日時 2025年2月28日18:45〜
場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン5
監督 小田基義
製作 昭和30年(1955年)
ストーリー省略。
ゴジラ映画を4K化して上映するイベントのとりあえず最終回。(まだ上映されていないのもまたやるかも知れないけど)
今回もTCXでの上映。
4K化も最初のうちは「おおっ」っていうのがあったけど、こちらが4Kとかデジタルになれてきたせいか特に感激はない。
でも今まで気づかなかったが「大阪湾に進入の恐れあり」の会議のシーンで地図上にゴジラの木型の模型がおいてあった。
これ、「マイナスワン」のわだつみ作戦の説明のシーンで出てきた木型のゴジラだ。
ここに元ネタがあったのか!
それにしても主人公たちに苦悩というものがない。
前作では「ゴジラを研究のためには倒したくない」「オキシジェンデストロイヤーが水爆以上の兵器に転用される恐れがある」という苦悩があった
でもそういうのなし。
小林(千秋実)の悩みは結婚相手を捜すことである。
死ぬ直前に忘れていった手帳に挟まれていた写真のセーラー服の彼女は誰だったのか?
月岡(小泉博)の恋人の社長令嬢(若山セツ子)の同僚の無線士でもなさそうだ。
まさか支店長の娘?
また会話にしてもその花嫁探しが何かと話題になり、「結婚の際はこの支店長が仲人をやらせていただきますかな?」と周り「(笑い)」でなんとものんびりしている。
また自衛隊(防衛隊)の攻撃でも攻撃する戦闘機とパイロットのカットバックがあればまた緊迫感も違ったろうけど、単に戦闘機がバンバン打ってるだけじゃなあ。
あとアンギラス。
2作目にして対戦怪獣路線が始まったのである。
アンギラスに関してはゴジラが2足だから変化を付けるために4足にしたのではないか?
でもやってみたら結局立って対決することになるし、役者も大変である。
だから以降も基本的には直立歩行怪獣になったのではないかと推察している。
それと見せ場が少ないよね。
ゴジラがいて、アンギラス、なのでアンギラスだけのシーンがないんだ。
最初に上陸するのもアンギラスでそれを追ってゴジラが来た!にしてもよかったのではないか?
久しぶりに大劇場でみて(映画館で観たことはあったけど大劇場は初めてかな?)そんなことを思った。
やはり友人数名と会ったので、そのあとちょっと食事して近況報告。
日時 2025年2月27日20:30〜
場所 新宿シネマカリテ・スクリーン2
監督 岡田詩歌
ストーリー省略。
この映画、2023年9月の完成披露上映会(映画アーカイブ)、1月末の先行上映会、初日、と今日で4回目。
シネマカリテも2週目が終了し、今日で1日2回上映は終わる。
明日からは1日1回上映のようだ。
今日は最終日ということで、平井亜門さん、岡田監督、平井さんとキララさんが以前出演した「左様なら」の監督の石橋夕帆さんがゲスト。
自然と「左様なら」の話になり、平井さんにとって「左様なら」は、「僕の代表作になっている『アルプススタンドのはしの方』は『左様なら』の舞台挨拶の僕を見てスポティッドの直井Pが『アルプス』に起用してくれたのでそのきっかけになった作品」として思い出があるそうです。
石橋さんも「当時の亜門くんはまだ普通だったけど今はどんどん変な役になってきている。本来のキャラが出てきたのかも」。
変なというか個性的ですね。
平井さんも「僕も当時は普通の俳優を目指していたのかも?」
考えてみれば平井さんが個性的なキャラを演じるようになったのは「階段の先には踊り場がある」「ほとぼりメルトサウンズ」あたりか。
また「左様なら」も見たくなりました。キララさんも出てるし。
あといままで書かなかったけど、タンクトップ姿の平井さんって露出した腕がセクシーなんですよね。
腋の下とかクラクラします。
DVDになったら是非所有したい映画です。
日時 2025年2月24日20:00〜
場所 新文芸座
監督 木村聡志
8月4日に仙台で「階段の先には踊り場がある」と2本を平井亜門さんと木村監督の舞台挨拶付きで観て以来。
ちなみに今日は17時から「違う惑星の変な恋人」の上映もあった。
上映後は木村監督、直井P、聞き手映画ライターの森直人さんで舞台挨拶付き。
最初はWEBドラマの企画だったがなくなってMXテレビのTreatmentの枠として企画が復活した経緯など。
客席に森ふた葉さんがいらっしゃって、「スクリーンで観たことなかったから」ということで見に来ていた。
最後にちょっとだけ登壇され、挨拶されていて、すごく得しました。
森さんはあんまり舞台挨拶とかなかったんで。
来月には木村監督の新作「代々木ジョニーの憂鬱な放課後」が特別上映される。(本公開は結局秋らしい)
楽しみである。
日時 2025年2月24日12:25〜
場所 光音座1
監督 山本竜二
製作 ENK
前に観たのは2017年3月。
光音座は7〜8年で上映作品は1周する。1年に24本上映だから現在上映可能なゲイ映画は200本弱と考えていいのではないか。
今はなき京都のシネフレンズ西陣を舞台にした、ゲイ映画館がいかにハッテン場であるかを描き、それを映画館側が否定していない点がすごい。
建前だけでも「迷惑行為はやめましょう」というのだが、「楽しんでってください!」というのだから。
OP作品はDMMのアダルトサイトFANZAでも観ることが出来るが、ENKはそれはやってないので、映画館でしか観ることが出来ない。
だから今度上映されるであろう7、8年後はもう光音座もないかも知れないし観に来た。
シネフレンズ西陣は1992年開業らしい。もともとは西陣大映という大映系の映画館だったが、80年代のゲイ映画のヒットで景気のよかったENKが東梅田ローズに続いての直営館だったらしい。
(昔はこの近辺には映画館が多かったらしい。その証拠に今でも千本日活という朽ち果てたようなピンク映画館がある。数年前に一度行ったが今でもあると思う)
当時大阪に住んでいた私は「ヤング薔薇族ショー」を見に行ったことがある。
阪急四条大宮駅からバスに乗って10分か15分ぐらい。駅から歩くにはしんどい距離だ。
数年前に千本日活に行ったときに記憶を頼りに探してみたが、今は跡形もない住宅地。ここにホモ映画館があったとは今住んでる人はご存じないだろう。
映画の中で地下にベッドルームがあることになっている。2階席があったことは覚えているが、地下にあったろうか?あったような気もするが定かではない。
ただし今回観て気がついたのが、「地下の休憩室もご利用ください」という手書きのポスターが貼ってあった。
映画用の小道具かも知れないが、実際にあったかも知れない。
出演では佐賀照彦。
これはせりふに独特のイントネーションがある。方言かなとも思うが、あれは彼自身のなまりかも知れない。
シネフレンズ西陣はもうない。映画の中だけの存在だ。でも光音座では今日もこの映画の中と同じようなことが起こっている。
時代の変化と時代が変わっても変わらないものを感じた。
日時 2025年2月22日18:25〜
場所 新文芸座
監督 丸山誠治
製作 昭和57年(1982年)
数年前に某所でオーストラリア版のDVDで一度鑑賞しているがオリジナル版。
ストーリーだが、記憶にはないけどこの映画日記の記録とは相違がある。
Z部隊の面々が「なにも情報が得られなかったから死刑になった」とあるけど、ここが違う。
Z部隊が捕らえられて尋問を受けて手帳に「SB」という単語がよく出てくる。これについてZ部隊が口を割らないので、田宮(中村敦夫)は「○○少佐からSBについて聞いたぞ」と言ってそれに乗せられてついしゃべってしまうのである。
はっきり言ってバカである。
そして死刑になる裁判もそれ以前に現地の漁船に日本国旗を掲げ、軍服を着ないで破壊行為(戦闘行為)を行ったことが国際法違反とされて裁判となる。
この裁判だがドイツ降伏の後の話で、「遅くとも9月にはシンガポールは占領される」という話が出てきて、「まあ裁判は引き延ばそう」と上官はいうのだが、「我々は法律家として裁判は遅延すべきではありません」と法務中佐(北大路欣也)は主張し、裁判は開かれる訳である。
この「目の前の正義を何より重用視する」という視点は「戦場にかける橋」みたいである。今日はたままた「日本軍による捕虜の話」の映画2本立てとなったわけだ。
Z部隊の隊長の処刑シーン、その前にせりふで「君も剣道の達人だろ」と田宮は言われているので理屈は通っている。(ただし田宮の剣道のシーンはあった方がよかったと思う)
前に観たときは刀を振り下ろす直前のカットで向きを変えてみねうちしたように見えたのだが、今回観ると単に握りなおして刀が揺れたようにしか見えなかった。こっちの方が筋が通る。
そしてオーストラリア版ではここで終わっていたが、その後、田宮も戦争犯罪人として捕らえられていたが、Z部隊の隊長が差し入れの詩集の余白に日記をつけており、これを読んで「田宮は無罪」とされた説明される。そして昭和49年(だったかな)に年老いた田宮が戦争ミュージアムに献花に訪れて終わり、であった。
なんか冗長な感じがあるのはどこに話の焦点をあわせているのかが曖昧なのだ。
前半でZ部隊は最初の攻撃が成功し、二度目の出撃となるのだが、新兵器の1人乗り潜水艇SBを使って艦船攻撃をしようとするが、作戦は行われず捕まる。
Z部隊の活躍という戦争アクションを期待したらあっさり裏切られる。
だったら逮捕されたところから話が始まればいいではないか?
日豪合作だから向こうも活躍するシーンが必要だったのか知らん?
そして出てくる日本軍人がやたら「いい人」が多いんだな。
冒頭の鈴木瑞穂の司令官も「押さえつけては反日感情を生むだけだ」と穏健だし、志垣太郎の隊長も「出来るだけ拷問はしたくない」と言うし、坂上二郎の看守長もやたら優しい。
こういうの観ると「日本軍はいい軍隊だった」というネトウヨ的思想を感じてしまう。
映画上映後にhが樋口尚文氏の解説つき。
私は知らなかったが、時々やってるそうで、PCで当時の資料を提示しながら行う。30分くらいかな、と思っていたら21時前から始まって22時過ぎまでやっていたから1時間半ぐらい。
聞き手は文芸座の支配人の方。
公開当時の作品とか公開時の時代背景などを解説だが、このあたりは知ってる話。
映画が長らく上映されていないのは製作の「新日本映画社」だが、仙台で専門学校を複数経営している会社が親会社だそうで。
当時の社長の持丸氏が映画好きで「ああ野麦峠」を作って大ヒットし、気をよくして(周りにそそのかされたのか)この「南十字星」を作った。
しかし映画は大コケしてその上なんらかのトラブルで映画界と関係が悪くなり上映を許可しなかったらしい。
でも配給権は東宝だから上映は出来ると思うのだが、相手に配慮したのかもしれない。
それで現在は専門学校は持丸氏の息子に社長が代わり、もう1本の製作映画「ああ野麦峠」とついでにこの「南十字星」の解禁をお願いして快諾してくれたそうだ。
それで「野麦峠」は4K化され、昨年東京国際映画祭で上映、この「南十字星」もこの2月にブルーレイ発売となったのだ。
封印というのは作品に問題がなくても起こるいい例ですね。
書き忘れたけど西城秀樹の歌の件。
エンドクレジットも終わって映画も完全に終わってしまってもながれなかった。てっきりエンドクレジットで流れると思っていたのだ。
ところが映画が終わった後、名場面集的にスチル写真が写るなか、この歌が流れる。
丸山監督が歌をつけることに反対だったらしいのでこうなったらしい。
このころは「二百三高地」や「連合艦隊」などで戦争映画の最後に歌が流れるのがおきまりでしたからねえ。その流れでやろうとしたんでしょう。
日時 2025年2月22日13:50〜
場所 ヒューマントラストシネマ渋谷・スクリーン1
監督 クリスティ・ホール
JKF国際空港を降り立った女性(ダコタ・ジョンソン)はマンハッタンの自宅に帰るためにタクシーに乗った。
「現金の頃はチップも適当だったが、最近のカード払いが主流になってからは渋くなった」とグチをこぼす運転手(ショーン・ペン)。
そんなところから客と運転手の会話が始まる。
運転手は客が既婚者との恋に悩んでいると察する。
あらすじを書くとこんな感じ。
最近タクシーの運転手と客の一晩の話を興味があったので鑑賞。
だいたいタクシーに乗るのは20〜30分だろうから(せいぜい1時間以内)、1時間半の映画でどう話をつなぐのかと思っていたら、「事故渋滞」である。
首都高みたいな道路で事故渋滞にあって30分車が止まるのだ。
この手かあ、という感じである。
映画にも話は出てくるが、JFK空港からマンハッタン島までは均一料金である。
JFK空港は国際空港で外国人旅行客も多いから、ぼったくり対策らしい。
運転手が「つきあってる男の名前はなんていうんだ?」って聞いたときに女が答えなかったから「既婚者だ」と察してしまい、女も認める。
男女の恋愛の力関係やかけひきの色々を年長者として教えていく、という展開。
JFKから来たのはオクラホマの故郷に帰っていたためで、最後の最後いは「実は子供を流産してしまった」という告白をする。
ここがクライマックスなんだけど、私には響かなかったなあ。
それよりずっとタクシー車内の会話だけなので、字幕をずっと読んでいるだけ。妙に疲れた。
それと女と不倫相手のおじさんとショートメールでやりとりするのだが、「君に触りたい」「君がほしい」と言い続けて「ほら俺のアソコは勃起した」とナニの写真を送りつける。
たいがいな男である。
そして「君の裸がみたい」と言われて、女もフォルダの中から自分の(?)の胸が写った写真を選んで送信。
バカップルにしか見えなかったね。
正直参考にはならなかった。
ニューヨークの夜景の美しさのシーンはほとんどないけど、そうは言ってもタクシー車内の照明の感じなどはさすがにちゃんとしていた。
低予算だろうけど、日本の低予算とは違う。
やっぱり主人公を美男美女でやってしまうのがアメリカ映画の本能である。これが「バクダッドカフェ」は違った。
いいとか悪いとかどっちが上とか下とかの話ではない。
違いが面白かった。
日時 2025年2月22日9:45〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン12
監督 デビッド・リーン
製作 1957年(昭和32年)
ストーリー省略。以前ブルーレイやVHSで観ている。
161分(2時間41分)の大作。「午前十時の映画祭」枠で上映されたのでいい機会だと思って鑑賞。
家で観たときは「長いなあ」と思ったけど、映画館の暗闇で観ると集中力が違ってくるのでそれほど長くは感じなかった。
私にとっては映画館での鑑賞は画面の大きさや音質より集中力の差ですね。
描かれるのは「戦争の狂気」である。
戦争映画では「狂気」を描こうとすると阿鼻叫喚の殺戮の描写になる。
でも本作が描く「狂気」は倫理観、正しさ、の狂気である。
イギリス軍のニコルソン大佐(アレックギネス)は「国際法の遵守」を主張する。そして「規律を守ることの重要さ」を主張する。
それによって自身の身が危うくなっても気にしない。
アメリカ兵(あえて兵)シアーズ中佐(ウイリアム・ホールデン)はその異常さを指摘する。
そして日本軍の橋建設を行うことがニコルソンにとっては「イギリス軍の正しさ」となってくる。
それを爆破作戦に加わることになるシアーズ。
冷静に、客観的な正しさを持っていたシアーズの最後には爆破を止めようとするニコルソンを「殺せ!」と叫ぶ。
彼さえも「目の前の正しさ」に飲み込まれていく。
そういう精神的な狂気を描いた名作だなのだ。
シアーズとニコルソンを高台から見ていた軍医は「Madness!」と3回言う。(ここが日本語字幕では「バカな!」「バカな!」と訳していた。誤訳とは言わないがなんかしっくりこないな)
ラストは肩を落とす軍医の空撮で終わる。その次にちらっと鳥が空を飛ぶカットが入る。
「俯瞰で見ると両方とも人間はなんと愚かなことをしているのか」という感じである。
そういう意味で言うと日本軍の斉藤大佐は終始ぶれないのであった。
最後の爆破作戦のあたりは、誰が死んで誰が生き残るか忘れていたので、そこはハラハラした。
橋が爆破されるのは知っていたけど、ここは盛り上がったなあ。
ジャングルでの撮影、ミニチュアではない橋の爆破(と思う)などなど、超大作にふさわしい出来。
公式HPによると岸恵子の出演が予定されていたが、断ったらしい。仕方なくそのシーンはなくなったとか。どの辺だったのだろう。シアーズが米軍の病院にいるあたりかな。
それにしてもこれだけ「狂気」を描いた映画なのに「クワイ河マーチ」はちょっと明るすぎやしないか?
気になった。
日時 2025年2月21日19:55〜
場所 新宿ピカデリー・シアター5
監督 辻本貴則
星元市生まれのユウマ(戸塚有輝)は怪獣調査チームSKIPの星元支部の一員として働いていた。ある日、道でうずくまっていた紳士を助け、SKIPの事務所に連れて行く。その男はサスカル(竹中直人)と名乗り宇宙賢者だという。ウルトラマンアークの活躍を聞きつけ、3つの試練を与えそれに合格したら真の勇者と認めるというのだ。
1つ目は怪獣を助けてほしいというある若者からの相談だった。彼の話では子供の頃に山で道に迷ったときに怪獣が助けてくれて、救助が来るまでの間、果物を運んでくれたり一緒に遊んでくれたという。
SKIPは防衛隊に通報する手段を取った。しかし気になるユウマはその怪獣を見に行くが、実は悪い怪獣から人々を守ってくれる存在だったのだ。
アークとともに悪い怪獣を倒したが、怪獣は老衰で死んでしまった。
2つ目の試練は市役所の職員から奇怪な植物が持ち込まれた。それは人間に寄生しその星を乗っ取ってしまう宇宙植物だった。
しかももうSKIPのメンバーにもう寄生したようだ。
いったい誰に寄生したのか?
星元市の近くで新型エネルギー装置の開発が行われていた。その設備を狙っている宇宙人がいた。ウルトラマンアークの動きを封じ込めるため、SKIPのメンバーをおびき出し、ガスによって眠らせた。そしてアークに返信するアイテムを盗みだし、それを使って防衛隊の石堂(金田昇)を黒いウルトラマンアーク、ギルアークに変身させた。
ユウマも何とかアークに変身、ギルアークや怪獣と戦う。
「ウルトラマン」シリーズの新作の映画版。TVシリーズの続きではなく、シリーズの中の途中のエピソードという扱い。
TVシリーズはこれに限らずもう全然おもしろく感じないのだが、もはや義務、つきあいで観ている。
今回割と観れたのは主人公のユウマの戸塚有輝が比較的イケメンだったからだろう。ソニーミュージックアーティストの方らしいが、今後の活躍に期待したい。
ウルトラマンももうネタ切れである。
今回の第1話も「怪獣とも友達になれる」ってもう初代ウルトラマンからやってるネタ。
まあこっちは見飽きてるけど、子供には新鮮な視点に見えるのかも知れない。子供はどんどん代が変わっていくからね。
2話目は完全にSKIP支部内でのお話。まあ面白かったかな。
でもユピー(ロボット)とユウマを除くと3人しかいないから、それほど意外感はないんだよなあ。
「宇宙植物はコーヒーのカフェインが苦手」という設定でコーヒーを飲ませるんだけど、コーヒーをいったん飲んで実は飲み込んでいなかった、という点がよかったかな。
最後に至っては無理矢理黒いウルトラマンを出すための設定にしている。
新型エネルギーを狙う宇宙人ってそれだけで70分ぐらい持たせられそうなのだが、そうしなかったのはもったいないかな。
そもそも私は「怪奇な事件が起こってそれを調査するうちに怪獣が出現する」という話の作り方が好きだから、いきなり怪獣出てきても面白くないのだ。
また今回ゲストの竹中直人も嫌いだし、義務で観たとしかいいようがなかった。
日時 2025年2月16日19:30〜
場所 キネカ大森シアター2
監督 高原秀和
製作 令和6年(2024年)
朝日はアイドルオタクで地下アイドルの「ラジカルリリーポップ」のメンバー、えまぴに熱中している。ライブに行けば握手券付きの1枚1000円のCDを20枚買って握手する時間を100秒にしてもらう。しかしえまぴを前にすると
オタク仲間に飲み会に誘われるがイマイチ楽しくない。それ以上に同じ推し活をするナナミが別のファンとキスしているのを目撃してしまう。
それだけでなく、ラジカルリリーポップのメンバーのみのりともナナミは関係を持つ。
みのりとナナミが一緒にいるのを目撃した朝日は「オタクは本人と関係を持つとは許せない」と自分の価値観でもめてしまう。
一方ナナミは別のファンからみのりに乗り換えたことで怒りを買っていた。
みのりはみのりでナナミが最近かまってくれないと機嫌が悪い。ナナミを振り向かせようとわざと別の男性ファンと個人撮影会の時にセックスさせる。
やがてナナミは朝日にも手を出そうとするが拒否する。
アイドルとして笑顔を作り続けることに疑問を感じたえまぴはアイドルやめて朝日とつきあおうとするが、「アイドルは尊いもの。私なんかとつきあってはいけない」と拒否する。
えまぴはアイドルとしてまた頑張るようになる。
話はだいたいこんな感じ。正直言うけど話が全くだめ。破綻している。
というか破綻の前に成立していない。
OPフェスで烏丸達平の出演作が上映されるのだが、その情報を見ていた時になぜかカレンダーに上映日を登録してしまったのだ。なんで観ようと思ったのかよくわからない。アイドルとファンがテーマだからかな。
でもぜんぜんだめである。
なんで出てくる女性がみんなレズなのか?
単にレズものを撮りたいから無理矢理レズなのか。
OPが作るゲイ映画もゲイが前提だからといえばそれまでだが。
女性アイドルの女性ファンはやはりレズの傾向があるということか?
それならナナミが同じファンの子と出来てしまうのは解るがアイドルのみのりと出来てしまうのが分からない。その辺の出会いが全く描かれないのだ。
まるで「二人は肉体関係になってもらわねば困る」という作者の都合だけである。
またナナミ役の女優がはっきり言って演技も下手でピンク女優としても魅力も感じない。
もっともえまぴの方もはっきり言って可愛くない。
所詮は地下アイドルだからあのレベルなのかな。
とにかく作者の都合だけで登場人物は動いていき、こちらとしては話についていけない。
特に期待していたわけではないが、見て損したような気になった。
日時 2025年2月16日15:00〜
場所 キネカ大森シアター2
監督 パーシー・アドロン
ドイツから夫婦でやってきて車でラスベガスを目指す旅をするジャスミン・ムンシュテットナー(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)だったが、道中夫と大喧嘩をして車を降りてしまう。
夫が行くのを見送った後、一人で道中にあったバクダッド・カフェというガソリンスタンド兼カフェ兼モーテルにたどり着く。
バクダッドカフェでは主人のサルが仕事をしないので、妻のブレンダがついに追い出してしまう。
ジャスミンはバクダット・カフェに泊まるが、車で来たわけでもなく彼女をブレンダは警戒する。翌日、部屋に入ってみるとジャスミンの夫の荷物が広がられていてますます警戒する。保安官に来てもらったが「法的には問題はない」と帰ってしまう。
暇を持て余したジャスミンは散らかり汚れたバクダッドカフェの掃除を始める。それを知ったブレンダは「勝手なことをするな!」と激怒。
しかし掃除してもらったことを喜んだことから打ち解ける。
バクダッドカフェの隣にはトレーラーハウスに住むコックス(ジャック・パランス)というかつてはハリウッドで美術の仕事をしていた老人が住んでいた。彼はジャスミンをモデルにして絵を描きたいと言い、それがきっかけでジャスミンも心を許していく。
夫の荷物の中にあった手品を覚え、店で披露するようになる。
店は大繁盛になったが、ジャスミンのビザの問題で帰国させられる。
しかしジャスミンはまたやってきた。
コックスは彼女にプロポーズ。
1989年のバブルの頃、渋谷を中心としていわゆるミニシアターブームがあった。そのきっかけになったと言われてるのがこの映画。
タイトルは有名だが、観たことはなかった。ポスターを見ても給水塔にタイトルが書いてあるだけで内容がさっぱりわからない。
昨年末に4Kリマスター版公開され、見ようかと思ったが時間が合わず見逃していた。今日はキネカ大森で行われているOPフェスで夜に1本見るので、時間もあったので鑑賞した次第。
主題曲が「コーリング・ユー」だが、この曲は知っている。この映画の主題曲とは知らなかった。
冒頭の夫とジャスミンが別れるあたり、なんだかカットつなぎがせわしなくてちょっといらつく。
そして夫に怒鳴りまくるブレンダもイヤになる。
だいたい太ったおばさんが主人公ってなんなんだよ、などと思っていて最初はいらついた。
しかしブレンダとジャスミンが打ち解けたあたりから映画の世界に入ることが出来た。
みんなのんびりしている。それでも生きている。
カフェの店員は客のいないときはハンモックで寝ている。
バックパッカーがやってきて、テントを張る。
ブーメランで遊んでいる。時間が流れて行くことなど気にしないようだ。
主人公が美女二人ではないというのがすごい。
日本だとどうしても美女二人になるだろう。ジャスミンなどデブのおばさんである。そしてジャスミンのおっぱいまで見せられる。
しかしこういう関係も好きではない人もいる。モーテルの一室でタトゥーをしていた女性は「仲がよすぎる」と出て行く。
コックスにプロポーズされたジャスミンは「ブレンダと相談する」と答える。
てっきり受け入れるとか「夫がいる」と断るかと思ったが、「ブレンダと相談する」と答える。
この真意はよくわからない。
しかしこの終わり方が余韻を残すのだろう。
最初は取っつきにくかったが、なんかじわりじわりとくる映画だ。
少なくとも見てよかった。
日時 2025年2月15日19:30〜
場所 TOHOシネマズ池袋・スクリーン8
監督 渡辺一貴
4月1日夜7時。
折本眞之輔(阿部寛)は7時からのラジオ番組を始めた。リスナーとおしゃべりをする番組で今日のテーマは「あなたは犬派?猫派?」
本音では折本はやる気がなかった。最初のリスナーとつながったが「大和電力の発電所に爆弾を仕掛けた」と言い出す。番組と関係ない内容なのでいったん音楽を流し、その相手に「だったら爆破させてみろ、バカヤロウ」と毒づいてしまう。
しかしその数分後、発電所が爆発した。警察に連絡しようとするが思いとどまる折本。「犯人はまた電話してくる。それを生中継させよう」と考える折本。
確かに電話はかかってきた。プロデューサーの東海林(吉田鋼太郎)を説得し、ニュース番組「ショイタイムセブン」枠の中で生中継することに。
犯人は動機を「6年前に大和電力の工事で父親が死んだ。国際会議に間に合わせるための突貫工事だったために事故が起こった。大和電力の社長に謝罪させろ!」というものだった。
しかし今度は「その事故の隠蔽を命じた総理にも謝罪させろ」と言い出す。
果たして犯人の本当の目的とは。
テレビの生放送で爆弾犯と交渉する、って面白そうだが私のTwitterのタイムラインには観た、という人が現れない。
なぜだろう?
私としては「新幹線大爆破」的な予告現場、テレビ局、捜査当局を巻き込んでのスケールの大きな話かと思ったら、意外とこじんまりとした話。
密室劇である。
犯人の主張がころころ変わるので不審に思う折本。
折本が昨年末に「ショウタイムセブン」を降板したのだが、その原因がある疑惑の追及を止めたことを折本が金をもらって止めたのではないかという噂のためだった。犯人はそれを追求するが、折本は否定。
実は6年前の事故の時もその事故を報道しようとしたのだが、政府からの圧力で局自体が隠蔽に荷担したのだ。それを恨みに思っての犯行だったのだ。
ラストで犯人(錦戸亮)は逮捕される。そして折本は「楽しかった〜わくわくした〜」と言い出す。
このあたりが「何でも視聴率にするテレビの狂気」というテーマだったのかも知れないが、正直もう出涸らしである。
今はテレビは危機に瀕している。現在フジテレビは「中居正広の女性との不同意性交があったらしくフジテレビはその隠蔽に荷担した」という疑惑の真っ最中で1月中旬からスポンサーが引き上げCMが放送されないという異常事態になっている。
正直、テレビの終わりの始まりである。
その中で観るとテーマが古く感じる。
見終わってクレジットを観たらこれ、韓国映画のリメイクだそうだ。
その元の映画「テロ、ライブ」は観ていた。
映画日記も付けておくものである。
日時 2025年2月14日19:40〜
場所 シネマカリテ新宿・スクリーン1
監督 岡田詩歌
いよいよ初日。
初日舞台挨拶は、岡田監督、祷(いのり)キララさん、平井亜門さん、中島歩さん。
平井さんは登場の仕方もコンテンポラリーダンス風でノリノリ。
この前の5時の回は上映後舞台挨拶だったそうだが、そのときはいまいち受けなかったらしい。
そんな終始ノリノリの平井さんを中島さんは「変な奴」と一言でばっさり。
二人の間で話題になったのが「もう4本も同じ映画に出てるのにほとんど一緒に芝居をしたことがない」という話。
4本は「さよならエリュマントス」「このハンバーガー、ピクルス忘れてる」、本作、そしてまだ未公開の「代々木ジョニーの憂鬱な放課後」か。
確かに「エリュマントス」でワンシーンだけ一緒になっただけだようなあ。
5作目ではしっかり芝居をされることを願います。
パンフレットの解説とか監督インタビューを読むと、私は意識していなかったのだが、仕草が男と別れた後に創作を始めている点が重要らしい。
私は「どこにでもいそうな普通の女の子」の話だと思っていたが、彼女の「創作のきっかけになる」ということは注目点だそうで。
しかも「葬式」などは「あまり成功していない」と感じるべきだそうで。
そういう視点はなかったなあ。
あと佐伯に別れを告げられるシーン、2回出てくるけどそれぞれの記憶の違いで、佐伯の言い方が違う。でもここ2回以上観て気がついたんだよね。
2回目(は仕草の視点)の方が佐伯の泣き方が激しい。
という感じで私は見逃した点が多かった映画だけど、佐伯と金子のダメ男ぶりは面白かったので、もう1回観るかDVDなど買いたくなる映画だった。
日時 2025年2月11日18:20〜
場所 ポレポレ東中野
監督 城定秀夫
製作 平成16年(2004年)
井上麻里子(西野翔)は25歳。英語のテープ起こしをする翻訳のバイトを家庭でしている。夫(吉岡睦雄)は毎朝出かけているが、会社に行かずに釣りをしながら求人誌を見ている。
買って1年ばかりの洗濯機が壊れて修理を依頼したが、部品の取り寄せで直るのに時間がかかる。しばらくはコインランドリーだ。
翻訳のバイトで出版社に行った帰りに電車の中で痴漢にあう。最近モヤモヤしていたものを感じていた麻里子はその出来事が忘れられない。
その晩、夫を求めたが、夫は盛り上がらない。
イメージクラブの求人の貼り紙を見つけ、面接に向かう麻里子。しかしそこで出会ったのは「本番を強要された」言われて攻められている夫だった。
コインランドリーでこの間の痴漢に遭遇する。そこでまた痴漢される。「明日また同じ電車に乗っている」と言われる。次の日、麻里子はその電車に乗り、痴漢と再会。そして電車を降り、自分の部屋に連れ込みついにセックスするのだった。
コインランドリーでこの間、夫が本番を強要したと言っていた子に遭遇。二人は何となく意気投合し、ビールを飲み始める。
その子はこのあたりはよくUFOが出没し、私も宇宙人に会ったことがある、という。宇宙人は願いを一つだけかなえてくれると言ったのでつきあっているイメクラの店長と仲直りしたいとお願いした。
ある日、麻里子もUFOを見かける。追いかけて行ってUFOと接触しようとする。
話はだいたいこんな感じ。
映像制作会社レオーネの創立20周年を記念してのレオーネ特集上映。
制作会社の特集上映とは珍しい。レオーネは長年エロVシネなどを手がけ、ピンク映画や近年では「アルプススタンドのはしの方」「銀平町シネマブルース」「違う惑星の変な恋人」「このハンバーガー、ピクルス忘れてる」などを手がけた。
プロデューサー、久保和明氏は城定監督作品を数多く製作し、城定監督が製作できるのはこの久保氏の力が大きいのだろう、と思っていた。
初期のVシネなどは「こんなの作っても果たして見てくれる人はいるのか?」と思いながら作っていたらしい。
昨日は「銀平町シネマブルース」を観て、この1本だけのつもりだったが
、せっかくなのでこの映画も鑑賞。
若い女性が痴漢されて感じてしまって、その痴漢を憎むのではなく関係を求めてしまう、というパターンだけは崩していない。
でも痴漢と再会したり、イメクラの女の子と再会するのにコインランドリーを使ってるアイデアがよい。
だから冒頭の洗濯機の故障も生きてくる。
ラストは「なんか直った」と洗濯機は動きだし、夫も再就職が決まる。
洗濯機の故障が「二人の関係の故障」につながっており、脚本のアイデアがいい。
あと本筋とは関係なく、近所でトロンボーンの練習をする男が出てきて、ここが「銀平町シネマブルース」を思い起こさせる。
また宇宙人が登場するのもいまおか監督の「愛欲みだれ妻」を思い起こさせる。
城定監督は「愛欲みだれ妻」をいまおか作品で一番好きだ、と言っていたと思うので、案外ヒントになっているかも知れない。
日時 2025年2月11日15:20〜
場所 新宿バルト9・シアター5
監督 草野翔吾
丈流(神尾楓殊)と美優(桜田ひより)は丈流の友人・喜一の内定祝いで飲んでいる時にたまたま席が隣だったことから知り合った。丈流は「この世は偶然の結果で努力しても変わらない」と言い、そこから言い合いが始まったのだ。喜一が急性アルコール中毒で倒れてしまったが、看護学校に通う美優の適切な処置で事なきを得た。
お互いは知らなかったが、丈流と美優は同じ店で働いていた。昼はカフェ、夜はバーなのだが丈流は夜、美優は昼働くため二人は会うことはなかった。店では業務連絡ノートを始めた。そのノートはいつしか交換日記のようになっていった。
そのことをラジオに投稿する美優。それを聞いたラジオナビゲーター大樹(江口洋介)は自分の高校時代の文通の思い出を語り始める。
大樹(窪塚愛流)は字が汚いので、友人・虎太郎(藤原大祐)に代筆してもらって明日香という秩父の女の子と文通していたが、親の都合でロサンゼルスに行くことになって大樹は書かなくなったが、虎太郎が続けていた。
丈流から業務連絡ノートの子といい感じになってると聞いた喜一は昼の店を覗きにいく。そこで働いていた沙希(山本美月)が相手だと勘違いしてしまう。
お互いが好きなアーティストのライブが武道館で行われることとなり、そのチケットを取った丈流。チケットをノートに挟んだが、封筒に「サキさんへ」と書いたことから美優はむくれてしまい、チケットはそのまま。
爆風スランプの曲は知っている。特に好きというわけではないけど、昔行ってたカラオケスナックでよく聞いた。武道館の屋上のオブジェは擬宝珠(ぎぼし)と言って橋の欄干などにあるのと同じ。これを玉ねぎと呼ぶセンスは正直あまり好きではない。だから何となくこの曲もそれほど好きではない。
それに今更この曲?という企画そのものに対する疑問もあったからパスするつもりでいたし、本当は「ショウタイムセブン」が観たかったのだが、時間が合わなくて仕方なくこっちにした。神尾楓珠は好きだからね。
とにかく時間延ばしのためにわざと複雑にしてるようにしか思えない。
ラジオDJが「俺も昔文通してたことがあった」とか言って語るのが「文通に飽きたからやめた」というひどい奴である。
私は江口洋介が好きではないので余計にいやになる。
また大樹の文通相手は実は雑誌の文通募集欄に乗せた明日香ではなく、その友人の秩父の病気の女の子、という設定。なんでそんなに複雑にするんだ。
そして丈流の方も、喜一が余計なことをして沙希と間違えたために美優が怒り出すというこれも無理矢理の展開。そんなに話を無理に作らなくても。
いろいろあって結局美優も武道館に駆けつけて、武道館の外で出会う。
(ここで自転車で移動したり、途中でチェーンが外れたりと余計な障害がある)
でも元歌では「チケット送ったけど相手は来てくれなかった」っていう話でしょ?
違わないか?
それと話の距離感がわからない。
丈流は実家が三浦で東京の大学なので通うのは大変と一人暮らししている。で母親が入院している。美優も実習したりしている病院は丈流の母親が入院してる病院。となると病院は東京かと思ったら美優が乗ろうとするバス停は「鎌倉行き」とか書いてある。となると病院は神奈川県?
となるとバイト先の店と遠くないか?
あと昔篇でも最後にバイクで虎太郎が秩父に行こうとする。
秩父ってさ、本当に山の中で原付バイクで1時間ぐらいでいけるような場所じゃないよ。そして病気の子も自転車で武道館に行こうとする。
おいおい距離感めちゃくちゃ。
そしてその後、二人は結婚するわけだが、宮崎大祐が原田泰造になるとか違わないか?
途中で丈流と美優が武道館が見下ろせるレストランで食事するが、ああいう風に見落とせるレストランって存在するんだろうか?
たぶんCG合成なんだろうな。
その後のシーンで街をぶらつくが、そこが閉館したサンプラザ中野前。
爆風スランプに敬意を表してのロケ地選定か。
そういえばサンプラザ中野自身もラジオ局のシーンでゲスト出演していてた。
日時 2025年2月9日12:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン3
監督 北村匠海
彼方(萩原利久)は毎日会社に行って黙々とパソコンに向かう日々。
誰も彼方の存在など気にしていないようだ。星野(藤堂日向)が通勤途中の道で「お前も昔は足速かったし、目立ちたがりだっただろ?」「遊ぼうぜ」と話しかけるが返事をする気になれない。
絶望して自殺しようと首を吊るが、ロープが切れて死ねなかった。
居酒屋で星野と二人で酒を飲む。寝落ちしてしまったらしい。起きてみると星野はいなかった。
ある日のビルの屋上で星野は「世界征服?この世界は征服する価値もない」と叫ぶ。
北村匠海の初監督作品。51分の中編である。
私は全く無知なのだが、ポエトリーリーディングという音楽ジャンルがあってその中で不可思議/wonderboy(別に複数人のバンドという訳ではないらしい)が歌った(語ったというべきか)の「世界征服やめた」を原案としている。
北村監督自身がこの歌を10代の頃に聞いて人生が変わるほど心を動かされたそうな。そして20歳ぐらいの頃から映画にしたいと言い続けた結果出来たのがこの映画だそうだ。
公式HPの監督のコメントにこう書いてある。
「学生時代の僕は正直絶望していた。自分にとって未来が光りあるものに思えなかった」
ええっ!北村匠海ってそんなこと考えていたのか。
子役でデビューし、10代後半から準主演、主演作が目白押しで歌手としてもDISHで成功させ、端から見れば順風満帆に見えたのだがなあ。
彼方と星野は別の人間のようにHPでは紹介されているが、私には同じ人物の自問自答にしか見えなかった。
彼方が現実の自分で星野が心の中の自分である。
だから時々出てきていきなり途中で消える。
気のせいか演じている藤堂日向が北村匠海に顔の輪郭など似ている気がする。
テレビや映画で役として笑っていても心の中では「こんなのやりたくないなあ」と思っていたのか。
10代の頃って「世界征服」を企まないでも「俺がこの世を変えてやる!」とイキっちゃんだよね。
でも現実はなかなか動かない。
「とんかつDJアゲ太郎」では公開直前に伊藤健太郎が交通事故を起こし、そのときに「めざましテレビ」のエンタメプレゼンターで、映画の公開初日に宣伝をするはずだったのが、出演自粛、確か舞台挨拶もあったけど涙ながらに挨拶する場面もあった。
いろいろ悔しい思いもあったろう。
現在めざましテレビの主題歌を歌っているけどその歌詞も「生きていくのは楽じゃない楽じゃない楽じゃない、わかるよ、僕たちはちっぽけだから」みたいな歌詞がある。
理想の自分、なりたい自分と現実とのギャップに苦しんだのかなあ。
彼なんか順風満帆の見本のようだけど、大抵の人間は「挫折感」「劣等感」を持っているのだろう。
そして現実の自分を受け入れてうまく折り合っていくのがある意味大人になるとも言えるのかもしれない。
そして折り合いをつけたことすら忘れて最初からそうだったような気になっていく。
北村匠海も挫折の人生だったのかなあ。
とにかく驚きしかなかった。
日時 2025年2月8日13:40〜
場所 新宿ピカデリー・シアター4
監督 英 勉
新学期が始まって早々、2年D組ではクラス全員に「序列」がメールで送られてきた。1位は姫山椿だった。担任は「こんなの誰かのいたずらだ。気にするな!」というが生徒たちはなんとなく気になって誰が誰より上とか下とか気にし始める。
半年後、その1位だった姫山椿が自殺した。クラス全員が葬儀から教室に帰ってくると机の上に椿から一人一人に遺書が届いていた。
動揺する生徒たち。先生はこれも「いたずらだ!」と回収しようとするが生徒たちは抵抗する。「この遺書を一人一人公開しよう」と言い出す。
それが椿の自殺の原因を探ることになるかも知れない。
椿とつきあっていた赤崎(松井奏)
は単に「1位を落としたかっただけ」という理由で「あいつつまんない女だった」と言い出し、自他と藻に親友だと思われていた御門(高石あかり)は「本当は大っ嫌いだった」と言い出す。
宮世琉弥が出演ということで鑑賞。
なんだか不思議な学園ミステリーだが、結論からいえば面白かった。
クラスは25人プラス担任(忍成修吾)で26人が登場人物なのだが、全員のキャラが描き分けられており、実に見事である。
オリジナルではなく、マンガ原作。
26人のキャラを描き分けるなんて並大抵では出来ないと思える。
実は自殺した椿は秘密のブログで日記を書いていた。それをたまたま見つけた同じクラスの人が書いてある内容から椿だと確信した。
椿が「1位になりたい」とつぶやいたのを「じゃあしてあげる」と書き込んだ子が序列表を作り、それをクラスのお調子者に見えるようにし、拡散させたということ。
ところが椿は「1位なんだから」「1位のくせに」とか1位であることが逆に彼女を追い込んでいく。椿が1位になりたいと思ったのは彼女の姉が「自分にとってはお姉ちゃんは一番だ!」と思っていたから。
すべてが明らかになった後、「ここまで逆転逆転があればもう1回なにかあるかな」と思っていたら、「すべては偶然ではなく、そうなるようにし向けた」というオチ。
なかなか楽しめるオチで満足だった。
出演では高石あかりが「実は私は椿が嫌いだった、違った大っ嫌いだった!」と叫ぶあたりはやや演技過剰な気もするが、迫力があった。さすがである。
かたや宮世琉弥は役としては目立ちそうで、そうでもなかったかな。
主役で探偵役の主演の吉野北人、THE RANPAGEのボーカルだそうだが、なんか地味。私は魅力を感じない。
あと赤崎役の松井奏、IMP.のメンバーだそうだが全く知らない。しかも映画の中での役割ほどイケメンに見えない。これがかつての山崎賢人、吉沢亮クラスでないとなあ。
たばこを吸っていてめがねをかけた地味キャラな25位の山根、どっかで見た顔だと思ったら楽駆だった。やっぱりこの子は好きだな。
日時 2025年2月719:55〜日
場所 新宿バルト9
監督 城定秀夫
イラストレーターの長浜杏奈(深川麻衣)と農業にあこがれた上杉輝道(若葉竜也)は麻宮村に移住してきた。隣の家の三橋(松浦祐也)も早速歓迎してくれたが、奥さんの椿(片岡礼子)はちょっとおかしい。
自治会長の田久保さん(田口トモロヲ)と妻のよしこ(杉田かおる)は親切そうに見えるが、杏奈たちにはちょっと過剰に見える。
自然に囲まれた生活はイラストレーターとしての仕事にもいい影響があり、順調に見えた。
そんな時、杏奈は妊娠した。村の人々に噂になるのを避けたい杏奈は黙っていてくれるように輝道に頼んだが、「昨日病院に行ったろう?どこか悪いんか?」と聞かれ、つい妊娠を話してしまう。
そんな頃、輝道は田久保から村で行っている大麻の栽培を手伝うように言われる。「これは国からも許可を得た合法な仕事だ」と言われるが、なんだかやばい気配を感じて断った。
村祭りの晩、酒を飲んだ輝道は車を置いていきたいというが、田久保に「大丈夫だ。送っていってくれ」と言われ仕方なく飲酒運転をした。
ところが道で寝ていた男、三橋を引いてしまった。「俺に任せておけ」と田久保はいい、三橋の遺体を橋から落とした。
やがて三橋の遺体は発見されたが、損傷がひどく死因はよくわからない。
輝道は以後、仕方なく田久保の大麻栽培を手伝うようになる。
実は村の駐在もこのことは知っていたが、黙認していた。
杏奈も子供が産まれた。よしこや近所の主婦の過剰なおせっかいは続く。
やがて杏奈も田久保や夫が大麻栽培をしていることに気づく。
監督・城定秀夫、脚本・内藤瑛亮のコンビ作。
予告観ただけでも怖そうである。グロい描写があったらイヤだな、と思ったが、そういう視覚的な怖さはない。
ひたすらに田久保に追い込まれていく。
この映画のキモはなんといっても田口トモロヲだろう。にこっと笑ったときの柔和さと怒ったときの表情の険しさのギャップがたまらない。
ああいう人は実際にいそうである。
大麻栽培も10年前に大水が起こって橋が壊れたときにまったく復旧にきてくれなかった。見捨てられるような限界集落である。
(そうは言っても一応スーパーはある)
昨年1月1日の能登半島地震の復興の遅れが指摘されるが、あれも過疎は見放されると言われる現実にリンクする。
そして復興のための金が欲しかったために大麻栽培を始めたという。
いったんは逃げ出そうとした杏奈だが、駐在に相談したことがきっかけで田久保の知るところとなり、すぐに捕まってしまう。
「秘密にする」と約束させられた杏奈はいったんは釈放される。
しかし火祭りの晩、燃やす花火に盗んだ大麻を仕込んで村中がラリっていることを逃げ出す。
結局は逃げ出せて、(誰が通報したかわからないけど)ハッピーエンドでよかった。
バッドエンドにする事も可能な話だけれど、本当にそうしなくてよかった。
内藤瑛亮の脚本って徐々に人々が追い込まれていく描写がほんとにうまいんだよね。
しかも城定演出となれば面白くないはずがない。
よかった。
田口トモロヲは助演男優賞ものだ。
日時 2025年2月2日11:35〜
場所 シネマート新宿・スクリーン1
監督 フランクリン・J・シェフナー
製作 1973年(昭和48年)
金庫破りで胸に蝶の刺青をしてることからパピヨン(スティーブ・マックイーン)は南米フランス領のギアナの島の監獄に送られる。彼は殺人犯として送られたが殺人に関してはまったく無実だった。
送られる船の中でルイ・ドガ(ダスティン・ホフマン)という偽札や国債の偽造で知られた男と出会う。
「絶対脱獄してやる」という信念を持つパピヨンはルイ・ドガが持っている金が目当てで「お前を絶対守ってやるから協力してほしい」と持ちかける。ドガは脱獄して失敗すると考え、パピヨンの提案を断るが「俺は脱獄する気はない」と伝えた上でパピヨンに協力する。
アメリカ紙幣のインクに使われるという蝶の採取を命じられたときにその業者に船を用意してくれるように頼むが、結局は裏切られ独房に入れられることに。
2年の独房の刑を終え、再度インド人の医者が手引きしてくれて脱獄することに。脱獄させるために看守の注意を引いていたドガだが、結局は一緒に脱獄する羽目に。
隣の島にたどり着いたが海岸で警官に見つかりドガは残され、パピヨンは一人で逃げる。現地人に助けられ、助かったかに見えたが逃亡中に修道院で通報され、島に逆戻り。
独房5年の刑が終了して、監獄から島内にある住居に移されたパピヨンだったが。
公開50周年ということでデジタルリマスター版の公開。
1月3日から公開していた「レッドサン」は気がついたら終わっていたけど、見逃す前に鑑賞。(シネマート新宿はそのうちキャパ50の小さいスクリーンのスクリーン2での上映になってしまうので、公開3日目に来たのだ)
僕が映画館で映画を見始めるのは75年位からだからこの映画は観ていない。しかし映画雑誌で最近公開されたマックィーンの代表作ということでよく話題にはなっていた。だから気になってはいたのだ。
感想は一言でいえば「こういう映画だったのかあ」ということ。
正直そんな好きな映画ではない。
主人公のパピヨンだが、どういう罪で収監されたか詳しくは出てこない。
本人は「俺は人を殺してないのに殺人罪にされた」と言うのだけれどこれを信じていいのか疑ってしまう。
(物語の後半でそれがひっくり返ることはないから真実なのだろう)
やっと島から脱出出来たと思ったら修道院で原住民からもらった大粒の真珠も取り上げられて捕まってしまう。
そして一挙に5年経つ。
椰子の実を詰めた袋を作れば浮き輪代わりにしてうまく海流に乗れば脱出出来る、となって袋だけを落としてみたらあっけなく戻ってきて崖に激突。
脱出できないので終わるのか、と思っていたら、タイミングによっては成功する、と発見してなんとか海を渡っていくシーンで映画は終わる。
(このカット、椰子の実が入った袋に寝転がっているパピヨンの空撮なのだが、袋の下の海中で人が見えるような気がしたが、ネットで見るとそれを指摘する人がいた。そりゃ袋を支えてるスタッフいるよな)
とにかく独房で虫を食べたりの描写もありジャングルが苦手な私としてはそれだけで拒否感が出てくる。
特に看守が撃ち殺して死んだと思ったワニを捕まえるシーン、どうやって撮ったんだろうね。
生きてるワニはワニだけど事故が起こったら大変なことになるからなあ。
ということで映画自体には心は動かされなかったんだけど、長年気になっていた映画を大スクリーンで鑑賞出来て、そこは満足でした。
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