2002年5月

県警対組織暴力
脱獄囚 爆笑野郎大事件 彼奴(きゃつ)を逃すな 不滅の熱球
鬼が来た! ET ごろつき犬 愛と希望の街
明日の太陽 KT バネ式 喧嘩犬
宿無し犬 東京ジョー 幻の湖 クレヨンしんちゃん
 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大決戦
ハッシュ! 光の雨 博奕打ち いのち札 網走番外地 望郷篇

県警対組織暴力


日時 2002年5月26日19:20〜
場所 中野武蔵野ホール
監督 深作欣二

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


「仁義なき戦い」のレギュラー陣が広島付近をモデルにした
架空都市、倉島市を舞台にしたヤクザ映画。

菅原文太が「仁義なき戦い」の広能と同じくバリバリの広島弁で啖呵を
切りまくりさすが文太兄ィ!!

「新・仁義なき戦い」とか類似のシリーズもあったが、ヤクザ同士の抗争なので
どうしても話が似通って飽きがくる。
しかし今回は警察側に文太、山城新伍、ヤクザ側、松方弘樹、成田三樹夫、
金子信雄の面々で警察側に主人公を置くことにより話の目先が変わってくる。
(山城新伍などどう見てもチンピラヤクザなのだが)
松方と文太には友情、というより「終戦直後闇米を食って育ち、社会から
あぶれたという共通体験」からくる仲間意識があり、彼らはいわばコインの
裏と表。お互いたまたまヤクザになった、刑事になったという「戦後派」の二人。
この二人の、時に逮捕し、時に見逃す関係を軸に話は展開していく。

なかなか親分にはなれない松方と「所詮は(巡査)部長どまり」という文太。
この一見対立するが実は共通する二人に対立するのが、後半から登場する
県警本部からやってきたエリート警部。
(この警部が梅宮辰夫なのだが似合わないなあ。ここは田宮二郎ばりの
エリート然とした人にやって欲しかった)
事件後のエンディングの部分での文太と梅宮のその後のエピソードが
エリート組と底辺組の対立をいっそう際立たせておりよかった。

文太=松方という社会の底辺組と梅宮のエリートの対立のドラマを使っての
戦後史、という深読みもできるがここは素直に文太の男気を充分楽しめれば
それでいい。

脇役では「ヤクザなんかほっといても滅ぶ。本当の敵はアカだ!」と
何かとわめいて刑事課長の藤岡重慶に相手にされない汐路章がワンポイント
リリーフとして効いていた。

「仁義なき戦い」の持ち味を持ったもう一つの傑作映画です。

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脱獄囚

タイトル 
日時 2002年5月25日27:10〜
場所 浅草東宝
監督 鈴木英夫

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


小菅刑務所を脱獄した男たちの復讐劇。
3人で脱獄し、途中で一人がつかまる前に隠した金と拳銃を
分けて別れて逃走するが、二人は途中でつかまり、残った一人の
佐藤允の復讐が話の中心。

3人で脱獄し、それぞれの逃亡劇を並行して描くのかと思ったら、
他の二人はあっさりつかまってしまう。(それも刑事部屋に電話で逮捕の報告を
受けるだけで、逮捕のシーンは特になし)
佐藤允は逮捕後、妻が自分の逮捕が原因で死亡したので、
自分を捕まえたり判決を下した連中の妻を殺害しようとするという形で
復讐を行おうとする。

後半は佐藤允が主人公の刑事の池部良の妻、草笛光子を殺そうと
刑事の自宅まで行き、草笛光子を殺すタイミングを計ろうと全く関係のない
向かいの家にたてこもり、その人質にされた向かいの家の住人が
やってきた刑事に何とかして助けを求めようとするところが見せ場。
2階の部屋の窓からシーツをたらしてみたり、池部良がそれを
不審がってくれたり、このあたりはなかなかスリリング。

こういう「目の前にいる犯人に気付かれないように助けを呼ぶ」
というシチュエーションは「彼奴を逃すな」と同様なのだが
映画全体としては「彼奴を逃すな」の方が出来がよい。
「彼奴を逃すな」は前半は刑事に追及され、中盤は見えない殺人者に
狙われる恐怖があり、後半はやってきた殺人者との対決という
サスペンス3本立てだったが、この「脱獄囚」だとラストの
佐藤允との対決しか見せ場がなく、やや物足りない。

もちろんこれ1本だけ見れば充分楽しめるのだが、「彼奴〜」と比べると
やや見劣りはする。
(オールナイト4本立て、最後の上映作品で、こっちも頭が少し朦朧と
してたことも確かだが・・・)

これにて本日の鈴木英夫特集は終了。
鈴木英夫監督、私のとっては新しい鉱脈の発見ともいえる今年の収穫だ。
今後とも各地でチェックしていきたい。

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爆笑野郎大事件


日時 2002年5月25日25:35〜
場所 浅草東宝
監督 鈴木英夫

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


主演・晴乃チックタックとあったので漫才師を主役にした
サスペンスかと思ったら(例えば青島幸男が主演した「告訴せず」みたいな)、
「植木等シリーズ」「社長シリーズ」をミックスさせた喜劇映画。
晴乃チックって後の高松しげおだったんですね。
鼻の穴を広げて「どったの?」というギャグはよく憶えている。

鈴木英夫ってサスペンスで有名だけど、いわゆる東宝の「何でも屋監督」だから
色々撮ってるんですね。

電機会社のモーレツ営業部員二人(晴乃チック・タック)が有島一郎の
専務と九州に行き、新製品の水くみ上げポンプを売りまくるというお話。
まさしく植木等のノリ。
ただし、植木等みたいに歌を歌うこともないし、晴乃チック・タックでは
主役をはれるほどの芸も持ち合わせてないので、笑いのパンチはなし。

しかし、後半、有島一郎が浮気相手の小唄の先生と温泉にいるところに、
千石規子の奥さんがやってくると知り、やたら無駄な動きをしながら布団を
かたずけるあたりの一人芝居はさすがだった。

また内藤陳が「トリオ・ザ・パンチ」で出演しており、「2800を7で割ると答えは
1300」というデタラメ計算ネタを初めてみた。
というか「トリオ・ザ・パンチ」自体が観たのが初めてだったのだが、彼らのギャグを現在
確認できる数少ない資料と言えるだろう。
小林信彦氏の著作「日本の喜劇人」ファンとしては資料的価値のある(逆にいうと大して面白くないのだが)
映画を見ることが出来、満足な気分になれた。

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彼奴(きゃつ)を逃すな


日時 2002年5月25日23:50〜
場所 浅草東宝
監督 鈴木英夫

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


木村功、津島恵子主演の良質なサスペンス映画。

ある商店街で洋服の仕立てとラジオ修理の店を営む
木村功と津島恵子の夫婦。
ある夜、向かいの不動産屋(映画では斡旋屋という言い方してたけど)
で起こった殺人事件の犯人を木村功は目撃してしまう。
関わりあいたくないと思った木村功は聞き込みの刑事にも
何も知らないと答えてしまう。
しかし、志村喬の主任刑事、土屋嘉男刑事らはきっと何かを
見たんじゃないかと木村功を追及し始める・・・・・

と言った内容。
最初は志村喬らの刑事に追い詰められ、協力してモンタージュ写真を
作ってからは犯人たちからの復讐におびえ、最後はやってきた犯人たち
(宮口精二と堺左千夫)に監禁状態にされるという三段構えのサスペンス。

最初は刑事たちに追い詰められるシチュエーションだけで最後まで
話を持たすのかと思ったから、この次々と追い詰められるシチュエーションが
続くのは期待を裏切る面白さだった。

前半の志村喬の追求、中盤の姿亡き犯人におびえるあたりも面白かったが、
やはり最後の20分のラジオ修理の客を装ってやってきた宮口精二に気付かれずに
外にいる刑事たちに危険を知らせようとするところが最大の見せ場。
あの手この手を繰り出すのだが、なかなか伝わらないもどかしさは
よく出来ていて、とてもスリリング。
特にラジオ修理中に近所のラジオが雑音が入るようにノイズを発生させ、
近所の人がが修理を依頼に来るように仕向け
それをきっかけにしようとしたあたりが面白かった。

派手なアクションはないけれど、密室追い込まれ型のサスペンスでは
よく出来た作品だと思う。
よかった。

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不滅の熱球


日時 2002年5月25日21:55〜
場所 浅草東宝
監督 鈴木英夫

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


鈴木英夫という監督は今まで意識した事がなかったんですが、
サスペンスのジャンルで面白い作品を作ってるらしい、と聞き
またまた浅草東宝の特集オールナイトに駆けつける。

1本目。
内容を全く知らなかったんですが、タイトルからイメージされる通り、
野球映画。それもプロ野球創生期の伝説の名投手、沢村英治伝記的作品。
オープニングに少し巨人中日戦の中継フィルムが挿入されるが
1955年(昭和30年)製作なのでまだ王、長嶋は写っていない。
川上が16番をつけて写っている。

野球の事など全く知らない私だが、沢村英治のことは子供頃に
漫画で読んで知っていた。
だからラストは南方で戦死という結末もわかっている。

司葉子ふんする関西出身のお嬢様が観に来ると調子がいい沢村英治。
そのお嬢様から手紙を貰って初デートするって具合で話は進むんだけど
今とホント時代が違うなあ。
言ってみりゃファンとデートする訳でしょ。
追っかけもなんもいなかった時代なんだなあ。
でも最初の試合のシーンはともかく、後楽園球場が出来てからは
4万5千人の観客が見に来るくらいだから、映画スターとまでは行かなくても
もう少しファンがあってもよさそうなもんだが、こんなだったのかな。
あと途中甲子園にまで遠征に行くが、夜行の三等車で移動なのだ。
ものすごく時代の違いを感じた。

池部良が沢村英治を演じるのだが、投球フォームだけは一応似ている
(気がする。私だって本物は見たことがない)のだが、実在の人物だけに難しい。
これがスポーツ選手でなかったからなんとでもなるのだろうが、
スポーツ選手だとどうしても体つきなどの差を感じてしまう。

折角だから野球の試合で1試合ぐらい、見せ場を作って欲しい気がしたが
(例えばノーヒットノーランを達成できるかどうかのあたりで)
その辺はあっさりして、また話の方も特に盛り上がりもなく、映画全体として
まったりとした内容でイマイチな出来だった。
もっとも巨人軍の監督が笠智衆ではなんか緊張感がでない。
せめて藤田進ぐらいのほうがよかったな。

またクレジットを見たら古澤憲吾監督が助監督だったんですね。
あと佐原健二が石原忠名義で巨人軍の選手として出演。

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鬼が来た!


日時 2002年5月18日19:00〜
場所 新宿武蔵野館2
監督 チアン・ウェン

(公式HPへ)


何故ラストで主人公のマーは殺されねばならなかったのか?
そのシーン、シーンを見てると話の展開は理解できる。
しかし大きい観点で観ると、ただ無理矢理二人の荷物を預けられた
だけのマーが何故その預けられた日本人に殺されねばならないのか?

戦争の、国家の不条理さだけが残る。

宴会の席で日本軍の隊長もラストの国民軍の隊長もその場その場では
もっともらしい理屈を述べる。
しかしやはり何故マーは殺されねばならないのか?

戦争の表向きの、為政者達のいう美辞麗句につぶされてしまいがちな、
末端の現場の人間達の無視できない現実が描かれる。
戦争映画の普遍のテーマを描いた作品だ。

そして何よりこの映画で驚いたのは、日中の人々が実に公平に描かれていることだ。
「日本=悪者」という単純な図式で描かれる事なく、悪者的な人間は中国人にも
出て来る。

特に登場する日本軍のリアルな事!
もちろん私だって現実の日本軍は知らない。
モノクロの画面が余計に昭和20年を表現する助けにはなっていると思う。
しかし外国映画に登場しそうな「変な日本人」や「変な日本軍」は登場せず、
日本人が観ても実に説得力があった。
再三言うけど最近の日本映画に登場する日本軍の方がよっぽど変だぞ!
(95年の「聞けわだつみの声」「君を忘れない」「ウインズ・オブ・ゴッド」のこと)

でも全体としてはやや長すぎ。オリジナル版は2時間42分あったらしい。
(日本で公開はインターナショナル版2時間20分)
それは私にはちょっとつらいかな?

ラストの首を切られても瞬きをする主人公の首、そしてそれまでモノクロだった
画面がこのときだけカラーになるラストシーンは当分忘れられそうにない。

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ET


日時 2002年5月18日16:30〜
場所 新宿武蔵野館3
監督 スティーブン・スピルバーグ

もちろん20年前の公開時にも見ている。
以前からこの作品は好きになれなかったが、
もう一度観て、感想が変わるかと思ったので再び観る。

やっぱり好きになれなかった。
警官隊に追っかけられたエリオットたちの自転車がふわっと
空を飛ぶところはもちろんよいのだが、それだけ。

おそらく少年とETとの心の交流に話を絞ってしまい、
東宝SF的な「博士」などの大人のキャラクターが
ほとんど登場しないせいだろう。
「ETを10歳の頃から待っていた」というNASAの科学者が
(最後にETを見送る大人の一人)のキャラクターが
もっと登場、活躍すれば僕の印象も変わったかも知れないのだが。

でもやっぱりこの映画が好きでない最大の理由はETの造形が
好きになれないのだろう。
あのまるで男根のような人差し指といい、低い体つきといい
全体的に性器のような感じがして(嫌いというほどではないが)
馴染めないのだな。


そしてこの映画のおかげで映画の世界で「絶対的な悪」がいなくなってしまった。
昔はドイツ軍が映画の中で常に悪役で、何かあればドイツ軍を悪者にすれば
映画は成立した。やがて「いまさらドイツ軍でもなかろう」と言う事で
宇宙人が悪者の代表だったが、この映画のおかげで宇宙人を悪者にした映画は
時代錯誤のようになってしまった。
世界制服をたくらむものももういない。
世界なんか征服しても疲れるだけに見えてきたのだ。

こういう誰が見ても安心して悪役を演じさせてもよいキャラクターの不在のおかげで
映画はつまらなくなっていく。
宇宙人を悪役とした大型映画は96年「インディペンデンス・デイ」まで
待たねばならない。
10年は空白が生まれるのだ。


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ごろつき犬


日時 2002年5月16日21:00〜
場所 チャンネルNECO
監督 村野鐵太郎

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


田宮二郎「犬」シリーズ、第3作。

南紀の温泉に旅に出た鴨井(田宮)。
旅先できれいな女と知り合う。
彼女の夫は大阪の一六組に殺されたのだという。
組の幹部の三人(根上淳、成田三樹夫、山下洵一郎)を
殺して欲しいともちかけられ、大阪・天王寺に戻る。
こうして彼は組の内部抗争に巻き込まれていく。

前作に比べ、遊びの要素が増え、ようやくエンジンがかかってきた感じ。
田宮が拳銃を後ろに投げ、後ろでにキャッチ、それを反対の方向に投げ
また別の手でキャッチ、といったガンプレイをワンカットで見せてくれる。
僕はモデルガン持ってるけど、拳銃って1キロぐらいあるから、
指先でクルクルまわしたり、上に投げてキャッチするって結構、
難しいんですよね。
田宮さんの努力の跡が見えて取れます。

あと成田三樹夫に銃の腕前を披露するところ。
「そのリンゴの芯を抜いてあげまひょ(関西弁)」
と言って成田の手に合ったリンゴを高くほおリ投げ、銃で一発で
芯を撃ち抜く。
続いて「芯は抜いたけど、あんたらの度肝は抜いてまへんなあ」と成田から
リンゴの袋を受け取り、中のリンゴ3つをテーブルの上に並べて置き、
マッチをさす。そしてマッチを拳銃で撃つと3つともパッと火がつくのだよ。
私は楽しくなって大笑いした。
こういった遊びは大好きだ。

あと田宮がダイススポットにダイスを3つ入れ、振ってポットをあけると
縦に1列に並んでる、というのを3回ぐらい振り方を変えて披露するが
ここは途中でカットが入り、ポットの中をやり直してるのがわかるので
やや興ざめ。(ちなみに日活の小林旭は出来たらしい)

またラストの拳銃使いの根上淳との対決が遊びがなく、盛り上がらないのは残念。

でも天知茂のしょぼくれ刑事が1作目に引き続き登場。
田宮から事件の情報を訊きだすため、「俺はもう肺病で長くないんだ」と
ウソをついて協力させたり、おごる時は常にうどん、というキャラも
定着してきた。今後のこの田宮=天知コンビが楽しみ。
あと中田ダイマル、ラケットのゲスト出演も楽しい。

「犬シリーズ」やっと面白くなってきた感じだ。

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愛と希望の街


(原題 鳩を売る少年)
日時 2002年5月13日21:07〜
場所 銀座シネパトス
監督 大島渚

「愛と希望の街」については名画座に掲載しました。

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明日の太陽


日時 2002年5月13日21:00〜
場所 銀座シネパトス
監督 大島渚

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


大島渚ファンなら一度は聞いたことがあるだろう、大島渚幻の
第1回監督作品。

と言っても予告編と一緒に上映されたであろう、新人スター紹介映画。
7分の短編だし、内容も十朱幸代(まだ17歳)が画面に写らない友達と
おしゃべりしながら松竹の新人俳優を紹介する映画(というか予告編)。

紹介されるのは花ノ本寿(「怪奇大作戦・呪いの壺」の犯人役)や
杉浦直樹、津川雅彦、小坂和也などなど。
あと7,8人紹介されるけどいまでも残ってるのはこのぐらいかなあ。
人工着色されたようなカラーで「平凡」や「明星」のグラビア風に
新人達が次々と紹介されていく。

こういうCM的作品を大島はどんな顔して作ってたんだろう?

同じ年に「愛と希望の街」を製作するが、後の大島渚の作風とは
全く違った映画で、見てみる価値はありますが、観てなくても
大島渚を語る上で困るようなことは全くありません。

そういう映画です、これは。

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KT


日時 2002年5月12日19:00〜
場所 シネマスクエア東急
監督 阪本順治

公式HPへ、韓国語版HPはこちら

実に不思議な事件だった。
この事件のことも「あさま山荘事件」と同じように記憶している。
何しろ韓国の要人がホテルから拉致され、数日後、ソウルの自宅付近で
発見された、ということなのだから。

拉致された揚句に殺害されたんなら話はわかる。
誘拐されどこか全く別の国で発見されたんならこれもなんとなく
理解できた。所が実際に発見されたのは自宅付近だ。
子供心に(というか子供だからこそ)「自宅付近で発見された?
なにそれ?日本から自宅まで送ってくれたの?」という素朴な
疑問が湧いて仕方がなかった。

それらの疑問に答えてくれそうな気がして期待した。
そして期待は裏切られなかった。

熊井啓監督「日本列島」のように、ミステリー形式で
この事件の真相を追うやり方もあったろう。
それこそ、原田芳雄の新聞記者を主人公にして、
筒井道隆などを訪ね歩き、最後には佐藤浩市にたどり着くといった
やり方だ。

しかし、今回はその手法をとらずに富田満州男と韓国大使館一等書記官キム・チャウン
の友情を軸に韓国、北朝鮮、日本、アメリカの国際政治に翻弄される男達
のドラマに仕上げた。
そのことが運命に翻弄される男達をよく描けてたと思う。

子供の頃感じた事件の奇奇怪怪さが実はこの国際政治の状況の変化に
よる物だったのだ。
韓国内部での意見の対立、日本内部での意見の相違、さらにアメリカの介入、
「KT」を囲む男達の置かれた状況は刻々と変化していく後半が
スリリングだ。
特にヘリによる金大中殺害中止命令を受けた船から
拳銃を乱射するシーンは緊迫感に充ちている。
またラストの富田のアップと共に銃声がするのは衝撃的。

ただ登場人物たちの動機付けがやや希薄で、何故富田が上官の命令に
逆らってまで金大中拉致に関わったが説明不足。
同様に、キム・チャウンが何故金大中を拉致したのか。
単なる命令だからか。それともそれ以上、それ以外の何かがあったのか。
その辺の説明がもう少しあったらもっと深みのあるドラマになったと思う。

パンフレットによると荒井晴彦のシナリオにはもっと書き込んで
あったらしいのだが。

夕刊紙の記者、原田芳雄は相変わらずよかった。
この人、ほんと変わらんなあ。

コスタガブラスの「Z」を想起させる、よく出来たポリティカルフィクションだ。
こういったジャンルの作品はもっと出来て欲しい。

次は「中川一郎怪死事件」を扱って欲しい。
鈴木宗男が一枚かんでることは確かなんだけどね。

あと蛇足ながら、70年代の車がちゃんと登場したのが嬉しい。
登場人物が載ってる車だけでなく、背景を走る車まで
その頃の車なのが嬉しかった。

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バネ式


日時 2002年5月11日21:20〜
場所 中野武蔵野ホール
監督 吉田照美

文化放送で「やる気MANMAN」という昼の放送を
15年続けている吉田照美の初監督作品。
VTR撮りだが一応映画と呼ばれている。
つげ義春の「ねじ式」から着想された作品だそうで
不条理な世界のギャグを重ねたコメディ。

ある38歳のサラリーマンは頭痛に悩まされていた。
ある薬局でおばあさんから頭に電波が突き刺さっているからだと言われる。
その問題を解決するためにラジオ局、文化放送を尋ねる。
しかし、受付の女の子(乙葉)は可愛かったが迷路のような
建物の中のある応接室に通される。
総務の男(吉田照美)が対応するが一行に解決しない。
男は放送局の中を女医(小俣雅子)を求めてさまよい始める。

という内容。
かつての「ゲバゲバ90分」やドリフの「もしものコント」のような
不条理ギャグの連続。
結構笑えました。
文化放送のアナウンサー達(太田英明、寺嶋尚正)や先の「やるMAN」の
レギュラーメンバー(なべやかん、みうらじゅん)、もちろん小俣雅子、伊東四朗、
せんだみつおらがゲスト出演。
この辺は吉田照美の番組や文化放送ファンには楽しめるキャスティングだが
やや楽屋落ちになってる面も避けられない。

文化放送や「やるMAN」を聴いたことのない人には楽しめるかやや疑問だけど、
僕はファンなので楽しめた。

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喧嘩犬


日時 2002年5月11日17:00〜
場所 チャンネルNECO
監督 村山三男

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


田宮二郎主演の犬シリーズ2作目。

前作のラストで刑務所に入った鴨井大介。
出所後、ムショで知り合った土建業の小森(遠藤辰夫)に引き込まれて
小森の現場の監督(というか人夫が逃げないようにする見張り)
をするようになる。
所が代貸しの蒲生(成田三樹夫)から小森を殺す依頼を受けたり
逆の小森から蒲生をばらすよう言われたりしているが
どちらもさらっとかわしていた。
キャバレーで働く小森の女に惚れたりするが、結局蒲生も、
小森も警察に捕まえさせ、彼はまた旅にでる。

2本見ると田宮の3枚目演技もなれてそれほど違和感がなくなってくる。
こういったアクションにお決まりの遊びのシーン、今回は
成田三樹夫に拳銃の腕前を披露するところ。

空き地で空き缶を投げてその空き缶を何回も撃ち、おいてあったライターの
火をライターに弾をあてずに火を消すところ。
そこぐらいかなあ。
コメディリリーフとして玉川良一が出演。
あと東宝なら砂塚秀夫がやりそうなチンピラ役がまあ面白かった。

このシリーズ、これからどんどん田宮のキャラクターがデフォルメしていきそうで
今後が楽しみ。

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宿無し犬


日時 2002年5月11日15:00〜
場所 チャンネルNECO
監督 田中徳三

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


田宮二郎の「犬」シリーズ。
田宮二郎は大映で「悪名」シリーズとかあったけど、
僕のイメージでは財前五郎などの山崎豊子原作ものの
エリート役が印象強く、こういったプログラムピクチャアは
僕は見るのはほとんど初めてではないか?

子供の頃から喧嘩は強く女には持てる一匹狼の鴨井大介(田宮)。
高松の母の墓参りに帰ったところ、墓は神戸の大興組により
ゴルフ場に変えられていた。
その旅先であった麻子(江波杏子)を追いかけながら
大興組と敵対する沼野観光と関わりあいつつ、すべてを
つぶそうとする刑事(天知茂)もからんでラストの銃撃戦へと
話はなだれ込んでいく。

そんな感じの話。
さっきも書いたけど田宮二郎はエリート役が好きなのでこういった
チンピラ役はどうも僕にとっては馴染めない。
最初から最後まで違和感がぬぐえなかった。

天知茂の刑事、頭ぼさぼさ、無精ひげによれよれのコート姿で登場。
後の「非情のライセンス」とは違ったボケーとした感じでよかった。
ぼくにとってはこの作品では田宮二郎より天知茂の方がよかったですね。
2枚目がださーいカッコの役をやる、というのは時々
見かけるけど、決まってました。

全体としては日活や東映作品にありがちな遊びのシーンはなく、
はっきり言って退屈な作品。このシリーズの今後に期待。

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東京ジョー


日時 2002年5月6日
場所 ビデオ
監督 スチュアート・ハイスラー

ハンフリー・ボカート主演の終戦直後の日本を舞台とした
アクション映画。

戦前に銀座で「東京ヂヨー」(看板にそう表記してあった)なる
ナイトクラブを経営していたアメリカ人ジョー(ボガート)。
久々に日本に帰ってきて旧友の日本人イトーとの再会を喜ぶジョーだが
以前結婚していて死んだと思っていた女性が生きていて中野区に
住んでいるという。
早速駆けつけてみると軍の法律顧問の仕事をしているアメリカ人の
妻にすでになっていた。
しかも自分との間に子供まで生まれていた。

旧友の日本人の紹介でキムラ男爵がはじめる輸入の仕事を手伝う事にする。
胡散臭そうなので一旦は断ったのだが、女が自分と別れてから
子供を人質にされ、戦争中は仕方なく日本軍によるアメリカ人向けの
謀略放送の仕事をしていた事を秘密にする事を条件に
キムラの仕事を引き受ける。キムラは荷物は冷凍カエルの輸出入だという。
しかしキムラはアメリカ軍のブラックリストに載っている男で、
軍部からもマークされている。

ある日軍部に連れて行かれるジョーだが、明日ソウルからの便で
まだ逮捕されないでいた戦犯を日本に運ぶ仕事をすると教えられ、
その戦犯を羽田空軍基地に運ぶよう要請される。
軍部も内定を進めていたのだ。

ところがジョーの娘がキムラに誘拐された。
ソウルで戦犯を載せたあとやむなく羽田ではなくキムラの指定した
横浜近くの滑走路に降りるジョー。
しかし全域に配備をしていたアメリカ軍に戦犯は逮捕される。
一緒に逮捕された男をわざと脱走させて、キムラや娘の隠れているところに
行こうとするが男は死んでしまう。

ジョーにキムラを紹介した旧友の日本人がキムラの居所を知っており
駆けつけたジョーにより娘は無事に戻り命がけで助けてくれたジョーに
感謝し女は復縁を約束する。

ちょっと長くなったけど話を書いておいた。
日本の風景は登場するけどスクリーンプロセスなどでごまかし、
ボガートは日本にロケに来ていない。(と思う)
ハンフリー・ボガートが怪しげな日本語をしゃべるところがおかしいが、
アメリカ軍のスパイになる日本人の名が「カマクラ・ゴンゴロウ・カゲマサ」と
という珍妙な名前である以外は特に無茶苦茶なシーンはなし。

「一緒に逮捕された男をわざと脱走させたが死んでしまう」っていうのは
ボカートがキムラの手下の男を窓から脱走させるんだが、
雨どいをつたって下に降りる途中に落っこちて死んじゃうっていうオバカな感じ。
ものすごく三流だった。

でもラスト近く、キムラを恐れて言いなりになっていた旧友の日本人に
「何故キムラを恐れる。戦前は君たち庶民はキムラのような貴族階級に
搾取されてじゃないか。われわれアメリカ人はそれから日本人を
助けるために今いるんだ。キムラなんか恐れる事はない」って説得するんだけど、
この頃からアメリカは世界の警察気分だったのですね。
「アメリカによる占領」って屈辱的な言い方を日本人はするけど、
「アメリカ人は日本の民主化の手助けをしている」って考えてたんだなあ。
そのことを知る事が出来ただけでも見た価値はあった。

ところでこの映画「カサブランカ」にちょっと似てる気がするんだな。
ひょっとしたら40年代、ハンフリー・ボガートがオーナーの酒場は世界中に
あったのかも知れない。
(終戦直後、外国人が外国の犯罪の大物を捕まえる映画ってことでは
「第三の男」も一緒だな、そういえば)


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幻の湖


日時 2002年5月5日19:30〜
場所 自由が丘武蔵野館
監督 橋本忍

「ああ、これがかの『幻の湖』かあ」というのが率直な感想。
コアな日本映画ファンなら一度は名前を聞いた事があるだろう怪作中の怪作。
封切り時見なかったが、すぐ(確か2週間で)打ち切りになったことは
よく憶えている。
(封切りは82年9月。ってことは近藤真彦の「ハイティーンブギ」の
次の番組だったんだ)

箱根の近くの雄琴のトルコ(今でいうソープランド)で働く
トルコ嬢のお市(源氏名)。
彼女の楽しみは愛犬シロとの湖畔のジョギング。
ところがある日、そのシロが何者かに殺されてしまう。
警察は捜査してくれないので自分で犯人を突き止めようとする。
元同僚(つまり同じくトルコ嬢、実はCIAのスパイ)の力と
強引な聞き込みによって犯人は売れっ子作曲家とわかる。
顔写真がなく、一度は琵琶湖で見かけた笛吹きの男(隆大介)がその人かと
思われたが、幸運にも別人。
一度は駒沢オリンピック公園でジョギングで追い詰めかけるが逃げられてしまう。
雄琴へ帰ったお市だが、隆大介の笛吹きの男と再会する。
そして自分は戦国時代に信長に殺された武士の子孫だという。
そんな中、自分のトルコに例の犬を殺した作曲家がやってくる。
出刃包丁を手に走って追いかけるお市。
作曲家もジョギングで鍛えているのでなかなか追いつかない。
やっとの思いで追いつき、ついに包丁で作曲家を殺す。
その時、実は宇宙飛行士だった隆大介のスペースシャトルが発射される。
お市より送られてきた彼女の髪の毛と笛を宇宙に置き、永遠に琵琶湖の上に
この笛と髪の毛があることを説明する隆大介だった。


こんな感じ。
ご都合主義を超え、強引としかいいようのない設定と展開。
まるで自称映画好きのジジイが、自己満足のために作った8mm映画を見るような
思いなのだ。
もちろん場内は失笑と冷笑の爆笑の渦。
2時間44分の上映が終った時は拍手喝采が!
「何故に主人公がトルコ嬢?」「何故ここでCIAが?」「何故ここでスペースシャトルが?」
「犯人を追いかけるのにただ走るだけってどう?」などと突っ込みたくなるのは
よーくわかる。実は見てる最中は私も同じ思いだった。

しかしこの映画は「東宝創立50周年記念映画」であり、脚本、監督はあの橋本忍なのだ。
橋本忍といえば「羅生門」「七人の侍」などの黒澤作品や「砂の器」
「日本のいちばん長い日」「白い巨塔」「首」などの名作の脚本家であり、
監督としてはフランキー堺のBC級戦犯を扱った名作「私は貝になりたい」を作った方だ。

どこでどう間違ったのだろう。
誰かこの企画や内容をチェックできなかったのか?
橋本忍が自主制作としてATG作品的に作ったんならともかく、恐れ多くも
「東宝創立50周年記念映画」だ。
むしろ「創立○周年記念」みたいな冠がつくといろんな人が意見を言って
結局無難な、つまり面白くない作品になることも少なくない。
東宝はこの作品のシナリオを見てないのか?
「東宝創立50周年記念映画」の主人公がトルコ嬢でいいのか?
プロデューサーの野村芳太郎は何にもいわなかったのか?
それとも誰も何もいえないほどえらい「先生」になっていたのか?

いや以前にこの強引な展開、過剰な独白、シナリオとしては三流以下だ。
自分で書いていて疑問に思わなかったのだろうか?
出演者やスタッフはどう思いながら作っていたのだろう。
それともこれは「砂の器」や「八甲田山」のセルフパロディなのだろうか????

作品が出来た時東宝も面食らったろうなあ。
何故にこのような怪作が出来上がったのか、それこそ日本映画界の最大のミステリー
ではないだろうか?

(実は橋本忍は完全に忘れ去られてる田宮二郎がイギリスで撮ったスパイ映画
「イエロー・ドッグ」やこの「幻の湖」の後に出来たオカルト映画「愛の陽炎」
のシナリオを書いているのだ。ひょっとしたら時々常軌を逸する人だったのかなあ。
「愛の陽炎」なんか今上映されたらかなり笑われる作品である事は間違いないが)

自由が丘から渋谷までの帰りの東急線、すぐそばにアニメオタクのような感じの、
この映画が出来た頃に生まれたような学生達が「この映画は一年に一度見て大笑いしたいよね」
などと馬鹿にしながら笑っていた。
私は「テメーら橋本忍がどんなにすごい映画人か知ってのか!」といいたい衝動に
かられた。
でも彼らの言ってる事も間違ってないのでないも言えなかったが。

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クレヨンしんちゃん
 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大決戦


日時 2002年5月5日17:20〜
場所 自由が丘武蔵野館
監督 原恵一

去年の「クレヨンしんちゃん」が想像以上の出来で、
大人の映画マニアも納得させる出来で今年の作品も評判がよい。

今回は戦国時代にタイムスリップした野原しんのすけ一家の活躍。
21世紀の平和な自由恋愛の時代とは違った戦国時代の悲恋を中心に描く。

昨年ほど面白くなかったが(もっとも去年は10年に1本という傑作だったが)
ラストの合戦シーンの緻密さ、黄色と赤に敵味方分かれての色彩の
美しさ(「乱」「影武者」に匹敵する色彩の美しさだ)はお見事!
しんのすけの父、ひろしが乗用車を駆使し、合戦にに参加するあたり、
また敵の大将との対決シーンは笑いとサスペンスがバランスよく
つまった見事なシーンだ。

もちろん映画としては充分水準以上の出来だし、
それを否定する積もりは毛頭ないが、去年の「オトナ帝国の逆襲」が
すごすぎたのでやや見劣りがしたのは否めない。

くどいようだけど前作がすごすぎたんです。
この作品のレベルが低いのではありません。


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ハッシュ!


日時 2002年5月5日13:10〜
場所 渋谷シネクイント
監督 橋口亮輔

長らく公開が遅れていた。
2001年2月ぐらいから試写は行われていたのだから1年半は
待たされたことになる。
昨年は各地の映画祭のみの上映で、片桐礼子などは一般公開を前にして
キネ旬主演女優賞を獲得した。

一言で言うとこれはディスカッションドラマだ。
テーマは「結婚しないけど(出来ない)けど子供が欲しい
男女の新しい家族のあり方について」だ。

結婚はしたくないけど子供が欲しい代表、藤倉朝子(片桐礼子)、
ホモ(ゲイという言葉はあんまり好きじゃないので)だが子供は欲しい代表、
勝裕(田辺誠一)、ホモは家族を持たずに一人で生きていく覚悟が必要だという
ホモ代表、直也(高橋和也)。
そして「そんなのはおかしい」と旧来の考え方に基づく女性代表に秋野暢子、冨士真奈美。
これらが主なパネリストだが「朝まで生テレビ」風に言えばFAXで参加する視聴者に
当たるのが「自分の子孫がいるなんて許せない」と言う高橋の友人のホモ、
子供は(この場合はペットだが)は金儲けの道具と考えるペットショップ店長、
斎藤洋介とその客、セックスは子供を作る行為ではなく、「やりたいからやる」
という若者マコト。

田辺の兄の死という一つの事件により秋野暢子はこのディスカッションから
退場し、子供が欲しいホモと結婚はしない女性の家族つくりの試みは続く。
というところで今回は完。

私自身は片桐礼子の女性は子供をペットのように単なる愛玩物として
見てないような気がする。秋野暢子たちが言ったように「子供ってそんなもんじゃ
ないと思う」。
私自身は高橋和也派なのだ。
「ホモとして生きていく以上家族はないものだと思った」と言う考えに
大いに共感した。
(ペットショップの店員としてそのペットさえも簡単に捨てる
身勝手な大人たちをよく知ってる直也(高橋)は劇中では
そのセリフは出てこなかったが、心の中では子供をペット的に
考えてると否定的に見ているのではないだろうか?)

映画としては偏った意見に流されず、バランスよく出来ているが
考え方としては前面的には賛成できない。
田辺誠一や片桐友子がの考え方が現代的って言うのだろうか????

ところで橋口監督のホモを題材にした映画にはいつも
女性が絡んでくる。
この辺が僕はいつもちょっと気になるのだ。
「女性の視点」という客観的なものを入れないと一般受けしにくいのだろうか?
僕にとって一番のホモ映画は「あなたが好きです、大好きです」なのだが。


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光の雨


日時 2002年5月4日21:15〜
場所 中野武蔵野ホール
監督 高橋伴明

あさま山荘事件の映画化。
この作品はあさま山荘事件そのものを描くのではなく、
事件に至る過程を「2001年にこの事件についての映画を作る人々の物語」
という劇中劇の手法をとり、事件の人物を演じる事により、
事件を理解しようとする若者も同時に描く。

劇中劇の手法は正解だったと思う。
この映画に出演する若い俳優達のこの事件に対する、理解できない
疑問をもえがく事により、「あさま山荘事件」の人物達だけを
描く事による彼らを正当化してしまう危険からは、とりあえず
逃げられた。

僕自身ははっきり言ってこの事件のことはよく知らなかった。
事件当時は小学生で、大事件が起こっている(その後の真相も含めて)
ことはわかっていたがそれがどういう事件かは理解していなかった。
しかしそれをずっと知りたいという気持ちだけはもっていた。

長谷川和彦が「太陽を盗んだ男」のあとに「連合赤軍」の企画を
立ち上げた事があり、大いに期待した。
しかし結局は実現せず、小林正樹が「食卓のない家」という映画を撮ったが
これは事件の当事者の家族を描いた話で、事件そのものの真相には
ほとんど触れられなかった。

「あさま山荘事件」を映画化するには約30年の時間が必要だったようだ。
だから僕にとっては映画そのものより、映画に描かれる「革命戦士」の
生き方のほうが気になった。

私はこの映画を見ながら彼らの「自己批判」「総括」「反革命」の理屈を
つけながら仲間にリンチを加えていく様は、数々の映画で描かれた
旧軍隊と全く同じに見えた。
「天皇」は「革命」という言葉に置き換えられ、「米英」は「官憲」だ。
「革命のため」という言葉はすべてに対して万能の魔法の言葉だ。
それはまるでかつての「天皇陛下のため」と同じだ。

僕に言わせればこの自称「革命戦士」たちはあまりにも幼い。
考え方が幼稚だ。
人間には様々な考え方がある。それをうまくまとめていくのがリーダーシップだ。
ところが彼らは「自己批判」「総括」という名の暴力で統率しようとする。

倉重(山本太郎)などは他人を批判することにより、自分が批判されるすきを与えまい
としているだけだ。またその倉重によりそう上杉も「党のため」という
万能の言葉を利用して自分が生き残ろうとしているだけでしかない。
「革命を起こし人々が平等な世界を作る」と言う目的がいつのまにか
「革命を起こす」ということが目的になってしまっている。

手段と目的が逆転して過ちを犯す典型的な例と言っていい。
この映画から得た知識のみで、あさま山荘事件の犯人達についての意見を言わせて
もらえれば、明らかに彼らは狂気の集団でしかなく、「平等な世界を作るリーダー」には
見えない。
彼らの革命が成功しなくてほんとによかったと思ってしまう。

しかし、学生運動がさかんだったあの時代を肯定する人もいる。
多分彼らも正しいのだろう。
「革命を起こし人々が平等な世界を作る」、ここまでは正しかったのだ。
ただそれが未熟なリーダーにより、いつしか革命が目的になってしまって
革命を起こすためなら手段を選ばない狂気の集団にしかならなかった。

「一歩間違えれば自分もあさま山荘事件の犯人になっていたかも知れない」
そういう風にあの時代を語り、あさま山荘事件を正当化しようとする人がいる。
自分が若い頃にささげた思いを否定する事は出来ないだろう。

しかし僕らには、そういう「あさま山荘世代」は「太平洋戦争」を「列強諸国からのアジア
の開放の聖戦」と呼び、「南京大虐殺はなかった」言い放つ人種と根っこは同じだと
言い放ちたい。

この映画に描かれた「事件」を見る限りではほんとにそう思った。

それにしても久々に見た歯ごたえのある映画だった。
こういう歯ごたえのある映画も、もう少し増えて欲しい。



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博奕打ち いのち札


日時 2002年5月4日19:20〜
場所 中野武蔵野ホール
監督 山下耕作

いい親分がいて悪い親分が挑発してその挑発に乗らずに
こらえてきたが、いい親分が殺されるにいたり、ついに
主人公の若いもんが悪い親分に殴り込みをかける。
というのが東映任侠映画の主なパターンだが、この作品は
ちょっと毛色が違う。

鶴田浩二は直江津で安田道代の女剣劇の旅役者と知り合い、
将来を誓う。
その後出入りで人を殺し、鶴田は刑務所に行く。
ところが刑務所から出たら、安田道代は親分と結婚していた。
そして親分は天津敏の悪い親分に殺されてしまう。
その殺し屋がなんと天本英世!!!!
(東映任侠に出ていたとは知らなかった)
天津敏の裏には本家の親分、内田朝雄が鶴田側をつぶしにかかってきたり
女との暮らしか、一家の防衛か悩んだりして、任侠ものにしては
異色作だと思う。

何よりラストが襲名式のように無数の短冊がかかったセットで床の部分は
血のプール(深くはないよ)になっており、「こんな世界から抜け出すんだ」と
安田道代を連れて斬りあいをするイメージシーンはすごかった。
このシーンだけでも見る価値あり。
それとさっきも書いたけど、天本英世ね。岡本映画みたいなサングラスの殺し屋で
登場です。


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網走番外地 望郷篇


日時 2002年5月4日17:40〜
場所 中野武蔵野ホール
監督 石井輝男

何のことはない、好きじゃなかったと言いつつ
昭和館に通ったおかげで東映任侠映画を見たい体になってしまった。
映画全体としては大して面白くないんだけど、デティールに
楽しさがあるのでつい観に行きたくなる。

網走番外地シリーズ第3作。
主人公の名前は1作目と同じく橘眞一。
話はつながってるんだかいないんだかよくわからない。
あんまり深く考えてはいけない。

網走出所後、ふるさと長崎に帰ってきた橘(高倉健)。
かつての組に帰ってきたが、組は港の荷捌き業としてかたぎに生きようと
する組長(アラカン)を何とかつぶそうとする安部徹と対立していた。
ついに安部徹はアラカンを殺し、怒った橘は単身殴り込みをかける。

現代ヤクザ物で、東映任侠というより日活っぽいスパイスが効いている。
最初の方で安部徹の下へ乗り込んだアラカンが「日本刀はこう使うんで」と
近くにあった陶器の金太郎人形に刀を振り下ろす。
「人形をだめにして申し訳ない」と言って、間があって人形が袈裟懸けに
真っ二つにきれいに割れるところ。

またアラカンの子分の待田京介がジャズの流れるバー(このあたりも日活っぽい)
で安部徹に因縁をつけられ、カッとなって果物ナイフに手を伸ばすが
カウンターの遠くで飲んでいた健さんがロックグラスを滑り投げ、
ナイフを叩き落す。
このあたりのセンスはまさに日活テイスト!
(もっとも元は西部劇なんだろうが)

極め付きは杉浦直樹の殺し屋ジョー。
安部徹に雇われた殺し屋だが、「カ〜ラ〜ス、何故泣くの〜」の
口笛を吹きながらの登場。
宍戸錠っぽいなあ。

まずは高倉健との喧嘩の仲裁に立つが「かたぎの方が粋なことしてますね」と
健さんの刺青に因縁をつける所。
ここで健さんはライターで自分の刺青を焼くという荒業に出て
まずはその場を納める。
ラスト、安部徹を健さんが殺したあと、「飯、食っちゃったんでね、
こんな最低な親分でもやることはやんなきゃ」とプロの意地を見せての
健さんとの一騎打ち。
「その傷は七針も縫えば大丈夫よ」と言い放ち口笛を吹きながら外へ
出て行き、健さんからは見えないとところでばったり倒れるあたりは
さすが!

この殺し屋ジョー、出演シーンは3シーンほど、時間にして10分あるかないか
だが、この人を見るだけでもこの映画を見る価値はあります。
他にはコメディリリーフとして「東北弁で仁義を切るヤクザ」として
由利徹がワンシーンのゲスト出演。
また砂塚秀夫が、中谷一郎が出ていた。
東宝以外でお目にかかるのはめずらしい気がした。

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