2003年1月

銭のとれる男 ダラスの熱い日 マイノリティ・レポート
羅生門 ゴジラ・エビラ・モスラ
南海の大決闘
野獣暁に死す ウエストサイド物語
雄呂血 シベリア超特急3 シベリア超特急2 シベリア超特急(完全版)
ガメラ 大怪獣空中決戦 河内山宗俊 K-19 千と千尋の神隠し

銭のとれる男


日時 2003年1月29日
場所 録画ビデオ(衛星劇場)
監督 村野鐵太郎
製作 昭和41年

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


佐川次郎(田宮二郎)は人気バンドのトランペッタ−であると
同時にカーレーサー。
今日のレースでは宿敵・渋谷(藤巻潤)に負けたが
その夜のナイトクラブの演奏でゴージャスな女、静枝(水谷良重)
に口説かれる。
別の女、陽子(江波杏子)をめぐるいざこざからチンピラに喧嘩を売られ、
右手首の骨にひびが入ってしまう。
そして前からの約束だった渋谷との勝負にも負け、トランペットの
演奏も怪我のためひどくなり、バンドを辞めさせられてしまう。
失意のうちに車を走らせ、浜松のガソリンスタンドで働くようになる。
数ヵ月後、再起を誓った次郎は東京に戻り、再びバンドにレースに
復帰し成功する。


昼間はレーサー、夜はトランペッターという2重スターはすごいなあ。
普通はレーサーかトランペッタ−のどちらかの映画だと思うのだが、
両方やっちゃう滅茶苦茶なゴージャズぶり。
もちろん佐藤慶のピアノのバンマスが似合わないとか、田宮二郎は
トランペットを吹いてないとか、突っ込み所はあるけれど、
ストーリーのご都合主義を突っ込むのは、この場合大人気なく、意味がない。

見所はカーレースシーン。
思ったより迫力があってまあ合格点。
もちろんジョン・フランケンハイマーの「グランプリ」には負けるけど
それでもひどいという事はなかった。
サーキットの遠くを走る車をもっと望遠で迫っていたらもっと迫力が
出たろうと思うと少し悔しい。

でも調べてみたら渡哲也の「嵐を呼ぶ男」も「グランプリ」も同じ昭和41年。
渡哲也版の「嵐を呼ぶ男」にはカーレーサーを目指す弟の藤竜也も登場するから
この映画もその影響を受けての企画だったのかも知れない。

(このページのトップへ)



ダラスの熱い日


日時 2003年1月27日
場所 録画ビデオ(日本テレビ)
監督 デイヴィッド・ミラー
製作 1973年(昭和48年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


1964年のケネディ大統領暗殺を犯人側から描いた作品。

アメリカの中枢にいたであろう4人の男たち(バート・ランカスターら)が
ケネディ暗殺を計画している。
ケネディの人種差別撤廃、共産国との融和政策などに反発するグループだ。
彼らはプロのスナイパーを雇い砂漠で射撃練習を行う。
そして犯人に仕立て上げる男としてリー・オズワルドが選ばれ、
実行までの数ヶ月、オズワルドは親ソ的だったと印象づける行動を彼に似た男に
起こさせる。
当日はニセSPの配置や対応を遅らせるための首都ワシントンの電話封鎖などの
計画も立てられる。
そしてついにその日がやってきた。計画どおりケネディは暗殺され
オズワルドもまた別の男に殺される。


数々の謎を残すケネディ暗殺事件。「JFK」は事件後の謎を追及する検事が
ストーリーの主軸となったが、この映画は犯人側から描き、オズワルドの単独犯
ではなく、反ケネディ派による計画的な犯行、という大胆な仮説の元に
ドラマは進行。

「JFK」でも出てきたオズワルドの位置と弾の侵入方向が違う、などなど
多くの謎に解決がつけられている。
またラストのこの事件の関係者多くが3年以内に死亡し、その確立は「10京分の1」
などといわれるとこの映画の真実味が増してくる。

但し「映画としては」犯人側の思惑通りにすべてとんとん拍子に計画が
進行するのでやや面白みにかける。
また当時のニュースフィルムの流用が多く、その辺がちょっと大作感(派手さ)に
かけたかな?
「この時、FBIが計画を阻止するチャンスはあった」「この偶然がなかったら
犯行は成立しなかった」などのサスペンスなシーンがあればよかったんだけどなあ。
警察もFBIもCIAも全く事件に気づかない様子なので、映画の中では
バカ扱いされてしまっている。
事実はなにかあったかも知れんが、映画自体が大胆な仮説なのでそういう映画的な
盛り上がりを見せるためのエピソードを創作すると返ってウソっぽく
なると判断されたのかも知れない。

その辺のジレンマがやや欠点。
でもこの映画は製作されたのは1973年。ケネディ暗殺から9年しか経っていない。
「オズワルド単独犯」から「複数による計画的暗殺説」が主流の今だが、
製作当時としては、ショッキングな内容だったかも知れない。

出演者はではなんと言ってもバート・ランカスター。
この方は僕の中では「カサンドラ・クロス」「合衆国最後の日」などの
サスペンス映画で中心的な役を演じていたが、今回も計画の
首謀者で、その存在感には圧倒される。

(このページのトップへ)




マイノリティ・レポート


日時 2003年1月26日19:00〜
場所 新宿プラザ
監督 スティーブン・スピルバーグ

(公式HPへ)

2054年、予知能力者の力を利用した犯罪予防システムにより
ワシントンDCではすべての殺人事件は事前に予知され、未然に
防がれていた。
しかし主任刑事ジョン・アンダートン(トム・クルーズ)は
36時間後に自分が見知らぬ男を殺す予知をされているのを知る。
逮捕される前に逃げるアンダートン。
果たして彼は本当に36時間後に殺人を犯すのか?


未来を予知して未来を変えることによって起こるタイムパラドックスの
映画と思っていたら大間違い。SFというよりミステリーなんですね、これ。
だから後半30分になって殺人現場にたどり着いてからの逆転逆転また逆転
の展開は面白い。
(「私は溺死とは言ってない」という最後の部分がちょっと興ざめしたが)

そして最後にたどり着いた真実が、この予防システムを完成させるために
殺人があったという事実。
そしてそれは「銃から身を守るために銃を持つ」「戦争をさせないために
戦争をする」というアメリカ流のやり方に対する強烈なアンチテーゼを
感じた。
スピルバーグが言いたかったのは、そしてそういうアンチテーゼが現在では
まだまだ「マイノリティ・レポート(少数の報告)」だということではないか。

このテーマは僕にとって非常に面白いのだが、そこに至るまでの過程が
長すぎる。
未来の車交通システムで車から車へ飛び移るとか、背中にジェット装置を
背負っての空中アクションとか、探査スパイダーとか、そういうのは
「スターウォーズ(新シリーズの方)」で十分見たので、今回は不要なばかりだ。
また映像はブルー一色に染めてダークな色調にしてあるから、これらのアクションが
映えないのだよ。

むしろテーマの重要性からすると、このあたりのデコレーション的アクションに
あまり時間を割いて欲しくない。
前の「A.I.」の汚名を挽回するために、そしてトム・クルーズ=スピルバーグの
組み合わせだから、興行的な考えからわざとSFXの見せ場を追加したのだろうか?
途中をばっさり切って全体で1時間40分ぐらいにまとまってれば
もっと好きになったかも知れない。

(このページのトップへ)



羅生門


日時 2003年1月23日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 黒澤明
製作 1950年 (昭和25年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


言わずと知れた黒澤明の名作と誉れの高い作品。

戦乱の世の京都の羅生門。大雨の中、雨宿りしている男(志村喬)と
旅の僧(千秋実)。そこへもう一人雨宿りの男(上田吉二郎)がやってくる。
志村喬は「さっぱり訳がわかんねえ」を繰り返す。
上田吉二郎が「一体どうしたんだ?雨宿りの暇つぶしに話してみな」という。
そして志村喬は多襄丸(三船敏郎)という盗賊が侍(森雅之)の妻(京マチ子)
を強姦して殺害した話をしだす。
志村喬は森雅之の死体の発見者で、今検非違使で関係者の証言を聞いてきた
ところだ。だが関係者の話は全員が食い違うのだ。


この作品、観るのは多分20年ぶりぐらいじゃないだろうか?
その当時からいい印象はもっていなかったが、今回「野獣暁に死す」の
こともあり、歳月を経た今、新たな見方ができるかと思って再見してみた。

一言で言うとやっぱり好きではない。
人間不信とそこからの再生、というような黒澤明のいいたいことは解るのだが、
全部セリフで言ってるのだよ。

上田吉二郎は「人間なんてのはてめえに都合のいいことばかりしか言わないもんだ」
「人間なんててめえ勝手なもんよ」を繰り返す。
そんなこと言わなくても映像を見れば解る。

そして最後は志村喬が捨てられた赤ん坊を拾って育てるという。
それに対して千秋実が「私は人間に対する信頼を取り戻せそうだ」とまた
セリフで言う。
そんなこと言わなくても映像を見れば解る。

なんだか児童映画のような説明過多を感じるのだ。
赤ん坊を拾うくだりがとってつけたよう、という批評があるようだが
それ以前に説明過多で押し付けがましく感じてくる。
これが上田吉二郎や千秋実のセリフがなかったら、私にとってはもっと
印象が違ったかも知れない。

出演者では半裸の三船のぎらぎらしたイメージが実にセクシー。
ところが多襄丸の回想シーンと志村喬が見た話に登場する多襄丸の姿が
まるっきり違うのが面白かった。

あと撮影。白黒の映像で差し込む木漏れ日による光のコントラストは
美しかった。

でも今回新たに思ったのは、この映画が製作されたのは1950年(昭和25年)。
太平洋戦争(ヨーロッパからすると第二次世界大戦)終了から5年。
公開時に見た人々は荒廃した羅生門に当時の風景を見たのかも知れない。
そう考えると今見るのと完成当時では受け取り方が違っていたのかも知れないと思う。
その辺がベネチアでグランプリをとった要因の一つかもしれない。

(このページのトップへ)



ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘


日時 2003年1月22日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 福田純
特技監督 円谷英二
製作 1966年(昭和41年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


マグロ漁船が遭難し乗組員達は絶望しされたが、遺族の中には
イタコがあの世にはいないと言ってるから生きてるはずだと言い出す。
乗組員の弟の良太は東京に出て新聞社に訴えるが相手にされない。
そんな時、優勝商品が豪華ヨットのゴーゴー大会のポスターを
見て会場に出かける。
大会には参加できなかったものの、そこで市野(当銀長太郎)
仁田(砂塚秀夫)と知り合い、ヨットを見にヨットハーバーに向かう。
あるヨットに乗り込んだところ、そこには吉村(宝田明)という男がいた。
朝になったらそのヨットは太平洋上にあった。良太が出帆させたのだ。
航海中のある暴風雨の夜、巨大なエビのはさみにヨットは破壊される。
なんとか島にたどり着いた3人だったが、そこは某国の核兵器工場だった!!


ゴジラシリーズ第7作。
最初イタコのシーンから話が始まったのでどうなることかと思ったら、
そういう風に南の島に話を持っていったのですね。
この映画、内容はまるっきり「南洋冒険もの」でゴジラははっきり言ってゲスト扱い。
宝田明が実は金庫破りで、ある金庫を破って警察に追われてる設定。
これが調子よくすいすい金庫を開けるので、なんだか同じ福田純の
「100発100中」のアンドリュー星野を思い出させるはじけっぷり。

肝心のゴジラだが最初は眠った姿で登場し、なかなか起きてくれない。
核兵器工場のあるこの島はインファント島の近くらしく、インファント島から
原住民が奴隷として連れてこられている。
それで残った島の人たちが助けに行ってもらおうと歌を歌ってモスラを起こそうと
するが、これもなかなか起きない。

エビラは海の中でパシャパシャしてるだけだから、あんまり見所ないなあ。
エビから進化したような怪獣、ではなくてただエビのでかいのだから
ゴジラとも戦いようがないのだな。
それでモスラはこの島もいよいよ核爆発でなくなる!って時に
逃げ遅れたインファント島から連れてこられた原住民や吉村たちを助ける時になって
初めて飛び立ってくれる。だからゴジラとの対決も少ししかなく、あっけない。
したがってあんまり活躍もしない。

ゴジラ映画としては不満ばかり残る。
この映画から「怪獣島もの」が始まるからゴジラ映画の一つの転換期ともいえるが。

出演は他に某国の核兵器工場の責任者に田崎潤、アイパッチをした警備隊長に
平田昭彦、インファント島の小美人にペアバンビ、インファント島のの原住民に
沢村いき雄、水野久美など。

あと核兵器を作ってる某国の機関ってのが「赤い竹」という名前。
共産国っぽい名前だなあ。まあ冷戦の最中だからかな。

(このページのトップへ)



野獣暁に死す


日時 2003年1月22日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 トニーノ・チェルヴィ
製作 1968年

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


刑務所の独房で早撃ちの練習を繰り返すビル(モンゴメリー・フォード)。
彼は5年の刑期を終えると、すぐに入獄前に預けていた金を受け取り
その金で拳銃を買い、4人の腕利きのガンマンを集める。
彼の目的はただ一つ、彼の妻を殺し彼に駅馬車強盗の
罪を着せたフェーゴ(仲代達矢)に復讐することだった!

実は最近、事情があって西部劇を意識するようになったんだけど、
仲代達矢が出演しているマカロニウエスタンの存在を知った。
しかも発売されてるDVDのジャケット解説を読むと黒澤映画の
オマージュらしい。
それを知ったら見ないわけにはいかない。
(僕が見たのは英語版。だから仲代達矢も英語の吹き替え。
撮影の時仲代は何語で演じていたのだろう?)

ガンマン集めという「七人の侍」風な設定から、「隠し砦の三悪人」ばりの
馬の追っかけ、「羅生門」を思わせる迷宮の森、そしてついに最後には
“あの映画”の映画史上最高の決闘シーンのリメイクまでやってのけるのだ!
(詳しくは別の稿で書くなので、ここでは詳しく書かない)

どうしてこんな快作が黒澤ファンの間で語られないのだろう?
埋もらせるには惜しい作品だ。

でもラストの対決シーンを撮ったとき、監督のトニーノはどんな気分だったろう。
黒澤明が使った同じ俳優を使って同じシーンを撮る。
黒澤ファンとしてはこんな幸せなあるまい。
「俺って黒澤明〜〜〜〜???」と世界の巨匠になった気分で、
心のそこからこみ上げてくる笑いをこらえるのに必死だったに違いない。

(このページのトップへ)



ウエストサイド物語


日時 2003年1月18日15:00〜
場所 ル・テアトル銀座
監督 ロバート・ワイズ
    ジェームズ・ロビンス
製作 1961年

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


テアトル銀座の「テアトル東京クラシックス」と題する
名作リバイバルシリーズも「2001年宇宙の旅」「ベン・ハー」に
続き3本目。
最近はビデオで映画を見ることが多くなった私だが、やっぱり映画は
映画館で見たい。

NYのマンハッタンの貧民街の不良グループ、ジェット団(白人グループ)
とシャーク団(プエルトリコ系移民グループ)は常に対立を続けていた。
そんな時、ダンスパーティでジェット団の前のリーダー・トニーと
シャーク団のリーダーの妹・マリアはお互いに一目惚れし、恋に落ちる。
だがついに対立は頂点に達し、二つのグループは決闘する。
止めに入ったトニーだったが、シャーク団のリーダーがジェット団の
リーダーを殺したため、トニーもシャーク団のリーダーを殺してしまう。
高飛びしようとするトニーとマリアだったが、シャーク団のメンバーに
殺されてしまった。


いや〜ミュージカルはどうも好きになれなくて。
「雨に歌えば」みたいな明るい映画は好きだけど、この映画、内容的には重い。
「ロミオとジュリエット」の現代版とも言うべき悲劇、だからじゃなくて
対立の元が人種問題なんですよね。
まるっきり「ギャング・オブ・ニューヨーク」と同じ世界があるわけじゃないですか。
歌や踊りのすばらしさをたたえる文章は読んだことありけど、この人種問題に
ついて書いた文章はまだ読んだ事がない。

そういう人種問題って日本人には理解できない部分があると思うし、
この映画も多くの日本人は本当に理解してはいないんじゃないだろうかと思う。
ミュージカル映画としてより、人種問題の対立をミュージカルにしてしまうあたりが
アメリカ映画らしい、懐の深さを感じた。

音楽、ダンスについては・・・あんまり感動はなかったです。
もともとそういうのに興味がない人なので。
蛇足ながらエンドクレジットが落書きだらけのレンガ塀や道路標識をアップにすると
クレジットが記されているというやり方は面白かった。


(このページのトップへ)



雄呂血


日時 2003年1月17日
場所 NHK−BS2
監督 二川分太郎
総指揮 牧野省三
製作 1925年(大正14年)

(詳しいクレジットは日本映画データベースで)


坂東妻三郎主演、サイレント映画の時代劇。

若き剣の達人、治三郎は根は善人だが正直すぎて相手と
喧嘩になってしまうのが欠点。
塾の先生の誕生日祝いの席で、家老の息子の無茶な振る舞いから喧嘩に
なったが、治三郎の方が悪いとされ謹慎を命じられる。
しかし謹慎中に先生や先生の娘のあらぬ噂を立てるの者をたしなめたところ
これも喧嘩になってしまう。
そんなことが重なり、いつしか町の人々からならず者呼ばわりされてしまう。
流浪の人となった治三郎は旅の土地で世話になってる親方の所に
かねてより惚れていた先生の娘が病気の夫とともにやってくる。
だが親方が先生の娘に手をかけようとした時、治三郎の堪忍袋の
緒が切れる。しかしすでにお尋ね者になってる治三郎、
役人達の追手に取り囲まれてしまうのだった。


今まで噂は聞いたことがあったが初めて見たサイレント映画の代表作。
勧善懲悪ではない、本来善人の主人公が誤解によって悪人に
されてしまうストーリー展開は意外だった。
ラストには誤解が解けてハッピーエンド!になると思っていただけに
驚いたなあ。
当時の観客も驚いたことだろう。
今でも充分通用する内容ですね。

ラストの数十人の追手を相手の大立ち回りは見事!
お見事としかいいようがない。


でも今回NHKのテレビ放送で観たんだけど、弁士がしゃべりすぎな
感じがした。
活弁なくても解るよ、といいたい所まで弁士がしゃべるのだ。
あの活弁は当時の原稿を使っているのか?
それとも活弁って弁士が自由にしゃべっていたのかなあ?
この辺のところ、いつかちょっと調べてみたい。

あと直接関係ないですが、坂妻、当然ながら田村兄弟に似てますね。

(このページのトップへ)



シベリア超特急3


日時 2003年1月12日19:30〜
場所 シアター・アップル
監督 水野晴郎


(公式HPへ)


3連休の最終日は「シベリア超特急シリーズ」最新作。
劇場で見るのは今回がはじめて。
山下将軍の部下のワトソン役の佐伯大尉役の西田さんも
駆けつけていて自らグッズ販売も行い、しかも舞台挨拶付き。


2002年、瀬戸内海で客船を借りきり、テレビ局の会長・宮城伝蔵
(宇津井健)の誕生日パーティーがファッションデザイナーの森裕美
(三田佳子)の主催で行われていた。
瀬戸内海クルーズに出航した晩、乗客の一人がナイフで殺される。
犯行時刻は午前3時14分。それだけでなく乗り組み員は一人残らず
消えていた。
乗客で残っていたのは、宮城、森の他は宮城の少年時代からの友人・
沢島軍平(内藤武敏)と宮城の孫娘、森の甥の計4人。
沢島は61年前のシベリア超特急で起こった殺人事件に酷似してるという。
宮城と沢島はそのシベリア超特急に乗り合わせていたのだ。
渋る宮城をよそに沢島は60年前のその事件を語り始める。
太平洋戦争前夜、ヒットラー、スターリンと会談を終えた山下奉文将軍
はシベリア超特急で満州に向かってた。
金がなく無賃乗車した宮城を救ってくれたのは山下将軍だった。
同じ年の宮城と沢島はすぐに打ち解ける。
この列車にはユダヤ系ベルギー人親子やラトビアの彫刻家、謎の中国人
金芳蘭らが乗り込んでいた。
やがて午前3時14分にラトビアの彫刻家が殺される。
犯人は誰か?山下将軍の推理がさえる!!


第2作では列車を降りてホテルに舞台を移していたが今回は再び
列車に戻し、国際色豊かなだけでなく、60年後にまで舞台を移し
スケールのでかい話に仕上がっている。
最近の日本映画にないスケールのでかさだなあ。

オープニングで「山下将軍はスターリンやヒットラーと会談した」
って説明が入るんだけど、これが水野晴郎扮する山下将軍と
実在のヒットラーやスターリンとの合成写真も登場する。
1、2に比べると凝ってるなあ。
これには思わず笑った。

そして今回はシベリア特急だけでなく、瀬戸内の客船にもロケを行い
しかも特急の方も1作目ではおそらく諦めただろう、そして長距離列車もの
ではお決まりの食堂車(展望車)も登場する。
キャストも宇津井健、三田佳子だし、制作費も1作目の倍ぐらい
かかってるのではないか?と思って帰りにロビーにいた佐伯大尉の
西田和昭さんに聞いたら「そんなことないです。宇津井さんや三田さんが
泣いたんじゃないかなあ」との事。
1作目は金のなさが目立つつくりだったが、内情はどうあれ今回は
テレビの2時間サスペンスよりちょっと落ちるぐらいの豪華さには
なってます。

出演者の中では沢島軍平の少年時代役の安藤一平くんがアーガイルセーター
にネクタイを締めて上品なお坊ちゃんでなかなかの美少年ぶり。
これからちょっと気にしてみよう。

観客の反応を見ていたけど、笑いが起きるのは水野晴郎のベタベタな演技と
不必要な説明セリフの部分が多い。
1作目のから感想から書いてるけど、説明的なセリフが多すぎるんだな。
ラストの三田佳子の「毒なんか入ってなかったの」のセリフはいらんよ。
あるから笑いが起きるんだ。なくたって宇津井健が死ななければ解るよ。

その辺のセリフを減らして水野氏も監督に徹すれば、案外いい作品ができる
と思う。設定とか面白いんだしさ。
「戦争はすべての人の人生を狂わせる」「映画とは本来こういう夢のある
作品であるべきなのだ」という水野晴郎の1作目から変わらない主張は
充分共感できるし。

過去の有名な作品の引用(今回は「曇った窓に字を書く〜バルカン超特急」
「汽笛で最後の叫びがかき消される〜望郷」などなど)なんてどの監督も
多かれ少なかれやってることだし、そんなに嘲笑されることでもあるまい。
いや若い観客は引用した部分は解ってないと思うが。


で舞台挨拶の西田さんのお話し。
「シベ超は本来200席ぐらいの劇場でやるのがいいと思ってますので
(シアターアップルは700席)閣下の書き割り(注・下の写真)を座席に
張っておきました。
三田さんと閣下のやり取りはみなさんにお見せしたかったですねえ。
ある時三田さんが『このセリフはちょっと変じゃない?』って言ってきたわけですよ。
そしたら閣下は『三田さん、ヒッチコックを知ってますよね。ある時イングリッド・
バーグマンがセリフのことで質問した時こういったそうです。『イングッド、
たかが映画じゃないか』』そしたら三田さんが台本をバーンと床に投げつけた。
それからはスムーズに撮影が進みましたが」
とどこまで冗談かわからないエピソードを披露。

また「シベ超4」は18日に同じシアター・アップルで舞台劇で上演され、
これは4月にwowowで放送される予定だそうで。
また「シベ超5」はユンピョウ、加藤雅也共演という、かの日活の「落陽」の
続編もかねて作られる予定とか。
ホントかなあ?
しかも「シベ超6」は山下将軍のラブストーリーになる予定だそうで、水野晴郎氏の
映画に対する情熱はとどまるところを知らない様子。

いけいけ「シベリア超特急」!
応援してるぞ!(何度も言うけどマジだよ)


空席を埋めるために席に貼り付けられた閣下こと水野晴郎氏の無数の書き割り。
持ち帰りは禁止です。

西田さんの記念写真。

(このページのトップへ)



シベリア超特急2


日時 2003年1月12日
場所 録画ビデオ(衛星劇場)
監督 水野晴郎

(詳しい内容はキネ旬データベースで)
(公式HPへ)


今は高名になった老人(安井昌二)がインタビューに答えている。
彼が少年時代に働いていたホテルでの殺人事件の思い出を話し出す。
ヒットラー、スターリンとの会談を追えシベリア鉄道で帰る途中の
山下将軍(水野晴郎)は、鉄道がなぜか爆破事故にあい、復旧するまでの
一夜を途中の日本人経営の「菊富士ホテル」で他の一等車の乗客たちと
すごすことになる。
乗客は武器をはじめとして怪しげなものを取り扱うブローカー(長門裕之)
医者(淡島千景)、草笛光子、光本幸子、加茂さくらなどなど。
やがて長門裕之は殺される。
しかし外は嵐のため警察はすぐにはこない。
やむなく山下将軍と部下の佐伯大尉、淡島女医らにより事件の犯人究明が
始まる。しかし関係者の全員にアリバイがあった!
アリバイがはっきりしないのは山下将軍だけ。山下将軍が犯人?!


水野晴郎の通称「シベ超」シリーズ第2弾。
前回より予算が増えたのか出演者は豪華な顔ぶれ。
「1」は俳優らしい人はかたせ梨乃だけだったからなあ。
エキストラも増え、オープニングのロビーのシーンなど
10数名の人が出演している。
大人の女優が数多く出演してるが、多分に低予算にも関わらず
これだけそろえたのはやはり水野氏の人柄だろう。
1作目とか見るとなんかいい人そうだもん。

「私はねえヒッチコックみたいな映画が撮りたいんですよ」
「今回はアガサ・クリスティ風でやりたいんですよ」
「舞台は戦前の満州のホテル。ここでここで起こった殺人事件を描く
 本格ミステリーなんです」
なんて風に内容を説明されれば、昨今の夢のない映画に飽きていて
「昔の映画はよかったわあ。映画会社が撮影所でフル回転で映画を作ってた
 時代が懐かしいわねえ」
なんて日々思ってるベテラン女優陣は二つ返事で引き受けたような気がする。

ネタバレすると今回はクリスティの「オリエント急行殺人事件」と犯人は
大体同じ構成。その後少しアレンジがしてあるけど、メインのどんでん返しは
これだろう。
しかも最後はエルキュール・ポアロよろしく関係者を一同に集めて
謎解きをする、という最近流行らないことをしてくれている。
(さらに『戦艦ポチョムキン』を思わせる階段転がりもある)

しかし、この流行らないことをするというのが「シベリア超特急シリーズ」
のコアだと言っていい。
ヒッチコックやビリーワイルダーなどの巨匠達が作っていた「映画」への
大いなるオマージュであり、最近の殺伐とした映画に対する強烈なアンチテーゼ。
そして登場する女性達はみな夫や息子を戦争や軍隊のせいで亡くしており、
戦争は戦場の兵士だけでなく残された人々も不幸にしてしまう。
これこそが水野晴郎の主張だ。この主張には大いに共感する。


もちろん水野晴郎の大根以下の演技が耐えられないという意見もあろうし
出来た作品はヒッチコックにもアガサ・クリスティにも程遠いけど、
水野氏の映画に対する愛はひしひしと伝わってくる。(マジだよ)


(このページのトップへ)



シベリア超特急(完全版)


日時 2003年1月12日
場所 録画ビデオ(衛星劇場)
監督 水野晴郎

(詳しい内容はキネ旬データベースで)
(公式HPへ)


1944年、ドイツでのヒトラーとの会談を終えた日本陸軍の山下奉文将軍
(水野晴郎)はイルクーツクからシベリア鉄道の一等車に乗り込んだ。
同じ車両にはドイツ軍将校、ソ連軍将校、亡命中のユダヤ人、モンゴル系の
李蘭(かたせ梨乃)、オランダ出身の女優などが乗っている。
他の車両との扉には鍵がかけられ移動することは出来ない。
ソ連軍の将校が行方不明になり、李蘭も他の女性に摩り替わった。
そして車掌、ドイツ将校なども殺され山下将軍にも暗殺の手が!
犯人は誰か?

噂の「シベリア超特急」だ。
水野晴郎が暴走して作っている無茶苦茶な映画、という評判だったが、
案外まともでした。

今回の放送は「シベリア超特急3」公開記念ということで「3」の
宣伝のかねての放送だったので水野晴郎氏の解説付の豪華版。
その中で「あのシーンは『安城家の舞踏会』からいただきまして」
「あのシーンは市川崑の『雪之丞変化』でして」
「あそこはヒッチコックなんですよ」とネタバレをしてくれたが
ストーリーの大元は「バルカン超特急」だろう。
タイトルからしていただいてるもん。

さっき話していた李蘭が途中で別の人間に摩り替わってしまう
展開は完全に「バルカン超特急」だ。
またかつて一つのジャンルだった「長距離列車もの」のセオリー通り
窓をつたってとなりの部屋の渡るとか、屋根の上で悪漢と戦ってる時に
トンネルに入ってしまうとかのシーンが続出。
本当は食堂車も撮りたかったのだろうが、予算の都合で一等車しか
セット作りが許されず断念したものと思われる。

しかし外国人のセリフはすべて英語で(ドイツ人、ソ連人の区別なく)
日本人のセリフには英語スーパーがつくという懲りよう。

殺人事件の陰にはナチやソ連の弾圧された民族の復讐があり
水野氏の反戦への思いが込められている。
冗談で書いてるのでなく真面目にそう思う。
もちろん映画の手法としてはセリフで全部説明したり
下手なところはありますが。

過去の映画もろくに勉強しないで映画を撮ってる最近の若い監督に
比べれば過去の名監督達が作ってきた映画のセオリーにのっとっている。
これって立派なことだと思います。

惜しいのは普通に終ればいいのに、クレジットが出た後で今度は
撮影風景になり現実でもかたせ梨乃が殺される展開。
ここでも実は日本人俳優の一人のおじいさんが反戦主義者で
昔特高に殺された過去をもち、かたせ梨乃がその特高の娘だった、
という理由で復讐のため殺したというもの。

このあたりはややくどいし、動機その他を全部(またまた)長いセリフで
説明しちゃってるのが残念。

水野氏の演技が下手だとか、屋根の上での対決に迫力がないなど
批判はあろうが、それも仕方なかろう。
この企画で脚本をもう少し練り直し、セットもちゃんとしていて
俳優も一流どころがそろっていたりすれば、いい作品が出来たかも知れない。

「映画らしい映画」を作ろうとした意気込みは非常に感じられ
小手先の技術で作る最近の映画に不満を感じていた私には共感できる
映画だ。
こういう映画を作ろうとする水野晴郎を言う人を僕は見直した。

もちろん1本の映画としては成功してるとは言いがたいし、そこを
指摘されたら反論できないが、水野氏の映画にかける愛情はひしひしと
伝わってきます。
僕は好きですね、この映画。


(このページのトップへ)



ガメラ 大怪獣空中決戦

日時 2003年1月11日
場所 レーザーディスク
監督 金子修介
製作 1995年

「ガメラ 大怪獣空中決戦」は名画座に記載しました。


(このページのトップへ)

河内山宗俊


日時 2003年1月5日10:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 山中貞雄

(詳しいクレジットは日本映画データベースで)


白状すると実は山中貞雄作品を見るのは、これが初めてなのだ。
一応オールド日本映画ファンを自認する自分としては
「やはり山中貞雄も見ておかなければな」という気持ちで見た。

面白い面白くない以前に(トーキーなのだが)ノイズがひどくて
セリフが解りづらい。
多分、公開時はスピーカー、アンプの性能も悪かったろうから
ノイズもなかったのではないかと思う。
録音状態の悪い当時のサウンドをいまの高音質可能なアンプ、スピーカーで
聞くからノイズばかりが目立ってしまうのではないか?

そんな感じで聞き取りにくい状態でセリフを聞いてるから、ストーリーも
イマイチ理解できなかった。
「舞台は江戸時代で、お寺の門前通りで原節子が甘酒屋をやっているのだが
その弟が悪い仲間の所為で300両必要になった。仕方なく原節子は身売りを
してお金を工面する。それを知った天下の遊び人、河内山宗俊は一計を
案じ、刀の小柄を盗まれた侍の話をネタに殿様から300両騙し取る」
というような話。

原節子の弟の話と小柄を盗まれた侍の話が並行して出てきて、最後に
つながってくるあたりの筋書きは面白い。
この辺のシナリオの持っていき方は、今だって通用する面白さだ。

ラスト、逃げようとする原節子を追手が追っかける、河内山宗俊が
それを阻止しようとする、という追っかけが長屋の裏の狭い水路で
繰り広げられるのだが、手前から奥に広がる構図の中での
追っかけは画的にもよく出来ている。
キャロル・リードの「第三の男」よりもこっちのほうが早い。

あと加東大介が別の芸名で出演していた。
戦前の作品だから、「南の島に雪が降る」の実話の前の撮影ですね。

シナリオはよく出来てるし、ラストの追っかけも見せ場になってるし、
再映画化しても耐えられそうな気がした。
今までされてないのだろうか?


(このページのトップへ)



K-19

<
日時 2003年1月4日19:00〜
場所 新宿文化シネマ2
監督 キャスリン・ビグロー

(公式HPへ)

米ソ冷戦下の1961年(昭和36年)、軍事的優位にたつために
ソ連名は新型原潜「K−19」を就航させる。
現場ではまだ時期早々の意見もあったが、艦長を交代させてまでも
出発した。乗り組員の安全を第一に考える旧艦長(リーアム・ニーソン)
と違い、新艦長(ハリソン・フォード)は上からの命令第一に考える男だった。
当初の命令とおりミサイル発射実験は成功した。
しかし、放射能漏れ事故が発生する。
果たしてK−19、そして世界の運命は?

ハリソン・フォード主演の潜水艦ものと聞いて期待したが、本音はちょっと
期待はずれ。
というのもやっぱり画的に見せ場がないのですよ。

過去の潜水艦もの(「眼下の敵」「レッド・オクトーバーを追え!」
「U−ボート」)などは敵艦との丁丁発止のやり取り、というのが
見せ場だったが、今回は潜水艦内部の事故、というわけでそういった
やり取りがない。
いやそれ以前に目に見えない放射能というものが敵であるが故に
画面に写らない分、迫力にかけてしまうんだな。
ペットのネズミが死ぬエピソードがちょっと挿入されてるけど、
あのようにもっと視覚に訴える恐怖があると映画としてもっと
盛り上がったのではないか。

黒澤明が「夢」のなかで放射能に色をつけて迫り来る有り様を
表現してたけど、色は無理にしても何らかの形で具体的に
画で見せて欲しい。

また事故修理が溶接だけってのもこれも見せ場に欠ける。
2回目の修理も「溶接のやり直し」だから画的に物足りない。

実話に基づいてるのでそうそう脚色は出来なかったのかも知れないが
ラストは「乗組員を米軍に渡し、艦長と副長が艦に残って自沈する」
というほうがよかったなあ。
映画では乗組員は友軍の潜水艦に救助されたが、「K−19」自体は
どうやって帰ったのだろう?
話にチラッと出てきた貨物船に引かせたのかな?

あとハリソン・フォードは憎まれ役は似合わん。
どうも艦長と副艦長の配役が逆のような気がして。

実話という足かせのために、「映画としては面白みが足りなかった」
というのが本音です。

(このページのトップへ)



千と千尋の神隠し


日時 2003年1月1日
場所 ビデオ
監督 宮崎 駿

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


ある町に引っ越してきた千尋一家。
車で移動中、父が道を間違えてテーマパークの名残のような
所にきてしまった。そこで美味しい料理を目にした
父と母は料理を食べていると、豚にされてしまう。
実はそこは八百万の神が疲れを癒しに来る湯屋だった。
途方にくれた千尋だったが、ハクという少年の助けで
ここで働くことになる。


2001年邦画最高のヒットを飛ばし、歴代の記録を
塗り替えた作品。封切り時、なんとなく見逃していたが
やっとビデオで見た。

前半、千尋が湯屋に迷い込んでいくあたりが妙に怖かった。
子供の頃に読んだり聞いたりした怪談を思わせるような
不安感、恐怖感を思い出させるようだった。
もし、私が子供だったら映画館で怖さのあまり泣き出していたろう。

知らない土地で唯一頼るべき親が豚になってしまった不安、
摩訶不思議な湯屋の6本手の釜爺や奇妙な客たちの不思議、
仕事を始めたものの何をしていいかわからない戸惑い。
そんな心細い中で出会った「千尋の味方だ」と言ってくれた少年、ハク。
また最初は冷たかった同じ湯屋で働くことになったリンが、やがて
やさしい言葉を掛けてくれた時の安堵感。
僕にとってはこの辺の子供心の新しい未知の世界に対する不安感を
描いた前半は良かったが、やがて龍の化身、ハクを助けるあたりの
ヒロインになる後半はやや興ざめ。

前半、怖かった分(ストーリーの展開上、千が活躍しなければならない
のは解るが)後半、千が大活躍するので急にたくましくなってしまい、
何だか違和感が残った。
それに「顔なし」って正体は何?
いや別に正体はなかったのかも知れないが、前半出てきた泥だらけの
神様が実は「名のある川の守り神」だった展開を考えると
最後に正体が明かされることを期待したので、残念だった。
あとせっかく色々な神様が湯屋にきてるのだから、その辺も
(時間掛けなくてもいいから)少し紹介してほしかった。

しかし鮮やかな色使いといい、子供の頃に見た怖かった映画を思い
出させるものがあり、僕にとってはそういう作品だった。


(このページのトップへ)