2002年4月

明治侠客伝 三代目襲名
兄弟仁義 逆縁の盃 網走番外地 ロード・オブ・ザ・リング 皇帝のいない八月
緋牡丹博徒 空の大怪獣ラドン 昭和残侠伝・死んでもらいます 極楽島物語
大坂城物語 火を噴く惑星 ブラックホーク・ダウン 大怪獣バラン

明治侠客伝 三代目襲名


日時 2002年4月30日20:00〜
場所 新宿昭和館
監督 加藤泰

昭和館のラストは鶴田浩二である。

明治40年代の大阪の土建業が舞台。
大木実の悪い親分が昔かたぎのヤクザのアラカンの親分を
殺そうとする所から始まる。
この時の刺客が汐路章のとろんとしたヤク中のような表情はなかなか。

結局色々あってアラカンは死に、正業の建材業の番頭的存在でもあった
鶴田浩二が三代目を襲名する。
だが鶴田は看板は襲名するが、正業の建材業の方はアラカンの息子の
津川雅彦に継がせたいと言う。
元うけの建設会社の社長、丹波哲郎も援助を約束し、鶴田は丹波の頼みで
ヤクザの子分(山城新伍ら)を引き連れ、神戸の埠頭工事に向かう。
ところが大木実はついに津川雅彦に重症を負わせ、ゲスト出演で客人の
藤山寛美を殺してしまう。
堪忍袋の緒が切れた鶴田は単身、大木実に殴り込みをかける。

そんな感じだけど前半の見所は大木実の子分、安部徹と鶴田が藤純子の
女郎をめぐっての喧嘩のシーン。
仲裁に入った藤山懐からリボルバーを取り出し、「1発だけ弾込めましょ。
そしてお互いに相手を撃ってみなはれ」というところ。
肝が据わってる鶴田は安部徹に「おまえからだ」と拳銃を渡す。
撃つ安部徹だが1発目は空撃ち、続いて2発3発と撃つがすべてが空。
実は藤山は弾を入れてなかったのだ。
これで安部はカッコつかずに敗退。ゲストの藤山寛美にも鶴田浩二にも
花を持たせる名シーンだった。

あと今日3本見て思ったのは健さんにしても文太兄いにしても丹波にしても
鶴田にしても声がいい。
「かつぜつ(よく聞く言葉だけど漢字がわからない。滑舌?活舌?)がいい」と
言うのとはちがった独特の「鶴田節」「丹波節」といった特徴のあるしゃべり方であり、
言い換えると思わずものまねしたくなるような口調なんだな。
姿形だけでなくこうしたしゃべり方の魅力というのもスターの条件、というのを
あらためて実感した。

これにて昭和館の上映のすべては終了。
もう2度とこのスクリーンに映画が上映される事はない。
場内約200人の観客から大拍手が!
一つの時代の終了でもある。

(昭和館閉館については詳しくはこちら「嗚呼、新宿昭和館」をご参照ください)

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兄弟仁義 逆縁の盃


日時 2002年4月30日18:31〜
場所 新宿昭和館
監督 鈴木則文

北島三郎主演。
お話は、北島三郎の流れ者が母を訪ねて三重県にやってくる。
だがかつては漁村だったが、近年近くに出来た化学工場の
排水のおかげで海は汚染され、魚が捕れない海になってしまっている。
その科学工場に飼われたヤクザが金子信雄。
漁師たちの代表となって化学工場と補償交渉に立つのが大木実扮するよい親分。
金子のもとに客分としてやってきた若山富三郎が大木実を殺す。
大木実組の代貸の菅原文太が代わりに交渉に当たるが、金子信雄たちの
非道なやり方についに我慢の限界が来て、北島三郎と文太は
金子信雄に殴り込みをかける。

昭和初期が舞台だが、公害企業が悪役になっているあたりはめずらしいですね。
作られた頃の時代性が反映していたのだろうか?
金子信雄の女房(三益愛子)が実は北島三郎のおっかさんだが、
(サブちゃんを生んでから金子のもとへ嫁いだので金子とサブちゃんは親子ではない)
色々しがらみがあって三益が親子の名乗りをあげられないところが泣かせ所。
「網走番外地」でもやった「母子の情愛」をもっと湿っぽくベタベタに描いていて
見てるこっちは少し照れくさくなる。

ラストは「昭和残侠伝」の高倉健と池部良ばりにサブちゃんと菅原文太が
金子信雄に殴りこむんだけど、二人並んで歩くとサブちゃん身長が低いから
つりあいが取れないのだよ。
カメラワークで何とかごまかそうとしてたけど、やっぱり貫禄負け。
文太はこの頃は主演ではなかったが、完全にサブちゃんを食っていて
文太の方が数段迫力が上だった。

あと水質試験所の検査官役の遠藤辰雄がコメディリリーフとして
スパイスを効かせていた。

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網走番外地


日時 2002年4月30日16:54〜
場所 新宿昭和館
監督 石井輝男

健さんのシリーズっていくつもあるけど、任侠ものと違った
現代ヤクザ物の代表シリーズ、それがこの「網走番外地」。
健さんの歌う同名主題歌も有名だが、こちらは放送禁止歌と
なっているようだ。

物語は網走の刑務所に高倉健、待田京介、田中邦衛、嵐勘寿郎らが
囚人として送り込まれる。
雑居房には安部徹らが先輩として仕切っている。
2年が経ち、健さんの母は重い病気で命も危ないという妹からの便り。
刑期はあと半年となったが、自分が出所するまで母が持たないの
ではないかと気が気ではない。
そんな中、安部徹たちは脱走を企てる。

こんな感じで話は進み、第一の見所はアラカンが脱走を企てる安部徹たちの
計画を失敗させるところ。
安部徹たちはその腹いせにアラカンを殺そうとするが、
そのアラカンが「一人ぐらい道ずれにしてやるぜ」とすごむんだな。
安部徹は常々、自分は昔あった「8人殺しの鬼寅」の兄貴分だと名乗っているが
実はアラカンがその「8人殺しの鬼寅」だったのだ。
その安部徹たちを土下座させてしまうあたりのアラカンはさすがの貫禄。

次は伐採場に向かうトラックから(二人一組で手錠でつながれているのだが)
飛び降りて逃げる健さんと南原宏治が、(逃げたのは南原宏治で健さんは引っ張られる
形でトラックから下ろされたのだが)丹波哲郎の追っ手から逃れるために
雪の中のトロッコで逃げるシーン。
もう「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」か「女王陛下の007」ばりの
チェイスが展開される。丹波哲郎が猟銃撃ちまくってなかなかの迫力。

ラストは健さんと南原宏治がつながった手錠を線路にまたがせ、機関車で
叩き切ろうとするシーン。ここは元ネタになった映画があるそうだが
私は未見。

「点数稼ぎをしてやがる」と言われてむっとした健さんが
風呂場で突然、阿波踊り(正確に言うと違うのだがそんな感じの踊り)
をするところなど、ちょっと変なシーンもあるけど、それはご愛嬌。

全篇に高倉健の主題歌が流れ、母を思う健さんのこころが涙を誘う。
零下20度の寒さ、という高倉健お得意の雪のイメージの代表作だ。


また東映ヤクザ映画のポリシーは「受けた恩は忘れない」「惚れた女は一人だけ」
「約束はどんなことがあっても守る」だと前に書いたが、もう一つ、
「母への想い」と言うのも上げていいだろう。
今日、このあと見た「兄弟仁義・逆縁の盃」はそれが大きなモチーフになる。

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ロード・オブ・ザ・リング


日時 2002年4月28日18:50〜
場所 新宿ピカデリー1
監督 ピーター・ジャクソン

世間じゃ評判はいいようですが、はっきり言います。
私、この作品ダメでした。
3時間退屈で退屈で、時計ばかり見てました。
「『ハリー・ポッター』よりいい!!」みたいな意見を
よく聞きましたが、私は「ハリー・ポッター」の方が好きですね。

第一、主人公のイライジャ・ウッドがよくない。全然カッコよくない。
目だけぎらぎらとどんぐり眼で、ものすごい首が太い。
「ハリー・ポッター」の美少年、美少女ぶりと比べると断然見劣りする。

そして出てくる敵が、なんか下水口から這い上がってきてくさーい匂いが
ただよってきそうな奴ばっかりだもの。
また画もカラーのトーンを押さえた暗ーいものが多く、明るい大河ロマン
みたいな感じを想像していた(期待した)私にとっては、
その期待は裏切られまくり。

旅に出た9人とも小汚い格好で、ブリティッシュ・トラッドファッションで
彩られた(特にその辺が気に入ってたせいもあるけど)「ハリー・ポッター」と
比べると比較の余地無しだ。

この作品を好きな人からすると「ハリー・ポッター」と比較される事自体、
無意味なことだと思うのはわかってるんだが、ストーリーは
だらだらと長いし、とても生理的にあわなかった。
これからあと2作品公開されるわけだが、観にいくのは足が重いなあ。
とは言っても多分一応見るでしょうけど。

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皇帝のいない八月


日時 2002年4月28日
場所 衛星劇場
監督 山本薩夫


1979年松竹製作のポティカルフィクション。
公開時、高校生だったがもちろんリアルタイムで見ている。
久々に見てみた。

8月のある日、青森でパトカーが機関銃で銃撃されるという事件が発生。
どうやら自衛隊内部でクーデターが計画されてるらしい。
黒幕、大畑剛三(佐分利信)首相(滝沢修)らの政治的駆け引き、
渡瀬恒彦、山崎努らの実行部隊、三国連太郎、高橋悦史の政府制圧側、
神山繁などの新聞記者らの動きをカットバックでつなぎながらの
クーデター計画に翻弄される一夜を描く。

滝沢修、佐分利信、丹波哲郎、三国連太郎、小沢栄太郎、内藤武敏、神山繁、
永井智雄、鈴木瑞穂、岡田英次らの日本の名優たちの豪華共演。
こう書くと特別な大作、と言った感じがするけど、当時は年1本ぐらいは
こういった男性中心の1本立て映画は存在し、特別な作品ではなかった。
特に佐分利信などは、この作品のころは「華麗なる一族」「日本の首領(ドン)三部作」
「日本の黒幕(フィクサー)」といった作品で、「首領(ドン)」的な役ばっか
演じていたので、むしろ「またか!」といった感すらしたものだ。

そういってもこのころの男優陣の豪華共演を見て育ったので、これらの名優たちの
一言一言の台詞回しを聞いてるだけで充分贅沢な気分になれる。

そういったベテランとは別に中堅俳優として渡瀬恒彦らがトレインジャックした
「寝台特急さくら」が並行して描かれるのだが、制圧に向かった岡田英次と、
制圧され政府側の人質となった山崎努とトレインジャックをした渡瀬恒彦
の三人の徳山駅でのシーンは特に秀逸。
山崎努に銃を向け、「殺されたくなければ速やかに投降しろ!」と
クーデターの中止を迫るのだが、山崎と渡瀬はお互いに微笑み合うだけで
了解し合い、渡瀬は自ら山崎を射殺してしまう。
このあたりの演技の呼吸はカッコよかったなあ。

映画全体としては渡瀬の妻役の吉永小百合、その元恋人の山本圭らが湿っぽくて
点数を下げる。山本圭では貧乏臭くていかにも「戦前の共産党」(別に思想的な他意なし。
くれぐれも誤解されなきよう)的なプロレタリア演技でこの映画ではマイナス。
また同じことだが不必要に回想シーンが長く、このあたりが映画全体のテンションを下げる。

ラストのさくら襲撃シーンなどはアクションが全く決まってなくて失敗。
山本薩夫はアクションっぽく撮りたくなかったらしいが、松竹側が
当時ヒットした「カサンドラ・クロス」(今では知る人も少ない映画になったが)
風な列車アクションを作って欲しかったらしく、このあたりの混乱が原因だろう。
だったら山本薩夫ではなく、他の人が監督すればよかったろうに。
また首相官邸のセットはいいが、内閣調査室のコンピューター室のセットは
陳腐だった。
これも松竹のスタッフでは作れないのだろう。
ついでにもう一つ書いておくと高橋悦史のジーンズにアポロキャップ姿は
違和感があった。全篇スーツならもっとかっこよかったのになあ。
付け加えておくと渥美清が寅さん風の乗客としてコメディリリーフで登場。
あとブレイク前の風間杜夫が自衛隊隊員役で出演。

というわけで多少の問題点はありつつも、70年代後半のまだ
「大人の観賞に耐える映画があった時代」の作品の一つとして記録に
値する作品である事は確か。

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緋牡丹博徒


日時 2002年4月25日19:41〜
場所 新宿昭和館
監督 山下耕作

引き続き新宿昭和館閉館記念で東映任侠映画。

藤純子の「緋牡丹博徒」シリーズ第1作。
このあとシリーズとして8作作られた。

時代は明治中ごろ。
緋牡丹のお竜(藤純子)は岩国の賭場で片桐(高倉健)という侠客と知り合う。
彼は父を殺した辻斬りについて何か知ってるらしい。
その賭場での喧嘩が元で知り合った四国道後の親分、熊沢虎吉(若山富三郎)
と知り合い兄弟分の杯をかわす。
また旅に出たお竜だったが、虎吉の知り合いの大阪のお神楽のおたか(清川虹子)
の家に厄介になるようになる。
大阪で片桐と再会し、父を殺した辻斬りはおたかと対立する親分、加倉井(大木実)が
下手人とわかる。
加倉井は片桐の弟分で、片桐は加倉井の「お竜さんにあったら償いは必ずする」の
言葉を信じて黙っていたのだ。
ところが加倉井はわびるどころか辻斬りを片桐のせいにしようとし、
おたかに対する数々の嫌がらせに堪忍袋の緒を切ったお竜、片桐は加倉井に
殴り込みをかける。
かくて父の恨みは晴らされ、お竜はおたかを後見人に矢野一家の正式な二代目を襲名し、
しばらく修業の旅に出る。

こんな感じのお話。

「昭和残侠伝・死んで貰います」で
「東映任侠映画のポリシーは
 『受けた恩は忘れない』 『惚れた男(女)は忘れない』」
と書いたけど、もう一つ書くとすれば「約束は守る」ということも
上げられよう。
こうした人間としてのあるべき姿が描かれているからこそ、東映ヤクザ映画が
愛される理由なのだろうなあ。
高倉健の片桐は弟分の「お竜さんにあったら償いは必ずする」の言葉を信じて
大木実が下手人であることを黙っている約束をし、それが後にあだとなるのが
ストーリーの盛り上げにつながるのだから。

特筆すべきはなんといっても藤純子の美しさだろう。
和服姿の立ち姿もあでやかな藤純子は日本女性の美しさの最高峰といっていい。
あのお方が映画プロデューサー(俊藤浩滋氏)の娘とはにわかに信じがたい。
映画プロデューサーごとき(失礼!)の娘とは思えない美しさ、スター性なのだ。

また高倉健もかっこいいんだなあ。
あらためて観ると着流し、和服姿の健さんは本当に素晴らしく、
アップになったときの画面のしまる感じは他の人では感じられない
何かがある。
日本映画最高のスターだな、とあらためて思う。

脇役では、道後での虎吉と金子信雄の喧嘩の仲裁に行ったお竜のシーンで
「どうしても喧嘩する言ううんやったら、この緋牡丹を2、3発撃ってからに
してくれやす!」と啖呵を切り、「その喧嘩私に任さんかい」といって出てきた
清川虹子が庭の牡丹を2、3発撃ち、「これでおさめんかい」と
金子信雄に言いはなつシーンは決まりすぎて笑った。
もちろん嘲笑ではなく、賞賛の微笑みなのだが。

もう一人、岩国の喧嘩が原因で指を詰め、顔に傷を負った悪役、沼田曜一が迫力。
後半で登場したときは顔に大傷を負っており、凄みがましていて活躍を期待したら
健さんにあっさりやられてしまうのが残念。
あとは待田京介か。

ストーリーはみんな似たような東映ヤクザだが、デティールの細かさを楽しむのが
このシリーズの楽しさなんだな。
昭和館もまもなく閉館。もう一度行こう。



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空の大怪獣ラドン


日時 2002年4月18日20:15〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎

「あれっこの映画ってスタンダードサイズだったんだ」ってのが
最初の感想。
もちろんこの映画も過去に見てるんだけど(最後に見たのは1980年代の前半、
故に20年近く前だ)あんまり面白かった印象がなかった。

この映画は主役のラドンが登場するのに40分ぐらいかかっており、
それまではメガヌロンというトンボの幼虫(といっても体長3m)が登場するのだが
この前半の方が面白かった。
浸水した炭鉱のトンネルの中からあんな巨大ではない、しかし充分に殺傷力を持った
怪物が現れるのは、等身大サイズであるが故に恐い。
後の「エイリアン」みたいなものだ。
このメガヌロンを主役でも一本作れそうだが、これはあくまでプロローグ。

しかし本来面白くなるはずのラドンが登場してからドラマは魅力を失う。
それは前半で活躍した佐原健二が、ラドンの登場に伴い、ドラマ上では途端に
失速するのだ。
ラドン対策会議、みたいなのには平田昭彦の博士、自衛隊の幹部などと一緒に画面
には映っているのだが、発言は全くといっていいほどなし。
ただボケーと座っているのだ。

ここでラドンの第一発見者としてラドンの弱点を思いつくとか、炭鉱技師としての
プロの観点から自分の仕事を利用したラドン対策を講じるとか、「なんかしろよ!」
という感じなのだ。
この辺がドラマとしてものすごく魅力がないのだ。

また特撮面においても襲う都市が博多なのがイマイチ、インパクトに欠ける。
やはり東京、もしくは大阪クラスを空襲していただかないと物足りない。
また自衛隊もめずらしく通常兵器のみで(メーサー砲とかの)新メカが
ないのが少しさびしい。

以上な感じで怪獣物としてはやはり小品のイメージは私には残る。
そして後のゴジラ映画などにもラドンは再登場したが「モスラ」「キングギドラ」ほどの
怪獣スターにならなかったのは、やはり顔が「不細工」だからだろう。

かっこいい空飛ぶ怪獣、といえば「ガメラ」シリーズに登場した
ギャオスに迷わず軍配を上げてしまう。
この辺が東宝初のカラー怪獣映画にもかかわらずもう一つ物足りなさを
感じる惜しい作品なのだ。


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昭和残侠伝・死んでもらいます


日時 2002年4月16日20:00〜
場所 新宿昭和館
監督 マキノ雅弘

新宿昭和館がいよいよ閉館になる。
東映より東宝のほうがお気に入りの僕にとっては
思い入れは浅草東宝よりは落ちるのだが、やはり東映ヤクザ映画を見るには
ここしかない独特の、かつて僕の実家の近所のあった映画館のような、昔ながらの
映画館がなくなるのはさびしい。

で、とりあえず駆けつけてみた。
かかっていたのは高倉健、池部良、藤純子の「昭和残侠伝」だ。

健さんは深川の料亭、喜楽の息子だがぐれててしまい賭場で起こしたけんかが
原因で刑務所行き。
帰ってきて今度はかたぎでやり直そうと新人板前として喜楽に入る。
いろいろあって店の権利書が悪い親分に取られてしまい、それを取り戻しにいった
叔父の親分は殺されてしまう。
池部良の料亭の板長と殴り込みをかけ、悪い親分を討ち取る。

話はそんな感じ。
東映任侠ものは話も似たようなものが多く、一本一本の内容は記憶に
残らないことが多い。
記憶に残るのは高倉健や池部良の男気であり藤純子の一途な愛だ。
別にこの作品に限ったことではないが、東映任侠映画のポリシーは
「受けた恩は忘れない」
「惚れた男(女)は忘れない」
に尽きるのではないか。

藤純子は昔チラッとあった健さんに一目惚れして思いを秘めつづけたまま
その愛を貫こうとする。
学生時代に見たときは気付かなかったが私も人生経験をして
この一途な純愛は美しいと思った。
東映任侠映画が女性にもファンが多いのは、このあたりの
くっついた別れた浮気したの繰り返しの現代の恋愛ものにはない
純愛映画としても充分楽しめる側面があるからなのだろう。

かたぎになろうとするのにヤクザの道に戻そうとする昔の敵、
世話になった人が悪い親分に殺される。
その時には人を殺してはいけないという法律より
「受けた恩は返す」という哲学の方が優先される。
そういった許されざる者に対する自分の「正義」を貫く姿のカッコよさが魅力だ。

なんだか理屈っぽくなった。
そういう理屈は抜きにして、悪い奴のあくどい振る舞いに我慢して我慢して最後に
爆発させる姿は理屈抜きにカッコよいと言っていい。
この辺が東映任侠映画の魅力だろう。
但し僕にはそういった面白さは頭では理解するが、体に響いてくるものは
僕にはない。
むしろ「仁義なき戦い」のような任侠映画のアンチテーゼとして生まれた
実録路線のほうが体に馴染んだ。
多分、あまり好きにはなれないのだろう、任侠ものは。

それにしても池部良はすごいなあ、「妖星ゴラス」に主演した人とは
思えない役柄の違いだな。

昭和館ももうすぐ閉館。
あの独特の雰囲気ももうすぐ味わえなくなるのなら、もう少し今月は
東映任侠映画に付き合ってみようと思う。


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極楽島物語


日時 2002年4月14日18:40〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 佐伯幸三

菊田一夫のミュージカルの映画化。
日本軍の輸送船が米軍の爆撃にあい島に流れ着いた9人の兵隊と島の人々の交流、
島の娘(草笛光子)と衛生兵(佐原健二)の恋愛などを描いたミュージカル喜劇だ。


有島一郎、益田喜頓、三木のり平、エノケン、トニー谷らの出演し、若い森繁が
島一番の踊りの名手ということで日本軍歓迎(島の娘の病気を治したからだが)
の踊りを披露する。
特に前半の輸送船内の慰問会で行われる有島一郎(娑婆にいるときはスリ、偶然にも
戦友の三木のり平がそれを追っていた刑事)が、三木のり平相手に手品を披露する
シーンは面白かった。(こう書くと意味がよくわからないかも知れません、あしからず)

小林信彦氏の著作「日本の喜劇人」の読者の私としてはこれらの喜劇人の大量出演はそれだけでも
楽しいが、だからといって爆笑の連続というわけではない。

若き日の彼らの姿を見ることは出来るけど、(もっともそれで十分なのだが)
特に面白いわけではない。
出演者は同時期に上演されていた舞台版と同じだったらしいが、
当然のことながら映画と舞台のリズムは違うはずなのに
その辺の変換がまったくされておらず、下手な舞台中継を見てるような凡庸な
作品だった。
円谷特撮は最初の輸送船の撃沈シーンと最後の火山噴火シーンぐらいで特に
見所は無し。


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大坂城物語


日時 2002年4月14日16:50〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 稲垣浩
昭和36年作品

秀吉死語の豊臣対徳川の戦いを百姓出身の侍、茂兵衛(三船敏郎)の活躍を
通して描く。

豊臣に協力すると見せかけてポルトガルからの武器を徳川に売りつける
商人から奪った鉄砲を大坂城まで届ける後半の見せ場は
敵陣を知恵を使ってかいくぐるあたりが面白い。

また大坂城の大掛かりなミニチュアワーク、高麗橋の爆破シーン、
最初の大仏開眼式での大仏と周りの合成、ラストの大坂城への
徳川の砲撃など、特撮の見所もあった。

とは言っても「大坂城物語」という大河ドラマ的なでかいタイトルの割には
茂兵衛の活躍というスケールの小さい話で、全体的に小粒な作品な感は
否めない。
あと根本的に三船では貫禄がありすぎて百姓茂兵衛が似合わないのだよ。
きっと「七人の侍」の菊千代のイメージが強いのだろう。

脇役としては古道具屋の上田吉ニ郎が相変わらずの個性で印象に残った。



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火を噴く惑星


日時 2002年4月12日20:00〜
場所 下高井戸シネマ
監督 パーヴェル・クルシャンツェフ

1961年製作のソ連映画。
3隻の宇宙船が金星探検に出かけ、金星到着直前で1隻が
隕石により破壊され、予定が狂った2隻だが、なんとか金星着陸を
果たしそこで数々の冒険をする、といった内容。

こう書くとかなり面白そうだが、そこはソ連映画。
日本の円谷とかアメリカのSF映画とはノリが異なる。

人食い植物、乗組員に襲い掛かる金星の恐竜、プティラノドン風の翼手竜、
火山の溶岩、暴走するロボット、などなど見せ場となるような要素は
たくさんあるが、登場人物もこれらの事件に対してテンションが低いし、
ワンカットが長かったり、どうにもこうにも盛り上がりに欠けるのだ。

この辺がソ連映画!って感じなのだよ。

でもSFマインドもあり、乗組員の一人は「今の金星は地球で言うところの恐竜時代だが
人工と思われる恐竜の彫刻があったりする。ひょっとしたら我々と同じように
異星人がこの星に来ているのではないか?そして地球にも彼らは来ているのでは?」
という仮説を立てる。
仲間からはあまり支持されないが、ラストで異星人の顔を模した彫刻を発見する。
「えっ、画面にはこの異星人は登場しないの?」とじらされたが
最後で水溜りにその異星人が映ってるカットのみの登場。
水に映った姿なのではっきりとしないのだが、そのストレートに写さない
奥ゆかしい演出が気に入った。

なかなか上映の機会もないと思うのでラストまで書いちゃいました。
まだ観てない人、ゴメンナサイ。
円谷作品などとは違って盛り上がりには欠ける作品だけど、
ロボット(これがあまり役に立たない)、ホバークラフト状の水陸両用車など
見所のあるメカ満載なのでその辺だけでも見る価値ありです。



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ブラックホーク・ダウン

日時 2002年4月7日19:10〜
場所 新宿スカラ座
監督 リドリー・スコット


ものすごい迫力だ。2時間20分の上映時間のうち約2時間が戦闘シーン。

これは戦争映画ではない。
戦場映画なのだ。
その迫力はとても文章で表せるものではない。
細かいカットが積み重ねられ、見る者に息つく暇さえ与えない。
「プライべート・ライアン」のノルマンディー上陸シーン、
「地獄の黙示録」のキルゴア中佐のヘリコプターによる攻撃シーンに匹敵する
迫力が(本当に)延々と2時間も続くのだ。
望遠レンズで撮られることの多いカットは常に戦場を覗き見てるような
印象があり、自分もその場にいるような錯覚に陥ってくる。

この映画がソマリア内戦を舞台にしているので、アメリカの軍事行動の是非みたいな
ことを論じる方がいっらっしゃるが、(あながちそれが的外れとも思わないが)僕には戦場
の普遍的な状況を描いたように見えた。
この映画はたまたまソマリア内戦を舞台にしてるけど、ノルマンディーもベトナムも
沖縄も、対ドイツ戦でも同じ事があったんではないか?

「撃たれたから撃った」「仲間が撃たれそうになったから撃ち返した」
この連続だ。そこにはイデオロギーも民主主義も共産主義も正義も
アメリカもソマリアもない。
生きるためでも死ぬためでもない。
「撃たれたから撃った」ただそれだけで戦っていく。
「これが戦場の姿だ」といわんばかりだ。

ラストのまた戦場に向かう兵士のせりふにあるように
「何のために戦うかだって?仲間のためさ」
そのせりふにすべてが集約されてると思う。

また作戦終了後、病院を訪れた司令官が床にこぼれた血を思わずふき取るシーンは
演出の勝利。
早いカットつなぎは編集の勝利。
美しい画、的確に戦場を捉えた画は撮影の勝利。
ジョシュ・ハートネットは「パールハーバー」の汚名を挽回するような好演。

私にとっての今年のベストワンになるかも知れない。



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大怪獣バラン


日時 2002年4月4日20:15〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
昭和33年作品


シベリヤにしかいないはずの蝶が東北の秘境で見つかり、その調査のために
生物学者(伊藤久哉、桐野洋雄)が訪れるが彼らは何物かに殺されてしまう。
その犯人は大怪獣バランだった。そしてバランは東京に向かう・・・という話。

最初のシベリヤ蝶がどんな伏線になのかと期待したら、蝶の話は最初に出ただけで、
後半はまったく忘れ去られてしまう。単に「いないはずの生物が住む地域」という
説明だけで出てきたんですね。

また千田是也の生物学者が登場するがこれがゴジラの山根博士と違って最初から
バラン撃滅に積極的。
「研究資料として何とか生き残せないものか」と悩む姿は無く、
自衛隊に「あそこに照明弾を撃ってください」とか指示を出し、好戦的なんだなあ。
ヒロインが逃げ遅れて悲鳴を上げるとかのシーンもあるのだが、主演が野村浩三と園田あゆみ
と地味なので「ゴジラ」の河内桃子と宝田明に比べるとインパクトに欠ける。

要するに特撮以外のドラマ部分が他の東宝作品に比べ、妙に薄っぺらなのだ。
この辺が作品の質の違いにつながるのだろう。

でも自衛隊のシーンは演習シーンの記録フィルムを流用したのか、なかなかリアルで
また「撃ち方やめ!」などの号令のかけ方が他作品に比べ丁寧で面白かった。
出演は他に土屋義男、(自衛官)平田昭彦(化学者)、田島義文(護衛艦艦長)、
いつものように隅っこにいる科学者役で村上冬樹の常連の面々。
ドラマ部分にもう少し厚みがあって、主演が小泉博、宝田明、池部良クラスだったら
もう少し評価も違った作品になった気がした。


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