2018年8月

   
宇宙戦艦ヤマト<劇場版> いつかのナツ ダイヤルMを廻せ!
半端2(完結編) 検察側の罪人 半端 騙されてペロペロ
 わかれて貰います
女痴漢捜査官 
お尻で勝負
第五福竜丸 夏男たちのラブ・ビーチ 親父が愛した男たち
伯林漂流
(Berlin Drifters)
スターリンの葬送狂騒曲 青夏 きみに恋した30日 センセイ君主
恋は緑の風の中 ナイトビジター 光る眼 千羽鶴

宇宙戦艦ヤマト<劇場版>


日時 2018年8月31日 
場所 DVD
監督 舛田利雄
製作・総指揮 西崎義展
製作 昭和52年(1977年)


西暦2199年、地球は惑星ガミラスからの攻撃により地上は放射能で汚染され、地下に都市を造って暮らしていた。しかしそれも後1年。
そんな時、火星にガミラスとはちがう星からやってきた宇宙船が降り立った。火星測候所の古代進と島大介がその探査に向かう。
そこには死亡した乗組員と通信カプセルが残されていた。そのカプセルによると、宇宙船はイスカンダルよりのもので、そこには放射能除去装置があるという。発信人スターシャを信じて地球防衛軍はイスカンダルより提供された設計図を元に波動エンジンを作り、改造中だった戦艦大和に搭載し、「宇宙戦艦ヤマト」となってイスカンダルへの旅と旅だった。
艦長は沖田十三、戦闘班班長に古代進、行く手を阻むガミラス艦隊、果たしてヤマトはイスカンダルに到達できるか?


テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」を再編集した劇場版。
先日「『宇宙戦艦ヤマト』をつくった男 西崎義展の狂気」という西崎義展の評伝を読んだ。私も70年代後半のヤマトブームを体験した一人だが、西崎については後年、悪い噂も多く、実際に銃器やらクスリで逮捕されたので完全にマイナスのイメージがあった。
そしてこの本で、たくさんの「ヤマト」が作られていく中で「そんなことがあったのか!」とその彼の「狂気」を詳しく知ることが出来た。

そして今度こそ本当に観たくなってDVDを買って鑑賞した次第。
この劇場版は当然公開時にも観ているが、何回も観たわけではなく、1回だと思う。
でも当時何度も観たような記憶があるのは何故だろう?
テレビの再放送もそうたびたびあったわけではないし、ビデオもないからリピートして観たわけではない。
宮川泰のサントラレコードを何度も聞いて脳内再生を繰り返していたからだろうか?

ヤマト出発までの課程と、七色星団決戦は割と覚えていたが、途中の戦いはすっかり忘れていた。
テレビのカット版のせいか、キャラクターがぜんぜん活躍が無く、古代進と沖田艦長で話が進んでいる。森雪でさえ、ほとんど活躍がないし、徳川機関長に至ってはせりふもほとんどない。真田さんもアナライザーも七色星団決戦でのミサイル反転のシーンぐらいしか活躍がないのだな。

だから物語の面白さはかなり少ない。やはりテレビシリーズにこそ本来の魅力が詰まっていたのだろう。

でも今回改めて思ったのが、戦闘シーンのかっこよさである。
艦隊決戦など第2次大戦を観るようだが、戦闘機と戦艦との画の構図など「スターウォーズ」などにひけを取らない。
日本公開は「ヤマト」の方が早く、「ヤマト」が「スターウォーズ」の影響を受けているわけではないのだが、両者の「かっこよさ」には今観ても色あせない。

また後年原作者問題を起こした松本零士だが、彼がヤマト、ガミラス艦隊をはじめとしたメカデザイン、キャラクターデザインを手がけ、その魅力を倍増させている。
松本は原作者、という主張には私も乗れないが、松本が各種デザインを手がけなかったら「ヤマト」の成功はなかったろう。
脚本と音楽が同じでも松本以外のデザインが採用されていたら、全くちがう作品になっていたのは間違いない。

本DVDにはイスカンダルに着いたらスターシャは死んでいた、というヴァージョンも収録されている。Wiki情報によると「劇場公開版の最初のヴァージョン」などの記述があるが、私が観たのはスターシャが生きていて、古代守とも再会するヴァージョンである。
この「スターシャ死亡編」は今回初めて観たが、これは面白くない。
イスカンダルでのドラマが全くなくなってしまっているからだ。

私自身は「ヤマト」から他のアニメに興味が広がることなく、結局特撮や通常の旧作日本映画の方に興味が移っていったから「ガンダム」さえも観ていない。
しかし「豪華本」や各種サントラ盤の発売、同人誌が作られる、などなどいわゆる「オタク文化」がこの作品から生まれたと思う。
角川映画は日本映画の歴史を変えたが、「ヤマト」は日本のサブカルチャー文化を作ったと言っても過言では無かろう。

作った西崎は狂気の男だし、彼自身はその後「ヤマト」以外のヒット作を作ることが出来なかったが、その影響の大きさという点では角川映画に負けない、いやそれ以上と思う。








いつかのナツ


日時 2018年8月28日20:30〜 
場所 テアトル新宿
監督 竹洞哲也
製作 OP PICTURES+


昨年11月に公開された「ヤリ頃女子大生 強がりな乳房」のR15の全長版。今年も行われたピンク映画のR15版の特集上映「OP PINCTURES+」での上映。
公開時に観たときに話がよく分からなかったので2回、続編が公開されたときにも再上映で観たので計3回観ている。
カットされた部分を確認したかったので再鑑賞。

乃亜とその彼氏(津田篤)が歩道橋で出会う(告白される)シーンがあるかと思ったらそれはなかった。でもR18版では唐突に乃亜とホテルでセックスしてるところから始まったが、その前のナツとの会話で説明があったり、「歩道橋を単なる思い出の場所にしたくない」という乃亜と彼氏との会話があったり、ラストの自殺のシーンの布石はちゃんとある。

また山本宋介の彼女が年上とかそういうこともちゃんと説明されていてナツを取り巻く男共、女たちの関係性もよく分かった。

そしてそういうことがちゃんと説明されたせいか、ナツが母と不仲のため、毎晩男を渡り歩くようにヤリマンになっている、その切なさがより伝わってきたと思う。

また櫻井拓也がナツにフられたあとに、乃亜にバイトしているバーに連れてこられ、寝ているシーンや、何よりマスター(那波隆史)との会話があるのがよかった。
その会話のシーンは学生運動について語っていて、櫻井拓也が「デモに行っても大勢の一人じゃ面白くない」というとマスターが包丁を持ってきて「大勢の一人がいやなら、デモよりテロだ」と覚悟を迫るシーンがよかった。
マスターの挫折感がより伝わってきた。

全体としてR18版よりよかったと思う。
やっぱり無理にカットすると作品の印象も変わってくるな。




ダイヤルMを廻せ!


日時 2018年8月26日 
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 アルフレッド・ヒッチコック
製作 1954年(昭和29年)


舞台はロンドン。元テニスプレーヤーのトニー(レイ・ミランド)は金持ちの娘マーゴ(グレース・ケリー)と結婚したが、やがて妻の愛情は冷め、アメリカの推理作家マーク・ホリディ(ロバート・カミングス)と恋に陥っていた。トニーは大学の先輩で犯罪歴のあるスワンを金と脅迫で妻を殺させることにした。
妻から「友人」と紹介されたマークとパーティに行き、その間にスワンが強盗を装って殺してしまう計画だった。トニーはスワンに自宅キーの隠し場所を教え、その鍵を使って中に入り、帰るときに戻すように指示した。
しかし実行の際にマーゴが思わぬ反撃に出て、スワンは背中をハサミで刺され死んでしまった。
トニーは「妻は強盗に反撃して誤って殺してしまっただけだ」と主張するが、足跡などからスワンが玄関から入り、彼が鍵を持ってなかった、またマーゴがスワンに脅迫されていた可能性があることから、彼女が部屋の中にいれ、そして殺したとして逮捕された。
裁判では反証が無く、マーゴは死刑判決が下った。マーゴを救いたい一心のマークはトニーに「君が奥さんをスワンに殺させようとした、スワンには鍵の隠し場所を事前に教えてあった」と主張し、彼女を救おうとする。
そこへ最近お金の支払いがよくなったトニーを不信に思ったハバード警部が訪ねてくる。


ヒッチコックの名作映画。
最近池島ゆたか監督がSNSで「今度の新作の元ネタはヒッチコックの『M』」と発言していたので、久しぶりに拝見。
この映画、子供の頃にテレビの洋画劇場で鑑賞したのだが、細部は全く覚えていなかった。

元は舞台劇の映画化なので、話はトニー夫妻のアパートの中で行われる。
推理作家のマークは完全犯罪について問われると「作家だから計画はするけど実行は出来ない。なぜなら実際は予想外のことが起きるからだ」というがその通り。
家に居てもらわなくては困る妻が「私今夜は映画でも観に行こうかと思う」というのを必死に止めたりし、「スクラップの整理でもしてれば?」といいハサミを用意させる。このハサミが凶器になってしまう見事さ。

さらに犯行時刻の11時に電話をして妻を寝室から呼び出すのだが、自分の腕時計が止まってしまい時間がずれる、さらに公衆電話は別の人間が使っているとかハラハラさせられる。
脚本がうまいなあ。

難点を言えば「入れ替わってしまう鍵」が文字通り事件の鍵なのだが、「鍵は似たようなもので間違えやすい」というせりふがあるものの、実際はキーホルダーにつけていたりするから、鍵を取り違えてしまうのはちょっと無理がある気がしないでもない。
(スワンの死体のポケットからこの部屋に入ったときに使った鍵を取り出し、それを妻のバッグの中にしまうのだが、これが実は違うというオチなのだが。すまん、全部書いた)

しかし鍵の真のありかを知っているのはトニーだけなので、「トニーはその鍵を使うか?」というクライマックスは盛り上がった。
最後に警部がポケットから櫛を取り出し、髭を整えるところなど、「粋」でいいですね。

また前半にスワンとのシーンで、トニーがステッキを目立つところにおいたりして、それをアップにし「スワンが反撃に出ないか?」と観客をミスリードするところも面白い。やっぱりヒッチコックは映画の文法を心得てますよ。(俺が言うことではないけど)

この映画、公開時は3Dとして制作されたそうだ。それほど3D向きの企画とも思えないが、当時は「テレビとは違うものを!」と何でも3Dでやってたらしい。特典映像で「手前にものを置いて奥行きを出す」「鍵を手前に差し出すシーンなどで飛び出す感を出す」など特徴があるそうだ。
3Dで撮らなくても十分面白いですが。






半端2(完結編)


日時 2018年8月26日 
場所 DVD
監督 いまおかしんじ


佐伯博司(田口トモロヲ)は組内部での抗争で瀕死の重傷を負った。昔からの相棒、菅原進一(斎藤歩)に助けられ、その場を脱した。だが死が近いのか佐伯の頭に浮かんでくるのは菅原に出会って山城組と関わり始めた頃のことだった。
40年前、博司と進一は町でちょっとした喧嘩で出会った。なぜか息のあった二人は仲間になった。その頃博司は三太という弟分とアイ(水井真希)という女と3人で廃ビルで暮らしていた。アイは2000円で客を取っていて、3人でその金で暮らしていた。
ある日、博司の高校の先輩と町で出会った。先輩は今は山城組に入ったという。やたら威張る先輩と喧嘩になり、その場では勝ったが、その後、三太が先輩たちに捕まった。相手には後に山城組の組長や幹部になる黒川や本木もいた。「三太を助けたければ100万円持ってこい」と言われた日博司と進一は、キャバレーの売り上げを奪おうとしたが、その場にはなく、キャバレー支配人に言われた金のある場所に行ってみたら、そこはヤクザがいた。返って話はややこしくなり、迷惑料として100万円請求された。
アイの知り合いの客からなんとか200万円を手に入れたが、これで相手は納まるはずもなく、今度は三太が殺される羽目に。
キレた博司は相手を殺してしまい、少年院で古田と出会う。


田口トモロヲ主演の現代ヤクザものの完結編。DVDジャケットの表記は「完結編」だが、DVDの画面上のタイトルは「半端2」だ。
二本撮りで、この後編の方が前作のビギニング。

今回は田口トモロヲや清水紘治たちがほとんど出ないのでどうなることかと思ったが、これが案外面白い。
佐藤稔さんの脚本やいまおか演出の賜物だろう。
奇をてらったことをせずに引きのフィックスの画でカットも長く役者の演技をきっちり見せる。

水井真希のアイが喧嘩の最中に行方不明になるのだが、少年院から帰ってきた博司が再会した進一に「アイどうした?」と聞くが「知らない、野たれ死んだか、トルコにでも売られたろう」と言われる。
だがその後、偶然アイに公園で出会う。アイは結婚して子供がいてなんだかホッとする展開だった。

同じ組でありながら、前作で博司と進一が黒川や本木とどうも仲が悪かったのも納得できた。古田が前作のラストで自分を殺しにきた若い奴に「そんなんじゃ撃てねえぞ!」とすごむのだが、かつて古田も失敗した過去があったからですね。

また別に意図してなかったのかも知れないが、博司が廃ビルの70年代に流行った折り畳み式のリクライニングを使っていたが、それを現代編でも使っていたのがよかった。

ラスト、暗殺に失敗した古田を博司は逃がそうとして、山城組の連中に見つかって万事休す、になったところで変なおっさんが花火を持ち出したことで混乱し、古田は逃げる。
この時の変なおっさんがいまおか組常連の佐藤宏さん!
やっぱりいまおか作品の認め印みたいで、出てきたときは「待ってました!」と声をかけたくなる感じだった。

いまおかさんが「ヤクザ映画」を撮ってどうなることかと思ったが、意外にうまく行ってたと思う。
妙な男女関係もなく、男の話なのが私の好みだったのかも知れない。







検察側の罪人


日時 2018年8月25日16:50〜 
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン3
監督 原田眞人


沖野(二宮和也)は検事としての新人研修を終え、現場に配属される。その研修の最終日に最上検事(木村拓哉)から検事は自分が作ったストーリーに固守しすぎて暴走する危険性について戒められる。
4年後、沖野は東京地検に配属になり、最上と働くようになった。
鎌田で老夫婦が殺される事件が起こった。町工場の夫婦だが、ギャンブル仲間に金を貸していたようだ。その借金がらみでの犯行だと予想された。
最上は容疑者リストを見て驚く。松倉(酒向 芳)の名前があったからだ。最上が学生時代、寮生活を寮生活をしていたが、そこの管理人夫婦の娘とは仲がよかった。その娘が最上が大学を卒業してから殺されたのだ。
その最重要容疑者だったのが松倉。しかし当時は決め手が無く、釈放せざるを得なかった。その事件は時効を向かえており、もはや松倉は逮捕されることはない。
取り調べには最上の指示で沖野が行った。松倉は今度の事件については頑として否定した。しかし沖野の執拗な取り調べにかつての寮の管理人に娘の事件については認めた。
最上は今度の事件も松倉が犯人として松倉を死刑に持ち込もうとする。
しかし弓岡(大倉孝二)という男も有力容疑者として浮上した。
最上は弓岡を消し、松倉を犯人に仕立てようとする。


原田眞人監督最新作。めちゃくちゃ好き、というほどではないが、ミステリーという好きなジャンルなので公開してすぐに見た。
唯一の欠点は木村拓哉主演というところ。
私なら福山雅治の方があってると思う。もっとも「三度目の殺人」でエリート弁護士を演じてるから二番煎じ感は出てしまうかも。

話はこの殺人事件だけでなく、最上の学生時代からの親友・丹野が政治家になり、汚職容疑で逮捕も近い、という話が出てくる。その妻とか首相候補の父親、高島が出てくるが、これが安倍晋三とか昭江夫人をモデルにしてるだろう。
またビジネスホテルが資金源として出てくるが、これもAPAホテルがモデルと思われる。

最上の祖父が太平洋戦争のインパール作戦の生き残りという設定。戦争に対する不信感が人一倍で、丹野の妻や父高島を憎む気持ちにつながっていく。このあたりは現安倍政権批判につながる部分として記憶に残したい。

最上は知り合いの裏社会の人間、諏訪部(松重豊)から拳銃と車を用意してもらって弓岡を殺すのだが、それってちょっと暴走しすぎじゃないかなあ。ここは知能レベルが高いんだから、証拠ねつ造とかもうちょっと知恵を使った方法を使って欲しかった。

しかし弓岡を犯人とする証人が現れ、松倉は無罪となる。弁護団による松倉は無罪のパーティの帰りに車でひき殺される。このときに老人の運転ミスとされるが、冒頭で「老人には免許定年制を!」と訴える署名活動が出てきたのが伏線だったのだな。

役者では何といっても松倉役の酒向芳がすごい迫力。「ぱっ」と音を立てて口を開ける(文章にするとわかりづらいが)仕草などの憎々しさは格別。またそれに対峙する二宮和也も(特に松倉にかつての事件を自白させるシーンが)負けない迫力だった。

2018年の社会状況も写した記憶に残る映画だと思う。







半端


日時 2018年8月19日 
場所 DVD
監督 いまおかしんじ


山城組若頭補佐・佐伯組組長の佐伯博司(田口トモロヲ)は敵対する川原組に佐伯の組員・直道(清水優)と共に乗り込んだ。貸した金を返して貰うだけだったが、意外に話はこじれ川原組の幹部を拳銃で脅した。
山城組組長・黒川(清水紘治)は金が返ってきて大喜び。山城組若頭・本木(柳憂怜)は「川原組ともめませんか?」と心配するが、「博司が勝手にやったことだ」と自分だけはうまく立ち回ろうとする。
案の定、川原組が「慰謝料よこせ」とやってくる。仕方なく同じく山城組幹部の菅原(斎藤歩)が「分かりました」と話をまとめる。
佐伯はヤクザ稼業に嫌気がさし、カタギになることを考えていた。
直道の女房・麻衣は妊娠しまもなく子供が産まれる。それを機会にカタギになりたいと言い出した。承知する佐伯。
しかし佐伯がヒットマンに狙われ、佐伯をかばって直道が撃たれ死んでいった。
復讐を決める佐伯。ヒットマンは川原が雇ったと思うが、それは誰なのか?川原組に探りを入れる佐伯だが、本木が川原組に出入りしていた。
さらに元山城組組員・古田(布施博)も最近黒川の周りをうろついているらしい。


いまおかしんじ監督が撮った現代ヤクザのVシネマ。
いまおか監督が「ヤクザもの」ってピンとこないし、どうなることかと思ったら意外にまともに出来ていたし面白かった。

ツチンコとか河童が出てくるわけでもなく、普通に面白い。
引きの画が多く、ワンカットも長く、役者の芝居を大切にしてるあたりはいまおか流。
しかしそれだけなので、逆にいまおか流の「変わったキャラ」が出てくるのを期待するとはずされる。

しかし今回作品の面白さは何と言っても田口トモロヲだろう。
「ヤクザから足を洗いたくなった」という初老のヤクザだが、妙にかっこいい。若いヤクザが何人か出てくるが完全に貫禄負けだ。

また直道が死んだ後、佐伯が焼香に来る。そのときに声を荒くするでなく「帰ってください」というシーンはよかった。
だが後半、佐伯がヒットマンを探してうろうろするシーンあたりから若干もたつく。

最後には古田が本木たちを殺しに行き、組長が撃たれそうになったときに佐伯が古田を撃ち、今度は黒川が佐伯を撃ち、現れた菅原が黒川を撃つというみんな撃たれるラストだが、どうももう一つ盛り上がりにかけた。
やや演出を押さえすぎたからだろうか?
本木の悪辣さをもう一つ描いた方がよかったのだろうか?
ヒットマンは実は本木の差し金で(さらに言えば古田の息子)、そのヒットマンは本木が殺す。さらに直道の妻麻衣を部下のヤクザに襲わせるとかかなり悪辣だが、もう一つインパクトが弱い。
それより登場のあたりで印象づけた方がよかったのだろうか?
それとも死んだ本木や黒川のアップのカットがあったほうがよかったのか?

重傷の佐伯を菅原が助けてるところで映画は終わる。
「半端2」は佐伯、菅原、古田たちの若き日が出てくるらしい。
でもそれって面白いのかな?不安である。







騙されてペロペロ わかれて貰います


日時 2018年8月19日14:10〜 
場所 中村映劇
監督 池島ゆたか
製作 OP pictures


エピソード1
かすみは結婚して3年。元は水商売の姉(松井理子)のヘルプで店を手伝っていたのだが、お客さんからの紹介で家と株を持っている尾崎という男と結婚した。しかしセックスは下手だし面白味のない男で、すでにかすみにはトモヤというセフレもいた。
かすみは夫と別れるために姉に相談し、別れさせ屋を雇う。
坂下由里というその女は夜の道で「誰かに付けられてるんです。助けてください」と言って近づく。
何回か会ううちに尾崎は本気になっていく。やがて由里に本気になり、「結婚しよう」と言い出す。
そして尾崎の方から離婚を切り出す。尾崎は婚約指輪を渡し由里は受け取った。

エピソード2
妻を失って8年の高木は一人で家に住んでいた。そんな時、近所に引っ越してきた上村まいという女性とゴミだしがきっかけで知り合う。
夫が急死して30代で未亡人になったまいに一人暮らしの寂しさがたまった高木は引かれていく。
しかし高木の娘は「あの女は後妻業だ。財産を取られてたまるか!」と別れさせ屋を雇う。
男の仕掛け人がまいの夫の部下だったと称して近づく。
媚薬入り睡眠薬をまいに飲ませた男は、まいと自分のカラミの写真を撮る。
それを娘は高木に見せるのだが、高木は「こんな写真があると言うことは騙されて撮っただけだ」と一蹴してしまう。


同じく中村映劇で鑑賞。
池島作品で今年の作品かな。
脚本はいつもの五大暁子だが、正直がっかり。
オチも何もない。

エピソード1など、最後に尾崎とのセックスが気に入った由里が本当に結婚したように見えてしまった。
でもエピソード2で、例の男の方は由里の仕事の部下という設定で、二人でセックスしていたから、やはり尾崎も結婚はできなかったようだ。
そしてトモヤの方も付き合っていた女にフられる、という展開だがオチでも何でもない。

エピソード2は結局貰った媚薬で高木のアソコも元気なるという終わりで、こちらも逆転するようなオチなし。

池島作品なだけに話にオチがある、と期待してしまったのがいけなかったか。
次回作を9月に撮るそうだが(ヒッチコックの「ダイヤルM」が元ネタらしい)こちらは楽しみである。






女痴漢捜査官 お尻で勝負


日時 2018年8月19日13:10〜 
場所 中村映劇
監督 渡辺元嗣
製作 新東宝


警視庁性犯罪捜査室は痴漢などの性犯罪を中心に取り締まる部署。
今朝も中央線で痴漢の取り締まりをしようとしていたマチコ(工藤翔子)
だが、ある女性のコンパクトのミラーの反射で浴びた光で淫乱な気持ちになり、何者かの痴漢を受け入れてしまう。悲鳴が起き、気がついたら男性が倒れていた。女性に襲われたらしい。
リーダーからお叱りを受けるマチコだが、増員を依頼する。リーダーが本庁の旧知の刑事(蛍雪二朗)を呼び出し、ホテルで依頼する。
やってきたのは新人刑事、片山やよい(林由美香)。早速、弥生と例の女を探そうとするが、再び謎の光線を受ける。そして淫乱な気分へ。
なんとか例の女性を見つけだすマチコ。例の女性はジュンコと言って脳波研究所に最近までつとめていたが、所長(久須美欽一)のセクハラに会い、辞めたのだ。
その脳波研究所に潜入捜査した結果、室谷という若い研究員が最近辞めていて、その研究員は所長のセクハラの件で喧嘩になり、辞めさせられたらしい。
例の赤い光線はそれを浴びると淫乱になるのだ。
所長は自分のセクハラの罪を隠すため、室谷を逆に脳波で手懐けてあやつり、ジュンコに赤い光線を浴びせていた。
ジュンコが淫乱となれば、ジュンコのセクハラの告発など誰も取り合わない。
マチコと弥生は所長逮捕のために研究所に向かった。


中村映劇というのは名古屋駅の西にある名古屋唯一のピンク映画館。
昔ながらのピンク映画館で昭和の映画館!と行った趣のある場所。行ったのは土曜日の午後だったが、なかなか混んでいて、上野オークラより混んでるような(たぶん小さいせいだとは思うが)印象さえ受けた。

んで映画のほう。林由美香主演で、蛍雪二朗も出演していて、たぶん90年代ではないか。パソコンで痴漢、性犯罪者のデータベースを作ろうとしていたから、Win95以降ぐらいだろう。

「赤い光線を浴びると淫乱になる」というあたり、なんだか「怪奇大作戦」風で、性犯罪捜査室がSRIで時々出てくる蛍雪二朗の刑事が町田警部みたい。
まるで国沢実作品みたいだ。

その辺のアイデアが面白く、楽しい映画だった。






第五福竜丸


日時 2018年8月15日14:40〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 新藤兼人
製作 昭和34年(1959年)


昭和29年1月、静岡県焼津港を出航したマグロ漁船、第五福竜丸は東へ進路を取った。新たな漁場を開拓するためにミッドウエイ付近まで行ったが、鮫ばかりでマグロは取れず、仕方なく南へ進路を取り、ビキニ環礁付近で漁をした。何とか漁が出来、日本へ帰ろうと思った3月1日、西の空で太陽が昇ったような光を見、その後キノコ雲を目撃した。
しばらくして白い灰が降ってきた。乗組員たちはその灰を浴びてしまう。
焼津に帰った彼らだが、顔は真っ黒になっていた。単なる日焼けではない。
病院で彼らは原爆症と診断された。心配した乗組員たちは東京の病院に診察に行きたいという。賛成した医師(永井智雄)は紹介状を書く。
その頃、新聞社の焼津支局の記者(中谷一郎)は第五福竜丸の船員が原爆症になったと聞き、本社に通報。全国に報道されるに至った。
焼津市役所、静岡県、国の厚生省、東京大学や京都大学の医療、原子力の学者等がつぎつぎと焼津にやってきた。広島のアメリカの原爆に関する研究期間の学者もやってくる。
しかしアメリカ側は謝罪もせず、ただ研究資料としか見ていない態度だった。アメリカ本土では第五福竜丸の行動はスパイ行為だとする意見さえ出てきた。
船員たちは東京の病院に移送され、治療に当たる。
その中で年上だった久保山(宇野重吉)の様態が芳しくない。


ラピュタ阿佐ヶ谷独立プロ映画特集での上映。かの「ゴジラ」の元ネタにもなった「第五福竜丸事件」の映画化。
一種のドキュメンタリータッチで、ドラマ的な盛り上げはなく、事実の記録として映画化している。
作者としては事件を風化させることを許したくなく、また妙にドラマ化するより事実を伝えたかったのだろう。

それにしても当時のプレスシートが劇場ロビーに貼ってあったが、ハワイ方面に長期ロケ敢行!とある。冒頭のミッドウエイ付近での漁のシーンのことかも知れないが、それって意味あるの?別に見せ場じゃないし、日本近海でもいいんじゃないかと思うけどなあ。
でもそれは「出来るだけ事実に近く」という信念が作者にあったのかも知れない。

それにしても出演者が豪華。
主役の宇野重吉に稲葉義男、中谷一郎、小沢栄太郎、永井智雄、原保美、千田是也、三島雅夫、松本克平、内藤武敏、殿山泰司、まだ新人だったらしい田中邦衛が福竜丸の船員役(せりふなし)で出演。
こんなこと言っちゃなんだが、先日「美女と液体人間」をDVDで観たのだが、全く同じ調子で千田是也が原子力学者の役を演じていた。

「放射能マグロ」の騒動はあまり触れられず、そういった風評被害ではなく、「第五福竜丸事件」に焦点を当てている。いつものアンドリュー・ヒューズがアメリカ側の医者として出てきたが、日米合同研究を持ちかけて、実は単なる資料集めにすぎない感じが「シン・ゴジラ」を想起させた。
まじめないい映画だった。







夏男たちのラブ・ビーチ


日時 2018年8月12日16:38〜 
場所 光音座1
監督 吉行由美
製作 OP映画


猛(福谷孝宏)は海辺の旅館の息子。恋人の涼(久保田泰也)と毎日楽しくやっていた。役場で働く晃も彼氏の光夫と楽しくやっていた。ある日、晃が町おこしでビーチバレー大会を開くとチラシを持ってくる。優勝商品はオーストラリア旅行。涼が行きたがっていたが、なんとなく涼は売かない顔。
晃は地元からも出場するように、と言われ、猛たちや自分も含めて4人で応募していた。しかし涼はある日突然いなくなった。新しい男が出来たのだ。
そんな時、姉が恋人雄一(樹かず)を連れて帰ってきた。
雄一はバレー経験者でみんなの話を聞いてバレーの特訓を始める。イケメンの雄一を猛は意識してしまう。練習に熱が入って足首を捻挫した猛だったが、雄一に湿布を貼って貰うときに勃起してしまう。
しかしある夜、雄一に男(白石雅彦)が訪ねてきた。
実は雄一はゲイでその男に援助を受けていた。
雄一はやっぱり結婚することは出来ないと帰ってしまう。
家族のいない雄一は家族が欲しかったので結婚を望んだのだ。
猛たちは雄一の気持ちを確かめるために東京に向かった。


話は大体書いた。旧作だがそれほど昔ではないだろう。せいぜい10年ぐらい前かな。
「ビーチバレー大会」が話に出てくるが、試合とか一切なし。その辺は少ない人数で制作するピンク映画では仕方ないのだが、ビーチバレーが、モチーフと聞いていたからちょっとがっかり。
(試合に勝って万歳!的なカタルシスがないからね)

それでも主人公たちが競泳パンツ姿になるのはセクシーだ。この辺はやっぱり監督の吉行由美が女性だから「男の裸を楽しんで撮る」ことが出来るからだろうか?
(ただしちょっとお姉キャラの晃は、ずっとシャツを来ていて上半身裸にはならない)

話は一旦は猛の気持ちを断る雄一だが、結局は最後はやってきてビーチバレーチームは結成され、雄一も猛もからんでハッピーエンド。

可もなく不可もなく、といった感じのゲイ映画。





親父が愛した男たち


日時 2018年8月12日15:27〜 
場所 光音座1
監督 加藤義一
製作 OP PICTUERS


俺(折笠慎也)の姉が話したいことがあるというので、京都の実家に帰ってみた。姉は近々結婚するのだが、結婚後夫の転勤でシンガポールに行くという。母は俺が中学生の時に、親父(折笠慎也・二役)は3年前に亡くなっていた。
そうするとこの実家に住む人がいなくなる。それでいっそ家を売ろうと思うのだが、ということだった。そういえば親父がいつもしていた腕時計が見あたらない。探してみようと思って父の遺品を探すうちに1冊のノートが出てきた。それは「俺が愛して過ぎていった男たち」と称した親父のゲイの遍歴を記したものだった。
親父は映画マニアで最初の体験は映画館で中年男(森羅万象)にさわられたことが最初だった。もともと男に興味のあった親父はついその勇さんという男にセックスを教えられた。しかし自分より競馬に夢中になるような勇さんとは別れた。
その後、ゲイバーで出会ったことの会った戸田という男と映画館でばったり会い、体を重ねた。しかし戸田は妻があり、妻がいない晩に妻と寝た寝室でセックスしようと言う神経が許せなくて別れた。
そして公園である男と知り合ったが、親父は結婚した。
娘も息子も手が掛からなくなった頃、親父はその男・秋彦(なかみつせいじ)と映画館で再会した。
二人は懐かしみ再びつきあうようになる。


大蔵映画の新作ゲイ映画。
親父の残したノートを元に親父の恋愛遍歴がオムニバス的に語られる。
このノートを元にオムニバス形式で、というのは去年の「集金旅行」を思わせる定番の形式。

それにしても「親父がゲイだった」という設定が好きではない。
これはもう好みの問題なので、いいとか悪いとかではない。ゲイは結婚すべきではないと思う。その辺は価値観とか人生観の問題であり、良い悪いではない。
だが映画としてはそういう設定は好きになれなかった。

それに親父がもう歳をとって秋彦と再会し、セックスする。いや、そんな老人となかみつさんのセックスは見たくないです。勘弁してください。

俺は残されていた親父の年賀状から秋彦らしい人のものを探し連絡を取る。
例の腕時計は親父が秋彦から受け取ったもの。病気で死期が近いと悟った親父が秋彦に返したものだった。
秋彦は息子にその時計を返す。

親父は映画マニアという設定で、部屋にあったのが「合衆国最後の日」などの70年代作品のパンフレット。
「親父がいつも口ずさんでいた」といってある曲をハミングで歌っていた。映画ファンの観客ならそれが「七人の侍」のテーマ曲と解るが、映画中では俺が秋彦にその曲を問うても「日本映画の名作さ。君の名前はその主人公の一人の名前だ」という。
主人公の名前は映画中では明かされなかったが、はて「菊千代」とか「勝四郎」とか言ったのだろうか?
それってちょっと変だぞ。

ラストは実は俺は東京の恋人(男)と喧嘩していたのだが、彼が迎えに来てくれた、というラスト。
主人公が川(「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」でも登場した石畳がある川だ)でキスして終わる。
まあ映画ファン向けの遊びは楽しかったです。






伯林漂流(Berlin Drifters)


日時 2018年8月11日20:20〜 
場所 Galaxy(原宿)
監督 今泉浩一
製作 平成29年(2017年)


ドイツ・ベルリン。日本からやってきたリョウタ(馬嶋亮太)はあるベルリンに住む男とセックスしたが、泊めてももらえず途方に暮れた。
この街でコーイチ(今泉浩一)は漠然と暮らしていた。ある晩、ゲイバーで飲んでいると友人の中国人に話しかけられる。「地下のヤリ部屋でアジア人の子が乱交してるよ」。興味を持ったコーイチが覗いてみる。3人の男たちが若いアジア人を犯していた。その青年に見入ってしまうコーイチ。やり終わってぐったりしている青年に話しかけるコーイチ。やはり日本人だった。その青年、リョウタはネット知り合ったドイツ人に会いに来てスカイプなどで話したときは「君と家族になりたい」と言われたのに会ってみたらただやるだけで泊めてももらえなかったという。
とりあえずその晩はコーイチの部屋に泊まるリョウタ。
コーイチはエレベーターに乗ったときからリョウタを求めた。そして部屋に入ってすぐにセックスした。
翌日、ベルリン観光をする二人。数日はそうやって過ごしたが、しばらくしてリョウタは一人で出かけていった。
帰ってきた晩、「どこいってたの?」と問いつめるコーイチ。「ネットで知り合った人とあってやってきた」というリョウタ。
「どんなセックスしてきたんだ」とコーイチは問いつめ、その通りの行為をする二人。
しばらくは毎日のように違う男と会ってセックスするリョウタ。
しかし二日、三日と連続して会う男が現れた。オランダ人だという。「愛してるって言ってみたい。日本語じゃ照れくさくて言えないけど、英語なら言える」とリョウタ。「でもそんなの気持ちがこもってないわよ。『ロマンスごっこ』よ」と突き放す。
今夜も今日したセックスと同じセックスをしようと言ったが、リョウタは「今日は疲れたから寝る」と拒否されてしまう。
ある晩、「今日は変わったセックスをした」といい、SMプレイをした。本当はリョウタがMで相手がS役だったが、コーイチとは逆でした。
最後にはPISSプレイまでした。さすがのコーイチも引いた。
リョウタは「彼が一緒に住もうと言ってる」と言って出て行った。
そんな時日本から電話があった。元彼からだった。そもそもコーイチは5年間つきあった彼がいた。その彼は浮気性でやりまくった挙げ句、HIVに感染した。そのことがあって別れてベルリンにやってきたのだった。
彼が言うにはコーイチの母親が病気で入院して手術するのだという。
それを聞いて一緒に帰るコーイチ。
リョウタは一緒に住むようになった彼に「実はアムステルダムに帰ることになった。君とはお別れだ」と言われる。
仕方なくコーイチの部屋に帰るリョウタ。しかしコーイチはもういない。
リョウタはベルリンの夜に消えていった。


話は最後まで書いた。ピンク男優としても活躍し、自主でゲイ映画の監督もする今泉浩一の新作。
6月に佐藤寿保監督の新作が公開されたときに8月11、12日に今泉監督特集が上映されると聞き、行ってみた。

ハードコア作品で、今まで海外の映画祭で公開されたが今後日本で上映されるかは未定。(でもたぶんない)
123分の長尺で、退屈するのではないかと思ったが、とんでもない。
全く飽きなかった。

非常にセックスシーンが多い。上映時間の7割以上はカラミだと思う。それぐらいに長い。
しかし丁寧。表現が逃げない。やっぱり人間の「性」を描くにはこれぐらいでなくては。大島渚が「愛のコリーダ」を撮った意義と同じではないか?
「芸術かワイセツか?」で言えば明らかに「芸術」だ。

今泉監督は「僕は恋に夢中」(脚本のみ)でも描いたが、「ゲイの結婚」をテーマにしている。
リョウタは「愛してるとか言ってみたい。特定の人とずっと暮らしたい」と永遠の愛にあこがれているが、実際には男をとっかえひっかえ楽しんでいる。しかもベルリンに来てまでだ。

そんなリョウタをコーイチは「恋愛ごっこ」と非難する。実は彼自身が結婚にあこがれ、特定の人との愛情を夢見たが裏切られた過去を持つ。
また結婚は二人の問題ではなく、親や家族の問題でもある。
その辺の「夢と現実」の折り合いの付け方に直面する。

上映の後は脚本を担当した漫画家の田亀源五郎さん、主演の馬嶋亮太さん、撮影の田口弘樹さんと今泉監督のトークイベント付き。
田亀さんはゲイマンガでは知られた方だが、映画の脚本を書くのは初めて。今回今泉監督から脚本を依頼されて、「主演は馬嶋亮太、自分も出演、ポルノであること、ベルリンで撮る」の4つの条件を提示されたという。

このベルリンというのがいい。日本人だとついニューヨークとかロサンゼルスとかロンドンとかパリって書いてしまう。ベルリンはマイナーだ。でも誰も知らないと言うほどではない。その微妙なバランスがよかったと思う。

セックスシーンが長く、多い。しかしポルノとかAV的な感じはしなかった。これは意識的に引きの画が多く、AVとかにありがちな顔や性器のアップの切り返しではなく、両方が一度に写った引きの映画多いからだと思うし、実際それを意図して撮ったという。ただし時折アップもあり、それは2台のカメラで撮ってあとでインサートされたのだと思う。
このあたりは田亀さんの脚本で「ペニスのアップ」とか書かれていたので、それに忠実に撮ったのだそうだ。

このセックスシーンが長く、しかも多いことに拒否する人も多いと思う。
だから万人受けではない。しかしこれは必要なのだ。

口では「結婚」「一人だけを愛する」などといいながら、ハッテン場やネットで知り合った男とすすぐにセックスをする、それに対する罪悪感もない、という相反する考えと行動をするのがゲイなのだ。
ゲイ全員がそうでもないかも知れないが、そういうゲイもいる。
そのあたりの微妙な感情がどんどん伝わってくる。

ラスト、リョウタはベルリンの夜に消えていく。彼は未だに会えない「運命の人」を探して今日もセックスをしていくのだろう。ベルリンを漂流していくのだ。
ゲイにとっては永遠に解決しないテーマなのだろう。

この映画、日本では正式に劇場公開されないだろう。ソフト化も難しい。いつか海外でソフト化され、それを購入できる日を心待ちにしたい。
またいつか上映の機会があれば再見したいものだ。








スターリンの葬送狂騒曲


日時 2018年8月11日17:15〜 
場所 TOHOシネシャンテ・スクリーン2
監督 アーマンド・イヌアッチ

 
1953年(昭和28年)。スターリンが急死した。側近たちは大慌て。とりあえず書記長代理の地位にあったスターリンの腹心マレンコフを書記長代理にし、秘密警察長官ベリヤがその補佐を行う体制となった。
スターリンは気に入らない奴は片っ端から粛正を行い、その独裁的体制に不満を持つ者も少なくない。
反スターリン体制の第一書記フルシチョフはベリヤの企みで葬儀委員長を押しつけられる。そしてマレンコフをお飾りにしてベリヤ自身が実権を握ろうという腹だ。
しかし軍はフルシチョフについた。果たしてこの権力闘争の結末は?


ツイッターのタイムラインにやたら広告が表示され、予告を観たら面白そうなので鑑賞。
あのタイムラインに表示される広告ツイートって幾らぐらいなんだろう?
しかも政治ネタをよくつぶやいたりリツイートする人って分析して表示してるんだろうか?
だとすればピンポイントで情報は届くし効率的だろう。しかもシネシャンテという東宝のミニシアターを代表するようなブランドの映画館だ。

正直言って、「爆笑、爆笑」というぐらいのブラックコメディかと思ったが、それほどでもなかった。つまらないという訳ではない。

冒頭、クラシックの放送をするモスクワ放送ラジオ局に「17分後に電話をしろ」という連絡が入る。これがスターリン直々につながるのだ。
担当者は緊張でおろおろ。しかもスターリン本人が出て「今の放送の録音のレコードを届けてくれ」言われる。
しかし録音してなかった!さあどうする!
客が帰り始めたが、客の数で音の反響が変わってくると言う。大慌てで残ってる客を残し、外にいる人を誰でもよい連れてくる。酔っぱらいもいる。
しかも指揮者は転んで倒れて指揮できない。代わりの指揮者を手配して・・という右往左往から始まる。
スターリンの恐怖政治を象徴する出だしだ。

そしてスターリンが倒れても、部屋の外の兵隊は「下手に入ると怒られるから、そのまま」という訳で朝になるまで放っておかれる。それから朝食を持ってきたメイドが倒れたスターリンを発見するのだが、「優秀な医者は粛正されたか、投獄中」という訳で町医者がかき集められ、医師団は「再起不能」と診断、そして一瞬意識を取り戻したが、後継者を指名せずに死亡。

フルシチョフが後継になることは解っている。しかし映画を観ているとベリヤが後継になりそうな勢いだ。
さてどうなる?という感じで逆転劇を楽しむことになる。

最後には軍の元帥によってベリヤは射殺。その遺体はその場でガソリンをかけられて焼却させられるという結末。恐ろしいねえ。
権力を握るとそれを手放すことを恐れてますます独裁的になる、っていう見本だな。

それにしてもソ連が崩壊してロシアに変わったときも思ったが、あの国はいまでも軍事クーデターが起きる可能性のある国なんだ。
でも日本でも同じような官僚の右往左往がありそうだなあ。
映画とは直接関係ないが、そんなことを考えた。





青夏 きみに恋した30日


日時 2018年8月11日13:05〜 
場所 新宿ピカデリー・シアター10
監督 古澤 健


運命の出会いを期待する女子高生・理緒(葵わかな)は仕事で忙しい両親の希望で夏休みの間、母の実家のおばあちゃん家で弟と暮らすことになった。そこで吟蔵(佐野勇斗・MILKのメンバー)と知り合う。
吟蔵は出会ったときは理緒を観光客だと思って親切に接してくれた。しかし理緒のおばあちゃんの所に来ていると知ると冷たくなる。吟蔵は理緒のおばあちゃんと親しく、普段は放置していて都合のいいときだけ「孫面するな」と反発してしまったのだ。しかしそれは誤解だった。
東京の友人が彼氏とその友人を連れて泊まりにきた。その友人は理緒に惚れていた。理緒の心が吟蔵に傾いていると知ったが、「9月になったら東京で守ってやれるから」と宣戦布告。
吟蔵もそれを解っていて理緒に告白できないでいた。所詮は夏休みの間だけの恋だと。
吟蔵はデザインに興味があり、自分の家の酒屋や近隣の店のチラシをデザインしていた。それを知った理緒は東京に出てくることを薦める。
しかし過疎に悩むこの村を捨てる気にはなれなかった。


いつもの少女コミックの映画化。
佐野勇斗って全く知らなかったのだが、来月は「3D彼女」も公開され売れっ子である。でも雑誌とかでは見たことない。予告等で見て、完璧なイケメンではないが、なんとなく「いそうなイケメン」という感じで興味を持ったので鑑賞。

内容とかお話は今までの少女コミックと大同小異。特徴は舞台となった村の美しさである。撮影は三重県。伊勢志摩の景色のようだ。
デジタル映像のくっきりした画質が空の青さ、緑の美しさを際だたせる。
すばらしい。

田舎とは言ってもそこは21世紀だからパソコンもあればスマホもある。吟蔵はPCを使ってデザインをしている。
結局、別れが惜しくなると理緒は予定より1日早く東京に帰る。
東京で例の自分を好きな男に誘われてレインボーブリッジを見に行くが、やっぱり吟蔵を忘れられない。
吟蔵も高校卒業後は東京に出てデザインの勉強をする決意をする、という感じで終わり。

しかし吟蔵の友人がマンガ家にもなっていてすでに雑誌の表紙を描いている。吟蔵の夢と関わりそうだから、話が広がるかと思ったがそれはなし。
原作では広がったのだが映画ではカットしたのかしらん?

佐野勇斗が泳ぐシーンがあったが、ちょっとデブかと思っていたら、予想したより締まった体をしていた。
今後の活躍が楽しみな一人。また一人気になる若手男優が増えて、追いかけるのが大変である。










センセイ君主


日時 2018年8月9日19:05〜 
場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン2
監督 月川 翔


高校2年生の佐丸あゆは(浜辺美波)は告白7連敗中。失恋のやけ喰いで牛丼を食べまくった。しかしお金がなくて困ってるとき、レジでイケメンの青年が払ってくれた。
翌日、学校に新しい担任がやっていた。その担任は牛丼屋の青年で名前は弘光由貴(竹内涼真)という。
佐丸の幼なじみ虎竹(佐藤大樹)はあゆはのことが好きだったが、彼女の幸せを願うのみで言い出せないでいた。
あゆは弘光に好かれようと努力する。文化祭では合唱コンクールに参加することになり、あゆはは虎竹を巻き込んで実行委員になった。
先生も参加して合唱曲を探す日々。
そんな中、音楽の臨時の先生として秋香(新川優愛)がやってきた。
秋香先生は弘光先生のことをよく知っているらしい。果たして二人の関係は?


最近ブレイク中(というか仕掛けられてる)竹内涼真の主演映画。
先月は雑誌「anan」でヌードを披露し、写真集も出版され、その未使用写真の写真展も池袋PARCOで開かれた(その後各地で開催)。その写真展も行ってきた俺。

私が竹内涼真を意識したのは去年の「帝一の國」か。そこでは「ちょっといいな」という印象だったが、ファンになったのはTBSの「陸王」からだ。
故障で結果の出せない陸上選手役だったが、手足が長く顔が小さくスタイルがいい。その上陸上ユニフォームのショートパンツから延びた足が実にきれいだった。あれはセクシーだった。

そんな感じで今注目中の竹内涼真。この映画も特典のクリアファイル欲しさに前売りも買って鑑賞。

竹内涼真のイケメンぶりしか印象に残らない。
まず特に前半のコメディ演技には乗れない。主役の女の子がまるで魅力がないのだな。その上変顔して笑わそうとするのだが、変な顔して笑わせるのは芸が低いですよ。全く笑えなくて私はしらけるばかり。

こういう映画はもうパターンがあって、学園祭とか花火大会とか夏祭りとか修学旅行とかのイベントごとがあって、主人公の女子高生が好きな男とは別に主人公を好きになる男が登場し(たいてい幼なじみ)、んで途中から恋のライバル出現。
いろいろあって結局は結ばれる。
話はパターンなので、イケメン、美女ぶりを楽しむしかないのだな。

その点で言えば今回竹内涼真だけだ楽しめる。幼なじみの虎竹(「こたけ」と読む)もまあよかったかな。

そしてちょっと気になったのがエキストラの数が少ないのだな。
ラストで卒業式があるのだが、生徒たちが並んでるカットでの生徒の数が少ない(というか写さないようにしている)。
肝心の文化祭の最終日にプロジェクションマッピングをするのだが、それが映画に出てこないのだよ。これはないやな。
その点「ストロボ・エッジ」の花火のシーンはすごかったよ。(あれはCGだと信じていたが、実際の花火だったんだそうだ)

先生と生徒の恋、というわけでいつかは教頭先生とかに注意されるんじゃないかとドキドキしたが、そういうのはなし。
2年の秋に先生は辞めてフランスに数学の研究に行き、賞を取る。
ってそんな簡単に行くかい!

そして卒業式に戻ってきて佐丸に告白、という訳。ラストにキスするかと思ったらしなかったのは以外だった。

とにかく竹内涼真以外観るモノがないのだが、でもそれで十分だった。






恋は緑の風の中


日時 2018年8月6日 
場所 日本映画専門チャンネル
監督 家城巳代治
製作 昭和49年(1974年)


相川純一(佐藤佑介)は東京近郊に住む中学2年生。最近性に目覚め体のことが気になる。
今度クラスのみんなで釣りに行こう、となったが31人参加するイベントになってしまい、誰かの親が学校に「何かあったら心配ですから」と連絡してきたために先生(左右田一平)が中止するように言われる。大人ってうるさい。
学校に行ってきたのは松島雪子(原田美枝子)の親だった。雪子は純一に「私の親が行ってきたことは言わないで」と頼まれる。純一は承知した。
純一は自分の体の変化も気になっていた。
ある日、母親(水野久美)と電車に乗っていた時に酔っぱらいに絡まれた。若い男性がそれを救ってくれた。
母親は彼が降りていった駅で彼にもう一度会いたくて待ち伏せをする。
それを純一に見られてしまう。純一は母親が別の男を好きになったかと思い、母を非難する。
雪子の家は八百屋だが、父親が配達中に事故にあい、今は母親と雪子が店を切り盛りしていた。雪子を好きな純一はお店を手伝い、それで貰ったお小遣いで雪子にペンダントを買う。
林の中でその話をしていたとき、二人は不良からまれてしまい、雪子はレイプされそうになる。純一は雪子を必死で守る。
何とか雪子を守った純一だが、雪子は田舎に引っ越すことになったという。それを聞いた同級生たちは廃工場の一角に雪子の住む部屋を作ろうとするのだが。


日本映画専門チャンネルでの放送を鑑賞。この映画、ずいぶん前に(それこそ学生時代。日曜の夕方だったか)放送され、少し観た。それ以来もう一度観たいと思っていたが、名画座での上映もなく、観る機会がなかった。実はひょっとしたら今の時代、放送できない作品かも知れないからだ。

「思春期の性の目覚めをまじめに取り組んだ作品」とか紹介されるけど、どうにも勘違いしてる気がする。
挿入されるエピソードがどうにも「トンデモ」な気がするのだ。

純一は中学生だが、中学生にもなって風呂上がりに全裸で暴れている。そして父親(福田豊土)に「ねえ、皮をむくと白いものが出てくるんだ。僕病気かなあ」とのたまうのだ。いや恥垢のことなのだが観てるこっちの方が恥ずかしくなる。純一は全裸で(もちろん後ろだけだけど)、自分のモノを父親に見せるのだ。苦笑してしまう。東宝で公開される清純な青春映画とは思えないよ。1974年で東宝のリストラ後で角川映画登場前で方向性が定まらず混乱していた時期なのだなあ。11月23日公開だそうで、正月映画の前で一番テキトーな番組を入れる時期だしな。

ほかにもトンデモシーンはあって、純一は母親一瞬欲情し、押し倒しキスをする。母親も最初は拒否していたが、仕舞いには自分で純一の体を抱いてしまう。
そして電車で助けてくれた青年を探してることを攻め、父親と3人で話し合う。父親の方はその青年が17、8歳だと知り、一笑に付す。
「ちょっと初恋の人に似てたんだね」で話は終わるのだが、その晩、父親と母親がベッドで抱き合ってしまうのを見てしまう純一。
両親のセックスとかピンク映画じゃないんだから。

雪子がレイプされそうになるという展開も強引すぎてすごいが、問題はその後。怪我をした純一を同級生の花枝が見舞いに来るのだが、「雪子じゃなくあたしを抱いて!」と上半身裸になって(おっぱい丸出しで)純一に抱きつく。
さっきも言ったけどピンク映画じゃないんだから。

純一は雪子が心配で夢想するシーンでは雪子のおっぱいもちらっと見える。原田美枝子当時15歳、大丈夫なのかな。今は昔と違って未成年の裸にうるさそうだし。

それに純一が同級生たちと「スーパーマンの子供、子供、子供。スーパーマンの子供はスーパーマンコ、ドモ」という歌を歌ってるし。
引くよ、ちょっと。

最後は結局雪子は同級生の心遣いに感謝しつつ、結局は田舎に行くことになる。
ラストシーンは雨の中、川の両側を歩く純一と雪子のカットで終の文字。
ちょっとカタルシスというか盛り上がりに欠けるラストカットだったかも。
でもこういうのも悪くないと思う。

ちなみに音楽はまだヒット曲が出る前のアリス。
「パンツの穴」みたいな笑いになってもいないし、清純青春映画という訳でもないし、70年代前半の混乱期を象徴するような作品。
原田美枝子の美少女ぶりがこの映画の話題にされるけど、佐藤佑介の美少年ぶり(もともとこっちが主演だ)堪能出来るのは間違いない。
怪作。









ナイトビジター


日時 2018年8月5日12:00〜 
場所 シネマ・ノヴェチェント
監督 ラズロ・ベネディク
製作 1970年(昭和45年)


極寒の中、下着姿の男がある家に忍び込む。その家の姉・エスターと妹・エミー、医師である姉の夫・アントンがもめていた。エスターとアントンはこの家を売ろうといい、エミーは反対していた。
忍び込んだ男・セイラム(マックス・フォン・シドー)はアントンの部屋からモルヒネのアンプルとネクタイを盗み、アントンの診療カバンにネクタイ数本を押し込んだ。
セイラムはブリットという女性の家に入った。ブリットはセイラムのかつての恋人だった。セイラムはブリットを殺す。
ブリットの家族がアントンの往診を頼み、行ってみるアントン。ブリットの死体を発見。やってきた警部(トレヴァー・ハワード)や警官はアントンを疑う。しかし彼が殺したというにはなんだか出来すぎていた。
アントンが家に帰るとエミーが殺されてて、エミーの部屋にいたセイラムと出会ってしまう。驚いたアントンが失神してる間にセイラムは何処へと出て行った。
セイラムはエスターの兄で、実はエスターたちの家の作男を殺した罪で刑務所に入っていた。
警部はセイラムの入っている刑務所に行ってみる。そこは独房の扉だけでなく、二重三重に監視がされ、脱げ出るのは不可能に思われた。
いかにしてセイラムは脱獄したのか。また動機は何なのか?


シネマノヴェチェント配給作品。いままでフィルム上映にこだわっていたが、今回はブルーレイ上映らしい。

セイラムが犯人なのは示されている。問題はセイラムはどうやって監獄を抜け出したかだ。
もっとも刑務所から歩いていける範囲に実家があるとか、話に強引さは残るけど。

監獄の扉の下にある差し入れ用の小窓から、手製の鍵をつっこんで回して扉を開ける、外の塀の穴から脱出するが、シーツや服で作ったロープで下に降りるという「ルパン三世」やシャーロック・ホームズの時代の脱出だ。
今はIT化されてすべてコンピュータ管理され、こういうアナログな方法は取れないね。
なんか懐かしい。

セイラムの妹たちは自分たちの家に放火して売ってしまう計画だったが、それを作男に見られてしまい、殺した。その罪を弁護士も結託してセイラムを犯人にした、というのがことの顛末。恋人もアリバイを証明してくれなかったようだ。その復讐のためにセイラムは「刑務所にいた」というアリバイを使って妹たち殺していく、という話。

二度目の脱獄で、弁護士とアントンを殺して監獄に戻るセイラム。気づいた警部は監獄に向かう、セイラムは間に合うか!というのがクライマックス。

まあ悪事はうまく行かないと言うことで、寒くてつい着てしまったフード付きコート。フードの中に入っていたのは?というオチ。
「サブウエイ・パニック」みたいなラストでした。
面白かったです。





光る眼


日時 2018年8月4日 
場所 DVD
監督 ジョン・カーペンター
製作 1995年(平成7年)


アメリカの海沿いの小さな町、ミッドウィッチ。ここですべての住民が数時間失神するという奇妙な事件が起きた。その瞬間に車を運転したいた者や、バーベキューをしていた者は結果的に死んだが、他の者は倒れただけで無事だった。しかし10人の女性が妊娠した。処女の若い女性や夫が単身赴任でいなかった女性も妊娠した。政府機関もそのことに関心を持ち、結果を知るために女性一人当たり月3000ドルの補助金を出すと言い出した。結果誰も中絶しなかった。
やがて同じ日に彼女たちは出産した。一人だけが死産した。その胎児は政府機関のバーナー博士(カースティー・アリー)が隠した。
9人の子供は奇妙な力を持っていた。まず医者のアラン(クリストファー・リープ)の娘が貰ったスープが熱かった、という理由で母親の腕を熱湯につけさせた。ノイローゼになったアランの妻は自殺した。いや娘が自殺させた。彼らは眼が光るとき、人間の体を意志とは関係なく動かせる。
子供たちの危険な力を感じたジョージ神父(マーク・ハミル)は彼らをライフルで撃とうとした。しかし人間の心を読むことも出来る彼らは、逆に神父にライフルを自分に向けさせ殺した。
バーナー博士は実は世界各地で同様の集団妊娠があり、その子たちは国によっては殺されている事実をアランに話す。そして死産した胎児を見せる。その姿は人間ではなく、あたかも異星人のようであった。
アランは自分の心を読みとれないように別のことを考える方法を思いつき、子供たちを殺すことを計画する。


今日は「1999年の夏休み」のデジタルリマスター版を観る予定だったが、満席で入れず、その後鈴木邦男さんの生誕イベントに行き、ビールを飲んでしまったので夜の映画も諦め、家に帰ってから何かDVDを観ようと以前買ってそのままになっていた「光る眼」を観た次第。

正直、それほどでもなかったな。
「リメイクはなかなかオリジナルを超えられない」の基本通り。
オリジナル版「光る眼」の感想を読んでみたら、「白黒なので目が光るシーンとか惜しい」「主人公の美少年ぶりが白黒では伝わりにくい」など書いてある。ところが今回観て「オリジナルの白黒のクラシック感がよかったな」と思ったのだから、勝手なものである。

人間と敵対する主人公の少女なのだが、これがそれほど可愛くない。
「まあま可愛い」といった程度なのだな。その辺で怖さとかのインパクトがない。
このあたりはジョン・カーペンターと私の好みの違いなのだろう。

全体的にそれほど怖くなく、ジョン・カーペンターにしては凡作に終わってしまった感がある。
それには主役の華が足りない部分もあったと思うが。

それにしても主役のクリストファー・リープ。70年代後半で「スーパーマン」を演じた俳優だ。それに「スター・ウォーズ」のマーク・ハミルまで出てるじゃありませんか。正直、「スター・ウォーズ」以外のマーク・ハミルは初めて観た(と思う)。

どちらも70年代後半から80年代にSF娯楽映画の主演をつとめた二人であり、その二人が出演してるというのはジョン・カーペンターの趣味なのだろうか?河崎実がウルトラ俳優を出演させるみたいな。

リメイクでかつてのスター俳優出演とか、カーペンターのファン意識が作らせた映画だったに違いない。





千羽鶴


日時 2018年8月3日20:30〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 木村荘十二
製作 昭和33年(1958年)


貞子は広島の小学6年生。同級生では原爆によるやけどの痕が残る子もいたが、貞子は無事だった。
しかし夏祭りの夜、貞子は体調が悪くなった。そのまま入院。原爆による白血病だった。
貞子の病気が早く直るように同級生たちは千羽鶴を折って届けた。「船場になれば病気は治る」そう信じて貞子も同級生も折っていったが、翌年貞子は亡くなった。
同級生たちはこけしが好きだった貞子のために何か像を作ろうと考え始める。そうだ、今度広島で全国の校長先生が集まる会議がある。そこでビラを配ろう。
子供たちはビラを作ることから始める。それはやがて大きな運動になっていく。


ラピュタ阿佐ヶ谷「独立プロ映画特集」での上映。上映時間は66分と中編。一般劇場では公開されず、16mmの自主上映が中心だったとようだ。
なるほど、学校の授業の映画鑑賞で体育館でみんなで観るような映画にふさわしい。
(ちなみに貞子のモデルの佐々木禎子さんが亡くなったのは1955年)

今回観たのは友人が感想をSNSであげていて、「児童たちの運動が諸手をあげて歓迎されてるわけではない、という活動の否定的側面にふれているところが味わい深い」という主旨の発言をされていたので、全然観る気はなかったが、気になって観に行ってみた。

この手の映画って善人ばかり出てきてみんな協力的で物事がぽんぽん進んでいく、というイメージがあったが大体そんな感じ。
否定的な人はほとんどいない。
あるとすれば貞子の同級生がことがだんだん全国的な活動になっていくのを見て「あたしは貞ちゃんが大好きだったこけしみたいなお墓が作れればいいと思っていた」と違和感というか戸惑いを見せるぐらい。

あとは校長先生たちにビラを配って全国から手紙が届き始めたときに、その手紙の束を見て貞子を直接知らない中学生の同級生から「なんかモテモテだねえ〜」とからかわれるシーンぐらいか。

だから予想したほど「原爆の子」像に反対する人々が出てこなかったな。ちょっと期待しすぎたか。

それにしても原爆ドーム周辺の建物の少なさには驚く。
2016年に広島に行ったが、完全にビル街である。もともと原爆ドームのすぐ近くには紙屋町という繁華街があるから、ビルが建っていくのは納得だが、当時はまだまだ何もなかったのだなあ。
「仁義なき戦い 頂上作戦」で小倉一郎が住んでいた原爆スラムというのはあのあたりだったのかな。

また生徒たちがビラを作るのに謄写版を使っているのが懐かしい。
あと貞子は床屋の娘なのだが、貞子が入院中に引っ越してその引っ越し先に行って「小さくなってしまったのね」というシーンがあるが、あれは「病気治療のために元の家を売ってお金を作った」ということなのだろうか?
ちょっと疑問に思った。