大誘拐 RAINBOW KIDS | フォックスキャッチャー | アメリカン・スナイパー | 幽霊列車 |
嵐を突っ切るジェット機 | 複数犯罪 | 味園ユニバース | モーニングセット、 牛乳、春 |
日本映画大学第1回卒業制作上映会 | D坂の殺人事件 | イテウォン殺人事件 | この世で俺/僕だけ |
ほんとうの、空色 | ファイナル・オプション | ジャッジ 裁かれる判事 | さよなら歌舞伎町 |
大誘拐 RAINBOW KIDS日時 2015年2月28日20:20〜 場所 シネマヴェーラ渋谷 監督 岡本喜八 製作 1991年(平成3年) 紀州の山林の大資産家の柳川とし子刀自(北林谷栄)が3人の若者に誘拐された。彼らは戸並健次(風間トオル)、秋葉正義(内田勝康)、三宅平太(西川弘志)。窃盗などの軽微な罪で刑務所で知り合った3人だ。 要求金額は5千万円だったが、柳川とし子はなかなかのすっとぼけたおばあちゃん、紀州の山林王なら身代金は100億円でなければ恥をかく、と勝手につりあげてしまう。 まだ彼らの計画の甘さをことごとく突き、いつの間にか俊子刀自がリーダーのようになってしまった。 和歌山県警では県警本部長の井狩大五郎(緒形拳)が先頭に立って指揮をとる。 日本中が、いや世界中が注目する100億円の誘拐事件の顛末やいかに? 70年代後半に天藤真氏の原作「大誘拐」が発表され、その奇想天外なユーモアさが受けて(別にベストセラーというほどではなかったが)、映画会社で原作の争奪戦があった。確か松竹の前田陽一監督も名乗りを上げていた(記憶違いならごめんなさい)。キネ旬でその記事を読んだ覚えがある。その記事を読んだせいか、原作は当時読んでいた。 結局うまく話がまとまらなかったのか、映画化は立ち消えになり実現しなかった。だが90年代になって岡本喜八監督によって映画化されたときは、正直私にとっては新鮮味のない、出涸らしだった。 でも岡本監督はファンだし、原作も面白かったので、公開当時にも観ている。 正直、まあまあ、というのが感想。 今回封切り以来24年ぶりに再見したわけだが、前半のテンポが悪いなあ、とまず思った。 おばあちゃんの誘拐だが、なかなかおばあちゃんが外出せず、誘拐できない。山歩きを始めたおばあちゃんだが、これも思った方向には行かなかったりしてなかなか誘拐できない。正直、このテンポの悪さはどうだろう? 岡本喜八も歳をとって往年のテンポがなくなったのか? 主演の犯人が風間トオル。80年代の阿部寛と人気を争ったモデルだったが、その後俳優に転身。しかし正直へたくそで俳優としては成功しなかったように思う。 その風間トオルの映画での少ない主演作がこれ。 風間トオルのような(俳優としての)魅力のない奴を起用したのが当時面白くなかった要因の一つだったが、今回感じたのは、これ60年代の岡本喜八映画なら加山雄三が演じていたのではなかろうか? そう考えると風間の起用も納得がいく。 話のほうは警察側も「とし子刀自の元気な姿を見せろ」という訳で中継車による中継を要求。犯人もテレビ局が用意した中継車ではなく、こっそりテレビ局の社長にもう一台中継車を出すように要求。まんまと警察の裏をかいて中継を実行。 100億円は山林を子供たちに贈与させ、贈与税を納めたあとで残った分200億円から支払うことに。この計算はすべてとし子刀自の指示。 ヘリコプターで運ばせて、操縦手(本田博太郎)もとし子に恩義のある人物だったからとし子の言いつけ通りの行動をしてまんまと奪取。 結局表向きには海外逃亡されてしまった、ということで事件は決着。しかししばらく経ってから井狩はとし子を訪ね、彼女が裏にいたことを見抜く。 8月15日から話が始まり、とし子が自分の3人の子供が戦争で亡くなったことを嘆くシーンが冒頭にある。 確かこの部分は原作にはなかった部分で、岡本喜八らしい追加だが、正直この映画には唐突でちょっと違和感が残った。 でも神山繁(長男)、水野久美(次女)、岸部一徳(次男)、嶋田久作(刑事)、天本英世(柳川家支配人)などなど活躍はそれだけで観ていて笑いがこみあげてきて楽しかった。少なくとも今日観た「フォックスキャッチャー」より何倍も私には面白かった。 フォックスキャッチャー日時 2015年2月28日16:25〜 場所 新宿ピカデリー・シアター9 監督 ベネット・ミラー マーク(チャニング・テイタム)は1984年のロサンゼルス五輪でレスリングの金メダリストだったが、オリンピック後は決して楽な生活ではなかった。彼の兄・デイヴもレスリングでの金メダリストで、2歳の時に両親が離婚したマークにとっては親代わりであり、よきトレーナーでもあった。 そんな時、大富豪のジョン・デュポンから「自分の率いるレスリングチーム『フォックスキャッチャー』に所属してソウル五輪で金メダルを目指してみないか?」と誘われる。 生活にも苦しいマークにとって願ってもない申し出だった。マークは兄にも参加してもらうよう頼んだが、引っ越しをしなければならないので、家族のために今の生活を続けたいデイヴは断った。 デュポン氏はちょっと変人のようなところがあったが、レスリングに対しては深い愛情を持っていた。だが母親は乗馬を愛し、レスリングには興味がない。 直後に開催された世界大会ではなんとか優勝したマークだったが。 日本ではプロ競技として存在する以外のオリンピック競技では「オリンピックの時だけもてはやされて、終わったら見向きもされない」とよく言われるが、それはアメリカでも同じなのだな。 この映画に登場するマークも金メダルをとっても金に困っている。兄の代わりに子供相手の講演会に講師として登壇してもギャラは20ドル。85年ごろだと1ドル=150円ぐらい(だったと思う。記憶違いならごめんなさい)で計算すれば3000円。物価の変動を考えても今の価値でも5000円は行くまい。 デュポン氏から提示された年俸は2万5千ドルだから、今の計算でいくと375万円、今の価値でも500万に行くかどうか。もちろん金に困っているマークからすると大きいとは思うが、破格というほどでもないような気がする。 この映画、チラシやポスターで「なぜ大財閥の御曹司はオリンピックの金メダリストを殺したのか?」と書いてあるのでてっきりミステリーだと思ったら特にそういう訳ではなかった。 映画においても特にそれは示されない。 だからすごくはずされた気分。 それに最後に殺されるのがてっきりマークだと思っていたが、兄のデイヴだったんですね。 また映画のテンポもハリウッド映画にしてはまったりしていて、日本の低予算映画のようだった。 スティーヴ・カレルは普段はコメディ俳優として活躍だそうで、その彼が変人の富豪、デュポンを演じる。 日本で言えばお笑い芸人が映画に出て笑わない役をやるようなものなのだろう。受賞はしなかったが、今年のアカデミー賞の主演男優賞にもノミネートされた。 で、殺した動機だが、さっぱり分からない。事件当時はきっとアメリカでは大きく話題になったろうから(私は覚えていない)、その頃を知っているアメリカ人には私より興味深く鑑賞出来たのかも知れないが。 デュポンも変人で元々は兵器産業の御曹司のようだが、コカイン中毒で友達もいない。映画にはそういう描写は出てこないが、私はやっぱりゲイではなかったかと思う。 レスリング、というよりマッチョな男性の肉体にあこがれていたのではないか? そういう補助線を引いて見ると、マークに惚れていて、そのマークの心をとらえている兄・デイヴが憎かったのかも知れない。 たぶん誰でも思うことだと思うけど、なぜそういう描写をしなかったのだろう? そのあたりが疑問に思った。 アメリカン・スナイパー日時 2015年2月28日12:45〜 場所 新宿ピカデリー・シアター2 監督 クリント・イーストウッド クリス・カイルは「世の中には羊と狼と番犬がいる。羊は弱く狼は悪い奴だ。番犬は狼から羊を守る。父さんはお前たちを番犬に育てない」という厳格な父に育てられた。 20代になってからはロデオに夢中だったが、911のWTCビルの倒壊をテレビで見、自分もテロと戦いたいと群に入隊する。30歳になってからのクリスにとっては訓練はとても厳しいものだった。そんな中でも休み中に訪れたバーで女性と知り合い、やがて結婚する。持ち前の堅牢さで訓練を乗り切り、射撃の素質を買われて仲間を離れて養護するスナイパーとして戦地へ。 子供も兵士として使う敵のやり方は残酷なものだった。 こちらを攻撃するそぶりがあれば、たとえ女子供でも殺さなくてはならない。 やがてクリスにも子供が産まれる。 数度の出撃でクリスの存在は敵にも知られるようになり、彼にも懸賞金がかけられる存在になった。 無敵に思えた彼だったが、敵にもオリンピック出場経験のあるスナイパーがいる。 昨年、「ジャジー・ボーイズ」(未見だけど)で高い評価を受けたクリント・イーストウッド監督作品。 もう80をゆうに越えているのに「ジャジー・ボーイズ」が公開されてから半年ぐらいでの新作公開だ。 すごいハイペースだなあ。 実際のクリスは2013年に殺されてしまい、最近その裁判の判決が出て話題になった。 で、観終わってまず思うのはこの映画はアメリカ人ではないと本当に実感できないんではないんだろうか? 話は分かるし、日本人だって戦争の悲惨さを理解することは出来ると思う。しかしたとえば映画館で隣に座った人や、近所、あるいは親戚、家族に実際に戦地に行ってきたり負傷したりした人がいるアメリカと日本ではテーマの感じ方が違うのではないか? もちろん想像でクリスたちの心情は理解する。しかしやっぱりどこか他人事になってしまうのでは?そう思う私が想像力が欠如してるのだろうか? 子供と女性が戦場に現れて、撃つか否かのシーンの緊張感は激しい。とにかく子供が出てくれば私は耐まらなくなる。 アメリカ軍に情報を提供しようとした男の子供が電動ドリルで足や頭が抜かれるシーンは残酷(劇場帰りのカップルもこのシーンのことを話していた)。 またクリスがアメリカに帰って自動車修理に行った時に電動ドライバーを見てしまうシーンは(カットバックはないけど)この電動ドリルを想像させる。 そして今の戦争では携帯電話で戦場から自宅へ電話できるのだな。これが驚いた。電話の先で銃声がしているが聞こえたら妻は気が狂ってしまいそうになるだろう。 これってホントにいいことなのか? 後半、クリス自身がPTSDになり、同じようにPTSDに悩む元兵士のカウンセリングをしてる。 実際にアメリカでは戦場帰りの元兵士が1年に数百人も自殺しているという。 この戦場のPTSDの話を聞くたびに思うのだが、第二次世界大戦の時はそんなことはなかったのだろうか? だれか詳しい人に聞いてみたいと思う。 クリント・イーストウッドって本当にすごいなあと思う。毎回思う。 幽霊列車日時 2015年2月26日21:00〜 場所 シネマヴェーラ渋谷 監督 岡本喜八 製作 1978年 ある温泉地の七人の客が帰りの列車から忽然と姿を消すという怪事件が起きた。始発列車に乗り込んだのは駅長(信欣三)と車掌が確認している。ところが次の駅についたらその七人は一人もいなくなっていたのだ。 警視庁の刑事オノ(田中邦衛)は上司(小沢栄太郎)の命令で休暇も兼ねて「民間人の立場で」捜査するように言われる。 その温泉地に行く途中の列車で女子大生・夕子(浅茅陽子)と知り合う。彼女は好奇心でこの事件を解決しようとやってきたのだ。 旅館について見たが、どうも村の住民たちは自分のことを警戒している。 夕子は駅においてあったトロッコに乗ってみるとどうも最近使ったらしい。 列車に7人が乗っているを見た少年(松田洋治)もいるのだが、果たして7人はどこへ消えたのか。 料理もキノコ狩りのシーズンだというのい天ぷらトンカツでなんだか変だ。 土曜ワイド劇場用に作られたテレビムービー。 この作品は本放送時に観て以来の鑑賞。当時中学生だったが、キネ旬などを読んでいたから岡本監督の名前は映画を観たことなくても(当時はまだ「日本のいちばん長い日」しか観てなかったと思う)知っていた。 この作品は私の記憶が正しければ、1978年の正月第1弾としての放送だったと思う。 だから37年ぶりの鑑賞だが、記憶の通り面白かった。 オープニング、7人の乗客がいなくなった様子を影絵のようなシルエットの多い、セット風の映像で描く(うまく表現出来ないが)。 そして田中邦衛が上司(これが小沢栄太郎だったとは知らなかった)の頼みを心の声で否定するカットは周りの人物が止まって田中一人が「冗談じゃないですよ!」と断る心象風景を描き、でも現実のシーンに戻って引き受けるというのが今まで観たことのないような表現で、非常に記憶に残った。 そしてそれは記憶の通りだった。 浅茅陽子が女子大生には見えなくて(当時もそう思った)、彼女のおっぱいが出てくる。この彼女のおっぱいが中学生には非常に刺激的で記憶に残った。このおっぱいのシーンは最後かと思っていたが、前半だったのだな。 おっぱいが出てくるのは田中邦衛が温泉旅館の風呂に入ろうとして扉を開けたら浅茅陽子が風呂に入っていてつい裸が目に入ってしまう、というカット。このおっぱいカットは岡本喜八らしいイメージショットであと数回登場する。 地元の駐在(今福正雄)の息子役で少年が登場するのだが、この少年は全く記憶になかった。でもどこかで観た少年だ、と思ってクレジットをよく観たら松田洋治だった。 大人になってから「ドグラ・マグラ」などに出ていましたね。 話の方は結局7人の客は前夜自分たちが採ってきた毒キノコに当たって死んだ。そのことがニュースになるとただでさえ客足が遠のいているこの温泉地がつぶれてしまう。 だから村長(内田朝雄)、元小学校校長(天本英世)、村議会議長などが7人に化けて列車に乗り込み、7人がとなり町あたりに入ったあたりで接続してきたトロッコに乗り込んで出ていった、という訳。 もちろん駅長も車掌もグルである。 謎解きは前半で終了し、後は事情を知っている旅館の女中と車掌の口を封じるために二人を「新婚旅行をハワイにつれてってやる!」と言って結婚させようとする。 この女中が岡本喜八映画によく登場する太ってたくましい女性。当然「あたしにも選ぶ権利がある!」と車掌を殴り倒す! 一方事件のトリックに気づいた浅茅陽子を殺してしまおうと村の7人は彼女を誘拐。彼ら7人は俳句の会なのだが、この俳句の会の会合で今後を相談するのだが、その俳句とかけながらの会話はユーモアがあって楽しい。 結局殺すのは忍びないと浅茅陽子を手込めにしてしまえ!となってその順番を老人たちが争いあうシーンは実に滑稽。 赤川次郎のデビュー作だそうだが、そのユーモアと岡本喜八のユーモアがうまく融合した傑作。 これがきっかけで赤川次郎作品はしばらく読んでいた。 そして80年代に入って作家長者番付に入るほどのベストセラー作家になりましたね。 テレビ映画故、語られることが他の作品に比べ少ない印象があるが、間違いなく岡本喜八のベストテンに入れていいと思う。 DVDの再発売を希望する。 またクレジットを観たら撮影・木村大作、助監督・杉村六郎と豪華な布陣。 嵐を突っ切るジェット機日時 2015年2月22日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 蔵原惟繕 製作 昭和36年(1961年) 榊拓二(小林旭)は航空自衛隊のアクロバットチームのパイロット。彼の兄・英雄(葉山良二)もパイロットで父親の経営していた航空会社を継いでいた。航空会社と言っても空からのビラまきなどを行うことが中心だったが、最近では飛行機も古くなり整備に金がかかり、取引先から無理な値切りをされ経営は苦しかった。 そんな時、榊たちが練習飛行中に杉江隊長(芦田伸介)が事故死。アクロバットチームも解散。チームの存続を訴えた榊は逆に金沢へ転属になってしまう。 面白くない榊は無茶な飛行をして10日間の謹慎となる。兄の元へ帰る榊。 むしゃくしゃしている榊を叱咤してくれたのは英雄の会社で働いている杉江の妹のマキ(笹森礼子)だった。 終戦直後、闇物資の運搬をしていたこともある英雄だったが、そのときのつながりで三国人のボス(山内明)とつながりがあった。 そのボスは今は警察に追われてるようになり、彼の持つ麻薬とボス自身を沖縄に運ぶよう言われるのだが。 ラピュタ阿佐ヶ谷のポイントがたまって招待券を1枚貰ったのだが期限が今月末。特に見たい映画もなかったのだが、これなら観てみるかと消極的な気持ちで観たのがこの映画。 昭和36年と言えば日活ダイヤモンドラインも赤木圭一郎も亡くなり厳しくなってはいたが、まだまだ日活も勢いのあった頃。 航空自衛隊のブルーインパルスのパイロットが主人公になった日活アクション。 自衛官が主人公でどう話が展開するかと思ったら、無理矢理に10日間の休暇を貰って実家に帰る展開。 その実家の航空会社というのがぼろ会社で建物もただのぼろではなく火事の跡のよう。戦争中の空襲のなごりなのだろうか? 芦田伸介が航空隊のパイロットというから恐れ入る。 ヘルメットをかぶり操縦席に座ってる姿はなんだか珍妙な気がする。すごいなあ。 ちなみに小林旭の同僚パイロットが郷エイ治(エイは金偏に英)。この強面がパイロットというのもすごい。 小林旭はジャズも好きな設定でどう見ても吹いてないのにトランペットを吹き鳴らす。英雄の会社に米軍のパイロット出身のチコという黒人がいる。日活アクションらしい国際色だなあ。 ちなみにジェットとジャズが好きだから、という理由で小林旭は時々JJと呼ばれている。 結局葉山良二は山内明の誘いに乗って沖縄まで送る。で一緒に行ったパイロットの高原駿雄は殺される。 さらに逃亡しようとする山内明たちを小林旭は自衛隊の戦闘機で追いかけ、台風も来ていたので山内明たちの飛行機は不時着。 翌日、小林旭は兄たちの飛行機を捜索、そして発見。基地に戻ってから駆けつけると山内明と彼の手下たちと銃撃戦。 そんなような話。 なぜか全体的に手持ちカメラの使用が多く、人物同士の会話でも時々カメラが回り込んだりで画が揺れる揺れる。 正直、こういう画が揺れる映画は好きではないので、それだけでうんざりした。 主人公がどんな職業になっても結局は麻薬の取引とか日活アクションにしてしまう、日活アクションらしい日活アクションだが、正統派じゃないから違和感だけが印象に残る映画。 複数犯罪日時 2015年2月21日 場所 ビデオ 監督 リチャード・A・コーラ 製作 1972年(昭和47年) 「複数犯罪」は「名画座」に掲載しました。 味園ユニバース日時 2015年2月20日19:30〜 場所 新宿バルト9・シアター2 監督 山下敦弘 刑務所を出所した若い男(渋谷すばる)。かつての仲間に迎えに来てもらったものの、彼らと別れた直後何者かに拉致され暴行を受ける。なんとか命は取り留めたが、記憶を失ってしまった。その後浮浪者に着ていた作業着を盗まれる。 目が覚めたらその公園で野外演奏会が開かれていた。男はそのコンサートに乱入し、突然歌い始める。なかなかのボーカルに演奏会をしていた赤犬のマネージャー、佐藤カスミ(二階堂ふみ)は彼を自宅で経営しているサウンドスタジオに連れて帰る。このまま見捨てる訳にも行かず、しばらく家におくことに。 そんな時、赤犬のボーカルが交通事故でステージに立てなくなる。カスミは男をピンチヒッターに立てることにし、名前もポチ男と名付ける。 まったくマークしていなかったのでAKBの映画かと思ったらジェイ・ストームで藤島ジェリー・Kがプロデューサーの映画。関ジュニ∞の渋谷すばるなんて全く興味がなかったのですっかり忘れていた。 AKBの映画と勘違いしたのは山下監督が「もらとりあむタマ子」や「超能力研究部の3人」などAKB映画を連続して撮っていたからだろう。 それにしても12月に「超能力〜」が公開され、2月にこの映画とはそのハイペースには恐れ入る。 (もっとすごいのは廣木隆一。1月「さよなら歌舞伎町」2月「娚の一生」3月「ストロボ・エッジ」と3ヶ月連続で新作が公開される) そんな中でなんで見に行ったかというと、先日の「モーニングセット、牛乳、春」のトークイベントの際にいまおか監督が「ちょっと出ています。その撮影のためだけに大阪に行って実家に帰ってきました」と話していたから。 いまおか監督の役は医者役。 カスミが仲のよい鈴木沙里奈の女医がいるのだが、「この病院に行って精密検査してもらい」とポチ男の診察を頼まれる役。レントゲン写真を前にして「逆行性健忘」と診断を下す。女医に気があるので、無料で見てくれたのだ。 いまおか監督の出演シーンはここだけ。 ここで私の興味はもうなくなったのだが、最後まで観た。 ポチ男が自分の上着を奪った浮浪者と再会し、上着を取り戻したところから話は急転回。上着にあった社名とネームからポチ男は本名大森茂雄で工場に勤めていたが、ヤクザ者と関わって傷害事件を起こし、刑務所へ。 実家は豆腐屋を営んでいたが、茂雄がつき合っていた女はどこかへ行き、姉夫婦(夫役は宇野祥一)が育てていた。 赤犬のポスターに登場したことで昔の悪い仲間が茂雄に関わってくる。 赤犬の公演当日、昔の仲間から呼び出されるが、茂雄をなきものにしようとしたが、その時カスミが助けに来て、味園ユニバースに連れていきアンコールを歌わせてEND。 正直、「記憶喪失の男」とかやめてほしいと思う。今更過ぎる設定だよ。刑務所から出てきて昔の悪い奴らが出てきて・・・とか昔の日本映画によくあったパターンだなと思う。 そうすればいっそカスミのスタジオ(カラオケBOXと練習スタジオが併設)が地上げにあいそうになって昔の悪い仲間と決着をつける、とかなればいいのだが。 ポチ男の過去がわかってきたあたりからはミステリー的な興味があったが、それだけのこと。 まずは私自身が渋谷すばるに何の反応もなかったので、映画に乗れない。 しかし茂雄が最初に赤犬の公演に乱入したときに歌ったのが和田アキ子の「古い日記」。なかなかの歌いっぷりでさすがにジャニタレで歌手である。 観終わったあとYoutubeで思わず検索して聞きなおした。 なおタイトルの「味園ユニバース」は大阪のミナミにあったキャバレーで今は貸しホールになっているそうだ。 モーニングセット、牛乳、春日時 2015年2月17日21:00〜 場所 ポレポレ東中野 監督 サトウトシキ 中小企業の部長の佐々木一郎(平田満)は毎日同じ時間に起き、弁当を作り、駅前の喫茶店のモーニングセットで朝食を取り、会社近くのコンビニで牛乳を買って昼は弁当を食べる日々。 そんな日々、駅前でティッシュ配りのバイトをしている女の子、春と顔見知りになる。 妻から会社に電話があった。もう長い間会ってないが、幼なじみの岡部(伊藤猛)が亡くなったという。 家に帰ってみると亡くなる前の日に岡部から家の留守電にメッセージが残されていた。「今度また一緒に飲もう」という。 佐々木は岡部の家を弔問する。そこには年の若い岡部の妻がいた。 サトウトシキ監督作品。作られたのは2013年だが、都内初公開らしい。脚本は竹浪春花。サトウ=竹浪コンビの映画は「花つみ」「青二才」なども観ているがどれも(私には)面白くない。 正直、都内で公開されなかったのはやっぱり面白くないからではないか、と疑ってしまう。 主役が平田満だから「花つみ」「青二才」よりは華がある。でもやっぱり地味だなあ。 今回は冒頭で伊藤猛が子供二人組が女子中学生のスカートめくりをしているのを見かけて携帯電話で電話をかける。 するとカットが変わって佐々木が起きるシーン、そして子供時代の佐々木と岡部が女子中学生の遺体を見に行ったりするシーンとなる。 そして先ほどの女子中学生が川瀬陽太に林の中でレイプされるシーンも挿入される。 こういう時系列をばらしてあるので、多少は目を引くがそれも限界があるよ。 佐々木と岡部は小学生の頃二人でよくスカートめくりをしていて、初恋の中学生の女の子がレイプされて自殺したという過去を持つ。 で二人とも女性の脇毛に関心があり(異常というほどではないらしいが)、岡部も妻の脇毛をそのままにさせていた。佐々木は知り合った春とも結局ホテルに行くのだが、彼女もちょっと脇毛があり、興奮する。 佐々木は岡部に対してなぜか(その理由が私にはピンとこない)コンプレックスを抱いている。 地味な会社員の自分と友人の劣等感への決着という話のモチーフは面白くもあったが、そこへ脇毛フェチが絡むともう私にはうまく組み合わさってないように見えた。 今日は上映後に田尻祐司監督といまおかしんじ監督とサトウトシキ監督のトークイベント付き。田尻監督は「こっぱみじん」がよかったので会いたかったので行ってみた。 そういう事情がない限り、サトウトシキ=竹浪春花コンビの映画はもういいって感じだな。 日本映画大学第1回卒業制作上映会日時 2015年2月15日 場所 イオンシネマ新百合ヶ丘スクリーン8 日本映画大学の卒業制作上映会に初めて行ってきた。 いや第1回だから初めてなのではなく、日本映画学校時代からも含めて初めてだ。日芸も行ったことはない。 2015年3月に大学を卒業する彼らがどんな映画を撮っているか、興味津々だった。(もちろんきっかけは撮ってる学生に知り合いがいたからなんだけど) 一言で言って打ちのめされた。 ショックを受けた。少なくとも去年は映画を見て衝撃を受けたことなどなかったように思う。 もちろん期待度がめちゃくちゃ低かったということもある。 露出やピントの甘い画があって独りよがり話とか作ってる人だけが面白いような映画ばかりなのだろうと思っていた。 全然違った。 十分プロのレベルである。 映画から逃げてない。真剣に向き合っている。 ドラマ3本、ドキュメンタリー4本を見た。 順番に覚えていることを記していく。 <Cブロック> 「空坊主」 野球部のだめ部員の主人公が目にノックの玉を受け、しばらく休む。辞めようと思うが、野球部顧問が怖くてなかなか言い出せない。学内を逃げ回ってるうちに天文部の部室に入ってしまう。 天文部員はちょっといやな奴だったが、それでも野球部とは違った部活の楽しさを教えてくれた。 彼らは「星祭り」と称して夜の学校で星の観察とともに仲間でパーティを開く。ところがそれを野球部顧問に見つかってしまう。 二人は停学。部活は中止。仲良くなった天文部は親の都合で転校。 でもあいつのおかげで一歩踏み出すことを教えてくれた。 野球部は辞めたけど、今度は頑張る。トイレ掃除を1ヶ月続ければ部活が再開できるかも知れない。 高校生たちの一夏の青春物語。さわやか。 最初感心したのは冒頭に野球部の練習シーンがあるが、ここがちゃんと撮っている。自主映画だとこういったシーンはごまかしがちだが、そこを逃げてない。 主人公の目にボールが直撃するが、カメラに向かってボールが飛んでくるカットがある。ボールの合成がちゃんと出来ている。 合成で言えば星空を見上げるシーンがあるが、星がちゃんと合成されている。こういうのが簡単なのか難しいのか私にはよく解らないが、ちゃんと必要なカットは撮っている。 その辺で逃げてないなあ、と思う。 「うまがたり。」(ドキュメンタリー) 競争馬として活躍が終わった馬のほとんどは殺処分される。だが群馬県のホースパラダイス群馬では競争馬としての役目を終えた馬たちが飼われている。その中でも「トーヨーロータス」という白馬が目立つ。 病気になったりしながらも障害者を乗せるセラピー馬として新しい活躍をしようとしている。 ドキュメンタリー映画というのは自分の知らない世界を見せてくれることにあると思う。 競争馬のその後なんて知らなかった。 牧場長の栗原さんは「ここにいる馬たちは宝くじに当たったぐらいの確率」という。それだけ経済動物としての価値はない。 トーヨーロータスが病気になるシーンがあるが、偶然撮れた画なのだろうか。他のイベント日の様子などは日程が解ってるからいいけど、どうしたのだろう。 自分たちの知らない世界という手近なところでまとめない姿勢がいい。 「高沢折々」 熊本県の山間部の集落、高沢。今は100人程度しか住んでいない。村の歴史や祭りのことを詳しい方は80すぎていて、後継者もなく私で終わりだと淡々と語る。 子供の頃は戦争で学校にもろくにいけなかったという方は淡々と木の加工をしたり、キノコ捕りをしたりしている。 村会議員の方が「いつかはこの村はなくなると思うが、努力すれば5年は延びる。それを繰り返していくだけです」という趣旨の話をされていた。 東京に住む私には(いや映画大学の学生にも)想像がつかない過疎の生活。 なにか勉強になった気がした。 <Aブロック> 「白に染まる」 高校を卒業して今は浪人中の健二。幼なじみの女の子を学校に送って行く途中で小学校の先生だった咲と再開。彼女は今は教師を辞め、工事現場で道路案内の仕事をしていた。 健二にとって初恋の女性だった咲に急速に惹かれていく。 幼なじみの女の子から告白されるがそれは無視。 咲に傾斜していく。工事現場で働く男と体を重ねる咲だが、男のことが好きではない。実は亡くなった夫が忘れられずにいるのだ。 健二は咲を誘い、夜の小学校に行き、そこで結ばれる。 しばらくして咲のマンションに行ってみた。 咲は引っ越していて、もう誰もいない。 一夏の恋は終わり、健二は新しい一歩を歩み始める。 ありきたりな初恋、童貞物語と言って切り捨てるのは簡単。そういうことではない。 「空坊主」もそうだが、画作りが逃げてない。 まず主役の男の子がいい。繊細なイケメンで(たぶんどこかの事務所の子)なかなか魅力的だった。 そして道路工事現場が登場する。 あれどうやって撮ったのだろう。 工事現場をすべて作り込んだのだろうか? パンフレットによると咲のマンションは空き部屋を借りて内装はすべて作り込みだったそうだ。 さすが日本映画大学。 映画美術も作ってしまう。それも授業でやったのだろうか? そして咲と工事現場の男が(短いけど)体を重ねるシーンもあり、ラストでは健二と咲のキスシーン、そして夜の学校で初めての経験をするシーンがある。 さすがにヌードにはならないがそういう恋愛カットをちゃんと撮っている。 逃げてないなあ、と思う。 「Still Just a Dream」 木元駿之介、22歳はイベント会社を経営し、成功を収めていた。もともと目立ちたがりやだったが、大学に入って同窓会の幹事をしたときに「2500円の料理を3000円の会費でやれば100人くれば5万円になる。2次会もやったら1日で10万円になる」ことを発見。 そこから様々なイベントを行っていく。クラブを借り切っての最初のイベントは赤字。でも失敗を糧にどんどん規模は大きくなっていき、大成功。地元福岡に帰って会社を設立。まだまだ終わらない。 僕みたいな地味な人間からすると学生で社長とか全く生きる世界が違うような人間。それはたぶん映画大学の学生にとっても年は同じでありながら、全く別世界の人間に見えたのではなかろうか? 勝手な想像だが、ライブドアの堀江貴文も若い頃はこんな感じだったのでは?と思えた。 仲間たちとのミーティングではあぐらをかいてソファに寝転がりながら行う。 さらに「マーケティングとは?」とかコンサルティングも行っている。たった2、3年の経験でコンサルティングとは恐れ入るが、それは自分に対する自信からくるのだろう。 木元は「みんないやなことしながら生きている。『バイトいきたくねえ』とか言ってバイトしてる。楽しくお金稼げる方法あるのになあ、って思う。そりゃ最初は大変だけど」 おじさんの私にはいちいち癪に障ることを言うのだが、今のところ彼は成功しているので、反論は出来ない。 ただただ将来彼が失敗することを願うばかりといういやな気分になった。 彼の右腕の幼なじみは結婚して子供が出来ていろいろと考えが変わったようである。 彼らの将来が楽しみ。 前の2本のドキュメンタリーもそうだが、とにかく自分とは縁遠い人ばかりを題材にしている。 これもまた映画から逃げていない。 <Bブロック> 「さよならあたしの夜」 幸子は子供の頃から絵を描くのが好きで、絵で食べていきたい。だが現実は雑誌のイラストを時々描く程度。アルバイトをしているが、仲間からは軽く見られて都合よく仕事を押しつけられている。 そしてアパートに帰れば画家志望の男と同棲中。下北沢で個展を開くので10万円貸してほしいと言われる。一度はないと断ったものの、家族から金を借りて男に渡す。 中学の同窓会があったので行ってみた。かつて美術部で一緒に絵を描いていた友人は今は絵を辞めて単なるサラリーマン。子供もいるらしい。 居づらくなって同窓会を抜け出す幸子。部屋に帰ったらベッドには女がいた。 「将来の夢と現実」という映画大学に行って将来映画監督になろうとする人間なら誰でもぶちあたる問題を描く。 見ていて切なくなった。 テーマの選び方もあるだろうけど、この映画が一番印象に残った。 イラストの仕事は断られ、後任は調子良さそうな、いかにも男に受けるタイプの女、同窓会に行けばみんなカタギに就職して結婚して子供もいて、いつまでも夢を追ってる自分はバカみたい、さらに男には裏切られる。 不幸の連続だ。 (ベッドに女がいるあたりのやりとりは、いまおかしんじ監督の「若きロッテちゃんの悩み」に影響を受けている) 幸子はイメージの中で中学生の自分と再会。「絵を描き続けていこうよ」と言っている中学生の自分に「そんな簡単なことじゃないんだ!」と一喝する。 ラスト、誰もいない海岸にたたずむ幸子。 砂浜に絵を描く。子供がよってきて「絵下手だね」と言われる。それでも彼女は歩き出す。 木村監督自身、その悩みの渦中にいるのだろう。 まだ答えは出せないだろう。 「交差」 秋葉原連続無差別事件の被害者湯浅洋さんはタクシーの運転手で、その日たまたま通りがかって刺された人を助けようとして犯人・加藤智大に刺された。 加藤はなぜあのような事件を起こしたのか? 湯浅さんは加藤に問いを投げかけるが、まだ答えは見つからない。 今回の卒業制作の最終作品。7本の大トリなのだが、またまた大きなテーマである。 ドキュメンタリーに関して思うのはすべての作品が自分たちから遠いところにいる題材を扱っている。 手近な家族や友人ではなく、また「登戸商店街の1日」的な距離的にも近いところでごまかしてない。 この加藤智大に関しても彼の手記を元にして実家や就職先まで行っている。さすがにインタビューまではしていないが、少なくとも加藤が見た風景や空気を撮っている。 理解できないまでも理解しようと必死である。 それはすごく伝わってきた。 7本すべての映画に言えるのだが、すべて足腰がしっかりしている。 映画ゼミ的なところで自主制作したり、完全に自主映画畑で作ってきた人の作品も見たことがある。 しかし今回の7本は私に言わせればすべてそれらの映画より出来は上である。 作ってる自分が満足でいればそれでOK!ということがなく、ちゃんと「人に見せる」ということが出来ている。 脚本から撮影も美術も何もかも。 それらは妥協がなく(もちろん本人たちにして見ると妥協してるのだろうが)、「私この映画に賭けてます!」的な必死さを感じる。 その点、今の日本映画では「予算がないから」「時間がないから」「出資者がOKを出さなかったから」という言い訳ばかりの映画が多い気がしてしまう。 だからこそ今回本当に観てよかった。 また来年も観たいと思う。 D坂の殺人事件日時 2015年2月14日21:00〜 場所 ユーロスペース2 監督 窪田将治 団子坂近くにある花崎古書店の妻悦子(祥子)は近所の蕎麦やの主人(仁科貴)と不倫の中にあった。しかも蕎麦やの主人はSM好きで悦子の着物の下は縄で縛られていた。 最近近所のアパートに引っ越してきた郷田三郎(河合龍之介)は蕎麦やの主人と悦子が密会しているのを目撃してしまう。 ある日、蕎麦やの主人は川で死体で発見された。死因は絞殺。警察は自殺だと考える。しかし探偵明智小五郎(草野康太)は他殺を考え妻であり助手である文代に、死体の発見者の花崎(木下ほうか)やその妻悦子を調べさせる。 すると花崎の尾行を行ううち、悦子が郷田のアパートに行き二人が密会しているのを見て自慰行為をする花崎を文代は見てしまう。 悦子と郷田の関係は深まり、悦子は実は自分は花崎の妻ではなく義理の娘だと打ち明ける。 花崎と再婚した悦子の母だったが、花崎は自分の欲望を悦子にも向けたのだ。 やがて悦子は郷田に「夫を殺して」と言うのだが。 今年は江戸川乱歩没後50年だそうで、それを記念して(というのはたぶん後付け)作られた「D坂の殺人事件」。キングレコード制作でレイトショーのみ2週間の公開だからDVDセル用の作品なのだろう。 原作は読んでいるが詳細は忘れていた。でもSMが絡んだ作品ということは覚えている。 正直、見ていて退屈した。一応初日なので監督出演者の舞台挨拶付き。舞台挨拶に立ったのは監督、河合龍之介、祥子、木下ほうかの4名。「あれ、明智役の草野康太は?」と思ったのだが、見ていてわかった。 明智がまるで活躍しないのである。 話の焦点はSMのエロスドラマ。 郷田は悦子に惹かれ、彼女の意志に沿って緊縛をするようになる。それは花崎の意志でもあるのだが。郷田(これは「屋根裏の散歩者」の主人公の名前。実際、アパートの屋根裏を徘徊し、近くの部屋の女性と悦子を重ね合わせて自慰する)は最初はうまく縛れないので、自分を縛ってくれという。 SMドラマって今まで見たことあるけど男が縛られるのってどうなんだろう?SMファンは喜ぶんだろうか? で悦子が「夫を殺して」というのはいいし、実際に郷田は青酸カリを入手し、準備も整ってるのだが悦子は殺させないで、やがて夫と首を絞め合うSMプレイに発展し、花崎を殺してしまう。 警察に悦子は逮捕され(だったと思う。もはやよく覚えていない)て郷田は憔悴しきって自殺した、と思ったのだ。 アパートの部屋で目を見開いたまま、うつ伏せに寝ていて大家がどんなに呼んでも返事をしない。 ところが最後でふらふらと歩いている郷田のカットがある。えっ自殺したんじゃなかったの? 結局この映画は私にとっては今年のワーストワン候補なのだが、理由は明智が全く活躍しないこと。 実際に調査に出向くのは助手の文代で明智は事務所のいすに座ったまま。それでも最後に「あなたが殺したんですね」と犯人と対峙してくれるシーンがあればまだ溜飲がさがったが、警察(近藤芳正)と話していて「僕がもう少し早く気づいていれば」とうそぶくだけ。 勘弁してくれよ。だったらいっそ明智が登場しなくてもいいだろう。だから舞台挨拶にも草野康太が出てこないんだ。 脚本監督の窪田には明智の活躍なんぞ興味なかったのだろう。 さらにテンポがまったりしていてどうにも私のテンポと合わない。 渋谷からの帰り道、どうしても原作の「D坂の殺人事件」を読みたくなった。家に帰ればそれを収録した乱歩の短編集があるかも知れないと思ったが、電子書籍で他の短編も含めたものが300円なので、ちょっと迷ったが家に帰るまでの時間も待てずにダウンロード。 (帰ってみたらやっぱり「D坂の殺人事件」を収録した短編集は持っていた。300円無駄使い) 読んでみたらまるで違う。 第一被害者は蕎麦やの主人ではなく、古書店の妻のほうだ。 二人はSM関係にあったのだが、首締めプレイがいきすぎて死んでしまったというもの。 古書店の主人にSM癖はない。 それよりもこの原作のおもしろさは密室殺人なのだ。 犯人の経路には人がいて逃げれば絶対にわかる状況で、誰も出入りしたものがいないのだ。 そして目撃者の話では「犯人らしき人物は黒い着物を着ていた」「白い着物を着ていた」と証言がまるで違う。 これを乱歩は人間の心理、錯覚に基づきトリックを作る。 そして二人の推理好きの男によって推理合戦をするというのが面白さなのだ。(この形式は「二銭銅貨」もそうだ) その辺の推理物の面白さを全部無視して単なるSMドラマにしてしまった。ただただがっかり。 そうそう最初の蕎麦やの主人の死体現場に若手の新聞記者が出てくる。どっかで見た顔だな、と思ってラストのクレジットを見たら標永久だった。 おお、まだ頑張ってるのだな。 残念ながらその後彼は出てこない。 この新聞記者が小林少年のように助手として活躍すれば私としてはまだ楽しみところがあったのだが、実に残念。 イテウォン殺人事件日時 2015年2月11日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 ホン・ギソン 製作 2010年 1997年ソウル、イテウォンの街。 ハンバーガーショップのトイレで大学生がナイフで9カ所刺されて殺された。 程なくハンバーガーショップと同じビルの4Fのクラブで遊んでいたロバート・J・ピアソン(チャン・グンソク)が逮捕された。ピアソンはメキシコ系アメリカ人の軍人と韓国人の母の間に生まれた在米韓国人で韓国語は話せない。 彼はアメリカ軍の調査機関(CID)の調べでは犯行を認めたが、この事件を担当するパク検事(チョン・ジュヨン)の前では否認した。彼は友人のアレックス・チョン(シン・スンファン)が犯人だという。 パク検事の捜査でも決め手はない。何しろトイレにいたのは2人と被害者の3人のみ。どちらが犯人でもおかしくない。 結局パク検事はCIDの結論を覆し、アレックスを犯人として裁判へ。 アレックスの父は資産家で、有能な弁護士を雇って裁判を戦うのだが。 韓国で実際に起こった殺人事件を扱ったミステリーサスペンス。 韓国人だが米国籍であったり英語しか話せなかったり、米軍人及びその家族の犯罪を捜査するCIDが絡んできたりで単純ではない。 しかし事件は単純。 たまたまトイレにいた男性が理由なく刺殺されたのだ。 だが密室ゆえに誰も見ていない。その時にトイレにいた二人の米国籍韓国人のどちらかが犯人なのだろうが、どちらが犯人でもおかしくない。 しかも犯行現場は翌朝検事が到着した段階できれいに掃除されており、写真はあるものの、現場は確認出来ていない。(店側が営業したいので掃除を希望し現場の警官が許してしまったのだ) 決め手は乏しく、傷の角度から犯人は被害者より背が高かったようだ、そしてウソ発見機の結果からアレックスを犯人とする。しかし弁護士も優秀で被害者は小便をしていたので、少しかがんでいた可能性もあると反論。 裁判所も犯行現場に行っての検証になる。 アレックスは犯行時洗面台の前にいて鏡越しに犯行を見たというが、その姿勢では狭い洗面台ではアレックスの体がじゃまで犯人は被害者に近づけない。 やっぱりアレックスか、と思ったがピアソンは最後に死体があった場所が実際とは違う場所を証言する。 どちらも証言に疑問が残る。検事も夢を見る。そして夢の中で現れた被害者に「アレックスだろ?」と問いかける。 しかし犯行後にアレックスと会った黒人青年がアレックスが「今人を刺してきた」と言っていたという証言が決めてとなる。 結局判決はアレックスを無期懲役、ピアソンは銃刀法違反で1年の実刑判決。 しかし控訴したアレックスは(たぶん証拠不十分ということで)無罪。 二人はそののちアメリカに行ってしまう。 チャン・グンソク目当てで見たが、もちろん映画としても面白かった。たまたま殺人事件を目撃した青年なのか、猟奇的殺人者なのか、その両方に見える。 事件後、アレックスは何も知らない今の彼女と弁護士を訪ねる。そして「ねえ、昔何があったの?」という彼女に「クールなことをして見せようか」と犯行時にアレックスが言っていたとされる言葉を口にする。 ピアソンも検事を訪ねるが、その時彼は話せなかったはずの韓国語を話す。「韓国語が話せなかったのでは?」という検事に「ムショで覚えた」とピアソンは答える。 ピアソンの言ってることは実は1から10までウソなのでは?という疑問を覚えさせてしまう。 日本では映画祭での上映だけという限定的な公開だったようだが、それにはもったいないような犯罪映画の傑作。 面白かった。 この世で俺/僕だけ日時 2015年2月10日21:00〜 場所 ユーロスペース1 監督 月川 翔 かつてはロックミュージシャンを目指していた伊藤博(マキタスポーツ)だが今は地道に仕事だけをする独身サラリーマン。結婚していたが、ロックをヘッドフォン付きで練習していたために自分の赤ん坊の異変に気づかず死なせていまい離婚したらしい。 仲間とゲームセンターでカツアゲをしている高校生黒田甲賀(池松壮亮)。父親は刑事だがなぜか父親とはうまくいかない。 毎朝の情報番組での占いを観るのが楽しみな博だが、その日の朝は自分の星座が一番運勢がよく、「直感を信じていつもしないことをしてみましょう。ラッキーアイテムはミネラルウォーター」の言葉の通りに行動する。それは甲賀も同じ。 博は仕事帰りに立ち寄ったコンビニで高級車がエンジンをかけたまま駐車場においてあるのを見かけ、つい直感に従って乗ってしまう。それを見ていた甲賀もつい追いかけてしまう。 追いついた甲賀が博を責めようとしたら後部座席から赤ん坊の鳴き声が聞こえてきた。唖然とする二人。実はこの赤ん坊、今度の市長選若手改革派候補の大隈(野間口徹)の娘だった。市長選立候補を止めさせようとするいぬか犬養市長(佐野史郎)が誘拐させたのだ。 「苦役列車」の好演が記憶に残るマキタスポーツと今私の中で一番の注目株の池松壮亮の共演作。内容はともかく二人の共演というだけで見たくなる。 舞台となるちばらぎ市は日本のどこにでもあるような地方都市。駅前再開発を巡って推進派(市長)と開発中止派(大隈候補)の対立が軸。 後半市役所の再開発反対派のデモ隊がシュプレヒコールをあげているのを聞いて「大きな音だね」と市長が言うのは原発再稼働反対や特定秘密保護法反対のデモ隊の声を聞いた野田首相や自民党幹事長を思い出す。 市長と相対した大隈候補が「私はあなたとは違ったやり方でこの町をよくしていきます」「変えられると思ってるのか?私も昔はそうだった」という会話があり、政治と政治家の変貌について作者の考えが出ており、それはそれで興味深いのだがこの映画の中心はあくまで博と甲賀の年の離れた二人組なので、ちょっと蛇足感が否定できない。 博と甲賀は反発しながら赤ん坊をつれて逃避行をしていく。赤ん坊のおむつの代え方を甲賀に指示していきながら甲賀は「わあ」といいつつ交換するあたりは面白い。 甲賀に「そんならお前がやれよ!」と言われて「私には出来ません」というあたりはかつての失敗を思い起こさせる。 そんな甲賀も後半ではミルクの温度を自分から指示するようになるのだが。 逃げきって今は人がこないから大丈夫だと思っていたキャンプ場で二人は語り合うのだが(ここでマキタスポーツが歌う)、そこへ追っ手がやってくる。 二人はボコボコにされて目に痣まで作る。 翌朝、警察にいくか赤ん坊を連れ戻しにいくかでもめて殴りあうのだが、どうにも長い。 そして今は市役所の市長室にいると思って市役所に殴り込む。で、反市長派のデモ隊と一体になっての大混乱が起こるのだが、正直、シナリオが弱い。 二人で素手で相手と殴りあうだけではいくら何でも無理でしょう。ここは知恵を使って襲うとか、博の仕事の知識を生かして突入するとかの「仕掛け」がほしかった。 ただ殴りあって根性でいくだけじゃ、どうにも弱い。 観終わって思ったのが顔に痣まで作るメイクをして殴りあいを続けるのだから、ボクシング映画をイメージしていたのかも? だとするとたとえ制作前に私が意見を述べる立場にあったとしても聞き入れられなかったろうなあ。 この映画の制作プロダクションはROBOT。 ROBOTってフジテレビ制作の映画ばかり作るのかと思っていたが、こういうマイナーな映画も作るのですね。 でもマキタスポーツ=池松壮亮主演なのに、レイトショーのみ公開とはちょっともったいない気がする。 ほんとうの、空色日時 2015年2月7日14:40〜 場所 光音座1 監督 柴原光 画家の卵、リン(石井基正)はパトロンである画商のスサクの元を離れ、サラリーマンの恋人、ヒロ(池島ゆたか)の家に引っ越した。ヒロは40歳で独身、母と二人暮らしだった。リンは実の親子のように接してくれるヒロの母に好感を持ち、居心地がよかった。 そんな時、ヒロは会社で上司から見合いを勧められる。いままで独身でと通してきたが、上司の命令では逆らいにくい。 またリンの方もスサクからニューヨークで絵の勉強をするように言われる。「お前は才能があるから世界でも十分通用する」というが、ヒロとの仲を裂こうというのが本音に違いない。 そんな時、ヒロの母が認知症になり息子と亡くなった夫の区別がつかなくなる。母はヒロに昔話をし始める。 そんな時、スサクが新聞記者にリンを取材させた記事が新聞に載る。それはリンが近々ニューヨークに進出するという記事だった。 光音座がデジタルになって初めて観たデジタル上映作品。 1月の「俺と彼氏と彼女の事情」は最初からデジタル撮りだったし、同時上映の「THE FETIST」は12月にフィルムで観ている。だからフィルム→DVD変換で最初に観たのがこの映画。(ちなみに同時上映は園子温の「男痕 THE MAN」。こちらは以前銀座シネパトスのピンク映画特集で観たので感想はパス) 今回監督は柴原光。第1回監督作品とポスターに書いてあるが、その後の活躍は私は知らない。 脚本は五代響子と柴原監督の共作。 で、感想なのだが正直、面白くない。 ドラマとしてちゃんと作ろうとしてるのは解る。変な設定でやる気もないのに撮ったとしたわけでもない。 しかしゲイ映画として結婚の問題とか親の認知症の問題とか扱うテーマというかモチーフが重すぎる。 結局恋人はNYに行くし(まあ、その方が彼のためだ)、母親は唐突に死んでしまう。 ラストの流れがどうも疑問なのだが、母が絵を描きながら亡くなり(ヒロは子供の頃絵を描くのが好きだったという設定で、母はその頃に戻って自分が絵を描いていた)、リンの個展とヒロの見合いの日が重なっていたのだが、そこは飛ばしてリンがNYに旅立つ日になっている。 で、リンとヒロの別れの瞬間になるとセックスになるのだが、表では画商のスサクが車で待っている。 いつまでも出てこないので、車の窓を閉める。となると何となくスサクは「リンはNY行きを止めたか」と判断して立ち去ろうとしてるように見える。 ところが次は空を飛び立つ飛行機のカット。 あれ?やっぱりNYに行ったの? さらに解らないのは数年後、ヒロは結婚して1歳ぐらいの子供がいる。その相手は自分の部下のOLだ。 あれれ?そっちと結婚したの? このOLは「言わずに後悔するより、言って後悔したほうがいい」というようなことを言っていた子。 母親は死に、恋人はNYに行き、なんだか周りに圧されて結婚したヒロ。その心境はいかばかりか。 でもそれは特には表現されてない。 しかしラストのヒロはまあ幸せそうに見えた。 ちなみにタイトルの「ほんとうの、空色」はリンが描いていた絵にちなんでいる。 (同時上映は園子温の「男痕 THE MAN」) ファイナル・オプション日時 2015年2月7日10:00〜 場所 シネマ・ノヴェチェント 監督 イアン・シャープ 製作 1982年 イギリス政府は反核団体「人民の会」は市民の団体を名乗っているが、過激な分子が紛れていると突き止めた。 その対策としてイギリス陸軍特殊部隊<SAS>のスケルン大尉(ルイス・コリンズ)を潜入させることにした。 表向きは研修に来たアメリカ軍とドイツ軍の大尉に厳しすぎる訓練を行ったことに対して責任を取らされたスケルンが退役した形だった。 今や表向きは民間人となったスケルンは「人民の会」の代表、フランキー(ジュディ・デイビス)に近づく。 「元SASで今は妻子とは別居中」というスケルンに興味を惹かれるフランキー。仲間にはスケルンを「SASのスパイでは?」と疑うものもあったが、「SASの情報が取れる」という理由でフランキーは強引に仲間に入れる。 しかしフランキーも慎重でスケルンは「近々何か事件を起こす計画がある」という報告しか出来ない。 しかしフランキーたちはいよいよ事件を起こす。 駐英アメリカ大使館公邸を占拠し、訪英中のアメリカ国務長官らを人質に取った。要求は「核ミサイルを発射し、潜水艦基地を破壊しろ。そしてそれをテレビ中継をしろ」というものだった。 シネマ・ノヴェチェントの自主配給第1回作品。イギリスのミリタリーアクション映画だ。 支配人のこだわりで35mmプリント。字幕は焼き付けではなく、映写時に同時に別のプロジェクターで映写する方法。しかしそれを知っていないと解らない。 で映画の方だが、「地味な映画だなあ」というのが率直な印象。 アメリカのアクション映画のような派手さがない。 大規模なテロ事件が起こって緊迫した交渉の中で人質が死んでいき、やがて突入作戦が行われた!という内容かと思ったら、さにあらず。 SASの大尉が組織に潜入、しかし当然組織の中には疑う者もいる。スケルンはあちこちで連絡係の男と会う。 それを見つかってしまう。 普通なら「あの男は誰だ?」と尋問をされるとか、それ以前に「本当に今はSASとは関係ないことを証明するために○○を殺してみろ」とかのテストがあったりする。 そういうこともなく、リーダーのフランキーが養護し仲間に入れる。ただし占拠事件の時には武器は持たせてもらってなかったようだが。 占拠事件が起こってからようやく映画は動き出す。 でも占拠されてからすぐに米国務長官とフランキーがお互いの主義主張を論争する。 いやいやテロリストの言い分はここでは特にいらないでしょう。 しかし国務長官役のリチャード・ウィドマークが出ると画面が締まる。 結局最後は特殊部隊が突入し、わりとあっけなくテロリストは掃討される。一方、スケルンの妻と子供が自宅で監禁され、スケルンは手が出せなくなるという訳だ。 でもこっちもアパートの隣の部屋から壁を壊して突入する。 両方ともわりとあっさり成功し、めでたし、めでたし。 地味なアクション映画だなあ、というのが感想。 ジャッジ 裁かれる判事日時 2015年2月1日16:50〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン9 監督 デイビッド・ドブキン シカゴの辣腕弁護士のハンク・ハマーは「金になるなら悪党でも無罪にする」という評判をとっている弁護士。 彼の元に母の死が伝えられる。ハマーの父・ジョセフはインディアナ州の田舎町で判事を42年間して町の人々の信頼も厚かった。ハンクの兄・グレンはかつては野球選手にスカウトされたこともあったが、怪我のため選手にはなれなかった。弟のデールは知的障害があった。 ジョセフとハンクは絶縁状態で親子は仲が悪かった。 母の葬儀の翌日、ジョセフの車が破損しているのを発見するハンクたち。しかし父は知らないと言う。 ハンクはシカゴに帰ろうとしたが、兄から「親父が逮捕された」と連絡を受ける。 昨夜、ブラックウエルという男が車に引かれたのだが、ジョセフが引いたらしいというのだ。 仲が悪いとは言え放っておけないハンクは父の弁護をしようとするが、父は拒否。代わりに町の弁護士を雇うのだが。 「厳格な判事の父は本当に殺人を犯したのか?」というミステリーかと思っていたが、そういう映画ではなかった。 「父と子の映画」である。 もちろん小津さんの映画みたいに結婚がどうしたという映画ではない。 私自身がそうだから身につまされる部分もあったが、父親と息子は対立する。 さらに兄貴が実家にいて両親の面倒を見つつ暮らして自分は都会で好きな仕事をする、というのが私と同じでさらに身につまされる。 途中「学校の卒業式にきてくれなかったじゃないか」と自分の晴れ姿を見せたかったのに見に来なかった父をハンクがなじるシーンがあるが、私も似たようなことがあった気がする。 死んだブラックウエルという男は20年前にガールフレンドを銃で脅した事件を起こした。反省の色があった男をジョセフは30日の刑という軽い刑にした。しかし出所後すぐにそのガールフレンドを殺してしまった。今度は20年の刑だ。ブラックウエルは最近出所してきたばかりだったのだ。 殺されてもしようがない男で、ジョセフが殺してもおかしくない。 ジョセフはガンの治療の薬の副作用で記憶障害を起こしていた可能性もある。しかしジョセフは「それを公表するとこの1年の私の判決をみんな信用しなくなる」と否定する。 ラストはジョセフが殺したという結論なのだが、「なぜブラックウエルに最初寛大な判決を下したのか?」が明らかになる。 それは彼とハンクがだぶってつい寛大な判決をしてしまったのだという。 父親というのは息子にはなかなか素直に愛情を伝えられずについ厳しくしてしまう。息子もなぜか父親には対抗したがる。 これが母と息子だと違うのだな。 やはり同じ男同士でどこかに「越えてやりたい」という敵意ライバル心が息子に芽生えてしまうからだろうか? こういう「父と息子の対立」とか「親の面倒を見る」とかそういう問題は日本だけではなくアメリカでもあるのだなあ、と実感次第。 ちょっと身につまされすぎて楽しみきれなかったというのが本音ですね。 ミステリー映画ではなかったから期待した映画とも違ってたし。 さよなら歌舞伎町日時 2015年2月1日12:55〜 場所 テアトル新宿 監督 廣木隆一 徹(染谷将太)はミュージシャンを目指す彼女、沙耶(前田敦子)と同棲中。お台場の一流ホテルに勤めていると言ってるが実は歌舞伎町のラブホテルの店長だった。 同じように新大久保の韓国人街で暮らす韓国人カップルのイ・ヘナ(イ・ウンウ)とチョンス(ロイ)。ヘナは「お金が貯まったから韓国へ帰って母親とブティックを開く」と言う。チョンスは「そんなにお金が貯まるのか?」と不信を抱いている。ヘナの鞄から彼女の「ジューシー・フルーツ」という店の名刺をもらった。 鈴木里美(南果歩)と池沢(松重豊)の二人は一緒に住んでいるが、池沢はある事件の犯人として逃亡中であと38時間で時効が成立する身だった。だからもう少しなんとしても逃げおおせたい。 里美は徹のラブホテルで掃除の仕事をしていた。 徹のホテルでは11時からAVの撮影が入っていた。その主演女優を観て驚く徹。なんと妹だった。 廣木隆一監督、荒井晴彦脚本。荒井晴彦なんて時代遅れ感があるからそれを事前に知っていたら観る気が躊躇したと思うが、「染谷将太と前田敦子主演の歌舞伎町のラブホテルの話」と聞いてちょっと観たくなった。 2時間越えの映画だが、正直面白かった。 まさしくグランドホテル形式で3組のカップルを中心として様々な男女がドラマを作っていて、飽きさせない。 結論を先にいうと出てくる人がいい人すぎるのが気になった。 ヘナは3人と客と仕事をする。一人目は「俺とつきあってくれ」という男(村上淳)、一人はリストラ寸前のサラリーマン(川瀬陽太)、最後の一人はロイ。 川瀬のサラリーマンなど覚醒剤に手を出してるような男だからかなりひどいのだが、でもヘナは最後には「クスリなしならいいよ」と許してしまう。 また忍成修吾が家出娘(我妻三輪子)をデリヘル嬢に使用としてホテルに連れ込むのだが、彼女の身の上話を聞くうちに改心してしまい「この仕事辞める」と言い出す。 家出娘も忍成もいい人すぎないか?家出娘の話もお決まりの作り話かも知れないし。 同様にさっきの川瀬陽太のサラリーマンの話もホントの話かあ? さらに言うなら鈴木と池沢の傷害事件も相手にも非があったという展開。でもそれは鈴木の言い分であって事実かどうか分からない。 沙耶はプロダクションの男と枕営業にやってくる。 自分の勤めるラブホテルに妹がAVの撮影にやってきて、その日に彼女が枕営業に来るなんてちょっと偶然がすぎる。 その辺がちょっと気になる。 でもAV女優になった妹が「AV女優は立派な仕事よ」と言うが徹は「じゃ親に言えるか?」と返す。 そうだねえ。 この台詞にはやっぱり凹んだ。 そして徹たちは仙台の出身。仕事が終わって帰る妹に徹が問う。 「初めてのHはAVだったか?」「まさか」「好きな奴だったか」「うん、津波で死んじゃったけど」 このやりとりもよかった。 そしてヘナが新大久保を通る時にヘイトスピーチとアンチ・ヘイトスピーチの軍団に出会う。 映画はそれ以上つっこんだ描写がないが、これも2010年代半ばの新宿を象徴するだろう。 同じように歌舞伎町、新宿の風景がいい。 何年か経ってこの映画を観たときその風景に懐かしさを覚えるかも知れない。 所々にヒューマニズムすぎて甘さを感じるが、総じてよかたと思う。 |