日時 2021年8月29日20:30〜
場所 ポレポレ東中野
監督 入江 悠
埼玉県のある小さな市。この市では今「外国人排斥条例」が可決されようとしていた。市職員の鴉丸未宇(福田沙紀)の祖父は条例に大反対だった。今は寝たきりだが、かつては新聞記者だった祖父、その祖父を未宇の市役所の先輩の間野(井浦新)が訪ねてきた。議事録の改竄を命じられ、苦しんでいると言ってた。翌日、間野は自殺した。
未宇は祖父に呼び出される。実は鴉丸家は忍者の末裔だというのだ。そして間野が残したという改竄を指示した動画を入手するように言われる。
未宇は残された古文書から、まずは忍者衣装を作る。吹き矢を作ってみたが威力はない。
とりあえずその服装で間野の家に行ってみる。市長派の上司が間野の家からUSBメモリーを持ち出すのを見る。その上司を追っていくと市長の秘書と合流。そして二人はカーセックスを始めた。そのときに吹き矢を吹いたが当たらない。そこへ新たな忍者登場。吹き矢はあたり、車がパンクした隙にUSBメモリーを持ち出した。だがパスワードがかかっている。
間野がよく行っていた廃品処理場に行ってみた。ここは外国人労働者も多く、間野も工員に好かれていた。その中の一人がパスワードを預かっていた。
昨年来のコロナ禍で営業自粛などで苦しいミニシアターを救え、と入江監督が企画した自主映画。お金は監督の出資やクラウドファンディングで集めたそうだ。
監督自身も全国に舞台挨拶で回るという。
心意気はうれしいが、メインの渋谷ユーロスペースでは1日2回上映、このポレポレ東中野では1日1回上映。2週目の日曜の夜だがお客さんは12人。コロナで全体的に客数は落ちてるとは思うが(特に夜)それにしても12人は寂しい。これが現実か。
監督自身が忍者好きだそうで、それで忍者が登場するという。
文書改竄、外国人排斥のネトウヨ発想、それを市長が推進、という現実めいている。個人的にはもう少しこの外国人排斥条例を詳しく説明してほしかったけど、そのあたりの思想的裏付けは必要としなかったのだろう、監督は。
要するに地味な女の子が忍者に覚醒する話がしたかったんだと思う。
賛成派の自警団が「外国人たちは税金払ってないだろ。そんな奴らのために俺たちの税金が使われていいのか!」という。こういう「税金の使い道として不適切」という論法が目立つ。「あいちトリエンナーレ」の時もそうだった。
自分たちの利益のためには使うくせにね。
だからもう少し敵方のやり口を描写してほしかったな。監督としてはそこはテーマではなかったのかも知れないが。
結局、条例は制定。自警団が慰労会を開いているときに未宇は吹き矢で相手を倒していく。
ここねえ、殺しちゃったと思ったんだよね。まあ映画としては殺しなくなるのもわかるが。時代劇ならともかく、現代劇では殺人鬼になってしまうよ。
未宇の祖父がデジタルに強くて、結局改竄を命じる動画は公開される。
ならば十分じゃん。もしくは動画が公開され、彼らが失脚していく様子でいいと思うのだが。
でも監督の意図は忍者なんだよね。
だから中途半端に現実的要素は入ったのでかえって混乱してしまう。
これがやくざが地上げしている、とかなら収まりがよかった気がするが。
そういう「私が作るなら」の感想が混じってしまい、イマイチ不満だった。
それなりに面白くはあったけど。
タイトルは「シュシュシュ」なので手裏剣を投げねばいけない気もするが、手裏剣はいっさい登場しない。
日時 2021年8月27日21:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 市村泰一
製作 昭和45年(1970年)
伊豆の村でお市は悪代官・吉沢が娘を無理矢理妻にしようとしたためお市は娘を逃がし、吉沢を牢にいれた。その場は逃れたものの、お市には百両の賞金がかけられた。
そのお市を賞金稼ぎの荒くれ者が追ってくる。その一人三九郎(目黒祐樹)は最初はお市を追っていたが、お市の人々を思う義侠心に打たれ、いつしかお市を愛するようになっていた。
伊豆の村では再開発のため、漁師の立ち退きが問題になっていた。網元の長兵衛(曾我廼家明蝶)は人望が厚く、十手持ちでヤクザの灘万(田崎潤)と粘り強く交渉していた。
長兵衛は灘万に捕らえられたが、お市が助け出した。灘万は雇っている用心棒の相良(丹波哲郎)によって倒された。相良は「金の代わりにこの女が欲しい」とお市を連れ出す。灘万たちはお市が残していった刀で長兵衛を殺し、漁師たちとお市の信頼を壊す。
お市も漁師や灘万から襲われる中、三九郎が助けてくれた。
灘万はお市に倒された。吉沢は・・・
「めくらのお市」シリーズ4作目で最終作。この後テレビシリーズにもなったそうだ。
クレジットを見て「おっ」と思ったのは脚本が高田宏治。東映以外でも書いていたんだ。
冒頭、結婚式のシーン。新郎は喜んでいるが新妻は嫌がっている。そこへ「お代官様!」と男が乱入し、新妻は喜ぶ。もうすべてが分かるようなスリリングな冒頭だ。そして初夜のシーンで布団の新妻に近づくとそれはお市!
まるで007のような華麗なアバンである。
その後、砂丘で初めて三九郎と対決するシーンでは対決中に砂が吹いて三九郎が目をつぶった隙に逃れるお市。
そして(割と多い)滝のある場所でお市を三九郎は再会。
こんな感じで最初は敵だった三九郎とお市だが、やがて思いを寄せ合う。
だが三九郎は物語上は姿を消し、灘万が雇った用心棒相良登場。これが丹波哲郎なのである。
結果的に相良はお市を倒すが、お市を連れ去る相良。長兵衛を助けに行きたいというお市を「それと勝負しろ」とコイントスを行う。
ここでお市が実は負けてるのだが、相良はお市を送り出す。実はいい奴なのである。
三九郎と組んでお市は灘万一家をぶっつぶす。
三九郎はその戦いで死ぬ。そして最後の最後で(唐突に)丹波哲郎がなんのとかの守として登場。
「吉沢、内定させて貰ったぞ。その方の悪事、しかと見たぞ!」的なことを言って吉沢をひっ捕らえる。
いや〜丹波先生がこのシーンで登場したときには思わず笑ったね。いや笑っちゃいかんかも知れないが、その唐突さに声を上げて笑ってしまった。
このシーン、プレスやムービーウォーカーのあらすじ紹介では出てこない。
高田宏治さんのことだから、最後の最後に付け足したんじゃないだろうか?
丹波先生ファンとしては楽しかったですが。
あと情報をちょろちょろと伝えるコメディリリーフで高松しげお登場。
これで「めくらのお市」シリーズも終了。
お疲れさまでした。
日時 2021年8月22日12:35〜
場所 新宿武蔵野館・スクリーン1
監督 ウエダアツシ
中学2年生の佐藤小梅(石川瑠華)は先輩の三崎に告白したがフェラをさせられただけだった。海岸で会った同級生の磯部恵介(青木柚)にやらせてしまう。磯部は1年の時に小梅に告白していたがその時は断った小梅だたが。その日から二人は「つきあってはいないが体の関係は続ける」という関係になる。
ある日磯部が海岸で拾ってきたSDカードにかわいい女の子が写っていた。磯部はそれを気に入って、自分のパソコンの壁紙にもした。それを知った小梅は磯部が昼寝をしている間に消去してしまう。小梅に激怒する磯部。
磯部の兄は去年の磯部の誕生日の日、9月15日に自殺していた。事故死と片づけられていたが、遺書もあり自殺だった。原因はいじめ。
いじめたのは三崎たちだ。
ある日、磯部は三崎が近所のビリヤード場で遊んでいるのを確認し、スタンガンを持って出かける。そして三崎に暴行する。
いまおかしんじ監督と平井亜門が出演者の中にいたから観た。
映画の内容も何も知らない。先に行っておくが、いまおかしんじ監督は小梅の父親役。一家で食事のシーンで2カットほど出演する。特に話に絡んでくる役ではない。
平井亜門はいつ出てくるんだ!と思っていたら、高校に進学した小梅の新しい彼氏。でもなんかラブラブでもない。告白されていやじゃなかったからOKした、みたいな感じだ。
まあ平井亜門目当てで観ると物足りない。
本作は太田出版の「エロティクス・エフ」で連載されたコミックが原作。たぶんエロ系のマンガの雑誌なのだろう。成年向けらしい。
本作も中学生同士のセックスが題材なので(ちょっと小梅のおっぱいも出てくるし)、映画もR15。
主人公たちがセックスを始めるから、高校生の話かと思っていたら、中学生なんですね。
セックスは繰り返すがつきあってる訳でもないけど、男が別の女性に感心を持てば嫉妬しちゃう、という気持ちは分かるような分からないような微妙な感じだ。
そして磯部は兄を自殺に追いやった三崎たちに復讐する。
事件にならないのでどうなってるのかな、と思ったら数ヶ月後のシーンで警察に補導される。
その後、彼がどういう処分を受けたかは映画では表示されない。
結局主人公が女子中学生で私がおじさんだからか、「気持ちは解らんでもない」と言った程度で心に突き刺さるものがない。
主役の磯部役の青木柚、どこか若い頃の神木隆之介を思わせる。
期待の持てる若手だ。
日時 2021年8月21日18:20〜
場所 109シネマズ木場・シアター5
監督 白石和彌
前作から3年後。五十子会の会長が死んで広島の抗争はいったん収まった。しかし五十子を親と思う上林が出所した。上林は模範囚ということで出所したが、実はあまりの凶暴さに上林(鈴木亮平)を持て余した看守が模範囚ということで出所させたにすぎない。
広島でピアノ教師が惨殺される事件が起こった。この捜査のために呉原東署から日岡(松坂桃李)が呼び出された。ピアノ教師の兄は刑務所で上林を担当した看守だったから事件との関与が疑われたのだ。
上林は五十会の二代目・角谷(寺島進)を惨殺した。親父亡き後手打ちをした事が許せなかったのだ。
県警と事を構えるよりビジネスを重視する広島ヤクザのトップ(吉田鋼太郎)らが止めても上林は聞かない。
日岡は日頃から使っている幸太(村上虹郎)を上林組にいれ、情報をとろうとする。
日岡には瀬島(中村梅雀)と組まされる。初めての男で警戒していた日岡だったが、徐々に心を開いていく。一方警察とヤクザの癒着を疑う安芸新聞の高坂は日岡をつけねらう。
前作から3年後。時代は平成3年だ。
前作で主役だった役所広司が死んでしまい、どうなることかと思っていたら前はひ弱な新人だった日岡が主役。しかし急にキャラクターが変更されしてしまう。
まあ物語の必然性としてはわかるのだが、それは作り手の都合であって急なキャラクター変更に戸惑う。というか誰もここには異論がなかったのか。原作とは違って本作はオリジナルストーリーだそうで。
松坂桃李も鈴木亮平もがんばっている。しかし申し訳ないがはっきり言って私には「頑張っている」の域を出なかった。広島が舞台で広島弁を駆使しているのだが、どうにも「仁義なき戦い」のモノマネをしてるようにしか見えない。
これが二人とも10歳年をとっていたら違っていたろう。松坂にしても鈴木にしてもこの役をやるには若すぎるのだ。
その中でもよかったのが、村上虹郎、中村梅雀、中村獅童の3人。
特に村上はかつての東映ヤクザ映画で数多く登場した「若者」である。はまっていた。もちろん村上自身の役者としての実力もあるのだが、まず年齢的に適齢だったのだろう。だから根本的に違和感がないのだ。
中村梅雀の定年間近の刑事には恐れ入った。この瀬島という男には日岡も信じ、今までの経緯をすべて話す。ところが実は警察上層部からの内偵者だったのだ。
しかし前は日岡がそういう立場だったはず。その日岡の正体を大上(役所広司)は見破っていた。その辺が強がっていても日岡の青さである。
ってことは宮崎美子の瀬島の妻も警官だったのか。ならば最後には制服姿の宮崎美子もワンカット出してほしかったな。
瀬島は最後には幸太の姉によって殺される(らしい)。
細かいネタだが上林が生まれ育った場所を訪ねるシーンがある。原爆ドームがちらっと見えるが、あれは「仁義なき戦い・頂上作戦」で野崎(小倉一郎)が住んでいた原爆スラムのあたりだろう。
役所広司の不在が痛い。結局はかつての東映映画のモノマエをしているに過ぎない感じがある。冒頭の東映マークは昔のフィルム時代の波のマークを使っていたようだけど。
日時 2021年8月21日13:15〜
場所 新宿ピカデリー・シアター6
監督 フランソワーズ・オゾン
1985年夏。フランスの海辺の町。アレックス(フェリックス・ルフェーヴル)は小さなヨットで海に出たときに天気が急変し、あわてた拍子にヨットを転覆させてしまう。そこで助けてくれたのがダヴィッド(バンジャマン・ヴォワザン)だった。
ダヴィッドは親切に自分の家に招き、風呂や着替えを貸してくれた。アレックスもちょっと年上のダヴィッドに好意を寄せる。
ダヴィッドの家は去年父を亡くし、母と二人暮らし。母とダヴィッドで釣り具などを売る店を経営している。その店でバイトするようになり、二人の仲は接近する。
そんな時、アレックスはケイトというイギリス人の女の子と知り合う。
ダヴィッドとアレックスはやがて心を寄せ合い、体の関係も持つようになる。
デヴィッドとアレックスが一緒の時にたまたまケイトと再会。
ダヴィッドはケイトと急接近していく。アレックスはそれが許せない。だがダヴィッドは「お前には飽きた」と言い放つ。店を壊し飛び出すアレックス。その数時間後、ダヴィッドはバイクの交通事故で亡くなる。
フランソワーズ・オゾンの新作。別にオゾンの新作だから観たわけではなく、予告やチラシで「ゲイの初恋の話」と知って見に来た次第。
映画はアレックスがダヴィッドと知り合った時間軸と、彼が今裁判にかけられて事件のことを話さないアレックスに困っている、という時間軸が交互に描かれる。
徐々に解っていくのだが、実はダヴィッドは結構チャラそう。色んな人と恋愛したいタイプである。
前半に二人で夜の町を歩いている際に若い男が酔いつぶれていて「海で泳ぎたい」というので海岸まで連れて行く話が出てくる。
二人は夜中の砂浜に彼を置いて帰ったのだが、翌日ダヴィッドの母親にいわせるとダヴィッドは「夜中の4時に帰ってきた」という。
このあたりからアレックスの不信が始まり出す。映画でははっきりとは描かれないが、酔っぱらっている男にダヴィッドはいたずらしたのだと思う。
そして今度はケイトとも。それでついにアレックスの怒りも爆発するという訳。
この辺の痛みはよく解るのだが、やはり若いなあと思う。
若いとどうしても「自分の恋人にはこうであってほしい」という願望がある。相手がそれにそぐわない行動をすると受け入れるではなく、相手を責める。
アレックスの愛の暴走は勢いを知らず、遺族がダヴィッドの遺体にあわせないためにケイトに頼んで死体置き場まで女装してまでして遺体を見に行く。
ここでダヴィッドを取った女で恨まれそうだが、アレックスは恨んでいないようだ。
またダヴィッドは生前「どちらかが先に死んだら、生き残った方が墓の上でダンスをする」と約束させる。
その約束を果たすためにアレックスは墓の上で踊るのだが、ついに警察に不審者として逮捕される。
そして「なぜそんなことをしたのか?」を信頼する教師などに説明するためにアレックスは小説(?)にするのだ。
結局「社会奉仕140時間」という比較的浅い刑ですんだアレックス。
海岸掃除の社会奉仕の帰り、以前酔ったところをダヴィッドと助けた男に再会する。
ダヴィッドとセックスしたかも知れない男と連れだってどこかへ行くシーンで映画は終わる。
アレックスはケイトにもこの男にも「ダヴィッドを取った」という嫉妬の感情は持っていないのか。それとも復讐の機会を伺っているのだろうか?
オゾンの映画は今まで数本観てると思うが、どれも「だめじゃない」程度の印象しか持ち合わせていない。
嫌いじゃないけど、かといって「好き」ともいえない監督だなあ。
アレックス役のフェリックス・ルフェーヴルはなかなか少年ぽくていい役者であった。
でも私としては「16歳の暴走する恋」ということでは小谷承靖監督の「はつ恋」の方がよかったな。あれはひりひりするのが伝わってきた。
(この映画も海とヨットが共通するアイテムだ)
それにしてもロッド・スチュワートの「セイリング」を使うセンスはちょっと照れくさい。
日時 2021年8月20日18:45〜
場所 新宿ピカデリー・シアター2
監督 河合勇人
秀知院学園生徒会長の白銀御行(平野紫耀)と副会長の四宮かぐや(橋本環奈)。二人はお互いに相手を好きあっていたが「先に告白した方が負け」という妙な信念のために(特に四宮が)言い出せずにいた。
ある日、白銀が「他校との交流会がある」と言って放課後すぐに帰って行った。だがそれは合コンだった。四宮はメイドの早坂に白銀に女を近づけさせないように命じる。
だがそれは応援団の団長に会計の石上を応援団に入れることの条件だった。
石上(佐野勇斗)は他の1年生から嫌われていた。それは中等部の時に彼が起こした暴力事件のせいだった。実はそれは石上が悪いわけではなく、相手の演劇部の荻野が女子生徒に乱暴する計画を知ってのことだったのだ。それを知っている白銀は石上をなんとかみんなに溶け込ませようとして応援団を勧めたのだ。
そして体育祭、学園祭とイベントは続いていく。白銀は実は来年サンフランシスコの大学に留学が決定した。かぐやはどうする?
2年前に公開された「かぐや様は告らせたい」の続編。前作の内容は全くと言っていいほど覚えていない。映画館で席を並んで座るかどうかというエピソードがあったのは何となく覚えている。(内容はまったく忘れたけど)
バラエティ的にやたら効果音を入れて笑いをとろうとする手法はどうにも好きになれない。映画が進行するにつれ、徐々に減ってはいくけど。
でもああいうのが今のこの映画ターゲットとする観客には受けるのかねえ。
中盤のエピソード、石上が暴力事件を起こしたエピソードでどうしても反省文を書けない石上に「ならばお前が書くのはこれだ」と白銀が示すのが「うっせい、バカ!」。これには笑ったしよかった。
一番心が動いたカットだった。
あとは白銀が巨大風船をキャンプファイヤーの上で爆発させ、割れたらハート型風船が画面いっぱいに広がるところ。台詞で「好きだ!」というのもありだろうけど、こういう豪華な画にされるといいですねえ。
ところで石上役の佐野勇斗、「あれ『東京リベンジャーズ』に出てた子?」と思ったら、リベンジャーズに出ていたのは「磯村勇斗」(しかもハヤトと読むそうだ)。もう覚えられないよ。
四宮は大金持ちの家の娘だが、白銀は普通の家の子。今回も風呂上がりでバスタオルのみのカットあり。サービスカットですね。
日時 2021年8月17日21:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 市村泰一
製作 昭和44年(1969年)
旅の途中、お市(松山容子)は馬に乗ったある侍が火縄銃で撃たれ死ぬのに出くわす。
彼は「この巻物を室伏鉄斎に」と言って死んでいった。お市はその巻物を届けようとする。途中でお市の弁当を盗もうとした判次(佐藤蛾次郎)やおみよと知り合う。神社で宿を借りたとき、先客に榊(伊吹吾郎)がいた。お市は殺気を感じる。
翌朝、判次たちをおいて出かけるお市。しかし榊に待ち伏せされ、例の秋物は奪われてしまう。
旅芸人の一座に助けられ旅をするお市。結局は村のやくざに手引きされ、巻物をねらう侍に囲まれた。なんとか逃げたお市だったが、崖から落ちてしまう。
翌朝、河原で倒れていたお市を助けたのは榊だった。
「めくらのお市」シリーズ第3作。今までは「女の幸せとが?」みたいな路線でいっていたが本作はマクガフィンの新火薬の製法を記した巻物、というお宝ものになってきた。
敵キャラも増えてくる。
前半で柳沢真一率いる旅役者に助けられるが、その中で「唐人由来の白刃投げ」をする女芸人が出てくる。
この芸人が地元のやくざに博打で巻き上げられ、お市をなんとかするように言われる。その芸人が酒に酔ったので白刃受けを誰も引き受けない。そこでお市が「私がやりましょう」と言われ、舞台で投げられた白刃を扇子でバッタバッタと落としてゆく。
でこの女芸人がこの後も活躍するかと思ったら、出番は殆どここで終わり。あれ惜しいなあ。
そしてお市は女芸人によってやくざに呼び出されるのだが、この時にやくざ側に助っ人がいるのだが、これも割とあっさりと殺されてしまう。
惜しいな。
榊に助けられ、榊は実は室伏の弟子で、仲間が届けようとした巻物を代わりに届けようとしただけと解る。つまりいい奴なのだ。
でもうっかりして(ここがアホで惜しい)懐中の巻物を川に落としてしまう。
それを子供たちが拾ったところを判次が見つける、という展開。
新火薬を作って一儲けたくらむ城代家老(沼田曜一)によって室伏は捕らえられ、最大のピンチ!となる訳だ。
ここで助っ人で左近という浪人が雇われているのだが演じるのは栗塚旭。
私は知らなかったが、時代劇では有名な人らしい。
ここが日活映画の宍戸錠的な役割を果たす。でももっと前半から出てほしかったねえ。映画を通じて敵キャラがたくさん出てくるが、どうも出すぎで散漫なのだな。
ここはもう少しキャラを絞った方がもっとよかった気がする。
榊には室伏の娘という恋人がいて、結局結ばれ、お市は「ひょっとしたら」と淡い恋心を抱くのだが、今回もかなわず、といったラスト。
次回はいよいよ最終作である。
日時 2021年8月17日16:20〜
場所 新宿武蔵野館・スクリーン1
監督 松本壮史
高校生のハダシ(伊藤万理華)は時代劇大好きな高校生。だが所属する映画部で制作する映画はキラキララブコメ映画。「武士の青春」という脚本を書いたがボツになったのだ。親友で天文部でSF好きのビート板(河合優美)や剣道部のブルーハワイが協力するから映画を撮ろう!と言っても「主役がいない」と煮え切らない。
ある日、映画館で時代劇を観ているときに美青年に出くわす。何とか映画にでてもらおうと説得するが、その青年凛太郎(金子大地)は「絶対にいや」という。その割には打ち合わせには出てくる。「映画は完成してほしいが出たくない」と言う。ハダシはついに「じゃ映画を撮るのをやめる」と言い出す。
仕方なく出演を決める凛太郎。しかし彼には何か秘密があるようだ。
ツイッターでよく聞くので、迷ったが青春映画は嫌いではないので結局観ることにした。
主人公は今流行の少女コミック原作実写化が喜ばれる時代に勝新の「座頭市」が好きな子。
こういうマイナーな趣味の子、いいですねえ。
いい出演者と知り合って映画も大きなトラブルなく(普通映画ならなんかあるだろ)映画は進んでいく。
これは宣伝の問題なのだが、凛太郎が未来から来た、というのが映画紹介で語られている。それはないだろう。だから凛太郎の奇妙なところもまったく意外性がない。
でこのあたりからいけない。
凛太郎が言うには映画は未来では無くなっているという。その未来っていつ頃の話だ?そして映像は5秒が基本で1分は長編だという。
いやいやいやいや、もちろん私が未来を予測出来る人間だとは言わないが、それはないんじゃないかなあ?説得力がないよ。
映画館が無くなっているっていうのはまあ予測できるが。
(個人的には映画館は減ってはいくが無くなりはしないと私は思っている。演劇やコンサートに行く感覚で映画館はあると思う。もちろん今と同じとは思わないが)
ハダシ(他の友人もそうだが、この奇妙なあだ名の由来はない)は映画の内容が「信頼していた友人が実は敵だった」と知ってどうするかで悩む。
信頼していた友人だから「斬り合うのはやめよう」というラストでクランクアップする(らしい。「らしい」というのは何となくしか説明されないから)
んで文化祭の上映会。映画がクライマックスになったところで上映を止めさせるハダシ。
放送で「すいません監督です。このシーン、やっぱりやり直します」とその場で(周りの生徒も巻き込んで)チャンバラをやり出す、となる。
主人公の熱い思いに思わず感動しそうになるが、ちょっと待て。
それはもう映画ではない。
映画はスクリーン(ブラウン管でもテレビモニターでも同義)で写されるものが映画なので、それはもう映画+実演だよ。
迷って迷って最後に変えるっていうのはありだと思うが、それならクラックアップの日にやるべきなのだ。
脚本が三浦直之(劇団「ロロ」、劇作家)だからこういう最後は生という脚本を書いてしまうのだろうか?実は「映画は将来無くなるけど演劇は無くならない」「映画より演劇は上」という思想の元に作られてやしないか?
途中まで面白かったが、ラストでがっかり。
金子大地は三浦氏の脚本のテレビドラマ「腐女子、うっかりゲイに告る」に出ていたので今回の出演はその縁かな。
あとハダシたちはスマホで撮影していた。
まあそういう時代ですねえ。
※パンフレットは売り切れ。最近はお金もないのでパンフが売り切れだった場合、後追いしないであきらめることにしている。
日時 2021年8月16日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 中田秀夫
製作 平成14年(2002年)
夫・邦夫(小日向文世)との離婚調停中の淑美(黒木瞳)は娘の郁子の親権を獲得するために二人でマンションに引っ越した。このマンションは逐年数が古かったが、条件にあったため引っ越す。
しかしこのマンションは上の部屋の足音が聞こえ、天井から水漏れがあり、また水もまずく何か不安なものを感じる。
郁子も近くの幼稚園に通わすことが出来た。屋上に出たときに赤い子供の女の子向けのバッグを見つける。郁子は欲しがったが管理人に落とし物として届けた。水漏れを管理人に行ったが「ここは古いですから」と対応してくれない。
淑美は幼稚園に行ったときに2年前にこの幼稚園の女の子が行方不明になった事件の話を聞く。友達がその子を描いた絵があったが、その子も赤いバッグを下げている。
時々女の子らしき影を見る淑美。
淑美はその女の子によって郁子が連れ去られる予感がしてくる。
「シチュエーションラブ」を鑑賞後、近くのイベント会場で映画出演者、監督によるトークイベントが行われた。正直そのイベントは段取りが悪かったがまあそれは多めにみよう。監督の桜井亜美さんは若手の新人監督だと思っていたが、若手ではなくしかも作家でそれなりに売れている方だった。作家が副業(という訳ではなかろうが)で作った映画だったのだ。
で「シチュエーションラブ」の話をするかと思ったら、連日行われるトークイベントでは「おすすめの○○映画」ということで登壇者がプレz年するのだ。(なんか意図がよくわからない)
で、その日のテーマが「おすすめのホラー映画」。
私だったら迷わず「マタンゴ」なのだが、その中で平井亜門くんがおすすめしていたのが、これ。
なるほどなあ。
私はホラーはあまり好きではないのだが、正確にはスプラッターが嫌いなのだ。血しぶきが苦手なんですよ。
こういう精神的なホラーは大丈夫です。
やっぱり設定がうまいなあ。
自分に恐怖が降りかかるというより、主人公は「子供がいなくなる」という恐怖にさいなまれる。
主人公は離婚調停中で親権を争っている。子供が心のより所の主人公にとっては夫に親権を奪われることが怖い。
その上に「得体の知れない恐怖」に襲われる訳だ。
子供は時々勝手に動き出す。目を離したときにいなくなる「ドキッ」は誰にでも共通する怖さだろう。
自分では制御できない部分の恐怖だからなおさら怖い。
また就職の面接に行っても担当者が席を外し戻ってこなくて時間が遅くなるイライラ。
(幼稚園で園長が自動を叱るシーンがあるが比較的長い。何かの伏線になるのかと思ったら、ここは「幼稚園に対する不安」というシーンだったようだ)
滴る水、床の水たまり、激しい雨、水道からの濁り水。すべて今回は水が媒介。
そして不気味な効果音(ホラーではこの効果音が重要なのだ)
行方不明の女の子は屋上の貯水槽に落ちてしまったのだ。
たぶん清掃作業が入った時にたままた開いていた蓋から落ちたのだろう。
そして同い年の郁子を友達にしようとした。
床一面を水であふれさせたり、激しい雨のシーンも多く、撮影も大変だったと思う。
安手のホラーではなく、こういう高級なホラーを見ていろいろ勉強になった。
日時 2021年8月17日
場所 東映チャンネル(録画)
監督 小林恒夫
製作 昭和31年(1956年)
原子力研究所に賊が侵入した。犯人は二十面相。狙ったのは新型原子炉の設計図だが、明智小五郎が事前に察知し、別の場所に隠してあったため何を逃れた。
少年探偵団の一人、相川泰二くんのお父さんは原子力研究所の相川技師長(宇佐美淳也)。少年探偵団の他のメンバーとともに二十面相の隠れ家を突き止めるべくがんばっている。ある日上野近辺を捜査中に怪しげな義足の男を見つける。男を尾行する相川くんだが、男はある洋館に入っていく。その洋館を覗いてみると少女が縛られている。洋館に入った相川君だが、そこは二十面相の隠れ家で相川君は捕まってしまった。その後催眠術をかけられた相川君は家に帰り、お父さんの部屋から隠してあった設計図を持ち出す。
お父さんや少年探偵団が見ている中二十面相が現れ、相川君も設計図も奪われてしまう。設計図は実は半分しかなく、あとの半分は大阪に隠してあったのでまたもや助かった。
数日後、原子力研究所にトノムラという私立探偵がやってきた。「自分は明智より優秀で3日で事件を解決してみせる」と豪語する。
実はトノムラが二十面相だったのだ。一度は二十面相を追いつめた明智だが、地下室に落とされ、そこに石膏が落とされる。
7月に「超・少年探偵団NEO」(高杉真宙のやつ)を放送する東映チャンネルで、放送される際に「少年探偵団」関係の作品を放送。
「超・〜」は劇場で見てがっかりした映画だったので今回は録画しない。
あとは70年代に東京12チャンネルで放送された「江戸川乱歩シリーズ」のテレビシリーズ26本のうち2本を放送。(これはこのHPでは記載しない)
で、この岡田英次が明智小五郎の「少年探偵団」が放送された。
昔ビデオで観たことがあるような気がするが、どっちみち内容は覚えていない。
55分のSPで「確か前後編形式だったと思うが」と思ったが観てみたがやっぱり前後編ものだった。東映チェンネルでは「第二部」の放送は予定されていない。だから話は途中で止まっている。
最近多羅尾伴内を観たせいか、二十面相の変装が多羅尾さんに重なってくる。
義足の男、ヒルタ博士、妖婆、トノムラ探偵、怪しい外国人に扮するわけだが、観てるこっちにはわかる。仕舞いには「その実体は、二十面相だ!」と言い出すんではないかとひやひやする(期待する)。
それにしてもこの洋館、部屋の片隅のドアに駆け寄るとその周りがぐるぐる回り出すとか、部屋の床が抜けて地下室に落ちるとか仕掛けが楽しい。
これが二十面相の隠れ家ですよ。ポプラ社の本で読みました。
小林少年は活躍がないが、それでも要所要所に出て来る「岡田=明智」がいい。中村警部は神田隆で「警視庁物語」にもつながる刑事役。(「警視庁物語」はまだ始まっていない)
そうそう最初の方で少年探偵団の面々が街で張り込む。バスから降りてきた一人が黒めがねをして挙動不審。つけていったら公衆便所に入っていった、ということでただトイレに近かっただけ、というオチ。
全9部あるようなので、このシリーズ、ちょっと観たくなった。
以前はアマプラにもあったのだが、今はなくなった。その代わりベストフィールドからDVDボックス(定価20000円)が出ている。
欲しいな。
日時 2021年8月16日
場所 日本映画専門チャンネル録画
監督 小林恒夫
製作 昭和37年(1962年)
昭和20年夏。敗戦が濃厚になった日本に連合国からポツダム宣言が突きつけられた。総理秘書官となっていた中島(鶴田浩二)は陸軍の戦争遂行派の動きを警戒していた。彼の妻は軍人一家で義父はすでに亡くなっているが、義弟の川崎(江原真二郎)は本土決戦を主張していた。
戦争遂行派を抑えるために重臣山木(江川宇礼雄)に相談するが、憲兵隊によって監視され、身動き出来なくなってしまう。
最高戦争指導者会議でも結論が出ず、総理は御前会議を決断する。
ご聖断はあらせられた。「ポツダム宣言を受け入れることとなった。しかしそれに不服な白井大佐(山本麟一)や川崎はこの近衛師団長を殺害。続いてポツダム宣言受諾を報じる天皇の玉音盤を奪還せんと立ち上がる。
中島はなんとか玉音盤を放送局に届けようとするのだが。
終戦の日ということで日本映画専門チャンネルでは「日本のいちばん長い日」の4K版(放送は2Kにダウンコンバート)を放送。同じく終戦企画ということでこの「八月十五日の動乱」を放送。
この映画はずっと以前(たぶん1990年頃)にレンタルVHSで観た記憶があった。その時の記憶では鶴田浩二は官房長官(書記官長)役だと思っていたが、見直したら総理秘書官だった。
当時はもう「日本のいちばん長い日」は観ていたら総理秘書官と書記官長の区別はついていたと思うがなあ。記憶違いか。
そして玉音盤を持って鶴田が逃げまどうシーンがあったのは覚えていたが、もっと暗闇の中で光と陰の映像でしかも最後は撃たれてもよろけながら届けたと思ったがこれも違っていた。
終戦に関しての青年将校の決起など「日本のいちばん長い日」で知られたと思っていたが、この映画や未見だが「日本敗れず」(昭和29年)でも描かれており、細かいことはともかく、「終戦間際に青年将校が決起し、近衛師団長を殺害し玉音盤を奪取しようとした」という事件自体は知られていたのだろう。
で、この映画の話。はっきり言ってくそ詰まらん。このテーマでは「日本のいちばん長い日」という名作があるので、どうやっても劣るのだが、それにしても、である。
まず会話のテンポが圧倒的にのろい。同時期の他の東映映画に比べてもまったりしすぎていやしないか?
それでももう観ていて眠くなる。
総理以下閣僚は仮名になっているが、陸軍大臣(山形勲)、鈴木総理(宇佐美淳也)、外務大臣(北竜二)、情報局総裁(加藤嘉)、近衛師団長(松本克平)などは髭やめがねで実際にちょっと似せてある。海軍大臣の神田隆もなかなかだ。
しかし鶴田浩二の主演映画にしたせいか、クライマックスともいえる陸軍大臣の切腹シーンがまるまるなく、東部軍司令官によって反乱軍のリーダーに告げられるだけ。ここ、残念だよなあ。
江原真二郎は畑中少佐に相当する人物。ラストで鶴田浩二と対峙し、「兄弟で対立する」という時代劇にあるような図式に持ち込まれていた。
あと江川宇礼雄の演じた重臣のモデルは近衛文麿かな。あの煮え切らない感じとかモデルっぽい。
終戦映画としての1本だが、やはり「日本のいちばん長い日」という圧倒的名作の前では完全に見劣りする映画なことは否めない。
日時 2021年8月14日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 山田洋次
製作 昭和36年(1961年)
葉室正巳(小坂一也)と明子(葵京子)は新婚夫婦。無理して東京郊外の丘の上に一軒家を建てた。ローンの為に仕方なく二階の部屋を下宿として貸し出した。
しかし今住んでる小泉夫婦(平尾昌章、関千恵子)は家賃を3ヶ月溜めている。人のいい葉室夫婦はなかなか言い出せない。小泉が「学生運動の逮捕歴が就職をだめにした」というので、自分の会社の倉庫番の空きがあったので紹介した。しかし程なく辞めてしまう。
隣の警察官に相談したところ「最後はなぐちゃえば?」と言われ、結局は無理矢理に追い出す。後で聞いたら家賃滞納の常習犯だったらしい。
今度は外交評論家という来島夫妻が住んだ。葉室に「こちらがお金を出すから風呂を作ってほしい」と言われ、風呂を増築。
そこへ長男の嫁と喧嘩した母がやってきた。母は兄と実家の豊橋に帰っていったが、兄ともめてる時に兄に借りた20万円をすぐに返すことに。
困った葉室は来島に相談。来島はあっさり貸してくれた。
しかし週刊誌の記事を見て葉室は来島夫婦は会社の金を5000万円横領して逃亡している二人と知ってしまう。
山田洋次初監督作品。「キネマの神様」を観て映画中のゴウちゃんが実現させた映画とはいかなる映画だったか?に興味がわいて早速拝見。
はーこういう映画だったのか。
松竹の庶民の哀感を描きつつ、何かひと味違う。大島渚ほど尖ってはいないが、先輩監督たちとは独自の世界を出そうとしている。
また後の作品につながるものがある。
葉室夫妻の人のよさは「男はつらいよ」の博とさくらに通じるものがある。実際に博の兄は穂積隆信が演じている。実家の相続問題なんて後の「口笛を吹く寅次郎」でも扱われた。
母親が嫁と喧嘩して豊橋から出て来る。このあたりが「東京物語」っぽいのだが、笠智衆のようないい人ではなく、花札好き。この母親が小泉の主人と花札をして葉室や観てるこっちをいらだたせる。
そして後半は下宿人が横領犯と解って困るという展開。
通報しても言いようだが、金を借りているので逮捕されたときにその話題になって返還を求められたら困るのだ。
ミステリーサスペンス要素もある。
昔インタビューで(それこそ寅さん全盛期の頃)「寅さんが終わってもミステリーがある」と意欲があったことを思い出す。
「みな殺しの霊歌」も脚本が山田洋次だったし、ミステリー指向が強かったのだなあ。
(本作の脚本は野村芳太郎と共同。野村の方が名前が先にある)
偶然にすぎないかも知れないが、冒頭、持ってきた傘を他人に貸してしまった葉室夫婦がかき氷を食べるシーンは「砂の器」の冒頭の食堂のカットにもの凄く似ている)
冒頭に持ってきた傘を他人に貸してしまい自分たちの分がなくなるシーンがあるが、他人に貸したら結局自分たちが困る、という本作のテーマを象徴していた。
「処女作にはその作家のすべてが詰まっている」とはよく言うが、山田洋次を理解するには見逃せない映画だった。観てよかった。
日時 2021年8月14日15:30〜
場所 神保町シアター
監督 山根成之
製作 昭和58年(1983年)
風間黎(本木雅弘)、吉井誠一郎通称ボクトツ(布川敏和)、安藤豊(薬丸裕英)は同じ高校の3年生。黎は親元を離れ、知り合いのビルの屋上のプレハブに住んでいる。安藤は不良仲間と連み、学校でも厄介者扱いされていた。教師の安藤に対する扱いが余りにもひどく、黎は教師を殴ってしまう。それがきっかけで2週間の停学に。そこへ熊本の親元を離れ下宿しているボクトツが「しばらく泊めてほしい」とやってきた。
安藤も知り合いの女の子理奈(可愛かずみ)を連れてきて彼女もしばらく泊めてほしいという。
そんな時、黎はペットショップで働く有紗(高部知子)と知り合った。
しかし実は彼女はボクトツが片思いしている女性だった。告白を入れたカセットテープを黎が有紗に渡す。数日後黎は有紗に呼び出された。ボクトツへの答えはノー。有紗も黎が好きで自然とつきあい出す。
だが二人が一緒のところをボクトツにみられてしまう。
ボクトツは安藤がバイトしているバーで酒を飲む。
そこで知り合った未樹(中野良子)の店に行く。
流氷が見たいというボクトツを未樹は彼女の故郷の北海道に連れて行く。
シブがき隊主演映画。封切り時にも観てると思うが全くと言っていいほど覚えていない。タイトルのヘッドフォンは当時流行っていたウォークマン(はSONYの商品名だが)につけるヘッドフォン。今ではイヤホンだから隔世の感あり。
記憶にあったのは女の子とヘッドフォンを交換したら同じ曲を聞いていた、というシーンだが、私はここは薬丸だったような気がしたのだ。実際は本木。完全な記憶違い。
話の方はどうにも散漫である。
黎が陸上部で、ボクトツも元陸上部で復帰、安藤も前の学校では陸上部だったが、試合中に彼女がレイプされてそれ以来陸上が嫌いになったっていいう設定。
話が極端じゃないか?
そして恋人の奪い合いからボクトツは大人の女性にあこがれて北海道へ逃避行。この未樹には恋人がいてそれがミュージシャンを夢見て北海道から出てきたが怪我をして今じゃシャブ中。いやアイドル映画でシャブ中かあ。さらにこの恋人が安藤が連んでる不良グループのリーダーの元でコールガールの元締め(今でいうデリヘルの店長)をしている。
ジャニーズ映画とは思えない東映風。
せめて恋と駅伝、っていう二つにすればよかったのが、なんだか要素を詰め込みすぎ。黎はイラストレーターになりたいっていう夢があったのだが、渋谷のPARCOの壁に絵を描くコンテストであっさり入選。この絵の話はその後忘れ去られ、ラストで出てくるだけだ。
それにしてモックンの恋人が高部知子とか時代を感じさせる。彼女その後フライデーかフォーカスでベッドでたばこを吸う写真が公開されてスキャンダルになったよな。
実は今日、あまり上映されない映画だからかつてのシブがきファンが駆けつけて満席で入れなかったらまずいと思って(今緊急事態で座席を1席空けにして40数名しかいれてない)上映の2時間前の1時過ぎに行った。だが整理番号は5番。
開場時間に行ったら上映間際に2人連れの学生(20歳ぐらい)が二人やってきて、これで8番。
つまり8名で観たのだ。
シブがき隊って今は忘れ去られた存在なんだなあ。
日時 2021年8月9日19:00〜
場所 k's cinema
監督 山本政志
製作 平成2年(1990年)
香港生まれの九扇は家族で川縁に家を建てて住んでいた。もともとはあいていた土地に勝手に住みだしたのだが、昔は当たり前だった。
家族みんながクイズに当たって海外旅行。九扇は恋人と行こうとしたがディズニーランドに行く行かないで喧嘩になり一人で行くことに。
クミは大阪の零細ガイド会社に雇われた。ツアコンの仕事は全く始めて。九扇を迎えに行く。ホテルはカプセルで食事は立ち食いうどん。そんな時に車から荷物を盗まれてしまう。落ち込んでいたがたまたま入った串カツや・てんぐで自分の服を着ている茜(鈴木みち子)を見つける。
鞄とパスポートが取り返したが帰りのチケットもお金も茜が使っていた。
仕方なく予定の東京に行く。ディズニーランドに行くつもりが間違えて浅草花やしきについてしまった。ついでに茜も車の下にくっついてやってきた。
そこで開館100万人目ということで九扇たちは香港旅行が当たった。
九扇は香港に帰り、クミも茜もついてきた。
九扇の家の周りは香港返還後を当て込んでの巨大再開発のために地上げにあっていた。
一度は売る決意をした九扇の母だが、祖父が「相手が大きいからって負けるとは何事だああ」と言ったことから気が変わる。
九扇の弟の友達の少年がパソコンに詳しく、地上げ屋が持ってるクレジットカードを偽造することを思いつく。
たしか山本政志監督の「アルクニ物語」の上映のトークイベントだったと思うのだが、「『てなもんやコネクション』という映画では映画の途中で字幕が出て『登場人物が二人一役になります』って出るんだ」という話を聞いたのだ。ずっと気になっていたのだが、DVDレンタルもなさそうだし観る機会がなかった。今回「脳天パラダイス」上映の連動企画で山本政志の旧作をケイズで上映し、その1本に入っていたので見に来た次第。
コメディなんだろうけどもう山本監督とはセンスがあわない。本人が面白いだろ?と思ってやってることがことごとく面白くない。
大阪のシーンで西成、釜ヶ崎の職業斡旋所が映し出される。そして実際の地元の人を写すのだが、説明だったらほんの数秒でいいはず。だがそれを延々と写すのだ。「昼間から酒飲んで陽気なバイタリティあふれる人々」と見えるか否かが私と山本監督の差ではないか?
私なんかはめんどくさそうで出来れば関わりたくない感が強い。
この辺でもう肯定的に見れないのだよ。
九扇の父親も香港の路上でインチキお守りを売っている。なんか好きにななれないなあ、この一家。
でも問題の二人一役。前半おばさんだった茜が突然室田日出男が演じるのだ。で、カットによっては戻ることもある。しかし「二人一役ですよ」と最初から言われてるので、観てるこっちは意外と違和感はない。
どっちかが途中で降板したので仕方なくこうなったのだろう。
女の茜がぶかぶかの室田日出男が着ていたスーツを後半着ているから、室田のシーンを先に撮って何かの事情で降板し、女性の鈴木みち子になってのではないか。カットによっては室田の画に鈴木の声が当てられていたから。
「脳天パラダイス」に通じるナンセンスコメディなんだろうけど、私には笑えなかった。
合わない映画だった。
日時 2021年8月9日13:00〜
場所 ところざわサクラタウン・ジャパンパビリオン ホールB
監督 三隅研次
製作 昭和41年(1966年)
ストーリー省略。
以前DVDで観たときと特に感想は変わらなかった。
角川シネマ有楽町がメイン館で開催されている大映の「妖怪特撮映画祭」で「大魔神」が4K化しての上映。
「大魔神」は最後の15分しか見所がないのであまり好きではないので4K化しても特に食指は動かない。
しかしこのヴァージョンはチラシによると「フィルム倉庫から新たに発掘された海外版音ネガから起こした英語吹替版日本語字幕付で上映。
海外版ならクレジットも英語になってるヴァージョンもあるかも知れないが、今回はクレジットは日本語だから4K化した映像に英語せりふの音ネガ音声を合わせて作ったのだろう。
映画自体は通常版と同じだと思う。
有楽町でも上映されたが7月23日と8月1日で、コロナのワクチン接種2回目の副反応で発熱していた時とか、マンションの防火設備点検で出かけられなかったなどで観にいけなかったので、第2会場の所沢で観た次第。
武蔵野線東所沢駅から歩いて10分で家からは交通の便が悪い。
日本人俳優が英語の吹き替えになっているので違和感があるかと思ったら、それはほんの始めだけで慣れれば特に気にならない。
でも英語では「STOP!STOP!」と言っているのが「小百合!」と名前になってる箇所もあり、英語を訳したというより日本語台本のせりふをつけたのだろう、たぶん。
大魔神って怪獣じゃないから吠えないし、放射能や火炎を吐くわけでもなく、ドシンドシンと歩いて睨むだけ。
動きももっさりしてるし、それはそれで迫力はあるけれど、やっぱりスピード感もないし、最後の最後しか出てこないし物足りない。
本作は夏の8月公開なので「水の大魔神」として湖からの登場だが、どうせなら滝とかもっと涼しげな映像が多いとよかったと思う。
日時 2021年8月8日14:30〜
場所
監督 大森一樹
製作 大阪芸術大学
大阪芸術大学。この大学ではキャラクター造形学科長でマンガ家の里中満智子の「天井の虹」を原作とする舞台劇を制作することになった。今は教授(津田寛治)により舞台芸術科の学生たちによる本読みが行われていた。映像学科では単位不足で留年の可能性がある鈴木が「ドキュメンタリーを撮って単位を取る」と言い出す。
鈴木はミュージカルコースの翼を見て彼女を撮ろうと思い、「天井の虹」のメイキングを志願する。
配役が決まった。主人公の大津皇子には誰もがそうだろうと思っていた雅也、しかしヒロイン役はみんなの予想と違って翼に決まった。本命だと思われていた真由子は別の役。
稽古は始まった。そんなとき、出演者の一人が交通事故で降板、そして「舞台を中止しろ、さもないと会場を爆破する」という脅迫が届く。
犯人は主役になれなかった真由子が疑われるが。
「大阪芸術大学産学協同プロジェクト 第10作記念映画」という肩書きの映画。大阪芸大のプロモーション的映画。10作ということだから年に1本ぐらい作っているらしい。監督大森一樹、と便宜上書いたけど、実際は大阪芸大の講師陣の監督8人ぐらいが分担して撮影し、それを映像学科長の大森一樹が編集、仕上げをしたそうだ。
監督はプロなのだが、学生が出演しているせいか(いや学生といってもド素人というわけではない)、はたまた大阪芸大を舞台にしているせいか、なんだか内輪受け的な映画だ。大阪芸大の紹介ビデオでもあるのかな。
真由子が主役になれなかったわけではなく、真由子の方から別の額田王役をやらせてほしいと言ったから役が変わったのだった。
結局はドキュメンタリーの鈴木がわざと脅迫を送ってその反応を記録しようとしたのだ。
そして歌の指導にやってきたマーク・パンサー(本人)が翼に東京で行われるオーディションに「私が推薦するからおいで」と言われる。
しかしその日は公演当日!
っていう縦軸に舞台美術を担当する明日香の母親が大阪芸大出身でその同窓会で呼ばれ母の友人が経営する和菓子屋のパッケージデザインをしたりする。卒業生はみんな映画監督になってるわけではない。
その後でも明日香と雅也がテニスをするシーンでも「みんなみんな大坂なおみになれるわけではない」と芸大出てもそんなもんだぞ、と警告する。
大坂芸大のプロモーションならもう少し夢のある話をしてもいいような気がするが、まあ先に現実を解ってもらうのもいいでしょう。
今回の上映は「大森一樹のシネマ塾」と題して大森監督が見せたい映画、ということでチョイスした作品。
(もう1本は「世界のどこにでもある、場所」)
大坂芸大が舞台でなんか内輪受け臭が抜けなかったが、まあこんなものか。珍しい映画を見せてもらった。
日時 2021年8月7日21:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松田定次
製作 昭和44年(1969年)
今やお市は凶状持ちを殺しての賞金稼ぎ。今日も一人(中丸忠雄)斬ってしまった。
お京という親のない子を旅するお市。しかし実はお京は家出娘だった。その娘を奪って親元に連れ戻してお金をせしめようとしたのが黒髪お灸(松岡きっこ)。しかしお京のことを考えてお市が親に帰してしまった為に金を取り損ねてしまう。お灸はお市に勝負を挑み、毒蛇でかませた。
お市は命からがらある村にたどり着き、茂作という青年に助けられる。
その村はお灸の兄であるやくざの文蔵に搾取されていた。お灸はお市が生きていると知り、3人の強者に襲わせるが、あっさり破れてしまう。
お灸は文蔵と組み、茂作にばくちさせ借金を作らせる。
そのことでお市を呼び出し、今度こそ倒そうとするのだが。
「めくらのお市」シリーズ第2作。
前作のビギニングは説明的だったが、今回は好敵手、お灸を得てエンジン全開である。
このお灸というのが鞭を使って男どもをやっつけるのだが、その鞭は女の髪を結ったもの。長さは3m以上ある。
「女の恨みがこもってるのさ。一度からみついたら離さないよ!」という。
「そんなのお市の刀でばっさり切られちゃうんじゃないの?」と思うのだが、お市は苦戦する。
お灸が3人の強者に襲わせるが、1人は「唐人」。カンフーの使い手という設定。まだブルース・リーブームの前だがこの頃からカンフー人気って日本でもあったのか?
でも割とあっさりやられる。
茂作の村では文蔵に備えて一応用心棒を雇っている。これが近衛十四郎。
お市にはカタギになるようにいい、「抜くなよ」と諭し、対決も助ける。
なかなかかっこいい役。
そしてお市も賞金稼ぎから足を洗って茂作の妻として平凡に生きていこうとするが、お灸たちが許さない。
最後の最後には文蔵たちの子分を滅多切り!
(このラストの対決はストップモーションの静止カットの組み合わせ。原作が劇画なことの影響か)
やっぱり悪役がなんか特徴があると楽しいですね。松岡きっこはいい役をやったと思います。
「るろうに剣心」を観たとき「拳銃無頼帖みたい」と思ったのだが、かつて悪の世界で名を馳せた達人がカタギになりたいと願うが、周りがそれを許さないっていうのはパターン(フォーマット)としてあるのだな。
なんか改めて勉強になった。
それにしても中丸忠雄、アバンだけの出演では実にもったいない。
あと文蔵の子分役で南廣出演。
日時 2021年8月7日14:20〜
場所 池袋シネマロサ2(地下)
監督 桜井亜美
成陽大学の映画研究部は今「スーパームーン」という映画を製作中だった。サナ(小野莉奈)とレイ(平井亜門)が高校生の幼なじみで恋心を打ち明けられずに親の離婚で離ればなれになるラブストーリーだった。
だが監督のニシ(森岡龍)によるだめ出しに心が折れるサナ。そんな時励ますメモを貼ったドリンクを渡しサナを励ますレイ。
だがコロナ禍により映画の製作は中止。
5年が過ぎた。レイは絵もかけるので美術スタッフと俳優の掛け持ちで映画に関わっていた。サナは居酒屋でバイトしながら映画女優を目指している。そんな中、ニシは商業デビューを果たし、2作目として「スーパームーン」を完成させるという。
レイは遺伝的病気のため38歳ぐらいで死ぬ可能性がある。サナはレイがくれたメモを貼ったドリンクをずっと持ち続けていた。
撮影再開の前、サナは監督に「現場でアドリブ言ってもいい?」と提案する。
「アルプススタンドのはしの方」の小野莉奈と平井亜門のコンビ作。「アルプス」を受けてのキャスティングであることは偶然ではあるまい。
(この日、スピンオフ作品として上映されたのが、映画研究部の部室でニシが製作再開を発表し、カメラマンが「映像消したかも?」と言って家に録画してあるハードディスクを探しに行く話(タイトルは「スーパームーン」)。本編では「あった!」と帰ってきたのだが、スピンオフの方ではこれをアパートで探す。ここで登場するカメラマンの元カノが中村守里)
本編は上映時間1時間強の中編。
幼なじみの高校生同士が親の離婚で離ればなれになる、という話をしてるシーンから始まる。これが途中から映画の撮影だったとばらすというオープニング。
んで「5年後」とテロップが出て話が再開するわけだが、どうも台詞では「10年後の二人を描く」とみんな言ってる。これ俺の勘違い?それとも「スーパーラブ」の設定が15歳の高校生で25歳になった彼らを描くってこと?
まあ大したことではないですが。
結局、サナが言っていたアドリブというのは、映画の本番中に持っていたレイの書いたメモの貼ってあるドリンクを見せ、「これが私の心の支えだった」と語る、という形で告白するというもの。それに答えてレイも彼女にキスをする。
本番後の二人の会話で「役として言った」という形で必死の告白も伝わらず仕舞い。いや伝わらないというよりお互いに告白しきれなかったという胸キュン話。
(このメモを見せるシーンが風が強いのだが、最後に平井亜門がたぶんアドリブで「風強い」とぼそっと言うのが個人的には受けた)
なんかこう少女マンガみたいでハハハと笑ってしまう。別にバカにしてる訳ではない。桜井監督には是非青春ラブストーリー映画を撮ってもらいたいものだ。嫌いじゃないんで。
それより昨日観た「キネマの神様」も本作も「製作が中断した映画が時を経て再開する」という点では同じなので、偶然とは面白いと思った。
日時 2021年8月6日18:35〜
場所 新宿ピカデリー・シアター3
監督 山田洋次
円山ゴウ(沢田研二)は酒とギャンブルがやめられないダメ男。妻の淑子(宮本信子)はかばっているが娘の歩(寺島しのぶ)は愛想を尽かしている。
借金取りがやってきた晩、ついに大喧嘩になり歩はゴウを追い出す。行き場のないゴウは親友のテラシン(小林稔侍)の経営する映画館・テアトル銀幕に行った。営業終了後、翌日からの上映のために出水宏監督の「花筏」の試写をするところだという。その映画の助監督としてゴウはついていたのだ。この映画の主演女優・桂園子(北川景子)がアップになった時、彼女の瞳にカメラの横にいたゴウが写っているのだという。
若き日のゴウ(菅田将暉)は出水宏監督の作品で助監督をしつつ、自分でも脚本を書き、夢を追っていた。テラシンは同じ撮影所で映写技師をしていた。近所の食堂、ふな喜の看板娘、淑子(永野芽郁)はゴウからテラシンを紹介される。
ゴウの脚本「キネマの神様」が映画化が決定し、ついにクランクインを向かえたのだが。
「松竹映画100周年」という肩書きがついている。それまで演劇の会社だった松竹が映画製作を始めたのが1920年なので、本来の100年は去年なのだが、それはコロナ禍による製作延期、公開延期のせい。
この映画、のちに語られるときに現代のコロナ問題とは無縁では語られないだろう。
備忘録として少し書いておく。
この映画、2020年の3月に過去パート4月に現代パートの撮影が行われる予定だった。3月の過去パートが終わった頃、現代のゴウを演じる予定だった志村けんが新型コロナで急死した。1月ぐらいから話題になりはじめた新型コロナだったが、どこか他人事だった日本人にとって一挙に「身近で怖いもの」になり、安倍総理の思いつきで学校は休校、そして日本人が初めて経験する緊急事態宣言。これらの事実は押さえておきたい。
映画が始まってしばらく現代パートが続く。酒とギャンブルが大好きなこのゴウという人物が私は好きになれない。私は酔っぱらいとギャンブルが嫌いな質なので、完全にだめ。借金して闇金に追われて家族に迷惑をかけあたりは(ここでは書きにくいが現在の自分と重なって切なくなる)映画館自体を出たくなった。
そして過去パートに行く。ゴウは現代パートでは今78歳と台詞に出てくる。過去パートのゴウは20代半ばとすると50年〜55年前。現代パートは日本中がラグビーで盛り上がった、と紹介されるから2019年。
となると1964年〜1969年ぐらいになるわけだが、その頃の映画界には見えない。実際パンフレットを読むと過去パートは山田監督が松竹に入社して助監督をしていた1950年代、とある。
完全に10年ずれている。どうも違和感が残った。ならば現代のゴウの年齢を山田洋次と同じく80代後半にするか、現代パートの時代を2009年ぐらいにするべきだと思うが、そういう重箱の隅をつつくのは根性の悪い映画ファンだけだと割り切っただろう。
89歳設定ではもう少し老人感が必要になるし、60年代後半が舞台では映画の厳しくなってきて「人員整理があるぞ」「予算削減だってさ」とかネガティブな台詞しか出てこなくなるから。
出水宏監督(リリー・フランキー)のモデルは清水宏。パンフにもあったが清水宏監督はこの頃は松竹を離れていたので、何故清水監督が出てきたのか、ちょっとわかりにくい。本来なら木下恵介監督だと思うのだが、その辺は山田洋次監督の特別な思い入れがあるのか。
ゴウが脚本を書いていた「キネマの神様」だが、監督へのデビューまでには一悶着も二悶着もあったはずだが、そこはばっさり切られている。夢のない話だから切ったのか。
そこでゴウは張り切りすぎてイントレから墜落。怪我をして撮影所を退社。これで「キネマの神様」は製作中止になったようだ。
もう準備は進んでるし公開の予定もあるだろうから、監督の代理を立てて製作続行となると思ったがそうはならない。
物語の必然上、映画は製作中止にならねばならないから。
私なら、脚本を売り込んだが、最後の最後で上層部のOKが得られずに没になる、そして酔っぱらって事故を起こす、という展開で書いてしまうが、それでは画にならないと思ったのか。
そして2019年までの間がなにがあったかは映画ではさっぱり語られない。でも「ゴウは岡山の実家に帰った」と言われるが、実際は東京で古いとはいえ、一軒家で暮らしている。ずっとギャンブル依存ではなく、そこそこがんばっていたようだ。孫は引きこもり状態だが、これもまったく意味不明。歩は映画雑誌の編集の契約社員なので、そこそこ映画は好きなのだろう。
でも現代のゴウは映画好きには見えないんだなあ。映画より酒とギャンブルが好きに見えるし。
それに過去パートでも純粋な映画青年で「酒とギャンブルが好き」には見えないんだな。一応せりふで「麻雀をするのも監督になるための肥やし」とは言ってるけど。
で現代パートで映画化されなかった「キネマの神様」のシナリオを孫が入手し、それを手直しして木戸賞に応募するのだが書き直してアイデアを出すのは孫ばかりでゴウが書き直してるようには見えない。
「78歳の新人誕生」と言われるが、芥川賞などは年寄りでも賞を取るけど、現実の城戸賞では高齢者は取りにくいようだ。
城戸賞の審査員をしている人から聞いたが「どうせなら若い人」という視点があるようだ。そもそも「新人発掘」が目的なので、今後活躍出来る、プロデューサーや監督からすると「使いやすい人」が好まれるらしい。
そうなると「78歳の新人」ってねえ。
そして沢田研二。本来はこの役は志村けんが演じる予定だったことは映画を見る人は全員知っている。本来は主役の交代なんて映画界では日常なのだろうが、表には出ない。主役が交代したことで有名なのは「影武者」だが、おそらくこの映画も長く言われるだろう。
映画のクレジットの最後にも「志村けんさんに捧ぐ」的なものが出たし。
だからかなのか、沢田研二は志村けんの物まねをしている、しようとしてるにしか見えない。
後半、沢田研二が「ではゴウさんがここで一曲」と言われて歌うのが「東村山音頭」。このシーンで泣く人もいればあまりの露骨さに怒る人もいるようだ。
まあ「追悼・志村けん」ならそれでもいいが、決して映画の仕事は多くない志村けんをそんなに立てられてもねえ。
「勝手にしやがれ」を歌ったほうがよかったかな。迷うけど。
現代パートも2020年になってプリンセスダイヤモンド号の話題がニュースで出てくる。ここでてっきり私は「ゴウはコロナで死ぬ」という展開になると思いこみ、そうなったら現実の志村けんと重なって衝撃の展開になると思ったのだが、そうはならずに「東京の物語」を観ながら死ぬ。
よけいなことかも知れないが、この「東京の物語」を観るシーン。映画には遅れてくるし、上映中でも帽子をかぶってるし(途中で脱いだ状態になるが)、おしゃべりはするし(これも娘に注意されるが)どうも現代のゴウが映画好きに見えない。
最後は映画館で死なせたかったろうから、コロナで死ぬ展開には出来なかったか。
まあなんだか書ききれないぐらいの不満というかグチというか嫉妬が出てしまう。
しかし山田洋次も考えてみればなかなか複雑な映画人生である。
映画の全盛期を迎える昭和29年に松竹に入社し、大島渚らの松竹ヌーベルバーグの波にも乗らずに(乗れずに?)監督デビュー。
その後本意か不本意か「男はつらいよ」を50作近く作らされる。
そして「東京物語」のリメイク「東京家族」では東日本大震災によるダメージと、主役の交代(最初は菅原文太と市原悦子だったはず)を経て、その10年後に主役の交代を経ての「キネマの家族」。
そういえば山田監督のデビュー作「二階の他人」をまだ観てなかった。
これは観なきゃだめだな。
日時 2021年8月1日16:35〜
場所 新宿ピカデリー・シアター4
監督 高橋 渉
しんちゃん、風間くんをはじめとした春日部防衛隊の面々は全寮制のエリート養成学校、天下統一カズカベ学園、通称天カス学園に体験入学した。
この学校は授業はAIが行い、人間の先生は見てるだけ。さらに完全なポイントシステムで普段の行いや授業、スポーツの活躍でポイントが毎日授与される。その代わりに反抗的な態度や、行いがよくないとポイントが引かれ、マイナスポイントになるとクラスも変わる。ポイントが高いと昼食も変わる。
この学園には吸ケツ鬼の噂が流れていた。吸ケツ鬼には血ではなくケツをかまれ、そしておばかになってしまうのだ。
みんなでこの学校に行きたい風間くんはまじめにやらないしんちゃんたちと喧嘩してしまう。そして夜中に寮を出て行く。翌朝、廃墟の時計台で風間くんは見つかった。しかもおバカになっている!床には風間くんが書き記した「33」の文字が。これが犯人の鍵となるのだが。
果たして吸ケツ鬼の招待とは?
毎年惰性で観ているクレヨンしんちゃん。今年もコロナでGWの頃は大型映画館は休業依頼が出て5月は閉館。6月から1席開けでキャパは半分の状態で営業だ。この映画も本来はGWに公開だったが、今回は夏休み映画として7月30日に公開。
去年は9月公開だったから、夏休みシーズンなのでまだよかったかと。
今回は完全格差社会とAIによる管理社会へのアンチテーゼ。
昼食も学校で一番ポイントが高い生徒は毎日かに料理。
いちいち細かいことまで管理され、しかもポイントという格差を生んでいる。
評価社会はある程度は有効かもしれないが、いきすぎると単なる格差社会、階級社会になってしまう。
そして今回は「33」の意味する犯人とは誰か?本格ミステリー。
しんちゃんでミステリーは珍しいのではないか。
犯人は学園一のエリート学生だった判明。
風間くんはスーパーエリートとなってしまい、元の風間くんに戻すため校内マラソン対決。
「みんなと一緒に小学校も行きたい」という風間くんがいじらしい。
ツイッターを観ると今回は特に評判がいい。
もちろんそれを否定はしないが、私自身はそこまではいかなかった。
結局来年も観るんだろうな。
日時 2021年8月1日
場所 東映チャンネル録画
監督 大森一樹
製作 平成4年(1992年)
関東堂場一家の組長堂場(芦田伸介)が引退し、跡目を理事長の花村(梅宮辰夫)に継がせることになった。花村は継承の儀式はうちうちに行うと言ったが、堂場のたっての希望で盛大に行われることになった。
媒酌人の雁金(内田朝雄)に頼んだが、式の4日前に倒れた。本人は大丈夫と言ったが、大事をとって媒酌人の控えを準備することに。
花村の部下の千田(隆大介)が繁田(川谷拓三)の親分筋である茨城の田舎の門田大作(緒形拳)に頼むことになった。迎えにいくのは繁田の舎弟の吉成(真田広之)。門田は以外にも快く引き受けてくれた。
吉成は根っからのやくざではなく、証券会社の営業だったが、やくざに損をさせたことがきっかけでこの世界に入った新人。
雁金はなんとか退院し、門田の出番はなさそうになると元々酒好きの門田は酒で一騒動を起こす。
証券で失敗したヤクザ(大竹まこと、上田耕一)が事件を起こし、会場が借りられなくなる、雁金はその騒動に巻き込まれ、また入院。
門田の出番となったが、酒でふらふらで役に立たない。
「ゴジラVSキンググドラ」の次の大森一樹作品。
東映ヤクザ映画も「極道の妻たち」などの変化球路線になっていたが、これもヤクザコメディとしての作品。
上映時間も118分もあり、堂々とした1本立てである。
原作のクレジットもないので、松田寛夫のオリジナルらしい。
この映画、公開当時も観ていてまだ珍しかった携帯電話を真田広之が駆使して走り回っていた気がしたが、携帯電話のシーンは思ったより少なかった。
個人的に記憶に残っているのは左脇の拳銃のホルスターの形状をした携帯ホルダーだ。実生活でしてる人は観たことないけど、まだ携帯が一般的でなく「そのうち流行るかも?」と思ったものだった。
今見直してみるとやや水増し感が強い。
大竹まことが経済ヤクザで失敗して旅館に立てこもるとか別にいらない。
後半になると緒形拳が酒が買えなくてお通夜の席に紛れ込んで酒を飲んだり、二日酔いでぐったりして書き上げ(参列者の名前を書いた紙)を書くの書けないでバタバタで話がくどい。
本来80分ぐらいの添え物作品の脚本を1本立て大作に水増ししてしまったんじゃないかと思えてくる。
「継承式がうまくいかないためのドタバタ」って面白そうだけど、意外と話が広がらなかったのか。
そうは言ってもラストの継承式のシーンが10分以上あるのだが、ここを今までのどのシーンよりも緊張感を持って画面を引っ張っていくのはさすが緒形拳である。
彼がこの役をやらなかったらもっとグダグダの映画になっていたかも知れない。
古手川祐子の美しさがなんだか90年代。元証券マンが主人公とか、バブルの残り香を感じさせる映画。
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