鉄腕投手 稲尾物語日時 2014年5月25日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 本多猪四郎 製作 昭和34年(1959年) 西鉄ライオンズで活躍する稲尾和久は昭和12年6月10日に大分県別府の漁師の末っ子として生まれた。 父・久作(志村喬)は厳しい海の男だった。近所の源太郎(藤原釜足)は草野球のチームを持っていたが、まだ子供の和久もチームに加え、野球のおもしろさを教えていく。 緑が丘高校に入って野球部に入ったが、常勝チームには慣れない。しかし父は「負けを他人のせいにしてはいけない」と厳しく諭す。だがやはり稲尾一人の力では甲子園は無理だった。 しかし稲尾に目を付けた各球団はスカウトしてきた。稲尾は九州のチーム、西鉄ライオンズに入団。稲尾の力でライオンズは常勝していく。 「神様、仏様、稲尾様」と言われた稲尾投手の伝記映画。と言っても映画製作当時は稲尾はまだ22歳だから伝記になるほどのエピソードはまだない。 だから1時間45分の上映時間のうち、1時間ぐらいはプロになる前の学生時代までの話が中心。そうなるとやはり主役は事実上、稲尾の父になってくる。 名優志村喬が稲尾の父を演じる。明治の男らしい厳格な父。「男は土性っ骨(という字でいいのか?『どしょうっぽね』という)がなくちゃいかん」と厳しい。 まだ稲尾が小学生の頃、友達にはやされて無理に海に出る。海はしけてしまい、母(浪速千恵子)たちは心配するが、「あいつには櫓の漕ぎ方は教えてある。男ならこの位の時化はなんてことない」と厳しい。 またプロになった時も「3年は死ぬ気で頑張れ。でも4年経っても芽が出なかったら諦めて漁師になれ」と厳しい。 これが志村喬だから迫力がある。 稲尾も2年目を迎えるキャンプの途中で父危篤の報を受け、実家に戻る。 「キャンプという重要な時期に帰ってくるとは何事か!帰れ!」と一喝。ついてすぐに帰る稲尾。とにかく厳しい。 そして胃ガンで亡くなったが、亡くなってから知らせがくる。 そんな厳しく育った稲尾だが、ここぞという粘りはさすがなもの。もちろん野球オンチの私は稲尾のことはよく知らない。 映画のクライマックスは昭和33年(1958年)のシーズンと日本シリーズ。シーズン途中でも優勝は危ぶまれたが、何とか逆転で優勝。日本シリーズも巨人と対戦。3戦目まで西鉄が連敗し、もう巨人の優勝間違いなしと思われたが4戦目から西鉄の連勝で逆転優勝。 巨人は今でもこういうことがある。 さっきも書いたように映画の半分以上は学生時代で、とにかく志村喬の厳格な父親ぶりが記憶に残る。 後半のプロになってからは稲尾本人が演じているが、試合の記録映像が多く、カットバックで観客席が写るがこのあたりは別撮り。 前に観た長嶋茂雄の映画のようなぎこちない演技を延々と観させられるということはない。その辺が返って面白味が足りない気がしないでもないが、今ならテレビのワイドショーかバラエティでやるようなネタも映画でやっていた時代ならではの映画だったと思う。 (このページのトップへ) 川下さんは何度もやってくる日時 2014年5月24日21:00〜 場所 ポレポレ東中野 監督 いまおかしんじ 川下さん(佐藤宏)が練炭自殺した。亡くなった晩、後輩の今西(水澤紳吾)棺桶の前で見守っていると突然川下さんが生き返った。 「しんちゃん、女とやりたいよ。何とかしてよ」川下さんは突然言い出した。 今西はうれしくなって深夜の町に飛び出す。しかしこんな夜中には町には誰もいない。「そうだ!たかちゃんに会いたい」川下さんは言い出した。たかちゃん(倖田梨李)というのは川下さんが体を悪くして入院したときの看護婦だった。夜中に彼女のマンションに行ってみるのだが。 いまおかしんじ監督の最新作で青春Hシリーズ40作目。 あまりにも低い製作費が批判を浴びることもある青春Hだけど、なんだかんだで40本も続いているからそれなりのものである。いいか悪いかは別にして。 この映画はいまおか監督が自身のシナリオ本に掲載した短編小説「いつかどこかで」をベースにしている。 実在した大学時代の先輩、川島さんがモデルという。 いまおか監督作品には「死者が蘇って出てくる」というのが多いが、この川島さんの死がベースになっているらしい。 映画を観る前に予告編などで内容を聞いたとき、「若きロッテちゃんの悩み」のような一晩の物語になるかと思っていた。川下さんの「やりたい」という願いを叶えようと後輩二人が右往左往する話なのだろうな、と。 ところがちょっと違っていて、3部構成。 第1部が死んだ晩。たかちゃんに会いに行くのだが、たかちゃんは「セックスは出来ない」という。 「そうかあ、仕方ないなあ」と川下さんは素直にあきらめる。この素直さがいい。川下さんも無茶を言うようで、ごり押しまではしない。そのキャラクターがいいなあ。 で、家に帰ってみるとそこにはたかちゃんの車が。 たかちゃんも気が変わって「セックスは出来ないけど、口ならいいよ」。 そのセンスがすごく好きである、私は。 そして第2部。 1年後、ハイになるキノコを今西が森で集めているとそこへ川下さんが! 自分の部屋に連れていき、そこへ後輩のレイジ(櫻井拓也)もやってくる。 やっぱり「女とやりたい」という川下さんのために外へでると公園にいた女の子(星咲優菜)が部屋に来てくれた。 そして川下さんだけでなく今西やレイジにもやらせてくれた。 「頼みがあるんだけど」と言って再び公園に4人で戻る。 彼女はアングラ舞踏をやっていて4人で白塗りをして夜中の町を踊る、という展開。 正直、このパートは面白くない。 で第3部。 三回忌の法事にやってきた今西とレイジ。 またまたやってくる川下さん。3人で温泉に行き、やっぱり女。そこでデリヘルを呼ぶのだが、来たのがなんとたかちゃん! 川下さんも願いが叶って一回させてもらえた。 そしてたかちゃんの部屋に行く。たかちゃんが仕事で抜ける間、子守をするのだ。 とにかくたかちゃんを演じる倖田李梨がいい。 (ちなみに赤ちゃんはいまおか監督の娘さん) 冷たいようでどこか優しく、デリヘルをしながら子育てをするシングルマザーの力強さ。 どんな男が父親なのか一切説明はない。でも彼女はきっと男も恨まず、観音様ような優しさで包み込む。 本来幽霊な川下さんに「お酒飲んじゃだめじゃないですか〜」と言ったりする口調がなんともいい。 正直、3回同様の話が繰り返されるし、何か川下さんに変化があるわけではない。 その辺が残念と言えば残念。 でもたかちゃんの不思議な優しさには癒された。 倖田さんの代表作と言っていいと思う。 (このページのトップへ) ぼくたちの家族日時 2014年5月24日16:50 場所 新宿ピカデリー・スクリーン6 監督 石井裕也 若菜克明(長塚京三)は会社を経営していたが、実はそれほど経営は思わしくない。長男の浩介(妻夫木聡)はサラリーマンで結婚してまもなく子供が産まれる予定だ。次男・俊平(池末荘亮)はぐーたらな大学生。そんな日々、克明の妻・玲子(原田美枝子)がおかしなことを口走ったりして様子がおかしい。 病院につれていくと「脳に腫瘍があって記憶の部分を圧迫している。あと1週間程度かと」となにやらはっきりしたことは言わない。 東京にいた浩介や俊平も実家に帰ってくる。克明は動揺してるのか頼りにならない。その上、実は克明の会社の経営不振から借金まみれで総額7500万円になるという。 自己破産も考えたが、克明が自己破産すると家のローン1200万円が保証人になっている浩介にいってしまう。 だから安易に自己破産という手段はとれない。 しかも母のことを何とかしなくては。浩介と俊平は母の治療をしてくれる病院を探すのだが。 妻夫木聡、池末荘亮が兄弟役という今私が一番お気に入りの男優二人の共演だ。普段は難病ものは関心がない私だが、このキャスティングなら俄然興味が沸く。 浩介は実は中学生の頃はいじめにあったのか、引きこもりだったという設定。なぜ引きこもりだったのか明確な説明は最後までない。 今回妻夫木聡は終始沈痛な面もちをしている。 メイクや照明もあるのだろうが、ほとんど笑うこともなく、暗い。こんなに暗い妻夫木は初めてという位だ。 父親は頼りにならず、弟はどこかのんびりしていて余計にいらいらする。 そんな浩介に俊平は言う。 「兄貴はさ、一家の一大事でございって顔してるけどこの家はさ、兄貴が引きこもりになってから壊れてるんだよ」 家族をつないでいたのはその中心にいた母親の玲子だった。 玲子を中心点として放射状につながっていただけ。父も兄も弟もあくまで母を通してつながっていたに過ぎない。 その母親がいなくなったが、そうは簡単に一つにはならない、なれない。 映画はこの後、兄弟で都内の病院を当たって母を治療してくれる所を探していく。 その中でひょっとしたら治療の可能性があるかも知れないという病院が見つかる。 映画は後から考えればここがクライマックスなのだが、演出は淡々としている。 カットバックで短く病院を訪ねるシーンをつなぐとか、音楽を高らかに鳴らすということもしない。 実に淡々としている。 それでも約2時間見せきってしまうのは演出の力量か、それとも役者の力量か。 映画はこのあたりで終わる。 そして父は自己破産を決意し、家のローンは浩介が被ることになる。それでも浩介を見捨てないでほしいと父は浩介の妻に懇願するが、実は1ヶ月前に俊平も同じことを言ってきたという。浩介は仕事は厳しくなるかも知れないが、収入の良いところに転職しようとしている。 浩介はこんな大事な時にキャバクラのホステスにメールした、すまなかったと弟に謝る。 明確な形にはなっていないが、家族は一つになりかけている。 母の病気は治っていない。家のローンをはじめ父の借金のことは解決していない。母の治療費だってどうなるのだろう。実は問題は何一つ解決していない。 でもこの家族はまとまりかけている。きっと何とかなるのではないだろうかという希望で(実は希望だけなのだが)終わる。 そんな「どうだ!」という押しつけがましいラストを持ってこないで好感が持てた。 よかった。 (このページのトップへ) WOOD JOB!(ウッジョブ) 神去なあなあ日常日時 2014年5月24日14:10〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン9 監督 矢口史靖 平野勇気(染谷将大)は大学受験も落ち、彼女にもフラれ最悪の状態。そんな時偶然林業研修プログラムのパンフレットを目にした。表紙の美女・直紀(長澤まさみ)が気になってプログラムに参加。 しかしケータイの電波も入らない田舎。そして例の美女は「あくまでイメージ」と言われてしまう。 しかも仕事は朝は早く厳しく、チェーンソーや木登りは常に危険と隣り合わせ。 研修所での研修は終わり、いよいよ研修生は各林業会社に配属され実戦へ。勇気は中村林業という特に山奥に配属になった。そしてそこには飯田(伊藤英明)というむちゃくちゃ厳しい先輩がいる。でもその会社の社長(光石研)の義理の妹で小学校の教師をしているのが直紀だった。 矢口史靖監督作品。 「ウォーターボーイズ」以来、大ヒットはないけど、クリーンヒットを連発し、作品もそこそこ面白くて安心感のある監督だ。 ヘタレな少年が深い考えもなく、自分にとって異世界に入っていくというのは、「ウォーター・ボーイズ」以来の定番的な展開だ。 でも今回私には山はきつかった。 私は蛇が苦手なのだ。 だから勇気が最初に駅に着いた時にマムシが出てくるシーンはびくっとなる。 同様に山に入ってしまって迷った子供を探しに行き(以前お供えをした石像の化身?に導かれ子供を発見する)、帰って来たときに「お前、耳になにぶら下げてるんだ?」と言われてマムシがぶら下がってるシーンもびくっとなる。 続いて勇気がしばらく療養しているシーンでふと見るとマムシにかまれた耳たぶが10cmぐらい延びているシーンもびくっとなった。 3番目などはホントは笑うところなのだろうが、ぶら下がった耳たぶが不気味だった。 クライマックスは村の祭り。 最初はよそものだとして勇気の祭り参加には反対だった村の長老(柄本明)。山に入って迷った子供がその長老の孫だったので、今は長老も納得。(このあたりはちょっとパターン的と言えばいえなくもないが) その祭りなのだが、山の大木を切り倒し、それを数百メートルはあるような木のレールを滑らせ、その最後には女性器を模した縄があるという展開。 おいおいこんなHな祭り、テレビ放送出来るのかよ? この祭りのシーン、大木を切り倒すとかジェットコースターのようなレールとか正直「CGか?」と思った。パンフを読んでもどこまでが実写でどこからがCGか明確には書いていない。 気になった。 それにしても勇気や飯田が木に登っているシーンでカメラもするすると上っていき、それこそ20mぐらいは上ってる感じがあり、ごまかしのない撮影は立派だった。 また染谷将太や伊藤英明がチェーンソーを扱ってちゃんと木を切っており、その点も立派である。 そうそう菅田将暉が都会から興味本位でやってきたちゃらちゃらした大学生役で出演。 「永遠の0」でも三浦春馬から憎まれる役で、似たような役が続いている。 (このページのトップへ) こだまは呼んでいる日時 2014年5月24日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 本多猪四郎 製作 昭和34年(1959年) 三好タマ子(雪村いづみ)は山梨の韮崎駅から田舎の村への路線バスのバスガール。運転手の鍋山(池部良)はぶっきらぼうでいつもタマ子に小言を言っている。 バスガールは路線の停留所の近所の人たちの買い物も引き受けていた。その買い物でよく行く平沢書店の一人息子・健一(藤木悠)はタマ子に惚れていた。 平沢はこのあたりでは名家だったが、健一の希望でタマ子を嫁にする事に。健一の母・孝子(沢村貞子)はタマ子の両親(沢村いき雄、千石規子)にとりあえず10日ほど平沢の家に来てもらって慣れてもらうよう提案。 タマ子も迷ったが、健一が自分を好いてくれてるのだからと平沢の家に入ったのだが。 本多猪四郎・非特撮特集の1本。 タマ子の乗るバスは当時でも古い車両として扱われているボンネットバスだ。おそらく1時間半ぐらいの路線。 タマ子も鍋山も終点の村に住み、朝出発して韮崎の営業所に着き、その後昼間一往復して夕方韮崎の営業所を出発してそこで家に帰る、という生活らしい。 地元の人々の買い物を引き受けたり、弁当を届けたりなんとも今では考えられない(というか都会では考えられないというべきか)のどかな日常だ。 映画の冒頭から鍋山は口は悪いが実はタマ子が好きというのはすぐわかり、「最後は結ばれるんだろうな」と思う。 そしてそれは裏切られない。 途中、村祭りのシーンで龍神様に扮するのが南利明。村の青年の一人に由利徹。この二人がコメディリリーフとして笑いを誘う。 で、タマ子は平沢の家に入るのだが、健一の母が実権を握っていてとにかく窮屈。タマ子は働き者の性分なので掃除とかしてしまうのだが、「そういうことは女中にやらせればいいんです!」と母に一喝されてしまう。 タマ子、かわいそう。 結局窮屈なタマ子は健一と母が東京の親戚に行っている間に実家に帰ってしまう。 その時、村では難産のため病院に運ばねばならぬ妊婦がいた。交通手段は鍋山のバスしかないのだが、タマ子の後任のバスガールと馬が合わずにバスガールの方が降りてしまっていた。 天候が悪く、大雨の中の山道は崖っぷちを誘導してくれる助手がいないと走れない。鍋山はタマ子に頼み込み、バスを発車! 大雨の中崖っぷちぎりぎりの道を走っていくバスのシーンのサスペンスは「恐怖の報酬」並である。と言ったらすこし大げさだが、それにしてもここはクライマックス! 妊婦は無事病院に着いた。 しかし平沢の家では「所詮バスガールはバスガールだ」とタマ子を叱り飛ばす。 耐えられないタマ子は平沢の家を出て、鍋山とともにバスに乗って実家に帰る、でエンド。 予定調和である。 出演では鍋山の下宿の主人に左卜全、飯田蝶子。 そうそう鍋山は戦争に行って抑留され、遅くなってから帰国したという設定。だから35歳でも独身だ。 そんな鍋山に下宿のおばちゃん(結婚の世話をするのが趣味)「あんたひょっとして片輪?」という。「いや軍隊に行った人には時々いるらしいから」 ゲイのことを言ってるようだが、まあこれが当時の(いや今でもそうは変わってないと思うけど)認識なのだろう。 (このページのトップへ) GODZILLA ゴジラ日時 2014年5月17日12:30〜 場所 ロッテシネマ金浦空港モール・スクリーン3 2014年5月17日20:30〜 CGV龍山IMAX3Dシアター 2014年5月18日9:00〜 CGV明洞・スクリーン3 2014年5月18日11:30〜 ロッテシネマ明洞・スクリーン1 監督 ギャレス・エドワーズ 1999年、フィリピンの採掘場で古代生物の骨と思われるものが見つかった。古生物学者のセリザワ・イシロー博士(渡辺賢)は助手とともに現場に向かう。 その大きさは想像以上、そして驚くべきことにその隣にいたらしい巨大生物が海に向かった跡があった。 日本。富士山の見える地のジャンジラ市のジャンジラ原発では異変が起こっていた。原子力技師のブロディ博士は誕生日を迎え、同じく原発で働く妻とともに原発に向かった。 検査のために妻が原発の炉付近に入ったとき、突如大きな振動が起きた。おかしい。直ちに原子炉を封鎖するよう指示するブロディ博士。しかし妻を救うことは出来なかった。そして原発は原因不明で崩壊していった。 15年後。 ブロディの息子は子供の頃は日本で過ごしたが、今は海兵隊員として妻子ある身だ。休暇で家に帰った時、父が日本で警察に逮捕されたと連絡を受け、日本にやってきた。 ブロディ(父)は15年前のジャンジラ原発事故を独自に調査していた。息子の説得にアメリカに帰る気になったブロディだが、仲間からジャンジラ原発跡の異変の連絡を受け、急遽息子とともに向かってみた。 ジャンジラ原発跡地は驚いたことに放射能が全くない。 驚いていると現地の警察に逮捕され、監禁される。 父と息子は別々の部屋で取り調べを受ける。 それを聞くセリザワ博士。実はジャンジラ原発を襲った何かが残した生命体らしきものを彼らは育てていたのだ。 その「何か」に異変が起き、セリザワたちは電気エネルギーの供給を止める。しかし「何か」は暴れ出した。 怪獣MUTOとなって暴れ出したのだ! MUTOの破壊によってブロディ博士もついに命を落とす。 世界各地では5月15日公開。日本では7月25日公開というファンにとっては腹立たしい公開で、我慢できずにソウルまで来てしまった。 とりあえず見たのは金浦空港そばに出来たロッテショッピング内のロッテシネマだ。ちなみにこの回はがらがらだった。 予告編で何回も観た映像がやっとつながっていく感動を覚える。 MUTOというのは放射性物質を食べる怪獣だ。 だからジャンジラ原発を襲ったのだ。 そしてゴジラはそのMUTOのライバル、というか天敵として昔から両者は戦ってきた。古代の戦いではゴジラが破れたらしい。 やがてゴジラも現れ始める。 MUTOに対し出撃する太平洋艦隊。空母サラトガを司令部としてセリザワ博士は中間報告をする。 1954年、核実験でゴジラを目覚めさせてしまった。その後の核実験はゴジラを倒そうとしたのが真の目的だったのだと。 MUTOはアメリカ本土に向かっていた。 ハワイを急襲するMUTO。本土に帰る途中のブロディ(息子)もハワイでの惨劇に遭遇する。 そしてついにゴジラが姿を現す。 ここの海からあがってきて津波による停電でホテルの電気が消えていき、照明弾が撃たれるとゴジラが姿を現すシーンはすばらしい。 その後、MUTOとゴジラがホノルル空港で対峙する! この時、MUTOを攻撃しようとしていたヘリの目の前にゴジラの背びれが現れ、「あっ!」となるシーンは秀逸。 そしてゴジラは大きく吠える! とここで対決が始まるのだが、映画は一挙にブロディ息子の妻と子供がサンフランシスコの自宅でニュースを観る画になってしまう。 あれれ? ゴジラとMUTOの1回戦ないの? そしてMUTOはアメリカ本土に向かう。 本土には一体なにがあるのか? ネバダ州の核物質廃棄場を予測したセリザワ博士だが、時遅く、すでにMUTOに襲われたあとだった。 この頃からMUTOはオスとメスがいるのではないか?とセリザワ博士は考え始める。 ブロディ息子はハワイで海兵隊に特別参加。MUTO作戦に参加することに。 この辺でゴジラが背びれだけを出してずっと泳いでいくのだが、その横を米艦隊が併走するというシュールな映像が登場する。 そしてネバダを襲ったあとはMUTO、ラスベガスに現れる。ここでラスベガスでスロットに興じる客の前のテレビが臨時ニュースで怪獣登場を告げ、そして電気が消えて天井が崩れるとMUTO登場! どうもMUTOは核だけでなく、電気エネルギーもお好きなようである。 ところがまたMUTOが現れたところで、ラスベガスで暴れまくるシーンはなく、またサラトガ内の報告映像に切り替わってしまう。 う〜ん、ハワイといい、ラスベガスといいちょっと出し惜しみしすぎ?? とにかく溜めるのである。溜めて溜めて溜めてドーン!というのがギャレス・エドワーズの演出の基本姿勢である。 そしていよいよサンフランシスコ決戦! MUTOに対し核攻撃を決断する米軍。 サンフランシスコ市内は大パニック!看護婦をしているブロディの妻も病院はパニックだ。 MUTOは実はオスメス2頭いたのだ! しかも雌は卵を持っていて、その無数の卵をチャイナタウンに産みつけた。 いよいよゴジラとの決戦だ。 いくらゴジラが強くても2頭相手では苦戦してしまう。 MUTOの核攻撃のためにMUTOをおびき寄せようとするブロディたち。 そして核爆弾をセットすると同時にタンクローリーから流れ出たガソリンを使ってブロディは卵の焼却に成功した。 燃え上がる卵にそちらに気をとられるメスMUTOの隙をついて攻撃するゴジラ。 ついにしっぽが光って放射能光線をお見舞い! ここすごいですねえ。 溜めて溜めて溜めてドーン!!!の極致ですね。 そしてもう一頭のMUTOもゴジラの滅茶苦茶な放射能攻撃によってついに倒される。 しかし核爆弾は時限セットされていたために爆発してしまった! 翌朝、ゴジラが横たわっている。 しかし驚くべきことにゴジラは起き上がり海へ去っていった。 こんな感じの内容だ。 英語台詞での鑑賞だから、正直、細かい点はよく分からなかったが、ゴジラ、MUTOが登場するカットでは「おおおお!」と大声を上げそうになるカットも多く、十分満足。 ハワイ決戦とかラスベガス崩壊とか見せ場をあえてはずすやり方は賛否両論となるのではないだろうか? また米軍が核攻撃を決定するがセリザワ博士は反対する。彼は動かない年代ものの懐中時計を持ち歩いている。それは昭和20年8月6日8時15分で止まったというのだ。もちろんヒロシマである。 その時計はセリザワの(父?祖父?)のものだという。 そういう核との関連もある。 日本語で観ないとよくわからないが、そういう「核」というものを根底においた話作りもよかったと思う。 ギャレス・エドワーズの「モンスターズ」を観たときは少し不安になったが、彼はファンの期待に十分応えてくれた。 それだけでも十分ほめられていいことだと思う。 私は去年の「パシフィック・リム」より好きです。 (このページのトップへ) 東京の人さようなら日時 2014年5月11日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 本多猪四郎 製作 昭和31年(1956年) 大島のお千代(島倉千代子)は東京に住む信一(山田真二)が大島にやってくると聞いてドキドキしていた。 信一は大問屋の息子だが、病気のため大学受験を1年諦め、静養のため夏の間この大島にやってきたのだ。 お千代と信一は幼なじみで幼い頃は一緒に遊んだ仲だったが、今はお千代にも縁談が来る年頃になった。立派に成長した信一にお千代はどう接していいか解らない。それはとりもなおさず恋心を抱いている証拠だった。 しかしお千代の父・源助(上田吉二郎)は今度出来る新しい漁船の航海士の甚太郎(石原忠、後の佐原健二)とお千代を結婚させるつもりだった。 新しい船のお払いの儀式にお千代も出たか、不機嫌でならない。 そんな時、島の祭りのために信一の母や妹もやってくる。 もう一人やってきた美しい娘は、信一と結婚する予定だという。 本多監督特撮映画以外特集の1本。 今回は60分のSPである。島倉千代子主演で彼女は下忌中で歌い、歌謡映画、スター映画である。 たまたま昨日「百瀬、こっちを向いて。」を観て、二股恋愛をする高校生の話を観ていたので、幼なじみとの恋にドキドキする18歳で隔世の感がした。 まあ世の中が映画の通りだとは思いませんが、18歳ぐらいで縁談ですから、結婚年齢も早いという時代の差は確かにあるでしょうが。 映画の方は祭りの出し物で歌が得意なお千代はみんなの前で一曲歌う予定だったが、信一に会いたくないお千代は隠れてしまう。しかし見つかって渋々歌う。 その歌が「東京の人さようなら」。 で信一がお千代が歌い終わった後に海岸で「僕は彼女と結婚するつもりはない。好きなのはお千代だ。でも今は学生にもなってないから、大学に行って大人になってもお千代が待っていてくれたら結婚しよう」と言う。 それでめでたし。 佐原健二はふられてしまう残念な役。 それにしてもラピュタには初めて来たようなご婦人のグループがいらっしゃいました。どうやら島倉千代子さんのファンの方々のようです。隣に座ったそのご婦人の方の携帯がちらっと目に入ったのですが、携帯の待ち受けが島倉千代子さんでした。 お千代さん、侮りがたし! (このページのトップへ) 百瀬、こっちを向いて。日時 2014年5月10日21:25〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン8 監督 耶雲哉治 新進作家の相原ノボル(向井理)は故郷の高校に帰ってきた。作家デビューした相原に高校時代の恩師が作家デビューの記念に講演会を企画したのだ。駅でノボルは偶然に神林徹子先輩に再会した。彼女は高校時代、学校一の美人と評判だった。彼女とつきあっていたのはノボルの幼なじみで2つ年上の宮崎先輩。 ノボルは高校時代に彼らとは苦い思い出があった。 実は宮崎先輩はもう一人彼女がいた。その彼女、百瀬陽(早見あかり)ともつきあっているという噂が立ち始めたので、徹子先輩の手前、百瀬とノボル(竹内太郎)がつきあっていることにしてほしいと宮崎先輩から頼まれた。宮崎先輩を尊敬し、恩義を感じているノボルは宮崎先輩の頼みは断れない。百瀬とつきあっているふりをするのだが、女性とつきあったことのないノボルはどうしていいのかわからない。それにこんなことをしていいのか悩んでしまう。 予告編を観て、大人になった主人公を演じる向井理と高校時代を演じる竹内太郎がとても雰囲気がよく似ていて、この映画に興味がわいた。向井理は「僕せか」以来好きな俳優の一人だし。 観初めてすぐに高校時代のノボルと友人の田辺君が何だか「桐島、部活やめるってよ」の神木隆之介と前野朋哉に似ているのでちょっと気になったが(ひょっとしたら「桐島」の成功があってヘタレ男子を主役にするのが流行なのかも知れない)、観ているうちに映画に引き込まれ、気にならなくなった。 もてない男子は切ない。自分なんかレベルが低く、女性とつきあうことなんて一生ないかも知れないと思っていたのに、突然彼女が出来る。しかし元々好きでもないし、第一強引な彼女とはどうも合わない。 でも彼女は手をつないでくれたり(相手がいやいやでも)、家に来て母親と仲良く話したりしてる。 そりゃもうおかしな気分になってくる。 やがて提案されたダブルデート。 ただでさえ女子といると緊張してしまうのに、演技をしながらでしかも徹子先輩をだまさなきゃならない。 胃が痛くなる。 百瀬自身も徹子先輩に引け目を感じてしまう。 映画館の化粧室で、百瀬が唇にリップクリームを塗ってる時に入ってきた徹子先輩が口紅を塗り出すシーンは二人の落差を感じさせる名シーンだ。 百瀬自身も家庭風景が出てくるが、裕福とはいえず徹子先輩は資産家の娘。しかも宮崎先輩は実は実家の紳士服店の家業を立て直したいと思っている。 普通に考えたら勝ち目はない。 でも好きだし、一緒にいたい。 百瀬は言う。「一瞬でも自分を向いてくれたらそれは幸せな恋なんだよ」 ノボルは言う。「それは一瞬以外は全部他人のものなんだよ」 そんなノボルを百瀬は「あんたは人を好きになったことがない」という。 そうだよなあ。一瞬でも振り向いてくれたらそれはうれしい。満足出来るかは人それぞれだろうけど。 ダブルデートの結果、こんな関係がたまらなくなって宮崎先輩に詰め寄るノボル。結果、宮崎先輩は百瀬と別れを決める。 それを告げる手紙を持っていったノボル。 朝方まで町を歩く二人。 泣きだす百瀬。しかし泣いていないという。 「泣いてないなら、こっち向いてよ!ねえこっち向いて」 ここでタイトルがつながってくる訳だ。 ラスト、現在のノボルが学校に来て屋上に行く。 百瀬?かと思ったが、それは幻影。 学校を去り、実家に向かう。 ある女性とすれ違う。 一瞬驚くノボル。 でもその後「そんなわきゃないか」と笑う向井理がいい。 期待以上に面白かった。 最近、「大人ドロップ」とか「クジラのいた夏」とかこの「百瀬」とか青春映画の秀作によく出会う。 嬉しいことだ。 (このページのトップへ) ヴィオレッタ日時 2014年5月10日18:25〜 場所 シアター・イメージフォーラム2(地下) 監督 エヴァ・イオネスコ 12歳の少女ヴィオレッタ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は写真家のアンナ(イザベル・ユベール)を母に持つ。アンナはまだ写真家としては売れておらず、お金に困っていた。ヴィオレッタは祖母と暮らしていて、アンナはその祖母とそりが合わず、別に部屋を借りて暮らしていた。時々しか会えない母にヴィオレッタは寂しがった。 ある日、ヴィオレッタは母の部屋に行ってみる。 そこは不気味な、しかし一種美しいオブジェに囲まれていた。アンナはヴィオレッタの服を着替えさせ、様々なポーズで写真を撮る。母と過ごせる時間はうれしく、ヴィオレッタは母の要求に応えようとする。 アンナのヴィオレッッタへの要求は次第にエスカレートし、シースルーなどの際どいものになっていく。 やがてアンナの写真集が発売され、ヴィオレッタも注目を集めるようになる。 イギリスのロッカー、シド・ヴィシャスとフォトセッションをする時に、アンナはヴィオレッタにヌードになってシドとキスするように要求する。 さすがに拒否するヴィオレッタ。 やがて母娘の間に亀裂が入り始める。 エヴァ・イオネスコ監督の自伝的作品。 彼女のことは70年代から知っていた。「思春の森」というものすごく刺激的な(私にとって)トラウマ映画があってそれに主演していた。 10代の男女三人が森の中で裸になってあれこれする映画である。今では単なるロリータポルノ的扱いになって、VHSにはなったが、DVDになった際に発売直後に回収になり、逮捕者も出たようだ。何しろ10代の男女が全裸になる映画なので、今は児童ポルノとの絡みもあって観ることは難しいかも知れない。(海賊版が出回っているようですが) 私は公開時に観た。当時は18禁ではなく一般映画の扱いだった。当時は児童ポルノの問題もなかったので、大人の女性じゃないから返って公開出来てしまったのだ(と思う)。 「思春の森」について記憶している当時観た感想は、確かに裸メインの映画であるけれども、一種「思春期の狂気」を描いた印象でその点でも観る価値はあったと思う。 エヴァ・イオネスコは3人の登場人物のうち、一番年下だが一番女王的雰囲気を持っていて、記憶に残った。 その後、目立った活躍はなかったが(レンタルビデオで「マーメイド」という人魚と青年の恋を描いた映画を観たことがあるが、映画のレベルは正直出来の悪いピンク映画並だった)、ずっと気になっていた。 そしてそのエヴァ・イオネスコ自身が自分の子供時代を映画化だ。「思春の森」を記憶している私にとって非常に興味深い。あの「思春の森」の裏でなにがあったのか? 結論を先にいうとメイキング裏話的な部分は少なかった。 映画のヴィオレッタはヌードになる前に母を拒絶し始める。しかし現実にはヌードになっているのだから実際はヌードになりつつ、母との対立が始まっていったのか? その辺は想像するしかない。 でも「母に愛されたい、喜んでもらいたい、一緒にいたい」という気持ちと、ヌードになるのはイヤだという母を拒絶する感情が実に伝わってきた。 だからエヴァ監督の意図は十分に伝わってきていると思う。 映画のラスト、情緒不安定になったヴィオレッタは盗みを引ったくりをしてしまう。 それが元なのか彼女は施設に入れられる。 その施設に母が訪ねてくる。 母が訪ねてきたと聞いて飛びだし、施設の近くの森を駆けるヴィオレッタ。 母も同じ森をヴィオレッタの名を呼びながら歩く。 映画はヴィオレッタが走る背中で終わる。 彼女は母に会いたくて駆けているのだろうか? それとも母から逃げているのだろうか? 映画ではそれは示されない。 しかしそれこそヴィオレッタ(エヴァ)の心境なのではないだろうか? 会いたい、会いたくない。 そんな複雑な心境が伝わってくるラストだった。 映画を観ている間、ずっとアナマリア・ヴァルトロメイの美しさに魅了された。彼女が映っているだけでこちらがドキドキする。まるで観てはいけないものを観てしまったような。 そう彼女美しさは観てはいけないようなものなのだ。 その妖艶(まさに妖艶。それ以外の言葉が思いつかない)さにはこちらの気が狂わせられそうになる。 この映画の成功はまずはアナマリア・ヴァルトロメイを出演させることが出来たことだった。 エヴァ・イヨネスコにも雰囲気が似ていて、実によかった。 (このページのトップへ) 江ノ島プリズム日時 2014年5月6日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 吉田康弘 製作 平成25年(2013年) 修太(福士蒼太)は今は20歳の予備校生。今日2012年12月20日は親友の朔(さく)(野村周平)の3回忌だ。 修太と朔とミチル(本田翼)は小学生の頃から3人一緒だった。しかし2年前の12月20日、修太はミチルから預かった手紙を朔に渡してしまい、その手紙を見て走って駅に駆けつけた朔は持病の心臓発作で亡くなったのだ。 ミチルは2人には何も言わずにイギリス留学に行ってしまい、おそらくそのことを書いた手紙を読んで駅に駆けつけたのだ。本当はその手紙はミチルが出発してから朔に渡される予定だったのだが、修太の都合で親に預けてしまい予定より早く朔が見てしまったのだ。 だから朔の死は自分に責任があると修太はずっと悔やんでいた。 法事の帰りに朔の部屋で「タイムトラベル・ウォッチ」を見かける修太。それをもらって帰る修太だが、それは自分が思った時間にいけるという。 気がついたら2010年12月19日に来ていた。 それは朔が死ぬ前日だ。この日、2人はミチルに呼び出され学校に来たのだった。 去年公開され、観ようかと思ったが時間が合わなかったのか見逃した1本。最近主演の福士蒼太が気になってきたので、DVDレンタルで観た次第。 そうそう去年観なかった理由の一つにタイムスリップものだったからだ。最近の邦画SFはやたらとタイムスリップが多い。「テルマエ・ロマエ」も「ギャルバサラ」も公開待機中の「青天の霹靂」とかもそう。 食傷気味なのである。 そういう不満点はあるのだが、青春友情映画として面白かった。 タイムトラベル物のお決まりの「過去を変えたら未来が変わってしまう。だから時間はきっとそうはさせない」という理屈があって最後は主人公の企みは失敗に終わることが多い。 これを学校の地縛霊という噂の今日子ちゃん(未来穂香)〜実は時を漂ってる女の子、と説明されてもよく解らないが〜に解説させる。「緩やかに仕組んで行けばうまく行くかも。ただしこの場合、未来が変わると同時に過去も変わってあなたのことは周りの記憶から消されるかも」となる。 朔を救うことは自分と朔、ミチルとの三者の思い出も無くすことになるかも知れないのだ。 「それでもいい。朔が生きていてくれれば」と修太は動き出す。 12月19日の夜花火を行って、今日子ちゃんにも花火を見せ、線香花火のゲームでなんとかミチルの口を開かせようとするが失敗。 でもまた現代に戻って、そしてもう一度時計を手に入れて戻ったのが12月20日。さて間に合うか! ラストを書いちゃうけど、なんとか朔をミチルの見送りに間に合わせることが出来た修太。読んでいなかったが、例の手紙には修太のことを朔に託す内容だった。 ってことはミチルは修太のことが好きだった? この前に朔がミチルのことを好きだという部分がもっと出ていればよかったと思うが、その辺の3人の関係が割と正三角形として描かれていたので惜しい。 でも2012年に3人が再会するシーンはよかった。 2人の記憶からはなくなっていたが、幸せに再会できたから。 惜しいのは最初のタイムトラベルウォッチがなぜ朔の部屋にあったかの説明がないこと。 まあなくてもいい気がするが、こういう事情でその時計が朔の部屋にあったのだというオチがあれば、もっとよかったと思う。 福士蒼太のさわやかなイケメンぶりがいい。 これからの活躍に期待する。 (このページのトップへ) 悪漢探偵2日時 2014年5月5日 場所 DVD 監督 エリック・ツアン 製作 1983年(昭和58年) 坊主頭のアルバート刑事(カール・マッカ)と元泥棒で男前のキングコング(サミュエル・ホイ)は親友。アルバート刑事は美人刑事のホー(シルヴィア・チャン)と結婚するのだが、その結婚式の日に訪ねてきたジュジュという女性にだまされてキングコングはまんまと銀行強盗にされてしまう。 ホーの情報屋の助けでジュジュと兄アウアウ(倉田保昭)の元にたどり着くアルバートとキングコング。しかしまたまた宝石強盗にされてしまう。 そしてアメリカからはアルバートとキングコングを狙う殺し屋がやってきた。アウアウたちはそのアメリカのギャングとダイヤの取引をしようとしているが、実は偽札で払う予定だという。だから二人に取引に行ってもらいたいのだ。 「悪漢探偵」の1作目は封切りの時に観ているが、「なんかあわないな」と思って2作目は観なかった。 今回この映画の特撮部分に中野昭慶監督が関わっていると聞き、観てみた次第。 とにかく30年前に1作目を観ただけなので、設定などはさっぱり忘れていて、最初にキングコング(最初にこの名前が出てきたとき、冗談で言ってるのかと思ったら、そういう役名だった)のマンションにリモコンで操られた2機のヘリコプターがやってきてこれがロボットになってキングコングを襲い出すシーンでは「で、襲われてるこの人は誰なの?」という気分だからなかなか映画の世界に入れない。 とにかく映画の説明的な要素はすっ飛ばして「アクションと笑い」に徹している。 アクションと笑い、アクションと笑いの連続で、正直ストーリーは作ってるほうは重要視していな感じが伝わってくる。 途中アメリカの殺し屋(これがクリント・イーストウッドのそっくりさん)の一派に追われて車で逃げるが、ギアが壊れてずっとバックで逃げ続けるとか、その車が左右にまっぷたつに割れてしまって二つになって逃げるとか、ばかばかしくてやや苦笑。 前半のほうで倉田保昭に捕まったキングコングたちをジュジュが助けようとする。そこで電気を消すのだが、その前にアルバートが倉田のパイプをおもちゃにしていて、電気が消えた途端にアルバートがパイプに火をつけて、暗闇の中でアルバートの顔が浮かんで、倉田保昭に殴られるシーンは大爆笑した。 途中で自称FBIの男が助けになると思ったら精神病患者だったというオチが出てきてこれは笑った。 でも今はこういうギャグは出来ないだろうなあ。 でもこれだけアクションと笑いが連続すると私は少々ゲップが出るというか飽きがきたのも事実。 話も脱線脱線ばかりでなかなか前に進まず、すこしイライラした。 で、中野監督のパートだが、最後にキングコングたちはアメリカの殺し屋たちに閉じこめられてそこでロボットに襲われる。そこでキングコングが作ったロボットと対決するあたりが日本の特撮パートが協力して作った箇所のようだ。 いわゆるミニチュアセットを組んでの特撮パートではなく、美術部分での協力のようである。 (このページのトップへ) クローズEXPLODE日時 2014年5月4日16:50〜 場所 TOHOシネマズ渋谷スクリーン4 監督 豊田利章 鈴蘭高校は新学年を迎えその頂点を目指す新3年生がいた。最強なのは強羅(柳楽優弥)率いるチームだが、自称最小チームの小岐須(勝地涼)も転校生で前の学校ではなかなかのワルだったという鏑木旋風雄(東出昌大)を取り込もうとしていた。 その頃、以前この町のヤクザだったが今は足を洗った片桐拳(やべきょうすけ)はこの町に戻ってきて、昔の仲間が働いている中田モータースで働くことに。中田モータースは前の社長が亡くなってからその娘のあや(浅見れいな)が切り盛りしていた。しかしその中田モータースの土地は奈良岡という片桐の旧知のヤクザに狙われていた。 一方、黒咲工業高校の柴田は昔からのダチで自分に灯油をかけてそれが元で少年刑務所に入っていた藤原(永山絢人)が出所してきたのが気になっていた。 藤原は奈良岡の舎弟になり、中田モータースにちょっかいをだすようになる。 また鈴蘭には加賀美(早乙女太一)という1年生が入学していた。加賀美は奈良岡や片桐の兄貴筋の息子で、片桐にとっては子供の頃に面倒を見ていた仲だった。 その加賀美は奈良岡について中田モータースのつぶしに手を貸す。 「クローズZERO」シリーズ3作目。 前2作とはキャストも一新しての再開。公開の順番が逆になったりしているが、東出昌大にとってはこれが「桐島、部活やめるってよ」の次に出演した映画だそうだ。 ヤンキーの話なんて興味がないし、正直観るのをかなり迷ったが、TOHOシネマズのポイントで無料鑑賞出来たし、渋谷での上映時間があったので観てきた。 観ていて思ったのは「ああ、ヤクザ映画の変形なのだなあ」ということ。 抗争に明け暮れたり、弱いチーム(組)があったり、主人公が「俺は喧嘩しないんだ」と言ったり、ヤクザ映画の決まり事を踏襲してる。 だからいい人が出てきてその土地が悪いヤクザに狙われるとか完全にお約束通りだ。 でもって2代目が誤った道を歩んでいるので、それを子分が正そうとするとかこれもまたヤクザ映画にあったパターン。要するにヤクザ映画2、3本分を1本でやっているので、話というか人物の関係はちょっとややこしい。(解らないほどではない) そのせいで2時間越えの映画なのだが、飽きがこない。 中田オートの方は火がついたりするのだが、火災保険で新装開店をし、奈良岡は警察に捕まり、藤原は柴田との戦いに決着がつき二人は友情を確かめる(という表現は恥ずかしいが)というエンド。 肝心の鈴蘭の方は加賀美たちを強羅たちの協力で倒すという展開。加賀美たちと対決するために、鏑木、小岐須、強羅たちが並んで歩くところなど、ヤクザ映画の殴り込みのシーンそのままだ。 任侠映画の精神で現代ヤクザと高校生をミックスさせたような感じ。 「今時こんなヤンキーはいない」という批判もあるようだが、携帯電話は出てこないし、先生も警官も出てこないし、一種異世界を舞台にしたファンタジーと考えれば無理はなかろう。 途中、東出や勝地たちが銭湯に入るシーンがあって、最後のカットでは全裸で商店街をかけるシーンがあり、頑張っている。 また柳楽優弥。男らしいいい面構えになってきて、これからも迫力のある役が出来そうでますます楽しみな役者になってきたと思う。 (このページのトップへ) クジラのいた夏日時 2014年5月4日12:35〜 場所 シネマート新宿1 監督 吉田康弘 日本のどこかの地方都市。厨屋〜チューヤ(野村周平)はこの町を出て東京に行こうとしていた。東京に何か目的がある訳じゃない。でもこの町から出なければ何も変わらない気がしていた。ひょっとしたら学校のヒロインで今は女優をしている弓子先輩(佐津川愛美)にも会えるかも知れない。 明日東京に行こうという日、昔からの友達、ジェイ(松島庄汰)、ギズモ(浜尾京介)、町田(松岡卓弥)が送別会を開いてくれることに。 ボーリング場貸し切りにして送別会は始まったが、人は集まらず寂しいばかり。 「そうだ!チューヤの初恋の人とか元カノに会いに行こう」となり、まずは初恋の人の元へ。 彼女は小学生の頃はバレエがうまくて賞をとったこともあった。今でも市民会館でダンスをしてると聞き、4人で行ってみるのだが。 浜尾京介は好きな俳優なので、彼の出演作ということで観に行った。内容はほとんど知らす、タイトルの「クジラのいた夏」も水産高校の高校生の青春映画と思ったら大違い。 高校を卒業したが、まだ完全に社会に出たわけではない。この田舎にいても仕方がない。東京にでも出てみるか。 という感じで消極的な理由で町を出ていこうとするチューヤ。 ジェイたちはそれを止めたい。 それにしてもイケメン若手が活躍する映画にしては下ネタが多くて気に入った。 まずギズモが毛ジラミに悩まされている。だから下の毛を今は剃ってる設定。もちろん画面には出てこないが、「こんな感じ」とギズモが見せるシーンがある。 この下ネタぶりで私は気に入った。 そしてチューヤの初恋の女の子だが、今でもダンスをしているが、バレエではなく、ストリートダンス。 見た目も全く変わっており、「あんた小学校の時あたしのストーカーしてたでしょ?そいであたしの縦笛なめてた!」と暴露されてしまう。 いいねえ、そのセンス。 「初恋のあこがれ」という描き方ではなく、「縦笛なめた」というみっともなさが私は好きである。 ちょっとピンク映画とかにつながるセンスだ。 で2番目の彼女。 町田がよく行くピンサロにいるらしいとなって指名する。 ここで彼女に会う会わないのドタバタが面白い。 そして彼女が出てくる。彼女は否定する。しかしやっぱり元カノだった! ピンサロで働くようになるには、彼女もいろいろあったに違いない。しかしその「いろいろ」は映画には出てこない。 それは聞かないのがマナーでしょう。優しさです。 この前半が特に面白かった。 そして「まあ飲みに行くか」とカラオケスナックに行く。 そこでホステスをしていたのは弓子先輩だった。 弓子先輩は「東京に行かないで、つきあおう」と行ってくれた。でも実は・・・・・という展開。 結局チューヤとジェイの深夜の商店街での喧嘩になる。 「静かにしてよ〜!」と近所の人たちが窓を開けてくるシーンは、「ここでこうやって家族と暮らしていくのも悪くない」と思わせる名シーンだと思う。 ラスト、朝の海岸からチューヤはどこへ行くのか? 最後の最後まで友達の助けが必要でかっこわるい。 でも人生はそんなものである。 海岸でパンツ1枚の3人+チューヤの人生に幸多かれと思う。 面白かった。 (このページのトップへ) 花嫁三重奏日時 2014年5月4日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 本多猪四郎 製作 昭和33年(1958年) 乾物屋の西村平吉(柳家金吾楼)には3人の娘があった。長女の照子(草笛光子)、次女の信子(根岸明美)、三女の妙子(団令子)だ。 照子は死んだ母に代わって店を切り盛りしている。信子は浅草でレビューの踊り子、妙子は洋裁学校に通っていていずれは自分のデザインの服を売る店を持つのが夢だ。 照子にはオーディオ製品の開発をしているサラリーマンの岡本(小泉博)という恋人がいて、信子も友人の兄である画家の小島(土屋義男)、妙子には近所の居酒屋の女将お豊(清川虹子)の息子で、バンドで歌を歌っている新一(佐原健二)というそれぞれ想いを寄せる人がいた。 一方平吉は常々人の役に立ちたいと思っていて、今度の区会議員選挙には幼なじみで今は議員の大沢の勧めで立候補するつもりでいた。そして平吉は区会議長黒川の息子(堺左千夫)と照子を結婚させようとするのだが。 本多監督非特撮特集の1本。今までタイトルはよく聞いた映画だ。 ラブコメとしてテンポもよく飽きさせない。 佐原さんの新一はラジオやステージではハリー巻という名前で歌っていて、ステージのカットでは実際に歌のシーンがある。 でもよく聞くと声がちょっと違うので、たぶん吹き替えではないか。ご本人に会う機会があったら聞いてみよう。 で話の方は今まで照子と岡本の仲を取り持って電話の取り次ぎなどをしていたお豊が平吉が真剣に議員に立候補しようとしていると解り、その応援のためにも黒川の息子と結婚したほうがいいと思うようになり、一時は岡本の電話の取り次ぎを断る。 そうこうしてるうちに岡本は大阪に転勤が決まってしまうが、照子に連絡が取れない。 妹たちの協力もあって今夜大阪に発つ、という時に連絡が取れ、一緒に大阪に発つ。 結局選挙の方も娘の結婚がだめになったことで、大沢との仲が険悪になり、「選挙に出るのをやめるなら金返せ!」となる。金を貸していた話は今まで出てなかったのでちょっと唐突だが、そこは貸した金10万円を妙子の貯金で返すとなる。 「利息をつけてくれなきゃ。そうさな、5万円だ」という。 おいおい10万円の借金で5万円の利息は違法だと思うが、悪役だからそれもいいだろう。そこへ新一がやってきて「その5万円僕が出そう。さあ、用は済んだはずだ。帰ってくれ」というハッピーエンド。 結局三姉妹はそれぞれの恋人と結婚。 三枚の婚礼写真が棚に並ぶ仲、「もう一枚足りないんじゃないのかい?」「誰のだよ」「お前さんのだよ」と言って平吉もお豊と再婚という出来すぎた終わり方。 安心して見られるラブコメ、ホームコメディだった。 (このページのトップへ) 君に捧げし命なりせば日時 2014年5月3日17:40〜 場所 光音座1 監督 小林悟 製作 昭和20年8月、広島長崎に原爆が落とされ日本は敗戦寸前だった。しかし現場の兵士には終戦工作は知らされず、今日も神風特別攻撃隊第七菊水隊として4名がある航空基地に着任する。 しかしこの基地に彼らが搭乗する飛行機はない。基地司令によると出撃までには飛行機が到着するという。 隊長以下田尾、一番年少の花井、病気の長沢らは飛行機が来るまで昼間は訓練、夜は酒盛りの日々を過ごしていく。 ゲイピンクでは珍しい戦争物。それも特攻隊だ。 映画のネタには何度もなっている特攻隊だが、ゲイピンクではどんなものになってるかと少し期待したのだが、ハズレ。 根本的に話が進まないのである。 酒盛りをするのはいいのだが、毎晩一人づつ隊員の3人が入れ替わり女装をしてお酌をするのだ。 なんだそれ? 初日が田尾なのだが(演じているのは「フーテンのHOMOさん」で主演された役者さん)、これがただの安っぽいオカマである。 その晩のうちに病気で寝ている長沢と出来る。 で、次の晩は病気の長沢が女装して出てくる。で、田尾と絡む。 で絡みのシーンだが、どうにも盛り上がらない。 なんかやる気がない感じなのだ。このあと「薔薇の囁きを聞け」を少し観てから帰ったのだが、濡れ場でカットが割ってあり、キスする口のアップとかお尻のアップとか動く腰つきのアップとか強調的なカットがあってそれなりに盛り上げようとしている。 しかしこの映画では絡みのシーンは長回しのままで、しかも男が体を重ねたままだから盛り上がらない。 でさらにいうと田尾と長沢というイケメンでない二人の絡みが2回も続くので、映画が盛り上がらないのだなあ。 特攻隊のアイロニーとしてコメディになってればまた面白さもあったろうが、真面目に特攻隊ものをするからちょっとシラケる。 ゲイピンクなのだから「死にゆく男と残る男の別れ」みたいな話になればいいのだが、どうにも各人が「死ぬのは怖くない。しかし田舎のかあちゃんが心配だ」などと泣くシーンばかりなのだ。 ここは特攻隊員と整備兵とか村の若者の恋があって、特攻隊員が一度は逃げようとするがやっぱり特攻するとかの方が話が盛り上がったのでは? 一応終戦時らしく、肝心の特攻機は1機しか来ない。 4人のうち誰が行くかをくじ引きで決めて、隊長が行くことになる。 とりあえず15日の早朝出撃するのは隊長だけなのに田尾まで明日特攻するつもりのような過ごし方をする。 この後がちょっと間抜けで花井が自分が特攻しようと決めて隊長たちを寝坊させ、自分が出撃する。 出撃シーンは白黒記録映像を使っているので、花井が飛行機に乗っているカットなどはこのシーンだけ白黒。 話の作りようによっては面白いものが出来たと思うけど、脚本の甘さ、役者の技量不足で正直しょぼい映画になってしまっている。 残念。 (このページのトップへ) 薔薇の囁きを聞け日時 2014年5月3日16:40〜 場所 光音座1 監督 渡辺 製作 平成7年(1995年) 真治(樹かず)と隆(佐賀照彦)は恋人同士だったが、「一緒に暮らそう」という隆に対し、真治ははっきりしない態度をしていた。自分自身がホモであることに迷いがあったのだ。 真治は近所にある自然が残る野薔薇ヶ池の周りを散策するのが好きだった。池に落ちていた下駄を拾ったことがきっかけで淳之介(瀬戸内渉)という少年に会う。 淳之介は真治の部屋にもやってきた。淳之介に誘われるままに真治は関係を持ってしまう。 やがて真治は隆と別れさえ口にするようになった。 隆は真治が淳之介と出会ったという池のほとりに行ってみると淳之介の墓があった。淳之介が幽霊ではないかと思った隆は霊媒研究所の篠田(蛍雪次朗)に相談する。 篠田は淳之介は幽霊に間違いないという。 ゲイピンクを1年以上観ているが、この映画は面白い方に入る。それは何といっても出演者がいい男ぞろいだからだろう。 いくらゲイピンクとは言ってもただのオッサンでしかない、ピンク映画の男優が脱いでもそれは観ていてつらい。 もちろんそういう男が好きという人もいるだろうから、否定はしませんが。 樹かずはスリムで筋肉質の彫りの深いイケメン、佐賀照彦は小柄でちょっと短髪でややワイルド系、そして瀬戸内渉は子犬系の素朴少年。 この樹かずや佐賀照彦はゲイ映画では常連俳優。 絡みも慣れている。 しかもキスしている口のアップ、動く腰つきのアップなどを入れながら全体を俯瞰するカットを入れたりと濡れ場の描き方も丁寧だ。 さらにちょっとコメディリリーフとして蛍雪次朗も加わる。 映画の方は一度は退散させた淳之介だが、何度も真治を訪ねてくる。実は明治時代、真治のひいおじいさんのシンイチロウと淳之介は恋仲だったのだ。家の事情でシンイチロウは結婚、失意の淳之介は酒に酔って池に落ち、亡くなったのだ。だから淳之介のこの世に対する未練は非常に強い。 今日を乗り切れば大丈夫、という晩、やはり淳之介がやってくる。淳之介を退散させるには真治と隆の愛のオーラを見せつけるしかない、とばかりに二人が愛し合う姿を見せて、後光が差して淳之介は愛の力に負け退散。 めでたし、めでたし。 撮影では淳之介が移動するカットでは幽霊らしさを出すために、移動車を使って移動させている。つまり歩いていない。 台車を使ったのか、あるいはレールを引いたと思われるが、この頃はまだレールを引く予算があったのだな。 ラブロマンスとしてもコメディとしても十分楽しい映画だった。 ゲイピンクはこうあって欲しいという映画。 やっぱり出演者の魅力に負うところ大だなあ。なんて言ったってピンク映画だもんな。ゲイピンクだって。 (このページのトップへ) クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん日時 2014年5月3日13:10〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン9 監督 高橋渉 日曜日、ぎっくり腰で何も出来ないひろしをみさえは家から追い出す。仕方なくしんのすけと公園を散歩するひろし。 だがその公園は家に居場所のない父親たちがどんよりと溜まっているだけだった。その場を追い出されるひろしとしんのすけだが、帰りに「メンズエステ」のアンケートに答え、無料エステ体験をするひろし。 だが起きてみたら自分の体はロボットに改造されていた! 最初は戸惑うみさえだが、家事や家の修繕をなんでもこなす「ロボとーちゃん」を見直す。 会社に行けばスーパーサラリーマンとして上司や部下の評価もうなぎのぼり。 しかしこれは世の男が虐げられてるのを見かねた鉄拳寺堂勝という男が頑固親父復権のための計画だった! 今年こそ観るのをやめようかと思うのだが、つい観てしまう「クレヨンしんちゃん」。 ツイッターを観てると好意的な感想を見たのでちょっと期待した。 今去年の感想文を読んでいたが、かなり酷評している(というか完全に内容を忘れていた)。 今年は楽しかった。 たぶん自分に一番近いひろしに感情移入しやすいからだろう。 ロボットになったひろしだが、実はこれも敵の陰謀。家族の絆が戻ったところで完全亭主関白になるヒゲを鉄拳寺の陰謀によってひろしは装着。やさしいとーちゃんから、頑固親父になり、世の男どもを扇動して市庁舎を占拠。 しんのすけたちの活躍によってロボとーちゃんはひろしに戻り、敵の基地に突入。そこで人間のひろしがいた。 人間のひろしを助け出したが、驚くべき事実が解る。 今までとーちゃんだと思っていたロボとーちゃんは人間のひろしの記憶をコピーしただけの偽物だったのだ! ここで観客は(というか私は)混乱させられる。 今まで応援してきたロボとーちゃんは単なる偽物にすぎないとは。 どっちかが最後にはさらねばならない。現実的に考えればロボとーちゃんが去ることになるのだが、いままでしんちゃんやみさえ、カスカベ防衛隊を助けてきたロボとーちゃんが去るのは寂しすぎる。 途中、しんのすけとロボとーちゃん、ひろしとロボとーちゃんとの腕相撲が出てくる。 最後も腕相撲で決着をつけようという。 どちらが勝つかは想像通りだが、このラストは切なかった。 現実のとーちゃんか、活躍したロボとーちゃんか、それを選ぶのは全然関係ないけど「そして父になる」をちょっと思い出した。 ここ数年のしんちゃんではよかったと思う。 (このページのトップへ) 相棒 -劇場版V- 巨大密室!特命係 絶海の孤島へ日時 2014年5月2日19:15〜 場所 新宿バルト9・シアター3 監督 和泉聖治 東京の八丈島ちかくの鳳凰島。ここは島全体が私有地で民兵たちの訓練場となっていた。この民兵組織は若狭道彦(宅麻伸)という実業家が創立し、隊長の神室(伊原剛志)以下メンバー全員自衛隊出身だった。しかも防衛省幹部も応援しているような組織だ。 ここで訓練中の岩代という男が馬に蹴られて死亡するという事故が発生する。以前から民兵の存在を疎ましく思っていた警察庁次長・甲斐(石坂浩二)は特命係の杉下(水谷豊)と甲斐亨(成宮寛貴)に事故の現場検証を名目に民兵たちが化学兵器を製造しているという噂の真偽を探るよう命じられる。 早速、鳳凰島に向かう杉下と甲斐。 しかし死亡事故そのものが実は殺人だった可能性が出てきた。この島ではいったい何が行われているのか? 人気テレビシリーズ「相棒」の劇場版第3弾。「2」が2010年年末公開だったから少し間が空いた。 今回は自衛隊と警察の対立。今回は「2」の時のように話がややこしくなく、割とシンプル。シンプルすぎるのだな。 「馬に蹴られて死亡した事故」だが、話の流れから行って殺人事件になるのは明らか。 そして孤島なのだから犯人はこの中にいる。で彼らが利害関係のある対立した人間関係ならともかく、統一された組織である。だれが実行犯でもおかしくなく、結局は命じたのは隊長であろうから、「犯人探し」には全くならない。 で生物兵器の有無だが、これも話の流れから行ってあるに決まっている。 だから根本的にミステリーとして弱い。 その生物兵器(天然痘だが)だが元となるものは自衛隊から出ていることが示される。しかし自衛隊が作らせたのか、作ることを黙認していたのかは判然としないが、少なくとも知っていながら止めなかったのだから同じ事だろう。 要はこの映画でやりたかったことは犯人だった神室と右京と甲斐の拘置所でのやりとりだ。 神室「生物兵器を使う気なんて毛頭なかった。あれは備えのためだ」 甲斐「でも国際法で禁じられています」 神室「核兵器がよくてどうして生物兵器がだめなんだ。そもそもどうして核兵器をもっていい国といけない国があるんだ。平和のためには抑止力が必要なんだ!」 右京「あなたのいう抑止力に基づく平和はひどくもろいように思います」 神室「君たちは重大な病に冒されている。『平和ボケ』という名前のな」 右京「私にはあなたも病気に冒されているように思います。『国防』という名の流行病に」 このやりとりが一番描きたかったことで、今の日本の危機意識をあおる風潮に対してのアンチテーゼで、よくこんなシナリオがメジャー作品として制作されたと思う。 ミステリーとしてはもう一つなのだが、社会派作品としては満足の行く作品だった。 出演は隊員役で釈由美子など。戦闘服を着た釈由美子と宅麻伸がいると「こいらが作っているのは生物兵器ではなく機龍なのでは?」と思えてくる。そこに平成ガメラの伊原剛志もいるから特撮ファンとしてはカオスである。 (このページのトップへ) |