薔薇の標的日時 2015年8月28日20:50〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 西村潔 製作 昭和47年(1972年) 日野昭(加山雄三)はかつてはオリンピックにも出場した射撃の名手だった。しかし所属会社の射撃部で同僚が銃の暴発で死亡、殺人を疑われた日野は不起訴にはなったが銃の免許は取り消され、失意のままアメリカに渡った。 しかし結局日本に帰国、マイク立花(岡田英次)という男に拾われた。 立花は野村(トビー門口)という部下に日野に改めて銃の訓練をさせる。立花は日野のプロの殺し屋として養成していった。 その頃、アメリカ人カメラマンのロバートがいた。 彼は日本を中国人の親友の妹、玲玲(チェン・チェン)を伴って取材していたが、偶然山の中で怪しい施設を見つける。 そこは立花の施設で中では日野の訓練も行われていた。 日野はやがて立花の命じるままに殺人を犯すようになる。 立花はロバートが自分の秘密を暴くのを恐れ、香港を訪れていたロバートを日野に射殺させた。 目の前でロバートを殺された玲玲はロバートが暴こうとした施設の謎を探ろうと日本にやってくる。 加山雄三の殺し屋ものというと「狙撃」「弾痕」が有名だが、それに引き続いた映画。「狙撃」「弾痕」はDVDにもなってるが、この「薔薇の標的」はDVDにはなってない。検索すると舘ひろし主演の同タイトルの別の映画がヒットする。 あんまり人気がないらしい。 今回ラピュタでの「NTV火曜9時」というかつての日本テレビでのアクションドラマ枠の特集本が出版されたのを記念しての、そのドラマに影響を与えた映画の特集上映で、この「薔薇の標的」が上映されたので観に行ってきた。 正直言って面白くない。 テンポがだるいのである。もう少し展開を早くして二転三転する展開にすればよかったのでは? 前半は「紅の拳銃」を想起させる殺し屋養成。 いまさら銃のことなど釈迦に説法だろうとも思うのだが、「シングルアクションのリボルバー」「ダブルアクションのリボルバー」「オートマティック拳銃」のそれぞれの特長を解説したり、野村が日野に銃を渡そうしてクルっと回して相手に銃口を向けてしまうシーンなど、完全に「紅の拳銃」のパクリである。 で、施設の写真を撮ったぐらいで大した取材はしていないのだが、ロバートを殺害、玲玲にはロバートの撮影した写真を持ってこさせるよう、立花たちは玲玲を脅迫する。 見かねた日野が玲玲に近づき写真を奪おうとするが、二人は恋人になってしまう展開。 日野は「俺は世界なんかどうとでもなれ、と思っていたが、君と出会って考えが変わった」と玲玲に愛を語る。 いらいらする立花はついに「自分たちはナチの第三帝国を引き継ぎ、第四帝国という新しい秩序を建設する計画の極東支部だ」と名乗ってしまう。 結局立花は日野に「最後にある男を殺してくれたら組織から抜け出させてやる」と言って、男装させた玲玲を殺させる。 ここで日野は自分が狙ってるのが玲玲だと引き金を引く瞬間に気づくのだが、すでに遅し。日野は引き金を引いてしまう。 で玲玲は死に、怒った日野は野村を殺し、立花を殺そうとする。 最後に草原に立つ日野を「シュン!」という風を切る音がして撃たれる。右肩左肩など数カ所。 「ダーン」という大きな銃声がしない分、返ってリアルである。 中野昭慶監督は満州から帰ってくるときに狙撃されている現場に出くわしたそうだが、「映画と違って派手な音なんかしない。ピュ、と空気を切る音がしてその後に人が倒れるんだ。ドンドンバンバンなんで映画の嘘」と語って売られたのを思い出した。 だからこのシーンは妙にリアルだった。 日野は死にかけるが、現れた立花に反撃。 このあたりの大物とのラストの対決、というのは「狙撃」と同じ。 加山雄三がプレスリーみたいな大きなもみあげの髪型をしてるのが珍しい。 中盤のヘリコプターからの狙撃は香港だし、香港でロケもしている。 チェンチェンという女優さんは全く知らないが、香港の女優さんだったのだろうか? 「狙撃」「弾痕」に続くシリーズ化となった加山雄三ガンアクション映画の本作。 それほど面白くもなかったが、DVD化されてないのはちょっともったいない気もする。 犯(や)る男日時 2015年8月25日21:00〜 場所 テアトル新宿 監督 山内大輔 ユリ子(朝倉ことみ)は夫からDVを受けていたが、誰にも相談できないでいた。学生時代からの親友・麻里(涼川絢音)が訪ねてきたときに痣が見つかってしまった。麻里はユリ子を心配してはくれたが、麻里の本音は自分が入信している宗教に勧誘することだった。 麻里は帰りの電車で痴漢にあう。痴漢の吉井(川瀬陽太)は麻里のアパートまでついてきて、彼女の部屋に押し入って財布からキャッシュカードを奪い、暗証番号を聞き出した。麻里を犯した翌朝、彼女のアキレス腱を切って去っていった。 吉井は川縁にテントを立てて病気のような犬と住んでいた。奪ってきた麻里のスマホをみるうちに麻里の友人のユリ子のことを知り、彼女の家に強盗に入る。 そこには鎖でつながれたユリ子がいた。実は吉井はかつて自身がDV男で、妻を口論の末絞め殺した過去を持っていた。 吉井はユリ子に「悪いことは言わないから、殺される前に旦那と別れな」と言う。その晩帰ってきた夫(野村貴浩)を縛り上げ、キャッシュカードを奪って逃げていった。 「早くほどいてくれ」とユリ子にいう夫だったが、ユリ子は夫を殴り殺す。 そして行き場を失ったユリ子は橋から身を投げるのだが。 「OPピクチャーズ+」というタイトルでピンク映画のR15版を作り、一般劇場で公開していこうという新しいプロジェクトの第一弾。このあと竹洞哲也監督作品も公開される。 しかしこの「犯る男」が22日(土)〜27日(木)まで、第2弾が30日(日)〜9月4日(金)までと6日間ずつの上映。苦戦してる感じである。 しかしチラシはラピュタ、新文芸座、ユーロスペース等かなり見かけた。赤字覚悟でのチャレンジなのだろう。 で、本作。 山内監督は「スナック桃子」「色恋沙汰貞子の冒険」などが面白かったが今回はだめ。 まずレイプ犯が主人公というのがだめ。 レイプ、DVとなると私はもっとも忌むべき行為だと考えているので、それを主人公が行ってそして被害者の女性と心を通わせてしまうなど(私には)あり得ない展開なのだ。 ピンク映画だとレイプ犯と女性が出来てしまう展開があるが、好きになれないなあ。 あとバイオレンスは苦手なので、吉井が麻里のアキレス腱を切るシーンなど観ていてきつかった。 吉井は犬を飼っているのだが、これが作りものでなんとも気持ち悪い形態。 また吉井は最後の方で逮捕されるのだが、その後すぐに刑務所を出てくるシーンになる。 え〜!10回ぐらいは犯行を重ねてるだろ? 死刑とまでは行かなくても2、3年では出てこれないんじゃないか? で出所してユリ子を訪ねてユリ子の元の家にいく。 死んだと思った旦那は植物状態だが、一応生きている。 結局、ユリ子と吉井は一緒に暮らしていくみたいなラストだった。 いや〜私はDV夫やレイプ犯を好意的に描く映画は好きになれないですね。 ひとりひとりの戦場 最後の零戦パイロット日時 2015年8月23日13:40〜 場所 ユーロスペース2 監督 楠山忠之 「陸軍登戸研究所」の監督が製作した戦争証言集。 正直、ちょっと退屈でこういう証言集のドキュメントは苦手である。さっき自分が書いた「陸軍登戸研究所」の感想の前半と同じことを思った。 低予算のドキュメンタリーだからカメラも一台だからアングルも常に一定。退屈する。 おじいちゃんの話だから若干聞き取りづらい。 上映後の鈴木邦男さんと監督のトークイベントの中で、監督も「これからは字幕が必要かなあと迷う」とおっしゃっていた。 テレビのニュース番組ではインタビューに字幕がつくのが当たり前になって久しいから、こっちがそれに慣れてしまったこともありますが。 現在99歳の最後の零戦パイロットの原田要さんのインタビューが中心。でもそれだけではない。 原田さんはとにかく零戦に惚れていたという。「この機なら一緒に心中しても惜しくない」とまで。 南京攻略戦にもパイロットとしても参加。 南京の城壁の門を壊すための爆撃機と一緒に攻撃したそうだ。 南京大虐殺に関しては「民間人の服を着た兵隊(便衣兵)がとにかく多かったから、陸軍部隊としては殺していくしかなかった」という。民間人だと思って油断するとこっちが撃たれる。それならば全部殺しちまえとなるのだろう。 「20万とか30万そんな数ではないと思う」 私は南京大虐殺を否定するものではないが、20万とか30万とかはちょっと数字が一人歩きしてるように思う。 だから「保守派」の人に反論の隙を与えてると思ってます。 真珠湾攻撃で攻撃された米兵の証言もあり。 「日本人のパイロットは偵察機だけを攻撃し、実に正確だった」と日本人を称える。 この時、真珠湾攻撃隊のパイロットの西開地さんという方がハワイ諸島の西のはずれのニイハウ島に不時着した。 それをハラダ・ヨシオという日系人が助けた。それで利敵行為をしたということで、ハラダさんは死にその妻もスパイ容疑で随分苦しめられたそうだ。 初めて知った話だった。 西開地さんのご遺族のインタビューが出てきたが、「ハラダさん一家に大変ご迷惑をかけてしまった」と自分の家族の西開地さんのことより、ハラダさんのこと気にかけていたのが印象に残る。 そして昭和17年の初の本土空襲。 その被害者たちの証言。水元や尾久のあたりが被害にあったと初めて知った。 あと原田さんの話(ハワイのハラダさんとパイロットの原田さんと登場するので、映画はちょっと混乱する)で印象に残ったのは、「セイロンでの戦闘でイギリス機を深追いしてしまい、母艦の位置が分からなくなった。遠くに見える雲が自分のお袋の顔に見えてきた。やがてそのお袋がこっち、こっちと言ってるように見えてきた。その雲の元に行ったら味方の艦隊にたどり着いた」というエピソード。 なんか映画みたいだなあ。 原田さんはその後、パイロットの教官となったが自分の教え子が特攻隊に行くことになったという。 「自分の命はお国に捧げているが、そんな死に方はイヤだ、死に方ぐらい自分で決めたい」と思ったそうだ。 あと最初の方で、「ゼロ戦があまり性能がよかったので、これさえあれば絶対勝てる」と過信してしまったのでは?という話をされていた。 そうか、そういう見方もあるか。 映画としては少々難があるのだが、貴重なお話の数々は勉強になった。 今、原田さんは長野県で幼稚園を経営なさっている。その幼稚園のシーンが出てくる。映画の真価とは関係ないが、ラストシーンで園児が「ミッキーマウスの歌」を歌っているシーンあり。 単なる偶然に入ってしまったと思うが、大丈夫か。 この国の空日時 2015年8月22日18:30〜 場所 テアトル新宿 監督・脚本 荒井晴彦 昭和20年春、東京杉並。 父を結核で亡くした里子(二階堂ふみ)は母の蔦枝(工藤夕貴)と暮らしていた。防空壕が水浸しになって困ったことをきっかけに隣に住む銀行員の市毛(長谷川博己)と親しくなる。 子供たちはみな疎開し、町は妙に静かになったと近所の人々(奥田瑛二)と話す里子。 そんな頃、叔母の瑞枝(富田靖子)が横浜の空襲で家を焼け出され、頼ってくる。しかし配給の食料だけでは3人で食べていくことは出来ない。一旦は断った蔦枝だが、里子の懇願で一緒に住むことに。 やがて戦争も激化し、空襲も頻繁になる。 本土決戦の噂や、「こんな戦争、勝てるはずがない」と人々も噂し始める。 荒井晴彦なんてあまり好きな映画作家ではないのだが、戦争関連の映画はなるべく観るようにしてるので、鑑賞。 後半、市毛と里子が急接近していくのだが、私には昭和20年の人々の暮らしを描いた前半が興味深かった。 空襲はあるけど毎日じゃない、焼夷弾をバケツリレーで消そうとか言ってるけどホントに出来ると思ってるの?という疑問を言う市民(川瀬陽太)、窓ガラスに紙テープを張って爆風に備える、勝手な転出は認められないから横浜から来た妹が配給を受けられない、子供たちが疎開して妙に静かになったという町、年寄りも疎開して「農村は君たちの働きを待っている」というポスター、焼け出されてやってきた親戚を疎ましく思ってしまう現実、広島が新型爆弾でやられたから白い服を着るとやけどが防げると言われて疑いつつも率先垂範する役所の人(上田耕一)。 そういった市井の人々の暮らしの現実が描かれて面白かった。 里子はこのまま戦争が続いたら自分は結婚も出来ないかも知れないと思っている。実際の歴史を知る我々からするとそんなことはないと思ってしまうだろうが、8月に戦争が終わると知らない日本人は将来に不安を持っている。 母親は「心を許しちゃいけん。悲しむのは女だ」と言いつつどこか黙認している。 この辺の女性の心の機微は私には実はよく分かってない。 闇物資を市毛と二人でもって帰る里子が、神社でぐいぐいと押されまくるシーンは迫力のラブシーン。 結局二人は結ばれる。 しかし8月14日になって「いよいよ戦争が終わる」と市毛から聞かされる。 疎開していた市毛の妻と子供が帰ってくる。 雨に濡れた里子の顔のアップでストップモーション、ここで「里子は自分にとって戦争は続くと思った」(大体そういう意味)が字幕で出る。 え〜!ここは字幕じゃなくて台詞とかじゃないかなあ。 正直、ここで私はずっこけた。 だからそれが気になってその後「私がいちばんきれいだった頃」の詩が朗読されてもさっぱり耳に入ってこない。 がっかりである。 出演では叔母の富田靖子。最近観なかったが、デビュー当時は今で言う広瀬すずなみの美少女だったが、今はおばさん。でもおきれいでしたが。 阿片台地 地獄部隊突撃せよ日時 2015年8月22日13:15〜 場所 新文芸座 監督 加藤泰 製作 昭和41年(1966年) かつては大阪のヤクザだった宇留木少尉(安藤昇)は「捕虜を殺せ」という命令を出した上官に逆らってことにより、地獄部隊と呼ばれる軍法会議で囚人となったものだけを集めた部隊に送られた。 途中、八路軍に襲われ宇留木も死にかけたが、中国人の美しい娘(ペギー・潘)が助けてくれた。 なんとかたどり着いた宇留木だったが、そこでは日本軍が必要な阿片の栽培を行っていた。 半端者が集まる部隊だが、宇留木は持ち前の男気で班長になった。 やがて八路軍との戦闘が激化するが、本隊は応援を送らず、地獄部隊を盾にしようとする。 加藤泰監督も安藤昇も実はあまり好きな監督や俳優ではないのだが、お気に入りで上映される度に観ることにしている「独立機関銃隊未だ射撃中」と同時上映なので一緒に観た。 安藤昇の元ヤクザは博打にも強い。 最初に地獄部隊に送られて、そこで班長に「ここじゃ元の階級は通用しないんだ。俺に従うかどうか博打で決めよう」と言われ、受ける宇留木。 花札でまずは札を改めてそれから数枚ずつ配って相手と自分で好きな方を取る、それで強かった方が勝ち、という勝負だが、配り手がイカサマをしてるのを宇留木は見抜く。 ここは痛快である。 あとは本隊で物資を出し惜しみするので、それを奪うエピソード。「大脱走」みたいにトンネルを掘って、本隊とつなぐ橋を越えてたどり着く。 そして左卜全の金庫破り(と言っても映画では倉庫の南京錠を開けるだけだけど)がユーモラスに活躍。 ラスト、八路軍との戦闘が始まる。 本隊の隊長(菅原文太)は戦闘になったら応援を約束していたが、あっさり反故。橋の前で待ちかまえ、本隊に逃げようとすると「戦線から離れる奴は撃つ!」と機関銃をぶっ放す。 菅原分太、「仁義なき」のもちろん前だが、いい役ではない。 地獄部隊は全滅、そして文太のさらに上官に向かう宇留木。 その上官も死に際に「俺が出した命令じゃない。師団司令部が!」と往生際が悪い。 とにかく徹底的に「軍隊なんてところは!」と恨み節炸裂である。 宇留木はその後、自分を助けてくれた八路の工作員(ペギー・潘)と合流し、阿片を製造する日本軍ばかりを襲う場族になったとさ、というエンディング。 日本軍とか軍隊とかに対する恨み節満載の映画。 昭和42年だと実感を持ってくれる人も多かったんでしょうね。 集金旅行日時 2015年8月22日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 中村登 製作 昭和32年(1957年) 旗(佐田啓二)の住むアパートの主人が急死した。実は数日前に主人がカミさんに逃げられ、やけ酒をあおって心臓発作を起こしたのだった。まだ小さい子である勇太が残された。 借金取り(十朱久雄)がやってくる。しかしアパートの主人は家賃の未収や他に金も貸していたので、それを回収して借金を返し、アパートや財産を勇太に渡し、男と駆け落ちした勇太の母親の元に連れていくことにアパートの住民の間で決まった。 ちょうど会社が倒産して暇になった旗と水商売風の住人、小松千代(岡田茉莉子)が二人で行くことに。二人は勇太を連れ、中国山陰四国へと旅だった。 学生時代に観た「男はつらいよ」の同時上映作品で「神様のくれた赤ん坊」という渡瀬恒彦と桃井かおり主演の映画があって、その元ネタというかリメイクの元が「集金旅行」という映画だということは当時のキネ旬に書いてあり、ちょっと気になっていた。 「神様〜」はまあ面白い映画だったけど、取り立てて見直すほどではなく、その学生時代に観たっきりである。 今回ラピュタ阿佐ヶ谷の岡田茉莉子特集で元ネタの「集金旅行」が上映されたので、観た次第。 岩国錦帯橋、山口、萩の松下村塾、松江、尾道、徳島の観光地で堂々のロケ。 岩国では旗は元アパートの住人の地元のボンボン(大泉幌)から借金を返済してもらう。千代も「町の名士」が売りの男(伊藤雄ノ助)から慰謝料をせしめる。 山口では千代は今は市会議員の男から金をもらう代わりに「君も結婚したら。いい人紹介する」と萩に住む産婦人科の医者(トニー谷)を紹介される。 トニー谷やら大泉幌が笑わせてくれる。その芸を観るだけでも価値はある。 そして松江に行ったら借金の相手は亡くなっていて、思わず香典を渡してしまうお人好しな旗と千代。 だんだん千代も旗に好意を寄せるが、旗は絶対手を出さない。 肝心の尾道に行って勇太の母親に会う。 実はこの母親はもともとアパートの住人だった人と駆け落ちしたのだが、この男が肺病持ち。最初は拒否するが結局子供は母親と暮らした方が貧乏でもよい、ということで母親に引き取られる。 映画はここで終わるのかと思った。 ところが続くのである。 千代の処女を力ずくで奪ったヤクザな男(花菱アチャコ)を訪ねて行ってみる。最初は拒んでいた千代だが、阿波踊りを一緒に踊るうちに気が変わり、最後はなんと今ややもめ男のこのヤクザな男と結婚するという。 フラれた旗は一人で東京へ。 これは意外だったなあ。 予定調和的に喧嘩していた男女が最後は一緒になるという展開だと信じて疑わなかったので、驚いた。 最後には千代の結婚相手の男から「これ名物の焼き餅だ。船の中で食べてくれ」と渡されるが、それを船の中で一口食べて海へ放り捨てる。 「えっ地元の名物を捨てていいのかよ?」と製作の事情を勝手に察して気になった。 まあ映画としてはあそこで捨てるのが正しいとは思いますが。 中国四国の観光地や昭和の芸人の活躍が観られて、それだけでも価値はあった。 愛棒ー激情版ー 〜ヒロとマモルの事件簿〜日時 2015年8月16日15:30〜 場所 光音座1 監督 国沢実 製作 OP(新作) ヒロは80年代刑事ドラマにあこがれて警察官になったが、実際は交番勤務。道案内とかどうでもいいとしか思えない仕事ばかりで拳銃を撃ちまくる刑事にはほど遠い毎日。 そんなヒロを同僚のマモルは暖かく見守っていた。 ある日、酔っぱらいの喧嘩に巻き込まれ、拳銃を抜いてしまうヒロ。逃げた酔っぱらいを追っていったら酔っぱらいは見失ったが、覆面の男が男を犯してるところを遭遇する。 再び拳銃を向けるヒロだったが、逆に犯人に取られてしまう。 殴られて気を失ったヒロだったが、気がついたら交番の2階で寝かされていた。マモルが見つけてくれたのだ。 拳銃がなくなってることをヒロに言うと、ヒロは黙っててくれ、という。仕方なく報告しないマモル。 ヒロは拳銃を奪った昨日のレイプ犯を探そうと町を巡回する。 そして犯人と遭遇する。 OPの夏のゲイピンク新作。 正直、がっかりである 水谷豊の「相棒」のパロディっぽいタイトルでコミカルな警察ものを期待したのだ。 ところが全然違う。 ヒロは犯人に「お前はこの町のヒーローになりたいんだろ?ならこの人を犯してやれよ。犯されて魂が解放されて喜ぶから」などと言われて強姦魔と一緒になって強姦するようになる。 マモルがあれこれ心配してくれるが「お前はストーカーか!?」と取り合わない。 またあえぎ声だけのセックスシーンがあって飽きが来てちょっと寝た。 最後はマモルにヒロは助けてもらい、二人は結ばれる。 交番の2階のベッドで絡んでいると、強姦魔もやってきて「私も入れてください」と3Pになるという展開。 もうついていけない。 ポスターやタイトルのイメージから、二人組の警官が事件を追うが、一人は犯人に捕らえられたりして窮地に陥るが、なんとか相棒の協力で助け出され事件は解決。 二人の関係は深まる、という内容かと思ったら違うのですね。 出演者の魅力もなかったしね。 数少ない新作だけに期待したが、がっかり。 正月は期待するか。 夜は薔薇色 マイウエイ日時 2015年8月16日14:30〜 場所 光音座1 監督 新倉直人 製作 閉店間際のサラ金に二人のストッキングをした強盗が押し入った。二人の男性、一人の女性社員を人質に立てこもる。 そこへ何も知らない支店長が帰ってきた。犯人は4人の人質を取る。 その中の若い方が支店長に銃を突きつけ、年上の方が若い男性社員、中年の男性社員を犯していく。 事前に映画館のブログで「強盗ものらしい」とは知っていたので、クライムサスペンスを期待したが無駄だった。 期待した私がバカである。 話はほとんどそのサラ金の事務所から出ることはない。 若い社員とかが犯されるが、基本、ズボンとパンツを脱がされた状態で犯していくだけ。尻しか写らない。 それで腰振ってあえぎ声が聞こえるだけ。 10分やって、次に移って・・・の繰り返し。 途中で犯人の二人の過去が回想で描かれる。 実は若い男の方が、前にこのサラ金に来たのだ。「職業フリーター」(この言葉が出てきたから80年代後半の映画か)のため、「何やってるの?ホスト?ゲイバーで働いてるんだ?女装とかしないの?」と散々からかわれただけでなく、さわられてバカにされたのだ。 その話を店のママにしたら、「復讐しましょう」という訳で強盗に入った、というわけ。 この若い男が昔の山口達也風でわりかしイケメンである。 ところが、強盗の最中はストッキングをかぶっているので、そのイケメンが全く生かされない。 ひどい話だ。 結局、話はほとんどサラ金の事務所を出ることもなく、何事もなく、若い社員、中年社員、支店長の3人を犯して(それも尻だけだして、腰振って声出してるだけ。面白くも何ともない)2500万円もらっておしまい。 ひどいなあ。 脚本も何もない。 強盗が終わった後、若い男、マコトは警察に自首するという。 一応道徳には沿った結論だが、それなら観客に対する道徳としてこんないい加減な映画は作らないで欲しい。 ゲイピンクでもワースト作品かも知れない。 天皇と軍隊日時 2015年8月12日15:40〜 場所 ポレポレ東中野 監督 渡辺謙一 製作 平成21年(2009年) フランスのテレビ局が製作した「日本、天皇、日本の軍隊(自衛隊)」を真正面からとらえたドキュメンタリー。 終戦の玉音放送によって戦争は終結、天皇とマッカーサーの会談、天皇の人間宣言、朝鮮戦争の勃発により景気回復、そして警察予備隊の設立、安保条約、社会党政権になったときに自衛隊を合憲と認めた、天皇の死去(ベルリンの壁崩壊と同じ年)などの戦後史を俯瞰してとらえる。 フランス人向けだからナレーションはフランス語。今回の上映ではそれに日本語字幕がつく形式。 これがまた丁寧に日本の戦後史を解説してくれる。 フランスで製作されたというドキュメンタリーだから、何か日本人とは全く別の視点で天皇を捉えるかと思ったら、そうでもない。 監督が日本人なせいもあるだろう。 日本における「天皇」の立場を解説していく。 だから正直、私には「当たり前のよく知ってる戦中戦後の天皇の歴史」が出てくるだけに過ぎず、いささか拍子抜けした、というのが本音。 そんな中でも「社会党が政権を取り、それまで違憲としていた自衛隊を認めたことで社会党は終わった」というナレーションがあった。 そりゃそれも一つだとは思うけど、それだけじゃないような気もするがなあ。 社会党政権の時に阪神淡路大震災とか地下鉄サリン事件があったりした。もちろん自民党だったらもっとましな対応が出来たとは私は思わないが、社会党の評判を落とした原因の一つだと思う。 最後に昭和天皇の記者会見が出てきた。 この記者会見のことは覚えている。記者から「どんなテレビ番組をご覧になりますか?」と問われ、「各社の競争もだいぶ厳しいようですから、回答は控えたいと思います(笑)」と答えたシーンだけ覚えている。 (あっこのシーンは映画には出てきません。私の単なる思い出話です) 映画の中では「広島の原爆投下についてはどのようなお気持ちでしたか?」という質問に対し、「広島の人々には大変気の毒だとは思いますが、戦争中のことですから仕方なかったと思っています」と答えたシーン。 これが昭和天皇嫌いの人には「そらみろ、天皇なんて・・・」という文脈で語られる。 でも私には「だからと言ってアメリカ批判も出来ないし、ああいう言い方しか出来なかったのでは?」と思った。 「もっと戦争を早く終わらせればよかった」と言えば終戦に尽力した閣僚たちを否定しかねないし。 天皇という立場上、誰かを批判することは出来まい。 さっき言った物足りなさもあるけど、「天皇と軍隊」と真正面から捉えたことには意義はあると思う。 私より若い人はこういう戦後史をよく知らない場合もあるだろうしね。 野火日時 2015年8月12日11:00〜 場所 ユーロスペース2 監督 塚本晋也 1944年フィリピン・レイテ島。田村一等兵(塚本晋也)は肺病を患い、病院送りになった。しかし上官とて田村を気遣った訳ではなく、食料も乏しい中やっかい払いをしたに過ぎない。病院に行っても持参した少ない芋を取り上げられて、すぐに「退院、原隊に復帰しろ」と言われる。部隊に戻ってもまた「病院に行け」と言われる。 行き場を失った田村だが、病院の近くで安田(リリー・フランキー)と永松(森優作)という兵隊に会う。 安田はたばこをたくさん持っており、これを芋と代えようとしていたが、今はたばこを欲しがるものはいない。 病院も空襲にあい、追い出される田村たち。 一人になった田村は誰もいない村の建物で塩を見つける。しかしそこで現地の人を成り行きから撃ち殺してしまう。 田村は別の兵隊たちに会い、そこの伍長の話では日本兵はみなパロンポンに集合するよう命令が出てるという。 田村も彼らとパロンポンに向かうが、ジャングルには日本兵の死体が累々と横たわっている。 塚本晋也が高校生の頃に原作を読み(塚本監督は昭和35年生まれ)映画化を熱望したという作品。 低予算で作られたらしいので、しょぼい画になっているかと思いきや、十分な迫力。 レイテの話だけど予算がないから都内近郊でごまかしたのかと思っていたら、あの太陽と空と緑のコントラストの濃さは南国でしか撮り得ないだろう。 沖縄やフィリピンで撮影されたようだ。 話の方はとにかく重い。重い。重い。 これほど重い映画も珍しい。 戦争なんて別に銃弾が飛んでくるだけじゃない。 立ち向かうのは飢餓である。食い物が何もない。わずかな芋を巡って喧嘩する。 そして汚い。とにかく汚い。 史上最低に汚い兵隊の登場だ。 不潔、不潔、不潔。 天皇もアメリカもない。 目の前の敵は飢餓である。 田村は「猿の肉だ」と言われて干し肉を食べる。 しかしそれは実は日本兵を殺した肉だった。 南国の青すぎる空、目にまぶしい緑、海と兵隊たちのやっていることのコントラストが余計に兵隊たちの行動をばかばかしく思わせる。 「一体何をしてるのか」と。 この映画を観ればもう戦争は二度としないと思うだろう。 しかしこれから起こる戦争は、この映画に出てくる戦争とは全く違う形態の気がしないでもない。 無線操縦のドローンが人々を襲い、町にはミサイルが飛んでくる。 そして戦争をしたがる人はこの映画を観ることは(たぶん)ない。 だからこのような映画を作ることが無駄だとは言わない。 この映画を観た我々が戦争を押しとどめようとする努力が必要である。 ともすれば無力感に襲われるかも知れないが。 ジュラシック・ワールド(2D)日時 2015年8月11日19:20〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン3 監督 コリン・トレボロウ 「ジュラシック・パーク」計画の失敗から20数年。今や「ジュラシック・ワールド」として開業し数年が経ち来場者数は毎日2万人以上。しかも数年に一度新しい恐竜を登場させなければならないなど、他のテーマパークと同じく経営上の悩みもあった。 「ジュラシック・ワールド」としてはより観客にとって刺激的な恐竜が求められた。研究チームのリーダー・ウー博士(B・D・ウォン)により新種インドミナス・レックスを遺伝子操作によって作り出す。 パークのオペレーションマネージャーのクレアの甥のグレイ(タイ・シンプキンス)とザック(ニック・ロビンソン)の二人がジュラシックワールドに遊びに来た。 忙しくて二人の相手が出来ないクレアは自分のスタッフに二人を任せる。 その時、インドミナスが行方不明と報告を受ける。 慌ててグレイとザックの居場所を確認するクレアだったが、二人も行方不明だった。クレアは元恋人で恐竜行動学の研究をしているオーウェンと共に二人を探し始めるのだが。 「ジュラシック・パークV」から14年。もうそんなになるかと思う。 「V」の公開のころは数年おきにシリーズが公開され、監督もスピルバーグでなくなり、マンネリ感もあったように思う。でも10年過ぎれば昨今のリメイク、続編ブームに乗っ取って話題である。 何しろその間に3Dも出来たしね。(逆に今は下火になりつつあるが。その代わりアトラクション型の4DMXとかいうのも出来てる。これはまた体験したいと思う) 今回思ったのはT作目を意識してるなあということ。 先週予習でBRで自宅で見直したから余計にそう思った。ちょうど「ゴジラ」でT作目を意識してしまうようなものか。 恐竜の研究者の研究者であの中国人が出てきたから「ああ!」となった。T作目では助手の一人だったが、今回はチームリーダーに出世している。 同じ役を20数年たって演じてるわけですから「東京SOS」の小泉博さん並ですよ。 そしてグレイとザックが避難して入ったのが、T作目に登場したビジターセンター。T作目ラストでラプトルをTレックスが倒したあとにハラハラと横断幕が降りてきたのが印象的だった。(この横断幕になんて書いてあったかがBRには字幕がなかったのが残念) その落ちたままだった横断幕を拾うカットあり。 壁にかかれたラプトルの絵まで出てくる。 そして次に「ジュラシック・パーク」のロゴが描いたジープ登場。いや感激です。「007」でアストンマーチンが登場した気分です。 今回もラプトルに主人公たち4人が囲まれて「万事休す」となる。ここもT作目と同じ。そこでラプトルを手懐けてインドミナスに向かわせる。そこでTレックス登場。 ここで怪獣映画ファンは大興奮の恐竜同士の決戦! 最後の最後に(その前に鮫を食べるショーをやっていた)プールの前に来たら「ここまで第T作を意識したらこうくるでしょう」と思った通りの展開! 心の中で拍手喝采した。 その前に気になった点が一つ。 グレイとザックが球体の車に乗って見学中に「帰ってください」とアナウンスがある。そこで帰らずにしかも「立ち入り禁止」区域に入ってしまう。 「普通じゃ物足りないだろ」とか兄が言うのだが、この展開はよくない。こういう展開をする奴は映画ではすぐに死ぬはずだから。 その点、1作目では主人公たちはそういう「ルール違反」をしてなかったものなあ。 ジュラシック・ワールドの描き方としては鮫を食わせるショーをしてみんなでケータイで写真を撮っていたり、フードコートに「寿司」とか書いてあったり、スターバックスも出店していたりで楽しい。 ただし2万人来場してる割には狭いような気がしたが。 あと個人的に好きなプティラノドンが登場するのがいい。 楽しかった。 青春ディスカバリーフィルム-いつだって青春編-日時 2015年8月9日21:25〜 場所 シネマート新宿スクリーン2 監督 谷健二 田尻裕司 城定秀夫 いまおかしんじ 若手俳優と新進監督の組み合わせで送るオムニバス映画。 それぞれ15分〜26分程度の上映時間の4本。 監督はいまおかしんじ、城定秀夫、田尻裕司などピンク、Vシネの監督でそれぞれの青春を描く。 「23時59分59秒」 (監督 谷健二 出演 中村誠治郎/根本正勝) 高校時代からバンドを組んで路上ライブをしてきた優一と達也。達也の元に事務所から「あいつにあのこと話したか?ちゃんと話せよ」と連絡が入っていた。 最後の路上ライブを終えた晩、二人で飲みに行くがなかなか言い出せない。それは事務所の方針でボーカルの達也だけをデビューさせるということだった。 達也が言い出せないことというのが、「路線を変更する」とか、もっと無茶苦茶なことかと思っていたので、「片方だけデビュー」という割とありがちなことだったので、物語としての意外性はなし。 それに後半で二人でバンドを組むことを約束した公園に行ったり、二人で夜中に「最後のライブだ!」と言って歌うという展開。 正直、オチも意外なラストもなく、一番面白くない。 「純愛ストーカーくん」 (監督 田尻裕司 出演 富田翔/荒牧慶彦/南千紗登) アジアやアフリカの放浪の旅から1年ぶりに日本に帰ってきた沢嶋。彼女の部屋に合い鍵で入ってみたら見知らぬ男・小野が寝ていた。驚く沢嶋。話を聞いてみると小野は沢嶋の彼女が引っ越した後に住んでいるということだ。 翌日、小野は沢嶋と共に彼女が通っていた専門学校に行ってみる。そこで彼女の友人に出会い、彼女が実家に帰ったことを知る。その友人から彼女の実家を教えてもらい、行ってみる沢嶋と小野。 なんと彼女は妊娠していた。結婚していたのだ。 住人が変われば普通、鍵は変えるものだから設定そのものに少し疑問は残るが、偶然出会った彼女の友人から「やめときなよ。連絡しないで去ったんでしょ。いい結果ないよ」と言われたにも関わらず、彼女の実家に行くのがいい。 観客がそう思う前に「それを分かっていても行く」のがあってよかったと思う。 後半、小野の彼女が1ヶ月前に自殺していて、自分も後追い自殺する展開はちょっと強引すぎる気がした。 「張り込みメシ」 (監督 城定秀夫 出演 波岡一喜/馬場良馬) テロリストが女房子供の元に帰るかも知れないと団地を見張る刑事の鮫島。そこへ応援で中村がやってくる。 カップめんやおにぎりばかりの飯に飽きていた鮫島だったが、中村はカップめんの残り汁におにぎりを入れたり、クリームパンをストーブで暖めたりと工夫をする。 「おいしいもんを食べてる時がいちばん幸せ」という中村に感化されていく鮫島。 張り込み先の奥さんが作った石狩鍋を見て、北海道出身の犯人が帰ってくるのか?という展開。すぐに踏み込もうとするが、「まあまあ食事が済んでからでも」と中村に止められて「食事の幸せをお互いに感じる」という結末。 25分という短さもあるかも知れないけど、ちょっと展開とかオチが弱い。 城定監督だからもうちょっと期待していましたが。 「なんでも埋葬屋望月」 (監督 いまおかしんじ 出演 鈴木拡樹/河原田巧也/高崎翔太) 望月とゆうきは失恋の思い出とか、「あなたの埋葬したいものを埋葬します」という「埋葬屋」を森の中で営んでいた。 ある日、野球のボールが望月に当たってきた。 ボールの飛んできた方を見ると俊が首吊り自殺をしようとしていた。 今日、この映画を観たくて見に来た次第。 いまおか監督の新作だ。 「トキ・エンタテイメント」という会社が自社のタレントを使って短編映画を作ってそれぞれイベント上映をして数少ないファン相手に資金を回収しようという魂胆らしい。 だからパンフレットも2000円する。(4本で、ではなくそれぞれ1本2000円である。さすがに「パンフレットは全部買う」主義の私でもこの「埋葬屋望月」しか買わなかった) あまり期待していなかったが、なかなかどうして、いまおか節炸裂の作品だ。 失恋の思い出などを埋葬して金をもらうという「ちょっとおかしな人たち」が主人公というものいまおか監督らしい。 案外シリーズ化してもいけるんじゃないか? 俊が「自分が死んだ後にせめて下ろしておいてほしい」と頼むと望月は「俺ら埋葬屋だから」と引き受けるが金をもらう。 自分の車に連れていって裸にして体重を量り「58キロだから5800円」というあたりが笑える。 望月は金だけもらって死体をそのままにしようとするが、ゆうきから「それじゃ詐欺ですよ」と止められ、死体を埋めると犯罪になりかねないので、俊を生きたまま首だけだして埋めてみる。 俊は野球をやっていたがキャッチャーで、ピッチャーだった親友が先日自殺した。彼のために何も出来なかったことを悔いて自殺しようとしたのだ。 土の中で過ごす晩、俊の前に自殺したピッチャーが現れる。 「お前何やってるんだよ」「彼女出来たか?」「生まれ変わったらお前の彼女になってやるよ」などとピッチャーは言う。 その言葉に助けられ、自殺を思いとどまる俊。 いまおか監督らしい死者との交流、自殺したものと残されたもの、などいつものモチーフが登場し、どこかにおかしさと優しさが漂っていてよかった。 観客はイケメンな出演者が目当てだが、それにしてはちょっとアップが少ないかな。 いまおか節炸裂ながら、ピンクやエロチックドラマにある「女優」はメインではない。おっぱいも出ない。 今までなかった要素もある新しいいまおか作品で、私は好きな作品です。 ガンヘッド日時 2015年8月9日16:00〜 場所 京橋フィルムセンター 監督 原田眞人 製作 1989年 2005年、太平洋の島「8JO」にオートメーションのロボット工場が出来た。20年後の2025年にロボットが反乱を起こし、人間が逆に支配された。コンピューターチップやプラスチックが金より貴重になった2038年、この8JOにそれらのお宝を求めてやってきたトレジャーハンターがいた。 しかし彼らはすぐにコンピューターの攻撃にあい、メンバーの半分が死んだ。しかしその8JOで通称ブルックリン(高嶋政宏)は生き残っていた子供二人とダラスの研究所から「鉱石」を盗んだアンドロイドを追ってやってきた女伍長ニムと出会う。 ブルックリンはメカに強いので、まだ使えるロボット兵器「ガンヘッド」を修理し、このロボットタワーと対決する。 昨日、「日本のいちばん長い日」を観たわけだが期せずして原田監督作品を2日続けて観ることとなった。 この「ガンヘッド」ってあんまり評判がよくない。 権利関係の問題もあるのか、東宝からはDVDが出ておらず、人気がないからなのか上映もあまりされずに観る機会が少ない。 今回フィルムセンターの上映で初めて観た。 設定がスーパーなので最初に説明されるが、これが正直よく飲み込めない。 そのまま映画は進んでいき、ミッキー・カーチスとか斉藤洋介とかの個性派役者がお宝を追ってきた高嶋政宏のチームメンバーで登場するが、映画が始まって10分ぐらいで死んでしまう。 おいおい、それはないだろう。 それで結局ブルックリン一人でガンヘッドを操縦。 ところがガンヘッドは英語で話す、ブルックリンは日本語で話す、間には通訳機が無くても通じてしまう不思議な世界。 ガンヘッドだけじゃなく、登場人物たち全員が勝手に日本語を話し英語を話す。 訳分からん世界観。 肝心の戦いなのだが、暗いロボットタワーの中で1階から400階ぐらいまで上っていくのだが、ガンガンミサイルやらレーザーやらが飛んできてそれをどっかんどっかんと撃ち合ってるだけ。 メンバーが死んでいるので、高嶋の一人芝居で暗い空間でスモークがあって逆光で爆発があってとそればっかりの映像が続く。 なんか眠くなった。 終わって知り合いの若い特撮ファンに会ったら、やっぱり眠くなるし、設定がよく分からないという感想を最初は持つらしい。 2回観ればまた違うらしいけど。 とにかくドラマはないし、似たような画が続くし、あんまり人気がないのはもっともだな、と確認した次第。 ソ満国境 15歳の夏日時 2015年8月9日10:30〜 場所 新宿K's cinema 監督 松島哲也 2012年の福島。地震、津波、原発事故の三重苦の中で人々は仮設住宅で暮らしていた。 今年中学三年の吉川(柴田龍一郎)、沢村(金沢美穂)、今中(木島杏奈)、岡嶋(澤田怜央)、橋本(清水尋也)たち放送部は去年に続いて今年も作品が作れないことを残念に思っていた。カメラや機材が津波ですべて無くなったのだ。 夏休みが始まる日、顧問の先生から機材がそろったと知らせを受ける。その機材は旧満州のある村から送られたものだという。 そのカメラを使ってその旧満州の村を取材して欲しいというのだ。 不思議な気持ちを持ちつつも、古賀先生と5人の生徒は中国に渡った。 基本的に戦争映画は好きなタチなので、戦争関連映画は観る。 今回は1945年8月にソ満国境に取り残された中学生と逃避行の話だ。 勤労動員でソ満国境付近の農場に送られた新京の中学生120名。農場で2ヶ月働くうちにソ連が参戦。彼らは徒歩で新京まで帰ろうとする。 途中ソ連軍の捕虜になり、1ヶ月ほど拘束されたが解放された。しかし先生とは別れさせられる。残るは中学生だけだ。捕虜の時にろくな食事も与えられなかったため、体力は弱り、仲間の広木(清水尚弥)は歩くことが困難な状態だった。 やがてある村にたどり着く。 原作は未読だが、関東軍から見放された中学生たちの逃避行の経験談をつづった本のようだ。 だから福島の放送部の件は完全にこの映画のオリジナルだろう。 パンフレットを読むと311前から映画を準備していたが、311が起こって脚本を脚本が変わったらしい。 多くの映画人が作品を準備中に311に遭遇してその企画が変わってしまったことがあるようだ。 「国から見放された」という点で共通点があるということだろうが、ちょっと強引すぎる気がしないでもない。 現代の中学生を招待してくれた村の長老(田中泯)が自分の体験を語り出す。 実は彼は新京一中の生徒だったのだ。 そして自分たちを助けてくれた村に残ったのだという。自分は朝鮮人で朝鮮人として生きていくためにも。 そして日本に帰ってから、自分たちの中学の除線作業のボランティアをしてる人(夏八木勲、上田耕治)も新京一中の生徒で、あの瀕死だった広木君も生きていた! 「自分たちが中国人に助けてもらったように今度は今の中学生のために何かをしてやるのは世代としての勤め」と夏八木勲が言う。 後半はいい人がたくさん出てきて、感動である。 もう感動するしかない。 やや出来すぎ感は残るけど、ソ満国境に残された15歳の少年たちの事件を記憶するためにも必要な映画だと思う。 日本のいちばん長い日(2015)日時 2015年8月8日10:45〜 場所 新宿ピカデリー・シアター3 監督 原田真人 昭和20年4月、敗戦色の濃い日本。鈴木貫太郎(山崎努)は天皇(本木雅弘)より、総理大臣の拝命を受ける。 一時は固辞した鈴木だったが、天皇の侍従時代に侍従武官長を勤めた阿南(役所広司)を陸軍大臣に据えることにし、総理を引き受ける。 すでに戦艦大和も無くなった海軍と違い、陸軍は徹底抗戦を主張していた。 やがて連合国よりポツダム宣言が通告される。 天皇はポツダム宣言受諾を承知したが、陸軍をはじめとする抗戦派は「国体の護持は担保されない限り受諾は認められない」と再照会を希望。 「天皇及び日本国政府は連合国司令官にsubject toする」とあり、これを「制限下におかれる」と解釈する外務省、「隷属する」と訳す陸軍でまた対立が起こる。 鈴木総理は天皇のご聖断を仰ぐことにする。しかし憲法上の仕組みもあり、あくまで天皇が召集したという異例の形を取った。 ポツダム宣言の受諾は決定した。 畑中少佐(松坂桃李)をはじめとする抗戦派はクーデターを開始する。 今年は終戦70周年で、それを記念しての松竹大作。 以前から「日本のいちばん長い日」はまたリメイクされてほしいと思ってたし、その際は「阿南は役所広司で!」と思っていたので、期待の映画。 今日本で阿南を演じられるのは役所広司しかいないだろう。 喜八版では8月14日11時過ぎのご聖断までを20分、その後の24時間を2時間以上で描くという時間だったが、今回は鈴木貫太郎が総理を引き受ける4月から話が始まる。 だから8月14日を迎えるまでで1時間かかっている。 従って最後の24時間の描き方は喜八版に比べるとずいぶんと希薄。 だから正直「日本のいちばん長い日」というタイトルはあってないかも知れない。 「聖断」というタイトルとかの方があってるかも。 パンフレットを読むと分かるが、今回原田監督は「鈴木=阿南=昭和天皇」の三者を疑似親子兄弟ととらえたそうだ。 だから阿南が「天皇が娘の結婚を案じてくれた」というシーンがある。これを「不要」ととらえるか「昭和天皇との関係性が分かって面白い」ととらえるかでこの映画の好き嫌いが分かれるのではないか。 私は喜八版では描かれなかったこの3人の関係性が描かれてよかったと思う。 また昭和天皇が阿南を「あなん」と呼んでいたことも描写。 同様に天皇が「阿南よ、心配するな。私には確信がある」発言や「終戦の詔書を書いた安岡」が名前だけでも登場し、「森師団長を殺したのは上原大尉」そして窪田少佐の名前もちらっと出てくる。近衛師団の古賀少佐(喜八版では佐藤允)が東条の娘婿だという描写もあった。 この辺の喜八版には欠けていた所が出てくるのはファンとしてうれしい。 またナポレオンに例えて東条を天皇が叱るシーンがあるのが痛快。 「subject to」問題や「戦局好転せず」問題も描かれていてほっとした。 公開前は役所、本木、山崎、松坂と迫水書記官長の堤真一しかキャストが出てこない。他の役が誰が演じるか全く分からなかったのだが、映画を観たらこの5人以外は名前を知ってる役者がほとんどいない。 正直誰が誰やら分からなくなるし、「スターの顔見せ」の楽しさがない。 最初は違和感があったが、「いやこれでいいかも」と思い直した。「聯合艦隊司令長官山本五十六」や「男たちの大和」の今のスターたちが演じる違和感を感じまくったじゃないですか。それならいっそ名前の知らない役者が演じたほうがリアルでよかったかもと思い直した。 松山ケンイチが横浜の佐々木大尉役だったのはうれしい。 (少ししか出ないけど) そう思って喜八版を見直すと「顔見せ的お祭り感が強いかも?」と思えてしまう。 今回は森師団長殺害シーンもあっさりしてるし、喜八演出はケレン味たっぷりである。 いいとか悪いとかじゃなくて手法が違う。 その辺の好き嫌いは分かれそうである。 新しい描写として、阿南が夜中の陸軍省でたまたまついていたラジオから流れる「We'll meet again」を聞くシーンがある。 でもこれって「博士の異常な愛情」の曲でしょ? 意図してこの曲を使ったのだろうか? あとは美術セットやロケ地が昭和20年当時の雰囲気が良く出ていて、金がかかってる感がよかった。 雑誌「シナリオ」に掲載されたシナリオも読んで、細かいところを確認のためにもう一度観てみたいと思う。 家族ごっこ日時 2015年8月7日21:00〜 場所 新宿K's cinema 監督 木下半太 内田英治 <No.1>「鈴木ごっこ」(監督 木下半太) 闇金の返済のためにあるマンションの一室に集められた男3人と女一人。突然隣の二階堂さんがやってきたためにとっさに鈴木タカシ(斉藤工)、小梅、カツオ(小木茂光)、ダン(柄本時生)と名乗ってしまった。 闇金から指令がきた。それは「隣の二階堂さんと1年以内に寝ろ」というものだった。それで借金はなくなるという。 <No.2>「佐藤家の通夜」(監督 内田英治) 佐藤家の父が死んだ。通夜の前に父が結婚指輪をしてるのが分かる。母が死んでから父は家族に内緒で再婚していたのか?通夜にその妻が現れるかも知れない。通夜の後、弔問客が喪主に話があるという。 <No.3>「父の愛人たち」(監督 木下半太) 山崎先生と言われる人が死んだ。死んだときは誰かとセックスしていたらしい。山崎には7人の愛人がいた。山崎は「俺を腹上死させた奴に遺産の3分の1をやる」という遺言を残していた。一番新しい愛人の萌がこない中、6人の愛人と山崎の息子(小林豊)が集まり、誰が相手だったのかをさぐりあう。 <No.4>「貧乳クラブ」(監督 内田英治) 4人姉妹の田中家。彼女たちはそれぞれモデルや女優をしていた(そんなに売れてないようだが)。彼女たちの悩みは胸が小さいことだった。 それが誰が一番小さいかで大喧嘩になってしまう。 <No.5>「高橋マニア」(監督 内田英治) 年金がもらえる父をあてにしてニートの息子と娘とその娘の4人家族。父は突然「やるしかないんだ!」とある計画を立てる。やがて自宅で映画の撮影の準備が始まった。 女優もやってきた。はたしてなにが始まるのか? 斎藤工の出演作ということで観に行ってきた。 でも斎藤工が出演するのは最初のエピソードだけ。 結論からいうと最初のエピソードがいちばん面白かった。 「隣の奥さんと不倫しろ」という指令の意味することは何か?3人の男性メンバーの健康を気遣ってあれこれ指図し、食事管理をする「小梅」は何者か? 実は小梅は闇金と通じていて、栄養士の資格を持つ彼女は3人の男に栄養バランスのいい食事をさせて健康に戻す役目を負っていた。で3人を健康にさせて臓器売買しようというのが目的。 でも実は3人はそれに気づいていて、闇金(二階堂さん)や小梅から逃げ出すのだった、というオチ。 ラストのオチも決まっていて、一番まとまりがよかった。 斎藤工も魅力的だったし。 第2話は父は実はクリスチャンだったという展開。教会n仲間が「葬式はキリスト教式で」と言い出したことから始まる騒動。 「私たち父のことを避けていた」と反省する話。 第3話はこれが二番目に面白かった。 女たちは自分が最後に寝た女だ、と主張するが女優は「クランクインの前日は絶対に先生に会わないはず」とかそれぞれ論破されていく。 つまり不在証明が崩れていくのではなく、存在証明が崩れていく過程が面白い。仕切っていくのは先生の義理の息子。これが探偵役になる。 結局その場にいない「萌」と呼ばれる新しい愛人が現場にいたらしいとなる。最後に義理の息子(だと思う)が化粧をして去っていくのがラストカットなのだが、これは「義理の息子ではなく女だった」という意味なのか、「先生も最後には『男の娘』に目覚めていた」という意味なのかが分かりづらい。 第4話の貧乳クラブだが、最初から分かりづらい。 20代の女性4人がいて(さらに画面には出てこない女性がいるらしい。で弟もいる)、それぞれ女優やモデルをしてるらしいので逆に家族とは思わなくて、女優やモデルがルームシェアしてるのかと思った。 それぞれ胸が小さくそれがコンプレックスで、最後には4人でお互いの胸をつかみ合って大きさ比べをするという展開。 面白くも何ともない。 第5話は父親の年金に頼ってるニートの息子と娘。 映画を撮り始めたが、それがマニア向けの殺人ビデオだったという展開。「冷たい熱帯魚」で殺人鬼を演じていたでんでんが、今度は怖くて人を殺せない男を演じてるのは意図的なのか? 殺される女優が「貧乳クラブ」に登場した姉妹の姉という設定らしい。特にオチがあるわけでもなく、印象に残らない。 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN日時 2015年8月4日18:50〜 場所 新宿ピカデリー・シアター1 監督 樋口真嗣 100年前、突然人間を食べる巨人が現れ、人類はなすがままだった。人間は巨人が入ってこれない壁を3重に作り、一番中の壁が行政機構が集まり二番目の壁には富裕層が住み、三番目の壁の中に庶民が住んだ。 人々は3番目の壁の中に作った畑で食料を得ていた。 エレン(三浦春馬)、ミカサ(水原希子)、アルミン(本郷奏多)は幼なじみの3人。もう100年も巨人は現れておらず、エレンは「巨人なんていない。俺は壁の外にあるという海を見たい」と言い出す。 そんな時、突然超大型の巨人が現れ、壁の一部を壊した。そこから巨人たちが入ってきて人間を食べだした。 逃げる途中でエレンとミカサは離ればなれになり、ミカサは行方不明となった。 それから2年、今やエレンもアルミンも兵士になっていた。今や火薬も底をつきそうになった今、外壁の穴をふさぐ最後の部隊が送られることになった。今までの部隊はことごとく途中で巨人によって全滅させられたのだ。 エレンたちはジャン(三浦貴大)、サシャ(桜庭ななみ)、ソウダ(ピエール瀧)、ハンジ(石原さとみ)と共に出発する。 8月1日より公開の樋口真嗣の新作。 怪獣映画ファンにとっては(怪獣じゃないけど)期待の新作だ。 私も乗り遅れまいと思い、平日の夜鑑賞。 結論から言うと私は乗れませんでした。 まず巨人が気持ち悪い。 巨人っててっきりシュワルツネッガーやスタローンのような筋肉質な巨人を勝手に連想していたが、全く違う。 デブでハゲのおっさんが全裸になって人間を襲うんだよ。 それは気持ち悪いでしょう。 ちなみに「巨人には性器はない。だから繁殖方法が不明」ということだから、性器はないよ。 おっさんだけでなく、デブのおばさんとか醜い赤ん坊とかとにかく気持ち悪い。 もう生理的にだめ。 怪獣映画に登場する怪獣は基本、かっこよかったり可愛いかったりするもんだよ。 そして出発したエレンたちだが、休憩中に女隊員が「赤ん坊の声が聞こえる。助けなきゃ!」と言って廃墟に入っていく。エレンも「そんな子供がいるはずがない」というが入っていく女隊員についていく、という展開があるのだが、泣き声はなんと赤ん坊の巨人、というオチ。 そこから巨人たちが現れて隊員が次々とやられていくが、はっきり言ってバカである。 単独行動は作戦を失敗させる元である。 どうしても行くなら「生きている赤ん坊がいるかも?」という伏線が必要なのではないか? 次に美術というか、衣装というか、設定の問題というかどうしても気になったことがある。 主人公たちがヘルメットをかぶってないのだ。 戦闘するにはヘルメットは基本でしょう。 それがないからどうにも気になって仕方ない。 瓦礫ですぐにやられるよ。事実撮影風景のスチルを見ると、スタッフはヘルメットを被っている。 おいおい役者はいいのかよ? そしてワイヤーを打ち込んで、それに引っ張られて空中を飛ぶ装置だが、ワイヤー絡まらないの?どういう仕組みなの? そういう細かいことが気になって物語り世界に入れない。 エレンが巨人に一度食われて胃の中に入ったことでどうやら巨人の謎をつかむヒントが得られる。 たぶん巨人は100年前の人類が誤って作ってしまったものではないのか? 國村隼が「科学の発展のしすぎが環境破壊を生んでしまった。だから科学は発展し過ぎない方がいい」という趣旨に発言もしていたし。 いろいろと作品には乗れないけど、後編も見ます。 本郷奏多はファンなので出演はうれしい。 パレンバン奇襲作戦日時 2015年8月2日18:50〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 小林恒夫 製作 昭和38年(1963年) 米英と戦争が始まって間もない頃。陸軍はパレンバンの製油所を火急に制圧する必要があった。しかし落下傘部隊で急襲しても「日本軍に渡す位なら」と制圧前に敵に爆破される恐れがあった。 それを防ぐために落下傘部隊の本隊が到着する前に敵が仕掛けてあると予想される爆破装置を破壊する必要があった。爆破阻止作戦だ。 隊長は野尻中尉(江原真二郎)。武内軍曹(織本順吉)は並河(今井健二)、村越(山本麟一)、堀江(潮健児)を選んだ。しかし製油所付近の地理の情報がなく不安が残る。 そこにパレンバン製油所で技師をしていたという男、砂見(丹波哲郎)が憲兵に逮捕された。実はこの男、脱走兵らしい。野尻はそれを不問にする代わりにこの作戦に参加させることに。 元脱走兵だけに軍隊に対して批判的な砂見だが、パレンバンではこの男が頼りだ。 丹波哲郎主演の戦争活劇。監督は小林恒夫。この監督の映画は面白そうな題材でもいまいち面白くならない印象がある。 観る前は丹波哲郎が隊長だと思っていたので、始まってもなかなか出てこないのでやきもきする(タイトルではトップの1枚看板だったのに)。 と思っていたら、やっと登場。 即席の落下傘訓練を受けるが、やる気まるでなし。 ついに作戦開始、という訳で降下するのだが、早速山本麟一が負傷。 その後もマレーシアの独立運動家のグループに捕まったり、オランダ軍のトーチカを襲ったり、教会に逃げ込んで尼僧(フランソワーズ・モレシャン)に匿ってもらったり、製油所の情報を得るために丹波が技師が集まりそうな酒場に行って昔なじみの技師(岡田真澄)を連れてきたりする。 今一つ盛り上がらないのは隊員に特技とか特徴がないからだろう。 織本順吉はゴリゴリの軍人でいいとして、山本麟一とか元ヤクザでばくちに強いとか、潮健児は女好きの設定だがだったら現地の女を口説いて情報を得るとかそういう特技を生かした展開があってもいいと思う。 岡田真澄はオランダ人の父と日本人の母の間に生まれたという設定だが、結局丹波は彼から爆破装置に関する情報を得てない。 そして隊員は一人また一人と死んでいき、丹波も死んで生き残ったのは江原隊長だけ。悲壮になるのが東映っぽいと言えるか。 それにしてもこういう「特殊部隊もの」って普通は作戦のじゃまになるものを爆破するものだが、この映画は「爆破阻止作戦」。うん、予算がかかならくていい設定だ。 最初と最後の空襲するための飛行機のシーンは矢島信男特撮。 脚本がもうふたひねりあったら、もっと面白くなったかも知れないので、ちょっと残念な映画。 人間の條件 第一部〜第六部日時 2015年8月1日 第一部第二部 10:40〜14:10 第三部第四部 14:30〜17:35 第五部第六部 18:15〜21:25 場所 丸の内ピカデリー2 監督 小林正樹 製作 (一部二部)昭和34年(1959年) (三部四部)昭和35年(1960年) (五部六部)昭和36年(1961年) 「人間の條件」は「名画座」に記しました。 |