2003年5月

キッド モダン・タイムス
事件記者 姿なき狙撃者 事件記者 仮面の脅迫 事件記者 真昼の恐怖 事件記者
サラマンダ− ラストシーン 赤頭巾ちゃん気をつけて エニグマ
あずみ 大怪獣襲来 グジラ 月のひつじ 華麗なる一族
ガメラ3 邪神<イリス>覚醒 ガメラ2 レギオン襲来 MOON CHILD 魔界転生

キッド


日時 2003年5月31日18:50
場所 有楽町スバル座
監督・主演 チャーリー・チャップリン
製作 大正10年(1921年)

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この映画の最大の魅力はやっぱりジャッキー・クーガンだ。
実にうまい子役であり、美少年。
彼の前ではさすがのチャップリンもかすんでしまう。

今回の笑わせどころはガラス修理のシーン。
キッドにガラスを割らせておいて、その後にチャップリンが
「ガラスの修理はありませんかあ?」とやってきてガラスを
修理するといった商売。
警官に怪しまれてしまったために、キッドがチャップリンに
近寄ってきたらそれを蹴飛ばすシーンなどなど。

でも「モダンタイムス」の時にも思ったけど、チャップリンの生き方は
こずるい。
ガラスを割っておいて自分で修理するなんて犯罪行為だ。
そして(どういう仕組みなのかよく解らないが)ガスメーターの
料金をごまかすシーンなど、多少卑怯でもうまくやっていかなければ
生きていけないというチャップリンのアイロニーに満ちた人生観が
投影されてるような気がする。

同じ貧乏でも寅さんはそんなことしなかった。
人生、浮浪者になった時、正直さではパンは買えないという絶望にも
近い人生観があったのかも知れない。
平成の豊かになった現代の日本の私にはもう理解できないのかも知れない。

そして孤児院に連れて行かれるキッドとの別れのシーンは泣かせどころ。
しかし一旦は救い出したキッドだが、寝ている隙に母親の下へ連れ戻されてしまう。
探し回って歩き疲れたチャップリンは夢を見る。

そこではみんな天使の羽をつけ、みんな仲良く幸せそうだ。
しかしそこに悪魔が侵入し、恋人同士の女性の方に悪魔はチャップリンを
誘惑するようささやきかける。
女はチャップリンを誘惑し、そこへ女の恋人がやって来てけんかになり
果てはチャップリンは殺されてしまう。

このシーンは実に唐突だ。
親子の情愛を描いた作品には実に似つかわしくない展開。
だが実生活では離婚結婚を繰り返したチャップリンにとっては
男女の愛情は親子の愛情ほど信用していなかったのかも知れない。


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モダン・タイムス


日時 2003年5月31日17:05〜
場所 有楽町スバル座
監督・主演 チャーリー・チャップリン
製作 昭和11年(1936年)

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70年代半ばに「ビバ!チャップリン」と題するチャップリンの代表作の
リバイバル上映があった。この頃私は映画の見初めのころで、チャップリンを
見て感激し、その後しばらく何回か同じ作品を見た憶えがある。
数年経って大学生の頃だったか、大人になったばかりの私がチャップリンを1本見たとき、
チャップリンの卑怯な態度のギャグ(警官が後ろを向いている時にぽかりと殴り
知らん振りをすると言ったような)に馴染めなくなって急に嫌いになった覚えがある。

さてそれから10年以上経って大人になってしばらくした私に、チャップリンは
どう見えるか?
今回、有楽町スバル座でリバイバル上映されるのを機に再見し、どのように見えるか
確かめてみたい。

まず第1弾は「モダン・タイムス」
今回、リバイバル全体のキャッチコピーとして「人生にはひとかけらのパンと、
ほんの少しの勇気と愛があればいい」なんて書かれてるけどそんな甘いものじゃないだろう、
彼の映画は。正直そう思う。

非常にサディスティックなギャグも少なくないのだ。
まずオープニング。
ブタが牧場でぎゅうぎゅう詰めで更新されてるカットの次に地下鉄の出口から
人々が吐き出されていくカットをつなぐというモンタージュをやっている。
労働者たちは家畜と同じだという皮肉から始まる。

工場ではベルトコンベア−に従って働くチャップリンが登場する。
その後、工場にやってきた自動ランチ食べさせ機(このシーンは何度見ても笑う)
にひどい目にあわされるチャップリン。
だが一度工場をくびになり再雇用された時、今度は機械に挟まった親方に
対して、このときの復讐のような形で親方に食事をさせようとする。
被害者が転じて加害者になっている。

またデパートの夜警として雇われたら、ここぞとばかりにガールフレンドの
ポーレット・ゴダードを中に入れ、食品売り場のものは食べるわ、
おもちゃ売り場の商品で遊ぶわ、果てはベッドで寝込んでしまうわ
とんでもない不真面目ぶりだ。
まるでデパートを利用するブルジョワジーに対して復讐するかのようだ。

そして自分のミスを他人に押し付けようとしたり、工場再開のニュースを聞きつけ
工場にやってきたら後から来たにも関わらず、ちゃっかり仕事ありついてしまう。

普通に考えたらかなり不真面目な奴である。

なんだかチャップリンは「愛と勇気と少しのパン」だけでは足りずに、
「こずるく立ち回る事も必要」というのが実は本音だったのではないだろうか?
資本主義社会では真面目さだけではダメで「こずるさ」も生きていく条件だと
考えていたような気がする。

しかしそういった負の面だけでなく、
デパートのローラースケートのシーン、(一体どうやって撮影したのだ?
1階下に見える画面左側の部分は書き割りだったのだろうか?)
例のティティナの歌うシーン(このシーンは歌詞はデタラメだが、動きは
『車に乗った男が女の子をナンパする』という歌詞の内容に合っていることを
初めて知った)、
工場で社長がテレビカメラで監視しているシーン(昭和11年の映画だよ。
エノケンの『孫悟空』より4年も早い!)、
船工場で楔を外してしまい、建造中の船が進水してしまうシーン
(スケールの大きいギャグだ!)
レストランのウエイターになってお客さんが注文したローストチキンがテーブルに
届けられないシーン、などなどチャップリンの名シーン満載で、
彼の代表作であることは間違いない。

大きな笑いと大きな毒、これがチャップリン映画なのかも知れない。


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事件記者 姿なき狙撃者


日時 2003年5月31日
場所 録画ビデオ(NHK−BS2)
監督 山崎徳次郎
製作 昭和34年

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


ある高級アパートでアベック泥棒の一人が捕まった。
ところが逃げた共犯の男から仲間の女を釈放しなければ、警官を
一人づつ殺すという電話が入る。
いたづらだと思った警視庁と事件記者たちだったが、犯人は交番を狙撃し
警官が負傷した。
その一方で芝浦で外人の男の射殺体が発見される。そしてその射殺体は
警官狙撃と同じ拳銃で殺されたのだ。

「事件記者シリーズ」第4話。
最初に泥棒が入った高級アパートから拳銃を盗むシーンが出てきて、
このアパートの住人のパトロン(深江章喜)の持ち物だと映画の中で
示されてるので、「真相は何か?」と言ったミステリーとしての
面白さはない。
事件記者側からのみ事件を描けばもっと違った作品になったかも?

映画としては深江章喜と警察の両方から追われた犯人が記者クラブに
電話してきてそれを受けた菅ちゃん(沢本忠雄)が犯人に自首を薦めにいく・・
というのが見せ場。
でも結局説得のシーンも別に盛り上がらないし、クライマックスとしては
イマイチ。

山田吾一のいつも食い物のことばかり気にしてるタイムズの記者とか、
その上司で「バッキャロー!」と怒鳴りつける高城淳一とか
いつものお決まりの笑わせどころぐらいかな、今回の見所は。
前回はゲスト出演的だったタケさんこと桑山正一がレギュラー入り。
今後の活躍に期待。

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事件記者 仮面の脅迫


日時 2003年5月28日
場所 録画ビデオ(NHK−BS2)
監督 山崎徳次郎
製作 昭和34年

(詳しくはキネ旬データベースで)


偶然にネタを拾った上野の映画館の痴漢事件。
事件がなかった日々だけに東京日報と新日本タイムズは大きく
記事にした。しかしそれは後の調べで誤解とわかった。
痴漢事件の犯人と間違われた人物は大きな病院の薬剤師。
その病院の事務長(垂水吾郎)が記事を取り消せと
怒鳴り込んでくる。

事件記者シリーズ第3弾。
今回は新聞記者の勇み足の誤報を題材にした。
各社のデスクが誤報はいつ自分の新聞に起こるかも知れない問題として
今回ばかりは休戦をして各社一丸となって事態に取り組む。
「新聞の誤報と取り消し」の問題は現在にも通じる題材だ。

ところが後半ミステリー調になって、前半の社会性のあるテーマは
ぶっ飛んでしまう。

実はこの事務長が病院で薬の横流しをしていて、それにうすうす
感ずいていた薬剤師を落としいれようとしていた・・・という感じ。
垂水吾郎が結局、薬剤師を自殺に見せかけて殺す計画を立て
「3段の取り消し記事を載せなければ自殺する」という電話を
記者クラブに薬剤師にかけさせる。
あせった東京日報やタイムズはラジオで呼びかけるわ、選挙カーみたいな車で
呼びかけつづけるという対策をとる。

「おいおい、そんなことするんなら新聞に3段の取り消し記事を出せば
いいだろう」とつい突っ込みたくなる。
「新聞の誤報を題材に!」と脚本を作っていくうちに辻褄が合わなくなった
ことに気づいていないらしい。(もしくは気づいても直さなかった)

折角の題材も後半のアクション映画調になってしまい興ざめ。
しかもお気に入りの内田良平は今回は活躍なし。
「原保美と山田吾一の組み合わせとか普段はない組み合わせで
取材に歩く」というシーンが見られてそこが見所かな。


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事件記者 真昼の恐怖


日時 2003年5月28日
場所 録画ビデオ(NHK−BS2)
監督 山崎徳次郎
製作 昭和34年

(詳しくはキネ旬データベースで)


夏の湘南の若者の暴走を取材中の東京日報の菅(沢本忠雄)。
救急車の到着を目撃するが、タイムズの記者に「ただの日射病だよ」と
いっぱい食わされる。実は金欲しさの若者がモグリ売血業者に血を
売りすぎて死んだのだった。
事件の目撃者を殺すため第2の殺人を犯す犯人たち。
事件記者たちが真相を追う!

というわけで事件記者シリーズ第2弾は、1作目で登場した新人記者・
菅の成長物語。
並行して被害者の顔写真1枚を手に入れるため何時間も粘るような
事件記者の地道な努力も描かれる。
また他社の記者にウソの情報を流したり、「友人でありながらライバル」
という記者クラブ特有の人間関係を随所に散りばめられ、
実に真実味がある。

沢本忠雄や滝田祐介の東京日報の記者が犯人を突き止めるあたりは
ご都合主義が気になるが、その他の記者たちの会話や細かいエピソードは
「本物の事件記者はこうなのだろうなあ」という説得力がある。
この辺のドキュメンタリー的な描写の細かさがこのシリーズの面白さに違いない。

登場する記者たちの中では、高城淳一、内田良平、大ベテランの大森義夫、
そしてご存知「怪奇大作戦」・的矢所長の原保美が今のところのお気に入りです。


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事件記者


日時 2003年5月26日
場所 録画ビデオ(NHK−BS2)
監督 山崎徳次郎
製作 昭和34年

(詳しくはキネ旬データベースで)


舞台はここ、警視庁事件記者クラブ。
東京日報をはじめ各社の事件記者が集まり、時に情報交換、
時にすっぱ抜きをしながら報道合戦を繰り広げている。
そんな時、東京日報は品川駅で事件が起こったらしいと
情報をつかむ。
銃撃事件だ。撃たれたのは新宿のヤクザの親分。
撃ったのは二人組(宍戸錠、野呂圭介)。
記者たちの報道合戦が始まる。


NHKのテレビの創生期の人気シリーズの日活での映画化。
尺は50分強のSP版。
はじめてみたが予想以上に面白い。

セリフのテンポが実に早く、今聞いてもテンポは速いほう。
また東京日報のデスク(永井智雄)をはじめとして、原保美、滝田祐介ら
新人、ベテラン、中堅、大ベテランが混ぜ合わされ、それだけでなく
ライバル社の高城淳一、山田吾一、内田良平らの個性あふれる記者の面々が十数人も
登場すれば飽きるはずが無い。
また旧警視庁舎でのロケも行われたらしく、警視庁の内部の様子も今となっては
貴重な資料。

事件そのものは、宍戸錠らの二人組の狙いはヤクザの親分が持っていたカバンで、
事件直後に品川駅の置き引き専門犯持ち去っていて、カバンのありかが問題になる。
ところがこのカバンのありかは滝田祐介が偶然見かけて知っていた、と
ご都合主義的な展開でミステリーとしてはレベルが低いんだけど、それでも
個性的な事件記者たちの描写によりものすごく飽きないのだ。

もちろんこれ1本だけだったら「人物が多いがどれも描けておらず、中途半端」という
印象が残ったろうが、そこはこれから始まる連作シリーズ、彼ら魅力的な事件記者たちの
活躍は次回以降もたっぷり見せてせていただきましょう。

というわけで第2作へGO!


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サラマンダ−


日時 2003年5月25日18:45〜
場所 日劇3
監督 ロブ・ボウマン

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現代のロンドン。地下鉄工事の地下現場から突然「ドラゴン」が
よみがえった。奴は太古の昔、地球の生命を滅ぼした。
そいつは世界中を焼き尽くし、やがて人類は一部を残して死滅した。
イギリスの片隅で砦を作って細々と生きる人間たち。
だがそこへアメリカからケンタッキー州の民兵が完全装備で
やってきた。
彼らの話によると今までにたおしたドラゴンは全部メス。
最初にドラゴンがあらわれたロンドンにオスがきっといるはずだという。
その1匹さえ倒せばドラゴンを滅亡させる事ができるはずだ。


ドラゴンによって壊滅させられた後の廃墟の町が舞台、という事は知っていたが
やはりドラゴンによって人類が滅亡していく様を見たかった。
が、そこは新聞記事のオーバーラップで処理。
怪獣映画ファンとしてはその辺が見所なのだが、この映画は怪獣映画のセオリーに
乗っ取ろうとはしてしない。
怪獣映画ではないらしい。

映画中盤のクライマックス、砦を襲うドラゴンを民兵たちが倒すエピソード、
ヘリから空挺隊員が飛び降りたりしてスピード感もあり、迫力もあるのだが、
「こういう風にネットをかけて倒す」という説明がイマイチ足らないので
どういう作戦でドラゴンに立ち向かっているのかよく解らない。
この辺、もう少し説明してくれていたら、もっと盛り上がったろうに。

で後半は雄ドラゴンを倒しにロンドンへ。
戦車、ヘリコプターも従えたなかなかの部隊だったのに、いざロンドンを目の前に
したらドラゴンに一撃でやられてしまう。
なんじゃ、そりゃ?
そんなんでよくアメリカからイギリスまでやってこれたなあ。

「『裸で立ち向かうしかないんだ』という状況を作りたかったのだろう」という
パンフレットの押井守氏の意見もわからなくは無いが、それなら最初から
ハンヴィーとヘリで砦までやってくればいいじゃない。

ついに雄ドラゴンと対決!
なのだが主人公がボウガン用の特殊な矢をいざっという時になくす凡ミスをおかす。
それは無いんじゃないの??
もう少しドラゴンとの対決は丁丁発止のやり取りがあってもいいと思うのだが。

日本の怪獣映画を見慣れちゃったこちらとしては、色々文句をいいたくなって・・・
難しいなあ、このジャンルの映画も。


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ラストシーン


日時 2003年5月18日
場所 レンタルビデオ
監督 中田秀夫
製作 2002年

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1965年(昭和40年)映画界もテレビの影響を受け斜陽の時代。
映画スター吉野恵子(麻生祐未)も結婚を機に引退をしようとしていた。
それはその相手役を長くつとめた三原健(西島秀俊)にとっても分岐点だった。
会社側は三原を今後、悪役敵役として使っていこうと考えたが、三原としては
スターのプライドが許さない。だがもはや彼の居場所は映画界には無く、
引退を余儀なくされる。
時は流れて2000年(平成12年)。同じ撮影所で、今テレビドラマの映画化
「ドクター鮫島 THE MOVIE」が撮影されていた。
入院患者役の一人が急遽出演できなくなり、その代役がやってきた。
その人こそ、かつての三原健(ジョニー吉長)だった。


去年の公開作品だが、見逃した事を今後悔している。
日本映画、特に映画界が一番活気があったあの時代を舞台にした愛すべき作品。
僕はやはり日本映画の黄金時代だったあの時代の作品が一番好きだから
こういった映画を観るとそれだけでウルウルしてしまう。

この映画に登場する三原健は映画の黄金時代を象徴する存在。
彼はテレビに占領されてしまった撮影所に突如タイムスリップしてきたかのように
現代の撮影所に現れる。
プライドもなんもなく、ふざけた態度で映画を作ろうとするテレビの連中に
あきれ果て、諦めきってる撮影所の映画スタッフたち。
しかし三原健の登場によってプライドを取り戻し、くだらないとしか思えない
この映画でも、精一杯の出来る限りの努力をしていく。

映画スタッフの一人として小道具担当の子(若村麻由美)と三原健の交流を軸に
ドラマは進む。
人間関係や報われにくい仕事に嫌気がさして彼女は仕事を辞めようと
思っている。
しかし、三原健との出会いにより、もう一度この仕事のプライドを取り戻す。
そしてラストに言い放つ。「私、この仕事辞めません」

カツドウ屋の心意気ここにあり!映画魂とはこういうものだ。
映画を愛するものとして涙無くして観れないラストシーンだ。
映画だけでなく、時代の流れで押し流されそうになる伝統を守ろうとする
世界の共通の思いだろう。


いい映画だ。
しかし、私にはどこか引っかかるものがあった。
確かに今日本映画は産業的にはかなりの苦戦を強いられている。
この映画ではテレビの隆盛により映画界が斜陽を向かえたような印象を
与えがちだが、それだけではない筈だ。
日本映画が何故産業としてだめになったか、それは日本映画界自身にも
問題はあったはず。

映画として悪役を設定しなければならないため、たまたま今回テレビ界に
その役目をしてもらったというなら解るが、中田秀夫以下のスタッフが
「映画がだめになったのはテレビのせい」と思い込んでいるとしたら
とんでもないことだ。
日本映画がだめになった理由をここで書くと映画「ラストシーン」の話から
それるので省略するが、日本映画界にも問題は多かったと思う。

そしてラストで主人公の小道具係の子は「絶対辞めませんから」と悲壮な決意をする。
そう、今、日本映画界で働くことはこういう悲壮な決意が必要なことなのだ。
友人から聞いた話だが、映画のスタッフを仕事としている人たちには銀行から
住宅ローンが借りられないらしい。
つまり銀行は映画スタッフを「安定した収入のある職業」として認めてないらしい。
そんな悲惨な状況下に追い込んでしまったのは、何回も言うけどテレビだけじゃないよ。
スタッフたちを追い込んだ責任をテレビのせいだけにしないで欲しいなあ。
テレビもいい迷惑だろう。


もちろんカツドウ屋魂を謳いあげることに異論は無いが、こう真正面から
やられてしまうとこっちは少し照れてしまう。
この映画の不満点を後半書いてしまったけど、実は私は自分の愛すべき日本映画を
こう褒めちぎられて照れてるだけなのかも知れない。

この愛すべき映画を劇場で観なかったことは誠に申し訳ないことだと思う。
その点はお詫びしたい。
スイマセンです。


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赤頭巾ちゃん気をつけて


日時 2003年5月17日
場所 録画ビデオ
監督 森谷司郎
製作 1970年

(詳しくはキネ旬データベースで)


東大が学生紛争のあおりを受けて入試が中止になったのが1969年。
そんな時の日比谷高校から東大を受験しようとしていた薫クンの一日を
描いた作品。

正直言って全然面白くなかった。
主人公、薫クンのモノローグが延々と続き、映画としての面白みはまったくない。
原作は有名らしいのだが、もともと映画になりにくい小説だったのではないか?
薫クンは日比谷高校から東大という当時のエリート候補生なんだけど、
学生運動にも関わることなく、何事にも優柔不断なまま、だらだらと映画の
時間は過ぎていく。
封切り当時の時代の空気の中で見ればまた全然違った映画だったのかも知れない。

それにしても当時の高校生はみんなあんなしゃべり方していたのか?
やたらと「何々的」を繰り返し、学生運動に参加しない友人に対し
「あんたたちは妊娠してる、資本家の子供を宿している」などと言ってたのかア?
多分、映画的あるいは小説的誇張だとは思うけど。


主演の薫クンには岡田祐介。前・東映社長岡田茂氏の長男。
ご本人も日比谷高校から東大を目指していたが、一浪中に東大の入試が中止、
慶応に進学したという薫クンとまさに同時代を生きてきた。
この映画の主演者公募に「なんとなく」応募して5千人の中から選ばれての
映画初出演にして初主演。
当時21歳。今からみるとちょっと老けていて高校生には見えにくい。
その後、「実録三億円事件・時効成立」などを経て、20代後半から
映画製作に乗り出し現・東映社長(!!)。

俳優時代のちょっと陰のある気の弱そうなところが、役者として気に入ってただけに
製作の方に行ってしまったのはちょっと残念。


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エニグマ


日時 2003年5月17日18:50〜
場所 シネマミラノ
監督 マイケル・アプテッド

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第二次大戦下のイギリス。ドイツ軍暗号解読機・エニグマの暗号を
解いたが、そのエニグマの初期設定をドイツ軍が変えてしまったので、
折角解いた暗号もまた解読不能になってしまった。
しかし、アメリカから大量の補給船が大西洋を渡っている。
4日後にはUボートのいる海域に到達してしまう。
それまでに新しいエニグマの暗号を解読しなければならない。
病気療養中の暗号解読班の数学者、トム・ジェリコ(ダグレイ・スコット)
は再び解読班へ。しかし彼の元の恋人は3日前に失踪していた。
彼女の正体は一体?


Uボートの攻撃から補給船を守れるか?といった「ナバロンの要塞」の
暗号解読版だと思っていたら、むしろ「消えた元彼女の謎」を追う
ミステリーとしての要素が強い。
どっちかって言うと暗号解読とUボートの対決という戦争サスペンス映画を
期待していたのでやや思惑が外れた。

で、主人公がやたら暗号解読センターを抜け出して、彼女のルームメイト
(ケイト・ウィンスレット)と彼女の影を追う捜査に行くんだけど
「そんなにセンターを抜け出して大丈夫かい?」という気になる。
また折角の「大輸送船団対Uボート」のサスペンスも、映画の冒頭で
詳しく説明したにも関わらずに、「輸送船団と出会ったUボートが発信する
信号が暗号を解く鍵になる」とほとんど犠牲にされてしまう。
えーーー、それなら最初の方で「あと4日間で暗号を解かなければならない」
ってあおらないで欲しい。

結局彼女が失踪した影には「ソ連軍の虐殺事件」(未見の方のために多くは
書けないのだが)が陰にあり、こういった戦争秘話の告発映画としての要素も
あったが、そっちの訴えかけは弱い。

「ナバロンの要塞」的なサスペンスも足りず、ソ連の告発映画としても弱く、
ミステリとしてもそれほど面白くなく、まして戦争映画としてのスペクタクルもなく、
すべてにおいて中途半端な作品だった。

なお、この作品、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーの映画初プロデュース作品。
ロックミュージシャンだからってロックの映画を作るわけじゃないのですね。
変なロックミュージカルを作るより、こういった普通の娯楽作品をつくるので
その点は好感が持てた。

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あずみ


日時 2003年5月17日16:00〜
場所 新宿コマ東宝
監督 北村龍平

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戦国時代、関が原の戦いで徳川はあったが、浅野長政、加藤清正など
反徳川の大名もまだ少なくない。
ほうっておけばまた戦乱の世の中になってしまう。
それを阻止するために小幡月斎(原田芳雄)は親を失った少年少女を集め、
彼らを剣の達人に育て上げる。
やがて小幡月斎は成人した彼らを連れて山を降りる決意をするが、
彼らに仲のよい者どうしで斬りあい、勝ったほうだけを連れて行くと告げる。
勝ち残ったのはあずみ(上戸彩)、ひゅうが(小橋賢児)、うきは(成宮寛貴)、
あまぎ(金子貴俊)、ながら(石垣佑磨)の5人。
彼らは過酷な運命に耐えながら、使命を果たさんとする。


先に行っておくが上戸彩をはじめ、成宮寛貴、小橋賢児、金子貴俊、石垣佑磨の
5人の、現在一番旬な若手俳優たちは実に頑張ってアクションシーンなどを
演じている。
そしてラストの宿場町の櫓の倒壊シーンなどの派手なアクションを作り出せた
スタッフの努力はとにかく評価しておきたい。
この点は実に評価されるべき点なのだ。

しかし、だからと言ってこの映画の全体的な評価まで高いわけではない。
もう私としては監督の世界についていけない。

アクションシーンのセンスについていけないのだ。
とにかく完全にテレビゲームの格闘ゲームのような動きをするのだ。
実際の人間では不可能な跳躍、飛び散る血しぶき、など完全にテレビゲームなのだなあ。
ラストの美女丸との対決でカメラが上下に360度回転するシーンなど
「よくぞこんなカットを撮った!」とスタッフを誉めてやりたくなったが
そういう指示を出した監督は誉めたくない。
あのシーン、カメラがぐるぐる回って気持ち悪くなった。

またセリフも完全に現代語風になっており、上戸、成宮をはじめとする主人公たちが
現代の少年少女過ぎて違和感が激しい。
そして美女丸のキャラクター。
なんだかマンガチック、というかデフォルメされすぎたキャラクターで好きになれない。
根本的に「オカマチック=特異なキャラクター」という単純な図式がいやだ。
悪役だが魅力が全く無い。

そして話題の若手俳優たちについてもう一度。
一番いい役だったのは、小橋賢児。成宮は出てくるわりには印象に残る見せ場が無い。
あずみが中心になるのは解るが、他のメンバーももう少し個性を出してほしかった。
でもさっきも書いたが彼らの熱演は賞賛したい。
ジャニーズのメンバーとは違った、役者に重きをおいた彼らの活動が
今後の日本映画を活性化してもらうことを期待する。

従来の時代劇の殻を打ち破る新しい映画を作ろうという気持ちはわかる。
でもゲームのまねをするってのははっきり言っていただけない。
これ、テレビゲームを見慣れた世代には面白いのだろうか?

黒沢時代劇を見て「これが面白い時代劇の見本」と信じてる僕なんかには
完全に外国人が撮った時代劇以上におかしなものに見えてしまった。
とにかく映画の基本を解ってないような監督が多すぎるよ、最近。
もはや私の観たい映画を日本映画は作ってくれないのかも知れない。


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大怪獣襲来 グジラ


日時 2003年5月11日
場所 レンタルビデオ
監督 アーロン・オズボーン
製作 1998年(らしい)


宇宙を漂う暗黒惑星のガイコツ王(別にそういう名前ではなかったが
そんな感じの奴なのだ)は今度は地球侵略をたくらみ、怪獣グジラを
地球に送り込む。
ところが銀河警察の知るところとなり、先んじてガイコツ王は銀河警察の
基地を攻撃する。
銀河警察はガイコツ王の陰謀を知るが、基地を攻撃されたので地球を
助けにいけない。
仕方無しに正式な隊員ではないらしい、宇宙生物を地球に派遣する事に。
その宇宙生物が入ったカプセルはアメリカのとある閉店間際のドライブイン
に落ちた!
地球は助かるのか?


ビデオのパッケージに英語で「GOODZILA」と書いてあるから
原題だと思い、「アメリカにも堂々とした奴がいるじゃん」と思ったら、
タイトルはは「KRAA!〜THE SEA MONSTER」でした。
どうやら「グジラ」は日本の発売会社が勝手につけたタイトルらしい。
でも「ゴジラ」の影響を受けたことは間違いない。

で話の続きは、この宇宙生物が形はカブトガニみたいな感じなのだが頭はよくて、
ドライブインの女主人と、その時居合わせたハリーポッターに登場する
ホグワーツの用務員のひげもじゃの男(名前失念)みたいな奴の助けを
借りながらグジラに立ち向かう。
という感じで展開。

グジラは半漁人をやたら筋肉質にしたみたいな感じで特にゴジラには似ていなかった。
でも1998年の製作だが、CGに走ることなく、日本式のミニチュアワークで
特撮シーンは展開。
街を襲う夜のシーンの時、ローランド・エメリッヒの「GODZILA」の看板を
ぶち壊したりしてるからとにかく意識している。
日本の「ゴジラ」のオマージュシーンではテレビレポーターが中継をしながら
「怪獣がやって来ました!」と叫びながら最後を迎えたり、
グジラが「ゴジラ」シリーズのお決まりで高圧鉄塔でさえぎられたりする。
まあ低予算だから「逃げ惑う人々」のようなパニックシーンは無く、
迫力にかけるのだが、そこは仕方あるまい。

そして宇宙生物はなんとかレーザー光線の兵器を地球で作り上げて
グジラと対決。
その兵器、なんだかメーサー砲みたいな代物だった。

で銀河警察の方だけど、コスチュームがまるっきり「スタートレック」みたいな感じ。
最初に基地(と言っても「スターウォーズ」のデススターみたいな形なんだが)が
攻撃されてるから助けにいけないので、大して役に立たないんだけどさ。
メーサー砲もどきを破壊しようとするグジラを、メンバーの持ってる超能力で
食い止めようとするのだが、このシーン、なんだか「ゴジラVSビオランテ」
のシーンに似ていた。

随所に安っぽさは感じるけど、「作った奴は『ゴジラ』や『スタートレック』の
大ファンなんだろうな」と思わせる愛を感じる映画です。
でも全体的に低予算の匂いがプンプンしますから過度な期待はなさいませんよう。


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月のひつじ


日時 2003年5月10日
場所 レンタルビデオ
監督 ロブ・シッチ

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1969年7月、ついにアポロ11号は打ち上げられ、月に向かった。
月よりの生中継画像の受信をオーストラリアの片田舎パークスにある
巨大パラボラアンテナが請け負う事に!
アメリカ大使はやってくるは、首相はやってくるは、村は上や下への大騒ぎ。
その影で地道な活動を続けるパークスのアンテナの係員。
NASAから派遣されてきた奴はいやな奴だけど、でもみんなの目的は一つ。
ところが突然の停電でアンテナはアポロ11号の位置を見失ってしまう。
大丈夫か?
やがて迎える7月20日。どうなるパークス!


2002年公開作品だが、運悪く見逃してしまったのでビデオにて観賞。

日本の「プロジェクトX」の時代と同じく60年代成功秘話なのだが、
堅苦しくならずライトなコメディとして登場。
オーストラリアの片田舎、という最先端の技術のNASAとは対極にあるような
のどかな雰囲気が成功の鍵。

最初は対立していたNASAのメンバーと地元の技術者が和解するところなどは
トラブルを共に回避して一体感が生まれるというドラマとしては典型的なんだけど
やっぱり心温まるなあ。
特にこのアポロを見失ったエピソードの時、アメリカ大使がやって来て
アームストロング船長の声を作ってごまかすところは大笑いした。
ここ、最高におかしいです。

そしていよいよ本番の日。
突然の強風で中継断念?!となるところはやっぱり泣かせどころ。
ヒューマンコメディのツボを抑えた話作りに思わず引き込まれる。

未見の方のためにはっきりとは書けないけど、
他にも村長の娘にアタックする兵隊、「ハワイ5-0」のところなど
くすぐりどころは多い。

近頃、アポロは月に行ってない、NASAの陰謀だ、なんて抜かしてる人がいるけど
そんな事は無い。1969年7月20日、少なくともパークスの人々は
月からの電波を受信していたのだ。
もし月に行ってなかったとして、すべてNASAの陰謀だとしたら、
俺たちを騙したのは仕方ないにしても、パークスの人まで騙したのは許せない!
そんな気になってパークスの人々がとっても好きになる映画です。

お薦め。


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華麗なる一族

日時 2003年5月10日
場所 録画ビデオ(衛星劇場)
監督 山本薩夫
製作 1974年

「華麗なる一族」については名画座に記載しました。

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ガメラ3 邪神<イリス>覚醒


日時 2003年5月5日
場所 録画ビデオ(衛星劇場)
監督 金子修介
製作 1999年

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


1999年、赤道直下でギャオスらしき飛行体が発見され、
長峰真弓(中山忍)は再びギャオス調査に乗り出す。
その頃、小学校の頃のギャオス襲来の時のガメラとギャオスの
対決の巻き添えで両親が死んだ少女、綾奈(前田愛)は
奈良県明日香村の親戚の家に弟と共に身を寄せていた。
しかし綾奈は地元の子供たちと馴染めず、孤独な日々を送っていた。
発生するギャオス、ついに渋谷上空にガメラと共に突如飛来し
渋谷地区を壊滅させてしまう。
そんな時、綾奈は地元の伝説のほこらの封印を解いてしまう。
中から新生物が誕生し<イリス>と名づける。
彼女のガメラを憎む気持ちはいつしかイリスと一体となっていく・・・

平成ガメラシリーズ第3作にして最終作。
「ああそっちに話を持っていってしまったか・・・」と思う。
「『地球の守護神』て言ってもガメラに家を壊された人ってやっぱりガメラを
恨むよね」という誰でも一度は感じる疑問を映画にしてしまった。

「大怪獣空中決戦」では宿敵ギャオスとの攻防を描き、「レギオン襲来」では
宇宙生物と対決したガメラだが、人類のために戦うことが人類に災厄を
もたらすという自己矛盾の敵と対決することになる。
ストーリーは怪獣映画の定番である「異変を予感させる事態が続き、ついには
怪獣登場!」といったものではなく、前兆部分はかなり省き、いきなり
渋谷決戦となる。

主人公以外の市民にとっては怪獣の襲来はほとんど大地震のような大災害。
この渋谷決戦は唐突な分、より市民の感覚に近いと言えるかも知れない。
そういうとカッコいいのだが、僕としては怪獣映画の定番を行く展開を望んだ。
しかし、この渋谷決戦、ローアングルで構え、ガメラを真下からとらえたり、
真上からギャオスの破片が降ってきたり、臨場感はよく出来ている。
ガメラの火球の破片で人が吹き飛ばされたりと、怪獣決戦の災厄がよく伝わり、
今回のテーマにもつながる名シーンといえる。

一方で平行して進む綾奈とイリスの展開。
まだ生まれたばかりのイリスはヌメヌメした感じが妙に気持ち悪く不気味。
このイリスを抱きしめる綾奈のシーンなど本当に恐かった。
だが自衛隊との銃撃決戦の結末を次のシーンのセリフで片付けたのは残念。
もう少し頑張って自衛隊の部隊が殲滅するところまで映像にして欲しかった。

で最後は京都決戦となるのだが、折角の京都を舞台にしながら、この年にリニューアル
オープンした京都駅ビルをからほとんど離れずにいるのがさびしい。
新しいこの京都のランドマークを舞台にしたかったのはわかるが、この駅ビルで
対決するだけでスピード感にかけるのだよ。
もたもたと、まるで相撲のような対決だけではいまいちだ。
清水寺とか平安神宮とかそういうところでも対決して欲しかったなあ。

あとキャラクターではゲーム作家の倉田真也(手塚とおる)のキャラが濃くて
面白かった分活躍が少ないのは残念。マッドサイエンティストとしてもう少し
終末思想の狂気を具現して欲しかった。
もう一人の新キャラ、「日本の根幹につながる」と紹介される美女・朝倉美都
(山咲千里)も、もうちょっと活躍があってもよかったかな。
彼女、何のために出てきたのかよく解らない。
少し人物を増やしすぎたために交通整理がうまく出来なかったかも。

あとレギュラーとして元長崎県警警部補・大迫力に蛍雪次朗、ガメラと心を
通わせる少女に藤谷文子、自衛隊の現場指揮官に渡辺裕之、札幌青少年科学館館長で
ワンシーン出演の川津祐介、斎藤審議官に本田博太郎などの面々。

第1作を超える映画は難しいとは思うが、やはり超えられず小難しくなって
話のパラドックスに向かっていってしまった第3作。
ゴジラも最近は面白くなってきたが、やはり面白い怪獣映画はいくつあっても
悪くは無い。
もう一度ガメラにも出てきてもらいたいな、と思う。


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ガメラ2 レギオン襲来


日時 2003年5月5日
場所 録画ビデオ(衛星劇場)
監督 金子修介
製作 1996年

(詳しい内容はキネ旬データベースで)


北海道に隕石落下!
自衛隊は直ちに出動するが肝心の隕石は発見されない。
調査に向かった陸自の渡良瀬(永島敏行)と花谷(石橋保)だったが
数日後、札幌地下鉄構内で虫のような人間大生物が出現したのだ!
NTTの光ファイバーの事故を調査中の帯津(吹越満)、青少年科学館の
職員・穂波(水野美紀)の協力を得ながら、事態の解決にあたろうとするが
やがて札幌の中心地に巨大な草体が出現し、巨大生物レギオンも登場。
人類に勝ち目はあるか?

前作「ガメラ 大怪獣空中決戦」が怪獣映画史上の名作だっただけに
どうしても見る側としてはそれ以上のものを期待してしまう。
封切り時に買ったパンフを読み返してみると、前作でパワーを出し尽くして
しまったので、今回は苦労したようだ。

市井のエンジニア、科学者を巻き込んでのストーリーで怪獣映画の王道を
行く展開なのだが今ひとつ面白くない。
前作は息つく暇の無いくらいのスピード感のある展開だったが
なんか主人公たちは電磁波がどうの、シリコンがどうのと事態の分析、解説を
するばかりで対策を打ち立てて実行してくれないのだよ。

自衛隊も最初から登場する割には事態を見てるだけで、攻撃するような
アクションシーンが無いのだ。
途中、札幌を飛び立った巨大レギオンをF15が撃ち落すくらいで、ラストの
首都圏防衛線の時になって初めて戦車が撃ち始めるのだ。
遅いよ。
その前にも札幌で小型レギオンと自衛隊が小火器(マシンガンなど)で対決
するシーンを作ってもいいと思うがなあ。
吹越満のNTTのエンジニアもラストになって初めて名和送信所に電波漏れを
起こさせ翔レギオンをひきつけるが、その前に仙台壊滅前に何か行動を
してくれればもっとカッコよかったかも。

また前作のギャオスは飛ぶので大空中戦をガメラと演じたが、今回のレギオンが
飛べるにもかかわらず、空中戦はしてくれない。
惜しいなあ。
あと、僕、レギオンの造型はあんまり好きじゃないです。
もっと怪獣は単純な形の方が好きだなあ。
子供でも絵が画けるような単純なのがいい。
アイデアが出尽くしたのかも知れませんが、レギオンみたいなの子供では画きにくい
でしょう?
この辺が怪獣の映画における寿命を左右するのかも知れないと思うのですが。

欠点ばかりを先に書いちゃったけど、魅力が無いわけではない。
特に草体が札幌や仙台に出現した時の街のミニチュアワークは立派!
札幌でガメラの体じゅうに小型レギオンがまとわりつくシーンは恐かった。

また(活躍しないとはいえ)自衛隊の戦車や装甲車が走り回るシーンは
やっぱりカッコいいですねえ。
昔の東宝怪獣映画だとこうした戦車や装甲車の行進も特撮だったから
ミニチュアのチャチさが見えちゃってしらけたんだけど、本物の迫力は
すごい。
またラストの名和送信所での小型レギオンと永島敏行の対決も迫力があっていい。
こういうシーンを前半に持ってくればもっとよかったのだが。

出演ではヒロイン穂波に水野美紀。再見するまで彼女が出てたことは忘れていた。
「踊る大捜査線」の前だからブレイクする前だったですね。
吹越満のNTT技術者は平凡な感じが、いかにも普通の人っぽくてよかった。
北海道の自衛隊の将校に沖田浩之。(後に自殺するとは!)
出演場面は少ないが穂波の上司として川津祐介。ゴジラとガメラの両方で
学者役を演じたのはこの人だけではないか?
あと記者会見で自衛隊の出動の合憲性を説明する官房長官に徳間康快・製作総指揮
自らのご出演。

ガメラは人類の守護神としての登場だが、「人類なんか守る価値があるのか?」
と自虐的な考えの持ち主のためにラストのセリフが用意されている。
「ガメラは人類を守ってるのではなく、地球の生態系を守ってるのかも知れない」
というセリフは「ゴジラ」第1作の山根博士に匹敵する名台詞かも知れない。

名作の後の第2弾はさぞやりにくかったと思うが、とりあえずこれで打ち切りとは
ならず、次の「邪神<イリス>覚醒」につながる事になる。


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MOON CHILD


日時 2003年5月4日17:20〜
場所 シネマメディア−ジュ3
監督 瀬々敬久

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2014年、日本経済はすでに破綻しアジアのある都市、マレッパに
移民として集まっていた。
その中で両親のいないショウはヴァンパイヤのケイ(HYDE)
と知り合う。
やがてショウ(Gackt)は青年になり、トシ(山本太郎)孫(ワン・リーホン)や
その妹イーチェ(ゼニー・クォック)たちとストリートギャングとなって
勢力を増していく。
しかしやがて彼らは反目しあい、孫とショウは敵味方に別れてしまう。

最初に書いておくけど、私はラルク・アン・シエルのファンだ。
この映画を見に行ったのも「ラルクのファンだから」と言った
単純な動機から。

想像していたよりまともな映画だった。
ストーリーは(HYDEはヴァンパイヤという点を除けば)ありがちな
ストリートギャングの友情と青春物で特別どうという事は無い。

途中何回か銃撃戦があるのだが、僕にはコミック的(ゲーム的?CG的?)
過ぎてあんまり好きにはなれなかった。
(特にGacktが撃ち終わった拳銃にHYDEがマガジンをさっと
投げて、それがそのまま銃に収まって撃つとことか。
でも同じことを宍戸錠がやったら、それほどでもなかったかなあ。
マガジンを画面の中央に置きながら拳銃に収まるカッティングが
いかにもCG!って感じが好きになれないかのも)
またHYDE、Gackt、孫が至近距離で首筋に瞬時に拳銃を向け合うあたりや
あと無表情でオートマティック拳銃を撃ちまくるとか
多分に香港映画の影響なのだが、いまホント流行だなあ。
(「リターナー」でもそんなカットあったような気がするし)

HYDEとGacktは演技力はともかくやっぱり画にはなりますね。
特にHYDEはセリフは下手だが、画面に写ったときは実に華がある。
また画像も色のバランス、照明も美しく、まるで動く写真集を見てるかのよう。
パンフによると、この映画は最初Gackt中心でスタートし、HYDEは
出演者としてあとから参加したらしい。
HYDEは自分の演技力に自信が無く及び腰だったのだが、カメラテストを
行ってから決まったそうだ。
HYDE、意外と自分をわきまえている。
ミュージシャンとしてはCD売上枚数から言ってもHYDEとGacktは決して
同格ではないのだが(富士山と高尾山ぐらいの差はあると言っていい)そんなGacktに
付き合うのだから、HYDEって意外といい奴なのかなあ。

彼らの演技がどうとか、何で吸血鬼が出てくるの?とか、ストーリーがありふれている
と言った批判はこの場合お門違い。
この映画はHYDEとGacktの動く写真集なのだ。
それこそこの映画の目的なのだからその目的は充分達せられているのだ。

それにしてもHYDEは美しく、カッコよかった。
あらためてファンになった気がしますわ。


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魔界転生


日時 2003年5月3日18:15〜
場所 品川プリンスシネマ9
監督 平山秀幸

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深作欣二版「魔界転生」はもちろん封切りの時に見ている。
詳細は憶えていないのだが、結構面白かった事はよく憶えている。
比較されるのは2003年版の製作者たちには迷惑だとは思うが、
そこはリメイクの宿命。
前作に比べ迫力不足だった感は否めない。

まず窪塚洋介では年齢的に貫禄不足。前作の沢田研二の美しさと
貫禄を併せ持った迫力に比べればどうしても見劣りしてしまう。
佐藤浩市はさすがによかったが、ところが今度は相手になる剣豪たちが
毎回負けていくばかりなので、なんだか弱弱しい。
最初に出てきた荒木又衛門(加藤雅也)なんかあっという間に負けてしまうので、
「アンタ何しに出てきたんかい?」と思ってしまう。

各剣豪とも何故生き返ったのか動機付けがあるにはあるのだが、それがどうも
弱いので彼らと十兵衛との対決がすべて「あーそう」という感じでこっちの
気分が盛り上がらないのだよ。

出てきてすぐに対決!という展開ではなく、転生してからもドラマがあり、
そしてラストに対決とか、十兵衛と2人の剣豪との対決とか多少パターンが
あってもよかったのでは?
家康なんか登場の仕方は随分凝っていたが大した活躍もしないし。

1対1が続くだけでは観ていて飽きがくる。
古田新太の坊主との対決など、海岸の岩場で行うという変化をつけてはいるが、
どうしても弱い。
景色としてだけでなく、波しぶきで一瞬目が曇った隙で形勢逆転とか
そういう点でも変化が欲しい。
十兵衛と父の対決など折角外は雨で行っているのだから、雨の中の対決で
やって欲しかった。
それでもラストの窪塚との対決で、光の雨が降った所、CGかと思ったら
花火だったようだ。このシーンはよかった。

全体としてCGや特撮技術は深作版に比べて発達はしているが、脚本が弱いので
盛り上がりにかけた。

あと画面の粒子が粗くて汚いなあと思っていたら、意図的な撮影だと
パンフに書いてあった。
僕としては効果があったようには思えなかった。


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