2002年11月

南の島に雪が降る ハリー・ポッターと秘密の部屋 森の石松幽霊道中 ナバロンの要塞
松川事件 海軍特別年少兵 眼下の敵 黒の超特急
原子怪獣現る ブレードランナー たそがれ清兵衛 火星超特急
9デイズ ピカ☆ンチ スターシップ・トゥルーパーズ 荒野の七人
OUT 吸血鬼ゴケミドロ 恐竜・怪鳥の伝説 月世界征服

南の島に雪が降る


日時 2002年11月30日
場所 録画ビデオ(衛星劇場)
監督 久松静司

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


太平洋戦争末期、ニューギニアの部隊では内地では
役者をしていた加藤軍曹(加東大介)がいたことから
兵士の士気高揚のため演劇慰問部隊がつくられることになった。
各部隊から演芸に腕の憶えのあるものが続々と参集。
いよいよ第1回公演。衣装の着物や舞台装置の桜に
故郷を思い出し涙を流す兵士たち。
第1回公演は成功し、本格的な劇場が建設される。
やがて司令官から舞台上で雪を降らす演出を依頼される。
東北出身の兵士は泣きながらその雪を見ながら死んでいった。


主演、加東大介の実体験の映画化。
加東大介が自身を演じている。
出演は他に有島一郎、桂小金治、伴淳三郎、渥美清が演芸部隊の隊員、
ゲスト的にフランキー堺、三木のり平、小林桂樹、森繁久弥。
キャストを見ていただければ解ると思うが戦争映画というより
喜劇映画の側面が強い。
演芸部隊を編成するいわゆるオーディションのくだりとか、
田舎芝居しか出来ない伴淳三郎、エノケン一座のメンバーと偽る
渥美清など笑える。

ただし、全面的な喜劇ではなく、笑いの中から涙が出てくるという
「面白ろうてやがて哀しき」という言葉がぴったりの映画だ。

フランキー堺が手を怪我して昔のように弾けなくなったピアニストの役で
登場だが、たまたま演芸部隊の前を通りかかりピアノを弾かせてもらう。
彼は手を怪我しているので曲によっては弾けなかったりするのだが
それでも懸命に弾き続ける。
数ヵ月後、フランキーの戦友(小林桂樹)が慰問部隊にやってくる。
慰問部隊の兵士が小林桂樹にフランキーのことを元気かと尋ねると
「あいつは死んだよ。でも生涯で一番いい演奏が出来たと喜んでた」
と答える。
このとき小林桂樹が実にあっさり答える。でもこのあっさり答えるところが
「死ぬのが当たり前の日常」を表していて逆にインパクトが強かった。

でもラストが「東北出身の兵士が芝居を見ながら息を引き取る」というものだが、
盛り上がりがイマイチなのが惜しい。
映画としてはもう少しクライマックス的な展開が欲しかった。
加東大介の手記に基づく話だけに作りにくかったのかも知れない。

「面白ろうてやがて哀しき」そんな表現がぴったりの社長シリーズの
面々による戦争映画だった。



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ハリー・ポッターと秘密の部屋

日時 2002年11月28日 20:10〜
場所 新宿ミラノ座
監督 クリス・コロンバス

(公式HPへ)


昨年に引き続き、ヒットシリーズ第二弾。

ホグワーツが夏休みの間、意地悪なおじさんの家に帰っていたが、
新学期が近づくとトビーという小汚いない妖精がやってきて
ホグワーツに帰ると悪い事が起きるからやめろという。
夏休みの後半は親友、ロン・ウィズリーの家で暮らした
ハリーだったが、ホグワーツに出発の日、列車に乗り遅れてしまう。
そこでロンの家の空飛ぶ車で学校に向かう。

というここまではほんのオープニング。
この後、ホグワーツ学校では次々と不思議な事件が起こり
それがこの学校の開校時の伝説とつながり・・・・
という感じで前作に続く面白さ。

2時間41分という長尺だけど見ていてホントあきない。
でも登場人物の説明とか一切なく、また前作に登場したシーンの話が
出てきたりするので前作を見てないと解りづらいだろう。
前作のレビューでも書いたけど、ブリティッシュトラッド・ファッションに
レトロな建物、小道具で見ていてホッとしてくるものがある。

またCGによる映像技術も「スターウォーズ」のようなあざとさ(わざとらしさ)
がなく、物語と溶け込んでいる。
この映画にとって21世紀の映像技術で映画化されることは
全く幸運だと思う。
原作は2000年代じゃなくても1950年代でも書く事は
出来たお話だが、当時の映像技術ではこうは成功しなかったろう。

主演のダニエル・ラドクリフのよさは改めて言うまでもないのだが、
今回、親友のロン・ウィズリーのルパート・グリントがよくなった。
前作では「ただのボケな奴だなあ」という印象しかなかったのだが、
キャラクターも前作よりはっきりしてきたし、ルパート・グリントの
好演もあって「ハリーを助ける親友」というキャラが立ってきた。
特にラストの食堂のシーンで、助かったハーマイオニーがハリーに
抱きついたあと、ロンとは握手するところの表情などなかなか見せ場を
さらっている。
今後、ロン・ウィズリーの活躍も楽しみの一つだ。

あとハーマイオニー(エマ・ワトソン)が後半、石になってしまったため
活躍がないのが残念。
それと新キャラクターのロンの妹とか、ハリーにあこがれる新聞部(?)
の新入生がもう少し説明&活躍が欲しかったな。
時間の関係で出来なかったとは思うけどさ。


というわけで今後の大予想。
すでに発売されている第3作、第4作は読んでないので読んだ方には
大笑いされるかも知れないのだが、大胆予想です。

そのうちハリーの両親の話も出てきて今まで両親だと思ってきた人は
実は違うという噂がたちます。そして本当の親は誰かという事になり
スリザリンのドラコと兄弟ではないかと疑い出しちゃったりするわけで。
一方、ハリー、ロン、ハーマイオニーの三角関係も微妙になり
ロンもハーマイオニーが好きになり、ロンの妹がハリーを好きになり
関係は複雑になって、結局ハーマイオニーはロンと結婚し、
ハリーはロンの妹と結婚するのではないか???

熱心なファンの方、笑い飛ばしてください。
第3作がますます楽しみになってきました。

あっそうそう、エンドロールがすべて終った後、ちょっとしたオチがありますので
くれぐれもお見逃しなく!
エンドロールの途中で帰っちゃうとちょっと損をします。



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森の石松幽霊道中


日時 2002年11月25日
場所 録画ビデオ
監督 佐伯幸三
製作 1959年(昭和34年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


暴れん坊の石松(フランキー堺)はヤクザになりたくて勘介親分(山茶花究)
の喧嘩の助っ人をする。喧嘩の働きもあり勘介親分の子分になったと喜んだのも
つかの間、代官所に捕まりそうになる。勘介親分が石松を売ったのだ。
それに腹を立てた石松は今度は清水次郎長(加東大介)の子分となる。
ある日石松は次郎長親分より金毘羅代参を命じられる。
そして途中伊勢によって伊勢の武蔵屋に手紙を届けるように言われる。
手紙は近くおこる武蔵屋と黒田屋の喧嘩に関する重大な内容だという。
途中、故郷に寄った石松だったが幼馴染のお清は死んでその赤ん坊が
石松の手に残された。そのままにしておくわけにも行かず、赤ん坊連れで
伊勢に向かう石松。石松を狙うヤクザもいる中、果たしてどうなる?
武蔵屋と黒田屋の喧嘩の勝敗はいかに?


さすがに最近はなくなったが、一時は忠臣蔵と並んでよく製作された
「森の石松=清水の次郎長」もののフランキー堺主演のコメディ。
と言ってもあんまり笑えない。
今だから笑えないのではなく、もともとあんまり面白くなかったのだろう。

CSの「衛星劇場」で見たのだが、実は番組表の出演者欄に
「フランキー堺、鶴田浩二」と二人の名前があったので、
「鶴田が何かギャグというか面白い事でもやってくれるかも知れん。
だとしたら掘り出し物だ!」と期待して観たのだが、鶴田は次郎長の子分で
石松の兄貴分。
でも最初と最後の喧嘩のシーンぐらいしか出てこないのだよ。
いつもの2枚目でいいところだけさらっていく感じ。
やっぱり鶴田がコントをやるなんてありえなかったな。

でも旅の途中から登場する石松の懐の金を狙うお雪(八千草薫)なんだけど、
これが魅力的なんだなあ。
若い頃の八千草薫はきれいで勝気でちょっとお転婆で品があってと
すごくいいんですよ。
同時代に見てたら絶対ファンになってますね。
この頃の彼女の映画はもう少し見てみたいです。

あとは石松の夢のシーンで村祭りでやぐらの上で太鼓を叩くんだけど、
それが和太鼓をドラム風に並べたのをフランキーがたたきます。
さすが元ジャズドラマーらしいシーンで楽しめましたね。

なおこの後の旅の続きを描いた「暴れん坊森の石松」
という作品があるらしい。多分まとめて企画されたのだろう。
昭和30年代の添え物映画ってこんな感じのが多かったのだろうな、
と思わせてくれる1編でした。



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ナバロンの要塞


日時 2002年11月24日22:00〜
場所 NHK教育
監督 J・リー・トンプソン
製作 1961年(昭和36年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


1943年、エーゲ海はドイツ軍が制海権を握っていた。
カロス島に残っている英軍守備隊2000名を救出するには
ナバロン島の沖合いを通過するしかない。
ところがナバロン島には難航不落の要塞に備えられた2門の巨砲がある。
この巨砲がある限りカロス島にはたどり着けない。
航空機からの攻撃も試みられたが失敗に終った。
そこで最後の作戦として、フランクリン少佐、マロリー大尉(グレゴリー・ペック)
ミラー伍長(デビット・ニーブン)らを潜入させることにする。
独軍のカロス島総攻撃まであと1週間。彼らはそれまでにナバロンの巨砲を
破壊する事ができるか?!


言わずと知れた戦争アクション映画の名作。
この映画は中学生ぐらいにテレビの洋画劇場でも見ているが、あんまりいい記憶が
なかった。しかし改めて観てその面白さを実感した。
今回ノーカットで見たが、地上波の2時間枠放送ではきっとズタズタの
カット版だったのだろう。
(オリジナルの上映時間は2時間40分弱なのだから)

ナバロン島に到着するまでに英軍の中のスパイがいたり、航行中に船のドイツ軍に
よる検問、上陸時の暴風雨、その嵐の中での断崖の登頂、フランクリン少佐の
怪我、ドイツ軍に逮捕、脱走、仲間の裏切り、要塞への潜入、第一の爆弾の
発見、なかなか爆発しない第二の爆弾などなど危機また危機、逆転逆転また
逆転と形成がくるくる変わる面白さ。

今見るとスピード感では多少見劣りする感じもあるが、それにしても
脚本の出来がよいので今でも充分通用する面白さだ。

そしてこの作戦のメンバーそれぞれが抱える戦争に対しての疑問などの
ドラマを含みつつ映画は進行する。
この辺のそれぞれの人物の性格がドラマの緊張感を増幅させている。

そしてラストのナバロンの巨砲が大爆発とともに海に落ちていくシーンでは
思わず「やった〜〜」と叫びたくなる。
連合軍が善玉、ドイツ軍が悪玉、と善悪がはっきり付けられた娯楽戦争映画を
作れた時代の名作。
面白かった。


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松川事件


日時 2002年11月24日
場所 録画ビデオ
監督 山本薩夫
製作 1961年(昭和36年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」の映画中にも登場した
松川事件の映画化。

昭和24年8月17日未明、福島県松川駅付近で列車脱線事故が起きた。
犯人として元国鉄職員赤間勝美をはじめ、国鉄労組組員10名、
東芝労組組員10名が逮捕された。
1審では全員有罪、2審では3名無罪他有罪の判決であった。
2審判決の日、裁判所はそれを不服とする被告、及び弁護団により
大いに荒れた。
その後、最高裁より高裁に差し戻しが命ぜられた。
差し戻し審の判決の日は近い。


映画はここで終る。
「松川事件」については詳しくはネットで検索されたい。
私がここで説明するより正しく詳しく理解できるだろう。
映画の製作は1961年(昭和36年)
そして8月に差し戻し審の判決があり、全員無罪となるのだが、
映画はその判決前に製作されたので、映画のラストではまだ
被告の判決は確定されていない。
製作資金4千5百万円は鑑賞券を事前に売りカンパにより集めるという
まさに真実を追究しようとする強い意志がみなぎる映画だ。

前半の1時間は映画の裁判の中心となる赤間さんが逮捕されるに至る
経緯と供述調書の映像にしたものが描かれる。
後半の2時間は裁判の様子が丁寧に描かれていく。
証人各人の供述、及び裁判の証言を再現シーンの連続で
真実を伝えようとする真摯な態度がひしひしと伝わってくる。

しかし正直って「映画としては」あんまり面白くない。
裁判シーンなどは証人と弁護人、裁判長をくり返し映すだけで
画としては面白みに欠ける。
フィクションな付け加え等は全くないので、ドラマとしては
面白くないのだなあ。
宇野重吉、宇津井健、千田是也らのスター級の役者が弁護士として
登場するが裁判所の中で弁護活動するだけだし、見せ場がほとんどない。
あえて言えばラストの2審判決を不服とする被告、弁護団が裁判長
(加藤嘉)に抗議するシーンがテンポのある抗議の応酬で見ごたえが
あった。
(「裁判官はニヤニヤ笑っており真面目な態度が見受けられない」などと
応酬する所など)

映画の製作目的が「この松川事件のデタラメさをできるだけ正確に
知ってもらいたい」ということが目的だったろうから、あえて
フィクションやドラマを付け加えるような誇張は避けたと
想像される。
でも松川事件も全員無罪となり、解決した今見るとちょっとしんどい。
その点「証人の椅子」は映画としての面白さもありよく出来ていた。

出演者は刑事に西村晃、検事に永井智雄、多々良純など。
西村晃はこういった意地悪な刑事役をやらせればピカイチだが
この作品でも本領発揮。こんな刑事にねちねち追求されれば
そりゃやってなくても「やった」って認めてしまいがちな
迫力があった。

いま同様の事件があったらマスコミはどう対応するだろう。
検察と一緒になって彼らを犯人にするだろうか?
それとも真犯人の追及に向かうだろうか?
何しろマスコミは真実を報道しない。
売れる記事を報道するだけだからな。

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海軍特別年少兵


日時 2002年11月23日
場所 録画ビデオ
監督 今井正
製作 1972年(昭和47年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


太平洋戦争末期、「海軍特別年少兵」として14歳の少年たちが
軍人に志願する。
彼らの大半は貧農の子供たちであった。
厳しい訓練の中、時には自殺者を出しながら彼らは硫黄島に配属。
昭和20年2月、硫黄島は玉砕。彼らの若い命も散っていった。


東宝8.15シリーズ最終作。
8.15シリーズといえば「日本のいちばん長い日」「沖縄決戦」に代表されるように
オールスターの大型戦争映画が続いていたが、今回はトップクレジットが
地井武男と佐々木勝彦というように全くのノースター。

で監督が今井正である。
この人の作品は数本しか見てないが、とにかく貧乏や戦争をテーマにした
作品が多い。
14歳にして戦場に向かっていった悲劇を真正面から何の照れもなく描き出す。
テーマが重く真面目なだけにこの作品を批判する事は、貧乏や戦争の悲劇を
理解しない極悪非道な性格と思われそうで思わず「いい作品だった」と
言わざるを得ない。

でも誤解を恐れずに言うならば「面白くなかった」。
別にこちらも「独立愚連隊西へ」とか「ナバロンの要塞」のような
戦争アクションを期待はしてません。
でもテーマの捉え方というものはあると思うんですよ。
「年少兵」をこう真正面に捉えられると「ああ悲しいね」で終わってしまう。
同じ年に製作された深作欣二の「軍旗はためく下に」の方が見る者に
与える影響は大きい(少なくとも私には)
また同じ今井正でもこの前の作品「あゝ声なき友よ」の方が印象に残った。

要するにストーリーを引っ張っていく縦糸がないのだ。
「同じ年だが一方は貧乏で海軍年少兵を志願し、一方は金持ちの息子で・・・」とか
「戦後、元海軍特別年少兵の男があるきっかけで戦時中の記憶がよみがえる」とか
(これでも面白くないか。あくまで一例ですから)同じ年少兵を扱うにしろ
やり方をもう少し工夫して欲しかった。
山本薩夫ならもう少しうまくやったような気がするなあ。

その中で面白かったシーンを一つ。
小川真由美が年少兵の姉の役なのだが、女郎をしていて軍人から貰った
恩賜のタバコ(菊の紋が入った天皇から貰ったタバコ)をもっている。
ある時それを吸ってみるが火をつけてすぐに灰皿に置き、懐から
普段の自分のタバコを取り出し火をつける。
そこで一言、「やっぱり吸いつけてるタバコの方がおいしいわね」
今井正の天皇制批判のシーンだ。
ここはよかった。


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眼下の敵


日時 2002年11月23日
場所 録画ビデオ
監督 ディック・パウエル
製作 1957年(昭和32年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


第2次大戦下、大西洋を航行中のアメリカの駆逐艦はドイツの
潜水艦Uボートを偶然発見する。
Uボートは通常3隻の駆逐艦で攻撃を行うほどの手ごわい相手。
米駆逐艦対Uボートの対決が今始まる!


潜水艦物のジャンルの映画の話になると必ず登場すると言ってもいい
このジャンルでは有名な映画。
今回はじめてみたけど、噂にたがわぬ面白さだ。

そりゃ特撮とかの映像の迫力では今の映画と比べると見劣りするが
艦長対艦長、(ロバート・ミッチャムとクルト・ユルゲンス)
男対男に絞った脚本がよく出来てるので
充分に楽しめる。

「こう逃げると見せかけてこう攻撃する」
「敵はきっとこうでるるから10分後に攻撃すればぴったりだ」
こういった駆け引きの応酬でそれがぴたりと当てはまり、
一時は劣勢だったUボートも最後の賭けに出て米駆逐艦を
魚雷攻撃!

やっぱり映画はCG技術じゃない。脚本と演出だ。

米駆逐艦は沈没寸前まで行くのだが、まだ多少の航行は可能。
ロバート・ミッチャム艦長は甲板上でマットを燃やし、
火災発生を偽装。そこへ浮上してきたUボートに体当たり攻撃する!
このあたりはゲーム的な面白さもあり、思わず引き込まれてしまう。

体当たりし、至近距離になった艦長ははじめてお互いの顔を見る。
そしてお互いの優秀さに敬意を評し、敬礼をかわす。
ここがプロとプロの男同士の友情!ってなわけで泣かせどころです。

ラストが実はちょっと意外だった。
そしてロバート・ミッチャム艦長はクルト・ユルゲンス艦長とその部下で
親友でもある副長にロープを投げ救出する。
(日本の戦争映画ではありえないシーンでちょっと驚いた)
このあたりのシーンは、映画としては滅茶苦茶カッコよくて子供の頃に見たら
「大脱走」並にはまった事は僕の性格からして押して知るべしなのだが、
今見ると「ちょっとカッコよすぎない?」という意見なのだよ。

戦争ってそんなにフェアなもの物なのか????
映画としては面白い。
だがまるでスポーツの試合のようにフェアに描かれすぎてるのがちょっと気になった。
飛躍して言えばちょっと戦争を美化しすぎてる気もする。
でも面白かった



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黒の超特急


日時 2002年11月19日
場所 衛星劇場
監督 増村保造
製作 1964年(昭和39年)

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


岡山の田舎で細々と不動産屋を営む桔梗(田宮二郎)
の元に東京の中江(加東大介)という男が訪ねてくる。
この辺の土地をまとめて買いたいが地主との交渉にあたって
欲しいという。
数ヶ月後、桔梗の働きで中江は土地の買収に成功した。
だがその土地は新幹線用地として公団に買い上げられた。
裏があると確信した桔梗は中江を恐喝し始める。


大映のビジネスサスペンス物「黒の〜」シリーズの1篇。
「犬シリーズ」のような2枚目半のより野望に燃えるぎらぎらとした
田宮二郎の方が私は断然好きですね。
こういった野望に燃えるアンチヒーローの集大成が「白い巨塔」の
財前教授なのですから。
映画の中でも「俺は絶対に大金が欲しい」という誓うように宣言するシーンは
案外田宮自身だったような気もしますが。

ストーリーの方は背後関係が実はそんな複雑ではないので、
割とそこが浅いのが少し残念だが、悪党、加東大介がなかなかの悪ぶりで
充分楽しめます。

最後、加東大介が事件の鍵を握る女性を殺す。
それを知った田宮が加東を恐喝し、金額を吊り上げるのだが、
加東が殺人を認めた時点で警察に逮捕させてしまうのがちょっと難。

今まで田宮も加東を恐喝するアンチヒーローとして活躍していたのが
「人殺しをしてまで金儲けはしようとは思わない」という理由で
最後になって正義感を出してしまうのがちょっとガッカリした。
ここは最後まで田宮にアンチヒーローを貫いて欲しかった。

ラストは田宮が岡山に帰る東海道線。
となりの乗客が並行して走る新幹線を見て
「さすが超特急は早いなあ」と言うのだが、田宮は「あんなもの見たくない」
とばかりに車窓のカーテンを閉める。
新幹線ごときに振り回され殺人まで犯してしまった自分たちを呪ってるか
のようだが、約30年後のバブル期、日本中にこの映画の加東大介のような
男がいた。
今から見るとバブル期を予見したような映画にも見えてくる。
象徴的なラストシーンだった。


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原子怪獣現る


日時 2002年11月17日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 ユージン・ルーリー

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


北極で水爆実験が行われた。
その結果を調査に行った科学者2人は北極の現場で
恐竜を目撃する。だが一人は恐竜の起こした雪崩によって
死んでしまう。
生き残った一人は恐竜の目撃を主張するが誰も信じてくれない。
訪ねていった古生物学者の助手(女性)だけは信じてくれた。
その頃カナダでは船が謎の怪物に襲われる事件が続いていた。
北極で恐竜を見た科学者はその恐竜が海流にのって南下していると
考え、襲われた船の生き残った乗組員を訪ねて何があったかを
訊こうとするが、「どうせ誰も信じてくれないから」と
話してくれない。
古生物学者の助手の提案により、古代の恐竜の復元想像図の中に
科学者が見た恐竜がいるかを探してみた。
同様のことをカナダの生き残りの船員にもやってもらう。
二人の選んだ恐竜は同じだった。
それを知った古生物学者はさすがに今度は信じる事にする。
海軍に頼み調査船を出してもらうが、古生物学者は
調査中に恐竜に殺されてしまう。
ついに恐竜はニューヨークに上陸した。
マンハッタンに上陸し暴れる恐竜。
一旦は海に帰ったが、再び上陸した。
主人公の科学者は自身が作った「アイソトープ爆弾」を恐竜に
発射し、恐竜を倒した。


こんな感じのお話。
長々と詳しく書いたけど、この映画に登場する怪獣は姿はティラノサウルスが
四足になったみたいで、顔はなんだかゴジラに似てるなあ、
ストーリーも「ゴジラ」(54)に似ていると思ったのでその共通点を書いてみたい。

1、怪獣が水爆実験によってよみがえる。
2、古生物学者が主要人物として登場し、その助手(「ゴジラ」では娘)
  と主人公が恋仲になる。
3、最初のうちは航海中の船を襲う。
4、ニューヨークに上陸し、アイアンフラットビル付近を襲う。
5、最後は主人公の開発した新兵器、アイソトープ爆弾で倒される。


新発見のように書いたけど、ネットで検索して見たら、この手の映画に詳しい人
の間ではこの「原子怪獣現る」は「ゴジラ(第1作)」の元ネタの映画として
知られていたらしい。
どうやら知らなかったのは私だけのようだ。

もちろん「ゴジラ」の方が山根博士(志村喬)や芹沢博士(平田昭彦)の登場により
格段にドラマ部分に厚みが出ており、その分映画の完成度を高めているのは
言うまでもない。
むしろ、ニューヨークに最初に上陸した地点が魚市場であったりして、むしろアメリカ版
「GODZILLA」(98、ローランド・エメリッヒ監督)の方にも影響を与えている。
アメリカ版「GODZILLA」は日本のゴジラファンにはかなり不評だったけど、
この「原子怪獣現る」のリメイクといえばみんな納得したろう。
あちこちで私と同意見の人は多いようだが。

なお特撮はレイ・ハリーハウゼン。日本のようにぬいぐるみではなく、
コマ撮りのチョコチョコした動きで頑張ってます。


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ブレードランナー


日時 2002年11月17日
場所 DVD
監督 リドリー・スコット

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


ハードボイルドSFの名作といわれてるこの「ブレードランナー」だが
実は見るのは今回が初めて。
公開は1982年だからもうほとんど大人だったけど、
なぜか見逃していた。その後完全版とか最終版とかいろいろ
あったけど、最近の低価格DVD(1500円!!)で発売されたので
買って見た。(いわゆる最終版だ)

有名な映画らしいから、ストーリーは書かないけど、
正直言って僕にはあんまり面白くなかった。
話のテンポは遅くてなかなか進まないし、人間に反抗する人工知能
なんてSFではありふれてるじゃん。

でもこの映画に魅力がないかというとそういうわけではなく、
この映画の最大の魅力は、荒廃した未来都市のイメージだ。
日本語の看板、日本語の会話が乱れまくりの香港風ネオンが入り混じった
アジア風無国籍タウンはなぜかカッコよい。
ハリソン・フォードは屋台でうどん食ってるしさ。
アメリカ風な町並みを見慣れたアメリカ人には余計に摩訶不思議な空間に
見えたことだろう。

最近の映画の(例えば2001年の「A.I.」)未来都市のイメージは
この映画がスタイルを確立したと言っていいようだ。
「エイリアン」がその後の映画の宇宙生物の原型になったことと考え合わせると、
リドリー・スコットはその後の映画に多大な影響をあたえる作品を2本も
作ったのだから、やっぱり大した監督だ。


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たそがれ清兵衛


日時 2002年11月16日18;30〜
場所 新宿ピカデリー3
監督 山田洋次

(公式HP)


庄内地方(今の山形県)の下級武士、井口清兵衛は
妻を亡くし二人の幼い娘とボケた母親を抱え仕事が終った後も
同僚の付き合いも断り、毎日まっすぐ家に帰る事から
「たそがれ清兵衛」と陰口を叩かれる始末。
だが実は彼はかつては戸田流の師範代で剣の使い手だった。
ある日、藩命としてある男を殺す事になる。


山田洋次初の時代劇。
山田洋次なら長屋の人情話みたいな時代劇を作るのかと
思ったら、ちょっと違った。
出世には興味がなく、娘の成長が何よりの楽しみで地道に生きる
姿は現代にも共感を呼ぶ。
また藩の命令で自分にとって不本意な仕事をしなければならない
所は現代の会社人間にも通じる所。

というか現代の「会社」というものに対する考え方は、
江戸時代の「お家」「藩」に使える武士に姿勢が理想とされるのだと
私は思っている。
つまり、今でも昔と似ているのではなく、知らず知らずのうちに
我々に染み付いた「お家」「藩」に対する考え方が、今でも
生き残ってるのだ。

ラストの狭い家の中での対決の迫力はなかなか。
相手役の田中泯がいい。映画初出演の方だそうだが
この方のおかげで後半の盛り上がりは持ってるようなもの。

でも主役の真田広之がいただけない。
真田に関してはなぜかいつも僕は評価しないんだけど。
宮沢りえもそうだが顔が現代っぽすぎるのだ。
真田の役などもっと地味系の個性派俳優だったらもっと
面白かったと思う。(興行的には難しいかも知れないが)

時代考証に時間をかけたというだけあって、真田の着物が
ボロボロのとこなどなかなかリアル。
実は今日DVDで「ブラックホークダウン」を見たのだが、
こちらもリアルな戦闘に終止していた。

世界の映画監督たちは、今までの映画で作られてきた「決まり事」に
飽きがきてるのかも知れない。

あと難を言えば上映時間がちょっと長い。もう少し刈り込んで
1時間40分ぐらいだったらもっとよかったと思う。


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火星超特急


日時 2002年11月16日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 レスリー・セランダー
製作 1951年

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


アメリカ国防総省は火星行き有人ロケット計画を発表する。
この計画、多分火星にはたどり着けるだろうが、帰って
来れるかの保証はないというもの。
しかし乗組員は「到着する事に意義がある」と危険を顧みない。
途中、流星群にぶつかったりの危険はあったものの
何とか火星に到着する。火星に到着した時胴体着陸で
ロケットは故障してしまった。
だが、火星には高度な文明を持つ火星人が住んでいた。
故障したロケットの修理は火星人の協力で行われる。
実は火星はまもなく死を迎えようとしてる星で、
彼らの本当の目的は地球人のロケットを奪い、それと
同じロケットを作り、地球に攻め込む事だった!!

後に「夜の大捜査線」「ミッドウエイ」などを手がける
ウォルター・ミリッシュの製作。
別に意識してみたわけではなかったが、同時期の映画「月世界征服」の二番煎じ
として作られたようだ。(火星人が着ている宇宙服は「月世界征服」の余りもん
だったという話を他で読んだ)

火星行きの途中、無線が通じなくなってからの連絡方法は写真や手紙を
入れたカプセルを地球に向かって落とす(?)というもの。
火星についても「酸素が薄そうだから」という訳で酸素マスクをするだけだし。
科学考証全く無視。

でこういったBC級SFの魅力はなんと言っても訳のわからん怪生物、怪獣なのだが
そういったものは一切登場しない。
火星人なんか全く人間と同じなんですよ。
(火星の女性や火星の服を来た地球人の乗組員はみんなミニスカなんだ。
このお色気路線がB級っぽいけど)
火星は地下都市を建設し、そこに住んでるんだけど、その街の様子が
「海底軍艦」のムー帝国に似ていた。案外、元ネタだったのかも知れない。

結局、火星人の計画を知った地球人は「ロケットの修理にはまだ1ヶ月
かかる」と火星人には思わせておいて、その実修理を終えてささっと逃げようと
いうもの。
何とか脱出したところで唐突に「THE END」!!

おいおい、火星の将来はどうなるんだい??

地球で副パイロット(女性)と付き合っていたパイロットは火星人のミニスカねーちゃん
と結婚するって言い出すし、副パイロットは一緒に火星に行った従軍記者と
結婚することになるという、どろどろの恋愛ドラマもあったりして子供には
見せにくい映画じゃない?これって。

B級ならB級らしくもうちょっと見せ場が欲しかったな。


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9デイズ


日時 2002年11月10日13:50〜
場所 新宿ミラノ座
監督 ジョエル・シュマッカー

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東欧プラハでCIAのエージェントたちは旧ソ連から流出した
携帯型核爆弾を買い取ろうとしていた。
ところがそのCIAのメンバーの一人が第3者により
殺されてしまう。
なんとしても取引を成功させたいCIA(アンソニー・ホプキンスら)
は死んだメンバーに双子の兄弟がいることを知り、その男(クリス・ロック)
を身代わりに立て、作戦を継続させようとする。
果たして成功はなるか?

予告編を見る限り、旧ソ連から流失した携帯核爆弾を
テロリストと奪い合う、それこそ「トータル・フィアーズ」的な
映画を想像(期待)していた。

だが見た映画はだいぶ異なっていた。
アンソニー・ホプキンスとクリス・ロックなる(日本では誰も知らない)
コメディアンの「MIB」のようなバディ・ムービーだったのだ。
シリアスなサスペンス劇を期待した私としては、この声の甲高い、
エディマーフィーを安っぽくしたような男が登場する度、げんなりして
しまった。

日本人にとっては(というか私にとっては)核兵器というのは
異常なまでの恐怖感があるので、核兵器を映画の中に登場させると
聞いただけで正座してしまうようなところがある。
映画のモチーフとして使う以上、それぐらい真剣に扱って欲しいアイテム
なのだ。
断じてコメディタッチのバディムービーなどで扱って欲しくない。

そういう私の思いを完全に踏みにじるかのようなコメディタッチ・アクションで、
製作者の意図と私の思いはまるっきり平行線をたどってしまった。
「トータル・フィアーズ」の時も思ったけど、アメリカ人は核兵器の
恐さが全く解っていない。
ちょっと大きな爆弾ぐらいにしか思っていないのではないか?

かつては「未知への飛行」「博士の異常な愛情」という核兵器の
威力の恐怖を描いた作品があったけど、完全にアメリカ人は忘れている。
アメリカ人が核兵器の恐ろしさを忘れた時、それを使うかもしれない。

そんな意味不明の恐ろしさが残った。
NYのワールドトレードセンターの跡地に広島の原爆資料館の別館を作ればいい。
そんな気さえしてくる。

あと邦題、「9デイズ」って言うけど原題は「BAD COMPANY」じゃん。
ひどい邦題だな、これ。


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ピカ☆ンチ
   LIFE IS HARD だけど HAPPY


日時 2002年11月9日18:00〜
場所 東京グローブ座
監督 堤幸彦

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ジャニーズのアイドルグループ、嵐の初の主演で
V6の井ノ原快彦の自身の少年時代をヒントにした
青春グラフィティ映画。

一時期大流行だったが今は全く廃れたアイドル映画。
もっとも流行ったのはたのきん映画が最後だから、
もう10数年以上前になる。時代は変わっている。

舞台は東京品川区八塩団地。ここには約1万人が住み、
学校、スーパーなど暮らしていくすべてがある。
団地の外に出なくても充分生活していけるので、
ここは東京でありながら東京でない、そんな不思議な地域だ。
そんな中で暮らす五人の17歳。(嵐の面々)
初めて原宿に行ったり、夏祭りの一騒動などのエピソードを中心に
高校卒業までの青春を描く。


TBSドラマ「木更津キャッツアイ」に似た東京近郊の地方都市を
舞台にした等身大の明るいコミカルな青春映画。
最初原宿に行った時、渋谷から歩いて行ったら道を間違えて初台に
行ったとか、彼女とのデートで大森貝塚に行ってしまうとか、彼女を
喜ばせるために青山学園大学(映画の名称のまま。もちろん青山学院
大学がモデル)を受験しようとか言ってるような、さもありそうな話で、
怪盗団を結成した「木更津〜」に比べるとより等身大の青春だ。

途中、汚れた大人の象徴として屋形船で宴会をする大人たちが登場する。
「あんな大人にはならないぜ」とみんなで誓うシーンは青春映画らしくて
よいのだが、ラスト近くで「あんな船しずめてやる!」とみんなで
船を沈めてしまう。

等身大のいかにもありがちな青春グラフィティだっただけに、この展開は
ちょっと唐突。
この映画の主人公たちにはそんな行動力があるようには見えず、
いきなり活動的になってもちょっと戸惑うのだ。
「木更津〜」はもともと怪盗団結成、という初めから飛び出た設定があった
のでこのくらいのことをしても違和感がなかったが、屋形船を沈めるという
のは(それはそれで面白いのだが)今回は強引な進め方になってしまった。

そして二宮和也の父はソープランド通いから始まった借金がもとでラストで
自殺。結構重いシーンなのだが、映画はあんまり「人間の生と死」を少しは
理解すると言うようなとこには行っていない。
また先の屋形船の大人も自殺した二宮の父も同じ大人だということで
大人というものを少しは理解する、といった展開もないのが惜しい。

もっともそう感じるのは、私自身も屋形船に乗ってるような大人だから
青春映画を楽しめなくなってしまったのか。

キャラクターとしては、新聞配達をしてるうちに知り合った主婦に
童貞を奪われてしまうドジな奴(大野智)が面白い。

またツッパリを桜井翔が演じるのだが、(彼に限らずジャニーズは全員そう
だが)かわいらしさゆえに全然ツッパリらしくない。
全然似合わないのだよ。

個人的には松本潤が可愛かったかな?

でも演出は、「やや広角のレンズで人物のアップを捕らえる」、
「可愛い彼女登場の時は花のCGが彼女の周りを覆う」などやたらコミック
の画を見てるような映像ばかりが気になった。
パンフレットを読むと監督はCMやミュージックビデオ出身。
あ〜やっぱり。こういう人は映像の目新しさばかり追ってそれが
カッコいい映像だと勘違いしちゃうんだよね。
とにかく、コミック、マンガの技法を使いすぎ。
多分監督は生まれてから今までに100本位しか映画を見たことのない、
映画をよく知らない人なのだろう。
出なければ映画を愛してない人だ。


なお作品データを観るとこの映画、16mmで撮影され、上映時にビデオに
落とされた形での上映らしい。どうりでイマイチピントが甘いカットがある訳だ。
こんなところが今回、既存の映画館で上映されない理由なのかも知れない。
(でも16mmで撮影されてビデオでの上映って、それって映画って呼べるの?)



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スターシップ・トゥルーパーズ


日時 2002年11月4日
場所 レンタルビデオ
監督 ポール・ヴァーホーベン


(詳しい内容はキネ旬データベースで)

未来世界。軍事政権によって支配される世の中。
地球は異星からやってくる昆虫型生物の侵略にあっていた。
高校を卒業したジョニー、カルメン(女の子)、カールの仲良し3人組は
軍人養成学校に入学する。
厳しい訓練にくじけそうになるジョニーだが、異星人の本格的攻撃が
始まり両親がなくなったと知るや、復讐の鬼と化し前線を希望する。
再会したジョニー、カルメン、カールは力を合わせ、昆虫の弱点を
探ることに成功する。
さあ、反撃はこれからだ!!


まあなんとも勇ましい映画だ。
「スターウォーズ」と「エイリアン2」と「フルメタル・ジャケット」を
ミックスさせたような迫力。

昆虫型の敵との戦闘シーンは本当に勢いがあり、見ていて飽きを感じさせない。
だが「スターウォーズ」との最大の違いは血なまぐささだろう。
兵士の血しぶきは飛び交い、下半身をもがれて苦しむ兵士は登場し、
また戦闘シーンでなくてもいわゆる傷痍軍人が数多く登場し、
戦闘のすさまじさを彷彿とさせる。


でもこの映画を単純なSFアクションとして楽しむものはいないだろう。
妙に気になる構造をもった映画なのだ。

映画は未来世界の宇宙連邦軍の入隊勧誘CMから始まる。
「軍隊経験者には市民権が与えられ、立派な人になりましょう」と言うわけだ。
主人公たちは高校を卒業すると同時に軍人養成学校に入学する。
主人公のジョニーは「ガールフレンドのカルメンが宇宙パイロットを志願したから、
自分もいいところを見せようと思って」という単純な動機で志願する。
訓練中の失敗のために一度は除隊も考えるが、両親が異星人の攻撃にあったと
知るやもう一度戦う決意をするという単純な奴。
で最後は立派な小隊長になる。
そして最後は駄目押しのごとく「宇宙連邦軍に入ろう!」というCMで終る。

こう書いても解るだろうが、ストーリーがまるで戦時中の「戦意高揚映画」なのだ。
「ハワイ、マレー沖海戦」もびっくりの構造だ。
くどいくらいに登場する宇宙連邦軍入隊勧誘のCM、これが妙に強烈なのだ。
このCMがなかったら単なる「戦闘シーンは迫力があってよいが、ストーリーは
『パールハーバー』並につまらない」という評価で終ったろう。

単なる現代版「戦意高揚映画」にも見える。
しかしこのくどいくらいのCMがかえってそんな「戦意高揚映画」のパロディに
見えてくる。
映画はそれをはっきりと示していない。

原作は本当に戦意高揚のような軍事右翼小説らしいが、映画はそういう風にも
見えるし、そういう原作に対する大いなるアイロニーのようにも見える。
不思議な、見ようによっては180度見方が変わってくる映画だ。
もう一度見たくなった。

妙に頭からこびりついて離れない。
(1週間後、コレクターズ・エディションのDVDを買ってしまった。嗚呼)



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荒野の七人


日時 2002年11月3日
場所 レンタルビデオ
監督 ジョン・スタージェス


(詳しい内容はキネ旬データベースで)

言わずと知れた黒澤の「七人の侍」の西部劇版だ。
先日、「七人の侍」も見たことだし、その他事情もあって見た。

メキシコの寒村イスカトランの人々は、毎年カルヴェラが率いる野党に
収穫を奪われていた。村の長老の提言によりガンマンを雇い
カルヴェラたちと戦うことにする。
集まったガンマンはクリス(ユル・ブリンナー)のほか全部で七人。
やがて村人とカルヴェラたちとの戦いが始まる。


ストーリーの概略は「七人の侍」と同じ。
七人の設定は
勘兵衛=クリス(ユル・ブリンナー)、
五郎兵衛=ヴィン(スティーヴ・マックイーン)
久蔵=ブリット(ジェームズ・コバーン)、
平八=オレイリー(チャールズ・ブロンソン)、
菊千代+勝四郎=チコ(ホルスト・ブッフホルツ)
二人オリジナルで、落ちぶれた賞金稼ぎリー(ロバート・ヴォーン)、
クリスの旧友ハリー・ラック(ブラッド・デクスター)
の七人に移された。
(多少の違いはあるがまあ大体こんな感じだ)

で、はっきり言うけどあんまり面白くない。
この「荒野の七人」を見るまで意識しなかったのだが、「七人の侍」の面白さは
実は「侍」というものに対する日本人の精神的憧れに基づいたドラマだったのだ。

やはり日本人は「侍」というものに「人間としてかくあるべき姿」というような
憧れをもっている。「武士道」という言葉も同様だ。
その憧れの具体的な姿が「強さ(久蔵)」、「リーダーシップ(勘兵衛)」、
「優しさ(平八)」、「忠誠心(七郎次)」、「向上心(勝四郎)」ではなかったのか?
そういう憧れを持った武士が、身分の低い百姓のために戦うという意外性から
物語ははじまる。
そういった侍に対する尊敬の念が根本にあるはずなのに、
その辺の大前提がスパッと抜け落ちてしまっているのだ。

ガンマンと侍がただ「流れ者」という共通点によってのみ、物語は翻案されている。
いささか論が強引だが、つまりストーリーの上っ面をなぞっただけで面白さの本質を
移してないのだから面白くなりようがないのだ。

この「荒野の七人」はユル・ブリンナーの企画から始まったときいた事があるが、
彼らは本当に「七人の侍」を理解していたのだろうか???
単なるアクション大作としての面白さしか見ていなかったのではないだろうか???


オレイリーが村の子供たちに好かれて「お父さんなんか意気地なしで嫌いだ。
おじさんみたいになりたい」と言われて「責任感をもって家族を守るのは
大変なことなんだ。俺みたいな流れ者とは違う。お父さんのことを悪く言うのは許さん」
と子供をしかるシーンがある。
このシーンに象徴されるごとく、この「荒野の七人」ではガンマンは
「ガンマンってのは一つ所には住めないヤクザな流れ者よ」といった存在で
登場する。

もちろんこの視点は面白いのだが、やはり黒澤の「七人の侍」と比較した場合、
「侍」と「ガンマン」は必ずしもイコールになっていない。
映画としては致命的な失敗だ。

再度いうがアメリカ人は「七人の侍」を本当に理解してるのだろうか??
そのことがすごく疑問に残った。



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OUT


日時 2002年11月3日18:45〜
場所 新宿ピカデリー3
監督 平山秀幸

(公式HPへ)


桐野夏生のベストセラー小説の映画化。
原作は読もうと思ったけど、結局読み逃していた。

雅子(原田美枝子)、ヨシエ(倍賞美津子)、邦子(室井滋)
弥生(西田尚美)は東京郊外の弁当工場で働くパート仲間。
雅子は夫のリストラで家庭崩壊、ヨシエは老人介護、邦子は
ブランド狂いがたたってのカード破産、弥生はギャンブル好きの
亭主からのドメスティック・バイオレンスとそれぞれに行き詰まった
生活だった。
しかし、ある日弥生は夫を殺してしまう。
そして他の3人で死体をバラバラにして捨てることにする。


先の見えないトンネルにいるようなそんな4人の閉塞状況は
解るのだが、なにか心に迫ってくるものがない。
もちろん4人はそれぞれ追い詰められて入るし、
「ここではない、何処かへ」行きたい気持ちにもなるだろう。
でもなんとなく説得力に欠けるのだ、私のとっては。

特に弥生が亭主を殺した後の処理を雅子が何故一人で
やる気になったのか今一つよく解らない。
その辺の説得力がイマイチなので(全く理解できないわけでもないが)
この映画の世界の入りきれず、ストーリーの粗ばかり目立った。

特に間寛平のヤクザ(似合ってない)が何故ヨシエの家にたどり着いたのか
どうやって解ったのかがよく解らないとか(多分原作ではこの辺の過程が
丁寧にかかれているとは思うが)。

「オーロラを見てみたい」という理由で旅をするのは解るのだが
「そーだよなあ、俺もそうしちゃうよ」と言うようなの説得力が全体的に
(僕にとっては)不足しており、つまらなくはないけど
面白くもない、そんな作品にしかなりきれなかった惜しい作品だった。

でも原田美枝子を久しぶりに見たが、オバサンになってたなあ。
「大地の子守唄」なんてのに出てた頃から比べると年取ったよ。
でも今でもきれいだなあと思った。

あとこの作品、旧松竹邦画系で公開されてから松竹作品かと思ったら
配給は20世紀FOX。
配給会社も変わってきたねえ。ちゃんと20世紀FOXのマークは最初に
出てました。
作品の評価とは関係ないけど、日本映画史の一コマとして記しておく。



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吸血鬼ゴケミドロ


日時 2002年11月2日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 佐藤肇

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


これぞB級ホラーSFの見本!!って感じの映画。
なんてったって「ゴケミドロ」ですよ、
ゴミとヘドロが合わさったような気持ち悪いのが出てきそうな
感じがするじゃありませんか。
長らくこの映画を見なかったのも、私の深層心理でこの「ゴケミドロ」
という言葉のもつ語感が邪魔していたのかも知れません。

羽田発伊丹行きのジェット旅客機(といっても乗客は10人程度だが)
は途中巨大な発光体と遭遇した後、計器に異常が起き墜落する。
墜落したのはどこかわからない山の中。
与党大物政治家、与党に献金する武器会社の専務(金子信雄)とその妻、
精神科医、宇宙生物学者(高橋昌也)、自殺願望の青年、夫をベトナム戦争で
なくした金髪美人、それに外国要人の暗殺を行った殺し屋(高英夫)らの
8人の乗客と副操縦士(吉田輝夫)とスチュワーデスが生き残った。
殺し屋がスチュワーデスを人質に逃げたが、行く手に光る宇宙船が!
ドロドロとしたゲル状の怪物が殺し屋の体に額から侵入し、彼は吸血鬼と化し、
旅客機の乗客たちを襲いだす!!

こんな感じ。
東宝の「マタンゴ」見たいな遭難ものですが、登場人物はこっちも負けずに
曲者ぞろいです。
一番は金子信雄。与党の政治家の腰ぎんちゃくのように寄り添っていたのですが
途中から裏切り出すあたりの悪役ぶりはさすがです。
そして「精神科医として面白い状況ですね。人間の極限状態が観察できます」
とニヒルな事をのたまう精神科医。(この人が最初に死んでしまうのが残念)

一番まともな人に見えて途中、「私も学者としてゴケミドロに人が吸血されるところ
を見たい」などとマッドサイエンティストと化す宇宙生物学者(高橋昌也)など、
キャラ立ってます。
でも金髪美人が安っぽいモデルみたいで夫をベトナム戦争で亡くした風には
見えないのが難点。(事実そうだったかも)

人間同士のエゴ剥き出しの争いも面白いですが、最後に副操縦士と
スチュワーデスが、遭難現場から逃げ出し一山超えたら
なんと!有料道路も走ってるようなところじゃありませんか!?
だったらもっと早く助けが来てもいいだろう!という突っ込みは
ありそうだが、(今、オールナイト特集上映でもしたら爆笑がおこりそうな
気がした)逃げた先のホテルではみんなゴケミドロに血を吸われていたんですね。

1匹しかいなかったと思われたゴケミドロは何十匹もいたんかい?
と思ってると次に地球に来襲する何十機の宇宙船のカットになり
人類はやがてゴケミドロの餌食になってしまうのであります。

この映画のテーマは再三セリフで高橋昌也が言ってたけど、
「人類が戦争ばかりしてると隙を狙って宇宙人が攻めてくる可能性がある」
つまり「戦争などの争いは止めよう」と言う事。
1968年の製作、先の金髪美人といい、ベトナム戦争は映画の世界にも
莫大な影響を与えたようです。




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恐竜・怪鳥の伝説


日時 2002年11月2日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 倉田準二
1977年製作

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


かなりお寒い怪獣映画とは聞いていた。

77年GW公開だったと思うけど、当時はゴジラ映画も一段落し、
「スターウォーズ」のアメリカでの公開もまだで、
東宝では(結局流れたが)日英合作で「ネッシー」の企画もあり
77年正月には(今はない)ワールドトレードセンターに昇った
「キング・コング」も公開されたそんな頃。
ユリゲラー・ブームに始まった怪奇現象ブームもあり、そんな空気に
乗っかった企画だったと思う。
但し、ヒットした話は聞かなかったし、僕も公開当時は見ていない。
製作から25年経って初めて見た。
噂どうりだった。

ストーリーを簡単に記しておく。

富士の樹海、青木が原で自殺志願の女性が恐竜のタマゴを発見する。
女性は驚いて町まで逃げ帰ったが、錯乱状態で誰も信用しない。
しかし、古生物学者を父に持つ地質学者の渡瀬恒彦は青木が原に向かう。
西湖のほとりで元恋人のカメラマンと先会する。
西湖ではボートに乗った人が帰らなかったり、首だけがない馬が
捨てられていたり、妙な事件が相次ぐ。
恋人のカメラウーマンの助手が湖の恐竜に食いちぎられ、村は
大勢の学者や最新式のソナーなどで湖を探してもらうが何も
発見できない。
調査は打ち切られ、村は湖に爆雷を投げ込む事にする。
ちょうどその時、渡瀬恒彦と恋人のカメラウーマンは湖を潜って探索中だった。
爆雷に流されるうちに洞窟に入り、上がってみたところに恐竜たちはいた。
首長竜のほかに翼竜も登場し、2匹は対決を始める。
その時富士山は噴火し、翼竜はどっかに行ってしまい、首長竜のほうは
地面の裂け目に落ちていく。
渡瀬と恋人は裂け目に落ちそうになりながらも、なんとか助かる。

で終わり。
ハリボテの首長竜に、ゴムのおもちゃを吊るしただけのような翼竜も
ひどいけど、最高のひどさは東映役者陣でしょうなあ。
渡瀬恒彦意外、名前と顔が結びつく人が一人も出てないノースターで
味のあるバイプレーヤーなんてのは出てこない。

演技の仕方、(表情とか台詞回し)衣装、その他もろもろが完全に
実録ヤクザ映画のノリ。
出てくる役者が渡瀬恒彦を始め、みんなチンピラか悪徳警察官に見えてくる。
かなり染まってしまっていたんでしょうなあ。
こっちも東宝の怪獣映画に洗脳されてるのかも知れんけど、
まるっきり怪獣映画とは水と油な感じなのだよ。

音楽も東映実録映画にありがちだった、エレキギターと管楽器の組み合わせで
「仁義なき戦い」を安っぽくした音楽なのだ。

途中途中にこの首長竜が登場して人間を襲うんだけど、口のアップとか
ヒレのアップとか、尻尾のアップだけで全体像は出てこない。
うまくやれば小出しに怪物を登場させる演出になるんだろうけど、
出てくる部分部分が全部安っぽいハリボテなんだ。

また村祭りのシーンで村のチンピラが恐竜の背びれだけを作って
「恐竜が来た!」と脅かすシーンなどは明らかに「ジョーズ」の安っぽい
焼き直し。
首長竜に女性が食いちぎられるシーンなど、水中からあおるカットあって
この辺も「ジョーズ」のパクリ。
パクってもいいけどもっとうまくやってよ。

最後に翼竜と首長竜の対決シーンが少しあって、怪獣ファンは少しは
(ホントに少しは)楽しめる。

でも全体的にすべてが「安っぽい」という言葉で表現できる
(安っぽい演出、安っぽい脚本、安っぽい演技、安っぽい美術、安っぽいハリボテ)
安っぽい映画です、ハイ。



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月世界征服


日時 2002年11月2日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 アーヴィン・ビチェル
製作 ジョージ・パル
1950年製作


(詳しい内容はキネ旬データベースで)

アメリカのSF映画といえばやっぱりこの人、ジョージ・パル。
これからちょくちょくビデオなどで作品を見直していこうと思う。

で、この「月世界征服」。
最近「アポロは本当に月に行ったか?」などという本も出版されて
アポロの月到達も怪しまれているこの頃だが、宇宙旅行といえば
まずは月です。

「月に最初にミサイル基地を作った国が地球を制する」というわけで
アメリカは月に人類を送る計画を立てる。
やっと完成したが、どこからかの反対運動によって、原子力エンジンテストは
危険があるという理由で中止が余儀なくされそうになる。
主人公の博士たちはテストもしていない段階で出発を決意し発射は成功。
途中、レーダーのアンテナ修理とかのトラブルに巻き込まれたが
なんとか月に到着。
しかし、月着陸の際に予定以上の燃料を使ってしまったために、
帰りの燃料が足りない。
月の研究もそこそこに、残りの時間をロケットの重量減らしに
費やす事になった。
しかしどうやってもあと100ポンドほどの重量を減らさなければ
ならない。誰か一人が残る事も検討され、皆私が残ると主張したが
何とか重量減らしに成功し、無事月を離れる事が出来た。
地球はもう目の前だ。


というところで終わり。
最後に「THE END 」と出た後、一拍おいてその下に「of the beginning」と
エンドタイトルがでて、さも「これからこの映画を現実のものにするのだ」
という決意が感じられる。

月に行こうとする動機が「月にミサイル基地を作ったほうが地球を制するから」
というもの。製作が1950年(昭和25年)、つまり朝鮮戦争の頃ですから、
もう時代は冷戦時代です。
映画ではこの月計画を邪魔しようとする勢力がなんとなく存在するのですが、
(はっきりとは言わないが)つまりこれはソ連のスパイの事だったんだろうなあ。

特撮のほうはそれほど目立つ所はなく、円谷の「宇宙大戦争」の方が
見所は多い。
円谷の「宇宙大戦争」「妖星ゴラス」の根底の思想などは
「人類が力を合わせれば何にも恐いものはない。争いは止めて力を
あわせよう」ということだったが、やはりアメリカ映画では
「世界平和のために、『アメリカ』が世界を制する必要があるのだ」という
思想で満ちている。
これは実際のアポロ計画の思想そのものであり、ある意味プロパガンダ映画
だったのかも知れない。

あと各企業の協力を得るために月旅行の簡単な理論を解説するシーンがあるのだが、
ウッドペッカーを使ったアニメーションを使っているのは面白かった。



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