ザ・ヤクザ | |||
いつも2人で | ダーティハリー | 外套と短剣 | オリエント急行殺人事件 |
遊星からの物体X | 華魂 HANA-DAMA | アポロ13 | 鎖縛 SABAKU |
ジャッジ! | 楽隊のうさぎ | 男街行き快速急行 | イノセント・ノワール |
ザ・ヤクザ日時 2014年1月28日 場所 DVD 監督 シドニー・ポラック 製作 1974年(昭和49年) サンフランシスコに住むキルマー(ロバート・ミッチャム)は友人のタナー(ブライアン・キース)から日本に行ってもらうよう頼まれる。キルマーやタナーは終戦後、日本に駐留していて、日本とはつながりがあった。 タナーは日本のやくざ、東野(岡田英次)と銃の密輸の約束をしていたが、タナーは金はもらったものの、銃を送ることは出来ずにいたために東野に娘を誘拐されてしまったのだ。 キルマーは実は日本にいた頃に田中英子(岸恵子)という女性と恋仲になっていた。英子がアメリカ兵に暴行され世としたとき、キルマーは英子を助けたのだった。 しかし彼の兄、健(高倉健)がいたために結婚しないままキルマーはアメリカに帰国したのだった。 20年ぶりに再会するキルマーと英子。だが英子には何か隠していることがあるようだ。 かつてはヤクザだった健の協力を得て、キルマーはタナーの娘を助けだしたのだが。 「タクシー・ドライバー」の脚本のポール・シュレーダーが脚本、弟のレナード・シュレーダーも「オリジナル・ストーリー」作として参加。 「タクシー・ドライバー」も東映ヤクザ映画の影響があると言われたけど、この映画はまんま東映ヤクザ映画に無理矢理アメリカ人を絡ませた感じ。 高倉健主演だし、待田京介や汐路章がヤクザ役で出演。製作に俊藤浩磁も名を連ねている。 ずーと以前にテレビ放送で観ていたが、詳細は忘れていた。でもラストは覚えていた。 今回観て思ったのは面白くないのだな。とにかく展開が遅い。 話としてはそんなに複雑ではない。 タナーと東野は話し合い、実はタナーはお金は先物取引で無くしてしまい、銃は用意できなかったと伝える。 とりあえず二人は和解したのだが、ヤクザ社会においてしめしをつけるために、健とキルマーを殺すことになる。 こういった映画ではありがちな仕事を頼んだ方が逆に的になって命を狙ってくるというパターン。 健には実は兄がいて、この兄がヤクザ社会では実力者。しかし今は多くの組の相談役の立場上、表だって健を助けることは出来ない。 この兄をジェームズ繁田が演じてるのだが(「ミッドウエイ」の南雲長官)、どうにも貫禄がない。当初丹波哲郎が演じる予定だったそうだが、降りてしまったとか。 丹波先生が演じていれば印象は変わったと思うが、惜しいなあ。 で、風呂でキルマーたちが襲われたりして、最後には健とキルマーは二人で東野に殴り込む。 ところがあっさり東野は健に殺されてしまう。その後に子分や客分の待田京介と対決する展開。 うーん、これは順番が違うんじゃないかなあ。 健の兄の息子が東野組の若いもんで頭に蜘蛛の入れ墨があるというのが殴り込みの前夜にあかされる。そしてジェームズ繁田が「息子はなんとか殺さないでくれ」と頼む。 この息子を郷英治が演じてるのだが、結局健に殺される。 そのことをお詫びに健は指を詰める。 この指つめがこの映画の肝である。 その前にもタナーの用心棒で今回はキルマーと行動をともにする若いもんに「義理とは『借り』のことだ」とキルマーが解説したり、健も「義理とは『重荷』だ」と説明したりする。 確かに「義理」って言葉で説明するのは難しいな。 借り、ともちょっと違うような気もするが、確かにそれが一番近いかな。 田中英子は実は健の妹ではなく、妻だと後半ジェームズ繁田によって明かされる。 つまりキルマーと英子は不倫関係になるのだが、かつてアメリカ兵に暴行されそうになったのを助けてもらった恩、義理があるので、健としては何も言えなかったという事実。 これを知ったキルマーはアメリカに戻る時に健を訪ね、自らの指を詰めて詫びを入れるのだ。 こういう時は指つめはしないような気がちょっとするが、何しても日本のヤクザ社会の掟、習慣をキルマーが受け入れたことに驚き、そして好感をもったためか、このラストは以前に観たときの記憶として残っていた。 映画全体としては展開が遅いし(1時間50分もあるのだ)、山も少なく面白味が少ないのだが、このインパクトのあるラストは好きである。 この点だけでこの映画は僕にとっては記憶に残る映画なのだ。 こういう外国人との心の交流を描いた映画って私は好きなのだと改めて認識した。 「勇者のみ」「飛べ!ダコタ」「まぶしい1日 空港男女」などなど。 そうそう健さんの英語はたぶん本人、岡田英次は吹き替えだった。 あと歌舞伎町のミラノ座前広場を健さんが歩くシーンあり。 岸恵子のバー(キルマーハウスという)の近くを歩くシーンがあるが、その路地がどうもロケのようなセットのような不思議な感じだった。 (このページのトップへ) いつも2人で日時 2014年1月26日15:50〜 場所 某所 監督 スタンリー・ドーネン 製作 1967年(昭和42年) 建築家のマーク(アルバート・フィニー)とジョナンナは夫婦。娘を祖母に預けてフランスに旅行に来た。 今は二人はベンツに乗ってフランスを旅する身分。 出会ったのは同じフランス旅行だった。出会いの時の旅行、新婚旅行、友人家族との旅行、みんなこのフランス旅行で車に乗っての旅だった。 マークとジョアンナは今はうまくいってない。二人はもちろん蜜月の時だってあった。喧嘩したときもあった。 結局二人はまたお互いの気持ちを確かめあっていく。 うーん、ストーリーを紹介するとこんな感じになってしまうのだな。 この映画、かなり構成が複雑で正直1回観ただけではよく解らない。 現在の旅行(ベンツに乗ってる)、出会いの旅行(主にヒッチハイク)、新婚旅行(GMに乗っている)、友人家族との旅行(友人の車に乗っている)、いつかの旅行(赤い車に乗っている)がバラバラにつなぎ合わされ、時系列がかなり複雑。 マークとジョアンナがGMの車に乗っているのをベンツが追い越す。そのベンツにカットがつながると今度はマークとジョアンナがその車に乗っている時代の話になって・・・という具合。 正直、かなり混乱する。 で、夫婦が不倫したとか、車が事故で全焼したとか、友人夫婦のわがままなクソ娘をみて「やっぱり子供を作るのはよそう」「あの子以外の子供がほしい」とかいろんなことが描かれる。 こういう恋愛映画にはまるで興味がないので、ほとんど退屈した。 なんか観ていて「フォロー・ミー」という恋愛映画を観てまるで自分とあわなかったことを思い出した。 で、マークが慌てものらしく、いつもパスポートを無くす。入国の時に提示を求められあたふたしてるとジョアンナがさっと取り出す、というのが何度も繰り返され、二人の仲の良さ、というか「縁」みたいなものを感じさせ、面白かった。 主演はアルバート・フィニーとオードリー・ヘップバーン。たまたま先週観た「オリエント急行殺人事件」のポアロだが、素顔は二枚目。ポアロの時がいかにメイクアップして別人になっていたかよく解った。 あとオードリー・ヘップバーン。どうしても「ローマの休日」のイメージが強い。「ローマ〜」から15年ぐらい経っての映画だから、ヘップバーンも30代半ばか。 さすがにあの可憐さはないな、もう。 (このページのトップへ) ダーティハリー日時 2014年1月25日19:40〜 場所 新橋文化劇場 監督 ドン・シーゲル 製作 1971年(昭和46年) いつも汚い仕事をやらされることから「ダーティハリー」というあだ名を持つサンフランシスコ警察のハリー・キャラハン刑事。 ビルの屋上のプールで女性が狙撃される事件が起き、現場に駆けつけるハリー。狙撃場所と思われた場所に行ってみると犯人からの脅迫状がおいてあった。 「今度は黒人か神父を殺す。殺されたくなければ10万ドル払え!」自らを「スコーピオン」と名乗る犯人を警察は全力で警戒する。 ヘリコプターでビルの屋上を警戒したところ、犯人らしき男を発見。ハリーとその相棒のチコも追跡したが、見失ってしまう。 そんな時、犯人から金の受け渡しの指示が。「14歳の少女を誘拐した。彼女を助けたければ金を払え」 10万ドルをもってハリーは犯人の指示を待つ。 クリント・イーストウッドの代表作にしてアメリカ刑事映画の代表的映画。実は今回初めて観た。当然「2」「3」は観ていない。 この映画が作られた頃はリアルタイムで映画を観ていない時代だが(私が映画を観るようになったのは70年代後半から)、この頃は「ブリット」「フレンチコネクション」と刑事映画がヒットしていた。 (関係ないが、エリオット・グールド主演で「破壊!」という映画もあった。再見したい) ハリーも強引な捜査をし、必ずしも完全無欠なヒーローではない。 狙撃犯をビルの屋上で張り込み中に向かいのビルの住民を「暇つぶしに」と覗きこんでしまう。 また犯人を追跡中に見失い、似たような男を再び発見したのでつけてみて、彼が入った部屋をハリーがのぞき込むと覗きの痴漢に間違われる。 そして金の受け渡し。 金を持ったハリーが公衆電話をいくつも振り回されるのはこういった映画では定番だが、その中で公園に行くように指示される。 そこはゲイの人々が集まる公園らしく、ハリーも「お仲間」に間違えられて誘われるシーンが面白い。 そういえば前半で犯人が黒人を狙撃しようとするが、その狙った黒人がどうもゲイっぽい。 「サンフランシスコらしいなあ」と言ってもいいのだろうか? 一度は犯人を追いつめたが、怪我をしている犯人を拷問したと言われ、起訴は出来なくなり、犯人は釈放。 ハリーは犯人を警戒し、尾行をするが、向こうは金を払って自分を暴行させ、今度はそれがハリーの仕業とマスコミに言う始末。 しかし犯人はついにバスジャックをして金を要求するが・・・というクライマックス。 映画の前半で本筋とは関係ないが、ハリーが銀行強盗と偶然遭遇し、逮捕する。 その時に「俺の拳銃に弾が何発残っているか考えているんだろう?正直言うと俺にも解らないんだ。だがこの拳銃は脳ミソをぶっ飛ばすぜ。賭けるかい?」という実に名せりふを言う。 ラストでも追いつめた犯人に同じ台詞を言う。 ハリーの名台詞としてどっかでパロディで使いたくなるかっこよさだった。 そして完全にハッピーエンドになりきらないところが70年代アメリカンニューシネマと言っていいのかな。 (このページのトップへ) 外套と短剣日時 2014年1月25日17:40〜 場所 新橋文化劇場 監督 フリッツ・ラング 製作 1946年(昭和21年) 第二次大戦末期。フランスに潜入中のアメリカのスパイ機関OSSのメンバーより原爆の材料になる鉱石がドイツに輸送されるという情報がワシントンに入った。 アメリカもマンハッタン計画で原爆を製造中だったが、ナチに先を越されないために、OSSは原子力の専門家・ジェスパー博士(ゲイリー・クーパー)にナチに無理矢理協力させられている女流科学者のローダー博士に接触を試みるよう命じる。彼女は今病気療養中でスイスにいた。 一度は接触出来たものの、ドイツ側にジェスパーのことがばれてしまい、ローダー博士は殺されてしまう。 ローダー博士と話したときに親米的なイタリアのボルダ博士も協力させられていると知ったジェスパーは、博士がいるイタリアに向かう。 ボルダ博士は娘がナチに監禁されていて、仕方なく協力しているという。娘を助けてくれればアメリカに行こうと言ってくれた。ジェスパーを助けるパルチザンたちはボルダ博士の娘の救出に向かう。 「外套と短剣」、タイトルが意味不明だが最初の方でOSSの高官がジェスパー博士に「我々は別名『外套と短剣』と呼ばれている」というところからきている。 観ていて思ったのは後の「007」などにもつながって行くのだなあということ。 ジェスパー博士がスイスに入った時税関で写真を撮られそうになったとき、帽子で顔を隠す。これは「ドクター・ノオ」でも007がやったこと。l しかしこの帽子で顔を隠したためにかえって怪しまれ、スパイであるとばれてしまう展開。 「ローダー博士が危ない!」という訳で彼女が幽閉されている山小屋に行くが、異変に気づいた管理人がラジオのボリュームを上げて仲間に危険を知らせるなど、細かい。 こういった細かい技が好きなのだが、面白いのはこの前半まで。 この後イタリアに潜水艦で潜入し、ボルダ博士に会うのだが、ここからが失速する。 ボルダ博士が娘を救出してほしいと言われてその救出作戦になるかと思いきや、救出は地元のパルチザンに任せて、ジェスパー博士は地元のパルチザンの娘ジーナと恋に陥るという展開。 もうこの辺から退屈。 それでもジーナの部屋に泊まった時、子猫が外でうるさく泣くので、部屋に入れてやったら、翌朝飼い主が猫を迎えにきて部屋に入ってしまいジェスパーがいるのが見られてしまう。 その辺は面白いのだが、いかんせん逃げて隠れてるだけだから面白味に欠ける。 ラスト、救出されたボルダ博士の娘は実は偽物で、ナチに包囲されてしまうジェスパーたち。 何とか無事に逃げだし、迎えにきた友軍機でジェスパーは脱出に成功。 ジーナとも戦後の再会を誓うというハッピーエンド。 ボンドガールに相当するヒロインも登場し、007の原点を観たような気がしました。 深読みかも知れないけど。 (このページのトップへ) オリエント急行殺人事件日時 2014年1月19日 場所 DVD 監督 シドニー・ルメット 製作 1975年(昭和50年) 1930年。アメリカの富豪アームストロング大佐の娘、デイジー5歳が誘拐され、身代金は支払われたが、デイジーは死体となって発見。 アームストロング家のメイドも共犯かと疑われたが、彼女は自殺した。またデイジーの母は妊娠していたが事件のショックで流産し母子とも死亡した。夫のアームストロング大佐も度重なる不幸の為に自殺した。 5年後、イスタンブール。 名探偵エルキュール・ポワロ(アルバート・フィニー)はイギリスに行くのにオリエント急行を利用しようとした。 しかしあいにく珍しく満室。偶然出会った友人の鉄道会社の重役・ビアンキ(マーティン・バルサム)のおかげで何とか列車に乗ることが出来た。 旅の途中、ポワロはラチェット(リチャード・ウィッドマーク)から1万5千ドルで用心棒になって欲しいと頼まれたが断った。 翌朝、ラチェットは死体となって発見。睡眠薬で眠らされているところを12の刺し傷で死んだのだ。 だが列車は雪崩の為に停車、しばらくは動けない。 ビアンキは早期の事件解決をポアロに依頼する。 この映画は封切りの時に観ていて今回39年ぶりに再見した。(2本立てで同時上映は「フロント・ページ」だった。今から考えると豪華な2本立てだ) 出演はポアロにアルバート・フィニー(と言ってもこの映画以外彼の作品は見たことがないのだが)、ショーン・コネリー、ジャクリーン・ビセット、マイケル・ヨーク、アンソニー・パーキンス、ローレン・バコール、イングリッド・バーグマン、マーティン・バルサム、コリン・ブレークリーなどなど。豪華オールスターキャスト。 でもつまらなかったということはないが、面白かった記憶もない。 今回見直して分かったが、映画的な動きに乏しい話なのだ。 何せ雪に閉じこめられた列車で殺人事件があって、乗客を一人一人ポアロが尋問していくだけなのだ。 集団劇のような大勢の人間が意見を言う討論もない。列車から落ちそうになるようなハラハラのシーンもない。 まして再見だから犯人は分かってるし。 そういう訳で正直退屈した。 殺されたラチェットは実はアームストロング事件の黒幕だった。そして乗客全員アームストロング家と関係のある人間だった、という訳で乗客と車掌13名が共謀して行った犯行だったという真相。 その真相をユーゴの警察に報告するかをポアロに任されたビアンキは、13名が犯人ではなく、外部犯だったと報告することに。 ええ〜!昔観たときはそんなこと思わなかったが、それって私刑を肯定することじゃないのか? しかも最後はシャンペンで乾杯までしてるし。 今じゃこのラストは受け入れられないだろうなあ。 それが驚いた。 またそういう言われ方をしたことはないし、単なる偶然なのかも知れないが、日本での金田一シリーズに影響を与えた気がした。 一時代前の豪華な衣装、オールスターキャストなど共通点も多い。この映画のヒットが金田一シリーズを生んだきっかけになったかも知れない気がした。 (このページのトップへ) 遊星からの物体X日時 2014年1月19日 場所 Bru-ray 監督 ジョン・カーペンター 製作 1982年(昭和57年) 南極のアメリカ観測隊基地。そこへ1匹の犬とそれを追ってやってきたヘリコプターが飛来する。ヘリコプターの乗員は犬を撃ち殺そうと必死。アメリカ基地にやってきた犬に向かって発砲。危険を感じた基地隊長は銃を持った男を射殺した。 銃を持って追ってきたのはノルウェー隊だった。彼らの基地に行ってみたが、すでに焼き払われていた。一体なにがあったのだ? 彼らの基地にあった記録から、近くで何かを掘り出したらしい。調査に行ったマクレディ(カート・ラッセル)たちだったが、どうやらUFOを掘り出したらしいのだ。 そんな時、基地にやってきた例の犬が他の犬から襲われる。やがてその犬から異形の「生き物」が登場した。 どうやらノルウェー隊はこの「生き物」にやられ、彼らを全滅させようとして基地を焼き払ったのだ。 しかもこの「生き物」、犬や人間などの他の生き物に寄生し成り代わることが出来るらしい。 果たしてアメリカ隊の運命は? ハワード・ホークスが事実上撮ったとされる「遊星よりの物体X」のリメイク。 (昔のが「よりの」で今回は「からの」になっている) 公開当時は観ていない。割と評判のいい映画なので、2013年11月に元の作品を観たことをきっかけにブルーレイを購入し、やっと観た次第。 うーん、面白いことは面白いんだけどそれほどでもないっていうのが本音。 閉ざされた空間で宇宙生物が人間の体内に入り込む、っていう話は完全に「エイリアン」のパクリ。 で、ぬめぬめとしたクリーチャーの姿も完全に「エイリアン」。 もう完全に「エイリアン」のヒットの二番煎じ。 それに1時間40分はちょっと長い(クレジットが5分以上あるので)。話の展開が悪く(もともと密室の話なので、話が広げにくいのだが)それもあって途中退屈した。 人間と人間に寄生した「生き物」の見分け方として血液を保存してある正常な血液と混ぜれば見分けがつくとしてテストしようとするが、すでに保管してあった輸血用血液は捨てられていた。で、「生き物」と対決したときにマクレディは体液そのものでも生きるので、血液に熱を与えれば「血が逃げようとする」と気づく。 このテストのシーンはハラハラさせてなかなかよかった。 でもラストは「生き物」を焼き、さらに自分たちの基地まで爆破してしまう。 無線もなく救援隊も呼べない。発電機もなく彼らもあと数時間で死ぬしかない。 そんな絶望的なラストは単なるハッピーエンドよりよかったと思う。 (このページのトップへ) 華魂 HANA-DAMA日時 2014年1月18日21:00〜 場所 K's cinema 監督 佐藤寿保 脚本 いまおかしんじ 青沼瑞希(桜木梨奈)は学校で橘たちのグループにいじめられてる女子高生。実は彼女は前の学校で先生と肉体関係になってしまい、それがばれて問題になって学校を退学、今の学校に転校してきたのだった。 そんな瑞希に共感を寄せるのは桐絵(島村舞花)だった。 彼女自身、どこかおっとりした子でいじめの対象になるような感じの子だった。 もう一人、柴内健介(浅田駿)も教師の児玉(飯島大介)や山田(泊帝)たちからいじめにあっていた。「おまえの机に入っていたんだ。お前、女装が趣味なんだろ?」と放課後にセーラー服を着させられる。 そんな日々が続く頃、やがて3人は結束していこうと誓うのだが。 いまおかしんじ脚本、佐藤寿保監督作品。 佐藤寿保さんは「狂った舞踏会」とか「仮面の誘惑」とかとにかくバイオレンスな暴力描写を好む方、というのが私のイメージ。 本日は初日舞台挨拶付きで飯島大介さんが「これは学校のいじめ問題を扱ってまして」と言ってたけど、そういう現代的なリアルな問題に基づいての映画ではあるまい。 人間に潜む暴力的欲望についての映画だろう。 映画はとにかく女子高生のいじめが延々と続き、観ていてしんどい。で、瑞希たちが学校とか警察に言うとか(もっともこの映画に出てくる教師はあてにならないが)、反撃の行動を取って対決していくかと思えばそうはならない。 「一緒に戦おう」と3人は誓うが、瑞希と柴内の仲を桐絵が嫉妬したり、なかなか一枚岩にはならない。 で延々といじめが繰り返され、話が前に全く進まない。 さらに教師二人が桐絵を犯してしまうあたりになっては完全にピンク映画とかポルノ映画の展開で、まじめないじめ問題を扱う映画ではなくなってしまった。 元々佐藤寿保監督は「人間の暴力、弱いものいじめ」を描きたいんだろうから、作ってる本人は楽しいかも知れないが、私はそういうのは好きではないので、観ていてつらい。 これはもう佐藤監督の作りたいものと私の見たい映画とがづれているので、どうしようもない。 「華魂」というのは人間の狂気を象徴したものらしい。 いじめに耐えかねた桐絵は自殺し、ついに瑞希の「華魂」が花開く。映画ではラフレシアを、モデルにした毒々しい華として登場する。 そしてその華を頭に乗せた瑞希は教室に行き、教室にいる全員が狂気にむしばまれ、暴力的欲望の虜になっていく、というのがクライマックス。 ここでいじめっ子同士まで喧嘩になってしまい、「お前のその目が嫌いなんだよ!」と言って目をえぐり出すカットは勘弁してほしかった。 私、あそこまでやられるときついんです。 誠に寿保さんらしい映画で、本人やその作風が好きな方にはやりきった映画かも知れないけど、私にはちょっとつらい映画だった。 (このページのトップへ) アポロ13日時 2014年1月18日 場所 DVD 監督 ロン・ハワード 製作 1995年(平成7年) (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) アポロ11号が月面着陸に成功し、12号も成功。しかし世間の関心はやや薄れつつあった。 13号に予定されていたメンバーの一人が病気になり、14号に乗船予定だったジム・ラベル(トム・ハンクス)のチームが急遽繰り上がった。発射予定まで半年しかない。 発射二日前になって操縦士のケン(ゲイリー・シニーズ)が風疹の疑いでドクターストップがかかる。 「風疹にはならないかも知れない。医療チームが保身の為に言ってるだけだ」とジムは反発したが、ジムのチームが乗ることをあきらめるか、メンバーを変更しジャック(ケヴィン・ベーコン)を乗せるかの決断を迫られ、ジムはメンバー交代することにした。 欧米社会では不吉な数字と言われる13がアポロの番号であること、発射予定時刻が13時13分であることに不安を言うものもあったが、一笑にふすメンバーたち。 発射は成功した。しかし月に向かう途中、爆発事故が起きた。 主任管制官のジーン(エド・ハリス)は体制を立て直して月に行くことを主張したが、部下の要請で月面着陸はあきらめる。 それから数日間、アポロ13号に関わったすべての人間が召集され、必死の救出作戦が行われる。 この映画は公開時、劇場で観ている。当時映画からちょっと離れていた時期だったのだが、(「ゴジラ」と「寅さん」、他は年に1、2本ぐらいしか観ないレベル)13号事故の事は子供心に覚えていたし、詳しく知りたかったのだろう。 しかし映画はそんな程度の関心を吹き飛ばすくらい面白かった。 映画のジャンルに私が勝手に命名してるのだが、「ミッションもの」というのがある。 ある目的があってそれに向けて多くの人間が召集され、彼らが得意分野を生かして成功させていく、という奴。 「七人の侍」も「大脱走」もそう。「黒部の太陽」や「富士山頂」もこれに入る。「ウォーター・ボーイズ」も入れていい。 このジャンルははずれが少ない。 登場人物の個性があって、途中途中で山場があり、最後まで飽きさせない。 「準備→実行→アクシデント(困難)→克服、ミッション成功」という具合。 この映画の場合、ミッションが途中で変更となるが。 乗組員たちは故障した司令船を地球再突入まで温存するため、一旦月着陸船に避難する。 しかし着陸船は定員2名のため、3名も二酸化炭素排出に耐えられない。 観た当時は途中、二酸化炭素の排出増加に伴い、司令船のフィルターを着陸船に取り付けるシーンで形があわないっことで取り付けがすぐには出来ずに船内にあるはずのありもので即席に作るシーンでは自身の仕事と重なる部分もあり、特に印象に残った。 あとトム・ハンクスが月に向かって手を伸ばし、親指で月を隠してその指を動かして月が見えたり見なかったりをするカット、よく覚えていたのだが、それは何回もそのシーンがあったからだと思っていたが、月を指で隠すのが1回、宇宙で地球を隠すのが1回と記憶と違っていたのは驚いた。 無重力状態のシーン、当時はCGなんてまだまだ今ほどではなかったし、どうやったのかと思ったら、DVDの特典映像のインタビューで、飛行機が急降下したときにわずかの間無重力状態になるが(実際、宇宙飛行士の訓練でも使われるが)、それを使ったそうだ。 つまり飛行機の中にセットを作り、何百回と急降下して撮影していったとか。すげ〜な〜。 今回は以前買ってあったDVDで観たけど、ブルーレイを買いなおしてまた数年後観てみたいと思った。 ただただ面白かった。 (このページのトップへ) 鎖縛 SABAKU日時 2014年1月14日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 カジノ 製作 「近藤さん、助けてくれよ」マサシは近藤という男に拉致されてきた。そこにはマサシの友人のトモがいた。 トモが言う。「その男は近藤なんて男じゃない。純の父親だ」 純の父親(佐野和宏)は言う。「どうやって純を殺したんだ?遺族には何も教えてくれないんだ」 数年前、マサシとトモは同じく友人だった純(佐藤幹雄)をなぶり殺した。しかし二人とも少年だったために数年で少年院をでてきたのだ。 復讐のために純の父は二人を拉致した。純が殺された時と同様に鎖で二人を縛る純の父。二人の体の上にろうそくを立て、徐々にいたぶっていく。 ENKプロモーション製作。 監督のカジノという方はよく解らない。佐藤寿保の名前が企画としてクレジットされているから、実質のプロデューサーなのかも知れない。 そう考えると佐藤寿保らしい作品に見えてくる。 話のほとんどは監禁された暗い廃倉庫のような所。 照明は暗く、何をしているか判然としない所もある。 その後、バーナーの炎で手を焼いたりするから、まあその暗めの映像の方がかえってきれいに見えるのだが。 マサシとトモが語っていく事実。実際に殺したのはトモで、マサシが命令したのだ。 「トモと純が仲良くなったのを嫉妬してマサシが殺させた」とトモは言う。しかしマサシは「純と同じオカマにみられるのがいやでトモが殺したのだという」 純の父の指示によってマサシはトモによって殺される。 純の母、サエコも純の死後、精神がおかしくなって父が殺したのだ。 最後には純が幻想として登場する。実は子供の頃から女の子っぽかった純を父はあまり好きではなかった。 子供の頃の父の仕打ちを恨む純。 しかし最後には父もマサシもトモも純は許していくのだった。 という所でエンド。 SMともちょっと違う、被虐の光景が全編に渡って映し出される。 それが男の肉体美と相まって妙に美しい。 話の展開もないし動きも少ない。何度も見たいと思う映画ではないがインパクトはある映画だった。 「僕は恋に夢中」の佐藤幹雄がジャケットに大きくでているので、彼を期待して観たのだが、回想の白黒ショットで少し、あとは後半の暗がりに出てくるだけなので彼を観たくてこの映画を観ると期待を外される。 (このページのトップへ) ジャッジ!日時 2014年1月12日19:15〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン2 監督 永井聡 大手広告代理店に所属する(使えない)CMクリエーター太田喜一郎(妻夫木聡)はカップうどんのCMでキツネをクライアントの一言で猫に変更されたりの苦労の日々。 そんな時上司の大滝一郎(豊川悦司)からサンタモニカ国際広告祭の審査員に行くよう命じられる。 実は出品されるちくわのCMが出来がひどいのに「グランプリを取ってこい。さもなくば代理店を変える」とクライアントから要求されたのだ。グランプリを取れなければクビ。だから大滝は太田にその仕事を押しつけた。 窓際社員の鏡さん(リリー・フランキー)から英語や審査員のコツを教わったが、使えるかどうか解らない。 夫人同伴が普通と聞いてギャンブル好きの同僚大田ひかり(北川景子)を同行させてサンタモニカに。 そこは自分のCMに賞を取らせようとする審査員たちの駆け引きの場だった! どうする太田! 基本、妻夫木聡の出演作は見るタチなので、今回も楽しみにしてみた。主演作は久々だ。 結論からいうと面白かった。 笑って最後は泣かせてコメディの王道を行っている。 正直、舞台となる広告祭で賞を取ることがヒットCMになるかというとはなはだ疑問を感じる。CMなんてその国の流行、習慣、言語によっても左右されるだろうから。 でもまあやっぱり業界的な立場は違ってくるのだろう。 オカマがお笑いのネタにされたり個人的には気になることはあるけど、クライアントのわがままに翻弄されるCMクリエーターの人々の姿は素直に笑える。 そして裏工作に満ちた審査会を「本当にいいと思えるCMに賞を取らせよう」という太田君のバカ正直な努力が実を結ぶという展開もベタとはいえ、素直に泣ける。 ベタすぎて延々と演説をしたりすればさすがに嫌気も差したかも知れないが、前半のリリー・フランキーの英語ガイドとかペン回し、オタクグッズの伏線が効いていて嫌みにならない。 また太田が好きだと言ったCMが審査委員長が昔作ったCMだというのをすぐに観客には解らせてるのがもったいぶらなくていい。最後の最後になって「実はあのCMは俺が作った!」って展開にされても観客は「それはだいたい想像がついた」となるだけだから。 妻夫木聡は予想通りの安定感。 出世作「ウォーター・ボーイズ」でもヘタレ高校生だったが、今回はあのときの彼がそのまま大きくなったようなヘタレぶり。 まさに一番得意な役。 面白かった。しばらくは「今やってる映画でお勧めの映画は?」と聞かれたら「ジャッジ!」と答えられる。 (このページのトップへ) 楽隊のうさぎ日時 2014年1月12日16:00〜 場所 ユーロスペース1 監督 鈴木卓爾 中学に入学した奥田克久(川崎航星)。クラブ活動を何にしようか友達と相談中。そんなとき、学校で幻想のうさぎを見かけ、それに誘われるままに吹奏楽部に入部する。 楽器はパーカッションのパート。スティックを購入し、家でもスティックを叩いて練習するように。 引っ込み思案だった克久がちょっと積極的になったので、親も少し驚く。「もしつらかったらやめてもいいんだぞ」という親に「そんなに簡単にやめられないよ」という克久。 3年生の引退、2年生に進級し、自分も後輩を持つ立場に。 小学校の時一緒でサッカー部を誘って今は辞めてしまった友人の守(百鬼佑斗)は学校に来なくなってるらしい。 そして定期演奏会の日がやってくる。 はっきり言うけど、つまらない。 見に行ったこっちが期待した(想像した)映画と違っていたということもあるのだが、97分の映画だがしんどかった。 「映画館が上映したい映画を作ろう」という各地のミニシアターが協力して作ったらしいのだが、こういう映画は勘弁してほしい。 予告編を最初見たときから、それほど動きのある映画ではなさそうだなと思ったが、やっぱり直感を信じればよかった。 なにがつまらない原因(あくまで私にとって)と言うとまず主人公が引っ込み思案の子なので、自分から行動を起こすことが少ない。不登校になった友人に偶然出会ったとき「今度演奏会来てくれよ。チケット受付においておくから」というだけ。自分から動くのはせいぜいそれぐらい。 部活動でも自分から発言したり、みんなをリードすることはない。常に受け身で、言葉を発しない。 映画的に動きが全くなくなるのだ。 音楽部活動もの、というジャンルは「スウィングガールズ」に代表されるものがあるが、ああいう映画は「楽器を買うお金がないからバイトする→問題になる」「演奏のうまい子をスカウトする」「誰かが部活を辞めなきゃいけなくなってしまう」「演奏会前日なにか事件が起こる」という何かが起こってそれを解決して話が進んでいく、というパターンが多い。 それを否定するかのように事件らしい事件はまったく起きない。 それは上記のような「事件が起きて解決して、というのは虚構の話だ」ということに対してのアンチテーゼとしてあえてなにも起きないかも知れないけど、私としてはもっとベタな話の方がいい。(ベタ過ぎるとイヤになることがあるが) また主人公がせりふなしで受け身でもたとえば神木隆之介くんみたいな芸達者がやればそれなりに見える画面になったかも知れないが、素人同然の子がやるから余計に伝わるモノがない。 さらに音楽などで盛り上げようということもない。 しかしパンフレットでいろんな方の賞賛のコメントを見るとこっちが間違ってる気になるのだが。 最近「なにもこわいことはない」みたいに「なにも起きない映画」が、ミニシアターでは流行っているのだろうか? だとするとしんどい。 (このページのトップへ) 男街行き快速急行日時 2014年1月11日12:50〜 場所 光音座1 監督 浜野佐知 製作 リバー(椿寿仁)は小田急線の車内で痴漢してきた男に金をもらってさわらせ、そしてしゃぶって金をもらっていた。 そんな時、葉月(杉本まこと・現なかみつせいじ)とラブ(栗原良)という二人の男から外へ誘われる。 葉月とラブは「あまり派手なことをされると取り締まりが厳しくなる。もう車内でそういうことはやめて欲しい」と頼むがリバーはどこ吹く風。 仕方なしに葉月がリバーの見張り役としてリバーと一緒に電車に乗ることに。 葉月は実は沿線の有力者の息子で家出状態だった。 そんな日々が続き、やがてリバーは葉月に告白する。 しかし葉月の父(久須美欽一)が亡くなり、葉月は家を継ぐことになった。 脚本・山崎邦紀、監督・浜野佐知の旦々社作品。 正直、さっぱり映画の世界に入れない。 まず電車の中で痴漢するのだが、痴漢をするまでは解る。 しかしそこでズボンもパンツも下ろし、モノをしゃぶって射精までしてしまうと完全に引いてしまう。 「いくら何でもそれはあり得ないだろう」って。 もちろん映画はフィクションだし、日本に宍戸錠のような殺し屋がいないのに殺し屋の映画が成立することは解る。 しかし「殺し屋映画」ではそれなりにリアリティというか「あり得ないけど、ひょっとしたらあり得るかも?」と思わせる説得力があった。 殺し屋だったら警察の足がつかないよな工夫をするとかの話に努力があった。 しかしこの映画ではそれはない。 電車の中でいきなりパクリ、である。 他の乗客が気づかない、という設定かと思いきや、席に座っていたおばさん3人組が顔をしかめるカットがあるので、客は気づいている。おいおいそれでは通報されるだろう。 通報されてそれでも駅員というか係員の目をかいくぐって行為をする、というなら話はわかるのだが、そんな話にはならない。 どうにもこの設定がついていけずに映画の世界に入れない。 で、話の方は葉月は父親が死んで父の事業の跡を継ぐ決意をし、いままで暮らしていたラブたちのもとを離れる。 それまで葉月は父親に反発していて、ラブのことを父と慕っていた。しかし実家に帰って働き出すともう運転手付きの車(白のクラウンだけど。ここはやはり黒塗りの高級車であってほしい)に乗っていて、偶然道で出会ったラブが声をかけても無視する。 そして葉月の家を訪ねてきたラブとリバーを「遊びの時間は終わったんだ」と追い返す。 その前にリバーも親兄弟のない身で父親を探していて電車で痴漢を始めたのも、昔父がその沿線に住んでいたらしいので、ここで痴漢をしてれば話題になって父の情報が入ってくるかも知れないという話が出てくる。 父を慕うリバーと父に反発する葉月。そういう二人を対比させているが、だから何なのだーという形で話は進み、リバーもラブのもとを離れ、父を捜すのをあきらめ、まだ高島屋が開店していないけど三越新宿南館が見える新宿南口歩道橋からちぎった父の写真を捨てる。 そしてまたまた電車に戻ってまた痴漢の餌食になって電車内で顔面射精され、「みんなが僕のおとうさんだ」となんだか解らないせりふを言って「FIN」 解る解らないじゃなくて脚本がテキトーすぎる。 ではこの映画に魅力がないかというそんなことはない。 主役の椿寿仁。 アジアンな顔立ちななかなかのセクシー男。 彼は主役だからこそ、なんとか映画が持っていた気がする。 それぐらい主役を張るには十分な魅力があった。 (このページのトップへ) イノセント・ノワール日時 2014年1月11日11:40〜場所 光音座1 監督 友末直之 ヨシキ(KOH)は殺し屋。と言っても借金で首が回らなくなったような男を自殺に見せかけて殺すというような地味な殺し屋だ。報酬も10万円ぐらいで高くない。 仕事の依頼はいつも決まった男(友末直之)からもらうという下請けだ。 発注主との打ち合わせはいつも決まった新宿2丁目のボーイズバー。打ち合わせの後、そこにいたボーイのテル(雄大)を指名する。 テルはヨシキに感じるものがあって、ホテルではなく自分の部屋に呼ぶ。そこで一晩を二人で過ごす。 翌朝、運命を感じて告白するテル。二人はつきあいはじめ、一見幸せな日々が続く。 ある日、ヨシキはいつもの仕事の発注主から大きな報酬の仕事の誘いを受けるがやばそうなので断る。 しかしその晩、テルは暴力好きの客に殴られて帰ってくる。「こんな生活やめてどこかで暮らそう」とテルを誘うヨシキ。 そのためには金が必要だ。例のやばい仕事を受けるヨシキだったが。 正月とお盆に公開される新作ゲイピンク。監督は友末直之。 友末監督は「囚われの淫獣」という異色ピンク映画の名作もあったが、「一輪の薔薇」「わがまま旋風」が私とは合わない映画だったため、今回少し不安を感じていたが、今回は素直にプログラムピクチュアになっていて、その辺の不安は吹き飛んだ。 テルにはキャバ嬢をしている姉がいる。 ヨシキはある女が手引きしてくれるからとマンションである男を殺す。その手引きしてくれた女が偶然にもテルの姉だったという訳だ。 殺した男は村田というやくざ。その弟分の後藤が今回報復に出たのだ。 手引きした女、テルの姉は弟から送られてきた写真で見たことのある男がヨシキだったのだ。 ヨシキは後藤に捕まり、後藤のモノをくわえさせられ、また手下(KAZUSHI)に掘られる。 またテルの家にも後藤の手下がやってきてテルも監禁される。 お互いの捕まってる様、やられてる様をスマホのテレビ電話でお互いに見させられる二人。 お互いの再会を誓い合うがおそらくはヨシキはこれから殺される。 そこで映画はカット変わって海岸にたたずむテル。 ヨシキとテルは「海の近くに住んで海岸で姉ちゃんと3人でバーベキューしよう」と約束していた。 果たせなかったその約束を思い浮かべるテル。 正直、このエンディングは少しベタすぎる気がしないでもないが、素直なノワール風プログラムピクチャアとしてはこのエンディングでよかったと思う。 ちなみにヨシキを捕まえた後藤が「死んだ村田はいけすかない奴だった。だが俺はお前を殺す。やくざはイメージ商売だから村田を殺した奴を俺が殺すと筋を通す男だ、と評判がよくなる」 そういうやくざの心情を吐露する場面もあり、面白かった。 (このページのトップへ) |