2005年3月

山の音 香港国際警察
NEW POLICE STORY
鉄人28号
アビエーター U・ボート
(オリジナル劇場公開版)
あずみ2 
Death or Love
カナリア
放浪記 乱れ雲 Shall We ダンス? セルラー
ファンタスティポ オペラ座の怪人 浮雲 ローレライ

山の音


日時 2005年3月27日10:30〜
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズプレミアスクリーン
監督 成瀬巳喜男
製作 昭和29年(1954年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


成瀬巳喜男特集4本目。
鎌倉から東京に通う中流家庭が舞台。
鎌倉に住んで東京に通うというと真っ先に小津作品を
思い浮かべてしまう。
で、そこへ原節子が出てくるからなんかもう小津っぽい。
小津映画なら笠智衆が演じていそうな父親役を山村聡が演じる。
で、今回は山村聡の息子が上原謙、その嫁が原節子。

上原謙は映画が始まる前から浮気していて家に寄り付かない。
それを山村聡も察知していているのだが、息子・上原謙は
自分の会社で働いていて、毎朝鎌倉から東京まで一緒に出勤する
という関係だ。

でもって中北千枝子演じる上原謙の妹も夫の浮気が原因で実家へ
帰ってくるという苦労の絶えない父親だ。
そして夫の浮気を許せない原節子は映画の後半でせっかく妊娠したのに
子供をおろしてしまう。

山村総は自分の秘書が上原謙の浮気相手を知っていて、しかも相手の
家にまで行ったことがあると知ると相手の家を案内してもらう。

訳がわからん人間関係だ。
浮気とか不倫というものはとにかく誰にも知られないようにして誰かに知られる
ことを一番恐れるもの。
なのにずいぶんオープンなのだなあ。

で上原謙の浮気相手も上原謙の子供を妊娠している。
最後に原節子は上原謙と別れたいと山村総に打ち明ける。
そこで映画は終わるのだが、じゃその後上原謙ははその浮気相手と結婚するのかな?
山村総の心中も複雑になるなあ。
だって浮気相手として会った時には批判めいていたのに、正式に結婚したら
娘だぜ。

「夫婦のことは他人にはわからないものがある」というセリフが出てくるが
僕にはさっぱりわからないよ。
10年ぐらいして歳を重ねたらわかるようになるだろうか?
それとも結婚しなくちゃわからないのかな?


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香港国際警察 NEW POLICE STORY


日時 2005年3月26日22:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン9
監督 ベニー・チャン

(公式HPへ)


ジャッキー・チェンの映画を見るのは何年ぶりだろうか?
映画の冒頭、いつものヒーローではない、飲んだくれのただの酔っ払いの
ジャッキーが登場し、彼がこうなってしまったのは・・・という流れ。

ジャッキーは香港きっての敏腕刑事。
部下を引き連れ凶悪犯を次々と逮捕していく。
新たな敵はTVゲーム世代の銀行強盗。
彼らのアジトを突き止め逮捕に向かったが、犯人たちは自分たちのアジトの
中の迷路に彼らを追い込み、一人づつ殺していく。

ここのジャッキーの追い詰められ方が実によくできていて、この映画の犯人たちが
実に憎憎しい。
見ていて犯人にこれほど怒りを感じたのは久しぶり。映画史上最悪の犯人グループ
といえるかも。
部下を全員殺されてしまい、贖罪の意識から今はただの飲んだくれとなった彼の
元に相棒を命じられたという警官がやってきて、もう一度犯人たちに立ち向かう
という展開。

これ以降は街を暴走するバスの屋根に飛び乗るとか、傾けたら爆発する爆弾を
恋人が持たされたとか、ビルの屋上からロープを伝って降りていき犯人を
追いかけるとか、まあー見所が尽きない。
どれひとつとっても1本の映画のクライマックスとなるような出来栄えだ。

そしてラストでビルの屋上で悪のリーダーと対決となるのだが、ゲーマーとの
対決らしく、オートマティック拳銃を分解してどちらが早く組み立てられるかという
ゲームをする。

ここでジャッキーは秘策を使って勝つのだが、この勝ち方がオートマティック拳銃の
構造を知っていないとなぜジャッキーが勝てたかよくわからない。
しかし逆に言えば、オートマティック拳銃の構造、使い方を知っていれば
「あっ、なるほど!」と思わずひざを打ってしまうような勝ち方なのだ!

そしてさらにお決まりのようにビルの屋上から落っこちそうになって
ロープ一本でぶら下がるのだが、それがだんだん切れてしまう、というアクションが
用意されている。
これを年中見ていると「またか」という気になるのだが、久々に見るとやっぱり
ジャッキー・チェンってすごいなあと思わせる。
まして若いころならともかく、もう50を過ぎてるだろう。

そして今回気がついたけどただアクションをするのではなく、常に何かが
バーンと飛び散って画面に派手さを演出している。
いちばん多いのはガラスの飛び散りだけど、それだけではない。
暴走するバスがトラックとぶつかったとき、トラックの積荷のおもちゃのアヒルが
バーンと飛び散って川に落ちる。
そしてラスト近くでブロックおもちゃのLEGOの展示会場での対決があるのだけど、
やるな、と期待したとおりカラフルなLEGOのブロックが飛び散ったりする。
また何色ものカラーボールがバーッっと画面いっぱいにはじける。

肉体のアクションだけでなく、画面の効果というものをわかっているなあ。
映画のアクションのつぼをホント心得てますね。

蛇足の一言。
今回ジャッキー・チェンの相棒になる若手刑事、スーツの上にアーミーコートを
着ていて、なんだか「踊る大捜査線」の青島刑事みたいだった。
影響を受けたのだろうか??


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鉄人28号


日時 2005年3月26日19:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン9
監督 富樫 森

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昭和30年代の大ヒットアニメ、「鉄人28号」の実写版映画化。
舞台は21世紀の現代。
正直言って鉄人のデザインのセンスが今の時代古い。
かといって今風にシャープにしてもねえ。
もっとも企画そのものからしてずれてる気はするのだが。

今回の主人公はやっぱり小学生の少年。
鉄人の原型はやっぱり日本陸軍のロボット兵器で、開発者の息子(阿部寛)が
平和利用のために作り上げたという設定。
阿部寛は映画の中ではすでに死んでいて、主人公・正太郎は母親(薬師丸ひろ子)
と二人暮し。
ある日、コンピューター会社の社長(香川照之)がなぞの失踪をし、その自宅地下から
巨大な腕のような形をしたものが飛び出すという事件がおきる。
そして巨大ロボットブラックオックスが東京タワーに出現し、
腕と本体が合体し、完成形となり東京タワーを破壊しはじめる!

正直期待していなかったが、この東京タワー攻撃シーンは実によかった。
カメラアングルやカット割が実に決まっていて(タワーの展望室からの目線や
地上にいる人のアングル等、常に誰かの目線に立った画面構成)この10分ぐらいの
シーンは、怪獣映画も含めて巨大なものに襲われるパニックシーンの中では
最高級の出来。
また鉄人たちの身長が20mぐらい(6階建てのビルぐらい)で大きすぎないところが
リアルだった。

続いて霞ヶ関の国会議事堂をブラックオックスが襲い、鉄人28号が初陣を
飾るシーンもなかなか。
ただしこの霞ヶ関シーンは、逃げ惑う群集シーンがないのでいまいち迫力不足。

ところがこの後、映画は急速にダウンしていく。
正太郎に(最近の映画でよくありがちな)父を快く思わない息子の葛藤のドラマがあったり、
リモコンを持ってブラックオックスに立ち向かうことに恐れを感じてしまったり
そんな「少年の成長」ドラマが挟まってくる。
またロボット工学の権威とか言う天才的な少女(女子高生風)のキャラクターが
登場するが、どうも私はなじめない。
若い子向けにしたつもりかも知れないが、どうなのかねえ??

で、ラストの決戦になるのだが、完全に腰砕け。
本来ならこのシーンは、新宿、渋谷などの大繁華街で逃げ惑う人々を巻き込みながら
のロボット決戦になるべきなのだが、実際の対決は豊海埠頭辺りの倉庫街。
そんなところでロボット同士が殴り合っても面白くもなんともない。
(鉄人たちは身長が20mぐらいだから電柱の電線に引っかかって電線がプチプチ
切れるところはリアルでよかったけど)

ラストに鉄人28号のアニメの主題歌が流れる。
「ビルの街にガオー
 夜のハイウエイにガオー
 ダダダダダーンと弾が飛ぶ
 バババババーンと破裂する

 敵も味方もリモコンしだい

 敵に渡すな大事なリモコン」

歌詞の一部を書いてみたけど、この歌詞に鉄人の面白さはこめられているのだ!
ところが夜のハイウエイもなければ、ダダダダダーンと弾も飛ばない。
そして敵との間でリモコンの争奪戦という話しに広がらなければならないはず。
それがうじうじした悩める少年、を主人公にしたから映画は面白みがない。
第一、正太郎がリモコンを動かさなければならない理由がないぞ。
あんな根性なしの少年ではお話にならん。
指紋の認証などで正太郎しかリモコンが動かせない、という説明があるなら
ともかく、そういうわけではなさそうだし。

でも東京タワーシーンは記憶に残るよさだった。

あと妻夫木聡が風鈴屋の役で冒頭、ワンシーンのゲスト出演。


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アビエーター


日時 2005年3月26日16:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン8
監督 マーティン・スコセッシ

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アメリカの伝説の大富豪、ハワード・ヒューズの生涯を描く。
主演はレオナルド・ディカプリオ。
今年のアカデミー監督・主演男優賞候補ではあったが、逃した。

ハワード・ヒューズに関して僕は名前を知っている程度で、実はほとんど
知らない。
映画製作と飛行機作りに生涯をかけた男だということも映画を見てはじめた知ったぐらい。
だから彼の同時代評価がよくわからないし、彼をどう見ていいのかわからず、
正直言ってちょっと戸惑った。

「地獄の天使」という航空機映画を作るところから映画は始まる。
何十機という飛行機と30台近いキャメラを回して空中戦を再現しても出来上がった
フィルムを見て、彼は叫ぶ。
「これじゃ模型飛行機と同じにし見えない。そうだ、バックに何にもないから
比較するものがないのでスピード感が出ないんだ!」

そうなんですよね。
円谷作品の戦争映画でもそうなんだけど、飛行機って地上すれすれとか敵艦すれすれとか
何か止まってるものが一緒に写らないと迫力って出ないんですよね。
このことに気づくだけでも映画監督としてのセンスはありますね。
(でもこの作品、見てみたいなあ。実際のところどんな出来だったのだろう??
昨今はDVDブームだから、ひょっとしたら近日発売されるかも知れない)

映画としては総じて主演のディカプリオがよい。
「地獄の天使」を作ってるころの坊ちゃん然とした前半よりも、後半、墜落事故を
起こし、追い込まれていくあたりからがよい。
追い込まれ、狂気に取り付かれて行くあたりは(全裸にもなって)大熱演だ。

またパンナム航空の陰謀にあい、公聴会に呼ばれて追い込まれるはずのところを
かえって逆転し、相手をねじ伏せてしまうあたりはなかなかの貫禄で、
もはや大人のスターとしての風格さえ感じさせた。

最初と最後にハワード・ヒューズの子供時代が登場する。
ハワード・ヒューズがその時の記憶をずっと引きずっているという映画の構成は、
なんだか「市民ケーン」みたいだなと思った。


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U・ボート(オリジナル劇場公開版)


日時 2005年3月21日
場所 DVD
監督 ウォルガンフ・ペーターゼン
製作 1981年

「U・ボート」については「名画座」に記載しました。

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あずみ2 Death or Love


日時 2005年3月20日18:00〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・アートスクリーン
監督 金子修介

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敵を倒したあずみたちだったが、追っ手に追われる日々を送っていた。
そんな中、あずみはかつての自分の仲間で、しかも自分が殺したなち(小栗旬)
にそっくりな男・銀角と出会う。
刺客をやめて銀角と暮らす日々を選ぶか迷うあずみ。
しかし、刺客として使命をまっとうする道を選ぶ。
行く手には数々の敵が現れる!

話は前作の続き。
監督は北村龍平から金子修介にバトンタッチ。
カメラを360度ぶん回すというような目立つだけの演出はしておらず、
きわめてまっとうなつくりの映画。
敵方のキャラクターが前作のオダギリ・ジョーのようなインパクトの強いキャラクターは
おらず、(オダギリ・ジョーの場合、強烈を超えてもはや嫌悪の域に達していたが)
その代わり中程度のインパクトのキャラクターが多数登場する。

栗山千秋の少女剣士、ブーメラン風の空中剣(?)の使い手、竹やぶに追い込み
毒入りワイヤーをくもの巣のように張り巡らせる通称くも、そして妖艶な高島礼子
などなど、数に不足はない。
時代劇というよりカンフー映画のようなアクションだ。
どっちかというと時代劇ファン向けよりカンフー映画ファンの方が楽しめるだろう。
僕としてはこの中では竹やぶにワイヤーを張り巡らせるやつが好きかな。
どう倒すか実に見ものだった。

また、今回は「戦を終わらせるための戦さ」というせりふが何回も登場する。
あずみは反徳川の武将を倒せば、平和な世の中になると信じて戦う。
しかし、銀角たちに「そんな戦いなどありえない。お前が切った相手の子供が
孤児になるだけだ」と反論される。そして「戦いなどやめて俺たちと暮らそう」と
誘われる。
サブタイトルの「Death or Love」とはあずみのそんな心情を表したもの。
「戦を終わらせるための戦いなどない」とあずみは言われ続ける。
しかし今回、あずみは使命に従い戦いをやめない。
もちろん映画作者たちは現代のイラク戦争(そしてブッシュ及びそれに加担した
小泉)などとオーバーラップさせて、「戦争をやめさせるための戦争などありえない」
と主張してるのは明らか。

この作者たちのメッセージはこの映画を見に来る上戸彩ファンの10代少年少女たちに
通じただろうか?
ちょっとオブラートにくるみすぎてしまった気がして心配だ。
だが通じていると信じたい。


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カナリア


日時 2005年3月19日13:40〜
場所 渋谷アミューズCQN
監督 塩田明彦

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オウム真理教事件を題材にした(たぶん)初の劇映画。
(熊井啓の「日本の黒い夏」もオウム事件が絡んでいるが、あれはマスコミの冤罪
事件が主なテーマで、オウム事件そのものにはほとんど触れていない)

2005年3月、故意か偶然かこの映画が公開される現在は、あの地下鉄サリン事件
から丸10年をむかえる。
もう10年たったのかという思いが強い。

事件直後、連日報道されるオウム関連のニュース。
とりわけ広報部長を名乗る上祐史浩のテレビ出演はすごかった。
今、テレビで連日騒がせているライブドアの堀江貴文の比ではない。
実は私は上祐と同世代。
事件の10年前には上祐も私も大学生で高田馬場あたりをうろついていたわけだ。
つまりわれわれは大学時代にひょっとしたらどこかで会っているのかも知れない。
居酒屋で飲んでいたときに、実は隣の席に上祐がいたかも知れないのだ。

また事件報道がなされている頃、「中野区のオウム真理教病院」というのが
よく言われたが、その病院はうちの近くだったのだ。
駅前商店街の一角にあり、看板は「24時間治療受付」などと表記してあり、
「なにかあったら行ってみようか?」などと思ったこともあった。
(もちろん事件前。そして行っていない)
このように僕にとってはオウム真理教事件は僕にとっては身近な事件だった。

私たちは小学生のときに「ノストラダムスの大予言」や超能力者ユリ・ゲラーを
体験した。
また「オーメン」をはじめとするオカルト映画がはやった。
1969年の人類の月面着陸のようなテクノロジーの発達を見てきた一方で
科学では割り切れないものが大いに流行した。

その流れから行ったらオウム真理教が唱えたような超科学現象に引かれた気持ちも
わからぬではない。
しかし、私をはじめとする多くの人々がオウム真理教には入らなかった。
上祐たちはなぜあのようなオカルト宗教にのめりこんでいったのか?
あのような恐ろしい教団になぜ入ったのか?
私と彼らの違いはなんだったのか?
その答えはいまだに見出していない。

極私的な話題を長々として申し訳ない。
なぜ長々と関係なさそうな話を書いたかというとこのようにオウム真理教事件は
私にとってはこの10年間の疑問なのだ。

この映画がその疑問に何らかの答えを出してくれるかと期待したが、それは監督の
意図したものではなかったようだ。
タイトルはオウム教団の施設に警官隊が突入した時、警官が毒ガス検知のために
持っていた小鳥のカナリヤから来ている。
常に最前線に置かれ、真っ先に犠牲になる象徴だ。

親が信者になり、自分の意思とは関係なく教団に入信させられた子供たち。
与えられる粗末な食事を拒否すると厳しい刑罰が待ち受けている。
その教団からやっと開放されたと思ったが、母親は未だ逃亡中、妹は祖父母に引き取られ
自分は児童施設に入れられる。
そんな少年が家族の再生を願って旅をする物語だ。

しかし、映画は援助交際をする少女(それも小学生だ)や、レズのカップルなどが絡んできて
(それも現代のひとつの姿だが)オウムとは直接関係のないような要素が入り込み、
なんだか作者の意図がよくわからない。

出演では主演の少年役の石田法嗣がよい。
第2の柳楽優弥とも言うべき印象に残る少年だ。
今後の活躍に期待したい。

オウム真理教事件、この事件についてはまた別の視点からの映画が必要だ。
真に必要だ。
あのような事件を2度と起こさせないためにも。


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放浪記


日時 2005年3月19日10:30〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・プレミアスクリーン
監督 成瀬巳喜男
製作 昭和37年(1962年)


(詳しくはキネ旬データベースで)

散々文句をつけながら見ている成瀬巳喜男。
これで3本目。こっちも3本目になると慣れてくる。
下半身のゆるいダメ男とそれに引きづられる女が出てきても、もう驚かない。
そういうもんだという心構えができている。

林芙美子の自伝的小説の映画化。
例の森光子が何十年もやっているアレの映画版だ。
行商をしながらの貧乏暮らしのふみ子母娘。
ふみ子は詩などが好きで、自分でも時々投稿している。

ここで母親役が田中絹代。この方はおばあさんになってからがすごい。
彼女の演技は熊井啓の「サンダカン八番娼館・望郷」で脳裏に焼き付けられた。
田中絹代の演技は(特に声、せりふ回し)に何か神々しいものがあり、
いい意味で周りの共演者とはちがう異質なものがあり、私はグッと引き込まれる。
そしてふみ子を演じるのは高峰秀子。
猫背にして首をちょっと前に突き出した姿勢は、何かこの世の不幸を一心に
背負ってしまったかのような迫力がある。

またしても男にもてあそばれる女。下半身のゆるい男。
今回はダメ男が二人も登場する。
最初の男は仲谷昇。ふみ子のことを「君は天才歌人だ」などと持ち上げて
今の妻の悪口をいい、「それに比べて君は天使のようだ」などと誉めそやす。
そして仲谷の下宿で二人は暮らし始めるが、ある劇団の女優(草笛光子)を下宿に
連れ込んでしまう。
帰ってきたふみ子を仲谷は草笛光子に「あれはお手伝いさんです」などと紹介する
ずうずうしさ。

そして次の男は肺病もちの宝田明。
彼も売れない作家だが、ふみ子が金がないながらもせっかく作った食事を
ちゃぶ台ごとひっくり返してしまうわ、「お前なんか出て行け!」と言っておきながら
しばらくすると出て行ったふみ子が住み込みで働いているカフェ(今のキャバレー)に
やってきて「戻ってきてくれ」という。
そこでまたふみ子はよりを戻してしまう。

この辺からしてふみ子は馬鹿だと思うが、私はもう驚かない。
免疫ができたから。

そんなふみ子にも親切にしてくれる男は他にもいる。
最初の下宿で隣に住んでいた加東大介ふんする印刷工だ。
何かとやさしくしてくれるのだが、パッとしない容貌の成果、ふみ子は魅力を感じない。
時々都合の悪いときに金を借りるだけだ。
この加東大介も「どうぞどうぞ」と金を貸す。
返済が遅れるのをわびるふみ子に「いいんですよ。お金を貸しているうちはふみ子さんと
つながっている感じがしますから」と意に返さない。

泣けてくるねえ、この心意気。
私なんか加東大介タイプだから、実に親近感を感じてしまう。

ラスト、今は大作家になったふみ子の元へ今は印刷会社の社長になった加東大介が
訪ねてくる。
有名人ともなると寄付の依頼やら、会ったこともない親戚が頼ってくるわ、になる。
それらを軽くあしらうふみ子。
ふみ子は「私のことを冷たい女だと思います?」と加東大介に問う。
「いいえ、そうは思いません。今のあなたしか知らない人には冷たい女に見えるかも
知れませんが、私は貧乏のころのあなたを知っています。あなたがそう答えるのも
無理はありません」と笑顔で答える。

このストイックな男らしさに惚れ惚れする。
だが成瀬巳喜男の世界(あるいは現実世界)ではこういう男はもてないらしい。

映画は実直そうな画家(小林桂樹)とふみ子は結婚していて、ハッピーエンドで
終わる。
今まで見た2作が悲劇的な結末だった分、この作品は見終わった後の後味がよかった。

またラストシーンでふみ子の子供のころの回想になるのだが、そこで
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」とスーパーがでる。
「浮雲」もこの言葉でまとめていたが、成瀬巳喜男の座右の銘だったのだろうか?



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乱れ雲


日時 2005年3月13日
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・プレミアスクリーン
監督 成瀬巳喜男
製作 昭和42年(1967年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


通産省の役人の妻、江田由美子(司葉子)は出産を控えまた夫のアメリカ転勤を控え、
幸福の絶頂だった。だが、ある日その夫が交通事故で即死してしまう。
事故は完全に不可抗力によるもので、裁判所も加害者の運転手・三島(加山雄三)
に対し無罪の判決を出した。
しかし、法的に無罪でも、道義的、また明治物産の社員としての責任は残る。
彼は青森に転勤になり示談金として月1万5千円づつ10年間由美子に支払う
ことになった。
由美子も十和田湖畔の実家の旅館を手伝うことにする。
青森と十和田湖、同じ県内なので再会する二人。いつしか二人は愛し合うようになる。

先週に引き続き、成瀬巳喜男特集。
「浮雲」に比べれば許せたが、でもまだ違和感は残る。
主人公、由美子は運命に翻弄されていく。
夫は突然交通事故死し、夫の両親からは除籍される。表向きは「江田家のことは気に
なさらずにあなたの人生を歩んでください」ともっともらしいが、夫の公務員年金を
由美子から奪いたいは明らか。そして帰った実家でも営林署の職員から惚れられる。
しかも義姉は商売上の都合からその職員との交際を進めてくる。

演じてるのは「その場所に女ありて」のクールビューティ、司葉子だから見ていて
その運命に負けようとしないたくましさを感じる。
しかしやがて三島(加山)を意識し始める。
このあたりがよく理解できない。
また三島も三島で、いくら不可抗力の事故とはいえ、自分が引いてしまった人の未亡人に
惚れる神経が理解できないなあ。
こいつも下半身ゆるいよ。

まあ常識とか道義とか世間体とかとは関係なく恋愛感情は生まれるもので、これらの
理性では制御出来ないのが、「好き」という感情だ、という視点に立てば
この映画も理解できるのだが、完全にそうは割り切れない。

やっぱり下半身のゆるい男女の物語という感が残ってしまう。
成瀬作品、まだしばらくは見てみようと思う。


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Shall We ダンス?


日時 2005年3月12日21:20〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・アートスクリーン
監督 周防正行
製作 平成8年(1996年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


大企業の経理課長の杉山(役所広司)は所沢の家と会社を往復するだけの
単調な日々を送っていた。特に不満があるわけではない、しかし何かが
足らないと思う日々だった。
そんなある時、帰りの通勤電車の窓から、途中駅の駅前にあるダンス教室の
窓から遠くを見つめる美女、岸川舞(草刈民代)を見かける。
さびしそうな彼女を電車の窓から探すことがいつしか習慣になっていく杉山。
ある日、勇気をもってそのダンス教室を訪ねダンスを習い始める。

2005年、GWにハリウッドでリチャード・ギア主演でのリメイク作品が
公開されるこの映画。オリジナルの映画のことはもちろん知っていたが、
見るのは今回が初めて。
9年前だと私も今より若かったし、ちょっとくたびれかけた中年男の恋愛コメディ
など興味がわかず、話題になっていることは知っていたが、見なかった。

私も役所広司扮する中年サラリーマンと同世代になってきたこともあって
充分楽しく見ることが出来た。(私の場合、映画という一生の趣味を持っているので、
「何かが足らない」という気にはならないと思うが)
でも、毎日の暮らしの中で見かける他人が気にかかる、というのはよくわかる。
毎日同じ電車に乗って通勤していれば、毎日のようにすれ違う他人、というのが
出てきて、何か妙に気にかかることがあるのだ。
現実にはなかなかその気にかかる存在と接点を持つ、というようなことは
ないと思うが、映画の話のきっかけとしては実に魅力ある導入だった。

それにしても思ったのだが、「中年男が社交ダンスに挑戦する」というミスマッチの
感覚、何かに似てやしないか?
そう、近年のヒットした「ウォーター・ボーイズ」や「スウイング・ガールズ」と
同じなのだなあ。
そういえば(未見だが)大学生が相撲に挑戦する、という同じ周防監督作品で
「シコふんじゃった。」というのもあった。
主婦が卓球に挑戦する、という「卓球温泉」というのもあるが、「卓球温泉」の
監督の山川元はこの「Shall We ダンス?」の助監督だった。
「ある主人公がミスマッチなものに挑戦する」という内容、いつの間にか
ジャンル化しているということにこの映画の内容とはほとんど関係ないことに気がついた。


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セルラー


日時 2005年3月10日22:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン6
監督 デヴィッド・R・エリス監督

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高校教師の生物教師のジェシカ(キム・ベイシンガー)はいつもの朝を向かえ、
子供をスクールバスに乗せて自宅に帰ってきた。
ところが突然そこへ数人の暴漢が!彼女は誘拐され、ある一軒家の2階に監禁される。
その部屋にあった電話を主犯格の男が壊して、彼らは出て行った。
ジェシカは壊れた電話のパーツを組み合わせ、パルス発信で無作為に発信してみる。
幸運にもその電話はライアンという若者につながった。
「助けて!」彼女は見知らぬ若者のライアンに訴える。
戸惑うライアン。いたずらにしては緊迫していると思ったライアンはとりあえず
警察に向かったが・・・・

「もしも携帯電話に見知らぬ人から助けを求める電話がかかってきたらどうする?」
というワンアイデアで押し切ったサスペンス作品。
電話を切ってはいけないとライアンは必死になる。
ところが圏外になりそうになるわ、電池は切れそうになるわ、トンネルに入りそうになるわ、
渋滞に巻き込まれるわと次から次へとトラブル続出。
これを一つ一つ乗り越えていくのだが、スピード感あふれるテンポのよい展開で
画面に釘付けだ。
しかも犯人たちは警官ということが徐々に明らかになり、事件のなぞは深まるばかり。

また着信履歴とかムービー機能とか充電器とかハンズフリーホンとか携帯の長所短所を
盛り込んだ携帯が第2の主役ともいえる大活躍ぶり。
まるで携帯電話会社がスポンサーについてるかのようだが、実際は「運転しながらケータイ」
というマナー違反をしてるので、スポンサーにはなってくれないだろうけど。

いわゆる「巻き込まれ型サスペンス」なのだが、ジェシカが巻き込まれ、ライアンも
また巻き込まれていくという2重の巻き込まれの構造が面白い。
ボブ・ムーニー(ウィリアム・H・メイシー)の定年間近の警官が定年後、妻と二人で
スパ(?エステティックサロンのようなものらしい)をやろうとしていて
顔中パックするあたりのユーモアも効いている。

笑いとサスペンスに映画の味付けを絞り、親子関係の復活、とかいうような妙な感動系の
要素を排除したところがいい。
この映画でも反抗期の息子に手を焼いている母親とか、今は別居中の夫婦とかが、この事件を
きっかけに彼らの仲良くなる、という展開もしようと思えばできたのだがそういうことは
しない潔さがすばらしい。
大作になると妙に感動させようとするからなあ。

大作でないがゆえにユーモアとサスペンスに話を絞ることができたのが、やはりスターが
いないのは寂しい。(ウィリアム・H・メイシーの警官役など一昔前ならウォルター・マッソー
がやりそうな役だ)
主役のライアンがヤングスター級の人物だったら、興行成績ももう少し違っていたかも??

無作為にかけた電話が近くにいる人とは限らない、という設定の突っ込みどころはあるのだが
(だって東京から携帯電話にかけたら東京にいる人につながるとは限らないでしょ?)
ワンアイデアで押し切ったサスペンスとして評価されるところ。
この内容なら(カークラッシュシーンは別にして)日本でもできそうな内容だ。
日本映画にも大作以外でもこういう娯楽映画を作ってほしい。
(でもケータイで電話をしながらの運転は交通違反だから、今の日本では難しいかな?) 


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ファンタスティポ


日時 2005年3月6日18:00〜
場所 東京グローブ座
監督 薮内省吾

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J−STORMムービーでKinkiの堂本剛とTOKIOの国分太一のW主演映画。
ジャニーズ製作のJ−STORMムービーってジャニーズが儲けようとして
作ってる映画には思えない。
本当に儲けようと思ったら、自主配給などせずに何らかの配給網に乗っけるか
いっそ作らない方が赤字にならないだけいいと思う。
赤字になるにもかかわらず映画を作るにはきっとわけがあるに違いない。

しかも映画の内容も「暴力とセックスのない映画で予算とスケジュールさえ
守ってくれれば内容は任せたよ」ってスタンスで作ってるように思える。
映画作家としては非常にいい環境で映画は作れるのではないか?
監督としてはやりたいことが比較的できる。
だから非常にいいものが出来る可能性がある。

このように思っていたのでこの「ファンタスティポ」にも内容関係なしに期待した
のだが、大はずれ。
監督としてやりたいことが出来るというのが悪い方向に行って、完全に監督の
一人満足映画になってしまった。

年商500億(?)のミネラルウォーターの会社アルマジロ社の社長(宝田明)が
息子の兄弟(国分太一と堂本剛)に会社を譲るあたりから話は始まるが、
国分のほうが大人になりきれなくてノイローゼになったり、剛のほうは自分探し(?)
の旅に出たのだかなんだかで精神世界に入っていって面白くないことこの上ない。

加えて宝田明や太一や剛が70年代サイケファッションのような扮装で、それなら
ミュージカルコメディのようになってくれるならともかく、代わりに中国から来た
らしい「トム」という名のゴリラの亜種みたいなのが登場し、もう訳わからん。

だから映画の方は観客無視の監督の自己満足映画なのだから何にも楽しめなかった。
ただし今回の上映では最終回のみ主題歌をみんなで踊るというイベント付きらしい。
私が見たときもそのイベントがあったのだが、これが実に楽しかった。
ダンサーのお姉さんが舞台に登場し、さびの部分の振り付けを教える。
そして観客の中から3名選んで舞台でさびの部分だけのPVを流しながら踊ってもらう。
最後にPVを全部流しながら、観客はさび以外のところは手拍子で、さびの部分は振り付けで
踊るというもの。
これがミニコンサート状態で実に楽しい。
やっぱり踊るって楽しいことなのですね。

映画は満足しませんでしたが、このイベントは大いに満足しましたよ。


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オペラ座の怪人


日時 2005年3月5日16:50〜
場所 ヴァージンシネマズTOHO六本木ヒルズスクリーン7
監督 ジョエル・シュマッチャー

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ミュージカルには元来関心のない私だが、実はニューヨークでこの舞台を見ている。
もう10年ぐらい前に初めてニューヨークに行ったときに「ニューヨークでブロードウエイ
って言えばミュージカルを見るのが常識だよなあ」と単なるおのぼりさん気分で
この作品を見たのだ。

劇場は結構古い劇場でロビーなどは想像していたより狭く、「そんなもんなんだ〜」と
思った覚えがある。いすも思ったより小さかったし。
とにかくニューヨークは初めてで緊張していたから、「ネクタイ着用で行かなきゃ
行けないのかな?」と旅行ガイドブックの教えに従い、見に行った覚えがある。
でもTシャツで来てる人も多かった。「俺ってアホだな」と思った。
で内容のほうだが、予備知識なしで見たので私の英語力ではさっぱりわからなかった。
内容のわからない英語劇を3時間見るのは結構つらい。
「ブロードウエイでミュージカルを見たことがある」という経験だけがいい記念になった。

だから私にとって「オペラ座の怪人」はこの10年間、「あれはどういう話だったのだろう」
という疑問が残っていたのだ。
今回、映画を見てこの疑問が解けた。
ああこういう話だったのかと。

耳なじみのある楽曲にすばらしい歌声。
踊りよりも歌で魅せるミュージカルですばらしい歌声には充分堪能させられました。

顔が醜いために心まで醜くなってしまったファントム。
そして美しい歌姫への悲恋。
まるっきり「ガス人間第1号」の世界ですね。
「ガス人間」の元ネタはこの「オペラ座の怪人」だったのだなあ。

映画やミュージカルとはまったく関係ないが、「なんとか団体」とか「かんとか協会」が
一種の障害者差別の作品、と将来言い出すのではないかと気になった。
なにせ「ちびくろさんぼ」が黒人差別の作品と言い出す人がいる世の中ですから。


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浮雲


日時 2005年3月5日13:10〜
場所 ヴァージンシネマズTOHO六本木ヒルズスクリーン4
監督 成瀬巳喜男
製作 昭和30年

(詳しくはキネ旬データベースで)


今年は成瀬巳喜男生誕100周年だそうで、それを機会にDVDも発売される予定で
再評価の機運が高まっている。
でDVD化される10作品を今回ヴァージンシネマズ六本木ヒルズで連続上映だ。
実は(たぶん)私は成瀬作品を1本も見たことがない。
これを機会に何本か見てみよう。

有名な映画だからストーリーのほうはキネ旬データベースを見ていただくとして
本題に。
私、この映画、ダメでした。
高峰秀子がなぜ森雅之扮する富岡についていこうとするのかがまったく理解できなかった。
大体、結婚している男が単身赴任先で関係ができたからと言って離婚して結婚して
くれるとは思えない。
でこの富岡が稼ぎもないし下半身はユルユルで、二人で行った伊香保温泉で
知り合った岡田茉莉子と出来てしまう。
それも高峰秀子が知らないところで知り合ったのならともかく、岡田茉莉子のだんなの
加東大介と4人でコタツに入っているときにアイコンタクトして出来てしまうんだから
始末が悪い。

はっきり言ってろくな男ではない。
ちょっとワルだが稼ぎがあるだけ、山形勲の親戚の男のほうがなんぼかましだ。
富岡の下半身ユルユルぶりには見ていて正直笑った。
大して(この映画では)男前でもないし、金もないのになんでこんな男に女が次々と
出来るのかまったく理解できない。

映画では示されなかったが、よっぽど富岡はセックスがうまいのだろうか?
もしその辺の描写がされていて、このセックスのうまさには何物にも代えがたい、という
のが示されていたならば(やや日活ロマンポルノにはなるが)、それは理解する。
人間、セックスの欲望のためには理性さえも失っていくものだから。

その辺の描写もなく、高峰秀子演じる幸田ゆき子はだらだらと関係を続けていく。
妊娠した赤ん坊はおろしても責任はとらないわ、富岡はまた別の女給に手を出すわ、
はっきり言って私に言わせれば富岡は人間のクズだ。
年寄りの説教みたいな言い方になるが、人間は「今日は昨日とは違う自分になろう」と
日々努力していくべきなのだ。
結果的にそれが出来たかどうかはともかく、そういう前向きな人間が私は好きだし、
少なくとも映画中ではそういう人間たちをみたい。

女性なら「その場所に女ありて」の司葉子のようにダメ男たちに平手打ちを食らわせるような
女性が私は好きだ。
したがって富岡も富岡だが、それについていく幸田ゆき子も自業自得なのだ。

最後には結核かなにかの病気でゆき子は死んでいく。
そして最後に字幕がでる。「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」
何だよ、そのまとめ方は!

人間の弱さを描写しているといえばこの映画は優れているのだろうが、そんな弱い人間どもは
私は映画では見たくない。
現実社会でたくさん見ている。
私が映画で見たいのは現実社会では出来ないことをやってくれるたくましい人物像であり、
映画を見る目的はその行動を見ることによって得られるカタルシスなのだ。


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ローレライ


日時 2005年3月5日9:30〜
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズスクリーン5
監督 樋口真嗣

「ローレライ」については「名画座」に記載しました。

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