2014年3月

 ロケーション  美少女プロレス
失神10秒前
 阿鼻叫喚!
熟女の三所責め
 奴隷調教
監禁SM御曹子
 鉄砲玉の美学  鬼の詩 少年H   パズル
銀の匙 Silver Spoon 家路 変態(秘)産婦人科 ニッポンの猥褻
好色一代記
痴漢は最高! ゼウスの法廷 絆 再びの空へ
Blue Impulse
東京難民
愛の渦 愛欲霊女 潮吹き淫魔 変態夫婦 とろける寝室
痴漢電車
 夢指の熱い調べ
男舞(だんぶ)〜ラブ・レッスン〜 ラブドラッグ 日曜日の午後 ミスタージャイアンツ
勝利の旗

ロケーション


日時 2014年3月31日20:30〜
場所 新文芸座
監督 森崎東
製作 昭和59年(1984年)


べーやん(西田敏行)はピンク映画のカメラマン。今日も仕事の徹夜明けで帰ってきてシャワーを浴びていると電話が鳴る。田舎の頃からの友達で今はピンク映画の脚本家の紺野(柄本明)からだった。べーやんの妻から夕べ電話があったが様子がおかしかったいう。妻の奈津子(大楠道代)は睡眠薬自殺をはかったのだ。べーやん、紺野、奈津子は20年来の友人だった。
奈津子はピンクの女優もしていて、今度の映画は彼女が主演の予定だった。
撮影初日になって主演女優交代。集合場所でスタッフは大騒ぎ。セカンドのタケ(アパッチけん)は早速代役探しへ。
ロケの海岸でレイプシーンを撮ろうとしたが、連れてきた女優は「裸は聞いてない」と帰ってしまう。そこへ紺野が奈津子をつれて戻ってきた。しかし冒頭のレイプシーンを撮ったところでやっぱりリタイア。
この映画はレイプされた女がレイプした3人組に復讐していく話。娘が復讐していく話にして新しい女優(イヴ)でスタートしようとするが、この女が使えない。
監督(加藤武)も持病が悪化して入院。しかし映画は撮らねばならない。たまたまロケに使った旅館で働いていた不思議な女の子、笑子(美保純)を使って撮影は再会。
順調に行くかに見えたが、翌日になって笑子は「お盆だから故郷に帰りたい」と言い出す。
仕方なく笑子を故郷福島に送るのを兼ねて福島までロケに行くことに。


森崎東監督特集での上映。監督の2013年作品「ペコロスの母に会いに行く」がキネ旬1位になったことを記念しての特集上映らしい。

この「ロケーション」は封切りの時にも観ている。
ピンク映画の撮影裏話が題材で出演が西田敏行、柄本明、佐藤B作、竹中直人、アパッチけんなどと聞けば(柄本、佐藤、竹中らはこの頃メジャーになってきた時だった)コメディとして期待できる。
「ドタバタしながらも何とか映画が出来ました!」という映画だと思っていたら、全然(と言ってもいい)違う映画だったのだ。
原作は津田一郎の「ザ・ロケーション」。未読だが津田さんはピンク映画のスチルカメラマンだそうで、笑子の話はたぶん映画のオリジナルだろう。

前半はクランクイン当日に二人も女優に逃げられるドタバタから始まる。ピンク映画ではあることらしい。
ベテラン女優がピンチヒッターで参加することになるのだが、「明日来てくれ!」と言われるようになったら一人前とか。つまりそれだけスタッフから信頼され頼りにされているということだ。

その辺はコメディとして快調なのだが、笑子をつれて福島に行き、ある学校でロケをすることに。
その学校で笑子の恩師(佐藤B作)と再会。
映画で笑子は復讐のために母をレイプした男を殺すのだが(ネットであらすじを後で読んだら、撮影中の映画の中では当初レイプされた女が復讐していく話だったのだが、急遽娘が復讐する話になったらしい)、それを知った恩師が「私は中学生の頃の笑子を犯した」と告白する。
このあたりから映画は迷宮の世界に突入していく。

中学生の頃の笑子は「人を殺したことがある」と言われていたようだ。真実はいったい何なのか?
べーやんはたまたま入った連れ込み宿で買った女(大楠道代の二役)が笑子の母親かと思ったが「母親は死んだんでしょ?」とごまかされる。

いよいよクライマックス。
笑子はあばら家の元の家に行く。そこで母親と再会。
やはり夕べの女が母親だったのだ。
二人は感情をぶつけ合い、「あの日」を再現していく。
この再現するシーンの二人が実に迫力がある。
30数年経っても忘れられずにもう一度観たかったのはこのシーンに妙なインパクトがあったのだ。
早口で二人がしゃべるので、正直なんだかよくわからない部分もあるのだが、母親と笑子の父親殺しの誤解は解け、二人は父を偲ぶ。

「あの日」を再現する場面では照明部チーフが父親役を買ってでたりカメラは二人を追いかけて崖っぷちにいき、べーやんは海に入る。
映画を撮っていくうちに女優の実人生とシンクロしていくというのは面白い展開だと思う。
もう一度観てみたい。
今までDVD化されていなかったが、まもなくDVD化されるようだ。

またロケ中に誰もいない海岸に着き、「ここで思いっきり撮影できる」と思ったのはつかの間、幼稚園の先生(和由布子の特別出演)が園児を連れてきて「見学させたくださ〜い」と言ってきてしまう。

またチーフ助監督を竹中直人(まだやりすぎになってない)がセカンドのアパッチけんを「また言い訳か!」と言って怒鳴りつけるシーンが数回ある。
この時にアパッチけんが「言い訳じゃありません、状況説明です」というせりふを記憶していたのだが、「言い訳じゃありません。口答えです!」だった。
あれえ、記憶違いだったのかなあ?
確認するためにももう一度DVDで観てみよう。

しかし佐藤B作の教師の笑子のレイプ話とかべーやん、今野、奈津子の三角関係とか彼らが学生運動をしていたとかどうにも話の風呂敷を広げすぎて全体的に散漫になった気がする。ピンク映画のドタバタというコメディ部分と笑子の親との話もやっぱりうまく溶け込んでいない気もする。

そういう欠点というか気になる点はいくつかあるが、やっぱり30年経っても観たことを忘れなかったし、もう一度観たくなったのだから、やはり好きな映画なのだろう。
再会出来てよかった。



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美少女プロレス 失神10秒前


日時 2014年3月30日15:45〜
場所 シネロマン池袋
監督 那須博之
製作 昭和59年(1984年)


高校時代からメグ(山本奈津子)とシノブは親友にしてライバル。メグは夢の島大学へ、シノブ(小田かおる)は八王子大学へ入学。
メグの姉は大学のプロレス愛好会の選手だったが、八王子大学との決戦で負けていた。
メグはそんな姉と違って聖書を愛読するような少女だったが、だまされてプロレス愛好会に入部させられてしまう。
部活は厳しく先輩たちのしごきは半端ではない。
そんな頃、シノブも八王子大学のプロレス愛好会に入部していた。
メグは幼い頃近所に住んでいて、今はブティックのオーナーのカズオにあこがれていた。同時に大学の応援団部員の山田に惚れられたが、今は興味はない。
しかしシノブもカズオに誘いをかけ、二人は関係を結んでしまう。
それを知ったメグは山田と関係を結ぶ。誰でもよかったのだが、自分に一途な山田を次第に意識するメグだった。
そして学園祭が近づく。
学園祭で八王子大学との決戦がある。シノブが試合に出ると知ると自分も試合に立候補するメグだった。


この映画は(もう30年になるのか!)の封切りの時にも観ている。なぜかと言えば今まで唯一のエキストラで私が参加した映画だから。
どういう経緯で参加したかさっぱり覚えていない。
バイト仲間の日芸の学生の紹介だったか?とにかく大学の映研の後輩と二人で参加した。日当もあったと思う。
調布の日活撮影所に行った。でも撮影所の中のことは全く覚えていない。昼飯はどうしたんだろう?撮影所の食堂で食べたんだろうか?

エキストラで参加したシーンは冒頭と最後にプロレスの試合のシーンがあるが、その観客だった。
今回見直したけど、全く写っていなかったように思う。
それにしても100人以上のエキストラを使うなんてピンク映画と違って大資本の日活だ。

で、肝心の映画の方だけどちょっとまとまりが悪い印象がした。
メグとシノブは何かと張り合っているが、このあたりは「桃尻娘」以来のロマンポルノの伝統的な関係というのだろうか?
この二人を演じる山本奈津子と小田かおるは「セーラー服百合族」という女子高生のレズもので2作の共演していて、山本奈津子はこれが3作目の映画出演。
調べて観て驚いたが、山本奈津子はロマンポルノで活躍していたのは1年余りらしい。
私にとっては数少ない記憶に残るロマンポルノ女優だけに意外だった。(「ウルトラマンマックス」の第1話に出演した時は本当に驚いた。金子修介監督だからその縁らしい)

メグが「タンポンが入ると力が出る」という設定があるが、これをもっと生かしてもよかったのでは?
この設定を生かして「試合で窮地に追い込まれたが、タンポンを入れて試合に勝つ。次の試合でもそれをやろうとしたが、邪魔が入る」という流れならばプロレスものとしてもっと面白くなったと思うのだが。

ところがメグとシノブのカズオの取り合いとか、山田の片想いとか話がわき道にそれて、スポーツコメデイとしてもう一つ踏み込みが足りない気がした。

それにしても山本奈津子は可愛かった。当時のアイドル歌手と比べても遜色のない感じ。
ナチュラルメイクな感じが返って「クラスにいそうな子」という印象でよかったと思う。

DVDにもなってるし、自分が参加した映画が消えずに今でも上映されて(ニュープリント同然だった)残っているのは非常にうれしい。



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阿鼻叫喚! 熟女の三所責め


日時 2014年3月30日14:45〜
場所 シネロマン池袋
監督 浜野佐知
製作 


アキラ(森田久恵)は高級マンションに住んでいたが、別に仕事はしていない。食事は近所のレストランから出前を取り、出前持ちの男(荒木太郎)を気持ちよくさせる代わりにただで食事を取っていた。マンションの家賃も同様で、不動産会社の男と寝て彼に払わせていた。
そんな時、アキラの妹のミキが婚約者で週刊誌の記者、大矢を紹介する。妹が誰と結婚しようと関心のないアキラだった。
ミキは仕事をしていないのにどうやって暮らしているのかが不思議だった。ミキは大矢に姉の暮らしを調べるよう頼む。
一方不動産会社の社員はついに社長にアキラの家賃の件を話す。社長はアキラの元に家賃を払うよういい、さもなくば出ていってもらうと通告する。
社長は実は事務員と浮気していた。アキラは大矢を使って社長の弱みを探させ、事務員との浮気の証拠をつかむ。
それによって社長は折れた。
出前持ちの方も今まで通り。
アキラはこうやって暮らしを続けていくのだった。


監督浜野佐知=脚本山崎邦紀コンビの旦々舎作品。
う〜ん、別にどうということはない普通のピンク映画。
浜野佐知映画らしい、男に対して女が勝つというラスト。
濡れ場も荒木太郎とあって不動産会社の社員とあって妹と大矢があって不動産会社の社長と事務員があって、アキラと大矢があって、アキラと社長があってもう1回荒木太郎か。
濡れ場も多く、サービス精神旺盛なピンクらしいピンク。



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奴隷調教 監禁SM御曹子


日時 2014年3月30日13:45〜
場所 シネロマン池袋
監督 大門通 
製作 


レイコ(今野由愛)は昭信(吉岡睦雄)と結婚を考えている仲だったが、昭信のギャンブル好きによる借金癖がいやになって別れることに。
結婚相談所に行き誠実な人を紹介してもらう。
紹介されたのはマンションのオーナーで資産家の本村卓司(岡田智宏)という男だった。
真面目そうな人柄に惹かれて本村の部屋に行くレイコ。
しかし本村はコーヒーに薬を入れてレイコを眠らせる。
本村は女性を監禁して自分の奴隷に仕立てようとする変態だった。
携帯のメールで昭信に助けを求めるレイコ。レイコと別れたくない昭信はそのレイコが行った結婚相談所に行き、本村を探し始める。


「美少女プロレス失神10秒前」が目当てシネロマン池袋に初めて行った。で同時上映のエクセスピンクの1本。
吉岡睦雄さんと岡田智宏さんの競演がうれしい。

昭信は結婚相談所でなんとか本村の住所を聞き出す。
しかし自分の部屋に監禁してるとは限らないので、近所のたばこ屋で本村のことを聞き出し、離婚した妻が小料理屋をやってると聞き、そこへ行ったら本村の前妻と1回。
一方レイコの方は「昔同じような女を箱詰めにした」という本村の回想がインサート。倖田李梨が責められる。
レイコの方も知恵を絞って「Mとして目覚めました。しかしSとしても覚醒したいです。どうかご主人様を責めさせてください!」と言って本村を手錠で吊し、自由を奪ったところで、昭信もやってきて助けられてめでたし。

一応オチがあって、結婚相談所である男性を紹介してもらう女性。現れたのは本村だった!ということ。

見所としてはレイコもおむつをさせられておしっこをさせられるのだが、し終わったおむつを顔にかぶって本村が恍惚とするシーンの岡田智宏は見応えがあった。
真面目な役も変態の役も似合う岡田さんだと思う。



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鉄砲玉の美学


日時 2014年3月29日20:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 中島貞夫
製作 昭和48年2月(1973年)


大阪、天佑会のチンピラ、小池清(渡瀬恒彦)はウサギのテキヤでしのいでいたがさっぱり儲からない。
そんな時、南九州進出をねらう天佑会は宮崎の鉄砲玉を送り込み、暴れさせて戦争の口実を作ろうとしていた。
その鉄砲玉に選ばれた小池は100万円の現金と拳銃をもって宮崎に乗り込む。
一番のホテルに泊まり、飲み屋で豪遊する日々を送ったが、相手は一向に手を出さない。一人のチンピラ(川谷拓三)が襲ってきたが、逆に街の顔役、杉町(小池朝雄)から「こいつをあんたの好きなようにしてくれてかまわない。その代わりこの件は大阪には黙っていてもらいたい」
そう言われてさらにこの町で一番の女で杉町の愛人の潤子(杉本美樹)を貸してもらう。
二人は「神の降りてきた山」と言い伝えられる霧島近くの都城に移動して楽しむ。
しかし、小池の留守にしている間に潤子に電話が入り、彼女は去っていく。


「仁義なき戦い」は73年1月公開だから、その1ヶ月後の公開。
企画=天尾完次、脚本=野上龍雄、監督=中島貞夫、とくれば東映やくざ映画のようだが、ATG映画だ。
内容もやくざ抗争での鉄砲玉の話だし、東映映画のようだがなぜATG映画になったのだろう。
確かやくざ映画のようだが、ちょっと違う。
東映では没になった企画をATGで復活させたのだろうか?

小池は貧乏なチンピラなので、宮崎についても豪遊しきれない。粋がってジョニ黒(今はただのウイスキーだが、昔は高級酒の代名詞だった)をボトルで頼んだものの、ちびちびとしか飲めない。ホステスがグビグビ飲むのをついドキドキ見てしまう。
また街に出る前に鏡の前で「わいは天佑会の小池清や!」と啖呵を切る練習をするところは面白い。
そうだなあ、鉄砲玉が大仕事を任されたらああなるわなあ。

杉町のような実力者がわびをいれてくるにつれて小池も暴れるのが怖くなる。一度手に入れてしまったものはなかなか手放す気にはなれない。
女だって自分が大阪にいた頃には考えられなかったいい女だ。
ここで彼がコック見習いをしていた頃が回想として挿入される。

そして霧島の写真を見て「神々が降りてきた山」と聞いて自分も登りたくなる。自分もこの調子で行けば神になれると思ってしまっただろうか?
しかし杉町が時間稼ぎをしている間に一挙に神戸の組がバックアップしてくれることを約束。今自分たちに手を出せば天佑会にしてみれば神戸と戦争することになってしまう。
天佑会としては九州進出を諦めざるを得なくなる。
こうして小池は一挙に後ろ盾を失う。
ホステスたちも誰も相手にしなくなる。
大阪からやってきてくれた女だけが自分の味方。
やがて些細なことから警官と撃ち合いになり、撃たれる。
血だらけで観光バスに乗り、しかしバスの中で息絶える。

「仁義なき戦い」にも共通するチンピラの生きざま。
この映画では上の動きは声のみで描き(予算の関係もあったろうが)映像では出てこない。
派手さがない分、面白味はやや欠けるが、それでもやくざ映画の番外編的面白さがあった。



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鬼の詩


日時 2014年3月29日18:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 村野鐵太郎
製作 昭和50年(1975年)


明治時代、大阪の落語家・桂馬喬(桂福団治)は真面目だが面白さがないと周りから言われていた。その頃コレラが流行り寄席も一時閉鎖になった。
馬喬は寄席で働いていた女・露(片桐夕子)と旅に出る。露は母親が旅芸人の三味線弾きで自らも三味線が出来た。二人で旅をして演奏してお金をもらう日々を続けるうちに馬喬は寄席にいたときに「踊りも落語も出来るがあんな芸は邪道だ」とバカにしていた桂露久(露乃五郎)を見直すようになる。
寄席も再開し、馬喬は露久のすべてを盗もうと露久の隣に引っ越し、寄席での芸だけでなく、生活すべてを観察するようになる。しかし妊娠していた露が流産で死んだ。
馬喬はついに狂気の芸へと突入していく。


明治時代の活躍した大阪の芸人、桂馬喬の一代記。
藤本義一の同名小説の映画化だ。この映画はずいぶん前に確かVHSの発売のチラシだったと思うが、「かつて天然痘であばたになった顔にキセルを吊して笑いを取っていた芸人がいた」という内容を聞いていた。
その時から「ちょっと観てみたい」と思っていたが、なかなか機会に恵まれず、今日やっと観た次第。

冒頭、現代の落語家笑福亭松鶴と藤本義一の対談から始まる。
このシーンは対談している二人のスチル写真に録音の声が重なる。おそらく雑誌かなにかの対談を録音、写真撮りしたものを映画に流用したのではと思う。
「最近の芸人はサラリーマン化しましたね」という結論めいたことが出た段階で映画が始まる。

馬喬は最初は普通に古典落語をやっていたわけだが、どこか思いこみが激しい。一般受けする露久を嫌う。
しかし寄席に復帰してからは異常なまでに露久を追い回す。家も隣に引っ越すなんて尋常ではない。その上露久が針をやっていると知ると自分も同じ医者にかかる。
そして露久のことをあれこれ聞くが、医者としては患者のことを話すわけにも行かず、馬喬を避ける。

そして妻の死。
葬儀の後、妻の遺骨を食べるあたりから狂気が始まる。
旅をしてイタコに妻を呼んでもらう。そして乞食のような巫女の真似をする芸を始める。
乞食なので食べ物を恵んでもらう。この時、客席から饅頭などを恵んでもらうようになり、ある時意地悪な客が馬糞を渡す。楽屋の他の芸人も「やめときや」とささやくにも関わらず、馬喬はそれを食べる。

さすがにここは観ていて目が覚めた。
ここから狂気一直線である。
馬糞を食べたことが原因ではなかろうが、天然痘を煩い九死に一生を得る。
しかし顔はあばた顔になり、頭巾で顔を隠しその姿が鬼のようになったと言われる。
そしてこのあばた顔を見せ物にしようと寄席に再び出る。
周りは「あんなん見たら客が帰るで」と言ったが客の方は怖いもの見たさか受けた。

しかし所詮は飽きられる。「なんか面白いことやれ!」と言われ、あばたのでこぼこにキセルを吊す芸を思いつく。
徐々に吊す本数を増やしていく馬喬。
これ以上吊すのを増やすには顔をもっと凸凹にするためにやせるのが必要と思い、食を断つ。
そしてついに馬喬は命を落としてしまう。

芸人というのはつくづく因果なものだなあと思う。
馬喬に無理をさせたのも客である。
客は無責任にはやし立てる。「客のいうことすべて聞くことはない。芸人は客の下に見ておもちゃにしてるんや」と露久は言う。
でもそれに応えてしまうのが芸人なのか。

冒頭の藤本義一の対談で「芸人はサラリーマン化した」というが、馬喬も「今はこんな寄席があって楽になった。昔は寄席もなく道で芸をして河原で寝たもんや」ということを言う。
「昔は厳しくて今は楽になった」というのは今も過去も共通の思いらしい。

見てよかった。



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少年H


日時 2014年3月23日19:30〜
場所 三軒茶屋シネマ
監督 降旗康男
製作 平成25年(2013年)


昭和15年、第2次大戦中の神戸。
妹尾家の主人、盛夫(水谷豊)は紳士服の仕立て屋を営み、神戸という場所柄外国人とのつきあいも多かった。妻・敏子(伊藤蘭)はお寺の家の出だったが、今はクリスチャンだった。
その長男・肇(吉岡竜輝)は母に作ってもらったセーターに「H」と編んであり、友達から「H」と呼ばれるようになった。
近所のうどん屋のおにいちゃん(小栗旬)は珍しいレコードを聴かせてくれた。でもお兄ちゃんはレコードを聴きにきたことを誰にも話してはいけないという。やがてお兄ちゃんは警察に逮捕される。
映画館の映写技師で元は役者だった女形がうまかった別のおにいちゃんも兵隊にいった。しかしその晩にも憲兵が家に訪ねてきた。女形のおにいちゃんは軍隊を抜け出したらしい。数日後、彼の首吊り死体を肇は見つける。
こうして徐々に時代は戦争へと突入していく。


降旗康男監督作品。
去年公開時にタイミングが合わずに見逃していた映画。三軒茶屋シネマで「奇跡のリンゴ」と2本立てだったが、「奇跡〜」は観たくなかったので最終回割引を利用してみた。

追いかけて観てよかったと思う。
観ている間、山田洋次監督の「ちいさいおうち」を思い出した。山田監督といい降旗監督といい、昭和10年代を経験した監督があの「戦争に徐々に突入していく空気」を描いている。それだけ今の空気に危険なものを感じているのだろう。

肇は後の妹尾河童さんなのだが、当時から絵を描くの好きでうまかった。海岸で海を行く軍艦の絵を描いて友達にも分けていた。しかし父親から「もう軍艦の絵を描いてはいけない」と言われる。「機密にふれたら逮捕される。何が機密か父さんにも分からん。高台から街の写真を撮っただけでスパイと言われる。軍艦の絵もそのつもりはなくてもスパイと言われるかも知れん」

このせりふが出てきたとき、昨年末の「秘密保護法」を思い出した。映画は去年の夏の公開。まして製作はもっと前だ。今観ると時代を予見していたようにさえ見える。

盛夫も日本に逃れてきたユダヤ人の服の修繕を頼まれる。
彼が服をなおしたユダヤ人たちはその後生きていかれたろうか。
盛夫は非常に柔軟な考えの持ち主で、妻が「キリスト教を邪教いうほうが邪教じゃ」という。
しかし「相手を邪教と言ったら向こうからもこちらが邪教になる。それぞれの神様があってええんじゃ」

肇も中学入学。しかし勉強はなく軍事教練ばかり。
ここで軍事教練担当の軍人が登場する。話は飛ぶが戦後、彼は焼け跡の中で時計の修理販売の屋台をやっている。
穏和な表情からかつての帝国軍人の片鱗は見受けられない。悪役なのだが、でもああいう日本人は多かったかも知れないと思わせた。

やがて神戸も空襲に見舞われる。
焼夷弾というものを初めて映画で見た。焼夷弾は爆弾で爆発させるのではなく、落下したあと油と炎が飛び散り火災を起こさせるものだ。

ラスト、焼け跡からミシンを持ち出し修理する。そして盛夫は商売を細々と復活させる。
肇も大きくなって看板描きのバイトを始める。
そこで「フェニックス」の絵を描き、それがラストカットとなる。

正直、フェニックスでは希望がありすぎ、楽天的すぎる気がした。
時代は戦前になっている気がする。2014年の今観ると「その先には絶対に再起があるさ」と言われてもその前に「破壊」があるわけで、なんとか破壊を避けたい私としては「あまり希望的観測を言わないで欲しい」という気になった。
もちろん希望がなければ暗すぎる映画になってしまった気もしますが。
降旗監督の代表作の一つと言っていいと思う。



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パズル


日時 2014年3月22日19:15〜
場所 ヒューマントラストシネマ渋谷・シアター3
監督 内藤瑛亮


徳明館高校で中村梓(夏帆)という女子高生が屋上から飛び降りた。一命をとりとめた梓だが、精神的なショックが大きく原因については何も語らない。
それからしばらく経ってからの日曜日、理事長(大和田獏)や教師たちがミーティングを開いているとき、突然「テレビをつけろ」というメッセージがやってくる。電話は通じない。
テレビをつけるとひまわりの仮面を付けた生徒が「今からゲームをしましょう。パズルを完成させてくださ〜い」と不気味に告げる。料理実習室で準備をしていた安田先生が人質になっていた。仕方なく生徒の言うままにパズルを探し出す先生たち。パズルはほぼ完成したものの、犯人によって仕掛けられた罠で妊娠していた安田先生のお腹の上に電子レンジが落ち、安田先生は流産してしまう。
その夜から理事長と生徒三人が失踪した。
生徒の親の一人三留刑事(高橋和也)は事件の真相を追っていく。その中で湯浅(野村周平)という生徒と出会う。


「先生を流産させる会」で知って以来、その後新作が公開されている度に観に行く内藤瑛亮監督の新作。
今回は角川映画製作で(単館だけど)有名作家の原作作品。
山田悠介って「親指さがし」の原作として読んだ時、あまりのつまらなさに驚いた覚えがある。映画は好きなのだが、話は原作とは全く違っていて、それもまあ当然だろう。あの原作のままなら私ならやる気なくす。
(それでも中高生には人気だというのがよく理解できない)

原作者に対してそういうイメージがあったのだが、今回も話は原作とはかなり違うらしい。
話は「44日前」とか「22日前」と示され時系列がいったんバラバラにされ進んでいく。
最初の事件の犯人は示されない。
いなくなった生徒のうちの父親が刑事で彼が「身内だから外れてくれ」と上司に言われると警察手帳を返して単独で事件に向かっていく。
その中でいなくなった3人と事件の日に会っていたという湯浅に行き着く。

事件の真相は何か?
湯浅はまた次のゲームを行い、いなくなった生徒を殺す。
最初は観ている私も湯浅に対し憎しみしか抱かなかったが、徐々に湯浅を理解していく。
実は理事長が梓を強姦し、3人の生徒も荷担したのだ。
それを知った湯浅の復讐なのだ。

実は湯浅の父親も母に暴力をふるい、それを助けるために父親さえも殺していた。だから湯浅の行動に母親も荷担している。
捕まっていた理事長が拘束を時、梓らしき女性に対し復讐する。ところがそれは実は・・・というオチは残酷でもあり爽快でもあった。

「高速ばあば」が「見た目の怖さだけで内藤監督らしい『本当に怖いのは人間の心』という面がない」と批判したが、今回は人間の怖さが事件の原動だ。
もっとも「先生を流産させる会」が現実にもありそうだったが(現実の事件を素材にしたのだから当たり前だ)今回はフィクションの側面が強いのがちょっと気になるというのも事実。

しかし人間の心の暗黒面を描く内藤監督には期待したい。
だんだんと規模も大きくなってきて出世しているが、くれぐれも単なる「見た目が怖いだけの映画」を作らないで欲しい。
次回作も楽しみな監督だ。



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銀の匙 Silver Spoon


日時 2014年3月22日14:20〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン10
監督 吉田恵輔


札幌の有名進学校で勉強についていけなくなった八軒健吾(中島健人)は「親から逃げたい」という理由で全寮制の農業高校畜産科に入学した。
周りは酪農家の子供ばかりで、八軒は浮いた存在。
さらに酪農未経験の八軒には今までの常識では考えられないことばかりで驚く日々が続く。養豚の実習では生まれたばかりの子豚を「かわいい」と思ってしまうが、秋には出荷、つまり殺して食べてしまう現実も待っている。
そんな中、クラスの美少女・御影アキ(広瀬アリス)に誘われるままに馬術部へ入部。夏休みはアキの父親がヘルニアで入院するためにその手伝いをすることに。
夏休みが開けると同級生の駒場一郎(市川知宏)が事情で学校を辞めてしまう。


SexyZoneの人気メンバーの中島健人の主演作。
前に「BAD BOYS J」というのがあってすでに主演映画2本目だが、この映画は「BAD〜」のようなテレビドラマではなくコミック原作。
「何も知らない新人が異世界に入って何も知らない新鮮な発想でその世界を変えていく」という物語の基本パターンを踏襲。また「ウォーター・ボーイズ」に始まる「変わり種学園もの」のジャンルの流れだろう。

妙に分類的なこと書いたけどそんなことはどうでもいい。
単なる青春ものに終わらない「命を食べるということ」に対して改めて実感させる。
冒頭、逃げだした鶏を捕まえて目の前でさばいていく。
もちろん都会から来た八軒はぶっ倒れてしまう。

そして子豚との出会い。あまりにかわいい豚に思わず愛情を注いでしまいそうになるが、「秋には出荷だぞ」と釘を刺される。
「経済動物(という言葉を初めて聞いた)とペットとは違うぞ」と言われる。そういえば妻夫木聡の映画で「豚のいる教室」というのがあったなあ。

屠殺見学のシーンもある。ここは残酷だし逃げることだって出来た。しかし映画は逃げない。もちろん余りに残酷なシーンは避けるが(批判する人がいるかも知れないけど老若男女が観るタイプの映画ではこのくらいでやめておいた方がいい)、屠殺されるという事実は伝わる。
我々は普通に牛や豚の肉を食べるが、それが生きている時の姿を観ても結びつけることは出来にくい。

夏休みを挟んでいよいよ秋がやってくる。
「この豚俺に買い取らせてください」と八軒は言う。
生きた姿で買い続けるのではなく、食用肉となったこの豚の肉が欲しいという。
そして一人で50キロの豚肉をベーコンにする。
それを万感の思いで食べる八軒。
「うまい」
このシーンは一番印象に残った。
我々は他の命をいただいて生きている。そのありがたさ、彼らに対する礼儀を改めて意識させられた。

後半は家の酪農が借金で倒産してしまい、学校を辞める同級生を励ますために「頑張れば出来る!」を実証しようと馬術部で地元競馬と同じような競馬を実行する。
周りの協力を得て成功させるあたりは何だか典型的な青春映画らしい「出来すぎ」感もなくはないが、それでも例の「命を食べること」に対する取り組みのシーンがよかったので帳消し。

主演の中島健人、ヒロインの広瀬アリサがいい。
あととぼけた校長役の上島竜兵が思いの外よかった。
青春映画の傑作。
長く語られる映画になって欲しいと思う。



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家路


日時 2014年3月22日11:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン4
監督 久保田直


福島原発事故後の福島県。
10数年ぶりに故郷の福島に帰っていた次郎(松山ケンイチ)。本来は立ち入り禁止区域なのだが、彼は実家に戻り一人で畑を耕し、水田を復活させようとしている。
実家を継いでいた兄の総一(内野聖陽)は妻の美佐(安藤サクラ)とまだ幼い娘、そして母登美子(田中裕子)と4人で仮設住宅に暮らし、未だに今後の生活のめどもたたず、ただダラダラと日々を過ごすばかりだった。
母と言っても次郎は血はつながっているが、父の後妻のため、登美子と総一は血はつながっていない。
そんな時、次郎の中学の同級生北村(山中崇)がやってきた。故郷を捨てた罪悪感があり戻ってきたのだ。
実家には見回りの警官がやってくる。「ここは立ち入り禁止区域です。出てください」しかし次郎たちは退かない。
総一の妻・美佐はデリヘルで働いている。
そんな時、総一にも次郎が実家で一人で暮らしていると知るのだが。


東日本大震災、というより福島第一原発事故後を描いた映画。
基本いい映画だとは思う。
せりふは少なめで何でもせりふで説明しようとしない。
大自然の美しいたたずまいが返って「人が住めない土地になった」ことを感じさせてしまう。
またゴーストタウンと化した町のメインストリート(だったと思われる)ところを中学の思い出話をしながら歩くシーンなど、「よく入って撮ることが出来たなあ」と思う。
立ち入り禁止区域じゃないないんだろうか?
インディーズのマイナーな俳優ならともかく、松山ケンイチは大河ドラマの主役もやった今や大物俳優だよ?禁止区域に立ち入って撮影なんて周りが止めそうなものなのだが。

しかし私自身としてはどうにも「心から共感する」ということがないのだよ。
登場人物たちは自分の生まれ育った土地にこだわる。
土地を捨てる(移動する)ことは自己の喪失につながる重大事と考えている。
ここがピンとこない。勿論「そういう人もいるだろうな」と頭では理解できる。ところが自身の問題として引き寄せることが出来ないのだ。

私自身、故郷を離れ東京で暮らしている。理由は簡単で故郷がいやで東京にあこがれたから。
今の仕事をどうしても続けたいという意識はない。
確かになるべく続けて行きたいと思ってるが、それは「今更転職してもこの不景気ではどこも雇ってくれるところなさそう」というきわめて消極的な理由からだ。
もちろんやりたくない仕事ではないということもあるし、それはやっぱり消極的な理由だからだ。
自分がいやでない仕事で、条件もそこそこで雇用者が雇ってくれるというなら、転職してもいい。

だから「この土地から離れたくない、農業以外の仕事は考えられない」という概念がどうにも「そういう人もいるのは分かりますが」という気分で実感はない。

北村と次郎が中学時代の思い出話をするのだが、北村が「みんなで自然を守るにはどうすればいいかを話し合ったことがあった。でも次郎君の一言でクラスのみんなが黙ってしまった」「へーなんて言ったの?」「人間がみんないなくなればいい」
これをゴーストタウンと化したメインストリートで話すシーンは記憶に残る。
自然にとって人間は単なる汚し屋でしかない。
ましてや原発など、だ。

原発事故後を描いた映画で「朝日のあたる家」という映画があったが、あれは原発事故を起こした連中に対してとにかく喧嘩を売っていた。もちろんそれは意義のあることだし、否定はしない。

この映画でも立ち入り禁止区域にすむ次郎たちを警察は力で排除しようとしない。
ラスト、ボケの始まった母と次郎は二人で田植えを始める。
それを見かけた警官(警視庁のパトカーに乗っている。応援に来ている警官という設定なのかな)は二人の田植えを見逃す。
これが「朝日のあたる家」だったら、力ずくで排除し「官憲の暴力を訴える!」という展開になったような気がするがそうはならない。

静かに、大声を上げることなく、しかし力強く原発に対して反抗する人間を描いていく。
その力強さは伝わってきた。



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変態(秘)産婦人科


日時 2014年3月16日19:50〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 渡辺護


産婦人科のサカイ(大杉漣)は診察に来た女性を指で快楽の虜にしていて、どこも悪くないのに診察に訪れる女性もいるくらいだ。それだけでなく、看護婦からも迫られる。
もちろん妻トモミとのセックスも忘れない。しかし自宅にいても患者のシノヤマノリコの往診をする日々。
ノリコの診察を終えて朝帰りをするサカイだったが、家では妻も看護婦を呼んで女同士の快楽に耽っていた。
ある日、朝のジョギングをしていたサカイは女子高生から声をかけられる。「処女かどうか診察してほしい」と。
彼女のアパートまで往診に行くサカイ。初体験を迫る女子高生に応えるサカイだった。
家に帰ると妻トモミが機嫌がよくない。話を聞くと妻の旧友リツコが泊めてほしいと言ってきたというのだ。10年ぶりだから他人みたいなものだから気が進まないという。
勿論なんだかんだでリツコとサカイはセックス。しかしリツコはトモミの財布とハンドバッグを持ち逃げしていった。
怒るトモミに「まあまあ気分転換に海に行こう」と二人で出かける。
ある民宿に泊まったが、そこの男があそこ自慢で「どうせあの客(サカイのこと)なんか大したことない」と自分の女にサカイを誘惑させる。
砂浜で女はサカイを誘惑し、二人はセックス。しかし男はサカイを見て負けを認めるのだった。


渡辺護追悼特集での上映。(タイトルの(秘)は本来は○の中に秘と書く)

この映画が大杉漣初主演作だそうである。
はっきり言ってそれだけが見る価値がある部分で、まあ普通のピンク映画だ。
内容を忘れないように最後まで書いた。

まだ30代前半と思われる大杉漣だが口ひげを生やし、少し老け役。
この映画の他には周防監督の「変態家族 兄貴の嫁さん」とゲイ映画の「ぼくらの時代」くらいを覚えているが、両方ともちょっと実年齢より上の役。

今より痩せていて老け役をやってる大杉漣はそれほどかっこよくはない。
私が大杉漣という役者を初めて知ったのは北野武の「HANABI」だったと思う。
あの映画は好きなので、もう一度観てみたいと思う。



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ニッポンの猥褻 好色一代記


日時 2014年3月16日18:50〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 深町章


老作家の橋本(久保新二)は自分の性体験をまとめた小説を書いていた。
明治45年、自分が子供の時に軍人だった父が明治天皇の崩御、それに伴い乃木将軍の自決などで自分も自害しようとしたが、いざという時に結局妻としてしまい、機会を逃した。
その後17歳の時に骸骨先生と呼ばれる卑猥な発禁本ばかり作っている男が自分の家に出入りするようになっていた。骸骨先生に連れられて浅草の宿で女を知る。しかしその時、骸骨先生は憲兵に逮捕される。「何が猥褻だい!」と憲兵に啖呵を切る、自分の初体験の相手のくららはかっこよかった。
くららが初恋の人となった橋本だったが、関東大震災でくららは行方不明になった。
大人になった橋本だが、猥褻な小説を書き女と見ればやりまくる日々。ある日待合い旅館でたまたま出会った女が首を絞めながらセックスしたがるのには参ったが、それが後の阿部定だった。
戦後、アメリカ兵(快楽亭ブラック)のハイヒールフェチの相手をしたりして暮らしていたが、初恋のくららにそっくりな女性さちこに出会う。
二人は結婚し、やがて娘のちか(林由美香)が生まれた。


新東宝30周年記念映画だそうだ。
脚本は瀬々敬久。
明治大正昭和を生き抜いた男が「猥褻とは何か?」と追求する超大作のようなみかけだが、それほどの映画ではない。
各時代の世相を折りこんでの作りにはなってますが、「猥褻とは何か?」などということに答えがでるはずもなく、結局は濡れ場の連続。(それがいけないと言っているわけではない)

書き忘れたが、橋本が初体験をする前に骸骨先生との会話で、古事記、日本書紀の神々の国生みの話が出てきた。
そういえばこの映画の助監督に榎本敏郎の名前があったから、榎本監督の「恋する神様」の原点だったのかも知れない。

憲兵役で山本竜一と池島ゆたかが出演。
新東宝30周年にふさわしい大作だったことは確か。



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痴漢は最高!


日時 2014年3月16日17:40〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 渡辺護


山下(下元史郎)は近所に住む部下の大橋の妻・マユミとのセックスを夢で見ていた。大橋とセックスしてるところに自分も加わって3人でプレイ。しかし目覚めた時には妻が横にいた。
翌日の朝、マユミから夫のタクオは今日は風邪で仕事を休むと聞く。マユミも仕事をしているため、留守になる。
山下の妻は大橋の見舞いに行ってそのまま関係してしまう。予感がした山下が戻ってみると大橋と妻がセックスの最中。しかも大橋はマザコンで年上の女性が好みらしい。
山下は怒ってはみたものの、自分も大橋の妻に関心がある。
週末に4人で会社の保養所に出かける。
実はマユミも山下のような大人の男に抱かれたがっていた。
別荘の管理人はマユミと山下の風呂場を覗いていた。
それを見つけた山下は管理人に協力を頼む。
それは山下とマユミが散歩に出かけた時に、管理人の一人芝居で野外プレイをしているカップルを演じてもらい、マユミをその気にさせるというもの。
作戦は成功し、山下はマユミとお楽しみ。もちろんその間に大橋と山下の妻も楽しんでいた。


2013年12月24日に82歳で亡くなった渡辺護監督。
ピンク映画界を支えた監督の一人でその追悼上映。
製作年が不詳(もちろん色々調べれば解るのだろうけど)なこの映画だが、たぶん80年代の映画だろう。

ピンク映画らしい展開で濡れ場も多い。
笑わせ所は別荘の管理人が岩陰に隠れながら女もののカツラや学生帽を被って「ああ、そんな」「いいから来て」などと一人芝居をする所。
ベタだなあと思いながらも最近は観ない笑いの芝居だったので、声を出すほどではないにしろ、面白かった。

「痴漢は最高!」っていうタイトルだけど、別に痴漢はしていない。「覗きは最高!」の方が内容にはあっている。
昔、タモリが土曜の23時から「今夜は最高!」ってバラエティ番組をやっていたが、この映画のタイトルはこの番組のもじりだったのかな?と観終わったあと気がつきました。



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ゼウスの法廷


日時 2014年3月15日18:50〜
場所 シネマート六本木・スクリーン2
監督 高橋玄


中村恵(小島聖)は東京地裁の若きエリート判事、加納(塩谷瞬)と婚約したが、彼は忙しくすれ違いになりがちな生活を送っていた。
そんな時、大学の同窓会で元カレの山岡と再会する。ちょっと不良っぽい山岡に誘われるままに関係をしてしまう恵。彼女も窮屈な加納との結婚にすこし疑問を感じていたのだ。
ある日、恵は山岡のアパートに行ってみる。そこで山岡が他の女性と一緒にいるところを見る。口論になる山岡と恵。外は雨。アパートの外階段で口論する二人だが、恵が山岡が握った腕を振り払った瞬間に山岡は雨で濡れた階段から滑って落ちて死んでしまう。
恵は「人を殺しました」と警察に出頭。裁判官の婚約者が人を殺したということでマスコミは大騒ぎ。
「法的には無罪もあり得るが、無罪など出したら『身内だから甘い判決』とマスコミから袋叩きにあうかも知れない」と地裁の所長は考える。だが、加納は自分がこの裁判を担当させてほしいと訴える。
こうして婚約者を裁くという前代未聞の裁判が始まった。


「ポチの告白」で警察の腐敗を描いた高橋玄監督の新作。
今回は裁判所、裁判官がテーマ。

とにかく裁判所は前例主義だ。そして縦社会。「踊る大捜査線」に「警察官はヒーローじゃない、公務員」というのがあったが「裁判官はヒーローじゃない、公務員」という言葉がぴったり来るような世界が描かれる。
遺族が遺影の持ち込みを禁じていたが、弁護士が上司と同期と知るところっと態度を変える裁判官、とにかく過去の前例、判例を第一として数をこなすことのみに専念する。
検察と裁判官はソフトボール大会で交流を深め、なれ合っていく。
恋人とのセックスも「11分ある」といって一方的な行為。恵が「痛いんです」と言うが「もう少しだから」と挿入を続ける加納。何かと「君は裁判官の妻になるのだから」と彼女を拘束しようとする。恵が別の男に気を向けてしまうのも責められない。

そんな中、判例第一主義に疑問を感じ裁判官から弁護士に転向する内田(野村宏伸)。
事件が起きるまでがやや長い気がするが、後半は一気に見させる。
マスコミを気にする裁判所長(黒部進)は「無罪なんか出せるか!」と主張。
「裁判官は身内の裁判は出来ない」という法律はあるが、「元婚約者は身内ではない」と主張し、加納は恵の公判を担当する。

後半、加納も子供の頃は正義感を持った少年だった、という展開になり、ご都合主義というか甘さを感じる。
判決にも製作者の甘さ(というか楽観主義)を感じないでもないが、この方がいいか。
難しいところだ。
また最後の最後にバランスが取れる展開があるけど。

こういう重量級の娯楽映画は見応えがあっていい。
単館の上映で、宣伝費も少ないためか私の観たときは10名程度しか観客がいなかった。残念。
製作者の努力に報いるためにも多くの方に観てもらいたいと思う。



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絆 再びの空へ Blue Impulse


日時 2014年3月9日16:35〜
場所 シネマート新宿1
監督 手塚昌明


ブルーインパルス。それは航空自衛隊の精鋭パイロットが集められたアクロバット飛行を専門とする部隊。宮城県の松島基地に所属している。
2011年3月11日、彼らは翌日の九州新幹線の博多=鹿児島間開通のイベントで展示飛行を行うため、北九州の芦屋基地にいた。しかしその日東日本大震災が起き、松島基地も基地の飛行機も壊滅的被害を受ける。
とりあえずブルーインパルスのT−4は芦屋基地に預け、パイロットたちは陸路松島基地へ。
復興支援を行いながら、再び展示飛行を行う機会はあるのだろうか?


ブルーインパルスの活躍を描いたドキュメンタリー映画。
何の知識を持たない私にもよく解るように丁寧なナレーションが付きありがたい。
最近ドキュメンタリー映画というと何らかの主張が大きい映画ばかりで、そういった映画はナレーションで解説しようとせずに映像の力だけで自分の主張を展開するから、見る方は気合いがいる。
その点普通のドキュメンタリーだ。

隊員たちは2ヶ月間空を離れていたものの、しばらくは芦屋基地に間借りする形で各地の展示飛行に行くようになる。(お祭りや航空祭のイベントですね)
しかしいかに精鋭とはいえ、2ヶ月空を離れていると勘が狂うらしい。まして飛びなれた松島の空ではなく、九州の空となると色々戸惑うこともあったようだ。

ブルーインパルスについては何も知らなかったが、祭りのパンフレットにサインをしたり、ファンの色紙にサインしたりとちょっとした人気者である。
広報部隊としての側面が強いんだろうなあ。
もちろん広報部隊としてだけでなく、飛行技術の向上も目的だ。だから隊員は3年勤務だが、毎年新人が入ってくる。ちょうど学校のように新人が1年経って先輩になり新人を育てて卒業していく、という形をとっているようだ。

2年間の間借り生活を経て2013年3月、松島基地へと復帰。
被災地の人たちの励ましになればと春の祭りで飛行機雲で桜を描こうとするが、天候不順で中止。
また隊員の一人が引退し、そのラストフライトが浜松基地でのイベントになったのだが、豪雨のため飛行はかなわず滑走路を牽引されるだけに終わった。
なんとも運がない。
「ただ飛ぶだけでなく、こういった牽引も一つの展示方法ですから」と引退する隊員は言ってたけど、ちょっと寂しいです。

ラスト、ブルーインパルスが描く桜を映画で見せる。
一つの円が中央にあって、周りに5つの円を描く。それはちょうど桜の花びらのようだ。
去年、現実には桜は松島の空には描けなかったけど、映画それを見せてくれる。

ラストシーンは田園風景を飛ぶ小さなブルーインパルスの姿に「始」の文字。「終」ではない。
ここにまだまだこれから始まるのだ、それを応援しようという映画作者たちのメッセージが感じられ、よかった。

今日は手塚監督をはじめ、スタッフの舞台挨拶付き。
ラストの田園風景を飛ぶ画は実は震災前の石巻の姿なのだそうだ。そして津波の海水でやられてしまい、当分は田んぼにはならない現実があるそうで。
風景を見ただけで解る地元の方々にはきっと私より感慨ぶかいものがあったに違いない。



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東京難民


日時 2014年3月9日13:10〜
場所 有楽町スバル座
監督 佐々部清


時枝修(中村蒼)は三流大学の大学生。ある日自宅に内容証明郵便が届くが見過ごした。
その後、大学に行ってみると授業が受けられない。学生課に問い合わせると授業料未納で除籍になったという。そして不動産会社の社員(吹越満)が訪ねてきて「使用料未納につき退去してもらいたい」という。「急にそんな・・・」反論する修に相手は「内容証明でご通知したはずですが」と答える。
日払いのバイトを探す修だが、家賃の期限までには間に合いそうにない。バイトをしても足りないのでパチンコで逆転を狙うが、世の中そう甘くない。
部屋に帰ってみると鍵が変えられていて、部屋には入れなくなっていた。仕方なく修はネットカフェで寝泊まりし、ティッシュ配りでしばらくつないでいく。
しかし彼の転落はそれだけでは終わらなかった。


「誰でもネットカフェ難民に陥る可能性のある現代格差社会の恐ろしさ」みたいなものをテーマにした社会派作品のはずだが、私の認識不足なのか、主人公のバカさ加減が気になって、「そりゃ世の中も悪いけど、あんたも考えが甘いよ」と言いたくなった。

まず内容証明が届いた段階で確認しない。
「内容証明郵便」というのはよっぽど重大なことが書いてあるはず。借金の督促とかの最後通告である。
ここで確認していれば、まだ手が打てる時間的余裕が少しあったかも知れない。

次、パチンコで稼ごうとする。
バカである。ギャンブルでは暮らせない。
ネットカフェで暮らしながらティッシュ配りのバイトでなんとか食いつないでいく。優しい先輩がコツを教えてくれる。
しばらくして治験のバイトを始める。
要は新薬の人体実験だからやばいに決まってる。何回も出来ないだろうな。
それでも20数万円を手にする。
ここで警官から職務質問を受けるのだが、なぜここで職務質問になるかが解らない。
何の犯罪も犯してないから釈放はされるが、ここは昨日観た「A」で「転び公妨」を観た後なので、主人公にちょっと同情した。

で、その後がさらにバカ。
可愛い女のルイ(山本美月)に声をかけられて飲みに行く。
バカだなあ。そんなのぼったくりバーにつれて行かれるじゃん。その辺は私がいろいろ失敗してるからか。
ぼったくりバーじゃなくてホストクラブにつれて行かれる修。
でドンペリ3本あけて26万円。
治験のバイト代パー。
ここでまたティッシュ配りをすればいいのにホストになる。

でルイがまたまた道で出会った今度は女・茜と焼き肉に行ってホストクラブに連れてくる。
この客が修のことを気に入ってくれる。
でだんだん茜も修に金を使ってくれる。ルイは先輩のジュンヤの女なのだが、ルイが店のつけを踏み倒して逃げる。
ジュンヤは250万の金を工面すべく修を通して茜に金を借りさせる。で出来た金がホスト仲間の小次郎(中尾明慶)に盗まれる。

いやここまで来るとバカばっかである。
君たち、世の中を甘く見すぎてないか?
そんな大金ならすぐに店に返すべきだし、寝てる間に盗られることにも用心したほうがいい。

ルイは結局見つかって、川崎のソープランドに売られそうになるが、修とジュンヤとルイは逃げる。
う〜ん、こっちがピンク映画ばかり見てるせいなのかも知れないが、ソープランドがこの世の終わりみたいな捉え方はやめよう。そう思う人もいるだろうけど、それでも生きていくたくましさを持てよ。
それにルイは自分でホストクラブに金使ったんだし、今まで散々人をだまして金を使わせて楽しんだんだから、年貢の納め時じゃないのか?
救う価値なし。

でジュンヤと修は工事現場の日雇いになる。
なんだかんだ言っても修は20万ぐらいは金を貯めている。ジュンヤは結局店に見つかり連れ戻されるが、のこのこ助けにいく修は甘いなあ。
案の定、河原に投げ捨てられてホームレスに。

でもまあ鈴本(井上順)といういい人に拾われて、空き缶拾いや雑誌拾いをするようになる。
そうやって拾った雑誌を見てるうちに茜がソープで働く紹介記事を見つける。で、会いに行く。
おいおい今更会っても仕様がないだろう。
茜がソープに売られたのは店に通った茜にも責任があるからだろう?
二人はお互いに泣いて謝る。

最後は元々は父親が水商売の女に入れこんで夜逃げしたのが原因。その父親に会いに行こうという前向きなシーンで終わる。

もちろん現在の格差社会がすべて自己責任とは思わない。
映画にも出てきたが、寮付きの工場につとめていてリストラになって貧困スパイラルに陥る話は聞いている。
それならばやっぱり怖い。
今私自身が会社がなくなったら(あるいはクビになったら)再就職はないかも知れないと思うと怖くなる。

そういう主人公が一生懸命にやっている、落ち度はないという設定ならともかくこの映画の修の場合脇が甘すぎるような気がする。

映画として社会派のいいテーマだと思ったのだが、どうにも惜しい映画になってしまったと思う。



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愛の渦


日時 2014年3月8日16:00〜
場所 テアトル新宿
監督 三浦大輔


住宅街にある高級マンション。ここは乱交パーティサークルの会場だ。参加費男20000円、女1000円、カップル5000円。
参加者は会費を払いシャワーを浴び、店長(田中哲司)から注意事項を受ける。「コンドームはつけましょう。相手を変えるときはシャワーを浴びましょう。トイレに行ったらシャワーを浴びましょう。女性の嫌がることはせずに、女性の気持ちを尊重しましょう」
店長とスタッフ(窪塚洋介)はいなくなり、男4人、女4人のみになる。
男はサラリーマン(滝藤賢一)、工員(駒木根隆介)、フリーター(新井浩文)、ニート(池松壮亮)、女は保母(中村映里子)、OL(三津谷葉子)、女子大生(門脇麦)、常連(赤澤セリ)。最初はぎこちない彼ら。
それでもそれぞれ1回目の相手のセックスするのだが。


去年「恋の渦」という映画があったけど、同じ原作者(というか両方とも舞台作品)による今度は乱交パーティの話。
「恋の渦」も面白かったし、乱交パーティという面白そうな素材だし、主演は今気になってる俳優の池松壮亮なので、自然と期待して観た。

「ああ、なるほど。乱交パーティって実際はあんなもんかも知れないなあ」というのが見始めた時の感想。
AVとかで乱交パーティものって見たことはあるけど、そういうのとは全然違っている。
確かに店長に「ではどうぞ」と言われてもそう簡単にセックスにはならないわな。
ぎこちない沈黙が続く。
「初めてですか?」みたいな、どうでもいい会話から始まる。しかも最初は男4人と女4人で分かれて会話し、男女での会話が始まらない。
「おい、おい、男同士で会話してどうするんだよ!」と突っ込みたくなったが、まずはあんなもんなのかなあ。

恐る恐る男女の会話が始まり、それぞれプレイルームへと入っていく。
1回戦が終わって、「あの皆さん普段はなになさってるんですか?」とサラリーマンが質問する。
「おいおい、飲み会じゃないんだから!」と突っ込みたくなったが、日本人って(いや日本人だからなのかよく分からないが)そういう会話になっちゃうのか?

そんな感じでぎこちな〜い雰囲気で会は進むが、やがてニートが女子大生をなんとなく意識し始める。
工員のデブはいかにももてなさそうだが、実は童貞だった、という展開。そしてサラリーマンとフリーターはOLについて「あの娘、あそこ臭いよね」と陰口を話し出す。

そして3時半にカップル(柄本時生、信江勇)がやってくる。相手が別の男や女とやってもかまわないと店長から確認される。でも実際に行為に及ぶと男は怒り出す。
う〜ん、やっぱりカップルの参加はそうなるのか。
夫婦でスワッピングパーティに参加するような話はピンク映画だけなのか?

そうだよね、どんなにその場限りのセックスって言ってもセックスってやっぱり感情が入るよなあ。

朝、女子大生が「携帯がない」と言い出す。
スタッフがたまたま近くにいたニートの携帯をかけてならしてみる。
女子大生が帰った後、「履歴を消せ」とスタッフから言われもめるニート君。

ところが次のシーンで女子大生とニートが朝のカフェにいる。
「ああ、ここでカップル成立か」というハッピーエンドになるかと思ったら、そうはならない。
女子大生は言う。
「履歴消してもらえますか?それが言いたくて呼び出しました」
この時のニート君の表情がたまらない。
さすが池松壮亮だ。

女子大生「夕べの私は本当の私ではないような気がします」
ニート「あの・・・昨日も僕が本当の自分だと思います」
もちろん大学生とニートという立場の差、男と女の差、とうものもあろう。
そして続くシーン。
女子大生はキャンパスで談笑、ニート君は一人で電車。

残酷なエンディングがよかった。
めでたし、めでたしのハッピーエンドでは「いい映画だった」という気分にはならなかったに違いない。



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日時 2014年3月8日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 森達也
製作 1998年


1996年3月から1997年4月までのオウム真理教の荒木浩広報副部長を追ったドキュメンタリー。
森達也氏の代表作として名前は聞いていて観たかった作品。
物議を醸し出したそうだが、それも納得。

荒木広報副部長に同行し、彼とその周辺のオウム幹部たちの様子を撮影。説明的なナレーションは排し、徹底して客観を保とうとする。(もちろん撮影素材の取捨選択という森氏の主観がないわけではないだろう)
見ていけば解るが、よく撮影出来たなあと思う。
徹底的に荒木氏を追い、普通のマスコミ(テレビ局とか)では入ることも断られるシーンも多い(というかほとんどだ)にも堂々とカメラは入り取材を続ける。
いかようにして荒木氏の了解を取り付けたかが気になる。

一般的なイメージではオウム真理教と言えば極悪の狂気の集団、応援する奴の同罪、という感覚だ。
(森さんが何かの機会に言っていたが、「オウム側に立って描いたドキュメンタリーは放送出来ない。マスコミの世界では『オウムは凶悪集団』という視点でなければならない」という理由でテレビ放送出来なかったそうだ)

今まで外からオウムを見ていたが、荒木氏に沿って見てみるとまるで違った風景が見えてくる。
横暴なマスコミ(取材したいのは解るが自分の一方的な都合で申し入れをし、時には「俺は荒木さんと話してるんだ。お前は黙ってろ!」と隣にいる信者を怒鳴りつける。
後半にテレビ局に番組内容について抗議(というか申し入れ)をしようとして番組プロデューサーに電話をするが全く取り次いでくれない。
伝言を受けてくれた方の名前を聞こうとすると(普通ならよくある話だ)「オウムの方に個人名を名乗るなと言われてますので」とふざけた対応をする。
恐らくは個人名を名乗った為に特定され、今度はオウムからその人が攻撃されるのを未然に防ぐための措置なのだろうが、「それはおかしいだろう」と思ってしまう。

地域住民との軋轢も多い。
特に最後に出てくる京都の山科ハイツでは「バカ集団」「こいつらを生かすことは将来の事件の温床になる」といった決めつけでののしられる。

極めつけは映画中盤に出てくる、亀戸でのいわゆる「転び公妨」。
警察官が被疑者と話しているうちに警官が転び「公務執行妨害だ、傷害だ!」と騒いで逮捕するやり方。
荒木氏ではない信者にある男が「名前を名乗りなさい!」と執拗に迫る。その質問の仕方は完全に感情的で子供の喧嘩的な「名乗りなさい。なぜ名乗れないんですか?何かやましいことでもあるんですか!」と壊れたレコードように繰り返し迫る。
ああいう言い方されたら、俺だって絶対答えたくなくなるよ。正直あまりに乱暴で恫喝的なので、地域住民かと思った。プロの警官なら尋問の方法としてお世辞にもうまいといえない。あるいは挑発して怒らせて逮捕するつもりだったのかも知れないが。

結局この「転び公妨」は森氏の撮影したテープが証拠となって「不当」となったようだ。
森氏も「撮影したものは作品として発表する以外のいかなることにも使わない」という取材者のルールとの間で迷いがあったらしいが、「弁護士に供託する(つまり任せるってことか)」という形で提出されたようだ。
結局その信者は釈放されて、こちらもほっとした。

それにしても荒木氏をはじめとした信者たちの苦悩が伝わってくる。親に対してのこと、自分が信じてるものが世間に受け入れられない苦悩。
そこにいるのは一人の人間だ。
「確かにオウム真理教は重大事件を起こしたが、私は事件に関わってない」という言い分に対しては疑問もあろう。
「自分が一度信じてしまった麻原を簡単には捨てられない。世間の評価がどうであれ、麻原が自分を救ってくれたことがあった」という思いを信者から感じた。

観る者に迷いが生じる。
今までオウムは「極悪非道な狂気集団」であったのが、「意外にも単なる普通の人間」に見えてくるのだから。

一方的なイメージですべてを決めつける怖さを、訴えかけてくる映画だ。
それはオウムに限らないのだろうけど。

タイトルの「A」というのが観る前は意味が分からなかったが、オウムをアルファベットで表記すると「AUM」だからか。それとも「少年A」のような仮名か。その両方かなと思ったが、データベースを見ると「荒木浩のA」という記述がある。どれだろう?あるいはその全部かも知れない。



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愛欲霊女 潮吹き淫魔


日時 2014年3月2日17:40〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 後藤大輔
製作 


亀頭家では次女のいくよ(星野ゆず)とスケキヨ(野村貴浩)の結婚式が行われていた。スケキヨは婿養子として亀頭家にやってきたのだ。
初夜の晩、スケキヨがちょっと床を離れた隙に淫魔によっていくよは狂わされてしまい、仕方なく亀頭家の座敷牢にいれることになってしまう。
翌日、この村に金田田一耕助(竹本泰志)という自称幽霊探偵がやってきた。いくよの姉で今は亀頭家を預かるタマヨは事件の解決を依頼する。
調査を開始する金田田一だったが、お手伝いのハルから手がかりを聞いた。タマヨの祖母タツヨはかつてこの村を出て東京でカフェの女給をしていたが、そのときにある学生と恋に陥った。学生は結婚を望み、二人でこの村にやってきた。
そのときに野外プレイをしたのだが、行為の最中にタツヨは小便をしてしまい、それを恥じて自殺したというのだ。
事件の真相は?


昨年、金田一耕助のパロディのピンク映画があると聞いていたが、どうにも予定が合わず見逃していたのがこれ。
確かに金田一シリーズのパロディ。

名前からしてスケキヨとかタマヨで基本「犬神家の一族」で、亀頭家っていうのが「獄門島」ですね。
スケキヨは顔にパックをしていて、真っ白い仮面をつけているシーンもあって、極楽寺の和尚(なかみつせいじ)も出てきて、金田一っぽい。
セリフで「たたりじゃー」というのもあった。
例の足だけが出てるのもあったし、ハルが「よ〜し、わかった」とおなじみのセリフを言う。

そういう風になれ親しんだ金田一シリーズのパロディがあって楽しい。
でも根っこの部分で違うのだな、私にしてみると。

イクヨを襲った魔物だけど、それは自殺した祖母のタツヨの霊。うーん、金田一シリーズはオカルトっぽい部分もあったけど、基本は本格推理。
犯人が幽霊とかそういうのはなかった。
だから私にしてみると違うんだな。

タマヨもうすうす真相に気がついて、自分の中に祖母の血筋が事件を起こさせたと思って自殺しようとする(確かそんな展開)。
それを金田田一が止めようとする王道の展開。
しかし実は金田田一は幽霊で、タツヨの恋人だった学生が、タツヨの死にショックを受けて自殺していて、その幽霊だった、というオチ。
さっきも書いたけど、金田一シリーズに幽霊は出てこないです。

タツヨが小便だと思ったものは「潮吹き」と呼ばれる現象だから気にしなくてよかったんだよ、とタツヨの霊を慰め、一緒に成仏する学生さん(金田田一)。

金田一もののパロディとして楽しい部分は多かったけど、ラストの展開に「違うだろ!」という気分になってしまって、楽しみきれない映画だった。



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変態夫婦 とろける寝室


日時 2014年3月2日16:40〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 池島ゆたか
製作 


離婚経験のある平塚ユキヒコ(竹本泰志)は妻サオリとの夜の生活がマンネリになってセックスレスにならないように気をつけていた。二人で高校生や部屋を電車に見立てての痴漢プレイ、医者と看護婦など毎回設定を変えて、なおかつそれを録画して飽きるのを防いでいた。
そんな時、部下の柏木アオイから「好きです。私の処女を奪ってください」と頼まれるが断るユキヒコ。
ある日妻とのプレイの最中に勃起しなくなってしまった。
サオリは気分転換にアオイとセックスするように言い、ユキヒコはアオイを自分のマンションに連れ込み、見事にセックスした。しかしサオリとのセックスでは立たない。
今度はサオリが若い男と浮気して、それを隣室からユキヒコに見せて興奮させる。ユキヒコは再び勃起した。
さらにユキヒコたちはスワッピングに参加。向井ナオキ(野村貴浩)との夫婦の交換はうまくいった。
そんな時、アオイが再びユキヒコに迫る。困ったユキヒコたちは以前サオリが浮気した若い男と4人でプレイする。
アオイと若い男もカップルになり、ユキヒコたちにも子供が出来、念願のマイホームも手に入れて、万事めでたしめでたし。


ストーリーは最後まで書いた。
池島作品だから期待して観たのだが、特にどうということはない、ピンク映画。

夫婦がマンネリを防ぐためにあの手この手のプレイをする、という話をベースにコスプレ、浮気、複数のスワッピングと色んな要素を詰め込んだ、バラエティ豊かなピンク映画だったけど、それ以上のものはなかった。

池島監督作品には通常のピンク映画以上のものを求めちゃうんだよね。
監督にすれば迷惑な話かも知れないけど。



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痴漢電車 夢指の熱い調べ


日時 2014年3月2日15:30〜
場所 新橋ロマン劇場
監督 田中康文
製作 


電車で痴漢するのはベテランの二人組(池島ゆたか、牧村耕次)。今日の電車もお盛んだ。
痴漢逮捕の為に女刑事(倖田李梨)も乗り込んでいるが、二人にかかればチョロいもんだ。
ある日、女子高生・久美を見かけ、ゲン(池島)が早速さわりにいくが、逆に財布をすられてしまう。
しかしゲンは初恋の人弥生に似ていると言って忘れられない。
久美は同じ電車でよく見かけるケン(野村貴浩)が気になっていた。以前痴漢していた男を止めさせたのを見て、「かっこいい」と思ったのだ。
しかし実はケンは相棒の女、アヤと組んで痴漢してきた男から金を巻き上げていたにすぎない。
一方、久美を慕う予備校生(久保田泰也)がいた。


去年の夏観た「僕色のくちづけ」が面白かった田中康文監督。
今回は金田一シリーズのパロディと聞いていた「愛欲霊女 潮吹き淫魔」が目的で見に行ったが、結果的にはこれが一番面白かった。

「主人公の男女がいていろいろセックスしていく」というパターンではなく、群像劇だ。
ベテラン痴漢(二人はそれぞれ放置自転車の撤去とか、違法駐車の取り締まりなどをしている)、恐喝男、予備校生、親と折り合いの悪い女子高生、女刑事などなど多くの人が電車に乗り込んでいく。

ケンが好きな久美はケンと組もうと言い出し、アヤを追い出してしまう。久美を慕う予備校生は久美に痴漢し、ケンに恐喝される。実は予備校生は去年の受験の時に久美に受験票をすられ、それで受験が出来なかった経験がある。
それを恨むのではなく、かえって開放的な1日が過ごせたと久美に逆に感謝しており、「俺はずっと前から久美を慕っている」と叫ぶ。
ケンに金を渡し、「これで彼女と別れてくれ」という。
こういったちょっとストーカー的な愛情、嫌いじゃないです。

結局はケンはアヤに電車の中で「この人痴漢です!」と言われ、復讐される。
予備校生も恋はまだ実らなかったけど、受験にそのエネルギーをぶつけるという前向きな結論。

また池島ゆたかの方もたまたま何かの番組で弥生ちゃんがテレビに写っているのを観て(その番組は映画では映さない)、「弥生ちゃんに会いに行こう!」と相棒を誘って田舎に行く。
その田舎の電車でもやっぱり痴漢する(ここは声だけです)。なんかそのユーモラスなバイタリティが楽しい。
(ロケに出てくるのはたぶん千葉の小湊鉄道)

様々な愛情風景が群像劇として描かれ、面白かった。



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男舞(だんぶ)〜ラブ・レッスン〜


日時 2014年3月1日17:45〜
場所 光音座1
監督 関根和美
製作 


シンジとシゲルはかつて人気アイドルユニット・プラズマとして活躍していた。歌のうまいシゲルと踊りのうまいシンジ。二人はお互いの弱いところを補いあって最高のコンビだった。それだけでなく二人は愛し合う関係だった。
しかし熱狂的な異常なファンが練習場に乱入。シゲルに対する愛情からシンジに嫉妬し、彼の足を刺してしまう。そしてその怪我が元でシンジは踊れなくなった。
数年後、シゲルは弱小芸能プロのマネジャーとして、シンジはダンサーの振り付け師として何とかやっていた。
シゲルは今度新人のタクマを売りだそうとしていた。
タクマのレッスンをシンジに依頼するタクマ。最初は反発していたタクマだったが、やがてシンジの指導に従うようになる。
その頃、タクマの才能に目を付けた大手プロダクションはシゲルに1億円の移籍料で譲ってくれるよう依頼してきた。


芸能界のバックステージものだが、企画として失敗してないか?
通常のアイドル映画でバックステージものなら、実際の本人が人気があるわけだから、「人気アイドルになる少年」の役を演じてもOK。
でもこの映画の場合、主役の元アイドルの二人シゲルとシンジがどう見てもアイドルには見えない。
オープニングがアイドル時代だからそれなりのルックスをしてないと映画の世界に入れない。
どう見ても30越えてるルックスなので、引いた。

その点、タクマを演じる岡田謙一郎はそれなりのルックスなので安心できる。
でも踊りがだめ。
これはシゲルとシンジも同じ。

東京ドームでデビューコンサートをやろうっていうほどの人気なのだから、踊りもそれなりのレベルでないと。
これがジャニーズアイドルなら、納得出来るないようになったとは思うが。

ピンク映画なんだから言っちゃ悪いが出演できる役者と自然と限られてくる。
となるとやっぱり出来ることも限られてくるわけで。
そうすると歌も踊りも見せられる人材なんてそうそういるはずもない。

出来ない人にやらせれば結果は寒いものが出来ると思うのだけど、なぜそういう企画をするのだろう?
これが売れない歌手の話、なら「この歌なら売れないわな」と観客も納得出来るのだが。

その辺の作り手のスタンスがどうも解らない。
一度聞いて見たいと思う。



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ラブドラッグ 日曜日の午後


日時 2014年3月1日16:45〜
場所 光音座1
監督 新倉直人
製作 


ある日の日曜日、カズとサエの夫婦はいなくなったヒロのことを心配していた。ヒロはカズの同居している恋人だった。
実はヒロは3週間前に原宿で話しかけられた男(港雄一)とホテルに行ってしまった。それからなんだか体調が悪いのだ。きっと何か病気を移されたに違いない。
そんな体では自分を助けてくれたカズとセックスするわけにはいかない。だからヒロは家出したのだ。
そもそもヒロとカズの出会いはゲイバーだった。コカインをやってその日暮らしのヒロをカズは自分の家に連れていき、ドラッグを辞めさせてくれた。ヒロはカズに恩を感じていた。
そんな時、ヒロとカズが出会ったバーにサエが訪ねてきた。ママやスタッフ(山本竜一)に「今度カズとアメリカに行くので、ヒロに留守番してほしい」と伝言を頼む。
サエが帰った後、ヒロがやってきて伝言を聞く。
カズの心はもう自分にはないと思ったヒロは、やけっぱちになって「みんなに病気を移してやる!」と友達とドラッグとセックスのパーティを開く。
カズとサエは1年前にニューヨークで知り合った。カズに優しくされたサエは押し掛け女房の形で同居を始めたが、カズの心はサエにはなかった。
ヒロは街を歩き、自分に病気を移したあの男を探した。
再び出会ったその男とホテルに行くヒロだった。
その男を殺そうとするヒロだったが、男は「自分は病気など持っていない。なんなら病院に行って確かめてもいい」
驚くヒロ。
カズの元に帰るヒロ。二人は再び結ばれる。
その姿を見てサエは家を出た。


珍しくあらすじを全部書きました。
ふ〜ん、正直面白くない。
この映画の欠点は二つ。

まずはサエの存在。ここで女性が出てくるとカズはバイなのか、ノンケに戻ったのか混乱してしまう。
「私を見て」とサエが全裸になってカズに迫るシーンがあるが、「女優を裸にしたかった。男の裸ばかりじゃ作ってつまらない」という単なる監督やスタッフ側の事情で裸にしたのかと勘ぐってしまう。
ゲイピンクなんだから女性の裸はお客さんへのサービスにはならんと思う。

そして再会した港雄一。
「俺は病気じゃない」って言われて納得するヒロはなんなのだ?
思わずスクリーンに問いかけてしまう。
ヒロがドラッグから立ち直って、またドラッグをやったり、病気になったと心配するから生でセックスしたのだろうけど、「ドラッグは止めてセーファーセックスを心がけましょう」という(当然すぎてつまらないという批判はあるかも知れないが)メッセージがあれば、それなりに映画としての価値はあったと思うが、そういう訳でもない。

この辺がこの映画の残念なところだった。



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ミスタージャイアンツ 勝利の旗


日時 2014年3月1日11:00〜
場所 神保町シアター
監督 佐伯幸三
製作 昭和39年(1964年)


昭和37年の始め、シーズンオフの時巨人の長嶋茂雄は行方不明になっていた。新聞記者が球団広報の坂井(フランキー堺)に聞いても解らない。巨人入団は長嶋と同期で今は別球団にトレードされた波山(佐原健二)も会えないでいた。波山は選手としての限界を感じ、野球を辞めようとしていた。
そんな時、長嶋は箱根の山荘で一人でトレーニングを続けていた。山荘の主人(織田政雄)やおかみ(淡島千景)の協力に感謝しつつ、自主トレを続ける長嶋。
ペナントレースは開幕した。巨人ファンは多く、ハイヤーの運転手の戸部(伴淳三郎)もその一人。「自分も仕事で1位を目指すからお前たちも作文コンクールや美人コンテストで1位を目指せ」と子供たち(大空真弓ら)にもハッパをかける。
レース開幕当初は順調だった巨人だったが、長嶋のサインをもらおうと長嶋の不在中に家を訪ねた子供が帰りに交通事故で死んでしまった事件にショックを受け、長嶋もスランプに陥る。
果たして巨人の優勝はなるか?


神保町シアターの伝記映画特集で鑑賞。
以前からこの映画の存在は聞いていて、興味があったので見てみた。
長嶋茂雄が自身を演じている。試合のシーンはニュースフィルムの流用だが、ドラマシーンはちゃんと演技しているのだなあ。もっとひどいかと心配したが、案外、様になっているので安心してみれた。
もちろん王、川上監督も出演。川上が一番下手だった。
「×メカゴジラ」の松井は顔見せだけど今回は主演である。伴淳三郎一家の話もあるけど、3分の2は出演してるだろう。
長嶋さんや王さんにこの映画のことを聞いてみたい。
俳優でもない彼らが自分で自分を演じるってどう思ったのだろう?

それだけでなく舟木一夫とか(どういう立場の役なのかよく解らない)、またラストに日本シリーズ優勝記念パーティのシーンがあって、パーティ客で宝田明や仲代達矢が出演。桜井浩子さんも出演。「ウルトラQ」の前のスリーチャッピーズ時代ですね。

映画の方は母子家庭の少年が自分の野球選手を夢見ていたが、チンピラとの喧嘩に巻き込まれ、怪我をして野球選手の夢は絶たれた。それがきっかけで不良になりかけたが、後楽園に試合を見に行って長嶋のホームランボールをキャッチ。長嶋にサインをしてもらい、ついでに家まで送ってもらい長嶋に励まされ更生する涙もののエピソードあり。

また坂井と気晴らしにバーに飲みに行けば酔客(西村晃)に「最近のお前の調子の悪さはなんだ!」と絡まれる。
長嶋はこの後デッドボールで負傷。
そのときに球場に来ていた波山と再会。
そして怪我の手当をしてもらってる時に坂井や波山3人で語り合う。
波山「俺は野球を辞めて解ったが、世間には自分のやりたいことをやれないで欲求不満を抱えている人は大勢いる。そんな人たちはお前に夢を託して、お前が活躍すればスカッとしたりするんだ。お前はみんなの期待を背負ってる立場なんだ」
そういうセリフが出てくる。
この映画を観たのはソチオリンピック冬季大会が終わったすぐ後なのだが、オリンピックの選手たちも同じなんだろうなあと思った。

僕なんか「スポーツ選手に過大な期待や一方的な思い入れはするな」と思うのだが、やっぱり多くの人たちが、そういうヒーロー像を期待するのは致し方ないか。
その裏返しがこの映画に登場した西村晃であり、ソチ五輪の浅田真央の結果を観ての森元総理の「あの子はいつも大事な時に転ぶ」発言なんだろうな。

ただのお祭り映画で終わらないところがよかったと思う。
でも王貞治がリポビタンDを飲むタイアップシーンでは場内爆笑だった。



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