2003年4月

日本暗殺秘録 ボウリング・フォー・コロンバイン
クレヨンしんちゃん 
嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード
わたしのグランパ 月世界探検 ロード・オブ・ザ・リング
二つの塔
黒の凶器 黒の爆走 夕辺の秘密 ヒュルル・・・1985
黒の挑戦者 夜の牙 青の炎 黒の切り札

日本暗殺秘録


日時 2003年4月29日18:40〜
場所 中野武蔵野ホール
監督 中島貞夫
製作 1969年

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


桜田門外の変以降の日本の暗殺事件をオムニバス風に描いた作品、
と聞いていたが、時間のほとんどが「血盟団事件」に割かれていた。
最初の20分で「桜田門外の変」「大久保利通暗殺事件」「大隈重信暗殺事件」
「星亨暗殺事件」「安田善次郎暗殺事件」「ギロチン社事件」が暗殺シーンだけ描かれる。

それから1時間40分ほど千葉真一が主演で「血盟団事件」に話は移る。
千葉真一は茨城の農家の出身で、東京に奉公に出たが、1件目は主人が強欲で
辞めてしまう。2件目のカステラ工場は小池朝雄の主人がいい人だったが、
官憲のいじめにあって店はつぶれてしまう。
そして田舎に帰って日蓮宗行者井上日召(片岡千恵蔵)に出会い、やがては憂国の士と
なっていく・・・・というのが大筋。

ところが昭和初期という時代設定といい、演じている役者が東映任侠ものと同じような
顔ぶれなので、どうしても任侠映画と同じになってしまう。
貧乏から抜け出せず、そのために病気も治せない千葉真一、そして藤純子扮する
恋人との悲恋な出会いと別れ、そして再会がある。
このあたりの映画の味わいが完全に同じものなのだ。
千恵蔵がいい親分で、最後に殴りこみ(暗殺)に行くのが悪い親分(この場合は官憲、財閥)
といった構図に見えてくる。

いやもともと殴りこみというものがテロリズムと共通するものがあると言っていいかも
知れない。
「任侠道に外れ、自分の私利私欲のためだけに動く悪い奴に抵抗するためには
もはや殺すしかない!」といった構造が基本だった任侠映画だが、この映画に出てくる
テロリストたちは同じ境遇に陥ってる。
60年代の学生運動家たちには東映任侠映画が受けていたという話を聞いたが
「犯罪者のヤクザに何故学生運動家が共鳴するのか?」とイマイチ疑問だったが
やっと解った。
力の無いものが力のある者に対抗する唯一の手段が殴りこみでであり
テロリズムなのだ。

そして最後の20分ほどが「226事件」。
鶴田浩二が決起部隊将校。
その他、「桜田門外の変」で若山富三郎、「安田善次郎暗殺事件」で菅原文太、
「ギロチン社事件」で高橋長英がそれぞれテロリストを演じている。
この中では気が弱わいが真面目そうな高橋長英がその思いつめた表情がよかった。
田宮二郎は「血盟団事件」の片岡千恵蔵の同士の海軍士官。

映画は「226事件」の死刑シーンで終る。
「そして現代。暗殺を超える思想は何か?」という字幕がどーんと出てくる。
この映画に出てきたテロリスト(革命家)たちはみな失敗している。
学生運動が盛んなこの映画の製作時(「あさま山荘事件」より前の映画だ)
にこんなテロリストを美化する映画を作れば、なんだがテロをあおってるように
見えかねない。
そこのところのバランスを整えるためにラストの字幕が登場する。
「テロは無駄だからするんじゃないぞ!」と言ってるようにも見えるが、
実は製作者たちはテロリストの正義と滅びの美学にあこがれていたのかも
知れない。
ラストの一言は学生運動家に言ってるんじゃなく、むしろ自分たちへの
自戒の言葉だったのかも。
そんな風にも見えてきた。

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ボウリング・フォー・コロンバイン


日時 2003年4月27日19:00〜
場所 恵比寿ガーデンシネマ2
監督 マイケル・ムーア

(公式HPへ)


1999年4月、コロラド州の田舎のコロンバイン高校で生徒による
銃の乱射事件があり、生徒、先生13人が死亡した。
この事件をマスコミは大きく取上げ、原因を探ろうとした。
曰く「離婚の増加による家庭の崩壊」「暴力的なアクション映画の悪影響」
「残酷なテレビゲームによるもの」「失業率の高さが貧困を生み、犯罪の温床に
なっている」・・・・
ちょっと待ってくれ。離婚率はイギリスの方が高いし、フランスにだって
アクション映画はある。テレビゲームは日本製が多いし失業率はカナダの方が高い。
でも諸外国に比べ、銃による死者はアメリカは年間11127人、次の
ドイツだって381人だぞ。
何が原因でアメリカはこんなに銃による死者が多いのか?
映画監督マイケル・ムーアはその疑問の答えを見つけるべく片っ端から
インタビューを試みる。


タイトルの「ボウリング・フォー・コロンバイン」のボウリングは
コロンバイン事件の犯人が朝、ボウリングをしていたことから来ている。
犯人たちがアナーキーなロック歌手マリリン・マンソンのファンだった事から
マンソンのコンサートが中止されるなら、ボウリングだって規制すべきだ
という皮肉めいたマイケル・ムーアの主張だ。

実は私もアメリカで銃犯罪が多いのは単純に「銃が簡単に手に入るから」だと
思っていた。しかしカナダの方も銃の所持率は負けないくらい高いとは知らなかった。

インタビューを受けるマリリン・マンソンは言う。
「アメリカはテレビコマーシャルで常に人々の不安をかきたて、それを防ぐためには・・
って商品を売りつけてるんだ」という。「だから人々は常に不安にかきたてられてるんだ」
日本も同じだ。

「アメリカ警察24時」みたいな番組が向こうにもあるようで、その番組で
毎回黒人が犯罪者となって殺人や強盗をする現場を映し出されている。
それにより「黒人は犯罪者の素」みたいな印象を知らず知らずに
アメリカ人は与えられてるらしい。こんな人種差別をあおるような
番組を何故作るのか?
「金融犯罪みたいなのを扱わないのは『画』にならないから」というのが
番組制作者の答え。
日本も同じだなあ。
話はそれるが、今、日本のメディアは北朝鮮のことを必要以上にあおってるしな。
日本のマスコミ、先日韓国大統領の就任の日に北朝鮮が
地対艦ミサイルを発射した時、なんか楽しそうじゃありませんでした?
「北朝鮮!もっとやれ!!そのほうが視聴率が上がるんだ!」という
テレビ製作者の本音が聞こえて来そうな気がしてしまいました。

途中で示される「アメリカの歴史」というアニメ。
それによると「アメリカ人は常に襲われるかも知れない」という恐怖を
抱きつづけ、「襲われる前に襲え!」という意識を持っていると結論づける。

そしてKマートに乗り込み銃の弾販売を止めさせる。
(このシーンが最高に面白かった)
最後には全米ライフル協会会長、チャールトン・ヘストンにインタビューをする。
「アメリカには流血の歴史があるから銃を手放せなくなるんだ。銃を
持っていると安心する」それが彼の本音らしい。
しかし流血の歴史は例えば第二次世界大戦時のドイツ、日本を見ればアメリカ
だけの事じゃない。

映画とは関係ないが「アメリカ人は何でも征服しないと気がすまない国民性を
持っている」という話を聞いたことがある。
それを証明するためのこんな笑い話を聞いたことがある。
「米ソ宇宙開発真っ盛りの頃、無重力空間ではボールペンのインクが下に
下がらなくて字が書けないことがわかった。
ソ連の担当者『ボールペンがダメなら鉛筆使えばいいじゃないか』
アメリカの担当者『無重力でも使えるボールペンを開発しろ!』」


TVCMなどの恐怖と消費の洪水も、人種差別をあおるような番組も
「アメリカには流血の歴史があるから」という理由もすべて
「コロンバイン事件の時ののボウリングと同じ」とムーアは言う。
要は「どれも関連あるだろうが、決め手ではない」ということだ。

チャールトン・ヘストンの自宅に別の銃事件で犠牲になった6歳の女の子の
写真をおくムーアを見て切なくなった。
きっとムーアは自分の生まれた国アメリカが本当に好きなんだな。
好きで好きでたまらないのだ。
そのアメリカから銃犯罪がなくならないのが残念で悔しくて仕方ないに違いない。

アメリカの銃社会を快く思わず、変えていこうとする人々も多い。
しかし、全米ライフル協会をはじめとし、銃の所持を認めつづけようと考える人も多い。
「道路を作ることが公共事業」の日本と同じように、もはや戦争が公共事業と化した
アメリカが(私はそういう側面もあると思っている)戦争を止め、
武器製造を止める事ができる日が来るだろうか。
そんな日が一日も早く訪れる事を願ってやまない。

この映画がアカデミー賞ドキュメンタリー部門でオスカーを受賞した事が
アメリカの銃犯罪を快く思わない人が多くいる証と信じたい。


追記
2003年4月26日朝日新聞夕刊によると、チャールトン・ヘストン氏は
全米ライフル協会の会長を退任するそうだ。
この映画がアカデミー賞を受賞した事と関係があったのだろうか。

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クレヨンしんちゃん 
嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード


日時 2003年4月26日19:40〜
場所 六本木ヴァージンシネマ6
監督 水島努

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朝飯が貧弱だと文句を言ってる朝の野原一家。だがみさこが「夕飯は焼肉」と
張り込んだためにちょっとさびしくなっただけの事。
だがそこへ謎の男がやって来て、助けて欲しいと言う。
次にやってきたのはの堂ヶ島少佐。
この変な男たちから逃げ出した野原一家だが、テレビを観てみると
自分たちが指名手配されている!
事態を解決するために野原一家は敵の本拠地、熱海に乗り込むことにした!


前2作はテーマ性を持った感動作品だったが、今回は監督も代わり、
スピード感あふれるアクション作品。
そのため感動作品を期待していくと少し外される。

追手に追われ途中で3つに分かれる野原一家。
「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」もそうだったが、
バラバラに分かれるから3パターンのストーリーが楽しめ、話がだらけない。

また登場する悪役の堂ヶ島少佐が「地獄の黙示録」のキルゴア中佐がモデルで、
「朝食は味噌汁のかおりだ」とか、ステーキを焼くシーンとか、サーフィン好き
とか、ラストの3機のヘリで(1機はボートを吊るして)去って行くとこまで
完全にロバート・デュパルなのだよ。
これには大笑い。
でも「地獄の黙示録」自体はそれほどでもなくても、やっぱりキルゴア中佐は
映画史に残るキャラクターなのだなあ。

ついでにヘリコプターつながりで、しんちゃんがジェットコースターで
追っかけをするシーンで、「ブラックホーク ダウン」まで登場する
大人向け、映画ファン向けのサービス付。

でも最後にボスが登場してからがなんかだれる。
悪役に魅力がなかったのかも知れない。

でも全体としては面白かったよ。
でも日本人は焼肉好きだなあ、俺もそうだけど。
映画の帰りに焼肉食べたくなった。

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わたしのグランパ


日時 2003年4月20日18:00〜
場所 新宿東映パラス2
監督 東陽一

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中1の女の子、珠子(石原さとみ)の祖父・五代謙三(菅原文太)が帰ってきた。
謙三は13年前、やくざを殺して刑務所に入っていたのだ。
初めは謙三を怖がった珠子だが、街の人々から慕われていて
自分をいじめる同級生を救ってくれた謙三に親しみを
覚え、グランパと呼ぶようになる。
だが、13年前、グランパが殴りこんだやくざの疋田(伊武雅刀)が
グランパを狙っている。
グランパが危ない!

菅原文太、圧倒的な貫禄を持ってグランパを演じる。
この映画の魅力は彼の魅力だけに追おているといっても
過言ではなかろう。
個人的に菅原文太氏のファンなのだが、孫娘に「何にもしないよ」と
柔和な言葉をかけながら、その一瞬後に不良を叩きのめしたり、
電車の中でスカート切り魔を叩きのめす呼吸と迫力はさすが!

文太氏はもともと「仁義なき戦い」でも男の迫力の中に
どこかユーモラスな味を持ち合わせていた。
こういうユーモアを持って硬派を演じられる方はそうはいない。
高倉健ではユーモアが足りないし、松方弘樹では硬派だけになってしまう。
今回はそんな文太氏にぴったりの役だった。

だが敵が伊武雅刀というのが弱い。
かつての安部徹ぐらいの迫力は欲しいものだ。
あと制作費の関係か、孫娘・珠子が誘拐されて廃屋のシーンや最後の
謙三が駆けつけるシーンで、悪役側が数人しかいないというのは
なんともしょぼい。
ここは何十人も敵がいて、初めて迫力が増すというもの。
また葬儀のラストの謙三の葬儀のシーンも人が少ない。
あれほど町の人々から慕われた謙三ならもう少し人が集まってもよかろうに。

あと細かいことだが、珠子が捕まってたシーンの最後の方で、彼女の椅子が
ふわっと浮き上がるのは何故?
浅野忠信が何故射撃の腕がオリンピック級なの?
その辺、細部には疑問の点もあったけど、久々に文太氏のユーモアの混じった
男気を堪能できた。満足。

文太ファン必見の映画!


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月世界探検


日時 2003年4月19日
場所 ビデオ
監督 ネイサン・ジュラン
特撮 レイ・ハリーハウゼン
原作 H.G.ウエルズ
製作 1964年


イギリス、アメリカ、ソ連らによる共同の月探検隊が
ついに月面着陸に成功した!
だが月の表面を探索中に、ユニオンジャックと1899年にここにやってきた
というアーノルドやケイトらが残した文書を発見する。
NASAのメンバーは急遽イギリスにアーノルドたちが実在の
人物かを確認に向かう。
アーノルドは実在していて今は精神病院の患者となっていた。
彼が語った約70年前の月旅行とは?

トップシーンで月に行った米英ソのメンバーらが月で数々の冒険をする!
という内容かと思っていたら、のっけからユニオンジャックが登場して驚く。
結局、アーノルドの回想がお話の中心。
お話しの舞台は1899年、明治32年だがら日清戦争と日露戦争の
間のことですね。
同じくウエルズ原作の「タイム・マシン」と同様ののどかな設定の元
お話しは進行。
アーノルドが昔住んでいた家の隣に風変わりな科学者が住んでいて、
重力を遮断する液体を発明したというのだ。
その液体を例えば椅子に塗ると椅子は重力の影響を受けなくなり宙に浮く。
それを応用して月に行こうというのだ。

映画が製作された1964年ならまだ月に行ってないにしても
宇宙遊泳はぐらいはしていた時代だから、アーノルドたちが
宇宙服代わりに普通の潜水服を使うなどは科学的におかしい
と思えそうだが、そんなことは気にしない。
ここはH.G.ウエルズの世界観に従おう。

で月に行ったらモンスターたちのオンパレードか?と思いきや
昆虫型のシレナイトという身長1mぐらいの原住民が中心で、あとは
巨大イモムシ型の怪物しか出てこない。
もう少し色々でてきて欲しかったなあ。
溶岩の川とか、吸血植物とか火山の爆発とか。
(あっそれならソ連映画の「火を噴く惑星」があるか。
でもあの映画はスピード感にかけるんだよね)

最後は博士の方は月の王様みたいなところに連れてこられて
地球のことを説明する。
「戦争とはなんだ?」みたいな話になって、人々に自分たちの時代を冷静に
見つめさせようとするウエルズの世界観にいたる。
でもこの辺はあんまり突っ込まれずに博士を残してアーノルドたちは
地球に帰る。

で、お話しは現代に戻る。
米英ソのメンバーが観た月世界は?
意外にもシレナイトたちは絶滅していた。
どうやらアーノルドや博士が月に持ち込んだ細菌が原因で死滅したらしい、
でエンド。

博士が風邪を引いていた、という伏線が前半にもう少し強調されてれば
このオチも効いたかも?
数々のモンスターの登場を期待したが思ったほどの活躍はなく、残念だった。


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ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔

日時 2003年4月13日15:05〜
場所 新宿ピカデリー1
監督 ピ−ター・ジャクソン

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1作目を見た感想の最後で続き観るのはしんどいなあ、と
書いたけど、一応観てみる。評判よさそうだから。

前作の最後でばらばらになったフロドたちだが、今回はばらばらのまま
話を続ける。
ばらばらになった分、3つのストーリーが並行して進むので
前作ほどの退屈さは感じない。

またラストの峡谷での大決戦は「またCGかあ」と思いつつも
その群集の多さ、モッブシーンの壮観さに圧倒されてしまう。
そう言った前作よりは僕にとって魅力があったが、あくまで比較のレベルで
根本的に好きになれない。

今回はフロドたちと旅をともにするゴラムの登場。
このキャラクター、気持ち悪くないですか?
全身ガリガリに痩せこけ、裸でしかもドロだらけで顔は狡猾そうな悪人顔。
なんだか何処かの飢餓地帯の栄養失調の子供みたいで痛々しいったら
ありゃしない。
なんだかお化けのこなきジジイみたいだし。
観ていて気持ち悪くなる。

つながるけど登場人物たちが汚い。
いや、着のみ着たままのたびだから小汚くなるのは解るのだが
でも主人公たちにはどこかに清潔感が欲しい。
ひげづらで、ぼさぼさ頭で、汚れきった主人公を応援する気には
なれないのだ。
(その点、ハリー・ポッターはブリティッシュ・トラッドの清潔感が
いいのだ!)

こういうことを気にする私はおかしいのか??
世間の評価の基準と私の評価の基準がずれてる事が多いのは
今回に始まったことではないが、好きになれなくてもよさは
理解したいなあ。


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黒の凶器


日時 2003年4月12日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督 井上昭
製作 昭和39年(1964年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


片柳(田宮二郎)は大日本電機の職工。真面目にこつこつ働きながら
正社員になるのが夢だ。ある日ロッカーにバーのハイボール無料券が入っていた。
彼は仲間と出かけホステスの登川れい子(浜田ゆう子)と知り合う。
彼女は株取引をやっていて大日本電機の新製品の情報が欲しいと言う。
片柳は廃棄物の中からガラス片を探し出し、れい子に渡す。
だが彼女は大日本電機のライバル会社の太陽電機の産業スパイだった。
片柳は会社をくびになり、自分を陥れた産業スパイたちへの復讐を誓う。

ストーリーはこの後、大日本電機の重要書類を太陽電機が奪うが
田宮がそれを奪い返す。
そしてそれを大日本に買い戻させるところが面白い。
大日本側(根上淳など)も「それは何の価値もない書類だから
買い戻す価値がない」と一度は田宮にハッタリをかますのだ。

後半は金子信雄扮する太陽電機の会社の新製品の情報を持ち出そうとして、
金子信雄の息子を誘拐する。実は誘拐したのではなく、田宮が金子の家に
送り込んだ女中と息子が出来てしまい、息子と女中で駆け落ちめいた旅行に
出かけさすのだ。
それを誘拐と思わせて新製品の書類をテレビの送信装置で放送させ、
周波数を指定しそれを大日本側が受信するというもの。
今までの誘拐物では身代金の受け渡しが重要なファクターであるが、
それにも関わらず面白くない事が多かったが、今回はアイデアがよいので
成功したほうだろう。


しかし今回の「黒の凶器」は映像が実におしゃれで見る価値は大きいのだ。。
産業スパイ物としてのストーリー展開より、その美しい映像が印象に残る。
鏡に映った田宮、その鏡を割って放射状に走った亀裂、ぴかぴかに磨かれた
机に写った人物、横からライトを当て人物の陰影を深く捕えたカット、
影を強調したカット、手のアップで人物の感情を表現するカットなどなど
白黒を生かした映像が実にこっていて素晴らしい。
ラストシーンのれい子と握手をして、その手と手が離れていくことで
二人の心も離れていくことを表現したカットは実に印象的。

産業スパイ物に飽きがきたところへこういう日本ではめずらしい、映像の
美しさでみせるスリラーは素晴らしい。
むしろその点で大いに評価されていい作品だと思う。


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黒の爆走


日時 2003年4月12日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督 富本壮吉
製作 昭和39年(1964年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


白バイ警官の津田(田宮二郎)はある日スピード違反の
暴走オートバイを追跡した。だがそのオートバイは公園に逃げ込み
遊んでいた子供を怪我させて逃走してしまう。
津田は結局そのひき逃げ犯を取り逃がしてしまう。
ひき逃げ捜査班に任せておけない津田は自分でも捜査を開始する。

田宮二郎が正義感の強い無鉄砲な白バイ警官役なのだが似合わない。
彼の場合そういう役も決して少なくないのだが、僕のイメージでは
ないのだなあ。
やはり冷徹なエリート役がいちばん似合う。

で話はその後、田宮は恋人(藤由紀子)を連れて日曜日ごとにオートバイ好きが
集まるところに出かけ、バイク仲間にひき逃げ犯がいないかを当たっていくという
捜査方法をとる。
犯人を深追いしすぎたから子供を轢いてしまうような事態になったのではないか?
という点は新聞に少し書かれただけで大したお咎めなし。
今なら大変な事態だろう。
むしろ話はそっちに流れるかと思ったらそんなことはなかった。

やがて矢沢という元オートレーサー崩れと知り会うんだが、この男たちから
大阪までの遠乗りツアーに参加しないかと誘われる。
しかし、そのツアーは盗難バイクを陸送するツアーなのだ。
矢沢の大勢のバイク仲間が何も知らずにバイクを陸送する。
途中で気がついた田宮は矢沢の仲間を締め上げ、矢沢も逮捕する。

途中、田宮が矢沢の信頼を勝ち取るため、埠頭でバイクで時速100キロで走り
停泊してる船の直前でスピンターンをして、どっちが船に近い場所に止まったかを
競うんだけど盛り上がりに欠ける。
カット割とかもう少しうまくやれば盛り上がったと思うのだが。

でもまだ疑ってる矢沢たちが田宮のうちを確認しようと彼のアパートに
送ろうとするんだが、アパートにこられると後で近所の人などから彼が
警官であることがばれてしまう。
そこで彼は運転を変わり、わざとスピード違反をしてパトカーに職質を受け、
態度を悪くして署に連行される、という展開は面白かった。

あと同様に矢沢たちが田宮のアパートを探り出し、彼が偽名で使ってるとなりの部屋
の男を訪ねるシーンも観客にドキッとさせる。
でもとなりの男が機転を利かせて何とかごまかしたあたりもよい。

藤由紀子の恋人の尻にしかれ気味の田宮。後に二人が結婚したことを考えると
関係ないけど面白い。
細かいところでは面白いところもあったが、全体としては凡庸なアクション映画。
テレビの刑事ドラマの1話にありそうなレベルだった。


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夕辺の秘密


日時 2003年4月8日
場所 衛星劇場
監督 橋口亮輔
製作 1989年


高校生の伊藤君(橋口亮輔)は実は同級生の吉田君に恋している。
以前、夏の日に彼にキスしたこともあり、吉田君も伊藤君の
気持ちは知らないではない。
そこへ何にも知らない友達の神原君が伊藤君のことを好きだという
女の子のラブレターを持ってきたが、伊藤君は興味がない。
ある冬の日、吉田君の家に伊藤君や神原君も集まり、酒盛りが
始まる。女の子も晴美もやってくる。
その時、晴美は「伊藤君の好きな人って吉田君でしょう?」と言ってしまう。


何の事はない。「渚のシンドバット」はこの映画の発展的リメイクだったのだ。
伊藤、吉田、神原はキャラクターも全く同じで再登場し、晴美は
さらに役が膨らんで浜崎あゆみが演じる事になる。
吉田君のうちがスナックをやっている事、バイクを譲る話を伊藤君たちに
するところなどほとんど設定は同じ。

で、映画はこの後、伊藤君は「違うよ」などと否定するのだが、吉田君の
着替えを見て伊藤君は少し勃起したりしてしまう。
神原が他の3人にうるさいくらいにチャチャを入れまくり、酔っ払ってた
こともあり、伊藤君は晴美に覆い被さるように倒れこんでしまう。
「何にも出来ないくせに」と晴美になじられる伊藤君。
気まずくなった伊藤君は帰ろうとするが、雨が降りそうだということで
傘を貸そうとする吉田君と「いらない」「持ってけよ」の言い合いになってしまう。
そして伊藤君は意を決して吉田君にキスをする。
シーン変わって別の日の公園。
神原が例の伊藤君にラブレターを持ってきた女の子と会っている。
伊藤君とはあれから一度映画を見に行ったりしたが、やっぱり話が合わず、
今回は付き合うのは辞めるという。


映画はここでおしまい。
オープニングは伊藤君がトイレ掃除をするシーンから始まる。
自分がトイレ掃除をしていたら、実は個室に吉田君がいて、少し嬉しいような
ドギマギするシーンは面白い。
好きな人がトイレという性器を剥き出しにする空間に一緒にいるときの妙な気分は
同性愛でしかありえない。
男女間の異性愛ではトイレが同じになることはありえないのだから。
このシーンも、橋口監督はやはり長まわしでこの伊藤君の微妙な緊張感を
表現している。

続く吉田君のうちのシーン。
このシーンも伊藤、吉田、神原、晴美の4人の会話をまた長まわしで捕らえ、
彼らの演技で微妙な主に伊藤君の心の変化と表現していく。
でもクライマックスたる伊藤君と吉田君のキスシーンは、「渚のシンドバット」の
方がよくなっている。
また「ヒュルル・・・1985」のベッドシーンほどのインパクトには欠ける。

「ヒュルル」は映画全体としてはまとまりが悪かったが、シーンやカットとしては
すごくよい部分もあった。
だが本作では映画としてのまとまり、テーマはよくなってるが、シーン、カットの
インパクトは「ヒュルル」には負けたと思う。

いずれにしても「ヒュルル・・・1985」「夕辺の秘密」の2作品は
後の作品につながる重要な要素を見出す事ができた。
橋口作品研究には見逃せない作品たちだ。
見てよかった。


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ヒュルル・・・1985


日時 2003年4月7日
場所 衛星劇場
監督 橋口亮輔
製作 1986年



「ハッシュ!」の橋口亮輔監督の8mm時代の作品。
8mm映画を見るのは何年ぶりだろう?おそらく17年は見ていない。
この作品、とにかく8mmなので音が悪く、セリフがほとんど聞き取れない。
だからこうしてレビューを書いていても実は危なっかしいのだ。
セリフがほとんど聞き取れなかったりで、意味の解らないシーンも
少なくないのだから。
そんな作品だし、8mm時代の習作など普通は公開したがらないだろうに
今回は衛星劇場にて放送される。
監督にとってはある程度自信があるか、思いいれが強い作品なのだろう。


橋口クンは自主映画を製作する今で言うフリーター。
今日はバイトの面接だったが、面接官に「今まで何やってたの?」と聞かれ
「映画とか撮ってました」と答えると「ふーん、ぶらぶらしてたんだ」と
言われてしまう始末。
新作のため友人の紹介でカメラを担当してくれる女の子に会う。
次に以前映画に出てくれたある女の子に出演交渉に行くが「バイトとか帰省で
忙しいから」とあっさり断られてしまう。
仕方なく彼女の友人の女の子を紹介してもらう。

主役の橋口クンは監督自らの出演だが、1985年にはたくさんいたような
地味な男。当時の私の友人にいてもおかしくないような奴。
この出演交渉をするシーンが5、6分はあるのだが、すべてワンカットの長まわし。
8mm映画を作ったことのある人ならわかると思うが、これは大変なことなのだ。
フジのシングル8なら3分20秒が最長だったから、これは多分コダックの大容量
マガジンを使っての撮影だったのだろう。

技術的なことはさておいて、この出演交渉をして断られるシーンが実に切ない。
いや、この気持ちはやった事のある人間でなきゃわからんと思うが、「来月ならどう?」
「年明けたらどう?」としつこく食い下がるシーンなど涙がでる。
もしリアルタイムで見ていたら私はいたたまれなくなって、上映会を抜け出したく
なったろう。

で、その後15分ぐらい撮影してたりアフレコしてたりするような部分が
15分ぐらい続く。(『〜してたりするような』とはセリフが聞き取れないので
はっきり解らないのだ)


後半の20分はさっきの出演してくれる事になった女の子の部屋に橋口クンがシナリオを
届に行く。
彼女の部屋に上がったのだが彼女と話してるうち、彼女はやがて自分の家庭の不和
について語りだす。
結局、彼女に誘われてベッドインすることになる。
橋口クンは童貞なのかもじもじしてなかなか服を脱がない。

ここで服を脱ぐ時のもじもじした姿が実によい。
「渚のシンドバッド」での岡田義範と草野康太の教室でのキスシーンは
(僕にとっては)映画史上に残る名シーンだが、その原型がここにある。
カットを割るのではなく、長まわしでドキドキしながら、オドオドしながら
初体験しようとする等身大の男の子が、実によく描けているとしか表現の仕様がない
くらいいい。
セーターやシャツを脱ぎ、ジーンズも脱ぎ、ブリーフ(それもダサい)まで
脱いで全裸になって彼女の布団に入る橋口クンは監督の体当たりの名演技!
(冗談ではなく本気で。全裸と言っても局部は写ってないよ。いや
ぼやっと1コマぐらいは写ってるか?)

そしてやっと服を脱ぎ布団に入ったが、うまくいかなかったのか「あ、ゴメン」などと
いってしまう。

この服を脱ぎだすシーンからこの「あ、ゴメン」までが、部屋の明かりを消し、
こたつの布団をめくってそのオレンジ色の光だけが照明になっている。
このボヤッとしたオレンジ色の光だけの暗がりが実によい。
もちろん計算の上での照明プランだろうが、実に効果的。

やがてことが終って明かりがついた後、橋口クンは童貞を捨てた時の妙に
ハイになった気分のせいか、アニメ「科学忍者隊ガッチャマン」の主題歌を
歌いだす。
この主題歌を歌い終わったところで映画はエンド。

性に対してやや臆病な若者と家庭的に不幸な女の子。
後の橋口作品によく見られるモチーフがもうこの作品から出現している。

でも自主制作の8mm映画なのに、あまり写ってないとは言え、ヌードになって
監督とベッドシーンを演じてくれる子がいるというのは驚異的。
商業ベースの作品と違って8mm映画というのは、考えられない制約があるのだ。
学生映画を作ったことのある人にはわかると思うが、これはすごい事なのだ。

この映画が作られた1985年頃、私は何をしていたか?
・・・・うんうん、なるほど。

このころの橋口監督は何を考えていたのだろうか?
ひょっとしたら学生時代の総括として映画製作と性体験をフィルムに焼き付けて
おきたかったのだろうか?
しかし、彼はその後も映画を撮りつづけ、今にいたるのだ。


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黒の挑戦者


日時 2003年4月6日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督 村山三男

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


弁護士の南郷(田宮二郎)は正義感が強く、腕っぷしの強い男。
ある夜、ある女性から事件の依頼を受ける。
待ち合わせ場所の公衆電話にかけつけてみると女性は倒れており
病院に運ぶが死亡した。
どうやら近くのホテルの2階の窓から逃げ出したらしい。
その部屋のベッドには大量の血がついていた。しかし死体はない。
死んだ女のハンドバッグを調べてみると「午前1時の会」なるパーティーの
招待状を持っていた。
南郷はそのパーティーに行ってみる事にする。

南郷弁護士シリーズ第一弾、というのはウソだが、でもなんだかそんな感じなのだ。
「黒シリーズ」唯一のカラー作品だし、企画段階では案外そうだったかも。
完成間近になって(事情は知らんが)「『黒シリーズ』にしちゃえ!」ってことで
無理矢理「黒の〜」ってタイトルになったのかも知れない。
坪内ミキ子の探偵秘書を助手に、山茶花究の警視庁のデカ長とオトボケの
会話をしながら、いろんな事件に立ち向かうというシリーズ物も
可能な感じなのだなあ。

で、話の続きなんだけど、このパーティーというのが仮面をつけて参加する
怪し〜〜〜〜いパーティー。
ピンクや緑や青といった照明のもと、なんだか乱交パーティーでも始まりそうな
エロい雰囲気。
ポルノ版の探偵もの、というまるで夕刊紙の連載小説みたいになってくる。

で始まったパーティーの余興というのが人間競馬。
パンツ一枚の男に下着姿の女がまたがり、その人間馬に1回10万円のBETで
かけるというもの。
いやーそういうのが出てくるとは思ってなかったからびっくりした。

そして次に六本木のクラブ「BBB」(『スリービー』と読む)に何かあると
探りを入れる田宮だが、こちらも仮面をつけての秘密パーティーだ。
で、今度は壁から女の足だけが出てる状態で、足を見て気にいった女性を選び
別室に連れて行くというエロエロパーティー。
勘弁してよ。いや決してそういう映画が嫌いではないのだが、見る側にも心構え
ってのが必要ですから。
すし屋に入ったらステーキが出てきたような気分になった。

結局、黒幕は久保菜穂子なのだが、久保は田宮にほれてしまうという
私立探偵ものの王道をいく展開。
最後は坪内ミキ子が久保菜穂子たちに捕まって、あわやというところを
田宮が駆けつけ、悪人どもを得意の空手でバッタバッタと倒していくという
アクションぶり。

B級エロ探偵映画。一言でいうとそんな感じ。
ちょっと黒シリーズじゃないな。


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夜の牙


日時 2003年4月6日
場所 ビデオ
監督 井上梅次
製作 昭和33年(1958年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


国電のガード下で外科医院を営む杉浦健吉(石原裕次郎)。普段から可愛がっている
弟分のスリの三太(岡田真澄)の願いで自分の戸籍を貸す事にする。
ところが区役所に行ってみると自分は戸籍上は2年前に死んでいた。
死亡診断書などの書類は完全で、提出したのは戦争中に空襲で生き別れになった弟の
忠雄だった。杉浦は自分の死亡診断書を書いた医者(浜村純)を訪ねてみる。
医者はなんとか当時のことを思い出してくれて、その時の
遺体は4人の男が交通事故だといって連れてきた男だという。
4人の男、一人は背が低い神経質そうな男、めがねをかけた体つきのいい男、
髭を生やしたやくざ風の男、そしてもう一人、黒い男だった。
しかもその時、女が気狂いのようにわめいていたという。
杉浦はとりあえず自分の墓がある叔父の故郷の伊豆を訪ねてみる。
そこで美しい女(月岡夢路)を見かける。
弟の忠雄はどうやら叔父の膨大な遺産を独り占めにするために兄の自分を
死んだことにしたらしい。
弟は今どこに?

石原裕次郎の初期のアクション。
オープニングのクレジットタイトルも黒ずくめのトレンチコートにソフト帽を
被った男が夜の町を歩くシーンで始まりムード満点。

「ガード下で外科をいとなむ医者」というハードボイルドな設定のもと、
裕次郎のタフガイ探偵が真実に迫る。
岡田真澄が3枚目のスリで助手役。その恋人(?)の威勢のいい女スリに
浅丘ルリ子。
(実は学生時代にこの作品は観ていて今回は2回目か3回目なのだが
最初見たときはこの女スリが浅丘ルリ子とは気づかなかった。
後のちょっと上品な感じのヒロインとは違い、ちゃきちゃきの江戸っ子風な
女なのだ)

事件を追うに連れて徐々に現れる4人の男たち。
一人登場するごとに「これが神経質の男」「これがメガネの男」とパズルが
完成していく経過を見るようにわくわくする。

そして登場するヒロイン月岡夢路。
彼女は弟の恋人だったらしい。彼女の美しさに徐々に心惹かれていき、
彼女を口説く様は裕次郎ふうなキザのオンパレードなのだが、
そこが日活らしさ。

やがて登場する黒幕の黒い男。
彼の正体は?
実は途中でわかってしまったが、それでも充分面白かった。
海外ミステリーの愛読者だったらしい井上梅次監督の代表作とも
いえるハードボイルドミステリー。

お薦め!


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青の炎


日時 2003年4月5日19:00〜
場所 新宿武蔵野館1
監督 蜷川幸雄

(公式HPはありません)


17歳の高校生・櫛森秀一(二宮和也〜カズナリ)の両親は離婚して
今は母(秋吉久美子)と妹(鈴木杏)と三人暮らし。ところがそこへ
かつて母が再婚してすぐに別れた男(山本寛斎)がやってくる。
酒ばかり飲んで、妹や母に暴力をふるいかねないこの男。
家族を守るためには自分がこの男を殺すしかない。
秀一はそう考え始める。
私設私書箱を用いインターネットで薬物を入手し、彼は犯行を準備する。


ジャニーズのアイドルグループ「嵐」の二宮和也主演。
アイドル映画などと思ってはいけない。
これは「17歳の純粋な狂気」を描いた一種の青春映画だ。

家族を守るという正義感に燃えて義父殺しに走る秀一はかつての山口二矢
(昭和35年の社会党委員長浅沼稲二郎氏の刺殺事件の犯人)を彷彿と
させる。

二宮和也はジャニーズ中でも比較的地味な顔立ちで、僕にとってはあんまり
興味がなかったんだが、今回はその普通の少年っぽさが逆に彼の純粋な
狂気を際立たせている。
やや眉間にしわを寄せた物憂げな表情はどうだろう。
素晴らしい。主演男優賞ものだ。
彼の表情を2時間見てるだけでも飽きない。

また柔和な顔をして彼の犯罪を見抜く刑事・中村梅雀も好演。
それよりも出演シーンはそれほど多くないが、殺される義父役の
山本寛斎の存在感。
既存の俳優では表現できないような迫力があった。

役者陣はよかったのだが、またも気になる画の汚さ。
また車の音などの現実音が大きすぎてセリフが聞き取りにくい箇所があるのが
気になる。
これって意図的?それとも技術レベルが低い?
画の汚さではもちろん秀一の部屋のシーンの「青」のトーンはよいのだが
ロケになると露出があってないような(それも意図的?)カットがあり
どうも気になるのだ。
二宮和也、松浦亜弥の出演でスケジュールが限られており、天候待ちなど
出来なかったのだろうか?
最近の日本映画は意図的なのか技術が低いのかよく解らないのが多くて困る。

しかし二宮和也の存在があってこそ成り立った心理サスペンスの秀作!
映画としての総合点は上出来です。


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黒の切り札


日時 2003年4月5日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督 井上梅次
製作 昭和39年(1964年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


元ヤクザの多田(待田京介)、倒産した林商事の社長の息子・林哲也
(山下洵一郎)はそれぞれ組や父親の会社をつぶされた恨みを抱いていた。
そんな二人に根来恭平〜ネゴロキョウヘイ(田宮二郎)という男が
近づいてきた。
3人に共通する敵・深沢(内田朝雄)に復讐しようと言うのだ。
根来は深沢の配下のヤクザ・郷田の経営するナイトクラブにサックス奏者として
潜入し、郷田に取り入る。
彼らの復讐戦が始まる。

「黒シリーズ」というより完全な井上梅次お得意のアクション映画。
日活アクションの基本ラインを作ったといわれる井上だが
この作品は完全にそのセオリーにのっとっている。

ジャズ、キャバレー、踊り子といった表面のアイテムを始め、母を殺され
父を狂人にさせられた主人公の復讐というプロット。
田宮二郎の登場シーンは最初は声だけで足元だけを映すという、正体を
明かさないで登場するあたりは正統派井上ミステリー。

キャストも今回は(上のストーリーには書かなかったが)田宮と大学で同級生で
今は検事となって深沢を追う男に宇津井健という「黒シリーズ」の主役二人を
もってきた超豪華版。
また今は宇津井の恋人の藤由紀子がかつては田宮の恋人だったという設定も
日活っぽいなあ。

もし同じ脚本を日活だったらこうなるだろう

田宮二郎=石原裕次郎
宇津井健=二谷英明
藤由紀子=浅丘ルリ子
万里昌代=白木万里
内田朝雄=内田朝雄


ラストは山荘に田宮たちは内田朝雄を追い詰めたのだが、逆にとらわれてダイナマイトで
爆破されそうになってしまう。
このダイナマイトの爆破をとめて逃げ出すだけでも充分クライマックスなのに、
さらにロープウエイでふもとに帰ろうとした時に、下の道を車で
内田朝雄が通るのを見つける。

今度はさっき仕掛けられて今は外したダイナマイトを上から内田朝雄の車に投げつける。
それだけでなく、次はロープウエイの別のゴンドラにダイナマイトが仕掛けられ、
それに火のついた導火線が近づいていく。
自分たちの乗ってるゴンドラに仕掛けられてるわけじゃないが、そのダイナマイトが
爆発したらロープが切れて自分たちのゴンドラも落下してしまう。
万事休す、といった時に宇津井健検事の乗ったヘリコプターが駆けつけ
田宮たちを助けるというクライマックスが次々と現れる贅沢な作り。
(実は編集でちょっともたつくので、そこがやや難点なのだが)

また脇の悪役に私が最近お気に入りの守田学の出演も嬉しい。
この方、目つきがちょっと異様で、妙な迫力があるんです。

もはや「黒シリーズ」というより「紅の切り札」とでもいうべき
正統派井上梅次映画。
日活ファンに贈る大映製日活映画。(誉め言葉だよ)




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