2003年6月

街の灯 サーカス
金日成のパレード
東欧の見た“赤い王朝”
二重スパイ 勝利者たち 事件記者 影なき侵入者

事件記者 拳銃貸します

顔役暁に死す 野獣死すべし 野獣都市
黄金狂時代 巴里の女性 ザ・コア 事件記者 深夜の目撃者
事件記者 影なき男 花の慕情 やぶにらみニッポン 燈台

街の灯


日時 2003年6月29日
場所 有楽町スバル座
監督・主演 チャーリー・チャップリン
製作 1931年(昭和6年)

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僕にとってのチャップリンのベスト映画はこの「街の灯」だろう。
さすがに小学生のぐらいの時はこのラブストーリーにはピンと来るものが
なかったが、20歳ぐらいになってからはグッと来るものがある。

ラストの花売り娘との再会シーン、はからずもまた泣いた。

新聞売りの少年からバカにされたチャップリンが街角の花屋を見つける。
道に落ちている花を拾う。
今は立派な花屋を開いているあの盲目だった花売り娘に気づく。
花屋の娘と目があったとき、手にしていた花の花びらが一枚一枚
落ちていく。
「自分は実は金持ちではなく、こんな浮浪者だとばれてしまう」そんな
恋が終わっていく瞬間の気持ちを花に託した見事なカット!!

そして手を握り彼女が手の感触で解るあの紳士だとわかる。
「あなたでしたの?」
見詰め合う二人。
もう何もいう事はない、私は涙、涙。

この後の二人がどうなったかは示さない。
充分な余韻を残して映画は終る。

またラブストーリーとしてだけでなく、前半の自殺癖の金持ちとのパーティ
でのバカ騒ぎのドタバタも後半のボクシングシーンも大爆笑。

この時には金持ちに振り回されてはいるが、まだ攻撃にはいたっていない。
またボクシングシーンで「八百長して賞金を山分けしよう」と呼びかける。
正直や誠実さより「うまくやる」ことを持ち出すチャップリン。
まあでもこの作品は毒が薄いほうだ。
これが「モダン・タイムス」以降、彼の金持ち、資本家、支配者階級、権力者
への攻撃が始まっていく。

そんな攻撃的になる前の、まとまりのよい、彼の芸と笑いと涙が詰まった
愛すべき名編。
永遠の名作。


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サーカス


日時 2003年6月29日18:20〜
場所 有楽町スカラ座
監督・主演 チャーリー・チャップリン
製作 1928年(昭和3年)

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チャップリン映画の中ではイマイチ話題に上ること少ない気がするこの作品。
そのもそのはず、後の「モダン・タイムス」以後の一種の社会批判、
体制に喧嘩を売るような姿勢はなく、「黄金狂時代」のような大型な笑いもない。
「キッド」のような泣かせの親子愛もない。
(順番でいうと「黄金狂時代」「サーカス」「街の灯」「モダン・タイムス」)

しかしチャップリンのパントマイム芸の数々がそこにある。
サーカスに入る前の子供が持っているホットドックを食べるシーン、
スリに間違われての追っかけシーンでの鏡の部屋での追っかけに始まって
彼の芸の数々が披露されていく。
サーカスのテストでウイリアムテルのネタをやらされリンゴをかじるが虫が
入ってるとか、手品のネタを明かしてしまい、観客の爆笑をさらうとか
今でもコントに使えるようなネタだ。

そしてクライマックスは綱渡りのシーン。
ロングショットではチャップリンが本当に高いところにいて綱渡りをしている。
そりゃ猿にまとわりつかれるとかは低いところで、バストショットで
撮ったのだろうけども。
しかしこのシーン、「黄金狂時代」のラストの崖っぷちの小屋のシーンほど
盛り上がらない。

映画というものは不思議なものだ。
本物をとってもウソっぽく見えるし、(この綱渡りのシーン)ニセモノを撮った物
(「黄金狂時代」の小屋のシーン)が逆に本当に見えるというおかしなことが起こる。
ひょっとしたらチャップリンは完成した作品を観て、この映画の不思議さに驚いたかも
知れない。

以降のチャップリン作品ではこういうクライマックスをロングショットで
捕らえる(チャップリンが小さく写る)シーンはない。
危険と背中合わせのギャグをやっても「モダン・タイムス」のローラースケート
シーンになる。
邪推だが映画のトリックと実写の使い分けについての分岐点があったのかも知れない。


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金日成のパレード〜東欧の見た“赤い王朝”


日時 2003年6月28日
場所 TUTAYAレンタル
監督 アンジェイ・フィディック

「金日成のパレード〜東欧の見た“赤い王朝”」については名画座に掲載しました。

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二重スパイ


日時 2003年6月22日18:30〜
場所 ○○東映
監督 キム・ヒョンジョン

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この映画の上映中に途中で音声が出なくなるという上映トラブルがあり、
東映直営の主要映画館でそういうことがあること自体、不愉快だったが
その後の従業員の態度にも問題があったので、終始不機嫌な状態で
見たのであんまり映画に集中できなかったのだよ。
だからなんとなくこの映画の印象は薄くなってしまった。


1980年、北朝鮮兵士イム・ビョンホ(ハン・ソッキュ)は自由を求めて
東ベルリンを通じて韓国へ亡命した。
しかし北から送り込まれたスパイと疑われて拷問を受ける。やがて一応信用
してみようということに韓国側も判断し、彼は安全企画部でまず軍事教官として、
そして2年後、今度は正式に安全企画部要員として働くようになる。
やがてラジオ放送に含まれた暗号を通じて北朝鮮から指令が来る。
彼はやはり北のスパイなのだ。


この映画の舞台となった1980年代前半は、韓国も政情不安定で
日韓関係も今のように気軽に旅行できるような雰囲気の国ではなかった。
個人的な記憶では、1981年に88年のオリンピック開催地がソウルか名古屋かで
争われてソウルに決まった時、(私は名古屋で開催して欲しかったこともあり)
「あんな政情不安定な国、88年にはどうなってるか解らんぞ」と思った記憶がある。
韓国が今のように親しく旅行できるようなムードになったのは、やはり88年の
ソウルオリンピック以降だと思う。
その辺を踏まえて見たほうがいい。

「シュリ」「JSA」と北朝鮮問題を題材にした映画は何本か見たが
北朝鮮人の視点から見た映画は初めて。
冒頭のイム・ビョンホへの拷問シーンとか、韓国学生のスパイでっち上げ事件とか
韓国側の負の面も描き出す。
その点は韓国側も変わったなと思った。

やっぱりスパイといったって人間なのだなと思う。
北からスパイとしてやって来ても韓国の人に何かにつけて面倒見てもらったり
一緒に働いていれば親しみもわく。
イム・ビョンホにとってもそれは当然のことで、自分を信じてくれた人々を
裏切らねばならない辛さが伝わってくる。

衝撃のラストはやや想像できるものだったからそれほど驚かなかったけど、
彼の存在が許されなくなってしまう現実がやはり哀しい。

また細かいことだけど自分と北朝鮮をつなぐ「韓国生まれの韓国育ちの北朝鮮スパイ」
との出会い方が、「上司が見合いを薦めてくれた相手」というのが偶然過ぎて
気になる。

だが映画的なクライマックスにやや欠け、盛り上がりきらないのが残念。
例えば要人暗殺計画があってその情報を流すか流さないかとか、
もれたからイム・ビョンホがスパイとばれるとか、その要人の暗殺計画は
阻止できるかとか、そういう映画的見せ場が用意されてればもっと
いい作品になったと思う。
その点が残念。


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勝利者たち


日時 2003年6月21日15:15〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松林宗恵
製作 1992年(平成4年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


3月に亡くなった天本英世特集の1本。
他の作品は大体見ているが、この作品は恥ずかしながら存在すら知らなかった。

国友(三国連太郎)は古くからの造り酒屋。しかし様々な事情から
借金が重なり、経営が立ち行かなくなっていた。
そこでかつて自分の酒を誉めてくれた美食家の金持ち、一の谷(丹波哲郎)を
訪ねる。一の谷は融資を許したが、それには条件があった。
一の谷がリストアップしたゲートボールの強者たちを集め最強のゲートボールチームを
結成し、日本一となる事。
メンバーは指物師のハナ肇、釣竿作りの宍戸錠、わらぶき屋根職人の長門勇、
凧職の大滝秀治、鍛治職の佐藤允、紬職の未亡人・司葉子。
だがいずれも頑固一徹の職人ぞろいでいずれも承知しない。
果たしてチームは結成されるか?
そして敵は財津一郎率いるブラックパンサー。
どうなるこの勝負!

オールドスター勢ぞろい映画。
これがアメリカなら「スペースカウボーイ」になるところだが、そこはゲートボールと
なりスケールは小さいが、楽しい。
実はゲートボールのルールなんて全く解らないから、試合の流れとかがよく解らない
のだけれど、後半の大会はアナウンサーの説明付実況と中畑清(本物)の
解説つきだから、ルールは知らなくともなんとなく参加できる。

そしてそれぞれの老人たちが後継者のことで子供と対立しているが、それぞれが
和解していく。ここらあたりは「お決まりの展開」と批判も可能だが、そこは
素直に感動すべきだ。

しかしその中でも新しい視点が一つ。
それは司葉子が言った「職は一代」
「自分の職を子供に無理矢理継がせようというのではなく、子供にも向き不向きが
ある。職は一代と割り切る」というもの。
さっき老人たちと子供の対立と和解と書いたが、それは心の対立がなくなっただけで
別に職を継ぐようになったわけではない。
自分の考えを押し付けるのではなく、お互いの立場を尊重し、割り切って理解しあおう
という点が新しく感じた。

また丹波哲郎の司葉子に対する長年のロマンスも花を添える。
天本英世は丹波哲郎の執事兼運転手。
コミカルな味を出していた。

映画のセオリーに乗っ取った、映画らしい展開の映画。
ベテラン監督・松林宗恵の職人技が光る。


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事件記者 影なき侵入者


日時 2003年6月20日
場所 録画ビデオ(NHK BS−2)
監督 山崎徳次郎
製作 1962年(昭和37年)

(詳しくはキネ旬データベースで)



印旛沼に鴨撃ちに行った岩さん、竹さんたちだったが、そこで
水死体を発見する。最初は会社の金をもち逃げした男がその水死体かと
思われたが、その男は京都で自首してきた。
一方ある金融会社の社員たちに脅迫状が送られてきた。
その社員たちは1年前に電車でスリ逮捕に協力した市民だった。
そのスリが出所してその社員、所長の大沢、加納、女子事務員の洋子たちに
お礼参りをするという内容だった。
その晩、加納は酔っ払って「新聞が自分たちのことを書いたから
脅迫状が来た!」と抗議にやってくる。
そして会社で残業していた所長の大沢が殺された。
犯人は誰か?
そして最初の水死体との関連は??

事件記者シリーズ第10作。日活での映画化はこの作品で最後。
あと東宝で「新・事件記者」として2本映画化された。

いつもは犯人側からも描かれてミステリー要素の少ない本シリーズだが、今回は
犯人を明かさず、物語は進展。
本作では「新聞に名前が出たから脅迫状が来た」というクレームがらみなので
各社報道合戦は一時休戦。各社の記者たちが一丸となって犯人捜しにあたる
という仕組み。

登場人物も少ないし、実は途中で犯人はわかったが、最初の水死体などの伏線も
効いていて結構楽しめた。
また今回は事務員・洋子に張り付いた菅ちゃんが、洋子から好意を寄せられる
という恋人登場か?と思わせるエピソード付。

でもラストは追い詰められた犯人が突然拳銃を取り出し、警官隊のとの銃撃戦に
なったのは興ざめ。
安っぽいアクションになってしまったのは残念だなあ。
そんなことをしなくても事件記者たちの個性で充分楽しめる「大人の娯楽作品」だったから。


本作で今回のNHKでの「事件記者」シリーズの放送は終了。
あと2本あったのだがNHKの放送時間変更のため、録画できなかったが、
今の時代、またどこかで放送される事もあるだろう。

現在のテレビドラマと違い、見た目の派手さで画面を飾るのではなく、
あくまで役者の個性、演技で登場人物のメリハリをつけ、エピソードを
盛り上げている。
永井智雄、原保美、滝田裕介、大森義夫、山田吾一、高城淳一らの報道合戦
に負けない演技合戦が楽しい。
また製薬会社ワカマツ製薬が、影のスポンサーだったのか記者たちが
「二日酔いの薬ないですかねえ」「風邪引いちゃったみたいで」の
セリフのあとで「これ飲みなよ」と薬を差し出され「ルビット」「ワカ末A錠」などの
薬のアップがあるシーンが毎回あったことはちょっと書き記しておきたい。

今のテレビドラマに飽きた私には実に楽しい作品だった。
名作テレビドラマと言われるだけのことはある。

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事件記者 拳銃貸します


日時 2003年6月16日
場所 録画ビデオ(NHK BS−2)
監督 山崎徳次郎
製作 1962年(昭和37年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


1作目から6作目までは59年(昭和34年)だったが8作目の本作は
ちょっと時間があいて62年の作品。
上映時間も70分程度になり少々グレードアップ。
時間だけでなくオープニングも銀行強盗が警官隊に追い詰められ
ビルの屋上から転落するという派手なつかみ。

拳銃を貸して強盗をやらせるという「拳銃貸し屋」が今回のプロット。
構成もシリーズの原点に戻ったかのような各社の抜いた抜かれた報道合戦が
中心になり記者たちの群像劇になっている。

新米刑事を抱きこんで今後情報を優先的に得ようとする岩さん(山田吾一)、
拳銃発射事件の被害者が自社の新聞の販売店員だとわかると「他社はまだ知らない」
とほくそえむキャップ、被害者の母親を迎えに出るのに出し抜かれる寸前で
追いつく伊那ちゃん(滝田裕介)、被害者の病室に入りたい一心で輸血を申し出る
記者などなど。
これら各社の動きが特にどこの社だけが常に勝つのではなく、主役の東京日報
までもが時には抜かれる集団劇を描き出す。

また今回は被害者の姿を見て改心して自首を考える「拳銃貸し屋」の主犯の女房
とその子供との情愛も盛り込み、べとつきすぎないヒューマンドラマにも
仕上がっている。
ラスト、菅ちゃん(沢本忠雄)のスクープをその母娘のためにボツにした相沢キャップ、
「新聞のために人があるんじゃない。人のために新聞はあるんだ」と菅ちゃんを
諭すあたりは作品のテーマも明確にあらわれており、「シリーズの一本」として
ではなく、1本の映画としてもまとまりがよかった。

シリーズの代表作と言っていい。

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顔役暁に死す


日時 2003年6月14日27:30〜
場所 浅草東宝
監督 岡本喜八
製作 1961年(昭和36年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ある地方都市で再選を祝う市長がパレード中に狙撃され、死亡した。
数ヵ月後、アラスカに行っていた息子(加山雄三)が帰ってくる。
市長を殺したのは誰か?

岡本喜八の暗黒街ものだが、見るチャンスがなく、見逃していた作品。

あんまり評判を聞かない作品だが、岡本監督らしいユーモラスな演出。
加山が顔をしかめたりする表情や何かを覗き込む時に必要以上に
鼻の下を伸ばしたりするあたりは岡本喜八ならでは。

またミッキー・カーチスの敵対する両方のヤクザに情報を売り歩く
新聞記者、中丸忠雄や平田昭彦のヤクザ(というかギャング)たち、
中谷一郎の敵になったり味方になったりするキャラクターも喜八印。

「暗黒街の対決」風なユーモアの混じったアクション映画なのだが、
なんとなく印象が弱い。
それはオールナイト上映のトリの作品でこちらの頭が朦朧としていたのか、
はたまた今までの「暗黒街もの」のリメーク的二番煎じに終始した
映画のせいなのか判然としない。

もう一度見てみたい作品である事は確か。
そしたらこの映画の評価も変わるかも知れません。

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野獣死すべし


日時 2003年6月14日25:50〜
場所 浅草東宝
監督 須川栄三
製作 1959年(昭和34年)

(詳しくはキネ旬データベースで)

伊達(仲代達矢)英文学の大学院生。
彼は「人間の情緒や感情なんてくだらない。強いものだけが勝つ」という
狂気ともいえる感情に取り付かれていた。
警官を殺し、アメリカ留学資金のためにカジノの金や、自分の大学の
学生から集めた入学金を襲う。

後に松田優作などでも映画化された大藪春彦の有名作品。
松田優作版も見てるけど、こっちの方がはるかに面白い。

それも仲代達矢の存在あってこそ。
仲代の素晴らしいところは英文学の大学院生というインテリにも
充分見えるところなのだ。
インテリでありながら内に秘めた狂気を感じさせる。
こんな役どころは仲代達矢をおいてほかには出来まい。

仲代の狂気を表した、花売りの老婆をバーでねちねちいたぶるところは
この映画の名シーン。
情に訴えるように半分泣いているような哀れな顔つきで「花を買ってください」
という老婆(三好栄子)に「花を全部買ってやる。そして歌を歌え!踊れ!」
と言って金を投げつけるシーンは彼の狂気を端的に表したいいシーンだった。

新聞にのった大学教授名で出された仲代の意見をきっかけに、仲代に不信を抱く
小泉博の新人刑事。
同世代者だが常識的な、いかにも良心的な小泉博と仲代の対比が、映画に
厚みを持たせる。
結局捕まらずにアメリカに向かう仲代だが、彼の逮捕を想像させるエンディングは、
直接的に仲代が逮捕されるようなラストと違ってかえって含みを持たせてよかった。
白黒の、派手さはないがいわゆる「東宝フィルム・ノワール」の名作と言っていい。


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野獣都市


日時 2003年6月14日24:15〜
場所 浅草東宝
監督 福田純
製作 1970年(昭和45年)

(詳しくはキネ旬データベースで)

工学部の学生有間(黒沢年男)は銃砲店で製薬会社社長・石浜(三国連太郎)
と知り合い、銃の腕込みで石浜の運転手になる。
石浜は戦時中の特務機関員でその当時の黒い金を元にのし上がった男。
その過去を知る元の仲間・岩野(小松方正)からゆすりを受ける。
有間を使って岩野を殺す石浜。
だが彼の工場は爆発事故を起こし株価は暴落。しかしその裏には
そのすべてを仕組んだ黒幕がいた。

いわゆる東宝ニューアクションの一本。
トップクレジットは黒沢年男だが、どっちかっていうとその親分に
なる三国連太郎の方が強烈で印象に残る。

戦時中の仲間を殺し、金と会社のためなら娘の夫も危険にさらす。
しかし最後は娘を助けるために自らが相手にとらわれたため、
廃人になってしまう。
迫力ある悪党ぶりでまさに三国連太郎ならではの凄みだった。

でもまあ、それだけなんだな。
折角の黒沢年男のぎらぎらした狂犬ぶりも本作では発揮されず、
(福田監督のインタビューを読むと三国中心で作品を考えていたらしいし)
全体としては凡庸なアクション映画にしかならなかった。
付け加えるならちょこっとしか出演がないけど大滝秀治のヤクザの親分。
ヤクザ役が似合うんだか似合わないんだか微妙な存在での出演でした。


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黄金狂時代


日時 2003年6月14日20:15〜
場所 有楽町スバル座
監督・主演 チャールズ・チャップリン
製作 1925年(大正14年)

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ゴールドラッシュに沸き返るアラスカ。
チャーリーも一山当てようとこの極寒の地にやってきた。
飢えと寒さの苦しみ、酒場女との恋も織り交ぜて映画は進行し
チャーリーは友人と金鉱を見つけ出す。

言わずと知れたチャップリンの名作。
この映画を観るのは5、6回目だからもうさすがに爆笑の連続とは
いかなかったが、チャップリンの芸、パントマイムの素晴らしさには
感心してしまう。
チャップリンが出ないチャップリン映画「巴里の女性」を観たあとだけに
やはり彼の映画には彼の芸が欠かせないと思う。

まず登場してすぐの雪の斜面でステッキをさしたらこけるところ
から笑ってしまう。
ただこけてるようだがこのこけ方が難しいのだ。

有名な靴を食べるシーン、鳥と間違われて鉄砲で追いかけられるシーン、
酒場でベルトがなくなりテーブルに置いてあった紐を結んだら犬をつないで
いた縄だったというシーン、ロールパンのダンスシーンあたりはやはり
彼の芸なのだなあ。
そしてラストの崖ッぷちの小屋。
「モダン・タイムス」の時も思ったけど、彼の映画では彼自身の芸だけでなく、
こういったスケールのでかい大掛かりな特撮やセットを使ったギャグも多い。
珠玉のシーンの連続だ。

しかし、一方では酒場の女に好きでもないのに気がある振りをされるという
残酷なラブストーリーも描かれる。
でもこの映画が救いがあるのはラストがハッピーエンドだからだろう。
特に「モダン・タイムス」以降社会に対してどんどん攻撃的に
なっていくチャップリンだが、この作品は社会に対する攻撃性は
それほどでもなく、素直に楽しめる。

後のコメディ映画に多数影響を与えたであろう、映画史上の名作。

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巴里の女性


日時 2003年6月14日18:30〜
場所 有楽町スバル座
監督 チャールズ・チャップリン
製作 1923年(大正12年)

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フランスの田舎、マリー(エドナ・パーヴィアンス)と
ジーン(カール・ミラー)は愛し合っていたが、お互いの両親は
結婚に反対だった。パリに駆け落ちしようとした二人だったが
行き違いからマリーはジーンに裏切られたと思い、一人で
パリに旅立つ。
1年後、エドナはパリの社交界で毎夜毎夜バカ騒ぎのパーティに
明け暮れる毎日だった。そんな日々に偶然から今は画家となって
パリにやって来ていたジーンと再会する。

70年代後半の「ビバ!チャップリン」と題する再上映の時には
上映されず、今回初めて観たチャップリン作品。
チャップリンは出演せず脚本と監督のみ。
ご丁寧にもオープニングで「私はこの映画には出演していません。
私にとってはじめての喜劇ではない映画です。チャールズ・チャップリン」
という字幕まで出てくる。

でも前回の「ビバ!チャップリン」の時に何故上映されなかったかがわかった。
理由は簡単。面白くないのだ。

中盤、延々と乱痴気騒ぎを繰り返す上流社会の人々が描かれ、株屋で
プレイボーイで二股も三股もかけているマリーの恋人・ピエールとの
くっついたり離れたりが長々と続くのだよ。

でマリーのことが忘れられないジーンは再会したが、結局失意のうちに
自殺してしまう。
マリーは思い直し、ジーンの母親と孤児院で貧しいながらもたくさんの
子供たちに囲まれる日々を送る、でエンド。

でもラストシーンは象徴的。
荷馬車に乗ったマリーと偶然通りかかった車に乗ったピエールが
田舎道でお互いに知らずにすれ違う。
「うわべだけの不毛の上流社会」と「金はなくとも暖かい庶民の世界」の
すれ違いの対比を見事に象徴しているようで、本作のテーマにはふさわしいラスト
だったと思う。
しかし、チャップリンという強力な魅力あるキャラクターが存在せず、
全体としては大いに魅力に欠けていたといわねばならない。

あと技術的なことで一つメモ書き。
チャップリンの映画は舞台中継のような固定で撮られた画面がほとんどなのだが、
マリーが窓から外にいる子供を見下ろすというめずらしいカットがあった。
当時としてはめずらしいカット割だったかも知れない。

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ザ・コア


日時 2003年6月13日19:00〜
場所 新宿プラザ劇場
監督 ジョン・アミエル

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ペースメーカーをつけた人々の突然死、ロンドンでの鳩の暴走、
ロサンゼルスでのスペースシャトルの異常事態による緊急着陸等、
世界各地で異変が起こっていた。
シカゴ大学の地球物理学教授、ジョシュ・キーズ(アーロン・エッカート)は
これらの現象は地球の核(コア)の回転運動が停止したからだという仮説を立て、
地球物理学の大家コンラッド・ジム(スタンリー・トゥッチ)に意見を求める。
地球のコアが停止するとは地球を守っている磁場が消滅する事を意味し、
つまりは太陽光線の直射により人類の滅亡を意味する。
これを防ぐには核爆弾を使ってコアを再び回転させるしかない・・・・


昔から存在する人類消滅危機SFもの王道を行くストーリー展開。
古くは「妖星ゴラス」、最近では「ディープインパクト」「アルマゲドン」とか
あったけど、そのジャンルの名作がまた誕生した。

ロンドンでの鳩の暴走、ローマ消滅、サンフランシスコの金門橋壊滅など
世界の有名どころのエリアが壊滅していく様はまさしく定石通り。

そしてそれを救うのは私財を投じて開発されていた地中探検船!
まさしく東宝の「海底軍艦」の神宮司大佐が行ったように秘密に開発されていた
探検船に対し「そんなもの出来るかい!?」などと突っ込んではいけない。
素直に楽しもう。

やがて出発する地中探検船。上記に上げた作品と違って今回はこのジャンルでは
初めての地中探検。画的にはちょっと弱い感じがするのだが、「ミクロの決死圏」を
思わせる内なる宇宙への冒険が始まる。
ハプニングやそれに伴う事故によるメンバーの死、予想外の事態による計画変更、
上層部による計画中止、自己犠牲により仲間や地球を救うといった
これまた定番エピソードの連続。
思わず身を乗り出して見たくなる面白さ。

この手の大型SFが好きな人にはたまらんなあ。
キャラクターとしては個人的にはちょっとピーター・セラーズ似の
スタンリー・トゥッチがよかった。
「サラマンダー」は期待したものとは違った作品になってたけど、この作品は
期待通り、定石どおり。
絶対お薦め!

今年のベスト5には入るな、この作品。

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事件記者 深夜の目撃者


日時 2003年6月12日
場所 録画ビデオ(NHK−BS2)
監督 山崎徳次郎
製作 昭和34年

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


事件記者シリーズ第6弾。
クリスマスも近い冬の夜、タクシーの運転者が毒殺された。
目撃者の証言によると、どうやらバス亭のベンチの忘れ物の
ケーキを食べたらしい。
同じ日、郵便局に強盗が入り、2階の住人の一人が殺される。
だが郵便局強盗の遺留品とケーキの包装紙の指紋が一致したのだ!

クリスマス直前で街は浮かれてクリスマスムード一色。
だが事件記者たちには休みはない。
事件そのものは犯人側からも話は描いているので謎解きの
面白さはないのだが、事件と並行して描かれるクリスマス
ムードとは対照的な日常を送る事件記者たちの苦労が
にじみ出てくる。

事件解決後さすがにクリスマスイヴは各社のデスクたちは
子供へのプレゼントを携えて帰るのだが、沢本忠雄と山田吾一の
若手二人は当番となって泊まりをしている。
山田吾一が「ジングルベ〜ル、ジングルベ〜ル、鈴がなる〜」のメロディに
あわせて「新聞屋、新聞屋、街をゆく〜、新聞屋、新聞屋、飛んで行く」
と歌うあたりはなんともいえない。

そうだ、事件記者にとっては24時間365日が仕事。
事件には終わりはない。彼らの労苦にも終わりはないのだ。


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事件記者 影なき男


日時 2003年6月11日
場所 録画ビデオ(NHK−BS2)
監督 山崎徳次郎

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


「事件記者」シリーズ第5話。

今日はついに伊那ちゃん(滝田裕介)の結婚式。
だがそこへ殺人事件発生の報が入り、各社の記者は式そっちのけで
取材に行ってしまう。
被害者はニセドル偽造団の仲間割れにより殺されたらしい。
以前ニセドル事件を扱ったことのある伊那ちゃんは、以前の取材で
聞き込んだ、犯人の一味らしい4本指の男を新婚旅行の車中で
見かける。
その男はニセドル偽造団の仲間か?そして殺人事件の犯人は?

偽札を話に扱っているが、偽札製造に関しては詳細はすっぱり省略し、
単なる仲間割れの殺人事件に話は終始する。
で、伊那ちゃんは学生時代の友人(待田京介)が経営している温泉の旅館に
泊まるのだが、例の4本指の男もその旅館に偶然泊まるから二人で張り込み。
やがて踏み切りで死んでしまう。
ここで一挙に話に緊張が走る。

しかし結局は東京でドル札偽造団は捕まり、例の4本指の男も結局は
単なる事故死と断定。
偶然の一致でしかなかったようだ。

この4本指の男が事件に絡んでいたりしたら「またまたご都合主義が過ぎる!」
と批判したくなるがそこはうまく回避。
新婚旅行でも事件の取材を忘れられない事件記者の悲しい性(サガ)を描いた
一編でした。


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花の慕情


日時 2003年6月7日27:15〜
場所 浅草東宝
監督 鈴木英夫
製作 昭和33年(1958年)

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


生け花の家元の娘、堂本梢(司葉子)は師弟に生け花を教えていたが
家元は弟が継ぐ予定だった。ところがその弟は友人(西条康彦)に
誘われて出かけた山で遭難してしまう。
一緒に遭難した弟の友人の兄で歯科医の津田慎一(宝田明)に惹かれていくが、
弟を死に追いやったのは『大丈夫でしょう』と登山を勧めた慎一だと
考える周囲は梢と慎一の交際を許さない。
いろいろあったが結局二人は結ばれる。

実はオールナイト5本立ての最後の番組だったし、典型的なメロドラマ
だったので退屈し、少し寝た。
だからこの作品についてはあまり語る資格が無いのだよ。

でも記憶に残ったのは司葉子の和服姿の美しさ。
清楚な日本美人の見本のような美しさだった。
「その場所に女ありて」でスーツを着こなすキャリアウーマンを
演じていたが全く別人のような美しさだった。

また「その場所〜」「やぶにらみニッポン」と3本続いて宝田明との共演。
この二人のカップルが3本ともシチュエーションが違うのだなあ。
同じような役ばかりやってる今のドラマとは違う、当時の映画の幅の広さを見た。
「非情都市」も入れたら4本の司葉子の出演。
鈴木英夫作品には欠かせない女優だ。


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やぶにらみニッポン


日時 2003年6月7日25:40〜
場所 浅草東宝
監督 鈴木英夫
製作 昭和38年(1963年)

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


日本人というのは「日本人は外国人から見てどう思われるのか」
というのをやたらに気にする。
海外旅行にこれだけ気軽に行ける時代になってもそうなのだ。
テレビだって「ここがへんだよ日本人」という番組だってあったのだから。

この映画もその「日本人は外国人から見てどう思われるのか」というネタと
東宝サラリーマン喜劇をミックスさせた作品。
ジェリ―伊藤の「父親が日本人で日本は初めて」というアメリカ人が
日本にやってきて見聞する日本の様子と
宝田明と司葉子の二人のラブコメを絡めている。

オリンピック直前の建築ラッシュ真っ盛りの東京の風俗が
あちこちに出てくる。
石川進の乱暴なタクシー(いわゆる「神風タクシー」)とか
道路工事で何回も同じ場所を掘り返す工事とか、協同溝を作ったら
今度は責任のたらい回しとかまあありがちなネタ満載。
また「アメリカは労働者の平均時給が800何円なのに
日本では100何円」というセリフが出てくる。
スゲー差だなあ。

あと時代的にこのころは許されたらしいギャグとして、木の実ナナふんする新人歌手が
ある座談会に出席して「最近どんなことが若い人の間ではやってますか?」という問いに
「サリドマイド遊び。サリドマイド系の薬飲んで子供作って障害児が出来た人が
あたりって言うの」
インタビュアーをはじめ出席者固まる。
そしたら木の実ナナが「冗談よ」って言う。
今じゃそんなこと言ったら大変だわなあ。
このころはメディアに対する規制もゆるかったんだな。

(この木の実ナナがテレビ局で歌うシーンもあるのだけど、このとき
バックで踊っていたのが、あおい輝彦をはじめとする初代ジャニーズだったと思う)

作品としては、特に可も無く不可も無くといったありきたりなコメディ
(サリドマイドの件は別として)だったけど、僕としての記憶すべき点は
黒部進(ウルトラマンのハヤタ隊員)が登場している点。

以前黒部進さんがいわゆる大部屋時代に「ある映画で満員の地下鉄で乗客役で
出演した時、プロデューサーに見出されて『暁の合唱』(監督は同じ鈴木英夫)
の主演に抜擢された」という話を聞いたことがあったのだが、それがこの作品だった。
ジェリー伊藤が地下鉄でスリにあうシーンで横に立ってました。
ウルトラファン、(そのシーンだけ)必見の作品です。


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燈台


日時 2003年6月7日21:15〜
場所 浅草東宝
監督 鈴木英夫
製作 昭和34年

(詳しいデータはキネ旬データベースで)


伊豆の大島に終戦して数年経った頃、黒川家が旅行にやってきた。
長男の昇(久保明)は戦争から帰ってきたとき、父が再婚していたのを知らず、
その若き継母・いさ子(津島恵子)に初めて会ったときから惹かれていた。
家族は父母と昇と妹の二部屋に別れて泊まっていたが、眠れないから本を
貸して欲しいと訪ねてきたいさ子に、昇の妹の正子は兄の本を差し出してしまう。
ところがその本には昇のいさ子に対する思いを象徴するかのように「いさ子いさ子
いさ子」と書かれたページがあった。
妹が友人たちの部屋を訪ねていき二人きりになった時、昇は今までの思いを
いさ子はぶつけてしまう。
そこへ目覚めた父(河津清三郎)がやってくる。妹も帰ってきた。
昇はいさ子への自分の気持ちを父に話そうとするのだが・・・・・


三島由紀夫の同名戯曲の映画化だが、鈴木英夫らしい静かなサスペンスの傑作に
仕上がっている。
昇が思い余って父に告白しようとするのを、妹やいさ子が話をそらせようとしたり、
問題の本を取上げたり、後半のクライマックスはドキドキしてしまう。

もちろん父に打ち明ける事は犯罪ではない。
しかしそこには犯罪スリラーに見られるような緊張感が漂う。
人が殺されたり泥棒にあわなくても、人は日常においてドキドキする瞬間に
出会うことがある。
そんな時の緊張感を実に見事に切り取ったと言っていい。

またこういった「人物があるサインを送ろうとするのを阻止しようとする」
というパターンは昭和31年(1956年)の「彼奴(きゃつ)を逃すな」の
逆パターンとも言え、鈴木英夫研究をする上で見逃せない主要作品ともいえるだろう。

1時間ちょっとのSPの小品だが、小粒ながらなかなかの見所のある作品だ。
もう一度見たいと思った。


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