2003年12月

事件記者・狙われた十代
事件記者・時限爆弾 ゴジラVSデストロイア ゴジラVSキングギドラ ゴジラVSモスラ
ピーマン80 魔子恐るべし 東京のテキサス人 丹波哲郎の大霊界2
死んだらおどろいた
丹波哲郎の大霊界
死んだらどうなる?
砂の小舟 江戸川乱歩全集
恐怖奇形人間
黄色い風土
徳川いれずみ師
責め地獄
ポルノ時代劇
忘八武士道
座頭市果たし状 秦・始皇帝

事件記者・狙われた十代


日時 2003年12月30日
場所 録画ビデオNHK−BS2
監督 山崎徳次郎
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


青山外苑前の道路では深夜オートバイの賭けレースが草薙幸二郎の
ヤクザの仕切りの下に行われていた。
その中で杉山俊夫の浪人生が轢き逃げをしてしまう。
轢き逃げを起こした事をネタに杉山をゆする草薙。杉山の父は旧陸軍の将校で
南部14年式拳銃をいまだに持っていた。
杉山をゆすりに行った草薙は偶然のその拳銃を見つけ盗み出す。
そしてその拳銃を使って強盗が行われた。

カミナリ族を題材にした1話。
同じ日に見た「時限爆弾」は話を現代に置き換えても出来そうな
話だったが、こっちはちょっと時代性を感じてしまう。
結局、菅ちゃんが若さを利用してカミナリ族に溶け込みレースに
参加し、情報を得て事件を解決させる。

「事件記者」シリーズ特有の集団劇の面白さもやや欠けていて、
面白みに欠ける。
草薙幸二郎の悪役ぶりが日活作品らしさを感じさせる。


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事件記者・時限爆弾


日時 2003年12月30日
場所 録画ビデオ(NHK−BS2)
監督 山崎徳次郎
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはキネ旬データベースで)

女スリが新宿駅である男からシガレットケースをすりとった。
だがそのシガレットケースには「今夜10時爆破せよ」のメモが。
女スリは恐くなって警視庁の顔見知りの刑事に連絡するが、
警察はいたづらだと思って取り合ってくれない。
しかしその夜の10時に埠頭に停泊中のある船が爆破された!

事件記者シリーズ第7弾、新春篇。

正月休みのスキー帰りの菅ちゃん(沢本忠雄)が帰りの列車で
ある女性と知り合うところからはじまる。
その女性は記者の高原駿雄の妹という設定だが本筋の爆破事件とは
関係がない。

女スリと警察と新聞は協力して「シガレットケース売りたし」の3行広告
を新聞に出して犯人をおびき出す。
しかし逆に犯人につかまって監禁されてしまう。
また保険金詐欺の線から爆破事件を追って荷主を洗う事件記者たちも
並行して描かれ、展開はスピーディー。

また女スリが犯人たちに「自分を縄で縛りな」と言って逆に目の前で
すり抜けてしまい「やり方を教えてやる」と言って間抜けな犯人の一人を
逆に縛ってしまうあたりは古典的だがユーモラス。

若きヒーロー記者の菅ちゃん、オトボケの山田吾一、「バッキャロー」が
口癖のデスクの高城淳一、敏腕記者の高原駿雄、ただ座っているだけみたいな
(だけど重要な)大森義夫、そしてぶつぶつ言いながらてきぱきと指示を
出す相沢デスク(永井智雄)などなど見ていて本当に飽きない個性的な面々。
ラストも事件が解決しひさごでくつろいでいる時に事件発生の連絡が。
飛び出す事件記者たち。
お決まりのラストだ。


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ゴジラVSデストロイア


日時 2003年12月30日
場所 レンタルビデオ
監督 大河原孝夫
脚本 大森一樹
製作 平成7年(1995年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ゴジラ親子が住むバース島が消滅した。
原因は火山の爆発らしく、島のウランによりゴジラの身体に異変が
おきている可能性がある。
そんなときに香港に胸部が赤く光るゴジラが出現した。
どうやら体内の炉心の核融合が限界に近づいているらしい。
そんな時酸素を研究していた科学者(辰巳拓郎)は高濃度酸素を発明するが、
テレビでそれを知った山根恵美子(河内桃子)はオキシジェンデストロイヤー
の再来を想起するのだった。
山根博士の孫の(林泰文)はゴジラに関するレポートが認められ国連Gサミットの
オブザーバーに、また姉のテレビキャスターも辰巳拓郎の取材を通して
ゴジラに関わっていく。

平成ゴジラ最終作。
脚本にまたまた大森一樹が加わってゴジラシリーズを混乱させる。

ゴジラの炉心がどうの核融合がどうの、臨界がどうのとさっぱりわからない。
ゴジラって生物なんでしょ??
そこに原発の理屈でこられてもなんだかついていけない。
そしてデストロイア。
こいつも昭和29年のゴジラを倒したオキシジェンデストロイヤーの影響で
古代の無酸素時代の微生物が怪獣化した、というような理屈で進むが
それも意味がよくわからない。

いやもともとオキシジェンデストロイヤー自体、酸素を破壊することが
なぜゴジラを溶解させることが出来るのかよくわからないのだが、
あれはとに角「理屈はともかくそういう機能を持った新兵器なのだ」という
事で納得できた。
ところがもともと理屈になっていない兵器に理屈付けして無酸素時代の微生物が
どうしたこうしたといわれても混乱させられるばかりだ。
オキシジェンデストロイヤと無理やり関連付ける必要などないのではないか??

この辺の話を小難しくするのが大森一樹脚本のすっきりしない点なのだ。

それはさておき新怪獣のデストロイヤ、せっかくの5段階変化をするのだが、
造型がほとんど変わっていないのでただ大きくなっていくだけにしか見えない。
モスラのようにまったく違う形に変化していくなら色々な形が登場し
画的に変化があって面白いのだが、要は大きさが変わるだけのものだから
せっかくの5段階変化、という特徴が生かされず惜しい。

そして封切り時の初見以来の2回目の観賞だったが、スーパーX3、すっかり忘れていた。
冷線砲を装備し、かつてのスーパーX2より強そうだが、意外と印象に残らない。
思うに操縦する黒木特佐(高嶋政宏)が主人公たちとのからみのシーンがなく
ドラマにあまり関わってこないせいか??
せっかくの新兵器なのに残念だなあ。
(ところで黒木特佐、「ゴジラVSビオランテ」の黒木特佐と同一人物か??
「VSビオランテ」では高嶋(弟)が演じていたけどさ)

ラスト、ゴジラが溶解してその後で急に放射能濃度が下がってゴジラが咆哮する。
映画を見たときは何が起こったのかさっぱり解らなかったが資料を読むと
つまりリトルゴジラがゴジラになったということのようですね。

山根博士の孫が登場したりして第1作との関連性を強調していたけど
本作自体が成功したとは思えない。
何回も言うけど平成ゴジラをつまらなくしたのは大森一樹だと思う。


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ゴジラVSキングギドラ


日時 2003年12月30日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 大森一樹
製作 1991年(平成3年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ゴジラがビオランテとの対決で日本海に沈められてから1000日が経った頃、
東京上空に光る物体が飛来した。
その頃、博多には元日本兵で戦争中に南太平洋のラゴス島で恐竜を見た
という老人(上田耕一)が現われた。
話によるとその恐竜はアメリカ軍の上陸を防いでくれ、それで自分は
生きて日本に帰れたのだという。
一方、その光る物体は富士山麓に着陸し、日本政府首脳との会談を申し入れる。
彼らは自分たちを2204年の23世紀からやってきたという。
21世紀に日本はゴジラにより原子力発電所を襲われ、放射能により死の島に
なっている。それを防ぐためにゴジラを抹殺したいという。
同行を求められたのは「1944年のラゴス島の恐竜がゴジラになった」という
本を書こうとしているルポライターの寺沢(豊原功補)、恐竜学者の真崎(佐々木勝彦)
そして超能力者の三枝未希(小高恵美)だった。
未来人のエミー(中川安奈)たちとともに1944年向かう彼ら。
果たして未来人の真の目的は??


大森一樹参加の復活ゴジラシリーズ第2弾。
今回はゴジラ誕生の秘話を挿入させたり、タイムマシンを使って時空を駆け抜けたり
のシリーズ異色作。
はっきり言って賛否分かれるのではないか??

別世界からきた人間が富士山麓に着陸している画は「地球防衛軍」や「怪獣大戦争」を
髣髴とさせ、最初は友好的に見えた彼らも実は裏があったというのが
東宝特撮テイストを満点だ。

しかしタイムパラドックスを持ち出すとゴジラとは別のSF作品を見てる感じがして
違和感がどうしても残る。
同じSFとは言え、別々の映画の脚本を無理矢理一本にまとめたような感じが
してしまうのだ。
何がどうだからとはうまく説明がつかないが、とに角やってはいけないことを
してくれた感じがしてしまう。
超能力とか遺伝子がどうしたとか今までゴジラ映画になかった要素を
ゴジラ映画に持ち込み、新味を出そうとした大森一樹の努力は認めるが
成功にはいたっていない。
このあたりの違和感が僕はこの映画を好きになれないのである。

それとどうもこの頃流行の外国SF映画のテイストも取り入れようとしている。
この辺も気に入らない。
過去に行く時にサイボーグが同行するが、これがなんだか「エイリアン2」に出てきた
サイボーグを想起させる。
考えてみたら過去に行ってゴジラを消そうという話の元ネタは「ターミネーター」では
ないか??
ゴジラにジェームズ・キャメロンは入れて欲しくないなあ。

また1944年のシーンで、アメリカ軍の上陸部隊の司令官(ケント・ギルバート)が
光る物体(タイムマシン)を見た部下に「未来の君の息子に話してやりたまえ、
スピルバーグ少佐」というセリフがある。
スピルバーグを持ち出すセンスがいただけんなあ。
この辺が大森一樹がゴジラ映画の撮る資質まで問いたくなってしまう。
(この後の「ゴジラVSモスラ」でインディ・ジョーンズまで持ち出してしまうのだ)

未来人が日本をキングギドラによって壊滅させようとした理由が「日本は21世紀には
経済的にますます超大国になり、赤字国家の国土まで買い取り22世紀にはアメリカ
中国、ソビエト(この頃はまだロシアではない)を抜く世界で一番の国家になった」
というセリフがある。それを阻止するために未来からやってきたのだが、
この映画の製作当時はまだバブル景気の頃だったのかア。
確かにあの頃は日本の企業がアメリカのビルを買い取ったりしてすごい勢いだった
からなあ。その後日本の経済は混乱に陥り、未だに抜け出せない平成不況に
陥るのだが・・・・・・

かといってこの作品に魅力がないわけではない。
旧日本軍やアメリカ軍との恐竜の対決シーンはなかなか今までにない組み合わせで、
見る価値あり。
但しゴジラ映画であるということを切り離して、単なる映像上の組み合わせの
面白さであり、ゴジラ映画としてはちょっとピントがずれている。

あと出演者では土屋嘉男。
現代では日本の大企業の会長となっているが戦時中はラゴス島守備隊の隊長だった
男を好演。
特に後半のゴジラ新宿上陸でゴジラとなった恐竜と再会するシーンは見せ場に
なっており、ご本人も「ゴジラと心を通わせたのは自分だけ」といたく
お気に入りのようだった。

他に防衛庁長官みたいな役で佐原健二、航空自衛隊の幹部で黒部進、ゴジラセンターの
職員で風見しんご。

やっぱり平成ゴジラをつまらなくした犯人は大森一樹なのだろうなあ。


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ゴジラVSモスラ


日時 2003年12月28日 
場所 レンタルビデオ
監督 大河原孝夫
脚本 大森一樹
製作 平成4年(1992年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


トレジャーハンターの藤戸(別所哲也)は元妻の手塚雅子(小林聡美)、丸友開発の
安東と共に日本の環境計画局の依頼でインファント島に向かう。
丸友が開発中のこの島で森林伐採による洪水が起きた事を調査しに行くためだ。
そこには巨大な卵(モスラの卵)があり、小美人(コスモス)も登場する。
丸友の社長(大竹まこと)の命令でモスラの卵は日本にもって帰ることに。
一方日本ではモスラと同時代の古代文明が生み出した怪獣・バトラが日本海から
上陸し名古屋を襲い地中へと消えていった。
モスラの卵を輸送中の洋上でゴジラが出現。そこへバトラも現われた。
モスラの卵は孵化し、幼虫が海に逃げる。
ゴジラとバトラの激闘は続く。
丸友の社長に監禁されたコスモスを救うためにモスラの幼虫は東京上陸。
やがてゴジラも登場し、横浜みなとみらい地区でゴジラ・モスラ・バトラの
決戦が始まった!


大森一樹が関わったゴジラシリーズでは一番まともな作品かも知れない。
テイストは昭和ゴジラシリーズにもっとも近く、妙な小理屈やタイムパラドックスを
持ち込んでいないだけ好感が持てる。
ストーリーの大筋は昭和36年の「モスラ」(第1作)「モスラ対ゴジラ」をミックス
させた感じ。

悪役の大竹まことが好演していて「モスラ」のネルソンに匹敵する悪役振りを発揮している。
但し出演シーンが少ないのが残念。
また卵を持ち帰ろうとして作ったいかだや、船が危険になっていかだを切り離そうとする
シーンは「キングコング対ゴジラ」のリメイクとも言え、楽しい。

しかし別所哲也のトレジャーハンターっていう設定が気に入らない。
はっきりいうけど当時大ヒットを飛ばしていた「インディ・ジョーンズ」の
パロディというか猿真似だ。
扮装はそっくりだし、登場シーンの仏像を盗むところ、そしてインファント島での
つり橋が落ちるシーンなどは「インディ・ジョーンズ」のままだ。
(映画の設定上、別所哲也の役が「トレジャーハンター」である必要はない)

「ゴジラ」というのは世界中にファンがいて、世界の怪獣映画に影響を与えたような
日本屈指の名シリーズなのだ。
それが他の流行の映画真似などはしてもらいたくない!!
スピルバークのような小僧と「ゴジラ」は格が違うのだ。
「ゴジラ」映画においては他の映画のオマージュ、リメイクをしていいのは
他のゴジラ映画、他の「東宝」特撮映画だけである。

また妻との復縁を望む別所哲也がお金ほしさに「コスモス」を他の国に売ろうとする
シーンがある。主人公にこういう悪役まがいの設定をさせるのはよくないと思う。
主人公の性格は(ゴジラ映画では)あくまでまっすぐであってほしい。
もっとも小林聡美との復縁話など、この映画では不要以外の何物でもないが。

そして最後の決戦になるにつれ、主人公たちはただ見てるだけになる。
ここは主人公たちの何らかの活躍が、モスラを助けることになるなどの
設定が欲しい。

またゴジラとバトラとモスラが最初に出会う洋上のシーン。
最初、ゴジラは上半身を海から出してモスラの卵を襲っていたが、その後バトラとの
対決は海中深く潜っている。
ってことはそれなりに水深がある海なのか??
ってことはゴジラがモスラの卵を襲った時は立ち泳ぎしていた事になるのかな??

さらに細かいことだがインファント島には他の住民はいないのか??
つり橋があるくらいだから小美人だけでなく、通常の人間も住んでいると思うのだが、
死滅してしまったのだろうか???


いろいろ難点を挙げたけど、モスラが東京上陸を果たしてからの特撮シーンはよい。
特に国会議事堂に繭をつくり、そこから脱皮するシーンは実に美しかった。
その後に続くみなとみらい地区での大決戦も、夜の観覧車の明かりが画面に
彩りを加え、記憶に値する。

出演は自衛隊の幹部で黒部進、環境計画局長官に宝田明、科学者役で篠田三郎。
音楽は伊福部昭。


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ピーマン80


日時 2003年12月27日26:50〜
場所 浅草東宝
監督 居作昌果
製作 1979年

(詳しくはキネ旬データベースで)


この映画の公開の頃はすでに日本映画ファンだったが、この作品は馬鹿馬鹿しくて
見る気になれなかった。
TBS「8時だよ!全員集合」のプロデューサー居作昌果を使って映画を作っては
どうかという企画。
企画がTBS、東宝どちらから持ち上がったのか解らないけど、「テレビであれだけ
ヒット番組を手がけたのだから、その才能で映画を作ったらきっとヒットするだろう」
という猿でも考えそうな安易な思いつきでスタートしたとしか思えない。
スタッフも東宝関係の映画スタッフではなく、「8時だよ!全員集合」のスタッフを
使ったらしい。
しかもVTRで撮影し、それをフィルムにして公開するというやり方。
(だから滅茶苦茶、画が汚い。ブラウン管の走査線が写ってるような画だ)

長谷川和彦の「太陽を盗んだ男」の前の番組だったが全くヒットしなかった。
一言で言ってバラエティ番組のコントつくりのノリで映画を作っても
さっぱり面白くないのだ。

テレビのバラエティ番組らしいCMネタのギャグ「吉野家の牛丼のCMで『牛丼一筋
80年〜〜〜』のCMソングはよく年になっても何故81年にならないか」とか
「ナボナはお菓子のホームラン王です」と吉野家の「わーい明日もホームランだ!」を
組み合わせたネタもあったがさっぱり笑えない。
これは時代が変わってこのCMは今のCMではないなどという時間の問題ではなく、
79年当時に見てもさっぱり面白くなかったと思う。

また伊東四朗が谷隼人と新井康弘を尾行する場面などに登場するギャグは
完全に「8時だよ!全員集合」などに登場するコントにありそうなネタだった。
これがさっぱり面白くない。
演じているのがドリフターズではなく、谷隼人と新井康弘だからではあるまい。
根本的に映画とテレビでは笑いの質が違うのだ。

バラエティと映画の喜劇は笑いの取り方が全く異なるのだ。
どう異なるかといわれても実はうまく説明できない。
チャップリンの映画を見ていると後のドリフターズにコントとしてリメイクされた
ようなシーンに出っくわす。
でもチャップリンは笑えるのだ。
ところがこの「ピーマン80」は笑えない。

「映画は金を払ってみる。テレビのバラエティはタダだから観客の求めるレベルが
違う」と言うのも答えの一つだろう。
しかし私の場合、「1800円のロードショー料金なら腹が立つが500円の名画座
料金ならこの程度の出来でも許す」という気分にはならない。
そういうことではなく、暗闇の中で見るか、明るい部屋で見るかで人間の集中力に
差が出るせいだろうか?
暗闇のスクリーンで見ると人間の全神経を使って映画を見る。
しかしテレビのバラエティは往々にして「ながら見」が多い。
だからか?
ではテレビのバラエティ番組を真っ暗な部屋で見たら笑えないか?
いやたぶん笑えると思う。

はてはて答えはさっぱりわからない。
しかし一つだけはっきりしてることがある。

「テレビのバラエティ番組のセンスで映画を作っても映画は成功しない」

という事だ。
理由まではよく解らないのだが。
それを証明したような映画。

ゲスト出演したのは内山田洋とクールファイブの面々と「クイズダービー」で人気の
あった回答者の篠沢秀夫(クレジットは「篠沢教授」と出る)。
ヒロインには当時「君の瞳は10000ボルト」のCMソングでも有名になった
真行寺君枝。この方、結局女優としては成功せずに終ったように思う。

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魔子恐るべし


日時 2003年12月27日22:10〜
場所 浅草東宝
監督 鈴木英夫
製作 昭和29年(1954年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


信州八ヶ岳から野生児ような女の子・魔子(根岸明美)は中央線で東京にやってくる。
八ヶ岳で知り合った東京在住の画家・福田に会うためだ。
女の子を騙して売春婦にさせるチンピラ・ノミ健(藤木悠)に車中でその野性的な
体つきに目をつけられる。
危ういところを山村(森繁久弥)に助けられるが、実は山村もノミ健と
同じ穴のムジナ。
そしてストリップの演出家・丸目(加東大介)にも目をつけられる。
しかしお目付け役として一緒に八ヶ岳から出てきた茂助(藤原釜足)に
助けられながらも福田に会いたい思いは変わらない魔子。
果たして福田とは出会えるのか??


鈴木英夫・東宝移籍第1回作品。
喜劇だかなんだかよく解らない。まあ喜劇なんだろうけどさ。
「ブッシュマン」とか「クロコダイルダンディー」みたいな「未開の地の人間が
大都会に出てきてチグハグなことをするコメディ」という言い方が一番説明しやすい。
魔子はどこの方言だかわからないような不思議なしゃべり方をする。
当時の信州八ヶ岳はそんなに田舎だったのだろうか??
でもテレビも無いし、情報はホントになかったろうなあ。

そんな中で一番のわらい所は(というかインパクトのあったところ)は
レスリング場のシーン。
魔子と茂助がある建物の屋根にいると下から人の騒々しい声がする。
その中に「福田〜〜、福田〜〜〜」という声がするので、魔子は下に
降りて建物に入ってみるとレスリングの試合中。
負けそうになってる選手が福田だ。
魔子はてっきり自分の探してる福田が張り倒されてると思い、
リングに上がって加勢する、という所。
「助けなきゃ」という魔子に「これだけ大勢の人がいて助けないんだから
それなりの理由があるにちげえねえ。魔子さま、止めたほうがええ」と茂助が
止めるにも関わらず、参戦する。
客には受けたが、主催者側から営業妨害で訴えられ警察へ。
いくら何でもそれは無いだろう。

主演の根岸明美は目のクリっとした活発な感じ。
お嬢様風の女優ではなく、たくましさも兼ね備えたような不思議な子だ。
主演作は余りないようだが、彼女のようなタイプが受けるには時代が早かったのかも
知れない。
今見てもバイタリティあふれる感じが魅力的なのだなあ。

あとは森繁久弥。オカマっぽいしゃべりで最初は魔子を売り飛ばそうとしながら
やがて彼女を助けるようになる男で出演。
この作品では特に面白くない。

鈴木英夫の演出としては森繁が魔子を連れ込み旅館に隠したのが親分に
ばれて、藤木悠たちが乗り込んでくるシーン。
森繁が奥の部屋に隠れてる魔子を見つからないようにして藤木悠たちを
追い返そうとするシーンは、後の鈴木英夫らしい静かなサスペンスを
思わせるシーンだった。
ただしそれほどのものでもありませんが。

(この後「幻の湖」の上映。嫌いなので寝た)

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東京のテキサス人


日時 2003年12月27日21:00〜
場所 浅草東宝
監督 小田基義
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)

上映時間1時間のSP。
この映画、見所は最初の10ぐらい。
いきなり西部劇の「インディアン(映画製作当時の言い方)に襲われる白人」
のシーンから映画は始まる。E・H・エリックの白人がインディアンにつかまって
かまゆでにされるが一向に死なない。
「コイツは悪魔の子だ。殺すのは止めよう」という事になるが行くところが無い。
それで「ここへでも行け!」と芸者の絵の描いた日本の紹介のパンフレットを
渡される。
出かける前にインディアンの子供から飲むと怪力が出る薬を貰う。
日本へは飛行機や船に乗る金も無いので、仕方なく手製のいかだで日本へ。

「時代設定は西部劇の年代かア」と思ってはいけない。
ついた日本は(製作当時の)現代。
一体、どういう時代設定なのだ??
昭和32年の日本人は「今でもアメリカのテキサスではインディアンと白人が
撃ちあっている」と思っていたのだろうか??
それともギャグ??
多分後者だとは思うけど日活の「俺の故郷は大西部」を越える設定には驚いた。

で日本の下町では漫才出身の南道郎がへっぽこボクサーとして登場。
八百長試合にも負け、ボクシングクラブをクビに。
このボクシングクラブの会長は高利貸しをやって庶民を泣かせるわ、
八百長賭博試合をするわの悪い奴。

日本にやってきたE・H・エリックをボクサーに仕立てて南道郎は一旗あげようとする。
インディアンから貰った薬のおかげでE・H・エリックは連戦連勝。
悪いクラブ会長の所のボクサーとついに対戦することになったが、
インディアンのクスリは会長に盗られてしまって・・・・・

こんな感じで話は進む。
一言で言えばどうって事の無い喜劇。
最後はE・H・エリックが勝つんだけど、やっぱり最初のぶっ飛んだ時代設定には
笑ったなあ。それを超えるナンセンスは出てこなかった。
南道郎はやたらと「〜的」を使う。(「具体的に」とか「根本的に」とか)
彼のネタだったのだろうか?
僕の持ってる資料ではよく解らないんですが。


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丹波哲郎の大霊界2・死んだらおどろいた


日時 2003年12月13日26:50〜
場所 自由ヶ丘武蔵野館
総監督 丹波哲郎 
製作 1990年(平成2年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


前作、「大霊界・死んだらどうなる」のヒットを受けて製作されたのがこれ。
第2作、と言っても話としてはつながっているわけではなく、霊界の話を
形を変えて行った映画。だから結局は内容は同じになる。

妻殺しの無実の罪で死刑になった丹波哲郎、ところが自分は死んだ自覚が無く、
魂は霊界へ行かずにこちらの世界をさまよいはじめる。
そこには戦争で死にきれなかったものたちや交通事故で死んだものたちの
霊がさまよっていた。
自分の家へ帰った丹波哲郎だが、やがてお迎えが来てあの世に向かう。
そこで自分の妻を殺したのは、弁護士(高橋幸治)だと知らされる。
「知ってるんなら何故自分を死刑にしたんですか?」と問うと女神(ジュディ・オング)
は「前世であなたが弁護士の妻を殺したからです」と教えられる。
(ここで時代劇の回想シーンになり、ちょんまげの丹波氏がある人妻を殺してしまう)
霊界の世界では自分は好きな歳に戻れる、というわけで今度は自分の若い頃の姿として
丹波義隆(またまた!)に姿が変わる。
若返った妻と再会し、丹波は人間界に戻って高橋幸治弁護士に妻殺しのことは
許すという事を伝えようとする。
が、すでに死んでしまった丹波の姿は高橋幸治に見えるわけも無く、逆に不可解な
現象に高橋弁護士はかえって罪の意識を強くしてしまい、自殺してしまう。
「自殺は許されない行為」というのが霊界の考え方。
地獄に送られた高橋弁護士を丹波は救おうと地獄へと向かう。

こういう内容。
霊界の様子が1作目と少し違うのだが、まああんまり深く考えるのはよそう。
きっと定説みたいなものは無く、「多分こんな感じかな?」と想像も入ってるのだろう。
それに洋の東西、宗教によっても少しづつ違うようだし、実際のところは
まだ解明されていないのだろう。(って当たり前かな)

1作目と違ってキャストはゲスト出演者が多く、顔見世的に多くのタレントが出演。
稲川順二、タモリ、明石家さんま、ケーシー高峰、山瀬まみ、せんだみつお、
ダンプ松本、竹中直人、野際陽子などなど。
このあたりがゲストとして少しづつ顔を出すから、おのずと話はバラエティ番組の
コントのようになってしまい、真面目さは薄くみえる。
(タモリは裁判長だし、ケーシー高峰やせんだみつおは地獄の住人だし)

自殺は許されない行為、というのは前作と共通した考え。
そして「現世は魂の修業の場」と言うのが2作を通じた考え方であり、
この世を正しく生きたものが、あの世でもよい世界にいける、
つまり死後の世界の話をしながら、実は「今をどう生きるか?」がテーマ。

丹波氏の、実は真面目な性格が感じられる映画。
説教臭さをなくすためにタレントを大挙ゲスト出演させたのはわからないでも
無いが、かえって不真面目さが増した。
第1作目の方が僕は好きだな。

今日の上映は丹波氏のトークショー付だったが、丹波氏としては2作目のこちらの
作品のほうがお好きだそうだ。


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丹波哲郎の大霊界・死んだらどうなる


日時 2003年12月13日25:05〜
場所 自由ヶ丘武蔵野館
総監督 丹波哲郎 
製作 1989年(平成元年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


70年代に大型映画の常連として活躍し、大物の貫禄を身に付けた丹波哲郎だが
80年代に入って突如として(僕には唐突だった)「霊界の宣伝マン」を自称し始め
テレビのバラエティ番組などで霊界話をし始めた。
だから世代によっては丹波哲郎というと「霊界話」を思い浮かべる人もいるらしい。

そんな時代の丹波哲郎が自主制作した映画がこれ。
物語はあってないようなもの。

あるホテルで国際学会が開かれ、そのシンポジウムで丹波哲郎扮する学者が
講義を行うことになっていた。
テーマは「死後の世界・死んだらどうなる」
その会議に駆けつけようとしていた若き物理学者(丹波義隆〜丹波哲郎の実子)
とその恋人のアメリカ人学者・エルザは乗っていた乗用車がバスと衝突し、崖から転落する。
バスの乗客たち(神山繁、森次晃嗣、前田吟ら)と共に霊界に行く丹波義隆。

精霊界にまず連れて行かれ、詐欺師だった前田吟、政治家に癒着する建設業者の
森次晃嗣らは自分の罪を自覚させられ、自分の命をなげうって女の子を助けた神山繁は
よい処遇を受ける。
この世界では人々はみな五体満足、目が見えなかったものは見えるようになっており、
足が悪かったものは歩けるようになる。
丹波義隆は恋人エルザと一旦は再開したものの、エルザは性欲が残っている者に
連れ去られてしまう。それを追って霊界各地を訪ね歩く丹波義隆。

という構成で時折こちらの世界で講演中の丹波哲郎のナレーションのガイドによって
霊界を色々案内してもらう。
中でも自殺した者は扱いが厳しい世界が待っている。
霊界を世界の基本と考えると、人間界は時折魂が修業に行くところ。
自殺というのはその修業を自らの手で途中で止めてしまったことになるから
やはり扱いもそれなりに厳しいものになるそうだ。
この話を丹波氏からテレビで聞かされて「どんなことがあっても自殺だけはしない」と
硬く誓った覚えがある。

結局、丹波義隆は人間界へと戻される事になる。
事故現場に駆けつけた救急隊も死んでると思ったのが生きていたので大騒ぎ。
一緒に霊界を旅した愛犬は救急隊に「死んでらあ」と一言で片付けられ実に可哀想だが、
丹波義隆は生き返って霊界の宣伝マンとして活躍するだろう、というところで
映画は幕。

丹波氏がもっとナレーションを詳しくつけてくれたら、丹波氏の「一人語り」の
ファンとしては嬉しかったのだが、意外に少なくて残念だった。


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砂の小舟


日時 2003年12月13日23:10〜
場所 自由ヶ丘武蔵野館
監督 丹波哲郎 原田雄一
製作 昭和55年(1980年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ある砂浜でハイティーンの男の子(林田昭彦)と女の子(津奈美里ん)が
全裸で戯れている。男の子は口が利けず、女の子はお尻に「怨」というあざがある。
しかしそれはまるで幼児が遊んでいるような無邪気な姿。
やがて彼らは砂の中から木の船を掘り出す。その船に乗って海へと
漕ぎ出したが、やがてその船は意志をもっているかのように二人を
海岸沿いの洞窟へと導く。そこで二人は不思議な夢をみて
幻想の世界へと入っていく。

丹波哲郎初監督作品。
70年代の丹波哲郎と言えば、各社の大型作品には必ずと言っていいほど
顔をだし、言ってみれば丹波哲郎が出てることで映画に箔がつくような感じすら
していた。
その頃の一番勢いがあった丹波哲郎が映画を監督すると聞いてどんな大作が
出来るのかと思っていたら、なにやら平家の落ち武者も絡んだ幻想的な作品と
聞いて非常に不思議に思ったことを記憶している。
まだこの頃は「霊界の宣伝マン」としては知られていなかったから、大型映画に
主演する丹波氏とイメージが合致せず、随分違和感があったものだ。

ところが肝心のその作品は全国的には公開されなかった。
今のように単館公開、なんていう公開方式が一般的でなかった時代だから
本当に公開されたかどうかも定かでない。
20数年間、私には幻の映画だったのだ。
丹波氏の熱烈なファンの私だが、この作品は今回はじめてみた。


内容的には後の「霊界もの」にも通じる魂の輪廻転生がモチーフとなった作品。

但し、やたらと主人公の裸が多い。
映画が始まるとすぐに幼稚園児ぐらいの男の子と女の子がお面をつけて
神社の境内で遊ぶシーンからはじまる。
裸である必要はないような気がするが、確かに生活感のない、浮世離れした
世界には突入する。
しかし今なら児童ポルノ法にひっかかってしまうかも知れない。

で境内の杉の木(かな?)の「ああかわいそうな。千年前の恨みがあの男の子の
声を奪い、女の子にあざを作ったのだ」という語りが入る。
あざって言っても「怨」はすごいよなあ。
つい突っ込みたくなる。
で時間は飛んで、幼稚園児ぐらいの女の子、男の子も成長する。
でも海岸でまた全裸で戯れている。
女の子の方はもう胸も大きくなってるし、男の子だってもう充分成長している。
演じるは女の子は津奈美里ん、顔は地味感じで特に美人というわけではない。
男の子は林田昭彦、こちらは郷ひろみ風の70年代アイドルっぽい顔立ちの
美少年だ。アイドルにだってなれそうな顔立ちをしている。

そんな二人が全裸で海岸を走り回ってるから、そういうのが好きな人には
たまらないだろう。くりかえすが、今なら児童ポルノ法の関係でこんなシーンは
撮れないかもしれない。

でまあ洞窟の中に入って夢の世界に行くのだが、そこは1000年前の鎌倉時代
のはじめ。
(鎌倉時代なら1000年も前じゃないだろう、という突っ込みはあえて避ける)
女の子、男の子はそれぞれ姫であり、若様である。
ところが誘拐され、怪しげな儀式を行っているところへ連れて来られる。
と、ここで丹波氏登場。
なにやら密教の儀式を行っていて、丹波氏の持つ源義経の髑髏に120組の
男女の聖液を塗ると源頼朝が呪い殺されるという。
しかもその最後の聖液は源氏の血を引くものの液でなければならない。
そのために姫や若様が誘拐されたのだ。

で、姫の方はそんな丹波氏の儀式をぶち壊すため義経の髑髏に刃物を突きさす。
怒った丹波氏とその家来は二人を裸にし、丸坊主にしてしまう。
それだけでなく姫のお尻に「怨」の焼印を押す。
なんとかその場から逃げ出した二人、しかし裸なので案山子から蓑と腰巻を
拝借する。
若様のほうは全裸に腰巻だけ、姫の方は蓑だけという怪しげな格好だが
やがて一軒の農家にたどり着く。ここで食べ物を貰おうとしたが
実はここは盗賊の隠れ家で、密告を恐れた彼らは若様の舌を切ってしまう。

そのあたりで現実に戻る。
しかし先の丸坊主のシーン、本当に丸坊主にしている。
林田の方は男だからまあいいかも知れないけど、津奈美里んは全裸になって
丸坊主にされて、その上屋外ロケもあったからさぞつらかったろう。
全裸で丸坊主で義経の髑髏で股間を隠しながら歩く姿は、エロティックを超えて
悲壮感さえ漂ってしまう。

で、現実に戻って船の碇に義経の髑髏が引っかかっているのを見つける。
そしてその髑髏を丁寧に葬る二人。
やがて船は動き出す。所が船に穴があいて沈みかける。二人は衣服を
脱いで穴をふさぐ。
再び全裸になる二人。が、なんと女の子のお尻にはあざが無い!
そして男の子も口が利けるようになっている!
めでたし、めでたし。

というハッピーエンド。
輪廻転生とかがテーマなのはよく解ったが、やたら裸のシーンが多かった事ばかりが
記憶に残る。
何故にこんなに全裸にならねばならないのか?
幻想的な作品世界のためには全裸のほうが生活感がなくてよかったということ
なのだろうか?

フランスのカンヌでバイヤーから引き合いがあって海外でも上映されたので
そこそこ売れたらしいのだが、絶対裸目当てのエロ映画として売れたのだと思うよ。
特に完成度が高いとも思えんし、売れる要素はそこになってしまうと思うんだよね。
日本では「丹波哲郎の霊界映画」ということで売って、ビデオにはなった筈だ。

もっとも私の知らないところでその手のマニアでは有名なのかも知れないけど。


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江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間


日時 2003年12月6日27:30〜
場所 自由が丘武蔵野館
監督 石井輝男
製作 昭和44年(1969年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


医大生人見広介(吉田輝雄)は何故か精神病院にいれられていた。
なんとか抜け出したがサーカスの女の子の歌っていた子守唄が自分が
子供の頃に聞いた歌と同じで、自分の出生の秘密を探るべく、
女の子の話をヒントに北陸へと旅立つ。
ところがある街で自分とそっくりの顔の資産家の男が死んだことを知る。
自分の出生の秘密を探るため、その男の墓を暴き、さもその男が生き返ったような
振りをしてその男の屋敷に潜入する。
その男の父は変人で沖合いの無人島にこもり、島の人工改造を行っているという。
そこには驚きの事実があった!

気持ち悪い映画〜〜〜〜〜。
劇場に張ってあったポスターをリンクするけど、ものすごく気持ち悪い。
気分が悪くなっても当サイトは責任を負いかねますが、それでも見たい、と
いうかたはここをクリック。

映画はいきなり精神病院のシーンからはじまるが、その監守役で高英男が出ていて
吉田輝男と並ぶとこれまた和製ホラーの「吸血ゴケミドロ」の再来だ。

でサーカスがでてきてという江戸川乱歩の世界に入り、わけ解らんうちに北陸へ。
墓を暴いて死んだ男に成りすますというかなりむちゃくちゃな展開だが、
ここは気持ち悪さより、由利徹と大泉滉が出て一応息抜きをさせてくれる。

で他人になりすましたんだが、その家でばれないようにするのだが
写真をみて左利きだったと知り「いかん!何とかしなくては!」と大袈裟な
ナレーションが入ってハラハラするというより苦笑させられる。

でもついに父親の住む無人島に行くともう笑ってられない。
父親は狂っていてシャム双生児を自ら作り出したり、人間と動物の合体を
作り出したりするようなマッドな男。
気持ち悪い事おびただしい。映画館から帰りたくなった。
よく「なんとか団体」とか「かんとか協会」から「障害者差別の映画」と
クレームがつかなかったものだ。

結局、吉田輝雄は双子の兄弟で、死んだのは双子の兄貴のほうだったという話。
父親はせむしの奇形男で結婚した妻は三国一の花嫁と呼ばれた美人。
所が昔、結婚してすぐに妻は他の男と密通をし、父親は性格までゆがんでいて
無人島に妻と間男を呼び出し、そこで間男の方を餓死させる。
数日たって男の死体は腐っていくが、その死肉を食べたカニを妻の方は
飢えに苦しんで食べてしまう!
回想シーンで、死体の肉を食べたカニを生でむしゃむしゃ食う妻が出てきて
気持ちわり〜〜〜〜って気分になって、本当に帰りたくなったところで、
「お待ちなさい!」と突然、唐突に明智小五郎が登場する。

正直、ここでほっとした。
江戸川乱歩原作だが、明智が出てくるとは知らなかったので、本当に助かった
思いがした。
このまま話がエスカレートしたらどうなる事かと思っていたので。
で、明智が「実は・・・」と語りだすのだが、事件の裏にはこの家の財産を
狙う男がいたという話。
ここで「人間椅子」や「屋根裏の散歩者」のテイストも登場する。

で話は一応解決するんだけど、人造人間を作った父親のマッドぶりばかりが
印象に残る。
この映画、成人指定だったようだけど、それも納得。
今のホラー映画以上に恐いこの作品、江戸川乱歩のエログロ世界をここまで
映像にした映画は無いんじゃないでしょうか?

あんまり好きじゃないけど。


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黄色い風土


日時 2003年12月6日25:50〜
場所 自由が丘武蔵野館
監督 石井輝男
製作 昭和36年(1961年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


鶴田浩二の週刊誌の記者は原稿の依頼のために東京駅から熱海に向かう。
その列車は新婚で一杯だったが、一見したところ新婚のようだが
なにか変な二人を見かけ、またとなりにはカトレヤのかおりのする美女
(佐久間良子)が座った。
ホテルに泊まった鶴田浩二だったが、夜部屋でくつろいでいると
ある男が部屋を間違えて入ってきた。
翌朝、ホテルの近くで身投げがあった。
どうやら昨日の新婚の夫のほうらしい。
不審に思った鶴田は独自に調査をはじめるのだが、ちょうどその頃
各地で偽札が発見されていた。

松本清張原作のミステリー。
この日は「忘八武士道」「責め地獄」などのエログロワールドを続けてみて
いたので、こういう正統派ミステリーはほっとする。
「新婚旅行なのに見送りが誰もいない。しかも駆け込み乗車をするとは何か変だ」
と鶴田が不審に思う設定は「点と線」の老刑事の疑問にも近いものがある。

そして犯人側が偶然鶴田の部屋に間違えて入ってしまったというちょっと
した手違いから事件がほころびはじめるというのは、いかにも松本清張らしい
展開だ。

で結局偽札団の仲間割れによる連続殺人事件だったんだけど、ワンシーンしか
出てこない人が殺されたりで、名前を言われても誰が誰だかわからなくなる。
時折丹波哲郎の編集長と鶴田浩二が「ちょっと整理してみようか」と事件を
まとめるんだけど、やっぱり解りづらいかな。

ラストは事件の真相をつかんだ鶴田は犯人に御殿場に連れて行かれる。
「ここは自衛隊の射撃演習場でまもなく射撃訓練が始まる」と言う事で
ドッカンドッカンと地面が爆発する大アクション!!!になる。
前半の本格ミステリーとは違った派手な展開にびっくり。
しかしエログロワールドを続けた見た後なので、口直しにはなりました。


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徳川いれずみ師・責め地獄


日時 2003年12月6日23:50〜
場所 自由が丘武蔵野館
監督 石井輝男
製作 昭和44年(1969年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


いきなり処刑シーンから始まり血しぶきはすごいわ、首はぶっ飛ぶわで
私はもうだめである。
なんども言うけどこういうスプラッタ系は苦手。

映画の前半は小池朝雄と吉田輝雄の二人の刺青師が互いの腕を競って将軍の前での
御前試合で刺青を競う話。
まず吉田輝雄が一人の女に刺青をする。
しかし出来上がった背中をちらっと見せても刺青がしてある様子は無い。
変だなーと思ったが、いろいろあって小池朝雄が今度は同じ女に刺青を
入れる。
そして御前試合、各彫り物師よって作られた刺青が、おっぱい丸出しで
披露される。そして小池朝雄の刺青が将軍に認められた時、吉田輝雄が
「お待ちください!」
「まだこの女の刺青にすべてをご覧になっていません」と言って盃一杯の
酒を飲ませる。そうすると肌が上気して隠してあった刺青が浮き上がってくる。
え?そういうのって実際にあるの???
さらに何故か小池朝雄の入れた刺青は消えてしまうという不思議さ。

後半は吉田輝雄は小池朝雄たちの策略で人殺しの罪を着せられ島流しに。
で長崎の異人が日本の女の刺青をえらく気に入って無理矢理女たちを長崎に
連れて行き、小池朝雄に刺青を入れさせる。
(この女たちが女囚なのだが、コメディリリーフとして由利徹と大泉滉が登場。
ご丁寧に声は女性のアフレコ)

そして吉田輝雄は何とか島から逃げ出して長崎にやってくる。
で、復讐のために先の長崎の異人の娘を誘拐し、その娘に刺青を入れる。
長崎の異人の屋敷でまたまた大いれずみ大会になったところで、吉田輝雄が
異人の娘をつれて登場。
明かりが消えると蛍光色に光るというまたまた奇抜な刺青。
所がその蛍光色が撮影の時には乾いちゃってるからひび割れてしまって
刺青っていうより、もろボディペイント。
これには苦笑した。

SMチックな刺青を題材にした東映「ポルノ時代劇」の一巻でした。


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ポルノ時代劇・忘八武士道


日時 2003年12月6日20:50〜
場所 自由が丘武蔵野館
監督 石井輝男
製作 昭和43年(1973年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


江戸の吉原、そこには忘八と呼ばれる人間としての8つの徳(孝、悌、忠
信、礼、義、廉、恥)を忘れた非道な者たちがいた。
そこへ浪人の死能(丹波哲郎)が加わり、吉原の総名主(遠藤辰雄)は
吉原以外の最近流行した茶屋女などの売春をつぶしに乗り出す。
しかし死能はやがて町のヤクザや、裏切った吉原の総名主からも狙われる
ようになる。

自由ヶ丘武蔵野館、石井輝男特集オールナイト。夜の10時からは
石井監督のトークショー付での上映。

「ポルノ時代劇」と言うだけ会って全篇吉原の遊女たちの裸のオンパレード。
そういう映画に丹波哲郎が主演しているので、随分贅沢だなあと思ったら、
本日のトークショーの石井監督の話によると丹波氏が原作をいたく気に入って
映画化権を買っていたのを石井監督が撮ることになったのだそうだ。
丹波氏がそこまで惚れていたとは知らなかった。

ラスト、阿片によって朦朧とさせられた丹波に追手が切りかかる。
自ら体を刀で傷つけ正気に戻りながら戦う。
このシーン、雪の中で行われ、照明も赤、黄、緑などが直接あてられ
後のタランティーノの「キルビル」にも影響を与えたような映像美。
それで丹波が切った相手の腕や首がふわーと宙を舞うのだよ。
私、こういうスプラッター系は好きではないのだが、ここは笑った。

あと見所はひし美ゆり子。
女忘八として全裸シーン付で登場。
ひし美さん、なかなかの美乳でアンヌ隊員もここまでやるかの体当たり。
すごいのは刺客により丹波氏が火攻めにあったところへ、ひし美をはじめ
とする女忘八が数人現われ、突然火の中をごろごろと転がりまわるのだよ。
何してんだろうと思ったら、彼女たちの服は防火服で(着物だけど)
それで炎に囲まれた丹波氏の回りの火を消すのだ。
そして服を脱ぎ捨て全裸になって帰っていくのだ。
さすが「ポルノ時代劇」だ。

また話とは関係無しに唐突に外人女が登場し、さっきの女忘八同士で
「あたしがこの外人女を責める」と全裸の外人女を取り合うという
ファイト付。
やっぱり「ポルノ時代劇」だ。


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座頭市果たし状


日時 2003年12月6日12:20〜
場所 新・文芸座
監督 安田公義
製作 昭和43年(1968年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


秩父にやってきた座頭市。
志村喬の医者と知り合いしばらくやっかいになることになる。
しかしこの土地には待田京介、小松方正、井上昭文、野川由美子らの
手配中の悪人がやってくる。十手持ちの松五郎は裏では蚕市場を独占
しようとして待田京介を利用して悪事を重ねる。それを見かねた
座頭市は待田京介たちを斬る。
しかし待田京介は志村喬の息子だった。
恩人の息子を斬ってしまった市は仕方なくまた旅にでる。


座頭市シリーズ18作。
この頃は完全に1話完結で前作とのつながりはない。
ヤクザものとしてはじまった座頭市だが、この頃は完全に世直し旅。
十手持ちの松五郎に酒をもらってる時に、座頭市が徳利を縦に四つに切ってしまうシーン
では観客もどっと笑いが起きた。

恩人の息子を切ってしまうという義理と正義の板ばさみの市、何も言えずに
去ることしか出来ない市はアウトローヒーローの典型的なカッコよさ。
また悪役の待田京介がなかなかの迫力。
志村喬の善良な医者も捨てがたく、作品の質を高めてるようだ。


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秦・始皇帝


日時 2003年12月6日9:25〜
場所 新・文芸座
監督 田中重雄
製作 昭和37年(1962年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


長いなあ。2時間40分の大作だ。
万里の長城を作った秦の始皇帝(勝新太郎)を描くのだからそれぐらいの超大作で
なければならん!という意気込みばかりが感じられ、合戦シーンでは
遠くの方まで人がいて、その壮大なスケールには感嘆させられる。

中国戦国時代、秦はついに中国を統一した。
そして外敵からの侵入を防ぐために万里の長城の建設をはじめる。
この建設シーンの壮大さには驚かされる。
だが民の平和を思ってこの城壁作り始めた始皇帝だが、それが裏目にでて
この難工事のために人手が取られ民の不平不満はつのり始める。
儒教を学ぶものが中心となって反対運動が起きるのだが、今度は始皇帝は
儒教学者の弾圧をはじめる。
5mぐらいの深さの大きな穴をほってその中に何十人の始皇帝反対派を
いれて上から土や岩を入れて穴埋めにしていくなど、悪政の限りを
感じさせる。

あと見所は万里の長城の地震による崩壊シーン。
川口浩の儒学生が万里の長城に人柱で埋められて、妻が探しに来るんだけど
彼女の祈りが通じて万里の長城が崩れるのだ。
この特撮シーンはなかなかのもの。

あと出演者では始皇帝の暗殺を図る刺客に市川雷蔵(けど割とあっさり失敗する)、
幼い頃始皇帝と共に他国に人質になっていた王子に宇津井健。
この宇津井健が何度も始皇帝の命を狙う。
「あれ?さっきの戦いで死んじゃったんじゃなかったの?」という感じで。
何度も登場し、ついに最後には始皇帝に致命傷を負わせる。

伊福部昭の音楽が東宝の怪獣映画と同じで、合戦シーンのたびにゴジラが
出てきそうに見えてきた。
けど秦の始皇帝についての中国の歴史の勉強にはなりました。

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