2006年6月

恐喝(ゆすり) 暗殺者の家
やわらかい生活 不撓不屈 インサイド・マン 第三の男
オーメン 実録三億円事件
時効成立
初恋 博士の異常な愛情
ポセイドン 恐怖の報酬 花よりもなほ 嫌われ松子の一生

恐喝(ゆすり)


日時 2006年6月27日
場所 DVD
監督 アルフレッド・ヒッチコック
製作 1929年(昭和4年)



ロンドン警視庁の刑事、フランクにはアリスという恋人がいた。
今日もデートの約束があったが、事件があったため待ち合わせに30分遅れてしまう。
そのことでアリスは機嫌が悪い。カフェに入ったものの、つい喧嘩になり、
フランクは帰ってしまう。
アリスはたまたま居合わせた、今で言うイケメンの男についていく。
思い直してカフェに戻ったフランクだったが、アリスが男とカフェから出て行くのを
見てしまう。
アリスは男と過ごした後、「いいじゃないか」と誘う男を断りきれずにその男の
部屋に連れ込まれてしまう。
男は画家だったが、二人で絵を描いたりしているうちはよかったのだが、やがて・・・


アルフレッド・ヒッチコックのイギリス時代の作品で初トーキー作品。
ヒッチッコックにとってだけでなく、イギリス映画としても初のトーキー映画だそうだ。
最初の数分はフランクが事件の犯人を逮捕する本筋とは特別関係ないシーンなのだが、ここが
サイレント映画の手法でセリフの部分は声が出てこない。

カップルが喧嘩して女がつい別の男についていくという展開は今でも通じる面白さだ。
そして部屋に連れ込んだ画家の男がモデル用の服を着させて、女が帰ると言ったら
元の自分の服を取り上げてしまって着替えさせないという狡猾ないやな奴。
強引に襲い掛かる男をアリスはついその場にあったナイフで刺して殺してしまう。
そして捜査にやってきたフランクは現場に彼女の手袋が残されているのを発見する。
しかも被害者は夕べアリスが一緒に出て行った男。
フランクはつい、証拠の手袋をポケットに入れて隠してしまう。

一方アリスは翌朝、朝食を食べているときに食卓で夕べの殺人事件が話題になる。
そのときにある言葉に反応してびくびくするシーンが出てくるが、このシーンは秀逸。
この映画では有名なシーンらしいがそれも納得の出来。
トーキーという「言葉」を効果的に使ったシーンだ。

そして実は夕べ、男とアリスが部屋に入るのをみた男がおり、その男がアリスを
訪ねてくる。
フランクとアリスが話しているところにやってきて、フランクが自分のポケットに隠した
手袋をフランクのポケットから取り出し「秘密を知られたのが私で幸運でしたな」と
嫌味たっぷりに言い放つ。
「恐喝」という特に何かを要求するわけではなく、ネチネチといたぶるあたりは実に面白い。
葉巻の代金を払わせるところや朝食をねだるあたりのネチネチ感はたまらない。

しかしこの男が前科者であったために逆にこの男が容疑者になってしまう。
男は大英博物館に逃げ込むのだが・・・・
とこの辺で話の紹介は止めておこう。

ラスト、警察でアリスは被害者の家にあったピエロの絵が運び込まれるのを見かける。
そのピエロの笑顔。
まるでアリスを嘲笑しているかのようだ。
いつまでも彼女の心の呵責は消えないのだ。

ヒッチコック、やっぱりすごい。



(このページのトップへ)




暗殺者の家


日時 2006年6月26日
場所 DVD
監督 アルフレッド・ヒッチコック
製作 1934年(昭和9年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ローレンス夫妻はスイスのサンモリッツで冬季競技を観戦したり参加したり楽しんでいた。
しかしある晩、夫妻の友人ルイが射殺され、その場に居合わせた夫妻は彼が死の間際に
言った「ブラシの中」を探るとそこには握りの部分からあるメモが出てきた。
そこにはロンドンのある地名と「Aホール」という言葉が書かれていた。
実はルイはイギリスの諜報員だったのだ。
ところが翌朝、敵側によってローレンス夫妻の娘が誘拐されてしまう。
娘の命を第一に考える夫妻は娘が誘拐されたことを誰にも言わずにロンドンに帰る。
イギリスの特務機関からの要請があってもメモのことは誰にも話さない夫妻。
ローレンスは自分の力で娘を取り戻そうとメモにあった地名に出かけるのだが・・・


後に「知りすぎていた男」として自らリメイクするヒッチコックのイギリス時代の映画。
サンモリッツのシーンではスキーのジャンプ競技などのシーンもあり、この頃は飛行方法が
今と違って腕をぐるぐると回しながら飛んでいる。
もちろんこんなことは映画とは何の関係もない。

ローレンス夫妻は「ヨーロッパ危機を救うために協力してください」という政府の要請を
「ヨーロッパの命運より娘の命のほうが大事」と断る。
このあたりのセンスは「正義が大事」と主人公が考えることが多いこの手の映画では珍しい気がする。

で、ローレンスはメモに書かれた地名に友人と言ってみるとそこは歯医者だった。
この歯医者が敵のアジトなのだが、患者の振りをして歯医者の治療を受けるあたりは後の
「マラソンマン」の元ネタではないか?というのがうがった見方か?

そこで悪役ピーター・ローレが登場。
この人は「マルタの鷹」でも活躍したが、ぼやっとした感じの目つきが返ってなにやら妙な怖さがある。
彼らの目的がコンサートホールで射殺計画と知るとローレンスは妻をコンサートホールに送り
阻止しようとする。
曲のクライマックスで音楽が大きくなったところで射殺するわけだが、このとき、まずピーター・ローレが
あらかじめ仲間に(同時に映画の観客に)レコードを聞かせ「ここのところで射殺するんだ」と説明する。

そして本番のコンサートのシーンでいよいよ!というところで楽器が準備されて演奏者たちが構える
ところのカットの積み重ねなど実にうまい。サスペンスの盛り上がり最高潮だ。

その後、敵のアジトでは警察側と暗殺者たちとの銃撃戦が繰り広げられる。
この辺は今見るとちょっと迫力不足。
しかしその後、ローレンスの娘が敵から逃れようとして屋根の上に追い詰められ、落っこちそうになる
あたりは最早ヒッチコックお決まりのサスペンス。

結局誰を暗殺しようとしたかはあまり説明されない。
しかしそういうことを描くのが目的な映画ではない。それは重要なことではないのだ。
ヒッチコックの言うところの「マクガフィン」という奴だ。

全体的に今の感覚で見ると古さを感じざるをえない映画だが、それでも人物描写など細かい点には今でも
通じる面白さだった。



(このページのトップへ)




やわらかい生活


日時 2006年6月25日18:40〜
場所 K’s Cinema
監督 廣木隆一

(公式HPへ)


私だって気分がどよーんとして何もしたくなくなるような鬱な気分なときはある。

この映画の寺島しのぶ扮する主人公は躁うつ病のため仕事も何もしていない。
親が火事で死んだときの生命保険でとりあえずは暮らしていける。
こっちもドヨーンとして鬱っぽい気分の時に見たせいか、働いていないでいる主人公に
対して妙に共感が持てた。
今の世の中、気分が落ち込む日も多いという人も多いのではないか。

前半の痴漢プレイを楽しむ相手の田口トモロヲ、大学時代の同級生で今は区議会議員の
松岡俊介、うつ病のヤクザの妻夫木聡らが登場するあたりはテンポもよく面白かったが、
後半のイトコの豊川悦史と二人になってからはやや退屈。

カメラも固定で長回しされると(特にカラオケボックスのシーンなど)日本映画の悪い部分
を見せられた気がしていやになる。
(昔のATG映画を見てる気になった)
トヨエツは妻と別居、寺島しのぶは躁うつ病という人生にイマイチ失敗した二人が慰めあう
うちにお互いを必要とする姿は、まあ気持ちはわかるし、否定はしないが、映画として
見ていて面白さはない(少なくとも私にとっては)

どよーんとした気分の日に、こういうどよーんとした映画を見て「自分だけじゃないんだ」と
という気になって少しは前向きになるのもいいが、(個人的な好みだが)こっちが元気に
させられるような爽快感がある映画のほうが私は好きだな。

ラスト、寺島しのぶは銭湯で常につけていたバスタオルをはずし、心の成長を示す。
しかしその後に悲しい連絡が入る。
この連絡を携帯電話で受けるシーン、寺島の後ろ姿だけで演出する。
それで見せてしまう背中の演技をする寺島しのぶもすごいし、それをする演出も勇気ある。

実はこの映画を見に行った動機は妻夫木聡が出ているから。
予想通り、出演シーンは少ない助演作品。
うつ病のヤクザという面白い設定だが、いつか本格的な東映ヤクザ映画でヤクザ役にも
挑戦して欲しいものだ。そういう映画も見てみたい。



(このページのトップへ)




不撓不屈


日時 2006年6月17日20:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン
監督 森川時久

(公式HPへ)


昭和38年、栃木や東京に事務所を構える飯塚会計事務所は税務調査を受けた。
所長飯塚毅(滝田栄)が顧客に指導している「別段賞与」という節税制度が
税法に触れるという疑いから起こったことだ。
飯塚は「1円の払いすぎもよくないし1円の払わない税金もよくない」という
論理の人。
税務調査は自分だけでなく顧客にもおよび、顧客の側に隠し財産が見つかってしまったり
顧客の側が悲鳴を上げだす。そんな顧客を締め付けることによって「別段賞与」に関する
裁判を取り下げさせようという国税庁の嫌がらせだ。
顧客の解約などの兵糧攻めにあいながらも飯塚に協力する人も多い。
家族やそういった協力者の力を借りて飯塚は自分の信念を貫く。


高杉良原作の経済小説の映画化。
国税庁との争いの元になった別段賞与についてはナレーションで簡単に説明されるだけで
詳しくは語られない。
それはいいのだ、何しろこの映画は「別段賞与」が合法か違法かを問題にしている映画では
ないから。これはもう国家(役人と言い換えたほうがいいか)と個人の対決の映画なのだから。
国税庁側の役人は三田村邦彦といい、その部下の松沢一之などあまりのわかりやすい
悪役ぶりに笑ってしまうほどだ。

そして社会党の議員岡本忠五郎(田山涼成)に国会で国税庁を追及してもらったりと協力者が多い。
その他にも飯塚の恩師に当たる法学者(夏八木勲)も国税庁顧問という立場ながら飯塚に
協力する。
実をいうと社会党の議員は最後には裏切って「飯塚の件では国税庁を追及しない代わりに
他の件で社会党の意見に修正してもらう」というような政争になるんじゃないかという、
「山本薩夫=山崎豊子」コンビ的になるのではないかとハラハラしたが、そんなことはなかった。
同じように妻も子供も父を信じてるし、中村梅雀が演じたような協力者も現れて「出来すぎ」の
感じも否めない。

実をいうとその辺がこの話の弱いところだと思う。
同じ高杉良の「金融腐食列島・呪縛」の時も最後に大株主が株主総会で主人公を養護する発言を
すると言う甘い展開があったのだがここでもそんな感じ。
高杉良の小説自体が多分そういう作品が多いのだろう。

また不必要なナレーションが多かったり、中村梅雀との最後の会話で「私は強い人間ではなく、
弱い人間です」「弱い人間だから弱い人間の気持ちがわかるんじゃないですか」という
一種くさいセリフの応酬とか松坂慶子と最後のほうで二人で食事をするシーンとか、
戦争から復員してきた回想シーンとか説明がくどいシーンが多くて少し気になる。

欠点ばかり書いたが悪い作品ではない。
イケメン俳優もジャニーズのタレントも美少女も恋愛ストーリーも出てこない。
出てくるのはむさくるしいオヤジばっかり。
見た目はむさくるしくてもやってることはかっこよいのですなあ。
とにかく最近の「恋愛が絡まなければ気がすまない病」に犯されている日本映画では
珍しくその病気に犯されていないのですから。
こういう男性映画がまた見たいですね。
ヒットしてくれれば同種の作品が出来るんでしょうが、なかなか興行的に難しそうだなあ。

でも偶然だが「個人が国家に立ち向かう」という内容では「グッドナイト&グッドラック」
に似ている。
実は話の内容だけでなく、シナリオの骨格も似てるので笑ってしまう。
事件が起こる前に演説のきっかけがあって過去に時間が戻って事件の中心が描かれる。
そして最後では主人公が演説をしている。
そこで語られる内容は「どんなに制度がしっかりしていてもそれを扱う人間がしっかり
していなければならない」というもの。
公開が同時期だから盗作とか、「影響」はないと思うのだが、あまりの構成のそっくりぶりに笑ってしまう。
偶然とはいえ驚いた。

出演は映画初主演の滝田栄。脇として記憶に残るのは中村梅雀、陰険な役人松澤一之、飯塚の
顧客に蛍雪次郎などなど。松坂慶子が控えめな妻役好演。最近年取って目立ちすぎない
いい女優になったように思う。
あと元男闘呼組の前田耕陽。(見てるときは気づかなかった。エンドロールをみて知った)

監督は森川時久!(一体何年ぶりの監督作品だろう?)

それと昭和38年の東京が舞台なのだが、国会議事堂が映ったときに横に黒い高層ビルが
あるのが気になった。
CGなどは使ってないから仕方ないけど、惜しいなあこの辺。
(あと国会近くの信号に「国会裏」という標識が付いているのも気になった。この頃は
こういう標識はなかったんじゃないか?)

多少の欠点、惜しい点はあるものの、日本版「グッドナイト&グッドラック」というべき快作!
「グッドナイト〜」ほどおしゃれじゃないのが惜しいですが・・・・・



(このページのトップへ)




インサイド・マン


日時 2006年6月17日16:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン4
監督 スパイク・リー

(公式HPへ)


ニューヨークのある銀行に4名の銀行強盗が押し入った。
従業員や客を人質に立てこもる。犯人達は人質の服を脱がせ、同じつなぎの
服を着せる。これで誰が犯人で誰が人質か見分けが付かない。
犯人たちは「逃走用ジャンボ機を用意しろ!」と要求。しかし交渉役の刑事(デンゼル・ワシントン)
にはどうも本気で要求している様子には思えない。
そんなとき、銀行の頭取は顔色を失っていた。あの銀行の貸金庫には自分の秘密が隠して
あるのだ。それだけでも取り返すべく、辣腕弁護士(ジョディ・フォスター)と犯人を交渉させるのだが。


パスの予定でいたが、評判のよさにつられ見に行ったが、うわさどおりの面白さ。
派手さはないが、犯人と刑事、弁護士、銀行頭取まで絡んだ面白さ。
なるべく書かないようにしますが、ネタバレになる可能性があるので未見の方は読まないほうがいいかも。


犯人が要求らしいことを要求しない、ということで警察側は犯人の真意がつかめず、ジリジリします。
実は犯人の目的の半分は立てこもることにある、というのは見てるこちらも想像が付きますが、
それが何なのかわかりません。
穴を掘ったりしてますから、シャーロック・ホームズの「赤毛連盟」の逆パターンか?とも思えてきますが。
しかし、犯人が何も要求しないでじっとしている、では映画の話が持ちませんから、ジョディ・フォスター
やら銀行頭取などを絡ませて話を複雑にしてくれます。
そして途中で出てくるアルバニア語もトリックも。

犯人の意図が明らかになる最後。
あ〜〜なるほどね。こういうことだったのか!というタネ。
これは「ルパン三世」や「シャーロック・ホームズ」(「赤毛連盟」ではない)でも似たようなトリックは
使われましたが、さらに発展させてますね。

ラスト、犯人達の目的も首尾よく達成され、映画も終わりかと思ったところでもう一つ仕掛けがあるのですね。
最後のカットまで見逃せない、というのが「サブウェイ・パニック」を思わせる感じ。
でも「サブウェイ・パニック」ほどスピード感がないのが惜しいところ。
犯人が時間を急いでいないのでスピード感に乏しいのは仕方ないのですが。

細かいネタとして、アルバニア語が出てきたり、「アラブ人=テロリスト」と見られて制約を受けている
現実など、人種のるつぼらしいニューヨークらしさも出てくる。

娯楽映画として一級の出来。
タイトルの意味も伏線ですね。



(このページのトップへ)




第三の男


日時 2006年6月13日
場所 DVD
監督 キャロル・リード
製作 1949年(昭和24年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


アメリカの三文小説家のホリー・マーチン(ジョセフ・コットン)は破産しところ
学生時代からの旧友ハリー・ライムに呼ばれて四カ国によって統治されているウィーンに
やってきた。
ハリーのアパートに到着したホリー。しかし、その時自動車事故で死んだハリーの葬式が
行われていた。
墓場での埋葬時にイギリス人のMPキャロウェー少佐(トレヴァー・ハワード)から
ハリーが悪質な闇屋であったことを聞かされる。
信じられないホリー。彼はハリーの恋人アンナ(アリダ・ヴァリ)やアパートの管理人、
ハリーの友人と名乗る男たちから話を聞く。
アパートの管理人の話では事故現場にはハリーの友人達の話には出なかった現場に居合わせた
「第三の男」がいたことを知らされる。
詳しく話を聞くために再度アパートの管理人を訪ねるとすでに殺されていた。
ハリーの死には何か裏がある。
そう思うホリーは一人の男の姿を見かける。
それは死んだはずのハリー・ライム(オーソン・ウエルズ)だった!


かの有名な「第三の男」だ。
この映画、中学生の頃にリバイバルされそのときに見ているのだが、今回ほとんど20年ぶりにDVDで再見した。
僕が前に見たのは70年代後半なのだが、その頃は「うわさに聞くほど面白くなかった」というのが
正直な感想。
当時は子供だったからアンナに対するホリーの想いなどわからなかったのかと思っていたのだが、
大人になった今見直してもそれほど面白くない。

第一、ミステリー仕立てだが、ミステリーとしてはそこが浅すぎる。
実はハリーは生きていた!というのが肝なのだが、そんなのは容易に想像がつく。
日活アクション程度の底の浅いミステリーだ。(実際、赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」として
翻案リメイクされている)
ミステリーの面白さ、敵か味方か、真犯人は誰か?と言った要素の面白さなら1941年の
ジョン・ヒューストンの「マルタの鷹」のほうがよっぽど気が利いている。

しかしこの「第三の男」は名作の誉れが高い。
この映画、封切り当時に見た印象と今とでは大いに違ってしまってるんではないだろうか??

この映画の魅力の一つに今でも有名なツィターのテーマ曲があげられる。
この音楽の素晴らしさは改めて言うまでもない。
今でも私は好きだ。
そして最後の地下水道の中を逃げるハリー。これを逆光で捉え、主に影だけで表現したクライマックス。
またラストの並木道を歩くアンナをシーン、カット割りもせず、真正面からFIXで捉える!
(今回見直してこのラストシーンは今でも大胆だなと思ったが)

これ、当時見た人には「カッコいい映像と素敵な音楽」で滅茶苦茶スタイリッシュでおしゃれな
映画だったのではないだろうか?
脚本の面白さより音楽や映像が勝った映画で、当時の既存の映画にはないかっこよさを感じたのではないか?
そんな映画を封切り時に若い観客が見たらしびれてしまっても不思議はない。

それは今の40代がスピルバーグの「激突!」「ジョーズ」やルーカスの「スターウォーズ」を少年時代に
封切り時に見て大いに衝撃を受けたようなものではなかったろうか?
(私などは「スターウォーズ」の第1作を見たときは映画が終わった後、椅子から立てなかったほどの
衝撃を受けたものだ)
それは今の若い世代が「マトリックス」に心を奪われたような(あるいはそれ以上)の「事件」だったのでは
ないだろうか?

そうでなければこれほどの評価がよくわからない。
僕が映画雑誌を読み始めた70年代に活躍していた映画評論家の諸氏、この映画を見たのは10代か20代の
頃だ。
そんな映画少年、映画青年にとっては衝撃だったんだろうなあ。
いまではこの映画に影響を受けた映画が多すぎて、それほど目新しさはなくなっている気がしてならない。



(このページのトップへ)




オーメン


日時 2006年6月11日21:15〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン4
監督 ジョン・ムーア

(公式HPへ)


アメリカの外交官ロバート・ソーン(リーヴ・シュレイバー)はイタリア勤務時代に
妻が死産してしまった。
キリスト教系の病院だったその病院の神父から、同じ日に生まれて母親が死んだ
男の子がいるのでその子を自分の子供として育てるように勧められる。
ためらいながらもその提案を受け入れるソーン。
やがて彼は若くして駐英大使になる。
だが自分の息子ダミアンが5歳の誕生日を迎えたその日、誕生日パーティの席で
乳母が自殺する。
そしてダミアンの周りでおかしなことが次々と起こり始める。

1976年製作の「オーメン」のリメイク。
今回のリメイク版は今年が2006年だから。そして6月6日に公開するという
イベント映画だ。
もう2000円札並みの記念映画だ。

今回のリメイク版の出来はまあ可もなく不可もなく。
というより前回の記憶がものすごく強いからなあ。
私はこの映画の頃は高校生だと思っていたが、76年なら中学生ですね。
もちろん前作は封切りで見ている。

当時は「エクソシスト」に始まったオカルトホラー映画ブームだった。
しかしオカルトホラー映画の類は所詮はキワモノの三流映画扱いだったと思う。
ところがこれは主演はグレゴリー・ペック。
スターとしては第一線を引いてはいたが、まだまだ大スターの貫禄十分だった頃。
そんな大スターがオカルト映画に出たのだ。
映画としても格が上ったともいえるし、グレゴリー・ペックも落ちたともいえた。
要するにこの前作はハリウッドの大スター、グレゴリー・ペックが主演だったことが
肝だったのだ。

ところが今回はリーヴ・シュレイバーなる私は知らない人で顔はウォルター・マッソーを
若くした感じ。
ものすごーく映画として魅力に欠けるのだなあ。
主人公がかなり若くなったのだが、よく考えてみれば5歳の子供を持つ夫婦だから
今回ぐらいの年齢のほうがふさわしいといえる。
前作のほうが年を食いすぎていたのだが、何せペックが主演だからその年齢に
無理やりあわせたといえるのだ。

シナリオはかなり前作と同じで妙な改変がない分よかった。
ラスト近く、事件の真相を追うカメラマンがクビをちょん切られて死ぬシーン、
今回はまったく違う死に方。
しかし、前回のガラスを積んだ車がブレーキが外れて動き出してガラスがすべリ落ちる、
というのを、前作にはなかったイタリアでの大使の死のシーンに受け継がれており、
前作への敬意を感じられる。

前作で一番驚かされたシーンは、病院が火事になった後、隠匿生活をしていた
当時の産婦人科の医者を訪ねるシーン。最初、グレゴリー・ペックが訪れたときは
後姿で、顔をこちらへ向けたらそこには焼けただれた顔があった!という驚かせるシーン
だったのだが、このシーンは今回はそれほど衝撃的ではなかった。
最初、医師の顔はフードに隠れて下半分しか見えない。
そこでフードを取ってみると・・・という展開で前作ほど驚きはなくがっかりしたが、、
まあこれは個人的な思い入れの範疇だろう。

それにしてもこの映画は聖書にある予言の詩にヒントを得て作られた話だとか。
日本ではノストラダムスの「1999年人類滅亡」の予言が外れて以来、人類破滅の
予言は一切聞かなくなったが、あちらでは2001年の「911」事件以来、そういった
予言がもてはやされているとか。
(映画の冒頭でも911のシーンが出てきましたしね)
その辺のキリスト教とのかかわりが日本人にはちょっとわかりづらい。

しかし前作の公開時は「ノストラダムス」とか「ユリ・ゲラー」とかオカルトが今より
流行ってましたからねえ。
もっともそのブームに踊らされた人々一部がオウム真理教に走ったともいえるのだが。
そう考えると70年代のオカルトブームというのは大きかったと思う。



(このページのトップへ)




実録三億円事件 時効成立


日時 2006年6月11日
場所 録画DVD(東映チャンネル)
監督 石井輝男
製作 昭和50年(1975年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ばくち好きのだらしない男、西原(岡田裕介)はある計画を立てていた。
それは日本信託銀行から府中の東芝工場へはこばれるボーナスを奪う計画だった。
情婦(小川真由美)に協力させ、準備を勧める西原。
そして昭和43年12月10日、遂に決行。
初動捜査の遅れから犯人逮捕は困難を極めた。
その中でベテランのたたき上げ刑事・葛木(金子信雄)は不良退職者を洗い出すうちに
西原に目をつける。
やがて葛木は西原を追い詰め、別件で逮捕する。
執拗な取調べに落ちそうになるのだが。


府中三億円事件の映画化。
製作された昭和50年は時効成立の年。しかもこの映画の封切りは11月22日。
まさに時効を迎えようとしている頃で、この頃はとにかく大ブームで週刊誌、テレビは
「三億円事件特集」が組まれ、全国民が探偵になっていた時期だ。
そんな頃の公開で、実にブームに乗ったタイムリーな映画。
まだこの頃は、そんなキワモノの企画映画が存在した時代だった。

映画の冒頭、名刑事の平塚八兵衛や捜査一課長のインタビューシーンが登場する。
このインタビューを見て思ったのだが、映画に登場する金子信雄の刑事は平塚八兵衛を
モデルにしたんでしょうね。

犯人像はばくち好きの定職のない女のヒモのような男、という東映実録ものらしい設定。
(犯人を演じるのは当時の東映社長の岡田茂の息子で、後の東映社長の岡田裕介だ。)
僕個人的な意見では犯人はばくち好きなヒモ、というような男ではなく、もっと知能程度も
高く金を簡単には使わないという意思の強そうな気がする。

西原は金持ちの女に自分の犬の交配業の金をセックスと引き換えに出させたりする男。
また刑事の葛木が捜査中に立小便するシーンがやたら登場する。
こういうセックスとか排泄などの生活臭丸出しなシーンが登場するのも実に東映的。

西原は金を一旦実家の墓の中に隠し、それを葛木が突き止める、というあたりは
昔テレビで見たときはハラハラした覚えがある。

犯人が金を使った形跡がない、というのもこの事件の特徴だが、この映画では犯人は
競馬の種馬を買うという投資にまわしたという設定。(この映画はオリジナル脚本ではなく
原作は清水一行。但し原作が未読なので詳しい違いはわからない)

映画の前半は事件の説明をされて面白かったが、西原が葛木刑事に別件逮捕されてからが
やや面白さが落ちる。
葛木は別件逮捕を繰り返し拘留を長引かせなんとか自白に追い込もうとするのだが、結局
犯人にすれば黙秘を続ければいいし、しかも観客にとっては結局自白しないことは明白なのだから。

タイムリーな企画でちょっと儲けようという映画だが、今見ても石井輝男らしい娯楽映画だ。



(このページのトップへ)




初恋


日時 2006年6月10日18:00〜
場所 シネマGAGA!
監督 塙幸成

(公式HPへ)


1967年(昭和42年)女子高生のみすずは新宿のジャズ喫茶「B」を訪れた。
その店は幼い頃に別れた兄が数日前に再会したときに教えてくれた店だった。
そこでみすずは一人の東大生・岸(小出恵介)と出会う。
岸は兄の仲間達とはいつもちょっと距離を置いている存在だった。
やがてみすずは岸に心惹かれるようになる。
ある日、岸から手伝ってほしいことがあるとある計画を打ち明けられる。
それは府中で三億円の現金輸送車を強奪する計画だった。

今も映画の題材になるのか?!という驚きもある「府中三億円強奪事件」を素材にした
映画。
当時の学園紛争の社会情勢を含めて60年代懐古趣味的な発想で出資者のゴーサインが出たで
あろうと思わせる企画だ。

実行犯は免許証を持たない女子高生だった、というワンアイデアで広げられる物語。
但し事件をミステリー、サスペンス風に描くことなく、少女の淡い恋心が話の中心に
すえられる。
まあタイトルも「初恋」なんだし、あまり犯罪映画としての面白さは期待しなかった
ので、特に裏切られることはなかった。

話の中心ではないといっても「三億円事件」は重要なファクター。
それなりに細部は描かれる。
特に白バイが引きずっていたシートが登場したのはうれしい。
あの事件の白バイはシートを引きずりながら現場に到着したのだが、何故はずさなかったのか
僕には疑問だった。
それだけ慌てていた、というのが大筋の見方だが、計画の緻密さを考えるとちょっと納得が
いかない。
「実行犯は免許を持たない女子高生」というワンアイデアからシートは「外さなかった」の
ではなく、「外せなかった」という考えだ。
この一点には説得力があった。

しかし、映画全体としてはいまひとつ。
恋愛映画としては岸とみすずの関係は淡すぎるし、犯罪映画としては細部を描いて欲しい。
60年代末の「時代」を描くにしては脇役達の描き方が少ない。
みすずの兄の仲間など、タイトル付で紹介されるにも関わらず、映画の進行中は
彼らのドラマが少ない。
ラストにおいて、彼らのその後が紹介されるにも関わらず、だ。

個人的にはもう少し三億円事件の全体像を描いて欲しかったですね。
まあそれは作者達の意図ではなかったと思いますが。

当時の新宿を再現した美術が素晴らしい。
今の新宿南口付近にあった汚い階段を思わせるコンクリートの階段、歌舞伎町の映画街を
思わせる中央大劇の映画館など立派なものだ。
また車も当時の車が使用されており、その点も素晴らしい。
最近の日本映画の美術やセットに関してはレベルが上ったなあ。

まあしかし映画としては最近の日本映画同様、「どんな映画にも恋愛を絡ませなければ気が
すまない病」に侵されていますが。



(このページのトップへ)




博士の異常な愛情 
または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか


日時 2006年6月10日
場所 DVD
監督 スタンリー・キューブリック
製作 1964年

「博士の異常な愛情」については「名画座」に記しました。

(このページのトップへ)




ポセイドン

日時 2006年6月4日19:15〜
場所 新宿ミラノ座1
監督 ウォルガンフ・ペーターゼン

(公式HPへ)


北大西洋のNYに向けて航海中の豪華客船「ポセイドン号」。
大晦日の晩、ニューイヤーパーティの最中に大津波にさらわれて転覆する。
船長は乗客に船にとどまって救助を待つように言うが、一部の人間はプロペラシャフト
から脱出しようと試みる。
一行は消防士出身の元ニューヨーク市長(カート・ラッセル)ギャンブラー(ジョシュ・
ルーカス)、設計士だった老人(リチャード・ドレイファス)、元市長の娘とその恋人、
シングルマザーとその息子、NYに密航しようとする女性、船のウエイター。
行き先は火事と浸水の地獄。果たして脱出できるのか?


72年の「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイク。
リメイクはオリジナルより見劣りすることが多いがこれは別。
大成功作品だ。

まずは成功の一因は前作の欠点(私にはそう見えた)であった主人公の改変。
牧師に何故みんな付いていくのか?牧師にああいう災害に対応できるのか?
という点が、主人公は元消防士に置き換えられ、プロペラシャフトを目指す理由も
「ギャンブラーの勘」という根拠はないが説得力のある説明。
またギャンブラー自身も「元海軍の潜水艦乗り」という説明付。
これで違和感はない。
(ついでに「運命への挑戦」といったような理屈っぽいところも排除している)

最初の転覆シーンは、パーティルームだけでなく、プールや厨房の転覆するさまも描かれ
パニック映画としてのスペクタクルは前作を超えて有り余る。

最初の一人目の犠牲者のシーンがやや残酷だが、次々に襲い掛かる困難はスピーディーに
展開し、画面から目が離せない。

エレベーターシャフトを上る、ディスコにいる娘の救助、巨大な吹き抜けロビーの横断、
バラストタンクの通過、プロペラシャフトの回転、そして船を抜け出してからのシーンなどなど
(ネタバレになるので少し遠慮するが)早い展開、圧倒される火と水の迫力!

また前作にあったパーティルームでの歌とか厨房のやけどした死体の顔を服で覆うところなど
細かいところで前作も踏襲している。

惜しむらくは主演がカート・ラッセルなどイマイチB級のスターばかりだということ。
これがトム・クルーズとかハリソン・フォードとか、ブラッド・ピットとかいかにも「スター」
な方が出演してくれたら、もっと豪華なパニック映画になったのだがなあ。

しかし、そんなことは小さなこと。
迫力のパニック映画がまた誕生した。
素直に祝いたい。



(このページのトップへ)




恐怖の報酬

日時 2006年6月4日
場所 録画DVD
監督 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー
製作 1952年(昭和27年)


「恐怖の報酬」については「名画座」に記しました。

(このページのトップへ)




花よりもなほ

日時 2006年6月3日19:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン1
監督 是枝裕和

(公式HPへ)


時は元禄、赤穂の殿様が江戸城で吉良に刃傷沙汰を起こした年。
江戸の町の、特におんぼろな長屋に青木宗左衛門(岡田准一)という若侍が
住んでいた。彼は父の敵を江戸に探しに松本からやってきたのだったが、
しかし、実は剣術は苦手。
毎日の生活は近所の子供に読み書きそろばんを教える寺子屋をしていた。
同じ長屋の住人は底辺にいながらも明るく生きているような人ばかり。
宗左衛門のあだ討ちは果たしてどうなる?


「誰も知らない」で一躍有名になった是枝監督の新作。
今までドキュメンタリーっぽい低予算映画だったが、今回は時代劇。
しかもそれなりに金はかかっている。
(スペクタクルなシーンはないが、あの手の込んだ長屋ののセットを見れば
それなりに手間ひまかけた感じはする)

当初、江戸の市井の人々が主役であだ討ち物語、と聞いていたので今はやりの藤沢周平の
映画みたいなのが出来るのかと思っていたので(宮沢りえとか出てるし)公開が近づくにつれ、
チラシその他の宣伝材料が喜劇的に売っているので「どうなるんだろう」と思っていたが、
いやいや面白かった。

まずは長屋のセット、そして衣装がいい。
あのぼろぼろ感、そして建っている場所自体が周りの場所からくぼんだような土地で
底辺な感じがよく出ている。
また夜間シーンの照明の陰影が美しく、実に素晴らしい。
(その代わり昼間のシーンで少し白っぽ過ぎる気がするところがある)

やがて話は「あだ討ちなんてする必要があるのか?」と宗左がぼんやり悩みだす。
敵も見つかったが、相手も父を切ってから決して幸福になったわけでないと知るにつれ
「復讐なんて必要ない」と思い始める。

このあたりで現代のテロ戦争とオーバーラップさせようとしているのかも?と思ったが
そういう時事的な問題だけではなく、是枝監督の意図はもっと一般的なのかも知れない。

つまり「〜〜しなければならない」に我々はとらわれすぎていやしないか?
自分に出来ないような「〜〜しなければならない」から解放してもっと気楽に生きようよ、
そんなことをこの映画で描きたかったのではないか?

実際、今の人々は「〜〜しなければならない」が多い。
確かに必要な「〜〜しなければならない」もあるだろう。
しかし必要以上に「〜〜しなければならない」にとらわれていやしないだろうか。
だから自殺したり争いが起こってくる。
(もっとも実はそこまでは言っていなくて単純にテロ戦争についてのアンチテーゼだけなのかも
知れないが。もしテロ戦争についてのアンチテーゼだけなら江戸時代のあだ討ちを題材にするには
例えが離れすぎている気もする)

この映画に出てくる長屋の人々を見ていると肩の力を抜いて生きてみたくなる。
そんなほのぼのとしたほっとできる映画。

主役の岡田准一もいい。
きりっとした表情と笑った表情の緩急が素晴らしい。
また今までの「木更津キャッツアイ」のはじけた演技か「東京タワー」のような純粋な二枚目
演技が多かったのだが、今回はそれだけではない、「味」というようなものが出てきた気がする。
一皮むけた岡田准一。
そんな気がする。
ラストカットは岡田の素晴らしい笑顔。
この映画にふさわしい笑顔だ。

出演は他には宗左の国にいる弟役で(ポスター、チラシには出てないが)勝地涼、長屋の住人で
古田新太、香川照之、上島竜兵、国村隼、中村嘉葎雄、原田芳雄、加瀬亮、田畑智子、木村祐一、
敵で浅野忠信、宗左の叔父で石橋蓮司などなど個性的な面々。

(この映画、今年のカンヌに出品されなかった。「誰も知らない」でカンヌで話題を取った
是枝監督の新作、しかも6月公開だから5月のカンヌでの上映は宣伝的にもちょうどいい。
海外からだってオファーがないわけではあるまい。
何故出品されなかったのだろう?
しかし、カンヌで上映したら「賞をとらなけらばならない」になってしまったろう。
そんなことになるのは、この映画には似合わない。僕の中ではそう解釈しておく)



(このページのトップへ)




嫌われ松子の一生

日時 2006年6月3日16:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン9
監督 中島哲也

(公式HPへ)


福岡から東京にミュージシャンになる夢を抱えてやってきて、しかし今は夢は諦めた
笙(ショウと読む)(瑛太)の元に突然父(香川照之)が訪ねてくる。
実は笙にはおば・松子(中谷美紀)がいたというのだ。
そのおばは数日前に殺されたのだという。
おばのアパートを片付けるように言われた笙。やがて松子の一生を知るようになる。
松子は子供の頃から父は病弱の妹ばかりを可愛がり自分は愛されていないと思っていた。
松子は中学教師になり、修学旅行で生徒が旅館の売店の金を盗んだと疑われた件で
なんとなく自分がやったことになってしまって学校はクビ。
そして家出し、作家志望の男(宮藤官九郎)と同棲した。しかし男は自殺、その男の
ライバルだった男(劇団ひとり)の愛人になり、別れてトルコ嬢に。一時はトップだったが
売れなくなってクビになり、ヒモ(武田真治)と雄琴に行ったが稼いだ金はヒモに騙し
とられ殺してしまう。逃亡中に東京で出会った理髪店の男(荒川良々)と1ヶ月の幸せな
暮らしがあったが、やがて刑務所へ。そこで美容師になったが理髪店の男は別の女性と
結婚していて、かつての教え子で今はヤクザの男と再会し付き合って・・・・
と転落の人生だった。


本来なら予告編を見た段階でパスするつもりだった。
サイケデリックに彩られた映像、過剰に演出されたミュージカルシーン。
しかも同じく見なかった「下妻物語」の監督作品。
しかし、あまり評判がいいし、ユナイテッドシネマなら無料で見られたので
つい見てしまった。

やっぱり見なきゃよかった。
もう生理的にあわんのだよ。
「CASSHERN」とか「真夜中の弥次さん喜多さん」と一緒で好きな人は好きになるだろう。
だがもう私には完全にあわないのだよ。
見る人を選ぶんだろうな、この映画は。
昔のMGMミュージカルのような豪華さでミュージカル仕立てにして、タイトル文字も
「風と共に去りぬ」のような大時代的なデザイン。

監督に「何故このように演出したか」と聞いても「こういう風にしたかったから」という答えしか
返ってこないだろう。
だから私も「何故嫌いか」と聞かれれば「生理的に嫌い」としか言いようがない。
「嫌いだから嫌い」という言い方はしたくないのだが、もうそうとしか言いようがない。

こういう映画が「いい」といわれる時代なのか?
こういう映画を「いい」と思わなければいけない時代なのか?

ストーリーだけ聞くと成瀬の「放浪記」や「浮雲」を思わせるダメ男によって不幸になる
女の一生。
さすがに今成瀬のようにストレートい描けとは言わないが、こういう形にされてもねえ。

でも松子が「殴られてもいい。一人ぼっちよりは」と独白する。「ああそういうものか」と
納得した。納得したが共感したわけではない。私は「殴られるより一人ぼっちのほうがいい」
タイプなのだ。

しかし映画も後半になってトーンがややおとなしくなる。
笙が父に電話して子供の頃、松子に会っていると聞かされて、そして松子の死に方に至るシーンは
ちょっと切なかった。

しかしだからと言って映画全体の印象が変わるわけではない。
やっぱり見たのは時間の無駄(金はただで見たから無駄してないんだけど)だった気がした。



(このページのトップへ)