2013年12月

     東京オリンピック  47RONIN(2D字幕版)
カノジョは嘘を愛しすぎてる  ルパン三世VS名探偵コナン
THE MOVIE 
永遠の0  大人のオモチャ
ダッチワイフ・レポート
 
愛欲の罠 暴行 切り裂きジャック 戦場のメリークリスマス ローズマリーの赤ちゃん
怪物の花嫁 フォンターナ広場
イタリアの陰謀
キャプテン・フィリップス ゼロ・グラビティ
(IMAX 3D)
清洲会議 黒い太陽 嵐の中を突っ走れ 海底から来た女
1BR らぶほてる 走る男たち 指まがりのダンディー 燦燦ーさんさんー

東京オリンピック


日時 2013年12月31日13:10〜
場所 早稲田松竹
監督 市川崑
製作 昭和40年(1965年)

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1964年(昭和39年)の東京オリンピックの公式記録映画。
DVDとか出てるけどあまり映画館で上映される機会が少ないので今まで見逃してきたが、今回やっとみた。
まあ今年は2020年に東京でのオリンピック開催が決定して再びオリンピックに注目が集まってますし。

冒頭、近代オリンピックの第1回からのすべての開催地が読み上げられる。
「1940年、第2次世界大戦のため中止、1944年、再び戦争のため中止、1948年ロンドン大会、日本参加認められず」
そしてアテネで聖火が点火されそれが世界を渡っていく様を写していく。

とにかくこの映画の視点は「だれそれが金メダルを取った、勝者は誰それだった」という記録ででなく、「オリンピック」という「平和の祭典」という大イベントの記録なのだ。
だからこそむしろ勝敗は二の次だ。
途中で会場を準備したり片づけたりする運営スタッフを写し、「彼らもオリンピックの参加者なのです」とナレーションがかぶる。

それだけでなく観客のアップも多い。長嶋、王なども観客の一人だ。だがそれだけでなく市井の老若男女も多い。
観客もまたオリンピックの参加者の一人なのだ。
選手たちも単に競技の結果より競技に向かう緊張の表情とか人間としての表情にカメラは向かっている。

そしてアフリカで生まれたばかりの国、チャドの一人だけの選手も取り上げる。
メダルには届かないが、彼らもオリンピックの参加者の大事な一人。

「東洋の魔女」として有名になった女子バレーボールも登場する。でも勝利した後に監督のカットがあるのだが、あんまりうれしそうじゃない。一瞬「あれ?負けたのか?」と勘違いしてしまいそう。

そしてマラソン。
これはオリンピックとしてもクライマックスだが、映画でも他の競技と比べ比較的ながく紹介される。
リタイアした選手とか、完走した選手の傷ついた足をアップで捉える。競技の結果以上に「彼らがどんな思いで参加したか?」に視点があると思う。

「オリンピックは参加することに意義がある」とは言われて久しいが、現在はますます勝ち負けに重点が置かれそれに伴って金が動く。開催国招致もカネカネカネである。

でも本当は戦争を繰り返す人間に対し、スポーツというお祭りに選手だけでなくスタッフ観客も含めて一つになる。
それこそがオリンピックの意義なのだ、という主張を強く感じた。
名作と言われるゆえんだろう。



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47RONIN(2D字幕版)


日時 2013年12月30日19:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン1
監督 

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鎖国時代の日本。この国は外国からすると神秘の国だった。
赤穂の領地に住む浅野家は以前から吉良家に目を付けられていた。その赤穂に得体の知れない少年が迷い込んだ。
彼は鬼子として嫌われ、殺されようとしたが、浅野の配慮により助けられ育てられる。浅野の娘(柴咲コウ)は青年となったその鬼子・カイ(キアヌ・リーブス)を密かに想うようになる。
そんな頃将軍が赤穂にやってくることになった。
続いて吉良(浅野忠信)も将軍のおもてなしにやってきた。吉良は魔性(菊池凜子)を伴っている。
ある夜、その魔性の魔法によって吉良が娘を犯しておる幻想にとらわれ、吉良を切りつけてしまう。
そのために将軍の命により即刻切腹。吉良が赤穂を手に入れることになる。
浅野の家臣は浪人となり、筆頭の大石(真田広之)は1年間幽閉。
1年後、吉良は浅野の娘を妻としようとしていた。大石はカイの力を借りて息子の主税(赤西仁)とともに吉良を倒そうとする。


数年前から「キアヌ・リーブス主演で日本の忠臣蔵が映画化される」というニュースが入って来ていたが、出来たのがこれ。
一言で言って「あほらしい」
アメリカ人の日本の時代劇妄想はこんなものなのか?

鎖国時代は「神秘の国」というイメージで捉え、もう日本が「ロード・オブ・ザ・リング」か「ナルニア国物語」になっている。史実及び日本での定説無視。
でさらに英語をしゃべる日本人!(これは字幕版で観たからか。吹き替え版で観ればこの違和感はなかったかも知れないがかといってもう1回観る気はない)

忠臣蔵から離れてせいぜい「ヒントにした」ぐらいの感じで登場人物の名前も英語名だったら純粋にファンタジーとして楽しめたかも知れないが、観てる最中あほらしさが抜けずにぜんぜんついていけない。
しかも衣装や装飾が日本というより韓国、中国の雰囲気だからますますだめ。
途中で帰りたくなったよ。

ファンタジーとしても大決戦とか大きな見せ場があるわけでもなく、小規模な戦いしかないしね。
日本だったら十分大規模なんだろうけどハリウッド映画としては地味。
ラストは真田広之が吉良を倒し、キアヌ・リーブスが菊池凛子を倒して終わり。

もう最近真田広之は完全にアメリカの俳優ですね。菊地凛子も日本人っていうと彼女という発想もやめてほしい。
赤西仁は「ワンカットしか出ないのにハリウッドデビューとか言ってる」というのをネットで読んだ気がしたけど、それは全くの誤情報。ハリウッドデビューにふさわしい出番でしたよ。
日本での活躍が狭くなった分、アメリカで活躍できればいいですね。

そういえば「ベルリン忠臣蔵」っていう映画もあるらしいな。そっちも観てみようか。



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カノジョは嘘を愛しすぎてる


日時 2013年12月30日16:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン6
監督 小泉徳宏

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人気ロックバンド「CRUDE PLAY」は高校生4人組がデビューしたバンドだったが、ベースの心也(窪田正孝)だけが後から加わったメンバーだった。
もともとベース担当だった小笠原秋(佐藤健)は今は作詞作曲に専念している。デビューの時に社長の高樹(反町隆史)の「演奏はプロのスタジオミュージシャンで行く」という方針に反発し、自分の代わりを弾いていた心也とメンバーチェンジをしたのだ。
デビューして5年、売り上げは順調で問題はない。しかし秋は嘘にまみれただ音楽を消費していくだけのような音楽業界に何か疑問を感じていた。
そんな時、近所の川沿いの公園で小枝理子(大原櫻子)という女の子に出会う。
自分を「クリプレのaki」とは知らず「好きだ」と言ってくれた彼女を好きになる秋。
理子は実は仲間とバンド活動をしており、たまたま秋の家に行く途中だった高樹に見いだされ、デビューすることに。


またまた興味のない恋愛ドラマだが、佐藤健はお気に入りの俳優の一人なので、観に行った。
髪を無造作に延ばし、だらっとしたアーミーコートを羽織ってるだけなのだが、かっこいい。

本作では窪田正孝が出演しているのも見逃せない。
クリプレのメンバーだが、彼はもともとのメンバーではなく、どうしても他のメンバーに対する遠慮もあってちょっと浮いている。というか彼自身が溶け込めないでいる。
そういうちょっとさめた存在が非常にかっこいい。

「新しいバンドを見つけてきたからプロデュースしてみないか」と高樹に言われた秋だが、どんなメンバーかも知らずに断る。それを「僕にやらせてください」と申し出る心也。彼もまたクリプレはどこかに居場所がないと感じていたので自分のバンドが欲しかったという展開。

この心也のキャラクターがすごく気に入って、映画に入っていけたが後半は見せ場がなくなるのが残念。
まあ心也の挫折物語じゃないですからね。
でも窪田正孝がその陰のある役を見事にこなしていて、将来「怪奇大作戦」をやるときは彼に「牧史郎」を演じてもらいたいと何故か思った。

しかも今回は昔佐藤健が主演した映画で佐藤健の歌のシーンになると無音になるというふざけた映画(もはやタイトルも忘れた)と違ってちゃんと歌のシーンでは歌がでる。
そうです。歌は歌わねばなりません。

で秋は歌手の彼女がいたのだが、彼女と別れて理子とつきあうことになったが、キスしているところを写真にとられてしまい(キスシーンで「ああ大丈夫かあ?」と思ったらやっぱりそうなった。無防備すぎ)、理子と別れる代わりにスキャンダルを差し替えることで話を付ける。
ここらあたりから心也が登場しなくなる。

で、秋は誰も自分を知らないロンドンに行こうとして理子デビューコンサートが終わった誰もいない会場で二人で演奏して「ああ二人は別れないんだな」と思わせてクレジット。
クレジットが終わったら、演奏の終わった秋が「じゃ」とやはり歩きだす。「ああ、別れるのか」と思わせて戻ってきて秋は理子にキス。
という「えっ結局どっち?」という展開だった。
エンディングはぐだぐだだったなあ。

親友・瞬役で三浦翔平)、ドラマー矢崎役で「桐島、部活やめるってよ」の浅香航大が出演。



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ルパン三世VS名探偵コナン THE MOVIE


日時 2013年12月30日12:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン9
監督 亀垣一

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月島の宝石店から宝石が盗み出された。犯人は怪盗キッド。警察を巻いて逃亡するキッドを追うコナン。
しかしキッドではなくルパン三世の変装と見破ったコナンだったが、ルパンに逃げられてしまう。
ルパンは峰不二子がある男に捕らえられ、彼女を救いたければその宝石を奪ってこいと言われたのだ。
しかし相手にその宝石を見せると「今回はテスト。本番は東都銀行の貸し金庫に入っているチェリーサファイアを奪ってこいと命じられる。
ルパン逮捕の専任警部として銭形警部も参加。
一方コナンたちは来日中のイタリアのアイドル歌手エミリオが日本公演中止の脅迫を受けていることを知る。
実はこの脅迫はエミリオの自作自演だった。彼は自分のプロモーターのルチアーノがよからぬ事を計画していると知り、それを中止させることが目的だった。
ルチアーノの目的は、ルパンにチェリーサファイアを盗ませようとしている男、アラン・スミシーとの取引だった。


熱狂的というほどのファンではないけれど、「ルパン三世」は好き、コナンもそれほどファンではないけれどまあ好き、というわけでこの競演となればちょっと見に行こうという気になった。昔から「ルパン対ホームズ」とかあったしね。

普段なら新宿ピカデリーで観るのだが、最近ユナイテッドシネマから毎週末になるとメールで1200円になるクーポン券が送られてくるので、観たい作品が3本上映されてるのでとしまえんまで来た次第。

「実は」「実は」「実は」と相手の真意や本当の目的が最後まで読めない話の展開は面白い。
でも途中から「『ルパン対コナン』って今回が初めてじゃないの?なんか変だな」と思って映画を観終わってからパンフレットを観たら、すでにテレビスペシャルで対決してるそうで。しかも今回はそのスペシャル版に話が続いているというか関連があるようで、ラストでルパンの真の目的が明かされても「はぁ?」って言う感じで未消化のまま席を立つことに。

その点が難点だったが、逆転逆転の展開は飽きがこなくて日本映画では珍しいテンポの早いアクションに次ぐアクションの展開に、ハリウッド映画を観るようだ。
その辺がコナンの魅力で好きですね。

しかし今回のお宝が(早口のセリフでちらっと言うだけだから解りにくいけど。まあマクガフィンということでいいかも知れないが)ヴァスパニア鉱石というあらゆる探知システムを無力にするステルス能力を持った鉱石。
ただの宝石だ金貨だというのではない軍事的なものがスパイもののようですね。

あとはアラン・スミシーというのは昔アメリカでクレジットを隠す時に使う共通の変名。映画ファン向けのネタ。
あとルチアーノが飛行機から吸い出されるシーンで「ゴールドフィンガー」を思い出した。それと最後海に浮かぶ救命ボートの下から潜水艦が浮上するのは「007は二度死ぬ」か。
映画ファン向けのサービスが楽しい。
あんまり露骨にやられるといやだけど。



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永遠の0


日時 2013年12月27日21:15〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン3
監督 山崎貴

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佐伯健太郎(三浦春馬)は司法試験に落ち続けて失意の日々だった。母方の祖母、松乃の葬式で祖父賢一郎(夏八木勲)が号泣するのを見て驚く。そして母から驚きの事実を知らされる。松乃は賢一郎とは再婚で、健太郎の母は賢一郎の娘ではないというのだ。本当の祖父、宮部久蔵(岡田准一)は戦争で亡くなっていた。
祖父、久蔵のことを知りたくなった健太郎は戦争中の祖父を知る人を訪ねることにする。
祖父を知る人は長谷川(平幹二郎)をはじめとして多くの人は久蔵のことを「命が惜しいだけの男」「海軍一の臆病者」「恥さらし」と呼んだ。
失望する健太郎だったが、久蔵のことをよく知る井崎(橋爪功)は久蔵の本当の姿を語ってくれた。久蔵が何よりも「生きて帰る」をことを一番に考えたのは妻や生まれたばかりの娘のためだったというのだ。


百田尚樹のベストセラー小説「永遠の0」の映画化。
映画もヒット中のようだ。
特攻隊ものは何本も観ているが、観ている間、どうも違和感があった。
それは何より宮部久蔵という男が「生きて帰る」ことを第一に考えるキャラクターだということだ。
どっちかというと現代の人間が戦争中にタイムスリップしたような人間だ。

いやもちろん今までも戦争映画で「こんな戦争で死ぬのはごめんだ。なんとしても生きて帰る」という人間はいた。
しかしそういう人は「左翼の活動家」というような描かれ方をしてきた。「戦争と人間」の山本圭などはその典型的パターン。

久蔵は部下にも生き残ること前提とさせる。
しかし空中戦で乱戦になったとき、離れていたとうのだ。
あれでよく敵前逃亡として軍法会議にかけられなかったなあ。映画ではせいぜい上官に反抗して殴られるレベルだ。
なんかその辺が違和感が残り、どうにも乗り切れなかったというのが本音。
悪い映画だとは思いませんが。

観る前はオールCGなのかと思っていたが、基地のゼロ戦とかはレプリカだろう。
赤城の格納倉庫とかも作っていて、ミッドウエイ海戦の魚雷から爆弾、爆弾から魚雷のシーンもあって満足。
久蔵は赤城所属なので、真珠湾攻撃、ミッドウエイなどの各海戦も描かれるのは海戦ファンとしてはうれしい。
山本五十六や南雲忠一なども出てほしかったが、それをやると映画の本筋が見えなくなるから仕方ないか。

役者では現代パートの元軍人の橋爪功、田中泯、山本學がいい。橋爪功の一人語りなどベテランの貫禄。
井上真央はあの時代の女性に見えない。
主役の岡田准一。ラストの特攻シーンのアップがたまらない。
あの表情だけでもうこの映画は完成している。
もちろん過去パートの濱田岳(今年は「はじまりのみち」」といい、助演男優賞ものだ)、新井浩文らがいい。

それにしてもこういう映画では特攻隊で亡くなった方々に敬意を払うことがテーマとした作品だ。
それには異存はない。
しかし特攻というほとんど戦果をあげられなかった、ただメンツだけの為の作戦、戦ったふりだけをした作戦を命じた幹部たちを糾弾してほしい。
「後からいくから」と見送った幹部たち。本当に後から行ったのは宇垣纏と大西滝次郎ぐらいじゃないか?

そういう人間を糾弾しなければ、たた特攻隊の方々に敬意を払うだけではこの国はまた同じことをしそうな気がする。



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大人のオモチャ ダッチワイフ・レポート


日時 2013年12月23日17:00〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 曽根中生
製作 昭和50年(1975年)

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北極。ここで氷に閉じこめられた男たちはダッチワイフを使用した。隊員の小笠原(粟津號)は歓喜に包まれた。
同行した国立大学の医者である大森(益富信孝)が持ち込んだのだ。
帰国後、大人のおもちゃ専門店を訪ねた大森は金はいくらかかってもかまわないからとさらなる改良を求め、人形師と会う。
人形師は大森という男をなんとなく好かなかった。
ある日、小笠原が大森のもとを訪ねてきた。彼は再び北極の越冬隊を志願したのだが、その理由が再びあのダッチワイフに会えるかも知れないと思ったからというのだ。
「そんな精神的に不安定な奴を越冬隊に入れるわけにはいかない」と直ちに進言する。
そんな頃、大森の同僚医師クワタが今度結婚するという話を聞く。相手の女性秋本マリコはかつて自分を振ったミサコの妹だった。
そのことがあって大森もまたダッチワイフのとりこになっていた。
女性に対する復讐もかねて、マリコを今度のダッチワイフのモデルにする大森だった。


監督・曽根中生、脚本・大和屋竺の日活ロマンポルノ。
ファーストカットが北極に閉じこめられた砕氷船のミニチュアカットから始まったから、思わず驚く。
さすがは日活ロマンポルノだ。金がかかってる。
ピンク映画ではこうはいかない。(あっ若松孝二の映画でビルの爆破をミニチュアで撮った映画があったな)

大森教授がダッチワイフ研究者なのだが、新しいダッチワイフの改良提案に「この中のモーターのグラインドをこうして・・・そうすれば三段階になって処女、人妻などの使い分けが出来るはずだ」と大まじめにいうのが面白い。

粟津號がダッチワイフの虜になるのだが、ダッチワイフは無言かと思ったら、テープの音声でしゃべるのだな。
もっともいつも同じことをテープでしゃべるだけなのだが、「思い出すわ、あなたとの初めての夜を」「そうね」「いいわ」などと一方的にしゃべるのを逆に相づちを打つタイミングを修得し、逆にそれじゃないとだめだという。
う〜ん、そういうもんかも知れん。

教授の方もクワタと話をつけてその婚約者を人形師の元に連れていき、体の型を取らせる。
ようやく完成したダッチワイフはまずは自分の部屋に納品させる。

教授が挿入したところで「ぎゃ〜」。
どうやら彼女が復讐したようだ。
女性不信になってダッチワイフを作ることで自分自身の復讐心を満足させようとした教授だったが、逆にやられてしまったというオチ。
ラスト、街の雑踏を歩く、マリコの後ろ姿で終わるのだが、正直、どの人物を観てほしいのかすぐにわからず、迷った。



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愛欲の罠


日時 2013年12月23日15:30〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 大和屋竺
製作 昭和48年(1973年)

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殺し屋組織の幹部高川(大和屋竺)によって育てられた星(荒戸源次郎)。今日も高川の指示に従ってアメリカからやってきた幹部を射殺した。そして次なる標的を射殺した。しかし星は現場から逃げる車に自分の女・眉子(絵沢萌子)を同乗させていた。そのことが高川の激怒させる。
星たちが現場を去るときに相手に車を見られた。星は面が割れてないから安心と思ったのだが、眉子は見られている。実は眉子は高川の元愛人で、そもそも星の監視役として高川から派遣された女だったのだ。
その眉子が現場から逃げるのを目撃されれば、高川自身も危なくなる。
高川も組織にやられ、星も組織からやってきた殺し屋たちに狙われる。
星は売春宿に隠れ、そこの娼婦夢子(安田のぞみ)と過ごすのだが。


日活配給でロマンポルノの番線で公開されたらしいが(確認していない)、日活製作ではない(だから日活マークもでない)。
大和屋竺で荒戸源次郎なら鈴木清順を加えると「ツィゴイネルワイゼン」になりそうだ。

大和屋竺は後に「ルパン三世」で名前を知ったが、「殺しの烙印」も印象深い。
この映画も殺し屋同士の対決で「殺しの烙印」などの日活アクションを彷彿とさせる。

腹話術の人形と大男のコンビの殺し屋とか(これがどっちが人間でどっちが人形だかわからないのがミソ)、ゲームセンターでコルクの銃を撃ち合ったりと、微妙なシーンが続く。

しかしこの映画がどうにも盛り上がらないのは、役者の問題が大きいと思う。
主役が荒戸源次郎という点だろう。
これが宍戸錠などのスター級の役者が演じていたらさらに違ったはず。
そしてヒロインの絵沢萌子。彼女もどうもおばさんでいけない。これが真理アンヌぐらいが演じていたら、印象が違うだろうなあ。

そして熱帯植物園で例の腹話術人形コンビと対決。
なぜか映画館に入ってしまい、舞台から客席を見ると男(山谷初男)がいる。
その男が組織のボスとわかると撃ち殺す星。
最後に壇上から深々と頭を下げる。

観てるこっちに挨拶されたようなエンディングだった。
正直同じ脚本でも宍戸錠だったらなあ、と思わずにいられない怪作。

あっあとロケ地の話題。
絵沢萌子を連れていって問題になる現場だが、平和島のTTRC(東京流通センター)がロケに使われている。
行ったことのある場所なので、ちょっとびっくりしました。



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暴行 切り裂きジャック


日時 2013年12月23日14:10〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 長谷部安春
製作 1976年(昭和51年)

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大型のケーキと喫茶のお店でウエイトレスとして働き始めたユリ(桂たまき)。お客に愛想良く出来ずに店長に怒られてばかり。面白くなくて見習いのケーキ職人・ケン(林ゆたか)にちょっかいを出す。
ある雨の日に帰りを送ってほしいとケンに店の車を出させるユリ。雨の道を走るうち、ある女を乗せる。しかしその女はちょっと頭がおかしくて、車にあったケーキナイフで自分の腕を切りだし笑っている。
気味悪くなって女を車から降ろす二人。しかし女は車にしがみつき、ひき殺してしまう。女の死体を人気のない廃車置き場に隠す二人。人を殺してしまったという興奮状態で二人はセックスする。それは今までにない激しいものでユリは虜になってしまう。
そしてまた抱いてほしいと言い出すユリ。人を殺した後が激しくなるならまた人を殺そう。二人は通り魔殺人を繰り返す。やがてケンは殺人に快楽を見出し、一人でも殺しを行うようになった。


長谷部安春作品で、タイトルだけは聞いたことがあったので、鑑賞。
主役のユリが頭はもじゃもじゃでいかにも70年代のスケ番。はっきり言ってブスでいつも不満そうな顔をしている。ここで映画に魅力を感じない。
さらにケンの林ゆたかもなんだかさえない。
主役の二人に魅力を感じないから、この映画には乗れませんでした。

二人は最初の殺人(これはまあ事故ともいえる)から、故意の殺人になるが、まずターゲットになったのが、ケーキ店の常連でテニス帰りのいかにもお金持ちのお嬢さん。
いつも鼻持ちならないので、廃工場に連れだし犯し、エレベーターのシャフトに死体を隠す。
そしてユリに色目を使う中年客を連れだし墓地で殺して他人の墓のふたをあけて死体を隠す。

その殺人を犯す度に「シャバダバダ〜」とスキャットが流れる。音楽はまるで「初恋」にも使われたスイング・ガールズみたいな感じだ。
妙におしゃれ。

最初はユリに無理矢理に殺人を犯していったケンだが、だんだん自らの意志で殺人を犯すように。
もはやユリとのセックスなんかどうでもよくなってくる。
このあたりの今までケンを振り回していたユリが逆に振り回されるのが面白い。

ラスト、ケンは捕まらずに海岸を歩くシルエットのロングで終わる。今まで店の車をつかってさんざん殺人を犯してきたから目撃者とかで足がつくかと思ったら、最後まで捕まらない。
このラストはちょっと意外だった。
ロマンポルノというより日活ニューアクションの流れをくむ映画って感じだった。



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戦場のメリークリスマス


日時 2013年12月22日21:10〜
場所 オーディトリウム渋谷
監督 大島渚
製作 昭和58年(1983年)

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1942年、ジャワ。
この日本軍の連合国軍捕虜収容所では早朝、ハラ軍曹(ビートたけし)が、英国軍連絡将校ロレンス中佐(トム・コンティ)を呼び出す。
呼び出された先では日本人軍属のカネモト(ジョニー大倉)がオランダ兵を犯した罪で切腹を命じられようとしていた。ロレンスが所長のヨノイ大尉(坂本龍一)を呼んだため、所長の命令で処罰は一旦中止。
ヨノイは軍事裁判のためにバタビアへ。そこではジャック・セリアズ少佐(デヴィッド・ボウイ)が裁判にかけられていた。
セリアズを一目見て心を奪われるヨノイ。それは彼の美しさ故か、はたまた兵士としての威厳か。
ヨノイの主張もあってかセリアズは捕虜としてヨノイの収容所に移送される。


1983年、大島渚の5年ぶりの映画と言うことで当時、映画マスコミは大いに盛り上がっていた。
私自身、もうすでに「絞死刑」や「愛と希望の街」「青春残酷物語」は観ていて(と思う)大島渚は好きな監督だったからその監督作品を初めて封切りで観るという興奮に浸っていた。
そして大学映研を対象にした試写会にも参加し、上映後の質疑応答で坂本龍一も参加していて、十分気合いが入っていた。その後、封切り後にはミラノ座(だったと思う)にも行き、合計で5、6回は観たと思う。
結構ヒットしたので、当時アルバイトをしていた映画館でもレイトショーで19時から1回のみ上映していたので、ラストのハラとロレンスの再会シーンだけでも複数回観ている。
そういう極私的な思い出の多い映画だ。
そんな映画はそれほど多くない。

今回(少なくとも劇場では)30年ぶりに再会したわけだが、ほとんど記憶に残っていて「こんなカットあったけ?」ということは全くと言っていいほどなかった。
じゃこの映画すばらしいかというと実は当時からよくわからない映画(という言い方が適切かわからないが)と思っていた。
なんか違和感があるのだ。

ヨノイがセリアズを見てなにやら心を動かされ、それをやめさせようと周りが動く話だ。
特別大きな事件が起きるわけではない。
今で言う(当時はそんな言葉はなかったが)BL映画なのだな。
疑問なのはなぜ大島渚がBL映画を撮ったのが実感として分からない。
その後に取った「御法度」もBL映画だからそういう題材に興味があったのだろうけど、「絞死刑」「日本の夜と霧」などを取った監督のイメージと違う。

「愛のコリーダ」から「政治」から「性」に彼の関心はシフトしていったのだろうか?そういえばこの後に撮った「マックス・モン・アムール」は猿と同居する女性の話だった。
この映画も最初からBL映画として見れば素直に解釈できるのかも知れないが、「大島渚=政治映画」のイメージが邪魔をしてなにか違和感を感じたのだろう。
もう少し素直にならなければならないのはたぶん私の方だ。

それにしてもこの映画、私が大好きなのはトム・コンティだ。その後彼の出演作を観る機会はなかったから他でどんな活躍をしたかは知らない。
日本語はこの映画の為に勉強したそうだが、あのたどたどしい時にはよく聞き取れない日本語が何とも言えない。

この映画というとトム・コンティばかりが思い出される。
なんか書ききれない思い出でいっぱいだ。
ラストのたけしの「めりーくりすます、みすたーろーれんす」もたまらない。

映画の評価とは全く別にして、私にとっては極私的な思い出が詰まった思い出の映画だ。



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ローズマリーの赤ちゃん


日時 2013年12月22日15:10〜
場所 新橋文化劇場
監督 ロマン・ポランスキー
製作 1969年(昭和44年)

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ニューヨーク。そこそこ売れているがまだスターというほどではない俳優・ガイを夫に持つローズマリー・ウッドワード(ミア・ファロー)はマンハッタンの中心部のアパートを借りることにした。
前の住人が突然死したために借りたのだが、クローゼットの前になぜかタンスがおいてあり、それがちょっと気になった。しかしローズマリーの父親代わりのような存在の友人は「そのアパートは昔から殺人や自殺の噂が多い。やめておいた方がいい」と止めるが、ローズマリーは気にしなかった。
ローズマリーは隣の部屋の老夫婦に子供のようにかわいがってもらってるという女性と地下のランドリーで出会う。
意気投合した二人だったが、その晩彼女は7階の部屋の窓から転落死してしまう。
その隣の部屋の老夫婦が「さびしいから」と食事に誘われる。ローズマリーはそんなご近所つきあいがちょっと煩わしかったが、夫はその老夫婦のことを気に入って仲良くなる。
ある日、お隣からもらったデザートを食べて吐き気を催した晩、悪魔に犯される夢を見たローズマリー。
そして彼女は程なく妊娠した。


確か1974年だったと思うが、家族で初めて東京旅行に行き、日比谷映画街に行った時にこの映画のポスターが張ってあり、「人間が人間でない子供を産んだ。戦慄のホラー」みたいなコピーが書かれており、「人間でない子供」って聞いて「猿か何かの赤ん坊か?」と思って「そりゃ怖いなあ」と思ったことを覚えている。
子供心に「とにかく怖い映画」というイメージだけが残り、以来40年近くこの映画を観る機会はなかったが、タイトルだけは記憶に残った。
(しかしこの映画は1969年作品。ってことはリバイバル上映していてその時のポスターだったのだろうか?)

最近フィルムでのリバイバルが行われていたが、なかなか時間が合わず見逃していた次第。でも今回新橋文化で上映されたので見に来た。

前半はただただお節介な隣のおばあちゃんの煩わしさに辟易する。「こんなのが隣にいたら迷惑だよねえ。しかも本人はいいことをしてると思ってるのだから始末に悪い。日本もアメリカも変わらないね」などとご近所トラブルの映画かいな?と思ってみる。
妊娠したとなると自分の友人の医者をやめさせ、知り合いの高名な医者を紹介してくれる。しかしその医者はどうも変。
しかも先生の指示や隣のばあさんの作ってくれるドリンクを飲んでると逆に体調悪くなるし。

そう思ってるところへ友人が「至急会いたい」と連絡が。
しかし友人は急病で来なかった。そして数ヶ月後に死んだ。
葬式の席で「これを渡してくれと頼まれた」と本を渡される。
そこには隣の部屋の住人は悪魔の信奉者だと推測されることが書いてあった!

というあたりから物語は一気に加速する。
紹介の高名な産婦人科医に相談してもだめ、夫に相談してもだめ。そう夫はすでに彼らの仲間なのだ。最近夫に「予定した俳優が失明したので代役を」といい仕事が舞い込んだ。悪魔の呪いで彼が失明したと思われる。

それではと自分を初診してくれた産婦人科医に悪魔の話をすると最初は「大変ですね。あなたの話を信じます」と行ってくれたのに、悪魔の仲間の夫や高名な産婦人科医に連絡してしまう。

このあたりの彼女の孤独な戦いは観ていて本当にはらはらする。
結局子供は彼らの手によって取り上げられてしまう。
ローズマリーは夫から「死産した」と聞かされる。
しかし家で寝ていると赤ん坊の鳴き声がする。
冒頭で登場した謎のクローゼット、実は隣の部屋に通じていたのだ。それ故に前の住人はタンスでふたをしたのだ。
この伏線には「あっ」と言った。

隣の部屋に行ってみると夫や産婦人科医、隣の夫婦をはじめ、悪魔の信奉者たちが集まっていた。
そしてローズマリーの赤ん坊は悪魔の子供だという。
「この赤ん坊を母親として育ててくれないか?このメンバーの女性はみんな年を取りすぎている」

ローズマリーは赤ん坊を見つめる。
その時の微妙な表情がたまらない。
たとえ悪魔の子供でも自分の子は自分の子。そんな慈愛に満ちた目だ。
彼女も悪魔の仲間に入ってしまうのだろうか?
自分の子供の為ならたとえ悪魔にだって魂を売ってもかまわない。
そんなつぶやきが聞こえてくるような、余韻の残る映画だった。

そしてこの映画のヒットが「エクソシスト」「オーメン」という70年代悪魔映画、オカルト映画ブームにつながっていくのだな。
映画史を知る上でも重要な映画。



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怪物の花嫁


日時 2013年12月22日13:50〜
場所 新橋文化劇場
監督 エドワード・D・ウッド
製作 1956年(昭和31年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


マーシャ湖のほど近くに空き家が一軒あった。ある嵐の晩、二人の猟師がこの家で一晩すごそうとするが住人(ベラ・ルゴシ)に断られた。空き家と思っていたその家だが、なにやら偏屈な男が住んでいたのだ。そこへ大男がやってきて猟師たちを追い払う。
猟師たちは「これが噂の怪物か」と噂する。最近、この界隈で人々が失踪する事件が続いていたのだ。
しかし猟師の一人が湖に落ち大ダコの餌食になってしまう。もう一人は例の空き家の住人に拉致され、謎の実験をさせられ死んでしまう。
その頃町ではクレイグ警部補はこの猟師の失踪の謎を探るよう上司から言われる。今までも失踪事件が起きる度に調査したが手がかりがない。
クレイグ警部補の恋人は新聞記者で、一連の失踪事件は噂の怪物が原因と主張する。そして単独で空き家の住人について調べ出す。
そこへネス湖の恐竜も調べたことのあるストロワスキー教授が捜査の協力を申し出たが、教授には何か他の目的がありそうだ。


1956年製作だが、日本公開は1995年らしい。今回のプリントも多分その時のだと思われる。
50年代のクラシックホラー、SFは好きな方なので、内容はまったく知らなかったけど観てみた。

正直、この時代のSF(かな?)としては面白い方。
例の空き家の住人はかつては某国で天才科学者と呼ばれた男だったが、原子力の力で人間の威力を10倍にしようという研究を発表し、学会を追われた男。
教授は実は故郷から博士を連れ戻して国のために再度研究してもらおうとして彼を捜してやってきたのだ。

しかし一度国に捨てられた男の心はかたくなだ。
「いまさら国ごときのために研究できるか!おれの望みはもっと大きい!」
教授も哀れタコの餌食になってしまう。

この大タコ、おそらくは普通のタコだったものを博士が原子力(つまりは放射能だな)で大きくしたのだろう。
そういう意味では動物実験は成功しているのだ。
人体実験をしようとして迷い込む者を実験台にしている。
しかもこの湖の付近はいつも雨や嵐だが、それもこの原子力実験(あるいは軍の核実験)の影響らしい。

んで、例の女性記者も博士の餌食に。ここでなぜだがウエディング・ドレスを着させられた記者も実験台に。
あわや、というところで例の怪人(博士にいわせるとチベットで見つけてきたというレスラーのような大男)が女性記者の美しさに心奪われ、彼女を実験台から助けだす。
助けにきた警部補も巻き込みながら博士の方を実験台に縛り付け、見よう見まねで怪人が実験開始!

ああ、運命の皮肉よ!
哀れ実験は成功し、博士は2m以上ある大男に成長し、怪力を持つようになる。
チベットの大男も倒し、警察も倒し、外へ逃れる怪人博士!
しかし警察官との銃撃戦の末、湖に落ち、自らが作り上げた大タコの餌食になってしまった!

哀しい科学者だなあ。
自分の研究が天才であるが故に世間に受け入れられず、自らの研究によって命を落とすとは。
異形のものの悲しさをひしひしと感じる傑作だった。
(マジだよ)



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フォンターナ広場 イタリアの陰謀


日時 2013年12月21日12:55〜
場所 シネマート新宿・スクリーン1
監督 マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


1969年12月。イタリア・ミラノのフォンターナ広場前にあった全国農業銀行で爆弾が爆発し、死亡17人、負傷者87人という多数になった。
警察はアナキスト(無政府主義者・左翼)の犯行と判断、左翼グループの中でも過激で爆弾闘争を主張する男を逮捕。そしてその男が以前所属していたグループのリーダーで鉄道員のピネッリ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)も逮捕されるが、決め手がなかった。公安警視のカラブレージ(ヴァレリオ・マスタンドレア)は以前からピオネッリのことを知っていたが、今回の事件にはピネッリが関与していたとは納得できない。
連日ピネッリの取り調べを行う警察。カラブレージが取調室から席を外した数分間の間に事件は起こった。
ピネッリが窓から転落死したのだ!
発作的な自殺?事故?他殺?


この映画を観ながら思い出したのがコスタ・ガブラス監督の「Z」。これも左翼政治家暗殺が実は国家の意志だったという問題作だった。
しかしこの映画の事件はもっと複雑。
左翼活動家の中で除名された者が犯人と思われるが、実は極右メンバーが左翼を犯人と見せかけようとしたらしいとなる。
しかし例の(多分無関係の)左翼活動家が警察の取り調べ中に転落死という不可解な事件。
複数の刑事がいたのになぜこんなことが?
刑事が殺したとも考えられるが、彼を殺す必要があるとも思えない。取り調べ期間中数時間の睡眠しかなかったようだから一時的な発作の自殺とも考えられる。
あるいは刑事たちが「吐かないと窓から落とすぞ!」と脅かしたのが誤って転落したか?
とにかく分からない。

後半になってカラブレージは知人の軍人から警察発表の爆薬ではあれほどの被害は出せないという意見が入る。「TNT火薬を使ったと思う。TNTは簡単には手に入らない。軍の関与があったのでは?」とも。
カラブレージは実際には現場に左翼が用意した弱い爆弾と右翼が用意した威力の強い爆弾があったという仮説をだし、それを報告する。
しかし「それもおとぎ話だ」と一蹴される。

そのカラブレージも数年後に謎の死を遂げる。
事件の真相に近づきすぎたか?

この映画には他にも大統領、首相、情報部、公安、軍警察、CIAなど様々な人物が登場。
正直言ってなじみのない俳優ばかりだし、イタリア人の名前は覚えられない。
それでも日本語字幕版では人物になるべく肩書きをつけ分かりやすくしている。
映画の前に当時の政治状況の説明が字幕でされたりする。
事件そのものの予備知識のない日本人には取っつきにくい映画であることは否めないと思うが、それにしてもこの事件の政治的複雑さ、真実を隠し政治的に利用しようとする上層部の思惑は十分に伝わってきた。

この映画、最後に字幕で結局容疑者とされた人物たちは証拠不十分で無罪になったと説明される。
それは無実の人間が犯人にならなくてよかったと喜ぶべきなのか?
それとも犯人がいたのに権力によって釈放されたと考えるべきなのか?

謎が謎を呼ぶ複雑な事件だ。
時間があったら(多分ないけど)映画をもう一度観たり、関連本を読んで私も詳しく知りたい。



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キャプテン・フィリップス


日時 2013年12月14日21:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン9
監督 ポール・グリーングラス

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


アフリカ東海岸のソマリア沖を航行中のアメリカのマースク海運のアラバマ号は海賊に襲われた。
一度目の襲撃はなんとか交わしたが、二度目の襲撃でムセ(バーカッド・アブティ)という男がリーダー格の4人が乗り込んでしまう。
フィリプス船長(トム・ハンクス)を始めとする乗組員たちは彼らに抵抗。船にあった3万ドルで彼らに下船してもらうよう交渉。
とりあえず承知した彼らは救命艇で脱出することに。
しかし彼らは逃げる際に船長を人質にした。
やがてアメリカ海軍も出動し、船長の救出を試みるのだが。


2007年実際にあったソマリア沖での海賊事件の映画化。
ソマリアという国は「ブラックホーク・ダウン」で名前を知った国で、海賊のことも聞いていた。
この事件のことは記憶になかったけど。
基本的にアメリカの事件でアメリカでは大きく報道されたけど、日本では扱いが小さかったのかも知れない。

で、映画の方だけど、この映画、予告編で半分以上見せちゃっている。
貨物船が海賊に襲われる前に放水して食い止めようとするところとか、船長と海賊が救助船で逃げるところなど見せてくれた。
正直、見せ場が終わってるんだよね。

この映画、救命艇に舞台を移すまでが(あくまで映画として)面白い。
武器を持たない船員たちが、犯人を誘導したり、連絡を取り合って先手を打ってガラスの破片をばらまいて足を怪我させたりの知恵比べが面白い。
観ている間「東京湾炎上」を思い出した。

ところが船長と海賊が救命艇で船を離れた途端に映画は失速する。
どうしても狭い船に5人乗ってるだけで面白味がないのだよ。
米海軍も出動するが、膠着状態になって面白味がない。
まあ実際の事件の映画化だから、面白くするためにフィクションをあまりに加えるのもいかがとは思うけど。

それにしても海賊たちも元は貧しい漁民。
そんな彼らが巨大な裕福な国から金をぶんどろうという気持ちも分からなくはない。
そんな彼らにも少しは感情移入してしまう。

リーダーのムセが交渉のために米軍艦に乗り込んだ時のアメリカ側の口実も実は嘘。
弱小な漁民相手にアメリカ海軍が立ち向かう様はなんだか強いものが弱いものをいじめてるようで、少し同情した。
それに海賊だって元締めがいて、搾取されるだろうに。

犯人を「完全な悪者」と描かず、そういった理解を示す当たりはポール・グリーングラスらしいと思う。
あっ臨場感を出すつもりかやたらと手持ちカメラが多いのが気になった。
最近、ああいう揺れる映像が苦手なので。



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ゼロ・グラビティ(IMAX 3D)


日時 2013年12月14日19:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン8
監督 アルフォンソ・キュアロン

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


宇宙。
ライアン・ストーン(サンドラ・ブロック)とマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)は宇宙空間のスペースシャトルのほど近くで新しい機材の取り付けを行っていた。
そのとき、ヒューストンからロシアが人工衛星を爆破し、その破片が地球軌道上を飛び始めたが、二人には影響がないと連絡がはいる。
だがすぐにその情報は訂正された。飛び散った破片がそれまで宇宙を浮遊していた他の破片とぶつかり、玉突き式に破片が浮遊し始めたのだ。
一部がスペースシャトルに向かっている。すぐにシャトルに戻ろうとした二人だが、すでに遅かった。
破片がシャトルに当たり、他の乗務員は死亡。二人とも宇宙に流されてしまう。
果たして・・・・・


10月ぐらいに試写会があったらしく、その夜のツイッターではその時に観たらしい映画監督や評論家が絶賛するツイートが溢れていた。
予告を観てもすごそうだ。
珍しく公開2日目に観に行った。どうせならIMAX3Dで観ようとわざわざ2200円を払って都内で数少ないIMAXがあるユナイテッドシネマまで観に行った次第。

予告観たときから思ってたけど、これは3Dらしい3D映画だ。3D映画で今のところ史上最高作品と言っても過言ではなかろう。(もちろん数年後にはこれを抜く作品がでてくるだろうけど)

この映画の登場人物はライアンとマットのみ。
他の乗組員も一人出てくるが、遠景にいるだけで顔は分からない(後に死体となって出てくるのだが)

宇宙でマットがおしゃべりをしながらライアンらと作業をしているところから映画は始まる。
その臨場感は半端ではない。
自分も宇宙に浮遊している錯覚があり、実際にカメラが移動し斜めになると椅子が斜めになったような錯覚に陥る(これは私だけではないらしい)

しかもこの映画、ワンカットが長い。
カットが長いって気がついた時には「ひょっとしてワンカット映画?」と思ったが、さすがにそれはない。
ライアンが作業する上半身を写し、それが引いてライアンたちの全身(しかも小さい)になり、移動したライアンたちにまた近づく。
そしてやがてカメラはライアンのヘルメットに入り、彼女の目線になる。

破片の衝突で宇宙に流されるが、推進ジェット(007がつけてたような奴)をつけていたマットに救われる。
スペースシャトルは大破、国際宇宙ステーションのソユーズに乗って帰還しようとする彼ら。
しかし国際宇宙ステーションに着いた時、再び破片に教われ、マットは自ら犠牲になってライアンを救う。

ところがソユーズは燃料切れで地球に帰還出来ない。
近くにある中国の宇宙ステーションに行けばなんとかなるかもだ。
燃料もないソユーズでは中国の宇宙ステーションにもいけない。

しかしその時、宇宙に浮遊し始めたマットが宇宙船に入ってくる。このシーンでライアンが宇宙服を着ていなかったので、そこへ扉が開いてマットが入った時はこちらもホントに焦った。「おいおい死んじゃうだろう!」って。
それぐらい私は作品の世界観に入っていた。

そしてその時にマットが行った、着陸用の逆噴射の燃料を使えば中国の宇宙ステーションに行ける。
他のシーンもそうだが、ライアンは宇宙ステーションの新しい観測機器取り付けのために行った技術者だから、宇宙船や操縦方法のベテランではない。むしろ素人。
その設定が観客とライアンの距離を縮めてくれる。

中国の宇宙ステーションにたどり着き、その宇宙船を使ってなんとか地球に帰還。
ロシアや中国の宇宙船を勝手に使っていいのかよ?と思うが、ここはそんなことは行ってられない。

この映画では地球との交信が途絶えてしまったこともあり、地球のシーンはない。
彼女の地球での回想とか、右往左往するヒューストンや苦悩する司令官も出てこない。
ひたすらライアンだけ。
観客はライアンと同じ時間、同じ経験をする。

テーマパークのアトラクションのような映画かな?と思っていたが、それ以上のドラマを持った映画だった。
この映画は90分だが、クレジットが5分以上あるので、実際は80数分しかない。
それで十分だと思う。
最近の映画は長すぎる。

あなたは宇宙に行き、そして帰還した。
その疑似体験を出来た。
映画が疑似体験ならば、この映画は(今のところ)究極の体験映画だ。
記憶、そして記録(技術的なことも含めて)に残る映画だと思う。



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清洲会議


日時 2013年12月14日14:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン1
監督 三谷幸喜

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


織田信長が明智光秀に討たれた後。明智は羽柴秀吉(大泉洋)によって討たれた。
その後の織田家の跡目を決める会議が織田家ゆかりの地、清洲で開かれることになった。
織田家筆頭家老・柴田勝家(役所広司)及び盟友の丹羽長秀(小日向文世)は信長の三男、信孝(板東巳之助)を押し、秀吉は信長次男の信雄(ノブカツ〜妻夫木聡)を押す。
信孝はそれなりに優秀だったが、母親の生まれが悪く、三男だ。次男・信雄はとにかくバカでとても織田家の跡を任せられない。しかし秀吉にすれば操りやすい人物だった。
勝家と秀吉の心理戦は続く。
跡目を決める会議は勝家、丹羽、秀吉、そして小田原に行っていて間に合わない滝川(阿南健治)の代わりに新しく家老になった池田恒興(佐藤浩市)だ。
池田は態度をはっきりさせない。
秀吉も信雄のバカさ加減には呆れてきた。そんな時、秀吉は亡くなった信長の長男、信忠の息子、三法師を思いつく。しかし三法師はまだ子供。
この勝負、どちらが勝つか。


フジテレビ製作の三谷幸喜の新作映画。
前作「ステキな金縛り」が全く乗れない映画だったので、今回もどうも気が乗らない。しかし役所広司主演だし観に行かない訳にはいくまい。
11月公開だったが、なんだかんだで後回しになり1ヶ月以上経ってやっと観た。

正直、一言で言って面白かった!
今回はコメディ色はなくなり(とは言ってもどこかユーモラスに描いてはいる)、闘争ドラマだ。
この権力闘争は今でも変わらない。与党の総裁選挙を観てるような駆け引きである。

最近こういったドラマを観ていなかったので、非常に面白かった。こういう映画はやっぱりオールスターでなければね。
会議が決したあとの女性陣がすごい。
信長の妹で秀吉を憎むお市(鈴木京香)の捨て身の復讐、信忠の妻で武田信玄の娘松姫(剛力彩芽)の狡猾さ。
エンディングとしてこれほどのオチはない。

役者ではなんと言っても役所広司。男臭い、戦うことを得意とするが、こういった悪知恵合戦はちょっと苦手な武将を演じきる。
特にお市にことごとくバカにされてるとも知らずに想いを寄せる様は、滑稽でもありかわいくもある。
そして秀吉の大泉洋。正直、大泉洋という役者は好きな役者ではないのだが、その風貌もあいまって本作の主人公と言っていい秀吉を見事に演じきった。

個人的には妻夫木聡がちょっとバカすぎていやだし、なにより鼻を高く見せるための特殊メイクはなんだかなあ、という感じ。しかしこれはファンならではのわがままで、作品としてはあれでよかったと思う。

いつの時代にもあるような権力闘争ドラマとして十分面白かった。
しかし編集でもう15分ぐらい詰めていたらもっとよくなった気がする。



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黒い太陽


日時 2013年12月8日15:55〜
場所 シネマヴェーラ渋谷
監督 蔵原惟繕
製作 昭和39年(1964年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


明(川地民夫)は東京にある教会の廃墟に住む若者。ジャズが大好きで黒人を尊敬している。
教会には無断で住んでいるので、「取り壊すから出ていってくれ」といつも言われている。
銀座でマックス・ローチの「黒い太陽」というアルバムを買った日、車を盗んで業者(大滝秀治)に売りつける。
金は3日後ということで代わりにオンボロのオープンカーをもらう。
教会に帰る途中で黒人が機関銃で白人を殺したという事件に遭遇する。警官隊をかき分けて教会に帰ると、足を撃たれた機関銃を持った男(チコ・ローランド)がいた。
明は英語が解らず、なにを言ってるか解らない。


「黒い太陽」っていうタイトルは以前から聞いたことがあり、興味があった。なんか意味深じゃありませんか。
今回ヴェーラでの蔵原惟繕特集で上映されたので、観に行った次第。

うわっアヴァンギャルドな映画だなあ、というのは観初めてすぐに解った。
クレジットタイトルからして凝っている。
まず中央付近に一人(または二人)の名前が出てから(その名前もお行儀よく書いてあるのではなく、大きさもバラバラ)その周りに縦横関係なくバラバラに名前がクレジットされる。もうこのクレジットからして特徴がある。

で、ジャズの音楽。機関銃を持った黒人。
しかし正直興味深かったのは最初の20分ぐらいで、あとはつらくなった。
明とその黒人・ギラしか登場せず、ほとんど二人芝居。
しかも言葉は通じず、英語に字幕も出ない。そんな大したことは言ってないことは想像がつくけど、二人の会話が成り立たない。

最初は相手が黒人だからと無条件に好意をよせた明だったが、いらついたギラが明の愛犬モンクを振り払った弾みで死なせてしまってから、明はギラに対して敵意を持ち始める。
ギラは黒人だが楽器も出来ず歌も歌えずダンスも出来ず、「黒人=ジャズ」のイメージとはかけ離れており明は失望する。

というような二人の関係の変化を描きつつ、「海へ行きたい」というギラを海へ連れていく明。
こういう風に書くとなんだか面白くて私自身が楽しんでいるように見えるが、実際は話が全く前に進まず同じような所をぐるぐる回っている印象で、途中からほんとにつらくなった。
どうにも作品の世界観に入れず、時計ばかり観ていた。

ラストは警官隊やMPに追いつめられ、明とギラは港のビルの屋上に逃げる。
そこでアドバルーンのロープに体を巻き付け、「ロープを切り離してくれ」と(英語で)叫ぶギラ。
明がロープを切り離すとギラはアドバルーンに巻き付いたまま、空高く飛んでいった、というかなり衝撃的なラスト。

蔵原惟繕って日活の中では娯楽派というよりちょっと尖った映画を作る人という印象があったが、それが決定的になった。鈴木清順ほど飛んではいないけど、結構負けずにがんばっている。

あと今日観た「海底から来た女」も主演は川地民夫。
川地民夫って今まで私が観た日活映画では助演の印象があったのだが、両方とも主演。
でも白黒でたぶん添え物作品のような映画だから、彼の当時の立ち位置もちょっと解った気がした。



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嵐の中を突っ走れ


日時 2013年12月8日14:20〜
場所 シネマヴェーラ渋谷
監督 蔵原惟繕
製作 昭和33年(1958年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


体育大学の助手をしていた吉良(石原裕次郎)は友人(岡田真澄)に頼まれて乗馬大会に出場。
その大会で知り合った女性(北原三枝)を家まで送っていく途中でチンピラに絡まれ、喧嘩になり吉良は一晩警察でご厄介になる。そのことが問題になって吉良は大学をクビ。例の友人の紹介で千葉の館山の女子高校に体育教師として赴任する。
行く途中の船で芸者(白木万里)や地方紙、内房タイムズの編集長と知り合う吉良。赴任した町では今、漁業研究所の研究のために禁漁区が出来ており、漁師たちは水揚げがさっぱりで苦しんでいた。
そんな時、編集長と再会、そして今は縁あって例の乗馬大会の女性も記者として働いているという。
しかし研究所の件はなにか裏があると編集長はにらんでいた。


蔵原惟繕特集で「黒い太陽」が目当てで行って、同時上映されていたのがこれ。
はっきり行って凡作で、たくさんある裕次郎のアクション映画の一つでしかない。
北原三枝との結婚前だと思うけど(違ったらごめんなさい。調べてません)、こういう映画ばかりに主演させられたら裕次郎も辞めたくなるだろう。
やはり代表作ばかり観ていたんでは解らないこともある。

研究所が禁漁区を拡大する反対運動を起こそうと思った吉良と編集長だが、行くと約束した漁師はだれもこない。
実は漁業組合の組合長が圧力をかけたのだ。
ここは誰が黒幕か、というのは最後まで取っておかず、割と早く解る。その方がいいね。観客にはバレバレだもん。

結局禁漁区を作って漁師たちを漁場にいれないようにして、組合長は自分の手下を使って深夜に地獄網(だったと思う)という魚を根こそぎ捕ってしまう禁止されている網を使ってその水揚げをやってきた船に横流ししていたのだ。
研究所の所長はまじめな学者で「今の実験が終われば、もっと魚が捕れるようになる」と真面目に漁師たちの為になればと思っていたが、最後に出てきたスポンサー(西村晃)が「俺が金出した研究だ!魚も全部俺がもらう」と言い出す。
そこへ裕次郎たちが駆けつけ、彼らの陰謀は漁師たちに知られる所となり、悪い奴は敗北した。
という話。

途中、吉良にあこがれる女性とや白木万里の芸者が、吉良に気に入られようと下宿屋を紹介したり、吉良がけがをしたときにお見舞いの花を次々に持ってきたりする学園ドラマ的お笑いシーンあり。

学園ドラマと裕次郎型勧善懲悪ドラマを組み合わせるという「一応変化はつけてます」的な展開のドラマ。
でも所詮はパターンのまま。
観客も裕次郎も飽きると思うよ。



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海底からきた女


日時 2013年12月8日11:00〜
場所 シネマヴェーラ渋谷
監督 蔵原惟繕
製作 昭和34年(1959年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


敏夫(川地民夫)は東京からこの漁港に避暑に来ていた。
ヨットが好きな敏夫は一人で海に出るのが好きだった。
ある日、自分のヨットに食いちぎられた魚の残骸が散らばっているのを見かける。そこへ水着姿の不思議な少女(筑波久子)泳いでくる。この魚は彼女が散らかしたという。
怒った敏夫だったが、彼女の不思議な魅力に惹かれてしまう。
そんな頃、漁師が海で遭難した。彼の衣服だけが見つかったが、まるでフカに食いちぎられたようだった。
村の漁師たちは「フカにやられた」という。しかもこの村には数十年前に漁師がつがいのフカを殺した時にそのフカに抱きついて泣いていた少女がいたという伝説があった。
その後、村では漁師が変死したことが時々起こったが、すべて少女が目撃されている。
少女は敏夫の家にも海側のベランダからやってくるようになる。ある日、敏夫は少女と魚捕りに出かける。
その時、海の中で敏夫は大きなフカを見かける。


シネマヴェーラでの蔵原惟繕監督特集で上映。日活にはプリントがないのかフィルムセンターより借りてきての上映。この映画のことは全く知らなかったが、この日は上映後に筑波久子さんの舞台挨拶があるので、行ってみた。

原作・脚本は石原慎太郎(共同脚本に蔵原弓弧)。
見る前はタイトルからして新東宝の海女ものみたいな映画かと思っていたが、そんなに遠くない。
解ると思うが、少女の正体はフカだ。
だからもう新東宝の怪談映画の世界。化け猫とか蛇の化身とかはあったけど、フカの化身もあったか。
こういう映画の脚本を書いていたのだから、慎太郎も俗っぽい。

映画の見所はなんと言っても筑波久子のグラマラスな肉体。おっぱいが大きくそれはセクシーだ。
筑波久子の映画は(たぶん)初めて見たが、そういう路線の方だったと改めて認識した。

話の方は敏夫は友達と山に行っても彼女が気になり、敏夫が山に行ってる間に遊び人の兄貴が彼女と海に行ってしけにあって遭難。
やがて漁師たちに彼女がフカの化身とばれてしまい、彼女を殺そうとする。しかし彼女を人間と信じる敏夫は彼女を逃がそうとするが、その待ち合わせ場所を漁師に知られてしまい、漁師たちにそのフカは殺される。
失意のうちに敏夫は東京に帰る、という話。

映画としては単なる筑波久子の肉体を楽しむグラビア映画なので、特にどうということはなし。

今日は筑波久子さんの舞台挨拶があったが、70歳代後半とは思えない妖艶な魅力を持った方で、今でも敏夫ならずとも狂ってしまいそう方だった。
すごい!



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1BR らぶほてる


日時 2013年12月7日21:10〜
場所 ポレポレ東中野
監督 大西裕

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ラブホテルにやってきた一組の男女。
二人は風呂に入ってセックスして食事してDVDを観てセックスしてゲームしてカラオケ歌ってまたセックス。
朝になり男は仕事で先に出ていった。
残された女はチェックアウトの時間まで一人で過ごす。


国映製作再開第1作。
ピンク映画の国映は正統派のオークラ映画なんかに比べると異色なピンク映画も多く、それ故にファンもいる。(多いと素直に書けないところがもどかしい)
2011年公開も「おんなの河童」以来製作が途絶えていたが(「おんなの河童」も撮影はそのずっと前だから、実際は2年以上製作が止まっていたことになる)

で、製作再開。2011年のピンク映画シナリオ大賞受賞作の脚本。ピンク映画シナリオ大賞は国映で映画化されることが前提の賞だから、やっぱり映画化しないとね。
今後も青春Hシリーズのように年に数本は映画を作って行きたいという計画があるらしい。(計画で終わらないことを祈る)
ピンク映画館も減ってきたせいか、上映はピンク映画館ではなく、ポレポレ東中野。

で、映画の方だがラブホテルの部屋に男女(守屋文雄、山岸ゆか)が入って来ることころから始まる。
そして二人のこの部屋での行動を描き、部屋からカメラは一歩も外に出ることはない。

風呂入ってセックスして出前のピザ食べてDVD観てツイスターゲームして結婚式のコスプレしてとたくさんの事をする。
おいおい、一晩でそれだけ出来ないだろう?って思うが、たぶん(憶測だが)脚本の深井さんの実体験が盛り込まれているのだろう。それこそ何回ものラブホテル利用の経験が。
25歳の女性(脚本を書いた時はもっと若い)にしてはいろんな経験をされているのだなあと思ったが、それはこちらの25歳の女性に対する先入観にすぎないだろうか?

また311直後の設定で、ニュースで原発事故や津波の映像が流れる。脚本事態が311の直後に書かれたからこういうシーンが自然と入ってしまったのかと思ったら、どうやら初稿ではなかったらしい。
今このシーンを観るといささか唐突。この映画が2011年だったら「その時代の空気感」が入っている感じもするが、2013年だとちょっと古い。
しかし「外の世界でなにが起ころうともここは私たち二人だけの世界」という世界観を出すのには役立っていたと思う。

ラスト、朝になり男は帰っていく。トイレで前夜に結婚式ごっこの時に指に指輪の代わりにマジックで描いた輪を消していく。そして妻らしき人に電話する。そして出ていく。
残された女は男を想ってオナニーする。
恐らくは女は水商売で男は客なのだろう。
男は結婚の話をする。女は信じる。男は夕べ一度も「好き」と言ってくれなかった。でも女はそれを聞きたい。
オナニーの時は男が「好き」と言ってくれることを妄想する。
深井さんもそんな不倫経験があるのかな?

ラスト、女性が帰ったあと新しい男女(いまおかしんじ、深井朝子)が入ってくる。
このシーンがあっていいと思う。
女のカットで終わっていたら、この「男女」の話でしかないが、新たなカップルの登場で「部屋はすべて見ている」という、「こんな男女は別に珍しくない」という感じに見え、よかった。

国映の次回作にも期待したい。



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走る男たち


日時 2013年12月7日15:45〜
場所 光音座1
監督 小林悟
製作

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


ヨウヘイ(渋谷和則)は東京へ出ていったものの、なじめずに故郷の温泉街に帰ってきた。
高校時代の先輩、大下タケシと再会。「なにもしてないならうちで働けよ」とタケシの実家が営む旅館で働くことに。タケシはハナエという婚約者がいたが、ハナエの好意にはつれない。
そんな時、ヨウヘイは高校時代、悪ガキだったヒデオ(樹かず)と再会。無理矢理ヒデオに飲みに連れて行かれる。
実はヒデオはタケシのことが好きだった。タケシとヨウヘイの仲を嫉妬したヒデオは、「ヨウヘイとハナエの関係が怪しい」などとタケシに告げ口する。

大蔵映画製作。
渋谷和則はENKで何本か出演していたし、「あなたがすきです、だいすきです」という実験的映画にも主演しているゲイ映画の俳優。ENK専属かと思ったら、そういう訳でもなかったのですね。

話のほうはこの後、ヒデオが何かとヨウヘイとタケシの邪魔をし、ヒデオはヨウヘイを飲みに誘ってついにヒデオのヤリ友とともに犯してしまう。
一方、タケシの元に中年男(港雄一)が旅館に泊まりにくる。
「どうして俺から逃げたんだ?お前に男を教えてやったのはこの俺じゃないか」と言って関係を迫り、犯していく。

この二つの絡みが後半でカットバックされる。
で、絡みが終わっても結局港雄一をどう追っ払ったかという説明はなく、ヒデオとヨウヘイも特に決着はつかず、次のシーンで客のいない時間帯に大浴場で二人は一緒になる。
そこでお互いの愛を確かめあう、ということでエンド。

タイトルの「走る男たち」はヨウヘイとタケシが陸上部の先輩後輩で、早朝などにランニングしているから。
なんか普通のゲイピンク映画でした。



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指まがりのダンディー


日時 2013年12月7日14:45〜
場所 光音座1
監督 渡辺元嗣
製作

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


平助(久保新二)と翔太(真野翔)は泥棒コンビ。二人で金持ちの家に盗みに入っている。
平助は「俺たちは義賊だ。金持ちの家で眠っている可哀想なお金たちを社会に還元しているんだ」と酒を飲んでは翔太に説教する。翔太は平助のことを好きだったが、そんな説教臭いところがちょっといやだった。
ある日、泥棒に入るところを探している時に別の泥棒と鉢合わせ。だがその泥棒は平助のかつての仲間、隼人(甲斐太郎)だった。

確か「左曲がりのダンディー」というマンガがヒットして、映画化もされたと思う。この映画もたぶんその頃の映画。
泥棒のことを指を曲げて表現することがあるから、「指曲がりのダンディー」のタイトルもそこから来ているのだろう。

でお話の方は、翔太は隼人から「刺激が欲しかったらおいで」という電話番号のメモをもらう。
ちょっと平助のお説教に飽きていた翔太は電話してみる。
隼人の方は男の子と絡んでいたが、「これを飲んでごらん」と白い液体を見せるがその子が拒否して行ってしまう。
それで落ち込んでいる所へ翔太からの電話。
早速隼人の元にやってきた翔太。SMチックなセックスにすっかり満足してしまう。
帰りが遅いと平助に怒られる翔太。それがもとで喧嘩になり、隼人の元に行ってしまう。

しかし隼人はちょっと変わった趣味があった。今まで相手した男の子たちの精子をコンドームに入れて冷蔵庫に保存していたのだ。
例の液体はやばいものじゃなくてバリウム。それを飲ませて出てきた便を保管するのが彼の趣味なのだ。それを飲ませられる翔太。そこへ平助がやってきて「この変態野郎!」と非難する。

「俺は彼らを心底から愛していたんだ。なぜ俺の愛を解ってくれないんだ」と訴える隼人。
その真摯な姿勢に打たれ「うん、僕出すよ。誰にも理解されない苦しみて僕には解るから」とおまるに座る翔太。
翔太は高校時代に周りにホモがばれて友達にも先生にも親にも周りすべての人から拒絶された経験があった。
それで自殺しようとしたところを平助に助けられたのだ。

「少数者を理解しよう」というのは意見としてよく聞く。
しかし性欲の少数者はそういうことを言う人だって拒絶する。
そんな人を受け入れる気持ちを描いていて、私はすごく共感した。
私の中にも隼人はいる。(そしてたぶんあなたにも、かどうかは正直解らないけど)

ラストは結局3人で仲良く泥棒家業に励んで終わりなんだけど、「少数性欲者も理解しよう」という主張にはすごく共感した。
印象に残る映画だ。



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燦燦ーさんさんー


日時 2013年12月1日10:00〜
場所 ヒューマントラストシネマ有楽町
監督 外山文治

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


鶴本たゑ(吉行和子)、77歳。数年前に夫を亡くし今は一人暮らし。息子は結婚していて孫娘がいるが、あまり寄りつかない。「燦燦会」という老人クラブに所属しているが、年寄り扱いされてるようで面白くない。
そんな時、街で見かけた結婚相談所に入ってみる。
「体が動かないからせめて心ぐらいはときめかせたい」という思いにかられ、「婚活」を始めることに。
会ってすぐに「あんた、あっちの方は?」と聞いてくる人、無口な菓子職人、一人で農園を営み続けてきた人、孤独死をたくさん見てきた葬儀屋の人、様々な人々と出会う。
そんなたゑの婚活を心良く思わない男がいた。たゑの夫の修一の親友だった森口(宝田明)だ。「いまさら婚活なんてふしだらな。修一が知ったらなんと嘆くか」
そんな時、たゑは能勢雄一郎(山本學)という誠実そうな男と出会う。


老人の恋、というテーマではいまおかしんじ監督の「いくつになっても男と女」が好きだが、あの映画の主人公は65歳。この映画は77歳と一回りも上だ。
主演は「百合祭」でも老人の恋を演じた吉行和子。
なんだかもうその路線が定着してしまいそうだ。もう一回老人の恋を吉行和子が演じたら、そのイメージが定着するね。

能勢は仕事一筋で熟年離婚をした男。二人はドライブでライトアップされた東京タワーを見に行く。昨日観た「すべては君に逢えたから」もそうだったが、夜景とかイルミネーションは恋愛映画には欠かせません。
クリスマスも近づき、クリスマスのプランを考え始める。しかし能勢は「今のうちに話しておきたいことがあります」と言い出す。
実は離婚したとは言え、妻が認知症になってその介護をしているというのだ。つまり結婚は出来ない。

結果的に裏切られたたゑだったが、不思議と恨む気にはなれない。自分自身の夫の介護の記憶とだぶったのだ。

結局ラストは今まで何十年もたゑに片想いをし続けてきた森口が告白する。
それまででやたらとやきもちを焼き続ける宝田明がほほえましい。
吉行和子、宝田明、山本學の芸達者な三者を観てるだけでこの映画はもうお腹いっぱいである。

監督の外山はまだ32歳。その歳でよくこういうテーマで映画を作ろうと思うなあ。いい意味で私とは思考が違うのだろう。
個人的な思いだが、山本學の役を佐原健二さんが演じていたら個人的には大爆笑だったろうが、監督にはそういう発想はなく、最初からこの3人が希望だったらしい。

「死は老人に残された最後の大仕事」というせりふがあった。
死は誰にでも訪れる。自分にとっても周りにとっても納得の行く死を迎えるのは案外大変そうだ。
まだちょっと先だが、人生が後半戦の人間として今から心得て起きたい。



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