妬ましかったからだと証言する。
(この展開は意外だった)

「頑張って出世する」という勝者の論理で生きてきたし、成功していないものは努力してない怠け者、田舎者は所詮はバカばっか、寂れていくのは彼らがバカで努力をしていないから、と考えていた野々宮。
しかし引き取った本来の息子、琉晴(ファン・ショウゲン)は自分の意のままにはならない。
病院の賠償金とは別にわずかなお金を払った看護婦の家に行き、看護婦を責めると子供が彼女を守る。
「お前は関係ない」「いや、ある。俺の母親だからだ」と答える子供に対して、野々宮は負けを認める。

そして慶太が自分の知らないところで自分の写真を撮っており、その愛情表現に自分が答えていなかったと気づいたとき、彼はついに自分の過ちを認める。
で、慶太には謝り、子供との接し方を改めるというエンディング。

慶太と再会した野々宮が、慶太に謝って斎木の店に戻るシーンで映画は終わる。実は問題は完全には解決していない。
この二つの家族は今後どうやって子供の入れ替えを行っていくのだろうか?
結局決着はついていない。しかしそれは数ヶ月で決着がつくような問題ではないのだろう。
これから何年も家族ぐるみでそれこそ親戚のようにつきあっていきながら、お互い二人の子供たちを元に戻していくのだろう。
その小さな障害になっていた野々宮も心を入れ替えた。
たぶんうまくいくのだろう、と思う。

結局は家族を顧みずに「努力した者だけが成功し、失敗した者はすべて怠け者」という考え方のエリートが自分を見つめ直す話。
だから題材が子供取り違え事件じゃなくても話は成立したと思う。

期待した話とちょっと違ったので(賠償金はいくらだったかちょっと気になる)満足感はなかったというのが本音。
でも結婚もしてないし、子供もいない私にはまだまだ理解できない世界があるかも知れない。
しかし今回分かったのは自分が福山雅治が好きではないとうこと。何故かって?それは全部持ってる感じがするから。ああ、俺って人間が小さい・・・



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惑星ソラリス


日時 2013年10月6日19:30〜
場所 下高井戸シネマ
監督 アンドレイ・タルコフスキー
製作 1972年
日本公開 1977年(昭和52年)

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ソラリスの海を探査した飛行士から「ソラリスの海で大きな赤ん坊を観た。ソラリスの海は意志を持ってるのでは?」という報告があったが、「あり得ないこと」と無視される。しかし「未知の惑星だからこそ我々の想像を越えることが起こるのかも知れない」という意見もあり、クリス(ドナタス・バニオニス)はソラリス探査を命じられる。
ソラリスの近くの宇宙ステーションには3人の学者が研究をしていたが、クリスの友人だった学者は自殺していた。
クリス、スナウト、サルトリウスの3人しかいない宇宙ステーション。しかし他にも誰かいる!
そしてクリスの前に10年前に自殺した妻が現れる。
スナウトの話ではソラリスが人間の意識の中にある人間を送ってくるのだという。


日本公開は1977年だが、ちょうどその頃は映画雑誌では「スター・ウォーズ」が話題になっており、同じSFとして「アメリカの『スター・ウォーズ』、ソ連の『惑星ソラリス』」と話題になることが多かった。
そして長くて眠くなる映画だとも。
アメリカ映画はテンポもあって派手だが、ソ連は重厚長大な映画、というアメリカ、ソ連の映画の違いの話題にされたなあ。
「『スター・ウォーズ』は何回観た?って訊くけど、『惑星ソラリス』は何回寝た?って訊く」とまで雑誌で書かれていて、その文章はよく記憶に残っている。
(だから書いたわけだが)

「そんな長くて眠くなるような映画なんか観たくない」と公開当時は観なかった。でもその見逃していることがずっと引っかかっていて、「いつか観なければ!」と思っていた。
今回(去年タルコフスキーの生誕80年特集があったらしい。私は知らなかったけど)下高井戸シネマで上映されるにあたり駆けつけた次第。
(実は先週は「僕の村は戦場だった」が上映され、観たかったが先週の日曜日は疲れていたのでパス。まあこっちは観たことあったから。でもたぶん大学1年に池袋・文芸座で観ただけだと思うけど)
19:30からの上映で22:20終了ですからねえ。昼間の上映じゃないから寝てしまうかも?と思ったが、なんとか耐えられた。(とは言っても数秒間目をつぶってしまったことは2、3回あった)

たしかにテンポは遅いし眠くなるわ。
普通ならクリスがソラリスに出発するところから話が始まり、ソラリスについての説明は旅の途中でされそうだが、クリスが出発するまで1時間弱ある。
ここでクリスにその「赤ん坊を見た」という宇宙飛行士が登場するのだが、(クリスは公聴会のビデオを見るのだが、クリスに会っている男は何十年分も老けている。それだけ時間が経ったのか?)この男が帰るとき、モノクロの画面に未来都市の風景として高速道路が登場する。
これがロケされたのは東京の高速道路。
首都高速新宿線を外苑から赤坂トンネルに入っていくあたり、環状線外回りの飯倉出口付近が登場する。
それと赤坂プリンスホテルあたりから見た首都高速と国道246の交差する赤坂見附交差点も登場。
普段見ている風景ですが、未来都市に見えるのが不思議ですねえ。

で、まあお話の方はソラリスについてからは宇宙ステーションの中だけだし、登場人物も4人程度と実に単調。
予算も少なくてすみそうだなあ。
クリスは妻の死について仕事で忙しくて妻をほったらかしにしてしまい、また自宅に毒物をおいたままにしておいたので、それを注射して妻は自殺したから、妻の死は自分の責任と思っている。

そういった人間の贖罪の意識を読みとってくるのが、ソラリスの海なのだ。
そしてクリスの意識をソラリスに照射する(っていうのが画的に見せてくれないので、具体的にどうやったのかよく分からない。その辺が見せ場としないのが、ソ連映画だからか、タルコフスキーだからか)。
クリスは地球に生還し、映画の冒頭に出た父の住む実家の田舎に来る。
そして父と再会する。
ここでカメラが地上を写しながらどんどん空中に上っていき、そこは地球ではなくソラリスの海に浮かぶ島だった、というオチ。
たぶん誰でもそうかも知れないけどこのオチは読めた。
それにしてもこのズームダウンが惜しいのだなあ。
今ならCGで何てことないだろうが、当時の技術では時々雲で地上が隠れて実景から合成に移っていく過程をごまかしている。

最近「ミステリー・ゾーン」のDVDマガジンが刊行され、少し買ったので見直しているのだが、この「ソラリス」も「ミステリー・ゾーン」の1本として30分ならもっと面白かったかも?
ラストのソラリスの海の俯瞰の画像に「クリスはこうしてミステリーゾーンに落ちていったのです」というナレーションでも流れればぴったりだと思うのだが。

正直、映画が面白かった云々より、35年の宿題を果たせた満足感でいっぱいだった。
こういう映画も実に珍しい。
あとは「旅芸人の記録」もこのたぐいかな。
でもこっちはまだ手を出したいとは思わないな。



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恐怖省


日時 2013年10月6日13:50〜
場所 新橋文化劇場
監督 フィリッツ・ラング
製作 1944年(昭和19年)

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戦時下のイギリス(映画製作時の現代)。
ニールは病気の妻を安楽死させた罪で精神病院に2年間入院していた。そこから退院した日、ロンドンへ帰ろうとするが、近くで慈善バザーが行われてるのを知り、汽車が来るまでの時間を過ごしてみる。
そこで「ケーキの重さ当てゲーム」が行われており、ホールケーキを持ってみてその重さを言ってみて一番近かった人がもらうゲームだった。参加した後、占いのコーナーに行ってみる。そこで未来のことを訪ねたらケーキの重さを教えてくれた。再度ゲームに当選したニール。ケーキをもらって帰ろうとしたところ、「すいません、間違いでした。ケーキを返してください」と呼び止められる。
無視して汽車に乗り込むニール。汽車には盲人が乗ってきた。彼にもケーキを分け与えたところ、食べもせずケーキを握ってつぶしている。
そんなときドイツによる空襲が起こる。どさくさに紛れケーキを持って逃げる盲人。彼は実は目が見えるのだ。


フィリッツ・ラングがアメリカに渡ってからの作品。
タイトルが怖いですねえ。「恐怖省」ですよ。財務省とか厚生労働省とか国土交通相と同じように恐怖を司る「省」ですよ。どんな恐怖政治が行われる政治映画なのだろう?と思ってタイトルに惹かれて観てみた。

恐怖政治の映画じゃなくてサスペンス映画だった。
もうヒッチコックばりの巻き込まれ型サスペンスである。
「逃走迷路」とか「北北西に進路を取れ」のように主人公がふとした間違いから国家的な事件に巻き込まれていき、誰が敵で誰が味方か解らない、美女が出てきて誘惑される、という展開。

映画は空襲で怪しい盲人は死に、ロンドンへ帰るニール。
あのバザーの主催者を訪ねてその事務所に行ってみて、そこにいた責任者のウイリーとカーラの兄妹と知り合う。
ウイリーとともに例の占い師のところに行ってみる。
ところが現れた人はバザーで会った人とは別人でそこで殺人事件が起こりニールは逃げるのだが・・・・

こんな感じで進展し、結局ケーキの中にはイギリスの秘密情報を撮影したマイクロフィルムが入っており、それをケーキに入れて受け渡すつもりだったが、誤ってニールが受け取ってしまっていたという訳。
何でケーキに入れたのかという疑問は残る。

ラスト、実はウイリーがスパイで・・というのが真相だが、スパイたちにニールとカーラがホテルの屋上に追いつめられるので、てっきりヒッチコックばりに「高いところから落っこちそうになる」というサスペンスをするかと思ったらしなかった。
そこはちょっとがっかり。

事件が解決してニールとカーラは結婚することに。
ドライブ中に「結婚式では大きなケーキが欲しいわねえ」とカーラが言うと「ケーキだって?」とニールは車を止めて「THE END」
ユーモアのある終わり方で、ホントにヒッチコックの映画みたいだった。
原作は「第三の男」のグレアム・グリーン。



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チャップリンの殺人狂時代


日時 2013年10月6日11:40〜
場所 新橋文化劇場
監督 チャールズ・チャップリン
製作 1947年(昭和22年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


アンリ・ヴェルドウ(チャールズ・チャップリン)は銀行の出納係として30年間勤めたが、大恐慌であっさりクビに。
彼は小さな子供と足の悪い妻を持つ身だったが、金持ちの未亡人たちを次々と狙って結婚し、金を奪って殺しているのだ。
しかしその彼もついに逮捕され、死刑になった。

あらすじを書くとこんな感じ。
この映画を観るのはたぶん35年ぶりぐらいじゃないか。
最後に観たのがいつかは覚えてないけど、たぶん中学生ぐらい。それまでに複数回(2、3回)は観てると思う。
前にも書いたけど、映画の観はじめにチャップリンに傾倒していてやたらと観たのだ。
後に大人になってからチャップリン映画を再見して嫌いになったけど。(僕の中でこれほど時間の経過で評価が変わった映画監督も珍しい)

そんな訳だから流れは忘れていてもシーンは大体覚えていた。
この映画はチャップリンの反戦思想が「独裁者」に続いて前面に出ている映画だと思うが、彼の芸を楽しむシーンがない。
昔はお金を数えるシーンの指使いに感心していたが、今観ると、別にお金をちゃんと数えているわけではあるまい。

笑いどころは映画の後半で殺そうとした婦人が、毒入りのワインを誤って自分が飲んでしまったり(実は飲んでいない)、チャップリンが用意した毒とメイドの白髪染め用の過酸化水素水が入れ違ってしまい、メイドの髪が抜けるとか、婦人を湖に連れ出してボートの上で殺そうとするがうまく行かない、といったあたり。
後は自分の別の婦人との結婚式にその先ほどの婦人が友達の友達で出席していて逃げるドタバタぐらい。

結局最後のシーンで「一人殺せば死刑だが、100万人殺せば英雄だ」のせりふが言いたかったことになり、そのせりふを言わせるためだけの物語に過ぎないと思う。
だったらもう少し短くてもいいんじゃないか?
2時間もあるよ。

あと有名なシーンでは街角に立っていた女を薬屋の友人から聞いた毒で殺してみようとして自分の部屋に連れ込むが、彼女に同情して殺すのをやめるシーン。
彼女とはヴェルドウが破産した後に再会するが、軍需工場の社長に拾われて今は金持ちになっているという皮肉。
ここらあたり「街の灯」と比較して論じるのはありだろうか?

そして最後にギロチン刑になるがたばことラム酒を勧められ、どちらもいらないと答えるが「あっちょっと。やっぱりラム酒はいただきます。飲んだことがなかったもので」といい、ラム酒を飲み干す。
どこまでも「生」を享受しようとするヴェルドウの姿が描かれ、印象深い。

とはいえ、やっぱり笑いのシーンは少ないし、ラストの「一人殺せば・・・」のせりふだけで事足りる映画にも見えるので、やっぱり僕としてはそれほど好きな映画ではないです、ハイ。



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クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡


日時 2013年10月5日14:30〜
場所 シネマバー ザ・グリソムギャング
監督 原恵一
製作 平成9年(1997年)

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成田空港にヘクソンという怪しい外国人がやってきて不思議な玉を持ってきたと怪しげな女性に渡す。その玉を奪うオカマ3人組。オカマたちは逃げるがそれを追うヘクソンたち。オカマのリーダー・ロースはなんとか逃げきるが、休んでいる間に肝心の玉をなくしてしまい、それをしんのすけが拾ってしまう。
家に持ち帰ったしんのすけだが、その玉は妹のひまわりが飲んでしまった!
その頃博物館では最近見つかった赤い埴輪が盗まれる事件が起こっていた。
実はその埴輪には大昔に魔人ジャークが封じ込まれれており、ひまわりが飲んだ玉をその赤い埴輪の穴にはめ込むとジャークが復活するのだ!
ヘクソンや表向きは銀座のママの玉王はジャークの復活をたくらんでおり、オカマ軍団はそれを阻止しようとしていた。
オカマたちはしんのすけ一家をヘクソンたちから守ろうと自分たちの故郷、「あ、それ山」に連れていく。


「クレヨンしんちゃん」シリーズ第5作。
原恵一監督の劇場用長編アニメの第1作目にあたる。
ギャグのエッジが立っていて正直今のしんちゃんより面白かった。
どこがどう面白かったかは文章にはしがたいが、一番笑ったのはオカマ軍団と野原一家が車に乗って逃げるとき、玉王の強い奴がドアをつかんで車にへばりつくのだが、その時にしんちゃんが「じゃんけん、ぽん!」とじゃんけんをして相手にパーを出させて手を離させるというギャグは個人的に大笑いした。
こういうのはしんちゃんじゃなきゃ出来ないですよ。

野原一家の旅に成田空港での事件を捜査するアクション大好きな役に立たない女刑事が加わってのアクションに次ぐアクション。
「あ、それ山」ではオカマ軍団(たまゆら族の末裔という設定)のたまゆら族の七人衆という「七人の侍」と同じ名前の侍が登場し、原監督の映画好きの一面を感じた。

で、結局玉はヘクソンや玉王たちの手に渡ってしまう、が玉は一旦はしんのすけたちが奪い返すのだが、しんのすけとひまわりがいたずらで埴輪にはめ込んでしまう。
こういう展開はしんちゃんじゃなきゃ出来ないな。
でも登場したジャークは玉を何千年もとられていたためにオカマになっており、しかも邪悪な力は「1996年12月31日」で賞味期限切れだったというオチ。
こういうのもしんちゃんじゃなきゃ出来ないなあ。

正直、アクションに次ぐアクションで最後は少し飽きた(これがあと10分短くて90分だったらもっとよかったのだが)が、それにしても爆笑の連続で面白かった。
やっぱり原恵一監督時代の方がしんちゃんは面白かったかな?



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凶悪


日時 2013年10月4日21:40〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン8
監督 白石和彌

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


雑誌記者の藤井修一(山田孝之)は上司からある死刑囚から「話したいことがあるので来てほしい」という手紙をもらったから一応行ってこいと言われ会いに行く。
その死刑囚・須藤純次(ピエール瀧)の話ではまだ余罪が3件あり、それはすべて木村孝雄(リリー・フランキー)という男の指示で行った殺人だという。
話を聞いてみた藤井だったが、須藤の話は「島なんとかという老人だった」とか曖昧な点が多く、信憑性も薄い。
編集長からも中止を言われる。しかい気になる藤井は独自に調査を開始する。
須藤の話は曖昧だったが、その曖昧な話から取材を重ねていくと、徐々に本当だと解ってくる。


観たい映画が溜まってきたのでパスしようとかと迷った映画だったが、観てよかった。
2時間越えの映画だが、緊張感が漂い全く飽きさせない。

ピエール瀧の須藤は完全な強面のヤクザ。こんな男に関わられたんじゃ怖くてたまらない。
死刑囚になってからの須藤は「人間ここまで変わるのか」と思わせるぐらいの柔和さ。しかし途中で藤井の取材がボツにされると聞いたときに豹変する須藤も怖い。
そしてリリー・フランキーの木村。にこにこした顔は人当たりが良さそうだが、その中に潜む狂気は実に怖い。

この映画はおそらくは「冷たい熱帯魚」の興業的成功に押されての実録事件の映画化だと思う。
その凶悪な事件が暴かれていく様は実に興味深く飽きさせない。
でもこの映画はそれだけではない。

藤井は実は今は認知症となった母と妻(池脇千鶴)と3人暮らし。藤井は仕事にかまけて面倒な母を妻に任せっぱなしにしている。壊れていく母に対して妻は次第に介護疲れとなっていく。
その母を施設に入れることに抵抗を感じる藤井。
妻には「あなたはその罪悪感から逃れるために仕事に打ち込んでいる」
作者はそう考えてはいなかったかも知れないが、事件の被害者たちも捨てられるような老人だ。ひょっとしたら藤井は被害者と自分の母をどこかで重ねていたのでは?

3件のうち証拠もそろって木村が逮捕されたのは借金まみれの老人を保険金目当てで殺した1件のみ。
あとの事件は死体を燃やしてしまったり、埋めたりその場所が解らなかったりで結局立件されてない。
裁判で藤井は須藤に「今更悔いてもだめだ。おまえは死刑になるべきだ」と責める。

そしてラスト。
木村と面会する藤井。木村は言う「俺に一番死刑になってもらいたいと思ってるのは被害者や被害者の遺族でも須藤でもない。一番死刑を望んでいるのは・・・」
木村は藤井を指指す。
先日森達也氏の「『自分の子どもが殺されても同じことがいえるのか』と叫ぶ人に訊きたい」を読んだせいかも知れないが、藤井の狂気的な追求にはちょっと疑問に思った。
もちろん社会正義の為とかもっともらしい理由はある。
それは間違ってはいない。

しかしそれだけだろうか?
自分が絶対的な正義の側にたつことで、自分が感じている「自分の中の悪」を帳消しに使用としてるのでは?
それは母のことかも知れないし、観てる観客で言えば普段の憂さ晴らしなのかも知れない。
そんなことこっちのうがった見方なのかも知れないが、観客の中の狂気も問われている気がした。

監督とか作者に死刑とかについてちょっと話してみたい気もする。



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僕たちの高原ホテル


日時 2013年10月3日20:30〜
場所 シネマート新宿1
監督 横井健司

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


相沢歩(浜尾京介)は子供の頃から祖父、健三郎(河原崎建三)の勤める高原の小さなホテルで遊んでいた。祖父がいつも入れてくれる紅茶が大好きだった。
それから15年、歩はこのホテルの客室清掃係として同僚の板倉(諏訪太朗)と働いていた。しかし歩に子供の頃の明るさはない。そんな時、新任のマネージャーの沢城柳也(渡辺大輔)がこのホテルにやってくる。
ホテルマンとしてのサービス向上に勤める沢城。厳しいやり方に不満をいうスタッフもいたが、料理長、宮川(小倉一郎)は沢城の方針に賛成だった。
出入りの花屋の望月はなんとか歩を明るくさせようとするが、彼は自分の殻に閉じこもったままだ。


「タクミくんシリーズ」の主演二人、監督、脚本(金杉弘子)の組み合わせによる映画。
パンフレットによると「観客から浜尾=渡辺コンビの映画がまた観たい」という声からこの映画が生まれた、と書いてあるが、まあ本当だろう。
要は柳の下のドジョウねらいだ。

原作ものかと思ったらオリジナル。BLかと思ったら(チラシとかを観るとたぶんそうじゃないと解っていたけど)BLじゃなかった。
観客はBLを期待したんじゃないかなあ?というか私の期待だっただけかも知れないけど。

正直、面白くもなんともないんだな。
そもそも歩が今のような引きこもり状態になったのは祖父が亡くなったから、としているが肝心の両親がどうなったかよく解らない。なんらかの事情で両親がいなくて祖父に育てられたらしいが。
で、祖父がイギリスのホテルに研修中(研修の講師として)行ってる間に急に亡くなってそれから歩は心をとざして引きこもり状態になって、それを花屋の望月がホテルに就職させた、という設定。

赤字続きのホテルというがその割にはまあお客さんは入っているように見える。
それよかこのホテル、厨房に料理長しかいないって何だよ?
キャスト費に制限があったからという事情は解るけど、ちょと無理があるだろう。
それと渡辺大輔の長髪(とあえていう)はホテルの敏腕マネージャーっぽくない。ラストではその姿で厨房に入るけど、帽子被れよ。
そういうことを突っ込むのは野暮だとは思うけど。

で、ラストのクライマックスが昔からの常連のお客様の金婚式の家族パーティでの食事会がある日に、料理長が病気で倒れてしまった!という展開。
ここでマネージャーの沢城が「僕がなんとかします」といきなり厨房に入るのだが、そりゃ無理だろう。
いくら下拵えがあると言っても冷凍食品じゃないんだから。
で、(その前に沢城が歩の心を開かせようとして返ってこじらせてしまうという展開があって)板倉が「なんとか相沢さんも戻ってきてください」と電話連絡し、その留守電を聞いた歩が沢城を助ける、で無事食事会は終わる、でめでたし。

いろいろ不満はあったけど、浜尾京介のファンなので彼を観てるだけでも十分楽しかった。
彼の主演のBLもまた観たいですねえ。



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