2016年7月

   
シン・ゴジラ 地球の静止する日 インデペンデンス・デイ インデペンデンス・デイ
リサージェス
大怪獣モノ 日本で一番悪い奴ら 太陽の蓋 丼池
ひめゆりの塔
(1995)
美少年のまなざし NUDE MAN 麗人に乾杯 FAKE
ひめゆりの塔
(1953)
セトウツミ セミドキュメント
オ・ト・コの穴場
さすらい

シン・ゴジラ


日時 2016年7月29日19:10〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン7(TCX)
   2016年7月30日19:15〜
   新宿ピカデリー・シアター1
脚本・総監督 庵野秀明
監督・特技監督 樋口真嗣



「シン・ゴジラ」に関しては「名画座」に記しました。







地球の静止する日


日時 2016年7月24日
場所 DVD
監督 ロバート・ワイズ
製作 1951年(昭和26年)


ある日、ワシントンに宇宙船が降り立った。宇宙人とともに大型のロボットが出現。軍が取り囲む中、ロボットは兵隊の銃や戦車を溶かしてしまう。
宇宙人が何かを渡そうとしたとき、恐怖に駆られた一人の兵隊が宇宙人を撃つ。
とりあえず病院に運ばれる宇宙人。彼は腕を怪我しただけで助かっていた。彼は自分をクラトゥと名乗り、すべての国の首脳を一同に集めるよう要望する。彼がやってきた目的は無用な憶測を招くのを防ぐために、平等に話したいという。しかし複雑な国際情勢の中、世界各国の首脳が同じテーブルにつくことは無理だった。
普通の市民と話したいと願ったクラトゥは病院を抜け出し、あるアパートに住み出す。そこの少年ボビーとその母親ヘレンと知り合う。
ボビーに「世界で一番偉い科学者は?」と聞いてみる。ボビーに教えてもらったバーンハート教授の家に行ってみる。


「インデペンデス・デイ」を観たら、冒頭で登場人物がテレビを観ていてそれが写らなくなるシーンがあるのだが、そこで放送されていたのが、この「地球の静止する日」であった。
あの特徴的なロボットを観ればわかる。

で、これまた買ってから何年も棚にしまってあったDVDを引っ張りだしてきて観る。やっぱり関心のある映画のDVDは買っておくものである。すぐに観なくてもやっぱり観たくなるときはある。

ずっと以前にも観ているが細部はかなり忘れていた。
クラトゥが「地球は核戦争をしては滅びます」という警告を発しにきた映画だったと思っていたが、「世界各国の代表がそろってから」となかなか言わない。
バーンハート教授という方がでてくるが、ルックスを観るとアインシュタインがモデルなのだろう。
そう考えると少年が案内するのも納得がいく。

教授と相談して「世界の人々があなたの実力を知るために何か出来ませんか。あっもちろん爆破とは破壊とかなしで」という提案を受ける。
おやすいご用とばかりに翌日の12時から30分間、すべての動力が止まらせてしまう。
人々はただ驚くだけでなく、恐怖に駆られてしまう。
軍隊はクラトゥを本気で探し出す。

ところがヘレンの婚約者トムがたまたまクラトゥの持っていた宝石が宝石商が見たこともない宝石だ、と言ったことからクラトゥのことを気づいてしまう。
クラトゥは事前にヘレンには自分のことを打ち明けておいて、もし自分に何かあったらロボットが自動的に動き出すから「クラトゥ・バラダ・ニクト」と言えば人々を傷つけることはしなくなると言っておく。

クラトゥのことを知らせれば一躍時の人になれると思ったトムは自分のことしか考えずに軍隊に通報する。
ここでヘレンに嫌われてしまうのだが、「自分のことしか考えない人間」の象徴として描かれる。
前半で自国の利益や立場ばかりを主張し、クラトゥの言葉を聞かなかった国は実はそれは人間一人一人に原因があると描いているかのようだ。

結局軍隊にまた撃たれて死んだかと思われたクラトゥだが、再び医療を受けて蘇り、教授が集めてくれた科学者を前に「人間が地球内で揉めてる分には構いませんが、宇宙に出てきたり核兵器を使ったら容赦しません」とメッセージを残して去っていく。

冷戦や核戦争、宇宙開発が始まる時代に対して警鐘を鳴らした映画だろう。
その後、根本的な人間同士の争いは解決しないまま、宇宙にも核開発も進めていくことになる。











インデペンデンス・デイ


日時 2016年7月23日
場所 DVD
監督 ローランド・エメリッヒ
製作 1996年(平成8年)


7月2日、宇宙センターでは地球外生命の交信を傍受し、驚喜するがそれが月の付近から発生していると知り愕然となる。その頃アメリカ各地ではテレビの受信障害が起こっていた。優秀な頭脳を持ちながら有線テレビの修理担当をしているディヴィッド(ジェフ・ゴールドブラム)は異常な電波からある法則を読みとった。そして巨大な宇宙船が世界の主な都市に現れた。アメリカ大統領のホイットモア(ビル・プルマン)はその宇宙船と友好な接触を試みるが、すぐに攻撃された。
ディヴィッドは自分が発見した敵宇宙船の攻撃予定時刻をワシントンに報せるべく、今は大統領の補佐官をつとめる元妻を訪ねる。
半信半疑だったが、他の都市の攻撃を見て大統領も決意。ワシントンから退避する。
そして国防長官から重大な秘密を打ち明けられる。かねてより噂のあったエリア51という基地は実在し、しかも50年代にロズウエルに落下したエイリアンを捕獲したというのだ。
空軍のヒラー大尉(ウィル・スミス)は宇宙船迎撃に出撃したが、敵戦闘機により撃墜。しかし相手機も撃墜した。
中にいたエイリアンを連れて途中で見た基地に向かう。そこはエリア51だった。


昨日、「インディペンデンス・デイ リサージェス」を観て、「前作はもっと面白かったがなあ」という疑問が押さえられずに鑑賞。(ずっと以前にDVDが買ってあったのだ。「デイ・アフター・トゥモロー」とのタイアップでやすかった頃に買ったらしい。10年以上、棚にしまってあった訳である)

面白い!
やっぱりこうでなくては!
最初予兆があって、みんな信じなくて主人公だけが気づいていて・・・というお決まりというかお約束の展開。
しかも宇宙船が地球に現れたとき、先に人々のリアクションを写す。そうなんですよ、こういった「じらし」のカットが必要なんです、こういった映画には。
それが「リサージェス」にはない。
だから気に入らないのだな。

核攻撃を仕掛けるが失敗、ディヴィッドが敵の宇宙船のシステムに進入し、ウイルスを仕掛ければ敵のシールドを無力化出来るはず、といういささか無茶苦茶な戦法で行くことに。
もちろん1996年の公開時にも観ている。そのころはまだパソコンも一般的ではなく、触ったことがない人が多い時代だったが、その頃なら効いたハッタリだが、今観ると「そんな簡単にエイリアンのPCに侵入できるかあ?」と思ってしまう。
まあでもそんな野暮なことはいいっこなし。

ラストでは大統領自らが戦闘機に乗って出撃、この展開には初見の時には驚いた。いままで大統領って後方で指示してるだけだったから。そしてアル中で「かつて宇宙人にアブダクションされた」男が大活躍するのが勇ましい。
ラストの特攻なんて「ウルトラQ〜東京氷河期」かと思ってしまいました。

宇宙人の地球侵略映画のセオリーに乗っ取り、それを派手にやってくれた快作!
続編は監督が変わってしまったかと思うほどの出来だけど。

特撮シーンも派手すぎないのがよい。
やっぱりCGで爆破が多すぎると飽きるよ。












インデペンデンス・デイ リサージェス


日時 2016年7月22日19:30〜
場所 新宿ピカデリー・シアター6
監督 ローランド・エメリッヒ


1996年の宇宙人襲来から20年。エリア51では捕獲していたエイリアンが暴れ出し、月に巨大な宇宙船が出現。月基地はこれを爆破した。しかしESDのレヴィンソン部長(ジェフ・ゴールドブラム)は前回襲撃してきたエイリアンとは宇宙船の形が違うことから疑問を持っていた。その疑問を解決すべく月基地に向かう。そこで縛はした宇宙船の一部を地球に持って帰る。
エイリアン撃退20周年を祝う式典をワシントンで行っているとき、新たな宇宙船の襲来の連絡を受ける。
レヴィンソン部長の持ち帰った物は実は地球を襲ったエイリアンたちにかつて襲われた星の生物だった。今は肉体はなく、バーチャル化している。彼の話ではエイリアンは地球のコアをエネルギーとして吸い取る計画だと言うのだ。
巨大宇宙船と戦うべく、モリソンをはじめとする若手パイロットたちが立ち向かう!


「インデペンデンス・デイ」より20年の続編。
96年の公開時にも観てるがその時はその時期で一番ヒットした映画で、宣伝も盛り上がっていた気がする。
でも今回は(こっちが「シン・ゴジラ」に気を取られてるせいもあろうが)盛り上がりを感じない。
結構期待していったが、もう一つだった。

要するに「貯め」とか「間」とかがないのである。
見せ場、見せ場、爆破と戦闘の連続だけでは面白くないのだな。ドラマがない。

20年前に映画を観たっきり細かいことは忘れているから、登場人物の背景とかよく分からない。
一番「誰だっけ?」と思ったのは7200日昏睡状態にあったエリア51の博士。なかなか面白いキャラクターなのだが、さっぱり覚えていない。
一事が万事、そう言った「前作のあらすじ」的な部分はなく、ひたすら話は進む。
(ウィル・スミスの大尉が出てこないのが気になったが、パンフレットに1996年からの20年に起こったことが出てくる。そこは映像で示したら?)

とにかく「あらすじ」に終始する。巨大宇宙船がやってきた時にロンドン破壊があるのだが、ここも最初どこの都市が破壊されたのか分からず、最後の方で「ロンドンブリッジ」が写ったので分かった次第。
ここはちゃんとロンドンの破壊を丁寧に見せた方がいいよ。予算がない訳じゃないだろうから、こんなんじゃもったいない。

あとアフリカでレヴィンソン部長とか登場するのだが、アフリカになぜ行ったのかがよく分からない。パンフを読んで「アフリカでは局地的戦闘がまだ行われていた」というのが分かった。
あの部族長などいいキャラクラーだからもったいない。

レヴィンソンの親父とか、ホイットモア元大統領とかなつかしキャラも登場で嬉しい。
でも単なる見せ場のつるべ打ちで、ドラマとか「ため」とか「間」がないので、せっかくの映画が単なる「あらすじ」を追ってるに過ぎないのが残念。

惜しいと思う。
もっと面白くなったと思える要素がいっぱいなだけに残念。

あっ、あと敵エイリアンの女王を倒すってどうよ?
蜂じゃないんだからさ。向こうだって地球より進んだ文明を持ってるんだぜ。
それと月に行くのに人類が戦闘機ぐらいの宇宙船で行けるのが驚いた。そりゃテクノロジーも進化すれば月ぐらい簡単にいけるのかも知れないけどさ。














大怪獣モノ


日時 2016年7月18日14:40〜
場所 ヒューマックスシネマ渋谷シアター3
監督 河崎実


北関東の山岳地帯、明神岳では異変が起こっており、それを取材に行ったテレビクルーが行方不明になっていた。
その頃、万能細胞セタップXを開発したとされる西郷博士(真夏竜)は世間からうそつき呼ばわりされていた。
ついに明神岳より怪獣が出現した!その怪獣は電磁波をだし、すべてのコンピューター類が使用不能になってしまう。為すすべもない自衛隊。
歴代の総理の助言者、泉博士(堀田眞三)は西郷博士を訪ねるように助言する。
西郷博士はうそつき呼ばわりされてからは、美少女コスプレにはまっていたが、密かに研究も続けていて、セタップXも今度こそ開発していた。
そのセタップXを助手の新田(斉藤秀翼)に注射し、彼はたくましい巨人(飯伏幸太)となった。
彼は大怪獣モノを難なく倒した。
世間の評判を浴びる新田。
しかし大怪獣モノの危機が去った訳ではない。また西郷博士の研究を狙う外国人スパイもいる。


「シン・ゴジラ」に便乗して河崎実が作った怪獣映画。
実はこの映画には3月に撮影に参加している。モノと新田が対決しているのを見ているエキストラと、記者会見のシーンに参加した。自分はどこに写っているか分かった。
その時はタイトルも何も知らなかったが、監督が持っていた台本に「大怪獣モノ」と書いてあったので、タイトルは分かり、また撮影の時も「巨人と怪獣が戦ってます。巨人が負けそうなので、『大丈夫か?』というリアクションをしてください」という演技指導もあったし、飯伏さんが注射をされるカットなどを目の前で撮影したから、おおよその内容は把握した。

怪獣の対決ものだが、片方を人間が巨大化したことにすれば着ぐるみは一体で済む、なんて河崎監督らしい低予算の工夫なんだ!と感心したものだった。

また主演の飯伏さんが、優しい童顔でありながら筋肉ムキムキでなんとく魅力的である。これは素晴らしいキャスティングだと感心した。

棒読みとかなんとか言われてるようだが、そんなことはない、飯伏さんは役者として立派である。その肉体こそが武器となって表現している。せりふなんてこの際どうでもいいと言っていいくらいだ。

最近はCGでやたらとリアル指向だが、ミニチュアの戦車の砲身が動くシーンなど「懐かしいなあ」と妙に感心した。これが昭和特撮、昭和怪獣映画なのだ。
それで育った世代としては堪らない。(今の若い人がどう思うかは知らんけど)

卵を求めて親怪獣がやってくるとか、怪獣映画では定番的展開で、「ビオランテ」の時のようなスパイも登場する。
そしてスパイが狙っていたのがセタップXではなく、別のものだった、というのもご愛敬。

そうなのだ、「ウルトラQ〜変身」でも言われたが、「人間が巨大化して何で下着まで巨大化するの?」という「巨大化もの」に対する批判に大まじめに取り組んでいるのがいい。
いやあ、この映画のミソですよ、ここが。

ラストの卵を渡すシーンは、「ウルトラQ」でラゴンに赤ん坊を返すシーンにそっくりだった。きっと意識してことだろう。

毒蝮三太夫の登場はちょっと蛇足な気もするが、「ウルトラマン」「セブン」以降の毒蝮さんの活躍では外せないので、それをなんとか怪獣映画に取り入れたかっただろう。
「アウターマン」といい、2本連続で良作を連発している。

特に飯伏さんはよかった。続編が出来たらまた観たい。















日本で一番悪い奴ら


日時 2016年7月18日11:00〜
場所 渋谷TOEI1
監督 白石和彌


諸星要一(綾野剛)は大学柔道で活躍し、その腕を見込まれて北海道警察に就職できた。全国の柔道大会で優勝、その後札幌で刑事になった。まじめ一方の男だが、先輩刑事の村井(ピエール瀧)から「刑事は点数を稼ぐことが重要だ」と教わる。その後、ススキノの歓楽街でヤクザ、水商売関係なく名刺を配りまくって名前を売る。
そのおかげでチンピラから情報があった。自分の兄貴が覚醒剤を所持しているというのだ。兄貴の女に手を出したので、兄貴を逮捕してほしいという裏があったが。そのヤクザを逮捕したが、逆に黒岩(中村獅童)に目を付けられる。堂々とした態度に逆に友情を覚える黒岩と諸星。
ヤクザの世界も東京の組が札幌にも進出しており、黒岩はヤクザを辞めたが、諸星のS(スパイ)になり山辺太郎というクスリの運び屋を紹介する。
諸星は黒岩や山辺と一緒になって数々の違法捜査をしていく。やがて拳銃200丁の密輸摘発に取り組む。


東映の波をバックに三角マークがでて、ヤクザと刑事がでてくれば往年の実録路線を彷彿とさせる。実際にそう感じる人は私だけではないらしい。
東映制作かと思ったら、日活マークも出たので共同製作のようだ。

諸星たち刑事はだんだん本末転倒になっていく。拳銃摘発の為に刑事が金払って密輸させて挙げていくなんてどう考えても本末転倒だ。
それが本人たちは分かっていなくなる。

ラスト、結局警察組織に裏切られ、弁護士が「警察の組織的な問題で、あなたはその被害者だ」と言っても「みんな治安の為に一生懸命にやったことです」と改めない。
結局は(警察に限らず)「組織の論理」が優先されてしまう。(最後には告発したようだが)

観終わって考えてみれば、冒頭からして本末転倒が起こっている。そもそも諸星は「柔道大会で優勝するため」に警察にスカウトされて入った。
しかしそもそも警察内の柔道大会は何のためか?警察官全員が強くなって警察活動の役に立つことが目的なはずだ。
それが「優勝するため」になっている。全員がレベルアップすれば誰か一人が優勝しなくても本来の目的は達成される筈である。それが「優勝すること」が目的になっている。
手段と目的が入れ替わっている。

だから「検挙した結果」の点数が、「点数を上げるための検挙」になってしまう。
それで「ヤラセ」の密輸まで起こる。
仕舞には120キロのシャブまで日本に入ってしまう。

だから「主人公の一個人の問題」ではなく、手段と目的が時々入れ替わってしまう組織、いや人間そのものの問題を問われた気がした。

面白かったが、2時間越えは少々長い。
そこが残念。
そういえば前も北海道警察の不正を扱ったミステリーがあったけど、北海道警察ってそんなに問題の多い組織なのか?それともたまたま偶然?












太陽の蓋


日時 2016年7月16日18:30〜
場所 ユーロスペース2
監督 佐藤太


2011年3月11日、東日本大震災発生。東北各地が津波で襲われる。首相官邸詰めの政治部新聞記者の鍋島(北村有起哉)は福島の原発に不安を覚える。
早速懇意にしている官房副長官秘書官坂下(袴田吉彦)に電話を入れる。坂下は何も答えない。沈黙を「福島原発は大変なことになっている」と感じた。鍋島は「原発について社にいては自由にかけない」という理由で辞めた先輩(菅田俊)に連絡を取り、今の状況を解説して貰う。
管首相(三田村邦彦)、枝野官房長官(菅原大吉)、福山官房副長官(神尾佑)らは東日電力と連絡を取りながら事態の収集に当たる。
全電源喪失が起こった。官邸は各所に連絡を取り、電源車を手配させる。やっと到着した電源車だったが、プラグの形が合わずに役に立たない。
そして翌12日午後3時36分、1号機の建屋爆発。しかし情報は全く官邸にはあがってこず、テレビを観て初めて知る事態だった。
とどまることを知らない事故。日本はどうなる?


2011年3月11日に起こった原発事故直後の数日間を描く(パニック)超大作。
正直、めちゃくちゃ面白かった。

実は単純にエンタメとして楽しんでいいのかという疑問は残る。上の文章で「パニック」に()をつけたのもその迷いからである。
映画の最後にも示されるが、事態は何も解決していない。そんな中でこの事故を「日本沈没」のように楽しんでいいのか疑問である。

官邸がしばしな対応が悪いとか情報隠しとか言われたが、実際には官邸でも事態を把握していなかったようだ。
原子力委員会の長で専門家であるはずの男が「東大の経済出身で分かりません」という。そしてやってきたのが原子力安全委員会の万城目(マキメと読む)。明らかに斑目がモデル。これが何が起こってもどこか他人ごと。「ベントすればいいんですよ」「ベントすると放射性物質はどの位外にでる?」「水蒸気の量にもよるでしょう。世界でも例がないから分からない」。この態度にはイライラさせられるが、本人にだって分からないからしょうがない。

で批判のあった管直人のヘリコプターによる現場視察。
これは後に批判を浴びたが、私は評価している。トップ自らが現場を知ることはいいことですよ。

最後の4号機の使用済み核燃料棒のプールの件だが、何となく鎮静化する。ここが映画的に弱いのだが、実際幸運が重なって鎮静化したとしか言いようがないらしい。
東日本を放棄する危険を味わった管直人が反原発に動くのは当然のことである。

低予算の独立プロの映画なのでかなりしょぼい映画だろうと思っていた。極端な話、首相執務室だけで話が進むと言ったような。
しかし官邸地下の危機管理センターもその大きさだけでなく、働く人間も多く、見劣りがない。
そうは言っても限界があって福島原発の現場の様子などは画に出来てないのは残念。
数年後にもっと予算をかけて同じテーマでリメイクしてほしい。

他にも細かい所では不満もあるが、現在このような映画を作ったことだけでも評価し、応援したい。
ソフト化の際には購入したい。

事故はまだ解決しているわけではないのだから。














丼池


日時 2016年7月16日12:45〜
場所 シベマヴェーラ渋谷
監督 久松静児
製作 昭和38年(1963年)


昭和27年頃の大阪・丼池の繊維問屋街。この地で大学で経済を勉強し、「銀行が相手にしない小規模な所に融資をしたい」という理想を持って室井カツミ(司葉子)は大学の仲間と金融業を始めた。仕事は一応順調には進み始めたが、室井商事の融資の元手は平松子(三益愛子)という昔からの高利貸しをしている女性から借りていた。
室井の幼なじみで一度は婚約した兼光定彦(佐田啓二)は今はこの街では老舗の園忠で番頭をしていた。
兼光を通じて園忠の主人から700万円の借金を申し込まれる室井。それを知った平は自分も850万円を貸し付けているので、共同債権者となって園忠を乗っ取ろうとたくらむ。しかしどちらかと言えば園忠を再建させたい室井は平と縁を切ることを決意。しかし平と縁を切れば元手が亡くなる。そこで3ヶ月で3割の配当という「宝債」を発行することを決意。
一方近所の料理屋の女将、村田ウメ子(新珠三千代)は近所の旦那衆を色香で惑わし金を得ていた。彼女も園忠を狙っている。
店員から独立して店を持とうとする金沢マサ(森光子)、戦前は羽振りがよかったが、戦後は行商をしている堀川タダエ(浪花千栄子)、丼池には彼女たちの思惑が渦巻く。


シネマヴェーラ「なにが彼女をそうさせたか」というタイトルの女優映画特集の1本。本日は「その場所に女ありて」との2本立てで「その場所〜」上映後、主演の司葉子さんのトークイベントつき。
この「丼池」は全く聞いたこともない映画で、パスしようとかさえ思ったが、せっかくなので鑑賞。

いや見逃さなくてよかった。面白い。「ナニワ金融道」のような痛快さである。
最後に笑うのは誰か、で観る者をぐいぐい引きつける。

室井が自分の配下から離れることを許さない平は「宝債」は不渡りになると噂を流す。不安にかられた「宝債」を買った人々は「利息はいらないから元金を返せ」と騒ぎだす。
全く金融というものは信用の上になりたつ。どんな理屈があろうとも「返してくれる」という信用が基本である。

そして人々から「宝債」を買い集める平。まとめて室井に返済を求める。万事休すとなった室井は宝債の債権の代わりに園忠の債権を渡す。
それで平が園忠を乗っ取れるかと思ったら、そうはいかない。村田ウメ子が実際には貸し付けていないのにウメ子から借金したことした架空の借用証を作り、これをもって園忠を差し押さえる。「これは芝居だ」と信じ込んでいた園忠の主人だったが、実はその債権をウメ子は他人に譲って、架空だった債権が実際の債権になってしまう。
そして室井も詐欺容疑で家宅捜索を受ける。

冒頭で室井に店をとられた男がラストに現れ、「今は和歌山で家族と暮らしています。今が一番充実しています」という。
「金がすべてではない」という至極まっとうな結論なんだけど、「3ヶ月で3割」と聞いて飛びついたくせに単なる噂で取り付け騒ぎを起こすなど、節操のない人々の姿など醜悪に見えた。

この映画を知ったことは本当に収穫だった。もう一度観てみたい。














ひめゆりの塔(1995)


日時 2016年7月10日
場所 DVD
監督 神山征二郎
製作 平成7年(1995年)


昭和19年7月。戦争はこの沖縄にも近づいている実感があった。疎開を希望する生徒たちいたが、師範学校の職員会議では「お国のために活躍する時なのに非国民だ。奨学金を貰って疎開するものは奨学金を返還を求めていく」と言い出す教師がでる有様。
10月の那覇空襲。そして翌20年3月に慶良間列島に米軍上陸。4月1日に本島嘉手納に上陸。
師範女子部と第一高女の生徒たちは「ひめゆり部隊」として南風原陸軍病院に勤務する。


3週連続で「ひめゆりの塔」を見ている。
同じ話だから正直、飽きる。
エピソードも同異がある。
病院内で上のベッドの者が小便を足らし、下の者が「なんとかしてくれ〜」と怒鳴るとか、足の切断を見て卒倒しそうになる女学生などなど。

「生徒の疎開は禁止だ」とか強行意見を言っていた教頭(石橋蓮司)はいざ戦闘になると「一番安全な司令部勤務」になって自分は生き残ろうとする。
そして沢口靖子も「あなたも司令部に来ませんか?」と言うけど沢口靖子は「生徒を放っておくことは出来ない」と言う。うん、立派である。
この教頭は最後はどうなったかは分からない。
ちなみに校長役が神山繁。

トップクレジットは沢口靖子。生徒役かと思ったら、さすがにデビュー10年なので、引率教師役。
今井正版では津島恵子が演じた役。男性教師役は永島敏行。
でメインの生徒役が後藤久美子。

正直言うけど、この映画、キャスティングで失敗している。
沢口靖子がぜんぜんだめなのである。
「84ゴジラ」の頃から全く進歩がなく、存在感がまるでない。東宝もいつまでも沢口靖子にこだわる必要はなかったのでは?
そりゃ東宝シンデレラとして育てたいのはわかるけど、こんないつまで経っても進歩に乏しいようではさっさと見切りをつけて次の女優を選べばよかったのに。
それとも沢口靖子を使い続けたい理由があったのだろうか?
あんまり印象が薄いのでいつ死んだか分からず、思わずDVDを巻き戻してしまった。

で生徒役ヒロインは後藤久美子。
今井正版では香川京子、舛田利雄版では吉永小百合が演じた。
今回は後藤久美子は5月末の病院移動の際に残される生徒役。だからさ、メインの生徒が映画からいなくなったらしょうがないだろう。
ここでゴクミを残す生徒にキャスティングしたのは失敗だったのでは?
この残された生徒の運命も映画によって違っていて、舛田版では青酸カリで軍人と同じく自決したが、今回、ゴクミは自力で脱出。
さまよっているところで一旦映画から消える。

永島敏行は最後の最後で生徒たちと米軍に投降。
今から考えればこの判断が一番正しかったのだが、それは今だから言えること。
収容所でなんとゴクミと再会。
しかしゴクミは衰弱している。テロップで「9月に亡くなった」と出る。
希望ねえなあ。だったら途中で亡くなった方がよかったのでは?

それにしてもゴクミって人気は一応あったが(でも作られた人気で本当の人気でもない気がする)、演技がへたくそである。
考えて見ればその後結婚して芸能界も引退したが、CMとかでは「1億人の妹」とか言われたけど、女優として活躍した記憶がとんとない。
もうこの映画はゴクミと沢口靖子を持ってきた段階で失敗である。

でもカラー映画で沖縄ロケをしてると、やはり海の青さ、太陽の強さが違う。
「沖縄決戦」も沖縄ロケがもっと多かったら映画の印象も違ったかも知れない。











美少年のまなざし


日時 2016年7月8日19:50〜
場所 的場シネマ
監督 渡邊元嗣
製作 大蔵映画(2003年)


家出して公園で客を捕まえて売り専をしている都築フミヤ。ある晩も客(なかみつせいじ)を捕まえてトイレで一仕事したのだが、金をもらう時に逆に殴られてお金をとられてしまう。
気絶したフミヤだったが、ある初老の男(久保新二)に助けられ、「傷の手当てをしよう。私の家はすぐそばだ」と男の家に呼ばれる。
男は自分のことを「教授と呼んでくれ」という。
大学で日本文学を教えている。教授は長年研究ばかりをしていたが、創作もしてみようと小説を書き始めたがまったく進まない。
助手の相馬はそんな教授をいつも理解し応援してくれていた。体でも教授に奉仕する相馬。しかし相馬は「男の匂いがする」と教授に嫉妬する。相馬は教授を愛していたが、教授は自分には体は開いてくれるが心は開いてくれない。


久保新二が大学教授では全く似合わない。それなりの年だからそういう偉い人を演じてもおかしくないのだが、どうにも大学教授には見えない。
まだ池島ゆたかの方が大学教授を演じられる。

映画の方は「教授は20年前に別れた男が忘れられない」とか、「教授は偽装結婚をしていてレズカップルに精子を提供してそのカップルには子供がいる」とか、そのレズの女性が「あなた(フミヤ)は教授の若い頃に似ている」などと教授の情報が出てくる。

なんとなくフミヤは教授の息子なのではないか、最初は知らずに家に連れていったが、途中で気づいたのではないか?と想像する。
「まあ実は息子でしたっていうありきたりなオチかな?」と思わせておいて最後にどんでん返し!

フミヤは教授の家の表札をよく見たら「都築」。ここで「息子説」に確信するのだが、教授の頭にも自分がこの間殴られて傷になったところと同じ傷があるのだ!
「へ?」と思っていると久保新二が種明かし。

「今は2003年。君が殴られたのは1983年だ。殴られた時ショックで君は2003年に来てしまったのだ」
???は、なんだそれ?

そして久保新二は若き日の自分と結ばれ、若い方のフミヤも「ずっと一緒にいたい」という。教授は「20年後に会えるさ」という。
おいおい若いフミヤが20年後に会うのは若いフミヤだよ。若いフミヤは大人のフミヤに会いたいんだろ?
もう訳が分からん。

それに19歳の若いフミヤの20年後なら教授は39歳だろ?教授は還暦ぐらいの歳に見えるぞ。だからどうせなら40年の時間差の方がいいんじゃないか?

相馬が「教授はご自分ばかりを愛して私のことを愛してくださらない」っていうけど、ほんとにそうだね。
20年前の忘れられない恋愛って自分との交わりのこと?
う〜ん。

そうそうフミヤはまた売り専をするのだが、若いゲイカップルのチルチルとミチルが「僕たち最近人に見られないと燃えないんだよね。5本でどう?見てくれるだけでいいから」と言われてホテルに行ったら、フミヤは二人に輪姦されてしまう。嫉妬に狂った相馬が二人にやらせていた、というカラミのサービス付き。

唐突過ぎると言えばそうなのだが、あまりの展開にのけぞりました。面白かったですね、オチは。















NUDE MAN 麗人に乾杯


日時 2016年7月8日18:50〜
場所 的場シネマ
監督 平川弘喜


大学入学で地方から東京に越してきた優作。不動産屋にルームシェアで紹介されてきた部屋には男と聞いていた同居人だが、かわいい女子大生・カオルがいた。
実はカオルは男で、大企業の社長の息子だが父親の会社を継ぐのがいやで逃げていたのだ。
ボクシング部に入部した優作。大西キャプテンに気に入られ、練習が終わってからも特別練習をする。大西キャプテンの下宿に連れてこられた優作だったが、優作を気に入ってるキャプテンは彼に迫り、優作もそれを受け入れた。
二人の仲は続いていったが、カオルを気に入ってる落合という部員もいるが、カオルは全く関心がない。
それよりカオルは優作のことが気になる
ついにカオルは優作の前で体をさらすのだが。


広島に来る用事があったので、的場シネマにやってきた。
金曜日の最終回。入ったときは数人の客がいた。
まあ横浜でも日曜日でも10人いないことも多いからなあ。

で、映画の方だが、ゲイピンクとしての見所は少ない。
カラミはキャプテンと主人公のカラミだけ。優作の先輩が「俺たちはキャプテンを追って留年までしたのに」と悲しむシーンがあるけど、だからといって特に物語が動くわけでもない。

カオルは優作と一緒のボクシング部のマネージャーになるのだが、その前からマネージャーをしている女子から濃くは告白される。でもここから話は特に進展しない。

結局、カオルは優作が好きなので、ついに優作の前で服を脱ぎ、パンツ1枚になる。
もともとこの女装の子が、ほんとに女の子に見えるくらいに美少女(美少年)なので、もっと前から彼(彼女?)の裸はちゃんと見せるべきだと思う。
だがカラミもなく、文化祭のシーンになってしまう。

ラストで「その晩、僕とカオルは結ばれたかって?それはご想像にお任せします。優作」とテロップが出る。

裸を売りにしない映画ならともかく、これはゲイピンクで裸を売りにする映画だ。
だったらカオルの裸はたっぷり見せて、そこは見せ場にするべきだろう。

何のためのゲイピンクかわからない映画。
それとも女装の美少年が(それこそ大島薫のように)売りになる時代ではなかったのか?
















FAKE


日時 2016年7月6日18:30〜
場所 横川シネマ
監督 森達也


2014年前半、世間を騒がせた佐村河内守氏。「全盲で耳が聞こえない作曲家」「現代のベートーベン」と持ち上げられていた佐村河内氏だが(といってもそれはクラシック音楽ファンの間だけで多くの人は知らなかったんんじゃないかと思うのだが。私がその一人なのだが)、実は作曲は新垣隆氏が行っていた、という記事が週刊文春に掲載されたのだ。
それで「まれにみるペテン師」と佐村河内氏はマスコミに叩かれた。
その騒動が一段落した2014年後半から佐村河内氏に密着取材する。

佐村河内氏は神奈川県らしい。警官が登場するが、その警察官に「神奈川県警」と書いてあったから。
密着取材と言っても佐村河内氏は現在自宅マンションに籠もりっきりなので、佐村河内氏の自宅で森達也がインタビューしたり、佐村河内氏を訪ねてくる人々を映し出す。

まずは森達也が佐村河内氏は耳が聞こえない、について声を聞き取れるかテスト。そして診断書で「障害者手帳を支給する訳ではないが、耳は聞こえにくい」との診断書も提示する。そして「マスコミは障害者手帳云々の所だけした報道しなかった」「新垣さんとは文書のやりとりが中心で話はあまりしなかった。彼はいつも時間を気にしていて、指示書を見て、『この通りに作ればいいんですね』と言って帰っていった」
また私は知らなかったが、新垣さんはファッション誌にも登場し、地味な新垣さんを改造する!と言ったページにも出ている。
へ〜、マスコミも悪のりし過ぎじゃないかなあ。

そしてフジテレビから番組出演依頼。フジテレビのプロデューサーなどが森達也を見て「佐村河内さんのスタッフですか?」と聞いているので「何をバカなことを聞く」と思ったけど、森達也以外のカメラマンだったのかな?
年末特番で「絶対に佐村河内さんをバカにしたりしませんから」と言っていたが、企画書を見ると「番組で1年を笑い飛ばす」とあるので、気になる。
結局この番組は出なかったが、見たら新垣さんが出ていて、タレント相手に「壁ドン」をしている。

佐村河内さんだけでなく、私まで悲しくなる。
森達也は言う。「彼らには理想とか理念とかないんですよ。与えられた目の前の素材でいかに番組を盛り上げることしか考えない」。でも「守さんが出ていたら番組は変わったかも知れない」とも言う。

そして一番最初に文春で佐村河内のことを記事にしたジャーナリストが賞を受賞する。そのプレゼンターが森達也氏。冗談のようだが本当だ。ただし本人は受賞式には出席せず。

また新垣さんが本を出版し、そのサイン会に行く森達也。
「森達也と書いてください」と言われて「あ、あの森達也さん?」と気づく。でも森達也もちゃっかり新垣さんとツーショット写真。私は爆笑である。
新垣氏も、さっきのジャーナリストも字幕で「後日正式に取材を申し込んだが断られた」と出る。
見てるこちらはなんだか二人とも逃げてるように見える。

そして外国人ジャーナリストが取材。
核心の質問が出る。「あなた新垣氏に与えた指示書も分かった。こんな感じと示したフレーズを録音したカセットやCDも存在するだろう。しかしあなたはどうやって新垣氏の作った音楽が自分の意図に沿っていると確認出来たのか」
佐村河内氏は答えられない。
「あなたはなぜ楽譜を書けるように勉強しなかったのか?」「結局、やってくれる人が近くにいたから」という答えになる。
また「あなたは楽器弾けますか?」ときた。
佐村河内「もうキーボードを何年もやってないので、弾けるかどうかわからない。楽器は今はない」
「なぜ?」
「前の家が狭かったので捨てた」

私としては「は?」としか言いようがない。
音楽を愛する作曲家が楽器を「家が狭いから」という程度の理由で手放すかあ?

でも作曲をするとはどういうことか考えてしまった。
楽器を弾きながらメロディーを譜面に起こしていく作業を連想する。指示書を書いて譜面にしてもらうことが「作曲」と言えるのか?
言えると思えば佐村河内は作曲家だ。

ラスト、森達也が取材に行くと、佐村河内氏はキーボードのシンセサイザーを使って作曲をしている。
その曲が最後に登場するが、新垣氏が作った楽曲と雰囲気は似ていた。新垣氏の作曲の曲は「日本と原発」の映画の中で聞いただけだが、荘厳なイメージのある曲で、それは佐村河内氏の新曲にも通じていた。

思えばみんな話に尾鰭をつけてしまったのではないか?
佐村河内も、新垣も、文春のジャーナリストも。
尾鰭が尾鰭を呼んで、だんだん実体とは離れていってももう訂正は聞かなくなってしまったのではないか?

そう佐村河内に好意的に解釈していたら、映画の最後に森達也が佐村河内に「もう私に嘘をついたり隠したりしてることはありませんか?」と聞く。
「はい」とは佐村河内は答えない。
「う〜ん」とうなったままだ。
ペテン師なら「はい」と答えるだろう。
本当に隠し事がないなら「はい」と答えるだろう。
返事をしないとは一体なんなのだ?

こちらは迷宮に入った気分で映画は終わる。












ひめゆりの塔(1953)


日時 2016年7月3日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 今井正
製作 昭和28年(1953年)


昭和20年3月24日。米軍の沖縄上陸の為の艦砲射撃が始まった。いよいよ敵上陸だ。沖縄の女学生はひめゆり部隊となって南風原陸軍病院に勤務となった。
敵の攻撃により水くみもままならない。
患者はどんどん運び込まれ、医薬品もない。
ままならない。
患者はどんどん運び込まれ、医薬品もない。
5月末、司令部の指示により本島南部の真壁に病院を移すことになった。
歩ける者は連れていくが歩けない者は「帝国軍人の最期として恥ずかしくないように」と手榴弾を渡される。
生徒の一人が重傷を負って歩けない。「トラック部隊に乗せて貰おう」と頼むが、結局は助けられなかった。
南部に移動したが、軍と洞窟の取り合いになって追い出されてしまう。
6月後半、追いつめられた軍はついに突撃を敢行するためにひめゆり部隊に対し、解散命令を出す。
軍と行動をともにする者、海岸沿いに北へ逃げようとする者、どちらも悲劇しかなかった。


有名な「ひめゆりの塔」の初の映画化。この後、日活版があって、82年の同じく今井正版、95年の神山征二郎版へと続く。
日活版では冒頭に現代のゴーゴー喫茶で踊る若者が登場し、時間的な距離間がすでにあったが、さすがにこの昭和28年版では距離間がない。

今回は主要な先生役で津島恵子と岡田英次、生徒では香川京子が演じる。
でも日活版ほどキャラクターを際だたせてはおらず、あくまで群衆劇のスタイルをとる。
そのせいか、主役というようなドラマを引っ張っていくほどの力を感じない。

まあみんな同じ話でエピソードも似通ってくる。
病院に精神に異常をきたした患者がいたり、上のベッドの患者が小便を漏らしたという患者がいたり、足を切り落として女学生が貧血を起こしそうになるとかはお決まりの感すらある。

しかしそういった感想を持つのは最近沖縄戦がらみの映画を立て続けに観てるからそう感じるだけで、これが初めての沖縄戦映画、という観客にとってはインパクト大のエピソードだ。

後半、南部へ撤退となる。
途中、わずかな時間安全地帯に出る。そこでキャベツを食べたり、そのキャベツでバレーボールをしたり、民家でお汁粉をごちそうになったりする。

そして翌日、砲撃が開始される。
お世話になった民家のお婆さんが倒れ「孫をお願いします」と津島恵子は頼まれるが、自分たちにもその余裕はない。仕方なく連れていくが、病院では婦長に「自分の家に帰りなさい!」と言われるシーンはきつい。
やっぱり軍は人々を守らない。

追いつめられていよいよ最後の時、米軍からの投降の呼びかけがある。妹が見あたらない香川京子が思わず飛び出すと、バンと撃たれる。なんと撃ったのは軍医(藤田進)だ。
それまで藤田の軍医は比較的ひめゆり部隊に優しい存在だっただけに、この藤田進の行動は一層戦争というか、日本軍の不条理さを感じる。

海岸沿いに逃げていった信欣三たちも死んでいく。
この映画で沖縄戦と言えばひめゆり部隊、というぐらいイメージづけられることになるようだ。

出演は他には衛生兵役で土屋嘉男。「七人の侍」の前だ。殿山泰司が先生役、原保美が日本兵役。















セトウツミ


日時 2016年7月2日19:45〜
場所 新宿ピカデリー・シアター2
監督 大森立嗣


勉強は出来てそこそこイケメンの内海想(池松荘亮)は学校が終わってから塾に行くまでの1時間半、川の土手で過ごすのが日課だった。その日課に瀬戸(菅田将暉)も加わる。瀬戸はサッカー部だったが、サッカー部の人間関係で辞めざるを得なくなってやることがなくなった。
ただ時間をつぶすための時間。でもなんだか心地よい。


コミックの映画化。映画化が決まったときに「高校生がだらだらと話をするだけで映画になるか?奇跡の映画化」などと紹介された。当然のことながら私はコミックは読んでいない。
予告を見たら、なんだか二人が漫才のような会話をしている。「紙兎ロぺ」というショートアニメがあって(最初TOHOシネマズの予告編の時に流れていたが、今はフジテレビの「めざましテレビ」の朝6時50分ぐらいから約2分間放送されている)、その実写版観たいなのかな、と思って楽しみにしていた。(それでなくても池松荘亮はここ数年、ファンである)

実際に観たらちょっと違っていた。「紙兎ロペ」のようなワンカットではない。それなりにカットは割っている。
それ以上に「紙兎ロペ」との違いは、こちらの方がちょっとシリアスである。
(原作マンガがパンフレットに少し出ていたが、4コママンガのようなタッチを想像していたが、まったく違うようだ。今度読んでみたい)

二人の高校生はそれなりに現実の壁、悩みを抱えている。
映画やコミックで描かれるような楽しい充実した青春ばかりではない。
瀬戸はお調子者に見えて、サッカー部を人間関係の問題で退部させられたし、家ではペットの猫が死にそうで両親は離婚するとかしないとか。
内海はバックがほとんど出てこないが「家に帰っても夕食がない」というから何か事情がありそうだ。クラスで美人の樫村さんから好かれているにも関わらず。

しかし彼らの悩みを全面に出したりはしない。
あくまでそれらの問題を抱えつつ、ほんのひとときだけそれらの問題から逃げられる瞬間を過ごしている。
その漫才のような会話は実に笑える。
「男はつらいよ」のとらやの会話のようでもある。
特に「神妙な面もち」を追求するくだりはよかった。
池松が絶妙な表情をする。

この映画はここ数年の若手売れっ子実力派の池松、菅田という二人で成り立っている。
この二人ではなくて「低予算だから」ということでその辺の若手を使ったらここまで面白くなかったかも知れない。

ラストカット、冬のシーンで内海が缶のホットティーを一人で飲み始める。それを内海が瀬戸に渡し、自分は新しいホットティーを飲み始める。この何気ない仕草が二人の関係性を示していて、実によかった。

菅田が初日舞台挨拶で、「こんなDVDで観るような映画を大スクリーンに見に来てくださってありがとうございます」と言ったそうだが、実際、制作配給はブロードメディアという主にDVD作品を手がけている会社。
本来なら池松=菅田のW主演とは言え、東京で言えばテアトル新宿で公開されるような映画だ。それがどう言うわけか新宿ピカデリーのシアター2(初日だからということもあるが)で上映されるとは奇跡みたいなものだ。

セットもなく、オールロケ(しかも野外ばかり)ロケ場所も数カ所という低予算の象徴のような映画だ。
でも役者は一流だからこそ成り立っている。
映画の可能性を引き出したような気がする。

もう1回観てみたい。















セミドキュメント オ・ト・コの穴場


日時 2016年7月2日14:25〜
場所 光音座1
監督 山崎和夫
製作 ENK


冒頭、「1985年3月4日」と字幕が出て久保新二が「いやー女なんてね、セックスしてて『気持ちいい〜』とか言いますけど、あれ全部演技なんですね!」と漫談をしている。何のことかと思ったら、次のカットでキャバレーから久保新二が出てくるカット。どうやらキャバレーのショータイムで漫談をしていたようである。
その後、スタッフに車に乗せられる。
で、中島梓の「美少年入門」が登場しゲイの話になる。イメージカットで素朴な少年のカットや、昔あった「少年」という雑誌のカットが挿入。

ドキュメンタリーというけど「セミ」がついている。
だから完全なドキュメンタリーではない。
久保新二とスタッフが話すカットも完全アフレコである。だからこの後久保新二が話すことも決められた台詞なのかも知れない。

まずは夜の公園のトイレの様子。男同士で小便器の前に並びお互いのナニを見せあう。そして求め出す。
という展開。

そして車の中の久保新二とスタッフの会話。
スタッフ「美少年と革命は同じ、どちらも幻想とか言いますが」
久保新二「おまえの言うことは屁理屈なんだよ」とか会話がかみ合わない。
というか革命が持ち出されるあたりが80年代で、まだ70年前後の学生運動の残り火を感じさせる。

んで車の外は大阪の夜を走り、「北欧館」の看板。
有名な大阪の発展サウナだ。
ここの仮眠室での男達の乱交ぶりが写される。

で車に戻ってスタッフ「久保さんは映画に出たりストリップに関わったり、普通の人とはセックスについて別の感覚を持ってると思いますが、美しいってどうですか?」とまた訳の分からん質問をして久保新二が「はあ?俺高校中退だから難しいことわかんないけど、感覚なんだよ、フィーリングだよ!」とかまたかみ合わない会話。

で女装の方が化粧を落とすところが出てきたり、少年野球のカットが挿入されたりする。
やがて車窓の外は新宿歌舞伎町の靖国通りを大ガードから2丁目方面に向かって写していく。

そして今度はゲイSMになる。
ここでゲイSMのプレイシーンと、それを観て久保新二が驚くリアクションがカットバックされる。
つながりとしては久保新二がSMプレイを観てのリアクションなんだろうが、実際は別撮りで久保新二は現場にはいないだろう。

最後にスタッフが「どうでした?驚きましたか?」
久保新二「別に驚きはしないけど、びっくりしたって言うか。人間てすげーなーと」「ほとんどビョーキってやつですか?」「そんなんじゃないよ、もう哲学だよ」とまたまた会話がかみ合わない。
(ちなみに『ほとんどビョーキ』は当時の流行語だった)
「疲れましたか」と聞くスタッフに久保新二は「疲れてない」と言ってたけど、スタッフが「最後に一言」と言うと「俺はもう眠いんだよ!」と帰っていく。

朝の新宿の地下道で、時々インサートされた素朴な美少年とすれ違う久保新二だった。
という内容。

私に言わせれば根本的に間違ってるのは、「ゲイでない人がゲイの世界を見て驚いた!」というストレート目線で映画を作ってしまったことだ。
もちろん監督はストレートだろうから、思わずそういう視点で映画を作ってしまったのだろう。
しかし見る人はほぼ全員ゲイである。
だから映画に描かれることは当たり前の世界。
それどころか上映してる映画館で同じことが行われている。
制作者と監督の意識のズレも極まれり、という思いがした。











さすらい


日時 2016年7月2日13:15〜
場所 光音座1
監督 小林悟
製作 大蔵映画


テキヤの源さん(港雄一)はテキヤ同士の場所取りの争いが原因で東京から松本へ流れてきた。最近は舎弟のトオルと一緒。二人は浅間温泉の旅館「千代の湯」で住み込みで働き始める。
でも元来怠け者の源さんはトオルに仕事をやらせっぱなし。でも若旦那の背中を流すなどのごますりは忘れない。
そんな時、東京からやってきた「社長」と呼ばれる客(坂入正三)は馴染みの男だった。以前「男を紹介する」と言って前金だけ貰っていたのを持ち出され、源さんは仕方なくトオルに相手をさせる。
その社長が言うにはこんな田舎の温泉町でもゲイバーはあるらしい。言ってみるとその店は新宿2丁目で働いていたマドカ(沢まどか)がママだった。
そのママの話では、千代の湯の若旦那は地元の不動産屋から千代の湯の権利を元手に3000万円都合つけて貰う手はずをしているが、実はその東京の社長と不動産屋は300万円だけで千代の湯を乗っ取ろうとしているらしいのだ。
その話を聞きつけた源さん、持ち前の義侠心が黙っちゃいない。


小林悟ってゲイピンクが多い。3回見に行くと2回は小林作品をお目にかかる気がする。
この映画、松本ロケである。
冒頭の東京のシーンが終わると黒いお城が画面に映って、浅間温泉になる。
このお城、どこの城かと思って浅間温泉で検索したら、松本城らしい。
ポスターにも「信州長野ロケ」と書いてある。
どこそこロケって意味あるのかね?
まあ一応豪華である。

お話の方は源さんが不動産屋を脅そうという訳で、トオルをおとりにして、マドカの店の2階でイイコトをしてるところに源さんが踏み込んで「俺の息子になにしやがる!」と美人局になる。
で、千代の湯の権利書類を取り返し、若旦那に返す。
若旦那は感激して、源さんに体を許す。
しかし源さんはトオルをつれて千代の湯を去っていった、というところで終わり。

細部がテキトーで実にピンク映画らしい。
でも今回は男の裸も撮っており、「やる気がない」という感じではなかったな。