2009年9月

黒い傷あとのブルース 好色くノ一忍法帖
ヴァージン・スナイパー
美少女妖魔伝
怪談 片目の男 33 1/3r.p.m 地球爆破作戦 20世紀少年 
最終章 ぼくらの旗
湾岸ミッドナイト
THE MOVIE
南極料理人 少年 宿 YADO
白日夢(1981) ノーボーイズ、
ノークライ
白日夢(2009) サブウエイ123 激突

黒い傷あとのブルース


日時 2009年9月27日13:00〜
場所 新橋TCC試写室
監督 小野田嘉幹
製作 昭和36年(1961年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)



立花隆(牧真史)は香港と東京を結ぶ麻薬ルートの組織のボスの片腕だったが
ボスの死の知らせを受け、東京に帰ってくる。
組織は自分の兄貴分だった男がボスになっていた。
不審な物を感じた立花はボスの死んだ状況を調べ始める。
車にひかれた後病院に運ばれそこで死亡したのだ。
組織の新ボスは立花の存在がうっとうしくて仕方がない。
真相を探る立花を亡きものしようとするのだが。

昭和36年、新東宝が解散したあとを引き継いで「大宝」なる製作会社が誕生した。
しかし結局3ヶ月で5本程度製作配給しただけで消滅、権利もうやむやになり
新東宝スタジオ引き継いだ国際放映にもその大宝時代のプリントは残っていない。
ある場所にそのプリントが残されているのを好事家(マニアともいう)発見され
(別に探し回って見つけ出したわけでなく、たまたま存在を知ったと言う話。
所蔵していたところも隠していたわけでなく、そんなものに価値を見出して
いなかっただけ)
その発見された3本のうちの1本。

珍品だが別に幻の名作というわけではない。
正直、「こんな映画しか作ってないんじゃなくなるのも当たり前だわな」という映画だ。
上記のように話としては日活アクションにあったような話。
(もっとも僕より詳しい人に言わせると石井輝男の「ラインシリーズ」の流れといった
方が正しいらしい。僕は「ラインシリーズ」を見ていないのでよくわからない)

どの辺がつまらないかと言うとまず主演に華がない。
牧真史という聞いたこともない俳優。
マキシンジ、と音で聞くとウクレレ漫談の牧伸二を連想してしまう。
顔もよく解っていない俳優だからどの人だったか時々忘れてしまうぐらいだ。

結局ボスは兄貴分によって殺されていて、しかも殺し方が車で轢いておいて殿山泰司の
医者に運び込まれ、その医者が殺していたと言うもの。
ややこしいなあ。そのまま車でひき殺せばいいのに。
あっそうするとひき逃げ事件で警察の捜査が入るか。
どっちにしても回りくどい殺し方だ。

で、物語は途中で取引に使う麻薬がなくなったりして主人公が疑われますます兄貴との
溝は深まる。
やっと殿山泰司に白状させて兄貴を問い詰めていくうちにさっさと片をつければいいものを
「お前は俺より20段ばかりあの世に近いところにいる」(兄貴は階段の上にいる)
とか言っているうちにあっさり方を撃たれてしまう。
そして傷のある体でいろいろ逃げ回って日活で言えば白木万理が演じているようなキャバレー
のママと海外逃亡を図ろうと港に駆けつけるうちに逮捕。
「さっきのなくなった麻薬はどうなったけ?」と思っていると組織に麻薬捜査官がいて
ブツは応酬していたと言うオチ。
唐突過ぎるよ!

と言う感じで突っ込みどころも満載のB級無国籍アクションでした。
これを見るといかに日活アクションは俳優の魅力があったかかが再認識される。



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好色くノ一忍法帖 ヴァージン・スナイパー 美少女妖魔伝


日時 2009年9月23日12:35〜
場所 渋谷シネマヴェーラ
監督 渡邊元嗣
製作 平成9年(1997年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


徳川家の末裔・虎長(久保新二)の前に女忍者が現れ、彼の精子を奪おうとする。
女忍者は豊臣一族の末裔・ねね子が送った忍者で、虎長の精子を奪って子供を
作り、自分の子供を徳川の後継者にしようとしていた?!
それを阻止しようと服部半蔵の末裔(蛍雪次朗)も徳川に雇われ、戦いが始まる。
その頃虎長は町で出会った女子高生・金魚とホテルに行っていた。
どうなる??


何にも知らないで見たのだが、国映製作、新東宝配給というピンク映画だった。
この映画について話題にするにはまず「ピンク映画」だということが前提に
なるだろう。

ピンク映画としてみると出演者も豪華だし、虎長の立派な邸宅も出てきたり、
女忍者の妖術のための特撮(というほどでもないが)あったりして随分手が込んでいる。
ピンク映画としては超大作ではないか?
(あんまりピンク映画のことは詳しくないけど)

しかしまあ「ピンク映画としてはすごかった」というレベルでその辺のハンデを
抜きでみると、やはりそれほど面白い映画ではない。
久保新二はいつもの久保新二だし、ピンクコメディーなんだが、やはり精子の
争奪戦というストレートなネタなので大して面白くない。

また実は金魚は男の子で虎長が昔の恋人との間に作った子供だった、というオチ。
「実は男の子だった」というオチもありきたりすぎて面白くない。
「ピンク映画としては珍品だった」という感想以外思い浮かばないのだな、実際。



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怪談 片目の男


日時 2009年9月23日11:00〜
場所 渋谷シネマヴェーラ
監督 小林恒夫
製作 昭和40年(1965年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


大会社の社長(西村晃)が夜釣りのときに船から落ちて溺死した。
その死体が発見され、目がつぶれていた。
実は社長は背任の容疑で会社を追われかけていた。
会社の大番頭だった大西(三島雅夫)が陰で糸を引いている可能性もある。
また社長の妻恩田美千子(中原早苗)は社長が応援していたカメラマン(川津裕介)と
不倫の関係にあり、大西と同様社長の死を願っていたことには変わりはない。
彼らは「社長から財産管理について依頼を受けている」という弁護士に
社長の別荘に呼び出される。
しかし弁護士は九州の悪天候で来れないという。
別荘には社長が以前交通事故で足をけがさせ車いすにしてしまった女性や
社長の親類の医者(上田忠好)、社長の子供という女の子がやってくる。
またその夜、美千子は風呂場で社長が死んでいるのを見かける。


今回のシネマヴェーラでの「妄執異形の人々」特集のメインがこれ。
西村晃が片目をつぶれた姿で海から引き揚げられる姿がでてメインタイトルだから
もう怪談映画と思ったらどっちかというと先日見た「血を吸う人形」と同じく
トンデモミステリーだった。

実は川津と中原早苗が社長を風呂場で溺死させたのだが、さらに実は大西と社長の女秘書
も社長を殺そうと薬を飲ませていたという展開。
そして社長が別荘に神父姿で時々現れるので、登場人物たちは完全にパニック。
彼らは自滅して屋根から落ちたり、別荘の西洋甲冑の斧で死んでいったりする。
「ええ、どうなっているの?」と思ったところで社長登場!
実は社長は生きていた!
それも実は社長には双子の弟がいて最初はその弟が社長の復讐でみんなを殺していくと
思わせて、実は社長だったという展開。

これでもかこれでもかと強引などんでん返しが続く。
もはや後半は苦笑になってくるんだが、ここまで開き直ったどんでん返しの連続では
こちらは楽しむしかない。

面白かった。



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33 1/3r.p.m


日時 2009年9月20日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 木澤雅博
製作 平成8年(1996年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


主人公の木元ケンジ(水橋研二)は高校を中退し、東京で大検を目指して勉強していた。
しかし実際は学生運動にも参加しているが内ゲバがあったりして参加もさぼりがち。
売れないミュージシャンやバイト先のバーのホステス、そんな周りの人間のなかで
彼は成長していく。

70年代フォークに彩られた70年代を舞台にした監督木澤雅博の自伝的要素を
含んだ作品。

昔はそうでもなかったが、最近はこの70年代フォークが妙に貧乏くさくて苦手だ。
また高円寺を舞台にし、そのこちゃこちゃした路地裏の狭いスナックが出てくる
世界もどうも最近は苦手。
あと働いているのかいないのかよくわからずだらだらと歌を歌っている人間も
好きでない。
歌手と目指していてレコーディングまでいったが直前でレコード会社ともめてしまった
人間とかそういうのもなあ。
いつまで昔の夢引きずってるんだよ。
現実と折り合いをつけなきゃ生きて行かれませんよ。

実はそうでもないのかも知れないが、怠け者に見えてしまうのだよ。
そういう怠け者に温かい視線を持たなければならないのかも知れないが、時間に
追われたサラリーマン生活を送っている自分にはややっぱりだらだら生きている
人間はは好きになれないのです。
「現実と折り合いをつけるなんて俺には出来ない」っていわれるかも知れませんが
それにしてもねえ。
そう思えるのはまあ私がおじさんになったせいかも知れませんが。

主人公の惚れたバーのホステスには付き合っている男がいて、それがヤクの売人を
やっている男。「そんな男と別れてください!」というが女は「別れられないのよ。
それが男と女というもの。あなたも大人になったら解るわ」と言われる。
こっちはおじさんになっても解らない。
(「浮雲」を見たときもさっぱりわからなかった)

「ここではないどこかを探している少年」というテーマは理解できるし、嫌いではない。
でも「ここは早く抜けたほうがいいよ」と声をかけたくなる。
監督と私の考え方の違いだろう。

主演の水橋研二は本作がデビュー。
当時二十歳だったそうだが、主役の華がある。
主演でも十分に耐えられる存在感を持っている。
数はそう多くないかもしれないが一定の固定ファンを持っていることは確か。
いままでこの俳優を知らなかったことを恥じる。



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地球爆破作戦


日時 2009年9月20日
場所 DVD
監督 ジョセフ・サージェント
製作 1970年(昭和45年)

(詳しくはキネ旬データベースで)



アメリカは国防システムをゆだねるコンピューター、コロッサスを完成させる。
もしソ連から攻撃があった場合、人間の判断を待つことなく、予めプログラミング
された通りに迎撃、反撃するというものだ。
これを発表した直後、コロッサスから「別のシステムが存在する」というプログラム
されていないメッセージが送られてきた。
実はソ連も同様のシステムを完成していたのだ!
コロッサスはソ連のコンピューターとのアクセスを要求してきた。
とりあえず、いうことを聞いてみたが、コンピューターはどんどん進化していく。
これ以上の進化は危険だと判断した米国大統領たちはソ連コンピューターとの
アクセスを遮断する。
しかしコロッサスはアクセスの再開を要求、断った人間への報復、警告として
ソ連に向けミサイルを発射、ソ連のシステムも同様にミサイルを発射した!
進化するコンピューター、はたして人類の運命は?


冷戦下の世界戦争とコンピューターをテーマにした破滅型SF。
断片的に記憶していたシーンがあったから、子供のころにテレビで放送されていたのを
親と一緒に見たのだろう。
(ラストは記憶していなかったけど)
コンピューター同士がアクセスして情報交換を行うというのはインターネットの原理
ですね。
がちゃがちゃと音を立てながら動くコンピューターは時代を感じさせます。

それしても意外なオチというかラストだった。
結局ミサイルの発射ボタンをコンピューターに握られて(与えて)しまった人間は
コンピューターの言いなりにならざるを得ず、オーバーロードさせてシステムダウン
させようとか、核弾頭の起爆装置をダミーに入れ替えてミサイルを無能化させようとか
の試みもすべて失敗するのだ。
ラスト、コロッサスは「私は戦争を起こさないために開発させた。私の言うとおりに
すれば世界中の大抵の問題は解決できる。人類のプライドが受け入れ難いだろうが
じきに慣れる」と言い放つ。

もう人類に打つ手はないということか。
しかしまだ最初にこのコンピューターを作った科学者をコロッサスはまだ必要と
しているから、最後に自殺するかと思ったらそうはならない。
またオーバーロードさせるとかは画的に派手さがないから、コロッサスの心臓部を
爆弾で破壊するとか出来なかったかなあ?
もともとソ連の核攻撃からも守る構造だからそれは無理か。

それにしてもちょっと納得行かないラストだった。
えっこれで終わり?!みたいな感じで。

あと映画としてはノースターなのがちょっとつらい。
主人公の博士や大統領ぐらいはスター級の人が演じているとよかったと思う。
この顔ぶれじゃいかに内容が良くても埋もれてしまいますね。



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20世紀少年 最終章 ぼくらの旗


日時 2009年9月11日21:10
場所 新宿ピカデリー・スクリーン1
監督 堤幸彦


(公式HPへ)


えーと、どんな話だっけ?
2015年、世界中で再び細菌がばらまかれ、人類の多くが死んだ。
2017年、今や世界大統領となったともだちは「8月20日に宇宙人がやってきて
人類を死滅させる。私を信じる者だけが救われる」と予言する。
死んだと思われていたケンジ(唐沢寿明)は実は生きていた。
そしてその姪のカンナが今や「氷の女王」と呼ばれる反政府組織のリーダーとして
活躍していた。
そしてオッチョ(豊川悦史)、ヨシツネ(香川照之)らもともだちの暴走を
阻止しようとしていた。
はたして人類の運命は?


原作は有名なんだし面白くて素晴らしいのだろう。
でも映画は完全に破たんしている。
登場人物が多すぎて何がなんだかわからない。こっちの頭が悪いせいかもしれないが
「そういえば1作目2作目に出てたと思うがこの人どういう人だっけ?」の連続。

いやそんなことよりクライマックスの設定が破たんしている。
いよいよ友だちがロボットを暴走させるが、それを阻止しようとケンジがロボットに
乗り込んだりしてともだちの正体が暴かれる。
んでコンサートシーンがあってケンジが歌っていた「スーダラなんたら」という曲を
歌うのだが全く盛り上がらない。
コンサートには全く現れず、やっと現れて歌うという若大将みたいな登場。
ここでエンドクレジットも出るからクライマックスになるはずだが、スーダラなんたら
という植木等みたいな歌ではこっちは白けるばかり。
なんでこんな歌で数万人が盛り上がれるんだよ?
コメディか?

そしてそのあとにともだちランドにあった過去に戻れる装置を使ってケンジの
少年時代へ。
でもこの装置ってタイムトラベルするわけじゃなく、ケンジの記憶を操作するだけだろ?
だったらここで過去の記憶に戻って過去をいじってもケンジの記憶が変わるだけで
なんの問題の解決にならないんじゃないの??
違うの?俺の勘違い??

そしてテレビ局の権力を使ってスター級の人がワンシーン出演するのも気に入らない。
高嶋政伸やロンドンブーツが「地球防衛軍」のメンバーとして登場した時は白けた。
んで吉田照美が出てきた時も。
最近活躍が気になる斎藤工が出ていたが、もったいないなあと思う。

あと出演ではカンナ役の平愛梨ね。
女優にはあまり関心のない私だが、平愛梨はいいと思った。
前作に比べて活躍が少ないのが残念。
何から何まで気に入らない映画だった。



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湾岸ミッドナイト THE MOVIE


日時 2009年9月18日19:20〜
場所 新宿ミラノ3
監督 室賀厚

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高校生ドライバー・朝倉アキオ(中村優一)はある日、廃車置場にあった初期型の
フェアレデイZに魅せられる。
そのZを買い取り再び走らせることに成功するアキオ。
湾岸線を走らせると、噂の黒いポルシェ(通称ブラックバード)が追ってくる。
ブラックバードのドライバー島達也(加藤和樹)はそのZの前のオーナーを知っていた。
島の恋人エリコの兄であり、なんと同姓同名の朝倉晶夫だ。
晶夫はZに魅せられ、事故で死んでいった。
不吉なものを感じる島はアキオにそのZを手放すように勧めるのだが、アキオは
聞こうとしない。
そしてブラックバードとZの対決が始まる。


まあ車には興味がないタイプなんですが、カーアクションには興味があります。
多分自分には出来ないからでしょう。
「頭文字D」などは華麗なドライブテクニックにほれぼれしたもんでした。

そんなカーアクションを期待して見に行ったわけですが、この映画はやはり世界観が
ついていけない。
やっぱりね、公道なわけですよ、高速湾岸線も。
だからそこで200kmで走られるととろとろと100kmぐらいで走っている
一般ドライバーからすると非常に邪魔な危険な存在なんです。
「頭文字D」のときは公道と言ってもほかに走る車もないような田舎道だったわけだから
そういう危険は感じなかったが、普段走ることもある湾岸線だとどうしてもその辺が
気になる。

したがって主人公たちはやっぱり私にとっては「邪魔で危険な暴走族」でしかなく、
彼らをヒーロー視する心境にはなれず、完全にこの映画の世界観に乗れなかった。
この映画が面白く感じなかった最大の理由はそこだろう。

そしてモデルのレイナ(松本莉緒)やカメラマンのイシダ(袴田吉彦)やアキオの
学校の女教師などが絡んでくるが、全く本編のドラマとはかみ合ってこない。
チョロチョロと登場はするのだが、いなくても話は通じるしなあ。

でカーアクションの方はやはり湾岸線という場所では制限もあってか迫力に欠ける。
やはりヘヤピンカーブを曲がるような華麗な動きはもともと湾岸線ではあり得ないし、
すべては今一歩だ。

あと中村優一は美青年ぶりを発揮していいのだが、加藤和樹、暗いなあ。
なんとなく悪役の香りがしてライバルとしての魅力は薄い。

カーアクション映画をみてストレス解消、とはならなかった。



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南極料理人


日時 2009年9月13日18:55〜
場所 テアトル新宿
監督 沖田修一

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1997年の南極ふじドーム基地。ここは沿岸の昭和基地から内陸に1000Km、
ペンギンもアザラシもウイルスさえもいない。
採氷や天候観測を行う隊員たちに交じって調理担当の西村(堺雅人)がいた。
隊長(きたろう)をはじめ合計8人のメンバーの食事を作っていく。


最近注目の俳優堺雅人の主演。
やたら評判がいいので期待してしまったが、正直それほどでもなかったというのが
率直な感想。
爆笑の連続、みたいな話を聞いていたがそれほどでもない。

13か月ぐらいの南極基地で起こった小さな事件のエピソードが並んでいく。
笑ったのは「伊勢海老が残っている」という話が出て、みんなつい「じゃ海老フライだな」
といい、西村としては刺身などを考えたが、期待を裏切るわけにもいかず巨大海老フライ
が出てきたシーン。
あの巨大なバランスの悪い海老フライが出てきたあたりは笑った。

あとは隊長のラーメンエピソードか。
ふじ基地は富士山より高い高地にあるのでお湯が100度以下で沸騰してしまう。
それでラーメンが煮えないというところと、インスタントラーメンを食べつくしてしまい
絶望するところ、そして出来ないと思っていた麺が出来るという感じ。

それにしても西村さんは実にどんな料理でもこなす。
和食、すし、中華、フランス料理、ラーメンの麺打ちまですべて一人でこなす。
料理人ってあんなになんでもできるのか。

そして外のシーン。
実に南極っぽくて、でもまさか南極までロケに行ってはいないだろうと思って
パンフレットを読んだら北海道でロケしたそうだ。

沖田監督は32歳の新人で劇場映画はこれがデビュー作だそうだ。
新人らしい力強さが感じられず、なんかそつない映画なのだな。
うーん、どうなのだろう。
小さくまとまっていかないといいのだが。



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少年


日時 2009年9月12日18:40〜 
場所 銀座シネパトス3
監督 大島渚
製作 昭和44年(1969年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)



少年は父と義理の母と弟の4人暮らし。
土佐の高知で生まれ育ったが、母が当たり屋を行うことで稼いでいた。
やがて今度は少年が車に当たり役を演じることに。
そして九州、山陰、北陸、東北と当たり屋をして「旅行中だから」と手早く示談に
持ち込む「仕事」をしていく。

大島渚が「当たり屋」を題材にして撮った一本。
この映画は学生のころに一度見ているから20数年ぶりに見たことになる。
正直あまり面白くなかった記憶があるのだが今回も同じだった。

僕が大島渚の映画には「反権力」とか「革命」とか「反国家」というような
そういう左翼的な物を期待してしまう。
ところがこの「少年」はそういうものは感じられず、ひたすら家族のために
当たり屋を行う少年の姿が描かれる。

この映画は渡辺文雄と小山明子の夫婦に主人公の少年やまだ小さい弟が登場するが
それぞれ「お父ちゃん」とか「坊主」「ちび」と呼び合い、固有名詞の名前では
呼ばれない。
固有名詞で名前があっても特に問題ないような気がするが、監督としては普遍的な
家族の問題としたかったのだろうか?

親から当たり屋を命じられるようなそんな家庭環境の少年だが、「いつか宇宙の果ての
アンドロメダ星雲から宇宙人がやってきて救ってくれる」と信じている。
逃げ出すこともあるが、親を捨てたりはしない。
いや本当は逃げ出したいかも知れないが、家族と旅する道を選ぶ。

ラスト、彼らの犯行はついにばれ、逮捕される。
少年は親をかばい犯行を否定する。
「どんな親でも守り続ける」という少年の姿はのちの是枝裕和の「誰も知らない」を
思い出した。

それにしても主人公の少年の存在感が光る。
海外の映画祭で篤志家が「あの少年を引き取って育てたい」といった人がいるそうだが
それも納得の演技だ。

大島渚の映画としては期待するものとのギャップがあるが、この少年の存在感、名演技が
記憶に残る一作。



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宿 YADO


日時 2009年9月6日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 木澤雅博
製作 平成10年(1998年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


相場で失敗した問屋の旦那とその妻(林由美香)と使用人・小夜(佐々木麻由子)
は夜逃げのために山の中を歩いていた。丁稚がまた一人逃げだしていく。
やがて山間の宿に辿り着く。
旦那は妻と使用人と両方と関係があり、「3人でどこかで小料理屋でもやろう」
というのだが。


高円寺の「ゴジラや」店主の木澤雅博さんは映画監督でもあり、その第2回作品。
正直言って「めちゃくちゃ丁寧に作られたピンク映画」という感じだった。
大正ロマンの世界観で展開され、暖色系の証明が実に美しい。
ランプやろうそくのあたたかみのある光の美しさは35mmならではといってよい。

だが一方でピンク映画並みに濡れ場が続く。
妻と使用人は実は女同士の関係でもあり、二人で風呂に入ったシーンで赤い襦袢
のまま風呂に入り、風呂が赤に染まっていくシーンは美しい。

他にも使用人はヤクザの男(坂田雅彦)と通じており、連絡を受けて旦那から
残った金を奪い取ろうとして宿にやってくる。
ヤクザが電話を受けた時、そのヤクザは別の女性とやっていて、しながら電話を
受ける。
ここ、別にやっていなくても話は通じるわけだが、それでも濡れ場になる。

そんな感じで旦那と妻やら旦那と使用人の濡れ場があったりしてピンク映画
みたいなのだな。

お話としてはインパクトに欠けるが、それにしても映像が美しかったので
その点は十分楽しめた。



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白日夢(1981)


日時 2009年9月5日21:05〜
場所 銀座シネパトス1
監督 武智鉄二
製作 昭和56年(1981年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


青年・倉橋(勝然武美)は歯医者で隣の診察台に座った美しい令嬢(愛染恭子)
に見とれる。
抜歯のために麻酔をかけられた倉橋だが、その薄れゆく意識の中で歯医者(佐藤慶)
によって令嬢が侵されていく夢を見るのだった。


本日、リメイクされた「白日夢」をみて滅茶苦茶に気に入ったので、4日〜6日まで
同じ銀座シネパトスでレートショー上映される、28年前に話題になった「佐藤慶の
本番映画」ってどんな映画だったのか興味がわき、急きょ予定を変更して観賞。

正直言うと09年版のほうが好き、というか全く別もの。
09年版はストーリーがあるが、こちらはないといってよく、ただの本番映画だ。
ストーリーはなく妄想のままにシーンシーンが展開するから、今のAVのような
構成だ。
ちなみに1981年ごろはまだアダルトビデオは一般的ではない。
その数年後、レンタルビデオ店が始まりアダルトビデオがレンタルできるように
なって一挙に産業が大きくなった。

倉橋の夢想は果てしなく続き、歯医者の診察室での医者とのプレーから始まり、
ディスコに場面が変わって、そして医者(ドクトル)に拉致されホテルに連れて行かれ
SMプレーとホテルの部屋での本番が交互に映し出される。
そしてそのホテルを逃げ出して車で逃走する令嬢だが、途中でドラキュラのような
マントを羽織ったドクトルを引き殺す。
ひき殺した車を洗い流そうとガソリンスタンドに行くとそこに倉橋が店員でいる。
車を洗車機にかけていると再びドクトルが現れ、令嬢自らが洗車機にかけられ、
洗車機のブラシによって愛撫を受ける。
(このシーン、笑った)
で今度は閉店した真っ暗なデパート内を裸で逃げまどう。
そしていつしか倉橋は彼女を「この女は売女だ」と言って殺してしまう。

やっと映画は現実に戻り、歯医者の治療も終わり、倉橋は先に出て行った令嬢を
追いかけ一緒に車に乗って去っていく。


こんな内容。
映画っていうよりそういうエロ妄想のシーンをどんどんつないでいき、「人間の
夢の無限さ冷酷さ」みたいなものを感じた。
でもやっぱり基本は本番映画だよなあ。
見ていなくてよかったと思う。
見ていたら09年版の「白日夢」に妙な先入観を持ってしまって、純粋に楽しめなかった
かもししれない。



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ノーボーイズ、ノークライ

日時 2009年9月5日16:40〜
場所 シネマライズ(2F)
監督 キム・ヨンナム

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釜山から日本の山口県の海岸に密輸品を運ぶヒョングは毎回迎えに来る日本人
青年亨(妻夫木聡)がヨボセヨとあいさつすることからヨボセヨ君と呼んでいた。
ある日ヒョングはある女性を釜山から日本に運ぶよう命じられる。
どうやら自分のボスを裏切った男の娘らしい。
しかし娘は亨とヒョングに「父を捜して私も開放してくれたら5000万円づつあげる」
と提案してくる。
金がほしい亨はその話に乗る。
ヒョングは5歳のときに母親に捨てられた身の上だったが、亨は売春もしている
妹が産んだ父親が誰とも知れない子供が3人、そして痴呆老人を抱えていた。
生活を変えるには金がいる。


妻夫木聡が韓国映画に出演し、台詞のほとんどが韓国語に挑戦!ということで
話題のこの映画。
はっきり言ってそれしか(私にとっては)見所がない。
面白くもなんともないのだよ。

あらすじだけを読むとこの後、敵に追われながら父親を探し出すという犯罪アクションが
楽しめそうだが、まったくそうはならない。
多分そういう映画を作り気もなかったと思う。
完全にこちらが楽しめそうな要素を完全に無視されている。

また設定そのものも気になる。
亨はどうも周りからは馬鹿扱いされているのにいきなり韓国語がベラベラになる。
そして周りも驚かない。
ここで亨とヒョングが言葉が通じないながらも友情を通わせていく、という展開
ならまだ納得できるが完全に意志の疎通ができている。
これではヒョングが韓国人でなくても話は成立してしまう。

また探していた人質の父親がいそうなホテルを突き止めるが、人違いだったという
オチがつき(ここはいいのだが)、その直後、唐突に父親は見つかる。
話がご都合主義すぎないか?


あとは妻夫木がカラオケ大会(これもなんで登場するか意味不明)で「アジアの純真」
を歌うシーンぐらいが見どころで、後はほとんど見る価値なし。
ヒットしている気配がないが、それも納得の映画。



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白日夢(2009)

日時 2009年9月5日11:30〜
場所 銀座シネパトス1
監督 いまおかしんじ 愛染恭子

「白日夢」(2009)名画座に記しました。


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サブウエイ123 激突

日時 2009年9月4日19:20〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン8
監督 トニー・スコット

(詳しくはムービーウォーカー・データベースへ)

ニューヨークの地下鉄ぺラム駅発123号列車が武装した男たちに占拠された。
要求は1000万ドル。それも1時間以内に!
地下鉄コントロールセンターのオペレーター、ガーバーと犯人に対決が始まる!

70年代の名作犯罪映画「サブウエイパニック」のリメイク。
この映画は大好きな映画なので、何回も見ています。
リメイクと聞いていやな予感もしつつ一刻も早く見たかったので、初日に駆けつけました。

人はなぜリメイク作品を見るのだろう?
今までリメイク作品でオリジナルを超えたというものがあっただろうか?
もちろん、オリジナルを知らずに先にリメイクを見た場合、気にならなかったと
思うが、オリジナル作品が好きであればある程、毎回裏切られ怒りとともに
映画館を後にする。

どうしたってオリジナル作品との比較が先に立ってしまう。
正直言って(当たり前の感想ながら)前のほうがおもしろかった。

以下、どの辺が気に入らないかを箇条書きで。

1、犯人の設定。
今回は異常なまでに喋りまくり狂気に取りつかれたように終始ヒステリック。
こんなヒステリックじゃあんな緻密な計画は実行できないよ。
それに犯人の前職が・・・であるという設定。
こんな男に拳銃を撃ったり人を殺したりすることができるだろうか?
主犯とは別に一味にこういう職業の男がいるのなら解るが主犯の仕事がこれというのは
納得できない。

それにべちゃべちゃしゃべりすぎ。案の定、そのしゃべった内容からプロファイリング
(というほど高度な話でもないが)され、身元がわかってしまう。
正直、アホである。
あとトラボルタも良くない。

2、ユーモアがない
前作の見どころの一つがユーモアだった。
こんな異常な事態になりながら、冗談を言い合い、喧嘩しながらもそのイライラを
紛らすかのようなジョークが実に効いていた。
この辺も魅力の一つだった。

3、カメラ動かしすぎ。
タイトルが出るあたりからカメラがチャラチャラ動きすぎ。
グルングルンと移動しまくりだからめまぐるしいたらありゃしない。
日本の監督もそうだが、もう少しフィクスでとるということ覚えてほしい。
スピードも可変したりしてとにかく見ずらい。

4、ガーバーの設定も気に入らない。
何かこうわいろをもらったもらわないでがちゃがちゃやっている。不要。
あと妻とも妙な愛情話もいらない。
ガーバーが犯人グリープと接触する前の電話のシーンで牛乳がどうのこうのとうっとうしい。
ラストに牛乳パックを抱えて帰るところなんかいらない。

5、犯人が撃ち殺される?
もう犯人は警察にがんがん撃ち殺される。
この辺も好きになれなかった。(個人的な考えかもしれないが)


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