2002年10月

クワイエット・ファミリー 証人の椅子 日本の熱い日々
謀殺・下山事件
夕陽に赤い俺の顔 七人の刑事
終着駅の女
国際秘密警察
虎の牙
七人の侍
Dolls(ドールズ) サイン 宣戦布告 阿弥陀堂だより

 

クワイエット・ファミリー


日時 2002年10月27日
場所 録画ビデオ
監督 キム・ジウン
製作 1998年

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


2002年2月に公開された日本映画「カタクリ家の幸福」のもとネタ、
というか原作になった韓国映画。
ストーリーは大体同じで、
ソウルから田舎にやってきてペンションを開いたが客は来ない。
やってきたと思ったらその客は自殺してしまい、悪い噂を
恐れた一家はその死体を山に埋めてしまう。
しかし、次々とやってくる客はみんな死んでしまう。

という感じ。
後半がちょっと違っていて、村長の腹違いの妹を遺産をめぐる争いから
主人公のペンションで殺してしまおうと計画するあたりが違ってくる。
腹違いの妹のとなりの部屋に、村長が雇った殺し屋を泊めさせるという
形で協力するのだ。
で、最近行方不明になった者がいるということで、様子を見に止まりにきた
警官をその殺し屋と間違え、肝心の殺し屋をただの客と間違えるくだりは
(まあ)面白かった。

でもはっきり言って、全体としては面白くない。
ホラーにしては恐くないし、コメディにしては笑えないのだ。
笑いのセンスが日本人と違うのだろうか??
ミュージカルという形にまで悪乗りしてブラックコメディにまで
発展させた日本版のほうが僕は好きだし、面白かった。

最後、埋めた死体が大雨で土から露出して今度は裏の倉庫ごと
燃やすんだけど、さっきの村長の腹違いの妹を殺そうとした殺し屋
だけは別になっている。
映画の中でテレビの中で「北朝鮮の潜水艦が座礁して工作員が潜入した」
というニュースが繰り返し報じられるけど、さっきの殺し屋は
北朝鮮の工作員として警察に処理されるというオチがつく。

韓国においては北朝鮮の工作員の上陸はそんな日常茶飯事のことなのか??
日本だったら、それだけで「宣戦布告」が出来ちゃうからなあ。
お国柄の違いを感じた。

映画は面白くなかった。
演出のポイントの違いだろう。


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証人の椅子


日時 2002年10月27日
場所 録画ビデオ
監督 山本薩夫

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

1953年11月、徳島市のラジオ商・山田徳三が殺された。
警察の初動捜査は強盗殺人の線で捜査が行われたが、
事件は全く解決しない。
山口検事(新田昌弦)は内部犯行説を唱え、被害者の内縁の妻、
葛西洋子(奈良岡朋子)を逮捕する。
決め手はラジオ商の住み込み店員、柳原と坂根が犯行の手伝いをしたと
自白した事だった。
洋子は無実を訴えたが、裁判では一審、二審とも有罪。
最高裁への上告は裁判に疲れた洋子が断念した。
ところが数ヵ月後、沼津の警察に「ラジオ商事件の自分が犯人だ」と
名乗る男が現れた。
男の供述にはあいまいな点が多く、狂言と判断される。
しかし、このことをきっかけに洋子の甥で陶器商・浜田(福田豊土)は
柳原と坂根を中心に証人たちの自供の確認を始める。
もともと物証に乏しく、証人の自供のみで成り立った裁判だった。
柳原や坂根も浜田の執拗な追及に、ついに証言は検事の誘導に
よるものだったと自供する。
しかし、再審への道のりはまだ遠い。


映画はここで終る。
事実はその後、富士茂子(映画では葛西洋子)さんは死亡し、死後再審が
行われ、85年に無罪を勝ち取った。
従ってこの映画が製作された65年時点ではまだ再審請求中だった。

山本薩夫らしい、権力の横暴は絶対許さないという意気込みが
映画から伝わってくる。
そして山本の素晴らしい所は、映画の娯楽性をちゃんと心得ていて、
観ていて本当に面白いのだ。

検事、マスコミらの執拗な追及に証人、柳原は2度までも自殺を考える。
2度目の自殺を浜田に止められたあと、浜田に「死ぬなんて弱い事、考えたら
あかん。なんとか真実を追究するんや」とはげまされるところは
将来に希望をもたせるすがすがしいエンディングになっていて、
ホッとさせられる。

映画のほうは主役、というか事件追求中心人物・浜田を福田豊土が演じるという
地味ぶり。
葛西洋子を誤認逮捕する山口検事を新田昌弦、検察側に下条正巳、
大滝秀治、庄司永建、弁護士に浜田寅彦、その他、加藤嘉、佐野浅夫
吉行和子、野村昭子という言ってみればノースター映画。
花となるような役者がいない。
しかしこれが返って映画の真実味を増す。
福田豊土の主人公をスター級の役者が演じたら、事件が解決しないことに
かえってもどかしさばかりが残ったかも知れない。

特に福田豊土はよく、市井の人々の代表のような存在でなんだか観てる
庶民の私まで強くなったような勇気を与えてくれる。

映画の社会性と娯楽性、両方を併せ持った秀作だ。
また同時に山本薩夫の代表作だろう。



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日本の熱い日々 謀殺・下山事件


日時 2002年10月27日
場所 録画ビデオ
監督 熊井啓

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

昭和24年7月、10万人に及ぶ人員整理に国鉄は
ゆれていた。そんな中、下山国鉄総裁が常磐線の五反野付近の
線路で死体となって発見された。
東大は死後轢断つまり他殺説で慶応医学部は自殺説を唱えた。
昭和新報記者・矢代(仲代達矢)も他殺説をもとに取材を開始し
常磐線の線路に血痕を発見する。
他殺は間違いない。
だが彼と捜査2課の捜査もむなしく、事件は真相はあいまいなまま
捜査本部は解散される。
7年がたち、矢代のもとに1通の手紙が送られる。
その手紙は下山総裁の誘拐を手伝ったという男からのものだった。
真偽を確認するため、矢代は警視庁の大山刑事(山本圭)と北海道に向かったが、
手紙を送ったとされる男を確認する事は出来なかった。
また数年がたち下山総裁の死体を線路に運んだとされる男・丸山(隆大介)
が見つかった。
矢代の執拗な追求についに男は自供した。
しかし、血痕のついた場所と丸山の話に食い違いがあり、真実かどうかはっきりしない。
そんな中、丸山がホームから線路に落ちて死んだという連絡が入る。


なんともすっきりしない映画だ。
事件は解決せず、矛盾点だけが残る。
この映画が映画として面白くないのはこの「すっきりしない」という点なのだ。
「日本列島」なども真実ははっきりせず未解決で終るのだが、それにしても
真実への道筋はつけられ、この作品ほどすっきりしない終り方はしなかった。

解ってる事実が羅列される。
熊井啓らしい真面目な取材に基づくもので、この映画に描かれる
シーンは若干の創作はあるにせよ、出てくるエピソードは事実に
基づくものだろう。
だからこそ真実味があっていいのだが、説明のつかない点がそのまま
説明されずに観客に投げ出されてしまった。

もちろん「アメリカの謀略だ」と決め付けるフィクションにしてしまうやり方も
あったろうが、熊井啓は今回そのやり方をとっていない。
映画中出てきた証言の食い違いはなんだったのか?
ガセネタなのか?
単なる勘違いなのか?
消化不良の感想ばかりが残る。

しかし、熊井啓も言っていたが、自殺、他殺どちらにせよ、
下山総裁の死は結局は国鉄の人員整理の口実になったことは明らかであり
政治的に利用された事だけは確かだ。

最近はこういった真実追及の映画がなくなったけど、
考えてみればワイドショーが憶測、推理を交えてよくも悪くも
全部やってくれてるから、もう映画にはならんのかなあ。
テレビがウソもホントも全部しゃぶり尽くしちゃったから。

主演の仲代は相変わらず熱のこもった演技。すぐ怒りを爆発させたり
目をひんむいたり、相変わらずテンションが高い。
協力する刑事・山本圭も同様。
この二人の演技がややステレオタイプでちょっと気になる。

脇役で神山繁、稲葉義男、新田昌弦、滝田祐介、仲谷昇、浜田寅彦、小沢栄太郎、
井川比佐志、大滝秀治、草薙幸二郎、信欣三などなどの豪華な面々。

真相がすっきりしない後味の悪さは残るけど、戦後史を知りたい人には
欠かせない勉強になる映画です。


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夕陽に赤い俺の顔


日時 2002年10月26日
場所 録画ビデオ
監督 篠田正浩
脚本 寺山修司

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

篠田正浩=寺山修司脚本の松竹ヌーベルバーク時代の作品。
タイトルがなんだか小林旭か宍戸錠のような日活風で
ずっと気になっていたのだ。

8人組の殺し屋グループ(渡辺文雄、平尾昌章、小坂一也、三井弘次、内田良平
炎加世子、水島弘、諸角啓二郎)のマネージャー(神山繁)は水田建設の
水田専務から殺しの依頼を受ける。
「いちばん腕の立つ奴に」ということになり、8人組の中でトーナメントが行われる。
やり方は競馬場で一着になる馬の騎手の帽子を打ち抜くこと。
8人が構える中、撃ち落したのは通りかかった射撃の名手・石田(川津祐介)だった。
今回の仕事は石田に譲った8人だったが、石田がプロの殺し屋でないと知ると
「プロの職場を素人に荒らされちゃかなわねえ」と石田を殺しにかかる。
一方、水田が殺したい相手は業界紙の編集長(西村晃)の秘書(岩下志麻)だった。
彼らの運命やいかに??


こんな感じの話だけど、見てて鈴木清順の「ピストルオペラ」に似てない??
と思ってしまった。
プロの殺し屋同士の殺し合い、という点ではすごく似てるのだよ。
殺し屋集団に医者がいるとか、ストーリー、設定など似てるなあ。

清順ほど画が凝ってないので強烈な個性は感じないが、おのおのの殺し屋の
とがった個性など、アングラ劇を見てるようだった。
(渡辺文雄の殺し屋が、「殺し屋家業も組合を結成し、労働条件の改善を図るべきだ」
と主張するのだ。あと平尾昌章の「殺そうとするとジャズが聞こえてきて
スイングしてしまう」とかさ)

こういうセリフに面白いところは少しはあるが、でもやっぱり小劇場演劇のような
「一人合点の面白さ」を感じるところがあり、やっぱりあまり好きには
なれない作品だった。



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七人の刑事・終着駅の女


日時 2002年10月20日
場所 録画ビデオ
監督 若杉光夫 

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

昭和40年製作。
言わずと知れたTBSの人気刑事ドラマ「七人の刑事」シリーズ
の映画化。この作品は日活製だがこれより前に2本「七人の刑事」
が映画化されているが、その2本は松竹製らしい。

上野駅の岩手方面行きの列車ホームで女が刺殺された。
捜査を開始する警視庁捜査一課の七人の刑事(芦田伸介たち)
と上野署の面々(大滝秀治たち)。
身元不明のため、捜査は難航するが、刑事たちの地道な捜査により
殺された女性はヤクザの売春宿で働かされており、そこから抜け出して
故郷に帰ろうとした時に、ヤクザに殺されたのだとわかる。
事件には東北からの出稼ぎ労働者たちの厳しい実態が根底にあった。

ストーリーはこんな感じ。
芦田伸介の沢田部長刑事をはじめとする刑事の面々はテレビと同じ。
テレビ版は「ドキュメンタリータッチで捉えられた社会派刑事ドラマ」
という評判を聞いたことがあるが、この映画もその路線に沿っている。

「ドキュメンタリータッチ」と言うのが観る前はよくわからなかったのですが、
カメラはほとんどがハンディキャメラで、音は同録で行い、わざと聞き取りに
くくしてある。
(当時の同録はマイクの性能が悪く、不必要な町の雑踏の音が入ってしまうので
ドラマや映画の撮影はアフレコで行われることが多かった)

ところがこの「七人の刑事」は画はハンディキャメラで、音は聞き取りにくい同録なので
役者の演技でありながら、あたかも実際の刑事の捜査を撮影してるかのように
見えてくる。

またエピソードも身元不明の死体に対しての問い合わせをしてくる人々を
複数描き、また「並び屋」や「置き引き」などの上野駅に巣食う人々の話も
挿入され、このあたりの構成もドキュメンタリー的。

身元不明の死体について自分の娘ではないかとやってくる人々。
そこには東北から出稼ぎに東京に出て行ったまま連絡が途絶えた
数多くの人々がある。
東京に出て来たもののなかなか思うようにいかず、ついには売春宿で
働くしかなくなってしまう多くの女性。
本筋とは関係なく挿入される東北から出てきて行方不明に
なった娘を探す母親役の北林谷栄のエピソードがいい。


事件の被害者もその一人。被害者と同じ店で働き、同じように東北からの出稼ぎで、
売春婦になってしまった女性を笹森礼子が好演。
被害者や笹森が働いていたヤクザの売春宿が警察の捜査を受けると、笹森は
「また新しい働き口見つけなくちゃ」とつぶやき、力なく立ち上がるところがいい。
(日活アクションでは赤木圭一郎の相手役で、明るい娘役が多かった
笹森だけに、この役は「へーこういう役もやってたんだ」と見直した)

そういう出稼ぎ者の人間模様を縦軸に描きながら、東北から出稼ぎ者に対して
主人公の刑事たちは「犯人を捕まえる」ということしか出来ない。
そして上野駅には新たに上京してきた若者たちであふれている。
果たして彼らも被害者と同じ道をたどってしまうのだろうか?

そしてこの映画、なんと音楽が一切ない。
有名な「む〜む〜〜」というハミングのエンディング曲も流れない。
音楽で盛り上げようとするあざといことはしていない。

この静かに、しかし重く語る語り口がこの映画の魅力。
面白かった。そしてよかった。



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国際秘密警察・虎の牙


日時 2002年10月20日
場所 録画ビデオ
監督 福田純

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

東南アジアの小国・アラバンダは内戦が繰り返され
政情不安定だ。産業省次官・クリマ(中丸忠雄)は武力でなく
経済力で国を発展させようと考え、日本の商社マン・北見
(三橋達也)〜実は国際秘密警察員〜をボディ・ガードにして
洪水に苦しむアルバニアのダム建設の資材買い付けのため日本に
向かう。
しかし、クリマの本当の目的は旧日本軍も研究した毒ガス、
イペリットガスをアラバンダに持ち帰ることだった。
すべてを北見に暴かれたクリマだったが、自分も北見と
同じく旧陸軍のスパイ養成機関・中野学校の出身の日本人
だったと告げる。


国際秘密警察シリーズ第2作。
1作目の「指令第8号」も地味な作品と書いたけど、
これも地味。
キャラの際立った殺し屋も登場しないし、派手なアクションもないし、
秘密兵器は全く登場しない。
但し前作の佐藤允のように主役を奪ってしまうような人物も
いないので北見(三橋達也)は主役でいられる。
中丸忠雄の秘書(黒部進)がもう少し派手なキャラだったら
少しはアクセントがついたのだが。

そして最後は「自分は中野学校の出身で、中野学校の教育のせいで
戦争や血と硝煙のにおいがなければ生きられない人間になってしまった」
と自らの心情を吐露するが、北見に「中野学校に押しつぶされたんじゃない。
貴様が自分で押しつぶされたんだ。云々」と言うシーンがある。
言わんとしていることはわかるのだが、そういう話は「ここでは」
して欲しくない。
娯楽スパイ物として割り切った作品を作って欲しかった。

ユーモアとか際立った殺し屋とか、何か遊びの要素を取り入れて
欲しかった。
監督の福田純はこういった遊びの嫌いな真面目な人だったのかも知れない。



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七人の侍


日時 2002年10月14日
場所 録画ビデオ
監督 黒澤明

「七人の侍」については名画座に記載しました。

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Dolls(ドールズ)


日時 2002年10月13日19:30〜
場所 新宿ピカデリー1
監督 北野武

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見事な映像美だった。
特に赤、青、黄の3色が実に色鮮やか!

西島秀俊と菅野美穂をつなぐ紐の赤、時折変わる二人の衣装の
青や黄色や赤の鮮やかさ!西島秀俊の車は黄色だ。
菅野美穂が遊ぶおもちゃの赤。
松原千恵子の赤のワンピース、アイドルオタクの温井(ぬくい)
が着ている警備員の衣装の青と安全帯の黄色、
そして紅葉の赤!!!
いやいや今書いたことはほんの一部に過ぎない。

思い出せないぐらいあちこちで登場する赤、青、黄の
絵画のような主張のある色使いだ。
「阿弥陀堂だより」も絵がきれいだと書いたが、あの美しさと
この「Dolls(ドールズ)」は違う。
「阿弥陀堂〜」はまるで観光地の絵葉書のような現実の美しさを
さらに強調するような美しさだったが、この作品は赤青黄が意図的に
散りばめられ、一つの新しい世界を構築している。

ストーリーは単純。
3つの一種偏執狂的な危険な愛が語られていく。
自殺未遂をして心に異常をきたした恋人(菅野美穂)を連れて旅する男
(西島秀俊)、何十年も前に分かれた男(三橋達也)を毎週弁当を
作って待ちつづける婦人(松原千恵子)、人気アイドル(深田恭子)と
その追っかけ青年(武重勉)のそれぞれの3組の愛のドラマ。

それぞれの愛は自殺未遂(菅野=西島)、時の流れ(松原=三橋)
交通事故(深田=武重)により崩れてしまう。
しかし、一組は常に手の届かないところにいて、なおかつライバルに負けていた
憧れの女性が最後に自分の名前を呼んでくれたことにより、
別の一組は時の流れのため、自分を誰だかわからなかったのに、やがて
「あなたが代わりに来てくれるから・・・」と自分を認めてくれたことにより、
もう一組は幸せだった時代にプレゼントしたペンダントを認識してくれた
ことにより、それぞれの愛は復活、成就する。

だが再び運命によってそれぞれの愛は崩れ去っていく。
哀しい愛の物語たちだ。

この映画は言葉で語るものではない。
そもそも言葉で語れないから映画にしたのだ。

セリフもいつもの北野映画らしく極端に少ない。
映画の最初のセリフが「つながり乞食」なのだ。
テレビ放送なんか最初っからまるっきり無視しているとしか
言いようがない。
セリフと字幕の説明過剰のテレビに慣れきった頭の悪い観客自体を
拒絶している。
それができる自信、及び力を持っているのは今の日本では
北野武だけだろう。

惜しいのはいくら文楽を下敷きにしたとはいえ、文楽をそのまま
撮影し、使用したところ。
僕だって文楽は見たことないけど、文楽を知らない外国人に説明の
ためにでてきたようで、なんだかいやだった。
国内に向けては強い態度で出て、海外向けには腰の低い(感じのする)
北野武の顔が見えたような気がして、そこが実に惜しい。
この作品の欠点としてここに記しておきたい。




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サイン


日時 2002年10月12日21:10〜
場所 ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘
監督 M・ナイト・シャラマン

(公式HPへ)

他のHPでの映画批評は観る予定の映画は読まないように
している。理由はあんまり先入観を持ちたくないから。
この映画は前に「トータル・フィアーズ」を見た時に
劇場にミステリーサークルが描いてある巨大ポスターを
観てみたくなった。

木曜スペシャルの矢追純一を見て育った世代ですからねえ。
ミステリーサークルと聞いてなにか心にわくわくするものがあります。
だが映画が公開されると映画評を読まなくてもBBSなどで
なんとなく空気は伝わってくる。
その空気は「期待はずれ」

だからあんまり期待しなかったんですよ。観るのやめようかと思ったし。
今日だっていっそ「9デイズ」の先行レイトショーを見ようかと
迷ったんですから。

観てみたら面白かった。
多分期待はずれだった人は「インディペンデンス・デイ」的な
正統派侵略SF物を期待したんじゃないでしょうか???
だとしたら外されますね。
この映画の宇宙人侵略はあくまでテーマの背景(手段)であって
目的じゃないんですから。
侵略SFの形を借りた「単なる偶然と考えるか、いわゆる虫の知らせを信じるか」
みたいなことがテーマの映画だったんですから。

この手のタイプのSF物はかつてのテレビシリーズ「ミステリーゾーン
(トワイライトゾーン)」なんかに多かったんですよね。
「誰にも邪魔されずに本が読めることを夢見てた男が、突然の核戦争によって
人類が死滅し、自由に本が読める無限の時間を手に入れることが
出来たのだが・・・・・」
「宇宙人がある町にやってきて町を停電させてしまう。ところがある1軒だけ
電気がついている。町の住民は昨日まで信頼をもって暮らしていたのに
その家の住民を宇宙人の手先ではないかと疑いだし、町の住民の
信頼関係は一挙に崩れてしまう」
両方とも「ミステリー・ゾーン」の話なのですが、それぞれ核戦争や宇宙人侵略を
描いていても、それがテーマではなく手段なんですよね。

だからこの「サイン」もそれと同列の作品ではないかと思います。
結果として侵略SFを期待しなかった分、思ったより楽しめました。

また宇宙人の登場の仕方も、テレビの画像にチラッと写るだけとか
コップの水に写った姿とかストレートでなかったり、人間のリアクション
中心に表現するところなど、CGのおかげで何でも写してしまうそっけない
演出法よりなんぼか好感が持てた。

そしてメル・ギブソン一家がもう宇宙人が襲来するという前の晩に
みんなの好きなものを食べるシーン、円谷英二の「世界大戦争」の
フランキー堺、乙羽信子一家を髣髴とさせるものが有り、
円谷ファンとしては興味深い。

何度も言うけどSFの形を借りた「人間の偶然に対する意識」のドラマでした。
面白かったです。


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宣戦布告


日時 2002年10月5日16:20〜
場所 シネマミラノ
監督 石侍露堂

(公式HPへ)

イヤー面白かった。
2回連続してみた。私が2回続けて映画を見るのは
何年ぶりだろう?
それぐらい面白かったのがこの映画だ。

福井県の敦賀半島に国籍不明の潜水艦が座礁しているのが
発見される。
最初は警察力で解決しようとしたが、完全装備した敵のゲリラの前では
歯が立たない。
やがて民間人にも使者が出て諸橋総理(古谷一行)は閣内に反対意見も
ある中、自衛隊の派遣を決める。
ところがそれが「北」を刺激することになり、「北」はミサイル発射準備
体制に入り周辺各国もデフコン5。
このまま核戦争に突入するのか!!


アメリカ映画ではこの手の核戦争寸前映画は数多く、最近では2002年夏に
「トータル・フィアーズ」も公開されたが、日本映画ではこの手のジャンルの
映画は皆無と言ってよい。
日本でのポリティカル・フィクション物といえば山本薩夫の政治家映画が
中心だったと言ってよかろう。

それがずっと不満だった。
小説の世界では森詠の「日本朝鮮戦争」や北朝鮮の原子力発電所のメルトダウンを
描いた豊田有恒の「凍土の核」などが名作が多いだけに、映画でそういう作品が
ないのがずっと悔しかった。

そんな時に出てきたのがこの「宣戦布告」だ。
公開前から私の期待は120%。
そしてその期待は裏切られることなく、大満足だった。

古谷一行総理、佐藤慶官房長官、天田俊明外務大臣、杉本哲太総理首席秘書官、
河原崎健三総理秘書官、石田太郎防衛庁長官、鶴田忍防衛庁事務次官、
財津一郎総務庁長官、中田浩二警察庁長官、西田健警備局長、
そして夏八木勲内閣情報調査室長。
(特に諸橋総理は映画史の歴代総理では「日本沈没」の山本総理(丹波哲郎)に匹敵するよさ)

これらのベテラン演技陣の政府首脳の混乱ぶりはリアリティいっぱいだ。
本当にこういう自体が起こった時、まさしくこうなるのではないかという
パニックぶりが面白い。
このあたりは一歩間違えばコメディになってしまうところだが、
そのきわどい寸前のところで何とか踏みとどまる事に成功している。

総理が「面倒なことはいやだよ」とか、官房長官が「また北は金を出せというんでしょう。
全くばからしい」とか、防衛庁長官が「自衛隊はかくあるべきですなあ」とか
「君たちがそういって反対ばかりしてる間に死者が増えるばかりじゃないか!」
と言われて「私が反対してるわけではありません。私は憲法の話をしてるだけです」と
答える防衛庁事務次官など、新聞には決して言わない大臣たちの本音が出てしまう
あたりの描写が特に面白い。

また現場サイドでは、あくまで責任回避をはかるキャリア風の塩屋俊福井県警本部長、
(湾岸署の刑事課長から大出世の)小野武彦福井県警警備部長、田中実SAT小隊長、
(Gメンから同じく大出世の)岡本富士太公安部長、深水三章外事2課長
などなど、こちらも丁寧にそれぞれに見せ場が描かれており、最近にない
多層構造的な大型映画として仕上がっている。

北朝鮮をモデルにした北東人民共和国のスパイが夏木マリというあたりが
なんだか007並みの薄っぺらさでちょっと気になったが、そんなことは
吹き飛ばすほどの全体の完成度の高さだ。

戦闘シーンも迫力があり、「あさま山荘」の時のように放水と催涙弾を使えば
もっと何とか成るのでは?とつまらぬことが気になったが、
手榴弾1個使うのにも総理の許可が必要な自衛隊ジレンマが伝わってくる。
最後に「君たちは兵隊ごっこをしていたのか!」と怒鳴りつける官房長官の気持ちも
わかる気がする。

セットも「日本のいちばん長い日」にも登場した官邸の閣議室が特に立派!
不満なのは上映時間が1時間46分とちょっと短いところ。
特に自衛隊派遣についての党内一本化のために党の長老・財津一郎との駆け引き
などはもう少しあってもよかったのでは???
もしカットされていたのだとしたらDVD化の際に「完全版」として
復活してもらいたいものだ。

しかしこの映画は単純に「だから日本も憲法改正が必要なのだ」などと
言っているわけではない。
オープニングの外国の来賓にいう総理の言葉「鞘の中(さやのうち)」の精神、
(戦わずして相手に勝つ)が何度か登場する。
このセリフがなかったら単なる「有事法制、憲法改正宣伝映画」に
なってしまうところだった。

極めて危うい映画だが、このような有事が起こらないことは切に願いながら
娯楽映画として単純に楽しみたい。



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阿弥陀堂だより


日時 2002年10月5日13:20〜
場所 新宿武蔵野館1
監督 小泉堯史

(公式HPへ)

「定年退職世代のいつかは田舎でのんびり暮らしたい願望」の映画化。
一言で言うとこの映画、僕にとってはそういう映画だった。

寺尾聡氏のファンだし小泉監督の前作「雨上がる」が面白かったので
見てみたが、上記の感想しかでてこないのだよ。

主人公の夫婦(寺尾聡と樋口可南子)は妻が女医で、あまりの多忙から
パニック症候群という病気になり、夫の故郷で暮らすことになり、
ふるさとの人々(北林谷栄、田村高広)との心の交流を描く。
というのがストーリーなんだが、正直言って寺尾聡がカッコよすぎるのだ。

夫・寺尾は10年ほど前にある小説で新人賞をとったが、その後はパッとしない
売れない小説家。
その割には二人とも質素(あるいは貧乏)な感じがしないのだ。
寺尾の服装はほとんどシーンごとに違い、ラルフローレンのお洒落なシャツを着て
まるで「大人のファッション雑誌」のグラビアから抜け出てきたようないでたち。
その上乗ってる車がフォルクスワーゲンのステーションワゴンなのだ。

10年間ろくに仕事もしないで売れない小説を書き、妻が優秀な医者なのを
いい事にヒモ同然のくらしをしてきたんかい?と突っ込みを入れたくなるような
男に見えてくるのだ。
金に苦労したことなんかないような(見ようによってはイヤミ)な男に
見えてくる。

人間50歳ぐらいになると都会暮らしも飽きてきて、漠然と田舎でのんびり暮らしたい、
そしてその土地の人々と語り合って暮らしたい、と思うようになるらしいが
そんな願望を映画にしたような感じなのだ。

寺尾の恩師として登場する田村高広は胃がんに冒されていて余命幾ばくもない。
そして最後は苦しむでもなく妻に看取られながらひっそりと死んでいくのだ。
これも定年世代の願望なのだろうか??

北林谷栄が絶賛されているようだが、いつもと同じ感じ。
但し91歳にて尚現役というお元気さには敬服する。

というわけで定年退職世代の夢を描いた映画のようだったが、まだ働き盛りの
私にとっては楽しむには早すぎた。あと20年経ったら見方が変わるかも知れない。
むしろ今の私には死の直前まで働きつづけた「鉄道員(ぽっぽや)」の方が
理想的な歳のとり方に見える。

但し絵はきれいだった。
新緑の春、盛夏の田んぼ、実りの秋、雪の冬、四季それぞれの景色が誠に美しく、
撮影に1年かけられた贅沢さは賞賛に値する。

尚本日は初日で武蔵野館では舞台挨拶つき。
来館者は小泉監督、寺尾聡、樋口可南子、香川京子、小西真奈美。
寺尾氏は「事件も起こらず派手さのない作品ですので、どうか職場やご近所の
皆さんに宣伝してください」というご挨拶。

小泉監督と寺尾氏は出口でお客さん一人一人に握手して見送っておられました。
寺尾氏の大ファンの私としては「また歌を歌ってください」と
声をかけておきました。

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