ミケランジェロ・プロジェクト(THE MONUMENTS MEN)日時 2014年8月31日 場所 Bru-ray(UK輸入盤) 監督 ジョージ・クルーニー 1944年、ヨーロッパ。 すでに連合軍はノルマンディーに上陸し、戦局は連合軍側に有利だった。 ハーバード大付属美術館館長フランク・ストークス(ジョージ・クルーニー)はヒトラーが自分の美術館にヨーロッパの数々の美術品を所有しようとしていると知り、それらの美術品奪還プロジェクトを大統領に進言する。 「美術品より今は人の命だ」と乗り気でない大統領をなんとか説得。ジェームズ・グレンジャー(マット・ディモン)をはじめとする7人のチームを結成。 フランス上陸後、グレンジャーは一人パリへ。美術館のスタッフに接近し情報を得ようとする。一時は不本意ながらドイツ軍にも協力していたパリの美術館職員クレール(ケイト・ブランシェット)は今度はアメリカ軍が美術品を持ち去るのではと警戒して何も話してくれない。 しかも現場では「美術品の為に兵を犠牲には出来ない」と協力的ではない。 果たしてこのプロジェクトの成功は? 何故か日本未公開に終わってしまった「ミケランジェロ・プロジェクト」。と言っても楽しみにしていて未公開が決まって悔しい思いをしてるわけではなく、未公開になっても輸入盤ブルーレイなら日本語付きで観れますよというのをネットで(ツイッターだったか)知った次第。(本編だけでなく特典映像も) 話を聞くと第二次大戦ものでしかも特殊部隊プロジェクトもの。「ナバロンの要塞」的な映画なら観たい。 結論から言うと「ナバロンの要塞」ほどは面白くない。 そもそも美術品奪還だから爆破計画じゃない。それに基本登場人物が美術館職員とか建築家だから戦闘に関しての特殊能力を持ってるわけではないので画的な派手さはない。 だからそれぞれの個性の強いメンバーの個性が見所。 チームは3チームに分かれ、それぞれで捜索開始する。 その中で母子聖像を見つけたものの、運びだそうとするドイツ軍に見つかって殺されたり、単なる移動中に戦闘に巻き込まれたりして死んでしまう。 情報では鉱山のある町に運ばれているので、鉱山の中を調べたところ、美術品だけでなく金塊も発見。 米軍が美術品を略奪しないと安心したクレールはついに美術品についての情報を教えてくれた。 クレールが信じてくれて男女の仲まで迫るのだが、グレンジャーは断って情報を届ける。 でもこの二枚目のシーン以外、マット・ディモンの活躍なし。時間的にも数ヶ月かかったことになる。 で、ドイツ軍も一部では美術品を焼却してしまったりしたけど、最後の美術品は見つかった。 そこでクライマックスとして用意されたのが、ソ連軍がやってくると美術品を強奪されてしまう!という点。 「あと数時間でソ連軍がやってくる!急げ!」という訳。 ドイツやソ連が悪者でイギリス=アメリカが善玉という分かりやすい構図。今の時代にそれはどうかと思わないでもないが、娯楽映画としては単純で面白かった。 戦闘シーンの派手さは少なくて、そのあたりが戦争映画としての面白さは少ないが、その分個性豊かなキャラクターが盛り上げる。 主人公のジョージ・クルーニーは「人が死んでもまた増えるが、美術品はなくなったらお終いだ」と言いつつ、「美術品と人の命はどっちが大事か」を気にかける。 ラストで大統領にプロジェクトの報告をし、「君たちの仕事は30年後も評価されるか?」と問われ「もちろん」と答える。 他にはボブ・バラバン演じるサヴィッツ二等兵。 口が悪く皮肉屋のキャラクター。現実にいたらいやだろうけど、映画では楽しめるキャラクターだ。 滅茶苦茶面白い、というほどではなかったが、十分面白かった。 (このページのトップへ) 争闘阿修羅街日時 2014年8月31日11:15〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 八代毅 製作 昭和13年(1938年) ダメダメ新聞記者の二人組(ハヤブサ・ヒデト、大岡怪童)はクビ寸前。編集長から「今度新型飛行機を発表する博士の元へ行ってインタビューを取ってこい!」と命じられる。 早速バイクで出向く二人だが、途中で車に泥をかけられる。怒ってその車に追いつく二人。車からは美人な娘が出てきたが、ろくに謝らない。 二人は仕方なく博士のところに行ってみたが、さっきの娘は博士の娘だった。 インタビューしようとした二人組だが、娘が意地悪して父親の博士を山の別荘に連れていってしまう。 それを気づいてバイクで山の山荘まで追いかける二人だが。 「戦前日本SF映画創世記」特集の一本。 ハヤブサ・ヒデトの戦前作品。今日の上映は活弁付き。 やっぱりサイレント映画は活弁付きで観たいですよ。音なしでは作品の価値が分からない。 博士の娘が一応ヒロインだが、これがとんでもないツンデレ。記者二人を困らせようと、スタッフが記者のインタビューに行くように言ったのにわざと別荘に連れ出してしまう。しかも記者二人がバイクで追いかけられないようにガソリンを抜いてしまう意地悪ぶり。いくらヒロインでも私は嫌いになった。 何とか山の別荘に追いつく記者二人。近くの川で絵を描くお嬢さんに絵に「丙の丁」と悪い採点をしたり、川に落っことしたり落っことされたりの意地悪の応酬。 夜になって博士の部下が実はスパイで別荘番(なぜか怪人せむし男)によって設計図は盗まれ、博士もお嬢さんも誘拐される。(女中が「弥次喜多 岡崎猫退治」に出てきた大山デブ子) ここでバイクを使ってハヤブサ・ヒデトが車を追いかけるが、先回りして車の下に入ってバンパーをつかんで車が走っていくところでは映画館で観客から「お〜〜〜!」と声が出た。 ハヤブサ・ヒデトはスタントを使わなかったそうだが、それにしてもすごい! このほかにもビルとビルの間にワイヤーを張ってそのワイヤーを伝って車を追いかけるシーンあり。 上映時間が34分なので、途中で終わってしまって「続きは次回へ」となるかと心配したが、悪漢を捕まえ、設計図を取り戻しハヤブサ・ヒデトはお嬢さんと出来てメデタシメデタシ。 34分だが1時間以上のボリュームを感じた。 やっぱり大都映画ってすごいな。 (このページのトップへ) 荻野茂二作品日時 2014年8月31日11:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 荻野茂二 タイトルに「荻野茂二作品」とつけたけど、もちろんそういうタイトルではない。今回のラピュタ阿佐ヶ谷の「戦前日本SF映画特集」の中の番組タイトルがこうなっていたから便宜上そう書いただけ。 正確には 「AN EXPRESSION(表現)」(昭和10年〜1935年)2分 「PROPAGATE(開花)」(昭和10年〜1935年)3分 「百年後の或る日」(昭和7年〜1932年)7分 の3本の連続上映。 戦前から自主映画を作る人はいて、荻野茂二もその一人。商業映画では出来ない実験的な作品があり、かなりレベルは高かったと考えていいようだ。 「AN EXPRESSION(表現)」は彩色カラー作品だ。 丸や四角や三角がテレビのテストパターンのように彩色されて出てくる映像の連続。 「PROPAGATE(開花)」は文字通り花の開花を切り絵のようなタッチの絵で表現していく。 注目すべきは「百年後の或る日」だ。 1934年の大戦で亡くなった男がある日どこかへ呼び出される。呼び出したのは2034年にいる男の子孫。 今は科学が発達し、霊が呼び出せるようになったという。 そこで2034年の科学を見せてもらう。 テレビは進化し、過去の出来事が自由に映し出せるようになっており、男が死んだ戦闘をも映し出す。 磁石を使った列車もあり時速800kmも可能だという(リニアモーターカーの発想だ!)、そして今は宇宙へも自由にいける。 原子の力を借りて飛ぶので燃料はごく少量で済む。 そこで火星に行ったのだが、事故で操縦が効かなくなり宇宙の彼方へ行ってしまった・・・ というラストで終わり。 これも切り絵のようなタッチのアニメーション。 途中「生前の男の姿」という形で映画カメラを構える男の画が合成される。 「パティに夢中だったようですね」という字幕がでる。 だから主人公の戦争で死んだ男は荻野自身なのだろうな。 太平洋戦争前で、戦争に対してや科学の発達に対して漠然と不安を感じているらしい様子が感じられる。 (このページのトップへ) 石川五右ヱ門の法事日時 2014年8月31日10:450〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 斎藤寅次郎 製作 昭和5年(1930年) 石川吾郎は古道具屋で、ある女性と結婚を熱望したが許されなかった。(なぜか)死んでしまい(なぜか)蘇る。 そこへ自分の祖先という石川五右衛門が現れる。 五右衛門は吾郎が結婚したがった娘の父親のところに行き、娘をさらっていく。 「娘を返して欲しければ俺の法事をしろ!」 かくて娘の父親は五右衛門の法事を盛大に行う。 そこへ棺桶の中から結婚衣装を着た吾郎と娘が現れる。 五右衛門も「俺は満足じゃ〜」と言って去っていく。 2巻14分。再び「モダン怪談」に引き続き斎藤寅次郎作品だ。 こちらもドタバタ作品で笑わせてもらった。 特に吾郎が棺桶から出てきて、娘の元へ行こうとしてバスを乗り逃がす。そこでバスの後ろにへばりつくが、バスの後ろ窓から中を覗いたら周りの乗客がびっくりして大声を上げる、運転手もびっくりして運転を誤って標識に激突!というあたりは笑った。 今でもおかしい。 こういったドタバタコメディは戦後ほんとになくなったなあ。映画がサイレントだった分、動きで笑わせようとした、トーキーになってからは話術で笑わせるようになった、と解釈してよいのだろうか? 最後は吾郎君と娘が結婚して(父親が「お前幽霊と結婚したのか?」という)、メデタシメデタシ。 なぜ幽霊と結婚出来るとかを考えてはいけないのだろう。 (このページのトップへ) モダン怪談 100、000、000円日時 2014年8月31日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 斎藤寅次郎 製作 昭和4年(1929年) 親に結婚を反対され山に駆け落ちしてきた若い二人。 しかしその山はなんだか騒がしい。聞けばそこには国定忠治が残した1億円の小判がどこかに埋まっているという。 若い二人も早速掘り出そうとし、そこへ国定忠治の幽霊が現れる。その幽霊が去っていった地面を掘ってみると小判がザクザク! 小判をもって実家に帰る娘。夫が大金持ちになったと知り、あっさり結婚を許してくれた父親。 メデタシメデタシ。 2巻11分作品。 前半で若い二人がある古い寺に入り、そこでお供えしてある饅頭を食べようとしたり、なぜかおいてある骸骨に肩に手をかけられ震えるあたりのドタバタは今観てもおかしい。 往年のドリフターズのコントを観てるようだった。 彼らの元ネタはチャップリンやキートンやこういった戦前からある笑いなのだろうな。今ではこう行ったスタイルの笑いはテレビでは見かけなくなったようだが。 娘が死んだと思って坊主を呼んでお経を上げてもらってるところへ娘が現れ、坊主が木魚を叩く棒で隣に座ってる奥さんを叩くところとかもおかしい。 斎藤寅次郎喜劇のおもしろさを堪能した。 (このページのトップへ) るろうに剣心 京都大火編日時 2014年8月30日13:15〜 場所 新宿ピカデリー・シアター2 監督 大友啓史 明治の始め、江戸幕府から明治政府へと政権は変わったが、国内の混乱が全て収まったわけではない。この京都ではかつては新政府軍の刺客だったが政府軍に裏切られて殺されかけた志々雄(藤原竜也)が暗躍していた。政府は志々雄の先輩にあたる緋村剣心(佐藤健)に最後の手段として協力を求める。しかしそれを依頼した大久保利通は志々雄の率いる十本刀と呼ばれ特攻部隊の筆頭、瀬田宗次郎(神木隆之介)に殺される。 政府転覆を企む志々雄の野望を打ち砕くことを決意した剣心は志々雄と対決すべく京都へと向かう。 しかし途中の小田原で志々雄一派の襲撃にあう。 そして宗次郎との対決で、剣心は逆刃刀をまっぷたつに折られてしまう。 次の対決を楽しみにした宗次郎によって命はとりとめた剣心だったが、京都へ着いて自分の刀を作ってくれた刀鍛冶・新井赤空の元へ。しかし赤空は亡くなっていた。 だが赤空はもう1本逆刃刀を残していた。 それを奪いにきた十本刀の一人沢下条(三浦涼介)を倒し刀を手にすることが出来た。 志々雄が京都に大火を放つ計画と知り、剣心は警察の斉藤一(江口洋介)とともに志々雄を迎え討つ! 「るろうに剣心」の続編。今回は2部作連続公開なのでその前編に当たる。 江戸から明治へと時代が変わっていく境が舞台で、ちょんまげをしてる人は誰もいない。着物を着て刀を差していても極めて現代的なルックスなので、今風のイケメン佐藤健が演じていても違和感がない。 こういった続編ものを観るときのいつものことで、前作はさっぱり覚えていない。でも武井咲とか蒼井優は味方だったね、という程度の認識で観ていてもついていけた。 今回注目していたのはなんと行っても神木隆之介。 剣心と互角の達人として登場と聞いていたが、何しろ「桐島、部活やめるってよ」のイメージが私には染み着いているのでどうなるかと思ったが、見事な剣客ぶり! 人なつっこい笑顔をして向かってくる様は不思議な殺気がただよう。 しかも剣心との対決も吹き替えではなく、神木が演じているだろうからなかなかのものである。 「桐島」の前田映画部長のイメージで「神木って運動神経悪そう」というイメージがついていたが、完全に裏切られる。神木自身がこの役を熱望したそうだが、彼の俳優としてのキャリアの為にはこういう役を演じなければならない必要を強く感じたのだろうな、きっと。 また大久保利通の暗殺は史実に反して宗次郎が行ったことに。暗殺計画を利用してその直前に殺し、史実の暗殺団がやってきた時にはすでに死んでいたという設定。 そしてアクションに次ぐアクションでやや飽きるぐらいなのだが、サービス精神たっぷりと楽しんだ。 佐藤健は雰囲気があって実にいいですね。 志々雄の本格的な反逆が始まる「伝説の最期編」に期待しよう。 (このページのトップへ) 忍術千一夜日時 2014年8月30日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 大伴龍三 製作 昭和14年(1939年) 田舎から都に出て仕官して出世して一国一城の主になろうという算段で旅をする二人組(近衛十四郎、(多分)クモイ・サブロー)は忍術使いの虎の巻を拾った。 同じ頃、殿様の前で忍術を披露する仙人。しかし虎の巻を持っていないと忍術は使えないのだ。 拾った虎の巻を使って忍術を身につけた二人組。山賊もいとも簡単に撃退してしまう。旅館で酒を飲んでくつろいでいると、女が助けてほしいとやってくる。忍術を使って女をかくまう。城を追い出された仙人は旅館で二人組と出会って巻物を取り返す。しかし巻物はまた二人組の手に。 女とは別れたが、関所ではその女を捜していた。二人組は関所で「捕まえるものなら捕まえてみろ。牢屋も話のネタに入ってみたい」という態度で案の定、牢屋にぶち込まれる。しかし忍術を使って牢屋で酒と料理を楽しむ有様。 それが殿様に伝わって、殿様の前で忍術を披露する二人。 そんな時、隣国の殿様はこの国の殿様の姫を嫁にほしがっていた。嫌がる姫をついに誘拐する隣国の殿様。 戦にはしたくないので、忍術を使って姫を助け出してほしいと頼むのだが。 「戦前日本SF映画創世記」特集の一本。娯楽映画で知られた大都映画作品。トーキー。 忍術コメディの見本のような映画。主人公の二人組の近衛十四郎はイケメンだが、相方のクモイ・サブロー(多分)はめがねをかけ、蛍雪次朗のような三枚目。 お話の方は忍術を使って相手の城に忍びこみ姫を助け出す。例の旅の途中で助けた女は悪い殿様のスパイだった訳だが、最後は主人公の味方になるという展開。 忍術の方だが、いったん姿を消して別の場所に現れるとか、忍術を唱えると次々とものが出てくるとかそういう単純なものが多い。 しかし川の水を合成し、忍術を唱えると画面の下半分が川になって全て流されるといったカットもある。 またクモイ・サブローが悪い殿様の元へ行ったとき、首を切られて首なしの体と首だけが宙に浮いているという合成というか二重露出のカットあり。 最後は近衛十四郎は助けたお姫様と結ばれ、クモイ・サブローは例のスパイの女と結ばれ、巻物は仙人に返し彼は弟子とともに「もう下界はこりごり」と言って帰っていく。 忍術が楽しいコメディ映画でした。 (このページのトップへ) イントゥ・ザ・ストーム日時 2014年8月29日19:40〜 場所 新宿ピカデリー・シアター3 監督 スティーヴン・クエイル アメリカ中西部の町、シルバーストーン。 この町は天候が悪化することが予想され、高校の教頭ゲイリー(リチャード・アーミティッジ)は今日の卒業式が無事に行えるかが心配だった。彼の長男ドニーは自分と同じ高校の3年生で今年卒業、次男はトレイは2年生だったが、二人の息子とは妻との離婚から溝が出来ていた。 そんなとき、竜巻のドキュメンタリーを撮ろうとするピートを始めとするチームもこのシルバーストーンに向かっていた。彼らはどんな嵐にも飛ばされない特殊装甲車タイタスにカメラを乗せ、竜巻の中を撮ろうとしていた。 ドニーはビデオ部で、卒業生や地元の人々に「25年後の自分にメッセージを」というテーマでインタビューをしている。そんな時、自分が想いを寄せるケイトリンが提出課題のことで困っているのを知り、彼女を助けることに。 環境問題についての論文だったが、添付の動画がうまく行かず認められなかったのだ。今日中に問題の廃工場の動画を撮れば何とかなるので、ドニーは卒業式を抜けて彼女と廃工場へ。 一方、おバカ動画をYOUTUBEにあげることを楽しみにしている二人組も竜巻が近づいていることを知る。 そんな頃、竜巻の前兆である雹(ヒョウ)が振り出した。 最近アメリカでその災害が伝えられる竜巻を題材にしたデザスター映画。「日本沈没」以降、この手の災害映画は好きなのだ。 この映画、データとしては89分の上映時間だが、クレジットが5分くらいあるので、実質84分ぐらいしかない。 ハリウッド映画としては実に短い。 それは竜巻という素材そのものにもあるのかも知れない。 竜巻は急に発生し、数分で破壊し去っていく。 だからあっと言う間に始まってあっと言う間に終わるようなもの。だからドラマとしては非常に作りにくかろう。 それで今回は複数の竜巻が次々と発生するという設定。 また登場人物が竜巻に遭遇しなければならないので、「竜巻ハンター」的な竜巻の映像を撮ろうとするチーム登場。 このチームが乗っている特殊車、タイタスがSFメカとしてなかなかのもの。攻撃的武器はないが(当たり前だ)、何かが飛んできても割れない防弾ガラス、そして両脇からアームが出てその先から杭が飛び出し車体を地面に固定できる。またワイヤーも搭載し、車体をどこかに結びつけることも可能。さらに天井の風防は360度回転可能で自由な向きで撮影可能。 まさに全天候型の撮影車両だ。「世界が燃えつきる日」に登場したランドマスター号なみのマニアックさ。 この映画の演出の特徴は各種のカメラが撮影した映像を編集した体裁をとっていることだろう。 タイタスのチームが撮影したもの、ドニーやトレイが撮影したもの、YOUTUBEバカ二人組が撮影したもの、学校の防犯カメラの記録映像、などなど。 もちろん全てではないが、こういった疑似ドキュメンタリー的な映像が中心だ。「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」や「クローバー・フィールド」以降の最近の流行。 でも特に効果的だとも思わない。ただ特徴というだけ。 「YOUTUBEにおバカ動画をアップするのが生き甲斐」という二人が登場人物なのが、「ああ現代なのかなあ」という気になった。 竜巻、また竜巻発生。そして車は吹っ飛ぶ、屋根も吹っ飛ぶ、ビルは倒壊するという破壊画像の連続。この辺は観ていて全く飽きません。迫力満点で満足だ。 特にラストでタイタスもついに竜巻に巻き上げられ、宙に浮いていく。そこでピートが観た風景の美しさよ! このシーンは記憶に残りますね。 でも映画としてはドラマがないので、心には残らない。 もっとも一瞬で終わってしまう竜巻ではドラマも作りにくかろう。 一応高校教頭とその息子のすれ違い、タイタスチームの気象学者が仕事のために分かれて暮らしている、などの親子の溝がドラマの骨格。「GODZILLA」もそうだったが、アメリカ映画はこういうのが多いなあ。両親が離婚している、という設定が多いが、やっぱりアメリカではそんなに離婚は多いのか? その辺のドラマは割とありきたりなので、特には印象には残らない。 でもラストシーンで瓦礫の山の映像に大統領の演説らしい「確かに今日は悲劇だ。しかし我々はこの悲劇も乗り越えていく強さを持っている」的な言葉がかぶる。 そしてドニーはまたインタビューをしている。 そこでも「俺も君も頑張った!」的なせりふも出てくる。 また死んだと思われた例のYOUTUBEバカ二人組も生きていたというオチがつく。 楽天的である。 これが日本だと瓦礫の山を前にして「大自然の猛威の前には我々は無力だ・・・」という悲壮感が漂う。 どちらがいいとか悪いとかではない。 国民性の違いを感じた。 あとせっかくだから前半で竜巻の起こるメカニズムを説明してほしかったな。「日本沈没」で竹内均さんが説明してくれたように。 (このページのトップへ) タクシードライバー日時 2014年8月25日19:50〜 場所 新橋文化劇場 監督 マーティン・スコセッシ 製作 1976年(昭和51年) 元海兵隊員のトラビス(ロバート・デ・ニーロ)は不眠症に悩まされ、タクシードライバーとなった。危険な場所も夜勤も構わない。 友達もなく、非番の日や仕事帰りにはポルノ映画館で時間をつぶす日々だ。 ある日、大統領候補の選挙事務所で働く女性・ベッツィを見かけて一目惚れする。強引に誘ってデートにこぎ着けたが、ついポルノ映画館に行ってしまい、彼女の機嫌を損ねてしまう。 そんな頃、まだ少女の娼婦(ジョディ・フォスター)を見かける。あんなまだ少女なのに? やがてトラビスは、この汚いニューヨークをきれいにしたいという衝動にかられる。 闇で売っている拳銃を買い、体のトレーニングをしていく。 「タクシードライバー」。 1976年にカンヌでグランプリを獲得、ちょうど映画を観始めだった頃で、よく記憶している。 封切りの頃(ロードショーではなく、2番館だったともうが)に数回観て以来、38年ぶりの鑑賞だ。 新橋文化劇場がこの8月末を以て閉館。その最後の番組である。去年、ブルーレイも購入したし、再鑑賞の機会はいくらでもあったのだが、そのまま放置。 場末感満載の新橋文化劇場なら、この映画を観るのにはふさわしいと思い駆けつけた次第。 (同時上映「デス・プルーフinグラインドハウス」(監督:クエンティン・タランティーノ)は観なかった。) 普段映画を観ているとき、感想文をどう書こうかを頭の隅で考えている。しかしこの映画は言葉にはならない。 ポスターに書いてある文章は 「ダウンタウンのざわめき・・・街の女 光のかくてる・・・濡れたアスファルト けだるいジャズの吐息・・・ ニューヨークの夜が、ひそやかな何かをはらんで いま、明けてゆく・・・」 なのだが、なんだか違う。文章で表現出来る映画ではない。 音楽バーナード・ハーマン、撮影マイケル・チャップマンの音楽と映像の魅力に酔ってしまうのだ。 汚いニューヨークの街だ。美しくはない。でもこの映画に登場するニューヨークはその汚ささえも魅力に見えてしまう。 そしてサックスのテーマ曲がかかれば、もう何もいらないという気になってしまう。 面白い、とはちょっと違う、映画ならではの魅力なのだ。 ハラハラするストーリー展開や意外なラスト、迫力あるスペクタクルもない。 しかし目は画面に釘付けである。こういう経験はそうそうない。 トラビスについての人物説明もない。今ならコミュニティ障害と言われそうな、人付き合いがうまくない。彼は日記をつけているが、あれは今ならブログやツイッターか。 友人も恋人もいないので、ポルノ映画館の売店の女の子に声をかけるが、嫌がられてしまう。 ベッツィとのデートでポルノ映画館に行ってしまう。 ポルノ映画館に行ってしまうから彼が非常に変な人間にも見えるが、あれって今で言うならオタク青年が初めてのデートで中野ブロードウエイに買い物に誘った感覚なのではないだろうか? そんなトラビスになんだか共感を感じる。多くの人にこの映画が人気があるということは自分の中に「トラビス」を見いだす人が多いのだろうか? そして選挙の大統領候補もポン引きもみんな汚い。 彼は浄化しようと大統領候狙撃を計画したり(こちらは失敗)、ポン引きから13歳の娼婦・アイリスを救ったりする。 やはり映画の観始めに観た映画は今観る映画とは違うようで、かなりの部分を覚えていた。 しかし全く覚えていなかった箇所があった。 それはラスト、ポン引きを殺して(いくらポン引きでもトラビスは殺人罪にならなかったのか?)、その後の仕事復帰、最後にタクシーに乗るのがベッツィだったのだ。 38年前の私は恋愛経験もなく、ベッツィとの再会に感じるところがなかったようだ。でも今はこのシーンの良さがわかる。 「おいくら?」と聞かれて金を受け取らず走り去るトラビス。 ハードボイルドだねえ。 ロバート・デ・ニーロのトレーニングシーン、拳銃の改造や飛び出し装置作り、鏡の前でのイメージトレーニング、印象に残っているシーンはたくさんある。 それらすべてに言えるのは、頭で考えるシーンではなく、心で感じるシーンなのだ。 だからこそ深く心に刻みつけられる。 言っちゃ悪いがマーティン・スコセッシは映画監督としての才能の一生分をこの映画で使ってしまったのではないか?いや一生分使っても「タクシードライバー」を作れない監督の方が多いのだから、偉大な監督であることには間違いない。 38年に経っても私にとっては色褪せない映画だった。 そのことを改めて知ることが出来、よかった。 (このページのトップへ) 河童大合戦日時 2014年8月24日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 米沢正夫 製作 昭和14年(1939年) 「戦前日本SF映画創世記」特集の1本。極東シネマ作品。トーキー。映画自体は5分の断片しか残っていない。 ヒーローに味方する河童がいて、一方で悪い奴がお姫様をさらう。 悪い奴はヒーローには味方してくれる河童がいて、そのおかげで苦戦する。悪い奴は別の妖怪の力を借りてヒーローを倒そうとする、と計画した頃で次の巻のクレジットが出てフィルムはおしまい。 おそらくは妖怪同士の対決があってヒーローが悪漢を倒しお姫様が救出される後半が期待できるのだが、それはなし。 何とも残念である。 同時上映は「怪電波の戦慄 第二篇 透明人間篇」。こちらは以前シネパトスで鑑賞。 (このページのトップへ) 弥次喜多 岡崎猫退治日時 2014年8月24日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 吉村操 製作 昭和12年(1937年) おなじみの弥次喜多、三河の国岡崎までやってきた。 道に座って休んでいると隣に座った地元の人の噂話を耳にする。曰く「化け猫に困っており庄屋の娘を生け贄にすることになったが、親としては避けたい。化け猫を退治してくれたら10万両だすってよ」 それを聞いた弥次喜多の二人、庄屋に掛け合って「あっしたちが退治してきやす」 早速二人は化け猫の出る場所に行ったのだが。 14分の短編映画。ラピュタの解説にも「添え物の短編らしい」と書いてあるから、欠落はたぶんないのだろう。サイレントだがせりふ字幕は出るので話は分かる。 ただしシリーズものの「岡崎篇」であったのではないかと推察される。「熱海篇」とか「小田原篇」とかいくらでも出来そうで、この「岡崎篇」だけ作ったようには見えないから。 で、化け猫の場所に行くと弥次喜多の(太った方とやせた方がいる)やせた方が化け猫のかぶりものをして太った方を脅かす。 その後本物の化け猫登場。 この化け猫も完全な着ぐるみ。喜劇の舞台を観てるようだ。 この化け猫と対決してついに弥次喜多によって化け猫は一巻の終わり。懐から巻物を出して「皮は残してほしい」と遺言する。 そして弥次喜多は凱旋し、その化け猫の皮で作った長さ5mぐらいある巨大三味線を披露。 庄屋の娘(といっても今でいうならマツコ・デラックスみたいなデブ女。芸名も大山デブ子らしい)と結婚使用とする弥次喜多だが、ここで夢から覚める、という夢オチ。 気楽に楽しめる作品だった。 同時上映は「怪電波の戦慄 第二篇 透明人間篇」。こちらは以前シネパトスで鑑賞。 (このページのトップへ) 奴隷調教 ドラゴンファクトリーの男たち日時 2014年8月23日19:40〜 場所 光音座1 監督 浜野佐知 製作 ENKプロモーション ドラゴンファクトリー、それはドラゴンマスターと呼ばれる男(山本竜一)が主宰するホモSMの奴隷を調教する場所だ。マスターと師範代と呼ばれる男の二人で男たちをM奴隷として日夜調教している。 今は二人の奴隷を調教中だったが、そこへスポンサーからナチュラルという名前の青年(石井基正)が送り込まれてきた。 このナチュラルという青年、調教しても何か手応えのない、不思議な青年だった。マスターもその存在に心を奪われ始める。 そんな時、調教されている青年の一人(樹かず)がナチュラルに癒しを求めてきた。体を重ねる二人。 しかしドラゴンファクトリーでは調教生同士の肉体的交流は禁じていた。その事を折檻するマスターと師範代。 だが師範代はマスターを愛しており、マスターの気持ちがナチュラルに傾くのが許せなかった。 脚本:山崎邦紀、監督:浜野佐知の旦々舎作品。 基本、ドラゴンファクトリーだけで話が進むので(ドラゴンファクトリーはプール付きの一軒家)撮影は移動が少なくて楽そうである。もっとも調教部屋と調教生の寝室とか別の場所で撮影されてるのかも知れないけど。 かなりの時間がSM調教シーンなので、ストーリーは余りない。ナチュラルは実は山本竜一の子供だった!というオチがつくかと思ったらそういう訳ではない。 結局師範代の方がマスターの気持ちがナチュラルに移ったことを察し、実はマスターを愛している師範代はマスターを捨てることに。 スポンサーから前々から「調教生をライセンス制にしてどんどん増やせ」という指示が来ており「そんな運転免許みたいなことが出来るか!」とマスターは無視していたのだが、師範代の方がその路線に乗り、マスターは追い出される。 マスターはナチュラルを連れてこのドラゴンファクトリーを出ることに。そこへナチュラルと関係を持った方の青年もついてきて3人で旅に出てFIN。 (浜野作品はそういえばENDではなく、FINと表示されることが多い気がする) 樹かずはこの映画がデビュー作品だそうです。 ヘアのアップが多いところなど、浜野作品らしいな、と思った。 (このページのトップへ) お嫁においで日時 2014年8月23日15:30〜 場所 神保町シアター 監督 本多猪四郎 製作 昭和41年(1966年) 露木昌子(沢井桂子)はパラダイスホテルのレストランのウエイトレス。ある朝、出勤途中でエンストしているスポーツカーの後ろを押して助けた。そのスポーツカーを運転していたのは須山造船の若きヨット部長、須山保(加山雄三)だった。須山は昌子の飾らない人柄に一目惚れ。 その夜、ホテルのレストランで誕生日パーティをしたグループがあった。出席者の一人が偶然にも須山だった。再会した須山だが、どうにも昌子との中は進展できない。 昌子には幼なじみの野呂道夫(田村亮)がいたが、その兄野呂高生が「これを弟に届けてやって」とちょくちょく訪ねてくるようになった。 なかなか昌子との仲が進展しない兄を見て妹の葉子(内藤洋子)は今度の日曜日に昌子が父の墓参りに行くと知る。 タクシー運転手をしている高生に邪魔させないために、友達と野呂のタクシーを使って熱海まで行くことを思いつくのだが。 8月23日には加山雄三武道館公演が行われ、77歳での公演で武道館公演最高年齢記録を作ったとか。そんな加山を記念しての加山雄三特集の1本。私は加山が目当てというより本多猪四郎非特撮作品として鑑賞。 途中から観ていてどうにも居心地の悪さを感じた。 貧富の格差ということが出てくるのだ。結論から先に言うとこの映画、松山善三の文芸(あるいは社会派)作品の脚本を無理矢理加山雄三映画に持ってきてしまったまとまりの悪さを感じる。 第一、主役はその通勤姿から始まる昌子の方なのだ。 満員電車にもまれながら通勤していく昌子。そこへ車がエンコして困っている須山と出会う。妹の洋子がハンドルを握り、車を押している須山と一緒に「エンヤコーラ」と言って車を押す昌子。そんな飾らない人柄に惚れる。 昌子は高級ホテルのレストランの女給(今で言うウエイトレス)。従って日々高級料理を食べる人を目の前にしている。自分の給料とつい比較してしまう昌子。(自分の月給は18000円という。今とは10倍以上の違いか) そんな境遇をつい母にグチる。母(千石規子)は言う。「そんなに思いつめないでくれよ。思い詰めるとライフルを撃ったりするから」 従って須山は「金持ち側の人間」となるが、加山の持つさわやかさと「そんな金持ちにもいい人はいる」の代表として登場。 でもやっぱり金持ちで、初めてのデートで自分のヨットに乗せ、「ヨットを持つような金持ちは好きになれない」的なことをいうと「僕はヨットを作る方で作らせる方じゃありませんよ」と反論。 しかしレストランで「こんな料理食べた事がありません」という趣旨のことを言うとやはり金持ちではないそのレストランのウエイター(加藤春哉)が昌子と一緒になって金持ちに批判的なことを言う。 須山はその店でエビを食べ、「うっ、これは冷凍だな。うまくない」「いやおいしいわ」と笑いながらの言い合いをする。 このあたりで「金持ちとそれ以外の差」を言ってるように感じてしまう。 やがて昌子は須山に靴やハンドバッグを買ってもらうようになり、金のある幸せを味わうようになる。 道夫に「金のある幸せ」を話し、そんな自分を「堕落しちゃったかしら?」と自嘲する。 須山の方は親が大反対、須山は家を飛び出す。須山の祖父(笠智衆)がこの会社の会長なのだが、「会長は私を自分の孫だからヨット部長にしたのですか?」「いやそんな事はない。お前にはその能力があるからだ」と言うシーンがあるが、能力もあるだろうけど孫ってことも大きいに決まってるよ、絶対。 それだけでなく須山の母親はホテルに乗り込んで「息子を誘惑した」とクレームをつける。昌子の同僚たち(この同僚の中に小林夕岐子やひし美ゆり子がいたようだ。発見は出来なかったが)は首切り反対運動をしてくれたが、支配人も雇われの身、責めるのも筋違いと思い、またそんなことで首にしようとするホテルがいやになって昌子は自分からやめることに。 ホテルを辞めさせられると知った須山はホテルに駆けつける。ホテルの前で出会った二人はそのまま今まで昌子が働いていたレストランに入る。 そこで昌子ははっきりと同じく自分を好いてくれる高生と結婚することにすると告げる。 「あなたのエンヤコーラに惚れたんですよ。もう一回聞かせてください」と言ってレストランで「エンヤコーラ!」と大声で叫んで笑う。 加山雄三が振られるというのも意外だったし、話の根底に「金持ちと庶民では所詮は住む世界が違う」という大島渚の「愛と希望の街」のような格差社会に対する憤りを感じる。 僕の持ってる若大将に代表される加山雄三映画のイメージとはかけ離れたものであり、予定調和的な「加山がヒロインと結ばれるハッピーエンド」を予想(期待)していた私には大いに裏切られる映画だった。 だから「この映画は本来加山映画でなかった脚本(企画)を無理矢理に加山映画にしたのではないか?」と思うわけです。確かめるすべは今のところないですが。 あと前半にある誕生日パーティのシーン、誕生日を祝ってもらえるのがこのホテルの社長の息子でそれが内田裕也、同じテーブルにいる友人に古谷敏がいた。なんとも言えない組み合わせだ。 見逃さなくてよかった。 (このページのトップへ) 渋川伴五郎日時 2014年8月23日10:45〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 築山光吉 製作 大正11年(1922年) 「戦前日本SF映画創世記」特集の一本。 同時上映の「豪傑児雷也」と同じく台詞字幕なし。「五郎正宗孝子伝」は36分だったけど、これは65分ある。つらい。 お話の方はよく解らず、主人公の尾上松之助が縁日で行われている(?)相撲興行に飛び入りしたりするエピソードから始まる。 相撲の勝ち負けに不満を持った客が土俵に飛び込んできて、それを松之助が追い出すというような話。 でその次に殿様の依頼で山にすむ怪物の蜘蛛を退治する。 この蜘蛛、「ウルトラQ」に出てきたタランチュラの大きさの時もあれば、ばあさんに化けて松之助を油断させようとする。そうすると一挙に巨大雲に変身して、という展開。 で、またまた煙が出ると次に歌舞伎のようなメイクになって、ぱっと手から蜘蛛の糸が出てくる歌舞伎で使う仕掛けを使って攻撃する。これが蜘蛛の糸攻撃となって松之助が身動きができにくくなり苦戦する、という展開。 またまた発想の飛躍だと思うが、モスラの「繭の糸攻撃」連想させ、「そうかモスラのルーツはここにあったか」と勝手に妄想な解釈をした。 最後には旅の茶店で休んでいると、財布を無くしたという奴がやってきて、松之助の足下にあった見つける。 「よかったですね」などと会話をしていると、そいつが「や、お金が足りない。貴様が盗んだな」と松之助に絡みだす。実はその男がそもそも松之助の足下に財布を置いたのだが。 それで関所につれていかれ逮捕され、牢屋に入れられた松之助だが、仲間が助けてくれて川に飛び込み流されたところを若い娘に助けてもらう。 そこで運命の再会があって・・・という展開らしいのだが、その後はよく解らないまま終わった。 2本とも怪獣映画の原点を(勝手に)観たような気がした。 (このページのトップへ) 豪傑児雷也日時 2014年8月23日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 牧野省三 製作 大正10年(1921年) 「戦前日本SF映画創世記」の特集上映。 牧野省三作品だ。 主演は尾上松之助。マツダ映画社所蔵作品の14分の断片。 この映画、この特集の初日に観た「五郎正宗孝子伝」と同じく台詞字幕がない。 よく知らないのだが、大正期のサイレント映画ってみんなそうなのか?調べてみなくては。 忍術映画で主人公(尾上松之助)が敵とチャンバラする時にガマに変身したり、雲に乗って空を飛ぶ。ここは合成というより二重露光によるものらしい。 ガマも人間が着ぐるみを着た大きさのものだったり、もう一回り大きく、ガマがかぱっと開けた口に敵を飲み込んでしまったりする大型のものも登場する。 怪獣映画を最初に作ったとき、着ぐるみを使おうという発想は、ひょっとしたらこういった忍術映画でガマの着ぐるみを使っていた流れから来てるのかな?と思ったりした。 (このページのトップへ) バトル・オブ・バミューダトライアングル日時 2014年8月22日21:15〜 場所 新宿シネマ・カリテ2 監督 ニック・ライオン 大統領専用機がバミューダトライアングル上空で突然の雷雨に見舞われた。エンジンに雷が直撃し、専用機は墜落を避けられない。大統領は一人脱出ポットに乗せられ脱出する。その直後、専用機は爆発した。 翌朝、大統領救出のため米艦隊が出動。 オリバー兵曹長たちの特殊部隊も編入した。そのとき、バミューダの海中から正体不明の触手が現れ、艦隊の各艦を包囲。オリバーの活躍によって一度は触手を撃退。 専門家の分析により地球外生命体と判断された。しかし大統領はこの海域の海中深くにいる。 まだ試作機が出来たばかりの潜水艦で救助に向かうことになった! B級SF、というかパニックというかそういうジャンルの映画を中心に作り、日本では(いやアメリカでもかな)ビデオ専門会社アサイラムの特集上映。日本初公開の作品を含む8本の日替わりレイトショー上映だ。何本か興味がわいた映画があったが、本日の最終日だけ来た次第だ。 正直低予算映画と聞いていたが、そんなにしょぼくはない。低予算の映画と聞いて河崎実並みかと思っていたが、ぜんぜんレベルが違う。もちろんハリウッドの一級映画としてシネコンで夏冬の大作として公開される映画に比べればしょぼいけど。 そのしょぼさというのはCGである。 冒頭の大統領専用機の爆破、そして例の海から来た触手がCG感ありあり。でも軍艦も実際の船を使っているし、役者の数も多く、見劣りはない。 しかもお話の基本は悪くない。 映画の方はこの後新造潜水艦で大統領救出に向かう。 でも疲れもあって、寝た。何か海底にあった洞窟に入っていって・・・という展開になる。うつらうつらしていて、はっきり目が覚めたら大統領は救出され、米艦隊司令(書き忘れたけど女性)と敵宇宙船攻撃について相談している。 敵宇宙船はついに姿を現し、巨大艦として空中に君臨している。謎の光線を浴びせられれば艦は一発で消滅していく。 「本土攻撃の前に今この艦隊で攻撃するべきだ」となり、大統領は核攻撃を主張する。すると横にいた博士(この人はどういう立場でいるのかよく分からなかったが)が「ここで核爆弾を使ったら沿岸の数万人の人々が被害にあう」とし、兵曹長たちがヘリコプターで内部に進入し、敵のエネルギー源を攻撃するプランとなる。失敗は許されない。 しかしアメリカ人は核攻撃が好きである。 核攻撃すれば何とかなると思っているのだな。 敵艦は1回光線を発射すれば、エネルギー充填のため2分間は攻撃が出来ない。この間に攻撃だ!となり、次の攻撃をしてからこちらが攻撃をしようということになる。 しかしオリバーは「次の1発で沿岸地域の住民が数万人亡くなるじゃないか!」と主張。大統領や艦隊司令は「しかし今攻撃して失敗すれば、何十億という地球の人々が危険になる。小さな犠牲はやむを得ない」となる。 それでも命令を無視して敵に突っ込んで沿岸も地球も全部救うのかと思ったら、苦渋の表情をしながらもオリバーは命令に従う。 ああ、そうですか、実に残念。映画なんだからここは全部救って欲しかったなあ。 実は司令とオリバーの間には以前味方機の救出作戦行った時に、味方機を見捨てる命令をしたのだが、オリバーは突っ込んだため、かえって被害が大きくなったいきさつあり。 「同じ間違いはするな!」という伏線があったわけだが、まああまり深読みしないほうがいいか。 でもこういうところに作者の本音がでるような気もする。 結局沿岸地域の住民数万人は犠牲になったものの、宇宙船は無事爆破して地球は助かりましたけどね。 (このページのトップへ) われら自身のもの日時 2014年8月17日〜 場所 VHS 監督 サミュエル・ミラー 製作 1950年(昭和25年) マコーレー家は両親にゲイル(アン・ブライス)、ジョーン(ジョーン・エヴァンス)、ペニー(三女)(ナタリー・ウッド)の三姉妹の五人家族。長女ゲイルは今年高校卒業でまもなく18歳。チャック(ファーリー・グレンジャー)というテレビの取り付けの仕事をしている好青年の恋人もいて、父(ドナルド・クック)母(ジェーン・ワイアット)もチャックのことを気に入っている。 今日昼間、マコーレー家にはテレビがやってきて、三女のペニーは大はしゃぎだ。 しかしゲイルには気になっていることがあった。ジョーンがやたらとチャックに色目を使うような行動をするのだ。 ジョーンはゲイルとチャックが二人きりでいるところを邪魔するような振る舞いをしたり、何かにつけてはチャックにボディタッチをするようなことをするのだ。 ジェーンは夏休みのバイトのため年齢確認が必要になり、母が持ってるはずの出生証明書を見せて欲しいと言ってきた。今夜のゲイルの誕生日パーティで忙しい母はつい「引き出し箱の中よ」とジェーンに開けさせてしまう。 その箱をあけてみて驚くジェーン。自分の出生届のほかにゲイルの養女に関しての書類があったのだ。 ゲイルは実の娘ではないのだ。 ある映画監督と話しているときに青春時代の思い出の映画としてこの「われら自身のもの」をあげていて、どうしてもその映画が見たくなり、ネットで検索したところVHSが中古で売られてるのを発見し、早速取り寄せて観てみた次第。 まるで聞いたことのない映画だったので 不安だったがこれが面白かった。 ジョーンのチャックに対する態度はかなり挑発的だ。 姉の肩の出たドレスを勝手に着て、それでチャックの前に姿を現す。誕生日のパーティではチャックとダンスを踊り、チャックのカフスボタンがジェーンの肩かけに引っかかって取れなくなると、その肩掛けを取って「こうした方が簡単よ!」と言う。 ロマンポルノやピンク映画なら姉妹で一人の男を争って、チャックは妹とも寝てしまうところだが、そうはならないと分かっていても妹のちょっかいはかなり露骨でドキドキする。ここで緊張感があふれる。 そして妹は姉の誕生日パーティの席でチャックに手を出し、姉はついに切れて説教しようとするが逆ギレした妹は「あなたは養女なの」と口走ってしまう。 ショックを受けるゲイル。 翌日事情を聞くゲイル。両親はなかなか子供が出来ずに養女をもらったのだが、その後子供が結果的に出来たのだという。今まで言わなかったのはゲイルが実の子供と同じような気分だったので、言う機会がなかったのだと。 実の母に会ってみたいというゲイル。仲介してくれた弁護士を通じて実の母に会うゲイルの母。 彼女は「子供には会いたいが、今の夫は子供のことは知らないので知られないようにして欲しい」と言う。 今の夫は水曜日にはいつも仲間とボーリングに出かけるので大丈夫と水曜の夜に会うことに。 しかしゲイルが訪ねる日に限って夫は仲間を家に呼んでポーカーを楽しむことに。 今夜は着てもらってはまずいので、ゲイルの実の母はマコーレー家に電話するが、すでにゲイルは出てしまった後で連絡つかず。 このシーンもハラハラさせれる。 結局実の母ともゆっくり話せずに気まずい空気の中対面は終わってしまう。 ゲイルは自分の居場所がなくなった気がして落ち込んでしまう。 でも深夜に帰宅し父に叱られ、恋人にも励まされて家族の大切さを改めて実感する。 卒業式のスピーチでは「家族の結びつきは当たり前ではない。奇跡なのだ」と家族の結びつきの偉大さを話す。 という当たり前と言えば当たり前なのだが、でもその当たり前を当たり前と思ってはいけないという映画。 緊張感のあるシーンの連続で、サスペンス映画ではないのになぜか緊張感にあふれる。 面白かった。 なお原題は「OUR VERY OWN」。 「われら自身のもの」というタイトルだと若者が「人生は親のものじゃない!僕たちのものだ!」と親からの独立を描くような映画のように思われるがそうではない。 実の母とゲイルの母が会話するシーンで、「ゲイルの下に二人子供がいます」「その二人も養子?」「いいえ私の実の子です」 という会話がある。 ここで「実の子」というところで「VERY OWN」と聞こえたから、ここは「私たちの実の子」という意味なのだろう。 「そして父になる」にも通じる「親子の絆とは?」を問いかける良作だろう。 (このページのトップへ) 権三助十 天狗退治日時 2014年8月17日〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 山口哲平 製作 昭和13年(1938年) 駕籠かきの権三と助十、東海道を旅するが腹が減ったが金はない。そこで旅芝居の手伝いをする事になるが、舞台で役者として出るが失敗、しかし逆にそれが客席に受ける。 だが御用となってしまって・・・・ 「忍術 戸隠八剣士」と同じく極東映画作品。 権三と助十は講談ネタとしておなじみだそうだ。 今回の上映では25分。「八剣士」と同じくらいの上映時間だったことは想像に難くないのでたぶん半分しか残ってないのだろう。 こちらは「戦前日本SF映画創世記」では取り上げられておらず、今回の上映は「B級娯楽映画を量産した極東映画」を知ってもらいたいという「〜創世記」著者高槻さんの思いでセレクトされた作品らしい。 特に忍術とかの特撮シーンはないが、先の駕籠かきの二人が舞台に出てトンチンカンな芝居をするシーンは面白い。 結局金持ちの娘を助けたりして、最後に二人は百両づつ手にする。 それで街道の駕籠かきに「次の宿場まで一両で行け!」と命じるが、「ええい!街道の駕籠かきはまどろっこしい。これが江戸の駕籠かきだ!」と駕籠を奪って駕籠かきを乗せて権三と助十は走り出す。そしてその駕籠かきからは「あいつ等バカか?」と言われるというオチでした。 そうそう、「八剣士」もそうだったが、台詞字幕がいつも同じ書体ではなく、大声の時や強調したいときに文字が斜めになったり大きくなったり書体が変わったりする。 文字を変えて台詞や効果音を強調するというのは戦後のギャグマンガから始まったのかと思っていたが、すでにこのころからあったのですね。 なお「八剣士」では弁士は一人でしたが、この映画では弁士は二人で行い、二人の会話の時には二人が話す。また扉の閉まる音などは効果音として後で入れており、その辺でも「八剣士」より進歩してましたね。 (このページのトップへ) 忍術 戸隠八剣士日時 2014年8月17日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 山口哲平 製作 昭和12年(1937年) 将軍家光の時代。山形藩主、最上出羽守は家臣・福島正則と共に謀反を企てていた。 それを知った幕府側は長野の戸隠の仙人の元に使いを出す。しかし仙人はもう使いの内容を知っていてすでに返事を出し、自分の弟子がもう江戸に着く頃だという。 その弟子と7人の剣士が一緒になり、戸隠八剣士として最上たちの成敗に出る! 「戦前日本SF映画創世記」の特集上映としての1本。 本の中で「いわゆるB級娯楽映画を中心に作っていた」という極東映画製作の忍術映画。 あるカットでカメラを途中で止めて俳優がいなくなって再びカメラを回すと消えたように見えるアレです。それを全面的に使った忍術映画です。 やたらテンポは早く観るものを飽きさせない。もっともこれは元は18コマ映写を24コマで上映し58分の上映時間にしてるせいもあるかも知れない。 一応トーキーだが、サイレント映画のように台詞字幕が出て、音楽もかかり、弁士が話している音声がつく。要するに弁士の声を録音した状態だ。 (本日上映後に「〜創世記」の著者・高槻真樹さんのトークイベントがあり、その後に少し聞いてみた。昭和13年頃はトーキー完備の映画館とそうでない映画館があり、どちらでも上映できるようにこういう形での完成となったらしい。設備のない映画館は従来の弁士がつく形式で、設備のある映画館は今日観た形と同じという訳だ) 映画の方は八剣士の一人の結婚を誓った相手が今はいろいろあって遊女になっていて、彼女のことを福島が見初めて「妾になれ」という。でも誓った相手がいるのでいやがったが、「スパイになってくれ」と頼まれて福島の元に行くという展開。 で、八剣士が山形に向かう途中で江戸で一騒ぎがあると仙人から手紙がやってきて(道に煙が出てそこに手紙がある、という感じ。今のメールですね)、忍を切ると江戸に到着というテレポーテーション(!)まで使う。 八剣士に一人じいさんがいて、この人がコメディリリーフ。関所を越えようとしたとき「私は弁慶だ」とか言って歌舞伎「勧進帳」のパロディをやって関所越えをしたら追いかけられて、敵を剣士が倒すのだが、このじいさんは鶏に化けていて敵を倒した後主人公が「あっ忘れていた!」と人間に戻す。(書き忘れたがじいさんだけ忍術が使えない) 他にも出羽守の家臣が道を歩いていると若い美人が二人話しかけ、神社の陰で「謀反なんてお止しなさいな」と止める。武士が鼻の下をのばしていると若い美人は実は剣士のじいさんともう一人の変身だったというオチが付く。 そして主人公たちが出羽守の子供を誘拐し、謀反をやめさせようとする。その誘拐シーンで、駕籠に子供は乗っているが、お供に術をかけ歩いていくうちにすうーっと消えていくというオーバーラップを使った特撮あり。 その他にもチャンバラになって川に逃げようとすると術をかけて(フィルム逆回転で)岸に戻ってきたり、縄が敵に巻き付いてやがて木に縛られるというカットもある(これも逆回転)。 最後の対決では例のスパイになっていた遊女が身分がばれて捕まった所でなぜか急に化け猫(?)になり、着ぐるみを着た猫になる。これがトンボを切ったりして強い強い。 術をかけて福島が出羽守を襲っていってしまい、敵は滅んでメデタシメデタシ。 笑いありアクションありの楽しい映画でした。 こういう娯楽映画をみんな楽しんでいたんだなあと改めて実感できる映画。 (このページのトップへ) 暁の脱走日時 2014年8月13日11:30〜 場所 新文芸座 監督 谷口千吉 製作 昭和24年(1949年) 昭和20年8月、敗戦間近の北支戦線。 ある部隊が陣地の町に帰還する。その部隊と共に先日の夜襲で行方不明になった三上(池部良)と慰問団の歌手・春美(山口淑子)が帰ってきた。三上は捕虜になったのに自決しなかった罪を問われ軍法会議にかけられることになった。中隊長の取り調べに対し、三上は春美と捕虜になったいきさつを話す。 春美たちは軍の歌手の慰問団として中国各地を転々とし、この町にもやってきた。そこで中隊副官の成田中尉(小沢栄太郎:小沢栄名義)に春美は目を付けられる。 他の町に移動しようとした慰問団だが、道が敵に爆破され移動が不可能になった。その敵に襲われたときに軽機関銃手だったのが三上だ。三上に一目惚れする春美。 しかし宿に帰ると成田が春美を口説こうとする。そんな時、成田の当番兵でもある三上が救ってくれた。 春美の三上への気持ちは高まっていく。 「暁の脱走」は反戦映画として有名でタイトルはよく聞いていたが、観るのは今回初めて。新文芸座の8月の社会派戦争映画特集で「独立機関銃隊未だ射撃中」との2本立て上映で観た。 小沢栄太郎の悪徳将校が春美を権力に任せてモノにしようとする。この小沢栄太郎の悪辣ぶりは後年の山本薩夫映画で見せた「権力を笠に着た最低な人間」ぶりと変わらず、お得意の役所だ。もう小沢栄太郎が出てきて主人公をいたぶるだけでも私には楽しめる。 やがて敵の夜襲があり、三上も戦闘に出るが怪我をして身動き出来なくなってしまう。戦闘中にも関わらず心配になって駆けつけた春美と共に気を失っている間に捕虜になってしまう。 日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」と捕虜になることを徹底的に禁じていたので、三上も捕虜になっても軍に戻ることを望む。帰れば軍法会議で死刑になるかもしれないのに。 で、敵からは解放され冒頭の帰還につながる。 春美と行動を共にしていた三上は春美とそもそも知り合った所から説明を中隊長から求められる。 成田中尉が春美に乱暴したことまで明らかになると中隊の沽券に関わるので、そのあたりは伏せられ本部に送られることに。 営倉に入れられた三上だが、仲間の兵隊は脱走させてくれる。しかしそれを知った成田は三上を機関銃で撃つ。 このラストシーンがよく観た砂漠のような荒野で機関銃で撃たれるシーンだ。 正直今観ると戦争映画としてはありきたりな反戦映画に見えてしまうのだが、昭和24年という戦争が終わって4年目では観客も当事者として観たのだと思う。 だから今の尺度でこの映画を評価してはいけないとは思うが、やっぱり反戦映画としてパターン的なものを感じてしまった。 出演者では柳谷寛が兵隊役で出ていたのが記憶に残る。 (このページのトップへ) リュウグウノツカイ日時 2014年8月12日20:30〜 場所 K's cinema 監督 ウエダ・アツシ 女子高生のグループが海岸で海を見つめながら「子供を作ろう」とリーダーの幸枝(武田梨奈)仲間に呼びかける。 賛成した彼らはホームレス、旅の若者、サラリーマンなど手あたり次第に声をかけてセックスしていく。 なぜこういうことになったのか? 1ヶ月前、日課となっている浜での水質調査をしている時に体長5mの不思議な魚が浜にあげられたのを発見した。 それはリュウグウノツカイと呼ばれる深海魚で、その魚が現れるのは「地震の前ぶれ」とも「大漁の予兆」とも言われていた。 この漁村は大規模開発の為に魚が全く取れなくなっていた。 数年前に上京した千里も帰ってきた。東京ではタレントの卵をしていたらしい。彼女は妊娠していた。東京でいろいろあって遊びまくった結果だった。グループの一人孝子(佐藤玲)の父親は開発工事側の人間だった。真姫の父は不漁が原因で結局自殺した。 そんな日々の中、彼女たちは自分たちで子供を作ろうとする。 何となく観る気になったので観た。 何で観る気になったのだろう。上映時間60分、女子学生のグループが主人公、アメリカの漁村で起きた女子高生集団妊娠騒動を素材にした。といった題材から「先生を流産させる会」を連想したのだろう。そういった何か観たことのないようなパワーがあるかと思ったが、それはこちらの勝手な思いこみだったようだ。 いいとか悪いとか言う前に、この映画、さっぱり世界に入れなかった。 いきなり「子供作ろう」とか言い出して、手あたり次第に男とセックスしていく。セックスシーンは出ないけどホームレスのテントに入っていったり、誰でもいいらしい。 果ては担任の先生までも強要する。 えっ誰の子供でもいいの?セックスするのに相手が誰であろうとかまわないの? その辺が疑問で映画世界に入れない。 孝子がこの計画のリーダーになるのだが、なかなか妊娠しない子に「あんたやる気あるの?」と詰め寄ったり、「一人妊娠したらお祝いで1万円づつ渡す、それで10万円で病院に通う、でこのお金はみんなからもらえるから帰ってくる、出産したら国からお金が出るからそのお金で次の子の出産費用にする」と計画を立てる。 おいおい、最初の1万円の話だが、結局は自分で10万円作るのと同じだぞ。 想像妊娠とか妊娠ごっこで映画は終わるのかと思ったら、彼女たちのお腹は大きくなって「動いた!」とか言ってる。 正直、映画世界にさっぱりついていけず、期待した物は観れなかったというのが感想です、はい。 (このページのトップへ) 2つ目の窓日時 2014年8月10日18:30〜 場所 テアトル新宿 監督 河瀬直美 (詳しくはムービーウォーカー・データベースで) 奄美大島。この土地に住む16歳の界人(村上虹郎)と杏子(吉永淳)。 界人は祭りの晩に海岸で入れ墨の男の死体を発見する。 翌日、死体は事故なのか事件なのかまだはっきりしないと先生から言われる。 界人の両親は離婚し、父親は東京で入れ墨師の仕事をしていた。界人はレストランで働く母親と二人暮らしだ。 杏子の父親(杉本哲太)は海岸でカフェを経営していたが、母親(松田美由紀)は具合が悪く、医者からはもう長くないと言われている。「肉体はなくなっても杏子の心の中に母はいき続ける」と言われても杏子はまだ受け入れられない。 界人の母親には男がいるらしい。界人はそれが理解できない。東京にいる父親に会いに行く界人。 父親(村上淳)に問う。「どうして母さんと別れたの?」 生きるとは?命をつなぐとは? 界人も杏子も自分たちの答えを見つけようとする。 今年のカンヌ国際映画祭でスタンディングオベーションになったとかの話題の河瀬直美。 河瀬直美はよほどカンヌ受けがいいらしく、これまでにも「萌の朱雀」とか「モガリの森」とか高い評価を受けているが、日本での評価とかヒットはさっぱり。 これだけ何度もカンヌで評価を受けているなら是枝裕和のようにメジャーで取れるようになっても良さそうだが、そういう話はさっぱり聞かない。 基本的に関心のない監督なのだが、フジテレビの「めざましテレビ」で映画紹介をしていてそれがきっかけで見に行った。 主役の村上虹郎は俳優の村上淳と歌手のUAの息子。そして二人はすでに離婚しているという。 実生活と同じ設定で役をやらせている。テレビ的には面白い話題だ。しかも虹郎が父親が「どうして離婚したの?」と聞くシーンがあるが、それは村上淳に内緒で監督が「聞け」と命じたという話。 さて村上淳はなんと返したか?というテレビ的には実に面白い。 そういう紹介と村上虹郎がデビューした頃の柳楽優弥を思い出させる目力のあるルックスが気に入った。 正直、そういう動機で見に行ったのだから、河瀬直美はフジテレビに感謝すべきである。少なくとも私はそれで見に行った。 映画は冒頭、ヤギを屠殺するカットから始まる。私なんかナイフで首が切られて血が出ていくシーンは思わず目を背けたくなる。これが屠殺になれた方の手によるのかと思ったら、カメラが引くと常田冨士男である。これにはちょっと驚いた。 でも否定的に観ているからそう感じるかも知れないのだが、のっけから「他の生命をいただいて我々は生きていき、命をつないでいく」というテーマを語り尽くしてしまった感じがする。 その後の画面はそのテーマが語られていくのを観てるだけ。 両親は離婚、母親は別に男を作る、杏子の家は両親は仲はよいが母は亡くなる。そういった環境の仲で若い二人は出会い、最後はセックスして海で全裸で泳ぐ。 海はすべての生命の源。という意味だと思う。 それでも映画全体を飽きずに観ることができたのはひとえに村上虹郎と吉永淳の存在。この二人を観てるだけで画が持ってしまう。 全裸で海を泳ぐシーンはそれだけで素晴らしい。 あとこの映画、ドキュメンタリー風に撮ってはいるが、アフレコも多かった。 アドリブで言ったせりふを再び演技し直すのはなかなか大変だったのではないか。 正直タイトルの意味がよく分からないのだが、村上虹郎という役者のデビューを見届けられたのがよかった。 あ、そうそう、村上親子の「なぜ離婚したか?」のシーン。父親は「これまたストレートな質問だなあ」といいつつ「きれいごと言うつもりはないけど、別れた方がそばにいられる感じがするんだよ」という答えでした。 (このページのトップへ) 国士無双日時 2014年8月10日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 伊丹万作 製作 昭和7年(1932年) 二人の浪人ものが腹を空かせている。一人が「ああうまい酒が飲みてえなあ」、もう一人が「簡単よ。剣豪の伊勢伊勢守を知ってるだろう。今この土地にいるらしいから、誰でもいいからその辺の奴を伊勢守だと偽って俺たちゃその家来ってことにすりゃ、うまい酒や料理にありつけるって訳だ」 そこで若い男(片岡千恵蔵)がその偽者にしてたあげられ、早速ある屋敷で宴席にありつける。 伊丹万作の代表作とされる「国士無双」。 全編は残っておらず、フィルムセンター(16分)とマツダ映画社(8分)に残っているフィルムを連続上映。 だから同じシーンを2回観ることもある。 まず冒頭の浪人者の会話は同じ。 そして宴席のシーンはフィルムセンターの方が長い。 偽者は付け髭をしてるのだが、酒を飲んでいるうちに一つがはずれてしまい、お吸い物の中に。 それを離れた席に座っている浪人が身振りで伝えようとするが、偽物がなかなか分かってくれない。やっと気づいてくれたが顔につけたものの、今度は髭の向きが逆。 もう一人の浪人が気づいて・・・という展開。 周りは芸者の踊りに夢中だが、言葉では伝えられないもどかしさが笑いを誘う。 ベタなギャグだが、面白い! そして今度は偽者が歩いていると若い娘が悪い奴に拐かされそうになる。それを助ける偽者!しかし助けた娘は伊勢伊勢守の娘だった。お礼を言いたい伊勢守は偽者を一献誘うが偽者は受けない。「そんなこと言わずに来い!」と逆に喧嘩になりそうに。「では名前だけでも」と言われて「伊勢伊勢守だ」と答えてややこしい。 「はあ?」となって「そっちが改名しろ」と言われてやがて本物と偽者の対決に。 しかし偽者が勝ってしまう。 落ち込んだ伊勢伊勢守は山にこもって仙人の師匠に教えを請うが、最初に手を合わせれば伊勢守の方が勝ってしまう。 で修行にならず師匠の方が薪割りをして伊勢守の肩をもむ始末。 3年がたってさて偽者と本物の対決は?というところでフィルムセンター版は終了。 マツダ版は最初の浪人の会話があって宴席がちょっとあって、次の本物と偽者の対決がちょっとある。 で二度目の対決がある。道場で二人は対決し偽者が勝つ!とここでマツダ版も終わり。 何度もリメイクされてるようだが、ギャグはベタだし、今やっても面白くなかろう。 サイレント時代の映画の「間」というかテンポもあるだろうし。 リメイク版もちょっと観たい気もするが、面白くなさそうなので、余程暇な時ならいいかも?という感じ。 ちなみに今回は「戦前日本SF映画小回顧」の特集なのだが、どうしてこれがこのジャンルになったのか? 剣豪との対決シーンで映像トリック的な手法があったのかも知れないが、気づかなかった。 (このページのトップへ) 五郎正宗孝子伝日時 2014年8月10日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 吉野二郎 製作 大正4年(1915年) 2014年は「GODZILLA ゴジラ」の公開もあって出版界では「ゴジラ特需」。雑誌でも「ゴジラ」の特集記事は何誌でも行われるし、ゴジラ関連本も出た。 そのおかげかどうか知らないが出版されたのが「戦前日本SF映画創世記」(著・高槻真樹)。 「ゴジラ」以前の映画創世記(サイレント時代)の牧野省三の時代から「SF的なもの」「トリック撮影が使ってあるもの」を紹介していく。 フィルムも現存していない作品も多く、それらは新聞広告やキネマ旬報などの記事から推察していく方法を取る。 この本が滅法面白く、この本で紹介された昔の映画を是非鑑賞可能なものは観てみたいと思っていたところでラピュタ阿佐ヶ谷がモーニングショーで上映してくれる。 で、本日が初日。 のっけから参った!というのが本音。 この映画、サイレント映画では普通の登場人物のせりふがその後字幕で表示されるということがないのだ。 章単位で「刀鍛冶がどうした」と出るのだが、人物たちの言動がさっぱり解らない。完全に弁士が話すことが前提になっている。 音もなくただ動いている時代劇の画だけを観ている状態で正直上映時間の30数分はつらかった。 「SF的なところ」というのはラストで女性がなにやら悪い化け物に変身してしまい、美青年の剣士が退治するところ。 女性が一瞬で化け物になってしまう、カメラをストップさせて入れ替わる手法が確認出きるだけの映画。 まあこの特集の最初の1本目はこんなものでしょう。 でも単なるプリントの状態が悪いことによる一種の映写事故だと思うが、映画の途中で画面が上に移動していき、(ティルトダウンしてるようにも見えた)するとその後したからまた同じカットが現れてくるという状態が繰り返されるというのが数回続いた。 なんだか時間の経過を示す新しいカットつなぎのように見えてしまった。 「カメラを止めてしばらくして撮影を再開して、それを映写したら突然物が消えたり現れたりした」というのがトリック撮影の始まりだと思うが、そういう事故から新しい物が生まれるってこういう感覚だったのか、とちょっと思った。 映画の出来とか作った人の意図とは全く関係ないけど。 (このページのトップへ) こっぱみじん日時 2014年8月9日12:30〜 場所 K's cinema 監督 田尻裕司 楓(我妻三輪子)は美容師の専門学校を卒業して美容室に就職して間もない。同期の仲間の方が仕事は誉められて自分はまだまだ。一応彼氏はいるが「嫌いではない」という程度でしかない。 そんな時、兄の親友の拓也(中村無何有)が故郷に帰ってきてこちらの病院で働き始めたと聞きうれしくなる。 兄隆太(小林竜樹)は地元でレストランを経営中。隆太、拓也、隆太の彼女の有希(今村美乃)と4人で会う楓。 久々に出会いに仕事に張りがでる楓だった。 しかし実は有希は別につき合っている男がいた。 有希は妊娠し、それを隆太に打ち明ける。喜んだ隆太は結婚を決意したが、実はそれは隆太の子供ではなかった。 有希の裏切りを知った拓也は有希を責めるが、「ホントはうれしいんでしょ?隆太と私が別れればいいと思ってたくせに」と返されてしまう。 その場に居合わせた楓は驚く。 一言で言えば、よかった。 主役の我妻三輪子がいい。大きな目がクルクル動いて実に表情が豊か。うれしければパッと輝き、落ち込めば曇る。 これほど表情が豊かな人はあまり知らない。 そしてゲイ役の中村無何有がいい。 普通の青年役で、いかにもゲイ!っていう感じではなく、その辺にいそうな感じだ。こういう普通の人がゲイであるのだよ、きっと。 楓は拓也がゲイだと解っても好きな気持ちは変わらない。 隆太だって有希を好きな気持ちは変わらない。 もちろん拓也も。 落ち込んで荒れている隆太を訪ねた拓也は告白し、キスをする。 みんな自分の気持ちははっきり伝える。それが受け入れられなくてもかまわない。好きな相手が笑顔でいてくれればそれでいい。 純愛だなあ、泣けてくるよ。 楓は美容師になりたくてなったわけではなく、母親に「手に職つけておけば」と言われて美容師になっただけ。だから仕事も惰性になりがちで、美容室に入って1年近くもたっても雑用ばかりでシャンプーもまだ。オーナーのテストに合格しないのだ。 そんな彼女もラストにはオーナーにシャンプーを誉められて合格する。 拓也は子供の頃を回想し、川に落ちたボールを拾おうとして隆太と落ちた話をする。「あの時二人で一緒に川に落ちた。抱き合って落ちてしまって、その時に勃起したんだ。それがすべての始まりだったのかなあ」 そうだね、解るよ、その感じ。 隆太は実家に帰って父親のいない子供を産もうとする。 それを隆太は迎えに行くという。個人的には他人が父親の子供を果たして育てられるかはなはだ疑問なのだけど、「相手に笑顔でいて欲しい」という気持ちからすると納得である。 ラスト、拓也をモデルにカットの練習をする楓。 カット後に「上を向いて」「もっと上」と言って上を向かせて、その唇にキスをする。 「なんか幸せ」 ここで突然カットアウト。 実に潔い幕切れ。 心地よい。 田尻監督の映画をすべて観たわけではないが、この映画が一番好きである。 (このページのトップへ) 恋のプロトタイプ日時 2014年8月7日21:10〜 場所 ポレポレ東中野 監督 中村公彦 岸田心平(櫻井拓也)はフリーター。携帯ゲーム機の「ラブプロ」にハマっている。ゲームに登場する沢口アオイという女の子と恋愛をして二人の関係が深まっていく内容だ。交通量調査のバイト中もゲームに熱中し、ついにバイトを首になってしまう。 今度はコンビニで働きはじめ、美郷こずえ(星咲優菜)という女子大生と知り合う。 彼女は河本義男(阿部隼也)から好かれていて、お笑いライブのチケット取りなどをしてもらっていたが、つき合うつもりはないらしい。 ついに義男との仲をはっきりさせるこずえ。振られた場所に居合わせてしまった心平は義男にラブプロを教える。 最初は乗り気でなかった義男もラブプロにハマってしまう。 義男はやがてラブプロがきっかけで新しい彼女が出来る。 ある日、コンビニに万引きがあり、万引き犯を追いかけたこずえが困ったところを助ける心平。 それがきっかけで二人はつき合うようになるのだが。 青春Hシリーズ第41弾。 「川下さんは何度もやってくる」では助演だった櫻井拓也と星咲優菜が今度はW主演。 バーチャルゲームにハマる非リア充の話。 「ゲームの女の子に熱中するなんてバカみたいだなあ」と主人公を否定的に観ていたが、観終わって(いや終盤か)「ん?水商売とか風俗とかアイドルに熱中するのを変わらないか」と思うようになった。 バーチャルなゲームの女の子をこちらを拒否しない。それは水商売も風俗もアイドルも同じ。 そう考えると主人公が実に身近に思えてきた。 こずえと心平はつき合うになったが、心平がやりたいときはこずえが生理で出来ない。こずえは酔っぱらって心平を求めるが、「酒臭いからやだ」と心平は乗らない。 試験だなんだで1ヶ月なにもない。こずえは「将来どうするの?」と現実的なことを聞いてきて興ざめしてしまう。 現実の二人はうまくいかない。 ついに心平は「俺たち、時間おいた方がいいんじゃない。しばらく会わないでおこう」と別れを告げる。 失意のこずえ町で偶然「ラブプロ」の制作会社のスタッフにスカウトされ、ゲームのキャラクターモデルをする事に。 1年後、「ラブプロ」の新作が発売され早速買う心平。 なんとそこにはこずえがキャラクターとなっていた。 ここで心平が号泣する。この号泣で映画は終了する。 正直、ちょっと驚いた。ラブプロを観て彼女と連絡を取ってまたつきあい出すかと一瞬思ったのだ。 でも自らが捨ててしまったものの大きさを知って号泣する。「こんなことなら別れなきゃよかった」のか。 理屈ではうまく説明出来ない。 でも号泣する心平の気持ちは痛いほど分かった。 よかったと思う。 監督の中村公彦はピンク映画などでは「サーモン鮭山」名義で俳優としても活躍中。 この日はわき役の男優たちと倖田李梨さんと監督のトークベントつき。ゲストの誰かが(男優さん)「ラストの心平の驚きはつき合った彼女がしばらくしてAVに出てるのを知ったのと同じような感覚がある」というようなことをおっしゃっていたが、実にいい表現。 役者では櫻井拓也のダメっぷりがいい。正直星咲優菜は芝居が下手だな、と思う。 (このページのトップへ) |