2002年7月

望郷と掟 非情都市 新幹線大爆破 メン・イン・ブラック2(MIBU)
トップ屋取材帖 
拳銃街1丁目
白と黒 怒涛一万浬 士魂魔道 大龍巻
奇巌城の冒険 海賊船 おれの行く道 陽はまた昇る
やくざの墓場・くちなしの花 網走番外地・荒野の対決 悪の階段 その場所に女ありて

望郷と掟


日時 2002年7月27日16:00〜
場所 川崎市民ミュージアム
監督 野村芳太郎

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

安藤昇主演のアクション映画。

浜田寅彦の三国人の密輸組織で働いていた安藤昇だったが、
組織の罪を一人でかぶって2年間、刑務所に入っていた。
やっと出所したが、出てきたとたんに外国船に無理矢理乗せられようと
してしまう。
安藤昇は親分の部下の渥美清、簡易宿泊所の主人(殿山泰司)竹脇無我の
チンピラ、そのダチの朝鮮人(砂塚秀夫)らと密輸の金を強奪する計画を立てる。

こんな感じのアクション映画。
安藤昇と言う人は元本物のヤクザだった人で今キネ旬の「日本映画俳優全集」
を読んでみたら映画になりそうな経歴を持った人。(実際映画になったけど)
そんな人が何故映画俳優になったか不明だが、さすがに迫力はあるのだ。
但しセリフが棒読みなので、そこはそれセリフは少なくなるよう
脚本が工夫してあるようだった。

竹脇無我は僕の知ってるイメージではTVのホームドラマ(森繁主演みたいなの)
でも実直な息子役が多かったのでこういうチンピラ役はめずらしいんですが
似合わないなー。
でも恋人の中村晃子(可愛かった)に「六甲山のホテルでそこから神戸の景色を見よう」
(それはこのチンピラの女の子のくどき文句であるのだが)というロマンチックな
面が面白かった。
砂塚秀夫は相変わらずのドジなチンピラ役、渥美清は小心者の妻子もちの男で
取り立てて彼の個性は感じられない。
あと細かいところだけど、吉田義夫のバーテンが特に見所はなかったが渋かった。


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非情都市


日時 2002年7月27日13:30〜
場所 川崎市民ミュージアム
監督 鈴木英夫

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

東都新報の社会部記者、三宅(三橋達也)は行き過ぎた取材もあるが
敏腕記者だ。
ある殺人事件を憂いがやがて銀行や財界の大物に結びつく事が
明らかになってくるが記事はボツにされてしまう。
やがて彼は逮捕され、新聞社もクビになってしまう。


新聞記者が取材を重ねるがその記事が上からの圧力でつぶされる
というよくある話。
確かに完全アクション物の「トップ屋取材帖」に比べれば、真面目な感じはあるが
それにしても所詮フィクションの軽さは否めない。
これが熊井啓の「日本列島」とか「謀殺・下山事件」のような現実の事件を題材に
していればもっと重みは違ったろう。
結果的に行って単純な娯楽ミステリーの域を脱していない。
もっとも「単純な娯楽ミステリー」以上のものを鈴木英夫自身が
目指していなかったのかも知れないが。

三橋達也の主人公の記者はお洒落。他の記者がよれよれのスーツやしわしわの
コートを着てるのに比べ、彼一人だけぱりっとしたスーツにワイシャツ姿で、
髪型もさっぱりしてカッコいい。
その上、司葉子の広告会社に勤める恋人もいる。
また彼は司葉子とのデートにホテルに泊まり、翌朝そのままご出勤と
仕事も恋もそつなくこなすやり手だ。
この都会的切れ者のセンスが鈴木英夫流と言えるのかも。

ラスト、逮捕直前に恋人の司葉子が持ち込んだ情報のネタ元を聞き出そう
として必死になる時に出た言葉が「じゃ結婚しよう」。
この「マスメディアで働く仕事のためなら何でもする男と、広告代理店の営業の
女性」という組み合わせは後の名作「その場所に女ありて」に発展していったと
いえるかも知れない。

そして三橋達也の記者は「新聞は正義ではなく、センセーショナルだ。派手な見出しが
売れる記事、いい記事なんだ」という考え方をもつ。
また「その場所に女ありて」では目薬の広告を作った主人公たちに
「『目をひきつける目』・・そんな目薬をつけるだけでもてるようになるわけないじゃん」
と言わせていた。
邪推だが、新聞とか広告などのマスメディアに対して冷めた考えを
もってる人なのかも知れない、鈴木英夫という人は。


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新幹線大爆破

日時 2002年7月26日
監督 佐藤純弥

「新幹線大爆破」については名画座に掲載しました。

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メン・イン・ブラック2 (MIBU)

 
日時 2002年7月23日19:10〜
場所 新宿ミラノ座
監督 バリー・ソネンフェルド

(公式HPへ)

パート1は97年公開だって??
そんな前だったかなあ。おととしぐらいのつもりでいたんだが。

一言でいうと「まあ」笑えた。
多分アメリカ人にはわかっても日本人にはわかりにくいギャグも多いのではないか?
例えば英語のダジャレとかアメリカのTV番組のパロディとか。
(最初のピーターグレイブスの番組なんかはそうなのかな??)
1978年に地球にやってきた「ザルタの光」。1978年といえば
スピルバーグの「未知との遭遇」の年だがそういうことも関連してるのかな?

そんなわけで爆笑の連続とはいかなかったが、CGによるエイリアンたちとの
ドタバタは割と面白かった。
犬のエージェントとかさ。
そんな中でいちばん笑ったのは最後の「自由の女神」の「ピカッ!」でした。
退屈でいやになるという事はなかったな。

ウイル・スミスたちのMIBの車がベンツなので「アメリカ人は『アメリカ一番!』
だからアメ車じゃないの?」と思ったのですが、
今は「ダイムラークライスラーだからいいのか」と
映画を見終わった後勝手に納得した次第です。

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トップ屋取材帖 拳銃街1丁目

 
日時 2002年7月21日
場所 録画ビデオ
監督 井田探

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

今日も今日とてトップ屋・黒木は街角の名刺屋の六さんを訪ねる。
彼から貰ったネタが記事になったのでそのお礼だ。
(この名刺屋って商売がすごい。新宿駅前で靴磨きのとなりで簡単な
手動印刷機で名刺を刷って売るのだよ。こういうところで印刷する
名刺だから胡散臭い奴が多く、会社社長だの大学教授だのと言って
女を旅館に連れ込んだり、詐欺をしてたりする奴がいるのだ。
だからこそトップ屋の記事になるのだが)

最近の六さんはやけに金回りがいい。
どうやらいい金づるをつかんだようだ。ところが六さんは殺されてしまう。
殺害現場に駆けつけたトップ屋は刑事に向かって「この事件は俺に任せてくれ」
そんな申し出を警察が受けるはずもなくトップ屋は単独捜査に出る。
どうやら六さんは自分が作った名刺が殺人犯に使われ、その犯人から
口止め料をゆすっていたらしい。
六さんの止まっていた簡易宿泊所でそ名刺を作った男を知ってる女に会う。
それは盲目の通称「タコの市」が娘のように可愛がってる女だ。

女をかくまうトップ屋だがあっさり殺人犯に誘拐される。
彼女を取り戻すために取引に出かけるトップ屋。
犯人に殺人は認めさせたが「俺の上にはボスがいる」とうそぶく。
そこへボスがやってきた。それはなんとメクラの「タコの市」!!

なんだかよくわからん展開だなあ。
あまりの強引な展開に呆れを通り越して笑いが出た。
めずらしくストーリーを全部書いたけど、この強引さは
いくらSPとはいえすごい。

見る価値はない作品だけど、この強引さはどこか賞賛に値する。
水島道太郎は「めざましテレビ」の大塚さんを渋くした感じだな、
最後にと思った。

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白と黒

日時 2002年7月21日
場所 録画ビデオ
監督 堀川弘通
脚本 橋本忍

「白と黒」については名画座に掲載しました。

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怒涛一万浬


日時 2002年7月13日27:05〜
場所 浅草東宝
監督 福田純

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

東洋水産のマグロ漁船「第八東丸」は大西洋、アフリカ沖で
操業を続けていたが水揚げ高が芳しくない。
そこで本社から新しい漁撈長村上(三船敏郎)がやってくることになった。
船長と兼任だった矢野(三橋達也)は事実上の格下げに面白くない。
乗組員たちも「本社の事務屋に何がわかる」と対立する。
こうして男たちの旅は始まる。


洋画の海軍を舞台にした映画に「新任の艦長と副長、乗組員の
対立を軸にした戦争映画」というのを時々見かけるけど
この映画は構造的にはよく似てるんですね。
マグロを発見できるか出来ないか、新人乗組員(田村亮)の成長、
航海士(佐藤允)の大怪我、スペイン船との対立等々見ごたえのあるエピソード
満載で映画は進行する。

あと乗組員に通信士に中丸忠雄、船員に堺左千夫(彼が出てくると東宝だなあという
気がして好きなんですが)人見明、小川安三など。
特に人見明はクレージー映画での課長役ばかりを見ていただけにこういった
男のアクション映画での活躍はめずらしいんじゃないか。
紅一点、寄港地の病院の看護婦役で浜美枝。

田村亮がミス続きで、彼のヘマで佐藤允が大怪我をしたり、縄を見失ってしまうなど
かなりお馬鹿野郎。
一旦上陸した港で行方不明になるが出航直前に戻ってくるなど(彼が戻ってこないと
規定の人数不足で出航できない)お決まりといえばお決まりですが
こういった男たちのドラマでは新人の失敗と成長は欠かせないエピソードですね。

そしてラストは嵐のために遭難しているスペインのヨットを、自分たちが危険にあう事を
覚悟で救うかどうするかの対立、その嵐の中を突き進む時の水の迫力は
なかなかのもの。
そのヨットを救うために操業を縄を切って中止したのだが
ヨットを救出したあとでその縄を探していたら、その縄から出てくる電波が
こっちに向かってくるとの報告。
一体何事かと思ったら、途中「操業を邪魔した、しない」で喧嘩状態だった
スペイン船が縄をヨットの救出を感謝して持ってきてくれたという結末。
このあたりは「海に生きる男たちの国境を越えた友情」というラストで
感動ものです。

福田純監督ってあんまり面白くない監督だなって
思っていたんですが、男たちの骨太のアクション映画でお薦めです。
脚本がしっかりしてる事もあるんですが。


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士魂魔道 大龍巻


日時 2002年7月13日25:10〜
場所 浅草東宝
監督 稲垣浩

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

同じく稲垣浩の「大坂城物語」の続編とも言える
大坂夏の陣終了後の豊臣の残党の物語。

冒頭、大坂城攻撃のシーンがありますが、これは明らかに「大坂城物語」の
使いまわし。
主演は夏木陽介、佐藤允、とくればあとは加山雄三っぽい感じがしますが
それが市川染五郎(現・松本幸四郎)。
あと三船敏郎がふらっと現れて主人公を助けたりします。
また「大坂城物語」と同じように刀をうる骨董屋がコメディリリーフで登場。
(「大坂城物語」では上田吉二郎でしたが、今回は谷晃。〜だったと思う)

また最後に大坂城の隠し金銀を江戸に運ぶのを「お家再興のため」と称して
いつもはいい人役が多い稲葉義男が、着服しようとするのだけれど、
結局仲間割れをしちゃうあたりは面白かった。

実をいうと映画の途中、少し寝てしまったので批評を書ける立場ではないのだが、
ラストで大龍巻が起こってしまうのだが、これがなかなかの迫力。
円谷特撮の見せ場です。
「モスラ」「ラドン」で風で破壊される建物、というのが出てくるが、
たつ巻に巻き込まれる様が丁寧に演出されていて、この映画一番の見所ですね。
この部分だけでも見た甲斐ははありましたね。

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奇巌城の冒険


日時 2002年7月13日23:15〜
場所 浅草東宝
監督 谷口千吉

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

遣唐使の時代、敦煌で僧侶円済(中丸忠雄)は奴隷市で売られている日本人大角(三船敏郎)
を助ける。円済は仏舎利を求めての旅の途中。大角もその旅に同行することになる。
何とか仏舎利を見つけた二人だったが、立ち寄った王国の王様(三橋達也)により民衆が
虐げられてるのを目にする。
王様は度重なる部下の裏切りに人間不信に陥っていた。
しかしすべては宰相(平田昭彦)が国を乗っ取ろうとして仕組んだ罠。
この国に再び平和は訪れるのだろうか。


三船=谷口コンビの傑作「大盗賊」の姉妹篇とも言うべきこの作品。
「大盗賊」が南洋の某国、という設定だったが、今度は西アジアの
砂漠の国の設定。
砂漠のロケは鳥取砂丘でごまかす、という事はなく、イランロケまで
敢行した本格作。
砂漠を行くキャラバンに中丸忠雄と三船が混ざっているのをロングで
撮ったりしていて、最初、キャラバンのロングの画は現地ロケで中丸のアップは
別撮りかと思ったが、そうでもないらしい。
でも砂漠で一人倒れてしまい、それを無理してでも助けに行く、というシチュエーション
があるが「アラビアのロレンス」(62年)の影響かも知れない。

しかし後半、王国に入ってからが「大盗賊」に比べ、ストーリー的に見劣りするのだよ。
「大盗賊」と同じく、妖術使いのババア(天本英世)、いい仙人(有島一郎)が登場するのだが
「大盗賊」に比べ二人ともあんまり活躍せず、ばかばかしさが少なく、物足りない。

そしてなんとか見つけた仏舎利(釈迦の骨)をなんとしても日本に持ち帰りたいために
長安にいる日本人の所まで仏舎利を届けてくる間に三船が中丸忠雄の身柄を
預けて旅にでて、届けた後に戻ってくるという「走れメロス」に
話はなる。(クレジットでも原作「走れメロス」と出てくる)
このあたりが話が真面目になったので、ラストに大凧まで出てくる「大盗賊」に
比べると話のスケール(というかばかばかしさ)が小さくなってしまう。

最後はもちろん三船は帰ってきて、王様はもう一度人間を信じる気持ちを取り戻し、
平田宰相はいちばんの部下の暴れ者(佐藤允)に殺されてしまい、
万事めでたしめでたし。

何回も言うけど「大盗賊」が前半の海戦シーン、そして後半の大凧シーンなど
画的に面白みがあったが、今回、砂漠って画的な迫力って生まれにくいし
(やっぱり砂嵐より海の暴風雨の方が画的にわかりやすかったりするので)
後半は真面目に「走れメロス」になったりするから、やはり荒唐無稽なばかばかしさ、
という点では前作「大盗賊」の方が上だというのが、私の結論です、ハイ。


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海賊船


日時 2002年7月13日21:10〜
場所 浅草東宝
監督 稲垣浩

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

昭和26年製作。
三船敏郎を船長とする千里丸は南支那海で密輸船ばかりを
襲う海賊船として暴れまわっていた。
ある港に寄港したとき、4人の孤児たちが日本に帰ろうと
千里丸で密航しようと乗り込んでしまう。
出航後4人に気づく千里丸の乗組員だが、4人の孤児たちは
千里丸が密輸船を襲う音を船倉で聞いて「この船は海上保安隊の船だ」
と信じてしまう。
子供たちを裏切らないようにと彼らはいい人のフリをはじめる。


まあこんな内容だが、悪人たちも子供を前にして真人間になってしまう、
というむしろ松竹的な話でアクション映画を期待すると大いに外される。
もっともあとで気づいたのだが、製作時の昭和26年はまだ戦争が終って
6年で、海外に残してきた今で言う残留孤児についての切実さが今とは
全く違っていたのかも知れない。

そして全体的にだる〜〜〜い映画で、敵船との駆け引きとか、爆発炎上する船といった
海洋アクションとして面白いシーンはなく、オールナイト上映で1本目から
これではもう眠くなってしまう。

またプリントの状態なのか(画は特に問題なかったが)
音が非常に悪く、セリフがかなり聞き取りづらかったので
正直言って細かい内容がよくわからなかった。

特に森繁久弥がおしゃべりな船員(あだ名は「おしゃべりでいつも『口にチャックしてろ』と言われる」と言う事で
チャック)なのだが、彼が何を言っているのかほとんど聞こえないので
その笑い所が伝わってこなかった。
もっとも今回、森繁は後の活躍を予想させるような目立つところはなかったのだが。

森繁のほかにも谷晃、上田吉二郎、大泉滉などの個性派が船員役で出演しているが、
(音の悪さもたぶんにあるのだろうが)彼らの個性的な演技、キャラクターは
発揮されておらず、その点も残念だった。

関係ないけど、船の中でビールの王冠を使ってオセロゲームらしきゲームを
してるシーンがあった。へえ、この頃からこのゲームがあったとは
知らなかった。


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おれの行く道


日時 2002年7月13日13:50〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 山根成之

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

佐々木キク(田中絹代)は千葉や横浜、川崎に住んでいる
孫たちの世話になることになり、北海道の土地を売りはらう。
まずは千葉の成田に住んでいる一番上の孫(河原崎長一郎)が経営する
旅館に世話になることになる。
2週間づつ3人の孫の家に世話になるが、孫たちのねらいは
キクの土地を売った何億というお金だ。
何とかキクに気に入られようと接待三昧の孫たちだが、
お金は北海道の養老院に2億円寄付してしまい、ほとんど残っていないことを
告げると途端に冷たくなる。
そんな状態を知った信州の大学に行っている耕三(西城秀樹)は
一緒に信州に行こうとキクを誘う。


「真夏の太陽に
 風穴あけて
 騒ぐ青春
 ヒデキは行く」

ラピュタに飾ってあったこの作品の公開時のポスターのコピーが
上の文章だ。
そして写真はヒデキと田中絹代が手をつないで歩く写真で
(しかもヒデキの方が大きい)なんだかヒデキ主演映画のようだが全然違う。
ストーリーからすると全くの助演で出演場面は20分ぐらいしかないのではないか?
確かにラストで祖母を引き取るといういい人の役で
儲け役なのだが、ヒデキ主演の青春映画を期待したファンはさぞかし
裏切られたろう。

内容はなんだかシェイクスピアの「リア王」を思わせるような内容で
さしずめヒデキは三女の役どころか。
しかし最後に引き取ると言ってもヒデキ自身、働いているわけではなく、
河原崎長一郎の兄貴の仕送りで大学に行ってる身分だから
そんなにエラソーなこと言える身分ではないのだがね。
(と感じるようになったのはやはり私も年取ったせいか)
そしてこの耕三という青年が、パチンコ屋で喧嘩はするわ、
学費は何かに使い込んで兄貴に無心するわで、なんだが
なんだかあんまりいい人に見えないのだよ。
だから祖母を引き取ると言ってもきっと最後まで
面倒見切れないんじゃないかと心配になってしまう。
その辺が説得力ないのだなあ。

ラストで実は田中絹代の祖母はまだ2億円持ってることが
明らかになり、秀樹がそれをもらえそうな感じで物語りは終る。
つまりお年よりは大切にしましょうという至極教訓的な
ラストだった。

山根成之の演出はマルチスクリーンを強調したいところで多用したり、
画面半分の田中絹代のいるところだけカラーにしてあとはモノクロにするとか
画つくりは多少こっているのだが、大して効果をあげているとは思えなかった。

それより西城秀樹、今見てもカッコええわ。
惚れ惚れした。


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陽はまた昇る


日時 2002年7月7日18:35〜
場所 新宿東映
監督 佐々部清

公式HPへ

VHSビデオ開発を成功させた日本ビクターのビデオ事業部の
開発までの道のりを描く。

恥ずかしながら泣いてしまった。
松下幸之助に直訴するところとかラストのVHSの人文字
のシーンなんか涙を誘いますねエ。
もちろんVHSが成功するのはわかっているんだが
結論がわかっていても泣いてしまう。

この映画に登場するのはほとんどが善人で、結局みんな最後には
主人公加賀谷(西田敏行)に賛成してしまう。
実話だからこれは説得力があるが、フィクションだったら
こんな善人ばかりでは「うそくさい」の一言で片付けられてしまう内容だ。

ここには企業戦争話にありがちな裏切り者やスパイもいない。
犠牲者もいない。
多分実話といえども脚色があって、内情を知る人には納得しかねる部分も
あるのかも知れないが(ないかも知れないけど)この映画を見るサラリーマンは
自分の会社とオーバーラップさせて「あんな上司がいたらいいなあ」
とか「あんな部下がいたらいいなあ」と夢を見るのだ。

臍曲がりな私としては泣いてしまいながらも、「こんなの映画としては大した事はな
い」とか「西田敏行の演技がくさい」と欠点を見つけてしまうのだが、
ここは素直に楽しめたことは評価しよう。

渡辺謙が管理畑の小心者のサラリーマンで登場したのは意外だった。
ポスターのイメージからすると西田と対立するVHS反対派の役だと思っていたので。


最後にソニー(ベータ方式)の名誉のために言っておくと(30代後半の方だとご存知だが)
70年代末にVHSが発売されて以降も、VHS、ベータ戦争は80年代末まで続いた。
映画を見るとVHSビデオが発売されてすぐに家庭に広まったような印象を受けるが、
実際は最初は価格が1台30万円ぐらいしたように思う。
(大卒の初任給が10万ちょっとの時代だ。今の貨幣価値だと50万円ぐらいか)
だから一般家庭がおいそれと買えるような代物ではなく、しばらくは高値の花だった。
一般家庭に広まり始めるのは80年代に入ってからで、それでも15万ぐらいはしたと思う。
感覚として今のパソコンより高かった。ちなみに私が初めてビデオを買ったのは83年末だが
最高級機種(HIFIの最初のやつ)で定価29万9千円、ヨドバシカメラ価格19万9千円
だったと記憶する。
そして120分テープが2000円ぐらいしたのだ!!今じゃ5本で1000円しないのに。
また当時ビデオを買う人にとってベータを買うかVHSを買うかはものすごく悩む
事だった。
雑誌等を見てもどちらがいいとは書いていない。
6:4でVHSのほうが売れていたが、画質はベータの方がいいと言われていた。
そしてアメリカがVHSが主流になり、輸出面でVHSが有利ということになり
メーカー各社はベータから撤退し、VHSに流れていく。
もう一度言っておくけど性能面ではベータの方が優れているとはよく言われていた。
やはり最終的には営業力で負けたのだろう。

しかしソニーは同じく70年代末に発売した「ウォークマン」によって
世界を席巻することになる。
以上蛇足ながら当時の家電状況でした。

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やくざの墓場・くちなしの花


日時 2002年7月7日15:50
場所 中野武蔵野ホール
監督 深作欣二

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

渡哲也は4課の刑事。日々激しくなるやくざの抗争に、警察本部長(大島渚!)も
陣頭指揮に立ち、壊滅に乗り出す。やがて渡哲也は抗争中のヤクザの梅宮辰夫と
兄弟分の杯をかわす。梅宮と対立する巨大組織のやくざ山城組は警察署長(金子信夫)
や警察OB(佐藤慶)を抱きかかえていた。
梅宮は金子信夫によって殺され、渡哲也は怒りの銃弾を佐藤慶にぶち込む。

全体的にクラ-イムードが漂う。
東映実録路線は終盤期に入っているのだがその頃に主役として
迎えられたのが渡哲也だ。
うがった見方をすれば、ロマンポルノ路線に移り
活躍の場を失った渡哲也を菅原文太につづくスターとして迎えいれた時代だ。

実録路線も終盤期に入っていたせいなのか、渡哲也の個性なのか、
この人が主役だと何だが暗い陰湿なアクションになってしまう。
日活のニューアクションになった頃も同じ印象があるのだ。
この映画でもラストはヤク中になってしまい、
病的な白い顔で佐藤慶を撃つのはもう悲惨な感じがしてしまう。

菅原文太の「県警対組織暴力」とストーリーはかなり似通っているが
文太が演じると暗さがあまり感じられず、明るさがあり、笑いに昇華していくシーンも
のだが渡がやるとジメーとするのだよ
文太は後に「トラック野郎」シリーズというコメディ路線で成功したように
何処か陽性の部分があるのだろう。
これはもう渡と文太の個性の違いとしか言いようがない。

やがて実録路線は終了し、「日本の首領」から始まる大型路線に変化していき
渡哲也は石原プロの一員として「大都会」「西部警察」と活躍の舞台を
TVへと移していく。
この時期の作品が映画としての最後の活躍の時期といっていい。
そんな東映ヤクザ映画路線の末期的症状を見せられるような作品だった。
あとは「仁義の墓場」という作品もあったな。

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網走番外地・荒野の対決


日時 2002年7月7日14:10〜
場所 中野武蔵野ホール
監督 石井輝男

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

網走刑務所を出所した橘(高倉健)は通りかかった射撃大会に出場、
杉浦直樹と対決し優勝する。だが優勝の商品の馬は権田牧場の小林稔次のチンピラに
取られてしまう。なんとか馬を取り返し網走仲間の待田京介の牧場に厄介になる。
権田牧場と対立するうちに網走仲間の由利徹、嵐勘寿郎、のほか田崎潤や谷隼人らが
集まってくる。
そして牧場の馬を毒殺しようとした権田牧場に殴りこむ。
しかし彼らの前に杉浦直樹が立ちはだかった。


望郷編に引き続き、ニヒルな悪党として杉浦直樹が登場。
こういったアウトロー役は最近見ないだけにその意外性が
凄みを感じさせる。
望郷編に比べるとニヒルさがやや少なく、劣るがそれでもなかなかの
迫力だ。
実は権田牧場の河津清三郎にかつて両親を死に追いやられた過去があり
復讐の機会を狙っていたのだ。
だがラストで河津の娘が父の命乞いをし、杉浦は娘もろとも撃とうとするのだが
高倉健が止めるあたりはやや長すぎで、テンポが落ちる。もう少しつめてもよかった
のでは。


また谷隼人、田崎潤とゲストも豪華だが、待田京介とかアラカンとか由利徹ら
他にいい脇役がいたので彼らの出番が少なくなってしまったのが残念。
いらないといってるのではなく、どうせ出したのだからもう少し
活躍の場を作ってくれないと顔見世で終わってしまい、
もったいないのだよ。
その点も惜しかった。

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悪の階段


日時 2002年7月6日17:50〜
場所 アテネフランセ文化センター
監督 鈴木英夫

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

4人の男たち(山崎努、加東大介、西村晃、久保明)は大企業、東亜工業の
社員の給料の入った金庫を襲った。金庫やぶりは成功し、4千万円を手にすることが出来た。
4人は半年間はこの金に手をつけない約束をする。
しかし建設会社の社長運転手になった小西(加東)は社長の妾(久保菜穂子)に誘惑され
バーを出す資金、300万円を出す約束をする。
小西は金を自分だけ早く分けてもらうことをリーダーの山崎努に懇願する。
4人の男たちの結束は崩れだす。しかしそれは山崎努にとっては計算のうちだった・・・・

古今東西たくさんある、金庫破りそしてその後の仲間の間での裏切りを描くサスペンスもの。
いやいや面白かった。
シナリオがよく出来ている。
この映画の面白さを書く事はストーリーを語っていくことになるので、ここでは
省略するけど、やはり主犯の山崎努が素晴らしい。「天国と地獄」以上の
犯罪者役と言っていい。

逆転の末、意外な人物が(ある意味、誰が最後に金を手にしてもおかしくないのだが)
金を手にする。しかしそれもつかの間、脇役だった佐田豊の交番の警官のふとした
疑問から完全犯罪は崩れだす。
ラストの砂丘のシーンは象徴的。
このジャンルの映画としては最高級の出来!
お勧め!!!


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その場所に女ありて


日時 2002年7月6日15:40〜
場所 アテネフランセ文化センター
監督 鈴木英夫

(詳しい内容はキネ旬データベースで)

西銀広告につとめる矢田(司葉子)。
彼女は難波製薬の新製品の広告を大手の大通の社員(宝田明)と
争う事になった。両社とも手を尽くすが、今回は大通の勝ちとなる。
仲間の裏切りや結婚の誘いもものともせず、矢田は新しい仕事に
向かい始める。

タイトルから想像すると時代劇風の女の一代記みたいな感じがするが全然違う。
なんとも不思議な味の映画だった。
ストーリーだけを追うと広告業界の熾烈な戦いを描いた企業戦争ものだが
それだけではない何かがある。

得意先からの見合い話、ライバル会社の社員(宝田明)からの求愛、
男に貢いで滅んでいく同僚(水野久美)いつまで立っても定職につけない夫
(児玉清)を持つ姉(森光子)、自分一人で生きていく覚悟を決めてる古手の
女性社員、そして金のためにライバル会社と自分の会社の両方の広告を作る
デザインディレクター(浜村純)、上昇志向ばかりのデザイナー(山崎努)。

そんなたくさんのエピソードと登場人物を描きながら映画は進展する。
だがこれらの人物やエピソードをあおることなくドラマティックに描こうとせず、
淡々と描いていく。

そして最後に主人公は「それでも私は働いて生きてゆかねばならない」と言い放つ。
その逞しさは「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラに通じるものがある
といったら、それは少し誉めすぎか。

佐藤勝が書きそうなファンファーレ的な音楽ではなく、むしろ音楽は少なめで
衝撃的な映像もなく、無理に盛り上げようとしない。
しかし映像には不思議な緊張感が漂う。

これを「ハードボイルド的演出」という言葉で片付けるのは容易だ。
だがそれだけでは表現しきれない何かがある。
それがきっと鈴木英夫の魅力なのだ。



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