2004年10月

スイミング・プール
帰ってきた若大将 ホワイトラブ ザ・ゴキブリ F2グランプリ
極底探検船ポーラーボーラ スパイダーマン ガンマ第3号 宇宙大作戦 スウィングガールズ
下弦の月〜
ラストクォーター
あゝ特別攻撃隊 予言 感染
日本海大海戦 あゝ陸軍隼戦闘隊 なぜ彼女は愛しすぎたのか 激動の昭和史
軍閥

スイミング・プール


日時 2004年10月31日19:50〜 
場所 早稲田松竹
監督 フランソワ・オゾン

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イギリスの女流ミステリー作家・サラ(シャーロット・ランプリング)はスランプに陥っていた。
昔からの付き合いの出版社の社長に薦められ、しばらくフランスの彼の別荘で過ごすことにする。
気持ちのいい田舎町で、彼女は再び創作意欲がわいてくる。
しかしそこへ社長の娘ジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)がやってくる。
彼女は毎夜違う男をこの別荘に連れ込み、サラの神経を苛立たせる。
サラのイライラはやがてジュリーへの関心へと変わっていったが、そのジュリーがある夜、
連れ込んだ男を殺してしまう。

シャーロット・ランプリング主演のミステリー。
ミステリーと言っても「別荘で連続殺人事件が起こる!」といったような犯人が探偵にトリックを
仕掛けるわけではなく、作者が観客に罠を仕掛けるタイプ。

ラストの展開に観客は「キョトン」とさせられてしまうのだが、(ある程度予測出来たとは言え)
心地よい。
どこまでが現実でどこからがサラの創作の世界なのか1回見ただけでは判然としないのだが、
何回か見てみるのもいいだろう。

フランスの田舎の風景が美しく、見るものを飽きさせない。
いやそれより美しいのはシャーロット・ランプリングだ。
もういいお年の熟女だが、凛とした美しさが漂っている。
またそのプロポーションのすばらしいこと。後半、胸をさらけ出したときはその形のよさに驚く。
そしてその後ヘアヌードまでさらしてしまう。しかしその体の美しさは共演のリュディヴィーヌ・
サニエにも劣らない。
この映画の成功はまさにシャーロット・ランプリングがあってこそ。

シャーロット・ランプリングの偉大さがわかる、そんな映画。
監督もシャーロット・ランプリングの美しさを撮ることも目的のひとつだったに違いない。



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帰ってきた若大将


日時 2004年10月23日28:45〜30:25
場所 浅草東宝
監督 小谷承靖
製作 昭和56年(1981年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


小谷監督特集最後の作品。
映画が始まると「加山雄三芸能生活20周年記念作品」と出る。
このころはまだ20年だったんだ、と妙な驚きを覚えた。
この映画の公開からまた20年以上経ってるから、加山も40年以上の芸能生活ですね。
TV特番でもよいから「まだまだ元気だ!若大将」として再見したいところ。
まだ田中邦衛も生きてるんだから。
しかしもはや「若大将」とはいえないが。

またこの映画はかの「たのきんトリオ」の映画第1作「スニーカーぶる〜す」と同時上映され
大ヒットした。もちろん観客の大半の若い女の子は「たのきん」が目当てであって
「若大将」を見に来たわけではないと思う。

南太平洋の島国サザンクロス島の大統領顧問をしている若大将こと田沼雄一(加山雄三)は現地に
取材にきていたTVプロデューサーの皆川純子(坂口良子)と知り合う。
また日本に帰った純子はTV番組のスポンサーの青大将こと石山新二郎(田中邦衛)とも知り合い、
青大将から惚れられる。
若大将はサザンクロス島のアメリカからの独立問題の交渉準備のため、青大将は仕事上のトラブル
から、純子はニューヨークマラソンの取材のためそれぞれニューヨークへ向かう。
若大将はアメリカ大統領補佐官に食い込み、ニューヨークシティマラソンに出場する補佐官に
勝てば大統領との交渉の窓口を開くと約束させた。
若大将はニューヨークシティマラソンに挑む!

一度日本に帰るシーンがあるが、有島一郎の父親は健在。また妹と結婚した江原達治も登場する。
おばあちゃんの飯田蝶子は亡くなっていて、その法事で帰国したという設定。
その辺はちゃんと押さえてあるので同窓会映画としては満足できますね。

今回のスポーツがマラソンになっているが、この頃、「ジョギング」という言葉がはやりだし、
人々の日ごろの運動で走ることが始まったと記憶する。
また当時のカーター大統領が来日したとき、皇居の周りを早朝ジョギングして、「アメリカ人の
間ではジョギングが流行っているのだ!」と当時の日本ではジョギングブームに拍車がかかった
ような気がするなあ。

だからここで若大将がマラソンに参加するのも至極当然だったような気がします。
あとサザンクロス島の政府スタッフの役でアグネス・ラム出演。
この方も70年代後半にグラビアアイドルとして一世を風靡しましたなあ。
いろんな意味で懐かしさが漂ってくる映画でしたね。



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ホワイトラブ


日時 2004年10月23日26:50〜
場所 浅草東宝
監督 小谷承靖
製作 昭和54年(1979年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


百恵・友和ゴールデンコンビ10作目。
今でもワイドショーでも話題にされることが多い山口百恵だが、その主演映画を見るのは
実に久しぶり。おそらくシリーズが作られていた70年代以来ではないか?
(それも見た記憶がしっかりあるのは「惑星大戦争」の併映だった「霧の旗」だ)

当時あまり山口百恵には興味なかった私だが、改めて見るとスター性がものすごい。
存在感がものすごく強いのだ。
今日、この映画の前に「F2グランプリ」を見たが、その中で主人公の恋人役だった
石原真理子なんか目じゃない。
特別美人、というわけではないと思うのだが、やっぱり伝説扱いだけのことはある。

で、映画のほうは映画のスタイリスト助手として働く山口百恵とスペイン語学校の
臨時講師をしている三浦友和のラブストーリーで、山口百恵がスペイン語を勉している
理由が小さいころに別れた父親(小林桂樹)がスペインにいるから、というもの。
最後には二人でスペインに行ったりして、親子の再会も果たし、友和が以前スペインに
住んでいた時に別れた彼女の消息がわかったりのそんなような話。

だから映画としては特にどうってことないんだけど、記憶に残るのはシーンもある。
雨の夜、二人でコンバーチブルのオープンカーに乗るんだけど、二人とも酔っていて
屋根を閉めずに雨の街を走っていく。
雨に濡れながら陶酔の表情を浮かべる百恵&友和は妙にセクシーで大胆なカットだった。
(もっとも酒を飲んで車を運転する、というシーンは今なら道路交通法とのからみで
作者の方で自主規制をかけるだろうけど)

そして途中、友和の悪い友人(岩城滉一)が百恵に迫って(強姦しようとする)逃げて
くるんだけど、それをあとで知った友和が岩城滉一をぶちのめす。
友和も殴られて破れたTシャツ姿で帰ってくるのだけど、怪我をしていてそのTシャツを
脱がせられないから百恵が友和のTシャツをはさみで切っていく。
その切っていく姿がなんだかSMチックでセクシー。
(ま、そんなこと考えながら見てるのは俺だけかも知れないけど)

あと70年代ファッション。
特に初めて百恵が友和のアパートに行った時、友和が着替えるのだけれど、ズボンを脱いで
下着の上にジーンズの足の部分を全部ちょん切ったホットパンツ風なのをはくのだよ。
いまああいうホットパンツ流行らなくなったなあ。

三浦友和って顔が整っているだけで何かが足りない、という気が昔からしていて、(同時代なら
草刈正雄の方がかっこいいと思っていた)今もその意見は変わっていないのだけれど、
改めてこういう若いころの映画を見るとなかなかいい男で、こちらが年をとった分、
ちょっと彼のいいところを再発見した気がした。

アイドル恋愛映画の見本のようなシリーズ。
山口百恵もやはり伝説のスターだけのことはあった。


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ザ・ゴキブリ


日時 2004年10月23日25:20〜
場所 浅草東宝
監督 小谷承靖
製作 昭和48年(1973年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


「ゴキブリ刑事」シリーズ二作目。
前作は見ていないのだが、この映画では(前作の続きと思われるが)仲間の刑事(峰岸隆之介)
が刑務所から出所するところから始まる。
で、渡哲也刑事は公害の町(ロケは四日市らしい)に赴任する。
この町は公害を垂れ流す大企業が地元のやくざ(安部徹)らと結託して公害を問題化
しないようにしている。
しかし公害企業の社員が排水の汚染の実態データを公表しようとして殺される。
この殺人事件をきっかけとして渡哲也の刑事が悪を撃ちまくる!


西部警察の大門刑事、「大都会」の黒岩刑事の原型ここにありといった感じだ。
渡哲也扮する主人公の刑事は紺のスリーピースにレイバンのサングラスをかけ、拳銃で
悪いやつを撃ちまくる。

ある地方都市でのやくざ対刑事というと東映作品でもありがちだが、この映画は東映の
それとはちょっと違う。
東映作品ではやくざ側に肩入れしてしまい、刑事のほうとも仲良くなり、「俺とお前は
コインの裏と表」と共感をお互いに持ってしまう。(たとえば深作の「県警対組織暴力」)

ところが今回、渡哲也の刑事は悪に対する共感はなく、ひたすら憎む。
そして敵も車に乗った渡哲也を車ごと崖の上から土砂を流して埋めてしまう。
それでも渡は車のガソリンタンクを拳銃で爆発させてその場を脱出するという荒業をやってのける。
で最後には悪の塊の安部徹がモーテルで女とイイコトしてるところを踏み込み、バンバンと
撃ちまくる。

悪役が殺されるのは爽快感がある。
東映で何本か撮った渡だが、刑事のものではこの「ゴキブリ刑事」シリーズが代表作といって
いいのではないか?
刑事ものアクションとして陰湿さはなく爽快感も残り、面白かった。

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F2グランプリ


日時 2004年10月23日23:15〜
場所 浅草東宝
監督 小谷承靖
製作 昭和59年(1984年)

「F2グランプリ」については名画座に記載しました。


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極底探検船 ポーラ・ボーラ


日時 2004年10月23日21:25〜
場所 浅草東宝
監督 トム・コタニ(小谷承靖)
製作 昭和52年(1977年)

(詳しくはキネ旬データベースで)

ハンターとしても有名な大石油会社の社長、マステン(リチャード・ブーン)は
自分の石油会社の海底油田探索用の採掘マシン、ポーラボーラの乗組員から驚くべき
報告を受ける。
北極の海底油田の調査のため、地底を掘っていったポーラボーラは見たこともない
場所にたどり着いたという。
そこでは太古の恐竜が生きていたというのだ!

浅草東宝、本日のオールナイトは小谷承靖特集。しかも20:15からは
小谷監督のティーチイン付。
ゲストは監督のほか、ポーラボーラの製作のアーサー・ランキン・ジュニア氏、
撮影の上田正治氏。15分の予定を無視して1時間以上もティーチ・インは行われました。

タイトルの「ポーラボーラ」はこの石油会社の持つスーパーマシン。
先頭にドリルがついていて「海底軍艦」や「ジェットモグラ」のように地中を深く掘り進む
ことができるのだ。
で、映画のほうだが必ずしも面白いとはいいがたい。
邦題にも問題はあるのだ。
アメリカ資本の作品だが原題は「The Last Dinosaur」で「最後の恐竜」。
「最後の恐竜」というのは日本公開時にもサブタイトルで使われたと思うが、メインタイトルは
「極底探検船ポーラボーラ」。
このタイトルだとスーパーマシンのポーラボーラがそれこそ「海底軍艦」のように大活躍しそう
だが実際はほとんど活躍がない。

映画のストーリーはマステンが調査隊を編成してポーラボーラでその恐竜の生きていた場所に
向かう。その場所は北極の海底を掘り進んだ先にでた地上で、おそらくは火山の地熱で気温が
35℃ぐらいあるので氷で周りは閉ざされて恐竜が生き残った土地だという設定。
ところが実際にロケしたのは上高地の大正池付近だそうで、白樺が生えていそうな感じのところで
熱帯っぽくない。

この場所にたどり着くまでに女性ジャーナリストをマステンが口説いたりとどうでもいい話が
続いてちょっと長く無駄が多い。
で、やっと恐竜が登場してきたあたりは後の「ジュラシック・パーク」を思わせる感じで
なかなか見所がある。
恐竜と人間の対決が始まる、と思ったのだが、マステンはライフルを恐竜に壊されてしまい、
あっけなく丸腰になってしまう。
またマステンたちがキャンプを離れていた隙に、キャンプに残っていたノーベル賞学者の
川本博士(中村哲)は恐竜に殺され、キャンプも壊される。
そして恐竜はポーラボーラも持っていってしまい、探検隊は帰れなくなってしまう。

話は一挙に数ヶ月進む。
マステンたちは原始人のように狩猟生活を送るのだが、もともと住んでいた原住民たちと
獲物の奪い合いなんぞをしている。
人間と恐竜が一緒に閉じ込められた世界というのもおかしいのだが、ここはあえて突っ込むのは
よそう。
恐竜との対決の話は一時どっかへいってしまい、この原始人とマステンたちの対決に話は
シフトする。
ボウガンを作ってやっと原始人は追っ払い、恐竜との対決へ。

ライフルがないのでどうするかと思ったら投石器を作って岩を恐竜の頭にぶつけるという
脱力するような画的に派手さがない展開。
探検隊の一人がポーラボーラを発見し、何とか脱出できることに。
しかし恐竜を殺すことしか頭にないマステンはこの土地に残り、現地の女と暮らすことに。
でエンド。
「あなたは最後の恐竜のような人〜〜〜」みたいな歌詞の主題歌が最初と最後に流れるのだが
原題の「最後の恐竜」、実際の恐竜とマステンのことをかけているようだ。
円谷プロの恐竜シーンの特撮はファンとしては楽しめるけど、それ以外はかなり「トホホ」な
映画でした。

ちなみに、映画の最初の方でマステン社長が会社に入っていくシーンで会社のスタッフ役で
プロデューサーの円谷皐(のぼる)氏を発見。あとでロビーにいた小谷監督に確認したのだから
間違いない。


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スパイダーマン


日時 2004年10月17日17:30〜
場所 新宿ミラノ座(東京ファンタスティック映画祭にて上映)
監督 竹本弘一
製作 昭和53年(1978年)


もちろんアメリカ映画の「スパイダーマン」とは違う。
1978年にテレビ東京で放映された日本版「スパイダーマン」の上映。
今回上映されたのは「東映まんがまつり」で上映されたヴァージョン。
上映時間はテレビと同じく25分くらいしかない。
昭和53年では僕は高校生だったから見ておらず、1回だけみた記憶がある。

このテレビ東京版と原作のコミック版との違いについては私よりもっと詳しい方
のHPを参照していただくとして、今回は当時のアクションシーン監督だった方の
舞台挨拶付だったのでその話を。

スパイダーマンが壁を伝っていくシーンなどはロープで釣っていて、そのロープが
体で隠れてしまうようなアングルで撮っていたそうだ。
だから時々一瞬ロープが写ってしまいNGにしたり撮りなおしも何度かあったとか。

実際に見てみたら、話を聞いた後のせいもあったが、チラッとロープが見えたりした。
またスパイダーマンが壁をのぼっていくシーンをロングで捉えたカットなどは
ピントをやや甘くして、ロープをぼやかして撮影されていましたね。

今のようなCGのない時代の製作者たちの意気込み、根性を感じます。

そして公園などロケしているとどうしても見物人が集まってしまう。
しかし見物にきた子供たちの夢を壊さないためにスパイダーマンがロープで
吊るされて木を昇っていくカットはどうしても撮影できず、「もう撮影は終りました」
と見物人に嘘をいって見物人を帰らせてから木に登るシーンを撮影する、という
苦労も耐えなかったそうだ。

なんかこう、今とは違った映画に夢を持たせてもらえた時代の空気を感じます。
今は裏も何もかも見せてしまって夢もへったくれもありゃしないという感じですからなあ。



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ガンマ第3号 宇宙大作戦


日時 2004年10月17日15:20〜
場所 新宿ミラノ座(東京ファンタスティック映画祭にて上映)
監督 深作欣二
製作 昭和43年(1968年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


明日の朝7時に地球に衝突する彗星フローラが発見された。
地球が助かる方法はただひとつ、フローラを爆破するしかない。
地球からランキン少佐が派遣され、宇宙ステーション・ガンマ3号から宇宙船で
フローラに行き、核爆弾を仕掛ける作戦が取られる事となった。
彗星爆破は何とか成功したが、乗組員が緑色の液体生物が付着したまま
ガンマ3号に帰ってきてしまった。
その緑色の液体はエネルギーを吸収し、人間を襲う怪物へと進化した。
戦うランキン中佐たち。
怪物は次々に増殖し、もはや宇宙ステーションは放棄するしかない。


深作欣二が撮ったSF映画。
後の「宇宙からのメッセージ」や「復活の日」につながる深作SFの原点とも
いえるのかも知れない。
登場人物は日本人は一切登場せず、オール白人。
アメリカとの合作で海外での公開を視野に入れた製作だったのですね。

まず映画を見ての第一印象は「『キャプテンウルトラ』の映画版みたい」
という事だった。
「宇宙ステーションを主な舞台にしている」「宇宙ステーションから宇宙船が
飛び出し活躍する」「怪生物が出てきて肉弾戦を行う」という3点において
共通すると思う。
ちなみに「キャプテンウルトラ」の放映は昭和42年4月〜同年年9月。
したがって「キャプテンウルトラ」の方が早く、「ガンマ第3号〜」は
「キャプテンウルトラ」の海外向け映画版拡大リメイク作品とも呼べるかも
知れない。

そんな感じで円谷=東宝とは違った怪生物が登場したり、レーザー銃で格闘し
肉弾戦を繰り広げるあたりは東映らしい「宇宙時代劇」なアクションシーンが連続する。

そして最後、増殖した怪生物が無数に宇宙ステーションの外にプチプチと
張り付いている様はなんだかものすごく気持ち悪い。
(怪生物は体長2mぐらいなので、それが無数に宇宙ステーションの外に
張り付くとなんだか無数のアリがたかっているお菓子みたいに見えて
鳥肌が立つような気持ち悪さだった)
怪奇SFムード満載だ。

映画のストーリーも後の「アルマゲドン」や「エイリアン」を合体させたような
話でB級SFながらなかなか豪華な作品だ。
明日の朝7時に彗星が地球に衝突する、という滅茶苦茶急な設定とか「彗星が
コースを変えた原因は?」というランキン中佐の問いに対し、命令する
司令官は「わからん。だが今となってはそんなことどうでもいい。彗星爆破が
先決だ!」という(ミラノ座はこのとき爆笑だった)強引な会話。
「ええい細かいことは気にするな!」という東映的(といっていいのか)乱暴さ
もさらにB級度をアップさせる。

まさに東映SFの代表作ですね。

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スウィングガールズ


日時 2004年10月11日21:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン3
監督 矢口史靖

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山形県のある高校。野球部の甲子園選抜試合の応援に行った吹奏楽部だったが
弁当で食中毒を起して次の試合で演奏が出来なくなってしまう。
実は弁当を届けた友子(上野樹里)たちに原因があったのを食中毒から逃れた
吹奏楽部員・拓雄(平岡祐太)にとがめられ、いやいや代わりの演奏をする事に。
拓雄の思いつきからジャズを始めた彼らだったが、やがてはジャズの演奏が
楽しくなっていく。

「ウォーター・ボーイズ」の矢口史靖監督の新作。
「田舎の高校生がミスマッチな課外活動を行うコミカルな青春映画」という
基本線は一緒だし、なんだか二番煎じっぽくって最初から好きになれなかった。
しかし映画の評判は上々。「女子高生が主人公」というのが気になったが
(私は女性が主人公の映画には興味が薄くなるタチなので)ジャズは
好きだし、見に行くことにした。

期待通りの出来。
充分に笑わしてくれるし、ジャズの演奏も楽しめた。
娯楽映画として充分に及第点だし、文句のつけようがない。
セオリー通りの展開で、近頃の映画にありがちな小手先の目新しさもなく、
その点も好感が持てる。
(最近の映画はとかく奇抜な映像を撮りたがるのだ)

でもそれだけなのだ。
非常にいい作品なのだが、自分にとっては何かが足りなかった。
多分それは主人公が女子高生という点なのだと思う。
(余程の事がないと主人公が女性だと私のテンションは下がるのだ)

ジャズの選曲は「シング・シング・シング」「イン・ザ・ムード」「ムーンライトセレナーデ」
などなど定番中の定番曲で、ジャズに親しみのない人でも聞き馴染みのある曲ばかりで
楽しめたと思う。
でも折角谷啓が出演してるんだから、もう少しトロンボーンを吹いて欲しかったな。
いっそ竹中直人がやった役をやってもらえばよかったかも知れない。
谷啓が楽器が吹けない役をやるってなんだか逆に面白そう。
そして最後の演奏会のシーンではソロのパートも少しあったりして。

主人公の女の子たちの中では関口役の本仮屋ユイカがよかった。
登場シーンでセリフなしでリコーダーを差し出すところはよかったと思う。
以降、彼女を中心に私は映画を見てました。

二番煎じと非難もできるが、それを避けようともせず、堂々とまた青春映画を撮りきった
ことはやはり賞賛にしよう。
多分、来年にフジでドラマ化されるんじゃないかな?

(それにしても小日向文世、出すぎ、というか使いすぎ。「下弦の月」でもこの「スウィングガールズ」
でも主人公の父親役。この夏のフジのドラマ「ウォーターボーイズ2」でも父親役。
同じような役ばかりで使いすぎだと思うよ)


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下弦の月〜ラストクォーター


日時 2004年10月11日18:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン7
監督 二階健

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19歳の誕生日を恋人や友人たちによるパーティで迎えた美月(栗山千明)。
だが恋人の知己(成宮寛貴)と親友の浮気現場を当の親友からケータイムービーで
見せられてパーティを抜け出してしまう。
さまよう彼女はある古い洋館にたどり着く。
その洋館から自分しか知らないメロディが流れてきた。中に入るとそこにいたのは
不思議な魅力を持つ美貌の男(HYDE)だった・・・・・

成宮寛貴、HYDEの美形スター共演の作品。
原作のコミックは読んでいないし、内容も「成宮とHYDEと栗山千明が出演」と
いうこと以外、何も知らなくて見た。

いや驚いた。

不気味な洋館、美しい音楽、ピアノを習うヒロイン、恋人の浮気、美形の年上の男、
継母との不仲、ロンドン、死んだ伝説のミュージシャン、月の満ち欠け、交通事故で
死んだ娘をなげく両親、輪廻転生、前世、さまよう魂、画家、鎌倉の海と高校生、
横浜の夜景・・・・
これらの要素を全部使って話を作るとこうなるという見本のような映画だ。
よくもまあこれだけの少女恋愛コミックにありそうなアイテムをぶち込めたと
感心する。
それでよく物語が破綻しないと感心する。
(いや実は破綻していてもそんな細かいことを気にする事を許さないだけなのかも
知れないが)

これはイヤミではない。実に重要な事だ。
娯楽映画だもの。いろんな楽しめる要素があっていい。
しかし大抵は全部詰め込むことは出来ないのだ。
この映画は全部詰め込んで、しかも(力技で)見せきってしまう。

この力技の源になるのが成宮、栗山、HYDEの主演3人の魅力だろう。
この3人がそろえばどんな世界にでも観客は誘導させられてしまう。
その魅力は賞賛に値するものだ。

(映画の内容とは直接関係ないが、成宮がネクタイ姿の上にM−51のアーミーパーカーを
ずっと着ているのが気になった。あれを着られるとどうしても「踊る大捜査線」の青島くん
を思い出してしまいのですので)

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あゝ特別攻撃隊


日時 2004年10月11日
場所 録画DVD
監督 井上芳夫
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


昭和19年10月、野沢少尉(本郷功次郎)は同期の4名と共に横須賀の航空隊に
配属される。彼らは学生上がりの予備仕官だったが、直接の上官の小笠原少尉は
海軍兵学校出身で彼らのことを「娑婆っけが抜けていない」と訓練は厳しい。
野沢には母とまだ一度しか会った事のない好きな娘がいた。
やがて彼らにも特別攻撃隊(特攻)としての出撃命令が下る。

「特攻隊もの」の映画は数多く見てるがこの映画は特にヘビーだ。
他の映画以上に「自由に学問する事を禁じられる」「肉親との別れ」「恋人との別れ」
のつらさが強調して徹底的に描かれる。

学生出身のインテリの野沢らは町で酒を飲んでいる時に「喜びの歌」をドイツ語で
歌いだす。そこへ小笠原少尉がやってきて「なんだその歌は!日本人なら日本の歌を
歌え!」と「同期の桜」を歌いだす。
彼らも負けじと「喜びの歌」を歌いだす。
その二つの歌声が重なり合う様は、歌の対決そのものが主義の対決になっていき、
理屈でなく心に訴えかける。

そして野沢のもとに母親がたずねて来る。つかの間の再会のあと、母親はいったんは
帰るが、町の旅館に行った野沢に旅館に泊まろうとしていることを見つかってしまう。
「バスに乗り損ねて・・・」と言い訳する母だが、少しでも近くにいたかったことは
いうまでもない。
そんな母の気持ちも理解せずに野沢は母を「まだ間に合うから」と無理やり汽車に
乗せてしまう。
もうこういう母の気持ちに私は弱いのだ。
泣かせるというのではない。
自身の母親とダブって見ていていたたまれなくなるのだ。
画面を正視できなくなる。

そしていよいよ特攻の前夜。この特攻そのものが突然決まったこともあり、上官
(高松英郎)の計らいで埼玉の実家に一晩帰ることを許される。
そこで恋人に会いに行くのだが、折からの空襲にあい二人は防空壕に逃げ込む。
ここで野沢は明日特攻に行くことを打ち明けてしまう。
娘はショックで「なら自分も生きていても仕方がない」とばかりに空襲の中に飛び出し
死んでしまうのだ。

登場人物たちの追い詰められた挙句の行動は見るものにとってはとてもヘビーな
印象が残る。
見た後にどっと疲れを感じてしまう。

数ある特攻隊ものの中でも正攻法で(東宝と違って大映らしい泥臭さ、とも言えるのだが)
「ズシリ」とくるものがある映画だ。


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予言


日時 2004年10月10日17:10〜
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン6
監督 鶴田法男

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大学講師・里見(三上博史)は妻・綾香(酒井法子)と娘と3人での帰省の帰り道、
立ち寄った公衆電話で新聞の切れ端を見かける。だがその新聞には交通事故で
娘が死亡すると書いてあった。
その時、目の前でダンプが突っ込み、車にいた娘は焼死してしまう。
二人は離婚し、3年後、三上は高校の非常勤講師として失意の日々を送り、綾香は
予知能力の研究をしていた。
ある日、綾香は霊能力者(吉行和子)から未来のことが書かれた新聞、いわゆる
「恐怖新聞」の存在を知る。

未来を知ることの恐さ、をモチーフにしたホラー。
「あの時見た新聞は何だったのか?」を探っていくミステリー風の構成。
だからそれほど恐くはない。

ラストの色々な未来、というか色々なパターンの事故を描きながら、様々なもう一つの
「未来」を描いていくあたりはちょっとくどく、もう少しあっさりしていてもよかったかも。
ホラーというより、未来を変えることはできるか?というタイムパラドックスとしての
要素がつよく、恐怖感という点では同時公開の「感染」に劣る。
(あと酒井法子が雰囲気が明るすぎてイマイチ)

出演は他には「恐怖新聞」の研究者として山本圭。

それなりに面白かったが、同時上映の「感染」に比べるとやや劣る。
それにしてもホラー映画の2本立て、というのは少し疲れた。
しかし「Jホラーシリーズ」には期待する。第2弾も見に行こう。


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感染


日時 2004年10月10日15:00〜
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン6
監督 落合正幸

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ある病院は経営難に陥っていた。
遅配する給料、底をつく医薬品、看護師たちの連続する退職による過剰労働。
疲れきった医師(佐藤浩市、高嶋政伸)看護婦(南果歩、星野真理ら)。
ある夜、様態が急変した患者への延命治療中、医療ミスが起こる。
医療ミスを隠そうとする医師たち。
そんな中、見たこともない症状の患者が救急車で運び込まれる。
受け入れは出来ないとその患者は断ったのだが・・・・・

「Jホラーシリーズ」と題した第1弾。この後合計6本が連作されるらしいが
最初の公開がこの「感染」と「予言」。子供をターゲットにしたアニメを
除けば、久々の2本だて興行を打つという冒険振り。

正直恐かった。充分に楽しめた。
「ビヨヨヨ〜〜〜ン」という(言葉ではいいにくいのだが)不気味な雰囲気を表現する
音を使っての演出は古典的だが、謎の病気に感染する恐怖で話を引っ張っていく。
また鏡の使い方がうまく、今自分が見ているものが実像か虚像か判然としなくなる。
「赤は何故赤く見えるか?」という最初の方のセリフが伏線となり、すべての謎を解く。
(というか説明つける)

出演では女優陣がいい。
婦長の南果歩。デビューの「帝都大戦」の頃から美しさと不気味さが漂っていたが
今回はますますホラーに似合ってきている。
そして看護師の木村多江。「医療ミスは自分のせい?」と激しく自責の念にかられていく。
最後に星野真理。いま、私のいちばんお気に入りの女優だが「看護師に向かない」と
罵声され、それが狂気に走っていく。

心の闇が引きおこしていく極上のホラー。
面白かった。


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日本海大海戦


日時 2004年10月9日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 丸山誠二
製作 昭和44年(1969年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


東郷平八郎(三船敏郎)率いる日本艦隊とロシア艦隊の日本海海戦をクライマックスに
日露戦争を描くオールスター大作。

日露戦争を描く映画はそうなのだが最後に勝つので、映画としては見ていて安心できる。
最後に負ける太平洋戦争ものももちろん好きなのだが、最後に勝つほうがスペクタクル映画
としては見ていて気持ちがいい。

しかもタイトルの「日本海海戦」だけでなく、乃木大将(笠智衆)の「203高地」攻略も
描くから陸戦、海戦共に堪能できるスペクタクル映画だ。
その上、ヨーロッパでスパイ活動をする明石大佐(仲代達矢)の姿も描かれ日露戦争が
ヨーロッパに与えた影響もおぼろげながら描かれる。

また後半の日本海海戦直前、「バルチック艦隊はウラジオに行くのは日本海経由か?
太平洋経由か?バルチック艦隊の現在位置いまだ不明!」というあたりがサスペンスを
盛り上げる。
そして偶然バルチック艦隊を発見した沖縄の島の住民(小川安三、松山省二ら)が危険を
顧みず、海を船で漕いで連絡に駆けつける(この島にはまだ無電がない)!というあたりが
その後の大海戦の助走となってクライマックスに突入する。

また日本海海戦勝利後もロシア艦隊の長官を見舞うという紳士的な日本海軍の態度も
描かれ、もう「東郷平八郎万歳!」だ。
これは皮肉で言っているなく、勝利した国から戦争を描くとこういう余裕のある描き方も
できるのだ。

そんな感じで日本の戦争映画にありがちな「戦争の悲惨さ」のエピソードは203高地に
突撃する一兵士(黒沢年男)が故郷に病気の母と幼い弟を残している、というあたりぐらい。
そのエピソードもその話を聞いた乃木大将が、彼の故郷に彼の貯金を送金するという
乃木大将の美談としての比重の方が強いのだが。

ラスト、日本海海戦勝利の報を聞いた山本権兵衛が伊藤博文に「出る杭は打たれる。
これからはアメリカと戦争をする事になるかも知れん」と時代を予感させ、
ここで勝ったことが後の太平洋戦争につながったとする戒めも忘れない。

やっぱり勝った戦争を描くと、映画としては作りやすいですね。


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あゝ陸軍隼戦闘隊


日時 2004年10月9日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 村山三男
製作 昭和44年(1969年)大映

(詳しくはキネ旬データベースで)


有名な加藤隼戦闘隊の加藤隊長(佐藤允)を主人公にした戦争映画。

海軍の山本五十六並に有名な加藤隊長だが、映画化は戦時中の「加藤隼戦闘隊」に
続いて2回目(だと思う)
昭和4年の所沢航空学校教官時代から昭和17年5月22日の戦死までを描く。
(ってことはミッドウエイ海戦より前に戦死している)

正直言って加藤隊長のエピソードをただ羅列しただけで映画として面白みは少ない。
大きな作戦に向かって個性的な人物たちが活躍していく映画と違って、実在の人物を
主人公にするとどうしてもこうなってしまうのだろうか?

「加藤隊長は豪放磊落な方でした」「部下思いのいい隊長でした」「強かったです」
「パレンバンの空挺作戦を成功に導きました」などの感想しか残らない。
何か映画としての「核」となるものが感じられないのだ。

その中でもエピソードとして面白かったのは所沢時代に教え子にいた中国軍兵士・
趙英俊(藤巻潤)の話。
加藤は教え子として非常に可愛がっていたのだが、趙英俊に中国から帰還命令が来る。
やがて日中戦争が勃発。加藤と趙は戦場で再会。
日本軍の戦闘機を攻撃する趙を加藤は泣く泣く撃墜する。
この間まで教え子だった男を撃墜しなければならないこのエピソードは印象に残る。
このエピソードをクライマックスに持っていけば1本の映画になりそうだが
それでは加藤隊長を描く映画にはならないのでちょっともったいない。

後半は太平洋戦争に突入だが、例の「パレンバン降下作戦」も登場する。
そう、戦時中の映画「加藤隼戦闘隊」で圧倒的規模で描かれたあの「パレンバン作戦」だ。
それを指揮するのは宇津井健の三宅少佐だが、結局「加藤隼戦闘隊」には
規模としては劣った。(当たり前といえば当たり前だが)
パラシュートが20個ぐらいは開いているし、なかなか頑張ってはいるが、時間も思ったより
短いし見劣りは否めない。

あと出演ではなんと言っても藤田進。
「加藤隼戦闘隊」で加藤隊長を演じた藤田進と新旧加藤隊長のご対面。
藤田進は退役軍人で戦死した部下の遺族役で登場。
加藤は戦死した部下を思うあまりにある事で、妻(藤村志保)に「それでも軍人の妻か!」と
叱責する。そこで藤田進は「陸軍の先輩として言わしてもらうが奥さんに対してそんなことを
言うもんじゃない」と逆に叱責する。
今回は軍人役ではなかったが藤田進らしい貫禄のある役だった。

他には「マレーの虎」こと山下奉文に石山健二郎、航空学校校長に島田正吾、航空兵役で
峰岸隆之介など。


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なぜ彼女は愛しすぎたのか


日時 2004年10月3日16:15〜
場所 シブヤ・シネマ・ソサエティ
監督・主演 エマニュエル・ベルコ
製作 2001年

(公式HPはありません)

日本のタイトルは大袈裟だが原題は「Clement」(本当は最初のeの上に点がつく)。
主人公の女性がメロメロになる少年の名前だ。

内容は30歳になる独身の写真家が(もっとも映画中では撮影してる姿は全く
出てこないので職業ははっきりしないのだが)甥の友人の13歳の美少年に
心を奪われ次第に深く愛するようになるが、少年はやがて同世代の女の子に
関心が移り関係が終る、というもの。

年令の差のある愛、しかも女性が少年を愛する、というのがスキャンダラスに
感じるような日本版タイトルのつけ方だが、僕にはこの映画は全く当たり前な、
よくありそうな話にしか見えなかった。
現実の世界でこのような恋愛がおきにくいのは、実際13歳の少年にとっては美人でもない
30歳の女性は性の対象になりにくいからだけだ。

近頃の美少年、イメメンブームを見ればよく解る。
大人の女性がいかに年下の美形に憧れているかが。
とどまるところを知らないジャニーズブーム、そして「ウォーター・ボーイズ」のヒット。
「ウォーター・ボーイズ」はやはり主人公の競泳パンツ姿を目当ての女性も多かったろう。
そういう「少年の性」が商品になる時代がやってきたのだ。

この映画の公開さえもその美少年ブームにのったのだろうけど、映画としては正直
出来は悪い。
ヴィスコンティの「ベニスに死す」が圧倒的な説得力を持って迫ってきたのに対し、
この映画はそういう説得力というものがない。
それもそのはず、画が滅茶苦茶汚いのだ。

デジタルビデオを使っての撮影だったらしいが、粒子は粗いし、曲線がモザイクのような
ブロック状になって滑らかさにかけるし、ピントがあってない箇所もあるし、露出は
オートでやってるのか過剰になったり暗かったりと映像としての統一感がまるでない。
加えて全篇ハンディキャメラだから手ぶれが多くて非常に見づらい。
終始ゆらゆら揺れている画はなんだか気持ち悪くなってくる。

これが意図したものなら単なる無知(バカ)だし、低予算ゆえに仕方なくやったことなら
泣けてくる。
日本映画も低予算のために技術的な基本が出来てない映画もあるが、フランスもそうなのか??

加えて主人公の女性が大して美人ではなく(ま、そこがストーリーの普遍性につながる気も
するが)見ていて楽しくならない。
監督自らの主演だから、要はこの女が「好みの美少年とセックスしたかったから撮った映画」
ではないのか?という気さえしてくる。

実体験でなくても監督主演のエマニュエル・ベルコにそういう下心があったに違いない。
でなきゃ無理して金もないのに映画は撮らんだろう。

最後に少しよかった点を。
最初の方でプールで主人公と少年が出会うところ。
中で勃起した水泳パンツを女性に押し付け足を絡ませるところはなかなかセクシー。
そしてラストカット。
少年がカメラを見据え、カメラのスイッチでも切るかのようにパチッとスイッチを切るカット。
二人の関係が完全に終った事を示す(しかも残酷に)いいカットだった。


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激動の昭和史 軍閥


日時 2004年10月2日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 堀川弘通
製作 昭和45年(1970年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


226事件から敗戦直前までを東條英機(小林桂樹)を中心に描くオールスター戦争大作。
「日本のいちばん長い日」から始まった「8・15シリーズ」の第4作目。
(ちなみに他の作品は「日本のいちばん長い日」(67)「連合艦隊司令長官山本五十六」
(68)「日本海大海戦」(69)「沖縄決戦」(71)「海軍特別年少兵」(72)になる)

正直言ってあんまり面白くない。
要は何を物語の中心にすえたいのかがはっきりしないのだ。
前半の1時間は226事件から東條内閣成立、太平洋戦争突入までなのだが
今までの戦争映画に出てきた陸軍海軍の首脳、政治家が登場し、ただただ説明的に
話を進める。
みんな脇役的にうろうろ出てきて自分の立場を主張していくだけの歴史再現ドラマみたいで
面白みがない。
結局強いて言えば作者の視点が存在しないかのようで見ていて苛立ちを憶えてしまう。

この前半では今までの映画によくある「海軍=慎重派、陸軍=強行派=悪の権化」という
描き方はせず、海軍はのらりくらりと「対米戦をやる気がない訳ではない」「勝てないとは
言ってない」というような煮え切らない態度を終始繰り返す。
これでは東條ならずともイライラしてしまう。
かといって「海軍=煮え切らない奴、東條=悲劇の宰相」といった明確な描き方もせず、
映画も視点が明確になってない。
もっとも映画を見ていると「仕方なくなんとなく戦争になってしまった」という無責任な
感じがしますが。

後半、太平洋戦争に突入すると毎日新聞の記者(加山雄三)が全面に出てくる。
ミッドウエイの敗戦の映像をバックに大本営発表の「勝った勝った」の放送の音声を
かぶせるシーンはアイロニーが聞いた必見のシーン。

この後、加山が従軍記者として戦争に行って敗北の実態を見るにつけ、軍部に批判的になっていく。
そして「戦況は実は悪い」という記事を毎日新聞は一面に出すにいたる。
賞賛されたが後に、再び従軍記者として戦地に行った加山は特攻隊の航空兵(黒沢年男)から
「貴様ら新聞は開戦の時は何て言った?軍を称えたじゃないか!負けてきたら批判する。
じゃあ勝つ戦争だったらやっていいのか?!」と批判される。
このあたりのマスコミ批判、または映画界批判を中心にしても映画は1本成立するが、
今回はそうはならない。
マスコミ批判を中心に据えるなら最初から戦争に批判的だった記者(岸田森)をもう少し
活躍させてもよかったのでは?
映画は結局東條の暴走ぶりを描きくというもとの話に戻り、他の重臣たちの責任の逃れあいも描く。

またサイパン島玉砕のところでは、追い詰められた日本人が投降しようとするものを批判したり、
泣き叫ぶ赤ん坊を結局絞め殺すという悲惨なシーンがあり、この映画の中での数少ない
実戦の残酷さを描いたシーンだ。

最後は国民が空襲にやられた姿をバックに東條が「日本人は最後には底力を発揮する稀有な
国民性を持った優秀な国民です!最後には勝てます!」と天皇に向かって意見を述べる
(というか演説)するシーンの後、原爆の爆発カットで映画は終る。

なんだか結論のないまま終わってしまったなあ。
明確な意思、視点が定まらないまま作られた戦争映画に見えた。



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