塩田貞治くん特別インタビュー(その2)

このインタビューは2004年1月10日(土)夜に行われた「『のんきな姉さん』公開記念
塩田貞治くんファンオフ会」
に特別出席してくれた塩田貞治くんに、管理人・神宮寺誠
出席者の前で公開インタビューしたものです。
「のんきな姉さん」の製作話から他の出演作品についてファンとして知りたかったことに
答えてくれました。
これはその後編です。

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ここらで「のんきな姉さん」から離れて他の作品についてうかがいたいと思います。
まず作品とは直接関係ないんですが、以前HPでも話題になったのですが
「貞治」という名前はやはり「王貞治」から来てるんでしょうか?

塩田くん「そうです」

やっぱり。

塩田くん「家族がつけてくれまして」

塩田くんが生まれた頃は王選手が国民栄誉賞を受賞したりして大活躍の頃でしたからね。

塩田くん「かなり盛り上がってたみたいで」

家族の方が巨人ファンで?

塩田くん「巨人ファンだったもので(笑い)」


では作品の話に戻りまして、まずメジャーデビュー作品というとさっきも話題に出た「卓球温泉」
になるわけですね。
この頃は別の名前でクレジットされているんですね。

塩田くん「そうです」

この作品に出演されるにあたって卓球の特訓をかなりされたとか。

塩田くん「卓球の訓練はたしか1ヶ月もやらなかったかな。1ヶ月ぐらい他のキャストの方々、
     松坂(慶子)さんや蟹江敬三さん、牧瀬理穂さん、あと窪塚くんなんかとみんな
     一緒に阿佐ヶ谷のほうで練習しました」


じゃ、みんな一緒に練習されたわけですね。毎日毎日ですか?

塩田くん「スケジュールにあわせてって感じでしたね」

それまでは卓球は経験なかったんですよね。

塩田くん「全然やったことなかったです。遊びでやった程度でした。
     本格的にやったのは撮影のときが初めてですね」


じゃあそこも見所の一つですね。「卓球温泉」、まだご覧になってらっしゃらない
方もいらっしゃいますから。

塩田くん「そうですね(笑)。でも(映画で)笑っていただければいいかなと(笑)」

ちょっと変わった男の子の役だったんですよね。どうでした、ああいう役は?

塩田くん「初めての仕事で、役者というものも何にもわかってないころで、正直
     受かるつもりなかったんです。落ちたい、ぐらいに思ってたんですけど。
     多分、現場に行っても何も出来ないでしょうし・・・でもなんだかんだで
     受かって。で、現場にいるスタッフの方や監督やキャストの方がいい方ばかりで
     色々教えてもらったり、その場で勉強してやらせていただいて。
     でももういっぱいいっぱいで。とに角少しでも皆さんに迷惑がかからないように
     必死でした。」

松坂さんとか、久保明さんとかベテランの方もいらっしゃいましたしね。
山川監督はいかがでした?

塩田くん「すごい優しかったです。優しいっていうイメージが強いですね」

山川監督は今年の2月公開のブラックコメディ「東京原発」をその後お撮りになって。
ちょっと塩田くんとは話がそれるんですが、役所広司さん扮する東京都知事が
『東京に原発を誘致する!』って言いだすことからはじまるブラックコメディで。
運がよければ来年の映画賞をかなり取るかも知れないような作品です。

塩田くん「もうご覧になったのですか?」

僕は去年の(東京ファンタスティック)映画祭の特別上映で見ました。

塩田くん「重みのある作品ですか?」

いやブラックコメディなんで。

塩田くん「笑える作品ですか」

笑えます。笑ったあとで背筋が寒くなるような作品です。

塩田くん「僕、(今と『卓球温泉』の時とは)名前が違ったし事務所も違ったんで
     (それでちょっと疎遠になってしまって)。
     山川監督ともそれ以来会ってないんでまた一緒にお仕事したいですね」


そうですね、きっとこれから素晴らしい監督になられると思いますよ。


でその次が「NINE」になる訳ですか?

塩田くん「『NINE』?」

高田宏太郎君主演でビリヤードの映画で・・・

塩田くん「あっ『NINE』ですね。『NINE』は、あれは、仕事というより・・・・
     僕の髪の毛を切ってくれてるヘアメイクさんが(『NINE』の)スタッフで、
     『ちょっと遊びに(おいで)』って声をかけてもらって現場に行ったっていう感じで。
     役を貰って、ていう感じではないんです(笑)」


実は昨日ビデオで見たのですが、どこに出演なさっているのか
解らなかったのですが・・・・・・

塩田くん「いや写ってないと思いますよ(笑)」

そうなんですか?(笑)

塩田くん「バスケのシーンがあって、あそこにいるんですが、多分解んないかも(笑)
     ホント、遊びに行ったって感じですよね」


一応クレジットには「塩田貞治」の名前はあるんですよ(笑)。

塩田くん「あ、本当ですか?(笑)実は僕見てないんですよ(笑)」

確かにそれほどの作品ではなかったような・・・・(笑)


その次が「多重人格探偵サイコ」になるわけですね。
スプラッタホラー系の作品で僕はその手の作品は苦手で一回しか見てないのですが、
現場では血みどろの死体とかおいてあるんですよね?

塩田くん「そうですね、置いてありました」

どうなんですか、ああいうのは実際に見ると?

塩田くん「気分悪くなったり気持ち悪くなったりするんですが、でもなんか毎日見てるうちに
     見慣れちゃいました(笑)。『ああこういう風に出来てるんだ』って思えるように
     なりましたね(笑)」


監督の三池崇史さんはいかがでした?

塩田くん「すごい面白い方でした。面白いっていうのか今までに会ったことのないような方で。
     三池監督は自分にホント演技を自由にやらせてくれて、楽しんで出来たって感じ
     ですね」


三池監督はいま日本で一番精力的に作品を作ってらっしゃる方で、海外からも注目されてる
監督ですから、また一緒に仕事が出来るといいですね。

塩田くん「そうですね。最後に撮影が終った夜に泣いちゃったんです。
     その時に監督が言われたのが『何で泣くんだ。これで最後で終わりじゃないんだぞ。
     また会えるだろ』って言ってもらって。その一言を聞いた瞬間、(三池)監督って
     優しい人だなって思いましたね」


あの作品は全体的に悲惨なシーンが多い中で、塩田くんの出演がコメディリリーフ的で
ほっとできるシーンが多かったじゃないですか。

塩田くん「それが狙いだったんですよね」

そうですね。大杉蓮さんとの漫才のシーンがあったりして、インターネット上の感想でも
塩田くんがいいポイントを抑えてるって批評が多かったです。

塩田くん「あの(漫才の)シーンは現場で、一応セリフはあったんですけど、
     大杉さんとアドリブで打ち合わせもせずに本番で即興でやった部分もありました」


そうなんですか?僕はみっちり練習されたのかと。

塩田くん「いやあ(笑)、意外とやってなかったです(笑)」


そして僕らが塩田くんを知るきっかけとなった「ロシア語会話」と言うわけですね。

塩田くん「そうです」

僕らはバラエティ番組としてみてしまったのですが、ファンサイトでいろいろ書きましたが
スタッフの方はHPは見ていたんでしょうか?

塩田くん「見てたみたいですよ。時々そんな話題をしてましたから」

(それはちょっと恥ずかしいですね)
共演の黒田先生、オクサーナさん、デニースさんの思い出をちょっとお聞かせいただきたいんですが。

塩田くん「黒田先生とは今でも連絡取り合っていて今度の映画のことも知らせてあるんですよ。
     プライベートでも自分が悩んだ時とかアドバイスもらってます。
     とても頭のいい方のなので。
     オクサーナとはたまーに連絡取り合ってお茶したりする事もあればロシア語のことを
     聞いたりする事もあります。
     デニースは学生さんなのでなかなか時間が合わなくて。
     たまたま新宿で電車の中で会った事がありました。
     電車の中でビール飲んでましたけど(笑)」

じゃあもう黒田先生は番組の中の先生というだけでなく本当の学校の先生、恩師、みたいな
存在ですね。

塩田くん「先生でもあり、僕のお兄さん的な存在でもありますね」

すごい優しそうな感じですものね。

塩田くん「優しいですね。おとなしく僕の話を聞いてくれて」

僕らは語学番組としてだけでなくバラエティ番組としてみてしまったんですが。

塩田くん「でも僕も勉強好きじゃないんで、じゃ好きじゃなんだったらどうすればいいか、
     (見てる人に)楽しんでもらおうという事で、絵を画いたりとか自分のキャラクターを
     活かしてみんなに見てもらえたらなあと思ってましたから」


あの「なんだっけ?」ってのが一番受けたんですよ。(一同笑い)

塩田くん「(笑)もう、まんまですね。わかんないから」

「何でしたっけ、先生」「さっき教えただろ塩田くん!」見たいな感じで。

塩田くん「(笑)聞いてないんですよ、僕、人の話」

その後、ロシア語の勉強は続けていますか?

塩田くん「むしろ韓国語の方が。でもロシア語のほうもたまーに使ったりとかします。
     韓国に遊びに行った時にロシア語を使うことがありまして。
     ロシアで働いていた友達がいて、ロシア語で話したりしました(笑)」



そして「ウルルン滞在記」になりますね。
最初は本当に1週間の予定だったんですか?

塩田くん「本当に1週間の予定でした。本当に1週間で帰ろう、ぐらいの
     勢いだったんですが、雨もふってしまって畑仕事も出来なくて。自分がなんかホントに
     何のために来たんだか全然わかんなくなってしまって。スタッフの方も気にかけて
     くれて『どうする?』みたいな感じで。『もしよかったら』という事でそれで一日時間を
     貰って考えて『やっぱり残った方がいい。残らせてください』って言ってらその場で
     イヤホンとビデオ(カメラ)を渡されて(笑)『さよなら〜〜〜』ってそのまま一人で。
     その頃は全然韓国語も出来なくて、辞書を持ちながら話したり、ノートに書いたり
     してそれを常に持っていてどうにかコミュニケーション取ったりしました」



(マネージャーに)事務所としては最初塩田くんから残るって連絡があったときはどうでした?

マネージャー「驚きましたよ、本当に。さっぱり訳わかんなくて(笑)」

塩田くん「動揺してたんです(笑)」

マネージャー「スタッフの方に替わってもらって初めて事情がわかった感じでした(笑)
        あと社長も頑張ってやってこいっていうことで」

塩田くん「そうです、応援してくれたんです」

結局10月の収穫の時までいたんですよね。

塩田くん「そうですね。10月の終わりぐらいまでいました」

それで帰ってきて「(ウルルン新春)スペシャル」で秋野暢子さんに『立派になったね』
って言われて、

塩田くん「そうですね(笑)言われました。ありがたいです」

石坂浩二さんにも誉められて、

塩田くん「誉めちぎられたって感じでした(笑)」

徳光さんにも誉められて。

塩田くん「何にもすごい事してないのに」

でも僕なんかあの番組見てると出てるタレントさんもスタッフがいるという精神的支えが
あるんじゃないかという気がしますから、3ヶ月一人で生活するというのは大変な事ですよ。

塩田くん「家族が本当に優しくて。友達も出来たりしましたから。今でも電話や手紙で
     連絡取ったりしています」


ちょっと意地悪な質問ですが、

塩田くん「ハイ」

8月15日は憶えましたか?

塩田くん「(笑って)憶えましたよ。大丈夫ですよ。(参加者に)皆さんわかりますか?(笑)
     韓国ではお休みなんですよ。韓国では(カレンダーが)赤く塗られていて日本では
     黒いままだから。
     日本では(8月15日は)暗いイメージなんですが、僕のいたところでは運動会とか
     町のみんなでお祝いする感じで。(日本とは)全然違いました」


日本にとっては『終戦記念日』なんですが、韓国では『解放記念日』ですからね。

塩田くん「僕も運動会とか参加したんですが、何年か前だったら参加できなかった
     かもねって言われましたから」


そうですね。韓国では日本の楽曲が禁止だったんですが、最近はそれも緩やかになってきて。
日韓関係も修復されつつありますから。いい時代に行かれたと思います。
今日は本当にありがとうございました。

塩田くん「ありがとうございました」

ありがとうございました。

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(04年2月8日更新)