2001年12月

ガス人間第1号
美女と液体人間 マタンゴ
緯度0大作戦 宇宙大戦争
連合艦隊司令長官
山本五十六
太平洋奇跡の作戦キスカ
太平洋の嵐 太平洋の翼
潜水艦イー57降伏せず ゴジラモスラキングギドラ
大怪獣総攻撃
とっとこハム太郎
ハムハムランド大冒険
妖星ゴラス
世界大戦争 青島要塞爆撃命令
ハワイ、マレー沖海戦 ハリーポッターと賢者の石

ガス人間第1号


日時 2001年12月29日 19:40〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
特技監督 円谷英二
昭和35年12月11日封切

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


銀行強盗を追う刑事(三橋達也)。しかし五日市街道を追い詰めたところで
犯人の車はがけから落ちて炎上。犯人の遺体は見つからない。
近くにはこの世の人とは思えない美しさの踊りの家元,、藤千代の一軒家があった。
犯人は藤千代の屋敷に逃げ込んだのか??


美しい日本舞踊の家元を愛してしまった男の悲劇だ。

男(土屋嘉男)はまずパイロットになれなかった挫折があった。
そこへ人体実験を考えるマッドサイエンティストの誘いを受け実験台となる。
しかし実験は思わぬ結果となり、彼はガス人間に変質してしまった。

美しい人を愛してしまった彼は、彼女がお金が必要だと知れば
銀行強盗を重ねる。
(この美しい踊りの家元を八千草薫が演じており、本当にお人形のような美しさなのだ!)
彼女もすでにガス人間、水野を愛してしまっている。


愛する彼を警察に売ることは出来ない。かといって銀行強盗だけでなく
その存在が社会不安さえ起こしているガス人間を
そのままにしておくわけにはいかない。

彼女の出した結論はただ一つ。自らの手により彼を殺す事だ。
それも自分の命と一緒に。
そしてラスト、発表会で踊りを踊りきった彼女とガス人間は抱き合う中、
彼女の手によって心中させられるのだ。

この映画はラブストーリーだ。ガス人間水野と美しい藤千代の。
三橋達也の刑事は一応主役だが後半では単なるストーリーを
説明するだけでしかない。

この映画の哀しい愛に私は心を打たれる。
美しい人はかように人の心を狂わせるのだ。
その愛を守るために人は何だってする。
美しい人とは哀しく、罪な存在なのだ。

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美女と液体人間


日時 2001年12月29日 17:55〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
特技監督 円谷英二
昭和33年6月24日封切

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)

麻薬ギャング団を追う刑事たち。
雨の街角、銃声が鳴り響く。
警官が駆けつけてみるとそこには容疑者の服しか残っていない?
男は裸で逃走した??
しかし、真実は液体人間に殺されたのだった!!


B級(この場合は誉め言葉)ホラーの見本のような作品だ。

核実験に巻き込まれたマグロ漁船の乗組員が液体人間に変化しているという理由づけや
「次に人類を支配するのは液体人間かも知れない」という千田是也の博士の
セリフで締めくくられるが、反核のメッセージ性は少ない。

しかし、そういったメッセージ性より、麻薬ギャング団(佐藤允)とそれを追う刑事たち
(平田昭彦ら)やキャバレーの美女たち(それもビキニ姿で歌い踊るのだ!)
というB級なストーリーが娯楽映画らしくていい。

そしてラストで下水溝に逃げた佐藤允のギャングに
白川由美が「服を脱げ!そうすれば警察は液体人間にやられたと思うだろう!」
命じられ下着姿で逃げるという設定が、なんだかアメリカの
B級ホラーのポスターで見かける怪人(宇宙人)におびえて悲鳴を上げてる
半裸の美女のセンスそのままであり見ていて楽しい。(佐藤允が怪人という意味ではない)

最後の液体人間を焼き殺すためガソリンを下水溝にまき、火を放つあたりは
炎の海となり、「おいおいやりすぎじゃないの?」と突っ込みたくもなる。
放射能によって液状化した人間だがまだ意志があって故郷に返りたい気持ちで
日本に戻ってきたという理由付けは納得するが、
何故ギャング団を襲ったかは不明。
でも「その辺のこまかいところは気にするな!」的なつくりがB級ぽくって
さらに楽しさをます。

特撮面ではゲル上の液体人間の技術は後の「ウルトラQ〜2020年の挑戦」
「怪奇大作戦〜光る通り魔」において生かされている。
特に「怪奇」のほうでは液体人間の人々を襲う理由付けもきちんとなされており
リメイクとして成功している。
でも雨のふる川からゲル上の液体人間が登ってくるところは
どうやったんだろう。
部屋の壁を伝う液体人間は上下を逆にしてとったりすればよさそうだが
しかしこの場合では雨が上から降ってくることが不可能だ。
うーん???

全体として時代をカラーの発色の具合も含めて、時代を感じつつ、
かつてあって今はない、B級ホラー映画の味を大いに楽しむべき。
なんてたってタイトルから「美女と液体人間」というチープな、しかしあなどれない
タイトルなのだから。

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マタンゴ


日時 2001年12月29日16:10〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
特技監督 円谷英二
昭和38年8月11日封切

「マタンゴ」については名画座に掲載しました。

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緯度0大作戦


日時 2001年12月24日 19:35〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
特撮監督 円谷英二
昭和44年7月26日封切

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)

海洋調査中の研究員(宝田明、岡田真澄ら)は海底火山の爆発にあい、
九死に一生を得る。助けてくれたのは「緯度0」にあるユートピアの潜水艦α号だった。
彼らは艦長と共に地球の平和を脅かす潜水艦黒鮫号との対決に向かう。
果たして勝者はどちらか?


正直言って見ててつらかった。
何がってもう「かつての円谷今何処?」という感がぬぐえなかったからだ。
前年の昭和44年には「ウルトラQ」「ウルトラマン」がスタートし、
円谷特撮の活躍の場中心はテレビに移ってしまった感じがありありとするのだ。

まずセットの貧弱さ。
肝心のα号の内部は操縦室と病室と廊下ぐらい。
それも装飾もあまりなく、なんだか安っぽい。
また乗組員が艦長(ジョセフ・コットン)と女性ドクターと大前均の操縦士しかいない。
あんな大きな船で3人とはさびしすぎない?
(「戦え!マイティジャック」でも5人いたぞ)
衣装も最後の戦闘に立ち向かうスーツが金色で趣味悪いのだ。

またα号と黒鮫号という二つの潜水艦が登場するが
どちらも真っ黒であまり特徴がなく、見ていて魅力を感じない。
わかりやすくいうと、プラモデルになって発売しても買いたい気がしないのだ。
潜水艦でいうと同時期にフジテレビで製作された「マイティジャック」の方が
はるかにかっこよく、完全に負けている。
(「マイティジャック」はシナリオが悪かったので作品全体としては結果的に失敗作だが、
特撮面、登場するメカの魅力は今見ても他の追随を許さないものがある)

そして登場するこうもり人間や人間の脳を持ったライオンと鷲(?)の合体生物、
デパートの怪獣ショー並みの出来の悪さ。
見ていて哀しくなる。
(そういえば「マイティジャック」にも「メスと口紅」という人体改造を
題材にした作品があったな)

海外プロとの合作のため、「円谷が世界に進出した!」的な書き方をする評もあるが、
僕としてはもはや海外との提携をしなければ作品が作れないほど
東宝特撮チームの力がなくなっていたと思わざるを得ない。
悪く言えば倒産しかけた会社が海外の会社に乗っ取られたような感じさえするのだ。

また「第三の男」のジョセフ・コットンの出演が作品に箔をつけたようないわれ方もするが
私にすればこんな作品に出演せざるを得なかったジョセフ・コットンの下降ぶりを
見たような気がしてしまう。

ついでに書いておくと宝田明や岡田真澄のセリフが出演場面数の割には少ないので
変だなあと思っていたら撮影は英語で行われ、後にアメリカ人俳優の吹き替えと同時に
宝田明たちも日本語のセリフを入れたらしい。
その辺の事情が宝田明や岡田真澄が出演してるにも関わらず、
見せ場というか活躍がない(画面に写っている割には印象に残らない、
もっとはっきりいうといなくても大して困らない存在になっている)理由らしい。
(実際大前均のほうが印象に残る)

これが円谷英二が最後に作ったSF作品となった。
映画自体が斜陽化し、制作費の減少などの厳しい時代になったろう。
その後も「日本沈没」「連合艦隊」などの名作はあるが、
作品バリエーションの豊富さから考えると、やはり昭和30年代が
ピークだった。

そのことがありありと感じざるを得ない作品であり、
劇場を出るとき、私はため息をつかざるを得なかった。


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宇宙大戦争


日時 2001年12月24日 17:50〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
特撮監督 円谷英二
昭和34年12月26日封切

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


なんというストレートなタイトル!!
タイトルの通り、宇宙人の地球侵略を描いた作品。
宇宙人(ナタール星人)はもちろん登場するが、
彼らの描写はほとんどなく、(チラッと出るだけ)宇宙船などの
メカの描写が中心だ。

「ゴジラ」の反核のような思想的なメッセージ性は何もなく、
宇宙の無重力空間とか宇宙船とか月面探検車とか熱線銃とかの
科学兵器のアイテムを具体的に映像化した作品としてビジュアル的に
楽しむべきだろう。
人類が月に行くのはまだ10年も先の話で、月面などまだ誰も見たことの
ない世界であり、それが映画で見られたのだ。

そこにはまるで海野十三の「火星兵団」のような(きっと他にもいっぱいあったであろう)
人類が宇宙へ冒険に行く空想科学小説を日本映画として映像的にはじめて見せた
作品として十分楽しむべきだ。
なんだか子供のころの「小学○年生」の雑誌の口絵でみた「10年後の世界」と
題する未来図を見てるようで懐かしい。
もちろん今見ると随分キッチュな感じもするのだが、それにしてもカラー画面は
豪華で安っぽさはない。
エキストラや多く、セットも立派だ。
その時代なりの豪華さは感じられ、見てて飽きは来ない。

しかも封切りは12月26日。師走の街角には「宇宙大戦争」のポスター。
もう正月映画としては満点だ。
当時の子供たちはさぞわくわくした気持ちでこの映画を見ただろう。
そしてスクリーンに展開される宇宙冒険をみて、自分の未来を
「僕も宇宙飛行士になるんだ」と夢見たに違いない。

そんな「未来に夢が持てた時代」を感じられる作品だ。


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連合艦隊司令長官 山本五十六


日時 2001年12月22日20:45〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 丸山誠治
特撮監督 円谷英二
初公開 昭和43年8月14日

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


太平洋戦争ものの映画において欠かすことの出来ない登場人物の
山本五十六。
彼の連合艦隊司令長官就任からその死までを描いた。

この映画は池袋の旧文芸地下で学生時代に見ているがそのときも
あまりいい印象はなかった。

この映画、なんとなく面白そうな感じはするのだがあんまり面白くないのだ。
その原因はやはり太平洋戦争の前半の(映画的)見せ場、ハワイ奇襲と
ミッドウエイ作戦で山本五十六が現場に出てないからかなあ。
その職責上、そうなるのだが後方にいるばかりで第一線で指揮をとることはない。
ハワイ戦、ミッドウエイ戦ともにこの映画ではかなり時間をかけて語られているが
主人公が後方にいたのではもう一つ映画的に盛り上がりにかけてしまう。

そして映画的に盛り上がるミッドウエイ戦が終ってからは
ガダルカナル戦になるのだが、大規模な海空戦もなく、映画としては面白みにかける。
ガダルカナル戦は完全な消耗戦で(映画的には)画にならんのだ。

戦後の日本映画での戦争物は陸軍=戦争を遂行しようとする悪者
海軍=事態を冷静に見つめ和平の道を探り、図らずも戦争に突入する善玉
という図式が出来上がっており、その図式の海軍の代表的人物が
山本五十六であり、陸軍の代表が東條英樹だ。

そういう評価が定着している山本だから確かに映画の主人公になっても
おかしくはない。
ところが映画にしてみてはじめてわかったのだろうが、山本五十六は
太平洋戦争映画において重要人物だが主人公には成りにくい存在なのではないか。

随所に挿入される人間・山本五十六のエピソード(オープニングの長岡の川の船の上での
逆立ちなど)がいかにも伝記映画らしい話で、ほんとかなあという気もするのだが
その辺は素直に見ておこう。

特撮面ではハワイ戦、ミッドウエイ戦ともに「太平洋の嵐」からの流用が多い。
海空戦シーンだけでなく、空母の甲板いっぱいに整列する搭乗員のカットなども
流用されていた。
言い換えると山本のシーンは艦橋のシーンなど室内が多く、「太平洋の嵐」
に見られた豪華な空母のセットはなく、やや低予算だったようだ。
但しラストの山本の載った一式陸攻の撃墜されるシーンなど、後の「連合艦隊」に
流用されたシーンも多い。

これで今回の円谷特集での太平洋戦争物は大体見終わったが、
出てる役者が皆同じで(当たり前だ!当時は俳優は映画会社に専属してる)
こう続けてまとめてみると誰がどの役だったか混同してくる。
もっともその同じ役者たちが東宝のスターたちで彼らの顔を見るのが懐かしくもあり、
楽しくもあるのだが。
特に藤田進なんか全部出てるんじゃないの?(本当はそんなことはないのだが)
というかこの人が出演した映画で軍人役でないのがあったろうか?という気にさえなる。
(これもそんなことはない。黒澤明の「姿三四郎」や「用心棒(最初の方で逃げ出す用心棒)」
などなど。でもやっぱり軍人役は多いし、印象に残る。この人が戦ったのはアメリカだけではなく
ゴジラとも戦っていたが)

私にとってはやっぱり昭和30年代、あるいは1960年代の東宝映画がいちばん好きな映画のだ。
見ていて何か安心感がある。

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太平洋奇跡の作戦・キスカ


日時 2001年12月22日18:50〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 丸山誠治
昭和40年7月4日封切

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


アリューシャン列島の一つキスカ島。日本軍守備隊がいたが
米軍の上陸は必至となってきた。このままでいけば玉砕は確実。
キスカ島守備隊を救うには濃霧にまぎれて艦隊を派遣するしかない。
果たしてキスカ救出作戦は成功するのか!?

面白かった。
その面白さの最大の要因はこれが勝ち戦だと言うことだろう。
太平洋戦争ものは日本が敗戦してるのでどうしても最後は悲劇的に
ならざるを得ない。

ところがこの映画は日本が勝つので(撤退だから負けといえるが、
作戦としては成功だ)安心して見てられる。
潜水艦による作戦参謀の潜入、霧の中を進む艦隊、一度出航したものの霧が薄くなり
突入断念、万全を期すためなかなか就航しない司令官、いらだつ大本営や部下たち、
(児玉清の気象予報士にウソの報告を迫ったりする)前半はジリジリと心理的に
サスペンスが盛り上がる。

そして2度目の出航、隊列から離れてしまう艦、衝突、敵のレーダーを避け
島の西岸を座礁寸前まで迫って突き進む艦隊などなど、後半は
画的な見せ場もいっぱいだ。

キスカにたどり着いたときの進軍ラッパの響きは見るものに爽快感を与える。
そしてエンディングのスーパーで米軍が上陸した時は犬2匹しかいなかった
ことが知らされるが、そのときの米軍のぽかんとした顔を想像するのが楽しい。

太平洋戦争もので数少ない(あるいは唯一の)勝ち戦として楽しい戦争映画だ。
この面白さはジョン・スタージェンスの「大脱走」と同じものがある。
案外企画段階で影響があったのかもしれない。

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ハワイ・ミッドウエイ大海空戦 太平洋の嵐


日時 2001年12月16日18:40〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松林宗恵 
昭和35年4月26日封切

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


連合艦隊第一機動部隊第五航空戦隊・飛龍のパイロット北見中尉(夏木)を中心に
ハワイミッドウエイ作戦を描いた戦争大作。

サブタイトルに「ハワイ・ミッドウエイ大海空戦」とあるので
ハワイ作戦も時間が割かれるのかと思ったら、映画はいきなり
12月8日に攻撃隊が発艦する所から始まる。
このハワイ急襲シーンは「ハワイ・マレー沖海戦」のハワイシーンを
リメイクし、そして完成したシーンは後の「連合艦隊司令長官・山本五十六」
「連合艦隊」にも流用される名シーンだ。
このハワイシーンは特撮的には大変なウエイトを占めるが、ドラマとしては
後半のミッドウエイ作戦のほうが主流を占めている。

途中休憩的に北見中尉が実家に帰り結婚するがその結婚式の日に
出動命令が下り、結婚式の途中で抜け出すといったあたりは後の
「連合艦隊」にも同様のシーンがある。
(今回痛感したがやはり81年の「連合艦隊」はあらゆる意味で
東宝の太平洋戦争ものの集大成なのだ)

後半はミッドウエイ海戦一色となる。
ミッドウエイ島の第一次攻撃に始まり、攻撃不十分のため第二次攻撃隊の魚雷から
爆弾への切り替え(このシーンも数多く流用される)、そこへ敵空母発見の連絡、
司令部の苦悩、再び魚雷装着、「あと5分」で体制が整うところに敵機攻撃、
赤城、加賀、蒼龍大破、残った飛龍一艦による敵空母攻撃、飛龍への米軍機の逆襲、
ついに飛龍大破炎上、乗組員の脱出、味方魚雷により沈没の処置等々、
実に丁寧に描かれ、息つく暇がないくらいだ。
特に味方戦闘機が着艦しようとしてるにも関わらず、敵機の攻撃をかわすため操舵し、
戦闘機が着艦に失敗炎上するところなど迫力満点。

後の「山本五十六」「連合艦隊」ではミッドウエイ戦は(時間の関係もあるだろうが)
大抵、機動部隊司令部のあった赤城大破でシーンが終る事が多い。
赤城の艦橋の様子が描かれる事が多いのはやはり司令部があったためにそうなるのだが
今回はミッドウエイ戦を最後まで描くため、生き残った飛龍を主役にしてるところがいい。


やはり戦争スペクタクルは、飛行機対艦隊が面白い。
止まっている戦艦上空を駆け抜けるスピードの対比による迫力、
対空砲火、魚雷を落とす水柱、火災、爆破、沈没と画的にバリエーションが数多く
見る者を休ませない。

また飛龍の甲板も豪華に再現され見事だ。
甲板だけでなく、その下の対空砲まできっちりと作ってあり、
対空砲を整備している上の甲板を人物が歩くといったカットが一つの画の中に収まっている。
また艦橋も実物どおりに再現され、甲板から司令部の艦橋まで
外階段を一気に鶴田浩二が駆け上がるカットさえある。
これが「山本五十六」ぐらいだともう手が抜いてあり、飛行甲板に整列する搭乗員たち、
彼らが飛行機にかけていくカットなども流用されている。
「山本五十六」だときっと三船が立っている艦橋はその部分だけの復元だろう。

久々にみた面白い戦争映画だった。
ミッドウエイ戦を最後まで描き、手に汗握るスペクタクルで一気に見せるこの映画は
太平洋戦争ものの代表作と言い切っていい。

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太平洋の翼


日時 2001年12月16日16:35〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松林宗恵
昭和38年1月3日封切

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ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


太平洋戦争末期、海軍首脳部は千田航空参謀(三船敏郎)に本土の制空権
奪回を命じる。千田は太平洋に散らばった生き残りの優秀なパイロットたち
(加山雄三、夏木陽介、佐藤允、渥美清、西村晃ら)を四国松山に終結させ
新鋭機 紫電改で立ち向かう。
彼らは優秀な戦果を上げるがやがて太平洋の空へと散ってゆく。

前半の3人の飛行隊長(加山、夏木、佐藤)らが部下を率いて各地を脱出するあたりは
軽快な戦争アクションになっている。
特に佐藤允たちがアメリカの魚雷艇を奪取するあたり(渥美清の出演もあって)
コミカルで面白い。(そんな魚雷艇で太平洋を縦断するなんて無理だとは思うが・・・・)
夏木、加山、佐藤の3人のコミカルトリオはこの次の「青島要塞爆撃命令」でさらに
発展することになる。

しかし後半になるに連れ暗さがましてくる。
特に大和特攻の護衛のため、命令違反を犯しても護衛に立ち向かい
大和上空で大和の呼びかけに従い、夏木陽介、渥美清、西村晃が
階級氏名を一人一人名乗るあたりは(後の「連合艦隊」にもつながる)泣かせどころだ。

また加山がフィリピンから脱出する時、戦死した部下の遺体を機外に放出したり、
死んだと思われた戦友が生きていたとわかるがしかしすぐ特攻に出なければ
ならない悲劇は、情に訴える。
(この映画、加山がらみのエピソードは、フィリピンの脱出行の時から悲劇的なものが多い)
そしてラストは加山がB29の編隊に「日本の空から出て行け!!」と叫んで特攻する。
こういった戦争映画での叙情的な泣かせる演出は松林監督の腕の見せ所なのだろう。

ラストシーンは海辺の漁師たちの画に「この若者たちにお前たち(加山たち)のような
思いはさせたくない」という三船のナレーションだ。
こういう海の画がエンディングであったり(特に後半の泣かせの演出など)
同じ松林監督の「連合艦隊」の原型と考えてもいいかも知れない。


特撮面は空中戦の見事さなのだが、(あとで「太平洋の嵐」を見て痛感したが)
やはり空中戦は迫力がイマイチ欠けてしまう。
航空機対戦艦のように、止まっているものの上空を駆け抜けるゼロ戦、
魚雷が海に水しぶきを上げ突入する、続いて命中し水柱を上げ、火災炎上といったような
画のバリエーションが、空中戦だけではとぼしくならざるを得ず、
見てるうちに飽きてしまう。

その点やはり「太平洋の嵐」のほうが映画としては成功してるように思う。


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潜水艦イー57降伏せず


日時 2001年12月16日14:35〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松林宗恵
昭和34年7月5日

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


すでに沖縄は陥落した太平洋戦争も末期の昭和20年6月、
ポツダム会談で日本に有利な交渉を進めてもらうように某国の
外交官を北アフリカに送り届ける命令を受けるイー57艦長河本中佐。
徹底抗戦を考える彼にとって和平工作に協力する作戦は不本意だったが、
東南アジアからインド洋、喜望峰を超える長旅を決意する。
果たして作戦は成功するのか?

こう書くと最近の「U−571」「レッドオクトーバーを追え!」のような
海洋戦争アクションを期待してしまうが、そういう手に汗握るサスペンスはあんまりない。
もちろん対駆逐艦戦といったところはあるのだが、その辺は日本映画の悪いところで
盛り上がりにかけるストーリー展開だ。

むしろ徹底抗戦を考える艦長(池部良)の作戦を受けたときの苦悩、
作戦には納得していないながらも艦長についていくことを決意する副長(三橋達也)、
また外交官の娘のわがままぶりに振り回されながらも(艦内で水浴びをしたいとか、
病気で熱を出し熱い艦内のなか氷を作らねばならないとか)作戦遂行にまい進する部下たち、
途中でポツダム会談に間に合わなかったため作戦中止の命令が出たにも関わらず、
無線の故障でイー57にはつたわらなく作戦を続行する一行などなど
そういった海軍軍人の姿が描写の中心になっている。

外交官親子を送り届けた後帰りの燃料もなく、死の覚悟で二種軍装(白い制服)に着替え
突撃する姿など、当時よくあった反戦的な戦争映画と考えるべきなのだろう。

本物の自衛隊潜水艦くろしおを使用しての撮影など、甲板、艦橋シーンは本物の迫力。
ひょっとしたら「キスカ」の潜水艦シーンに一部流用されてるかも知れない。

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ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃


日時 2001年12月16日 11:40〜
場所 日劇東宝
監督 金子修介

(公式HPへ)

今回のゴジラはいい。
やはりクライマックスの決戦を夜に持ってきたのは正解。
闇の中、横浜ランドマークタワー屋上に降り立ちゴジラと
対峙するモスラの姿は圧巻!

そしてベイブリッジの崩壊。
その展望台から新山千春が落ちそうになる所がいい。
キングギドラとの対決という大きな対戦の一方での
対比がすばらしい。

話では戻るが箱根大涌谷は現実を再現して見事。
このバラゴン対戦はスピード感があってよい。
ヘリコプターから中継する徳井優がかの名作(金子監督も好きだという)
「キングコング対ゴジラ」を彷彿とさせる。
また夜の中、ゴジラを求めて自転車で疾走する新山千春がかっこいい。


神獣伝説という怪獣ものの定番ともいえるストーリー展開だが、
これを伝える老人がかの怪優、天本英世というのが
ファン心理をくすぐる。
また主人公がTVスタッフという普通の人が主人公の設定が私は好きだ。

近年のゴジラシリーズはGフォースなるウルトラマンシリーズを思い起こさせる
設定になってしまい、そこがずっと不満だった。
84年の「ゴジラ」で自衛隊の新兵器「スーパーX」が登場して以来、
どうもスーパーチームに発展していってしまった。
84年の「ゴジラ」はおそらく田中友幸氏の今までつくった特撮映画の集大成という
ことで今までの特撮映画のエッセンスを全部ぶち込んでしまったので
やや消化不良を起こしていた。(「スーパーX」は「海底軍艦」に見られるような
超兵器もののリメークだったのだろう)

しかし今度のゴジラは自衛隊の通常兵器が主流で唯一、削岩マシンぐらいが新兵器。
この程度の規模なら許せる範囲だ。
そして最後に立ち向かうのは小型潜水艇。
一人で立ち向かう所など、第一作の芹沢博士を思い起こさせる。

不満といえば今回は何しろ主役怪獣が4匹も登場するのでややはしょった
構成になっているのが残念。
特にモスラがマユを作り始めるところは見せてほしかった。

特撮面では今回は人間の視点からゴジラやモスラを見上げるシーンが多い。
特に鹿児島でモスラ登場の時の商店街の上を飛び去るモスラのカットは圧巻。
この見上げるシーンが多い事がそこにいるかのような臨場感を際立たせている。

今回はよかった。

しかし正直言うといまさらモスラ、キングギドラ、バラゴンなどのオールドスターを
引っ張り出さねばならない企画そのものが残念。
どうせならモスラたちに代わる新怪獣に登場願いたい。
最近の怪獣は記憶に残らないのだ。
いやできれば、かつての特撮SFのようにゴジラではないSF大作を期待したい。

今回の文章はめずらしく興奮気味に書いてしまった。
しかし今回のゴジラはそれ具合興奮させる力を持っているのだ!

余談だが最初の方で「20世紀末にはゴジラに類似した怪獣がアメリカに出現した」の
宇崎竜堂のセリフの後で士官たちが「あれは結局日本の学者はゴジラとは認めてないそうだ」
というセリフには笑った。
そうです。日本のゴジラ研究者にはあれはゴジラとは認められてません。

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とっとこハム太郎 ハムハムランド大冒険


日時 2001年12月16日10:20〜
場所 日劇東宝
監督 出崎 統

(公式HPへ)

スイマセン、実はこの映画のことよく憶えてないんです。
このHPを見ていただけるとわかりますが、12月15日と16日は
ラピュタの円谷英二特集もありこの映画を入れて8本見たので
関心のない映画まで覚えていられなくて。

ストーリーはペットのハム太郎が飼い主の女の子が好きで、
人間の言葉を話せるようになる魔法のひまわりの種を探して
大冒険といったストーリー。

要するに青い鳥ですね。

「ゴジラ」を見たとき隣に立っていた小学生5、6年ぐらいのガキンチョたちが
「ハム太郎見るの〜?」とあんまりハム太郎に関心がなさそうだったので
やっぱりキャラクターの絵の感じといい、小学校低学年の女の子向きなのかなあ。
よくわかりませんけど。

それより84年にゴジラが復活して以来、ずっと一本立てでやってきたのに
今回は50分の中篇アニメを併映するとは!
ゴジラも一本立てでは弱いくらい数字的に落ち込んでいるのかなあ。
確かに今回は宿敵だった「ガメラ」を取った金子修介を監督に持ってきてることだし。
来年は「ゴジラ中止」なんてことにならないことを祈る。

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妖星ゴラス


日時 12月15日20:10〜
場所 阿佐ヶ谷ラピュタ
監督 本多猪四郎
特技監督 円谷英二
昭和37年3月21日封切

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


一応舞台は1980年。
土星探査に向かった宇宙船から地球に衝突するコースを進む
妖星ゴラスが発見される。
人類は地球消滅を阻止すべく、地球上のすべての学者が集結し、
南極に地球の軌道をかえるロケットを建設し、ゴラスの衝突コースから
逃れようとする。
果たして人類の壮大な計画は成功するのか?!

他の天体が地球に衝突というSFはたくさんあるが、南極に噴射口を建設し
地球の軌道を変えてしまおうという大胆な発想は他の作品ではないのではないか。

この映画は特撮映画の見本市のような豪華さ。
宇宙でのロケットシーン、南極での噴射口建設のミニチュアのワーク、
怪獣(後に「ウルトラQ」でトドラとして再利用される)出現、
ラストにゴラス接近に伴う引力の影響での山崩れに大洪水。
まさしくてんこ盛りだ。
特に南極付近からジェットエンジンの炎をはきながら宇宙を前進する地球の
カットなど、あまりにぶっ飛んだスケールの画には驚くしかない。

東宝SFシリーズの中でも作品スケールといい、ある意味ピークの作品だったのではないか。
この後「海底軍艦」があり、(もちろん作品の完成度はこちらも高い)「キングコング対ゴジラ」
に始まるゴジラシリーズが当分続く。
もちろんゴジラもすばらしい作品だが、毎年ゴジラではない、このころは新しい特撮SF作品を
作る力があった。
まだまだ映画は全盛の時代で安易なゴジラシリーズに走る必要はなかったのだろう

しかし作品の根底には「人類はすべての力が結集されればこんな偉大なことが出来る。
それなのに何故東西の対立といったように敵味方に対立せねばならないのか」という
戦争否定、平和への祈りが感じられる。
その前年の「世界大戦争」とは一見逆だが根底には同じ思想が流れている。
製作者たちの良心が感じられて気持ちいい。


余談だが「おいらは宇宙パイロット〜〜」などという歌を歌う二瓶正也(正典)や久保明らの
パイロットが時代を感じさせる。(なんだか日活的でさえある)
余談もう一つ。
政府閣僚の一人で小沢栄太郎が出演してるが、なんだか山本薩夫の映画に
登場する政府閣僚みたいで妙に浮いていた。

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世界大戦争


日時 2001年12月15日18:05〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松林宗恵
特撮監督 円谷英二
初公開 昭和36年10月8日

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


世界は同盟国側と連邦国側の二つに分かれ対立していた。
そんな中でもフランキー堺のハイヤーの運転手は娘が船乗り(宝田明)と
結婚する事になり、小さな幸せを噛み締めて生きている。
しかし、そんな庶民の幸せもむなしく世界は核戦争になり東京も
壊滅してしまう。

この映画を見るのは15、6年ぶり2度目である。

前に見たときは(確か池袋東宝でのオールナイト上映で英語スーパー付だった)
一触即発の事態の数々がキューブリックの「博士の異常な愛情」、シドニー・ルメットの
「未知への飛行」にくらべてちゃちい感じがしてそこがいやだった。
(機械の故障でミサイルが発射寸前までいっても「電源を切れ!」の一言で
ミサイルが止まったり、なだれが原因でミサイルが誤射寸前までいっても
簡単に起爆装置を外してしまったりするあたりが簡単な感じで、どうしても
脚本が適当な印象がぬぐえなかった)
またフランキー堺の家族の姿が頻繁に登場しそこが貧乏たらしくてイヤだった。

しかし私も社会人になり、フランキー堺の役柄のような立場になると
また見方が違ってくる。
娘の結婚、病気がちの妻、小さな子供たち、幼稚園に通う子供たち、
来年の春に咲くのを楽しみにチューリップを植える庭、
母子家庭で少しでも収入をよくしようと少し遠くの職場に働きに出る母、
大病から直った船のコック長などなど、市井の人々の小さな幸せや生活の努力が
くどいほど繰り返される。

まもなく核ミサイルが飛んでくるという時に「もう最後だから」ということで
家族そろっての最後の晩餐(それも卵焼きに助六寿司と質素なものだ)のシーン。
またそんな中でも息子のズボンからはみ出たシャツをズボンに入れなおす
フランキー堺の父親の姿。
「俺がどんな悪い事したって言うんだー!」と空に叫ぶシーン。
船の上の婚約者とモールス信号で交わす最後の交信「コウフクダッタネ」
涙なしでは見られなかった。
久々に映画を見て泣いた。

ラストの洋上の宝田明の乗る船で、笠智衆のコック長がコーヒーを入れるシーンが
私は好きだ。
コーヒーを飲んでうまいと思う小さな幸せの積み重ねが人間の営みなのだ。

15年前の若い私にはその小さな幸せに満足する姿が貧乏くさくイヤだったのだろう。
だが15年の月日を経て、私も社会にもまれた今の自分自身と重ね合わせ
涙を流さずにはいられないラストだった。


ついでに書いとくと日本政府は総理・山村聡、外相・上原謙の面々。
総理が「核戦争を避けるために唯一の被爆国である日本だからこそ強硬な意見も言ってきた」
とつぶやくシーンがあるが、現実の日本政府は弱腰なので失笑した。

またキャストも乙羽信子、笠智衆など東宝特撮にはめずらしい人たちが
この庶民的感覚を演出するのに役立っていたと思う。

なお、この映画の後に「博士の異常な愛情」「未知への飛行」は製作されている。
その後も「ウォーゲーム」など世界戦争物は数多く作られたが、
「庶民にとっての世界戦争」を描ききった作品は他にはないかも知れない。

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青島要塞爆撃命令


日時 2001年12月15日16:10〜
場所 阿佐ヶ谷ラピュタ
監督 古澤憲吾
特撮監督 円谷英二
初公開 昭和38年5月29日

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


第一次大戦下、日本軍は中国・遼東半島青島(チンタオ)のドイツ軍ビスマルク砲台に悩まされていた。
戦艦からの砲撃では射程距離の違いから太刀打ちできない。
そこで新設されたばかりの海軍飛行隊(池部良、加山雄三、佐藤允、夏木陽介)に
爆撃命令が下される。
2機の複葉機しかないヨチヨチ歩きの赤ん坊のような飛行隊。
果たしてビスマルク砲台爆撃は成功するか?

面白かった。
飛行隊と言っても2機の複葉機しかなく、全体的にのんびりムードも漂う中、
コミカルな味付けのもと作戦は遂行される。
(特に最初の方でエンジントラブルで不時着した飛行機が左卜全の農夫の引く牛車に
引かれるあたりは爆笑だ。また初出撃でドイツ軍に釘やレンガをばら撒きドイツ軍が
「新型爆弾だ!」右往左往するあたりなどなど)

物語のラストはたぶん成功するとわかっていても浜美枝の中国娘が敵になったり
味方になったり、映画の中盤で飛行機が一機撃墜されたり、佐藤允と夏木陽介が
捕虜になったり、そこから逃げ出しつり橋での銃撃戦、日本海軍のラストの総攻撃など
空に陸に海にの大作戦が展開される。
コミカルな、早いテンポで物語りは進み、見ていて飽きを感じさせない。

クレージー映画以外は見るのは初めて(多分)の古澤憲吾監督だが、軽妙で
スピーディーな演出はこの人の持ち味だ。
植木等の映画を取った人、という印象ばかりが強い古澤監督だが、今後もう少し
評価の見直しをしてもいいのではないか。
「クレージーだけでない古澤憲吾監督」というタイトルで特集上映などを期待する。

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ハワイ、マレー沖海戦


日時 2001年12月9日17:20〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 山本嘉次郎
特技 円谷英二
初公開 1942年12月

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


ラピュタ阿佐ヶ谷で行われている「円谷英二の技」と題する円谷英二作品の特集上映の一本。
1942年(昭和17年)製作の太平洋戦争映画。
戦争中に作られた作品で手元の資料には「企画 大本営海軍報道部」とある。
戦意高揚映画の一本なのだろう。

(プリントの状態は考えていたよりずっとよかった。どうやら1968年にリバイバル公開したとき
の物らしい。でもそれにしたってきれいだったぞ!)


戦時中の特撮映画だからあまり期待はしていなかったが、
とんでもない!!
すごい名作だった。


内容は「海軍少年飛行兵に志願した一人の少年が数々の厳しい訓練を
乗り越え、一人前のパイロットになりハワイ作戦に参加しパールハーバーを攻撃する。
また一方でこの少年の同郷の海軍飛行隊の青年がハワイ作戦の数日後、
マレー沖で英国海軍の主力艦『プリンス・オブ・ウェールズ』を撃沈し
英国海軍に大打撃を与える」様子を描いたもの。

前半の予科連の厳しいながらも和気あいあいと訓練しており、
何でもかんでも「気合で乗り切れる」と藤田進の教官に教育されるあたりは
戦後の戦争映画を見慣れた人間にとってはやや違和感があるが
戦時中の映画はこんな風に描いていたという資料的価値として
観るべきだろう。


後半の出撃してからは後の「トラ・トラ・トラ」や「連合艦隊司令長官・山本五十六」
においてリメーク(悪く言えばパクリ、あるいは元ネタ)されたシーンも多く、
戦争スペクタクル映画としては充分完成された作品だ。
これには驚いた。
具体的に書くと
「ハワイ出撃前に敵艦の影絵を見せ、敵艦名をあてさせるシーン」
「ハワイのラジオを傍受し状況を探るシーン」
「空母から次々と飛行機が発艦するショット」
「パールハーバーに向かう攻撃隊が山肌に沿って飛行するシーン」
「被弾した日本軍機がアメリカの飛行格納庫の屋根に突っ込むシーン」
などなど、エピソード、演出方法が似通っている。

またマレー沖海戦のシーンでは「ワルキューレの騎行」の曲(あるいは似た曲)
が使用されている。
当時のニュース映画にもよく使われていたそうだがら
この映画でも使われるのは当然だろう。


そして何より特撮ミニチュアのすばらしさ。
今観ても遜色はない。
きっと国策映画として予算はたっぷりあったんだろうなあ。

俳優は他には原節子、木村功(訓練生役、多分)柳谷 寛(マレー海戦組の坊主の飛行兵、多分)
などなど。

とにかく「太平洋戦争映画ファン」ならその後の多くの映画に影響を
与えた偉大な作品ということで必見です!!

(今回、初めて「ラピュタ阿佐ヶ谷」に行ったが小さいながらなかなかきれいで豪華な映画館。
これからもちょくちょくお邪魔したいと思う)

追記・ハワイ奇襲シーンで山肌に沿って攻撃隊が進むシーンは「太平洋の嵐」において
リメークされたとするのが正しい。
「山本五十六」に同様のシーンがあるのは「太平洋の嵐」のフィルムを流用したせい。
今回、初めて「太平洋の嵐」を見てそのことを確認した。追記して訂正させていただきます。


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ハリー・ポッターと賢者の石

(公式HPへ)

日時 2001年12月2日19:40〜
場所 新宿ミラノ座
監督 クリス・コロンバス

期待してたより面白かった。
CGがすごいとか、主人公の3人がいいとかこれからそういった感想はあちこちで
目にするだろう。
(ハリーポッターのダニエル・ラドクリフが可愛い。この子「テイラーオブパナマ」に
出てたんだって?観ているけど全く記憶にない。そして女の子のエマ・ワトソンもきれい)

もちろんそれも確かだが、僕はこの映画に出てくる風俗(ファッションその他)
もこの映画の重要な魅力の一つだと思う。
19世紀末から20世紀はじめのころのイギリスの美しさが実によく出ている。
わかりやすくいえば、シャーロック・ホームズのころのイギリスだ。
木目の重厚な家具、煉瓦造りの壁や家、懐かしくほっとさせる風景だ。
そして主人公達を引き立たせているブレザーにネクタイの制服。
かつての「アナザーカントリー」などにも見られた制服のカッコよさ。
イギリスの伝統に裏打ちされたトラッドファッションだ。

一応物語は現代だ。
しかし、ハリーが学校に入学した時点から風景は100年前のイギリスの
風景に逆戻りしてしまう。

なぜかほっとする風景。
そこには携帯電話やパソコンに代表される、いわゆるデジタル的なものは一切ない。
あるのはアナログ的なお城やファッションだ。
このほっとする風景がたまらない。
実は現代人はデジタル的なものに囲まれ、その便利さを享受していると同時に
そのデジタルさには疲れてもいるのだ。

ピッピッという電子音、キーボード、液晶画面。デジタルという奴は
便利は便利だが、付き合うには案外神経を使って疲れるものなのだ。

そしてこの映画で扱われるのはこれまたアナログの象徴である魔法。
で風景は100年前のイギリスとなればデジタルに疲れた
我々の心を癒してくれるじゃないか。

また主人公の寮カラーが赤であったり、学校行きの列車の色が赤だったり
主人子の味方はみんな暖色系。
(意地悪同級生の寮カラーは緑と寒色系だ)
画面全体も暖色系のセピアっぽい色で囲まれいる。
この画面の温かみがほっとさせる。

同じ11歳の少年が主人公でも「AI」とは全く違う。
「AI」は暗かった。とにかく話が暗かった。
しかし今回は単純明快に「愛と友情と勇気」だ。
安心して楽しむ事ができる。

この「懐かしいアナログ的な風景」はかの「タイタニック」にも共通する。
あの映画の大ヒットにはそういうアナログ的な風景もからんでいると思う。
同じ船でも現在のデジタル装備いっぱいの現代の船が舞台なら
ああはヒットしなかったかも知れない。

この「ハリー・ポッター」はこのアナログ的な画面の暖かさ、
話の明るさからいってもう一度見たくなる人も多いと思う。
「AI」は何度も見たいとは思わなかったが、この「ハリー・ポッター」は
充分リピーターが期待できる。
僕ももう一度みてもいいなと思った(実際はそんな暇はないと思うが)
案外「千と千尋」の記録なんかあっさり抜いてしまうかも知れない。

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